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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.278

秋山郷が動き出している!!
 
 2月20日(土)午後、秋山の「とねんぼ」で「秋山郷の未来を語ろう会」が約40名の人たちの参加で開催されました。秋山の20代〜40代の若者15人が昨年末に結成した「GO会」の主催によるものです。



 写真は、「GO会」の会長・山田裕樹(ゆうき)さんからの「活動計画について」の報告と福原直樹さんからの「スノーエンジョイふぇすていばるイン秋山」の提案をうけて、3つのグループに分かれてのフリートークが大いに盛り上がっている一場面です。

ワケショが意気込みを語る⇔年輩者が知恵と思いを伝える
 フリートークは3つに分かれて行われましたので、取材に訪れた私はすべての話し合いの内容を聞き取れたわけではありませんが、非常に印象に残ったのは、ワケショの熱い意気込みを受けて、年輩の人たちが秋山郷に引き継がれてきた色んな知恵などを語り、ワケショがそれに熱心に耳を傾ける、そういう若者と年輩者のやりとりでした。
 これまで村内で開催されたワークショップを数多く体験してきましたが、若者と年輩者の間でのこれほど活発で熱いやりとりを目にしたのは初めてのことです。


熱く語る島田福一さん(右端)、食い入るように話を聞く阿部豊和さん(左端)

大事な地域行事は守られる
 「語ろう会」が開催された20日の午前中は秋山小グラウンドで第26回秋山校区合同雪上運動会が開催されました。大盛会でしたが、秋山小は今年3月末で閉校。「来年以降、雪上運動会を続けられるのか」という心配がありましたが、GO会がその継承を力強く宣言しました。
 また、夏の盆踊り大会になかなか人が集まらないという問題もフリートークで出ました。打開の妙案がすぐに浮かんできたわけではありませんが、ワケショと年輩者が知恵を出し合う活発な議論が行われました。
 人口減少の問題もあります。しかし、週末には秋山に帰ってきて地域行事に熱心に参加する若者やそのお子さんの姿も多く見られます。「外に出ている仲間」と手をつなぐということは非常に大事なことだと思います。「GO会」が平素は秋山以外のところで暮らす秋山育ちの若者も含めて結成されていること、「仲間をどんどん増やそう!」、「出られる時に無理なく参加!」を「決まり事」としていることも、地域の伝統行事の継続に大きな力を発揮するでしょう。


写真は長野市で暮らす関大輔さん。秋山の行事では姿をよく見ます。お子さんも参加しておられました

秋山郷での子育て環境の形成への大きな第一歩
 「語ろう会」でもう一つ、重要なテーマとして語られたのは「秋山郷で子育てができる環境づくり」です。
 「秋山で子育てをしているが、子どもが熱を出した時、すぐ近くにお医者さんがいないので不安」という切実な声も出ました。また、「語ろう会」には1月に福原一男さんと結婚された千鶴さんが参加され、さらに地域に根づこうとしている地域おこし協力隊のメンバーも議論に熱心に耳を傾けていました。
 秋山郷での子育てには、親が秋山郷で仕事をして稼げるということが大前提。これについて年輩者からもいろんな知恵・提案がありました。
 すぐに何かの産業が育つというわけではありませんが、課題解決にむかっての大きな第一歩が踏み出されたというのが私の感想です。


写真真ん中が福原千鶴さん。左は地域おこし協力隊の木村敦子さん

 後日、「語ろう会」参加者の顔ぶれについて詳しい説明を関係者からお聞きしましたが、「GO会」のワケショだけで森林組合に勤める人が少なくとも二人おられるんですね。また、広い意味で山に関係する仕事を担っているワケショもおられます。秋山の最大の資源はなんといっても山です。栄村一般ではなく、秋山地区の山をめぐる森林政策(狭い意味の林業だけでなく、山菜の活用や山を活かす観光の問題も含めて)を形成していくことが仕事創出のうえで大事なのではないかという感想を抱きました。
 また、「秋山郷という名はよく知られるようになったが、アピール(情報発信)が少ない」という声が多く聞かれました。ささやかですが、「復興への歩み」等でも秋山郷の情報を増やして、協力したいと思います。
 秋山郷で始まった大きな動き、今後も取材・報告を続けていきます。


「語ろう会」の資料。








4枚の写真は雪上運動会の様子です(かんじきリレー、暖をとる人たち、くねくねフープ、ノルディックの前走をする斉藤充子先生)。
 

新年の風景二点



新年2日朝7時12分、日の出をうけて一瞬赤く染まる鳥甲山




新春の陽光を浴び、光り輝く布岩(2日正午すぎ撮影)


様々な姿を見せる鳥甲山



 鳥甲山を真正面から捉えたもの。2日午前11時8分。
 次は、定番的な構図。
 


 「天池」から。2日午前10時33分。
 いま、「天池」には雪の中を歩いてしか行けない。元旦も同じ地点まで歩を進めたが、鳥甲山の姿はほとんどまったく見えなかった。そういう時の一枚も撮っておきたかった。元旦午後0時17分。
 
 
  
 池のむこうの林の上に山裾がうっすらと見えるが…。
 
 
 
 いちばんのお気に入りポイント。2日午前10時38分。
 写真データを整理していて驚いたことがある。
 下は上の写真のほんの少し前(秒単位の違い)に撮ったもので、ズームアップの程度に少し違いがあるが、写真右手に見える屋敷山の積雪の様子がかなり異なって見える。



 私が歩いてきた雪道が右手前から奥にむかって続く。これからまた、この道を戻る。





 さて、元旦の朝は雪が降っていた。そんな中、下写真のような道を進んで秋山郷にむかったが、鳥甲山の姿はほとんど見えない。
 
 
 
 
 午後1時48分、切明温泉の上空に青空が広がり始めた。鳥甲山の姿も少し見えてきた。
 
 
 
 
 午後4時少し前、青空が全面的に広がっているのを確認して、上の原あたりまで行ってみようと思い、切明を出た。
 
  
 右上に鳥甲山の頂上が見え、鳥甲の連峰が弓弧状になっている。
 そして、白堯祖珊辰範△覆詆分は上部が直立に近い断崖壁であるのに対して、下の方はなだらかになり、まるですり鉢のような姿を見せる。
 下のアングルを12月20日に初めて撮った時も驚きであったが(下写真は元旦撮影のもの)、上のアングルの姿はある意味でそれ以上の驚き、「新発見」である。
 元旦午後4時3分撮影。
 
 
 
 
 
  
 午後4時29分。栃川橋付近にて。
 
  
 午後4時39分。
 和山附近にて。
 
 
 
 2日朝6時40分すぎ、空が白んできたことを確認して切明を出発。



 上は7時3分撮影。
 空気が澄んでいるなあ、という印象。稜線がくっきりと浮かび上がっている。
 この撮影から間もなく、車を運転しながら、ふと目を山に向けると、思わず「えっ!」と声をあげてしまうものが目に入った。慌てて車を停め、カメラを構えた。


 
 ほんの一瞬のこと。
 「鳥甲山の頂上が真っ赤に染まる様子を撮りたい」と思い、急ぎ車を走らせたが、もう遅かった。私の記憶では山頂が朝陽で赤く染まったのは一分間程度だったのではないだろうか。地元の人に聞いたところでも、ほんの短い時間しか見えないとのことであった。
 
 
  
 上下ともに「和山集落と鳥甲山」。ほぼ同じ地点での撮影だが、上は7時15分。下は10時7分。随分と雰囲気がちがう。
 
 
 
 秋山で宿泊しながらの撮影は初めて。時間帯や方角によって姿・形を自在に変化させる鳥甲山を堪能した。


お正月に秋山郷の最奥の地・切明温泉を訪れる人たち




 元旦から2日にかけて、私は秋山郷の最奥の地・切明温泉を訪れていた。
 昨年末、切明温泉「雪あかり」のご主人・高橋規夫さんから「年末年始は満室です」とお聞きした。「雪の季節、わざわざ秋山郷の最奥の地を訪れる人たちは何を求めて来られるのだろうか」。それを知りたくて、元旦朝に405号線を切明に向かった。
 午後1時半頃に切明に着いてすぐに、その答えの一つに出会った。
 上の写真、木の枝に積もる雪が見えるように、間違いなく雪の中での1枚だが、写真中央に見えるのは水着姿のお二人。「川原に湧き出る温泉」である。お二人が宿に戻って来られたのは、私が青空になってきた山の風景を撮影しようと外に出た午後4時前のことだったように思う。
 翌朝、お二人に尋ねてみた。
  「どれくらいの時間、温泉に入っておられたのですか。」
  「3時間くらいかな。」
  「のぼせませんか。」
  「ときどき、雪に頭を突っ込んだりしましたね。」
 切明の湯は江戸時代にひらかれた歴史ある名湯。川原の湯か内湯かの違いはあれ、お客さまは“秘湯”を求めて来ておられる。
 



 夕食風景。
 今年は暖冬。雪が消えた時、フキノトウが採れたということで、夕食にはフキノトウの天ぷらも登場した。




 30日から二泊の予定で来られた習志野ナンバーの人にもお話をお聞きした。
   「正月を切明で過ごすのはもう4回目ですかね。」
   「スノーシューで人が入っていないところに行ったりしま
    す。今年は東電のダムがあるところまで行ってきました。」


 
 玄関脇にズラッと並ぶお客さまの車。
 三分の二の人が自家用車で来られる。今回出会った最も遠くのナンバーは「大阪」と「滋賀」だった。
 自家用車ではない人たちは南越後交通のバスで和山まで来られ、宿が和山まで出迎えに出る。
 帰りは年末年始、午前10時台のバスが運行休止のため、ご主人が津南役場前まで車でお送りする。
 車で来られる人に、「ここまでの道は大変ではないですか?」とお尋ねしてみた。やはりかなり厳しい道だと思っておられる。でも、それをも乗り越えて、やって来たいという魅力がある。車がズラッと並ぶ様子はそのことを物語っている。
 
 
  
 元旦、昼0時50分、和山温泉での一枚。
 切明温泉・雄川閣の車が5〜6人のお客さまを送ってきた。バスの中にその人たちの姿を認めることができる。
 元旦の夕刻、雄川閣の駐車場にもズラッと県外車が並んでいた。
 
 
 元旦の午後1時すぎ、切明温泉から和山に通じる道路上で鳥甲山の姿を撮っていると、後方から「サクッ、サクッ」という音が聞こえる。「何だろう?」と思って振り返ると、ランニングする人がやって来た。



 まるでボクサーがロードワークをしているような感じだったので、「ボクサーがキャンプしているのかなあ」などと思ったが、宿に着いてからこの人のことがわかった。
 年末の30日から正月3日まで「雪明か
 り」の手伝いに来ているアルバイトの27歳の青年。妙高にある国際自然環境アウトドア専門学校の学生さん。
 昨年夏、「雪明かり」でアルバイトをし、今回は「雪明かり」からの求めに応じて応援にかけつけられた。今回は彼女も同行。大晦日は休憩時間に二人で、東電切明発電所に落ちる導水管のある山に登られたそうだ。夏は苗場山を1時間45分で登ったという記録も持っておられる。
 素顔はこんな柔和な感じの好青年。
 
 
 


 
 「川原から湧き出る温泉」に通じる吊り橋。雪が少ない今冬とはいえ、たっぷりと雪が積もっている。
 宿で水着に着替え、その上に浴衣を着て、さらにコートを重ねて向かうと、すぐにお湯に入れる。
 帰りは体中がポカポカしていて、まったく寒くないという。浴衣が濡れてもいいように、宿はそれぞれのお部屋に浴衣を一人あたり2枚ずつ用意している。
 
 
 
 
 朝食風景。
 お雑煮は搗き立てのお餅入り。大根おろし餅やあんこ餅もいただける。
  
 お客さまも餅つきができる。
 浴衣姿の女性やお子さんも挑戦されていた。



 
 お正月から次の年末年始のことを言うのは早すぎるかもしれないが、来年のお正月、切明温泉でお迎えになってはいかがでしょうか。
 

朝日に一瞬赤く染まる鳥甲山








 1月2日朝7時12分の鳥甲連峰。
日の出の光をうけて、一瞬、山頂だけが赤く染まります。
1枚目、2枚目の写真の奥に鳥甲山山頂が見えています。
こんな素敵な朝焼けを事前には知らなかった私。
鳥甲山を正面から撮りたいと思い、慌てて車を前に進めましたが、そのときはもう一瞬の朝焼けはすでに終わっていました。
1枚目の写真をメール年賀状に使いました。


秋山郷の冬が楽しい

 “秘境”と呼ばれる秋山郷。
 とりわけ雪に閉ざされる冬の秋山郷は訪れるのもたいへん。つい4〜50年前、秋山の小学校に赴任した教師たちは歩いて秋山郷に向かわざるをえなかったと言われるが、現代は誰でもその気があれば、冬でも車で向かうことができる。
 しかし、相当の蛮勇がなければ車を進められないという一面もなくはない。


 
 津南町の大割野交差点を右折して国道405号線に入ってから約10分。見玉集落を過ぎ、前方に東京電力中津川第2発電所へ真っ逆さまに下る導水管を前方に見つめながら左にカーブを曲がると、車1台が通るのがやっとという狭い道になる。
 右手は、今年はまだ低い雪の壁を挟んで、中津川の深い峡谷。左手には高い山の壁が迫る。しかも路面は傷んでいて、注意しないとハンドルをとられかねない。上の写真では、「雪の壁」が幅広いように見えるが、峡谷に下る雪に急斜面も写っているので幅広く見えるだけ。車を右へ滑らせてしまえば、ひとたまりもない。
 スノーシェッドに入ると一安心だが、清水川原橋を過ぎると、前倉橋まで約15分間くらいか、くねくねと上ったり、下ったりの狭い山道が続く。


 
 まるで水墨画の世界と呼ぶにふさわしい景色だ。清水川原橋を越えてすぐのところで、離合のためのスペースに車を停めて撮影した。私が進む道が写真右手の断崖上に細く見えている。
 
 だが、難業の後には素晴らしい世界が待っている。
 

 
 モノクロの世界に突然、鮮やかな朱色の橋が現れる。
 前倉橋だ。
 純粋の風景写真ではなく、あえて若い女の子が立つ1枚を選んだ。松本市からやって来たというカップル。
 橋を渡って坂を上る車2台も見えるが、いずれも名古屋ナンバーだった。
 まさに“秘境を訪れる人たち”だ。


 
 前倉橋のすぐ近くでは、“ツララの簾(すだれ)”が見られる。
 手前の坂道には水が流されている。道路の凍結防止のため。大赤沢(おおあかさわ)の手前から1km以上にわたって、くねくね曲がる急な坂道を下ってくる。
 道路に水を流す、いや「川にする」というのは、秋山郷を訪れて最初に出会う秋山ならではの暮らしの知恵である。
  
 坂を流れ下った水は前倉橋手前でいっきに中津川に落とされる。
 松本市のカップルの女の子が「ねえ、凄いよ!」と言い、彼氏も一緒に珍しそうに覗き込んでいた。
 
 
 
 
 国道405号線は大赤沢を過ぎて間もなく、その名も「さかいばし」という橋をこえると、栄村に入り、小赤沢集落に着く。
 
 
 天気がよい日は眼前に屋敷山、そして鳥甲山が広がるが、今日は雪がチラつき、低い雲が垂れこめる。でも、こういう景色もまた冬の秋山らしくていい。
 突然だが、10月14日に回帰する。





 山田一二三さん宅のはぜ掛けだ。
 写真下に見える国道405号よりも一段高い石段の上、西向きの家の北側側面に組まれている。
  
 はぜ掛けの一角に人ひとりが十分に出入りできる“穴”が開けられていた。村の随所でいろんなはぜ掛けを見るが、こんなものを見たことがない。面白い。


 
 さて、雪の季節になった。この“穴”はどうなったか?


 
 水が流れ下っている。
 一二三さん宅は玄関前、北側、東側と家の周りに水がめぐらされ、雪がどんなに大量に降ろうとも融かされる仕組みになっているのだ。
 
 
 
 
  
 豪雪の地で暮らす人の知恵である。
 
 
 小赤沢にはこんなところもある。
 
 
 
 
 
 
  
 雪がない季節でも車で下って行くのがおっかない曲がりくねった急坂。
 いずれも運転席から撮影したが、2枚目のようにヘアピンカーブもある。
 雪の季節にこの急坂を下るのは今日が初めて。「雪で滑るだろうな。怖い。」と思いながら向かうと、道に雪はない。水が流されているのだ。
 小赤沢集落のいわばメインストリートとでも呼ぶべき道路に水が流されているのは以前から知っていたが、集落内の随所にこんな工夫が張り巡らされているのには感心した。これは「車の時代」になってから工夫されたものであろう。
 上写真の左上隅に人の姿が小さく見える。年末年始を実家で過ごすために森集落から帰ってきている吉野さん母子。少年はたしか小学校2年生とお聞きしたと記憶している。
 
 
 雪国の子は力強い。これだけの量の雪をいっきに押し出すことなど、都会生まれ・都会育ちの人ならば、成人男子でも容易ではないだろう。
 
 小赤沢での「復興への歩み」の配達を昼すぎに終え、つぎに屋敷集落にむかった。



 これは国道405号線から屋敷集落に入る直前のところ。
 写真奥手が小赤沢方向だが、そのカーブのところから屋敷集落の全景を撮影してみた。
 
  
 手前を流れるのが中津川。川沿いには温泉宿が立つ。集落の家々の多くは山裾のわずかな空間に階段状に立ち並ぶ。
 
 家々が山裾に立ち並ぶゾーンでは道という道のすべてに水の流れが張り巡らされ、雪は融かされ、朝晩に凍てつくこともない。その“システム”のスケールは小赤沢の工夫をも超えるものである。
 
 
 
 
  
 面白いのが“分水嶺”。
 上写真の道路の少し手前、道路が上りから下りに変わるところがある。


 
 写真真ん中右手から水が引かれていて、写真奥手の方と手前方向の二手に水が流れるようになっている。
 軽トラ1台が通るのがやっとの狭い道。「冬はどのようにして除雪車が通るのだろうか?」と不思議に思っていたが、こんな仕掛け・工夫で除雪要らずになっているのだった。

 
 屋敷集落といえば、やはり紅葉が有名な布岩である。
 雪の季節はどんな様子なのだろうか。
 
  
 時折り雪が舞い、山の上には雲がかかっているが、布岩の全景がほぼ見える。
 
 紅葉の季節に布岩の直下から見上げるところをズームアップしてみた。
 
  
 モノクロの世界で柱状節理を雪の白色がくっきりと浮かび上がらせている。紅葉に勝るとも劣らない美しさだ。
 
 
 道が変わる!



 屋敷集落の中で広い耕地が広がる北原地区のあるお家。白色で判別しにくいが写真右側に雪を踏んで道がつけられている(積雪期、家に入る道などで、雪を踏んで道をひらくことを「道つけ」と言う)。
 このお家の玄関は写真に白のカーテンが見えている窓の下。いつもはそこに向って、この撮影地点からまっすぐに石段を上って行く。
 でも、雪が積もると道が変わるのだ。真ん中に見える建物(倉庫)の裏へぐるっと廻り込んで玄関に辿り着くのだ。
 冬に道が変わる家はそんなに多くではないが、ちょこちょこある。
 
 同じく北原地区での1枚。前方に家が1軒見える。山田信一さん宅。



 この撮影地点からは見えないが、信一さん宅の向こうにもう1軒ある。
 除雪車が入り、車で行ける。さらに信一さん宅前はロータリーで雪がきれいに飛ばされていて、家の前まで車で乗りつけられる。
 
 秋山郷の家々のほとんどには注連飾りが見られた。同じ栄村でも、秋山地区以外の地域ではそんなに数多くは見ない。
 
 
 
  
 屋敷での配達が終わりに近づいた午後2時前、東の空が晴れてきた。



 写真は午後2時ちょうど、国道405へ上がる途中にて。

 
 続いて、上の原集落にむかった。
 鳥甲山は依然として雲におおわれ、姿のほとんどが見えない。
 でも、こんな感じもいいのではないだろうか。
 
  
 雲の中から雪渓がググッと下ってきている。黒木尾根も晴れ渡っている時以上の迫力を感じさせてくれる。
 
 
 
 上の原で高齢の男性がお一人でお住まいの家に向かう道。
 まさに足で踏んだだけの道つけ。
 青空が見えたせいか、ここを進む私の気持ちは軽やか。ふと、「現代のテクノロジーとは無縁の世界。こういうところにこそ、人間らしい暮らしがあるんじゃないか」なんて思いが私の胸のうちに浮かんできた。
 
 
 切明温泉の吊り橋のところに1台の車が停まっていた。
 吊り橋上から見ると、男性二人の姿が川原に湧き出る温泉に。小雪もちらつく中、さすがに裸になっての入浴ではなかったが、足湯をされていたようだ。


 
 吊り橋には雪が相当積もっているが、かなりの人が歩いた跡が見える。
 
 
 
 
 
 
 栃川橋近くの道路に水が流されているところで車を停めたときのタイヤまわりの様子。
 水の勢いがよくわかるのではないかと思う。
 
 

 
 切明から和山を経て上の原〜小赤沢方向に向かう途中、猟犬風の犬と人の姿が眼前に現れた。「えっ? 何?」と思いながら通り越し、少し進んだ先で停車して撮ったのがこの1枚。
 秋山郷の雪はスノーパウダーなので犬も雪と戯れるのが楽しそう。
 少年の笑顔も素敵だ。相澤博文さんのお孫さんたちだった。
 
 
 最後に、切明から和山にむかう途中、もう陽が沈みかける午後4時19分の鳥甲山の様子を1枚。白瑤瞭の下の断崖壁のところだ。
 

 
 (了)

渋沢ダムから切明発電所に荷を運ぶヘリ



 今日20日、午後1時30分、切明の川原から湧き出る温泉で取材中に撮影したもの。
 東京電力の切明発電所のために取水している中津川・渋沢ダムから工事用の資材を切明発電所敷地に空中搬送するヘリ。この画像に写っている荷は工事現場用のコンテナ。
 
 
 
  
 私は1時すぎから3時半頃まで切明に滞在したが、その間、ひっきりなしにヘリの音が聞こえた。
 つぎの写真は、発電所敷地の上空でホバリングしながら荷を降ろし、吊りロープを垂らしたまま再び渋沢ダム方向に飛び去る様子を撮影したもの。
 
 
 
 
 
 
  
 中津川は群馬県に属する野反湖から始まる。だが、野反湖は発電のためにダムで堰き止められてできた人造湖。その野反湖と切明の間に渋沢ダムがある。5万分の1の地図で位置を示す。
 


 赤丸を記したところが切明発電所。
 地図の下に野反湖が確認できる。
 地図に渋沢ダムは記されていないが、青色でマークしたあたりに所在する。ここから切明発電所の後方に位置する山の頂上まで水を送る隧道が走っている。地図にはそのコースが青色の破線で印されている。
 
 
 
 切明発電所への吊り橋。後方の山の頂上から黒っぽく線状のものが見えるが、これが発電のために水をいっきに高い処から低い処に落とす導水管。
 
 切明の川原に湧き出る温泉に入ると、前方にぽっかり開いた穴が見える。
 
 
 これは、野反湖〜渋沢ダム〜切明発電所を建設する際のトロッコが走ったトンネルの跡。
 
 なお、切明温泉に向かう時に津南町から入る国道405号線は切明で行き止まりになるが、こういう行き止まりの道は通常、国道として認められない。「計画」上は405号線は切明から野反湖までつながることになっている。実際、野反湖から先、群馬県内を405号線が走っている。そして、国道405号線は「群馬県吾妻郡中之条町から新潟県上越市に至る一般国道」とされている。
 「鉄道マニア」ならぬ「国道マニア」にとっては興味津々の路線ではないかと思うが、講談社現代新書の佐藤健太郎著『ふしぎな国道』では残念ながら取り上げられていなかった。
 
 話を今日のヘリによる搬送作業に戻す。
 事情を知る人に聞いたところでは、昨19日に搬送が予定されていたが、悪天候で中止。好天に恵まれた今日の一日でいっきに作業を終わらせるため、昼食休憩もなしで作業が行われたそうだ。
 渋沢ダムでは今年、相当大規模な補修工事が行われ、先に写真を示した現場事務所用のコンテナだけでも4基持ち込まれていたらしい。
 切明から渋沢へは徒歩では行けるが、工事関係者は現場へ歩いて行き、泊まり込みで作業されたのであろうか。
 世の中、一般の人間では想像しがたいことが行われているのである。
 


鳥甲山をいろんな地点・方角から見る〜12月15日の秋山行から〜




 鳥甲山の写真としては、いささか珍しいアングルのもではないかと思う。
 屋敷から切明(あるいは志賀高原)に通じる林道を走る途中、進行方向正面に見えた姿である。12月15日午前9時7分という日時データが残っている。
 

 山をズームアップして見ると、



 この真正面に見える尾根が、上野原から鳥甲連山を見た場合のどこにあたるのか、この段階ではまだ謎。
 ちょこちょこと立ち止まっては写真を撮るということを繰り返しながら、7分後の9時14分、この路線の絶景ポイントの1つに達した。
 

  
 以前からのお気に入りポイント。どうやら滝沢というらしい。また、滝の部分を地元では不動滝と呼ぶそうだ。
 今回、5万分の1地図と登山用地図をよーく見て、どうやら赤(あかくら)の頭と屋敷山の頂上(1,460m)のほぼ中間にある標高1,675mの頂のそばから下る沢なのではないかと見当をつけた(赤瑤瞭、屋敷山の位置を示す地図は12頁に掲載)。
 
 その沢の上部のズームアップを見てみたい。
 
  
 2つの頂が見えるが、遠近関係があるので、実際のところ、どちらが高いのかは(登頂したことがない私には)わからない。
   *この原稿の下書きを登山経験者に見ていただき、伺ったところ、左の
    頂から右の頂にむかって下り坂で、右の頂の方が低いそうだ。
 ただし、左の頂と右の頂の間から沢が下っていることは明瞭だ。また、左の頂の左側にも沢があるように見え、それは2つの頂の間を下る沢に合流しているように思われる。
 
 この地点から車でわずか1分進むと、もう1つの絶景ポイントがある。その全体像を示したい。
 
 
 この地点も、紅葉期を含めて何度も撮ってきたが、これまでは沢の名前を承知していなかった。今回、地元の人は「白沢(しろさわ)」と呼んでいることを知った。
 
 
 ここでちょっと『栄村史堺編』(昭和34年刊)に掲載されている図(同書24頁)を示しておきたい。


 
 図で「白岩沢」と呼ばれているものが、地元の人たちが「白沢」と呼んでいる前頁写真のところである。
 前頁写真の中央を一直線に下ってきているのは、その上の方が図で「雪渓」と記されているもの、そして途中で写真右方から下ってくる沢(白岩沢)と合流し、さらに写真下方で鳥甲山頂上近くから下ってくる赤岩沢と合流する。図で「黒木尾根」と記されている尾根は、前頁写真では右側に落葉した樹々が見えるところである。
 少しズームアップしてみよう。
 
  
 図で「雪渓」と「白岩沢」と記されているものであり、この写真に見える頂が「白瑤瞭」(標高1,944.2m)であろう。
  
 ここで10月18日に撮影した写真を1枚、引っ張り出したい。
 
  
 これは上野原から撮影したものだが、「雪渓」が見えている。
 
 「雪渓」の部分を拡大すると、たしかに白いものが見えるが、雪だとは断定できるほどに画像は鮮明ではない。
 
 
  
 しかし、先の図で「赤岩沢」と合流するとされているあたりを拡大すると、確かに雪の断面が確認できる。
 
 
 
 
 10月18日の頃は、観光の推進のために鳥甲山の紅葉の少しでも綺麗な画像を確保したいという思いだけで撮影していたが、いくつかのきっかけから、「栄村の大地の成り立ち」ということに関心を抱くようになり、『村史』の自然環境に関する章を読んで、5頁に掲載した図と写真に撮ったものを対照するような作業をするようになった。
 まあ、そういう経緯は別として、景色をただ「綺麗だなあ」と思ってみるだけの場合と、沢の名前などが分かり、「ああ、白岩沢が真っ白だなあ」と思うのとでは、後者の方がより楽しい。もとより、私はやたらと知識をひけらかして説明しまくるタイプのガイドは好きではないので、ただ「綺麗だなあ」もいいのだが、少しは地名なども分かるほうがより面白いのではないかと思うのだ。
 
 さて、本筋に戻ろう。
 「白沢」の1枚目の写真を撮った地点は、林道が90度近く曲がるところ。そこを曲がり切って直線状の道を少し進んだ地点から振り返ると、こんなふうに見える。



 写真の右上に積雪が見えるところがあるが、このあたりが鳥甲山であろう。
 鳥甲山は、白瑤叛庠瑤鯆樟で結んだ線上にはなく、西方向に奥まったところに頂上があるので、この撮影地点からはあまりはっきりと見えないのである。
 そして、この写真では「黒木尾根」の全体像が見える。
 秋山の人によると、昔、マタギの人たちはこの黒木尾根を上って、鳥甲山の裏側に出たそうだ。
 
 カメラを少し右に振ったものも示しておこう。
 


 この記事の3枚目と4枚目の写真に見えた頂が真ん中に見える。
 左の頂が赤瑤瞭、右が屋敷山であろう。赤瑤瞭をズームアップしたものも撮れているので紹介しておきたい。
 
  
 鳥甲山の登山案内に、鳥甲山の頂上は展望がよくないのに対して、赤瑤瞭から屋敷山にかけての辺りについて「展望良い」とされている。さもありなんと思う。
 

 こういう写真を撮っていると、「来年は鳥甲山を縦走するぞ」と言いたくなるが、鳥甲山は「上級者向け」のコースとされている。65歳まで登山経験のない身で、「いまから鍛錬して挑戦してみよう」とは残念ながら言えない。
 それはともかく、次の1枚が、この地点からの撮影としては鳥甲山の頂上を最もよく捉えているのではないかと思う。
 
 
 
 この後、私は林道をさらに進み、切明温泉方面と志賀高原方面とに分岐するところ(三叉路)を志賀高原方向に進んだが、「白沢」を越えたところから、三叉路、鳥甲山のムジナ沢登山口付近の少し先までの間、林道から鳥甲山(連山)の姿を望むことはできない。
 秋山林道を進んで、今年の7月に残雪を撮影した2つの沢(2つのうち、志賀高原寄りのものがミズノサワ)の地点まで進むと、その沢の上の山を望むことができる。
 私自身、この日まで、沢の上に見える山が鳥甲山だと意識したことはなかったが、地図をしっかり見ると、間違いなく、それは鳥甲山である。
 
 次の写真が1つめの沢である。
 
 

 これは9時41分の撮影であるが、画像の具合から振り返るに、沢の真下、林道がカーブするところで撮影したものだと思う。
 その少し前、大きなカーブを曲がって、この沢が視界に入った直後に、望遠を効かせて山の上方を撮影したものがある。
 
  
 登山案内図で「小水の頭」と記されているあたりなのではないかと思われる。実際、秋山の人はこの沢を「小水(こみず)」と呼んでいるそうだ。
 
 
 つぎはミズノサワ。



 地元では、先の「小水」に対して、ここを「大水(おおみず)」と呼んでいるそうだ。
 
 ここでも、沢の上の山を望遠で撮っている。



 地図で見ると、小水の頭と白瑤瞭のちょうど中間点あたりではないかと思われる。「展望良い」と記されているが、たしかにそうだろうなと思える。
 
 
 撮影時間がいっきにぽーんと飛ぶ。午後2時45分、切明温泉から和山方向にむかって村道切明線を上って間もなくの撮影。
 

 
 南北に「くの字」型に連なる鳥甲連山を南南東方向から眺めたことになる。写真左側に最も高く見えるのが白瑤瞭。そして、その手前に2つないし3つの頭(頂)が見えるが、それが先の2つの沢の上に見えたものであろう。
 
 この日は、これまでは「鳥甲山の撮影」としてはカメラをあまりむけたことがなかった地点・方角からのものばかりを紹介した。これらの地点での撮影は、12月17日の本格的な降雪で、もはや来春まで不可能であろう。
 来春、林道に車が入れる状況になったら、すぐにでもこれらの地点からの撮影をもう一度やってみたいと思っている。
 
 ここで、昭文社発行の登山者用地図の鳥甲山に関わる部分を紹介しておく。私が進んだ林道も示されている。
 


 
 15日に撮影した写真は以上だが、鳥甲連山の全体を上野原から見たものがないと話が分かりづらいと思うので、12月2日に撮影したものを紹介しておきたい。
 

 
 写真中央よりやや左の高い頂が「白瑤瞭」、真ん中に見える大きな尾根が「黒木尾根」、その上の右に鳥甲山の頂上、そして右へ進んで「赤瑤瞭」、「屋敷山」と続く。
 
 さらにもう1枚、10月18日に、上のものとは撮影地点が異なるが、紅葉真っ盛りの時期のものを示しておきたい。
 
 
  
 「付録」として、『栄村史堺編』の鳥甲山に関する記述を引用紹介しておきたい。
 
 中津川をへだてて、苗場山とむきあって聳えているヘルメット型の峰であるが、北方には長く連なる尾根をはり、また東方には一〇〇米を越える絶壁がつらなり、近づき難い偉観をしめしている。
 この山は標高二〇三八米であるが、見事な断層崖の岩壁はアルプスの連峰におとらない山容をみせている。その深く刻み込まれた沢には盛夏でも幾つかの雪渓が、かなり低い処にまである。
 北に向ってはほぼ半円形に開いた谷があり、爆発と侵蝕によってできたカルデラであると考えられる。北東方に尾根がのび、北に転じて布岩山になり更に北方では高倉山となり、中津川にほぼ平行した山嶺をなしている。これに反して南方の尾根は短く、中津川の支流雑魚川に急崖を以てのぞんでいる。いったん雑魚川の谷できられるが、雑魚川をへだてて更に笠法師山(一九一九米)烏帽子岳(二二三〇米)裏岩菅山、岩菅山(二二九五米)というように嶺がつづいている。
 山頂はいちじるしく尖ったヘルメット型をし、東方は赤岩とよばれる赤褐色の岩壁及び白岩とよばれる青白色の岩壁によってめぐらされている。
 本火山の噴出の時代は、よくわからないが、侵蝕の状態より判断すると大岩山よりも古期のものと考えられる。東麓には最下部の火山岩屑流が発達する。これは灰白色粗雑な白岩溶岩の大小塊を含むほか、各種の安山岩、頁岩(けつがん)等の塊を含む角礫質(れきしつ)凝灰岩(ぎょうかいがん)で、これらは中津川左岸において基底の石英閃(せん)緑(りょく)岩をおおって厚く発達するだけでなく、その一部は川を越えて右岸にも見られる。大岩山熔岩との関係はあまり明らかではないが和山附近は大岩山火山岩屑流におおわれているようである。
 白岩熔岩はこの鳥甲火山岩屑流の上に厚く発達し、高さ一〇〇米を越える青白色の絶壁を二粁以上にわたって露出している。赤岩熔岩は白岩の北方にあり、岩石の分解度からみて、白岩より古いものらしく、複輝石安山岩が風化分解して赤色を呈しているのである。頂上を構成しているのは青灰色粗粒の複輝石安山岩である。
 東側は中津川の谷に向って大断崖をなしている。その下には崩壊物である岩層が扇形に崖錘をなしていくつか連(つらな)つている。黒木尾根をはさんで白岩沢と赤岩沢が流下し、この沢には雪渓がかなり下まで存在している。日本でこのように標高の低い箇処にまで雪渓のあるのは珍らしい。これは午後西日を受けることが少ないためである。白岩沢と赤岩沢は合して白砂川となり、屋敷部落南方で中津川に合している。
 戦前この山にはほとんど登られなかったが最近和山温泉から山頂への登山道が開かれた。大変急な坂を登るので距離は短いのに六時間もかかる。山頂から北へ尾根伝いに下ると志久見川上流の平太郎屋敷開拓地に達し、更に北野に至ることができる。
 東面のけわしさは第二の谷川岳といわれ、白岩と赤岩の岩壁は登山家をひきつけずにはおかない。頂上に近い部分には根曲竹、もに、つが、岳(だけ)樺(かんば)が生え、八月にはとんぼが多い。頂上の見はらしはよく、南は焼額山、かやの平、志賀の山山、それより南東に岩菅連峰、更に佐武流山から、特徴のある苗場の山頂、北西に頸城の山々、西に北アルプスなど一望することができる。


 
 長い引用は、以上で終わり。疲れを癒すには温泉が最高。切明の川原に湧き出る温泉を紹介して終わりにする。















鳥甲山など〜2015年12月2日〜



 見る者を圧倒する威風堂々ぶり。
 11月26日に見た鳥甲山よりも積雪が厚みを増し、山の中腹までおりてきている。
 日出山線から屋敷集落に向かう途上、矢櫃トンネルの手前にて。2日午前8時34分。




 こういうアングルの鳥甲山の写真はあまり見られないだろう。
 苗場山3合目駐車場と上野原集落を結ぶ道路から。10時35分。



 その少し前、3合目駐車場へ向かう道と小赤沢集落へ下る道との分岐点付近にて。




 秋山郷観光案内地図の一部で「展望台」(現在は使用不能)と紹介されている場所のすぐ近くにて。
 鳥甲連山の全貌を見渡せる。
 頂が3つ見えるが、左から順に、白倉山、鳥甲山、赤倉山。いちばん威風堂々としているのは左の白倉山。鳥甲山はこの角度で見ると、小さな頂だが、最も高いことはわかる。白倉山と鳥甲山の間に見えるのは剃刀岩。
 私はじつは、この写真の左下に見える西ノ平というところの紅葉風景がとても気に入っている。それと鳥甲山をワンセットで捉える紅葉写真を撮りたかったが、今季は行った時が逆光でいいものが撮れていない。来季に再挑戦したい。



 この日、1枚目の写真を撮った時からずっと私の目をひきつけ続けたものは白倉山の中腹の景色。
 岩肌に雪が載る姿の下に見えているものは何なのだろう?
 クローズアップしてみると、落葉した中腹の樹々が雪の白色とのコントラストで紅葉に勝るとも劣らない独特の美しさを見せている。



 対照的に自然の厳しさを見せつける白倉山の岩肌。




 天池と鳥甲山。
 天池はやはりこの位置がいい。




 あえて池の水面だけを撮ってみた。
 鳥甲山の頂が確認できるだろうか。




 屋敷集落の道が凍りついている。午前8時57分。




 小赤沢集落の坂道にも水が流されるようになった。




 ブナのトンネル。
 完全に落葉した姿もまた素敵だ。
 

鳥甲山の初冠雪



 11月26日午前11時35分、上野原集落からの撮影です。
 野々海池では11月24日夜に初降雪がありました。27日にはスキー場が今季初めて真白に。夕刻には「トマトの国」でも降雪に出会いました。
 暖冬だと言われていますが、暖冬予想と少雪とは必ずしも同じことではないそうです。
 鳥甲山の雪姿は綺麗ですね。これも大切な観光資源です。