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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌1月20日〜31日

20日(水) 朝から降雪。家の前の国道を除雪車が頻繁に通り、賑やか。かなり荒れた天気だが、明け方くらいからの降雪なのか、積雪はたいしたことがない。
 9時すぎにちょっと出かける時、久しぶりに車庫の前の除雪をした。その時の国道の様子が下の写真。



 No.275の印刷などを行ない、11時ごろに飯山にむけて出発。データを保存する2.0TB(テラ・バイト)容量のUSBが満杯近くなったので、それを購入するため。
 飯山方面の国道は大型車がつくった轍の幅が軽トラには合わないので走りづらかった。往き帰りの過程でいろんな写真が撮れて、夕刻に「今日は荒天」という写真アルバムをブログにアップ。
 配達は青倉を中心に44軒・62部。
 一日中降っても積雪はほとんど増えていない。今夜は積もるのだろうか。

 
21日(木) 未明から朝にかけて、「久しぶりに積もったなあ」という感じ。夜、「久々に『積もったなあ』という感じ」というタイトルのブログ記事をアップした。
 配達は135部。
 今日の印象的な出来事は、切欠集落の坂の上の3軒に行くために、集落の上から入って歩きで坂を下る時に滑ったこと。新雪がそこそこにあり、その上を歩いていて、いきなり滑った。どうやら新雪の下にシャーベット状の雪があったよう。横向けに滑ったので、怪我をするようなことはなかったが、今冬、歩いていて滑ったというのは初めて。下写真のところで、写真手前に私が滑った跡が写っている。



 昼頃、北野天満宮を通過する時、車を天満宮に停めて、「学問の橋」まで歩いて行った。なかなかいい景色。



 
22日(金) 今日は「お米のふるさと便り」の編集作業が主で、配達は18軒のみ。
 ほぼ一日、雪が降り、午後は積雪が増えた。青倉集落では雪害救助員が今冬初出動していた。印象的な写真9枚でブログ記事「おお、栄村だ!」を編集・アップ。
 夕刻、訪ねた家で話し込み、暗くなってから天地〜野口間、さらに天代坂を下った。野口の手前のカーブは以前からよく滑るところだと自覚しているが、今夜もよく滑る状態だった。ブレーキを踏まずに、ひたすらハンドルを切って曲がって行けば滑らないで済む。でも、「雪が降る日は早めに家に入り、車で走らないようにせよ」ということを久々に思い知った。下の写真は午後6時すぎの天代坂の様子。




23日(土) 昨夜は雪がやみ、今朝は「除雪なし」かと思っていたが、中条の集落内道路には朝の除雪が入った(除雪車が来た時には気づかなかったが)。車庫前の除雪をして、9時半頃に配達に出た。
 今日の配達で廻った集落の中には今朝の除雪車出動がなく、かなりの雪が残っていて走りにくいところがあった(写真下)。



 こういう違いがあるのはどうしてなのか? 不思議だ。たしかに以前に聞いたことがある出動基準(積雪15cm以上)には満たない積雪であるが、高齢者が増えている現在、こういう状態では高齢の人が家から出ることを困難にすると思う。昨年の12月〜1月のように大雪の日が続き、除雪車の出動が間に合わない場合なら別だが、今冬のように除雪車の出動に余裕がある場合、もっと高齢者が暮らしやすい村にするという観点からのきめ細かい除雪対応が求められると思うのだが、どうだろうか。

 午前中、主に平滝、白鳥を廻り、76軒。昼食の後、限られた軒数を廻って、今日はあがるつもりだったが、「今日中に届けておかなければ」というところを思い出して、結局4時前まで配達を続け、今日は153軒。経験則的に言うと、135軒を超えたあたりで体がきつくなる。今日は相当に疲れた。
 さて、明日はどんな天候になるのやら。

 
24日(日) 詳しくはブログ記事を三度にわたって記したが、目まぐるしい天候の変化。簡単にいえば、吹雪→ぬけるような晴天→吹雪。
 しかし、これでようやく栄村の冬らしい景色に少し近づいたともいえる(下写真は私の住む家の裏手。屋根から落ちた雪で1階は埋まった)。



 今日はもともと荒天が予報されていたので、午前中、「復興への歩み号外・小赤沢集落版」を編集。
 午後は急遽依頼された仕事。午後1時半頃から5時頃までずっと屋内での仕事だったので、2時〜3時頃の最も激しい降りは写真を撮れず。「どんな時でもカメラを持ち歩かねば」と反省。

 
25日(月) 朝9時台が最も激しい降雪だっただろうか。
 朝、集落内道路にも除雪車が入ったが、本格的な積雪はその後。午後3時半頃に家に戻ると、もう1回除雪が入っていて、車庫の前には除雪車が道路脇に残す固い雪がビッチリ。それを片づけ、車庫前に車を停められるスペースを確保。
 今日も昨日に続き、依頼された仕事が入った。朝9時までに今日発送しなければならない米30kgの精米と箱詰めを終えて、9時頃から依頼仕事へ。
 今日、箕作でお葬式があり、仕事の途中で、葬儀会場に向かうバスを吹雪の中で待つ人たちの姿を見た。「こんな激しい雪の日にお葬式なんて大変だなあ」と思う一方、「雪国に生まれ、雪国で一生涯を終えた人の野辺送りにはこういう日こそふさわしいのかも」とも思った。
 雪が完全にやんだ夕刻、温泉の帰りに「トマトの国」から撮った1枚。こんな素敵な景色が見られるのは厳しい雪国だからこそ。
 



26日
(火) 今日は秋山行きと昨夜の段階で決めた。
 朝7時頃のNHKの気象情報で「飯山−15.6℃」とのこと。道路の凍結が心配なので出発は遅い目にする。昨夜の就寝が早かったので6時には起床。「復興への歩み号外・屋敷集落版」を今朝に完成させるつもりだったが、朝一番にプリンターのスイッチを入れたところ、故障の表示。保守サービスをお願いするしかない。「屋敷集落版」の編集は断念。したがって、今日の秋山での配達は屋敷以外の集落とし、今週中にもう一度、秋山に行くことにした。

 朝から空が真っ青の好天。秋山を配達で廻ったことについて「日誌」に記したことは多々あるが、前々から企図していながら、出来ずにいたことを今日の日誌でやってみたい。仮にタイトルをつけるとしたら、「秋山への道」というもの。頁数を費やすことになるが、写真アルバムを作ってみる。


津南町で国道405に入って間もなく。最高の天気。行く手に中津川渓谷が見える(9:37)。


いよいよ中津川渓谷に入る(9:56)。


進む先のスノーシェッドを撮影。写真左から右へ雪の切れているところがスノーシェッド。


右:清水川原手前の405号線。除雪した雪を随所で中津川に落としている。写真は来た道を振り返って撮ったものだが、写真左手の雪の切れ目の下は中津川渓谷。ブルブルッとする。


清水川原橋を越えて間もなく、離合のための待機場所にて撮影(10:07)。これから進む405号線が写真の中央付近、杉林の左に見える。


上の写真で見えた405号線の箇所を進む時に撮影したもの。本当に車1台の幅しかない。しかし、上りの時は谷が左手なのであまり怖さを感じない(私は右手に谷があると、非常に恐怖を感じる)。秋山行の路線バスは大型でここを通る。今日の帰路はこの付近で大赤沢行きの終バスと離合した。


前倉橋から大赤沢にむかう坂道。路面流水道路になっている。凍結を防ぐ方法はこれしかないのではないかと思う。今冬は水が少なく、道路の端が凍っていることがあるが、極度に冷え込んだ今日は写真のような状況で、途中、ヒヤッとする箇所もあった。


これは秋山に入った後、屋敷〜上の原間。前面に見える鳥甲山は素晴らしいが、405号線の路面はご覧のとおり。
 ただ、屋敷〜上の原間、さらに和山〜切明間については、道路の曲がり方、坂の具合などを体がだいぶ覚え込み、さほどの怖さを感じなくなった。「慣れ」は「油断」につながる危険があり、注意しなければならないが、慣熟が冬道克服の最良・唯一の方法だと思う。

 私は「冬の秋山観光」積極推進論者だが、冬道に不慣れな人の安易な秋山入りには反対。路線バスの使用やガイド付きの観光を推奨したい。また、村サイドでは「冬の秋山ガイド」の態勢を構築・充実させることが必要だ。


27日(水) 寒さ対策として、一晩中、暖房をつけっ放しにして成功。午前6時に寒さも感じることなく起床。
 夜が明けると、今日も晴天。下は8時20分に部屋の窓から撮ったスキー場方向の眺め。家の裏の雪に覆われた田んぼも綺麗だったので、手前の田んぼを広く入れた1枚。例年だと、家のすぐ裏に2階の窓に達するくらいの積雪があって、こういう写真は撮れない。



 さて、4〜5日前くらいからだろうか。右足の薬指が赤みをもって腫れ、痒くなってきた。私は靴を履きっ放しの日が続いたりすると水虫菌が活性化する性質で、以前に菌が皮膚内に侵入して腫れたことがあったので、それかと思い、水虫用の薬を塗ったりしていた。しかし、昨日、秋山での配達に廻っていたとき、「違う!」と思った。長靴を履いて雪の上を歩いている時、左足は何も冷たさを感じないのに、右足だけ異常な冷たさを感じたのだ。
 親しい人であっても、靴下を脱いだ足の指先を見せるなどというのは大変に失礼なことだと思うが、心配になり、知り合いのある人に「申し訳ありませんが、ちょっと見ていただけませんか」とお願いした。「これは異常ですよ。すぐに皮膚科で診てもらった方がいいですよ。上村病院の皮膚科がいいです」。
 そういう次第で、今日はまず十日町市(と言っても、旧中里村で、津南町のすぐ隣りで近い)の上村病院へ。ほとんど待ち時間なしで診てもらうことができて、「菌が入っている状態ではない。しもやけですね」との診断。薬を処方してもらった。

 ところで、私はこれまで「しもやけ」という言葉を書いた記憶はなく、漢字表記を知らなかった。「しもやけ」と凍傷の相違について調べようとネットで検索して驚いた。「しもやけ」は「凍瘡」と書くそうだ。凍傷との違いは皮膚組織の損傷に至っているかどうかのようだ。放置して、悪化させればおっかないことになったかもしれない。単に冷えるだけでなく、長靴の中に雪が入るような所にもよく行くので、長靴の中が濡れた場合などは注意しなければならないようだ。

 配達がやや遅れ気味なので、皮膚科受診の後、村に戻り、配達を進めたが、この間、徐々に痛みを増していた左足の神経痛がひどくなり、運転台に座っているのが辛くなってきた。113軒の配達を終えたところで十日町の接骨院に行くことを決断。他にも痛い箇所があるが、今日はとりあえず左足の神経痛の治療。かなり楽になった。
 夜になって、帰宅時に国道117からスキー場のナイター(営業用ではなく、スキークラブの練習用)がきれいに見えたので、朝と同じく部屋の窓から1枚。



 
28日(木) 起床が7時すぎと遅かった。昨夜、寝そびれて、就寝が遅かったせいだ。
 印刷が必要だったので、コーヒーメーカー、オーブントースター、テレビ、コタツをつけている中でプリンターを動かし始めたら、ブレーカーがダウン。プリンターは起動し始める時、一瞬、蛍光灯が暗くなるくらい電力容量が大きい。
 遅いスタートで、まず青倉で20数軒を廻ったが、午前10時頃は薄曇りで、空気が冷たかった。11時頃になって、青空も見えるようになり、昨日、一昨日と同様の好天に。大気が暖かくなった。

 午前中、66軒を廻ったが、左の背中がだるくてたまらない。2日連続での十日町の接骨院行きを決めた。森宮野原14:22発の上り列車の姿を栄大橋から撮影する必要があったので、それが終わるとすぐに十日町へ。ところが、昨日と違って、混み合っていて、かなりの待ち時間。村に戻ったのは午後5時を過ぎていたが、今日の配達が66軒で終わったのでは、ちょっとピンチなので、柳在家と長瀬で計20軒を配達。もうすっかり暗くなり、温泉の締切時間も迫ったので、そこで終了。
 温泉は私が最後の客。駐車場から出る時、建物の電気がつぎつぎと消されていくところだった。

 今日の午前中、役場前から見える千曲川対岸の断崖の上から撮った写真がとても綺麗だったので、夜、その写真を紹介するブログ記事「栄村はやはり凄いところだ」を編集・アップ。下写真は役場前の国道117から千曲川対岸を撮ったものだが、赤マークをした地点から村の風景を撮影した(その写真は「復興への歩み」に掲載する)。



 
29日(金) No.275の配達も終盤。明日30日は昼から人と会う予定があり、31日は秋山・屋敷集落に行きたいと思っているので、朝からの雪の中、ピッチをあげて配達。
 午前中に森、長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、原向、大久保、程久保、野田沢を廻り、108軒。



 雪は湿雪。上写真は森の五宝木住宅で配達している時に、除雪車が格納庫から出てきたところ。今季、飯山線の除雪車が雪を飛ばしているところを撮ったのは初めてのような気がする。
 当部の集落内道路はまだ車が通った形跡がなく、人の足跡もなかった(下写真)。わずかな積雪だが、こういうところに入って行くのは気持ちがいい。



 極野を廻っていた時だったと思うが、雪が雨に変わった。それから1時間ほどすると、雪の上を歩く時の感触と音が変わった。雪がザラメ状になったためだろう。昼食を終えて、午後1時に外に出ると、再び雪。朝とは異なる細かい粒の雪だが、なにか冷たーい雪。
 平滝と白鳥で16軒廻ったところで、印刷したものがなくなった。平滝の国道気温表示計は−1℃。寒い。下の写真は平滝で千曲川対岸を撮ったもの。
 
 
 
 寒々とした雰囲気が伝わるかと思うが、この写真を撮ったのは、直前に平滝〜箕作間に架かる橋を建設中の現場代理人と話していたのが誘因。橋が通行できるようになるのは来年あたりだと思われるが、橋が完成して通行できるようになれば、人間はそれを当然のことと思うようになるだろう。しかし、この橋の建設の前史は長い。車が当たり前の存在になる以前、栄村と明石(あかいし)(現・野沢温泉村)の間には今とは比較にならない行き来があった。ただし、それは現代の感覚からいえば「道」と言えるようなものではない道を通じてであった。写真の中央に雪の切れ間が見えるところが旧道。長い間、手入れがされていないので、現在では雪のない季節でも通行不能だと聞いている。
 こういうことは記録化していかないと、間もなく、「誰も知らないこと」になってしまう。そしてまた、便利な道路や橋がどのような苦難を経て建設されたかということも忘れ、わからなくなると思うのだ。

 
30日(土) 午前中は、昨日印刷部数が足りなくなって配達ができなかった白鳥集落の国道よりも山手の地区を廻った。正午に人と会う約束があったので、「急がなければ」と思いながら配達したが、思っていたほどには時間がかからずに完了。これで明日、秋山の屋敷集落を廻ればNo.275の配達は完了する。
 この白鳥での配達途中にこんな写真を撮った。



 橋場川が集落の中を下るところだ。数日前、月岡健治さんがfacebookに「今年は川が埋まらない」と書いておられたので、その様子を撮影した次第。比較写真として、昨冬12月15日(ほぼ1年前、暮れの総選挙の翌日)に同じ場所を撮影したものを示したい。


 
 川などほとんど見えない。でも、これが「栄村の雪」なんだよね。
 忘れないようにしないと来冬に厳しい思いをすることになるかも。

 正午の約束は、メールで取材を申し込まれた東京の大学生と会うというもの。メディア社会学科というものに所属されていて、栄村を取材されているとのこと。「東京の大学生」とはいっても、実は飯山市出身の人で、5年前の地震の時は中学3年生で震度5くらいを体験されたそうだ。
 ひと通り話をし終わったところで、坪野と小滝以外はあまりご存じないとのことなので、西部地区と東部地区をざっと車で案内した。その途中、私が用を足したくなって、天地の斉藤克己さん宅にお邪魔し、学生さんを紹介した。「Nさんというお名前なんだけど、じつは飯山市の〇〇が実家だそうです」と言うと、克己さんの反応は、「えっ! N農園のお孫さんかい。○○さんはお元気ですか。〇〇さんには随分お世話になった」というもの。世の中、広いようで狭いなあと思った。

 夜、家に戻ってから、29日の項で書いた千曲川の橋脚建設の現場の代理人との会話の関係で、「あそこの予備調査が始まった時に写真を撮ったことがある」と思い出し、その写真データを探し始めた。「もう雪が積もってもおかしくない時期だった」ということだけは覚えていたが、それが何年のことか思い出せない。2014年の11〜12月の写真データを見ると、もう橋台の建設が進んでいる。「12年か13年か」と思い、パソコンのデータを探しまくって、ようやく2013年12月5日のデータの中にあるのを発見。それが下の写真。



 同じ場所をいま撮ると、すでに橋台のみならず、橋脚も完成している。橋が完成する頃、人はこのあたりがかつてはこんな風景であったことを完全に忘れてしまっているのではないだろうか。

 
31日(日) 昨夜は千曲川橋梁建設現場の写真のデータを探し出した後、地震当時のレポート(当初1ヶ月間のタイトルは「栄村復興への歩み」ではなく「栄村の状況」)を久しぶりに読み返した。当時の様子がヴィヴィッドに書かれていて、「あー、そうだったんだな」と懐かしく思い出した。
 気がついたら、夜中の1時半を廻っていた。そんな次第で、今朝は8時頃の起床。

 起きた時は雪が降っていたが、そんなに大した降りでもないし、予報では昼前から晴れになっていたので、秋山に向かった。屋敷集落で、No.275とともに「号外・屋敷集落版」を配達するためだ。
 津南町正面のセブンイレブンで昼食用の弁当を買って出発したのが午前10時20分。まだ雪が降っていたが(灰(はい)雨(ざめ)のスノーシェッドを越えると、栄村よりも激しく降っていた)、清水川原橋を通過するとき、苗場山と鳥甲山の間の空が明るくなっているのが見えた。秋山に着いた時は晴天。
 手元のメモ帳に、「秀清館の配達を終わった時点でアツい」という記録がある。かなり暖かだった。北原地区での配達を終わり、「みずと屋食堂」さんから上のゾーンに入る前に、五宝木に向かう道路が今日も車で入れる状態であることを現認し、「晴れているから布岩の直下のところまで歩ける」と考え、向かった。そして、行けた!



 上写真は、布岩の直下から自分が歩いてきた方向を撮影したもの。
 写真奥に見える風景を撮影したものの中から1枚、「復興への歩み」に掲載するが、布岩に向かう途中、振り返ってその景色を初めて見た時、言葉では何とも表現しきれない感動を覚えた。
 少雪だからこそ行くことができた、見ることができたものだが、雪が多い年でも3月頃の雪が締ってきた時期に、多くの人に見せられればいいなあ、と心の底から思う。
 屋敷での配達が終わった後、あるお宅に寄らせていただき、お茶のみをさせていただいた。ご主人にお尋ねすると、今年は開いている道は例年は必ず雪崩が発生し、雪がある間は通れないとのこと。しかし、雪崩を避ける別のルートがあるそうだ。
 地元の人たちのお知恵をお借りして、秋山の素晴らしい景色、資源を観光に有効に活かせる方策を探り出していきたいなあと思う。
 

配達日誌1月10日〜19日

10日(日) 今日は道祖神祭り。わずか6世帯の中条地区は、午後の森集落の道祖神祭りに先行して、午前、独自の祭り、どんど焼きを行なう。つい4〜5日前、「点火役は隣組長だ」と言われた。
 朝8時、喪中で欠席の1世帯を除き、5世帯の男衆5人でどんど焼きの準備。雪が少ないので柱を立てるために土を掘らなければならないかと思っていたが、会場の田んぼには意外と雪があり、土は掘らずに立てられた。
 10時半すぎに点火。青空の天にむかって白い煙がむくむくと立ち昇る。そして、10数分後、柱の周りに縛り付けられていた茅、藁がパカッと3つに割れ、紅蓮の炎をあげた。



 どんど焼きは毎年見てきたが、こんな素晴らしいのは初めて。

 正午少し前に終わったが、お神酒をいただいていたので、一休み。10分か20分はうつらうつらした。2時すぎくらいからか、久しぶりの配達に出た。72軒81部。配達開始からしばらくは、本当に久しぶりの配達だったので、なにか変な感じがあったが、いつの間にか、普通のペースに戻っていた。
 平滝での配達の途中、国道のカーブの先に大きな白煙が見えた。平滝のどんど焼きだ。つぎに、白鳥でも白煙が視界に。そして、あるお家に配達に行った時、会場の全体像が見えた。そして、「みかん撒きだぞ」という声が耳に届いた。
 いいものだ。
 白鳥のどんど焼きの様子はあえて遠景の写真を示したい(下写真)。



 
11日(月) 8時55分スタートで配達に出た。
 配達が休みだった間は、朝、寒くてなかなか布団から出る気になれない日があったが、配達再開となると、そんなことはもうない。寒くてもすくっと起き上がれる。
 朝から雪が降る中で、東部から廻り始め、坪野、原向、天地を経て、西部、さらに青倉という順で進んだが(全戸周りは坪野、天地、大久保、程久保、野田沢の5集落)、やはりと言うべきか、極野は他と較べてやや積雪量が多いなという印象だった。
 ひたすら廻り、今日は計160軒。昨日と合わせて241部で順調な滑り出し。
 一定の年齢以上の人は、それぞれに「SLの思い出」を持っておられる。積極的に引き出していきたい。SLの定期運行の最後が昭和42年(1967年)。当時、カメラを持てる余裕があった人は少ないだろう。写真を入手するのは相当の努力が必要と思われる。とにかく、SLを大きな話題にしていくことが鍵だと思う。
 
12日(火) 森、泉平などで121軒、130部。累計371部で、配達は快調。
 昼すぎ、泉平から箕作へ下るとき、こんな1枚を撮った。見えているのは平滝集落。なかなかいい景色だと思うが、どうだろうか。




13日(水) 今日は天気予報で晴れそうだったので、秋山行きを予定していた。そのとおりに行動したが、大しくじりをしてしまった。
 清水川原手前の猿飛橋、逆巻温泉というところを一度も訪れたことがないので、往路の途中で立ち寄ろうと思った。見玉〜清水川原間の国道405には雪もなく、いつになく走りやすかったので、深い思慮なしに405号から右へ、猿飛橋への曲がりくねった坂道に入った(下写真。この写真は帰途に撮ったもの)。入った直後に「しまった!」と思った。道路が完全に凍っていてツルツル。最初のカーブでなんとか車を停めることができて、ほんのわずかの距離をバックで戻ろうとしたが、まったくバックできない。すぐに「無理」と判断した。さあ、どうするか? 前へ進めば、相当の距離の曲がりくねった坂道が続く。無事に下れるという保証はまったくない。しかし、さらにバックを試みる方が危ないという気がした。


これが猿飛橋への坂道(撮影は氷が割られた後)

 結局、前へ進むことにした。結果として無事に下りきり、猿飛橋に辿り着くことができた。                 
しかし、それはもう恐怖という次元を超えたものだった。もう必死だったと言うしかない。

 さて、猿飛橋を渡ったが、「どうやって405に戻るか?」である。坂道を上がることはできない。
 猿飛橋を渡った先に1軒の民家があり、訪ねた。80歳を超えるというおじいさんが出てきて下さったが、酸素ボンベをひいている人で、「私が動ければ、なんとかしてあげたいが、こんな状態なので…」というご返事。
 携帯で知人と連絡をとり、相談した。「猿飛橋の先の坂道を上がって、川津屋さんまで行って援けを求めるしかないでしょう」。
 さらに坂道を進むことは怖かったが、他に方法はない。幸いなことに川津屋さんへの道は凍結しているところもなかった。そして、川津屋さんに着くと、玄関前にご主人の姿。「どうされました?」、「坂道が凍結していて、405に戻れないのです。なにか方法はないでしょうか。」、「ええ、水が充分に来ていないのです。午後にも直しに行こうと思っていたところです。」、「わかりました。私が氷を割りましょう。」
 川津屋のご主人、吉野さんがタイヤドーザーに乗り込み、「中に入って待っていてください」と。


タイヤドーザーに乗り込み、出発して下さる吉野さん

 私は気を取り直して、周辺の写真などを撮っていたが、猿飛橋の方からタイヤドーザーの音が聞こえる。
 間もなく、ご主人が戻って来られ、通れるようになったとのこと。心からのお礼を申し上げ、少しお話させていただいた後、氷が割られ、水が流れる坂道を上がって、405号線に戻れた。ただただ感謝!!である。
 冬道は怖い。
 
秋山ではお二人の人と話し込み、配達はほとんど進まず。もう一回行かなければならない。夕暮れ迫る中で秋山を出て、津南町の中心部に着いたのは6時半頃。反省しきりの一日であった。

14日(木) 朝からほぼ一日中降雪。しかし、ほとんど積もらない。
 昨日の信毎によれば、白馬村は「寡雪対策本部」を設置したとのこと。なるほど“寡(か)雪(せつ)”という言葉があるのか。たしかに「少雪」という言葉では言い表しきれない異常な少なさだ。
 雪が舞う中で平滝、白鳥、箕作、横倉などで140軒を配達。軽トラを降りて、ポストまでの間に距離がある場合は袋に入れるが、それ以外の場合は、「歩み」が濡れないように車から玄関までダッシュ。履いているのは長靴だが、足元にほとんど雪がなく、凍ってもいないので走れる。普段の冬場にはありえないことだ。


これは少雪だからこそ見られる良き眺めかもしれぬ


午後3時頃の家の裏の田んぼの法面
昨日の段階でどれほど雪が少なくなっていたか、そして今日の雪がほとんど積もらないことがわかる一枚だろう
                               
15日(金) 13日の秋山行きではほとんど配達ができなかったので、雪が降ってはいたが、秋山の配達に行くことにした。
 屋敷、小赤沢、上の原、和山の順で計74軒を廻った。

 屋敷では、昨秋に「屋敷集落を歩く」、「布岩巡り」という写真アルバムを編集した(ブログにアップ)ことをふまえ、その冬版を作りたいなと思い、2時間ほどかけて写真を撮りながら、廻った。降雪の中での撮影で、やはり布岩が鮮明に見えるものは撮れなかった。
 そんな中、屋敷から五宝木方面に向かう道路が除雪されていることに気づき、慎重に進んでみた。布岩直下の近くまで行けた。布岩直下の撮影ポイントへは歩いて行けそうだったので、歩を進め始めた途端に雪が猛烈な横殴りの降り方に変わった。危険を感じ、布岩直下に進むことは断念した。


11時35分撮影の布岩。横殴りの雪の中、望遠で撮影。見えるか、見えないかという感じの、こういう写真もそれなりにいいのではないだろうか。

 午後1時半すぎ、上の原での配達を終えた頃、青空が見え始めた。白樺の木の上で、「ギーギー」と鳥が鳴くのが聞こえた。鳥の姿をカメラで捉えることができた。私は鳥の名前はさっぱりわからないので、後日、鳥に詳しい人に照会してみようと思う。

 上の原の配達が終わる頃から背中に疲れを感じ始めたが、ふんばって和山の配達へ。そして、午後3時頃、小赤沢まで戻り、「さあ、今日はこれで帰ろう」と思ったところで地域おこし協力隊の木村敦子さんに出会った。「今から道祖神祭。3時に屋敷で点火、小赤沢は4時」とのこと。躊躇なく屋敷に向かった。1時間弱、撮りまくった。4時からの小赤沢は「どうしようかな。帰り道が暗くなるな」と少し躊躇したが、「やはり小赤沢も撮らなければ」と思い、小赤沢の会場へ。
 ここでも徹底的に撮り、最後の「みかん撒き」の終盤でカメラのメモリカードが一杯になってしまった。こんなことは2011年7月の東北・三陸海岸訪問時以来のこと。今日の撮影枚数は2,549枚
 
16日(土) 午前中は中野市の耳鼻科に出かけた。年末にひいた鼻風邪から鼻炎を起こしたのだ。8日に受診して、抗生物質の投与などを受けて快方にむかっているが、15日に秋山に行った際、薬を持参せず、半日以上、薬を服用しなかったら、ちょっと具合が悪くなったので、念のための受診。
 着くと、駐車場は満杯。近くの薬局の駐車場に停めさせてもらったが、医院に入ると、座る席がない。結局1時間半待ちだった。いっぱいの患者さんがいたにもかかわらず、雪長靴は私の他はもう一人だけ。外は青空で、雪とはまったく無縁の世界。

 村に帰ってくると、国道が真っ白。集落内道路はかなり積もっている。知人に言わせると、「この冬初めて、栄村らしい降り方だった」とのこと。


16日午後1時40分すぎの大久保集落付近

 午後は原向などで配達。計39軒にとどまったが、価値ある39軒。雪の中で、車から降りてかなり歩かなければならない家が多い地域での配達だからだ。
 原向の登渡地区で切欠堤への道に車が入った跡があるので、そちらに向かった。途中で車は進めなくなったが、歩いた跡(新しいもの)があったので、長靴が埋まるほどの深さの中を進み、冬の切欠堤の様子が撮影できた。
 極野集落では“たね”の写真などを撮り、夕刻、「雪国と水」というブログ記事を編集してアップした。反応はいい。
 
17日(日) 朝、気温がぐっと下がり、路面の凍結が厳しいと思い、配達への出発時刻を遅めにし、9時少し前に出かけた。
 まず、雪坪集落を廻ったが、いい写真が撮れないかなと思って、村道滝見線(冬期閉鎖)の方に行ったら、除雪がされていて、猟犬を伴った人から「塩尻まで行けるよ」とお聞きした。進んで行くと、奈免沢(なめざわ)の方にも行けそう。奈免沢川の橋まで進み、道はさらに開いていたが、そこでターン。千曲川を挟んで役場の対岸からスキー場方向などの写真が撮れた(下写真)。この時期にこんな写真が撮れるなんて、やはり極端に雪が少ないのだ。



 東部や月岡、小滝などで計146軒を廻り、No.274の配達を完了。10日午後から配達を開始したとはいえ、「7」の日で配達完了とは速いペースだ。例年の積雪があれば、ありえないスピードだ。
 
18日(月) No.274の配達が完了しているので、15日に秋山で撮った写真のデータ整理をしながら、途中、森宮交通の取材や、直売所の様子を見に行ったりした。また、午前と午後の2回、雪の様子をブログにアップ。
 雪は朝9時から午後4時頃までずっと降っていたが、たいした積雪にはならず。国道や「トマトの国」への道は除雪車が出たが、集落内道路は出ず。
 15日の屋敷と小赤沢の道祖神祭の写真は、よさそうなものをピックアップしただけでも296枚。写真は撮れるだけ撮るほうがいいのだが、そのデータの整理がとてつもない大仕事になる。悩ましいところだ。
 
19日(火) 予報では一日中ダルマのマークだったが、朝起きると快晴。午後からほんの少し降ったが、積もるようなものではない。夕刻に長野地方気象台から栄村に大雪警報が出されたが、本当に降るのだろうか。

 昨夜、嬉しいメールが届いた。飯山線をSLが走る写真が送られてきたのだ。東京の知人からで、ご主人が「鉄道マニア」で、高校生時代に飯山線で撮られた写真があるというのだ。
 天気がよいので、朝9時すぎの列車が通る瞬間を狙って、横倉集落の千曲川沿いの現場へ。例年並みの積雪があれば、この時期には近づけない場所だ。いい写真が撮れたと思う。


飯山線撮影地点近くから横倉駅方向を望む

 現場周辺の様子に71年当時と較べて微妙な違いがあったので、横倉の渡辺利正さん宅をお尋ねした。やはり圃場整備で少し変化があったようだ。利正さんはお婿さんで野沢温泉の出身だが、奥さんのうめ子さんからのSL時代の思い出をお聞きすることができた。
 森宮野原駅に転車台(機関車の向きを変える設備)があった当時の写真もいただいたので、その現場も撮影してきた。撮影された場所はどうも線路と線路の間のようで、列車が来ない時間に撮影に入ったが、飯山方面からロータリー車が入って来て、慌てた(撮影のためにいた場所はロータリー車が走行する線路とは関係なかったが)。いただいた写真には、今はもうない古い家も写っていて、昔を知る人たちにお話を聞きに廻った。           
 それ以外はNo.275の編集作業。
 
*1月1日〜9日は配達をやすんでいたので、「日誌」はなし。その間に撮った写真を数枚、掲載しておきたい。


降雪の中、天池付近を歩く(1日)

  
上の原のあるお家にて(2日)。このロータリーは私と同世代のかあちゃんが操作しておられる。


ソリ遊びする島田きみ子さん(青倉)のお孫さんたち(3日)


家の近くでナラの木を伐り倒し、薪用にチェーンソーで切る斉藤克己さん
例年のこの季節では考えられない作業(5日)。


車が入った跡があったので東部パイロットに入ってみた(5日)

配達日誌12月21日〜31日

21日(月) No.272の配達が残っている原向、野口、小滝で25軒を廻った。
 現在の積雪ならば東部パイロットの道を走れると判断し、柳在家から東部パイロット経由で原向へ。道路には車が走った跡があり、地元の人が結構入っている模様。鳥甲山などの資料的写真が撮れた。


東部パイロットから眺めた鳥甲山。頂上が朝陽を受け輝く。9時20分。

 途中、斉藤勝美さん宅に立ち寄り、新加工品「おひさまケチャップ」を撮影。
 帰宅後、「お米のふるさと便り」を編集。
 
22日(火) 朝、起きて少し作業をしたが、肩がうずく。寝不足   
という類ではなく、肩の状態が相当に悪いと考えて、十日町へ治療に。
 昼すぎに帰宅して、「復興への歩み」No.273の編集を進めるも、夕食後は作業を続行できず。「肩が痛い」といったことではなく、気力がおこらないという感じ。珍しいこと。

23日(水) 昨夜、仕事せずに過ごして正解だったのだろう。「復興への歩み」No.273の編集は順調に進み、本紙は完成。
 夕刻、知り合いから電話で、「おでんを作ったので食べに来ない?」というお誘い。一人暮らしではおでんを食べる機会というのはない(コンビニのおでんはにおいをかいだだけでも嫌。絶対に食べない)。喜んでお誘いにのり、訪ねると、主菜はなんとすき焼き。たっぷりと食べて満腹というところに、さらにXマスケーキが登場。「えっ! もう食べられない」と言いながら、大きなピースをペロッと平らげた。生クリームが上等で、下手な甘さがないからだろう。一日早いが最高のクリスマス。
 家に帰ってから、年末年始増大号の写真集用の写真の選抜にかかるも、第一次的な選抜でタイムアップ。

24日(木) 朝から写真集の編集を進めるも、結局、夕刻近くまでかかった。
 写真集の主たる素材とした21日の写真は撮影枚数が1157枚。そこからまず128枚を選抜。そしてさらに絞って写真集には24枚を使用。写真集のレイアウトを充分に考える時間的余裕はなかった。
 最近、「写真が素晴らしい」と多くの方から言っていただくが、私の答えは「カメラが優れているだけのことですよ」というもの。しかし、もう少し考えると、カメラの性能の他に、もう一つ、要因があるように思うようになった。撮影技術は相変わらずの素人だが、徹底的に歩き廻り、かつ同じ場所に何度も足を運ぶことで、いい撮影ポイントを見つけられるようになったのだと思うのだ。「下手な鉄砲も数打てば当たる」ではないが…。
 カメラ愛好家という人たちがおられるが、彼らは著名な撮影ポイントで、撮影技術を駆使して、他の人のものとは違う作品を撮ろうとしておられるように思う。私はいわば「芸術としての写真」のようなことには関心がない(というか、そもそもそんな技術がない)。俗っぽい言い方をすれば、「栄村の地域おこし」に使える写真素材が欲しいのだ。

25日(金) 久々に本格的な配達活動。今号は年内に配布が完了するように、「まず協賛者宅、その後に集落毎の全戸廻り」という通常の方式ではなく、最初から集落を1つずつ全戸配布していく方式で配達。
 今日は月岡、大久保の全戸と森、横倉の一定ゾーンを廻り、130軒148部。


天地の畑で出会ったカモシカ。今季、クマは見ないなあ。

 午前中にメール配信、ブログへのアップも行ったが、今号は写真集もあるので、この作業も一(ひと)仕事どころか二(ふた)仕事くらいのボリュームがあった。
 午後3時5分頃、大久保の最後の1軒というところで、それまでの小雨が雪に変わった。6時前に「トマトの国」に行くと、あたりは真っ白。でも、その後も大した雪にはならず。
 大久保での配達の時のことだが、これまで意識していなかった大久保の裏山の様子(地形)が目に入ってきた。この間、栄村の大地(地形)に関心を深めているがゆえに、これまで何気なしに見ていたものの中に新しいものが浮かび上がってくるのであろう。


大久保の裏山の様子

 栄村およびその近辺は山の斜面が崩れているところが多い。人が住む場所からは離れているので格段の災害を引き起こしてはいないのだろうが、中条川上流の大崩壊の問題との関連で考えると、難しい問題が出てくるように思う。どこまでを防災工事の対象とし、どこは手を触れずに自然そのままとうまく折り合いをつけて村(人間)の暮らしを営んでいくのか。詳しいことは別の機会にきちんと書きたいが、中条川上流の大崩壊地について、そのあるがままの状態と折り合いをつけながら暮らしていくという選択肢もあるのではないかということを、最近、少し考え始めている。

26日(土) 午前中は雪。でも、大した積雪になる雪ではない。
 青倉で52軒を廻った後、「これくらいの積雪ならば西山田に上がれるなあ」と思い、西山田で雪景色を撮影。平年でも、積雪初期や雪消え時に歩いて上がれば雪景色を撮れるが、軽トラで西山田に上がって撮影できるというのは珍しい。


上から順に、森の開田、栄大橋、飯山線中条橋梁が写る珍しい風景。西山田から下りる道で撮影。

 その後、平滝の国道よりも上のゾーンで配達をしていると、重機のかなり大きい音が響きわたる。千曲川に架ける橋の工事現場からだとわかり、久々に現場事務所を訪ね、現場代理人平澤さんに話を伺った。「現場代理人」と「現場監督」の違いも初めて理解できた。土木工事のあり方についていろいろ考えなければならないことが多いように思う。途中で昼休み時間帯になり、現場で作業されていた男性陣4〜5名とも談笑できて、なかなか面白かった。
 午後、箕作、泉平も廻り、配達は計144軒。

 3時すぎ、西の空が青空だったので、野々海への道を上れば北アルプスの山々が撮れるかなと思い、平滝から野々海線へ。17日の積雪の後、除雪関係者が倒木の危険がある木の伐採のために野々海まで進み、その際、道路除雪をしていたので、かなり上まで楽に行けた。しかし、標高800mを超えたあたりからだろうか、いっきに積雪が増え、「もう少し上がれるかな」という思いで慎重に車を進めたが、今回もケンの木付近で雪につかまった。まだ明るかったが、「暗くなったら大変だ」と、少々焦りながら軽トラの下の雪を掘り出し、狭い幅のところでなんとか車を回転させて下りた。


標高850mくらいと思われる地点にて

 西の空はたしかに晴れているのだが、山際は雲か霧か、霞んでいて北アルプスは見えず。その代わり、鳥甲山などが夕陽(残照)に輝く姿が撮れた。とくに苗場山のむこうに見える神楽ヶ峰と思われる山の姿が格別に綺麗だった。

27日(日) 寝坊で7時半頃起床だったが、8時少し前に集落内道路の除雪がやって来た(今日の除雪は昼頃を含め2回)。
 出発時、車庫の前の雪の片付けはたいしたことがなかったので、雪は明け方頃から本降りになったのだと思う。「大雪」の予報にもかかわらず、昨夜は0時すぎでも屋根をたたく音が聞こえるくらいの雨で、「え?!」と思っていたが。


朝9時前、車庫のシャッターを開けた時の様子

 積雪が増えてもあまり困らないゾーンを今日の配達地域に選んでおいたので、午前中、森から東部・長瀬までで123軒、午後は箕作など20軒で、計143      
軒。もう少し廻る体力はあったが、手持ちの印刷物がなくなり、終了。
 玄関先で出会った人などから、「年末年始はゆっくり休んでください」とか、「年内の配達はほぼ終わったかい」とか、声をかけていただく。「年末年始の配達予定」を認識・理解いただいているようで、嬉しい。
 昼、いったん家に戻ると、車庫にお餅などの贈り物がドッサリ。有り難い。

28日(月) 予報は「一日中曇り」だったが、朝から素晴らしい快晴。
 長瀬から県道長瀬横倉線に入り、原向にむかったが、景色が素晴らしく、さまざまな地点で立ち止まっては撮影。とくに、切欠集落と宮野原集落(津南町)が一体で見えるポイントからは9月22日に黄金色の写真を撮ったのと同じアングルで、今度は銀世界の写真が撮れた。夕刻にブログにアップ。
 原向・野口では、県道から配達先の家までの道が車進入不可能になり、かなりの距離を歩かざるをえない。今季は今日まで雪がなくて助かっていたが、これから少なくとも3月いっぱいは、これが続く。慣れれば、「いい運動だ」ということになるが、25〜27日の配達と較べると、所要時間がいっきに3〜4倍増える。


手前が県道。田の中に見えるポールに沿って、奥に見える家まで歩く。

 昼に約束があったので、午前中の配達は40軒。昨日と較べると4割だ。   
 午前中の配達で出会った知り合いの女性、「雪が少ないのは助かるけど、雪がないと困る人もおられるので、風呂(温泉)で話題にする時は、周りに誰がいるかを見て、小さな声で話すようにしているわ」と。みなさん、同じ気遣いをされている。
 午後も廻り、今日は計83軒。
 
29日(火) 今日は超過酷であった。
 朝、国道などもあまり除雪が進んでいなかったので、奥の集落では除雪ができていないところもあるだろうと考え、出かけるのを遅めにしたが、あまり状況が変わらないので8時半頃に見切り発車。
 当初予定ではまず切欠で配達するつもりだったが、坂がきついところなので、後回し。当部、北野、中野で計32件を廻った後、極野へ。
 極野では今日葬式があり、ちょうど旧バス停に迎えのバスが来ていた。その横に車を停めて一服した後、極野集落のいちばん標高に低いところへ坂を下ろうとしたとき、除雪されていないことに気づいた。一瞬迷った。「下るしかない」と心に決め、ゆっくり、ゆっくり下った。軽トラで雪を押していく感じ。


前方の坂道は除雪された形跡がない!

 私がいちばん下の家で配達を終えた時、真っ赤な色の乗用車が下りてきた。留守家になっている実家の除雪のために東京から来られたご夫婦。私が先に下りていなかったら、車高の低い乗用車では雪がつかえて下りて来られなかっただろう。
 極野での配達を終える頃から吹雪に。
 程久保、野田沢での配達は吹雪の中。とくに程久保では風を遮るものがないところもあるので、大変。
 ここまでで昼に。午前中、雪の中に膝上まではまりながら玄関に行く家が5軒。うち2軒は、昨年までは冬も村で暮らしていた高齢者が今冬は冬期間のみ村外に出られたもののよう。
 明日は秋山行きを予定していて、秋山以外の配達は今日中に完了させたいので、昼食後、白鳥、平滝、小滝、横倉、切欠を廻り、終了は4時55分。もうかなり暗くなっていたが、少し日が長くなった感じ。配達は計149軒。雪がなかった25、26日と較べると2倍の時間がかかり、消費エネルギーは数倍以上だと感じた。
 凍てついているところで踏ん張ったり、深い雪の中を歩いたりで、膝・腰の負担が大きい。雪の中を歩く距離が長い原向・野口を昨日のうちに終わらせておいてよかった。
 
30日(水) 夜のうちに思いの外、結構の雪が降った。朝になっても、さらに降り続けている。
 今朝は5時に目覚めた。昨夜は何も作業をせず、いつもよりも早めに寝たので、5時起床でも大丈夫と考え、そのまま起床した。
 印刷や折り、メール等の作業をして、9時少し前に出発。国道の除雪も昨日に続いて遅めだし、あまり早くに出かけて秋山への道が凍てついていても困るので、この時間にした。ガソリンは満タンの半分以上あるが、雪も降り続けているし、なにかあっては困るのでまずガソリンスタンドへ。10ℓ入った。


午前8時58分の国道117号線

 見玉を過ぎて、東電ダムから清水川原スノーシェッドに入るまでの区間(距離的にはわずかだが)、清水川原橋を越えて、前倉橋までの区間、いずれも狭い道が続き、やはり緊張する。とくに東電ダムからしばらくの間は右手が谷で怖い。なぜか左手に谷がある場合はそれほど怖くないのだが。
 小赤沢に着くまでに出会った対向車のナンバーには、名古屋ナンバー(2台)、愛媛(!)、松本があった。松本ナンバーは前倉橋で出会った素敵なカップルで、「無料宿泊券をゲットしたので、昨日、のよさの里に泊りました」とのこと。
 小赤沢での配達を始めたのが10時40分頃。ポイント、ポイントで写真を撮りながら廻って、小赤沢の配達を終えたのが正午すぎ。自販機で温かいお茶を買って、弁当で昼食。1軒くらい食堂があってほしいが…。


2段のツララと坂を下る水(小赤沢にて)

 屋敷集落も1時間強かかった。写真を撮らなければもっと早く終わるかもしれないが。
 その後、上の原14軒、和山11軒で配達し、最後の切明へ。「雪あかり」には横浜、習志野などのナンバーが駐車。帰路、切明に向かう「なにわ」(大阪)、札幌、宇都宮ナンバーの車に出会い、さらに前倉橋付近で横浜(2台)、練馬ナンバーに出会った。当方(栄村)の構え方一つ変えれば、年末年始、現在の10倍以上の温泉客の集客ができそうな気がする。
 切明4時頃発で、5時半近くに津南の中心街まで下りることができた。
 やはり緊張する運転で疲れた。夜はいっさい作業せず。
 
31日(木) 今朝も5時起床。
 昨夜、今季初めて湯たんぽを入れたので、寒さで目が覚めることはなし。
 昨日の運転中から鼻水がよく出ると思っていたが、どうやら鼻風邪をひいた模様。朝から鼻をかむこと頻(しき)り。
 配達を昨日で終えることができたので、今日はのんびりと構えていたが、昨日の秋山での写真を整理し、アルバムを編集し始めると、これがなんと夕刻までかかってしまった。夜の早い時間に今年最後のブログを発信。
 年越し蕎麦は昼に食べた。夕刻にまとめ洗濯。
 夜は久しぶりに日本酒を呑んだ。冷酒で、たまに呑むと、とても美味しい。いちおう「紅白」にチャンネルを合わせたが、およそ見るに堪えない。Twitterで「演出最高」なんてコメントをしている人がいたが、どんな感性をしているのやら。大晦日にチャンネルをくるくる変えるということを初めて経験したが、どのチャンネルも大したことがない。「ゆく年来る年」もあまり感じるところがなかった。
 最後に、最近撮った写真から2枚を紹介して、本年の日誌を締めくくりたい。
 
 
 西山田の棚田の小山(26日撮影)
 
 
 吹雪の天代坂(29日撮影)

配達日誌12月11日〜20日

11日(金) 昨日は「復興への歩み」No.272の編集に着手できなかったので、朝から一気に編集。昼までに出来上がった。
 途中、訪ねてきてくれた卒業生が津南の中子に行くというので、道案内で中子まで出かけた。その帰途に『村史堺編』で書かれている千曲川の森集落対岸の地層を撮影。(後で『村史』に照らしてチェックしたら、あまり撮影がうまくない。もう1回、撮り直す。今日撮ったものを1枚だけ掲載しておく)



 午後は、英文ガイドマップを掲載したので、栄中学校に「復興への歩み」を届け、その後、中野市の耳鼻咽喉科へ。雨は結構激しく、時速60kmを超えると滑る感じ。60km以下に抑えて安全運転。
 
12日(土) No.272の配達を本格的に開始。主に協賛者宅を廻るのだが、いつも豊栄地区(平滝、白鳥)が遅くなっているように思うので、今日は横倉、箕作、泉平、平滝、白鳥の順で廻ることにした。

 平滝の国道より上の部分を最後に廻したが、そこでまたまた非計画的な行動に。太古の昔の長野県北部の造山運動を振り返るために北アルプスの遠景を撮影したいと思い、村道野々海線へ。ところが北西方向には雲が出ていて、撮れない。その代わり、野々海への道に雪がなく、どんどん上へ。さすがに標高950mを超えるあたりから雪道になったが、三叉路まで辿り着けた。さらに野々海池の入り口に向かおうとしてところで、昨年11月17日の時よりもはるかに三叉路に近い地点で雪につかまり、久しぶりに軽トラの下の雪を掘った。タイヤがスリップするのではなく、軽トラのハラが完全につかえていた(下写真が軽トラを脱出させた跡)。掘るのは比較的簡単で、後は雪道を歩いて池へ。所々、水の流れの関係で雪がないところがあって、そこを歩くと非常に楽。「雪道って、こんなに大変なんだ」と感心(?)。



 帰宅後、ブログ記事を編集し、アップ。
 午後は久しぶりに散髪へ。3日ほど前から急に髪がうるさくなった。スッキリした。配達は92部。

13日(日) 起床は7時近くで随分と眠った。7時間を超えている。そのせいか、かえって体がだるい。ただし、午前中の配達で軽トラから降りると自然に走り出すこともしばしばあったので、体調がよくないということではないと思う。
 配達は森集落と東部谷が主で、計96軒。

 柳在家で森下英忠さん宅を訪れた時、ご主人が表に出て来られたところで、しばし立ち話。長い間、不思議に思っていたことをお尋ねし、疑問が氷解した。疑問というのは、森下さんのお家のそばに「観音堂・山口」と書かれたドーム型車庫の建物と、まさしく観音堂そのものの建物(下写真に見えるもの)の2つがあること。



 森下さんのご説明では、上写真に見えるものが本来の観音堂。しかし、平成17年集中豪雨で観音堂の下が崩れ、観音堂も倒壊する危険が生じたので、少し離れた所にドーム型車庫を建て、そこに観音堂に収蔵されていたものをすべて移転したとのこと。元の観音堂には、観音堂の由来等に関わると思われる様々なことが書かれた大きな扉があったが、それは災害で壊れて、いまはないということもお聞きした。
 なお、柳在家にはもう1つ、観音堂と思われるものがあるが、森下さん宅そばの観音堂は柳在家集落の山口地区のもの。山口というのはいわゆる小字(こあざ)名で、昔はこのあたりの家の住所は「堺村山口」と表記されたそうである。柳在家には他に、小字としての柳在家、さらに柿在家と、計3つの小字があったそうである。

 この柳在家での会話から2つのことを思った。1つは、栄村では災害の記録化が弱いということ。平成17年の集中豪雨は私が初めて村を訪ねた頃の出来事だが、村内至るところで被害が発生したと聞いている。この平成17年集中豪雨被害を記録化し、分析・研究すれば、今後発生する可能性がある土砂災害等について予測をたて、防災の具体策を考えることができるはずだが、そういう積極的な努力がなされている形跡はない。これは行政の問題であると同時に、住民自身の問題でもあると思う。

 2つは、小字というものの重要性である。今年発掘調査された「ひんご遺跡」の「ひんご」という名も小字名である。小字というものは、自然の地勢と折り合いをつけながら人間が暮らしを営んできた基本単位である。昭和の大合併等を通して小字というものが行政の中から消えたが、じつは小字名の中にいろんなことが秘められている。「地域おこし」とか「地域活性化」といったことを考える場合に、栄村という単位も大事だが、小字というものに着目すると、本当に地域資源を活かす考えが浮かんでくるのではないかと思う。
 「山口」という小字名、私は「山の口」という意味ではないかと直感的に思った。その「山」というのは意外と大きなものを指しているのではないか。柳在家という変わった地名の「在家」が何を意味するのかも含めて、なにか山の修行、修験道との関わりがあるのではないかなどと考えてしまう。このあたりは、最近、とみに関心を深めている栄村の大地の成り立ちということともつながってくる。興味は尽きない。

 午後は長野市へ買い物に。もう1週間ほど前から地学関係、5万分の1地図を入手したくてウズウズしていたが、今日、北野集落から見た景色から、「これは5万分の1の地図で色々と考えなければ」という思いがいっきに強まり、行った次第。


「この北野川沿いの山あるいは台地は毛無山まで一続きなのではないか。」
5万分の1の地図を見ると正解のようだ
 
 書籍はあまり大したものを入手できなかったが、地図は5万分の1地図の他に、登山向けのいい地図も入手できて、栄村の大地について考えやすくなった。           

14日(月) 配達は大久保、野田沢、程久保、青倉を中心に113軒。
 配達の途中で、大久保と毛無山(野沢温泉村)の関係、妹木や大久保あたりから見える天水山の様子(善光寺地震の時に大きく崩壊した地点の確認)、中条川No.2谷止工のほぼ完成の様子と、昔の中条川(東入沢川)の流れや善光寺地震の際の土石流の流路と現在の「トマトの国」の位置関係など、「栄村の大地」という問題意識と中条川災害の問題意識で写真を撮った。結構データは得られつつあると思うが、整理が追いつかない。



<上写真について>
妹木から天水山方向を捉えた(8:42撮影)。
右下に中条川上流1号崩壊斜面が見える。
1号崩壊斜面から山腹ずたいに左に進んで、やや丸型の地肌が見える箇所と、さらにその左にやや縦長の地肌が見える箇所がある。これらが善光寺地震の際の斜面大崩壊の痕跡だと思われる。なお、この角度からの撮影では中条川上流2号崩壊地は見えない。
写真手前にはスキー場ゲレンデが写っている。

15日(火) 秋山で人と会う用件があり、秋山地区の配達も兼ねて、朝から秋山へ。
 秋山の住人に電話をして日出山線で行けることを確認して出発。日出山線を過ぎ、鳥甲牧場への道に入る所で撮影した写真が「7時57分」になっているので、遅くとも7時15分頃には家を出た。
 鳥甲牧場と五宝木集落で、鳥甲山の裏側(上野原から見えるのを表側と表現した場合の裏側)の様子、鳥甲山から三ッ山や大次郎山、毛無山と連なる栄村の南西方向の地形などを徹底的に写真に収めた。
 その後、五宝木トンネルを通って屋敷、そして切明方面へ。五宝木トンネルは先日通った時もすでにトンネル内の照明は点(つ)いていなかったが、今日はトンネル内に道路標識等が置かれ、雪の間の倉庫の感じ。下写真は、トンネルに入って276mの地点で運転席から撮影したもの。写真中央に出口が点として見える。この地点から976m先である。



 雪がまったくないお蔭で、林道の要所、要所から見える鳥甲山の姿を撮影。「白沢」や、その少し屋敷よりの赤山(あるいは赤瑤瞭)からおちてくる沢の様子、その沢の上に見える山の姿など、貴重な写真がたくさん撮れた。
 用件で会った人から「冬でも川原から湧き出る温泉に入る人は多いですよ」と言われ、挑戦することにした。タオルは買ったが、バスタオルは売っていないので雄川閣から貸していただいて、河原の温泉へ。今日はずいぶん気温が高かったようで、川原で服を脱いでもブルブルと震えるようなことはなかった。温泉の具合は最高。雪が積もって、かんじきを履かないと行けない状態になったら、往復が厄介だろうが、雪見しながら川原の温泉で温まるというのは最高だろう。風邪をひかないように注意しなければならないが、今季は絶対にチャレンジしてみようと思う。



 上はたしかに川原の温泉に浸かっているという証拠写真。「復興への歩み」などに掲載するものではないが、ここは「日誌」なので…。もっと足を高く上げてみたかったが、両手はカメラを持っているので、腹筋が弱くて体をそんなに反らすことができないので、足の指先だけが写っている。
 そんな次第で川原の湯から出たのが2時半頃。かなり遅くなり、午前中の撮影で疲れたこともあり、和山集落だけ配達して、下(しも)へ下った。帰路は東秋山林道経由。
 
16日(水) 午前中に月岡、箕作、白鳥、平滝などで109軒を配達。
 平滝から箕作に向かう時、ガソリンスタンド横から清水河原のスノーシェッドに向かう道の脇に、東電が西大滝ダムで取水した水を津南町の三箇(さんが)の上の山まで送る隧道に入る横坑がある。この横坑の存在や意味について村民でも知らない人が増えたが、ここにトラックなどが数台停まっていた。横坑の入り口を見ると、扉が開いていた。おそらく業者が保守作業に入っているのであろう。かつては地元の人が日雇いで作業したものだが。深夜労働で、日当は随分とよかったそうだ。いま、70歳代のかあちゃんなどに経験者がおられる。

 午後は、昨日の写真を整理し、少しブログ記事を書いてみようとしたが、さまざまな地形の理解がまだまだ不足していて、完成に至らず。もっと勉強が必要。
 今日は写真をほとんど撮らず。午後に1枚だけ、家からスキー場方向を撮った。午後4時すぎだが、青空が広がって、雲というか山霧というか、それが縦長に上昇し、消えていくさまが綺麗だった。


 
17日(木) 朝からついに里でも降雪。いったん止み、晴れたかと思いきや、次は雨。そして夕刻から深々と降り続き、今季初の積雪。
 降雪・積雪の模様は「ようやく本格的な降雪」を編集し、ブログにアップ。

 そんな中、午後は1時半から4時までの2時間半、「第10回復興推進委員会」なる会議を傍聴。この会議の開催は村のHPを見て、たまたま知った。村の告知放送での案内はない。2時間半はスケジュール上きついが、議題が「生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の実績について」というものだったので、無理をして傍聴した。
 傍聴するだけの価値があったかどうか、判断は難しいが、実績額約2億8千万円にも達する国費事業には必須の手続きとしての事業報告としてはあまりにお粗末な内容。国や県がこんな実情を許容しているとしたら、いったい、交付金事業の実務及び手続って、いったい何なんだろうと思わざるをえない。
 村の復興という観点からの傍聴報告は「復興への歩み」に書きたいと思う。
 配達は主に東部地区で113軒。

18日(金) 昨夜10時頃には屋根の雪が落ちる音が聞こえていた。今朝、除雪車の音には気づかなかったが、外に出ると、たしかに除雪車が出動した形跡があった。ただし、1回、さーっと通っただけという感じで、車庫から出る時に除雪で道路脇によせられた雪を片づける作業は必要なかった(下写真)。



 配達は午前中のみで箕作や泉平、平滝などで109軒。


19日(土) 朝一番は直売所に関するインタビュー。その後、午前中、平滝・白鳥などで21軒の配達をしたうえで、室内作業に。夕刻近くにもう一度配達に出て、秋山以外の配達は今日中に完了したいと思っていたが、予定外の仕事が入り、25軒分が残った。明日、秋山とともに配達したい。

 今日は断続的に雪が降ったが、新たな積雪になるようなものではなかった。明日20日は晴れの予報で、その後、曇りまたは雨のマーク。クリスマスには寒波が来るとの予報だが、17〜18日の積雪は根雪にはならないだろう。クリスマス寒波でようやく根雪の始まりになるのかなと思う。ただし、私が住んでいるところの北側の屋根下は屋根から落ちた雪がそこそこの量になっていて、これは次の寒波まで残るかもしれない(下写真)。



 昨日から15日に撮影した写真を整理し、「鳥甲山をいろんな地点・方角から見る」を編集しているが、山の頂の名前や沢の名前が正しいかどうか、不安があるので、秋山の若者に見てもらった。鳥甲山の登山も経験されているので、よく知っておられた。大変助かった。彼が持つ知識などがもっと活用されれば、観光事業に相当役立つと思う。村には死蔵されてしまっている知恵があまりに多いと思う。なんとか活かしていきたい。
 
20日(日) 昨夜は眠いのを無理して11時頃まで起きていた。そのせいか、今朝は目覚めたら、もう8時。こんなことは滅多にない。遅くとも7時頃には自然と目覚めるのだが…。
 起きると、腰が張っていて、ぎっくり腰寸前の状況。最近は、「やばいな。このままではぎっくり腰だ」というのがわかる。床のものを取る時はまず脚を折って腰を下ろすようにするなど最新の注意を払う。
 今日は秋山の配達と決めていたので、9時15分頃に家を出た。その時に撮影したスキー場方向の写真を1枚。



 秋山行きのコースはもはや405号線しかない。
 出発が遅かったのだから、先を急ぐべきなのだが、「今日は栄村の大地(ジオ)を知るという観点から、〈大地をV字型に切り裂いて下ってくる中津川〉という様子を写真に収めたい」という気持ちがあって、頻繁に車を停めて、撮影を繰り返しながら進んだ。そのため、最初に配達をする上野原集落に辿り着き、いわゆる天池で写真を撮った時刻が11時25分。
 集落を下る形で上野原での配達を終えたのが12時半。上野原バス停脇に車を停めて昼食弁当。ほぼ食べ終えた頃、和山行のバスが通過。バスに目をやると、いちばん後ろの席に一人の姿。パッと見て観光客の人だと思った。「いまの季節、秋山の奥に観光にやって来る人に是非話を聞きたい」と思い立ち、バスを追いかけ始めた。今日は和山、切明方面に行く予定はないのに。

 栃川橋あたりでバスに追いつき、その後ろについて和山バス停へ。すると、バス停にカップルと思われる若い男女2名の姿。私が車を駐車させている間に、二人はバスに乗り込んでしまったが、男性の方はまだ乗降口におられて、話を聞くことができた。東京からの人で、昨夜は切明に宿泊され、昨日も今日も川原から湧き出る温泉に入ったとのこと。「とてもよかった。今日は暖かだったので、川で泳いじゃいました。次は夏に来てみたい」とのこと。この「川で泳いだ」という話、「?」と思ったが、真相は後にあきらかになる。
 さて、上野原バス停で見かけた男性はもう和山温泉の民宿街の方へ歩いておられた。声をかけると、「切明まで歩いて行きます。日帰りです。川原から湧き出る温泉に入りたくて」とのお答え。驚き、「軽トラの助手席でよかったら送ります」と申し出、助手席の荷物を片づけていると、切明・雪あかりの高橋さんが通りかかられ、切明までは高橋さんが送って下さることになった。私はその後を追いかけ、彼が川原の温泉に行く様子を撮影させていただくことに。その撮影の過程で先ほどの「川で泳いだ」の真相がわかった。先に温泉に入っていた男性2名のうち1名が川で泳ぎ出したのだ。1時間以上も温泉に浸かっていると、体が火照って、水が平気になるようだ。



 上野原バス停で見かけた男性は約50分ほど川原の温泉を楽しまれ、結局、「私が津南まで送りましょう」ということになり、屋敷・小赤沢の配達は先送り。しかし、会話から得るものは多かった。
 

配達日誌12月4日〜10日

4日(金) 朝一番で隣組の配り物。その届け先の1軒で、「秋山に除雪車出動で、○〇が飛んで行った」という話を聞いた。その後、昼すぎに秋山の住人のFB(フェイスブック)投稿で、かなりの積雪を確認。
 TV等で「大荒れの天気」という報道がしきりに流れたが、今日の雪は基本的にいわゆる「上雪(かみゆき)」なのだろう。秋山は標高の高さゆえにかなりの降雪・積雪になったが、栄村の大部分の地域は大して降っていない。今日は東部と西部をぐるっと廻ったが、極野、坪野、原向、天地、大久保、泉平でわずかな積雪を確認したが、妹(いもと)木(ぎ)まで下りてくると、地区の途中で雪が見えなくなった。

 村では、「山に(雪が)3回降ると、里におりてくる」とよく言われる。私ももう9回目の冬を迎えるので、そのとおりのことを幾度も経験している。しかし、その「山に3回降る」というのは、たとえばスキー場のてっぺん、あるいは貝立山の上の方が真っ白になること。ところが、今年は、それよりもずっと下まで来ていながら、ギリギリのところで里にはまだ下りてきていない。下の写真は午前11時47分に貝廻坂から撮ったものだが、かなりのところまで雪が来ていながら、里の一歩手前で止まっているのがよく確認できると思う。



 配達は昼すぎで103軒。午後はのんびりアルバム作りなどをしていたが、先日頼まれていた仕事を今夜中に完成させなければならないことが判明。夕刻近くから俄然忙しくなり、結局、0時頃まで仕事。
 
5日(土) 朝一番で嬉しい電話。宮川吉郎さんからで、「今年いちばん大きいヒラタケが採れたので、差し上げます。直売所の前で9時すぎに」とのこと。9時に直売所に行き、裕子さんからいただいた。驚くべき大きさ。



 下に敷いた新聞紙との比較で大きさがわかると思う。
 さて、どうやって食べたものか?
 裕子さんに尋ねると、「炒めもの。中華に合いますよ」とのことなので、「ここはプロに任せよう」と考え、すぐに樓蘭へ。調理をお願いした。その結果は次頁写真。
 料理に使うポークはやはりこだわりたいと思い、津南に走って山田精肉店で妻有ポークの肩ロースをスライスしてもらった。
 料理は6皿分(1皿1〜2人前)ほど出来たので、吉郎さん・裕子さんご夫妻にも車を飛ばしてお届けした。吉郎さんからは、「ワインがすすんでしまった」というメールをいただいた。



 とても美味しかった。
 そのうえで、ある青年曰く、「『美味しい中華』というだけじゃなく、『栄村の自慢料理』にするにはヒラタケそのものをシンプルに押し出したレシピもほしいな」と。それは言える。今年はもうチャンスはないと思うが、来年はそれも追求したい。

 配達は白鳥を中心に104軒。
 夕刻、野々海へ。標高900mのケンの木で「これ以上進んだら動けなくなる」と判断し、Uターン。しかし、面白い写真がいろいろ撮れた。
 
6日(日) 今日は配達はせず、中条川上流の大規模崩壊との関係で、斜面崩壊などについて新しい資料も入手して、いろいろと勉強。室内で半日以上も勉強するなんて、最近はめったにないこと。時間の割に進まない。


6日午後撮影の1号崩壊地斜面。本格的に分析できるようにならねば…

 地学という分野は、もともとは好きではない。高校3年の時に、理科の選択科目で地学をとらざるをえなかったが、私のみならず、ほとんどの生徒が関心なし。担当の先生が面白い人で、受講者が男子生徒ばかりだったので、よく下ネタで生徒の笑いをとっておられた。あの時、少しは真面目に勉強しておけばよかったな、と後悔。 
      
 午後3時からは久しぶりに高橋彦芳さんを訪問。来年、米寿(88歳)を迎えられるが、相変わらずお元気。2時間ほどお邪魔したが、後半は相当話が盛り上がってきた。彦芳さんの村づくりへの夢は衰えていない。今に生きる“夢”、アイディアをたくさんお持ちだ。いわば「高橋村政はまだまだ未完」なのだ。それを継承・発展させる若手の人材を育てなければ、と思った。

7日(月) 夜早く寝るようにしているので、6時には起床。2時間弱、中条川対策検討会の資料を読み、8時頃から配達へ。平滝などで43軒。
 その後、久々に議会傍聴。
 中条川問題と雄川閣施設建て替え問題についての議員と村長のやりとりは「復興への歩み」で取り上げたいと思う。議員の不勉強、無責任さを自己露呈している面も目立ったが、それ以上にひどいのは村長の答弁のぞんざいさ。誠実に答弁しようという姿勢が感じられない。こういう人にはさっさと辞めてもらわないと村民の不幸だとつくづく思った。
 午後は再び泉平、箕作、横倉などで配達。今日は計110軒。
 夜、写真アルバムを作りたかったが、体力続かず、断念。




 朝霧がはれていく。平滝集落から。
 1枚目は千曲川沿いの断崖と毛無山(奥)。2枚目は苗場山方向を望む。
 
8日(火) 早く起床したので、まず、「こんな景色もいいなあ」というブログ記事を作成しアップした。「こんな景色」とは、6日夕に野々海線のケンの木(標高約900m)付近で撮影した夕陽の中を民間航空機が飛ぶ姿を撮影したもの。興味のある方はブログ「栄村復興への歩み」で検索してみてください。http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2056です。
配達は森集落と東部地区で111軒。

 志久見で前号の配達時から鍵がしまっているお宅がある。数回訪ねても、やはり鍵がかかったままなので、近所の方に尋ねたら、「体調を悪くされて、長野の息子さんのところに行っておられる」とのことだった。その時は家の前に愛車が置かれていたが、今日は車も姿を消していて、鍵はやはりかかったまま。相当にお悪いのだろうか。心配だ。1軒、1軒、配達に廻ると、ポストが溜まっているなどで、入院されたケースなど、だいたい分かる。

 最近、栄村の大地の成り立ちに対する関心が強まっていて、6日に彦芳さんから教えていただいた『栄村史堺編』の記述内容に沿って、栄村千曲川右岸の台地と津南町の河岸段丘とがもともとは1つの台地であることを示す写真を撮りたいと思い、東部地区の配達に廻りながら、いろんな写真を撮影。



 上はその中の1枚。写真右手に見えるのは長瀬集落の旧東部小(現・長瀬団地)。写真奥に見えるのは志久見川を挟んで対岸の津南町加用地区。旧東部小のグラウンドと標高がほぼ同じ。志久見川はV字形の急峻な谷になっていて、このように写真を撮ると、川の姿は見えず、栄村と津南町が地続きのように見える。写真左手に山が見えるが、じつはその上は河岸段丘の第2段。桜で有名な中子地区などがある段丘だ。その段丘と栄村の原向の田んぼゾーンがほぼ同じ標高である。
 
9日(水) 朝から「ジオある記」というブログ記事を編集。昨日の日誌に書いた栄村の大地のことを撮影した尻から記録化したいと思って書いた。第1回は昨日の日誌にも書いた津南の河岸段丘と栄村の千曲川右岸の台地がもともとは一体のものという話。

 昼前に配達に出かけたが、弁当を購入し、長瀬集落と原向の3軒の配達が終わった後、東部パイロットに出て、鳥甲山や毛無山(野沢温泉村)を眺めながら昼食。朝方は冷え込んだが、日中はポカポカで軽トラの窓を全開にして、ピクニック気分。
 眺めていた景色はこういうもの。


鳥甲山を、いわば裏側から見たもの。


越後の山並みを眺めたもの。山の上の方は見事に真白。写真に撮ると、小さくなるが、実際はもっと迫力がある。昨年だと、もう積雪で近づけない場所からの眺めである。

 その後、原向・野口での配達を終え、天代集落に下る途中で、坪野の山の田んぼゾーンからは大久保集落や泉平集落と毛無山の関係を示す写真が撮れるのではと考え、坪野へ。そういう写真は撮れなかったが、坪野から野沢温泉に通じる野沢街道の旧道に入り、山道で天地集落に下りた。夏にはススキが覆い繁っていて通れなかった道。途中は雪道だった。


坪野の山の上の野沢街道の山道にて。

 その後、天代、北野、中野、極野、当部、笹原を廻って、今日は計72軒。

10日(木) 夕方の天気予報では「今日の日中の気温は高かった」とのことだが、配達に廻った午前中、風が強く冷たかった。昨日までの晴天とはうってかわって一日中曇天。
 午前中に月岡、小滝、野田沢、程久保、大久保を廻り、No.271の配達を基本的に完了。秋山の和山集落9軒のみ未配達だが、これは青空が期待できる14日頃に廻りたいと思っている。
 午後、スキー場内の道を上がった。4日に積もった雪はすっかり消えている。中条川上流の大崩壊との関係で天水山の写真を撮りたいと思って上がったのだが、やはりスキー場からは見えない。
 その代わりと言ってはなんだが、「栄村の大地の成り立ち」ということで、よりいい写真を撮りたいと思っていた毛無山と栄村の千曲川右岸の台地の関係を示す写真や、鳥甲山、苗場山という秋山郷の火山とそこから流れ出る川が栄村の千曲川右岸の台地と津南の台地を分断した構造のようなものを示す写真がいろいろと撮れた。1枚だけ紹介しておきたい。



 山並みは左から鳥甲山、三ッ山、大次郎山、毛無山(スキー場コースが2本見える)。
 台地の上に、左から東部パイロット、菅沢農場、大久保集落が見える。大久保集落の手前には牛舎がある妹木が見える。別の機会に拡大したものもお見せしたい。
 
 11月のある時期以降、体調不良のことを頻繁に書いてきたが、この間、“ゆっくりペース”を心がけてきて、ようやく1ヶ月以上に及ぶ風邪症状からは脱け出せたように感じている。疲れると微熱を感じたり、体の節々が痛むということがこの1週間ほどなくなった。油断せず、さらに体調を整えていきたい。
 もう年末年始のことを考えなければならないが、今度の年末年始は「元旦から配達に廻る」ということは無理なようだ。はたして数日間、大人しくしていることができるかどうかが問題だが、なにか数日間熱中できる本でも探し出しておきたいと思う。

 

配達日誌11月21日〜12月3日

21日(土) 随分と久しぶりになるが、小谷村、白馬村へ。
 今日の主眼は小谷村の中谷地域づくり協議会の方々にお会いすること。9時頃に村を出て、11時半頃に白馬村に入った。中谷で午後1時半からフォーラムがあるので、あまり時間がなかったが、白馬村の堀之内地区の様子を少し見て廻った。そして、小谷村にむけて国道148号線を走り始めて間もなく、中谷の柴田さんから電話が入った。「お昼はどうされますか。蕎麦を打って用意しているので、よろしければ、こちらに来て食べてください」とのこと。
 お言葉に甘えて、フォーラム会場の中土観光交流センター「やまつばき」にてお蕎麦をいただいた。「栄村のようにヤマゴボウをつなぎに使ったものではありませんが」とのことだったが、とても美味しいお蕎麦だった(下写真)。写真は撮らなかったが、天ぷらも用意されていて、これも美味。



 調理されていた人たちの中のお一人に、小谷村独特の制度である集落支援員を務められている田辺さんという方がおられた。大阪の出身だそうだ。この制度は注目すべきものだと思った。



 フォーラム開会前に中谷の協議会の主だった方々からお話をお聞きし、私はフォーラムが始まって間もなく、センターを辞し、中谷地区の各所を見て廻った。昨年11月28日に訪れた時に、その景観に非常に衝撃を受けた小谷温泉付近にも行き、有名な山田旅館(上写真、本館は江戸時代の築という。地震を生き延びたのが不思議)を見るとともに、当時は先へ進めなかった道を進み、雨飾山の登山口まで行った。『日本百名山』の深田久弥が深く愛した山である。私は雨飾山というものを昨年、当地を訪れるまで知らなかった。先日、TVで深田久弥と雨飾山の深い因縁を知り、興味はますます深まった。私に体力があるならば、来年、中谷の人に案内していただいて登ってみたいなどと思っている。


雨飾山の登山口。山霧で山は見えなかった。

 帰路にもう一度、白馬村に立ち寄ったが、大きな被害を受けた田んぼの復旧工事があまり進んでいないように見受けられ、心配になった。
 帰り道、長野市内で道を間違え、1時間近くをロス。村に戻ったのは7時半ころだったか。
 体調は非常に悪い。
(以上、21日夜は体調が悪かったので、22日に記述)

22日(日) 昨夜は「どうなることやら」と自分でも心配するくらいに体調が悪かったが、朝は気分よく目覚めた。配達の遅れを取り戻さなければと思いながらも、「まずは昨日のレポートを」と思って、午前中は小谷・白馬のレポート作成。      
 レポートは11時すぎに完成したが、これだけで疲れてしまった。昼食後、思い切って配達を中止し、本格的に寝た。睡眠は2時間ほどだったと思うが、この睡眠で疲れが抜けた。
 今日はそんなにニュースを見ていないが、小谷村・白馬村に関するニュース報道について、二言。

 まず1つは、11月19日の「信濃毎日」の連載「暮らしを取り戻す〜県北部震度6弱から1年」の2回目の記事。小谷村中谷地区が取り上げられ、「山あいの集落 進む過疎」というタイトル。記事のトーンは「地震で過疎の村から人がどんどん出ていく」というもの。栄村をめぐってもお馴染の記事。
 壊滅的な被害を受けた中谷地区でそういう事態が心配されたが、「地元では、離村を10ポイント以下に抑えることができたという積極的評価がされている」と私は聞いていたので、この記事のトーンは何なのだ?と思った。昨日、中谷の人たちとこの記事の話をしたら、中谷の人たちも相当に怒っておられた。「もうこれからはゲラを見せてくれるのでなかったら、下手に取材には応じられない」という声も。その気持ちはいやというほどにわかる。

 もう1つは、夜7時のNHKニュースで流された白馬村での断層調査の話。東北大学が入って断層の発掘調査が行われている。神城断層では300年前にも地震が発生しているという新知見が得られ、「活断層は1千年単位で地震を起こす」という通説を覆す可能性があるという趣旨のニュース。
 5年前の栄村の地震では、地震の発生メカニズムは不明のまま。既知の断層は動いた形跡がないというだけで、どこにある断層が動いたのかは未解明。というか、解明する用意はどこにもなさそう。これを本格的に調査・解明するとなると、かなりの予算が必要となる。だから、研究者も下手に手を出さない。
 ところが、昨年11月、私が白馬村を訪れた時、非常に目についたのがさまざまな大学の研究所・研究者の姿。中央構造帯が走る地域であり、従来から研究対象にしている研究機関・研究者が多い。少々意地悪い言い方をすれば、みなさん、これまでの自分たちの研究論文との整合性を確かめるために白馬村に走ったのだろう。そして、ここは研究予算がつくというわけである。予算と関係なく、山間の地域に足を運んでくれる研究者というのはそうはいないものである。
 
23日(月) 久々に快調。午前中、主に東部地区を廻り、119軒に配達。昼すぎからは「お米のふるさと便り」の制作。愛知県から来村下さった方があり、6時半頃から2時間強、吉楽旅館で会食。9時前に帰宅後、「便り」の仕上げ。なんだかんだで、作業は夜遅くまでかかったが、そう疲れることもなかった。
 来村されたのはお二人だが、そのうちお一人はもう何回目だろうか。絵を描かれる人で、私より年上だが、これから先も村を訪れて下さりそう。これぞリピーターというものだ。

 今日見聞したことのなかで特筆すべきは、坪野の斉藤広友さんが冬、家の前の坂に流される水の仕掛けの凄さ。
 前回、11月2日だったと思うが、配達に行った時、家の外にいる広友さんと出会った。ご存じの人も多いだろうが、広友さんは昨冬前に北長野に新居を構え て、移転された。かなり深刻な患いがあって、坪野で暮らすことが困難になったためである。だが、この春以降、私は広友さんとしばしば坪野のお家で会ってい る。移転先でボランティア活動をされているが、その合間をぬって畑作業などをするため、坪野に帰って来られるのだ。私が配達したものも、だいたい次回の配 達時には取り出されている。
 私は、冬の間、広友さんの家のポストまで行けるかどうか心配で、2日に会った時、「今年も水は流すんですか?」と気 軽に尋ねた。「流すよ。前回来た時に山のかけ口に行ってきた。2〜3kmあって、大変なんだぜ」。私は家の近くまで来ている水を引いているものだと思い込 んでいて、そんなに大変なものだとは思っていなかった。


 
 今日、広友さんの家に行くと、坂に水が流されていた。毎日来られるわけではないので、「そろそろ雪が来ても大丈夫なように」と、水をかけていかれたのだろう。私は前回の話があったので、坂の上のパイプを見てみた。すると、パイプは坂の上よりもさらに上の方からきているのではなく、坂の横手の畑の方(下手)から来ている。私はポストに「歩み」を入れたうえで、そのパイプがどこから来ているのか、追跡した。畑を越え、家と作業所の横手の低木などが生え、足元は石がごろごろしている中を追いかけた。すると、家の裏手を流れる天代川に近づくと、パイプは地面を這うのではなく、高く引き上げられ、空中で川を向こう岸へ渡るようになっている(下写真1枚目)。川を渡るところで二手に分かれているが、うち一方は対岸の滝の方に連なっている(下写真2枚目)。





 いやはや、なんともすごい仕掛けだ。広友さんに是非、詳しい話を聞きたい。また、来春、雪消え後の片付け作業の時に現場に同行してみたい。

24日(火) 午前中、大久保、箕作、泉平などで97軒配達。途中、昨夜の来村客と一緒に「大庭君家のえのき」を訪問。
 午後、この間の体調悪さで最も深刻な喉の痛みを解決するために中野市の耳鼻咽喉科へ。中野市というのは何回訪れても道がよくわからないが、目的の医院は細い道を入った先にあって、探し出すのに一苦労。症状はさほど深刻なものではないようで一安心。
 それにしても、大病院の週2回程度の予約診療(他所の大学病院医師などが非常勤で来る)を除くと、飯山市にも十日町市にも耳鼻咽喉科の医院がないというのは不便。中野市も1軒だけだが、かなり立派な医院で、季節がらということもあるのか、患者も多かった。子どもが育つ地域には耳鼻咽喉科は不可欠の存在だと思うのだが…。
 中野市まで行くとなると、やはり半日仕事になってしまう。



 今日撮った写真の中の最高傑作はこれ。正午過ぎに泉平で撮ったもので、強い風でイチョウの葉が凄まじい勢いで散る様子。望遠で撮った。
 落葉する様子を撮ろうとこれまで何度か試みたが、うまく撮れなかった。さすがにこれだけの量が一斉に散るとはっきり撮れる。

<マイナンバー制度について>
 栄村の全世帯に「マイナンバー通知カード」が今週あたり配達されてきたのではないだろうか。私の場合、23日に「簡易書留ご不在連絡票(マイナンバー専用)」というものがポストに入っていた。私は受け取る意思がないので、今日24日、連絡票に書かれた番号に電話すると、「受取拒否の署名をしなければならない」とのこと。10時半頃に配達の人から電話連絡が入り、青倉集落内で落ち合って、署名した。局員の指示に従い、簡易書留の封筒に「受取拒否」と自筆で書き、その横に署名した。
 私が受取を拒否したからといって、国が私に割り振った番号が消えるわけではないし、いずれは何かの行政手続きの際に私自身が「不便」するのだろうと思う。
 だが、この「マイナンバー」、なんともソフトな感じのネーミングだが、ルーツは国民総背番号制。私の信念に照らして、唯々諾々と従うわけにはいかない。現時点では、「希望者のみに配布」とされている「マイナンバーカード」、いずれは全員が「身分証明書」代わりに持たされるようになるだろう。「安保法反対」を明言するとTV番組から降ろされる昨今。いずれ、「戦争反対」と言っただけで追求を受け、「マイナンバーカード」で身元調べをされるようなことになるのだろう。次の「戦前」は、このようにカード1枚にすべての個人情報が書き込まれ、かつての戦前以上に国に逆らいづらいものになるだろう。ゾッとする話である。そうしないためにも、スジを通しておきたいと思った次第。

25日(水) 昨夕、中野市からの帰り道、栄村に近づくと、冷たい雨が強くなり、気温が6℃。「こりゃ、野々海は雪だな」と思った。もう暗くなりかけていたので、様子を見に行かなかったが、今朝、野々海へ。
 どんな様子かわからないので、さすがにスキー場から貝立山の裏側の山道を走るコースはとらず、平滝から。昨年11月15日の野々海の初雪を観察に行ったときに降雪を確認した地点を越えても雪は見えず、「降らなかったのかな」と思っていると、標高950mくらいの地点で薄っすらと雪があった。昨年の初雪とは比べものにならないくらい少ない雪。
 野々海池は霧がかかって写真にならなかったが、三叉路の湿地や東窓ではいい写真が撮れた。


野々海池は霧で見えないが、池に下る坂道にて

 8時すぎに出かけ、10時半頃に帰宅して、いっきにブログ記事「野々海の初雪」を制作、アップした。
 これで疲れてしまい、午後は室内作業。作業の主内容は、この秋、紅葉情報としてブログにアップしたものをすべてプリントアウトし、クリアファイルに収める作業。とりあえず3冊作った。
 じつは、先日同じものを1冊作り、「復興への歩み協賛寄金」にバザー収益金をご寄付下さった団体に礼状とともにお送りした。23日、その受取確認のメールが届き、その中で、「5年間に11回のチャリティバザーを行なってきましたが、あて名を変えただけの紋切型ではない礼状が届いたのは初めて」と言っていただいた。全部で約40種類のブログ記事を収めているが、今後もなにかのお礼に送ることができるだろうし、また、栄村の観光について議論するための材料にしたいと思っている。
 
26日(木) 配達のために県道を雪坪に向かい、スノーシェッドを越えると、正面に鳥甲山の冠雪した姿が見えた。それで、急遽、予定を変更して秋山へ。
 そこそこにいい写真が撮れた。


仁成館から見た鳥甲山。手前はジオパークで「和山の崖(凝灰岩)」と紹介されているところ

 写真撮影と上野原、和山での配達を兼ね、午後1時半頃には下に戻ってきたが、昼食を終えると、相当に疲れた実感が。ただ、どうしても今日中にブログにアップしておきたかったので、作業を強行。夜9時頃までにアップできた。
 25日の野々海といい、今日の鳥甲山といい、かなり趣味的と思われるかもしれないが、仕事。野々海池の雪景色は野々海の水でつくるお米の販売には不可欠。「鳥甲山は雪景色がいちばん素敵」と言われる人もおられる。冬の秋山観光を促進する素材も必死で創造していかなければならないと考える次第である。

27日(金) 北海道では大荒れの天気。だが、そういう時は栄村ではあまり雪が降ったりしない。ただ、午前11時すぎ、白鳥あたりから眺めた野々海の方向の山は「雪が降っているんだろうな」という空模様だったが。午後1時すぎ、スキー場を見上げたら真っ白になっているのには正直驚いた。夕刻、温泉に出かけるために車に乗ると、フロントガラスにシャーベット状の雪がびっちり。「トマトの国」ではうっすら積雪。国道117沿いは雨のままだったが、いちおう村の初雪といっていいだろう。


午後3時40分、森の開田から東南方向を望む。

 低気圧が北海道東部へ移動・発達し、大荒れの天気になるというのは、今年の初めから夏、秋にかけて何度も繰り返されているパターン。夜、いくつかの気象解説をみたが、この点に踏み込んだ解説は見られなかった。赤道付近の大気、海流の動きとの関連などもおさえた、踏み込んだ解説が欲しい。
 直売所で買ったサンふじ。蜜がいっぱい入っていて、最高に美味(うま)し。子ども時代にはよくリンゴを食べたが、大人になってからはほとんど食べなかった。かすかすしていて美味いものがなかった。再び食べるようになったのは栄村に移ってから。やはり畑で熟し、蜜がたくさん入ったものが最高。
 
28日(土) 朝8時頃から東部の中野〜笹原の31軒と森の39軒を配達。その後、用事を1件済ませ、野々海池へ。途中、群馬ナンバー、長野ナンバーが下ってくるのに出会った。少なくとも1台は上まで上がってきたようだ。キャンプ場方向まで轍(わだち)が残っていた。
 朝9時頃に太陽がキラキラと光り、いい天気になったので「野々海に行こう」と考えたのだが、私が実際に上ったのは11時頃。天気は悪くなっていて、案の定、野々海池は霧の中。しかし、程なく、風が霧を流してくれて池の姿が見えるようになった。しかし、それはほんの一瞬のこと。また、霧が立ち込める。
 今日はあまり準備ができていなかったので、早々に戻ってきたが、1時間くらい粘れば、相当いろんな写真が撮れるなと思った。今日撮れた写真は「復興への歩み」次号で使おうかと思う。
 午後はお米の発送、頼まれた用件1件、ブログ記事の作成と休養の午睡。体調はやはり本物でない。
 
29日(日) 昨夜、やや早めに就寝したせいか、午前3時すぎに目が覚め、そのまま起床。いろいろと調べものなどをしていたら、7時20分。「坪野の普請の様子を撮影に行かなきゃ」と、慌てて坪野へ。その後、9時頃、今度は平滝へ蕎麦打ち、餅つきの取材。
 昼すぎ、眠くなって「寝よう」と思って布団を敷いて床に入ったが、結局眠れず、4時には「おいこっと」の今年最終便を撮影に横倉へ。
 さすがに早めに就寝することに。

30日(月) 昨日、調べものをしていて、「中条川上流1号崩壊地は拡大崩壊の危険がある」という報告に出会い、今朝は1号崩壊地の現在の様子を撮影に現地へ。


森の開田から鳥甲山を望む(午前9時40分)

 その後は「復興への歩み」No.271の編集。ゆっくりとしたペースで、今日中には終わらず。少しは休養になったのではないかと思う。

1日(火) 午前5時頃起床で、そこから1時頃までぶっ通しで「復興への歩み」No.271の編集・校正・印刷等。これ自体はそんなにきつくなかった。
 昼食後、17軒30部のみ配達。
 早々に就寝するつもりだったが、メール配信、ブログへのアップ、印刷・折り作業などであっという間に午後11時を廻った。その後も、メールへの返信等で、結局1時就寝。

2日(水) 6時すぎに目が覚めた。昨夜が遅かったので、もう少し寝ようかとも思ったが、そのまま起床。
 予報で明日以降は天気が悪くなりそうなので、今日は秋山(小赤沢、屋敷)の配達と決めていた。7時40分頃にガソリン給油を行い、日出山線経由で秋山へ。途中、屋敷までの林道から見える鳥甲山の撮影などをしながら進み、8時50分頃から屋敷で配達を始めたが、2軒目の時、車から降りて一歩踏み出した途端に、すってんころり。よく見ると、道路が完全に凍結していた(下写真)。



 その直後に顔を合わせたおやじさんが、「ご苦労さん。今日はどこから来た?」と尋ねてこられた。「日出山線」と答えると、「○○さんは凍結で車を滑らせてしまい、落っこちたんだぜ。気をつけなきゃ」と。そう言われると、たしかにカーブを曲がる時などに滑りを感じていた。おっかない。転んだ後、スパイク付きの長靴に履き替え、軽トラに荷台に手をかけて移動するなど、細心の注意を払い、以後は無事。

 屋敷を配り終え、小赤沢で5軒ほど廻ったとき、ふと空を見上げると、先ほどはまったく見えなかった雲が出始めている。「小赤沢を全部配達した後に上野原に行ったのでは、雲に影響されない鳥甲山を正面から撮るのは難しくなるな」と思い、急遽、先に上野原に行くことにした。「西ノ平」というところと鳥甲山をワンセットで撮りたいという思いはあったので、苗場山3合目駐車場に通じる道を経由して上野原に向かった。まだ冬期通行止めになっているわけでもないし、雪が降っているわけでもないので、このコースを選んだのだが、1合目を過ぎて間もなく、道路の両側が霜で白くなっている(今朝は村全域で田畑などが霜で白くなった)というには過ぎるほどにしろくなってきた。そして、間もなく、道路に積雪。「えっ! まさか」という感じ。3合目駐車場への道と上野原に下る道との分岐点からは車が走った跡があったが。冬シーズン初めの雪道はやはりおっかない。幸い、上野原への下り道のほとんどは陽が当たり、積雪がなかった。
 秋山での配達は午後1時までに終わり、下におりた。
 その後、携帯の故障直しで津南に立ち寄るなどしたが、米の発送、森での配達などで夕刻に。
 鳥甲山の写真など、ブログにアップしたかったが、仕事量削減のため、今夜は仕事せず。
 
3日(木) 昨夜、「復興への歩み」No.271を印刷中に、「廃ボトルが満杯になりました」という表示が出て、プリンターがストップ。「廃トナー」とは、通常のインクに当たるトナーという粉の残滓(ざんし)。まあ、「廃油」みたいなものと言ってもいいだろうか。
 このため、保守サービスの人が来てくれるまで印刷はストップで、今日の午前中は配達することできず。
 その代わりと言っては変だが、朝起きた時から右腕の具合が悪かったので、十日町の接骨院へ。そのついでに、「10月29日仕上がり」の裾直しをしてもらった新しい冬ズボンをイオンに受け取りにようやく行けた。
 「午後イチ」で保守サービスが来てくれて、午後2時頃から配達。青倉を中心に計72軒。かなりゆったりしたペースで仕事している。今月中(年内)には通常の体力に回復したい。ただ、あまりゆっくりしていると、結局、後できつくなるので、そこそこには頑張らなければ。
 野田沢で宮川吉郎さんと出会った。「大根つぐらを作りましたよ」(下写真)。中には96本の大根が入っているそうだ。「大根が足りなくなったら、いつでも取りに来てください」。有り難い話だ。
 




配達日誌11月16日〜20日

16日(月) No.270の編集と一定部数の印刷等を午前中に終え、昼からNo.269の未配達がある程久保、野田沢集落の配達へ。

 程久保集落では滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見てきた。本当は茎を切り倒す作業をされるところを取材したかったのだが、この間の私のスケジュールの関係でできず。しかし、今日、畑の様子を見られてよかった。総一郎さんはお家にもご不在で話を聞くことはできなかったが、写真は撮れたので、ひとまずはよし。後日、いろいろと話を聞いてみたい。


アスパラの茎が切り倒され、すっかり様子が変わった

 野田沢ではいろんなことがあった。まず、用事があって実家に帰っておられ     
た麻子さんと出会った。お元気そう。つぎに、宮川吉郎さん宅。キノコがあまり採れない今季だが、さすが吉郎さん。ナメコをいっぱい採っておられて、裕子さんからたくさんのナメコと二十日大根をいただいた。
 また、野田沢集落に入る時、電動車でネギを畑から自宅に運んでいるかあちゃんの姿が見えたが、その人の家に配達に行った時、家の前におられて、電動車で運んでいた人であることを確認。電動車では運べる量に限りがあるので、何回もに分けて運んでいるとのこと。その後、畑でも出会った。「おかあさん、地震の年だったかな、この畑で出会って、『何を栽培するか』なんてことを話しましたよね」と言うと、おかあさんも覚えていてくださった。その結果でもないが、「水菜を持っていくかい」と言って下さり、これまた大量にいただいた。水菜を畑から実際に収穫する様を初めて見た。「ほう、抜くんじゃなくて、根の近くを鎌で切るんだ」と感心。
 貝廻坂の通行止が全面解除になって本当に便利になった。夕暮れが迫る中、白鳥で40軒を廻り、今日は計65軒。
 
17日(火) 昨夜やや早めに就寝したせいか、4時半頃に目覚めた。起きようかどうか、しばらく様子をみたが、眠気は戻ってこないので、そのまま起床。5時半頃から、ここ数日中に作成しなければならない書類の作成作業にとりかかり、午前中はその作業で過ごした。

 午後、平滝を中心に配達に廻ったが、その途中で柿をとっているかあちゃん3人と出会った。当初は写真を撮るつもりだったが、「ちょっと下りてきて、とってみなさいよ」と言われ、柿とりに参加。物干し竿のような長い棒の先に切狭がついた棒を手元で操作するのだが、なかなか難しい。次第に慣れてきて、うまくとれると、「あら、上手ね」とおだてられ、その気になって、結構長い間やっていた。その後、かあちゃんたちのうちのお一人のお宅にお邪魔してお茶のみ。今風にいえば“女子会”への参加。気がついたら、外はすっかり暗くなっていた。


柿取りをした木。かなり急な法面の下にある

 村には柿の木がいっぱいあるが、昨年までは「栄村の人はせっかくの柿をほとんど取らないな」という印象だった。「渋柿だから」と説明されたこともある。ところが、今年は柿を取っている人の姿をよく見かけるし、干し柿作りで軒先に柿をつるしている家も多い。また、直売所には「さわし柿」が出ている。
 今日、柿取りに参加したところの木は渋柿。さわし柿にするとのこと(その後のお茶のみでもさわし柿が出された)。別の木で取られた甘柿を袋いっぱい、いただいた。        
 平滝〜明石間の橋をつくる場所では、森林組合の手で立ち木の伐採が行われていた。
 
18日(水) 今日も書類作成作業があるが、午後に雨が強くなるという天気予報だったので、「午前中配達、午後書類作成」という段取りに。今朝も4時すぎに一度目が覚めたが、今日は起きないで、7時前に起床。
 午前中に配達できたのは66部で、考えていたほどの軒数は廻れなかったが、今日は1つの関心事項をもって廻り、その関係の撮影を意識的に行なった。崖面に見える紅葉の名残りの様子の変化を写真記録に残すことだ(写真は後ほど)。
 もう1つ、配達の途中で月岡のミズバショウ群生地近くの現在の様子を見てきた。来春、ミズバショウが最もきれいな時期に写真を撮りたいと思っていて、地形を頭の中に叩き込むことが1つの狙い。今春は雪の上を片道30分ほど歩いて行ったが、今日、その道を軽トラで走ると、我ながら「ただ雪原が広がるだけのところで、よく辿り着けたな」と思うほど、道は曲がりくねっている。まあ、雪原で見通しがいいということはあるが、ちょっと間違うと川筋に落ちる危険がある。来春は道筋がしっかり頭の中にある状態で行けるだろう。あとはスケジュール調整をしっかりやって、初期、最盛期、終期の少なくとも3回、きっちり行けるようにすることだ。


10日(午後4時すぎ)


18日(10時半ころ)

 「赤い葉が減っているな」と思ってはいたが、このように今日の写真と10日のものを並べて比較してみると、様子が大きく変わっていることにいささか驚いた。同一箇所の紅葉の変化(とくに落葉期)をこのように追いかけたのは初めて。こういう作業も大事だなと思う。

19日(木) 午前中は青倉を中心に62軒を配達。甚治さんのお宅の隣り(甚治さん宅とはそこそこ離れている)まで行った時、トントンと藁を叩く音が聞こえてきた。「きっと、つぐら作りの藁を小槌で叩いておられるのだな」と思いながら、お宅に伺うと、やはりそうだった。「元気にやっておられますね」と声をかけると、「10日ぶりくらいかな」とのこと。「えっ、お体でも悪かったんですか」とお尋ねすると、「やる気にならなかっただけ」というご返事。「そうだな」と思う。お歳は90歳を超えられた。そんなに気を詰めてやるものでもないだろう。何かを教えられた気がした。


青倉で撮った1枚。スキー場への道の下に見える紅葉の名残りがとても綺麗。
いろんな地点から撮ったが、結局、これが気に入った。

 午後は、2時半から「おもてなしセミナー」を覗いた。同じ講師が3回やっているものの3回目。半分くらいが私も聞いた1回目と同じ内容。1回目よ  
りは栄村の人に通じる内容を伴っている  
と感じたが、冒頭に「おもてなし」の事例として「リッツ・カールトン東京」の1泊9万円(食事なし)の話をもってくるというセンスはやはり共感できない。「お客さまに声をかける」ことが大切という話は私が「歩み」No.270で書いたことと完全に一致するもので、その意味では共感してもいいのかもしれないが、栄村の経験をほとんどふまえないでの講演にはやはり違和感を覚えざるを得ない。講師への違和感以上に、主催者の企画への違和感の方が大きいのかもしれないが。

 夜は7時から、森区住民を対象とする駅前施設(事業名は「観光及び震災情報発信拠点施設建設整備事業」)の説明会。すでに工事が始まっている段階で「住民への説明会」というのも変な話。私はできるだけ静かに聞いているように心がけたが、住民のお一人がバッサリ。「工事が始まってから説明会というのは、どういう訳ですか。みんな白けていますよ。だから、参加者も少ない」と。
 この施設、要は森林組合の事務所をつくらなければならないが、それ単独では補助金が確保できないために、色々ともっともらしい話にせねばならず、「観光及び震災情報発信拠点施設」云々というものになったもの。役場担当者はあっけらかんとそのことを認めるので、この場ではそのことを議論してもあまり意味がない。
 いちばん問題だなと思ったのは、やれ観光だ、ジオパークだ、震災の記憶を風化させない展示だ、ママカフェだと、いろいろと言っているものの、その内実がまったくないこと。別に国家資格保持者の有無を問題にするわけではないが、博物館学芸員有資格者ないしそれ相当の能力を有する人材の育成・確保なしに「史料展示館」だ、「震災展示スペース」だ、「ジオパーク案内所」だと、ハコモノ施設さえつくれば、なにかが出来ると考えているのがおかしい。これは個々の担当職員の問題ではなく、村政のあり方そのものの問題である。ここ1年ほど、村長は口を開けば、「ジオパークに認定されたので、観光の発展が期待されている」とのたまう。日本国内でジオパークを観光と結びつけているのは津南町と栄村だけと聞く。そのことは今日の説明会で役場職員も認めていた。それでも、津南町はまだジオパークと観光を結びつける具体的な努力をしているが、栄村にはそれに比する試みは皆無と言って過言でない。ジオパークのポイントに行くと、ジオパーク関係の説明文書をコピーしただけということが一目瞭然の小看板が立てられている(下写真、説明は文末に)。「なにも無いよりはまし」なのかもしれないが、感心できたものではない。



 「ハコモノだけでは村づくりは進まない」という批判だけで済むレベルではなくなっている。事は相当に深刻。村政の根っ子からの変革が必要なようだ。とはいっても、簡単なことではない。私は政治舞台ではなく、もっと深いところで何かを変えることをめざしたいと思っている。
 この施設をめぐる問題は「歩み」次号で深くかつ全面的に議論しなければならないかなと思う。

<上の写真について>
 これは9月14日に国道405号線の上野原近くで撮影したもの。「上野原の風穴」がある場所に立てられている看板。文章は、「国道405号線沿い、上ノ原集落への登り口少し手前の岩壁の隙間から冷たい風が吹きでています」で始まる。だが、その現場に立つ看板なのだから、「ここが上野原の風穴です」で文章が始まらないとおかしい。細かいことのように思われるかもしれないが、結構大事なことだと思う。

20日(金) 朝は6時すぎに起床で、結構眠ったが、朝起きてすぐから背中が重い。珍しいこと。今日は配達に出ず、室内での整理作業などにとどめた。
 10月に「11月になったらぶっ倒れる」と自分で言っていたが、予期した以上に疲れは深いよう。「完全休養」は避けたいので、相当のペースダウンを心がけるしかないだろう。まあ、10月〜11月上旬に「さわいで」、しっかりと活かすべき財産をたくさん仕入れたので、その整理・活用に相当の時間をあて、ゆっくりペースでやっていこうかと思う。
 

配達日誌11月11日〜15日

11日(水) 午前中は切欠、長瀬、笹原、当部で53軒、午後、泉平、月岡で51軒を廻った。計104軒で、配達としてはまずまず順調。
 いまの時期、村を廻っていると、大根、ネギ、白菜、キャベツ、野沢菜の収穫、そして、それらの野菜の越冬用の準備(まず乾すこと、野沢菜は漬け込み)の作業と頻繁に出会う。今日、切欠で出会った人は白菜を軒下に移動させているところであった。天気がよい状態で3日間程度、乾すそうだ。「乾す」と言うと、都会の人たちは乾燥野菜を作るように受け取られるかもしれないが、そうではなく、余計な水分をとばして、腐らずに保存できるようにするのだ。
 そのおかあさんによれば、「今年は白菜が大きくなりすぎた。これじゃ、鍋物に入れる時でも白い部分の切り方をうまくしないと、よく煮えません」とのこと。10月の陽気がよすぎったためだろう。自然とのつきあい方はなかなか難しい。

 今日は、「探検」と言うほどのことはしていないが、切欠などで道路からは離れた田んぼなどに入ると、普段は目にできないいい景色がいろいろと見られることをいくつも発見できた。1枚だけ紹介しておきたい。



 おそらくは笹原の人がやっておられる田んぼだと思うが、長瀬から笹原に向かい、スノーシェッドを越えて、県道が直線になったところの左手の田んぼの畦を志久見川に面するところまで進んで撮ったもの。
 
12日(木) 今日はまた、まったく非計画的にさわいでしまった。「さわぐ」というのは、村では「動きまわる」というような意味で使われる。当初はその使用法に違和感があったが、最近は自分でも使うようになってきた。国語辞書では、7番目の語義として、「忙しく立ち働く」が出てくる。
 北野での配達があと1軒となった時、北野から見える1つの場所が気になり、そこを撮ろうと北野集落の入り口付近に戻った。
 「気になった場所」というのは、次の写真のところ。



 当初は、もうわずかにしか紅葉が残らない風景を撮り残しておきたいというだけのことであった。
 しかし、望遠を効かせて、いろんな箇所のクローズアップをしているうちに、次の箇所が俄然、気になりだした。



 見えているのは、いわゆる天代坂の法面だが、写真中央のところ。道路のすぐ脇が崩れかかっているように見える。「あそこは一体、どんなふうになっているのだろうか?」と気になり、その場に行ってみることにしたのだ。
 現場に行ってみて、道路がすぐさまどうこうなるという状況ではないことは理解できたが、そこは「苗場山麓ジオパーク」で「天代の露頭」として紹介されているところのすぐそば。43万年前の地層が見えるというところである。

 地質学者による「発見」の直後(地震よりも数年前)から、道路からは何度も見ているが、今日は初めてその露頭の上に上がった。そこから、そのそばの原向集落の天代坂付近について次々と関心が湧き出てきて、結局、2時間ほど歩き回ることになった。その一番の極みは、原向集落の当部新田のいちばん奥の家・平塚さんの横手を走る道が、その先、どうなっているかを「探検」したこと。地図の記載にしたがって、最初、野口〜天代間の道路から入ったが、すぐに行き止まり。このあたりで主に花卉栽培をしておられる藤木虎勝さんに出会い、「この道は抜けられますか?」と尋ねると、「抜けられない」とのこと。それでも執念深くソバ畑に沿ってどんどん奥まで入った。でも、当部新田へは抜けられない。そこで、次は平塚さんの家の横手の道へ軽トラを進め、ほんの少し進んだところで、後は歩き。道形ははっきりある。ただし、低木等が繁っている(写真下)。落葉しているので、なんとか進み、虎勝さんの畑まで出た。最高に面白い。



 「面白い」という表現は語弊(ごへい)があるかもしれないが、そこには村の歴史が詰まっていると思うのだ。
 この後も、北野での配達の最後の1軒に向かったものの、またまた林道に入り、行き先の知れぬ道を進む「冒険」。これについては、「北野の林道から見た眺め」というブログ記事を作成し、アップした。
 しかし、こういうことをやっていると、体調がなかなか完全復調しない。夜になって、喉がかなりひどく痛くなってきた。

13日(金) 白鳥と横倉、小滝で計54軒を配達。白鳥では柿、横倉ではカブ、長ネギ、ターサイをいただいた。柿は午後にさっそく1個食べたが、適度の甘みでとても美味しかった。ターサイは初めてだが、塩・胡椒だけで炒めたら、最高に美味しかった。残念ながら、食い気が先に走って、ターサイの写真を撮っていなかった。10月の写真データを引っ張り出せば、直売所に出荷されているものを撮ったのがあるかもしれない。渡辺うめ子さんの畑での頂き物。

 今朝、一番の動きは津南町の見玉(国道405で秋山郷に向かう途中の集落)の「見玉公園」の見学・撮影。先日、秋山からの帰りに「見玉公園」という看板が目に入り、気になっていたが、昨夜、津南の人から「観光スポットとして成功している」と聞いたので、行ってみた。「石落とし」と呼ばれる地形が見られる場所である。



 たしかに、素敵なスポットである。
 この公園が誕生した経緯を公園の近くの土産物店で聞いたが、地元民の熱意の産物のようである。栄村の観光を考えるうえで学ばなければならないことが多々あるように思う。なにかの機会に紹介したい。
 白鳥での配達の後、診療所へ。先生からは「しばらく静かにしなさい」とのアドバイス。整理して活かさなければならない素材もたくさんあるので、外で“さわぐ”ことはしばらく控えることにせねばなるまい。
 
14日(土) 今日は秋山での配達。No.269未配達世帯を全部廻ると同時に、11月7日の秋山小メモリアルデーの記録集を全戸配布。
 今日の秋山はすごい強風だった。景色は1週間前とはすっかり様変わり。今日の強風もあって、広葉樹はすべて落葉。山々がとても寂しく、かつ厳しい表情を見せている。非常に衝撃を受けた。
 あまり「さわがない」ということで、山に入ったりはしなかったが、切明で最後の2軒の配達が終わった後、秋山林道をミズノサワまで走った。なんとも表現が難しい景色であった。上に書いた「とても寂しく、かつ厳しい」ということに尽きるかもしれないが、これは一度は見ておくべき景観だとも思った。写真を1枚だけ示す。小雨が降っていて、水滴がつき、あまりいい写真ではないが。かなり暗く見づらい写真かもしれないが、私の脳裏に焼き付いているものはもっと暗く、厳しいものである。



 今日の“最大の出来事”は長崎の高校の同級生という若者4人組に出会ったことだろう。これにつてはブログに詳しく書いた(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2035)。
 上記のとおり、切明の先まで行ったので、帰路の405号線はすでに暗かった。
 
15日(日) 朝、「秋山小メモリアルデー2015年11月7日」20部を教頭の斉藤充子先生に届けに行き、何ヶ所かの工事現場を撮影した後は、No.270の原稿準備。
 午後は集落の水路普請。3時頃に雨が降り出し、私が参加した場所は予定を切り上げて終了。途中、水路沿いから見える景色は最高だった。明日にでも、晴れたら写真に収めておきたい。
 朝、貝廻坂工事の完成状況を撮影に行った時の1枚を紹介しておきたい。関田山脈側から見れば雲海が見えたことだろう。



 

配達日誌11月3日〜10日

3日(火) 昨夜は比較的早く眠りに就いたが、朝目覚めると体調は悪い。配達は断念し、米・野菜の発送と、午前・午後2回の依頼された仕事のみをこなした。
 夕方に2時間くらい眠った後が体調最悪のピークか。お腹にやさしい軽い夕食を食べ終えた頃から体調が落ち着き、日誌を書いている今はBSで「百名山スペシャル」を見ている最中。
 明日は体調が回復していても、あまり無理をせずにかなりの休養をとるようにしたい。今日会った友人も夫婦二人で風邪で、「この風邪はしつこい」と言っていた。私の前に風邪をひいた知人も長引いていた。
 今日はそういうわけで1枚も写真を撮っていない。
 
 夕刻4時頃、直売所をちょこっと訪ね、「今日の人の入りは?」と尋ねると、ほぼ一日雨であったにもかかわらず、「かなりの人出ですよ」というご返事。

 10月は自分でもたいへんな無理をしたと思っている。
 ただ、その成果も大きい。
 今まで持っていなかった“目”が養われたように感じている。今日、直売所に置いた小パンフ「11月2日の紅葉」に収めた東部地区での紅葉風景などは昨年までの私の視界には入っていなかったのではなかろうか。
 人生65年。いまのように活発に動ける時間はこの先、そんなに長くはないだろうが、動く中でさらに自らの視野の中に収めたいもの、そして知りたい・学び取りたいと思うものが多々ある。人生の62年目でさまざまなものを一挙に失う事態に遭遇し、いまは何も持たない身であるが、最も幸せなときを過ごしているように思う。
 10月の経験は、栄村の観光のあり方をふくめて、11月にじっくりと総括し、深めていきたいと思う。
 
4日(水) 奥志賀公園栄線が今日の昼で冬期閉鎖されるので、「野沢温泉やまびこゲレンデゲートまで」という限定つきで出かけた。
 なかなかの景色で、「火打山」という存在(しかもすでにしっかり冠雪)を知るなど、収穫は大きかった。


火打山

 だが、野沢温泉村に下りて、飯山で買い物・昼食をとって帰ってきたが、体が急速にしんどくなってきて、午後は家で就寝。夕刻に起きたら、調子は戻ったよう。
 夜は奥志賀公園栄線のブログ記事を書いて、アップした。
                                  
5日(木) 昨日、野々海の様子を見ておきたいと思いながらも、「奥志賀公園栄線は今日で閉まる」ということで奥志賀公園栄線の取材を優先した。そこで、今日は午前中、野々海へ。家からスキー場の山の方を見たら快晴だったが、風が少し気になった。しかし、野々海に上がってみると、風もほとんどなく、これまでに野々海で経験した天候としては最高の状態。


完全に落葉した野々海池と水番小屋

 徹底的に写真を撮りまくったと言ってもいい。とくに野々海峠からの眺めは最高だった。野々海池に落葉した樹々の姿が映る絵はいまひとつうまく撮れなかった。去年のベスト・ショットを見てから出かけるべきだった。

 信越トレイルの野々海峠入口で出会った人と少し話した。「伏野(ぶしの)峠から歩いてきました。今日で6日目です」とのこと。信越トレイルの踏破には5〜6日かかると聞いていたが、実際に6日間も歩いている人がいることにまず驚いた。さらに、かなり若く見えたのでお尋ねすると、「ええ、勤めがあります。今週は1週間休暇をとっています」とのこと。なかなか有給休暇が取りづらい日本社会だが、こういう人もおられるんだ。これが2つめの驚き。だけど、こちらの観光施策如何ではシニア世代だけでなく、もう少し若い世代も惹きつけることはできるということだ。
 午後は平滝や森などで66部を配達。
 夕刻をすぎても体調がおかしくなることはなし。ようやく回復の兆しが見えてきたか。夕刻にも野々海へ。
 夜は野々海の写真を整理し、ブログにアップ。0時近くまでかかり、この作業はきつかった。
 
6日(金) 昨夜のブログ記事の追加を編集したりして、出かけたのは10時すぎ。午前中は主に大久保での配達。朝は結構寒かったのに、気温がグイグイ上がり、参った。風邪ひき中なのであまり薄着はよくないと思い、途中までセーターを着ていたが、たまらずに脱いだ。
 この「気温差攻撃」で昼食後はしんどく、1時間ほど寝て、4時すぎから配達再開。青倉、森で79軒。暮れるのが早くて、最後はもうすっかり暗い中での配達だった。午前中と合わせて121軒で、久々に3桁の配達軒数となった。

 大久保では眺めがよくて、いろんな写真を撮った。また、治信さんが「つんね」で作業されているのが見えたので、訪ねた。奥さんもご一緒で、治信さんは草刈り、奥さんは野菜の世話。紫白菜など珍しい野菜がいろいろ育てられていた。ちょうど赤かぶを抜いておられたところで、「持っていくかい?」と言われ、7〜8株いただいた。これを浅漬けにしたもので、お茶漬けサラサラというのは最高。数日後の楽しみ。


手前が紫白菜

          引き抜いて下さったカブ
   
7日(土) 今日はフル稼働。朝から森、雪坪、志久見で57軒を配達。その後9時すぎから1時間ほど依頼された用件をこなし、10時20分に給油して、日出山線経由で秋山へ。この間、なかなか配達に行けていなかった屋敷集落で27軒を配達。これが12時すぎまで。秋山小のメモリアルデー開会が午後1時なので、駐車場所の秋山小クラウンドの車中で昼食。終了が予定をかなり超過して4時。この間、約3時間半ほど体育館の床で立ちっ放し。これはかなりきつかった。
 引き続き、小赤沢で13軒の配達をし、「秋山小を語る夕べ」会場の「とねんぼ」へ。ここでの取材が午後7時10分すぎまで。8時には下(国道117沿い)に着けたが、まさに丸一日フル稼働だった。

 メモリアルデーはなかなかいいものだった。「閉校式典」とは銘打たず、「メモリアルデー」としたところに地域の苦渋と知恵を見ることができる。


子どもたちの演奏に聞き入り、拍手する歴代職員や地域の人たち

 地域の代表の挨拶にはその苦渋が垣間見え、「語る夕べ」の席上での地域の人の発言や歴代職員の言葉・メッセージにはかなり率直な閉校批判が見られた。それに比して、村長の来賓挨拶にはその陰りもなかったのは、予想できたこととはいえ、いまの栄村の現状を象徴していて悲しい。
 メモリアルデーの会場には秋山郷の歴史(近現代史)を語る貴重な資料も展示されていた。それを詳細に拝見する時間はなかったが、機会を見て改めて拝見させていただければと思う。「人口ビジョン」が云々されているが、「秋山ビジョン」こそ真剣に、しかもかなり急いで検討しなければならないのではないかと痛切に思う。
 
 往路に日出山線を選んだのは正解だった。日出山線沿線、ブナのトンネル、布岩でこの時期の素晴らしい景色を撮ることができた。





 上の2枚は10:44撮影。たしか下日出山よりも手前だったと思う。日出山線沿線は10月下旬〜11月初旬の紅葉の穴場だと思う。1枚目の写真はこの下が横平川の深い谷なっている。2枚目は道路の上を見上げたもの。雪崩防止柵があり、冬の大変さが感じられる。
 
8日(日) この間、「ダウンした」というのはあっても、積極的に休養日をとることができなかった。11月の「復興への歩み」発行を2回とし、少し余裕が確保できたので、今日は休養日にしようと考えた。
 だが、昨夜早めに就寝したせいか、4時半過ぎに目覚め、5時すぎには起床した。そして、昨日のような催しの取材写真が大量にあると、やはり早いうちにデータを整理しないと、記憶もあいまいなところが出てきてしまって、データが生きない。
 写真を選びながら、「メモリアルデー」の部分のアルバムを編むだけでほぼ正午までを要した。5時間半ほどの作業。かなりきつかったが、早いうちに作業してよかったと思う。

 写真データを見ていて、つくづく思ったのが、室内会場での催しの写真撮影の難しさ。挨拶している人や演技している人のあまり近くに進むのは憚れるし、会場のみなさんの視線を遮るような位置に立つのも憚れる。そうすると、どうしても遠くからの撮影になり、なかなかいいものが撮れない。取材者としての「プロ意識」をもっと鍛えなければいけないのかなあとも思う。

 午後も一休みの後、夕刻にかけて「秋山小を語る夕べ」の写真のピックアップ作業。
 外での動きなしでPC作業ばかりというのは「休養」どころか、いちばん疲れる。作業の姿勢をよくすれば楽になるのだろうが、PC上のデータを見つめ続ける作業はなかなかそうもいかない。
 夜は基本的に作業せず、9時から縄文時代を取り上げたNHKスペシャルを観た。いろいろと刺激を受けた。それについてはどこかで触れたいと思う。
 今日は写真撮影ゼロ。
 
9日(月) 昨夜は早い目に寝たが、7時までぐっすり。じゃあ、体はスッキリかといえば、そうでもない。昨日は丸一日動かなかったうえに、夕食を少し食べ過ぎたよう。
 朝、ブログのアップ作業などをしたうえで、9時すぎに出発。

 配達の最初は志久見だったが、「志久見集落を徹底研究してみよう」という思いがあり、集落のいろんな所で写真撮りをしながらの配達。
 注意して見ると、地震後取り壊された家の跡も見える。また、落葉が進んだこの時期は、山のあり様などを含め、地形を見極めるのに最適の時期。今日だけでは必要なものをすべて撮りきれていないので、後日、追加撮影をして、まとめてみたい。1枚だけ紹介しておく。



 県道左手に「志久見」の標識があるところから志久見川に下りて撮ったもののうちの1枚。写真奥が上流だが、写真中央から左(川の右岸にあたる)を見てもらいたい。左側の山の斜面と、川沿いというか川の中というべきか、草だけが生えているところとは、あきらかに別に形成されたものだと見ることができる。草が生えているところは上流から押されてきた土砂が堆積したものだと思われる。この結果、志久見川の流れは左岸、つまり志久見集落寄りに変わり、県道が走る河岸段丘と志久見川の間の崖面を浸食。大雨によって志久見側の護岸が破壊される構造になっていると言えると思う。以前に一昨年の台風18号被害をうけての志久見川の護岸工事をめぐって少し書いたことがあるが、災害復旧工事はこの根本問題に対処していない(できていない)と思う。
 
 その後、柳在家、原向、天地、坪野、天代で配達したが、これまで入ったことのない農道に入るなど、いろいろと探検。「栄村の自然を生かす・活かす暮らし方」を念頭においてのこと。これは写真データを整理でき次第、ブログ記事にまとめる。また、直売所を数日ぶりに訪ねた。
 午後は、風邪が根本的には抜けきっていないようで、先週月曜にもらった薬が今日で切れるのが心配で診療所へ。その後、横倉などで34軒を配達、今日は計86軒。

10日(火) 今日は午後の一定の時間を除いて基本的に雨降り。
 午前中にプリンターのメンテナンス作業があると通知を受けていたので、午前は配達に出ず、昨日の原向〜坪野での“探検”の記録をまとめ始めた。
 プリンターのメンテナンスは無事終了。部品の交換がされた。以前の機械であれば、少なくとも6〜7万円はするもの。現在のプリンターはこうした部品の更新を込みにした契約なので助かる。ただし、その分、月々の支払いは、プリンターをA3用紙が1枚通るたびに約10円で(「復興への歩み」を1部印刷するにはプリンターを表裏2回で計4回通すことになる)、大きくなるが。
 午後は配達に出るつもりだったが、昼過ぎに会った人との話が長引き、結局、午後も配達なし。その代わりと言ってはなんだが、“探検”のレポートを一気に完成へ。風邪の症状がいちおう引いてきたのか、PC作業をかなりぶっ続けでやっても、そんなに疲れなかったが、夕刻7時を廻るとさすがに疲れてきた。校正したり、ブログへのアップをしていたら、0時を廻ってしまった。
 そういうわけで、今日はあまり写真を撮っていないが、少ない中の1枚を掲載する。



 この写真について一言。
 紅葉だけを写した方がきれいかもしれないが、いわば「暮らしの中の景色」というようなことにこだわり、あえて無粋なスノーシェッドや法面枠も入る構図で撮った。
 

配達日誌10月28日〜11月2日

28日(水) 風邪で休養。熱は出ないが、とにかく体がだるく、重い。午前中は基本的に寝ていたが、午後はあまり寝ているのばかりも嫌なので、東部パイロットで昨日撮った写真を整理し、「東部パイロットから栄村の四方を眺める」を編集。ただし、公表はもう少しいろんなことを調べてからにする。
 夕刻は、6年前に「囲炉端味噌」のパッケージデザインをしてくれた京都精華大学芸術学部の卒業生が来村されたので、一緒に食事。
 
29日(木) 今日は一日、昨日来村された卒業生を案内。秋山、五宝木、天地を訪ねた。
 「『春、山に入れば、2〜300万円は稼げるよ』と言っているおじいさんがおられますよ」と話すと、「えっ、どうして?」と興味深々の様子。五宝木で山田政治さん・せきさんご夫婦を紹介し、その後、五宝木の共有地に案内し、彼女はそこで天然のなめこを見つけて、大喜び。これで政治さんの話も理解されたようだ。
 私が見過ごすようなものにカメラを向けてサッと撮影(左写真)。「さすが、デザイナーだな」と感心。


 
 村を案内し、満足してもらえると、とても嬉しいもの。「ガイドをやったら」と薦めて下さる方がかなりおられるが、ガイドを本格的に仕事化したら、「復興への歩み」の発行ができなくなる。私なりに持っている知識などを伝えて、ガイドを担ってくれる人を生み出していきたいと思う。
 
30日(金) 配達がいちばん遅れている森、平滝、白鳥を廻った。
 その途中で、ひんご遺跡、箕作・平滝間の橋の建設現場を取材。
 ひんご遺跡の発掘調査では、多くの村民の方々が猛暑の中で頑張られた。その成果は大きいと思う。心から敬意を表したいと思う。
 橋脚建設を請け負っておられる塩川組の現場代理人・平澤さんに久しぶりにお会いしたが、私が橋脚建設現場の様子を2月の「復興への歩み」で取材・報道したことがきっかけで、県建設事務所が種々の工事について、完成後の姿の紹介だけでなく、建設中の作業の様子を紹介するようになったというお話を聞いた。私は震災以降の復旧・復興工事を見つめる中で建設業の重要性を強く感じている。私たちはもっともっと建設工事現場の様子を知る必要があると思う。
 
31日(土) 朝は3時だったか4時だったか、とにかく早くに目覚め、室内作業をしながら夜明けを待ち、中条川上流崩壊地点の久々の取材へ。崩壊地の紅葉が今秋見た紅葉の中でいちばん綺麗だったのに皮肉を感じた。
 午後は、東京・駒場保育所の父母OBに人たちが来村されたのでご案内。夕暮れ時の野々海池が、寒かったが、とても素敵だった。


夕暮れ時、野々海池を訪れた駒場のみなさん。「あら、冬だわ」の声が。

1日(日) 昨日来村された駒場保育所の父母OBの「いたどりの会」のみなさんが、今日の午前中、野々海水路の普請のお手伝いをしてくださった。
 世話役の山口さんから「2日目の午前中は村らしいアクティビティをしたい」という希望が伝えられてきて、「何にしようか?」と思っていた時に、野々海水路の普請が11月1日であることがわかった。そこで、平滝集落の手伝いをさせていただくのがいいのではないかと考え、平滝の区長さんに希望を伝えて、ご了解をいただいた。
 全部で男女10名。ほとんどの人にとって慣れない作業だったと思うが、午前8時半から11時半頃までの3時間、おおいに活躍していただいた。夜、区長さんに電話したところ、こちらが恐縮するほどに感謝していただいた。
 普請は高齢者が増える中でギリギリの人数でやるとなると、かなり厳しいことになる。ところが、人数がたっぷりで賑やかにやると、気持ちも軽くなる。今後、普請のお手伝いそのものを主題とする栄村体験ツアーを積極的に企画していきたいと思う。


平滝の女しょと駒場の女性、一緒に作業し、随分仲良くなられたようだ

 駒場のみなさんとは午後2時頃に「道の駅」でお別れし、その後は「復興への歩み」No.269の編集。                 
 普請の集合点・ケンノキ(標高約900m)に着いた時に見えた景色を1枚。中央に見える雪を被る山は北アルプス。



2日(月) 朝、折りの作業など。意外と手間取り、10時少し前に配達へ出発。ただし、10時半頃に天地で移住を考えられている方とお会いする約束になっていたので、野田沢と程久保で4軒を配達したのみで天地へ。
 斉藤克己さん宅でその人と3時間ほど話し込んだ。途中で勝美さんが昼食を出して下さったのだが、八頭(やつがしら)の煮っころがしが最高に美味かった。写真を撮らなかったのが残念。
 その後、東部地区で協賛者宅への配達をしたが、途中で見た雨上がりの景色はなんとも表現しきれない素敵なものだった。写真ではうまく表しきれていないが、野口と天代の間の道から見た景色がとくに素敵だった。
 


奥に見えるのは関田山脈の山並み。雨上がりの雲が出ている。山から見れば雲海になっているだろう。

 配達の途中から風邪の症状がぶり返し、市販の風邪薬も切れていたので診療所へ。検査もしてもらって、こじらせてはいないことがわかったが、いろんな薬を出していただいた。今日は早めに休むことにする。