プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< April 2020 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

秋山の空と人



 今夜の「報道ステーション」の天気予報コーナーで、「今日は滅多に見られない青空だった」と言っていた。
 私は今日、秋山での配達に出向いたが、いままでに見たことがないような景色だった。いちばん印象的だったのは樹々の緑の色がじつに爽やかだったこと。それも、青空、そして空気の澄み具合がひき立ててくれたのかもしれない。
 上の写真には雲も見えるが、この空の青さはそうそう頻繁に撮れるものではないと思い、数多い今日の写真の中から選び出した。
 撮影場所は、布岩の近くで、布岩の裏手に入り込んだところ。
 じつは、先日、屋敷の山田由信さんから、「東電が水を運ぶ隧道を掘る時に使った『電車』の跡がある」とお聞きした場所に行ってみたのだ。
 その「電車の跡」と、その地点にむかう道からの布岩の眺めを次頁で紹介する。



 「電車」施設の跡であることは間違いないが、どういう性格の構築物なのかはよくわからない。これから夏にむけて、さらに木が繁り、立ち入りが困難になるかもしれないが、もう少し現地調査をしたいなあと思う。



 真ん中に見えるのが、布岩の横姿であることはおわかりいただけると思う。
 ここまでの3枚は午前10時50分〜11時のもの。



 10時半すぎ、「ブナのトンネル」でブナ林の中に入って、天を仰いでみた。



 午前11時すぎ。布岩の横手から出てきて、道路上から撮ったもの。
 少し雲が浮かんでいるのがかえっていいと思う。



 「撮りたい」と今日いちばん強く思ったもの。秋山小の前にて。学校では、


 ただ一人の在校生、福原弥夢くんが先生と一緒にローラースキーの練習に取り組んでいた。午後1時半すぎ。


 続いて、屋敷集落で出会った人を3人。それぞれの方との会話の内容、プロフィールは別の機会に紹介する。ひとまず、その素敵な表情をご覧ください。









 屋敷集落のあるお家の畑から撮った1枚。贅沢な景色だなあと思う。



 午後3時すぎ、秋山からの帰り、清水川原スノーシェッドの手前にて。
 405号線を下るのは選挙告示日の4月19日に秋山に行った時以来。まるで景色が変わり、「これ、いったい何処?」と思ったほど。







 

この景観を最大限有効に活かそう!


鳥甲連峰・赤瑤瞭(あかくらのかしら)付近から下る不動滝。
秋山林道の屋敷〜切明間で間近にみられる。




白沢(しらさわ)から望む鳥甲連峰。真ん中が白瑤瞭(しろくらのかしら)。その急崖はアルプス級の絶景だ。


秋の白沢からの眺め。(昨年10月14日)


不動滝の秋の眺め(昨年10月14日)




不動滝、そして鳥甲山を眺める:2016年3月4日



 この時期にまさか見られるとは思ってもいなかった景色。鳥甲山から下る滝だ。この後に紹介する白沢のすぐ近くで、地元の人たちは「不動滝」と呼んでいる。私が大好きなポイントの1つ。4日正午すぎの撮影。
 背後に見える頂は鳥甲連峰の赤(あかくら)の頭(かしら)と屋敷山の間にあるもの。
 今年初めに「栄村復興への歩み」で紹介している昨年10月と12月に撮影した同地点の様子を紹介する。
 
 
昨秋10月6日撮影

          昨年末12月15日撮影

 これに加えて、膨大なデータのどこかに埋もれている紅葉最盛時の1枚を探し出せればベストなのだが、とりあえずこの3枚だけでも季節による景色の移り変わりは充分に楽しめるだろう。
 
 3月4日(金)、秋山郷に行き、屋敷集落を巡っていて、林道に抜ける道が開いているのが目に入った。まずは「林道まで行けるのだろうか」と思いながら進むと、林道も雪が割られ、道が開いている。どこまで進めるのか、わからないが、切明方向に進んだ。結果からいえば、切明温泉まで開いていた。その途中、この不動滝を見ることができたわけである。
 
 この不動滝の近くで鳥甲山そのもの、そこから下る沢の凄さを眺めるとなればやはり、不動滝からほんの少し切明方向に進んだ地点、白沢(しらさわ)が最高である。
 
  
 白沢は毎年、雪が雪崩れ、消えるプロセス等で相当の石、土砂が落ちてくるところで、写真に見えるように砂防えん堤がいくつも造られ、不動滝とは趣が異なるが、鳥甲連峰を間地かに見るという点ではいいポイントだ。白沢直下よりも、そこからほんの少し切明方向に道を進み、振り返ると、写真の眺めになる。
 真正面に見えるのは白瑤瞭。鳥甲山はこの位置からは写真右上方に隠れている。
 白瑤瞭から雪渓、白岩沢が下っているのが見え、さらにその右に鳥甲山につながる黒木尾根が見えている。写真手前の緑の林の向こう側に見える尾根が黒木尾根である。その右手を赤岩沢が下り、写真中央の枝の先が赤く見える木々の向こう側で白岩沢と合流し、白沢となり、砂防えん堤が見えるところに下ってくる。



  
 白瑤瞭とそこから下る沢の様子は圧巻だ。



 同じ4日の午前、天池近辺から撮影した鳥甲連峰の姿を紹介しておこう。


 

栄村復興への歩みNo.278

秋山郷が動き出している!!
 
 2月20日(土)午後、秋山の「とねんぼ」で「秋山郷の未来を語ろう会」が約40名の人たちの参加で開催されました。秋山の20代〜40代の若者15人が昨年末に結成した「GO会」の主催によるものです。



 写真は、「GO会」の会長・山田裕樹(ゆうき)さんからの「活動計画について」の報告と福原直樹さんからの「スノーエンジョイふぇすていばるイン秋山」の提案をうけて、3つのグループに分かれてのフリートークが大いに盛り上がっている一場面です。

ワケショが意気込みを語る⇔年輩者が知恵と思いを伝える
 フリートークは3つに分かれて行われましたので、取材に訪れた私はすべての話し合いの内容を聞き取れたわけではありませんが、非常に印象に残ったのは、ワケショの熱い意気込みを受けて、年輩の人たちが秋山郷に引き継がれてきた色んな知恵などを語り、ワケショがそれに熱心に耳を傾ける、そういう若者と年輩者のやりとりでした。
 これまで村内で開催されたワークショップを数多く体験してきましたが、若者と年輩者の間でのこれほど活発で熱いやりとりを目にしたのは初めてのことです。


熱く語る島田福一さん(右端)、食い入るように話を聞く阿部豊和さん(左端)

大事な地域行事は守られる
 「語ろう会」が開催された20日の午前中は秋山小グラウンドで第26回秋山校区合同雪上運動会が開催されました。大盛会でしたが、秋山小は今年3月末で閉校。「来年以降、雪上運動会を続けられるのか」という心配がありましたが、GO会がその継承を力強く宣言しました。
 また、夏の盆踊り大会になかなか人が集まらないという問題もフリートークで出ました。打開の妙案がすぐに浮かんできたわけではありませんが、ワケショと年輩者が知恵を出し合う活発な議論が行われました。
 人口減少の問題もあります。しかし、週末には秋山に帰ってきて地域行事に熱心に参加する若者やそのお子さんの姿も多く見られます。「外に出ている仲間」と手をつなぐということは非常に大事なことだと思います。「GO会」が平素は秋山以外のところで暮らす秋山育ちの若者も含めて結成されていること、「仲間をどんどん増やそう!」、「出られる時に無理なく参加!」を「決まり事」としていることも、地域の伝統行事の継続に大きな力を発揮するでしょう。


写真は長野市で暮らす関大輔さん。秋山の行事では姿をよく見ます。お子さんも参加しておられました

秋山郷での子育て環境の形成への大きな第一歩
 「語ろう会」でもう一つ、重要なテーマとして語られたのは「秋山郷で子育てができる環境づくり」です。
 「秋山で子育てをしているが、子どもが熱を出した時、すぐ近くにお医者さんがいないので不安」という切実な声も出ました。また、「語ろう会」には1月に福原一男さんと結婚された千鶴さんが参加され、さらに地域に根づこうとしている地域おこし協力隊のメンバーも議論に熱心に耳を傾けていました。
 秋山郷での子育てには、親が秋山郷で仕事をして稼げるということが大前提。これについて年輩者からもいろんな知恵・提案がありました。
 すぐに何かの産業が育つというわけではありませんが、課題解決にむかっての大きな第一歩が踏み出されたというのが私の感想です。


写真真ん中が福原千鶴さん。左は地域おこし協力隊の木村敦子さん

 後日、「語ろう会」参加者の顔ぶれについて詳しい説明を関係者からお聞きしましたが、「GO会」のワケショだけで森林組合に勤める人が少なくとも二人おられるんですね。また、広い意味で山に関係する仕事を担っているワケショもおられます。秋山の最大の資源はなんといっても山です。栄村一般ではなく、秋山地区の山をめぐる森林政策(狭い意味の林業だけでなく、山菜の活用や山を活かす観光の問題も含めて)を形成していくことが仕事創出のうえで大事なのではないかという感想を抱きました。
 また、「秋山郷という名はよく知られるようになったが、アピール(情報発信)が少ない」という声が多く聞かれました。ささやかですが、「復興への歩み」等でも秋山郷の情報を増やして、協力したいと思います。
 秋山郷で始まった大きな動き、今後も取材・報告を続けていきます。


「語ろう会」の資料。








4枚の写真は雪上運動会の様子です(かんじきリレー、暖をとる人たち、くねくねフープ、ノルディックの前走をする斉藤充子先生)。
 

新年の風景二点



新年2日朝7時12分、日の出をうけて一瞬赤く染まる鳥甲山




新春の陽光を浴び、光り輝く布岩(2日正午すぎ撮影)


様々な姿を見せる鳥甲山



 鳥甲山を真正面から捉えたもの。2日午前11時8分。
 次は、定番的な構図。
 


 「天池」から。2日午前10時33分。
 いま、「天池」には雪の中を歩いてしか行けない。元旦も同じ地点まで歩を進めたが、鳥甲山の姿はほとんどまったく見えなかった。そういう時の一枚も撮っておきたかった。元旦午後0時17分。
 
 
  
 池のむこうの林の上に山裾がうっすらと見えるが…。
 
 
 
 いちばんのお気に入りポイント。2日午前10時38分。
 写真データを整理していて驚いたことがある。
 下は上の写真のほんの少し前(秒単位の違い)に撮ったもので、ズームアップの程度に少し違いがあるが、写真右手に見える屋敷山の積雪の様子がかなり異なって見える。



 私が歩いてきた雪道が右手前から奥にむかって続く。これからまた、この道を戻る。





 さて、元旦の朝は雪が降っていた。そんな中、下写真のような道を進んで秋山郷にむかったが、鳥甲山の姿はほとんど見えない。
 
 
 
 
 午後1時48分、切明温泉の上空に青空が広がり始めた。鳥甲山の姿も少し見えてきた。
 
 
 
 
 午後4時少し前、青空が全面的に広がっているのを確認して、上の原あたりまで行ってみようと思い、切明を出た。
 
  
 右上に鳥甲山の頂上が見え、鳥甲の連峰が弓弧状になっている。
 そして、白堯祖珊辰範△覆詆分は上部が直立に近い断崖壁であるのに対して、下の方はなだらかになり、まるですり鉢のような姿を見せる。
 下のアングルを12月20日に初めて撮った時も驚きであったが(下写真は元旦撮影のもの)、上のアングルの姿はある意味でそれ以上の驚き、「新発見」である。
 元旦午後4時3分撮影。
 
 
 
 
 
  
 午後4時29分。栃川橋付近にて。
 
  
 午後4時39分。
 和山附近にて。
 
 
 
 2日朝6時40分すぎ、空が白んできたことを確認して切明を出発。



 上は7時3分撮影。
 空気が澄んでいるなあ、という印象。稜線がくっきりと浮かび上がっている。
 この撮影から間もなく、車を運転しながら、ふと目を山に向けると、思わず「えっ!」と声をあげてしまうものが目に入った。慌てて車を停め、カメラを構えた。


 
 ほんの一瞬のこと。
 「鳥甲山の頂上が真っ赤に染まる様子を撮りたい」と思い、急ぎ車を走らせたが、もう遅かった。私の記憶では山頂が朝陽で赤く染まったのは一分間程度だったのではないだろうか。地元の人に聞いたところでも、ほんの短い時間しか見えないとのことであった。
 
 
  
 上下ともに「和山集落と鳥甲山」。ほぼ同じ地点での撮影だが、上は7時15分。下は10時7分。随分と雰囲気がちがう。
 
 
 
 秋山で宿泊しながらの撮影は初めて。時間帯や方角によって姿・形を自在に変化させる鳥甲山を堪能した。


お正月に秋山郷の最奥の地・切明温泉を訪れる人たち




 元旦から2日にかけて、私は秋山郷の最奥の地・切明温泉を訪れていた。
 昨年末、切明温泉「雪あかり」のご主人・高橋規夫さんから「年末年始は満室です」とお聞きした。「雪の季節、わざわざ秋山郷の最奥の地を訪れる人たちは何を求めて来られるのだろうか」。それを知りたくて、元旦朝に405号線を切明に向かった。
 午後1時半頃に切明に着いてすぐに、その答えの一つに出会った。
 上の写真、木の枝に積もる雪が見えるように、間違いなく雪の中での1枚だが、写真中央に見えるのは水着姿のお二人。「川原に湧き出る温泉」である。お二人が宿に戻って来られたのは、私が青空になってきた山の風景を撮影しようと外に出た午後4時前のことだったように思う。
 翌朝、お二人に尋ねてみた。
  「どれくらいの時間、温泉に入っておられたのですか。」
  「3時間くらいかな。」
  「のぼせませんか。」
  「ときどき、雪に頭を突っ込んだりしましたね。」
 切明の湯は江戸時代にひらかれた歴史ある名湯。川原の湯か内湯かの違いはあれ、お客さまは“秘湯”を求めて来ておられる。
 



 夕食風景。
 今年は暖冬。雪が消えた時、フキノトウが採れたということで、夕食にはフキノトウの天ぷらも登場した。




 30日から二泊の予定で来られた習志野ナンバーの人にもお話をお聞きした。
   「正月を切明で過ごすのはもう4回目ですかね。」
   「スノーシューで人が入っていないところに行ったりしま
    す。今年は東電のダムがあるところまで行ってきました。」


 
 玄関脇にズラッと並ぶお客さまの車。
 三分の二の人が自家用車で来られる。今回出会った最も遠くのナンバーは「大阪」と「滋賀」だった。
 自家用車ではない人たちは南越後交通のバスで和山まで来られ、宿が和山まで出迎えに出る。
 帰りは年末年始、午前10時台のバスが運行休止のため、ご主人が津南役場前まで車でお送りする。
 車で来られる人に、「ここまでの道は大変ではないですか?」とお尋ねしてみた。やはりかなり厳しい道だと思っておられる。でも、それをも乗り越えて、やって来たいという魅力がある。車がズラッと並ぶ様子はそのことを物語っている。
 
 
  
 元旦、昼0時50分、和山温泉での一枚。
 切明温泉・雄川閣の車が5〜6人のお客さまを送ってきた。バスの中にその人たちの姿を認めることができる。
 元旦の夕刻、雄川閣の駐車場にもズラッと県外車が並んでいた。
 
 
 元旦の午後1時すぎ、切明温泉から和山に通じる道路上で鳥甲山の姿を撮っていると、後方から「サクッ、サクッ」という音が聞こえる。「何だろう?」と思って振り返ると、ランニングする人がやって来た。



 まるでボクサーがロードワークをしているような感じだったので、「ボクサーがキャンプしているのかなあ」などと思ったが、宿に着いてからこの人のことがわかった。
 年末の30日から正月3日まで「雪明か
 り」の手伝いに来ているアルバイトの27歳の青年。妙高にある国際自然環境アウトドア専門学校の学生さん。
 昨年夏、「雪明かり」でアルバイトをし、今回は「雪明かり」からの求めに応じて応援にかけつけられた。今回は彼女も同行。大晦日は休憩時間に二人で、東電切明発電所に落ちる導水管のある山に登られたそうだ。夏は苗場山を1時間45分で登ったという記録も持っておられる。
 素顔はこんな柔和な感じの好青年。
 
 
 


 
 「川原から湧き出る温泉」に通じる吊り橋。雪が少ない今冬とはいえ、たっぷりと雪が積もっている。
 宿で水着に着替え、その上に浴衣を着て、さらにコートを重ねて向かうと、すぐにお湯に入れる。
 帰りは体中がポカポカしていて、まったく寒くないという。浴衣が濡れてもいいように、宿はそれぞれのお部屋に浴衣を一人あたり2枚ずつ用意している。
 
 
 
 
 朝食風景。
 お雑煮は搗き立てのお餅入り。大根おろし餅やあんこ餅もいただける。
  
 お客さまも餅つきができる。
 浴衣姿の女性やお子さんも挑戦されていた。



 
 お正月から次の年末年始のことを言うのは早すぎるかもしれないが、来年のお正月、切明温泉でお迎えになってはいかがでしょうか。
 

朝日に一瞬赤く染まる鳥甲山








 1月2日朝7時12分の鳥甲連峰。
日の出の光をうけて、一瞬、山頂だけが赤く染まります。
1枚目、2枚目の写真の奥に鳥甲山山頂が見えています。
こんな素敵な朝焼けを事前には知らなかった私。
鳥甲山を正面から撮りたいと思い、慌てて車を前に進めましたが、そのときはもう一瞬の朝焼けはすでに終わっていました。
1枚目の写真をメール年賀状に使いました。


秋山郷の冬が楽しい

 “秘境”と呼ばれる秋山郷。
 とりわけ雪に閉ざされる冬の秋山郷は訪れるのもたいへん。つい4〜50年前、秋山の小学校に赴任した教師たちは歩いて秋山郷に向かわざるをえなかったと言われるが、現代は誰でもその気があれば、冬でも車で向かうことができる。
 しかし、相当の蛮勇がなければ車を進められないという一面もなくはない。


 
 津南町の大割野交差点を右折して国道405号線に入ってから約10分。見玉集落を過ぎ、前方に東京電力中津川第2発電所へ真っ逆さまに下る導水管を前方に見つめながら左にカーブを曲がると、車1台が通るのがやっとという狭い道になる。
 右手は、今年はまだ低い雪の壁を挟んで、中津川の深い峡谷。左手には高い山の壁が迫る。しかも路面は傷んでいて、注意しないとハンドルをとられかねない。上の写真では、「雪の壁」が幅広いように見えるが、峡谷に下る雪に急斜面も写っているので幅広く見えるだけ。車を右へ滑らせてしまえば、ひとたまりもない。
 スノーシェッドに入ると一安心だが、清水川原橋を過ぎると、前倉橋まで約15分間くらいか、くねくねと上ったり、下ったりの狭い山道が続く。


 
 まるで水墨画の世界と呼ぶにふさわしい景色だ。清水川原橋を越えてすぐのところで、離合のためのスペースに車を停めて撮影した。私が進む道が写真右手の断崖上に細く見えている。
 
 だが、難業の後には素晴らしい世界が待っている。
 

 
 モノクロの世界に突然、鮮やかな朱色の橋が現れる。
 前倉橋だ。
 純粋の風景写真ではなく、あえて若い女の子が立つ1枚を選んだ。松本市からやって来たというカップル。
 橋を渡って坂を上る車2台も見えるが、いずれも名古屋ナンバーだった。
 まさに“秘境を訪れる人たち”だ。


 
 前倉橋のすぐ近くでは、“ツララの簾(すだれ)”が見られる。
 手前の坂道には水が流されている。道路の凍結防止のため。大赤沢(おおあかさわ)の手前から1km以上にわたって、くねくね曲がる急な坂道を下ってくる。
 道路に水を流す、いや「川にする」というのは、秋山郷を訪れて最初に出会う秋山ならではの暮らしの知恵である。
  
 坂を流れ下った水は前倉橋手前でいっきに中津川に落とされる。
 松本市のカップルの女の子が「ねえ、凄いよ!」と言い、彼氏も一緒に珍しそうに覗き込んでいた。
 
 
 
 
 国道405号線は大赤沢を過ぎて間もなく、その名も「さかいばし」という橋をこえると、栄村に入り、小赤沢集落に着く。
 
 
 天気がよい日は眼前に屋敷山、そして鳥甲山が広がるが、今日は雪がチラつき、低い雲が垂れこめる。でも、こういう景色もまた冬の秋山らしくていい。
 突然だが、10月14日に回帰する。





 山田一二三さん宅のはぜ掛けだ。
 写真下に見える国道405号よりも一段高い石段の上、西向きの家の北側側面に組まれている。
  
 はぜ掛けの一角に人ひとりが十分に出入りできる“穴”が開けられていた。村の随所でいろんなはぜ掛けを見るが、こんなものを見たことがない。面白い。


 
 さて、雪の季節になった。この“穴”はどうなったか?


 
 水が流れ下っている。
 一二三さん宅は玄関前、北側、東側と家の周りに水がめぐらされ、雪がどんなに大量に降ろうとも融かされる仕組みになっているのだ。
 
 
 
 
  
 豪雪の地で暮らす人の知恵である。
 
 
 小赤沢にはこんなところもある。
 
 
 
 
 
 
  
 雪がない季節でも車で下って行くのがおっかない曲がりくねった急坂。
 いずれも運転席から撮影したが、2枚目のようにヘアピンカーブもある。
 雪の季節にこの急坂を下るのは今日が初めて。「雪で滑るだろうな。怖い。」と思いながら向かうと、道に雪はない。水が流されているのだ。
 小赤沢集落のいわばメインストリートとでも呼ぶべき道路に水が流されているのは以前から知っていたが、集落内の随所にこんな工夫が張り巡らされているのには感心した。これは「車の時代」になってから工夫されたものであろう。
 上写真の左上隅に人の姿が小さく見える。年末年始を実家で過ごすために森集落から帰ってきている吉野さん母子。少年はたしか小学校2年生とお聞きしたと記憶している。
 
 
 雪国の子は力強い。これだけの量の雪をいっきに押し出すことなど、都会生まれ・都会育ちの人ならば、成人男子でも容易ではないだろう。
 
 小赤沢での「復興への歩み」の配達を昼すぎに終え、つぎに屋敷集落にむかった。



 これは国道405号線から屋敷集落に入る直前のところ。
 写真奥手が小赤沢方向だが、そのカーブのところから屋敷集落の全景を撮影してみた。
 
  
 手前を流れるのが中津川。川沿いには温泉宿が立つ。集落の家々の多くは山裾のわずかな空間に階段状に立ち並ぶ。
 
 家々が山裾に立ち並ぶゾーンでは道という道のすべてに水の流れが張り巡らされ、雪は融かされ、朝晩に凍てつくこともない。その“システム”のスケールは小赤沢の工夫をも超えるものである。
 
 
 
 
  
 面白いのが“分水嶺”。
 上写真の道路の少し手前、道路が上りから下りに変わるところがある。


 
 写真真ん中右手から水が引かれていて、写真奥手の方と手前方向の二手に水が流れるようになっている。
 軽トラ1台が通るのがやっとの狭い道。「冬はどのようにして除雪車が通るのだろうか?」と不思議に思っていたが、こんな仕掛け・工夫で除雪要らずになっているのだった。

 
 屋敷集落といえば、やはり紅葉が有名な布岩である。
 雪の季節はどんな様子なのだろうか。
 
  
 時折り雪が舞い、山の上には雲がかかっているが、布岩の全景がほぼ見える。
 
 紅葉の季節に布岩の直下から見上げるところをズームアップしてみた。
 
  
 モノクロの世界で柱状節理を雪の白色がくっきりと浮かび上がらせている。紅葉に勝るとも劣らない美しさだ。
 
 
 道が変わる!



 屋敷集落の中で広い耕地が広がる北原地区のあるお家。白色で判別しにくいが写真右側に雪を踏んで道がつけられている(積雪期、家に入る道などで、雪を踏んで道をひらくことを「道つけ」と言う)。
 このお家の玄関は写真に白のカーテンが見えている窓の下。いつもはそこに向って、この撮影地点からまっすぐに石段を上って行く。
 でも、雪が積もると道が変わるのだ。真ん中に見える建物(倉庫)の裏へぐるっと廻り込んで玄関に辿り着くのだ。
 冬に道が変わる家はそんなに多くではないが、ちょこちょこある。
 
 同じく北原地区での1枚。前方に家が1軒見える。山田信一さん宅。



 この撮影地点からは見えないが、信一さん宅の向こうにもう1軒ある。
 除雪車が入り、車で行ける。さらに信一さん宅前はロータリーで雪がきれいに飛ばされていて、家の前まで車で乗りつけられる。
 
 秋山郷の家々のほとんどには注連飾りが見られた。同じ栄村でも、秋山地区以外の地域ではそんなに数多くは見ない。
 
 
 
  
 屋敷での配達が終わりに近づいた午後2時前、東の空が晴れてきた。



 写真は午後2時ちょうど、国道405へ上がる途中にて。

 
 続いて、上の原集落にむかった。
 鳥甲山は依然として雲におおわれ、姿のほとんどが見えない。
 でも、こんな感じもいいのではないだろうか。
 
  
 雲の中から雪渓がググッと下ってきている。黒木尾根も晴れ渡っている時以上の迫力を感じさせてくれる。
 
 
 
 上の原で高齢の男性がお一人でお住まいの家に向かう道。
 まさに足で踏んだだけの道つけ。
 青空が見えたせいか、ここを進む私の気持ちは軽やか。ふと、「現代のテクノロジーとは無縁の世界。こういうところにこそ、人間らしい暮らしがあるんじゃないか」なんて思いが私の胸のうちに浮かんできた。
 
 
 切明温泉の吊り橋のところに1台の車が停まっていた。
 吊り橋上から見ると、男性二人の姿が川原に湧き出る温泉に。小雪もちらつく中、さすがに裸になっての入浴ではなかったが、足湯をされていたようだ。


 
 吊り橋には雪が相当積もっているが、かなりの人が歩いた跡が見える。
 
 
 
 
 
 
 栃川橋近くの道路に水が流されているところで車を停めたときのタイヤまわりの様子。
 水の勢いがよくわかるのではないかと思う。
 
 

 
 切明から和山を経て上の原〜小赤沢方向に向かう途中、猟犬風の犬と人の姿が眼前に現れた。「えっ? 何?」と思いながら通り越し、少し進んだ先で停車して撮ったのがこの1枚。
 秋山郷の雪はスノーパウダーなので犬も雪と戯れるのが楽しそう。
 少年の笑顔も素敵だ。相澤博文さんのお孫さんたちだった。
 
 
 最後に、切明から和山にむかう途中、もう陽が沈みかける午後4時19分の鳥甲山の様子を1枚。白瑤瞭の下の断崖壁のところだ。
 

 
 (了)

渋沢ダムから切明発電所に荷を運ぶヘリ



 今日20日、午後1時30分、切明の川原から湧き出る温泉で取材中に撮影したもの。
 東京電力の切明発電所のために取水している中津川・渋沢ダムから工事用の資材を切明発電所敷地に空中搬送するヘリ。この画像に写っている荷は工事現場用のコンテナ。
 
 
 
  
 私は1時すぎから3時半頃まで切明に滞在したが、その間、ひっきりなしにヘリの音が聞こえた。
 つぎの写真は、発電所敷地の上空でホバリングしながら荷を降ろし、吊りロープを垂らしたまま再び渋沢ダム方向に飛び去る様子を撮影したもの。
 
 
 
 
 
 
  
 中津川は群馬県に属する野反湖から始まる。だが、野反湖は発電のためにダムで堰き止められてできた人造湖。その野反湖と切明の間に渋沢ダムがある。5万分の1の地図で位置を示す。
 


 赤丸を記したところが切明発電所。
 地図の下に野反湖が確認できる。
 地図に渋沢ダムは記されていないが、青色でマークしたあたりに所在する。ここから切明発電所の後方に位置する山の頂上まで水を送る隧道が走っている。地図にはそのコースが青色の破線で印されている。
 
 
 
 切明発電所への吊り橋。後方の山の頂上から黒っぽく線状のものが見えるが、これが発電のために水をいっきに高い処から低い処に落とす導水管。
 
 切明の川原に湧き出る温泉に入ると、前方にぽっかり開いた穴が見える。
 
 
 これは、野反湖〜渋沢ダム〜切明発電所を建設する際のトロッコが走ったトンネルの跡。
 
 なお、切明温泉に向かう時に津南町から入る国道405号線は切明で行き止まりになるが、こういう行き止まりの道は通常、国道として認められない。「計画」上は405号線は切明から野反湖までつながることになっている。実際、野反湖から先、群馬県内を405号線が走っている。そして、国道405号線は「群馬県吾妻郡中之条町から新潟県上越市に至る一般国道」とされている。
 「鉄道マニア」ならぬ「国道マニア」にとっては興味津々の路線ではないかと思うが、講談社現代新書の佐藤健太郎著『ふしぎな国道』では残念ながら取り上げられていなかった。
 
 話を今日のヘリによる搬送作業に戻す。
 事情を知る人に聞いたところでは、昨19日に搬送が予定されていたが、悪天候で中止。好天に恵まれた今日の一日でいっきに作業を終わらせるため、昼食休憩もなしで作業が行われたそうだ。
 渋沢ダムでは今年、相当大規模な補修工事が行われ、先に写真を示した現場事務所用のコンテナだけでも4基持ち込まれていたらしい。
 切明から渋沢へは徒歩では行けるが、工事関係者は現場へ歩いて行き、泊まり込みで作業されたのであろうか。
 世の中、一般の人間では想像しがたいことが行われているのである。