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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌11月16日〜20日

16日(月) No.270の編集と一定部数の印刷等を午前中に終え、昼からNo.269の未配達がある程久保、野田沢集落の配達へ。

 程久保集落では滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見てきた。本当は茎を切り倒す作業をされるところを取材したかったのだが、この間の私のスケジュールの関係でできず。しかし、今日、畑の様子を見られてよかった。総一郎さんはお家にもご不在で話を聞くことはできなかったが、写真は撮れたので、ひとまずはよし。後日、いろいろと話を聞いてみたい。


アスパラの茎が切り倒され、すっかり様子が変わった

 野田沢ではいろんなことがあった。まず、用事があって実家に帰っておられ     
た麻子さんと出会った。お元気そう。つぎに、宮川吉郎さん宅。キノコがあまり採れない今季だが、さすが吉郎さん。ナメコをいっぱい採っておられて、裕子さんからたくさんのナメコと二十日大根をいただいた。
 また、野田沢集落に入る時、電動車でネギを畑から自宅に運んでいるかあちゃんの姿が見えたが、その人の家に配達に行った時、家の前におられて、電動車で運んでいた人であることを確認。電動車では運べる量に限りがあるので、何回もに分けて運んでいるとのこと。その後、畑でも出会った。「おかあさん、地震の年だったかな、この畑で出会って、『何を栽培するか』なんてことを話しましたよね」と言うと、おかあさんも覚えていてくださった。その結果でもないが、「水菜を持っていくかい」と言って下さり、これまた大量にいただいた。水菜を畑から実際に収穫する様を初めて見た。「ほう、抜くんじゃなくて、根の近くを鎌で切るんだ」と感心。
 貝廻坂の通行止が全面解除になって本当に便利になった。夕暮れが迫る中、白鳥で40軒を廻り、今日は計65軒。
 
17日(火) 昨夜やや早めに就寝したせいか、4時半頃に目覚めた。起きようかどうか、しばらく様子をみたが、眠気は戻ってこないので、そのまま起床。5時半頃から、ここ数日中に作成しなければならない書類の作成作業にとりかかり、午前中はその作業で過ごした。

 午後、平滝を中心に配達に廻ったが、その途中で柿をとっているかあちゃん3人と出会った。当初は写真を撮るつもりだったが、「ちょっと下りてきて、とってみなさいよ」と言われ、柿とりに参加。物干し竿のような長い棒の先に切狭がついた棒を手元で操作するのだが、なかなか難しい。次第に慣れてきて、うまくとれると、「あら、上手ね」とおだてられ、その気になって、結構長い間やっていた。その後、かあちゃんたちのうちのお一人のお宅にお邪魔してお茶のみ。今風にいえば“女子会”への参加。気がついたら、外はすっかり暗くなっていた。


柿取りをした木。かなり急な法面の下にある

 村には柿の木がいっぱいあるが、昨年までは「栄村の人はせっかくの柿をほとんど取らないな」という印象だった。「渋柿だから」と説明されたこともある。ところが、今年は柿を取っている人の姿をよく見かけるし、干し柿作りで軒先に柿をつるしている家も多い。また、直売所には「さわし柿」が出ている。
 今日、柿取りに参加したところの木は渋柿。さわし柿にするとのこと(その後のお茶のみでもさわし柿が出された)。別の木で取られた甘柿を袋いっぱい、いただいた。        
 平滝〜明石間の橋をつくる場所では、森林組合の手で立ち木の伐採が行われていた。
 
18日(水) 今日も書類作成作業があるが、午後に雨が強くなるという天気予報だったので、「午前中配達、午後書類作成」という段取りに。今朝も4時すぎに一度目が覚めたが、今日は起きないで、7時前に起床。
 午前中に配達できたのは66部で、考えていたほどの軒数は廻れなかったが、今日は1つの関心事項をもって廻り、その関係の撮影を意識的に行なった。崖面に見える紅葉の名残りの様子の変化を写真記録に残すことだ(写真は後ほど)。
 もう1つ、配達の途中で月岡のミズバショウ群生地近くの現在の様子を見てきた。来春、ミズバショウが最もきれいな時期に写真を撮りたいと思っていて、地形を頭の中に叩き込むことが1つの狙い。今春は雪の上を片道30分ほど歩いて行ったが、今日、その道を軽トラで走ると、我ながら「ただ雪原が広がるだけのところで、よく辿り着けたな」と思うほど、道は曲がりくねっている。まあ、雪原で見通しがいいということはあるが、ちょっと間違うと川筋に落ちる危険がある。来春は道筋がしっかり頭の中にある状態で行けるだろう。あとはスケジュール調整をしっかりやって、初期、最盛期、終期の少なくとも3回、きっちり行けるようにすることだ。


10日(午後4時すぎ)


18日(10時半ころ)

 「赤い葉が減っているな」と思ってはいたが、このように今日の写真と10日のものを並べて比較してみると、様子が大きく変わっていることにいささか驚いた。同一箇所の紅葉の変化(とくに落葉期)をこのように追いかけたのは初めて。こういう作業も大事だなと思う。

19日(木) 午前中は青倉を中心に62軒を配達。甚治さんのお宅の隣り(甚治さん宅とはそこそこ離れている)まで行った時、トントンと藁を叩く音が聞こえてきた。「きっと、つぐら作りの藁を小槌で叩いておられるのだな」と思いながら、お宅に伺うと、やはりそうだった。「元気にやっておられますね」と声をかけると、「10日ぶりくらいかな」とのこと。「えっ、お体でも悪かったんですか」とお尋ねすると、「やる気にならなかっただけ」というご返事。「そうだな」と思う。お歳は90歳を超えられた。そんなに気を詰めてやるものでもないだろう。何かを教えられた気がした。


青倉で撮った1枚。スキー場への道の下に見える紅葉の名残りがとても綺麗。
いろんな地点から撮ったが、結局、これが気に入った。

 午後は、2時半から「おもてなしセミナー」を覗いた。同じ講師が3回やっているものの3回目。半分くらいが私も聞いた1回目と同じ内容。1回目よ  
りは栄村の人に通じる内容を伴っている  
と感じたが、冒頭に「おもてなし」の事例として「リッツ・カールトン東京」の1泊9万円(食事なし)の話をもってくるというセンスはやはり共感できない。「お客さまに声をかける」ことが大切という話は私が「歩み」No.270で書いたことと完全に一致するもので、その意味では共感してもいいのかもしれないが、栄村の経験をほとんどふまえないでの講演にはやはり違和感を覚えざるを得ない。講師への違和感以上に、主催者の企画への違和感の方が大きいのかもしれないが。

 夜は7時から、森区住民を対象とする駅前施設(事業名は「観光及び震災情報発信拠点施設建設整備事業」)の説明会。すでに工事が始まっている段階で「住民への説明会」というのも変な話。私はできるだけ静かに聞いているように心がけたが、住民のお一人がバッサリ。「工事が始まってから説明会というのは、どういう訳ですか。みんな白けていますよ。だから、参加者も少ない」と。
 この施設、要は森林組合の事務所をつくらなければならないが、それ単独では補助金が確保できないために、色々ともっともらしい話にせねばならず、「観光及び震災情報発信拠点施設」云々というものになったもの。役場担当者はあっけらかんとそのことを認めるので、この場ではそのことを議論してもあまり意味がない。
 いちばん問題だなと思ったのは、やれ観光だ、ジオパークだ、震災の記憶を風化させない展示だ、ママカフェだと、いろいろと言っているものの、その内実がまったくないこと。別に国家資格保持者の有無を問題にするわけではないが、博物館学芸員有資格者ないしそれ相当の能力を有する人材の育成・確保なしに「史料展示館」だ、「震災展示スペース」だ、「ジオパーク案内所」だと、ハコモノ施設さえつくれば、なにかが出来ると考えているのがおかしい。これは個々の担当職員の問題ではなく、村政のあり方そのものの問題である。ここ1年ほど、村長は口を開けば、「ジオパークに認定されたので、観光の発展が期待されている」とのたまう。日本国内でジオパークを観光と結びつけているのは津南町と栄村だけと聞く。そのことは今日の説明会で役場職員も認めていた。それでも、津南町はまだジオパークと観光を結びつける具体的な努力をしているが、栄村にはそれに比する試みは皆無と言って過言でない。ジオパークのポイントに行くと、ジオパーク関係の説明文書をコピーしただけということが一目瞭然の小看板が立てられている(下写真、説明は文末に)。「なにも無いよりはまし」なのかもしれないが、感心できたものではない。



 「ハコモノだけでは村づくりは進まない」という批判だけで済むレベルではなくなっている。事は相当に深刻。村政の根っ子からの変革が必要なようだ。とはいっても、簡単なことではない。私は政治舞台ではなく、もっと深いところで何かを変えることをめざしたいと思っている。
 この施設をめぐる問題は「歩み」次号で深くかつ全面的に議論しなければならないかなと思う。

<上の写真について>
 これは9月14日に国道405号線の上野原近くで撮影したもの。「上野原の風穴」がある場所に立てられている看板。文章は、「国道405号線沿い、上ノ原集落への登り口少し手前の岩壁の隙間から冷たい風が吹きでています」で始まる。だが、その現場に立つ看板なのだから、「ここが上野原の風穴です」で文章が始まらないとおかしい。細かいことのように思われるかもしれないが、結構大事なことだと思う。

20日(金) 朝は6時すぎに起床で、結構眠ったが、朝起きてすぐから背中が重い。珍しいこと。今日は配達に出ず、室内での整理作業などにとどめた。
 10月に「11月になったらぶっ倒れる」と自分で言っていたが、予期した以上に疲れは深いよう。「完全休養」は避けたいので、相当のペースダウンを心がけるしかないだろう。まあ、10月〜11月上旬に「さわいで」、しっかりと活かすべき財産をたくさん仕入れたので、その整理・活用に相当の時間をあて、ゆっくりペースでやっていこうかと思う。
 

配達日誌11月11日〜15日

11日(水) 午前中は切欠、長瀬、笹原、当部で53軒、午後、泉平、月岡で51軒を廻った。計104軒で、配達としてはまずまず順調。
 いまの時期、村を廻っていると、大根、ネギ、白菜、キャベツ、野沢菜の収穫、そして、それらの野菜の越冬用の準備(まず乾すこと、野沢菜は漬け込み)の作業と頻繁に出会う。今日、切欠で出会った人は白菜を軒下に移動させているところであった。天気がよい状態で3日間程度、乾すそうだ。「乾す」と言うと、都会の人たちは乾燥野菜を作るように受け取られるかもしれないが、そうではなく、余計な水分をとばして、腐らずに保存できるようにするのだ。
 そのおかあさんによれば、「今年は白菜が大きくなりすぎた。これじゃ、鍋物に入れる時でも白い部分の切り方をうまくしないと、よく煮えません」とのこと。10月の陽気がよすぎったためだろう。自然とのつきあい方はなかなか難しい。

 今日は、「探検」と言うほどのことはしていないが、切欠などで道路からは離れた田んぼなどに入ると、普段は目にできないいい景色がいろいろと見られることをいくつも発見できた。1枚だけ紹介しておきたい。



 おそらくは笹原の人がやっておられる田んぼだと思うが、長瀬から笹原に向かい、スノーシェッドを越えて、県道が直線になったところの左手の田んぼの畦を志久見川に面するところまで進んで撮ったもの。
 
12日(木) 今日はまた、まったく非計画的にさわいでしまった。「さわぐ」というのは、村では「動きまわる」というような意味で使われる。当初はその使用法に違和感があったが、最近は自分でも使うようになってきた。国語辞書では、7番目の語義として、「忙しく立ち働く」が出てくる。
 北野での配達があと1軒となった時、北野から見える1つの場所が気になり、そこを撮ろうと北野集落の入り口付近に戻った。
 「気になった場所」というのは、次の写真のところ。



 当初は、もうわずかにしか紅葉が残らない風景を撮り残しておきたいというだけのことであった。
 しかし、望遠を効かせて、いろんな箇所のクローズアップをしているうちに、次の箇所が俄然、気になりだした。



 見えているのは、いわゆる天代坂の法面だが、写真中央のところ。道路のすぐ脇が崩れかかっているように見える。「あそこは一体、どんなふうになっているのだろうか?」と気になり、その場に行ってみることにしたのだ。
 現場に行ってみて、道路がすぐさまどうこうなるという状況ではないことは理解できたが、そこは「苗場山麓ジオパーク」で「天代の露頭」として紹介されているところのすぐそば。43万年前の地層が見えるというところである。

 地質学者による「発見」の直後(地震よりも数年前)から、道路からは何度も見ているが、今日は初めてその露頭の上に上がった。そこから、そのそばの原向集落の天代坂付近について次々と関心が湧き出てきて、結局、2時間ほど歩き回ることになった。その一番の極みは、原向集落の当部新田のいちばん奥の家・平塚さんの横手を走る道が、その先、どうなっているかを「探検」したこと。地図の記載にしたがって、最初、野口〜天代間の道路から入ったが、すぐに行き止まり。このあたりで主に花卉栽培をしておられる藤木虎勝さんに出会い、「この道は抜けられますか?」と尋ねると、「抜けられない」とのこと。それでも執念深くソバ畑に沿ってどんどん奥まで入った。でも、当部新田へは抜けられない。そこで、次は平塚さんの家の横手の道へ軽トラを進め、ほんの少し進んだところで、後は歩き。道形ははっきりある。ただし、低木等が繁っている(写真下)。落葉しているので、なんとか進み、虎勝さんの畑まで出た。最高に面白い。



 「面白い」という表現は語弊(ごへい)があるかもしれないが、そこには村の歴史が詰まっていると思うのだ。
 この後も、北野での配達の最後の1軒に向かったものの、またまた林道に入り、行き先の知れぬ道を進む「冒険」。これについては、「北野の林道から見た眺め」というブログ記事を作成し、アップした。
 しかし、こういうことをやっていると、体調がなかなか完全復調しない。夜になって、喉がかなりひどく痛くなってきた。

13日(金) 白鳥と横倉、小滝で計54軒を配達。白鳥では柿、横倉ではカブ、長ネギ、ターサイをいただいた。柿は午後にさっそく1個食べたが、適度の甘みでとても美味しかった。ターサイは初めてだが、塩・胡椒だけで炒めたら、最高に美味しかった。残念ながら、食い気が先に走って、ターサイの写真を撮っていなかった。10月の写真データを引っ張り出せば、直売所に出荷されているものを撮ったのがあるかもしれない。渡辺うめ子さんの畑での頂き物。

 今朝、一番の動きは津南町の見玉(国道405で秋山郷に向かう途中の集落)の「見玉公園」の見学・撮影。先日、秋山からの帰りに「見玉公園」という看板が目に入り、気になっていたが、昨夜、津南の人から「観光スポットとして成功している」と聞いたので、行ってみた。「石落とし」と呼ばれる地形が見られる場所である。



 たしかに、素敵なスポットである。
 この公園が誕生した経緯を公園の近くの土産物店で聞いたが、地元民の熱意の産物のようである。栄村の観光を考えるうえで学ばなければならないことが多々あるように思う。なにかの機会に紹介したい。
 白鳥での配達の後、診療所へ。先生からは「しばらく静かにしなさい」とのアドバイス。整理して活かさなければならない素材もたくさんあるので、外で“さわぐ”ことはしばらく控えることにせねばなるまい。
 
14日(土) 今日は秋山での配達。No.269未配達世帯を全部廻ると同時に、11月7日の秋山小メモリアルデーの記録集を全戸配布。
 今日の秋山はすごい強風だった。景色は1週間前とはすっかり様変わり。今日の強風もあって、広葉樹はすべて落葉。山々がとても寂しく、かつ厳しい表情を見せている。非常に衝撃を受けた。
 あまり「さわがない」ということで、山に入ったりはしなかったが、切明で最後の2軒の配達が終わった後、秋山林道をミズノサワまで走った。なんとも表現が難しい景色であった。上に書いた「とても寂しく、かつ厳しい」ということに尽きるかもしれないが、これは一度は見ておくべき景観だとも思った。写真を1枚だけ示す。小雨が降っていて、水滴がつき、あまりいい写真ではないが。かなり暗く見づらい写真かもしれないが、私の脳裏に焼き付いているものはもっと暗く、厳しいものである。



 今日の“最大の出来事”は長崎の高校の同級生という若者4人組に出会ったことだろう。これにつてはブログに詳しく書いた(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2035)。
 上記のとおり、切明の先まで行ったので、帰路の405号線はすでに暗かった。
 
15日(日) 朝、「秋山小メモリアルデー2015年11月7日」20部を教頭の斉藤充子先生に届けに行き、何ヶ所かの工事現場を撮影した後は、No.270の原稿準備。
 午後は集落の水路普請。3時頃に雨が降り出し、私が参加した場所は予定を切り上げて終了。途中、水路沿いから見える景色は最高だった。明日にでも、晴れたら写真に収めておきたい。
 朝、貝廻坂工事の完成状況を撮影に行った時の1枚を紹介しておきたい。関田山脈側から見れば雲海が見えたことだろう。



 

配達日誌11月3日〜10日

3日(火) 昨夜は比較的早く眠りに就いたが、朝目覚めると体調は悪い。配達は断念し、米・野菜の発送と、午前・午後2回の依頼された仕事のみをこなした。
 夕方に2時間くらい眠った後が体調最悪のピークか。お腹にやさしい軽い夕食を食べ終えた頃から体調が落ち着き、日誌を書いている今はBSで「百名山スペシャル」を見ている最中。
 明日は体調が回復していても、あまり無理をせずにかなりの休養をとるようにしたい。今日会った友人も夫婦二人で風邪で、「この風邪はしつこい」と言っていた。私の前に風邪をひいた知人も長引いていた。
 今日はそういうわけで1枚も写真を撮っていない。
 
 夕刻4時頃、直売所をちょこっと訪ね、「今日の人の入りは?」と尋ねると、ほぼ一日雨であったにもかかわらず、「かなりの人出ですよ」というご返事。

 10月は自分でもたいへんな無理をしたと思っている。
 ただ、その成果も大きい。
 今まで持っていなかった“目”が養われたように感じている。今日、直売所に置いた小パンフ「11月2日の紅葉」に収めた東部地区での紅葉風景などは昨年までの私の視界には入っていなかったのではなかろうか。
 人生65年。いまのように活発に動ける時間はこの先、そんなに長くはないだろうが、動く中でさらに自らの視野の中に収めたいもの、そして知りたい・学び取りたいと思うものが多々ある。人生の62年目でさまざまなものを一挙に失う事態に遭遇し、いまは何も持たない身であるが、最も幸せなときを過ごしているように思う。
 10月の経験は、栄村の観光のあり方をふくめて、11月にじっくりと総括し、深めていきたいと思う。
 
4日(水) 奥志賀公園栄線が今日の昼で冬期閉鎖されるので、「野沢温泉やまびこゲレンデゲートまで」という限定つきで出かけた。
 なかなかの景色で、「火打山」という存在(しかもすでにしっかり冠雪)を知るなど、収穫は大きかった。


火打山

 だが、野沢温泉村に下りて、飯山で買い物・昼食をとって帰ってきたが、体が急速にしんどくなってきて、午後は家で就寝。夕刻に起きたら、調子は戻ったよう。
 夜は奥志賀公園栄線のブログ記事を書いて、アップした。
                                  
5日(木) 昨日、野々海の様子を見ておきたいと思いながらも、「奥志賀公園栄線は今日で閉まる」ということで奥志賀公園栄線の取材を優先した。そこで、今日は午前中、野々海へ。家からスキー場の山の方を見たら快晴だったが、風が少し気になった。しかし、野々海に上がってみると、風もほとんどなく、これまでに野々海で経験した天候としては最高の状態。


完全に落葉した野々海池と水番小屋

 徹底的に写真を撮りまくったと言ってもいい。とくに野々海峠からの眺めは最高だった。野々海池に落葉した樹々の姿が映る絵はいまひとつうまく撮れなかった。去年のベスト・ショットを見てから出かけるべきだった。

 信越トレイルの野々海峠入口で出会った人と少し話した。「伏野(ぶしの)峠から歩いてきました。今日で6日目です」とのこと。信越トレイルの踏破には5〜6日かかると聞いていたが、実際に6日間も歩いている人がいることにまず驚いた。さらに、かなり若く見えたのでお尋ねすると、「ええ、勤めがあります。今週は1週間休暇をとっています」とのこと。なかなか有給休暇が取りづらい日本社会だが、こういう人もおられるんだ。これが2つめの驚き。だけど、こちらの観光施策如何ではシニア世代だけでなく、もう少し若い世代も惹きつけることはできるということだ。
 午後は平滝や森などで66部を配達。
 夕刻をすぎても体調がおかしくなることはなし。ようやく回復の兆しが見えてきたか。夕刻にも野々海へ。
 夜は野々海の写真を整理し、ブログにアップ。0時近くまでかかり、この作業はきつかった。
 
6日(金) 昨夜のブログ記事の追加を編集したりして、出かけたのは10時すぎ。午前中は主に大久保での配達。朝は結構寒かったのに、気温がグイグイ上がり、参った。風邪ひき中なのであまり薄着はよくないと思い、途中までセーターを着ていたが、たまらずに脱いだ。
 この「気温差攻撃」で昼食後はしんどく、1時間ほど寝て、4時すぎから配達再開。青倉、森で79軒。暮れるのが早くて、最後はもうすっかり暗い中での配達だった。午前中と合わせて121軒で、久々に3桁の配達軒数となった。

 大久保では眺めがよくて、いろんな写真を撮った。また、治信さんが「つんね」で作業されているのが見えたので、訪ねた。奥さんもご一緒で、治信さんは草刈り、奥さんは野菜の世話。紫白菜など珍しい野菜がいろいろ育てられていた。ちょうど赤かぶを抜いておられたところで、「持っていくかい?」と言われ、7〜8株いただいた。これを浅漬けにしたもので、お茶漬けサラサラというのは最高。数日後の楽しみ。


手前が紫白菜

          引き抜いて下さったカブ
   
7日(土) 今日はフル稼働。朝から森、雪坪、志久見で57軒を配達。その後9時すぎから1時間ほど依頼された用件をこなし、10時20分に給油して、日出山線経由で秋山へ。この間、なかなか配達に行けていなかった屋敷集落で27軒を配達。これが12時すぎまで。秋山小のメモリアルデー開会が午後1時なので、駐車場所の秋山小クラウンドの車中で昼食。終了が予定をかなり超過して4時。この間、約3時間半ほど体育館の床で立ちっ放し。これはかなりきつかった。
 引き続き、小赤沢で13軒の配達をし、「秋山小を語る夕べ」会場の「とねんぼ」へ。ここでの取材が午後7時10分すぎまで。8時には下(国道117沿い)に着けたが、まさに丸一日フル稼働だった。

 メモリアルデーはなかなかいいものだった。「閉校式典」とは銘打たず、「メモリアルデー」としたところに地域の苦渋と知恵を見ることができる。


子どもたちの演奏に聞き入り、拍手する歴代職員や地域の人たち

 地域の代表の挨拶にはその苦渋が垣間見え、「語る夕べ」の席上での地域の人の発言や歴代職員の言葉・メッセージにはかなり率直な閉校批判が見られた。それに比して、村長の来賓挨拶にはその陰りもなかったのは、予想できたこととはいえ、いまの栄村の現状を象徴していて悲しい。
 メモリアルデーの会場には秋山郷の歴史(近現代史)を語る貴重な資料も展示されていた。それを詳細に拝見する時間はなかったが、機会を見て改めて拝見させていただければと思う。「人口ビジョン」が云々されているが、「秋山ビジョン」こそ真剣に、しかもかなり急いで検討しなければならないのではないかと痛切に思う。
 
 往路に日出山線を選んだのは正解だった。日出山線沿線、ブナのトンネル、布岩でこの時期の素晴らしい景色を撮ることができた。





 上の2枚は10:44撮影。たしか下日出山よりも手前だったと思う。日出山線沿線は10月下旬〜11月初旬の紅葉の穴場だと思う。1枚目の写真はこの下が横平川の深い谷なっている。2枚目は道路の上を見上げたもの。雪崩防止柵があり、冬の大変さが感じられる。
 
8日(日) この間、「ダウンした」というのはあっても、積極的に休養日をとることができなかった。11月の「復興への歩み」発行を2回とし、少し余裕が確保できたので、今日は休養日にしようと考えた。
 だが、昨夜早めに就寝したせいか、4時半過ぎに目覚め、5時すぎには起床した。そして、昨日のような催しの取材写真が大量にあると、やはり早いうちにデータを整理しないと、記憶もあいまいなところが出てきてしまって、データが生きない。
 写真を選びながら、「メモリアルデー」の部分のアルバムを編むだけでほぼ正午までを要した。5時間半ほどの作業。かなりきつかったが、早いうちに作業してよかったと思う。

 写真データを見ていて、つくづく思ったのが、室内会場での催しの写真撮影の難しさ。挨拶している人や演技している人のあまり近くに進むのは憚れるし、会場のみなさんの視線を遮るような位置に立つのも憚れる。そうすると、どうしても遠くからの撮影になり、なかなかいいものが撮れない。取材者としての「プロ意識」をもっと鍛えなければいけないのかなあとも思う。

 午後も一休みの後、夕刻にかけて「秋山小を語る夕べ」の写真のピックアップ作業。
 外での動きなしでPC作業ばかりというのは「休養」どころか、いちばん疲れる。作業の姿勢をよくすれば楽になるのだろうが、PC上のデータを見つめ続ける作業はなかなかそうもいかない。
 夜は基本的に作業せず、9時から縄文時代を取り上げたNHKスペシャルを観た。いろいろと刺激を受けた。それについてはどこかで触れたいと思う。
 今日は写真撮影ゼロ。
 
9日(月) 昨夜は早い目に寝たが、7時までぐっすり。じゃあ、体はスッキリかといえば、そうでもない。昨日は丸一日動かなかったうえに、夕食を少し食べ過ぎたよう。
 朝、ブログのアップ作業などをしたうえで、9時すぎに出発。

 配達の最初は志久見だったが、「志久見集落を徹底研究してみよう」という思いがあり、集落のいろんな所で写真撮りをしながらの配達。
 注意して見ると、地震後取り壊された家の跡も見える。また、落葉が進んだこの時期は、山のあり様などを含め、地形を見極めるのに最適の時期。今日だけでは必要なものをすべて撮りきれていないので、後日、追加撮影をして、まとめてみたい。1枚だけ紹介しておく。



 県道左手に「志久見」の標識があるところから志久見川に下りて撮ったもののうちの1枚。写真奥が上流だが、写真中央から左(川の右岸にあたる)を見てもらいたい。左側の山の斜面と、川沿いというか川の中というべきか、草だけが生えているところとは、あきらかに別に形成されたものだと見ることができる。草が生えているところは上流から押されてきた土砂が堆積したものだと思われる。この結果、志久見川の流れは左岸、つまり志久見集落寄りに変わり、県道が走る河岸段丘と志久見川の間の崖面を浸食。大雨によって志久見側の護岸が破壊される構造になっていると言えると思う。以前に一昨年の台風18号被害をうけての志久見川の護岸工事をめぐって少し書いたことがあるが、災害復旧工事はこの根本問題に対処していない(できていない)と思う。
 
 その後、柳在家、原向、天地、坪野、天代で配達したが、これまで入ったことのない農道に入るなど、いろいろと探検。「栄村の自然を生かす・活かす暮らし方」を念頭においてのこと。これは写真データを整理でき次第、ブログ記事にまとめる。また、直売所を数日ぶりに訪ねた。
 午後は、風邪が根本的には抜けきっていないようで、先週月曜にもらった薬が今日で切れるのが心配で診療所へ。その後、横倉などで34軒を配達、今日は計86軒。

10日(火) 今日は午後の一定の時間を除いて基本的に雨降り。
 午前中にプリンターのメンテナンス作業があると通知を受けていたので、午前は配達に出ず、昨日の原向〜坪野での“探検”の記録をまとめ始めた。
 プリンターのメンテナンスは無事終了。部品の交換がされた。以前の機械であれば、少なくとも6〜7万円はするもの。現在のプリンターはこうした部品の更新を込みにした契約なので助かる。ただし、その分、月々の支払いは、プリンターをA3用紙が1枚通るたびに約10円で(「復興への歩み」を1部印刷するにはプリンターを表裏2回で計4回通すことになる)、大きくなるが。
 午後は配達に出るつもりだったが、昼過ぎに会った人との話が長引き、結局、午後も配達なし。その代わりと言ってはなんだが、“探検”のレポートを一気に完成へ。風邪の症状がいちおう引いてきたのか、PC作業をかなりぶっ続けでやっても、そんなに疲れなかったが、夕刻7時を廻るとさすがに疲れてきた。校正したり、ブログへのアップをしていたら、0時を廻ってしまった。
 そういうわけで、今日はあまり写真を撮っていないが、少ない中の1枚を掲載する。



 この写真について一言。
 紅葉だけを写した方がきれいかもしれないが、いわば「暮らしの中の景色」というようなことにこだわり、あえて無粋なスノーシェッドや法面枠も入る構図で撮った。
 

配達日誌10月28日〜11月2日

28日(水) 風邪で休養。熱は出ないが、とにかく体がだるく、重い。午前中は基本的に寝ていたが、午後はあまり寝ているのばかりも嫌なので、東部パイロットで昨日撮った写真を整理し、「東部パイロットから栄村の四方を眺める」を編集。ただし、公表はもう少しいろんなことを調べてからにする。
 夕刻は、6年前に「囲炉端味噌」のパッケージデザインをしてくれた京都精華大学芸術学部の卒業生が来村されたので、一緒に食事。
 
29日(木) 今日は一日、昨日来村された卒業生を案内。秋山、五宝木、天地を訪ねた。
 「『春、山に入れば、2〜300万円は稼げるよ』と言っているおじいさんがおられますよ」と話すと、「えっ、どうして?」と興味深々の様子。五宝木で山田政治さん・せきさんご夫婦を紹介し、その後、五宝木の共有地に案内し、彼女はそこで天然のなめこを見つけて、大喜び。これで政治さんの話も理解されたようだ。
 私が見過ごすようなものにカメラを向けてサッと撮影(左写真)。「さすが、デザイナーだな」と感心。


 
 村を案内し、満足してもらえると、とても嬉しいもの。「ガイドをやったら」と薦めて下さる方がかなりおられるが、ガイドを本格的に仕事化したら、「復興への歩み」の発行ができなくなる。私なりに持っている知識などを伝えて、ガイドを担ってくれる人を生み出していきたいと思う。
 
30日(金) 配達がいちばん遅れている森、平滝、白鳥を廻った。
 その途中で、ひんご遺跡、箕作・平滝間の橋の建設現場を取材。
 ひんご遺跡の発掘調査では、多くの村民の方々が猛暑の中で頑張られた。その成果は大きいと思う。心から敬意を表したいと思う。
 橋脚建設を請け負っておられる塩川組の現場代理人・平澤さんに久しぶりにお会いしたが、私が橋脚建設現場の様子を2月の「復興への歩み」で取材・報道したことがきっかけで、県建設事務所が種々の工事について、完成後の姿の紹介だけでなく、建設中の作業の様子を紹介するようになったというお話を聞いた。私は震災以降の復旧・復興工事を見つめる中で建設業の重要性を強く感じている。私たちはもっともっと建設工事現場の様子を知る必要があると思う。
 
31日(土) 朝は3時だったか4時だったか、とにかく早くに目覚め、室内作業をしながら夜明けを待ち、中条川上流崩壊地点の久々の取材へ。崩壊地の紅葉が今秋見た紅葉の中でいちばん綺麗だったのに皮肉を感じた。
 午後は、東京・駒場保育所の父母OBに人たちが来村されたのでご案内。夕暮れ時の野々海池が、寒かったが、とても素敵だった。


夕暮れ時、野々海池を訪れた駒場のみなさん。「あら、冬だわ」の声が。

1日(日) 昨日来村された駒場保育所の父母OBの「いたどりの会」のみなさんが、今日の午前中、野々海水路の普請のお手伝いをしてくださった。
 世話役の山口さんから「2日目の午前中は村らしいアクティビティをしたい」という希望が伝えられてきて、「何にしようか?」と思っていた時に、野々海水路の普請が11月1日であることがわかった。そこで、平滝集落の手伝いをさせていただくのがいいのではないかと考え、平滝の区長さんに希望を伝えて、ご了解をいただいた。
 全部で男女10名。ほとんどの人にとって慣れない作業だったと思うが、午前8時半から11時半頃までの3時間、おおいに活躍していただいた。夜、区長さんに電話したところ、こちらが恐縮するほどに感謝していただいた。
 普請は高齢者が増える中でギリギリの人数でやるとなると、かなり厳しいことになる。ところが、人数がたっぷりで賑やかにやると、気持ちも軽くなる。今後、普請のお手伝いそのものを主題とする栄村体験ツアーを積極的に企画していきたいと思う。


平滝の女しょと駒場の女性、一緒に作業し、随分仲良くなられたようだ

 駒場のみなさんとは午後2時頃に「道の駅」でお別れし、その後は「復興への歩み」No.269の編集。                 
 普請の集合点・ケンノキ(標高約900m)に着いた時に見えた景色を1枚。中央に見える雪を被る山は北アルプス。



2日(月) 朝、折りの作業など。意外と手間取り、10時少し前に配達へ出発。ただし、10時半頃に天地で移住を考えられている方とお会いする約束になっていたので、野田沢と程久保で4軒を配達したのみで天地へ。
 斉藤克己さん宅でその人と3時間ほど話し込んだ。途中で勝美さんが昼食を出して下さったのだが、八頭(やつがしら)の煮っころがしが最高に美味かった。写真を撮らなかったのが残念。
 その後、東部地区で協賛者宅への配達をしたが、途中で見た雨上がりの景色はなんとも表現しきれない素敵なものだった。写真ではうまく表しきれていないが、野口と天代の間の道から見た景色がとくに素敵だった。
 


奥に見えるのは関田山脈の山並み。雨上がりの雲が出ている。山から見れば雲海になっているだろう。

 配達の途中から風邪の症状がぶり返し、市販の風邪薬も切れていたので診療所へ。検査もしてもらって、こじらせてはいないことがわかったが、いろんな薬を出していただいた。今日は早めに休むことにする。

 

配達日誌10月20日〜27日

20日(火) 配達が大幅に遅れているので、No.266と267の2号分が未配達のところを廻りきりたいと思い、9時前から動き出し、まず東部に入った。
 しかし、志久見の配達を終えたところで、「志久見街道の大峠(おおとうげ)付近の紅葉の具合を見ておこう」と山を上ったのが予定を狂わせてしまう一歩になってしまった。

 大峠を下り始めるとすぐに志久見水路と交差する。そこを左に曲がり、1分も歩けば、「小滝を望む」というポイントになる。そこから先は歩いたことがなかった。暮坪集落に通じているのだが(暮坪から水源の奈免沢川までは歩いたことがある)、村道滝見線で暮坪まで車で20分ほどかかるので、大体の距離感はあり、水路を歩くと相当の時間を要するとわかってはいたが、どんどん歩き進んでしまった。
 歩き進んだ一つの原因は、ちょっと進むと、大峠付近よりも紅葉が進んでいて、しかも今年は全般的に綺麗にならない赤色がここでは綺麗に出ていたことにある。
 水路は千曲川沿いの地域からすれば標高が200m以上高い所で、山の中腹をほぼ等高線沿いに進む(水は高い所から低い所へしか流れないが、水路沿いに歩くと、ほとんど同じ標高を歩いている感じ)。両側に木が繁る中を歩いていくのだが、所々で展望がきく地点に出る。こんな感じ。




 
 こういう眺望のきく地点が暮坪までに3〜4ヶ所ある。
 これは超満足できるコースだ。「秋山郷、野々海の紅葉がピークを過ぎた頃に紅葉を楽しめるスポットを見つけたい」という秘かな願望を満たしてくれる。

 戻ってくるとお昼。昼食後、配達の続きに出たが、原向・野口地区で印刷部数が尽きた。
 「そろそろ、ソバの収穫期かな」と思い、山道を進んだところにあるソバ畑へ。これも最高に美しい。その後、いったん家に戻り、印刷と折り、そして夕暮れ時の箕作集落での配達へ。今日は117軒。約70軒が残ってしまった。

 夜、ブログ記事「侘び・寂びの紅葉」を制作・アップ。志久見水路のアルバムを作りたかったが、無理。また、No.268の編集も明日へ。
 
21日(水) 朝6時半の村内放送で目が覚めたが起床せず、7時すぎに再度目覚めて起床。
 配達が残った約70軒は、No.268を編集・印刷したうえで、3号分をセットで配ることにし、まずNo.268を編集。いっきに編集を進め、昼過ぎにひとまず必要な分の印刷もできた。
 お昼は運転しながらおにぎりなどを頬張り、横倉、野田沢、程久保の順に廻った。貝廻坂が日中でも片側通行できるようになったことが大きい。計76軒。


妹木で牛舎の建設が進んでいた(午後3時すぎ)
 
 しかし、右腕の調子がおかしくなってきた。腰も爆発寸前の様子。夕刻、十日町へ走り、接骨院へ。主訴は右腕ということで施術を受けたが、「右腕だけ?」と聞かれ、「右腰も怪しい」と答えると、「うん、腰も硬いね」と言われ、徹底治療。
 治療後、かなり楽になった。
 「10月が終わったら、ぶっ倒れる」と自分自身で言っていたが、目算よりも10日ほど早くボロが出てきた。まあ、調子を整え直して頑張りたい。

22日(木) 今日は午前8時頃から頼まれている仕事があり、それは夕方までかかる。5時半起床で、配達を6時すぎから始めた。家を出る頃はまだ車のスモールランプを点灯。廻れたのは41軒。
 当部付近の北野川の紅葉風景はそれなりのものが撮れた。

 極野の小学生の登校風景も撮った。集落内を歩き、スクールバスが車での間、遊ぶ姿は素敵。間もなくバスが来て、県道を下って行った。「バスで学校へ」というのは少なくとも小学生には望ましくないと思うのだが、少子化の中で、そういうケースが他の地域でもさらに増えていくんだろうなと思う。





 1枚目は7時37分、2枚目は44分の撮影。

23日(金) 朝、天気がよい。配達に精を出さなければいけないのだが、野々海に行っていなくて、落葉期の様子を見ておきたい。
 「まず平滝で配達して、その途中で野々海へ上がろうか」とも思ったが、スキー場からのコースを最近走っていないので、結局、スキー場から。

 8時半すぎに出かけて、平滝に下りたのが午後2時すぎ。まあ、いろいろあった。スキー場の最頂部で春にイワウチワがきれいに群生する山へ。ここで道に迷ってしまった。後で写真データに記録されている時間を見ると、15分間ほどさ迷った。リフト降り場に車を停めていたが、山から出たのはかなり下。ゲレンデを上る羽目になった(下写真)。


ここを最頂部のリフト降り場まで上った

 野々海池を撮影した後、当初は「行っている時間はない」と思っていた白鳥水路沿いの道を、結局、下った。白鳥から管理道路で車が上がれる終点まで行って、往きが30分、戻りは上り坂の連続で40分。月岡富士男さんが言っておられた時間にピッタリ。         
 キャンプ場で東京・府中市から来られたご夫婦と会った。東窓の木道をご案内したが、奥さまが「いいところにお住まいですね」と。うーん、たしかにいい所だが、「いいところにお住まい」というのとはちょっと感覚が違う気もする。
腰は最悪の状態。平滝で少し配達した後、十日町の接骨院へ。ついでに、ジャンパーが昨冬の配達でもう使い物にならなくなっているので、イオンで新しいものを購入。これで寒くなっても大丈夫。

24日(土) 昨日、直売所で「秋山の紅葉も『もう終わり』とお客さんが言っていた」と聞いた。
 やはり、秋山郷の紅葉の全体像をきちんと把握しておきたい。1つは観光パンフなどで紹介されている「名所」の今日あたりの様子(紅葉のピークが終わる頃の様子)、もう1つは10月6日に走った奥志賀公園栄線コース、そして雑魚川の遊歩道が10月下旬ではどうなっているのか。

 朝、直売所前に置く24・25日用の小パンフの印刷やブログ発信、泉平で数軒の配達をして、コースに入ったのが8時24分(下写真)。



 11月に入れば、いつ雪が降ってもおかしくないが、奥志賀公園栄線が11月4日で閉鎖されるのはいささか早い。あと1週間はなんとかならないだろうか。案の定、泉平〜野沢温泉スキー場間は紅葉がよく、いい景色だった。落葉期も含めて、11月10日頃までは見られるようにできないものか。
 カヤの平のカラマツの紅葉はちょうどいい頃。切明までの秋山林道の紅葉はほぼ終わり。
 切明から屋敷、小赤沢にかけてまではいまがピークないし、ややピーク過ぎというところか。
 結局、5時すぎに直売所まで戻ってきた。
 
 夜、紅葉の写真撮影に来られた写真愛好家の方たちとお話。
 そこで、ひとつ、面白いことがわかった気がする。
 私が当部集落付近で北野川沿いの紅葉の写真を見ながら、「前倉橋の他に川と紅葉がワンセットで撮れる場所は他にはないですか?」と尋ねてこられた。(下写真は時間をかけずに撮ったので、カメラアングルの工夫がもっと必要だが、いいポイントであることは確か。



 春の「中子の桜」はある人がネットにアップした1枚の写真がきっかけとなって超有名になったと言われている。要はなんらかの情報発信が行われるかどうかで「名所」が決まっていくのが現代社会なのだ。いつもいつも決まりきった写真を観光パンフに載せているのではお客は増えない。
 この写真愛好家の人たちから村内のある特定のミズバショウ群生地について、「今春、行こうと思ったが、行き方が分からなかった。行けますか?」と尋ねられた。あまり変に有名になって「中子」のように人がわんさか押しかけてくることになっても困るが、地元に受入態勢があれば、有名スポットが栄村にいっぱい誕生することは間違いないだろう。
 
 体はくたびれきっていたが、明日発送の「お米のふるさと便り」制作のために写真選抜作業を行い、就寝は0時半頃だったか(25日追記)。
 
25日(日) 昨夜お会いした人たちにお知らせしなければならないことがあって、朝8時頃に電話すると、もう天池に着いておられた。現在気温が5℃で、風が強くて寒いとのこと。

 今日は、午前中は「お米のふるさと便り」の編集で室内作業。午後、文化祭をのぞいたうえで、配達。とにかく「寒い」の一言に尽きる。とくに午後4時頃、大久保集落を廻っている頃がいちばん寒かった。その後、5時頃にR117沿いに下りてくると、さほどの寒さでもなかった。やはりちょっとした標高差で相当に気温等が異なる。
 青倉集落に入った時はすっかり暗くなっていたが、計29軒を廻った。
 
 今日の天気が寒いというだけでなく、なにか変なものだった。
 午後2時を廻ると、陽が傾き、それが里山を照らし出して、非常にいい雰囲気の景色になる。「ちょっと1枚撮りたいな」と思うと、次の瞬間、陽が陰っている。その正体は、



 上の写真に見られる雲の二重構造、あるいは「空の三層構造」。
 青空と陽を通す明るい薄雲、その下を黒い雲が強い風に流されながら激しく動くのだ。
 こんな雲の動きをしげしげと見つめたのは人生で初めてのことかもしれない。
 
26日(月) 秋山の屋敷集落の配達が遅れているので、今日はまず秋山へ。そして、それにはもう一つの狙いもあった。天池の写真も撮っていきたかったのだ。18日に、池に鳥甲山の姿が完璧に映っている1枚が撮れたのだが、秋山の人がFB(フェイスブック)で「もう少し色づきが進めば…」というようなことを書いていたので、紅葉の赤みがさらに進んだ1枚を撮りたかったのだ。24日に撮った時は午後の逆光時間帯、しかも鳥甲山の姿は鮮明に見えなかった。
 今日は晴れているので、「撮れる」と確信して、秋山に入って、まず天池に向かった。そこそこのものが撮れたが、紅葉はピークを過ぎており、また、時間と光線の具合か、池に鳥甲山は映らなかった。

 そんなふうに天池の撮影にこだわっている私だが、ずっと疑問に思っているのは、栄村の観光案内のパンフレットといえば、布岩と天池がほとんどメインのように出てくる。布岩はわかる。柱状節理の姿としては全国的に見てもトップクラスだろう。だが、池の美しさということでは、野々海池の方がよほど優れていると思うのに…である。
 地元のおかあさんに話を聞いて、わかった。私は、「天池」ということでパンフレットで紹介されるスポットよりも、その隣の沼地のような所(下写真)の方が景色がより優れていると思っているのだが、そのおかあさんによれば、その「沼地」こそが本来の天池だというのだ。手入れ不足で充分な水が入っていないのだという。



 それはさておき、午後になって完全に予定が狂ってしまった。
 朝、秋山に向かう途上で苗場山の初冠雪が目に入り、矢櫃トンネルを出た所の「秋山郷ビューポイント」に立ち寄るなど、少し予定にない行動が入ったが、昼食を小赤沢で摂った後、基本的に屋敷に向かうつもりだった。ところが、小赤沢で数軒のみ配達しようと歩き出した瞬間に再び冠雪した苗場山が眼前に現れた。「初冠雪の苗場山と秋山(小赤沢)の紅葉」というテーマの1枚を撮りたいと思い始め、配達しながらポイントを探ったが、なかなかいいポイントが見つからず、ついに3合目駐車場にまで行った。
 3合目から再び小赤沢に下りて、配達を終わった時は午後3時を廻っていた。結局、屋敷での配達を後日にまわし、五宝木の6軒で配達して、帰宅へ。
 夜、かなり体がきつくなっていたが、「初冠雪の苗場山」をブログにアップして、就寝へ。
 
27日(火) どうやら風邪だ。しかも、これまでのように「ちょっと風邪気味」というのではなく、きちんと直さないとヤバイなという感じ。
 朝から体が重かった。さらにいえば、昨夜、いつもだったら編集作業が終わった後、1〜2時間ほど、TVを見たりなんだりしているのだが、体が眠ることを求めた。
 昨夜も今朝も、「まあ、この間の行動で疲れているのだ」と思っていて、午前中、いつもの薬をもらいに診療所に行った時も、とくに不調は言わずに帰ってきた。
 しかし、午後の配達を始めると、さらに体のだるさが増し、全身の筋肉の軽い痛み、喉のかすかな痛みと、風邪の症状が揃ってきた。
 坪野集落で配達を終えたところで、今日の配達の切り上げを決めた。それでも、幸一さんのキュウリ畑の蔓を切った後の様子、正春さんらのソバ畑の様子を見ておきたいと思い、原向から東部パイロットのあたりを約1時間、動きまわり、いろんな写真を撮った。素晴らしい景色がいっぱい目に飛び込んできた。
 
 午後4時から2時間、布団をかけて眠り、少し持ち直した。
 今夜は真面目に早く就寝しようと思う。

 

配達日誌10月10日〜19日

10日(土) 今日・明日は稲刈り等で来村されるお客さまの受け入れ・案内が主軸。
 ただし、9時台に頼まれた仕事があったので、まず、その関係で平滝へ。この用件はすぐに終わった。
 その前に、昨日午後の秋山(屋敷)行きで分かった日出山線コースの紅葉の進み具合を案内するパンフレット・ブログ記事を編集・発信。印刷したものを直売所かたくりの雁木下の観光パンフの所に持っていったら、5日の野々海、6日の雑魚川遊歩道、もみじわかばラインのパンフレットがほとんど無くなっていたので増刷。
 銀座4丁目のお店のご主人がアスパラ、ズッキーニ、ワラビ等でお世話になって農家に挨拶廻りされるのに同行。


滝沢総一郎さんと銀座のお店のご主人

 滝沢総一郎さんとはアスパラ畑でお会いし、最近あまり聞けていなかった秋のアスパラの手入れの状況を詳しく聞くことができた。最近は今秋の稲刈り・脱穀で出た籾殻を入手して畑に入れる作業が佳境。毎年、籾殻を入れていくことによる土の変化について熱心に話されていた。
 白鳥の月岡富士男さんの標高700m以上の田んぼ・畑にも案内したが、そこに至る道に銀座のご店主は相当驚いておられた。
 稲はまだ青さが残っている。先日の爆弾低気圧で稲が倒された。稲刈りできるのは20日に近い頃になるのではないだろうか。標高が高いので紅葉がずいぶんときれいだった(下写真)。



11日(日) 朝方に少し雨が降ったものの昼間は青空も出て、田んぼ2枚の手刈りでの稲刈り。
 昼ごろまでに終われると踏んでいたが、昼食を挟んで、2枚目のはぜ掛けが終わったのが3時。2時頃にやっとありつけた昼食の焼肉。とりわけ野菜類が非常に美味かった。銀座の料理店のご主人は栄村の野菜のさまざまな品目が「そうとうにいい素材として使える」という確信をますます深められたようだ。
 4時に青倉を出発して、銀座のご店主を今夜の宿・切明温泉まで案内。極野〜五宝木〜林道で切明というコースだった。五宝木に近くなった頃から霧がだいぶ出て走行が厄介だったが、紅葉がいっきに進んでいるのに驚いた。切明到着が5時10分頃、私は家に戻るので5時半に出て405号線を走り、6時40分に到着。「トマトで温泉に入りたい」の一心で走り続けた。
 ここ1週間、長距離を走り回り、紅葉関係の案内パンフ類をすでに4種類制作しているので、体はバテバテ。今夜は体中が痛い。でも、「秋山の紅葉の様子のアップを」ということで、布岩と切明の様子の写真をブログ等にアップ。
 稲刈り時の写真を2枚。





12日(月) 一昨日、昨日と動きっ放しだったので、「今日はゆっくりしよう」と思い、白鳥の山の上の水路(管理道路)の紅葉の様子を見に出かけた(下写真)。「まだやや早いかな」という感じではあるが、なかなかよかった。早速、「白鳥の水路を往く」というブログ用記事を作成。



 続いて、10日・11日の多忙さで未完成だった「復興への歩み」No.267を完成させ、夕刻、大久保集落などに配達。
 夕暮れ時の景色があまりに素敵だったので、ブログ記事「夕闇が迫る頃のむら」を作成・発信。
 「ゆっくりしよう」はまったく現実とならなかった。まあ、この10月は走りまくるしかないのだろう。紅葉期が終わった後の反動が怖いが…。
 
13日(火) 昨夜は体中がバリバリで全身痛かった。
 今朝、目覚めた時、スッキリ。「ああ、いい気持ち」と思ったが、時計を見てビックリ。9時を少し廻っていた。8時間近く眠ったのだろうか。
 印刷や折り作業があって、10時すぎから出かけた。
 11日夕に切明に向かった時、村道鳥甲線がとても綺麗だったので、その写真を撮りたいと思った。そこで、鳥甲線に入る極野集落の手前まで、県道沿いの家に配達して(脇道に入らなければならない所は後日配達)、12:05に鳥甲線に入った。天気は、朝方が雨で、あまり良くなかったが、結構いい写真が撮れた。途中、県外車に1台、出会ったが、このコースはもっともっと活かさなくてはならないもの。
 五宝木橋での撮影を終えたのが13:04だったが、Uターンして箕作で2時前に昼食にありついた。

 その後、泉平集落の配達へ。泉平の各所で撮影しながら配達したが、最後に、4月の雪消え期に写真を撮った武田充俊さんのズッキーニ畑を同じアングルで撮りたいと思い、集落の外れへ。
 その帰り、まだ入ったことがない林道らしきものが気になり、そこに進んだ。


紅葉とは無縁の杉林が続く林道

 どこかで引き返そうかと思いながらも、やはり先が気になり、どんどん進んだ。途中で2回、分かれ道があり、「大丈夫かな?」と心配になってきたが、どうも里に近づいている感じもあって、さらに進む。「どうも、東大滝(野沢温泉村)に出るのかな」と思いつつ進むと、突然、見慣れた景色が目に入った。白鳥集落だ。
 昨年3月末に野沢温泉村の明石(あかいし)集落で地滑りがあった時に上った山道に出た。その景色の素晴らしさ! そして、いま、「箕作大橋」(仮称)が建設されているバイパス道路が造成されている現場に出た。


明石の道路造成現場。写真奥に見えるのは平滝集落

 その後、平滝集落で頼まれていた用件を済ませ、もう少し配達もし     
て、今日は153部配達。                        
 夜、ブログ記事「10月13日午前の写真」(掲載写真48枚)を編集し、アップ。

14日(水) 秋山・小赤沢の配達が遅れているので、今日はまず秋山へ。小赤沢での配達を午前中に終え、昼過ぎに五宝木の山田政治さんを訪ねる予定で出かけた。
 小赤沢の配達は11時半すぎに終わり、ここまでは予定通り。
 ただ、秋山に入ると、予想以上に紅葉が進んでいて、真っ盛りという感じ。「これは今日のうちに秋山林道のミズノサワの写真を撮っておかないとチャンスを       
逃すな」と考え、昼食後に切明方向に走り、さらにミズノサワへ。本当に絶頂期だった。予定を変えてよかった。
 その後、五宝木に向かい、その途中で布岩のいい写真も撮れた。
 政治さんには断続的に電話をしていたが通じず、訪ねると、お留守だった。明日、電話して明後日、出かけ直そうと思う。
 帰宅後、「秋山郷の紅葉は真っ盛り」を編集し、ブログにアップ。早くアップすることを優先し、写真5枚のみの掲載とした。小赤沢でこまめに撮った写真などは別の形で活かしたい。

 今日、午後1時頃に切明で見た光景は、秋山の観光について考えるうえで示唆的だった。





 いずれも逆光で撮ったので、ちょっと見づらいところがあるが、1枚目はリバーサイドハウスの第2駐車場。小さくしか写っていないが、駐車場の端、川沿いの所に男性が一人座っている。写真には写っていないが、もう少し右手の所には女性がやはり座っておられた。いずれも弁当を広げていた。もう1枚は発電所に通じる吊り橋を散策する人たち。
 今日は昼間、ポカポカ陽気。秋山にやって来た人は時間の大半を車やバスの中からの紅葉見物に費やす。車から降りた時、ちょっとした散策や見晴らしのいい所での昼食(弁当)が楽しみなのだろう。
 切明は景色もいい。この一帯を自然公園化すれば、秋山(紅葉)観光に訪れた人たちがここで多くの時間を過ごし、したがってまたおカネを落とす機会も増えるだろう。志賀高原のホテルから来たバスの乗客がホテル用意の弁当を食し、トイレを無料使用し、ゴミだけを残していくという現状を大きく打開する鍵がこのあたりにあると思うのだが。そういえば、志賀高原は人びとが散策できるようなコースをたくさん用意している。

 秋山から帰った後、直売所で福原初さん自ら売る五宝木大根を買い、夕食は大根おろしをいっぱい載せたおろしトンカツを美味しく食べた。実際は写真の2倍のおろしをのせ、ポン酢をかけて食べた。大根の辛みとトンカツの甘みがミックスして最高。




15日(木) 午後、早々とタイヤ交換をした。
 7月から使っていたノーマルタイヤがもうツルツルのなってきていて、10月早々に新しいノーマルタイヤに換えようと思っていたが、時間がとれずにきた。山道を走ることが多いので、昨日あたりは相当ヤバイと思った。秋山での突然の降雪に備えて20日にはスノータイヤに換えようと思っていたので、「じゃあ、いっそのこと、冬タイヤに換えてしまおう」と考えた次第。
 今からスノータイヤにすると、雪のない道路での摩耗が進むとは思うが、どのみち、一冬を一本のタイヤでは乗り切れないことはわかっているので、交換した次第。これで秋山行きも怖くない。



 朝から好天。気持ちよく、午前中に青倉、白鳥で108軒廻れた。いろいろ写真も撮った。とくに主にかあちゃんたちの農作業姿に注目。9〜10月期の農作業風景を一度、まとめてみたいと思っている。
 午後3時半頃、平滝集落での配達途中に野々海へ上った。5日に上って以来、10日間行っていない。5日の段階で今秋の野々海の紅葉はヤマ場を越えたと思っていたが、「夕陽に映える野々海の紅葉」というようなものが撮れるのではないかというのが、当初の目論見。上る途中は結構いい紅葉だった(下写真)。


奥に見える紅葉は12日に行った白鳥の水路がある山のもの

 だが、野々海を上りきったところの三叉路が見える地点に来た時、驚いた。視界に入った野々海池の樹々がもうすっかり落葉しているのだ。平年の10月末の景色。後は初雪を待つばかりなのか。


落葉した樹々。私の大好きな風景。
                
 戻ってからブログ記事「早くも“晩秋”の訪れ」を編集し、アップした。
 夜8時半すぎ、国道117の気温表示は9℃。1桁の気温表示を見たのは今期初めて。朝は5℃くらいなのだろう。ここ1週間ほど、昨冬の灯油の残りで朝晩、ヒーターを入れていたが、灯油切れ。昨日、灯油を買い忘れ、昨晩、今朝と寒い思いをした。夕刻、灯油を買い込んで、今晩はバッチリ。

16日(金) 今日は五宝木での山ブドウ採りをなんとしても実現したいと考えた。
 今日の行動は、日出山線で秋山に向かい、まず、鳥甲牧場で五宝木大根の収穫現場を撮影した。つぎに五宝木の山田政治さん宅へ。山ブドウ採りだ。政治さんはデイサービスで不在。せきさんが、「私が案内するよ」と言われ、軽トラで山へ。随分奥まで入った。私の当初の腹積もりとしては、昼過ぎの山ブドウ採りの約束をして、いったん秋山に向かうという計画だったが、変更。山ブドウ採りを終わって五宝木を後にしたのはちょうど正午頃。


五宝木・山田政治さん宅近くの風景。いいところだ。

 その後、秋山林道で屋敷へ。途中、布岩の撮影。14日に撮影した布岩について、「ちょっと少し早いかな」と言った人がいたので、「じゃあ、もう1回」と思ったもの。
 数日前に屋敷の「みずと屋食堂」のキノコラーメンを話題にしていた人がいたので、みずと屋食堂に入り、キノコラーメンを注文。超満員でビックリ。お客さんは全員、県外の人。
 屋敷で「布岩めぐり」、つまり色んな地点から布岩を撮影し、続いて、天池の撮影へ。午後で逆光、しかも雲が垂れてきていて、あまりいいものは撮れなかったが。
 天池撮影終了後、上野原集落に戻って配達するつもりだったが、車をターンさせるために少し山を上ると、いい景色が続き、そのまま苗場山3合目の登山口まで。小赤沢に下る途中、大瀬(おぜ)の滝を撮影。
 帰路は東秋山林道。ここでも今までに見たことがない絶景に出会った。
 午後3時頃に帰宅してアルバムを作るつもりだったが、結局、帰宅は5時半。
 その後、ブログ記事「キノコラーメン@みずと屋食堂」、「五宝木大根の収穫作業」、「山ブドウを採ったよ」の3連発を作成。

17日(土) 昨夜の就寝は2時頃だったが、今朝は7時半にすっきり目覚めた。朝、まず、直売所かたくりに「秋山郷の紅葉は真っ盛り」の増刷を届けに行く。昨日、届けられなかったので、すべてなくなっていた。続いて、「布岩めぐり」と「秋山郷の紅葉は17、18両日が最高の見頃」を作成。後者はすぐに直売所かたくりへ。


直売所かたくりは今日も大盛況

 ところで、昨夜は0時前に作業を終え、その後、Eテレで「むのたけじ百歳の不屈」の再放送を見た。本放送の時はあまり見る気にならず、見なかったのだが、昨夜見てよかった。私の活動に参考になるところもあった。
 これを見始めた頃からか、左肩甲骨下の筋肉がみるみるうちに張り出した。それが今日になっても解消せず。午後、「湯上り整体」に行くことにしたが、少         
し撮影をしたりしていて、午後4時ぎりぎりに滑り込み。少し楽になった。今日は久しぶりの休養日ということかな、と思う。

18日(日) 今日は朝から秋山郷の上野原集落と和山集落の配達へ。この秋一番の好天で、いい写真が撮れた。動いている間に体が軽くなってきた。
 夜、10時すぎまで踏ん張って、ブログ記事「鳥甲山のビューポイントを探りながらの配達の日誌(10月18日)」を編集し、アップした。掲載写真は31枚。http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2002でご覧いただければ幸いです。

19日(月) 朝の目覚めはあまりよくなかったが、そんなことも言っていられない。15日夕に平滝で重平さんに会った時、「最近、見なかったね。どこかに行っているのかと思っていた」と言われた。今日の午後は北野の斉藤幸一さんからも「最近、見かけなかったね」と言われた。配達の遅れを取り戻さなければならない。
 昨日の午後は、直売所に置くパンフの補充ができなかった。今日は補充しなければならないが、土曜日に出したもののタイトルが「17、18両日が最高」というものだから、それの増刷というわけにはいかない。そこで、朝から、「紅葉を満喫し、冬もまた栄村を訪ねてくださいね」というタイトルの新しい8頁パンフを制作。持って行ったのは10時頃だったと思うが、午後1時前に行ったら、もうなくなりそうだったので、慌ててマスプリし、持って行った。
 そんな中で101軒を配達。
 夕刻、ようやく新しいポリバケツを買いに行き、山ブドウの漬け込み作業。みなさんのご意見にしたがい、ワインにする。数日、作業が先行している知人がいて、様子を見せてもらった。
 その知人を含む複数の人のアドバイスで、ゴミを取り除くだけでブドウは洗わず、房ごと漬け込み。





 これを「ワインレッド」と言うんだなあ。踏み潰しに使ったポリ袋が染まっている。


 
 

配達日誌10月5日〜9日

5日(月) 2日に配達しておきたかった25軒を朝、廻った。その後、「野々海にこの前行ったのは28日、様子をみておかなきゃ」と思い、8時半頃からスキー場→貝立山裏のコースでむかった。
 当初、「まず野々海に行き、昼頃に秋山に行こう」と思っていたが、野々海で3時間ほど費やしたか。今日の秋山行きは断念した。
 野々海の紅葉は、今年はだめ。野々海池の場合、正面を見ると、上の方はもう紅葉を終えて落葉しつつある。しかし、水面に近いところはまだ色づいていない。「紅葉真っ盛り」という図は今年は見られないと思う。期待できるのは、白鳥への水路にむかってブナ林の中を下るコースだけだと思う。


野々海池の西方向の様子

 野々海で4〜5組の人たちと出会った。千曲市、長野市、飯山市などから来られたようだ。昨年の様子をよくご存じの人は、「今年はだめだね。盛りはないな」と、私と同意見。
 また、三叉路の沼地のところで、「ネットで『いま見頃』と見て、来ました」という人がおられた。「えっ、それ、きっと私のブログだ」だと心の中で叫んだが、1日に観光協会がfacebookに「10月1日の野々海」という写真を掲載していることを知っていたので、「それかもしれない」と思い、口にはしなかった。
 野々海に何の案内板もないのは誠に残念。
 「今日中にブログをアップしたい」と、頑張って写真データを整理し、「10月5日の野々海」をアップ。


野々海峠に向かった時、道路の前面に日本海がワーッと視界に入ってきた。これには驚いた。

6日(火) 今日は、昨日行けなかった秋山に行くと決めていた。
 まず、直売所の様子を見て、それから出発したが、コースは箕作・泉平からスーパー林道(奥志賀栄公園線)でカヤノ平をぬけて行くもの。

 このコースを紅葉観光コースとして打ち出すとき、「出発点の泉平集落では稲刈りの真っ最中」という案内をするのもいいなと思い、泉平に立ち寄った。いい具合に4〜5台のコンバインが動いていて、いい絵になったが、ここでとんでもないアクシデント。撮影のアングルを変えたいと思い、田んぼの端を小走りに移動した時、足が棒に引っかかり、転倒。その時、右手の小指と薬指がカメラの角に当たり、猛烈に痛い。いったん帰宅して治療しようかと思うほど。それでも写真を撮り、その後、痛みをこらえながら、スーパー林道を走り、最高のドライブと撮影を実現して、帰宅は夕刻5時すぎ。帰宅の直前にようやく上郷の薬局で打ち身に効く塗り薬を購入。
 転んだ直後に撮った写真が次のもの。関田山脈をバックにした構図で泉平の稲刈りの様子を撮りたかったのだ。



 夜になっても痛い。指に力を入れられず、運転に無理があったのか、右腕の脇や脇腹に違和感。
 それでも、「今日中にブログにアップしたい」ということで、夜11時くらいまで作業。
 今日の一番の傑作はブログ記事のTOPに使ったが、「復興への歩み」にも使う予定。
 ブログは編集時間の都合もあって、雑魚川沿いの遊歩道に限定したが、じつはスーパー林道を進む時のこういう場面も素晴らしい。まるで青空にむかって走るような感じ。


 
 雑魚川沿いの遊歩道を1時間強歩き、「大滝入口」に出てきた時のこと。
 車を停めた清水小屋入口まで奥志賀栄公園線を40分ほど歩かなければならない。志賀高原方面に向かう車が来たら、乗せてもらえるように頼もうかなとも思っていた(いわゆるヒッチハイク)。
 「大滝入口」に1台の車が停まっていた。ナンバーを見ると、なんと鹿児島ナンバー。驚き、運転席に側に廻ると、窓が開いている。思わず、声をかけた。
    「鹿児島ナンバーですけど、鹿児島から車で来られたのですか?」
    「ええ。」
    「どういうコースで?」
    「九州自動車道、中国道…と普通に走って。」
    「鹿児島はどこですか?」
    「出水市(いずみし)。」
    「ああ、出水ですか。」
    「わかるんですか?」
    「ええ、……ということがありまして。」
    「あれ、悪いこと、聞いちゃいましたね。」
    「いえいえ。」
というように会話が進み、「じゃあ、乗って行きますか?」と言って下さり、清水小屋入口まで乗せていただいた。
 ちなみに先方は、ドライバーが30歳代の女性。その人のお母さんと思しき人、妹さんのような人、ドライバーのお子さんと思われる幼児の女の子の4名。お母さんは、「100名山はもうクリアしました」とのこと。素晴らしい人生を送っておられる。
 誠に有難いことであった。
 
7日(水) 昨夜、薬を飲み忘れ。2時頃に目が覚めて、薬を服用。そのため、起床は7時すぎ。
指の痛みはかなりひいていたが、左の二の腕の筋肉が張っている。右がダメで左腕に負担がかかったのか。それとも、「三段の滝」で一番の絵が撮れた時、かなり無理な所に行ったので、引き返す時に相当無理な動きをした結果か。

 2日午後〜4日は仕事なしの「休み」だったが、長距離移動で体は休まっていない。昨日も無理をした。それで、今日は散髪に行ったり、まとめ洗濯をしたり。事実上の休日。
 だが、散髪を終えて道路に出たところで、コンバインを積んだ中型トラックに出会った。「誰だろう?」と思い、運転席を見ると、長瀬の斉藤正春さん。「中尾の田んぼに向かわれるのかな」と思った。先回りをして、長瀬の志久見川に架かる橋の所で待って、写真を1枚(下写真)。



 その後、ご自宅に向かわれたので、話を聞くと、「午後、稲刈り」とのことで、午後、中尾に行った。
 正春さん、「復興への歩み」No.265の2頁に掲載したソバ畑の写真をえらく喜んで下さった。ソバ刈りの日取りを伝えてもらうようにお願いした。

 昼頃から頭が重くなってきた。3時すぎからは目が痛い。「昨日、写真データの整理なので目を使いすぎたかな」と思っていると、夕刻、喉が痛くなってきた。風邪だ。薬を飲んで早めに寝よう。

8日(木) 風邪っ気は一晩で抜けた。昨晩は結局早くには寝なかったが、なぜか5時に目覚めて起床。
 6日に撮影した雑魚川沿い以外の写真がもったいないので、アルバム「今、紅葉がいちばん綺麗なのは、もみじわかばライン」をいっきに作成。ブログにアップ。

 今日は、今秋デビューの「森むら米」の稲刈り。昨夜、温泉でそのことを話すと、大家さんが「雨が降らなければいいがなあ。幸雄さんが稲刈りしようとすると、必ず雨が降るんだ」と言う。晴天続きなので、「まさか」と思っていたら、ポツポツと降ってきた。そして、今朝、かなり激しい雨も。
 幸雄さんに尋ねると、「10時頃から刈る」とのこと。白鳥で31軒を廻った後、10時5分に森の開田へ。雨は上がっていたが、野々海方向を見ると、黒い雲が湧き出てくる。ほんの一時、雨が落ちてきたが、青空も。11時45分まで、1反5畝、1反、6畝、3畝の4枚の稲刈りを撮影。約980枚を撮り、すぐに家に戻って、3時すぎまでにドキュメントを作成し終わった。田んぼに行くと、予定の田んぼすべての刈り取りがちょうど終わったところだった。



 上の写真、ドキュメントでは使わなかったが、バックにスキー場が入り、いい絵だと思う。
 右手は薬指に痛みが残っている。車のドアを開けるのがいつも通りにはいかない。
 
9日(金) 今朝方も少し雨。稲刈りを予定している農家では困っておられる。私は室内で原稿を書いた後、明後日に稲刈りする田の畔と法面の草刈り。きれいになった。
 午後2時半頃に出発で秋山の配達へ。屋敷と小赤沢を予定していたが、屋敷で場所、場所によって景色が変わる様子を撮影したいという気持ちもあり、結局、後者に。配達は屋敷の27軒にとどまったが、3時半すぎから1時間強かかった。撮った写真はすぐに整理して、ブログにアップ。
 帰路、薄闇の中で、見倉集落のはぜ掛けの様子を撮影してきた。

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配達日誌9月30日〜10月4日

30日(水) No.265の配達を完了させるために頑張って116軒を廻ったが、同時に、2軒の稲刈りの様子を撮影しようと計画。
 昨夕に降り始めた雨が夜10時頃にかなり強くなったので、はたして今日の稲刈りができるか、心配だった。やはり、稲が相当に濡れていて、2軒のうち1軒は「午前10時半頃にようやく始めることができた」とのこと。
 この撮影を考えたきっかけは、それぞれの家のかあちゃんのfacebookへの投稿。その一人、青倉の高橋咲江さんは、昨日、「お父さんと一緒に稲刈りしました。明日も」と書いておられた。もう一人は長瀬の斉藤和代さんで、30日に稲刈りするためにご自身もご主人も勤めの休みをとられたそうで、天候の具合を心配する投稿をされていた。
 facebookには、「?」と思わざるをえないような投稿内容もしばしば見られるが、最近、「友達承認」していただいたお二人の投稿はなかなかいいもの。稲刈りやその準備の様子を撮った写真を載せておられるが、当然のことながらご自身の作業の様子は撮れない。そこで、お二人の稲刈りの様子を撮ろうと考えた。
 高齢のご夫婦のお二人での稲刈り作業の様子を見ることはよくあるが、お若いご夫婦の稲刈りはほとんど見たことがない。なかなかいいものだ。



 上の写真が高橋咲江さんと稔さんご夫婦のツーショット。下が斉藤和代さんと久智さん。



 和代さんは軽トラを運転して、自宅作業所の乾燥機まで運ぶ係。写真はコンバインから軽トラに籾米を移し終わり、和代さんが運転席に乗る瞬間。久智さんが車内の何かを取り出そうとして、二人が一緒に写る唯一の機会だった。言葉は交わさずとも、阿吽の呼吸ですべてが運ぶという感じ。
 
1日(木) 昨夕から編集し始めたNo.266は午前中の早くに完成。昼前から配達を始め、計75軒を廻れた。協賛者宅中心で移動距離が長くなるが、その割には多く廻れた。明日の午後から京都なので、「1軒でも多く」と踏ん張った。
 ずっと服用している薬が昨夜で切れたので、今日はどうしても診療所に行かなければならなかったが、昨日が臨時休診、今日の午前中は秋山診療で、午後は相当に混んだ。1時間くらい要しただろうか。

 天候が嵐になるという予報だったが、昼頃、軽トラから降りようとして、いつもの感じでドアを開けようとしたら、開きにくい。どうしてだろうと思ったら、風圧が原因。日誌を書いている夜9時すぎ段階では嵐になっていないが、時々、強い風が吹く午後だった。
 今日は南風が吹き込んでいるせいか、気温が比較的高い。昨日は寒かった。朝4時すぎに起きたが、たまらずコタツを入れたほど。志賀高原の山では初雪があったとのこと。とにかく天候が不順。
 今日はほんの少ししか写真を撮らなかったが、そのうちの2枚。


森集落にて。稲刈りが終わった後の田んぼには独特の風情がある。真ん中奥に見えるのは森宮野原駅。


直売所にて。久しぶりにコールラビが出た。たしか気温20℃くらいが栽培に適しているもの。初夏と秋の野菜。サラダがおすすめ。

2日(金) 京都に出かける日だが、朝から青倉、平滝、白鳥で56軒を配達。もう少し廻りたかったが、新幹線に余裕をもって乗りたかったので、これで終わりにした。
 その配達過程で、昨夜の強風で倒れたと思われるはぜ掛けに出逢った。昨夜は本当に凄い風だった。



 心配していたことが現実になってしまった。稲は重たいので、これは稲をいったんすべて取り外さないと、立て直すことは難しいのではないか。お気の毒だが、頑張っていただくしかない。
 
 飯山駅のパノラマテラス(景色を展望できる喫茶室)で「さかえむらトマトジュース」に出会った。そのメニューに気づいたのはすでに紅茶をオーダーした後だったが、せっかくなのでトマトジュースも注文。350円。飯山駅の展望スペースを背景に写真を撮った。


 
 北陸新幹線−特急サンダーバードで、京都には5時すぎに到着。
 夜はこの数年間、大変お世話になった方々と会食。会食の会場に着いた時はすでにかなり暗くなっていたが、八坂道(やさかみち)にて、かなり高級な天ぷら店に欧州系の外国人観光客が列をなしている様子を撮影した。



 会食の後、有名なお茶屋「一力(いちりき)」の前を通ったが、界隈はやはり外国人ばかり。「国際観光都市京都」ではあるが、なにか奇異な感じがする。
  
3日(土) 今回の京都行きの主題:父の13回忌。
 時が経つのは早いものだとしみじみ感じる。父が病に倒れてから約3ケ月での他界であった。享年83歳。最期の2ヶ月半は私は病院に泊まり込み、病院から大学に出勤していた。
 母は健在。今年12月で93歳になる。かなりぼけたが、いいぼけ方をしているように思う。

4日(日) 昼前に京都を出て、やはり金沢経由で帰村。
 北陸新幹線の乗車で大しくじりをやってしまった。
 金沢駅に着いたのが2時少し前。「金沢駅で昼食を」と思っていたが、日曜日で店が大混雑。そこで、駅弁を買って2時16分発の「はくたか」に乗ることにした。
 「そろそろ飯山駅が近づいたな」と思って席を立ってデッキに向かったが、間もなく外を眺めると、どうみても飯山〜長野間の景色。1日に1本か2本、飯山駅を通過する「はくたか」なのであった。
 長野駅で「乗り越し」の精算に行って、「飯山に止まらないと知らないで乗ってしまった」と言うと、「飯山に戻るのであれば、この切符のままでいいですよ」と言われ、切符に「誤乗」というスタンプを押してくれた。長野駅のホームで約1時間を過ごし、長野4時40分発の金沢行で飯山に戻った。

 京都駅前の本屋で3冊の本を購入し、うち2冊を列車および長野駅ホームでかなり読み終えた。いずれ内容を紹介したいが、たまに都会の本屋に出向いて、実際に書棚を見ながら、本=情報を仕入れるというのも大事なことだと思う。

 

配達日誌9月20日〜29日

20日(日) 今朝は早くに起き、6時半すぎから1階の片付け。印刷用の紙やトナー(インク)などを雑然と置きっ放しにしていたが、大家さんが今日から稲刈りを本格化されたので、明日には乾燥を終えたお米の袋が積み上げられるようにしておかなければならない。
 思っていたよりも早く片付き、その後、No.265の編集作業。

 9時すぎからは、関西から訪ねて来てくれた卒業生夫妻を案内。お子さんが昨年誕生し、1歳の誕生日が過ぎたので家族旅行に出かけようということになり、「出かけるならば、やっぱり栄村だろう」となったとのこと。ご夫婦とも学生時代に複数回、栄村を訪れているが、そういう人がまた栄村にやって来てくれるというのは本当に嬉しい。野々海を訪れた際に撮った写真を、ご夫婦の同意を得てブログにアップしたが、その中の1枚をここにも掲載しておきたい。1歳のそうちゃんが東窓(湿地)の木道を歩く姿。可愛いな。



 夕食はご一緒して、250gの味郷とんかつを食べた。とても美味かったが、ちょっと量が多すぎたかな。
 
21日(月) 月曜日というが、世の中は大型連休の真っ最中。
 No.265の編集は午前中の早い段階で完了し、印刷もしたが、あるパンフレットに必要な写真の確保のために出かけたついでに、いろんな所を廻り、配達はわずかな軒数にとどまった。
 昨日もそうだったが、道の駅、そして直売所の賑わいはすごい。直売所の店内は移動困難なほどの人。「きのこ汁」販売所もつねににぎやか。今日のお昼はキノコ汁とコシヒカリご飯。同じテーブルだった若いカップルも美味しそうに食べていた。
 とても繁盛しているので、「昨日は何杯くらい出ました?」と尋ねると、「400杯くらいかな」というご返事。地味な商売だが、まさに「村民主体の地域づくり」そのもの。後で村の人と話すと、「そういう実績を関係者はあまり話したがらないもの。成功している人を妬(ねた)む人がいるから」とのこと。たしかに村にはそういう傾向があると私も感じている。村が変わらなければならない点だと強く思う。



 上の直売所の写真。後ろ姿の女性が手にぶら下げているものにご注目を。これ、森の広瀬幸雄さん製作のまな板。そば作りセットと共に出されているが、お客さんが手にされているところを見るのは初めて。野菜だけでなく、こういうものも売れるのは嬉しいことだ。

 森の開田の全貌を写真に収めたくて、対岸の滝見線へ。望み通りの写真は撮れなかったが、ついでに暮坪に立ち寄るなどして、久々に滝見線を全線、走った。収穫は多く、次号に反映させたい。
 
22日(火) 最高の秋晴れが朝からずっと続いた。
 朝8時頃から配達に出て、昼過ぎまでに撮った写真を時間順に配列した「秋晴れの9月22日」を1時半すぎから編集。3時すぎに編集を終わり、ブログへのアップ、FBとtwitterでの告知などをしていたら4時すぎに。
 ブログは、http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=1967からアクセスできるが、ネットは使えないという人もおられると思うので、2枚だけ紹介しておきたい。


 8:29 原向にて。正面に見える山はいわゆる「三ツ山」か?
 

8:22 県道長瀬横倉線から切欠集落を望む(写真の奥は津南町宮野原集落)
 
 
 夜6時半に点灯だという「夢灯」(ゆめほ)というイベントの取材を兼ねて秋山での配達を予定していたので、4時すぎに大慌てで出発。給油をして向かったが、「夢灯」の舞台・上野原14軒の配達を終えたのが5時半すぎ。それから和山10軒と切明2軒を廻り、6時半すぎに上野原に戻った。
 夜間のロウソク灯りの撮影は難しい。帰宅してひと通りチェックしたかぎりでは、使えるものは2〜3枚くらいか。
 帰り道が大変なので7時10分頃に現場を後にした。国道405号線の帰路は疲れたというよりも、苦行だったと言う方が的確かと思う。秋山在住の人にとっては夜間でも走らなければならない生活道路だが、それ以外の者が夜間に普通に走れるものではない。それでも、私は昼間にはかなりの頻度で走っているのでなんとかなるが…。
 秋山の観光について思うところが多々ある。もう少し考えたうえで提起してみたいと思う。
 
23日(水) 大型連休の最終日。まず、平滝、白鳥の協賛者宅へ。途中、白鳥で「きれいだなあ」と思った田んぼを撮影するうちに、川沿いのくぼ地で稲刈りをするご家族を見つけ、現場を訪ねた。かねてから、「あの田んぼへは、どうやって行くのだろう?」と思っていたところ。現在も大型農業機械は入らない。ご主人はまだまだ若い人だが、将来が懸念される圃場である。


畦道が唯一の通路

 注文を受けている野菜を受け取りに行った帰り、なめこの原木栽培の場所を訪ねた。栽培者の方に場所を聞いて行ったが、山の中を進みすぎて、軽トラ1台分の幅しかない草だらけの道で、すぐ下は川という所に入ってしまい、バックで出てくるのに四苦八苦。その後も山の中をいろいろ歩き回り、やっと栽培現場に辿り着いた。ホダ木の数は無数。その営みに感心、感動した。


杉林が続く山道で軽トラを降りて、左写真の斜面の作業道を下ると、大量のホダ木が目にはいってきた

 発送後は、「お米のふるさと便り」の編集。印刷し終えたものを見て、全頁というわけではないが、ある見開きのページが探し続けていた「理想の写真編集」になっていることに気づいた。レイアウトを考え抜いてそうなったのではなく、偶然の産物。でも、「栄村の風景」というような冊子を制作する手がかりがつかめたように思う。

24日(木) 昨日、一昨日の秋晴れから一転して朝から曇天。午後には降り出した。
 天候が悪くなるのはわかっていたので、配達は早めに始めて、昼過ぎまでに東部地区や森集落でちょうど100軒を廻り、午後は室内作業。

 柳在家と切欠で田んぼの写真をずいぶんたくさん撮った。とくに切欠の県道森宮野原北野線と県道横倉長瀬線の間にある棚田ゾーンの全体像を写真にしてみたいと試みたが、全体像がうまく写る地点が見出せない。志久見川対岸の津南町小池のあたりから撮れば、うまくいくのではないかと思い、試みたが、全体像が写るはずのところには林があってうまくいかなかった。件(くだん)の棚田は県道森宮野原北野線からは見えないので、村民でも知る人は少ないのではないだろうか。下写真の真ん中を横切るのが県道森宮野原北野線。右手が北野方面である。



 もう1枚。いわゆる落穂拾いである。最近はこういうことをやる人がめっきり減ったが、ある意味で“農の原点”とでもいうべき作業だと思う。



25日(金) 午前中は主に室内作業で、昼頃から坪野、天地、大久保などに向かい、配達は31軒のみ。
 小雨模様だったが、天地で「いい景色を撮りたいな」と思い、山に入った。国有林のチェーンが張ってあるところで左折し、坪野に向かう道に入ったが、草がすごくて進めず。春は行けたのだが。数10mほど入ったところで、引き返すことにしたが、当然、転回はできなくてバックで下がった。その時の軽トラの後ろの様子が下の写真。



 その後、天地で斉藤勝美さん宅に立ち寄り、かねがね疑問だったことを尋ねた。栃の実の皮をどうやって?くのか、ということである。すると、勝美さんがお母さんから引き継いだ“もじり”という道具を見せて下さった。これで“もじる”と、皮に割れ目が入って?けるそうだ。“もじる”と言うのは「よじる」ないし「ねじる」という意味だろう。
 今年は、栃の実を食べられる状態にするまでの全作業工程を追いかけるつもり。

26日(土) 昨日までのNo.265配達累計が315部。「今日は相当廻らなきゃ」という思いで、184軒193部。累計で508部になり、なんとか30日までに全世帯に配達することが射程内に入った。
 天候は曇天。気温は高く、動くと汗ばんだ。田んぼは曇天で稲が乾かない、あるいはまだ青いところが残っているということで、今日は稲刈りの姿は見なかった。

 泉平で畑作業をしているおかあさんに声をかけて、いろんな話をしているうちに、ご主人は31年前に亡くなったことをお聞きした。「じゃあ、来年は33回忌ですね」、「そう。でも、地震で家が壊れ(半壊)、建て直さなければならなかったので、33回忌は簡素にしかできない」と。地震の被害・影響というのはこういう形でも後に引くものだ。以前には、やはり家の建て直しで、「老後のいろんな付き合いのための貯金を使い果たした」という話を聞いたこともある。地震の影響はとくに高齢者の暮らしにじわじわと迫ってくる。先日も、ある高齢の女性から、「兄弟姉妹で私だけが長生きできたが、そしたら地震。私がなんでこんな目に遭わなければならないのか。なにか悪いことをしたとでもいうのだろうか」と嘆く言葉を聞くことがあった。その女性はお彼岸に先祖を供養するためにお堂の周りの草をせっせととっておられたのだが。
 最近は「震災」ということが話題になることが少なくなった。それだけに震災被害の影響は重苦しくなってくるとも言える。来年の「3・12」5周年を射程に入れて、こうした問題を浮き彫りにしていかなければならないと思う。



 午前中、泉平の配達途中、島田米造さんご夫婦がピーマンの収穫作業をされている畑を見に行った。10月末まで収穫できるそうだ。赤くなってしまったピーマンが切り落とされているのを見て、おかあさんに「赤くなったの、食べてみていいですか」とお尋ねし、ご了解を得て、まだ茎についていて完全に赤くなっているのを1つとって、食べてみた。苦味がなくて美味しい。おかあさんも食べてみられて、「うん、美味しいね」と。以前に、TVで「完熟ピーマン」を栽培出荷している、たしか茨城県の農家が紹介された。それ以来、「畑で赤く完熟したピーマンを食べたい」と思い続けていたのだが、思わぬところで願いが叶った。
 上写真のピーマンは上側にまだ青みが残っている状態。もう数日すれば真っ赤になるのではないだろうか。

27日(日) 今日は日曜日。休みだ。
 ただ、休みとは言っても、いろんな休み方がある。
 むらでは、日曜日などの休日に共同作業が入ってくる。今回は集落の公民館の掃除。森集落の場合、隣組の持ち回りで年1回まわってくる。今年は隣組長なので、私が責任者。ただこれ自体は、8時から1時間ほどで終わった。
 その掃除作業の最中に、「中条で共同の稲刈りをやっているので、写真を撮ってほしい」という依頼の電話。写真データの記録をみると、これが撮影開始9時13分で、最後の1枚は10時34分。計719枚で、この中から88枚を選んで見本をプリントし、依頼者に手渡し。ここまでが午前中。


トラクターがけん引するトレーラーでコンバインを移動
青倉では見かけない作業(森・中条にて)

 津南まで昼食を食べに行った帰り、「河岸段丘上の広大な田んぼが黄金色一色に染まっている様子を写真に収めておきたい」と思い、国道117から大井平集落、亀岡集落を経て、現地へ。稲刈りはようやく始まったばかりのようで、望んでいた光景を目にし、写真も撮れた。この時期にここを訪れるのは震災以後は初めてだったように思う。     
 その後、「中子の桜」で有名な中子のため池の畔の住人・山本さんが民宿用に春から立てられているログハウスの様子を見に行った。「窓がまるで絵のよう」というブログにまとめたが、誰かを誘って、是非、泊りに行きたい。

 この後、先日赤ソバを見た暮坪に行く。これでもう夕闇が迫ってきた。
 いい休養だったのか、結局は仕事の一日だったのか。前者だと思う。
 
28日(月) 朝、天気が良く、スキー場彼方の空も青い。「こりゃ、野々海の様子を見に行かなきゃ」と思い、往復とも平滝コースで8時半頃出発の11時半頃戻り。
 撮影枚数540枚。午前中にデータ整理。大家さんで野々海水番の英男さんに8月4日に教えてもらった白鳥への水路の始まりのところまでの古道・ブナ林も歩き、収穫は大きかった。午後にいっきにブログ記事作成にまで持ち込んだ。
 そのため、配達は東部での84軒にとどまる。その配達で極野を廻る途中、ナメコの原木栽培の様子をもう一度撮るために山へ。
 
29日(火) 昨夜は雨が降ったにもかかわらず、朝は好天。懸案としていた秋山の紅葉の様子見に出かけることにした。直売所に立ち寄り、秋山に向かい始めたのが9時ちょっとすぎ、当初予定は、日出山線の途中で様子を見たいところが2ヶ所あるので、日出山線を進み、そのまま林道で切明まで行って、さらに秋山林道を進んで奥志賀渓谷コースをほんの一部だけ見て、帰りに五宝木で配達、というもの。

 予定が大きく変わったのは奥志賀渓谷コースに入って間もなくのこと。清水小屋の方から歩いてきた女性2人組に出会った。長野市在住で、一人は山ノ内町出身、もう一人は須坂市出身の人。「こんなにいいところ、知りませんでした。よかった」と。
 この声に背中を押されたのか、全コースを歩こうという気持ちになってしまった。ポイント、ポイントで写真を撮りながら歩くと、歩きそのものは速足ながら、12時7分〜13時31分の90分近くを要した。歩くだけなら4〜50分のコースだが。
 しかも、一人だったので車は大滝入口に置いたまま。車まで30分強、奥志賀栄公園線〜秋山林道をてくてく歩いた。これはこれでなかなかいいコースだったが。


ブナの木のこぶ。奥志賀渓谷コースにて

 帰路、鳥甲山登山口で面白い人に出会った。その後、切明でちょっと懇談。4時15分にその家を出ると、外は寒い。慌ててウィンドブレーカーを着用。「早めに夕食を」と思って津南に下ったが、夕食を終えて帰り着いたのが7時頃。温泉に行って、やっとひと段落。
 紅葉撮影で忙しくなるとは思っていたが、10月上・中旬はたいへんなスケジュールになりそう。それにプラスα、法事での京都行き、稲刈り交流もある。

 今回の「配達日誌」も、「復興への歩み」No.266の編集を30日中に行うので、29日で打ち止め。
 

配達日誌9月1日〜10日

1日(火) 「復興への歩み」No.263も写真アルバム「さかえむら子どもまつり2015」も完成しているが、アルバムの方で保護者の許諾をいただきに伺えていないところがあり、今日もそのための訪問。許諾が必要と判断したお宅は今日で廻れた。
 ここ数日に訪れたお宅すべてで許諾をいただき、多くのところで、「ええ、もちろんいいですよ。楽しみ」と言っていただいた。嬉しいと同時に、責任の大きさを強く感じている。
 白鳥集落を訪れた帰路で平滝のヒンゴ遺跡を訪れ、29日の説明会場で聞いた話のメモの内容について、埋蔵文化財センターの人に再確認。かなり訂正箇所があった。遺跡を取材するのは初めてなので、なかなか難しい。しかし、さらに勉強して、「復興への歩み」次号で報告したい。
 それに関連して、昔、千曲川の下流(信濃川)で自然災害のために川が堰き止められ、その影響で箕作集落の千曲川沿いに土砂が堆積して新しい土地が生まれたという場所を撮影してきた。下の写真に見える田んぼ・畑のあたりがその場所。
 村を理解するには、何千年とか何百年というタイムスパンでも勉強も必要だ。


 
 並行して森集落の祭りのアルバム(森集落への配布を予定)の編集を開始したが、7頁までひとまず終了。掲載したいことはまだまだある。編集し終えるには数日を要するだろう。
 
2日(水) 今日から「復興への歩み」No.263の配達を開始。配達は久しぶり。
 今号は、中学生以下のお子さんがおられるお家に「子どもまつり」の写真アルバムを少しでも早くお届けしたいので、いつもの協賛者宅に加え、お子さんのおられる家も同時に廻った。131軒・149部の配達であった。



 上は配達途中で撮った1枚。平滝の千曲川沿いであるが、真ん中やや左寄りのところに少し岩場が見える。その下をよく見ていただくと、道らしきものが写真右方にかけて確認できると思う。これが昔の箕作から明石(あかいし、野沢温泉村)に通じていた道の跡である。近所の人に伺うと、「道形ははっきり残っているが、普請もなにもまったくしていないので、歩くのは難しい」とのこと。箕作〜明石の古道のことは聞いていたが、場所を明確に確認したのは今回が初めて。
 
 配達途中でお茶のみに誘われ、そのお宅に1時間ほどお邪魔した。
 先週後半から今週初めにかけて配達ができていなかったので、1日あたり相当数の配達をしなければならないが、配達途中でのお茶のみの誘いを受けるのも大事。そこに“村を捉える鍵”の1つがあるからだ。

 今日の場合もそうだが、最近、村の人と話すときまって出てくるのが、「いまの村は不要なものにカネをかけるのに、本当に必要なことにはカネを出さない」という趣旨の話。「復興への歩み」をどんな内容で構成するのかをめぐって、私自身の中でいろんな考えがあり、試行錯誤を繰り返している面があるが、村の人たちをお話して、やはり“行政へのチェック”の役割を果たさなければならないとの思いを強くする昨今である。
 率直に言って、その役割を果たし続けることには「きついなあ」と思う面があることは否(いな)めない。私の場合、会社組織になっているマスコミの人とは違い、会社(組織)を盾にすることなどできず、一人の生身の人間として取材・執筆することになる。ある種の重圧が自身にかかってくることは避けえない。
 しかし、だからこそ、自身の責任において書くべきことを書けるという利点もあるわけである。
 もう1つは、きれいな写真を見ることや楽しい話を読みたいという人びとの思いとのかねあいで、1号、1号の構成をどう工夫するか、もっともっと努力しなければならない。

3日(木) 今日もせっせと配達に廻り、107軒。
 当部集落に行った時、草などが異常な倒れ方をしているのを目撃し、藤木ヤスさん宅を訪ねた。ヤスさん宅を訪ねたのは、草などが倒れている場所がヤスさんの地所と思われたことと、ヤスさん宅の玄関前に珍しいものが干してあったからだ。



 玄関で声をかけると、返事は玄関手前の下の畑から聞こえてきた。畑作業中だったのだ。
 珍しいものとは右写真のもの。ヤスさんはガマの葉を活用した草履を作っておられるので、これもやはり草履の材料になるものだと見当をつけたが(それは正解だった)、何なのかはわからなかった。答えはトウモロコシの皮。なるほど、である。

 草や花が倒れたのは25日の午後だったという。鳥甲牧場を突風が襲った日である。午後2時頃からで、「怖かった」とヤスさんは言っておられた。25日夜は森集落などでも強風が吹いたが、午後2時頃というのは初耳。当部の強風(あるいは突風)、鳥甲牧場・五宝木の突風はひょっとすると気象台も把握していない局地的なものなのではないだろうか。下写真は当部集落で草などが倒れたところ。



 今日はどうしても大久保集落に顔を出さなければならない用件があったが、辿り着いたのは午後5時すぎだったか。やはり平日の日中、工事で貝廻坂が通れないのは不便だ。
 その後、午後5時半以降は片側通行が可能になる貝廻坂を下りて、さらに別件の用事へ。
 忙しい一日だった。
 
4日(金) 昨日、月岡英男さんから、「野々海は水が増えたよ。池の向かいの山もかなり色づいてきたよ」と声をかけられた。この間、雨の日が多いので、野々海も少し水位が戻ったのだろう。英男さんからは、8月下旬、「もう間もなく、斜樋の金網がすべて水面上に出るよ。その時、声をかけるから、野々海に上がるといいよ」と言われていたが、水位回復でそのチャンスはなくなったようだ。でも、今度は紅葉の始まり具合を見に行っておきたい。そこで、「明日の朝、野々海に行こう」と心に決めていたのだが、朝になってみると、どうも山の方の空模様があやしい。
 朝食後、室内作業をしながら、相当迷った挙句、行くことにした。コースはスキー場から上がる道。

 貝立山裏から、色づいているところを撮影しながら進んだが、野々海から森の開田にむかう水路の管理道路の入り口に差し掛かったところで、何気なく車を停めた。この場所は何度となく通っているので、水路管理道路の所在は知っているが、じつはその道路を歩いたことはなかった。


水路管理道路に入ったところ

 「ちょっと様子を見ようか」と思って道を下り始めたが、歩き始めると、この道が行き着く先にあるサイフォンのところまで行かなければ気が済まなくなった。
 結果から言えば、「歩いてよかった」であるが、撮影した写真のデータから見ると、往復34分。結構歩いたなあという感じ。

 野々海水路で使われているのは正確に言えば「逆サイフォンの原理」であるが、水路と水路の間に沢があるところで、水をいったん下に落とし、次に元とほとんど変わらない高さまで水を上げる装置である。下写真がその現場。写真奥中央に土が見えるが、そこまで野々海池から続く水路が来ている。ところが、写真に見えるように沢(谷)がある。森の開田に水を届けるには、写真手前のところへ沢を越えて水を流さなければならない。そこで、沢の向こう側で落とした水が、沢のこちら側で写真手前に見えるところまで上がるように、逆サイフォンの原理を活かされているのである。



 こういう寄り道をしたので、野々海池及び周辺の撮影ポイントを廻って里に下りてきたのは1時すぎ。野々海の様子は別途レポートする。

 その後も田んぼの写真撮影などがあり、配達は夕刻のみで、21軒。
 昨日、今日と、クルミやトチの実を水に浸けたり、乾したりしる作業があちこちで見られる。季節は確実に進んでいる。
 夕刻の配達で面白いものに出会った。風呂焚きだ(下写真)。煙突から煙が出るところも撮った。浴室は現代的なものに改造されているが、浴槽は五右衛門風呂。じつに懐かしい。栄村でも、もはやあまり存在していないだろうと思う。
 夏場は薪3本で沸かせて、翌朝でも温かいとのこと。





5日(土) 昨夜はかなり涼しく、少し風邪っ気を感じた。よく考えると、「日曜日は休む」の原則が早くも8月16日から崩れ、まったく休んでいない。昨夜のうちに「5日は配達休み」と決めた。
 ただし、PCでの作業は行うという「休みではない休み」で、午前中はあるチラシの作成、午後は森集落の祭りのアルバムの作成で、あっという間に一日が過ぎた。
 
6日(日) 今日こそは日曜日で「完全休み」としたかったが、注文を受けた野菜の受け取り・発送やアスパラ畑の撮影、4日に野々海で撮った写真のデータ整理、人との用談2件などで結局一日が過ぎてしまった。



 滝沢総一郎さんのアスパラ畑は立茎が進み、6月頃とはすっかり様子が変わった(上写真)。いま、根は一所懸命に養分を貯めてくれているのであろう。詳しいことは総一郎さんにお話を聞いて書きたいが、とりあえず1枚。もはや茎の高さが私の背丈を超えているので、地上で撮ったのでは全体像が写せない。右は軽トラの荷台に上がって撮ったもの。
 
7日(月) 午前中、横倉、箕作、月岡、小滝、平滝での配達。115軒。
 天候はいっこうによくならないが、配達の途中に見る田んぼでは稲穂が日に日に黄金色に変わりつつあり、とてもきれいだ。下の1枚は9時前に横倉で撮ったもの。なにか特別な場所・風景というのではないが、こういう景色は私が好むものの1つだ。



 平滝での配達中、ある家の作業所の床に無造作に置かれたカボチャに目を惹かれた。



 上の写真には2種類のカボチャが写っているが、丸っぽいのは「雪化粧」、長いものは「バナナカボチャ」というそうだ。「雪化粧」は長持ちがきき、冬〜春まで保存できるという。
 料理屋さんに試してみてもらおうと思い、次の日曜日に分けていただくことをお願いし、了解していただいたが、おかあさんが「食べないと味はわかんないよ。煮た時に食べにいらっしゃい」と。「是非、お願いします」と約束してきた。

 この後、直売所に立ち寄った際に、さらに多種多様なカボチャが出荷されていた。その多種多様性は「売りだなあ」(=積極的にアピールし、どんどん売っていく)と思ったが、惜しむらくはそれぞれの種類の特性についての情報が不足している。村の農家にとってはカボチャの多種多様性は当たり前のことなのだろうが、その知恵を情報化し、外に発信していくことが大事だと思う。

 午後、一定の時間を使い、4日に野々海で撮影した写真データを整理し、「紅葉の野々海」をアピールするチラシを試作。印刷してみたが、チラシとなると、もっとレイアウトの工夫を高める必要があると反省。
 
8日(火) 天候はあまりよくなく、午後には宅急便発送の用件があって時間もなかったが、秋山の紅葉の進み具合をこの目で確かめたくて、秋山に向かった。
 見たかったポイントは、「復興への歩み」の配達ゾーンからは遠く離れた雑魚川沿い。
 切明から車で30分ほどかかる秋山林道沿いの「大滝」の入り口に向かった。遊歩道の「奥志賀渓谷コース」、一人で入ることに不安はあったが、「ホー」と大きな声を出してクマよけをしつつ、結局、「三段の滝」まで往復した。色づきはさほど進んでいないが、やはりいいコースだ。「三段の滝」の写真も久々に撮った。下写真は「三段の滝」に向かうブナ林の中の遊歩道の様子。



 紅葉は志賀高原の方が早く始まり、秋山の紅葉観光は志賀高原に宿泊する人がバスなどで志賀高原から秋山方向に走ってくることから始まる。ところが、その時期の観光は基本的にすべて志賀高原サイドのイニシアティブで行われていて、栄村・秋山からの情報発信はほとんどない。この状況を改善しなければ観光客の増加は実現できないだろう。土地の資源研究、そして観光客の関心・動向についての市場リサーチが圧倒的に不足していると思う。
 配達は切明、和山、五宝木で19軒と、夕刻に平滝で16軒。

9日(水) 台風18号の影響が心配されたが、栄村は幸いなことに大きな影響はなかった。午後には「こんな青空、何日ぶりだろう?」と思う青空が見られた。虹も見えた。
 そんな中、午後、村内告知放送でJアラートの緊急放送が大音声で流れ、「栄村に土砂災害警戒情報が出されました」という放送。「?」と思っていると、役場から「警戒」対象を具体的に説明する放送が行われた。じつに的確な内容で、担当部署の努力の賜物。これについては「復興への歩み」次号できちんと紹介したい。

 他方、千曲川の水位上昇もかなりのものだった。夕刻にネットの気象情報では「氾濫水位注意報」が出ていたが、これはネットでしか確認できないものだった。下は夕刻6時18分に百合居橋上から撮影した千曲川の水位上昇の様子。



 配達は午前中、雨の中、森集落で79軒。
 午後、一定の時間を使って、昨年秋の野々海の紅葉の写真を整理し、アルバムを試作した。なかなかいいもので、見せた人からも評価していただいたが、どのように活用するか、もう少し考えてみたい。
 
10日(木) 昨日の午後には青空が見られ、天候の本格的回復を期待したが、一日中曇天だった。雨がパラついたのはほんのわずかな時間のみ。
 午前中は坪野、程久保、野田沢、大久保で41軒の配達。貝廻坂の工事による通行止めで東部から廻って行くので、かなり時間がかかる。貝廻坂の通行止めはまだしばらくかかるので、次号以降の配達プランをよく検討したい。

 午後、ひんご遺跡の発掘作業の様子を撮影に行った。作業の大半は村の人たちが担っておられるが、もうかなりの長期にわたるので、みなさん、手慣れたもの。プロ級の腕だと思った(下写真)。この体験談を聞き取り・収集することも必要だと思う。



 午後の後半は「復興への歩み」No.264の編集作業。ひんご遺跡の記事執筆は、頁数の制約もある中で、なかなか難しい。
 
 編集作業を進めながら、茨城県の鬼怒川の堤防決壊による大水害の救助活動の模様をTVで見ていたが、状況をわが村にひきつけて考えると恐ろしくなった。というのも、国土交通省はすでに数年前に今回の決壊箇所のすぐ近くで堤防が決壊するとの想定で水害がどこまで広がるかのシミュレーションを行っていた、堤防の強化計画を立てていたが、今回の水害に間に合わなかった、ということだからだ。箕作と月岡の千曲川沿いについても同様の問題がある。ここでは、かつて氾濫災害が実際に起こっており、堤防の嵩上げ計画も決まっているが、工事はまだまだ先である。地元住民がその危険をどれだけ認識し、対応準備をしているかといえば、心許(こころもと)ない現実があると言わざるをえない。今回の場合、栄村では降水量が少なかったにもかかわらず、千曲川上流での大雨で水位が上昇したので、栄村でも千曲川水位上昇への警戒感は弱かったように思うのだが、いかがだろうか。

 最後に紙面が少し残ったので、写真を1枚。坪野の斎藤秀男さんが見せて下さった「カラムシ」の糸。斉藤家にずっと保存されてきたもの。



 秀男さんは昭和1桁世代だが、子ども時代に自宅でカラムシの糸作りが行われていた記憶はないと話しておられたので、それよりも前に作られたものであろう。
 カラムシは、イラクサ科の多年生植物で別名「苧麻」と呼ばれる。カラムシ檻は越後の名産で、栄村でもかつて盛んだったもの。「公民館に預けたい」と言っておられた。