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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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鳥甲山の初化粧



 和山集落のDポイントから。
 今日26日11時35分撮影。
 今日撮った中でいちばん気に入っているもの。
 上野原から撮影したものを後で示すが、それと比較すると、やや正面左手から見る姿である。
 今日はかなり雲がある天候だったが、山の姿をほぼすべてとらえることができた。
    *撮影ポイントは巻末の地図参照。



 村道切明線から和山集落に入る直前、鳥甲山と和山集落を一緒に収めることができるCポイントがある。
 
 
 
 上野原集落からの1枚。Bポイント。
 11時10分撮影。
 
 
 今日の鳥甲山撮影は、「栄村復興への歩み」の配達に出かけて間もなく、雪坪集落で目に飛び込んできた次のような眺めがきっかけ。
 

 
 昨日の天候から、秋山では雪がふったのではないかと思っていたが、この眺めで鳥甲山(写真の真正面)が冠雪していることが確認でき、今日の動き方を急遽、変更。雪坪、志久見と長瀬の一部で配達した後、長瀬で左折して加用(津南町)に出て、日出山線で秋山にむかった。
 真っ先に上野原にむかい、天池周辺からの撮影から始めたが、このアルバムでは撮影順ではなく、気に入ったものを順に紹介していく。
 
 
  
 日出山線から屋敷集落の向かう林道を進み、Aポイントにて撮影。
 雪化粧をした鳥甲山がググッと迫って来る感じで、迫力がある。
 この地点よりも少し手前でも同じような絵を撮ることができるが、そこでは電線が入るので、この地点のものを選んだ。
 
  
 和山集落で、仁成館に向かう下り坂の途中での1枚。
 1頁掲載の写真を撮ってしばらく後で、11時38分撮影。
 
  
 「天池」として紹介されているところよりも少し進んだ地点。10時31分撮影。
 ここが本来の天池だという。「天池」よりもここの方が、鳥甲山がダイナミックに見える。
 ここで少し望遠を効かせて撮った山肌は迫力があった。
 
 
 
 


 「天池」は上の3枚を撮った時にも撮影したが、風があって水面になにも映らなかった。これは12時6分、帰路にもう一度立ち寄って撮影したもの。

 
  
 
  
 和山から上野原方向に戻るとき、栃川橋を越えて間もなく、国道405号線の真正面に鳥甲山が見える。地図のEポイント。
 12時ちょうどの撮影。
 
  
 鳥甲山が初化粧したのは昨日25日。同じ日に、上野原集落では集落の3分の2以上のゾーンを走る坂道に水を流し始めた。上野原はもう雪長靴でないと歩けない。
 

 
 坂道を流れ下った水は、集落の入り口で側溝に入る(下写真)。



 上野原で配達と撮影を繰り返している最中、虹が出ているのに気づいた。いちばん鮮やかに撮れたものを1枚。
 
 
 
  
 突然の予定変更で、かなり疲れたが、いい写真が撮れてよかった。
 撮影ポイントは次の地図を参照されたい。




栄村復興への歩みNo.270



「秋山小メモリアルデー」が盛大に催されました

 11月7日(土)午後、秋山小学校体育館で「秋山小メモリアルデー」が約150名の参加で盛大に催されました(写真は飯塚英春氏による記念撮影の様子)。
 「メモリアルデー」、そこには「閉校式典」という言い方に対する抵抗感と、分校として存続することになった秋山の小学校への愛着、「地域に学校を残す」という強い思いが感じとられます。
 「メモリアルデー」は「式典」と「文化祭」の2部で構成され、さらに夕刻からは場所を「とねんぼ」に移して「秋山小を語る夕べ」が約100名の参加で行われました。
 メモリアルデーで最も印象的だったことは、在校生の魚田(うおた)宝菜(たから)さん、福原弥夢(ひろむ)君の元気さ、豊かな感性。合奏・歌、皿回し、のよさ節の踊り等々に大活躍でした。



 2つめには、これまでに秋山小で勤務された先生職員方が多数お出で下さったことです。遠路、秋山郷まで足をお運び下さったのは、みなさんの秋山郷と秋山小への思いがじつに深いものであることを物語っています。


秋山小校歌を斉唱される歴代職員のみなさん

 3つめは、メモリアルデーが秋山の地域の文化祭として企画されたこと。秋山小では春の運動会、秋の文化祭が地域ぐるみのものとして開催されてきましたが、その伝統が生かされ、今後に持続させていく道筋がつけられたように思います。


秋山太鼓を披露された山田英治(えいはる)さん(右)と山田忠雄さん

 4つめは、夕刻の「秋山小を語る夕べ」でとくに目立ったことですが、秋山の若者が集合し、小学校時代の先生を囲みながら、酒を酌み交わし、秋山郷への思いなどをとことん語り合ったこと。


恩師の横山晋先生と共に舞台に上がり、大いに盛り上がる福原とも子さんとその同級生のみなさん。

 秋山郷のこれからを担う若い世代の力の存在を強く印象づけられました。
 

秋山に小学校を存続させ続けるためのビジョンを
 「秋山小メモリアルデー」の盛会ぶりは、ここまで記してきたとおり、非常に喜ばしいことであり、秋山郷の未来への希望を抱かせてくれるものです。
 だからこそ、いま、明確に言っておかなければならないこともあると思います。
 独立校としての秋山小の閉校。このことに完全に納得している地域の人はほとんどおられないと、いろんな人びとと話して感じています。閉校方針を主導した村当局に、「では、小学校閉校の後の秋山地区についてのビジョンは?」と問えば、答えは何もないというのが、残念ながら現実だと思います。
 歴代職員の方々がたくさんご参加下さった背景には、秋山小(秋山郷)への郷愁とともに、強い危機感があったからだと、挨拶・スピーチ等から強く感じとられました。

 いま、地域の持続性を考える人たちの間では、「学校の消滅は地域に消滅につながる」ということが経験に基づく通説になっています。
 他方で、県庁所在地などの地方都市で人口減少が進むのに対して、平成大合併後の市町村の役場支所さえも存在しないような山間地域で人口が増えているという驚くべき事実があります。島根県の話です。そこでは秋山小のような小規模校がむこう20〜30年の存続の展望を見出しているという事実もあるようです。
 私はこのことを、島根県中山間地域研究センターの藤山浩さんの著書『田園回帰1%回帰戦略』を読んで知りました。「1%回帰」というのは、人口も経済も現状よりも1%回復させるということです。

 秋山は現在ざっと100世帯。その1%と言えば、わずか1世帯です。
 島根県の山間地域では30歳代の子育て世代が1世帯増えるだけで地域存続の展望が出ているというのです。
 これをすぐに「移住者を呼び込む」という考えに解消してはならないと思います。秋山出身者のUターンがまず第一です。もちろん、Iターンの受け入れもあっていいのですが。
 でも、すぐに言われるのは、「30歳代の子育て世代がやっていける仕事がない」ということでしょう。しかし、藤山さんの著書を少し読めば、「仕事がない」と思われてきた地域にいろんな仕事が存在することがわかります。この後の「秋の観光を振り返って」の記事にも“仕事”につながる手がかりは読み取れることと思います。
 「地域創生」、「人口ビジョン」、「総合戦略」もいいですが、なによりも求められているのは「秋山ビジョン」だと思う次第です。


 

紅葉が終わった後の秋山郷〜11月14日の配達日誌〜

 今日14日は丸一日、秋山での配達。「復興への歩み」No.269の未配達世帯を廻ると同時に、「秋山小メモリアルデー2015年11月7日」を全世帯配布するのが目的。
 
 時間的順序で書き記すのも1つの方法だが、今日はこの1枚の写真をまず紹介したい。
 
  
 午後1時39分の撮影。場所は写真からあきらかなように「秋山郷総合センターとねんぼ」(役場支所などがある)の前。
 ここの駐車場で昼食の弁当を食べようと思って行ったところ、この4人の若者が「とねんぼ」への階段を上がって行く姿が目に入った。「『とねんぼ』はおそらく今日は休みで閉まっているだろう。どうされるのかな?」と思っていると、反対側の出口から苗場神社の方に歩いて行く姿が見えた。そして、しばらくするとぐるっと廻って、また「とねんぼ」の前に戻って来られた。そこで、声をかけ、どこから来られたのかなどをお聞きし、撮影もお願いした。
 快く承諾して下さり、写真で一番右に映っている彼氏のカメラでも1枚撮ってさしあげてお別れした。
 車は群馬ナンバーだったが、「みんな別々のところから来たんですよ。新潟、群馬、静岡、そして長崎です」。「えっ?! 長崎?」と私が言うと、「じつは長崎の高校の同級生なんです」とのこと。
   「観光ですか? どちら方面から来られて、これからどちら
    へ?」
   「直江津から津南町を経て来たんですが、シーズンを逃しちゃ
    って、どうしようかと。十日町方面に出ようかと思っている
    んですが…」
 
 私は不意をうたれた気がした。紅葉が完全に終わり、かといって雪の季節になっているわけでもない。いったい、どこを薦めればよいのか。まったく答えの用意がなかった。
 私が唯一できたことは、「トイレはないでしょうか?」というお尋ねに対して、たまたま直前まで私がお邪魔していた「休み処苗場」さんを紹介すること。店はお休みだったが、つい10分ほど前まで店主の福原秀樹さんとお話していたので、「まだおられるだろう」と考え、案内した。秀樹さんはまだおられて、みなさん、無事、トイレを使うことができた。
 
 これって、とても大事なことだと思う。
 今日、秋山では、個人宅を訪ねるのでなければ、屋敷の公衆トイレを除くと、上野原の「のよさの里」、切明の「雄川閣」以外にはトイレを借用できそうな場所はない。屋敷の公衆トイレは集落のみなさんのご努力でとても清潔で使いやすいトイレだが、地図などに記載されているわけではなく、他所から来られた人にはわからないだろう。
 「おもてなし」ということがよく言われるが、栄村−秋山郷の観光をめぐっては、このトイレ問題を解決することこそ「おもてなし」の第一歩ではないだろうか。
 
 この4人の若者、その後、どうも上野原集落での配達途中にすれ違ったような気がする。さらに、その後、雄川閣で支配人とお話した時、「先ほど、学生さん4人グループが川原を掘ると湧き出る温泉に来られた」という情報を得た。私は当初、4人はてっきり社会人だと思い込んでいたが、言われてみると、学生さんである可能性の方が高い。切明温泉を訪ねたのも彼ら・彼女らなのではないだろうか。

 
 さて、ようやく2枚目の写真。
 
  
 もう夕暮れ時の午後4時17分の撮影。
 場所は、見る人が見れば、橋の特徴ですぐにおわかりになるだろう。切明の発電所の吊り橋である。
 小雨の中、一人の男性が「川原を掘れば湧き出る温泉」に向かう姿である。
 じつは、これより前、3時半頃、リバーサイドハウスへの配達から戻る時に、スコップを手に吊り橋を戻って来る若いカップルの姿を見ている。
 このカップルには、車から声をかけて、感想を聞いた。「よかったですよ」。横浜からの日帰り入浴であった。
 写真の男性は、私が雄川閣でちょっとした用件を済ませている間に戻って来られた。
 「足だけ浸けてきました。どうしてもこの川原の温泉入ってみたかったので。ちょうど適温なのですね」
 
 支配人に、「この時期に来られるお客さまはどういう目的が多いんですか?」と尋ねると、「やはり温泉ですね」というご返事。
 今日、切明で宿泊客のものと思われる車で見たものは、習志野、袖ケ浦(千葉県)、湘南、世田谷、足立、横浜である。
 私の感覚からすると、「秘境の温泉」や「秘湯」という感じはあまりない。たしかに切明までやって来る道のりは大変だが。私の経験からいえば、関東の山間地などに、もっと“人里離れた山合の秘湯”という感じのものが多々ある。
 切明の場合、やはり「川原を掘ると湧き出る温泉」があるというのが1つのポイントなのかもしれない。
 
 写真は撮っていないが、3時頃に配達に訪れた和山の仁成館。現在は宿泊営業はされておらず、温泉だけ入れると聞いているが、なんと、大阪、岡崎(愛知県)、水戸、横浜、大宮、所沢ナンバーの車がずらっと駐車していた。しばらく前にネットを検索すると、かなりの情報が出ていた。仁成館が発信されたものではなく、仁成館を少なくとも何度かは訪れたことがある人たちの投稿である。
 
 
 さて、温泉が1つのキーポイントであることは確かだと思うが、それだけでは弱いという感じもする。
 じつは、私は今日の秋山郷の様子に、午前中からかなり衝撃を受けていた。
 今朝は、日出山線→鳥甲牧場→五宝木トンネル→秋山郷ビューポイント→布岩直下→屋敷集落というコースで秋山に入った。
 鳥甲牧場は、その地形を撮影する目的があったが、車から降りたら大変。まるで台風のような強風が吹き荒れ、立っているのも困難なほど。その様子をリアルに示す写真はあまり撮れていないが、次の1枚で少しは理解していただけるだろうか。
 
  
 ススキが左方向に倒れたかのようになっている。
 この強風で、今日はこの場面以降、最近愛用のハンチング帽は外では被れなかった。いつ飛ばされるか、わからない。
 強風は鳥甲牧場特有のものかと思っていたが、屋敷、小赤沢と進んでも、強風は続いた。上野原で出会ったおかあさんは、「今日はまだ南風だからいい。これが北風になったら、そら大変だよ」と。
 私は本格積雪後の秋山は経験があるが、紅葉は完全に終わった、すっかり落葉している、しかし、雪はまだ、という時期の秋山は初体験。
 1週間前、「秋山小メモリアルデー」の取材で訪れた時との景色のあまりの変わりように驚愕していた。
 
 2枚の写真を示したい。
 
 
 午後2時14分、上野原集落、「のよさの里」の少し手前で撮った鳥甲山の様子。
 もう1枚は、これよりも先、9時45分、鳥甲牧場から五宝木に下る時に撮ったもの。

  
 いずれも、写真は私の実感よりも明るく写っているように思う。実際の感じとしては、もっと岩肌、あるいは葉をすっかり失った木だけが強烈に目に焼き付き、もっと暗いイメージであった。
 これに雪が載れば、また美しい景色になるだろうが、率直なところ、かなり陰鬱な気分を催すものであった。
 だが、ひょっとすると、そこにこの時期の景色の良さがあるのかもしれない。
 人によっては、「そんなところは行きたくない」と言う人もいるだろうが、強風に落ち葉が舞い、葉を失った樹々と岩肌のみが目に入っている景色というものは、自然というものを体感するに最高だともいえるのではないだろうか。ただ、それを体感するには、まだ走れる林道をガイド付きで廻ってもらうような工夫が必要なのではないかと思う。
 
 そういうこととも関連して、「秋山郷ビューポイント」からの眺めを紹介しておきたい。
 
  
 広葉樹はすべて落葉していて、つい数週間前の景色とはまったく異なる。しかし、これはこれでとても綺麗だと思うが、いかがだろうか。
 
 
 もう1つ、見どころがある。
 むらの人たちの冬支度の様子である。
 
 
  
 この藁の下には大根が入れられているのだろうと思う。小赤沢集落での撮影。
 
 
 
 玄関に雪囲いがされ、其の前にはブルーシートが敷かれている。周りが少し高くなっているのがわかるだろう。冬の間、“たね”(雪消し用の池)になるものだと思う。
 上野原集落にて撮影。
 
 
 
 苗場神社から「とねんぼ」に下る坂。すでに水が流されている。
 主要道路で冬期間、水が流されるところはまだ水が流されていなかったが。
 
 
 こうしたものは、旅人にとって興味深いものだと思う。
 
 もう今日はここで終わりにするが、今日の秋山郷で最も目立ったものは、道路拡幅等の工事が積雪前の完了をめざして強風の中で懸命に行なわれていたことだった。その様子は別の機会に紹介したい。

 

秋山小メモリアルデー2015年11月7日

 昭和34(1959)年度に独立し本年57周年を迎えた秋山小学校が来年3月末をもって閉校となり、来年4月からは栄小学校秋山分校として新たに出発することになりました。
 そのことを記念して、11月7日、「秋山小メモリアルデー」が開催されました。
 午後1時からの式典、引き続き文化祭には在学児童2名をはじめ、歴代職員、地元民など150名近くの人たちが参集し、盛大なメモリアルデーとなりました。
 また、夕刻には秋山支所「とねんぼ」に場所を移して「秋山小を語る夕べ」が催され、およそ100名の人たちが酒を酌み交わしながら、思い出話に大いに盛り上がりました。
 速報として、写真46点を紹介します。



参加者全員による「のよさ節」。壇上で音頭を取るのは山田一二三さん。
 
 
メモリアルデー当日の秋山小学校。
(中津川対岸から)







 歴代校舎の姿はメモリアルデー会場での展示から。
 
 
式典の部
 開会の言葉。
 
魚田清美PTA会長。
 
  
 校歌斉唱











実行委員長挨拶・福原和人氏


学校長挨拶・平野弘蔵先生


児童会長挨拶・魚田宝来さん


来賓挨拶・佐藤平八郎氏(昭和57年度学校長)



校歌と校章



文化祭

秋山小学校2、6年による合奏と歌「下甚句」





 

キーボードを演奏する福原弥夢(ひろむ)君


「下甚句」を歌う
 


 
 
 文化祭の部に入り、会場前方の住民席に移動する人も増え、手拍子で盛り上がる。
 



 
横倉神楽部による獅子舞
 
 
 
秋山ギタークラブ演奏


地域おこし協力隊の坪内大地さんの手ほどきで発足したばかりの秋山ギタークラブが2曲を演奏。
毎週水曜日夜、屋j敷公民館で練習。


小噺「2つのチャンス」(3代目J Soul Shishotyo Naoki)


「芸名」をよく見ると、「Shishotyo」=新所長。勝家直樹さんでした。


大喜利(MEN’S 5)


舞台登場。座布団がずいぶん多い人も。


司会者「うたまる」師匠




皿回し隊




来賓の指名参加も


小赤沢ABC




2つの踊りを披露。
「ABC」とは、「Akiyama
 Bijin Club」の略称とのこと。


秋山太鼓






お話も最高に楽しいお二人。
山田英(ひで)治(はる)さん(左)と山田忠雄さん。


今度は法被を脱いで、2回目の演奏。


満場からの大拍手。
最高に盛り上がりました。


参加者全員でのよさ節


音頭取りの山田一二三(ひふみ)さん。








記念撮影


写真家・飯塚英春氏による記念撮影の様子







 秋山小メモリアルデーは午後4時頃に終了。
 外には秋山郷らしい素敵な風景が広がっていました。
 (この後に開催された「秋山小を語る夕べ」のアルバムは後刻に編集します)