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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌9月30日〜10月4日

30日(水) No.265の配達を完了させるために頑張って116軒を廻ったが、同時に、2軒の稲刈りの様子を撮影しようと計画。
 昨夕に降り始めた雨が夜10時頃にかなり強くなったので、はたして今日の稲刈りができるか、心配だった。やはり、稲が相当に濡れていて、2軒のうち1軒は「午前10時半頃にようやく始めることができた」とのこと。
 この撮影を考えたきっかけは、それぞれの家のかあちゃんのfacebookへの投稿。その一人、青倉の高橋咲江さんは、昨日、「お父さんと一緒に稲刈りしました。明日も」と書いておられた。もう一人は長瀬の斉藤和代さんで、30日に稲刈りするためにご自身もご主人も勤めの休みをとられたそうで、天候の具合を心配する投稿をされていた。
 facebookには、「?」と思わざるをえないような投稿内容もしばしば見られるが、最近、「友達承認」していただいたお二人の投稿はなかなかいいもの。稲刈りやその準備の様子を撮った写真を載せておられるが、当然のことながらご自身の作業の様子は撮れない。そこで、お二人の稲刈りの様子を撮ろうと考えた。
 高齢のご夫婦のお二人での稲刈り作業の様子を見ることはよくあるが、お若いご夫婦の稲刈りはほとんど見たことがない。なかなかいいものだ。



 上の写真が高橋咲江さんと稔さんご夫婦のツーショット。下が斉藤和代さんと久智さん。



 和代さんは軽トラを運転して、自宅作業所の乾燥機まで運ぶ係。写真はコンバインから軽トラに籾米を移し終わり、和代さんが運転席に乗る瞬間。久智さんが車内の何かを取り出そうとして、二人が一緒に写る唯一の機会だった。言葉は交わさずとも、阿吽の呼吸ですべてが運ぶという感じ。
 
1日(木) 昨夕から編集し始めたNo.266は午前中の早くに完成。昼前から配達を始め、計75軒を廻れた。協賛者宅中心で移動距離が長くなるが、その割には多く廻れた。明日の午後から京都なので、「1軒でも多く」と踏ん張った。
 ずっと服用している薬が昨夜で切れたので、今日はどうしても診療所に行かなければならなかったが、昨日が臨時休診、今日の午前中は秋山診療で、午後は相当に混んだ。1時間くらい要しただろうか。

 天候が嵐になるという予報だったが、昼頃、軽トラから降りようとして、いつもの感じでドアを開けようとしたら、開きにくい。どうしてだろうと思ったら、風圧が原因。日誌を書いている夜9時すぎ段階では嵐になっていないが、時々、強い風が吹く午後だった。
 今日は南風が吹き込んでいるせいか、気温が比較的高い。昨日は寒かった。朝4時すぎに起きたが、たまらずコタツを入れたほど。志賀高原の山では初雪があったとのこと。とにかく天候が不順。
 今日はほんの少ししか写真を撮らなかったが、そのうちの2枚。


森集落にて。稲刈りが終わった後の田んぼには独特の風情がある。真ん中奥に見えるのは森宮野原駅。


直売所にて。久しぶりにコールラビが出た。たしか気温20℃くらいが栽培に適しているもの。初夏と秋の野菜。サラダがおすすめ。

2日(金) 京都に出かける日だが、朝から青倉、平滝、白鳥で56軒を配達。もう少し廻りたかったが、新幹線に余裕をもって乗りたかったので、これで終わりにした。
 その配達過程で、昨夜の強風で倒れたと思われるはぜ掛けに出逢った。昨夜は本当に凄い風だった。



 心配していたことが現実になってしまった。稲は重たいので、これは稲をいったんすべて取り外さないと、立て直すことは難しいのではないか。お気の毒だが、頑張っていただくしかない。
 
 飯山駅のパノラマテラス(景色を展望できる喫茶室)で「さかえむらトマトジュース」に出会った。そのメニューに気づいたのはすでに紅茶をオーダーした後だったが、せっかくなのでトマトジュースも注文。350円。飯山駅の展望スペースを背景に写真を撮った。


 
 北陸新幹線−特急サンダーバードで、京都には5時すぎに到着。
 夜はこの数年間、大変お世話になった方々と会食。会食の会場に着いた時はすでにかなり暗くなっていたが、八坂道(やさかみち)にて、かなり高級な天ぷら店に欧州系の外国人観光客が列をなしている様子を撮影した。



 会食の後、有名なお茶屋「一力(いちりき)」の前を通ったが、界隈はやはり外国人ばかり。「国際観光都市京都」ではあるが、なにか奇異な感じがする。
  
3日(土) 今回の京都行きの主題:父の13回忌。
 時が経つのは早いものだとしみじみ感じる。父が病に倒れてから約3ケ月での他界であった。享年83歳。最期の2ヶ月半は私は病院に泊まり込み、病院から大学に出勤していた。
 母は健在。今年12月で93歳になる。かなりぼけたが、いいぼけ方をしているように思う。

4日(日) 昼前に京都を出て、やはり金沢経由で帰村。
 北陸新幹線の乗車で大しくじりをやってしまった。
 金沢駅に着いたのが2時少し前。「金沢駅で昼食を」と思っていたが、日曜日で店が大混雑。そこで、駅弁を買って2時16分発の「はくたか」に乗ることにした。
 「そろそろ飯山駅が近づいたな」と思って席を立ってデッキに向かったが、間もなく外を眺めると、どうみても飯山〜長野間の景色。1日に1本か2本、飯山駅を通過する「はくたか」なのであった。
 長野駅で「乗り越し」の精算に行って、「飯山に止まらないと知らないで乗ってしまった」と言うと、「飯山に戻るのであれば、この切符のままでいいですよ」と言われ、切符に「誤乗」というスタンプを押してくれた。長野駅のホームで約1時間を過ごし、長野4時40分発の金沢行で飯山に戻った。

 京都駅前の本屋で3冊の本を購入し、うち2冊を列車および長野駅ホームでかなり読み終えた。いずれ内容を紹介したいが、たまに都会の本屋に出向いて、実際に書棚を見ながら、本=情報を仕入れるというのも大事なことだと思う。

 

配達日誌9月20日〜29日

20日(日) 今朝は早くに起き、6時半すぎから1階の片付け。印刷用の紙やトナー(インク)などを雑然と置きっ放しにしていたが、大家さんが今日から稲刈りを本格化されたので、明日には乾燥を終えたお米の袋が積み上げられるようにしておかなければならない。
 思っていたよりも早く片付き、その後、No.265の編集作業。

 9時すぎからは、関西から訪ねて来てくれた卒業生夫妻を案内。お子さんが昨年誕生し、1歳の誕生日が過ぎたので家族旅行に出かけようということになり、「出かけるならば、やっぱり栄村だろう」となったとのこと。ご夫婦とも学生時代に複数回、栄村を訪れているが、そういう人がまた栄村にやって来てくれるというのは本当に嬉しい。野々海を訪れた際に撮った写真を、ご夫婦の同意を得てブログにアップしたが、その中の1枚をここにも掲載しておきたい。1歳のそうちゃんが東窓(湿地)の木道を歩く姿。可愛いな。



 夕食はご一緒して、250gの味郷とんかつを食べた。とても美味かったが、ちょっと量が多すぎたかな。
 
21日(月) 月曜日というが、世の中は大型連休の真っ最中。
 No.265の編集は午前中の早い段階で完了し、印刷もしたが、あるパンフレットに必要な写真の確保のために出かけたついでに、いろんな所を廻り、配達はわずかな軒数にとどまった。
 昨日もそうだったが、道の駅、そして直売所の賑わいはすごい。直売所の店内は移動困難なほどの人。「きのこ汁」販売所もつねににぎやか。今日のお昼はキノコ汁とコシヒカリご飯。同じテーブルだった若いカップルも美味しそうに食べていた。
 とても繁盛しているので、「昨日は何杯くらい出ました?」と尋ねると、「400杯くらいかな」というご返事。地味な商売だが、まさに「村民主体の地域づくり」そのもの。後で村の人と話すと、「そういう実績を関係者はあまり話したがらないもの。成功している人を妬(ねた)む人がいるから」とのこと。たしかに村にはそういう傾向があると私も感じている。村が変わらなければならない点だと強く思う。



 上の直売所の写真。後ろ姿の女性が手にぶら下げているものにご注目を。これ、森の広瀬幸雄さん製作のまな板。そば作りセットと共に出されているが、お客さんが手にされているところを見るのは初めて。野菜だけでなく、こういうものも売れるのは嬉しいことだ。

 森の開田の全貌を写真に収めたくて、対岸の滝見線へ。望み通りの写真は撮れなかったが、ついでに暮坪に立ち寄るなどして、久々に滝見線を全線、走った。収穫は多く、次号に反映させたい。
 
22日(火) 最高の秋晴れが朝からずっと続いた。
 朝8時頃から配達に出て、昼過ぎまでに撮った写真を時間順に配列した「秋晴れの9月22日」を1時半すぎから編集。3時すぎに編集を終わり、ブログへのアップ、FBとtwitterでの告知などをしていたら4時すぎに。
 ブログは、http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=1967からアクセスできるが、ネットは使えないという人もおられると思うので、2枚だけ紹介しておきたい。


 8:29 原向にて。正面に見える山はいわゆる「三ツ山」か?
 

8:22 県道長瀬横倉線から切欠集落を望む(写真の奥は津南町宮野原集落)
 
 
 夜6時半に点灯だという「夢灯」(ゆめほ)というイベントの取材を兼ねて秋山での配達を予定していたので、4時すぎに大慌てで出発。給油をして向かったが、「夢灯」の舞台・上野原14軒の配達を終えたのが5時半すぎ。それから和山10軒と切明2軒を廻り、6時半すぎに上野原に戻った。
 夜間のロウソク灯りの撮影は難しい。帰宅してひと通りチェックしたかぎりでは、使えるものは2〜3枚くらいか。
 帰り道が大変なので7時10分頃に現場を後にした。国道405号線の帰路は疲れたというよりも、苦行だったと言う方が的確かと思う。秋山在住の人にとっては夜間でも走らなければならない生活道路だが、それ以外の者が夜間に普通に走れるものではない。それでも、私は昼間にはかなりの頻度で走っているのでなんとかなるが…。
 秋山の観光について思うところが多々ある。もう少し考えたうえで提起してみたいと思う。
 
23日(水) 大型連休の最終日。まず、平滝、白鳥の協賛者宅へ。途中、白鳥で「きれいだなあ」と思った田んぼを撮影するうちに、川沿いのくぼ地で稲刈りをするご家族を見つけ、現場を訪ねた。かねてから、「あの田んぼへは、どうやって行くのだろう?」と思っていたところ。現在も大型農業機械は入らない。ご主人はまだまだ若い人だが、将来が懸念される圃場である。


畦道が唯一の通路

 注文を受けている野菜を受け取りに行った帰り、なめこの原木栽培の場所を訪ねた。栽培者の方に場所を聞いて行ったが、山の中を進みすぎて、軽トラ1台分の幅しかない草だらけの道で、すぐ下は川という所に入ってしまい、バックで出てくるのに四苦八苦。その後も山の中をいろいろ歩き回り、やっと栽培現場に辿り着いた。ホダ木の数は無数。その営みに感心、感動した。


杉林が続く山道で軽トラを降りて、左写真の斜面の作業道を下ると、大量のホダ木が目にはいってきた

 発送後は、「お米のふるさと便り」の編集。印刷し終えたものを見て、全頁というわけではないが、ある見開きのページが探し続けていた「理想の写真編集」になっていることに気づいた。レイアウトを考え抜いてそうなったのではなく、偶然の産物。でも、「栄村の風景」というような冊子を制作する手がかりがつかめたように思う。

24日(木) 昨日、一昨日の秋晴れから一転して朝から曇天。午後には降り出した。
 天候が悪くなるのはわかっていたので、配達は早めに始めて、昼過ぎまでに東部地区や森集落でちょうど100軒を廻り、午後は室内作業。

 柳在家と切欠で田んぼの写真をずいぶんたくさん撮った。とくに切欠の県道森宮野原北野線と県道横倉長瀬線の間にある棚田ゾーンの全体像を写真にしてみたいと試みたが、全体像がうまく写る地点が見出せない。志久見川対岸の津南町小池のあたりから撮れば、うまくいくのではないかと思い、試みたが、全体像が写るはずのところには林があってうまくいかなかった。件(くだん)の棚田は県道森宮野原北野線からは見えないので、村民でも知る人は少ないのではないだろうか。下写真の真ん中を横切るのが県道森宮野原北野線。右手が北野方面である。



 もう1枚。いわゆる落穂拾いである。最近はこういうことをやる人がめっきり減ったが、ある意味で“農の原点”とでもいうべき作業だと思う。



25日(金) 午前中は主に室内作業で、昼頃から坪野、天地、大久保などに向かい、配達は31軒のみ。
 小雨模様だったが、天地で「いい景色を撮りたいな」と思い、山に入った。国有林のチェーンが張ってあるところで左折し、坪野に向かう道に入ったが、草がすごくて進めず。春は行けたのだが。数10mほど入ったところで、引き返すことにしたが、当然、転回はできなくてバックで下がった。その時の軽トラの後ろの様子が下の写真。



 その後、天地で斉藤勝美さん宅に立ち寄り、かねがね疑問だったことを尋ねた。栃の実の皮をどうやって?くのか、ということである。すると、勝美さんがお母さんから引き継いだ“もじり”という道具を見せて下さった。これで“もじる”と、皮に割れ目が入って?けるそうだ。“もじる”と言うのは「よじる」ないし「ねじる」という意味だろう。
 今年は、栃の実を食べられる状態にするまでの全作業工程を追いかけるつもり。

26日(土) 昨日までのNo.265配達累計が315部。「今日は相当廻らなきゃ」という思いで、184軒193部。累計で508部になり、なんとか30日までに全世帯に配達することが射程内に入った。
 天候は曇天。気温は高く、動くと汗ばんだ。田んぼは曇天で稲が乾かない、あるいはまだ青いところが残っているということで、今日は稲刈りの姿は見なかった。

 泉平で畑作業をしているおかあさんに声をかけて、いろんな話をしているうちに、ご主人は31年前に亡くなったことをお聞きした。「じゃあ、来年は33回忌ですね」、「そう。でも、地震で家が壊れ(半壊)、建て直さなければならなかったので、33回忌は簡素にしかできない」と。地震の被害・影響というのはこういう形でも後に引くものだ。以前には、やはり家の建て直しで、「老後のいろんな付き合いのための貯金を使い果たした」という話を聞いたこともある。地震の影響はとくに高齢者の暮らしにじわじわと迫ってくる。先日も、ある高齢の女性から、「兄弟姉妹で私だけが長生きできたが、そしたら地震。私がなんでこんな目に遭わなければならないのか。なにか悪いことをしたとでもいうのだろうか」と嘆く言葉を聞くことがあった。その女性はお彼岸に先祖を供養するためにお堂の周りの草をせっせととっておられたのだが。
 最近は「震災」ということが話題になることが少なくなった。それだけに震災被害の影響は重苦しくなってくるとも言える。来年の「3・12」5周年を射程に入れて、こうした問題を浮き彫りにしていかなければならないと思う。



 午前中、泉平の配達途中、島田米造さんご夫婦がピーマンの収穫作業をされている畑を見に行った。10月末まで収穫できるそうだ。赤くなってしまったピーマンが切り落とされているのを見て、おかあさんに「赤くなったの、食べてみていいですか」とお尋ねし、ご了解を得て、まだ茎についていて完全に赤くなっているのを1つとって、食べてみた。苦味がなくて美味しい。おかあさんも食べてみられて、「うん、美味しいね」と。以前に、TVで「完熟ピーマン」を栽培出荷している、たしか茨城県の農家が紹介された。それ以来、「畑で赤く完熟したピーマンを食べたい」と思い続けていたのだが、思わぬところで願いが叶った。
 上写真のピーマンは上側にまだ青みが残っている状態。もう数日すれば真っ赤になるのではないだろうか。

27日(日) 今日は日曜日。休みだ。
 ただ、休みとは言っても、いろんな休み方がある。
 むらでは、日曜日などの休日に共同作業が入ってくる。今回は集落の公民館の掃除。森集落の場合、隣組の持ち回りで年1回まわってくる。今年は隣組長なので、私が責任者。ただこれ自体は、8時から1時間ほどで終わった。
 その掃除作業の最中に、「中条で共同の稲刈りをやっているので、写真を撮ってほしい」という依頼の電話。写真データの記録をみると、これが撮影開始9時13分で、最後の1枚は10時34分。計719枚で、この中から88枚を選んで見本をプリントし、依頼者に手渡し。ここまでが午前中。


トラクターがけん引するトレーラーでコンバインを移動
青倉では見かけない作業(森・中条にて)

 津南まで昼食を食べに行った帰り、「河岸段丘上の広大な田んぼが黄金色一色に染まっている様子を写真に収めておきたい」と思い、国道117から大井平集落、亀岡集落を経て、現地へ。稲刈りはようやく始まったばかりのようで、望んでいた光景を目にし、写真も撮れた。この時期にここを訪れるのは震災以後は初めてだったように思う。     
 その後、「中子の桜」で有名な中子のため池の畔の住人・山本さんが民宿用に春から立てられているログハウスの様子を見に行った。「窓がまるで絵のよう」というブログにまとめたが、誰かを誘って、是非、泊りに行きたい。

 この後、先日赤ソバを見た暮坪に行く。これでもう夕闇が迫ってきた。
 いい休養だったのか、結局は仕事の一日だったのか。前者だと思う。
 
28日(月) 朝、天気が良く、スキー場彼方の空も青い。「こりゃ、野々海の様子を見に行かなきゃ」と思い、往復とも平滝コースで8時半頃出発の11時半頃戻り。
 撮影枚数540枚。午前中にデータ整理。大家さんで野々海水番の英男さんに8月4日に教えてもらった白鳥への水路の始まりのところまでの古道・ブナ林も歩き、収穫は大きかった。午後にいっきにブログ記事作成にまで持ち込んだ。
 そのため、配達は東部での84軒にとどまる。その配達で極野を廻る途中、ナメコの原木栽培の様子をもう一度撮るために山へ。
 
29日(火) 昨夜は雨が降ったにもかかわらず、朝は好天。懸案としていた秋山の紅葉の様子見に出かけることにした。直売所に立ち寄り、秋山に向かい始めたのが9時ちょっとすぎ、当初予定は、日出山線の途中で様子を見たいところが2ヶ所あるので、日出山線を進み、そのまま林道で切明まで行って、さらに秋山林道を進んで奥志賀渓谷コースをほんの一部だけ見て、帰りに五宝木で配達、というもの。

 予定が大きく変わったのは奥志賀渓谷コースに入って間もなくのこと。清水小屋の方から歩いてきた女性2人組に出会った。長野市在住で、一人は山ノ内町出身、もう一人は須坂市出身の人。「こんなにいいところ、知りませんでした。よかった」と。
 この声に背中を押されたのか、全コースを歩こうという気持ちになってしまった。ポイント、ポイントで写真を撮りながら歩くと、歩きそのものは速足ながら、12時7分〜13時31分の90分近くを要した。歩くだけなら4〜50分のコースだが。
 しかも、一人だったので車は大滝入口に置いたまま。車まで30分強、奥志賀栄公園線〜秋山林道をてくてく歩いた。これはこれでなかなかいいコースだったが。


ブナの木のこぶ。奥志賀渓谷コースにて

 帰路、鳥甲山登山口で面白い人に出会った。その後、切明でちょっと懇談。4時15分にその家を出ると、外は寒い。慌ててウィンドブレーカーを着用。「早めに夕食を」と思って津南に下ったが、夕食を終えて帰り着いたのが7時頃。温泉に行って、やっとひと段落。
 紅葉撮影で忙しくなるとは思っていたが、10月上・中旬はたいへんなスケジュールになりそう。それにプラスα、法事での京都行き、稲刈り交流もある。

 今回の「配達日誌」も、「復興への歩み」No.266の編集を30日中に行うので、29日で打ち止め。
 

配達日誌9月1日〜10日

1日(火) 「復興への歩み」No.263も写真アルバム「さかえむら子どもまつり2015」も完成しているが、アルバムの方で保護者の許諾をいただきに伺えていないところがあり、今日もそのための訪問。許諾が必要と判断したお宅は今日で廻れた。
 ここ数日に訪れたお宅すべてで許諾をいただき、多くのところで、「ええ、もちろんいいですよ。楽しみ」と言っていただいた。嬉しいと同時に、責任の大きさを強く感じている。
 白鳥集落を訪れた帰路で平滝のヒンゴ遺跡を訪れ、29日の説明会場で聞いた話のメモの内容について、埋蔵文化財センターの人に再確認。かなり訂正箇所があった。遺跡を取材するのは初めてなので、なかなか難しい。しかし、さらに勉強して、「復興への歩み」次号で報告したい。
 それに関連して、昔、千曲川の下流(信濃川)で自然災害のために川が堰き止められ、その影響で箕作集落の千曲川沿いに土砂が堆積して新しい土地が生まれたという場所を撮影してきた。下の写真に見える田んぼ・畑のあたりがその場所。
 村を理解するには、何千年とか何百年というタイムスパンでも勉強も必要だ。


 
 並行して森集落の祭りのアルバム(森集落への配布を予定)の編集を開始したが、7頁までひとまず終了。掲載したいことはまだまだある。編集し終えるには数日を要するだろう。
 
2日(水) 今日から「復興への歩み」No.263の配達を開始。配達は久しぶり。
 今号は、中学生以下のお子さんがおられるお家に「子どもまつり」の写真アルバムを少しでも早くお届けしたいので、いつもの協賛者宅に加え、お子さんのおられる家も同時に廻った。131軒・149部の配達であった。



 上は配達途中で撮った1枚。平滝の千曲川沿いであるが、真ん中やや左寄りのところに少し岩場が見える。その下をよく見ていただくと、道らしきものが写真右方にかけて確認できると思う。これが昔の箕作から明石(あかいし、野沢温泉村)に通じていた道の跡である。近所の人に伺うと、「道形ははっきり残っているが、普請もなにもまったくしていないので、歩くのは難しい」とのこと。箕作〜明石の古道のことは聞いていたが、場所を明確に確認したのは今回が初めて。
 
 配達途中でお茶のみに誘われ、そのお宅に1時間ほどお邪魔した。
 先週後半から今週初めにかけて配達ができていなかったので、1日あたり相当数の配達をしなければならないが、配達途中でのお茶のみの誘いを受けるのも大事。そこに“村を捉える鍵”の1つがあるからだ。

 今日の場合もそうだが、最近、村の人と話すときまって出てくるのが、「いまの村は不要なものにカネをかけるのに、本当に必要なことにはカネを出さない」という趣旨の話。「復興への歩み」をどんな内容で構成するのかをめぐって、私自身の中でいろんな考えがあり、試行錯誤を繰り返している面があるが、村の人たちをお話して、やはり“行政へのチェック”の役割を果たさなければならないとの思いを強くする昨今である。
 率直に言って、その役割を果たし続けることには「きついなあ」と思う面があることは否(いな)めない。私の場合、会社組織になっているマスコミの人とは違い、会社(組織)を盾にすることなどできず、一人の生身の人間として取材・執筆することになる。ある種の重圧が自身にかかってくることは避けえない。
 しかし、だからこそ、自身の責任において書くべきことを書けるという利点もあるわけである。
 もう1つは、きれいな写真を見ることや楽しい話を読みたいという人びとの思いとのかねあいで、1号、1号の構成をどう工夫するか、もっともっと努力しなければならない。

3日(木) 今日もせっせと配達に廻り、107軒。
 当部集落に行った時、草などが異常な倒れ方をしているのを目撃し、藤木ヤスさん宅を訪ねた。ヤスさん宅を訪ねたのは、草などが倒れている場所がヤスさんの地所と思われたことと、ヤスさん宅の玄関前に珍しいものが干してあったからだ。



 玄関で声をかけると、返事は玄関手前の下の畑から聞こえてきた。畑作業中だったのだ。
 珍しいものとは右写真のもの。ヤスさんはガマの葉を活用した草履を作っておられるので、これもやはり草履の材料になるものだと見当をつけたが(それは正解だった)、何なのかはわからなかった。答えはトウモロコシの皮。なるほど、である。

 草や花が倒れたのは25日の午後だったという。鳥甲牧場を突風が襲った日である。午後2時頃からで、「怖かった」とヤスさんは言っておられた。25日夜は森集落などでも強風が吹いたが、午後2時頃というのは初耳。当部の強風(あるいは突風)、鳥甲牧場・五宝木の突風はひょっとすると気象台も把握していない局地的なものなのではないだろうか。下写真は当部集落で草などが倒れたところ。



 今日はどうしても大久保集落に顔を出さなければならない用件があったが、辿り着いたのは午後5時すぎだったか。やはり平日の日中、工事で貝廻坂が通れないのは不便だ。
 その後、午後5時半以降は片側通行が可能になる貝廻坂を下りて、さらに別件の用事へ。
 忙しい一日だった。
 
4日(金) 昨日、月岡英男さんから、「野々海は水が増えたよ。池の向かいの山もかなり色づいてきたよ」と声をかけられた。この間、雨の日が多いので、野々海も少し水位が戻ったのだろう。英男さんからは、8月下旬、「もう間もなく、斜樋の金網がすべて水面上に出るよ。その時、声をかけるから、野々海に上がるといいよ」と言われていたが、水位回復でそのチャンスはなくなったようだ。でも、今度は紅葉の始まり具合を見に行っておきたい。そこで、「明日の朝、野々海に行こう」と心に決めていたのだが、朝になってみると、どうも山の方の空模様があやしい。
 朝食後、室内作業をしながら、相当迷った挙句、行くことにした。コースはスキー場から上がる道。

 貝立山裏から、色づいているところを撮影しながら進んだが、野々海から森の開田にむかう水路の管理道路の入り口に差し掛かったところで、何気なく車を停めた。この場所は何度となく通っているので、水路管理道路の所在は知っているが、じつはその道路を歩いたことはなかった。


水路管理道路に入ったところ

 「ちょっと様子を見ようか」と思って道を下り始めたが、歩き始めると、この道が行き着く先にあるサイフォンのところまで行かなければ気が済まなくなった。
 結果から言えば、「歩いてよかった」であるが、撮影した写真のデータから見ると、往復34分。結構歩いたなあという感じ。

 野々海水路で使われているのは正確に言えば「逆サイフォンの原理」であるが、水路と水路の間に沢があるところで、水をいったん下に落とし、次に元とほとんど変わらない高さまで水を上げる装置である。下写真がその現場。写真奥中央に土が見えるが、そこまで野々海池から続く水路が来ている。ところが、写真に見えるように沢(谷)がある。森の開田に水を届けるには、写真手前のところへ沢を越えて水を流さなければならない。そこで、沢の向こう側で落とした水が、沢のこちら側で写真手前に見えるところまで上がるように、逆サイフォンの原理を活かされているのである。



 こういう寄り道をしたので、野々海池及び周辺の撮影ポイントを廻って里に下りてきたのは1時すぎ。野々海の様子は別途レポートする。

 その後も田んぼの写真撮影などがあり、配達は夕刻のみで、21軒。
 昨日、今日と、クルミやトチの実を水に浸けたり、乾したりしる作業があちこちで見られる。季節は確実に進んでいる。
 夕刻の配達で面白いものに出会った。風呂焚きだ(下写真)。煙突から煙が出るところも撮った。浴室は現代的なものに改造されているが、浴槽は五右衛門風呂。じつに懐かしい。栄村でも、もはやあまり存在していないだろうと思う。
 夏場は薪3本で沸かせて、翌朝でも温かいとのこと。





5日(土) 昨夜はかなり涼しく、少し風邪っ気を感じた。よく考えると、「日曜日は休む」の原則が早くも8月16日から崩れ、まったく休んでいない。昨夜のうちに「5日は配達休み」と決めた。
 ただし、PCでの作業は行うという「休みではない休み」で、午前中はあるチラシの作成、午後は森集落の祭りのアルバムの作成で、あっという間に一日が過ぎた。
 
6日(日) 今日こそは日曜日で「完全休み」としたかったが、注文を受けた野菜の受け取り・発送やアスパラ畑の撮影、4日に野々海で撮った写真のデータ整理、人との用談2件などで結局一日が過ぎてしまった。



 滝沢総一郎さんのアスパラ畑は立茎が進み、6月頃とはすっかり様子が変わった(上写真)。いま、根は一所懸命に養分を貯めてくれているのであろう。詳しいことは総一郎さんにお話を聞いて書きたいが、とりあえず1枚。もはや茎の高さが私の背丈を超えているので、地上で撮ったのでは全体像が写せない。右は軽トラの荷台に上がって撮ったもの。
 
7日(月) 午前中、横倉、箕作、月岡、小滝、平滝での配達。115軒。
 天候はいっこうによくならないが、配達の途中に見る田んぼでは稲穂が日に日に黄金色に変わりつつあり、とてもきれいだ。下の1枚は9時前に横倉で撮ったもの。なにか特別な場所・風景というのではないが、こういう景色は私が好むものの1つだ。



 平滝での配達中、ある家の作業所の床に無造作に置かれたカボチャに目を惹かれた。



 上の写真には2種類のカボチャが写っているが、丸っぽいのは「雪化粧」、長いものは「バナナカボチャ」というそうだ。「雪化粧」は長持ちがきき、冬〜春まで保存できるという。
 料理屋さんに試してみてもらおうと思い、次の日曜日に分けていただくことをお願いし、了解していただいたが、おかあさんが「食べないと味はわかんないよ。煮た時に食べにいらっしゃい」と。「是非、お願いします」と約束してきた。

 この後、直売所に立ち寄った際に、さらに多種多様なカボチャが出荷されていた。その多種多様性は「売りだなあ」(=積極的にアピールし、どんどん売っていく)と思ったが、惜しむらくはそれぞれの種類の特性についての情報が不足している。村の農家にとってはカボチャの多種多様性は当たり前のことなのだろうが、その知恵を情報化し、外に発信していくことが大事だと思う。

 午後、一定の時間を使い、4日に野々海で撮影した写真データを整理し、「紅葉の野々海」をアピールするチラシを試作。印刷してみたが、チラシとなると、もっとレイアウトの工夫を高める必要があると反省。
 
8日(火) 天候はあまりよくなく、午後には宅急便発送の用件があって時間もなかったが、秋山の紅葉の進み具合をこの目で確かめたくて、秋山に向かった。
 見たかったポイントは、「復興への歩み」の配達ゾーンからは遠く離れた雑魚川沿い。
 切明から車で30分ほどかかる秋山林道沿いの「大滝」の入り口に向かった。遊歩道の「奥志賀渓谷コース」、一人で入ることに不安はあったが、「ホー」と大きな声を出してクマよけをしつつ、結局、「三段の滝」まで往復した。色づきはさほど進んでいないが、やはりいいコースだ。「三段の滝」の写真も久々に撮った。下写真は「三段の滝」に向かうブナ林の中の遊歩道の様子。



 紅葉は志賀高原の方が早く始まり、秋山の紅葉観光は志賀高原に宿泊する人がバスなどで志賀高原から秋山方向に走ってくることから始まる。ところが、その時期の観光は基本的にすべて志賀高原サイドのイニシアティブで行われていて、栄村・秋山からの情報発信はほとんどない。この状況を改善しなければ観光客の増加は実現できないだろう。土地の資源研究、そして観光客の関心・動向についての市場リサーチが圧倒的に不足していると思う。
 配達は切明、和山、五宝木で19軒と、夕刻に平滝で16軒。

9日(水) 台風18号の影響が心配されたが、栄村は幸いなことに大きな影響はなかった。午後には「こんな青空、何日ぶりだろう?」と思う青空が見られた。虹も見えた。
 そんな中、午後、村内告知放送でJアラートの緊急放送が大音声で流れ、「栄村に土砂災害警戒情報が出されました」という放送。「?」と思っていると、役場から「警戒」対象を具体的に説明する放送が行われた。じつに的確な内容で、担当部署の努力の賜物。これについては「復興への歩み」次号できちんと紹介したい。

 他方、千曲川の水位上昇もかなりのものだった。夕刻にネットの気象情報では「氾濫水位注意報」が出ていたが、これはネットでしか確認できないものだった。下は夕刻6時18分に百合居橋上から撮影した千曲川の水位上昇の様子。



 配達は午前中、雨の中、森集落で79軒。
 午後、一定の時間を使って、昨年秋の野々海の紅葉の写真を整理し、アルバムを試作した。なかなかいいもので、見せた人からも評価していただいたが、どのように活用するか、もう少し考えてみたい。
 
10日(木) 昨日の午後には青空が見られ、天候の本格的回復を期待したが、一日中曇天だった。雨がパラついたのはほんのわずかな時間のみ。
 午前中は坪野、程久保、野田沢、大久保で41軒の配達。貝廻坂の工事による通行止めで東部から廻って行くので、かなり時間がかかる。貝廻坂の通行止めはまだしばらくかかるので、次号以降の配達プランをよく検討したい。

 午後、ひんご遺跡の発掘作業の様子を撮影に行った。作業の大半は村の人たちが担っておられるが、もうかなりの長期にわたるので、みなさん、手慣れたもの。プロ級の腕だと思った(下写真)。この体験談を聞き取り・収集することも必要だと思う。



 午後の後半は「復興への歩み」No.264の編集作業。ひんご遺跡の記事執筆は、頁数の制約もある中で、なかなか難しい。
 
 編集作業を進めながら、茨城県の鬼怒川の堤防決壊による大水害の救助活動の模様をTVで見ていたが、状況をわが村にひきつけて考えると恐ろしくなった。というのも、国土交通省はすでに数年前に今回の決壊箇所のすぐ近くで堤防が決壊するとの想定で水害がどこまで広がるかのシミュレーションを行っていた、堤防の強化計画を立てていたが、今回の水害に間に合わなかった、ということだからだ。箕作と月岡の千曲川沿いについても同様の問題がある。ここでは、かつて氾濫災害が実際に起こっており、堤防の嵩上げ計画も決まっているが、工事はまだまだ先である。地元住民がその危険をどれだけ認識し、対応準備をしているかといえば、心許(こころもと)ない現実があると言わざるをえない。今回の場合、栄村では降水量が少なかったにもかかわらず、千曲川上流での大雨で水位が上昇したので、栄村でも千曲川水位上昇への警戒感は弱かったように思うのだが、いかがだろうか。

 最後に紙面が少し残ったので、写真を1枚。坪野の斎藤秀男さんが見せて下さった「カラムシ」の糸。斉藤家にずっと保存されてきたもの。



 秀男さんは昭和1桁世代だが、子ども時代に自宅でカラムシの糸作りが行われていた記憶はないと話しておられたので、それよりも前に作られたものであろう。
 カラムシは、イラクサ科の多年生植物で別名「苧麻」と呼ばれる。カラムシ檻は越後の名産で、栄村でもかつて盛んだったもの。「公民館に預けたい」と言っておられた。
 

配達日誌9月11日〜19日

11日(金) No.264と「日誌」9月1日〜10日の編集を午前中で終えたが、午後、「本格的なフォトアルバム」作りを試してみようと考え、その作業をしたので、配達はなし。
 「フォトアルバムが簡単に作れますよ」という宣伝文句にのせられて、試してみたが、その手のものではあまりいいものはできそうにないとわかった。印刷会社の人で、アルバム作りなどに精通している人にも話をお聞きしたが、簡単ではなさそう。
 しかし、栄村のさまざまな資源を活かしていくには、写真アルバム的なものは必要不可欠だと考えるので、その方策をさらに追求していきたい。
 
12日(土) 朝から猛然と配達。写真アルバム「白鳥のお祭り2015年」を配達して以来、ご無沙汰になっている白鳥集落の全戸を廻り、さらに一定地域の協賛者宅も廻って、今日は170軒、183部。

 午前中は久しぶりの快晴だった。気持ちがいい。下は、今日撮った写真の中で空の青さと稲の黄金色のコントラストが最も鮮やかなもの。白鳥集落の国道より千曲川よりの田んぼから撮った。見えている山は野々海方面。



 あるかあちゃんと畑のそばで立ち話。先日、お家でお茶のみに寄せていただいた時の話の続きで、西大滝ダムから津南町の鹿渡の発電所までをつなぐトンネルが1930年代に建設された折の話。当時のことを知る人は少なくなってきた。いわゆる強制連行ではないが、朝鮮人労働者が多く作業に従事し、危険な作業で重傷を負い、亡くなった人も多いと聞いている。そういう歴史をいまのうちに記録しておくことが必要だという考えで一致した。
 
13日(日) 今日は日曜日なので、本来は休みとしたいところだが、発送作業などもあって、そうもいかず。一日、なにかバタバタしているうちに過ぎた感じ。
 まあ、配達は基本的になしにしたので、そこそこの休養にはなっているのかもしれないが。

14日(月) 今日はフル稼働。午前中に協賛者宅を57軒廻った続きで、昼過ぎに極野から五宝木〜屋敷と進み、屋敷、小赤沢、上野原で86軒を配達。



 小赤沢で「秋山ならでは」という感じのはぜ掛けの準備に出会った。上の写真だが、斜めの支え棒が一段下の土地から立てられている。集落全体がいわば階段状になっている小赤沢ならではの光景だと思う。
 作業中のおとうさんに話を聞いたが、「もう20年くらいやっている」とのこと。稲を掛ける横棒は竹が望ましいが、今年からパイプに変えたとのこと。「稲刈りは20日過ぎかな」ということで、できればはぜ掛けの時に訪ねてみたいが…。

 上野原で配達を終えたのが3時半頃。これでおとなしく帰れば、どーということもない一日の終了だったが、切明から志賀高原にぬける秋山林道、奥志賀栄公園線の紅葉の始まり具合を確認しておきたくて、そちらに向かった。
 今日の秋山は地元の人の言葉では「朝からずっとぐづついている」とのことだったが、切明を越えて秋山林道を進むと、小雨が降り、霧がかかって前方がよく見えないような状況。
 雑魚川沿いの遊歩道の清水小屋付近に行ったが、期待したような紅葉の始まりは見られず。下が雑魚川で撮った1枚。



 秋山から下におりたのは6時半頃。上野原での配達を終えてから約3時間、ほとんど山道を運転し放しで、疲れたというか、おなかがペコペコ状況になった。
 
15日(火) 天気予報では今日は晴れ。先日来、知り合いに誘われていたカヤノ平での笹葉採りの現場の模様を撮影しに行くことにした。
 カヤノ平の現場まで栄村・森集落から1時間半かかる。7時にヤマザキショップ前に集合ということで、笹葉採りに行く人たちを乗せたハイエースの後を軽トラで進んだ。現場の林道のゲートを通過したのが8時15分。笹葉採りのみなさんと別れて、私がゲートを出たのが10時5分。2時間弱の滞在だったが、笹葉採りの現場は初体験。どういうところなのか、想像がつかなかったが、驚きの世界だった。記録を何かの形にまとめたいと思う。
 
カラマツやダテカンバに絡みつく蔓が紅葉し、とてもきれい

 この後、私は志賀高原に廻った。やはり紅葉の具合を確かめたかったからだ。昨夕に行った雑魚川沿いの清水小屋近くは、じつはカヤノ平の笹葉採りの現場から4km程度のところ。2日連続の奥志賀栄公園線ということになる。
 結果からいえば、志賀高原でも紅葉はほとんど始まっていない。

 志賀高原から中野市に下り、途中で昼食のラーメンを食べて、そのまま野々海へ。こちらは紅葉が相当に進んでいる。秋山や志賀高原で紅葉がほとんど始まっていないのに、野々海は紅葉が進んでいるというのは、いったいどういうことだろう?よくわからない。
 野々海から戻ったのは午後3時半頃。山道の運転の連続で相当疲れたが、やはり配達を少しでも進めたいので、天代、坪野、天地、大久保を廻った。わずか28軒だったが、距離はかなり長い。
 
16日(水) 12日からNo.264の配達を始めているが、かなりの世帯はNo.263とのセットでの配達になっている。もともとは8月の発行を2回に減らし、お盆行事などに対応できるようにしていたのだが、「白鳥のお祭り2015年」、「さかえむら子どもまつり」、「建森田神社のお祭り」(森集落)の3件について写真アルバムを制作し、白鳥集落全世帯、お子さんのいる世帯、森集落の全世帯への配布を行ったため、通常号の配達に大きなしわ寄せが生じた次第。
 今日、東部地区を中心に130軒を配達し、2号セットの配達をほぼ終えることができた。12日からの累計は494部。No.264は19日までに配達を完了できる展望がようやく出てきた(ただし、五宝木、切明、和山の秋山3集落は8日に行っていて、次は早くて21日にしか行けないのだが)。



 今日の写真は笹原の関沢義平さんがモチ米のはぜ掛けをされている様子。小布施から手伝いに来ているお孫さんが投げた稲束をはぜの上で義平さんがキャッチする瞬間。
 シャッター音を「カシャカシャ…」と響かせていると、「そっけに(たくさん)撮るほどのもんじゃねえよ」と義平さんから言われたが、こういう“瞬間”を確実に撮影するには普通にシャッターを押しているのでは撮り逃すので、連写モードを使用する。すると、「カシャカシャ…」というシャッター音が響くことになるのだ。お祭りで獅子の動きなどをうまく捉えられるようになったのも、この連写モードの使用にかなり慣れてきたからだ。
 
17日(木) 朝から小雨模様だが、午後は「集会」に行かなければならないので、平滝、森でせっせと配達。家が比較的まとまって所在しているゾーンだったので、10時前に110軒の配達を完了。


倒伏した稲だけを手刈りして、はぜ掛けした上倉重平さんのはぜ

 その後、ある災害対策工事の不備をめぐって、相談というか、手助けがほしいという依頼が人を介してあり、そのお宅に伺う。1時間ほどお話を聞き、現場も見せていただいた。「復興への歩み」でいきなり書くというのではなく、関係役所等に丁寧に聞き取りなどを行なって話を詰めていきたいと考えるが、じ  
つに杜撰(ずさん)な工事で、そのツケを住民にしわ寄せするというひどい話である。話を仲介された人は「大手メディアに訴えようかとも思ったが、取り上げてくれなさそう。そこで松尾さんのことが思い浮かんだ」と言っておられた。地域メディアとしての役割を発揮しなければならないと思う。

 午後は、振興公社が3億円事業をめぐって開催する「3年間の事業報告会」(正式名称は「地域づくり勉強会」となっているが、実質は事業報告会である)に参加。
 詳しいことは「復興への歩み」で取り上げようかなと思うが、「1部 JTB中部による生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の事業報告」という名の「報告」は本当にひどいものだった。私は、「黙って、ただ『報告』だけ聴いて帰ろう」と心に決めていたが、会場からの質問への公社幹部の返答があまりに役人然としたひどいものだったので、黙っていられなくなってしまった。「堪(こら)え性が無いなあ」と我ながら思うが、まあ、怒(いか)るべきところで怒(いか)らなければ、私が私でなくなるかなとも思う。
 「2部」で講演された江崎貴久(きく)さんは手慣れたもので、休憩時間を入れ、ガラッと雰囲気を変えてその後のお話を進めて下さったのが救いだったが。
 その後、温泉に入りに行った時、公社メンバーとJTB関係者が「宴会」中である場面に遭遇し、ますます複雑な心境になった。
 
18日(金) 天気予報とは違い、午前中は青空が広がる好天気。私の住まいの大家さんは「もうけものだ。田んぼの四隅だけ手刈りしてはぜ掛け。来年の道祖神に使う藁が確保できる」と。


写真右奥に稲束を軽トラに積み込む奥さんの姿が見える

 午前中は、15日のカヤノ平での笹っ葉採りの写真アルバムと、野々海の紅葉のアルバムを制作。
 大量の写真データをPCで見つめ続けたせいか、目が痛い。
 でも、昼食の後、箕作などで67軒を配達。    
 さらに一休みの後、原向に向かった。出かける時は薄暮状態に入りつつある時間帯だったが、小雨が降っていて、暗くなるのが早かった。
 67軒の配達が終わった後、直売所に立ち寄り、「明日からのシルバーウィークの間のウリは何?」と尋ね、野菜・果物やPOPを写真撮影。先日の土日、直売所情報をFBやtwitterで発信したが、「それを見て、買いに来た」というお客さんがおられたとのこと。明日も発信したい。
 
19日(土) 最初に目が覚めたのは午前5時台だった。睡眠時間としては足りているかなと思ったが、起きる気持ちにならず、もう一度眠った。すると、目覚めたのは8時少し前。ここ1〜2ヶ月、体が求める睡眠時間が以前よりも長くなった気がする。
 室内作業を少ししたうえで、10時少し前、直売所の様子を見に行き、撮影したものを使って、すぐにブログにアップし、フェイスブック、ツイッターでの告知を行う。

 早目の昼食後、月岡、小滝の配達へ。月岡の大巻の千曲川沿いの田んぼに入り、いつもとは違うアングルで大巻の田んぼを撮った。その後も、いろんな田んぼの様子を撮影しながら、計43軒で配達。

 その後、再び直売所を訪れた。「しょうにいも」がよく売れているそうだ。



 駐車場はほぼ満杯。その一角にツーリングの集団の姿が。高速のSA(サービスエリア)などでツーリング集団と出会い、ヘルメットを外した姿を見ると、相当の年輩グループだったということがよくあるが、今日、直売所近くで出会った人たちはかなり若い。「写真、撮らせてもらっていいですか」と声をかけて、撮影。多摩ナンバーだったので、「多摩のどちらですか?」と尋ねると、「武蔵村山ってご存知ですか?」、「ええ、栄村とは姉妹都市ですね」、「えっ、知って下さっているんですね」、「直売所で姉妹都市ってことで、武蔵村山の小松菜、売っていますよ」、「ありがとうございます」という会話に。

 この後、月岡富士男さんの白鳥の山の上の田んぼを訪ねた。ちょうど富士男さんも来ておられて、少しお話。富士男さんは、別の所で使われなくなったU字溝を復活利用して、水路の修復作業。
 以前に「直売所に出すために野菜を数種類を植える」と言っておられた畑の様子も拝見。キャベツや白菜が元気に育ちつつあった(写真は育ちつつあるキャベツ)。「今日は初めてカボチャを直売所に出しました」とも。直売所が村民主体の運動になってきていることの1つの事例だ。



 最後に、直売所に今日出されたリンゴ、シナノドルチェを夕刻に食べたので、その写真を掲載しておきたい。





 Webで調べると、「多少酸味があるため、爽やかな味わいが楽しめる」とあったが、食べた感想はそのとおり。一口噛んだ時、やや酸っぱさを感じる。だが、その後、サッパリ感を感じる。なかなかいいと思った。是非、一度お試しを。


 大型連休中の種々のスケジュールの関係で20日中に「復興への歩み」No.265(9月21日付)を編集したいので、今回の「配達日誌」は19日で打ち止め。紙幅に余裕があるので、雑感を記しておきたい。
 
 1つは、体調のこと。最近、配達時に出会った人から、「体、大丈夫?」と声をかけられることがよくある。私が「配達日誌」に体調不良時のことなどを書くので、心配して下さっているようなのだ。
 そういうお声をかけていただいた時にもこのようにお答えしているが、大丈夫です。
 ただ、「1年前にはできたことが今年はできない」ということがしばしばあることは事実。
 村では「65歳なんて、まだまだ若い」と言われ、また、それはそのとおりだと私も思うが、しかしまた、65歳を迎えて無理が効かなくなってきたのも事実。
 年々、少しずつ、これまでは出来たことが出来なくなることを前提にして、自分の行動についてのプランニングをしなければならないと思う。

 2つは、気候のこと。
 「猛烈な暑さだったのに、急に秋の気配になった」。東京圏の人たちからもそういう声を聞く。たしかにその通りだ。しかし、私はまだ暑かった頃から、いろんな人との会話の中で、「今年の夏の暑さは本物の夏の暑さではないのではないか」と言い続けてきた。どこかで書いたかもしれないが、言いたいことは、つぎのようなこと。

     夏の暑さというのは、太陽が私たちの真上からギラギラ
    と照りつけ、それで私たちが暑さを感じるとともに、地
    面が熱せられて、気温が上昇していく、というものだ。
    だから、村では夏でも朝は爽やかな空気で、太陽が高い位
    置に上がってくるにつれて気温が上がる。時刻でいえば、
    せいぜい午前8時頃にならないと暑くはならない。
     ところが、今年は朝の6時半頃ですでに暑い。太陽がギ
    ラギラ照りつけて、というのではなく、なにか熱風のよう
    なものが吹き込んできて気温が上がっていく感じがする。

 以上は、私の主観にすぎないかもしれないが、今年の夏に明確な異変事象があったことは事実。
 いくつかの事象を指摘しておきたい。

    ・ アゲハチョウがほとんど見られず、山や野々海に行って
     もチョウが非常に少なかった
    ・ オニヤンマが異常に多かった。野々海では7月半ばは平年
     通り赤トンボが群れていたが、下旬以降はオニヤンマに圧
     倒され、その姿が非常に少なくなった。赤トンボの姿が再
     びよく見られるようになったのは、お盆過ぎに涼しくなった
     後だった。(オニヤンマの餌になると言われるアブが非常に
     多かった)
    ・ 山で夏の花があまりきれいに咲かなかった(山でチョウが
     少なかったことの一原因かもしれない)。
    ・ 野々海では、8月中旬になってもエゾアジサイが元気に咲い
     ていた。そのかわり、昨年7月下旬にチョウが大量に群れてい
     た白い夏の花がほとんど咲いていなかった。
    ・ 夜、電気の明かりに集まる虫が少なかった。涼しくなった8
     月下旬になって、車のライトに浮かび上がる虫が増えた。

 以上のことも、私の主観が入り交ざったものかもしれないが、これまでと違ったのは間違いないと思っている。
 大変な災害が続いているが、“気候変動”ということが顕在化してきているのだと思う。
 科学的な研究も大事だが、自然と共に暮らす村びとが、日々の暮らしの中で感じとる事象が、今後の気候を考えるうえで重要な意味をもつのではないかと思う次第である。

 

配達日誌8月20日〜31日

20日(木) 「復興への歩み」No.262の編集日で外廻りなし。写真撮影もなし。
 昼食時、知り合いの若者から仕事・稼ぎの様子について話を聞く。結婚・子育てまで考えると、現状では厳しいようだが、村には色んな仕事があり、それらを組み合わせて結婚・子育ても可能な稼ぎにしていくことが村というものの存立にとってきわめて重要なことだと改めて思った。
 それにしても、たくさんの田んぼを引き受けている人は、7月など、1日に8時間ほど、ひたすら草刈りに励むのだという。炎天下での草刈り、1時間だってきつい。凄いことだ。
 
21日(金) 19日までの「配達日誌」を整理・編集し、「復興への歩み」No.262とともに印刷。これで配達に入れるのだが、午後、別原稿に没頭してしまった。「復興への歩み」の発行・印刷の現況報告と協賛金のお願いに関する文書だ。
 「復興への歩み」の発行・配達の長期持続化をどう確保していくか。いろいろと思案を巡らしている。先日、知人から「カネがもたないだろう」と言われ、私の方から「なにかいい知恵はあるか」と尋ね返したら、「支援を訴える文書を作ったほうがいい」とアドバイスされ、今日の原稿書きになった次第。何人かの友人・知人に読んでもらい、意見を聞いたうえで発行したいと考えている。

 配達は14部のみ。その配達先2軒で長話をし、帰宅は夜11時すぎ。でも、うち1軒では若い母親の悩み、村への要望などを聞くことができて、非常に勉強になった。お子さんがむずかりだして、話は途中になったが、また続きをお聞きしたいと思っている。
 
22日(土) 朝から協賛者宅を中心に、秋山以外のほとんどの集落を廻った。毎号、配達本格スタート日は走行距離が長い。



 昨夜が遅かったので、スタート時刻は遅くなった。11時すぎ、久しぶりに長瀬・中尾の田んぼに立ち寄った。稲穂が垂れ、色づき始め、すっかり様子が変わっている。水路が土砂で塞がっていることを知ったのが5月8日、普請を取材したのが10日。あれから3ヶ月半、月日が経つのは早い。それにしても水路が復旧できてよかった。今冬〜来春はどうなるのか、心配だが。斉藤正春さんに出会ったが、畦草刈りであった(上写真)。


 極野は今日・明日がお祭り。今年は私の日程と体力を考慮して、極野のお祭りを訪ねることを断念したが、夜の神楽などを見に行くというのではなく、昼間に配達で訪れて、祭り当日の集落の様子を見るというのもなかなかいいものだ。写真を1枚。



 昼すぎまで、携帯を家に置き忘れて配達をしていたが、2時半頃、家に立ち寄ると、不在着信が2件。うち1件は明日の仕事依頼。もう1件は夕刻に立ち寄ると、1時間以上お邪魔することになったのに加え、「明日の子ども祭りの写真撮影を」という話が出て、明日のスケジュールを考え直さなければならなくなった。
 
23日(日) 今日は超過密スケジュール。5時に起き、まず6時頃から9時すぎの頼まれ仕事までの間に協賛者宅の残りと青倉集落で配達、68軒を廻った。


朝6時半、キュウリの収穫作業中の保坂幸子さん(泉平にて)

 9時すぎから約1時間、頼まれ仕事をこなしたうえで、10時すぎから「トマトの国」前の広場での「栄村子どもまつり」の写真撮りを1時間強。昨夕、撮影を頼まれたが、「トマトの国」へ温泉入浴に行った際、ポスターを見て、企画にウォータースライダーがあることを知ったのが、無理をしてでも撮影に行く決め手になった。子どもたちの動きを撮るには連写で撮ることが必要。撮影枚数は900枚を超えた。単純計算すると1分に15枚くらい撮ったことになる。いいものが結構撮れた。整理し編集したうえで、子どもたちの家庭に配りたいと思っている。
 その後、銀座のお店から依頼の野菜を集めに廻り、荷造り・発送。そして2時から再び頼まれ仕事。終了は5時頃。
 まあ、疲れたが、充実した1日ではあった。
 
24日(月) 午前中は「お米のふるさと便り」の編集・印刷。その途中の約1時間と午後2時以降は昨日と同じく頼まれ仕事。また、精米・コメの発送も1件。そのため、今日は配達も写真撮影もなし。

 夕刻、1時間強ほどか、お茶のみ話。その中で、21日の若い母親よりは少し上の世代の人とも話した。ちょっとの年齢の違いや立場の違いによって、ものの見方が異なることがよくわかる。栄村の子ども、子育てについて、相当突っ込んだ聞き取り調査と研究が必要だなあと思う。
 一昨日の「子どもまつり」の写真取材もあったことだし、「復興への歩み」次号はかなり子どものことが中心テーマになりそうな感じになってきた。
 
25日(火) 昨夜、遅くにメールを書いたり、なんだかんだで就寝が1時を廻ってしまったため、起床が遅れる。
 印刷などをして、9時半頃のスタートで雪坪、志久見へ。志久見で畑に出ているおかあさんに尋ねると(下写真)、「冬用の大根の畑」とのこと。春に植えたものを片づけ、秋野菜の種まき・苗植えを始める人をよく見かけるようになった。               


志久見の石沢とよ子さん
        
 その後、腰に違和感があるので十日町の接骨院へ。治療が終わった後、所見を尋ねたら、「脚は年齢に比して柔らかい。が、筋力が弱い。ただ歩くだけでなく、坂を上がるとかスクワット運動のようなことが必要」とのこと。「うーん」という感じ。まあ、考えてみようと思う。                           
 十日町で昼食を済ませ、そのまま午前の配達の続きへ。柳在家、切欠、長瀬で51軒。切欠の配達が終わる頃から雨がポツポツ。軽トラの窓を閉めざるをえず、エアコンを入れた。

 その後、泉平を廻ったが、途中であるおやじさんから「うちに寄っていけや」とお誘いがあり、泉平の配達が終わった後、お邪魔した。知り合いの人も一緒だったが、この家の奥さんが料理上手。ネガマリダケの紫蘇漬けというのが出され(下写真)、食べてビックリ。超美味い。その他に梅を酢だけで紫蘇漬けしたもの、ナスのまる漬けもいただいたが、この二品は漬け物というよりも「スイーツ」と呼んだほうがいいような感じ。ネガマリダケの紫蘇漬けと合わせ、出し方(器など)を工夫すれば、本当に「スイーツ」の一種として店に出せる感じだ。栄村にはまだまだ“売れるもの”がいっぱいある。


ネマガリダケの紫蘇漬け

 配達は今日は104軒。

 以上は温泉に入る前に書いたが、温泉で一緒になった福原初さんから「午後3時頃、鳥甲牧場で突風で被害が出た」という話を聞いた。
 温泉を出て「トマトの国」から下ると、途中から強風。夜は時に建物が揺すられる感じすらあるような          
強い風だった。 

26日(水) 昨日の鳥甲牧場の突風の話があったので、朝は鳥甲牧場〜五宝木に向かうことにした。
 6時頃の起床で7時50分頃の出発だったが、昨夜の強風は収まり、青空が広がる好天。気温も低めで爽やかだった。
 ところが、日出山線で鳥甲牧場に近づくにつれて、凄い強風。
 下の写真、1枚目は7時50分頃のスキー場方向を望んだもの。2枚目が8時半頃、鳥甲牧場手前で撮ったもの。強風で木の枝が激しく揺れるのがわかる。





 今年、牧場跡を農地に変えた北信生コンの大根畑はほとんどのマルチが突風で剥がされ、吹き飛び、大変な状況になっていた。鳥甲牧場では今朝も立っているのがきついほどの強風。詳しくは別レポートしたい。五宝木でも自家用の畑で花豆の支柱が倒れるなど、被害が出ていた。

 五宝木からの帰路、鳥甲線で極野に向かったが、途中まで風で飛んだ木の枝に道路が塞がれている箇所が複数あった。ほとんどは車を降りて片付けたが、写真のものは一人では片づけられず、道路脇をすり抜けた。



 その後、極野、中野、北野、天代などを配達に廻ったが、中野で花や草が倒れた跡が少し見られた。北野で少し風が強くなったが、鳥甲や五宝木のような状況ではない。
 妹木と天地で頼之さんのトマト畑を久しぶりに訪れ、頼之さんからいろんなお話を聞かせてもらった。これも別レポートしたいが、農業の奥の深さを思い知らされた感がする。
 
27日(木) 23日の「子どもまつり」で撮影した905枚の写真データ、昨日の午後からようやく整理・編集に手をつけた。
 選抜したものだけでも296枚。「復興への歩み」9月1日号で取り上げることにして、朝から編集作業を始めた。その途中で青少年育成協議会の会長さんの話を聞きに行き、色々と勉強。さらに昼を挟んで編集をひととおり終わったところで「まつり実行員会」の中心メンバーの話を聞きに出かけた。2時間近くいろんなお話を聞いた。写真に写っている子どもたちやお父さん、お母さんのお名前も教えてもらった。
 私は日頃から、子どもが写っている写真の扱いについて慎重に考えている。子どもまつりの写真の「復興への歩み」への掲載にあたっては、写っている子どもの親御さんの許諾をいただくことにし、今日の夕刻、何軒ものお家を訪問した。私は平素、村内を走り回っていて、かなり多くの村民の方々のお顔がわかるが、昼間に集落を廻っても若い人たちにはほとんど会えない。勤めに出ておられるからだ。そのため、今日お会いした若い親御さんとは初めてお会いするというケースが少なくなかった。みなさん、快くご承諾くださった。
 「復興への歩み」だけでは子どもたちの素敵な表情やスタッフの方々を紹介しきれないので、写真アルバムも制作することにした。白鳥のお祭りのアルバム同様、ページ数をあらかじめ決めることはせず、生かしたいものすべてを収録する方針。
 今日の配達は以上のような次第なので、10軒未満となった。写真撮影もなし。
 
28日(金) 今日はほぼ一日、「復興への歩み」次号の編集手直しと写真アルバム作りに没頭。
ほぼ完成。

29日(土) 今日は森の祭り。本当は朝5時半のお宮の清掃から取材を始めたかったが、このところ、朝が起きられない。なにか体の芯のところで疲れが溜まっているみたい。5時頃に目は覚めるのだが、寝足りない感じ。無理はしなかった。
 親御さんの許諾を得るために少し動きつつ、9時半より少し前に今日の課題のもう一つ、平滝のヒンゴ遺跡の説明会に向かった。雨がかなり強い。雨のため、発掘の体験会は無理だが、説明会は行うとのことで、開会時間の10時には結構の人が集まり、雨も小雨化。
 発掘作業に参加している村民や、県埋蔵文化センターの課長の町田さん、ヒンゴ遺跡発掘現場の担当者、谷さん、太田さんとも話せ、興味深い取材になった。数日前にプレス発表が行われた模様で、信毎北信版、妻有新聞に記事が出たが、今日、現場で話を聞くと、記事に書かれていることだけではヒンゴ遺跡の面白さ、重要性はいまひとつ浮き彫りになってこない。「復興への歩み」9月1日号は「子どもまつり」特集で遺跡のことを掲載する余地はないが、11日号で取り上げるようにしたい。


説明会現場に「フランセーズ」から出てこられた人と村のかあちゃんが久しぶりに顔を合わせるという場面も

 午後は、森の祭りとワンセットで森の歴史を少しあきらかにしたいという思いがあり、江戸時代の絵図に、「大日堂」という祠のようなものがあったと記されている場所について詳しい広瀬重信さんを訪問。「大日様」のことがかなりわかると共に、森のお祭りについても昔の貴重なお話を聞くことができた。


写真右手の石組みが見えるところが広瀬本家土蔵跡。その左の少し高いところに「大日様」があったという。

 その後、さらに、やはり森の絵図に出ている越後との境界地点近くに所在する祠についてお聞きすべく、関係者の広瀬一己さんを訪ねた。お家に行くと、「温泉に行った」とのことで、「トマトの国」に走り、お風呂から出てこられるのを待って、ロビーでいろんなお話をお聞きした。一己さんの屋号は「売店」であるが、その由来は知らなかった。そのことを含め、本当にいろんな話が聞けた。

 夜は、8時20分に提灯行列が斉藤電気(私の住んでいるところの向かい)の前に集合、そして8時40分には提灯行列が出発すると同時に、公民館に氏子総代と幹事の人たちが集合し、神官を出迎える。そこで、子どもたちの集合の始まりを撮影した後、公民館に向かった。
 ここからは公民館と提灯行列の現場を行ったり来たりして撮影。


獅子舞を奉納するみのり会のメンバーが公民館で準備

 9時40分に提灯行列、神官・氏子総代・幹事がお宮に到着して、宵宮大祭、獅子舞奉納が始まった。
 今回の森のお祭り取材は、あらかじめ氏子総代の斎藤龍男さんに申し入れ、ご理解を得ていたので、大祭が行われている社殿の中の様子も撮影することができた。今まで、いろんなお祭りを撮影してきたが、ここまで踏み込んだ撮影ができたのは初めて。このことを生かした記録集を作成したい。
 森の宵宮の諸プログラムは11時半頃には終了。
 家に戻ったのは0時頃だったと思うが、疲れてはいても、すぐには寝付けない。
 
30日(日) 森の本祭が10時から。その前、9時半に神官、氏子総代・幹事が集合されるので、そこから取材開始。この頃、お宮ではみのり会の人たちの手で、宵宮の舞台等の撤去作業が行われていて、その様子も撮影。


朝の森集落。帰省客を見送った人や帰省中の人の姿が見える

 許可を得ているとはいえ、本殿の様子などの撮影にはやはり遠慮がある。それでも、かなり踏み込んだ撮影ができたかと思う。本祭は11時半頃に終了。
 この頃、悪魔祓いがお宮近くの家々を廻り始めたので、その様子も撮影。家の前での悪魔祓いは何度も見ているが、家の中での悪魔祓いは初めて見せていただいた。また、昼食に「松海」さんでラーメンを食べたが、食べ終えた頃に悪魔祓いが到着。お店の中での悪魔祓いの様子も撮影できた。

 午後は3時からお宮での片付け作業。すべての片付けが終わり、斎藤龍男さんが扉を閉め、一礼してお宮を離れられるまでを撮影。
 その後、吉楽旅館さんで、今年の幹事だった斉木さん、吉楽さんから森の祭りの遷り変りについて色々とお話を聞いた。
 今日の撮影の合間や夜に撮影したデータの整理を進めた。30日午前中までで1445枚。そこから154枚を選び出した。

31日(月) まず写真データを再検討し、9枚を追加。昨日の154枚と合わせ、A3判用紙22枚に見本をプリント。これを使って、記録集の編集を考える。
 昨夕の吉楽さんでの話で、「お祭りのことは、“宮の前”の窪田さんに聞くのがいい」というアドバイスをいただいた。窪田さん宅に電話して、午後にお訪ねすることで了承を得た。
 昼前後にまとめ洗濯を行ない、午後2時すぎ、窪田さん宅を訪れた。


30日午前撮影の窪田清一さん宅玄関。片付け作業をしていた「みのり会」の人たちが入っていく。休憩所になっているそうだ。

 窪田清一さんは昭和18年生まれ。森のお祭りの獅子舞は一時期途絶えたことがあるという。そこから当時の若者の手で獅子舞の復活などが進められたプロセスがかなり詳しくわかった。とくに記録というものを作っておられるわけではない。当時、清一さんと共に青年グループとして活躍されたのが私の大家さんの月岡英男さん、今年の氏子総代・斎藤龍男さん、広瀬仁さんなど。この人たちにも話を聞かなければならない。また、今春まで森宮野原駅に勤めておられた広瀬勝さんが青年グループに獅子舞などを教えられたようだ。勝さんにお話を聞く必要も出てきた。
 清一さんとの話は現在の村の状況をめぐる話にまで発展。私の所用の関係で、5時半頃に清一さん宅を辞したが、収穫が多かった。もっともっと色んな人と話し込む必要がますます高まってきたが、主に配達との関係で時間をどのように確保していくか。課題は多く、調整・工夫が難しい。

 

配達日誌8月10日〜19日

10日(月) 昨日充分に休養したので、朝早く起き、5時半頃から平滝、白鳥を廻り、8時頃までに102軒。涼しい時間帯だったので快調だったが、やや飛ばし過ぎ。いったん家に戻り、休息。その後、 午前中に雪坪、志久見、柳在家で配達して39軒、計141軒に。



 上は朝5時40分の空だが、すじ雲(巻雲(けんうん))。秋の雲だ。昼間になると、むくむくと湧き上がる夏の雲が目立つが。
 白鳥では栗の実が道路上に落ちているのに出会った。
 午後、西山田の田んぼの様子を見に行くと、赤トンボが結構飛んでいる。もう山から下りはじめているのだろう。里でも見かけるようになった。穂が出た田んぼの近くでヤマハギももう花をつけていた。
 夕刻4時半〜5時頃だったか、せいぜい10〜15分間くらいだったろうが、久しぶりに激しい夕立。これでいっきに涼しくなった。この間、夜8時頃で国道の気温表示が25℃くらいのことが多かったが、今夜は22〜23℃。窓を開けて車を走らせると、半袖の腕がちょっとひんやりする感じ。

11日(火) 昨日よりは遅く7時頃のスタートだったと思うが、切欠から奥の東部地区を100軒廻った。昨日は下半身の神経痛がぶり返して困ったが、昨夜ストレッチをやった効果が出て、今日は快調。
 それに加えて、「ただひたすら配達」というのではなく、知り合いの畑に立ち寄って、様子を見るなどの行動を加えると、あまり疲れない。
 今日は一日曇り空で気温も昨日までよりも低く、30℃に達しないようで過ごしやすかった。「夕刻にもう1回、ザーッと降ってくれれば」と期待したが、今夕は一部でパラパラと降った程度。水内地区は野々海池があるのでたすかっているが、西部・中央などは「水がない」の声が頻(しき)り。



 上は中野集落で撮ったもので、稲の青刈り。昨年は長瀬で見たが、その時に聞いたところでは、注連縄を作るためのものだと思われる。
 8日の項にチョウのことを書いたが、今夏はモンシロチョウ類以外のチョウを見かけることが本当に少ない。が、今日は極野と坪野でアゲハ類に出会った。次の1枚は坪野で撮れたもの。


 
 夕刻に知人宅で「夕顔汁」をいただいたが、これがサバ缶入りのもの。これまで夕顔汁といえば、クジラの脂身を入れたものしか知らなかったが、サバ缶入りはあっさりしていて美味い。私は鯨肉は大好きだが、脂身はどうもきつい。
 
12日(水) 朝は7時少し前くらいから箕作、泉平、箕作、横倉、青倉の順で配達。91軒。そして、一休み後、午後に青倉、横倉の残りと小滝、月岡で58軒。これで秋山以外はNo.261の配達をほぼ完了。
 今日も気温は低め。8時半頃から陽射しが出て、ちょっと暑いなと感じるひとときもあったが、全体として猛暑は影をひそめた。

 月岡で花豆を干している人に出会った。花豆はもう少し先かと思っていたので、少々驚いた。「昨日干したもの」と「今日、これから干すもの」の2通りあり、すでに干したものは少し豆が締って小さくなっている。
 秋山、とくに先日とっくりと観察した五宝木の山田政治さんの花豆がどんなふうになるか、楽しみだ。豆類をどう生かすか。栄村の農産物販売を考えるうえで重要なポイントだと思う。
 
13日(木) 今日は配達なし。月曜夜からお腹の調子が悪いこともあり、文書を届けに知人のところ数か所に3時間ほど出かけた以外は家でいろんなものの片付けに終始。テキパキとは進まないが、そこそこには進んだ。

 そんな中、訪ねた先のひとつ、天地の斉藤勝美さんの「ぶらり農園」で枝豆やとうもろこしなどの生育状況を拝見し、写真も撮った。



 上は大きく繁った葉の陰に姿を見せた枝豆の“赤ちゃん”。今日は13日なので、早くても20日過ぎに食べ頃になるのだろう。
 勝美さん曰く、「枝豆にしても、トウモロコシも、トマトも、栄村のものは8月20日過ぎから本当に美味しくなる」と。そう言われて思い出した。初めて栄村を訪れた年、村の枝豆ととうもろこしを食べて、「なんと美味しいんだ!」と感動したのは9月下旬のことだった。
 都会ではおそらく、真夏の暑い盛りに、輸入物のフニャッとした枝豆をつまみに生ビールを飲むのが定番になっていると思うが、9月になっていよいよ美味い枝豆がとれる頃になって、工夫した枝豆の料理法を編み出していけば、栄村の名品がまた一つ増やせるのではないかと思う。
 
14日(金) 起床はかなり早かったが、天候が悪く、秋山に行くかどうか迷う。8時半すぎに出発して、日出山線→鳥甲牧場立ち寄り→林道で切明へというコース。
 小雨模様だったが、なんとか切明、和山、上野原での配達を終えた。上野原で配達を終えた頃から雨が強くなりはじめたが、屋敷に着く頃には再び小雨に。しかし、長俣地区の8軒を廻ったところでかなりひどい降りになり、今日の継続を断念。もともと今日の配達は昼頃までと考えていたが、屋敷は終わらせたかった。

 先日、直売所にブルーベリーが出荷されたが(出荷者は屋敷の山田隆さん)、一昨日、箕作の大庭政広さんに栽培場所を尋ねたところ、「切明の開拓というところだよ」と教えていただいた。教えていただいた場所はよく通っているところだが、道路から直接に見えるところではない。今日、まず切明に向かったのはその場所を見つけたかったから。2ヶ所で道路から入ったことのない脇道に入って、2ヶ所目で当たり。なるほど家屋が3つあり、さらに道を下ると、ブルーベリーなどの畑があった(下写真)。軽ワゴン車が停められていて、ドアも開いていたので、近くに人がおられるものと思い、探したが、人は見当たらず。


「山の中」という雰囲気はお分かりいただけるかと思う

 大庭さんによると、「大昔、鳥甲が爆発した時の関係なのか、土がいいんだよ」とのこと。
 それにしても、「開拓」という名のとおり、この地を畑にするのは大変なことだったろうと思う。いま、これを書いていて、以前に秋山の歴史に関する本で、切明での畑作のことを読んだことがあるような記憶が蘇(よみがえ)ってきた。
 一昨日、大庭さんと話した時にも言ったことだが、屋敷での配達を重ねるにつれて、屋敷、とくにその山の斜面にはりついたような場所に、どのようにして人が住み着くようになったのか、不思議である。大庭さんは「山の際だから水がいいんだよ」と言っておられたが…。
 夜は白鳥のお祭りの撮影。
 
15日(土) 昨夜、白鳥の祭りから戻ったのは午前1時。眠りに就いたのは1時半頃だったが、今朝は中条の白山神社の例大祭で、朝6時からお宮の草刈り等。睡眠安定剤の薬が抜けきらないうちの起床となり、そのため、一日中、体がだるかった。そのうえ、夜にくしゃみをした瞬間に腰に違和感が走った。ぎっくり腰のサイン。ひどくならないようにストレッチなどをしたが、腰が硬くなっているのがわかる。お盆休み明けの17日に接骨院に一度行かないと、おさまらないだろう。

 白山神社は、お宮の屋根に杉の大木の枝がかかっているのを、雪が消える頃に4本伐採したとのことで、境内の中が明るくなった。神主さんが来ての例大祭が終わった後、神主さんも交えてお神酒を一献かたむけた後は、地区の人たちだけで酒を酌み交わしながらの懇談。その本番は明日16日午後、お祭りの片付けが済んだ後の方だが。


村道から鳥居をくぐり抜けて、くねくねと登る参道がいい


拝殿の中に本殿(紫の幔幕がかけられている)がある
(写真は16日朝撮影)

 今日は森集落の氏子会からの代表ということでサイトウラジオ店の斉藤龍男さんが見えていたが、お酒を飲まれたので、奥さんの三千子さんが車でお迎えに。三千子さんは中条のご出身で、子どもの頃の思い出話が2つ。「遊び場というよりも、雨が降ってきた時の雨宿り場だったわ」、「ここにお参りに来る人が結構いて、そのときは、お参りの人が帰るとすぐにお供えをいただいたものよ」。古き良き時代だったなあと思う。「中条川はすっかり風情がかわったわね」とも。
 例大祭は基本的に世帯主のみが集まって挙行されるが、草刈りをし、拝殿もきれいに清掃したお祭りの折りに、中条に縁のある人が一堂に会し、思い出話をするような催しが一度くらい行われてもいいなあ、と思った。
 
 残りの時間で昨夜撮影した白鳥のお祭りの写真データを整理。撮ったのは741枚。その中から選んだのが114枚。「定期券サイズ」という大きさでA3判用紙に印刷して7枚。この中からさらに厳選してA4判8頁ないし12頁の写真ドキュメントを作成したいと思っている。掲載できるのはせいぜい2〜30枚だろう。この作業は明日に持ち越したが、かなり工夫の要る作業になるだろう。
 
16日(日) 今日は午後、中条のお祭りの片付け作業がある。午前中は秋山に行きたいと考えていたが、昨夜、くしゃみを2発くらいした時、腰に嫌な違和感を覚えた。ぎっくり腰の兆候だ。そこで、午前中はおとなしくして、中条のお宮と中条川下流の工事の状況の撮影と、白鳥の祭りの写真記録集の制作。

 お宮の片付けは3時からで、その後、関係者6人で一杯やるのが慣例になっている。昨年はもう夕闇迫る頃まで続いたと思うが、今年はよく飲める人お二人が怪我等でお酒を控えておられるので、かなり早く終わった。その後、白鳥の編集作業を続け、6時過ぎにひとまず「完成」。しかし、神楽の舞い手のお名前など分からないことが多々あるので、白鳥のあるお家にお邪魔して、いろいろ教えていただいた。いろんなことが分かったが、編集完了は明日に持ち越し。
 
17日(月) お盆が終わり、今年も後半戦に入ったと感じる。お勤めの方は15日が土曜、16日が日曜ということでお盆休みが少なかったのではないだろうか。
 そのお盆明けは雨でスタート。私はといえば、久しぶりの朝寝坊。夜の1時すぎに一度目が覚めてしまい、それから寝なおしたので起床が遅くなった。結果、かなり疲れがとれたように感じるが。

 今日は、白鳥の祭りの記録集作りのために、さらにいろいろとお聞きしてまわる。最後に訪れたお宅で昼ご飯までいただいてしまった。編集作業は昼過ぎに終わり、その後、久々に十日町の接骨院へ。白鳥全戸への配達は明日になる。
 白鳥集落の祭りのエネルギーはただものではない。この数日間、いろいろと考えた。今日、白鳥のお宅でお聞きした話で、その思考にも一つの区切りがついた。記録集「白鳥のお祭り2015年」の末尾にも少し書いたが、震災復興や村の将来像を考えるうえで、「祭りをどうするのか」、「どんな祭りを実現するのか」ということが1つの指標になるのではないかということだ。祭りを考えれば、集落に必要な世帯数・人口、年齢構成、さらにはどんな生業を営んでいくのか、などが自ずから見えてくる。
 白鳥の人たちのご理解、ご協力をいただかないとできないことだが、1年間くらいかけて白鳥の祭り調査研究というのをやってみると面白いのではないかと考え始めている。

 この日誌を書いている夜9時すぎ、雨音が聞こえるようになってきた。明日も雨か。
 
18日(火) 早朝起床で白鳥全戸に「白鳥のお祭り2015年」を配達。雨は降っていないので、続けて秋山で配達が残っている屋敷と小赤沢に向かうことにした。

 鳥甲牧場を経て、林道で屋敷に向かったが、その途中及び屋敷の標高の高いゾーンでは、半袖で軽トラを走らせていると寒さを感じるほど。しかし、屋敷の標高の低いゾーンに入ると、空気がムッとしている。
 「復興への歩み」本文で紹介するが、小赤沢に「お休み処 苗場」がオープンしていて昼食を食べることができたので、帰路、五宝木の山田政治さん宅に立ち寄った。驚いたのはストーブがついていたこと。でも、ストーブがついていて、ちょうどいい具合。


 
19日(水) 配達が完了しているので、午前中、白鳥の山(野々海水路の管理道路がある)と野々海池に行った。白鳥では月岡富士男さんが水路の見回り中(下写真)。月岡英男さんの今日の野々海池の水番作業はいつにもまして長時間のもののように思われた。英男さん、富士男さんの水路点検・管理作業、水路を利用している人たちでもあまり詳しくはご存じないのではないだろうか。しかし、じつに大変な仕事。その一端を知ったにすぎないが、本当に頭が下がる。「日本を守る」と勇ましいことを言う人たちがいるが、本当に日本列島の国土を守る(保全する)というのはこういう地道な日々の営みを言うのだと思う。



 午後は直売所店長の小林高行さんにインタビュー。ずいぶんとお忙しい中、お時間をいただいて恐縮。直売所の展望というか、成功への道筋が見えたとはいえないが、直売所(運動)のダイナミズムのようなものを感じとることができた。

 

配達日誌8月1日〜9日

1日(土) No.260の配達が昨日で完了し、次号発行は5日の予定なので、今日の日中はほぼまるまる、頼まれた手伝い仕事。その合間に直売所に立ち寄って撮影。
 昨秋、群馬県昭和村の人と結婚された野田沢の麻子さん(トマト農家・宮川頼之さんの娘さん)が栽培されたキャベツが今日・明日の2日間限定で販売されるからだ。
 上写真のPOP(ポップ)が冴えていた。



 村の高齢者の方などは「POP」という言葉にあまり馴染みがないかもしれない。ネット上での「POP」の意味説明を引用しておく。
 「POPは紙を広告媒体としてその上に商品名と価格、またはキャッチコピーや説明文、イラストだけを手描きしたもの」、「POPは個性的な店の雰囲気を作り上げる力があり、POP一つでその商品、ひいては店舗の売上を左右するとまで言われる」。
 夜、「明2日も売っています 麻子さんのキャベツ」という記事をブログに掲載し、facebook、twitterで告知した。

2日(日) 今日は「グルっと栄村100kmサイクリング」の開催日。
 何かいい写真を撮りたいと思っていた。狙いは五宝木。起きるのが遅かったので、サイクリングの邪魔にならないよう、日出山線から鳥甲牧場をぬけて、五宝木に出た。
 狙いに合ったまずまずのものが撮れたかと思う。その成果は「復興への歩み」本文で。
 ここでは鳥甲牧場の様子を紹介しておきたい。



 写真は、鳥甲牧場の真ん中から高倉山を望む方向を撮ったもの。去年までは草や灌木が生え放題だった。そこに今年は大根(写真手前)とソバ(大根の向こう側、下写真参照)が植えられている。



 鳥甲牧場の景色がとても素晴らしいものになった。間もなく、ソバの白い花が一斉に咲くだろう。その景色を想像するだけでワクワクする。
 午後は頼まれ仕事など。
 
3日(月) 原稿書き、米の発送、頼まれ仕事などで一日が過ぎ、今日はほとんど写真を撮っていない。
 そんな中、直売所に立ち寄った時に撮った2枚。



 「ピー太郎」って、どんなピーマンなのだろう? 明日にでも買って食べてみよう。



 上のPOP、「うーん、なるほどな。こういう素朴な食べ方、いいかもね」と思う。明日はピー太郎をこうやって食べてみるか。
 
4日(火) 朝一番でまず給油。そして、ある人に電話をかけようとしたら、料金振込忘れ。慌てて振込に走った。
 その後、月岡英男さんの野々海水番の様子を拝見しに野々海へ。その結果は「野々海池の水番、そして野々海水路上流周辺の散策」として写真レポート化。
 野々海の帰路、貝立山裏〜スキー場で紅葉をつぎつぎに見てビックリ。これも写真レポート化。
 午後から夜はずっと、この写真レポート作り。今日やるはずだった「復興への歩み」No.261の編集は明日へ。
 
5日(水) 昨夜、大変な失敗をやってしまった。
 かなり遅くまで野々海のレポート編集をし、その後、しばらくTVなど見て、0時半頃に眠りに就いたと思うが、2時頃に目が覚め、再び眠ることができない。しばらくして薬を飲んでいなかったことに気づいた。2時半頃に薬を飲んだのだが、そのため朝は目覚めたのが9時近く。
 この時間まで寝ていると、すでに空気は暑くなっている。目覚めた時から、なにかべたついた感じ。しかし、No.261の編集をしなければならないので、正午過ぎまでひたすらPCにむかっていた。

 午後3時頃から約50部を配達。外を廻る方がいい。
 夕刻は野々海レポートの編集直し。

 そういう次第で、今日はほとんど写真を撮っていない。
 そこで、撮影日に日誌等に反映できなかったものを紹介しておきたい。



 これ、「牛角」(ぎゅうかく)という名の唐辛子。当地では唐辛子のことを「コショウ」とも呼ぶ。
 森の広瀬敏男さんの畑で栽培されている。一度、直売所に出荷されたが、即日完売。育てられているのは3本の株で、再出荷するには至っていない。
 私は1日夕に敏男さんからいただいた。食べ方は、刻んで、醤油と酢に漬ける。その醤油酢漬けもいただいた。
 これをご飯に上にのっけて食べてビックリ。食べ始めたら止まらない!



 じつは、私は元々は酢が苦手。ところが、この醤油酢漬け、クセになりそうなくらい美味い。
 今日、直売所でレジの人に話したら、「じゃあ、私もやってみよう。家でつくっているコショウで」と。村でブームになるかも…。
 
6日(木) No.261を昨日発行したので、今日は協賛者宅をほぼ全戸廻る日。平滝、白鳥、箕作、泉平、月岡、小滝、横倉、雪坪、志久見、柳在家、切欠、長瀬、北野、極野、天代、坪野、程久保、野矢沢、大久保、野口、原向、森、中条の順で、秋山を除く全村をグルっと一周したことになる(青倉は昨日廻った)。
 頼之さんのトマト畑はもう収穫を待つばかりになっている。
 最近、農家の軒先に豆が乾してあるのをよく見かけるようになったが、その正体は雪割豆。大久保で阿部伸治さんのおかあさんが木槌で鞘を叩き、実を取り出しているところに出会った。いい絵が撮れた。



 程久保の宮川エイ子さんの家の前のヤマユリが全面開花。もう1〜2日前の方がもっときれいだったかもしれないが…。



 配達は全部で103軒。
 途中から、お尻の下から下半身の神経痛が出て、少々苦しかった。前日、車で少し冷房を入れた影響か。
 
7日(金) 今日から頼之さんのトマト畑の収穫作業が始まるとのことで、朝8時、トマト畑へ。その模様は午後に写真レポート化し、すぐにブログにアップした。

 No.261でサイクリングの日の五宝木の様子を特集しているので、五宝木へ配達。福原利雄さん宅に伺うと、大根の洗い場にたくさんの大根の姿が…。



 今日から収穫が始まったとのこと。「持って行くかい?」と声をかけていただき、5本もいただいた。知人などにおすそ分けするとともに、利雄さんから教えていただいた「薄く切って、味噌をつけて食べる」というのを試してみた。いい感じの辛みがあり、味噌とよく合う。お奨めの食べ方だ。



 今日も暑かったが、「夏本来の暑さ」という感じがした。日本列島の夏の暑さというのは本来、太陽がギラギラと照りつけ、それで気温が上昇するものだと思うが、この夏は「太陽ギラギラ」というよりも、南風の熱風が吹き込んで来て気温が上がるという感じがする。そして、湿度が高い。
 しかし、今日は暑いものの、夏本来の暑さで、あまり湿気はなく、すがすがしい感じがした。そういう感覚を共有していただける方、おられるだろうか。
 
8日(土) 朝8時半ころという遅いスタートで森集落の配達へ。すでに配達済の家を除き、61軒を廻って森集落を完了。
 「貝立山裏〜野々海のチョウの動きはどうだろうか?」と思い、スキー場から野々海へ。
 貝立山裏は今日もほとんどチョウが見えなかったが、野々海池の堤付近ではこの夏、最も多くのチョウを見ることができた。晴れていたが、野々海にはいい風があって涼しく、とても気持ちよかった。





 チョウは、ひょっとすると、この間のあまりの暑さに森の中に隠れていたのだろうか。ただ、花の咲き方が昨年とはかなり違い、チョウが蜜を吸う花が少ないことも事実だ。昨年7月25日に20匹を超えるチョウが群れていた場所(ヒメジョオンがたくさん咲いていた)にはまだエゾアジサイが満開という状況。
 今年は、季節が乱れているという感じを強く持つ。
 午後は一昨日の神経痛がぶり返したりして、休養。
 
9日(日) 昨日の午後も休養にあてたが、今日は日曜日なので「完全休養日」にしようと心がけた。朝は意識的に遅い起床に。7時間ほど寝たのではないか。これだけ眠ると、血圧が下がるのか、かつて若い頃に低血圧症に悩んでいた頃のように、背中がだるい。
 「完全休養日」とはいえ、依頼を受けていた野菜があるので、9時頃から集荷に廻り、午前中に荷造り・発送。貝廻坂が日曜日で工事が休みなので、9時すぎでも貝廻坂を通行できて助かった。

 問題は午後の過ごし方。家にいるとPCに手を出したりするので、「昼食→買い物→温泉・整体」というプランをたて、そのとおりに実行。
 昼食は、今夏まだ食べることができていなかった鰻重。かなり高価だが、ひと夏に1回くらいは…ということで。きっと混んでいるだろうと思い、昼食タイムを外し、1時半頃に行ったが、超満員。一人なのですぐに席を確保できて、瞬く間に頬張り終えた。なんか、元気が湧いてくる気がする。
 買い物は衣類。最近気づいたが、毎日毎日、配達に廻っていると、ズボンも靴同様、消耗品化する。
 その後、湯滝温泉で露天風呂に入った。真昼間の露天風呂もいいものだ。さっぱりした。
 整体は念入りにやってもらった。整体師ととくに話したわけではないが、施術内容から考えるに、お尻から下の神経痛は背中の筋肉の張りに原因があったのではないかと思われる。
 整体の後、すぐには動く気にならなかったので、湯滝温泉2階の休憩室でごろんと横になり、気がついたら30分ほどウトウトしたようで、時計は5時。
 これで午後を休養日として過ごせた。休養日の過ごし方を工夫し、休養をきちんととることが今の活動を長続きさせるうえで必須のことだと思うようになった。自分としては生き方のかなり大きな転換だと思う。
 


配達日誌7月24日〜31日

24日(金) 起床は6時頃だったと思うが、目覚めがスッキリせず、起きてみると体中が痛い。昨日の強烈な冷房の結果だと思う。
 猛暑日が増える昨今、適度の冷房は必要なのだろうが、現実には冷やし過ぎのところが多いのではないだろうか。夏は暑くて当たり前という考えも必要だと思う。
 村は今日も不安定な天気。昼前に雨、山では午後も小雨。夜になっても空気が湿っぽい。
 そんな中、午前中は原稿書き。正午頃から配達に出て、1時間半ほどで白鳥を中心に94軒。

 夕刻は今月の「納税」のとりまとめ。農家の人は農家組合費や水管理費などで納入額が2万円を超える人も。「当然の経費の支払い」という面もあるが、農山村を論じた議論などでこういう「納税」の現実に触れたものをほとんど見たことがない。前々から思い、時に口にしたこともあるが、どこか1つの大学くらい、農学部の拠点キャンパスを農山村に置くべきだと思う。まあ、信州大学農学部は比較的それに近い環境に立地しているとは思うが。

 午後3時頃に貝立山登山口〜貝立水路かけ口間のエゾアジサイの開花状況を見に山に上ったが、標高700mくらいから上になると、空気が変わる。小雨がおちてきて、湿度は高いのだが、空気がひんやりしていて気持ちいい。そんな中でオニヤンマが群れ飛んでいる。そして、今季初めて山ユリの開花に出会った。結局3ヶ所で出会ったが、その場を立ち去ろうとすると、何とも言えないいい香りがあたりを包んでいた。最高ですね。


 
25日(土) 早朝から北野、中野、極野等を廻った。極野で朝陽が山際から姿を出した様子を6時13分に撮っている。かなり早く出かけたということだ。手元のメモ帳に「6時30分頃で空気が変わった」と記録している。


朝6時13分の極野での撮影。この時間は空気がまださわやかだったが…。

 昨年までの経験だと、たとえば早朝に田んぼの畦草刈りなどをしている場合、7時半〜8時くらいになって初めて直射日光による暑さを感じたものだが、今夏は6時半頃でその暑さを感じる。
 配達は森集落の半分ほども含めて114軒。早朝に廻ると、能率が上がる。
 
 午後、直売所かたくりを訪れ、ルバーブジャム、ピーマンのデカチャンプという品種など新しい出荷品に出会った。ルバーブジャムを購入し、トーストに塗ってみて試食。デカチャンプは「チンジャオロースにあう」という説明を聞き、夕食で試してみた。チンジャオロースに合うというのはそのとおり。それだけでなくナマで食べるのもいい。
 客足はきわめて順調なようだ。品数の豊富さ、「栄村の直売所に行けば、こんなものが手に入る」という情報発信がきわめて重要だと思う。その部分で貢献していければ、と思っている。
 
26日(日) 今日の午前中は森集落の普請。8時からで猛烈に暑かった。この普請の前に26軒で配達。
 私が参加した班の普請作業は「トマトの国」下から森のお宮までの間の水路の整備。升が2ヶ所あり、泥上げが必要。うち1ヶ所で私も泥上げをしたが、石・泥がかなり多い。やはり中条川の状況が影響している。下写真が作業した升。作業時は水を止めて、スコップで升の底に溜まっている石や砂をすくい上げる。写真は水が流された後に撮影。



 普請は午前中で終了。昼食後、ルバーブの畑の様子を撮影しておきたくて秋山へ。しかし、秋山に着く頃になって、急にしんどくなってきた。小赤沢で11軒の配達と撮影を終えたところで切り上げ、下におりた。やはり少々強行軍すぎたようだ。
 夕食で栄養を摂って、早目に休むことにした。
 
27日(月) 「日曜日は配達を休む」の変則版として今日は配達休みとした。しかし、発送する野菜の受け取りや畑の様子の撮影で午前中は動きまわった。
 ただ、ひたすら運転し、歩き回る配達とは違い、そんなに疲れない。

 25日に直売所で出会ったピーマンのデカチャンプの畑を見に、宮川頼之さんの家の畑に行った際、スイカの花というものを初めて見た。



 キュウリなどの花と似ている。キュウリ、スイカ、カボチャ、すべてウリ科の植物。花が似ているのはそのためか。
 午後は主に室内作業。
 夜は中条川の工事説明会。これは機会を改めて様子を報告したいと思う。
 
28日(火) 朝方は雨。印刷等の室内作業をして、小雨程度になったところで10時前に配達スタート。当初は気温が下がっていて気持ちよかったが、間もなく陽射しが強くなって昨日までと同じ暑さ。
 昼食を終えて配達を再開すると、再び降り出しそうな空模様に変わっていて、猛烈に蒸し暑くなった。
 そういう中で137軒の配達を3時前に終了。

 月岡であるお家に配達して軽トラに戻り、ふと振り返ると、一人暮らしのおばあちゃんがカーテンを開けて私の方に会釈をして下さった。この方とはまだ話したことがないが、こういうちょっとした会釈が猛暑の中でも全戸を廻る原動力となる。

 夕食でデカチャンプ入りのサラダを食べた。ドレッシングは青じそドレッシング。いける!


 
29日(水) 朝5時過ぎにスタート。野田沢、大久保などを廻る。でも、体のキレが悪く、いまひとつ調子に乗りきれない感じ。そんな中で貝廻坂の工事の様子、程久保のヤマユリがたくさん咲くところ、先日おすそわけいただいたオクラの畑、市川吉視さんご夫婦の菅沢でのズッキーニ収穫の様子(下写真)、頼之さんのトマト畑の様子などの撮影も。


午前6時31分撮影。月岡の家へ貝廻坂で下りられるのは7時半まで。

 8時前、平滝で配達中に、「ジャガイモを掘る時は写真を撮りたいので連絡してください」と頼んでいた青倉の島田きみ子さんから電話。すぐに青倉に向かい、ジャガイモ掘りの様子を撮影。その流れで皮が黒いスイカ、赤いオクラ、黒トマトなど、珍しい野菜を案内してもらう。そして、屋号「南」のかあちゃんのトウモロコシをもいでいただき、湯がいてもらってお茶のみ。きみ子さん家の枝豆もいただく。最高のお茶のみ。

 この後、直売所の様子を見に立ち寄ったうえで、平滝の配達に戻った。平滝を終えて57軒。午前中がこの軒数で終わるのは残念だったので、原向、坪野、当部、笹原の計27軒を廻ったが、これがきつかった。昼過ぎ、ちょっと午睡して回復したが。

 夕刻、卒業生が今年1月に出産した赤ちゃんを連れて訪ねてきてくれた。記念写真を彼女の夫君に撮ってもらった後、志久見、柳在家の配達へ。志久見の鈴木喬さん宅で、かんぴょう干しを見かけた(下写真)。栄村でもこれをやる人は減ったが、欲しい1枚だった。



30日(木) 未明にかなりの雨が降った模様。朝4時頃に一度目が覚めた時は雨音が凄かった。
 8時すぎというゆっくり目のスタートで秋山へ。日出山線で屋敷へ。そして、上野原、和山、切明、小赤沢、五宝木の順。
 夜の雨もあって、屋敷では涼しかった。出会った人に「涼しいですね」と声をかけると、「朝夕だけね」と。たしかに、一度雨がパラついた後、10時半頃からか、1〜2時間、陽射しが強い時間帯は秋山でも暑かったが。それで、昼過ぎ、「雪の冷気に当たって涼もう」と思い、秋山林道へ。
 22日に「お米のふるさと便り」の暑中見舞い用の写真を撮った地点はもうかなり雪が消えていた。もう1ヶ所のミズノサワにはバッチリ残っていた。


22日

                30日

 上野原と五宝木(山田政治さん宅)の2ヶ所で花豆について、いろいろと教えていただいた。いまのところ、花の付き具合はいい。でも、「花が咲いた後、実が成るとは限らない。半分くらいということもある」とのこと。上野原の花豆の畑では、モノを燃やして煙がつねに上がるようにしておられた(下写真)。サルを近づけさせないため。このお宅の玄関には「サルが来るので鍵を閉めています」という貼り紙がある。ただ閉めているのではなく、鍵をかけているのだ。秋山ではよく見る貼り紙だ。


サル除けに煙を絶やさない。畑の向こうに鳥甲山が見える

 山田政治さんと大事な約束をした。秋のヤマブドウ採りである。「いっぱい採れますよ。車に乗せてもらえれば、採れるところへ案内します」とのこと。時期は9月末〜10月だそうだ。政治さんは以前、志賀高原のホテルにヤマブドウを出しておられたことがあり、ホテルは「エキスをとった後の皮を下さい。ジャムにします」というやりとりもあったという。政治さんにご指導いただいて、是非ともヤマブドウのジャムを作りたいと思っている。
 上野原でカツラの木の葉を乾燥させ、粉状に砕いてお香にするという話を聞き、実物も見せていただいた。この話は「復興への歩み」本紙で紹介することにする。
 
31日(金) 朝7時頃出発で切欠と長瀬の配達、40軒。これでNo.260の配達が完了。
 8時半から1時間ほど、「道の駅」をめぐる問題で役場課長に取材。この時、役場内の表示板を見ると、「湿度75.6%」。外気温は8時すぎで29℃。今日は蒸し暑くて、たまったものではなかった。

 役場での取材後、程久保のヤマユリを見に行った。かなり開花していた。このヤマユリの写真は「復興への歩み」本紙で紹介したいが、面白い写真を1枚。雌しべに花粉がついた直後の様子だ。自家受粉よりも他家受粉の方が好ましいらしいが、このヤマユリの場合はどうだったのだろうか。



 滝沢総一郎さんのアスパラ畑も見に行った。すでに実をつけているものも見られるようになった。

 その後、野々海へ。目的はチョウの様子の観察。どうも、今夏、山にチョウが少ないのだ。この日も結果からいえば、昨年のように群がっている様子は見られず。
 そんな中、野々海池の水の激減ぶりに驚いた。



 夕刻、温泉で出会った月岡英男さんに尋ねると、この1週間ほど、相当の量を水路に出しているそうだ。この間、けっこうの雨が降った時も、野々海ではあまり溜まらなかったという。まあ、田んぼが水を必要とするのはあと1ヶ月。それに足りる量はある。
 

配達日誌7月16日〜23日

16日(木) 昨日、早朝から夜遅くまで起きっ放しだったので、今朝はゆっくり起床。それでも6時半頃か。
 朝から雨で、配達を見合わせ、散髪へ。暑くなったので、髪をさっぱりしておかないと、配達時、鬱陶(うっとう)しくなる。
 散髪を終えると雨が止んでいて、箕作と白鳥で48軒57部を配達。その後、午前中はこの1年余の間に野々海に関して発行した「復興への歩み」やブログ掲載物をすべてプリントアウト。野々海の観光案内のひな形のようなものを作ってみたいと思っている。
 昼食後、雨が止んでいたので森集落で52軒配達。最後の数軒というところで降雨。しかし、すぐに止む。江戸期の森村の地図に記載されている「大寶」などを撮影。さらに、7月25日から始まる「大地の芸術祭」に関連して、津南町の足(あし)滝(だき)、穴山(あなやま)、上野(うわの)、上郷(かみごう)などを撮影に廻った。「大地の芸術祭」については追々紹介していきたいが、栄村としても参考にすべきことが多くあると思っている。開催期間中、何回か取材する予定。上野から見える景色(下写真)は栄村のスキー場から見える景色とは別の良さがあるなと思う。


 
17日(金) 配達に出かけたのは6時過ぎだったか、雨は降っていず、涼しくて気持ちよかった。でも、7時を廻った頃から、台風の影響もあってか、蒸す感じになってきた。
 雪坪、志久見、柳在家、切欠、長瀬と廻ったが、長瀬の途中で、「そうだ、長瀬坂の写真を撮っておこう」と思って、配達コースからそれた。長瀬坂については詳しく紹介したいので、別途、記事を書くことにする。

 長瀬・中尾の田んぼで斉藤正春さんの作業所に立ち寄り、缶コーヒーをいただきながら、いろんな話。畑のトウモロコシが何モノかにやられていたことから、獣害に関わるハクビシンやイノシシの話になった。


電柵とネットが張られているが、もろこしがやられた
(ハクビシンはネットを越えてくるそうだ)

 ハクビシンが栄村にも出没するようになったのは、ペットとして飼っていたものを誰かが放したのが村にまで及んできたらしい。他方、イノシシは「雪の多い地域には生息しない」と言われているが、最近ではイノシシの被害がひどい。正春さんが若かった頃、ある人が五宝木方面でイノシシに出会ったが、当時、栄村にはイノシシは基本的にいなかったので、それが何であるのか、分からなかったそうだ。その人は「豚みたいのに出会ったが、色が白くなかったなあ。あれは何だろう?」と不思議そうに話していたという。
 正春さんからはキュウリをいただいた。「四川」という品種だそうだ。さっそく1本、そのまま食べたが、うまい!

 この後、中尾のすぐ隣り・前子(まえご)(津南町)のただ一人の住人、山本梅子さん(坪野出身)宅を訪問・配達。つづいて、「まだ奥に集落がある」と聞いていたので、その集落を訪ねた(下写真)。出浦(いでうら)という集落で、作業中の人に尋ねると、現在は7世帯だそうだ。冬、除雪車が入る。



 振り返ると、中条川上流の崩壊地が真正面に見える。出浦はまったく初めてだが、こういう位置関係が面白い。


写真真ん中下に見える建物は長瀬の旧東部小

 午前中、もう1ヶ所でもお茶のみをしたが、正午までに108軒の配達。
 月岡の南雲世美子さんを訪ね、トウモロコシをいただいた。「明日、直売所に出す」とのお話だったので、昼食時に湯掻いていただき、その写真をブログ等にアップ。ずいぶんと反響があった。

18日(土) 朝方、7時〜8時15分に平滝43軒を廻り、No.259の秋山地区以外の配達は完了。実質的には12日からの配達開始だったので、1週間足らずで約700部の配達。最近にない快調なペース。何がその要因なのか、自分でもよくわからないが、体調が回復したことと、早朝配達が多かったためかもしれない。夏は涼しい早朝の配達がベストだ。

 配達の後、この1年半ほどの間に撮影・公表した野々海関係の写真のピックアップ作業などをした。野々海の観光アピール策を考えるため。こういう作業はものすごく時間がかかる。
 整理してみると、「ああ、こういう写真が足りないなあ」と思うところがある。視点を増やして、多様な場面を撮る必要がある。
 ただ、整理してみて、一つ、大きな収穫があった。昨秋10月22日の朝、雨が降っていたが、午後に野々海案内の予定が入っていたので、「雨天の野々海は紅葉が見られるだろうか」と下見に出かけた。その折に撮影した写真、当時は「バッチリというものがないなあ」と思ったのだが、プリンターがこの春の新規購入で良くなったので再プリントしてみると、自分で言うのもなんだが、じつにいい。
 この話を友人にすると、「そうなんだ。『野々海は雨の日こそがいいんだ』と言われたことがある」とのこと。



 写真は、野々海池の入り口で撮ったもの(撮影時刻9時9分)。「立入禁止」の看板がよくないが、霧がかかる中の紅葉がなんとも素敵だ。
 野々海観光案内のバリエーションが一つ増えたなあと思う。

19日(日) 午前中は漬丸きゅうりの斉藤幸一さん、妹木の南雲世美子さんの畑、宮川頼之さんのトマト畑、さらに滝沢総一郎さんのアスパラ畑をつぎつぎに訪問し、撮影。総一郎さんの立茎作業の様子についてはブログ記事を書いてアップした(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=1923)。
 頼之さんのトマトが色づき始めた。



 直売所で「福耳とうがらし」という唐辛子を買った。割箸と同じ長さがある長〜い唐辛子。昼、「食べ処味郷」さんに持ち込み、焼いてもらった。Webでレシピを探すと、「焼くのが一番」というブログに出会ったからだ。
 Webの他の記事も見ると、種とワタについて「激辛」説と「辛くない。美味い!」説とがある。そこで、縦に2つに割って、片方は種とワタを抜き、もう一方は種・ワタ付きで焼いてもらった。下の写真だが、種ぬきの方で残っていた種が強烈に辛かったが、写真の手前に見える種・ワタ付きはけっして辛くなかった。もう何回か挑戦してみて、説を確定したいと思う。



 午後は、久しぶりに中条川の上流、1号崩壊地と「トマトの国」の裏手に新たに作られた作業道を訪ねた。様子の激変ぶりに驚いた。夕刻、報告レポートを作成し始めたが、朝5時半頃からの動きでさすがに疲れ、明日へ持ち越し。

20日(月) 昨夜が早寝だったので4時に目覚め、4時半頃から5時間かかって中条川の現況レポートを完成。
 その後、また畑訪問。そして、非常に好天なので昼すぎ、野々海へ。この後、「復興への歩み」No.260の編集だ。

21日(火) 午前中にNo.260の編集・印刷を終え、午後、久々に炎天下での配達をした。協賛者宅68軒。ゾーンが広いので、まずまずの配達数。
 程久保に山ユリがとてもきれいなところがある。昨年教えてもらった。この6月頃、その土地の持ち主の家の娘さんに「今年もそろそろですね」と声をかけると、「草刈りが大変なんですよ。草刈りしていって下さいな」と“逆襲”された。今日、その場所に目をやると、山ユリの周辺がきれいに草刈りされていた。開花はもう間もなくだ。


 
22日(水) 朝から協賛者宅中心の配達。午前中で88軒。
 白鳥での配達途中、月岡富士男さんが軽トラの荷台に耕耘機を載せて家を出られるのを目にしたので、白鳥の配達が終わった後、山の上の富士男さんの田んぼにむかった。富士男さんは今日は畑を耕しておられた。「直売所に出せるものを何か作りたいと思いましてね」と。さまざまな人が直売所の成功を願って、いろいろと考えて下さっている。直売所は栄村の復興−新しい村づくりの大きな焦点になってきていると思う。
 それにしても、富士男さんの山の上の田んぼの景色は素晴らしい。百の言葉よりも1枚の写真が雄弁に語ってくれるだろう。「稜線がはっきりしているのがいいでしょう」と富士男さんが言っておられたので、この1枚を選んでみた。



 午後、青倉米の発送に入れる「お米のふるさと便り」の編集を始めたが、全国的に猛暑の折り、暑中見舞いに「雪の写真が欲しいな」と考え、2時半過ぎに秋山行きを決断した。3時に出かけ、秋山林道の雪が残る沢へ。到着したのは4時すぎ。雪の下が融けてトンネル状になっていて、雪の上に乗るのはもう危険だと判断。撮るアングルは限られたが、なんとか使えるものが撮れたと思う。
 その後、雑魚川沿いの遊歩道の清水小屋付近の様子を見に行き、帰路は鳥甲牧場に立ち寄った。帰着は午後7時。



 写真は清水小屋付近の雑魚川の河原に下りて撮ったもの。数年前だが、東京方面からのご家族連れを夏にここへ案内してたいへん喜んでいただいた。今年は紅葉の季節に多くの方をご案内したいと思う。本格的紅葉期にここを訪れたのはもう6年ほど前のことになるだろうか。最高のコースである。

23日(木) 今日は、青倉米や栄村のトマトジュースを使った料理を取材するために東京へ。
 早朝に少し配達したうえで出かけたかったが、昨日の午後の強行軍のせいか、起床は6時で、結局配達の時間はとれず、8時出発、9時すぎの新幹線で東京へ。料理が出されるお店のお昼の営業は11時半からだが、余裕をもって10時40分頃に東京到着。


十二峠の斜面崩落現場(今春の災害後、通るのは2回目だが、撮影は初めて)

 「トマトジュースを使った冷やしご飯」というのはまったく想像がつかなかったが、これがとても美味しい。今日はたまたま雨天模様で気温はさほど高くなかったが、東京のど真ん中で猛暑日や真夏日の昼、これを食べれば食が進むだろう。               わざわざ東京まで出かけた甲斐があった。   
 昼食後、知人と喫茶店で2時間弱お喋り、東京駅での待ち時間約40分で、結局帰着は6時過ぎ。今日一日は東京行きで終わった。

 喫茶店と帰りの新幹線の冷房ですっかり体が冷え切った。今夏は配達の時、頻繁に乗り降りするので車にクーラーは入れないようにしている。体が長時間の強い冷房に慣れていないため、この冷房がきつかった。たしかに熱中症の予防などのため、冷房は欠かせないだろうが、あれだけ冷やせば体にいいわけがないとつくづく思った。

 

配達日誌7月9日〜15日

9日(木) 6時すぎから配達を始め、平滝、小滝、雪坪、志久見、柳在家、切欠、長瀬、泉平、森などを廻り、計133軒。No.258の配達完了にグッと近づいた。
 朝早くから動いたので、全面通行止めでの本格工事が始まった貝廻坂の様子を見ることができた。



 震災翌年からの拡幅工事で唯一残った未拡幅部分で山の斜面を削っての拡幅(写真右手)、沢側に擁壁をたてての拡幅(写真中央)が始まっている。これが完成すれば離合できない場所がなくなる。
 
 雪坪、志久見を廻った際、棚田の中の農道や畦道を活用したトレッキングコースの設定について考えてみた。昨年、信越トレイルのことで斑尾(まだらお)の「森の家」を訪ねた際、信越トレイルを秋山まで延長する計画があり、栄村の東部谷を歩く楽しいコースの調査を進めているという話を聞いたことがあるからだ。



 上写真は午前8時すぎに雪坪の棚田で撮ったもの。なかなかいい景色でしょう。写真中央に見えるのが雪坪集落。写真右手には内池の館跡に通じる道、内池の田んぼが見える。
 関係者のご理解を得ないと成り立たない話だが、こういうことを構想すると楽しいものだ。
 
 切欠での配達中にブルーベリーを収穫されているおかあさんに出会った。昨日は秋山でブルーベリーの畑を見せていただいた。切欠では写真は撮らなかったので、昨日の秋山・屋敷での1枚を紹介しておきたい。こちらは実がまだ青紫色になっていなくて、収穫までもう少し時間がかかりそう。


 
 北野の斉藤幸一さんが試験栽培されている漬物専用のキュウリ、先日いただいたものを味郷さんでピリ辛漬けにしたものを7日に食して、とても美味しかった。明日オープンの直売所に出荷されるとのことで、漬け物にした「漬丸(つけまる)くん」を写真紹介したいと考え、昨日、幸一さんから3本を譲っていただき、味郷さんで複数種類の漬け物にしていただいた。その出来上がりを今夜、試食・撮影。



 写真上は二五八漬け、下左:醤油漬け、下右:ピリ辛漬け。
 「二五八漬け」というのはあまり聞き慣れないものかもしれないですね。東北地方などの伝統食として「三五八漬け」がある。塩:麹:米=3:5:8の割合で作る麹漬け。「村五八漬けの素」が市販されていて、これを使えば誰でも簡単に作れる。味郷さんのものは塩分を減らし、「塩:麹:米」の割合を「2:5:8」にした独自の麹漬け床を作られている。
 とても美味しそうでしょう。私は定食をいただいた後、この漬け物で京都人好みのお茶漬けを一杯いただきました(ご飯は定食のご飯をお茶漬け用に残したもので、食べ過ぎではない)。
 私がこの日夕食に食べた定食には、味郷さんがズッキーニの二五八漬けをつけてくださった。ズッキーニの漬け物というのは初体験だったが、とても美味しかった。


 
10日(金) 今日は直売所のオープン日。早朝に笹原〜極野の52軒の配達を終えたのが7時17分。それから開店準備中の様子、オープンの瞬間、午後3時すぎの様子を見に、3回足を運んだ。


初日の陳列棚への品物並べは大変作業(7:32)


バーコード入力作業のようだ(7:38)

         
“ふるまい”料理の調理。天ぷらで1本揚げされたアスパラも見える(10:08)。

 この日のオープンでいちばん意味がわからなかったのが「オープン式典」。



 幔幕が張り巡らされ、直売所のオープンに出かけてきた村民からは見えない。来賓ばかりで、出荷運営組合からは組合長さんしか呼ばれていない。オープンを準備したかあちゃんや出荷している村民がリレートークするようなオープン式がいちばん力になると思うのだが…。

11日(土) 朝方、直売所で売られていたコールラビの畑に植わっている姿を求めて、月岡の山へ。
 月岡の山に行ったついでに雨引と呼ばれる場所のエゾアジサイの様子を見に行った時に面白いものを見た。





 1枚目の写真のチョウを追いかけていて、2枚目の写真を撮ったのだが、触角が上と下に見える。これは雌雄の2匹の交尾中の姿なのだと思う。チョウなどに詳しい方、どうでしょうか?
 コールラビの畑の様子とサラダの試作品についてはブログにアップした。
  http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=1911
 
 No.259の作成と印刷を午前中で終えたが、暑いので配達は夕刻になってからと思い、午後、スキー場〜貝立山裏から野々海にむかった。「涼しさを求めて」という思いもあったが、スキー場内の道路は木がないので暑い。貝立山からは木陰になってよかったが。
 貝立山裏から野々海までの山道、そして野々海はトンボが群れていて凄い。赤トンボである。この時期は山の上で過ごしている。里に下りてくるのはお盆過ぎか。下写真は深坂峠で撮ったものだが、少なくとも8匹を確認することができる。



 軽トラ1台がやっとの道を進むと、フロントガラスの前にワッと群れてくる。これを写真に撮れれば素晴らしいが、一人運転では無理。

 チョウはまだ少ない。山道では多くがガマズミという木だと思われるものの花に群れている(とまっている)が、面白いことにガマズミの木であればどれでもチョウがいるというわけではなく、特定の木に集中している。巣というか、ねぐらの場所と関係あるのかも。
 野々海で撮影したものは別途、アルバムにしたい。
 野々海から下りるのが遅かったのと、夕刻、コールラビのサラダの試作で6時半頃になってしまい、配達は14部のみ。

12日(日) この2週、日曜日は配達休みにしていたが、発行日直後なので月曜を配達休みにすることにして村内協賛者宅を中心に秋山を除く村内をぐるっと一周し、128軒を廻った。今日も暑かったが(午後3時頃の宮野原橋付近の気温表示が33℃)、軽トラはクーラーを入れず、窓開け放しで走行。燃料代節約の意味もあるが、なによりもこの方が体にいい。

 今日は配達に懸命で、写真はあまり撮っていないが、3点を紹介しておきたい。


11日に上塗りが終えられた月岡のお宮

          斉藤克己さんがハチミツを採取


滝沢総一郎さんのアスパラ畑。立茎のための支柱がびっしりたてられている
 
 「トマトの国」の温泉が今日から17日(金)までボイラー取り換え工事で休みなので、夕刻、飯山市上境の湯滝温泉へ。往復ともに国道117号線ではなく、千曲川沿いの旧国道を走った。夕暮れ時でもう外気温はさほど高くなく、気持ちよかった。湯滝温泉では内湯ではなく、露天風呂へ。ガラス越しではなく、直に山を眺めながらの湯は最高。「日帰り入浴510円」で安くはないが、一日炎天下で配達のご褒美としては安いもの。非常にさっぱりして、夜は気持ちよかった。
 
13日(月) 今日は昨日の日曜日の代わりで配達休止日。ただし、貝廻坂の工事全面通行止めで行きにくい野田沢などに片側通行可能な早朝に配達。計43軒だが、午前7時頃に完了。

 今日も暑かったが、室内作業で北側からの風がよく通ったので、日中はそんなにつらくなかった。夕方から風がとまり、気温がなかなか下がらず、夕刻からの方が暑さを感じた。
 昨日、森集落の広瀬よきさんという方の家に所蔵されている江戸期・安永7年作成の森村の地図(検地のための土地図)を依頼されて写真に撮った。今日の午前はそのデータの整理。安永7年とは1778年のこと。237年前のものである。保存状態はよく、当時の森村の様子がよくわかる。善光寺街道と思われる街道の位置もはっきり明示されている。
 私は古文書は読めないので、専門家に解読をお願いしなければならないが、家屋の印は8軒分しかなく、農地は畑が半分以上で、水田は少ない。素人で可能なかぎりのことはして、この史料を活かせるようにしたい。
 午後は11日の野々海行の写真アルバムの作成。
 
14日(火) 朝の涼しい時間帯にできるだけ配達を、と思って午前6時前から配達をスタートさせたが、6時台ですでに太陽がギラギラとし、暑い。普通は早くても7時半を廻らないと、こんなことはないが。
 泉平、箕作(一部のみ)、月岡、横倉、森(一部)と廻り、午前中の早い時間で118軒。



 泉平では屋号「医者どん」、島田米造・睦子さんご夫婦がミョウガ畑の周辺の草刈り、草取りをされているのと出会った(上写真)。6時18分の撮影。ピーマンの出荷もされていて、ご高齢だがお元気だ。
 月岡では7時25分、市川吉(よし)視(み)さんご夫婦が軽トラで戻って来られるのに出会った。菅沢のズッキーニ畑での収穫作業からの帰りだ。7月7日に菅沢を通った時、お二人で収穫作業をされていたが、それは午前6時29分。こちらもご高齢だが、頑張っておられる。

 8時頃までに104軒の配達を終え、その後、中条川の土石流対策に関わる現場撮影。
 午後の配達は4時頃から。極野、中野、北野と廻る予定だったが、極野で山の様子を見たくて、集落の奥から山へ。途中で出会った人との会話を含めて約1時間。配達は極野だけで終わった。
 山を上がっていくと、中部電力のダム(右写真)があるあたりでポツリ、ポツリと雨。かなり涼しかった。クマを警戒して窓は閉めていたがエアコンが要らない。その後、極野の集落に戻ると、まだ暑かった。ずいぶんと気温が違う。



 夜は中条川の導流堤の説明会。
 
15日(水) 昨夜早く寝たおかげで、4時前に目覚め、起床。スキー場内の眺望点と呼んでいるところで4時41分に撮影しているので、4時半よりも前に出発したのだと思う。野々海池の日の出を見に出かけた。


スキー場最頂部にて4時52分撮影

 家に戻ってから写真データをプリントすると、アングル・構図がいまひとつの感があるが、とにかく野々海池の日の出を撮ることができた(その写真は「復興への歩み」本文に掲載)。

 昨秋以降、野々海の紅葉の進み具合、初雪後の野々海の様子、春のまだ多くの雪が残る野々海、等々を懸命に撮り続けてきたが、時刻的には早くても午前7時以降の撮影だった。やはり標高1000m、集落とは600〜700mの標高差がある山の上に日の出前に出かけるという発想は自身の中になかった。ところが、数日前から「野々海で日の出を見たいな」という気持ちが生じてきて、チャンスをうかがっていた。今朝、早く目覚めることができたので、チャンスを逃さず、出かけた次第。
 野々海をどう活かせるか、それは栄村の観光、ひいては復興を大きく左右する課題だと思い続けている。

 午後、観光に関する講演会(「おもてなしの極意」というもの)があり、出かけたが、予想に違(たが)わず、税金の無駄遣いとしか言いようがないものだった。こんなことにおカネとエネルギーを傾けるよりも、村長、観光協会会長、振興公社幹部総出で野々海に行き、他県ナンバーで来ているお客さんをもてなす体験などをする方がよほど有益なのではなかろうか。
 配達は野々海から帰ってからの午前中に笹原〜中野、天代、坪野、野口、天地などで65軒。夕刻4時半以降に白鳥で42軒の計107軒。
 今日も風呂は湯滝温泉の露天風呂。帰路の千曲川の景色を1枚。