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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌5月21日〜31日

21日(日) 19日に発生したとされる飯山市の通称「だんご橋」の上流で発生して山腹崩壊。昨夕初めて知り、今朝早くから現地にむかった。
 その後、「No.305+No.306」のセットを20日に配る予定だった横倉、箕作、月岡の計82軒を廻る。横倉の集落内の田んぼの田植えがいっきに進んでいたのが印象的だった(下写真)。

 


 午後〜夜は、飯山市の山腹崩壊のブログ用レポートの作成と、No.307の執筆・編集。

 

22日(月) 4月23日の村議選で当選した議員から成る17期村議会の初議会。
 初議会は本来、「議会構成」だけでいいのだが、村長及び議会事務局に「村長提出の議案がなければ議会を招集できない」という誤認識があったようで、専決処分の承認案件などの審議、さらに村長提出の議会全員協議会もあって、長い昼休憩を挟んで、午後3時近くまでの長い初議会となった。
 昼休みが2時間近くあったので、いったん家に戻り、No.307の編集を完了させた。議会に戻る時、役場横の気温表示は31℃! 午後の議会は窓開けっ放しで開催。
 また、夕刻からは役場側主催の議員歓迎会があったが、議会終了後、その会までの間に「議員活動報告」に掲載する初議会の様子の記録をざっと書き上げた。
 帰宅は午後9時前だったか。明日の配達物の印刷や折り作業で結構遅くなった。写真撮影はなし。

 

23日(火) 今日の主予定は秋山での配達だったが、アスパラの出荷状況を滝沢総一郎さんにお聞きする必要があり、朝7時頃、総一郎さん宅へ。先週末からの気温上昇でアスパラの成長がようやく順調になったようだ。「まあ、少し持っていきないさいよ」と言って、随分たくさんのアスパラを下さった。何人かにおすそ分けしたが、私自身は秋山から戻った午後4時頃にさっと湯がいたもの3本分をマヨネーズをほんの少しつけただけで豪快にいただいた。これぞ“ザ・アスパラ”。美味い!
 宮川頼之さん宅にも立ち寄り、さらに青倉で1軒、上がって少し話。その後に秋山へ。
 頼之さん宅では、期待していた通りの場面に出会い、写真を撮らせてもらった。昨年誕生した育真(いくま)ちゃん。お母さん、じい・ばあがアスパラの出荷作業をされている所でハイハイ。素晴らしい子育ての姿だと思う。一哉さんそっくりだ。

 

 


 日出山線→鳥甲牧場→五宝木集落→天池→切明→林道経由で屋敷→小赤沢の順。途中で電話取材受けが入り、少し時間がおしてきて、上の原の10軒、和山の11軒は後日配達に変更し、秋山では75軒の配達。
 夕刻6時に十日町で「中越」の阿部巧さんと数年ぶりで会った。いわゆる「地域おこし(づくり)」に関わる若者がどのようにして一定の収入を確保するか、あまりお金をかけない空き家再生・活用について、「中越」で蓄積されてきた経験・知恵についてご教示いただいた。空き家については、6月に具体例を複数見せていただくことになった。こういう教示、経験や知恵の交流がとても大事だ。
 帰宅後、やはり印刷・折りなど。

 

24日(水) 5月の青倉米発送の一部発送と全体の発送準備。
 その中で、森の広瀬敏男さんご夫婦の約7畝の田んぼの手植え、また、小林昇子(のりこ)さんと広瀬トヨさんの2枚の田んぼの手植えを撮影。(写真左はトヨさんの手植えの姿。植えるのがものすごくはやい。写真右はトヨさん(左)と昇子さん(右)

 

 

 

 日中は予報されていたような雨は降らず、パラパラ。基本は曇天。4人共に「これが “田植え日和(びより)”」と言っておられたが、たしかにそのとおり。昨年6月初め、カンカン照りで汗をかきながら田植えしたことを思い出した。
 この田植えの撮影の合間に、敏男さんの田んぼのすぐ横、広瀬隆司さんの家のツツジを撮影した。昨年、撮影を頼まれた縁で、このツツジの存在を知った。いろんな写真を撮ったが、ここでは、お宅のすぐ脇のいちばん立派なツツジを紹介させていただきたい。

 


25日(木) 朝から午後3時すぎまで。青倉米の発送準備に没頭。何人かには急遽、アスパラも送ることになったので、その注文や受け取りに走ったことも時間を要した一因。
 配達はほとんどできなかったし、写真も1枚も撮っていない。
 疲れがたまったようで、夜、かなり早く寝ることにした。

 

26日(金) 朝7時半頃、平滝から野々海へ。野々海の融雪の状況を見ておきたいと思っての行動。野々海の雪はまだ多い。今年はとにかく雪が硬く、少々の気温上昇でもあまり融雪が進まない。
 でも、水番小屋の扉を開けられる状況にはなっていた。6月4日の野々海普請はなんとかなりそう。また、堤に下っていく道の脇の雪が、低くなっている(減っている)だけでなく、地面の方からも融けるようになっているのが確認できた(下の写真)。こうなると、これからの融雪のテンポは上がるかもしれない。

 


 平滝から野々海にかけて、山菜採りに入っている人が多い。地元の人間ではない。また、野々海に上がる時に「福岡」ナンバーの車を見かけ、不審に思った。帰路でも同じ車がいて、車に捕虫網が立てかけてあった。集落に近い地点であり、また近くに別の観光客集団もいたので、思い切って声をかけた。「何を捕るのですか?」と尋ねると、「言わなきゃいかんとか?」と博多弁ですごまれた。「はい」と言うと、それなりの返答。捕虫網を持っている人間に声をかけるのはかなりおっかない。臨機応変、声をかけるか・かけないか、的確な判断をしなければならない。
 また、「復興への歩み」でも取り上げるが、ブッポウソウの観察に観光バスが平滝の簡易水道場のところまで上がってきているのに出会って、驚いた。
 明日27日に東京・神田で、この2年、私がアスパラや山菜を持って行っていた「すずらん祭り」があるが、今年はさすがに行く時間がとれない。小滝におられた加藤さんが現場での販売をやって下さるので、宅急便で発送。午後はその作業でほとんどの時間を費やした。
 配達は横倉などで14軒のみ。

 

27日(土) 朝方、平滝・白鳥で48軒を配達した後、飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の現場へ。
 今日は、震災の後、栄村をご支援下さった、現桑名川区長の鷲尾静雄さんなどに避難所でお会いできて、いろいろとお話をお聞きすることができた。

 

山腹崩壊が発生した箇所。21日に続き、2回目の撮影。


 帰村後、午後は東部を中心に55軒。
 夕刻から、飯山の山腹崩壊・土石流をめぐってレポート書き。
 今日午前10時開始の「すずらん祭り」に宅急便が間に合うか、ヤキモキしたが、午前10時20分過ぎ、加藤さんから「荷物が届いた」という連絡をいただいて、ホッと胸をなでおろした。山腹崩壊の現場に向かう途中だった。

 

28日(日) 朝方、20軒の配達の後、すずらん祭りに届けたワラビとタケノコをお世話いただいた天地の斉藤克己さん宅を訪ねて、少し話をしていると、「天地の山で行方不明者発生。道案内をお願いする」という連絡が克己さんに入った。
 役場職員と共に現場に向かう斉藤夫妻に同行。現場に着く直前、行方不明者を出したグループの車と出会う。「警察に電話したが、『道がわからないから、県道の天地入口で待っていてほしい』と言われた」とのこと。私が警察を出迎えに下りた。すぐに来るのかと思いきや、飯山署からの出動で30分ほど待った。
 警察官と共に現場に戻った。行方不明者とは携帯がつながっていたので、パトカーのサイレンを鳴らし、「聞こえるか」と尋ねたが、「聞こえない」という返答。携帯の充電が切れそうとのこと。斉藤勝美さんと共に沢に下った。たしかに良いタケノコが出ている。だが、行方不明者は見えず。かなり険しいところで、とくに林道に戻る時の登りがきつかった。(翌日、足の筋肉に張りが出た)
 行方不明になったのは須坂市の83歳男性。家族が捜索願を出して、消防団と警察ヘリが出動することに。消防団は午後3時天地集合。私はそれと入れ替わりに配達に戻った。間もなく、ヘリが発見。人騒がせである。斉藤克己さんお話では、「朝方、車が4台上がって行った」とのこと。クマの問題もあり、放置できない問題である。

 

29日(月) 東京・駒場の保育園の父母に5月〜9月、月1回野菜を直送という仕事を今年から引き継ぎ、今日がその発送日。
 その仕事にとりかかる前に、「スキー場頂上部の林のイワカガミの開花状況を見ておこう」とスキー場へ。「そろそろ一斉開花か」という予想は当たっていて、いい写真が撮れた(「復興への歩み」で紹介の予定。スキー場頂上からの眺めの写真は次頁)。
が、野菜発送に要する時間の判断に狂いがあって、夕刻4時の宅急便回収に間に合わない荷物が出てしまった。結局、その分を運んで飯山市木島のクロネコヤマトの営業所まで行くことになってしまった。
 帰路、桑名川に立ち寄ったところ、「土石流の危険」で通行止めになっていた県道の出川橋の通行止めが解除になっていた。4世帯への避難指示は継続。飯山線は運休を続けているが、飯山線の鉄橋は出川橋よりも安全な状況。JRの判断には疑問をもつ。
 配達はできず。

 

スキー場頂上からの眺め(午前9時45分撮影)

 

30日(火) 起床は早かったが、「議員活動報告」の印刷と別原稿の執筆中の午前9時すぎ、村内放送で「森の都丸幸郎さんが行方不明」という放送。朝6時にも放送があったが、その時は氏名非公表。都丸さんの名前が出たので、役場に電話し、私は青倉の山へ。
姿は見えず、青倉・西山田の農道とスキー場内の村道との三叉路から下る途中に警察官と出会い、「貝立山にはこの道を進めばいいのか?」と尋ねられた。たしかに「この道を進めばいい」のだが、土地勘がないと感じたので、私が道案内役をかってでた。
 結局、ご遺体で発見することになってしまった。毎年、山菜採りによく行かれた場所だった。残念な結果になったが、山村・栄村で暮らしてこられた都丸さんらしい最期とも言えると思う。ご冥福をお祈りする。
 午後遅くから森と青倉で62軒の配達。少し立ち寄り先で話をしたりして、夜6時半すぎに温泉へ。
 なお、今朝5時すぎに起きた時は寒くてストーブをつけた。午前中は雪の上にいたので暑さを感じなかったが、午後、里では猛烈に暑かった。

 

31日(水) 朝は5時から6時の間の起床。メール送信やブログのアップをした後、「野々海の様子を見ておこう」と考え、8時頃に平滝から上がった。
 見ておきたかった様子というのは、1つは残雪状況だが、もう1つは無断での山菜採りなどでの状況の把握。
 残雪は相変わらず多いとも言えるが、6月4日の普請がある程度出来る状況にはなっていた。
 無断の山菜採りはやはり多い。関東圏のナンバーも見える。そのうえで、今日最も驚き、「困ったな」と思ったのは、信越トレイルの天水山越えをするというグループ(10人ほどで女性が多かった。東京方面から)に出会ったこと。夕刻までに遭難騒ぎは聞いていないので松之山口に無事下りたのだとは思うが、まだまだ雪が多いこの時期に天水山越えというのは無謀としか言いようがない。それ以上に困ったのは、「私は地元です」と名乗った案内役。「地元って何処ですか?」と問い返すと、「斑尾」とのこと。これは「地元」ではないと私は思う。野々海に人を案内してくる飯山方面の人はほとんどの場合、自分のことを「地元」と主張される。  「栄村がしっかりしていないのが悪い」と言われれば、それまでのこととなってしまうが、私は納得し難い。
 そんな次第で午前10時半過ぎに下に下りたが、暑い! 頑張って配達をしたが、昼すぎから強烈な眠気。これは寝不足の結果というよりも、熱中症の1つの症状ではないかなどと思った。あまり無理すべきではないと考え、午後は4時頃、散髪へ。
 夜は早く就寝。

 

 最後に写真を3枚。

 

タニウツギと高倉山・青空(28日午後撮影)
栄村ではタニウツギはあまり好まれないようだが、原因は「火事を呼ぶ花」と言われたことなどだと思われる。だが、綺麗な花だ。「田植え花」という別名もある。

 

秋山郷・白沢近くの不動滝
(5月23日午前撮影)

 

天池から眺める鳥甲山
(5月23日午前撮影)


栄村復興への歩みNo.309(6月11日付)

 

 

野々海池の1ヶ月の間の変化を見る
 今号は少し変わった企画で、野々海池のこの1ヶ月間の変化の様子を写真で紹介することから始めます。
 1枚目の写真は5月9日に撮影したもの。野々海池への道はまだ開いていず、歩いて行って撮影したものです。他方、2枚目は6月11日午前の撮影。池にはもうほんの一握りのものを除いて雪はありません。
 

 野々海池を撮影しているアングルは様々ですが、変化の様子をご理解いただくことは可能だと思います。

 


 5月9日には芽吹きがまったく見られなかった野々海池ですが、5月17日午後に訪れると(この日はもう道が開いていました)、池はまだ雪で覆われているものの池を取り巻くブナの樹々はかなり芽吹いていて(上の写真)、さらに20日朝には青空が広がる中、とてもきれいな一斉芽吹きを見ることができました。

 

 

 そして、この5月20日、私はこの春初めて、野々海のミズバショウ群生地を訪れました。

 

 

 この場所はもうかなり多くの人がご存じなので位置を書きますが、深坂峠の少し手前(深坂峠に向かう場合の左側)です。
 5月20日、野々海キャンプ場〜深坂峠間の道路はまだ開いていなかったので、キャンプ場横の大きな湿地(=東窓)の雪原を突っ切り、沢を上ってこの場所に向かいました。
 かなり広大な群生地なのですが、この時点ではまだほんの一部しか雪は消えていません。それから約3週間後、6月21日には下のような様子に変わっています。

 


 まだまだ雪は残っていて、ミズバショウの群生はさらに拡がります。
 ミズバショウのクローズアップを1枚ご紹介しましょう。

 

 

●6月4日の野々海普請はまるで真冬の中の作業
 私は5月9日以降、17日、20日、26日、31日と何回も野々海池を訪れました。それは、ミズバショウの開花情報の提供という意味もありますが、なによりも6月初めに予定されている野々海普請にむけて野々海の状況を把握することにありました。道は開いたものの、今年は融雪がなかなか進まず、「この様子では普請は大変だなあ」と思っていたところ、普請当日の6月4日は雨が降る悪天候。気温は2℃か3℃くらいで、指先が痛くなるほど。まるで真冬のようでした。

 

水番小屋の扉を開ける


 野々海池の雪に大きな変化が生じたのは、その「まるで冬」のような6月4日の翌日〜翌々日。どんどん融け出したのです。

 

●6月11日の野々海はすごい人出
 6月11日は前日の強風・雨から一転、朝から快晴。スキー場を上がり、貝立山の裏を通って野々海に向かいました。1ケ所だけ道に雪がありましたが、強引に突破。9時半すぎに着きました。
 10時すぎくらいからでしょうか、次々と車が上がってきます。タイプは2種類。1つは山菜採りです。雪消えがかなり進んだので、野々海池近くにまで山菜採りが来始めています。群馬ナンバーで軽トラというのも見ました。もう1つはミズバショウを見る、雪のある景色を見るというドライブ。こちらも首都圏ナンバーがかなりありました。
 前号で「山・自然資源の管理・保護・活用」という問題を提起しましたが、平滝からの道の途中にゲートを設けることも検討するべきです。エリアへの入場を有料化しようということでは必ずしもありませんが、ひとまず野々海への人びとのアクセス状況を把握することが必要だと思うのです。カメラを設置してエリア入場状況を確実に把握するというのでもよいかもしれません。また、野々海のミズバショウをはじめとする自然資源の把握と保護への取り組みを強化することも求められています。信越トレイルの取り組みとの連携の強化も含めて検討するとよいのではないかと思います。


秋山国道405号線の改良整備の進展

秋山郷国道整備促進期成同盟会第41回総会に参加して

 

 6月7日、「秋山郷国道整備促進期成同盟会」の第41回通常総会(於:「萌木(もえぎ)の里」、津南町結東(けっとう))に公務として出席しました。いろいろと学ぶところがありましたので、ここにレポートすることにしました。まず、進展著しい国道405号線の改良の現況について紹介します。

 

●道路の幅を広げる工事などが進展

 

写真イ

 

 写真イは屋敷・上野原間で道幅を広げる本年度工事(380m)のうち、フクザワコーポレーションが担当する区間。写真から現在の倍の道幅になることがわかると思います。
 この写真は屋敷側から上野原方向を撮影したものですが、この工事箇所の先は昨年度に拡幅されています。

 

写真ロ

 

 写真ロはやはり屋敷・上野原間ですが、屋敷に入る村道との三叉路のすぐ近くです。こちらはマツナガ建設という会社が担当しています。
 この写真イ・ロの区間はとても狭く、とくに冬期間はアイスバーン状態になっていることが多く、私などは「ちょっと滑ると谷底へ」という恐怖を感じることがあります。
 国道405号線は国道ですが、国管理ではなく、県管理になっています。そのため、栄村の区間は長野県北信建設事務所が、津南町の区間は新潟県十日町地域振興局地域整備部が管理し、それぞれが管理区間の拡幅工事等を担当しています。したがって、写真イ・ロの工事は北信建設事務所の担当です。
 それに対して写真ハ、ニ、ホは新潟県の担当箇所。

 


写真ハ

 

写真ニ

 

写真ホ

 

 写真ハは清水川原付近。スノーカーテンというものを設置する工事です。すでに昨年度に施工された箇所もあり、写真ニがそれです。
 写真ホは、見玉の2車線区間が終わり、清水川原まで狭い1車線区間が始まるところ。ここで道幅を広げる工事が進められています。これは一昨年度からの継続工事です。


 ここまで写真を付けて紹介したもの以外にも種々の改良工事が進められています。
 直接的な背景としては、新潟県管理区間では平成18豪雪での見玉・結東間の通行止め、長野県管理区間では2011年の震災があります。これらによって国の各種交付金が交付されたのです


●期成同盟会の41年間にわたる努力の成果
 私は総会に出席し、総会資料に「第41回通常総会」と記されているのを見て、「?」と思いました。すると、総会が始まって間もなく、「41年前に期成同盟会を結成して以来…」という話がされて驚きました。なんと期成同盟会の歴史は1977年(昭和52年)にまで坂遡るのです。現在、期成同盟会の役員を務める福原和人氏などのお父さんの世代からの活動が今日まで引き継がれているのです。
 しかも、期成同盟会の運営のしかたが、道路の新設・改良をめぐって各地でつくられている「○○期成同盟会」というもの一般とは少し違うというのです。総会に提出された決算・予算を見ると、年額50〜60万円になっていますが、収入源の第1は栄村と津南町の秋山郷に暮らす各世帯が拠出する年間500円の会費なのです。第2は、秋山郷での道路工事や道路除雪に関わる地元建設業者等からの寄付金です。
 総会で議決権を有する人の多くは秋山郷の各集落の区長さん。寄付金を拠出している業者は来賓として総会に出席し、同盟会から質問等が出されれば答えますが、議決権は有していません。
 また、北信建設事務所や十日町地域振興局はトップが総会に出席し、前年度の事業実施状況、今年度の事業予定を説明し、また、地域からの質問・要望に丁寧に答えます。
 秋山郷における住民自治の実践という意味合いが非常に濃い期成同盟会なのだというのが私の感想です。と同時に、私は村議会の議員として、「平素、議会では秋山郷の道路改良等について、ここまで詳しく報告を受けたり、議論したりすることはない。議会の役割を十分に果たせていないのではないだろうか」という思いも強くしました。
 なお、この期成同盟会の結成の出発点には「未開通区間(切明〜群馬県)の開通」という願いがありますが、今日の時点で切明〜群馬県間の開通が必要かどうかという点に関しては、私自身は「貴重な自然を保全する方が望ましい」という観点を重視して検討すべきだろうと考えています。
 秋山郷国道整備促進期成同盟会については学び始めたばかりですので、今後、さらにいろんな方々からお話を聞いて勉強し、みなさんに改良工事の進展状況とともに報告していきたいと思います。


風景写真四点

 本号は12頁版。次の8〜9頁は栄村各地の写真グラフです。

 

 

夕陽に照らされる田植えから間もない田んぼ
 村ではごくありふれた景色かもしれませんね。でも、一瞬の間しか見られないものでもあります。
夕陽はあと数分で山の向こうに消えていくでしょう。田んぼの水面に山と夕陽が映るのを見られるのは田植えから間もない時期に限られます。
 6月9日午後6時近くに北野集落で撮影しました。

 

 

5月28日、青倉にて
 田んぼに映る雲と田んぼの脇に咲く花が気に入りました。島田輝二さん宅横。
 花が花菖蒲(ハナショウブ)なのかカキツバタなのか、区別がつきませんが…。

 

 


横倉の開田
 6月4日午後。この日の午前中は「まるで真冬」の野々海での普請。この景色、まるで別世界のように感じました。

 

 

夏まで残る残雪
 秋山林道のコミズで6月9日に撮ったものです。
 これからの気温の推移にもよりますが、この沢にはおそらく7月末近くまで雪が残るでしょう。奥に見える山は鳥甲山連峰の「小水(こみず)の頭(かしら)」です。


JRの対応に疑問と大きな憤り――飯山市桑名川の「避難指示」をめぐって

 最近、毎朝・毎夕、村内放送から「JR飯山駅からのお知らせ」が流れてきます。「避難指示のため飯山線の運行を見合わせ」というものです。
 6月5日からは代行バスが運行されているとはいえ、飯山線運休の打撃と損失はとても大きいものです。「本当に運休はやむをえないのか?」という疑問が湧き出てきます。さらに、現在のJRの対応では運行再開の見通しはまったくたたないという問題も指摘せざるをえません。

 

●避難指示世帯周辺での大型土嚢補強は進んだ
 

 

 上は6月10日撮影の桑名川地区・出川左岸の様子。右手に避難指示が出ている4世帯のうちの2軒が見えます。写真中央には県が対策工事の柱として位置づける〈大型土嚢の積み上げとその裏側にコンクリート・ブロックの設置〉が見られます。
 しかし、地元住民のお話では、「避難指示解除」の見通しはまったく出されていません。この地点よりも上流にある桑名川砂防ダムが流木等で埋め尽くされていて、これを取り除けないためのようです。技術的に相当に困難があるだろうことは推察できますが、緊急対策への踏み込みが弱いという印象を禁じえません。県等に問いかけてみたいと思います。

 

●JRは見通しと独自対策を明確にすべきだ
 下の写真は、JR飯山線の出川橋梁の様子を上流側から見たものです。橋梁そのものは川の中に流れ込んだ木の陰になって見えませんが、写真中央に見える茶色の土面が橋梁すぐ横の線路敷地の法面です。

 


 土石流が発生した場合、土石流がこの法面を直撃することは明らかですが、補強はほとんどされていません。また、橋梁直下、その前後について、今後起こりうる土石流が下流へ流下しやすくなるように、既発生の土石流によって堆積した土砂等を除去するなどの措置もされていません。
 このままでは、JRが「飯山線の出川橋梁が危険」とする状況は、出川右岸の4世帯への避難指示が解除される状況になっても変わらないのではないかと思われます。
 JRは今後、どうするつもりなのでしょうか。「運行再開の見通しはまったくたたない」ではあまりにも無責任です。

 

●飯山線は信州DCの対象から外すのか?
 7月1日にはJRが主導する信州DC(デスティネーション・キャンペーン)が始まります。秋山郷−苗場山など飯山線沿線の山岳観光地は今回の信州DCの最重要ポイントの1つです。
 しかし、飯山線運休では飯山線での秋山郷への旅は不可能となります。それでは、「おいこっと」やSL運行でこの数年間に積み上げてきた飯山線沿線の観光発展の努力はすべて水泡に帰してしまいます。
 JRには、今回の飯山市照岡での山腹崩壊・土石流災害に主体的に、そして積極的にどう対処するのか、責任ある対策方針の打ち出しが求められています。


クマの所在の確認と対策の措置

 6月7日、村は下写真に見える緊急警告看板をスキー場内の村道の一角に設置しました。

 


 「このすぐ近くでクマの巣が発見されました。ここのスキーコースに立ち入っての山菜採りは危険。ただちにこの場を離れて下さい」というものです。
 これは、5月2日に地元住民がクマの穴と思われるものに遭遇した地点付近を6月6日に私を含む2名で再調査し、クマの巣の所在が確認されたため、役場に申し入れをして設置してもらったものです。
 今年は、昨年よりも1ヶ月以上早い時期からクマの目撃情報が相次いでいます。村は6月初旬の全世帯への配布文書でクマへの警戒、目撃情報の役場への集中を呼びかけました。
 クマ対策は待ったなしの緊急課題になっています。警戒と情報の集中を心がけてください。


直売所かたくり、さらに多くの村民の参加を

「入会金1万円」の回収はけっして大変ではありません
 直売所かたくりは、5月〜6月も快調で、「売上額1日30万円超え」はもはや珍しいことではなくなっています。
 お客さまの来店数だけでいえば「売上年間6〜7千万円」も夢ではないと言っても過言ではないでしょう。
 問題は、お客さまの来店数・需要に対応できるだけの品物の量・種類を確保できるかどうかです。すでに組合員となっている人が出荷量を増やして下さることと、さらにもう1つ、新たに組合に入って下さる村民が一人でも二人でも増えることが重要です。
 そこで問題となるのが「入会金1万円」。「その元手の1万円を回収するのは大変じゃないか」と思われる人が多いようなのですが、そんなことはありません。比較的最近に入会されたおかあさんは、乾燥ワラビなどを少量ずつ出店されているのですが、5月の売上げは4万円を超えたようです。
 「入会金1万円」はけっして高くありません。新入会へ、是非、一歩踏み出してください。

 

 今号は12頁版。次号発行は、議会6月定例会出席の関係で、7月1日付発行(12頁版)となります。よろしくお願いします。


飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の6月5日段階の状況と、JRの対応への大きな疑問

 飯山市照岡の山腹崩壊・土石流で4世帯への避難指示がだされたままになっている桑名川地区には2〜3日に1回程度の頻度で様子を見に行っています。
   (私が居住しているところからは車で15〜20分くらいを要しま

    すが、栄村のいちばん西の地区・白鳥集落からは車で5分強で

    出川橋に至ります。)

 

避難指示地区での大型土嚢補強の作業が進み始めていました

 

写真0605−1

 

 この写真は5日午前9時15分に出川橋から撮影したものです。
 これまでになかった黒い袋の大型土嚢が積まれ、「仮側堤」は嵩上げされています。また、「土嚢の裏側にコンクリートブロックを設置する」という工事のためでしょうか、鉄板を敷き詰めた工事用仮設道路ができています。(対照写真として5月29日のものを掲載しておきます。下写真です)

 

 

 3日の記録は手許に残っていないのですが、2日朝にはこういう状況は見られなかったので、ここ1〜2日の新たな動きだと思います。避難指示の解除のために必要不可欠な措置ですので、「一歩動き出したもの」として評価・歓迎したいと思います。
 6月1日のレポートで写真27−12−1〜4で示した出川橋周辺よりもやや上流の部分でも同様の作業が進められていました。

 


写真0605−2

 

 この他、出川橋より下流の状況、コンクリートブロックの設置について書いておきたいことがありますが、いま、ある意味で最も深刻な問題とも言えるJR東(長野支社)の対応の問題を先に取り上げたいと思います。

 

JRには主体的な対応が見られない
――代行バスの運行では事態は打開できません

 

 5日のTV,6日の新聞では、JR飯山線戸狩野沢温泉駅〜森宮野原駅間の運休に伴う代行バスの運行開始が大きなニュースとして取り上げられていますが、JR飯山線運休の深刻さと問題の根本を把握していないニュース報道と言わざるをえません。
 そもそも、土石流による6月22日の運休からすでに2週間を経てからの対応。あまりにも遅すぎます。(この間、地元の通学生のための「救済バス」というのは出ていましたが)

 さて、最大の問題は、JRの飯山線運休が妥当な措置なのかどうかということです。

 

1.「 避難指示が出ているから」は妥当な理由か?
 JR東(長野支社)は、飯山線戸狩野沢温泉駅〜森宮野原駅間の運転見合わせ(運休)の「理由」として、同線が通過する桑名川地区の一部に避難指示が出ていることを挙げています。
 これはおかしいと思います。避難指示はあくまでも住民に対して出されているもので、屋内にいて外の様子がわからない時に土石流が発生する、あるいは夜間就寝時に土石流が発生し、逃げる余裕がないケースなどを想定しているものと思われます。
 けっして交通機関に対して避難指示が出されているわけではありません。現に県道408号線の出川橋(通称「だんご橋」)は5月29日から通行止めが解除されています。もちろん「100%安全」ということではなく、常時、警備員が配置され、上流の土石流センサーが作動した場合にはすぐに通行止めの措置がとれるようにされています。また、降雨量が多くなった場合などは、予防的に通行止め措置がとられることもあると思われます。
 出川に架かる飯山線の橋梁は出川橋のすぐ近くにあります。置かれている環境・条件等に大きな違いはないと思います。
 私は現場に幾度となく足を運んでいますが、橋梁付近でJR関係者(JRが委託する警備員を含めて)の姿を見たことがありません。
 「避難指示」を理由として「運転見合わせ(運休)」を説明することは困難だと考えます。

 

2. 県による土嚢設置補強に合わせてJRも橋梁の安全確保策の独自検討の必要がある
 県が避難指示を解除できるよう、大型土嚢の補強等にのりだしていることは上述のとおりです。
 この県の措置の結果、桑名川地区の4世帯に対して出されている避難指示が解除された場合、JR飯山線は運行を再開するのでしょうか。あるいは、もっと正確に言えば、運行を再開できるのでしょうか。
 私は「否」だと考えます。
 次の写真0605−3をご覧ください。

 

写真0605−3


 この写真では、飯山線橋梁と、非難指示対象世帯家屋及び設置されつつある大型土嚢との位置関係がわかります。大型土嚢の設置が完了すれば、土石流が出川左岸を越えて民家の方に出ることはなくなり、基本的に河道に沿う形で流下することになります。その結果、JR飯山線橋梁に到達する土石流の高さは、土嚢未設置時に比べて高くなる可能性が出てくるでしょう。
 そうした場合にJRはどう対応するつもりなのでしょうか。

 そして、次の写真0605−4をご覧ください。

 

写真0605−4

 

 こちらは橋梁のすぐ上流を撮影したものです。写真右真ん中隅に写真0605−3の土嚢が少し見えますので、位置関係がわかると思います。
 出川は橋梁のすぐ手前で湾曲しています。勢いのある土石流は河道にしっかり沿って流れるのではなく、まっすぐ進もうとして橋梁の十日町方面側の盛土線路部分を直撃するのではないでしょうか。
 そうした事態による線路及び橋梁の被害を防ぐには、まず、この盛土部分を土石流の直撃から守る何らかの補強が必要ではないかと思います。これはおそらくJR敷地内のことになるでしょうから、JRが独自に対応しなければならないことだと考えます。(土嚢を少し積んでいるようですが。)
 また、次のことは県との協議、県の対応を求めることでしょうが、写真0605−4の川の湾曲部分の右岸側にかなりの量の土石流で運ばれてきた土砂の堆積が確認できます。この土砂を浚渫・除去し、河道のスムーズな流れを確保することは当然とるべき措置だと考えます。

 

3. 中条川の際に見られた迅速な対応がなぜとれないのか
 ただただ「避難指示のため、運転見合わせ」ということだけを繰り返すJRに私が苛立つのは、2011年3月12日の栄村を襲った大地震と中条川での山腹崩壊・土石流、さらに2013年9月の中条川での再度の土石流に際しては、JRが今回とはまったく異なる迅速かつ的確な対応をしたことを知っているからです。
 まず、2011年3月12日の大地震と山腹崩壊・土石流。
JRは、中条川に架かる飯山線の橋梁のすぐ横手で線路が宙づりになった事態をうけて、3月14日か15日の時点で、「4月下旬には運行再開できるようにする」と宣言し、すぐに被災現場に通じる工事用仮設道路の建設に着手しました。この段階では、国や県による中条川対策はまだ実相把握と対策の基本方針の検討段階です。そして、4月29日には列車運行を再開しました。
 また、中条川に沿って存在する森集落中条地区では7月頃まで避難指示が解除されませんでしたが、JRは独自の安全確認手段と基準を設け、列車の運行にあたりました。
 2013年の土石流は、飯山線の中条川橋梁を直撃し、橋梁の基礎部分に危険が生じました。JRは国・県の中条川土石流対策とは別に、自らの予算で橋梁と橋梁周辺河床の補強工事を行い、飯山線の運行に支障がないようにしました。
それだけのことがJRにはできるのです。
 なのに、今回はどうして無策なままなのでしょうか。
 「栄村地震−中条川土石流に対する迅速かつ的確な対応はやはり宮中ダム対策(+寺石踏切人身事故)だったのか」という思いが出てきてしまいます。
   (注)JRは、首都圏の電車を走らせる電力を発電する小千谷

     水力発電所に送る水を取水する宮中ダム(栄村の隣、新

     潟県十日町市)で違法取水していたことが発覚し、水利

     権をはく奪された。
     JRは地元新潟県・関係市町に謝罪金を支払う、全国紙に謝

     罪広告を出す等の対応をし、水利権回復にこぎつけた。
     また、寺石踏切は栄村・森宮野原駅と新潟県津南町・足滝

     駅間の踏切で、2011年の地震の約1ヶ月前、JR職員の誘導

     ミスで乗用車が列車にはねられ、1名が死亡する事故があった。


 今回の桑名川地区は栄村のすぐ隣ですが、新潟県の新聞・テレビでは長野県のようには今回の山腹崩壊・土石流のニュースは流れず、また、飯山線の森宮野原駅〜十日町駅間は列車が運行されているので、新潟県から批判される心配があまりないのかもしれません。
 こういうことはあまり言いたくありませんが、あまりの無策ぶりを見ていると、こういうことも言わざるをえなくなります。

ましてや、7月1日からはJR自身が主導する「信州DCキャンペーン」が始まります。山岳観光を1つの主テーマとしていると聞いていますが、山岳観光のポイント・秋山郷の最寄り駅は飯山線森宮野原駅です。
 その森宮野原駅までの運行を見合わせたままで「信州DCキャンペーン」は成り立たないと思うのですが、JRはどのように考えているのでしょうか。
 長野支社だけでなく、JR東本社がどのように考えているのか、尋ねてみたいと思います。


 冒頭に書いた出川橋よりも下流の状況は機会を改めてレポートしたいと思います。


わずか2日でこんなにも景色が変わるのか!

 

 今日6月6日午前10時すぎに野々海に行ってきました。
 目にしたのはこの景色。そして気温は15℃を越えている感じでした。
 2日前の4日(日)の野々海普請の時のまるで冬としか言いようがなかった寒さと景色は何処に行ったのか?
 昨日、今日と気温が上がったのは事実ですが、あまりの違いに戸惑いました。4日、一瞬、霧が晴れて対岸が見えた時の写真を対照用に示します。

 

 

 

堤の野々海大明神近くからの眺め。

 

斜樋の様子。下は4日。

 

 


深坂峠にて

 

 

 

 

深坂峠近くのミズバショウ群生地

 

 

 

 この場所の見頃について「6月10日頃か」と以前に書きましたが、ほぼ当たっているでしょう。
 緑の葉っぱも出てきて、見栄えがするようになってきたと思いますが、この場所で今春初めて開花を確認してからすでに半月以上が経過しています。融雪のテンポが遅いので、昨年や一昨年のように一斉開花の美しさは今年は見られないかもしれません。野々海峠に向かう林道脇の群生地の方が今年はきれいかもしれないなと思ったりしています。

 

 

 

 キャンプ場横の湿地・東窓。
 まだまだ雪に覆われている部分が多いですが、写真真ん中に木道の部分の雪の様子が微妙に異なり、道筋を確認できます。


 キャンプ場の炊事場から東窓に入って行く道はまだ雪に覆われていて、この道を何度も歩いたことがある人でなければ、道がよく分からないだろうと思います。
 その道の脇で次頁のような木の幹にのる雪を見ました。

 

 

 これはブナの木の幹に雪が降り積もったというのではなく、雪に埋もれていたブナの木が起き上がってきたものですね。別角度からの写真を見ると、そのことがよくわかります。

 

 

 

 以上、6月6日の野々海の様子の紹介でした。


「グワーン」というクマの警戒音で撤収

 

 

  1枚目の写真では残雪がきれいな苗場山の姿が正面に見えます。2枚目はスキー場のゲレンデの上方を望んだもの。
 好天ということもあって、いずれも素敵な景色です。さかえ倶楽部スキー場のDコースからの今日6月6日午後の撮影です。


 いまの季節は、山菜採りの人が数多く入ってきます。4日の日曜日もこのあたりでワラビを採る人をたくさん見かけたと地元の人から聞きました。山菜採りに入って来ている人たちは地元の人ではなく、村外から来た人たちです。
 この場所近辺でワラビやゼンマイのいいものが採れる場所を知っている地元の人は、最近、この場所には入りません。なぜなら、5月2日にゼンマイ採りに出かけた青倉集落の女性Bさんがクマの穴と思われるものに遭遇し、クマの唸り声らしきものを聞いて、逃げてきたという経験があるからです。

 

「対策を強化するには実地調査から」ということで現場へ
 今日6月6日午後、私は、有害獣対策に取り組んでいるA氏に同行していただいて、5月2日の事件があった場所付近に調査に出かけました。下の写真のようなところです。

 

 

 手前に池が見えます。その先は、もう木の葉が繁り、鬱蒼とした森になっています。
 この池の近くでBさんが遭遇した5月2日の事件はありました。

 A氏と私は慎重に森の中に進みました。
 足場も悪くて、いい写真が撮れませんでしたが、この森の中の木々の間から「トマトの国」の建物が真正面に見えました。下の写真は「トマトの国」の一部が見えているものです。

 


クマの生息が確認できるものが多数
 4月27日に「トマトの国」の対岸の崖に出た大きなクマが逃げて行った先にあたるところには、クマの通り道と思われるものがありました。下の写真です。

 

 

 この通り道には、クマが爪で引っ掻いた痕、足跡、さらに大きな糞が見られました。
 私はA氏に教えられて分かるというレベルで、しかも足場が悪いので、いい写真は撮れていませんが、爪の痕、糞は撮れています。

 

 

 うまくピントが合っていませんが、木の幹に白っぽく見えるのが爪の痕です。

 

 

 これはクマの糞です。少し崩れていますが、かなり大量のもの。大人のクマのものでしょう。
 このすぐ近くで小さな糞がいくつかあるのも見ました。子クマのものかもしれません。


 このすぐ下はいっきに崖になっています。「トマトの国」から見える崖です。

 

「グワーン」という音を耳にして撤収
 そして、A氏が「こういう緑色の濃い木の下なんかにもクマはいるんですよ」という話をしてくれて、私が次に示す写真を撮った直後だったでしょうか、「グワーン」という音を耳にして、ちょっと気になりました。すると、A氏も「いま、音がしましたよね」と言います。私の空耳ではなく、あきらかにクマが警戒音を発したのです。

 

 

 「間違いないですね。クマがいますね。警戒音を出したのだから撤収しましょう」と話し、すぐに撤収しました。


 現場から下り、貝立橋の近くで車から降りてA氏と話している時に、5月2日の事件を私に教えてくれたBさんのご主人と出会いました。6月4日にもこの現場近くのゲレンデでワラビ採りをする人が多くいたという冒頭に書いた話を彼から聞きました。


現場地図と、ただちにとるべき緊急措置

 

 

 現場を示す地図です。
 水色はスキー場Dコース。赤丸が私が今日行き、クマの警戒音を聞いたところ。緑色は4月27日に大きなクマが崖を登って逃げたところです。
 水色で示したスキー場Dコースと村道が交差していますね。2ヶ所で交差していますが、より上の方、ここにはワラビ採りのためと思われますが、人が登った足跡がはっきり見られました。Dコースの中には今日はカヤがかなり伸びている箇所もありましたが、まだまだ採り頃のいいワラビも多数見られました。

 そこで、ただちにとるべき緊急措置は、この村道とDコースの交差する場所付近に、かなり大きな警告看板をただちに設置することです。
 この看板にはただ「クマ出没注意」と書くのではなく、
     「ここはスキー場のDコースで、いいワラビが出ていますが、

     このすぐ近くでクマの巣があることが確認されました。ここ

     からコース内に入ること、この近辺で山菜採りをすることは

     非常に危険です。この場付近で山菜を採ろうと思って来た人

     はただちにこの場を離れて下さい」
という具体的かつ緊迫したメッセージを書くことが必要です。
 私は村役場に緊急措置をとるように申し入れます。

 

今後、とるべき措置
 今回、クマの警戒音を聞いた場所は、昔は田んぼがあったところです。また、さらに昔は炭焼き窯もあったところのようです。その意味では「人間エリア」だと言えます。
 しかし、炭焼きが行われなくなり、田んぼもやられなくなって、いまは「クマのエリア」になっていると考えるべきゾーンです。
 この場所を「人間のエリア」に戻すのか、それとも「クマのエリア」として認知し、人は近づかないようにするのか、これから検討し、決定しなければなりません。
 「人間のエリア」に戻すという場合は、ただ観念的に「ここは人間のエリアだぞ」と思い、「クマを見つけたら撃って駆除する」というのではダメです。草刈り、森(林)の手入れ、そして人間が日常的に活動するエリアとすることが必要です。現在およびこれからの地元住民がそこまでやる気があって初めて、「人間のエリア」に戻すことができるでしょう。
 生半可なことでは出来ないことです。ただ、いい山菜は出るし、景色もいい(冬はスキー場のコース)。放っておき、「クマのエリア」とするのは残念だというのも事実です。

 当面は絶対に近づかない、上述のように緊急告知の看板を立てる。
 そのうえで、ひとまず、地元の古老たちから、昔、人びとがこのゾーンでどういう暮らしの営みをしていたのかを聞き取り、たとえば炭焼き窯の所在地(かなりの数があるはず)を地図上に落とし込んでいくというような作業をしたいと思います。
 そして、「人間のエリア」として回復する場合に必要な措置、エリアの活用方法などの検討に進んでいきたいと思います。
 冬の狩猟期間になれば、狩猟許可を所持している人にこの現場近くの様子を見ていただくこともありうるかと思います。


 ここに記したことは、この場所だけに限られた課題ではありません。この間、クマが出没している地点をめぐって、同様のことを追求していく必要があると考えます。

 

(了)