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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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夕暮れ時の飯山線

 

1月7日夕5時すぎ。横倉にて撮影。


栄村復興への歩みNo.374(1月11日付)

1月10日午前10時すぎ、月岡集落から。9日夜〜10日朝の降雪、平地部ではほとんど見られなかったですが、山の上はそれなりに降ったようで、陽がさしてくると同時に樹々に新雪がのった姿がきれいでした。

 

 栄村での千曲川治水対策への取組が急務です
 台風19号で栄村でも千曲川が氾濫し、大きな被害を出したことは周知のとおりですが、千曲川治水対策についての村内での議論が弱いなと感じます。国・県の対策検討の現状のレポートも含めながら、議論と取組を呼びかけたいと思います。

 

● 「県待ち」(「国待ち」)ではなく、住民から動き出そう
 越水・浸水の被害をうけて月岡・箕作集落などが被害直後から役場に対策を要望しています。大巻の水没した田んぼの被害復旧予算はすでに決まりましたが、越水等の災害をどう防ぐかをめぐっては、村の基本姿勢は「県の方針待ち」と言わざるをえない状況だと思います。
 たしかに栄村を流れる千曲川の管理者は長野県ですので、「県の方針待ち」というのにはそれなりの合理性があるとも言えます。
しかし、この点から考え直す必要があると思います。
 千曲川を管理する主人公は誰でしょうか。県でしょうか、国でしょうか、それとも村でしょうか。いえ、そのいずれでもなく、流域で暮らす住民だと思います。もちろん、住民は日々、千曲川の管理業務に専念できるわけでなく、また専門知識も十分ではありません。そこで、県や国、その河川管理部署が登場するわけです。彼らは専門知識や権限を有していいます。しかし、栄村を流れる千曲川の様子を日常的に見聞しているわけではありません。台風19号の災害も彼らは事後的にデータなどで知るのであって、氾濫し被害を引き起こしている状況をリアルタイムで見ているわけではありません。現場を最もよくリアルに知っているのは流域住民なのです。
 以上は当たり前のことを書いただけなのですが、驚きをもって受け取られる人もおられるかと思います。だからこそ、この点を明確にして、“住民自ら動き出そう”ということを地域の合意にしていくことが大事だと思います。
 私は、月岡集落の住民であり、元消防団長で千曲川災害対応の経験が豊かな保坂良徳さんから台風19号時の百合居での千曲川氾濫等の災害状況について詳しくお話いただき、先日、それをA4判12頁のレポートとして編集しました。「住民自ら動き出す」ことに役立ちたいという思いからです。(ご希望の人にはお分けします)

 

● 気候変動は深刻。今年の梅雨期、夏秋の台風期に備える対策を早急に
 今冬は雪が少ないですね。栄村だけでなく、全国の雪国地帯のほとんどが同様の傾向。直接には寒波が弱いことが原因ですが、一つの異常気象といってよいのではないでしょうか。やはり気候変動(温暖化)との関係が心配されます。
 気候変動を考えれば、今年の梅雨期、夏秋の台風期に大きな災害が発生する危険は高くなっていると言わざるをえません。そして、時はあっという間に過ぎ、すぐに梅雨、台風の季節がやって来ます。台風19号被害の復旧だけでなく、千曲川の台風19号クラスの災害に対する備えを早急に進めることが必要です。

 

● 「治水緊急対策プロジェクト」の動き
 昨年末、12月27日付の信濃毎日新聞2面に「千曲川流域治水対策プロジェクト 国・県・市町村会議 中間まとめ」というタイトルの記事が出ました。記事本文が読める大きさで写真を掲載しますので、新聞で読まなかった方はご一読ください。

 


 この国・県・市町村の会議は11月29日に開催され、その後は国交省北陸地方整備局主導で緊急対策案が練られ、12月26日に中間まとめが発表された次第です。記事では千曲川流域のことのみが報道されていますが、北陸地方整備局では新潟県においても同様の国・県・市町村緊急対策プロジェクトを進めていて、やはり12月26日に「信濃川水系(中流)」の治水緊急対策プロジェクト中間まとめを発表しています。対策の具体的箇所については1月中にも示されるとも報道されています。
 さらに、信毎1月11日の報道では、北陸地方整備局は2014年に決定した信濃川(千曲川)水系河川整備計画そのものを2020年度中に変更する方針を表明しています(次頁写真参照)。
 このような国レベルでの千曲川治水対策について、いま、栄村の住民は信毎の報道だけが頼りという状況にあります。村役場からはほとんど情報が出てきません。北陸地方整備局や県建設部河川課などのHPを閲覧すると、新聞報道よりも詳しい情報が入手できますが、アクセスしている村民は数少ないと思われます。
 いま、私たちにとって最も大事なことは、このような情報を入手し、国や県の対策決定に間に合うテンポで地元の声を国や県に届けることです。もちろん役場とも話し合うことが必要ですが、役場の体制(村幹部の姿勢、人員配置状況等)を考えれば、国・県との直接対話を試みることが是非とも必要だと思います。

 


● 「中抜け」問題への対応
 千曲川については、いまひとつ重要な問題があります。いわゆる「中抜け」問題で、湯滝橋から栄村、さらに県境を超えて津南町まで河川管理者が国(国交大臣)ではなく、県管理となっていることです。こうした区間は「指定管理区間」と呼ばれます。
 地元は長年にわたって「大臣直轄管理への変更」を要望していますが、国からの対応はありません。指定管理区間=県管理と大臣直轄管理とでは河川改修等への予算配分も異なり、「中抜け」は栄村等の台風19号被害対策、さらに今後予想される災害に対する予防対策の実施にとって大きな障害となっています。私たちはいまこそ声を大にして「大臣直轄管理化」を求めていくことが必要です。
 と同時に、当面する「戦術的判断」という観点から考えると、先に紹介した「治水緊急対策プロジェクト」への栄村ゾーンでの対策の盛り込みに全力をあげることを優先すべきではないかと考えます。というのも、台風19号は国から激甚災害とともに非常災害というものに指定されました。非常災害に指定されると、本来は県や村が行う工事を国が権限代行で行うことが可能になります。現に、野沢温泉村七ケ巻地先の千曲川護岸崩壊地点は国の権限代行による応急復旧工事が11月に実施され(下写真)、今後、本格改良復旧工事も予定されています。この七ケ巻の工事に際して北陸地方整備局では栄村ゾーンについても関心を示していたという情報もあります。

 

 

● 箕作・月岡、さらに森・平滝の築堤・護岸等について「緊急プロジェクト」「流域委員会」にどんどん働きかけ ていこう
 以上に述べてきたことから、私は被害を受けている箕作・月岡、さらに森・平滝の住民が自ら直接に「緊急プロジェクト」や「流域委員会」に働きかけることを提案したいと思います。
 「国→県→村→住民」という国を最上位とする上下関係があるわけではありません。国と住民は直接に話し合ってよい対等な関係にあります。県とも同様です。現に「緊急プロジェクト」では「中間まとめ」の発表に際して、「問い合わせ先」(事務局の責任者、代表電話番号)を公表しています。
 大事なことは地元で区の役員や有志が頻繁に会合し、地元の意思・要望をまとめていくことです。いまこそ、栄村の住民の底力を発揮していこうではありませんか。


農地管理と農業展望を話し合う場を

 「広報さかえ」1月号に収録の「農業委員会だより のぞみ」(No.86)に「農業者との意見交換会開催(11月27日)」という記事が掲載されています。私なりに要約すると、「栄村の農業の基本路線がない。農業のノウハウをもつ人はたくさんいる。そういう人を活かし、村がバックアップすることが何故できないのか」という農業者の苛立ちの気持ちがひしひしと伝わってきます。
 もう一方で、同誌収録の「公民館報」第332号では、「一石を投じる」という記事で栄村の農業の夢ある方向性の提案がされています。
 この2つのものがうまく出会い、議論が交わり、村民が楽しく栄村の農業の将来像を語り合うというようになっていないことは非常に残念で惜しいことだと思います。

 

●「行政に引っ張ってもらおう」では事は進まない
 「農業委員会だより」では参加者の意見をうけて、農業委員さんから「農業会社なりを作って一本化には行政に引っ張ってもらわないと、各集落では一本化できない」という発言があったと記されています。
 この発言をされた委員さんの気持ちはよくわかります。たしかに各集落だけでは法人作りなどにはかなりの困難があります。しかし、「行政に引っ張ってもらう」ことは可能でしょうか。かなりの人たちが、「うーん、役場に話してもなあ」と言われるのではないかと思います。
 やはり農業者自らが立ち上がる以外にないと思います。しかし、なにも農業者だけでやってくれということではありません。たとえば公民館報で栄村の農業について夢ある方向性を提案している人などにも合流してもらいます。公民館報ではまた、「食と農・かきのきむら企業組合」(島根県の西端、柿木村)の取組が紹介されています。栄村にも企業組合ぬくもりが一昨年末に発足しました。いまは「トマトの国」の指定管理に全力集中されていますが、「自分たちの村は自分たちで守る」が基本理念ですから、運営施設での地元食材の活用拡大からさまざまな農業支援への取組まで多様な関わりを期待することができると思われます。また、直売所「かたくり」の存在もとても重要です。
 少しでも農業に関心がある人、農業に関わりたい人みんなが集まってワイワイ話すことからすべては始まるのではないでしょうか。

 

 

●見祢(みね)集落に学ぼう!
 私は村議会議員の視察研修で11月に福島県猪苗代町の見祢集落というところを訪ねてきました。議員としての報告書を書きました。2月の「議会報」に掲載される予定ですので、そちらも是非ご覧ください。
 視察した見祢集落は世帯数40、人口156人、耕地面積57ha(うち水田57ha)ですが、栄村の農業が直面する課題を解決していくうえでとても参考になる取組を行っています。見祢の本格的取組は2006(H18)年から始まっていますが、その背景は
   「子供の減少や集落住民間の関係の希薄化、離農者や兼業農家の増加等

    により、漠然とした不安が集落内に蔓延する中、平成15年頃より集落

    会合の度に『このままでは集落がダメになってしまう』と、集落衰退

    に対する不安を話し合うようになりました。」
ということだったそうです。
 見祢集落が2006(H18)年に取り組んだことは見祢営農改善組合(農用地利用改善団体)の設立と農用地利用規程の策定でした。
 この「農用地利用規程」を策定する「農用地利用改善団体」の設立がその後の見祢集落の取組の発展にとって非常に大きなステップになったと思われます。これによってこそ、農業からの引退者などが出ても農地の持続的耕作ができる土台が築かれます。
 栄村でも多くの集落に農業改善組合等がありますが、「農用地利用規程」を定めるところまで進んでいるところは少ないですね。もちろん、小さな集落の場合、そういう規程作りができる人材の不足などから、なかなかそこまでは踏み込めないという事情もあるでしょう。見祢集落の周辺にもそういうケースがあります。見祢集落は多面的機能交付金事業への取組開始にあたって周辺4集落を対象エリアに含めるという取組をしています。また、近くの小規模高齢化集落の農地について見祢集落の農事組合法人で耕作しています。

 

見祢集落の「農家レストラン結」

H26年開業、最近年の売上は1,100万円


 この見祢集落の人に栄村に来ていただいて、詳しくお話を聞かせていただけば、「農業者との意見交換会」に参加された人たちが困っておられる問題を解決していく手がかりをたくさんいただくことができるのではないでしょうか。
まずは行動、そして議論。是非、見祢集落との交流に取り組んでみましょう。
  

 

 「農家レストラン結」のそば膳

集落の女性たちが運営されています

 

 


むらの風景から

 

1月9日午後5時すぎ、トマトの国の前からの眺めです。温泉に通う人たちにはお馴染みの景色でしょうが、なかなか素敵な風景です。

 

 

1月7日昼、坪野集落で撮影。今冬は暖冬でツララを見ることが少ないですが、この日は坪野と極野で見ることができました。
 


栄村復興への歩みNo.373

巻頭写真は元日午前11時すぎ、国道117号線栄大橋から。
前夜の雪がやみ、晴れ間も見えて、大河千曲川と鳥甲山をセットで眺めることができました。


栄村の新しい時代を切り拓きましょう
 新年あけましておめでとうございます。
 2020年、節目を感じさせてくれる数字です。この年を、是非とも、栄村の新時代を切り拓く年にしたいなあと思います。
 もう1年と少しで、あの震災から満10年となります。栄村はどんな姿で「10年目」を迎えるのか。私たちは大きな宿題を背負っているのではないでしょうか。これからの1年がとても大事だと思います。その最初の関門が4月の村長選挙です。今年最初の号はそれについて考えたいと思います。

(挿入写真は本文とは関係なく、年末の村の風景を紹介します)


◇  望まれる村長像とは
 首長とはとても重要な存在です。でも、首長が一人で村をつくるのではありません。村民一人ひとりの暮らしの営みが村をつくるのだと思います。
 そういう視点から《望まれる村長像》を私なりに考えてみます。

 

● 村民一人ひとりの声を大事にし、自由な議論を進める
 国という大きな単位や大都市をイメージすると、人びとの暮らしとかけ離れたところに政治の世界があるかのように感じられてしまう面があることを否めません。
 しかし、栄村は住民一人ひとりの顔・名前、さらには互いの暮らしぶりまでがわかる小さな村です。
 そういう村で、「予算と人事は村長の権限です」などと言う権力者然とした首長は要りません。
 村民一人ひとりが自らの暮らしの中から、また、自らの“しこう”(思考、志向、嗜好)から思い思いに声を発する。そして、自由闊達に声を交わし合う。言いかえれば自由に議論する。
 その土台の上にのみ村長の政策判断や決断がある。そういう村長のあり方こそが望ましいと思います。

 

● 村長のリーダーシップはどう発揮されるべきか
 上で述べた村長像、「リーダーシップに欠けるのではないか?」と思われる方もおられるかもしれません。
 しかし、“リーダーシップ”というものは村長たる人が自分の考えを前面に強く押し出すことにあるわけではないと思います。首長のリーダーシップは、まず第1に、村民一人ひとりが何の心配もなく自分の思いを口にできる自由な空気(環境)を整えるように発揮されるべきでしょう。
 もちろん、村長たる者、判断・決断という面でのリーダーシップの発揮が求められもします。1つは、災害などの非常時の判断・決断です。もう1つは、限られた資源の中で、村民が求める諸施策の中で優先順序を判断することです。

 

青倉北沢橋付近から(12月25日朝)
 

● 政治とは何ぞや
 政治の役割は、人びとがさまざまなことを望むにもかかわらず、使える資源(端的には財政資金)が限られている中で、人びとの願いに最大限応えることができるように資源の有効配分方法を考え出すことにあると言えます。
 村の現実に即して、より分かりやすく説明すれば、次のようなことではないかと思います。
 村では各集落が地区の必要とする道路や水路などの改修・改良の要望を村(役場)に提出します。他方、村(役場)には総合振興計画とそれに基づいた事業計画があります。事業計画にはさまざまな分野にどれだけの予算を使うことができるのかが記されています。事業計画には各集落の要望をすべて一挙に満たすに足る予算はありません。各集落の要望内容をよく検討し、優先順位をつけることが求められます。そのための基礎作業は役場職員が行いますが、最終的な判断は村長がしなければなりません。
 村長はその判断を行ううえで首長としての指導力が問われるわけですが、大事なことは判断することだけにあるのではないと思います。指導力(リーダーシップ)をいちばん求められるのは、「なぜ、私はこのような判断をしたのか」についての説明を丁寧に行い、村民全体の同意を得ることに努める場面です。村長はそういう指導力を発揮しなければならないのだと私は思います。

 

天池から鳥甲山を望む(12月26日)


● 現在の村政の問題点
 現在の村政の最大の問題点の1つはまさにこの点をめぐって生じています。
 「あなたの区(集落)の道路改良は次年度の事業計画に入れてあります」と役場幹部が話していたにもかかわらず、その年度になってみると、その区の道路改良は何の説明もなしに見送られ、それまで「必要性、優先性が高い」という話を聞いたこともない他の地域の道路改良に予算がつく。
 もちろん、その他の地域の道路改良の必要性、優先性が本当に急に高まったということで、そのことを具体的に分かりやすく説明されれば、道路改良が先延ばしにされた区の関係者も納得できると思います。しかし、そういう説明がないとなれば、不満や不信が募ることになってしまいます。
 言葉を換えれば、村民誰しもが納得できる材料を提示するよう、村が実施施策の透明性を高める(施策の決定プロセスを明らかにする)ことです。個々の担当役場職員も努力する必要がありますが、やはり何と言っても村長自身が充分な説明をすることが求められます。そうしてこそ、村長のリーダーシップが発揮され、村民の信頼度が高まるのだと思います。

 

吹雪の始まり(12月27日昼、泉平にて)

 

◇ 私たち村民自身はどう動くべきか
 ここまで「望まれる村長像」について議論してきましたが、それは角度を変えてみれば、《私たち村民自身はどう動くべきなのか》という問題にもなります。
 3頁で書いたこととの関連で、村民一人ひとりの思いをどのように出していくのか、その回路をめぐる問題を提起してみたいと思います。

 

● 区(集落)の枠を超える課題があります
 先に「村では各集落が地区の必要とする道路や水路などの改修・改良の要望を村(役場)に提出します」と書きました。要は「区(集落)」というものが基本単位となっているわけです。
 このことは農山村の特性であって、今後とも変わらないことだと思います。
 しかし、同時に、それだけではこれからの時代のさまざまな問題すべてに対応できるわけではないことも明らかになってきているのではないでしょうか。
 いちばん分かりやすい事柄は、若い世代が抱いている課題、思いというものは、「区(集落)」という枠組みだけでは汲み上げきれないのが現実だと思います。
 やはり若者は若者で集まって、悩みや希望を語り合い、若者パワーというものを発露させていくことが必要だろうと思います。
 また、栄村の基幹産業である農業をめぐっても、「区(集落)」だけでは集約しきれない課題が浮かび上がってきています。今年は中山間地域等直接支払制度第5期がスタートしますが、そこで求められる「集落戦略」(10年後の集落の姿を描き出す)の策定はじつは区(集落)だけで描けるものではない可能性が高くなっています。農業の担い手の高齢化が進む中で、10年後の農業の姿を描くには集落営農、さらに農業法人の存在が不可欠になってくるでしょう。そこでは、村全域をまたぐ人材を結集する法人を生み出していくことも求められるようになってくる可能性が大です。実際、先進的な取り組みを実現している他市町村の事例をみると、そういうケースが多く見られます。

 

平滝からの眺め(12月28日午後)

 

● フリーに参加できる“しゃべり場”のようなものが必要なのではないか
 以上のようなことを考えると、課題を共有していると思われる人たちがフリーに参加して互いの思いをぶつけあい、問題意識を共有し合っていく。さらに、その課題の解決方法についても自由に議論する。場合によっては、先進事例を有している他市町村(長野県以外を含む)の人たちを栄村に招いて話を聴く。そんな機会もあって然るべきでしょう。さらには、他県などに視察や勉強に出かけることも必要になってくるかもしれません。
 そういう人を招く、他地域に出かけるというのには経費がかかります。村民一人ひとりの自己負担も求められますが、それには限界があります。では、経費が不足する場合は、それ以上の勉強や議論は諦めるしかないのか。いや、そこを後押しするのが村(役場、村長)の役割だと思います。村が費用を出すのです。しかし、口まで出してはいけません。つまり、役場・村長の気に入るものにはお金を出すが、気に入らないものにはお金を出さないというのではなく、お金は出す、求めるのはきちんとした報告書だけ。その勉強から何を学ぶか、そこからどんな自分たちのアイディアを生み出すかは村民の自主性に委ねる。そういうお金の出し方です。
 これは前例のない考え方のように思われる方もおられるかもしれませんが、栄村には前例があります。現在50歳代後半から60歳代の人たちのお話を聞いていると、「俺たちの企画に村長が自らの交際費を削ってまでお金を出してくれた。『報告書だけはきちんと出せよ』と言ってね」という話が出てきます。べつに村長の交際費ではなく、村の予算の中にそういうことに使える枠組みを作ればよいのです。村の財政が厳しくなってきているとはいえ、そういうことに数百万円あるいは1千万円の予算を投じることは村の将来を切り拓くために可能だと思います。
 そういうことを含めて、中見出しに書いたようにフリー参加できる“しゃべり場”といような場(機会、空間)を創り出していくことが大事だと思うのです。

 

トマトの国への道のS字カーブから(12月29日)

 

● 津南町の「未来会議」との違い
 これにちょっと似たものとして、お隣津南町の「未来会議」(昨年5回にわたって開催された)があると思われる人がおられるかもしれません。しかし、それは違います。津南町の「未来会議」はあくまで町が主催したものです。私がここで提案している“しゃべり場”は思いのある村民が自主的に催すもの。村はそれを資金面でサポートするだけ。
 また、“しゃべり場”は1つではありません。「互いにしゃべり合ってみたいな」と思う人たちが自由に集う場です。参加者の年齢層や課題によって、さまざまな“しゃべり場”が創られますから、いくつもの“しゃべり場”が同時に存在するのです。人によっては複数の“しゃべり場”に参加することもありえます。

 

 以上、新年を迎えて思うところを思うままに書かせていただきました。この1月から3月の時期、ヒソヒソ話ではなく、ワイワイガヤガヤ、これからの栄村について大いに語り合いましょう!

 

小赤沢の入口付近から切明方向を眺める(12月31日朝)


天代川の現況

 

 

 台風19号で路肩が崩壊した村道天代坪野線の天代地区の復旧工事完成後の姿です(12月29日撮影)。
護岸復旧工事(県担当)が時間を要するため、大型土嚢で護岸を仮復旧し、村道の復旧工事が行われました。

 


 同じく村道天代坪野線の坪野地区の復旧工事完成の様子です。ここも護岸は大型土嚢での仮復旧です。

 


 坪野集落の奥、東部水路の取水口と隧道の間の仮復旧の様子。パイプが組まれ、春先に仮設水路を通す準備がされました。
 


栄村復興への歩みNo.372

 

(1枚目を左、2枚目を右として、つなげてご覧ください)

 

台風19号災害を改めて考える

 

 今年の最大の出来事はやはり10月の台風19号災害だと思います。
 とりわけ千曲川の堤防決壊を含む氾濫はとてつもない被害を引き起こし、いま現在も多くの人びとが復旧・復興にむけて苦闘されています。
 この千曲川の災害、それぞれの地域で災害の原因や対策を検討することが必要ですが、そのためにも千曲川全体(下流の新潟県域を含めて信濃川水系全体)について考察することが不可欠だと思います。
 上の写真は、栄村から遠く離れた佐久市の千曲川から東南方向を撮影したものです。
 千曲川とはどんな川なのか、千曲川を取り巻く環境はどのようなものなのか。12月10日に上流域の川上村・北相木村・佐久穂町を廻り、さらに12月22日は中野市、小布施町、須坂市、長野市、千曲市、坂城町、上田市、小諸市、佐久市の千曲川の様子を見てきました。上の写真を撮影した地点は国道141号線に架かる浅蓼大橋の下の河川敷近くの農道ですが、水に浸かって稲刈り出来ないままの田んぼがありました(下写真)。

 


◇ 「100年に1回」の大雨
 台風19号災害をめぐる報道で「100年に1回の大雨が降った」と繰り返し言われてきましたので、このようなタイトルを掲げることに、「何をいまさら」と思われるかもしれません。
 でも、10月12〜13日、千曲川の増水水位については「これまでにない水位上昇だ」と思った人でも、雨そのものについて「これまでに経験したことがない大雨だ。なるほど『100年に1回』クラスだ」と感じたという人は意外と少ないのではないでしょうか。私自身は正直なところ、「特別警報が発令されたけれど、そんなに凄い雨が降ったようには思えない」と感じていました。というのも、昨年の西日本豪雨など大雨特別警報が発令されたケースのニュース映像を見た経験からは「総雨量1,000弌廚覆匹寮┐す覬のイメージがあるからです。
 しかし、「100年に1回」の大雨の降雨量というのは地域、地域によって異なります。今回はそのことを深く考えたいと思います。
 その前に、台風19号から約1か月半を経た11月27日に信濃毎日新聞で報じられた記事を確認しておきます。下写真の記事です。2面に掲載された地味な記事でしたので、見逃された方もおられるかと思います。

 


 記事では「立ヶ花上流域」と表現されていますが、「立ヶ花近辺」という意味ではなく、千曲川源流域から佐久市、上田市、千曲市、長野市など千曲川上流57ヵ所の観測地点の2日間平均雨量です。
 国土交通省は千曲川の整備基本計画(2008年作成)の前提として「100年に1度の大雨」を想定し、その雨量は186世箸靴討い燭里任垢、今回の台風19号ではそれを10整幣緜兇┐196.8世世辰燭海箸分かったというのです。

 

◇ 長野県の地形と気象の特殊性を理解することが重要
● 長野県は雨が少ない地域
 長野県の気候は「内陸性気候」と呼ばれます。長野地方気象台はHPの「長野県の気候」と題する記事で、降水量について、
    「日本は世界でも有数な雨の多い国ですが、長野県の北部や中部

     の盆地では東日本の太平洋側、北海道および瀬戸内海と並ぶ年

     間1、500mm以下の雨の少ない地域となっています。
      これは、海から遠く離れており周囲を山脈に囲まれているた

     め、台風、低気圧、前線などの影響を比較的受けにくいという

     内陸気候の特徴のためです。」
と記しています。それでもアメダス設置地点である野沢温泉村は1881.3澄飯山市は1446.4世△蠅泙垢、千曲川上流部の佐久は960.9澄⊂綸弔890.8澄△気蕕膨耕郢圓932.7世1,000整焚爾任后(野沢温泉、飯山が佐久・上田・長野と較べて多いのは冬の降雪が原因です。)
 上の引用にあるように、山に囲まれていることが大きな要因です。
 私たちは平素の暮らしで、すぐ近くに山が見えることに慣れていますが、360度グルっと見回してすべて山が見えるという環境は山岳県・長野県の特殊性であることを改めて認識することが必要です。

 

● 川のあり様は気象条件に大きく規定される
 川のあり様、すなわち川幅や深さ等は平素、その川にどの程度の量の雨水が流れるかによって決まってきます。降水量が多く、また勾配がきつい急流であれば、水が激しく大地を削り、深くて幅も広い川が形成されます。他方、降水量が少なければ、川は小さな川になります。
 そして、堤防の高さ・強度等を決める河川の整備計画も、その川に流れ込む最大降水量を基にして決められます。
 千曲川は長野・山梨・埼玉の3県が接する甲武信岳を源流部とし、長野・新潟県境を越えて新潟平野を経て日本海に流れ込む長大な川ですので「大河」と呼ばれますが、じつは降水量が少ない地域に発して、さらに降水量が少ない盆地地域を流れる川であることを忘れてはならないのです。

 

◇ 千曲川上流部で過去の極値を超える大雨という異常事態

 2頁で「『100年に1度』10青蕎絏鵑襦廚箸いΩ出し記事を紹介しましたが、もう少し詳しく見てみましょう。
 長野地方気象台は、「北部と中部を中心に大雨となった。県内14の観測地点で、日降水量の統計開始以来の極値を更新した」と発表しています。北相木村では10月12日一日で395.5澄13日は停電で欠測)、佐久は48時間で303.5世任后佐久は年間平均降水量が960.9世任垢ら、年間の3分の1近くの雨が2日間で降ったことになります。
 では、なぜ、このような前例のない大雨が降ったのでしょうか。
台風19号は大型の台風で、伊豆半島付近から上陸し、関東・東北を北東に横切るように遅い速度で進みました。このため、内陸の山間部にむけて湿った風が強烈に、しかも長い時間にわたって吹きつけました。その風が長野県、群馬県、埼玉県の県境周辺の山にぶつかり上昇気流となって雨雲を形成し、大量の雨を降らせたのです(1頁の写真はその山々を撮影したわけです。山は低く見えますが、撮影地点の標高自体がかなり高いためです)。長野県の「内陸気候の特徴」(p2参照)とは真逆の気象状況が生まれたのです。
 これが、まさに千曲川の上流部で台風19号時に起こったことなのです。

 

● 雨が少ない地域に前例なき大雨が降ると、川はどうなるか
 北相木村を流れる相木川(佐久穂町で千曲川に流れ込みます)の様子をご覧ください。

 


 上写真は12月10日に相木川のかなり上流部で撮影したものです。台風19号で山側が削られた跡などが見られますが、相木川の平素の流量はこの写真に見られる程度だと思われます。ずいぶん小さな川だと言ってよいでしょう。
 ところが、この地点より数十m上流の地点を見ると、台風19号時にこの小さな川がどんな状況になったかを知ることができます。次頁の写真イですが、本来の相木川は青色の矢印で示した方向に流れています。ところが、写真右下へ流れる川であるかのように見えます。台風19号の大雨が本来の流れを大きく外れて写真イ右下方向に大水を流したのです。この写真の下流方向を見ると、次頁写真ロのように民家の近くまで大量の土砂が流れ出しています。
 大きな被害が出た佐久穂町大日向地区でも本来は小さな川(抜井川)が大氾濫した様子が確認できました。

 


写真イ

 

写真ロ

 

 もう1つ、22日に小諸市を流れる千曲川の様子を見て驚きました。

 下写真ですが、小諸市の布引観音近くの千曲川です。千曲川は写真手前から奥に向けて流れています。パッと見た感じでは90度近くの急角度で川が曲がっています。ちょっと考えられないような急角度です。

 


 この地点に行ったのは、国道18号線を上田市・東御市から小諸市に向かっていて、小諸市の手前で千曲川を挟む左右の山が接近し、峡谷になっているように感じたので、川の様子を見ようと思って、国道を外れ、千曲川まで急坂でカーブが続く道を下り、この地点に到達したという次第です。
 「100年に1度」を超える大雨が降った台風19号時、大量の水がこの急角度の地点をきれいに流下することができなかったことは言うまでもなく、この辺り一帯は氾濫の跡がまだ生々しい状態で確認できました。


◇ 千曲川はどんなふうに上流から下流に下ってくるのか
 2頁で「長野県の地形と気象の特殊性を理解することが重要」という見出しを掲げました。「地形」については、3頁では「山に囲まれている」ことのみに言及しましたが、千曲川を理解するためには、さらに千曲川が流れている地域の標高を見ることが大事です。

 

 これは国交省北陸地方整備局千曲川河川事務所が公表している千曲川の河床縦断図というものです。
 千曲川の上流は標高900m(以上)で、佐久盆地が約600m、上田盆地が約450mです。勾配度1/50という急勾配です。ところが、上田盆地〜長野盆地間では勾配率が1/200となり、さらに長野盆地、飯山盆地では1/1,000ないし1/1,500になります。川の勾配が小さくなるため、川の流れが緩やかになります。そうすると、川の水位は上がります。このことが台風19号時の長野盆地での千曲川大氾濫の決定的要因となったのです。
 私はこの「河床縦断図」に示されている勾配率の変化を体感的に確認したくて、12月22日、高速道路ではなく、基本的に千曲川の近くを通っている国道18号線を千曲市〜坂城町〜上田市〜東御市〜小諸市〜佐久市と走ってきました。12月10日に高速道路で佐久方面に行った時とは違い、標高がどんどん上がっていくことを実感することができました。
 千曲川の今後の洪水対策を考える場合、千曲川を上流から長野盆地・飯山盆地(〜栄村)の間を実際に辿ってみて、千曲川というものを体感してみることが不可欠だと思います。

 

◇ 千曲川の歴史を学ぶことも必要

 

 

 これは小布施橋の上から下流方向を撮影したものです(22日午前10時前)。
 小布施橋は随分と長い橋ですが、小布施町側(右岸)で車を停めて、橋の歩道を歩き、中央地点を超えてから、この一枚を撮りました。
 写真奥で千曲川は左の方向に曲がっています。その先が立ヶ花狭窄(きょうさく)部です。穂保での氾濫・堤防決壊を引き起こした要因の一つとして挙げられることは周知のとおりです。この千曲川が立ヶ花狭窄部にむかって左に曲がる地点の先には中野市の江部〜延徳の一帯が広がっています。
 今回、千曲川の台風19号災害についての専門家のレポートを読んでいる中で、立ヶ花狭窄部ができた原因への言及を見つけました。名古屋の大同大学の鷲見哲也さんのレポートです。現地調査をした鷲見さんは立ヶ花狭窄部手前の右岸側に広い低平地部があることが地形的に不自然に思えると感じたため、色々と調べられたようです。彼は、千曲川は昔、立ヶ花狭窄部ではなく、夜間瀬川に向かって流れ、飯山盆地に通り抜けていたようだと書いています。ところが、夜間瀬川が運ぶ志賀高原付近の厖大な土砂が次第に旧千曲川の河道と低平地を埋め尽くし、この辺りに広大な湖(遠洞湖)を形成して水位が高くなったため、千曲川は西側に残っていた台地を削って現在の狭窄部を流れるようになったというのです。
 そういう湖がかつてあったという話は中野市の人から聞いたことがありますし、信州の地形・地層に関する本でも関連データを読んだことがあります。
 こういうことを知ったからといって、すぐに何か千曲川の洪水対策の妙案が浮かんでくるというものではありません。

 

 12月22日の千曲川上流行の後、長野県立歴史館編の『新たな時代にはばたく信州』という本をたまたま手にしたのですが、その中に「近くて遠い水」という1節があり、人と水の関係をみる4つの視点が紹介されています。
      距離を置く(水域は危険と背中合わせなので、必要な時

            以外は近づかないなど)
      技術を使う(井戸や堤防など、技術で水を制すること)
      交渉する(お供えをしてお願いする代わりに、水のカミ

           に助けてもらう。交渉不成立の場合は、聖物

           を壊すことも)
      我慢する(うまくいくとは限らないので、人びとの助け

           合いなどでしのぐ)
 いま、私たちはこの4つの視点のうち◆糞蚕僂砲茲訖紊寮圧)のみに偏った川との付き合い方を主としているのではないでしょうか。の視点はなにも土着信仰にまつわることだけを言っているのではないと思います。まず川そのものをよく知り、理解することが必要であり、大切なのだと思います。

 

 2011年の大震災から間もなく9周年となります。栄村はその大震災をくぐりぬけてきた村として本来、もっともっと防災について深い知見を村民全体が共有し、外にむけての発信もやっていかなければならないと思うのですが、この9年間、そういうことはあまり出来ていないように感じます。そんな思いを抱きながら、台風19号災害について考えてみました。より深い議論のきっかけになれば幸いです。

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栄村復興への歩みNo.372
2019年12月23日発行 編集・発行人 松尾真
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net
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松尾まことの議員活動報告No.38

村政の転換が必要です
〜12月定例会の報告と私の考え〜

 

 12月3日(火)〜6日(金)、村議会の12月定例会が開催されました。
 議案では、台風19号被害対策の補正予算が最重要議題でした。その中で村財政の抱える問題も浮かび上がってきました。また、「会計年度任用職員の給与及び費用弁償に関する条例」という聞き慣れない名称ながら、とても重要な条例案もありました。
 一般質問では、「目安箱」の実態が全面的に解明されました。解散した(一財)栄村振興公社への出捐金の処理の不明点の解明も進みました。さらに、台風19号での百合居地区での浸水の原因をめぐって新たな事実が判明しました(この点は別の機会に詳報)。
 総じて、森川村政の問題点が抜き差しならない形であきらかになってきました。村政の根本的な転換が必要になっています。方向性を共にする人びとと力を合わせて村政転換へ頑張っていきたいと思います。

 

◇  目安箱をめぐる一般質問の詳報
 「目安箱」をめぐる一般質問の結果について、12月7日付の「速報」で報告しましたが、より詳しい報告記録が出来ましたので、以下に掲載します。

 

松尾 一つ目。目安箱はどういう法令上、制度上の設置根拠に基づいて置かれているのか。公約に書かれたものでも施策として実施に移すには法令的制度的根拠があるだろう。設置の目的と併せて答えを。
2点目。目安箱が村の施設設備の一環であれば何らかの部署によって管理されているだろう。どの部署か。管理規則はあるのか。新聞報道では目安箱の鍵は村長のみが持ち、役場職員は管理職も含め管理に介在していないという。事実か。事実だとすれば投書があったという事実の客観的証明は不可能なのではないか。
3点目。目安箱による村政、村行政の改善事例があれば聞かせていただきたい。各課長から答弁いただきたい。」
村長 目安箱の法令上、制度上(の根拠は)無い。調べると8代将軍吉宗、享保の改革の一環として出てくる。
公約から所信表明において、「開かれた村政」がキーポイント。村民の皆さんからのご意見ご要望を受ける窓口の新設。目安箱は開かれた村政をするため。
目安箱の鍵の管理からすべて私が管理する。私のみが現物を直接見て、私のみしか分からない取り扱い。課長等においては(行政改善の指示のうち)どれが目安箱から来たものかはわからない。
松尾 答弁が漏れている点を聞く。村長のみが見ているのだとしたら、投書があったという事実の客観的証明が不可能なのではないかと聞いているが。
村長 今の聞き方は、投書があったのは私だけしか見ていないので、それが本物か嘘物か分からないという解釈でよいか。
松尾 本物か嘘物かというよりも、本当にあったのかどうかということ。
村長 私が嘘をついている、ついていないかという回答でよいのか。
松尾 それは村長の受け止め方次第ではないか。
村長 では、証明については私以外には出来ません
松尾 為政者が施政に臨む際の姿勢として享保の改革の目安箱を思い起こすのは結構だが、享保の改革は江戸時代の話、将軍がすべての権力を持っている。近現代は行政と立法が権力が分立していて、市町村においては二元代表制がとられている。
 目安箱の法令的根拠は無いという答弁は非常に不満足。
 村長は地方自治法149条で規定された権限に基づいてのみ行政の長として職務を執行する。答弁の中に地方自治法149条への言及があってしかるべき。(目安箱は)149条の1項から8項には該当しない。おそらく9項の「前各号に定めるものを除くほか、当該普通地方公共団体の事務を執行すること」を根拠として目安箱が設置管理されているのだろう。
 目安箱の設置費用は村の行政経費で賄われているから村の行政の設備の一つとして適正に管理されて然るべきだ。
 2回目の質問になるが、目安箱に入った投書は村長宛だけでなく他の人宛のものも村長しか見ないのか。
 投書内容にしかるべき対応をする際に、その投書内容について一般民間人に相談することはあるのか。
 投書内容の真偽が定かでない段階で、村長が投書内容を巡って特定の村民を処罰してほしいということで警察に相談する事例はあるのか。
村長 私宛ではないものはその方に直接渡す。事業で「こうしていただきたい」というものは、現地が分かれば現地へ行って状況を把握。投書した方の名前が書いてあれば、「ちょっと教えていただきたい」という照会は私がします。
 警察関係の投書、「警察を呼んでください」というのはまだ入ったことはない。
松尾 村長以外の人に宛てたものは宛先になっている人に渡すという答えだが、議会では正反対の説明を受けている。村長、議会議長、議会事務局長、3人宛の投書について、議会関係者は原本を見ていないと言っている。どちらが本当なのか。
 私が議員職にある者として渡された書類に次のような趣旨の村長の発言が記録されている。
    『ある日、投書があった。その中にある集落の、ある職業歴

     のある方のことが書いてある。この方を村長は仮にBさんと

     いう方だと思った。ところが自分がBさんを訪ねて行って人

     違いだということになれば、これは困ったことになるので、

     Cさんという方をたてて、Cさんに間を取り持ってもらい、

     Bさんに村長室に来ていただいた。仮に村長がBさんと見当

     をつけた人が間違いだったとすれば、それはCが間違ったと

     いうことでCの責任にしてしまえばいい、自分は関係ないと

     扱うつもりだった。』
 こういう発言を村長がしたという記録が残っている。
 「警察に相談したか」という点でも、「そういうことは今まで無い」との答弁だが、村長発言の公的記録に、「警察にいってもみなグレーと言うんです。だから別の形で処置してください」とはっきり残っている。しかも、投書内容が本当なのかどうかの事実確認をしている当日のその現場でこういう発言をしている。つまり、村長自身が投書内容の真偽を確かめていない段階で警察に相談している。私は不思議でならない。
村長 3者(村長、議会議長、議会事務局長のこと)において、私しか鍵はもっていない。その中で「匿名にしていただきたい、この分については消して渡していただきたい」と書いてあったので、消してある。それを私が打ち直す。
 私は警察に行ったのではなく、あくまで弁護士さんと通じた。直接私が警察に行って「よろしくお願いします」というのは、私はまだやったことはありません。
松尾 一つ答弁が抜けている。民間人に相談しているのか。
村長 有る。どこの自宅の水路どうのこうの…
松尾 いやいや…、先ほど言ったではないか。ある投書の人物、それがBさんだと村長は推測してが、間違っていたら困るからCさんという人に間を取り持ってもらった、間違っていたらCさんの責任にするという発言が記録されているが、そういうことはあるのかと聞いている。
村長 その記憶は私はありません。以上です。
松尾 (私が取り上げた文書は)議会で「あなたが読まないとこれ以上議論が進まない」ということで10月16日に渡された文書。その文書が「私に読ませれば副作用がありますよ」と私が言ったところ、村長が傍聴席から「警察介入お願いします」と発言した時の文書です。
(村長から正規の答弁ではない「警察と言っていない。ボディーガードだ」という発言)
松尾 ボディーガードでしたら、ボディーガードで結構。警察という言葉が出たことは事実です。

 

● 「村長だけが知る」というのは民主主義に反する。「開かれた村政」の実現は森川氏では出来ない
 「目安箱」を以上のめぐる質疑であきらかになったのは、「目安箱」について知っているのは森川氏ただ一人だということ。これでは村民は議員を含めて誰一人、本当のことを知ることができません。
 森川氏は「開かれた村政をめざす」と言ってきましたが、「目安箱」の扱いを見れば、森川氏の手では「開かれた村政」は実現不可能だということがはっきりしました。
 栄村は、森川村政下で、じつに深刻な状態になっています。独裁国家のようなあり方を容認することはできません。
 村政の根本的な転換が必要です。


◇  台風19号被害対策の事業費は約11億6千万円
 12月定例会には台風19号被害対策に関する専決処分の承認案件と補正予算案が提出されました。
 台風19号被害対策の専決処分は10月25日付のもので、主たる内容は国庫補助の対象となる公共土木施設災害復旧事業で、国への補助事業申請期限との関係で10月25日までに予算を決定する必要があったものです。総額は5億3,126万円。激甚災害の指定を受けたので国庫補助率が83%に引き上げられています。
 国庫補助事業となったのは、村道天代坪野線(天代地区、坪野地区の2ヶ所)、村道野口坪野線(2ヶ所)、村道鳥甲線(極野)、村道極野線(2ヶ所)で、事業規模は計3億7,922万円。村単での公共土木災害復旧は計4,550万円です。
 もう一方、12月定例会に一般会計補正予算第8号が提出され、ここには農地・農業施設の台風19号被害復旧事業として、国庫補助事業6億4,500万円と村単事業750万円が計上されています。また、林道3ヶ所の国庫補助による災害復旧事業1,220万円も計上されています。

 

● 工事着手の見通しについて
 これらの災害復旧事業の予算額は急を要するために概算額で算出されています。そして、工事の着工はすでに応急復旧が行われているもの(たとえば村道天代坪野線)もありますが、農地の場合などは多くが「来春作付前」とされています。
 この「議員活動報告」のスペースの関係で、個々の被災箇所について細かに記すことができませんので、「私の地区の被災箇所はどうなっているの?」という点については役場担当課にお問い合わせください。それでも不明な点があり、さらに詳しく知りたいという場合は私にご連絡ください。不明点の解明に努めます。

 

● 村の財政調整基金が7億円を切りました。財政再建の課題に取り組む必要があります
 タイトルに書いたとおり台風19号被害復旧事業の総額は11億6千万円という巨額にのぼりました。村の今年度当初予算総額が32億1,900万円であることを考えると、その大きさは一目瞭然です。
 ここで注目しなければならないのが村の財政調整基金(一般家庭での貯金に当たるもの)です。10月25日専決処分と12月定例会提出の補正予算で約1億7,700万円の財調基金が取り崩されています。復旧事業総額11億6千万円からすると少ない財調基金取り崩しで済んでいます。今回の災害が激甚災害の指定を受け、国庫補助率が大きく引き上げられたからです。激甚指定がなければ復旧事業費のほぼ半分を村で出費しなければならないことになります。ですから、大規模災害等の非常時に備えて、村は一定額以上の財政調整基金を確保しておかなければなりません。
 ところが、村の財政調整基金がここ2年の間に急激に減少しています。
 H29年度末の財調残高は約13億4,400万円であったのに対して、H30年度末は約9億8,300万円で、H30年度の取崩し額は約4億600万円。また、今年度の取崩し額もすでに2億6,400万円を越えていて、残高は6億7,100万円しかありません。2年前の半額に落ち込んでいるのです。
 これでは何かあった時に対応できません。気候変動によって大規模災害が続く昨今、財政面でも災害への備えが必要です。
栄村の財政は大きな危機に直面しています。行政に精通する人たちからは「これでは数年しかもたない」という声が聞こえてきています。村の財政再建は待ったなしの状況です。
 財政の面からも村政の転換が必要になっています。


◇ 出捐金問題で真相が見えてきました
 私は一般質問で、9月定例会に続き、(一財)栄村振興公社への出捐金の処理に関して質しました。
 「出捐金の処理について、村と一般財団法人栄村振興公社の間でどのような協議の経過があったのか」という質問に対して、商工観光課長から次のような答弁がありました。
   「公社より平成31年1月25日付で「法人解散に伴う課題、懸念

    事項についての対応依頼」という文書で「出捐金8千万円につ

    いて、運営費に充てて残額が無いため免除願いたい」という文

    書をいただいております。対して村長からは、平成31年2月15

    日付で、「出捐金の残額があれば清算に伴う経費不足に充当す

    るよう」通知してございます。」
 出捐金8千万円の扱いについて、やはり公社と村長の間でやりとりがあったのです。公社側が「出捐金(の返還を)免除してほしい」と村長にお願いし、それに対して村長は出捐金8千万円のうち約6,800万円について「清算に伴う経費不足に充当=公社の累積赤字の処理に使ってよい」という指示をしていたのです。この6,800万円は村の財産であり、これを公社の累積赤字処理に使うことを認めるのは村の財産権利を放棄するということです。
 地方自治法で自治体の権利放棄は議会の承認が必要だと規定されています。ところが、森川村長は議会に諮ることなく、村長の一存で村の財産を処分してしまったのです。これは明白な地方自治法違反です。
 村の財産は森川村長の私物ではありません。村民の財産です。それを勝手に処分することは絶対に許されることではありません。私はさらに追及していきたいと思います。


◇ 「会計年度任用職員」という聞き慣れない用語と村の臨時職員への対応について
 12月定例会には「栄村会計年度任用職員の給与及び費用弁償に関する条例の制定について」という議案が提出されました。
 「会計年度任用職員」という用語、議員も初めて耳にするものです。私は定例会前に調べてみました。「会計年度任用職員」とは臨時職員のことです。今春、国において地方公務員法の改正があり、それに対応して各自治体において法改正に対応する条例の制定が求められたのです。
 この地方公務員法改正は、非正規雇用である臨時職員制度を改善するよりも、むしろその非正規雇用を固定する面の方が強いと私は見ています。ただし、この「会計年度任用職員」という制度そのものは国政レベルのことですから、村レベルで対応できることではありません。
 問題は、栄村がこの「会計年度任用職員」制度の中で、どういう対応をするのか、です。
 「会計年度任用職員」には、「フルタイム会計年度任用職員」と「パートタイム会計年度任用職員」の2種があります。栄村役場には正職員と同一時間働いている臨時職員が24名おられますが、この24名については「フルタイム会計年度任用職員」として雇用されるものだと私は思っていました。
 ところが、村の答弁は、「24名はパートタイム会計年度任用職員とする」と言うのです。私が「どうしてフルタイムではなく、パートタイムなのか?」と問うと、「勤務時間をフルタイムよりも15分短くする」という答弁。これには驚きました。「フルタイム」にすると正職員と同じ諸手当の支払いが求められることから、こんな姑息な方便を考え出したのでしょうが、許されるものではありません。
 私はこの条例案の採決では反対しました。諸方面と協力して、この臨時職員への不当な扱いをやめさせるためにさらに頑張りたいと思います。


◇ 「商工観光業者経営資金貸付基金」は疑問が大きい
 災害で経営が苦しくなった個人自営業者への支援制度として「商工観光業者経営資金貸付基金」を設けるという条例案が提出されました。
 1事業者あたり最大300万円を貸し付け、返済は1年据え置きで、2年目に全額返済というものです。事業者であれば、「2年目に全額返済」が極めて困難であることは明白です。質疑でその点を徹底的に議論しましたが、村は提案を変えませんでした。そのため、私は本議案には反対しました。

 

◇  消費税増税に伴う水道料等の値上げについて
 消費税増税に伴い、村の簡易水道、浄化槽使用料、農集使用料、ケーブルTV使用料を値上げする条例案が提出されました。
 10月の全協(村長提出)で協議があった時、消費税増額分=2%アップを計算する際に10円未満の端数を切上げて料金設定するという村の案に反対しました。12月定例会での村の提案はその点が改まっていなかったので、改めて質問しました。村は「国の指導で数年後に簡易水道等について公営企業会計に変更しなければならない。それに対応して少しでも赤字額を減らすために、10円未満の端数を切り上げさせていただきたい」という答弁でした。
 公営企業会計への移行とは、一言でいえば、民間企業会計と同じ扱いをするということです。住民の暮らしに不可欠な水道事業等でこういう制度変更を行うことに私は疑問を抱いています。さらに研究を深めたいと思います。
 ただ、今回の値上げに関して、村の簡易水道特別会計等が苦しい状況にあることを鑑みて、私は採決で賛成の立場をとりました。苦渋の判断です。みんなの暮らしを守るために村政においてどのような工夫をしていくか。考えなければならない課題が山積しています。

 

 12月定例会の報告は以上ですが、村政が重大な局面を迎えていることは明白です。森川村政からの転換が必要です。そのために全力で頑張っていきたいと思います。

 


松尾まことの議員活動報告号外(12月7日付)

「目安箱」をめぐる一般質問の結果について

 

 議会12月定例会の3日目(5日)の一般質問に際しては、多くの方々に傍聴にお越しいただき、有難うございました。
 質疑内容の詳細については、議事録が出てくるのを待って精査し、改めて詳しくご報告申し上げたいと考えていますが、ひとまず速報的に何が核心であったかについて私の総括を報告させていただきます。

 

◎ 「原本は私だけが見る」という村長答弁の重大性
 今回の質疑の最大のポイントは、森川氏は「鍵を持っているのは私だけ」、「投書の原本は私だけが見る」と答弁し、「村長しか見ていないというのであれば、投書が本当にあるという客観的証明はどのようにして出来るのか?」という問いに対して、「私が嘘をついていると言うのか」と発言したことです。
 これは村長という地方自治法に基づく公職にある人が言っていいことではありません。
行政というものは、法令に基づいて運営・執行されるものです。「法令に基づく」ということは、投書ひとつをとっても、村役場という行政組織の中のなんらかの組織・職員が受領印を押して、公文書として扱う、そして唯一人きりの職員の手で管理するのではなく、必ずなんらかのチェックシステムが存在することによって、特定の人物による恣意的な扱いができないようにして、客観性や公正性を担保するということです。
 しかし、森川氏はそういう行政の運営・執行の原則を完全に否定しているのです。
 じつに重大かつ由々しいことです。

 

◎ 「開かれた村政」どころか、前近代の幕府体制のような「閉ざされた村政」ではないか
 森川氏は「目安箱」設置の意図について、「開かれた村政を実現するため」と言いました。「開かれた村政」、誰もが望むところです。
 ですが、森川村政は本当に「開かれた村政」になっているのでしょうか。
 いや、5日の答弁を聞く限り、逆に「閉ざされた村政」になっていると言わざるをえません。
 森川氏は、「目安箱」を思い立った経緯として、徳川幕府の享保の改革における目安箱の設置を挙げました。日本で義務教育を受けた人であれば、誰もが享保の改革の目安箱を知っています。着想のヒントを享保の改革から得るのは結構です。
 でも、いまは江戸時代ではなく、近代社会なのですから、栄村での「目安箱」は憲法や地方自治法等に基づいて設置・管理される必要があります。「目安箱」に入れられたという投書の原本を村長以外は誰も見ることができないというのであれば、村長に無限の権力を与えるのと同じです。江戸時代であれば、それも許されたでしょうが、現代においてそんなことは許されるはずもありません。
 「村長、そういう投書が本当にあったのですか? その証拠を示してください」と言うと、「お前は俺が嘘をついていると言うのか」と開き直る。これでは、「俺が本当だと言っているのだから本当なんだ。村長が言うことに異議を唱えるとはけしからん」と言っているのと同じです。どこが「開かれた村政」なのでしょうか。「開かれた村政」とは真逆の「閉ざされた村政」と言わざるをえません。
 武士の時代、殿様に諫言(かんげん)するには切腹の覚悟が必要だったようです。
 栄村を「刺し違え」の覚悟をもたないと村長にむかって自由に意見も言えないような村にしてはならないと私は思います。

 

◎ 議会は毅然としなければならない
 みなさんがすでにその存在をご存じの「議員倫理規程」をめぐる問題、現在は議長、副議長、議会運営委員会委員長、総務文教常任委員会委員長の四者協議に委ねられています。
 「目安箱」に入れられたという投書が発端になっていますが、5日の村長答弁によれば、その投書の原本を議会関係者は誰一人として見ることができないという状態で、議会は何を議論できるのでしょうか。議会は村長に従属する機関ではありません。地方自治体は首長と議会議員がともに住民の直接投票で選出される二元代表制になっています。議会は自らが確認できる客観的な事実に基づいてしか議論も決定もできません。単なる二次情報や憶測で議論したり決定を行ったりすることは議会の自殺行為だと言わざるをえません。
 すべての関係者がこの二元代表制の原理に則って対処されることを望むところです。

 


栄村復興への歩みNo.371(12月1日付)

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  • 2019.12.24 Tuesday

 

からむし織の里を訪ねてきました
 議員視察研修の一環なのですが、11月29日、福島県昭和村の「道の駅からむし織の里しょうわからむし工芸博物館」を訪ねてきました。上の写真は、そこで入手した昭和村の観光パンフレットの中の見開き2頁をスキャン*したものです(そのため、写真真ん中に頁の折り目が入っています)。
   *「スキャンする」とは、原稿を光学的に読み取り、電子データ化する

    こと。印刷された写真を加工できるデータにすることができます。
 そのパンフレット(全18頁)、帰りのバスの中でじっくり読んだのですが、一般に見られる「観光パンフ」とは一味も二味も異なる、類(たぐい)稀(まれ)な優れもの。一言でいえば、からむし織をはじめとする昭和村の豊かな自然と暮らしの営みにスーッと惹き込まれていくのです。そういう訳で、今号の冒頭にスキャンした写真を掲載させていただきました。


● 最寄りJR駅からバスで35分、人口約1300人の山奥の村
 今年の研修のメインは福島県猪苗代町の見祢(みね)集落というところの中山間直接支払への先進的取組を学ぶことだったのですが、「せっかく福島まで行くので、もう1ヶ所」ということで選んだのが昭和村です。以前、何かで「からむし織の織姫体験をやっている村」ということを知り、興味を抱いていたところです。
 私たちは森宮交通のバスで行ったのですが、常磐道の会津坂下(ばんげ)インターから国道252号線を進み、戦後高成長の電力源として開発されたダム湖のそばを走って会津川口というところへ(インターから35辧法そこで国道400号線に入るのですが、「えっ、こんな狭い道に入っていくの?」という感じです。そして20kmを走って昭和村に入りました。

 


 昭和村は周囲を山に囲まれていますが、比較的平地が多いと感じました。野尻川という川に沿って平地がひらけています。
 役場ホームページによれば、平成27年3月1日現在の人口が1,375人ですが、「平成32年予測人口」は1,056人とされています。「一番多い年齢層は、男性75〜84歳、女性80〜84歳」とも記されています。人口的には栄村よりも少なく、より高齢化が進んでいるようです。でも、「12歳以下の子供たちは70人」で栄村とあまり変わりません。総人口の割に子供が多くいるのには、今回紹介する「からむし織の織姫体験」が関係しているように思います。

 

● 11ヶ月間のからむし織体験「織姫・彦星」、希望者はさらに3年間の研修、そして24年間で113名 が体験、うち31名が昭和村に定住
 からむしとは、苧麻(ちょま)とも呼ばれ、イラクサ科の多年草です。栄村でも山に普通に自生しています。昭和村は昔からイラクサが栽培され、越後上布や小千谷縮の原料として出荷されてきました。
 昭和村自体でもからむし織が行われてきましたが、昔は越後への原材料出荷が主。そんな中、からむしを村のアイデンティティとして位置づけ、村の活気を取り戻そうとする努力の中心事業として1994年(平成6年)に始められたのが「からむし織体験生『織姫・彦星』事業(通称・織姫事業)」です。
 村外の若い人に村の暮らしを体験しながら、からむしの栽培から機織りまでの一連の工程を学んでもらうというものです。宿舎は村が合宿所を提供し、体験生は食費などの生活実費のみを負担します。雪が消える5月から翌年3月までの11ヶ月間です。
 体験生が希望する場合は、さらに3年間、研修生として昭和村でからむし織のマスターを中心に暮らすことができます。研修生には村から手当も出ます。私が今回参照した記事は2年前の1917年に書かれていますが、体験生事業開始以来24年間で113名が体験生としてやって来て、うち31名が昭和村で家庭を築いたり、職を得たりして暮らし続けているそうです。村のホームページでは1期生の舟木容子さんという方が紹介されていますが、現在は道の駅「からむし織の里しょうわ」の駅長さんを務めておられます。(29日の昼はその道の駅にある郷土食伝承館『苧(ちょ)麻(ま)庵(あん)』で伝統食料理「苧麻膳」をいただきました。)

 

からむし織の里フェアでの着物ショー(昭和村観光協会HPより)

毎年7月に開催。からむし織の着物をモデルさんが着用するショー

 

●学ぶべきは、丁寧な村づくりの追求だと思います
 私は昭和村のことを学び始めたばかりですが、パンフレットやWeb上の記事、また29日に訪れたからむし工芸博物館の学芸員さんの説明、昼食をいただいた『苧麻庵』のスタッフの対応などから、“いまどきの流行り”を追っかけるのではなく、村の歴史・暮らしを大事にする、とても丁寧な村づくりを追求されていると感じました。
 栄村でも平成の大合併に抗して、そういう丁寧な村づくりが追求されてきたと思いますが、大震災以降、復興事業等で大きな財政資金が入ってくる中、丁寧な村づくりが疎(おろそ)かになっているように思います。昭和村の取組を学びながら、栄村の村づくりの原点をもう一度捉え直し、栄村らしい村づくりを追求し直すべき時を迎えているように思います。