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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌6月21日〜30日

21日(水) 議会最終日。一般会計補正予算を議員提案で減額修正することになった。詳しいことは「議員活動報告」で書く。内容は密度が濃い審議だったが、午前中で全議案の採決が終了し、閉会。
 昼は、阿部伸治議員提唱の議員の「地産地消の会」で、地元産の牛肉をメインとする焼肉の会。美味しい肉だった。ただし、私は最近、牛肉はあまり食べられない。平素はもっぱらポーク。今日も食べ過ぎないように注意したが、やはり夜まで胃が重かった。
 1時半過ぎに私はこの会を退出し、野々海へ。野々海大明神(大きな石で作られている)が雪の影響で倒れ、今日修復作業をすると聞いていたので、その様子を見るため。到着した時はすでに作業が終了していたが。キャンプ場の建物の屋根も傷み、そちらの修復作業も行われていた。

 

立て直された野々海大明神


 野々海から下った後、焼肉の会の会場を覗くと、まだ残っている人がいて、5時すぎまでいろんな話をして盛り上がった。

22日(木) 昨夜は疲れが溜まっていて、10時より前に寝たように思う。そのせいで、3時半すぎに目覚めてしまい、迷ったが、そのまま4時前に起床。
 5時頃に程久保の滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見に行った。総一郎さんが畑に出られる前だった。畑から下りたところで出会い、アスパラの新しい苗を育てているところを見せていただいた。種を蒔き、ようやくチラッと芽が出たばかりという状況。滅多に見られないものだ。
 その後、秋山・切明へ。そこで、「栄村に住みたい」という若い女性に出会い、いろいろと案内。その後、アスパラ3圓糧送を行なったうえで、その女性を今度は野々海へ案内。午後1時すぎに案内は終了。
 昼食後はひと休みし、夕刻からさまざまなデータ整理など。

 

23日(金) 朝方、「お米のふるさと便り」(25日に青倉米の発送時に同封するもの)用に、青倉野昨年度に圃場整備された田んぼの田植え後の様子、今年度圃場整備の西山田の工事状況を撮影に出かけた。私がこの9年間、毎年田植えしてきた西山田田んぼの姿がすっかり変わっているのはいささか衝撃だった。
 その後、26日発送の野菜便に入れる野菜の確保に走り回った。天候不順、遅くまで寒かったことで野菜の確保が大変。早春にいち早く雪消しをして早々にズッキーニを作付けされる泉平の武田光俊さんにズッキーニをお願い。そのため、泉平へ。武田さん宅で奥さんの文子さんが手入れされている花々が今年もきれい。泉平に向かう途中の箕作の20軒に「歩み」を配達。

 

 


 武田さん宅の後、宮川一哉・まゆ夫妻の野菜をお願いに向かうが、途中のコース沿いの箕作、月岡でも「歩み」の配達11軒。一哉・まゆ夫妻とは会えず。野田沢でも配達。
 今日は計55軒どまり。
 午後は洗濯物が溜まっているので、まとめ洗濯をし、その後、ある人にいろんなことについてのご意見をうかがいに訪問。それでもう夕6時半。夜も人と会って、9時を廻った。

 

24日(土) 箕作、月岡の未配達の家々を廻り、32軒。
 今日は妹木の畑で一哉さん・まゆさん、そして育真くんと出会えた。「スナップエンドウ」というものを26日朝に分けていただけることになった。今回の野菜便は〈アスパラ、ズッキーニ、スナップエンドウ〉の三品に決まり。
 直売所に並ぶ野菜の写真を撮っておきたくて、直売所へ。
 直売所の厨房の中に人の姿が見えたので、レジの島田則子さんに「今日は何を出すの?」と尋ねると、「〇〇ちゃんがサンドイッチやおにぎりを出している」とのこと。「〇〇ちゃん」という名前を聞いて、「そうなのか」と思うところがあったので、早速、サンドイッチを買って食べてみた。昼近い時間だったが、食べ始めた当初は「間食」程度に思っていた。しかし、食べてみると、パンが美味しいし、サンドイッチ全体がしっかりしていて、充分に昼食になった。「パンはどこの店のものを使っているのだろう?」とか、いろいろ尋ねてみたくなり、直売所に戻ってインタビュー。
 「〇〇ちゃん」に尋ねてみた。パンは家庭用製パン器で自分で焼かれたそう。エゴマ入り。直売所で販売されているエゴマを使ったそうだ。たしかにエゴマの食感があった。サンドイッチはたまごサンドとローストチキンサンドだったが、たまごには浅葱を刻んだものを入れたという(これについては私は気づいていなかった)。「浅葱はばあちゃんがつくったもの。チキンの方に入っているレタスもばあちゃんの」とのこと。私もよく存じ上げている“ばあちゃん”である。

 

パンに小さな黒い粒が見えるが、それがエゴマ

 

 こういう若い人が村に帰って来てくれて、新しいことにチャレンジしてくれる。なんと素晴らしいことだろう! 有形無形、さまざまな方法で応援したいものだ。
 朝の32軒の配達以外の時間は「お米のふるさと便り」の編集。終えたのは結局夕刻の6時半すぎ。
 夜は夕食を一緒にしながら若い人とお話。9時頃までだったか。後は、「便り」の折り作業などをやって就寝へ。

 

25日(日) 朝から昼すぎまで、夕刻発送の青倉米の箱詰め作業。全部で33箱くらいか。5kg詰めの袋が1つだけのものもあれば、5kg袋5つを入れるものもある。
 この作業の前段として、パソコンでの宅急便配達票の打ち込み・プリントアウトの作業などがある。
 午後1時半頃、もう7〜8年くらいの間、恒例になっている駒沢大学地理学科の栄村調査がやって来たので、1時間半くらい、吉楽旅館でお話。
 その後、「議員活動報告」の執筆を開始。


26日(月) 午前中は東京銀座の料理店に送るアスパラと東大駒場地区保育所の共同購入グループに送る野菜の農家からの受け取り、袋詰め、箱詰めの作業。野菜はお米と違って重量的に軽くて腰に響くことはないが、手間はお米の発送よりもずっとかかる。

 

妹木で出会った育真くんの今日の笑顔


 昼すぎ、「山菜に加え、アスパラ畑にまで泥棒が入っている」とお聞きした東部パイロットの畑を案内してもらった。お話をお聞きした段階では、東部パイロット内を走る道路沿いの畑だと思い込んでいたが、実際に案内されたところは道路から山際に入り込んだところ。こんな奥まったところにまで侵入してきているのかと驚いた。
 午後の後半には、昨日から来ている駒沢大学の先生や学生さんと1時間強、お話。
 夕刻遅くに青倉に用件があって行ったところ、西山田の田んぼに上る農道にトラックが停まっていて、農道脇の山肌も削られた感じ。何だろうと思って西山田へ。結局、棚田ゾーンまで上がったのだが、圃場整備工事が進み、景色がすっかり変わっていることにびっくり。23日午前にも写真を撮りに行っているが、わずか3日間で相当の変わりよう。作業に迷惑がかからないように注意しながら、定期的に撮影して記録にとどめる必要があると思った。

 

27日(火) 午前中はある家への訪問や「議員活動報告」の配達。昼頃に天地で駒沢大学の学生さんを斉藤克己さんと引き合わせ。ネマガリダケを採る現場はどんなところなのかを克己さんに案内してもらうため。私は同行しなかったが、行った学生さんに後で感想を尋ねると、
 「大変なところでした」との返答。栄村に来る人たちの中には栄村の伝統食・郷土食に関心を強く抱く方が多くおられるが、食材がどのようにして確保されるのかまで見てもらうことが大事だと思う。
 午後は、背中の張りがひどいので、十日町へ治療に。かなり楽になった。
 4時頃に村に戻ってからは駒沢大学の学生さんと7時すぎまでお話。

 

28日(水) 朝方、中条と青倉で47軒に「議員活動報告」を配達。そのまま飯山駅に向かい、10時34分発の金沢行き新幹線に乗車。所用で約1年8か月ぶりの京都行き。
 新幹線と金沢からの特急サンダーバードの車内、冷房の効き過ぎで寒かった。金沢駅で昼食用の駅弁を買おうとしたが、在来線特急のホームには駅弁売り場がなくなっていた。在来線での旅は不便になる一方なのか。
 夜10時すぎに地下鉄に乗ったが、満員に近い状態で、中学生や高校生の姿も多い。久々に見る都会の異常な暮らしの現実だ。

 

29日(木) 昨日、今日と京都四条烏丸(からすま)界隈を歩いたが、老舗デパート「大丸」に隣接するゾーンの変わりように驚いた。街というものはクルクルと変わるものだ。また、四条通りは地上と同じくらいに地下道を歩く人が多いが、頭上に空が広がる景色しか見ない田舎暮らしに慣れている私には、空気がこもっていて、低い天井しか見えない地下道は異様に感じられた。
 夕刻5時少し前に京都駅発でサンダーバード、北陸新幹線で飯山へ。9時半すぎに着いたが、雨が降っていてびっくり。京都では雨の予報だったが、雨に遭わず。こちらで雨が降っているとは思っていなかった。

 

30日(金) 2日間留守にするだけで、なんやかんやと用件が溜まる。そうしたものを片づけながら、昼頃、飯山の出川の下流域へ。「復興への歩み」No.310掲載予定の記事のため、出川下流域、JR飯山線の鉄橋などを見て廻った。その後、村に戻り、青倉・西山田の圃場整備工事現場へ。午前中に現場事務所を訪れ、工事中の時間帯の撮影を許可していただいた。
 事務所で設計図をいただいていたので、田んぼの様子がどのように変わるのかの見当がついたが、26日夕に見た様子からもさらに大きく変わっていて、ただただ驚嘆するばかり。

 

青倉・城ヶ館の圃場整備工事現場。ここも様子がすっかり変わっている。


 28日に京都に向かう途中、住民福祉課長から電話があり、7月下旬に福祉審議会があること、議会産業社会常任委員長が委員になることになっていること、さらに、これまで審議会会長を務めてこられたのが鈴木敏彦前村議(産社常任委員長でもあった)で、会長選出が第一議題となることを伝えられた。私は議員が審議会会長を務めることには問題があると考えたので、今日の午後、役場に住民福祉課長を訪ね、その旨をお伝えした。
 福祉審議会というのは村長の諮問機関。村長は自らの施策を決定する前段の手続きとして審議会に諮問を行い、答申を得て、自らの施策の妥当性の裏付けの1つとする。そして、その後に、その施策を条例案や予算案として具体化し、議会に議案として提出する。そこで、議会・議員は村長提出の議案を審議し、可決か否決かを決する。
 しかし、議員が審議会の会長をしていて、村長に諮問した事実が前段にあったら、議会での審議は意味をなさない。行政と議会は、協力すべきところは協力するのでよいが、しかし、「議会は行政のチェック機関」ということが果たせなくなるような関係になってはよろしくない。会長の後任選び、難儀しそうだが、やむをえない。
 産社委員長は津南衛生施設組合議会の議員にもなる。津南衛生施設組合のようなものを地方自治法では「一部事務組合」と呼ぶが、議会の設置が必要。津南衛生施設組合議会の場合、十日町市議3名、津南町町議2名、栄村村議2名で構成される。栄村議会ではその議員2名を5月の初議会で選挙したのだが、「議長と産社委員長の2名をあてる」ことが慣例となっていて、立候補・投票制ではなく、慣例通りにすることに「異議なし」で決まった経緯がある。
 だが、津南衛生施設組合(議会)の内容など、これまで耳にしたことがない。7月7日にその議会があり、今日、議案書を受け取ったが、様子がさっぱりわからないので、これも住民福祉課長の担当分野なので、レクチャーしてもらった。議案内容になにか問題があるようには思わないが、まあ、〈質疑無し→全員賛成で可決〉というだけでは議会を開く意味もなくなるので、なにか1回だけでも質疑したいと思うのだが、さて、どうなることか。
 とにかく、産社委員長というのは色んなスケジュールが入ってきて、かなり忙しい。
 その後は「復興への歩み」No.310の編集作業。


飯山線を走る「風っこ」

 

 9日(日)の栄村はとても暑い。
 そんな中、飯山線に「風っこ」が走った。
 写真は、森宮野原駅で1時間40分の停車の後、長野にむけて横倉駅付近を走る様子。
 撮影時、田んぼの上を少し風が流れていた。窓ガラスのない列車はきっと気持ちよかったことだろう。
 信州DCの特別列車。
 期間中、飯山線の特別列車は残念ながらこれだけ。「おいこっと」は今度の連休15〜17日をはじめ、土日に走る。

 

 

 

 飯山線の写真をもう1枚。
 7日(金)平滝16:43発の下り列車が駅を出てすぐの踏切を通過するところ。
 色鮮やかなタチアオイとのツーショットをご覧ください。

 

 

 

 


松尾まことの議員活動報告第16号

   補正予算の減額修正について

 

 村議会の6月定例会が6月16日(金)〜21日(水)に開催されました。「信毎」等の新聞報道ですでにご存じの人も多いかと思いますが、今次定例会の最重要議案である一般会計補正予算案をめぐって、減額修正の動議を可決しました。観光協会への補助金増額補正445万円のうち295万円を削減するというものです。
 今号はこのことに絞って、みなさんにご説明・報告をします。

 

◎ 予算の減額修正とは、どういうことか?
 まず、予算減額修正の意味を説明します。

 

■ 予算の編成権と決定権は別
 年度当初予算であれ、年度途中での補正予算であれ、村の予算の編成権は村長のみにあります。議会には予算を編成したり、予算案を発議したりする権限はありません。
 しかし、このことは「予算は村長が決める」ということを意味するわけではありません。
村長が編成した予算案を審議し、決定するのは議会です。
 議会は、村長が編成・提案した予算案を審議して、適切なものだと判断すれば、それを可決し、予算が決まります。
 しかし、村長が提案した予算案に不明な点や不適切と考えられる内容があれば、議員はそのことを審議の中で指摘し、村長の考えを質します。
     *議員の質問に対して担当課長が答弁することもあります

      が、担当課長が答弁する内容も含めて村長の考え・判断

      をあきらかにするものです。
 そして、村長(+課長)の答弁に納得がいかない場合は、議員はそのことをはっきり意思表示します。議員の多数が村長答弁に納得がしないという事態になれば、村長は自らが提案した予算案をどう扱うか、判断することを迫られます。


■ あくまでも原案に固執か、原案撤回・新議案の提出か
 村長が迫られる判断は二者択一の選択です。
 1つの選択肢は、予算案が否決されることを覚悟で、あくまでも原案に固執することです。もう1つの選択肢は、予算案(原案)を撤回し、議員の納得が得られるように内容を改めた新しい予算案を提出することです。
 村長には、原案を議会に提出したままの状態で、その予算案の一部を修正する権限は法律上認められていません。

 

■ 議会もまた選択を迫られる
 議会は、村長が原案撤回−新予算案提出という選択をする場合は、その「新予算案」の提出をうけて改めて審議します。
 しかし、村長があくまでも原案に固執するという選択をする場合は、議会も二者択一の選択を迫られます。1つの選択肢は予算案を否決することです。しかし、「原案否決」となれば、必要だと考えられる予算も含めてすべての予算が成立しないことになります。
 そこで、もう1つの選択肢が浮かび上がってきます。
 それが減額修正動議の提出です。すなわち、村長提出の予算案のうち不適切だと判断される部分のみ減額する(削る)という動議を提出するのです。
 今次6月定例会で私を含む多数の議員が選んだ選択肢はこれだったのです。

 

■ 予算案の表決よりも先に修正動議が表決される
 さて、修正動議が提出された場合、議会会議規則により、村長提案の予算案の表決に先立ったって、まず修正動議の表決が行われます。
 そして、修正動議が可決された場合は、村長提案の原案の表決は行われず、議会が修正した予算案が予算として成立します。他方、修正動議が否決された場合は、村長提出の原案の表決が行われます。
 今回は、修正動議が可決されましたので、議員の提案で修正された予算が成立しました。

 

◎ 修正に至る経緯
 6月定例会には一般会計の補正予算案(第1号)と5つの特別会計の補正予算案が提出されました。


■ 6月補正予算案の基本性格
 6月定例会には毎年、補正予算案が提出されます。役場職員の4月人事異動との関係で予算補正が必要になるからです。
 みなさんは、「広報さかえ」に掲載される村予算のお知らせをご覧になったことがあると思います。そこには、「総務費」とか「民生費」、「農林水産業費」という費目はあっても「人件費」という費目はありませんね。役場職員の人件費は、たとえば役場総務課に配置されている人の給料については「総務費」の中に、産業建設課で農業部門の仕事を担当している人の給料は「農林水産業費」の中に入れられています。
 そのため、勤続年数が長く、給料が比較的高い人が3月までは総務課のある係に在職したが、4月1日付でこの人が他の課に異動し、その替わりに勤続年数が短く給料が低い人が入ったとなれば、総務課の予算を減らし、給料が比較的高い人が異動した先の部署の予算を増やすことが必要になります。

 他方、政策的な経費については、1年間の予算を3月に決めてから日が浅いですから、6月定例会に提出される補正予算に新規事業が計上されることは例外的な事態だといえます。

 

■ 今回、異常に大きかった商工費の補正額
 6月定例会に提出された一般会計の補正予算案は歳入・歳出ともに6,850万5千円増額するというものでした。(補正後の一般会計予算総額は36億2,850万5千円)
 そのうち、商工費の補正額は4,519万3千円。異常に大きいです。商工費の補正額の中にも人事異動にともなう補正が入っていますが、「商工費」の中の「観光費」で人事異動関係以外の補正が多くあったためです。主なものを書き出してみます。
    秋山地区二次交通事業          155万6千円

                       (当初予算は0円)
       *7〜10月の間、誘客のため、森宮野原駅〜切明間に

        周遊バスを走らせるというもの)
    苗場山自然体験交流センター改修工事   930万8千円

                       (当初予算1,061万8千円)
    切明温泉給湯ポンプ設置工事       668万9千円

                       (当初予算0円)
    栄村秋山郷観光協会補助金        445万円

                       (当初予算804万3千円)
 これはちょっと大きすぎます。当初予算編成時にわかっていたはずのものが当初予算に盛り込まれていなくて、6月補正で継ぎはぎをしたという感が否めません。こういう予算編成は基本的にやってはならないとされています。その点は後ほど改めて説明します。

 

■ 観光協会への補助金に不透明な点が多数出てきた
 6月定例会提出の議案を議員は6月9日に受け取りました。16日に定例会が始まるまでに議案を十二分に検討し、的確な質疑を行なえるように開会の1週間ほど前に受け取るのです。
 私はすべての議案(補正予算案以外に条例改正案などもありました)をしっかり読み込み、質疑の準備をしました。
 とくに注目したのは観光協会への補助金です。観光協会への補助金をめぐって、2つの不可解なことがあることに気づきました。
      村の当初予算にある観光協会への補助金約804万円

      について、その使途が村の予算書に書かれているもの

      と、観光協会の予算書に書かれているものの間に食い

      違いがあること。
        村予算では、「人件費補助(2名)554万3千円、雪ん子

        まつり開催補助100万円、観光誘客活動補助150万円」。
        観光協会予算では、「人件費補助691万円、イベント等

        活動補助金113万円」。
        なお、4月25日の観光協会総会では「雪ん子まつり補助

        金が得られていない」との説明がありました。
      観光協会では4月に職員が1名増えて人件費予算の増額が

      必要になっているのに、6月補正案の観光協会への補助金

      について補正予算説明書には「活動補助金(イベント・広

      告宣伝等経費分)」と書かれていて、人件費補助の補正は

      ないと思われること。
        観光協会の職員が1名増えたのは観光協会が勝手に決め

        たことではなく、役場商工観光課に勤務していた臨時職

        員の人について、村長自らが「4月1日以降は観光協会に

        移す」と決めたことによるものです。今議会で村長がそ

        のように説明しました。

 

 私は6月16日の補正予算案審議で、このことを質しました。他の議員も質問しました。
 質問への答弁の中で商工観光課長からとんでもない発言が飛び出しました。課長は補正予算額445万円の内訳についての説明の中で「雪ん子まつり開催補助100万円」と言ったのです。「雪ん子まつり開催補助100万円」は上に書いたように3月定例会で成立した当初予算にすでに計上済みなのです。つまり、二重計上(重複計上)ということです。あってはならないことです。
 議員はすぐさま、そのことを指摘しました。
 村当局は説明できなくなりました。そこで、村長が「後刻、観光協会の要望、村の予算査定を時系列で説明するものを提出します」と発言し、観光協会への補助金関係の審議は6月定例会の会期内の後日に持ち越されることになりました。

 

■ 二転三転する説明
 次頁に1つの表を示します。村の当初予算で決まった観光協会への補助金の内訳、観光協会が4月25日の総会で決めた観光協会予算のうち、村からの補助金に係るもの、6月19日に議会運営委員会に商工観光課長が示した観光協会への補助金の補正予算の内訳、さらに20日の議会全員協議会に示した内訳の4つを表にまとめたものです。
 前項で「二重計上(重複計上)」を指摘した「雪ん子祭り補助」は、16日議会での100万円という説明に対し、19日には81万2千円、20日には20万円と説明がクルクル変わっています。
 また、車両費、燃料費、修繕料、車検委託料、保険料は19日までの説明にはなかったのに、20日になって突然出てきています。しかも、それらは観光協会が村当初予算での補助金を財源として4月25日に総会で決定した予算ですでに計上しているもので、今さら補助を村に求めるようなものではありません。要は、16日には100万円、19日には81万2千円とした「雪ん子祭り補助」を20万円に減らすために「辻褄合わせ」をしているのです。
 こんな二転三転する、デタラメな説明に納得するとしたら、議員失格、議会失格だと言わなければなりません。
 だから、もう間近に迫っている「夏祭り」と「無茶フェス」への補助金150万円を除く245万円について、今回の6月補正予算から削り、もう一度きちんとした検討をして、次の議会に補正予算を出し直してくださいという「修正動議」が提出され、私たちはそれを可決したのです。

 

 

◎ そもそも補正予算とは
 予算の減額修正というのは、そんなに頻繁にあることではありません。栄村では少なくともここ10年の間には一度もなかったことだと思います。(ただし、長野県内の他市町村議会ではちょこちょこ事例があるようです。)

 そういう稀なケースなので、ここまで詳しく経緯等を報告・説明しました。
 そのうえで、ここでは、そもそも補正予算とは、どういう場合に編成するものなのかについて説明します。

 

■ 災害時、国の補助金の確定など限られた場合のみ補正
 栄村では昨年度、一般会計予算の補正がなんと13回にもわたって行われました。これはあまり正常なこととは言えません。
 私がよく引用・紹介する『議員必携』という本では、
    「当初予算は、年間の一切の経費を計上し、計画的に支出する

     建前になっているのであるから、物件費や人件費等の経常経

     費の補正は、特別の事情がある場合を除いて、みだりに行う

     べきではない。」
と記されています(同書239頁)。「特別の事情」とは、天災・災害の発生や、当初予算決定後に国の交付金・補助金等の額が確定した場合などです。
 栄村で昨年度、補正の回数が多かった原因としては、当初予算を島田茂樹村長(当時)が編成した後に、森川新村長が誕生したため、予算を補正する必要がしばしば生じたということがある、と私は解していました。
 しかし、本年度は森川村長が自ら当初予算を編成したのですから、「もともとわかっていたはずの経費を当初予算に計上していなかった」ことが根本原因と思われる今回の観光協会への補助金をめぐる補正予算のようなことはあってはならないのです。
 しかも、補正予算の算出根拠についての説明が二転三転したという事実は、予算編成作業、村長による予算査定がきちんとなされていないことを示しています。これは村の行政の土台を揺るがしかねない大問題だと言わねばなりません。

 

■ 議員も問われる
 上に引用した『議員必携』には、こんなことも書かれています。
     「補正予算は、必要とする費目の追加や削減の経費のみが提案

      されることから、予算を審議する側の議員にとっては、予算

      を総体的にとらえることが困難になりがちである。」

     (同書同頁)
 議員は、補正予算案を各人が持っている当初予算書と突き合わせ、補正予算案がどういう意味をもっているのか、適切な補正なのか、しっかり見極めることが求められます。さもないと、今回の補正予算案のように二重計上(重複計上)を見逃してしまいます。さらに、補正予算の審議が甘いと、当初予算の際に時間をかけて慎重に審議したことが無意味になりかねません。
財政赤字−財政再建が大きな課題になっている国政の場合、当初予算では財政赤字が増大しないように努めていながら、補正予算で公共事業等への大盤振舞(おおばんぶるまい)が行われ、財政赤字が膨(ふく)らんでいくということが問題になっています。
 栄村も財政事情が明るいわけではありません。
 議員はそれぞれの議会で提出される議案だけを見ているのではなく、当初予算、さらには前年度予算や決算も見ながら、しっかり補正予算をチェックしていく責任を負っているのです。

 

◎ 観光協会を真に主体的な団体として育てよう
 栄村の観光協会は、かつては各集落も参加する組織でしたが、現在は観光業関係者を主たる会員とするものになっています。ただし、個人加盟も可能で、私も今春、入会させていただきました。
 私は、栄村の観光を活発なものとするために、観光協会をもっともっと村民が主体的に参加し活動する団体として育てていく必要があると考えています。
 観光協会そのものは基本的に営利活動をするわけではありませんので、お金がほとんどありません。村の観光を発展させるために村が補助金を出すことは当然に必要だと考えます。しかし、村が補助金を出すということは、村(長)が観光協会に「口も出していい」ということを意味するわけではありません。「お金は出すが、口は出さない」が正しいあり方なのです。
 そして、いま、協会の事務局で頑張っている若い職員を大事にし、村民の思いが反映される観光協会の主体的な活動を促進していくことが、いま、とても大事になっているのだと考えます。
 今回の減額修正をマイナス・イメージで捉えるのではなく、観光協会の主体的な発展を実現していく第一歩にしたいと思います。

 

(6月定例会の他の審議内容については改めてご報告する予定です。)

 


栄村復興への歩みNo.310

青倉集落・西山田棚田。9年前(2008年)5月撮影。

 

同地点をこの6月30日に撮影。

 

青倉・西山田の圃場整備の現況をレポートします

 

大きな変化に驚き
 2枚の写真。背景の山や中央やや上に見える小高い丘の林は変わりませんが、田んぼの様子はすっかり変わっていますね。
 この写真に見えるところは西山田の棚田ゾーンの美しさを象徴するところなので、この2枚を選んだのですが、変化の激しさという点では次の2枚のほうがもっと大きいでしょう。

 

 

 

 1枚目は昨2016年6月、わずか1畝の田んぼで田植え会を行なった時のものです。本当に小さな田んぼです。私は栄村に移ってきた2007年からここで毎年田植えをさせていただいてきました。その田んぼの6月30日の様子が2枚目の写真です。
 2枚の共通点はいずれの写真でも写真の左側に見える畦です。右側の小さな山は下写真では大きく削り取られています。ここは田んぼではなく農道に変わるそうです。

 私は圃場整備というものの現場を見るのが初めてではありません。昨年、青倉の集落の中の田んぼ(居平(いでら)地区)の圃場整備を見ていますし、また、28年前に三重県伊賀市(忍者のふるさととして知られるところ)でかなり大規模な圃場整備を見たことがあります。
 でも、今回の西山田ほど大きな変化を目にしたのは初めてです。みなさんはいかがですか? 栄村で現代的な大規模圃場整備が初めて行われたのは1970年代初期の中条の田んぼだと聞いていますが、やはり今回の西山田のような大きな変化だったのでしょうか。

 

県営中山間地域総合整備事業による復興事業
 青倉での圃場整備事業は、「県営中山間地域総合整備事業 栄地区」の大きな部分を占めるもので、村の予算説明書では「高齢化等による担い手不足が課題である本村の、これからの農業を守るため、震災復興計画や総合振興計画に基づき、農業生産基盤と農村生活環境を一体化する整備を5年間かけて行う」と記されています。
 「震災復興計画」という文言が出てきましたが、私はその策定に委員として関わりました。また、「復興への歩み」で、栄村の震災復興にとって青倉の圃場整備が必要であると何度か記したこともあります。その意味で、青倉・西山田での大きな変化は私が思い描いた復興像の実現のプロセスでもあります。しかし、大きな変化を目の当たりにして戸惑いを覚えていることも事実です。

 

圃場整備後のビジョンを考えていきたい
 西山田を中心として青倉で育てられたお米は全国各地の人びとに愛され、いい価格で購入されています。1頁掲載の写真に見られる棚田風景、そして下写真に見られる田植え交流の様子は都会の人たちをひきつけるものでした。

 


 この風景が消えるいま、圃場整備後の青倉(西山田)の田んぼとお米の魅力をどうアピールしていくのか。真剣に考えなければならないと、私は思っています。そして、その第一歩は圃場整備による変化のプロセスを写真記録していくことではないかと考えています。工事の邪魔にならないように注意しながら、5〜6か月後に雪の季節を迎えるまで圃場整備の様子を追いかけていきます。

 


風景ピックアップ

裏側から見る野々海池
(6月17日撮影)

 

 

野々海池三叉路の湿地にて
6月17日撮影。下の2枚は湿地から飛び立つマガモ2羽。

 

 


 次は同じ湿地で7月1日撮影。その下の写真はモリアオガエルの卵。

 

 

 

 

鳥甲山と赤(あかくら)の頭(かしら)
珍しいアングルでの1枚だと思います。初夏の鳥甲山の頂上付近の様子が見えるとともに、「赤堯廚涼枠の赤さから、その名前の由来がよくわかるのではないでしょうか。

 

 

 

 


強雨の中、野々海大明神祭が行われました

 7月1日は毎年、野々海大明神祭(野々海開き)の日です。しかし、今年の7月1日は朝から梅雨前線の活発化による強雨。夕刻に温泉で出会った村の人は、「えっ! 野々海、やったの?!」と驚いておられましたが、予定通り開催されました。
 私は午前9時20分頃に野々海池に着きましたが、野々海水利組合や役場の人たちが降りしきる雨の中、大明神祭の準備を進めておられました。午前11時からの「神事」には議員職務で参加していましたので、写真は撮っていません。写真は当日の野々海の様子をお伝えするもの3枚を掲載します。

 

大明神前での準備作業(9時29分撮影)


 神事の後はキャンプ場管理棟でタケノコ汁を振舞う宴が催されました。今年は白鳥集落が当番で、白鳥集落のみなさんのお世話になりました。とても美味しいタケノコ汁でした。
 まだ残雪がある野々海。水内地区は今年、水の心配はないでしょう。

 


9時29分の余水吐

 

10時37分の余水吐

 ほとんど水が落ちていなかった余水吐から1時間後にはもの凄い勢いで水が落ちていました。この日の強雨の凄さがわかる比較写真です。


飯山市照岡山腹崩壊とJR飯山線――6月30日と7月1日の現場取材から

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  • 2017.07.03 Monday

 5月19日に発生した飯山市照岡の井出川上流の山腹崩壊と土石流から1ヶ月強。新聞等で報道されているとおり、6月23日に出川下流域4世帯に飯山市から出されていた避難指示が避難勧告に引き下げられました。そして、JR飯山線は25日の始発列車から運転を再開しました。
 私は避難勧告への引き下げの根拠の1つとなった出川下流域での土嚢・ブロック等の設置状況等を見るために6月30日に現場を訪れました。現場訪問は6月10日以来のことです。

 

出川の鉄橋を通過する飯山線上り列車(6月30日0時57分)


 さらに、大雨が降り、栄村を流れる千曲川も真っ茶色の濁流になった7月1日の昼すぎ、同じ現場を訪れました。1日は飯山線が運休になりましたので、出川に架かる飯山線鉄橋付近の様子を見ることが一つの目的でした。

 


 上写真は7月1日午後1時すぎに市川橋上から撮影した千曲川の様子です。
 雨の中の撮影で少しわかりにくいかもしれませんが、写真手前右側に茶色の濁りが見えます。それよりも上流は濁っていません。ここが出川が千曲川に合流する地点です。
 やはり井出川−出川には大量の土砂が堆積していて、大雨が降ると堆積土砂がかなりの量、流れ出るのです。

 

JRは「なぜ運休し、なぜ復旧した」のか?
 さて、JR飯山線が運転再開した後、首都圏に住む鉄道にはかなり詳しい知人から、「まずは交通が回復してよかった」という祝意を述べたうえで、「なぜ運休し、なぜ復旧したのか、いまひとつよくわからないところです」と指摘するメールをいただきました。
 私は「復興への歩み」No.309(6月11日付)で、鉄橋すぐ横の法面を土石流が直撃する危険があることを指摘し、JRの対策を促しました。ここで、2枚の写真をご覧ください。

 

 


JR飯山線の出川鉄橋付近

 

 1枚目は6月10日、2枚目は6月30日の撮影で、ほぼ同じ箇所を撮影していることはおわかりいただけると思います。
 30日の写真では、大型土嚢が新たに追加設置されています。6月20日に現地を視察した信州大学の研究者らから県と飯山市が「JR飯山線の鉄橋上流に積んだ土のうの追加設置の助言を受けた」(6月21日付信毎)ことの結果です。私は30日にこの現場を見て、研究者らの助言の背景には、「鉄橋横の法面を土石流が直撃の危険」と私が指摘したことと同じ認識があると確信しました。たしかにこの追加の土嚢で土石流の飯山線直撃を防止することができるのです。そして、そのことは大雨の7月1日に実証されました。次の写真をご覧ください。

 


 赤線で囲ったところが出川の流れです。
 この日の出川は濁流になるとともに、かなり水位が上がっていました。
 追加の土嚢がなければ、濁流が飯山線の鉄橋横の法面下部を洗う危険があったと思われます。
 7月1日は幸い、土石流という事態までには至らなかったですが、JRは安全運行を保障すべき立場にあるものとして、県・市や研究者グループの指摘や措置の前に、こういう措置の必要性を自ら考え、県や市と協力して積極的な安全措置をとり、さらにJRの土砂災害の現状についての現状認識と対策措置を飯山線利用者をはじめとして広く住民にお知らせすべきだったと思います。

 

 「栄村復興への歩み」の原点は地震、そして中条川上流での山腹崩壊と土石流の災害を直視し、指摘すべき問題点はきちんと指摘し、完全な復旧と復興を実現していくことです。その原点に立ち続けるならば、すぐお隣の飯山市で今回のような災害が発生し、JR飯山線が運休して、栄村村民の足にも多大な影響が出ていることに対して、現場取材を重ね、指摘すべきを指摘するスタンスを貫いていこうと思い、この問題を取り上げてきました。今後、飯山市の現場に出かけての取材をどの程度できるか、自信はありませんが、可能なかぎり、取材と発信を続けていきたいと思っています。


中条川の土石流対策、そして森集落水道工事の現状をめぐって

 森集落では、7月5日〜7日、10日〜14日の計8日間、夜間断水になります。水道本管のマンガンによる汚染を除去するための洗浄作業が行われるためです。森集落住民のこの間の悲願の実現への大きな一歩となるでしょう。各家庭への引込管の洗浄作業が行われないのは残念ですが、頻繁に茶色の水が出る事態が打開されることを期待します。
 また、森集落水道の取水地を震災前の水源に戻す工事も進んでいます。中条川土石流対策の県林務課所管の工事も実施できるよう、工事用車両が走る道路への配水管埋設工事が優先的に行われ、水源地の工事はこれからのようです。

 

「トマトの国」付近を含め、これからの工事がたくさん残っています
 最近、「トマトの国」である人から「今年は工事の人を見かけないけれど、中条川の工事はもうないの?」と尋ねられました。私は「いえ、終わってないですよ。あと3〜4年はかかると思います」と答えました。土石流が発生しても「トマトの国」を直撃することがないように導流堤を築造することが最終工事となる予定です。
 そんな中、議会6月定例会で森川村長は、「トマトの国」周辺の対策工事は「もうほとんど終わり」という誤った認識を口にしました。「日本一安心できる村」という森川氏のスローガンが泣きます。私は県林務課の資料を基に村長に正しい認識を持ってもらうように説明しました。
 6月29日には今年行われる中条川の工事の地元説明会がありました。私は所用で村外に出ていて出席できませんでしたが、説明資料をいただきました。以前に林務課からいただいた計画に沿った工事の実施ですが、「予算の確保がだんだん厳しくなっているのかなあ」という感もあります。
 今年もまた中条川の土石流対策工事の進捗状況を取材し、みなさんにお伝えしていきます。

 

 上写真は7月1日強雨時の中条川「トマトの国」下の様子。
 この箇所の工事はまだ予算がついておらず、工事実施は平成30年度以降になります。

 


配達日誌6月11日〜20日

11日(日) 午前8時半すぎに家を出て、スキー場〜貝立山裏経由で野々海へ。帰りは平滝に下ったが、11時半頃。野々海の様子は「復興への歩み」No.309に書くが、スキー場の頂上、野々海までの途中コース、平滝への下り、それぞれにいろいろ素晴らしいものを見ることができた。いい写真もたくさんあるので、時間のある時に整理してみたい。
 下ってすぐに横倉でNo.308等が未配達の家12軒を廻った。横倉集落は4日の野々海普請をうけて、開田での田植えの真っ最中だが、飯山線の脇にある共同の作業所で上倉学さんご夫婦がお子さんと一緒に苗箱洗いをされていた(下写真)。なかなかいい光景。写真の左に写っているお子さんは末っ子で小6。震災直後に上倉さん一家が飯山の雇用促進住宅に避難されていた時、保育園児だったお子さんだ。歳月の速い流れに今さらながら驚く。

 


 午後、雪坪集落でも配達に廻ったが、森川价政さん宅の玄関にあったツツジの盆栽が立派。昨日、今日と直売所前で盆栽祭りが開催されている。

 


 夕刻4時すぎ、知人から「城ヶ館(じょうごだて)で土器がたくさん出ている」という電話をもらい、城ヶ館(青倉集落の山の田んぼがあるところ)へ。圃場整備が始まっているが、なるほど土器の破片が多数見られる。
 その場で話し込んで、気づくと6時半近く。山の上は急速に気温が下がり、最後はブルブル震えた。

 

12日(月) 栄村にとって空き家対策はきわめて重要かつ喫緊の課題。しかし、2月臨時議会での大久保空き家改修経費増額のための補正予算否決に見られるように、行政の補助金に依存して対応しようとすると、高額の経費がかかる。震災の折りにたいへんお世話になった中越の阿部巧さんにお聞きすると、「100万円程度で改修して活用している事例がたくさんある」とのことだったので、今日は阿部さんに案内をお願いして、川口(現在は長岡市の一部)の木沢地区の事例と、小千谷市岩沢地区の事例を知人二人と共に見学に行った。
 非常に勉強になった。「復興への歩み」でも一度きちんと議論したいが、今日の見学でいちばん強い印象をうけたことは、交流活動等で宿泊やミーティングのための施設を求める実際のニーズがあるところで空き家の改修が行われているということ。「空き家を壊したくない。なんとか保全・改修・活用したい」ということが先行し、その後でニーズを開拓するというのではうまくいかない。難しい問題だが、栄村での課題をなんとか打開していきたい。
 村に帰った後、知人に同行を願って、都丸幸郎さんが亡くなった場所の貝立山裏に行った。都丸さんが亡くなった場所では合掌し、さらに奥のブナ林に向かった。都丸さんが行きたかった場所だ。ブナ林に着くと、まだまだ雪がたくさんあり、コシアブラがたくさん採れた。山から下りた後、霊前にお供えいただくよう、息子さんにコシアブラをお届けした。

 

 


 この場所については、5月半ばすぎに都会から来た人たちを案内したところ、たいへん喜ばれたという話をお聞きしていたが、さもありなんと思う。来年は積極活用ができるようにプランニングしたい。

 

13日(火) 「復興への歩み」No.309の印刷、「配達日誌」の編集など、室内作業が主。途中、法面などの草刈りの新兵器の試用の様子を見に行き、写真も撮ったが、「まだ公開しない」とのことなので、今日は写真なし。

 

14日(水) 森と青倉でただひたすら配達。計127軒。
 その間に、5月24日に手植えされた広瀬敏男さんの田んぼの様子を撮影(下写真)。気温が低い日が多く、生育は遅れ気味だが、しっかり育っている。「そういう気で見るから」という面もあるかもしれないが、手植えでしっかり植わっている感じがする。

 


 アスパラを東京に発送。その関係で程久保に行き、その際に程久保7軒の配達も。

 

15日(木) 朝8時前に出発して、日出山線経由で秋山の全戸配達へ。
 朝の鳥甲牧場の様子を撮影してから屋敷へ進んで、屋敷→小赤沢→上の原→和山→切明の順で廻った。全部で92軒。正午過ぎに切明・雄川閣に着いているので、きわめて順調な配達だったといえる。鳥甲牧場と天池で撮影した以外はひたすら配達という感じ。
 上の原で空き家の解体作業が行われていた。震災直後には被災家屋の解体で見慣れた作業であったが、最近は滅多に見ない光景。どこか懐かしい光景だった。

 


 昼食の後、役場の現場作業の人たちが秋山林道の除草作業(といって、主には道路に突き出ている枝を払う作業)をしていると聞いていたので、その様子を写真に撮りたいと思った。切明から林道に進んで、奥志賀高原方向と屋敷方向に分かれる三叉路で屋敷方向に「除草作業中」の看板が出ていたので、「もう奥志賀高原方向は終わって、屋敷方向に向かっているのかな」とも思ったが、他にも見たいことがいくつかあったので、奥志賀方向へ。
 コミズの雪渓はきれいだったが、ミズノサワは雪渓の上に大量の土や木枝が載っていて見た目がまったくよくない。自然の現象とはいいながらも残念。昨夏、土砂崩れがあった奥志賀から5km手前の地点の様子も見てきた。大きな変化はなかったが、この箇所、県は今後、どのように対策するつもりなのか。一度、確認しなければならない。
 除草作業の人たちとは結局、切明〜屋敷間で出会った。私はその後、五宝木の5軒の配達へ。五宝木〜極野間は法面工事が始まって通行止め。結局、鳥甲牧場経由へと戻った。鳥甲牧場では畑の耕耘作業が行われていて、これはなかなか絵になる光景だった。その後、津南町の中子にも2軒、立ち寄る必要があり、すべてが終わったのはもう夕食タイムに近かった。
朝、出発時に満タンにしたガソリンが夕刻にはほぼ半分に。運転にかなり疲れた。

 

大鎌での作業。

除草作業の基本は草刈り機で行われるが、大鎌で作業する人の姿も見られた。いまや大鎌を使える人は少ないと思う。

 

16日(金) 議会6月定例会の初日。議会の内容については「議員活動報告」に書くので、ここでは触れないが、本会議の他に全員協議会、常任委員会もあり、夕刻4時頃まで。
 夜は「クマ対策勉強会」というものに参加。講師は松本市から来て下さったそうだが、とても勉強になる内容だった。村外からも多くの参加があった。役場の担当課長・職員が自主的に参加していたことはよかったが、村民の参加をもう少し多ければ、もっとよかったなと思った。
 

17日(土) 午前中、8時前から豊栄、西部地区で91軒の配達。
 途中、白鳥集落で、毎年秋に柿の木にクマがやって来る場所について、クマが千曲川を渡って、その柿の木までやって来るコースを写真撮影しながら、調べてみた。すでに草は伸びつつあるが、まだコースはよく分かる状況。このゾーンを刈り払い、電気柵を張ったら、クマを防除できるか。そういう実験を今年やれるといいなと考えている。

 

クマだな(棚)がはっきり残っている

毎年のようにクマが現れる柿の木。新しい葉が出ているが、昨秋にクマが作った「たな」がはっきり残っている

 

 昼は天地でお世話になったが、新聞で天気予報を見ると、好天は今日までで、明日は曇り。野々海観察は今日しかないと考え、平滝午後1時半頃スタートで野々海へ。再び平滝を下ったのは4時半すぎ。往復には4〜50分を要するので、野々海で2時間強、いろんなところを歩き廻ったことになる。とくに野々海峠はまだ車では行けないので、信越トレイル野々海峠口と野々海峠の石像がある地点の間、かなりの急坂だが、徒歩で往復した。里はかなりの高温だが、野々海は過ごしやすい気温。ただ、この峠の上り下りは少々汗をかいた。
 野々海キャンプ場横の東窓湿地、今年は昨年よりもミズバショウの出がいいように思うが、残念ながら地面を這うように生える雑木が多くあり、ミズバショウの多くはその陰に隠れる形になる。こういう雑木をある程度伐採する方がよいのか。専門家の知見を尋ねてみたいと思う。

 

18日(日) 明日の議会一般質問の内容を推敲する一方で、今日もひたすら配達。泉平と東部を中心に108軒。
 極野に配達に行った際、村道鳥甲線(極野〜五宝木)の法面工事の様子を見に行った。13日から日曜日を除いて全面通行止めにされているが、今日行ってみたところでは、まだ工事の準備作業段階のようで、法面での工事は始まっていなかった。
 配達先の何ヶ所かで「花とモンシロチョウ」を見た。花も特別のものではないが、この組み合わせ、とても素敵だ。

 

 

19日(月) 午前10時からの本会議に先立って9時から議会運営委員会が開かれることになった。そのために9時に予定していたアスパラの発送の時間を繰り上げ、東部地区での25軒の「歩み」配達とアスパラ受け取り・発送を8時半すぐまでに終わらせた。
 議会は一般質問の日だが、午後3時半すぎまで。帰宅後は議会関係資料の整理などもあり、配達や撮影はなし。

 

20日(火) 議会の日程変更で、今日の議会は午後1時半開始。
 午前中は、議会関係文書類の整理・検討や、この間の写真データの整理など。
 議会は4時すぎ終了だったが、いろいろ考えるべきことが多く、就寝までとくに何かの作業をやるというのでもなく、思案をめぐらせる時間が多かった。


配達日誌6月1日〜10日

1日(木) 昨夜が早かったので4時頃に起床。原稿書きや配達物の折り作業などをやった後、秋山に向かったのは7時前だったと思う。雨模様で、日出山線などは靄(もや)がきつかった。
 10時半から苗場・鳥甲・佐武流三山の山開きで議員として参加なので、その前にできるだけの配達をと思って、上の原、和山へ。小赤沢での配達の途中で山開きへ。山開きの前に雨は止んだ。
 山開き神事とその後の祝宴が正午過ぎまで。

 

秋山の保存民家。「大棟」の改修が完成していた。


 その後、小赤沢の残りと屋敷での配達。当初計画では配達の後にミズノサワの様子を見に行くつもりだったが、雲が厚くて、あまりいい写真が撮れそうにもないこと、朝早くからの行動で少々疲れたことなどから、帰路につくことにした。鳥甲牧場の様子を見に 遠回りをして日出山線、そして中子での2軒配達の後に帰宅。
 夕刻に少し眠って、一昨日からの頭の重さがやっとぬけた。

 

2日(金) 今日も早めの起床で、No.308の仕上げ。さらに、飯山の土石流現場をちょっと見に行った。午前10時から取材受け。
 午後、都丸さんの出棺のお見送り。
 No.308も配達日誌も印刷できたが、今日は早めに仕事は終わり。写真撮影もなし。
 夕刻近くから気温が低下。この時期にこの寒さは困る。

 

3日(土) 久々にとことん配達に廻った。朝方に箕作、泉平、月岡で114軒。10時から森の開田で子どもたちの田植えがあるので、いったんそちらへ。田植え後のバーベキューも含めて、午後1時頃まで。
 その後、平滝、白鳥などで50軒。計164軒。
 「もっと廻れるか」と思い、昼間にNo.307、308、「議員活動報告」をそれぞれ印刷にかけておいた。結局、大半は夜に折り作業をやることになったが、朝の起き抜けの時も含めて、600部くらいの折り作業をやったことになる。(この作業が4日以降の苦しみを生むことになった。)
 白鳥を廻っていた時、新しい工事の看板が立っていたので、一昨年、昨年と白鳥川及び東川の砂防ダムが建設された現場へ。「砂防堰堤下流の渓流保全工事」というもの。これについては改めて記したいが、昨年までに完成した砂防ダムについて一言書いておきたい。
 砂防ダムというのは巨大なものである。この白鳥川の場合、川の規模と砂防ダムの巨大さが常識的な感覚では信じられないほどにアンバランスなのだ。

 

 

 上の写真は「渓流保全工事」の対象になっているまさに「渓流」と呼ぶべき小さな流れ。砂防ダムのすぐ下である。それに対して、下写真は砂防ダムの全景。スリット式なので水はそのまま流れている。白鳥川の水量は左写真の程度だということ。そこにこれだけの巨大なダム。

 


 これには「?」と思う方がまともな感覚だと思う。砂防ダムというものについて改めて考えてみたいと思う。

 

4日(日) 起床すると、雨で気温も低い。今日は野々海普請。「8時半にそれぞれの持ち場に現地集合」ということで、私は水番小屋・堤の現場を撮影することにしていた。
 燃料補給もして出かける直前に家に戻り、ズボン下を着用し、靴下も冬物を履き足した。上半身は薄手のセーターと早春期に着るジャンパーの上に雨合羽。
 野々海の現場はまるで冬。上記の装備でちょうどよかった。
 2号分水〜1号分水間の普請を終えて水番小屋にやって来た人たちも含めて一休みした際に、横倉の上倉誠一さんから昨秋のクマに襲われた事故の生々しい証言をお聞きした。ここには書き記せないほどのリアルな話。事故現場に居合わせた人たちの中でじつは、襲われ重傷を負った誠一さんがいちばん冷静だったように思われた。
 私はみなさんよりも早くに山を下りたが、3時頃、月岡英男さんから「手違いで横倉の開田にまだ水が届いていない」と聞き、横倉の開田へ。私が到着した時、ちょうど水が到達した。横倉の開田は野々海の水がやって来次第、代掻きができるように、すべてきれいに田起こしされていた。里の午後はきれいに晴れ渡り、開田からの眺めも素晴らしい(「復興への歩み」No.309の9頁に写真掲載)。
 そんなこんなで、今日は配達なし。

 

5日(月) 朝、まず、昨日の野々海普請で水が届くようになった横倉の開田の田んぼの様子を見に行った。

 

田んぼに水が入った横倉の開田


 その後、白鳥と平滝で計63部の配達。その途中で桑名川まで足を延ばし、出川橋付近の土石流対策の進展状況を見てきた。その結果は夜レポート化。
 午後も引き続き配達の予定だったが、昼前から右腕がだるくてたまらず、接骨院へ。持病の血行障害の症状。40歳代に随分と苦しんだが、最近は滅多に症状が出なかった。右腕で単純動作を長時間繰り返すと症状が出る。昨日の大量の折り作業が影響したようだ。

 

6日(火) 午前は野々海へ。昨日、今日と天気がよく、スキー場の上の山を見ても空が真っ青なので、「4日とはかなり様子が違うかな。ミズバショウの様子も見ておきたい」ということで、10時少し前に平滝から上がった。
 野々海の三叉路から野々海池の様子が少し見えるが、もうこの段階で「池の雪がかなり消え、4日とは別世界」ということがわかった。野々海池(水番小屋、堤)、深坂峠、深坂峠手前のミズバショウ群生地、キャンプ場・東窓湿地、野々海峠に向かう林道脇のミズバショウ群生地の順で廻った。

 

6日午前の野々海池の様子(「復興への歩み」No.309の1頁の写真との対比を)


 平滝〜野々海間の道路脇には山菜採りに入っていると思われる村外車が相変わらず多数。
 野々海とスキー場を結ぶ道は開いたようだったが、軽トラが修理中で代車の軽乗用車だったので、無理をせず、平滝に下りた。
帰宅後、とりあえず写真データをパソコンへ。
 午後は2時45分に貝立橋で待ち合わせで、知人と共に、スキー場Dコース近くの、どうもクマの穴があるらしいという地点の調査へ。十分な警戒心をもって臨んだが、そろそろ調査を切り上げようという頃にクマの唸り声を聞き、撤収。
 帰宅後、このクマの件のレポートを作成し、山菜採りに来る人への警告看板設置の要請に行った。(役場は7日、看板設置を行なった。)
 夜は、野々海の様子のブログ記事を作成。
 そんな次第で、今日は配達はなし。

 

7日(水) 午前中は志久見、柳在家、切欠、小滝で計68軒。修理に出していた軽トラを引き取りに白鳥へ。
 昼食後、若干の配達の後、
 津南町結東の「萌木の里」で開催される秋山郷国道整備促進期成同盟会の総会出席のため、秋山へ。この期成同盟会総会については「復興への歩み」に記したいと思う。総会の後には懇親会もあって、温泉にぎりぎり間に合うような時間に帰宅。
 疲れがあり、早めに寝るつもりだったが、折り作業や電話対応などで就寝は遅くなった。

 

8日(木) やや疲れ気味で遅い起床。10時からの用件の前に配達する計画だったが中止し、スキー場内のクマ警戒の緊急警告立て看板の設置状況の撮影、さらに室内での書類整理作業など。
 午前10時から、栄村金婚式並びに栄村老人クラブ連合定期総会に来賓として出席(議会産業社会常任委員会委員長としての職務)。毎年この時期に開催されている金婚式だが、参加は初めて。なかなかいいものだなあと思った。
 老人クラブ連合の総会も初めて。この1年間で3つの地区での単位老人クラブの休止ないし解散が生じたとの報告。県全体の傾向でもあるそうだ。老人クラブというものの存在意義、これからのあり方について、一度、じっくり考えてみたいと思う。
 終了が0時半頃だったので、午後の配達は2時半頃からだっただろうか。原向を廻っていた2時50分頃に大粒の雨が落ちてきて、その後、激しい降りになった。かなり濡れながらの配達。久々のこと。原向、野口、天地、大久保で41軒。途中お茶のみしたこともあって、配達はこれだけで夕刻に。

 

9日(金) 朝方、長瀬、坪野の41軒で配達。坪野を廻っている時、横倉の上倉直人さんから「ササユリが開花していますよ」という電話をいただき、横倉に向かった。途中、天代坂で空(雲)があまりにきれいだったので、何ヶ所かで写真を撮りながら、9時半頃に横倉に着いて撮影(下写真)。

 


 10時からは議会の議会運営委員会。1時間強だっただろうか。
 人と会いながら軽い昼食を食べた後、国道405の改良整備の最新の写真を確保するために秋山へ。併せて、ミズノサワなどの最新の様子も撮影。
 「下(しも)」におりてから、北野、中野、極野で47軒の配達。
 夜は今日撮影の写真データの整理に結構の時間を要した。

 

10日(土) 朝、平滝で22軒配達の後、桑名川へ。避難指示が出ている4世帯の近くの土嚢設置状況や飯山線橋梁の様子を撮影。
その現場に向かう時、桑名川の人たちが県道沿いに花植え作業をされているのが目に入っていたので、帰路、その様子を撮影し、区長の鷲尾さんとお話もした。

 

くわながわフラワーロードの会のみなさんの植栽作業

奥に見える赤い橋は市川橋。重機が見えるが、千曲川の護岸工事を実施中。


 花植えは「くわながわフラワーロードの会」のみなさんによる作業。有志参加で50名くらいの人たちが参加されているそうだ。長野県アダプトシステム(「信州ふるさとの道ふれあい事業」)というものと協定を結んでいるもの。「アダプト」とは「養子縁組する」という意味の英語で、住民が道路などの公共スペースを養子のように愛情をもって面倒をみることに対してアメリカで命名されたもの。長野県では「信州ふるさとの道ふれあい事業」という名称で2003年から実施、桑名川地区は2010年秋から取り組みを始められたそうだ。すでに7年間に及ぶ長期の取り組みと、土石流災害による避難指示という事態の中でもこういう作業に楽し気に取り組まれている姿に感銘を受けた。
 野田沢、雪坪での配達の後、昼前からは森集落の「タケノコ汁の会」。
 午後は「復興への歩み」No.309の編集作業。
 

 

東部水路の堤(原向)。6月9日午前撮影。

 

 

<お断り>
「配達日誌」は次回からメール配信とブログ掲載のみとし、配達はなしとさせていただきます。
印刷したものをご希望の方は松尾までご連絡ください。