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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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11月5日の野々海紀行

 朝から雲ひとつない快晴。軒先に干されている洗濯物を見ると、少し揺れている。風がある。その点がちょっと心配だったが、「落葉後の野々海池」の1枚を撮りたくて、平滝から野々海に上った。
 相当の枚数を撮ったが、今日は徹底紹介したい。
 
 
 
 落葉したブナなどの樹々が湖面に映る。
 9:49撮影。
 今秋、落葉した樹々が湖面に映る姿を撮った中ではいちばんきれいに思う。ただ、時間がやや遅かったか。湖面はほとんど波立たず、ベストに近い状態だったが。
 撮影後、昨秋のものを見ると、樹々の前の列だけをクローズアップしていた。そうした方がよりきれいに撮れたのかなとも思う。
 
 
 野々海池で撮影したものをもう2枚、先に紹介したい。
 
 
 池の入り口にて。
 10:08撮影。
 手前のナナカマドの赤い実がもう少し浮き出るとよかったのだが。
 
 やはり樹々が湖面に映る姿だが、池の全体像に近いものを示したいという思いで採用した。
 9:50撮影。
 
 
 
 昨日、奥志賀公園栄線から見た火打山などの印象が強烈だったためか、今日は野々海に上る過程で遠くに見える山並みがしばしば目に入ってきた。


 これはまだ上り始めて間もない時間のもの。9:18撮影。
 山々の名前は後に調べたい。
 
 
 斑尾山など、栄村から比較的近い山々の間に冠雪した北アルプスの山並みにが見えるようになってきた。9:24撮影。
 
 
 
 平滝集落で最も高いところにある田んぼの背後の山の紅葉が終わる間際の姿。
 9:27撮影
 
 葉が落ちた後の林はその形がよく見える。葉が繁っている時には見えないものだ。
 樹々の間隔が狭すぎずもせず、広すぎもしない。なんとも言えない美しさだと思う。
 9:35撮影。
 
 
 ついに火打山が見えた。今日はこれが見たかった。
 9:37撮影。



 この時期になると、カラマツの紅葉がようやく目立つようになる。
 右奥に見える山の上の方がカラマツだ。
 そのクローズアップが下の写真。
 9:38撮影。






 火打山がより大きく見えてきた。
 こういう山の姿は野々海への道がカーブになっているところで見える。
 9:41撮影。


 この後、9時48分に野々海池の1枚目を撮っている。
 野々海への道を上りきったとき、三叉路の様子もちらっと見たが、野々海池の撮影の時間が遅くなることを気にしていたので、三叉路の沼地の撮影は後に廻した。
 
 
 
 
 風景写真ではないのだが、野々海池の築堤・水路建設に命を賭してあたられた高橋統祥氏と、千曲川の石などを運ぶ役割を果たし、その途中で死亡した牛の太郎の碑(右隅に小さく見えるもの)を紹介しておきたい。

 高橋統祥氏の業績については、碑の裏側に彫られたものを紹介する。



 なお、戒名の下に「青倉店」と記されているが、これは氏が青倉集落の在で、屋号が「店」であるからである。



落葉したブナの樹はまだ多くの実をつけている。もちろん、地面に落ちた葉の間にも多くの実が見られる。





野々海池が狭くなるところ。写真奥で右に延び、東窓の近くまで達する。
10:11撮影。




今秋、何度も紹介してきた三叉路の沼地。
水際の草は黄色かった色がどんどん薄れ、水面にも映らない。枯死していくのだろうと思うが、その屍がつくる土壌がミズバショウが育つのを援けるのではないだろうか。一度、きちんと勉強してみたい。
10:13撮影。





上写真の右手に見える灌木の枝、春にはモリアオガエルの卵が産みつけられる。




東窓の今日の様子。
10:19撮影。
木道への入り方を知らない人が多いので、この際、紹介しておきたい。



上はキャンプ場の入り口。
写真左手に見える水場の裏手に下写真のように7〜8段の階段があり、それを上がりきったところを左に折れると、木道に通じる道となる。少し進んでところで、道は右に折れ、木道に入るところで行き止まりになっている。




東窓で二人の若者に出会った。



今朝、ここから出発し、信越トレイルを歩き、天水山を越え、その後戻ってこられたところだった。魚沼から来られたそうだ。


この後、私は野々海峠に向かった。温井野々海併用林道を進み始めて間もなく撮ったのは次の1枚。



 夏の間、この場所の様子を何回か観察し、撮影もしたが、ただ草が覆い繁るばかりだった。
 だが、今日、そこには三叉路の沼地にも見られる草が枯れかかりながら繁茂しているのが見えた。
 ここは今春、ミズバショウの群生を確認したところなのだ。
 
「野々海峠って、どこだ?」。村の人でもご存じでない人が多い。村の人は、深坂峠はよくご存じなのだが。
 野々海峠は奈良時代にも知られた峠。いにしえの時代、信濃と越後を結ぶ主要な峠であった。
 また、史実ではなく神話の世界の話だが、ヤマトタケルノミコトが蝦夷征伐に出かける途上、道に迷い、1羽の白鳥に導かれて、白鳥集落の下ったという「事件」の舞台も野々海峠である。
 
 



 おおきなブナの木と、その根元にある2つの石仏が目印である。
  
 今日は雲ひとつない快晴だったので、期待していたが、10月5日のとき以上に素晴らしい景色が目に飛び込んできた。10:43撮影。
 
  
 野々海峠の真下の山間地も含めた姿は左のとおり。
 
  
 カメラを右に振ると、こんな風景。
 
  
 稲刈りが終わった棚田の景観には、10月初めのものとは異なるよさがある。
 
 
 
 
 旧浦田村菖蒲地区であろう。
 一度訪れたことがあるが、写真に見える池については記憶がないが。
 
 もう1枚、上越市内を望遠してみた。街の姿がこんなに鮮明に見えたのは初めての経験。
 
 
  
 この後、温井野々海併用林道をキャンプ場まで戻り、今度は深坂峠にむかう。
 温井野々海併用林道を戻るときに、私がいちばん好きな地点が下写真のところ。
 野々海池がかなりよく見える。木が繁る時期でもわずかながら池が見える地点である。
 
 
 
 10:59撮影。
 

 深坂峠の手前で、車を降り、笹などの繁みをかき分けて、こんな写真を撮った。


 笹の向こう側に枯れて黄色が薄くなった草が見える。ミズバショウの群生地だ。雪がないと近づき難い。
 11:13撮影。
 来年の雪消え時が待ち遠しい。
 
 
 深坂峠からの景色1枚目。
 11:20撮影。
 
 
 
 深坂峠からは柏崎市が見えると教えられている。



 望遠して見えたものはどうやら発電所群と思しきもの。柏崎原発であろうか。
 
 「深坂峠から先は通行止めなんですね」と残念そうに話される人が多い。今日、深坂峠から先の落石現場の復旧工事を担当する人と出会った。
 写真中央の木が生えていなくて黒っぽく見える所が工事現場の模様。



 「もうすぐ終わりです。でも、あれよりも下に落石箇所がいっぱいあります」とのこと。
 果たして、来秋は大厳寺高原から野々海にむかう道の素晴らしい紅葉を目にすることができるか。かなり危ういように思われる。
 
 
 
 平滝に下るときに撮影したものを3枚。
 
 
 カラマツ林。こういうものを撮ったのは初めて。
 11:36撮影。
 
 
 きれいなブナ林だが、かなり勾配のきつい水路が見える。1日の野々海普請、駒場保育所父母OBの人たちが参加して下さった場所の1つ。
 11:38撮影。
 
 
 千曲川百合居橋付近、箕作集落、月岡集落大巻地区を望む。
 村道野々海線からは撮れない。ちょっと道からそれたところから撮影した。11:56撮影。
 
 
 
 今日はじつは夕刻、もう陽が落ちるという頃に、もう一度、野々海に上った。
  泉平で配達を終えたとき、もう午後4時45分頃だったが、今日は天気もよく、そのぶん陽も長かったので、なんとか間に合うのではという思いがあった。また、10月31日夕に駒場保育所父母OBの人たちを案内したときのように霧が発生する怖れはないとも思った。
  野々海へ上り始めて間もない4時59分、素晴らしい光景に出会った。




じつは手前に見えているモミジはかなり赤いものだった。それを写真に表現することは、いまの私にはできないのが残念だが。



夕陽1枚目よりも少し上の地点にて。
午後5時1分撮影。



午後5時9分。
ケンノキ(標高約900m)にて。


 このケンノキにて、驚くべきことがあった。
 ケンノキ手前のカーブを曲がったところ、目の前に3台の車が停まっていたのだ。最初に目に入ったのは八王子ナンバー。いわゆるRV車で車体は大きい。写真撮影が目的だとすぐに理解できた。初老の人たちだった。
 「ちょっと遅かったですね。ほんの少し前、とてもきれいだった。」
  私は夕陽に目をやりながら走っていたので、それはわかっていた。
 今日午後に村に来られたという。
   「今夜はどちらにお泊りですか?」
   「『さかえ』にでも泊ろうかと思っています。」
   「え?」
   「道の駅ですよ。」
 
 登山者の車中泊には今秋、随分と出会った。そして、登山というものの性格から、「それもありだね」と思っている。でも、写真愛好者の車中泊というのは今秋初めて。
 そういえば、昨冬、横倉で出会った雪の撮影者が車中泊だったし、津南町の「喰い処」で夕食を食べる女性2人組の雪撮影者も車中泊だった。
 車中泊であれ、栄村の景色が素敵だと思い、訪れる人が増えてくれるのは嬉しいことだ。でも、地元の観光経済にはほとんど寄与しない。なにか工夫はできないものだろうか。
 撮影した写真の交流(会)ということが考えられうる。しかも、写真専門家が審査するようなコンテストではなく、“下手なもの”も含めて自由に交流できるような場である。さしあたりSMSの活用だろうか。
 それはさておき、ケンノキという、その地名すら地元平滝の人ぐらいしか知らない地点が写真愛好家の中で「知る人ぞ知る」ポイントになっていることは村の人たちに知らせておきたい。

 さて、夕暮れが迫る中での野々海池である。到着したのはもう午後5時20分を廻っていた。31日に訪れたのは4時半すぎ。1時間近く遅い。
 
 

 
 かなり実際に近い色合い、明るさ(暗さ)が写っているように思う。この日は日中の気温が20℃を超えるくらいに暖かく、その余韻で夕暮れ時の野々海池でも寒さはあまり感じなかった。

 野々海池に入る直前、道の前方の樹々の間が朱色に染まっているのが見えていた。
 野々海池での撮影が終わった後、「もうダメだろう」と思いながら、池入り口よりも少し先に進んだ。
 
 
 なんとか、その片鱗が撮れたかと思う。私が白鳥の水路が流れる方へ進む時に最初に入る林の入り口のすぐ脇でのものである。


 最後に平滝まで下りてきた時に箕作集落のあたりにカメラをむけた。もう少しシャッタースピードを上げるべきだったか。
 
 
 
 栄村の集落の夜の灯の数は、お隣の桑名川あたりと比べても、やはり少ないなと思った。
 
 

 昨日(4日)にスーパー林道からの眺めで火打山を初めて知り、今日もそれにこだわった。
 俄か勉強だが、4日夜に読んだ深田久弥の『日本百名山』で読んだことを少し紹介しておきたい。
 白馬山麓から眺めたときの記述である(新潮文庫版186〜187頁)。
 
    北にあたって三つ並んだ山が見えた。頸城(くびき)三山と
    呼ばれるもので、まん中が火打(ひうち)山、右が妙高山(み
    ょうこうさん)、左が焼山(やけやま)である。妙高と焼はま
    とまった形をしているのに、間の火打は長い稜線を引いた不
    整三角形である。人はとかく整った形には注目するが、そう
    でないものには迂闊である。妙高や火打は人目を引き易(やす)
    いのに、火打は案外見逃されている。
     しかしよく見ると火打は立派な山である。…(中略)…三つ
    の中では火打が最も高い。…(中略)…標高二四六二米(メート
    ル)。…(中略)…
     三月下旬ではまだすべての山が雪を置いていたが、とりわけ
    火打が白かった。どんなに雪が降り積もっても山のすべてを覆
    (おお)うわけにはいかない。どこか雪をつけない崖(がけ)や岩壁
    がある。ところが火打だけは完璧に白かった。こんなに一点の黒
    もなく真白になる山は、私の知る限り加賀の白山と火打以外には
    ない。

 絶賛である。
 私はこの歳になって、いまさら登山修行を始めようとは思わないが、山への注目は栄村への視点に新たな豊かさを加えてくれそうである。











  

生命の新しい循環のはじまり〜ブナ林と野々海池を訪ねて〜

 山の林の中に入りました。
 灌(かん)木(ぼく)(背の低い木)ですが、あちこちに新しい芽が目に入ってきます。


 
 なにか若々しさというか、生命力の躍動のようなものを感じます。
 私たちはいま、紅葉の終わりを目にし、厳しい冬の到来を目前に控えて、「一年の終わり」が近づきつつあることを日々、感じています。
 でも、違うんですね。
 生命世界では長い、長い生命の循環の中で、新しい循環(年)をもう始めているのです。
 
 春の芽吹きは生命の躍動感に溢れ、私たちの気持ちをわくわくさせてくれますが、その芽はいまもう出ていて、長い冬を若芽の状態で過ごしながら、春に一斉に芽吹くわけですね。
 寒さと雪が厳しい冬にこそ生命が循環し、新しい命も誕生してくるのだと思います。

 
 林の中でたくさん目にした上の写真の木の芽。「何の芽だろう?」と思いながら林の中を歩き廻っていて、落葉寸前の紅葉した葉がついているものに出会いました。



 葉の形状から、ヤブデマリないしそれと同属のスイカズラ科ガマズミ属の低木だと思われます。ヤブデマリとその同属は雪消えから初夏にかけて鮮やかな新緑の葉とともに綺麗な白色の花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれます。
 

 
 
 
 さて、この新芽、貝立山の裏から野々海池にむかう途中、道路からブナ林に上がって見てきました。
 つぎは、そのブナの樹々の様子です。
 

 道路の上からブナ林を見上げた時の1枚です。
 ほとんどの木がもうすっかり葉を落としていますが、全体として樹々の先端部分が赤っぽく見えます。
 新しい芽が出ているからですね。
 この地点では樹々が高いので、ブナの芽を撮ることはできませんでしたが。
 
  
 この時期にしか見られない葉を落としたブナ林の様子。天にむかって樹先を突き出す姿、そこにはより大きく成長していく生命力が感じられます。
 
  
 この後、野々海池にむかいましたが、三叉路の沼地はこんな様子でした。
 


 水面に樹々が映る姿がとても綺麗ですね。
 
 
 続いて、野々海池です。
 


 先週は見られた水際の草木の紅葉もいまはなく、すっかり晩秋の佇(たたず)まいです。


 落葉した樹々が湖面に映る姿を狙いましたが、光線の関係か、昨年11月初めに撮ったほどのものは撮れませんでした。でも、なかなか感じいいと思います。
 



 水が少ないので、例年であれば撮影不可能な、こんなアングルのものも撮れました。



 写真右側の「島」のようなところは、道路でキャンプ場方向にむかう時に通る道が走っているところですね。



 写真左手の土手は平素、水の下に隠れているところ。余水吐、堤はこの土手の陰になっています。
 
 ここではブナの木の新芽も見ることができました。
 

  
 樹高が比較的低い木ですから、これからぶ厚い雪の下になりながら、来春にむけて、この芽たちは生命力を保ち続けていくのでしょう。
 
 
 私たちも、生命を循環させ、来春を迎えるべく、越冬に備えて秋のしまつを急がなければなりませんね。

 

野々海池の水番、そして野々海水路上流の散策

 昨8月4日の午前は、野々海池周辺でたいへん楽しい体験をした。野々海池の水番を務めておられる月岡英男さんのおかげである。
 以下、その写真レポートである。
 

 
 野々海池の水がずいぶん減っている(上写真は4日撮影)。31日に野々海池に行った時に気づいた。
 
 温泉で出会った英男さんに尋ねた。(以下、「 」付きの会話は英男さんと私のやりとり。どちらの言葉なのかは文脈で判断できると思われるので、いちいちどちらの言葉かは断り書きを付けない)

 「野々海の水、ずいぶん減っていますね。相当、水を出しているんですか?」
 「おお、出してる。あと1ヶ月だ。もつよ。」
 「毎日行っているんですか?」
 「そう。」
 「何時頃?」
 「朝8時頃だ」
 
 そういうわけで、今朝、野々海池に向かった。
 私の時間の読み違えで英男さんが水の栓を開けられる場面には遭遇できなかったが、そのことを補って余りある楽しくて、意義ある体験を英男さんの案内でさせていただいた。




 上の写真に見える金網で覆われた施設、これが野々海池の斜樋(しゃひ)。池の水を水路に落とすための設備だ。
 その内部を見たものが下の写真。
 階段状になっていて、いくつもの水栓がある。
 「いくつ、あるんですか?」
 「わからねえ。22番目までは知っているけど…」



 今朝は8番目と10番目を開けられたそうだ。
 「鉄の鎖があるだろう。あれを両手で引っ張って揺すり、それから最後はグッと引き抜くんだ。」
 「その瞬間、水栓の中に引っ張り込まれる危険はないんですか?」
 「あるさ。」
 
 いやあ、おっかない。
 
 「引っ張る時、足は水の中?」
 「いや、鎖を引っ張るんだから、足は水の中には入らない。」
 
 
 私が野々海池に着いた時、英男さんは水番小屋におられた。
 「惜しかったな。たった今、開けてきたところだ。芝居をしようか?」
 「いえいえ、それはしないほうが…」
 「そうか。30分ほどしたら、第2分水点に水量を見に行く。それで水が多すぎたら、水栓を閉めるから、その時に写真撮ればいいよ。」
 
 そして、30分ほどが過ぎ、私が堤の上にいたら、軽トラのエンジンをかける音が…。慌てて軽トラを停めてあるところへ走り、英男さんの軽トラの後ろにつく。
 


 
 第2分水点をチェックする英男さん。下写真の真ん中に鉄板が見えるが、その右の水は横倉・平滝へ、そして左の水は後で見る円筒分水器に向かう。






 「この指で指しているところまで水があると、雨がたくさん降った時に水路が溢れてしまう。いまの水量はちょうどいい。」

 続いて、円筒分水器へ。



 第2分水点から隧道(トンネル)を経て、村道野々海線の反対側に右写真の円筒分水器がある。隧道を通ってきた水が中央から湧き出て、周りの円形の水路に流れ出す。その周りの円形水路に2ヶ所あるコンクリート壁で水が森集落に行くものと青倉集落に行くものに分水される仕掛けである(写真の上の方に向かう水路が森へのもの)。
 「青倉へ行くほうが量が多いでしょ。田んぼの面積で割合を決めたんだよ。その後、青倉はスキー場が出来て田んぼが減ったけれど、そのままなんだ。」
 
 いま、森の水路では大変なことが起こっている。詳しくは別の場で報告したいが、中条川上流1号崩壊地の中を通過する森水路のパイプが損傷し、森の開田に水が充分に来ないのだ。7月26日の普請の後に水をかけてみて、この事態が判明した。今日4日と明日、緊急の復旧工事が行われている。
 「森に行く水を増やしてくれというんで、ここ数日は最大限流してきたんだ。」

 それはさておき、2号分水点のチェックの結果がOKだったから、英男さんの今日の役目は終了ということだ。だが、……
 
 「1号隧道の入り口と出口、見たことあるかい?」
 「いえ、行ったこと、ないです。」
 「じゃあ、行ってみるか。」
 
 という次第で、この後、1号隧道の入り口・出口の見学、そして水路周辺のたいへん楽しい散策が始まった。
 散策の模様は次頁以降に。その前にちょっと1枚。水番小屋の裏で撮影。湖面を流れてくる風が心地よい。
 




 
 野々海池の堤から下る。
 
 「この先、おっかないところもあるから気をつけてな。」
 
 「余水吐けに下りて、また上がってもらうよ。」
 言われた意味がわからないままに後に続いた。
 
 
 
 上写真に見えるもの、道ではない。野々海池の余水吐けから出た水が流れる水路なのだ。雪融けで余水吐けからたくさんの水が勢いよく流れ出ている時期だったら入れる場所ではない。反対側(下流側)を見ると、水が見える。



 「あそこが野々海川の始まりだよ。」
 
 へえー、そういうことだったのか。
 
 
 

 「これが1号隧道の入り口だ。」
 写真データで時間を見ると、野々海川の始まりのところの撮影から2分後の地点である。
 そういえば、英男さんの顔が初めて写っている写真だ。
 
 入り口に立ててある柵を少しずらして中を見せて下さった。



 ここから隧道の出口まで国有林の林道や水路管理用の昔からの山の中の道を歩く。
 歩き始めて数分、まったく思いもしなかったものに出てびっくり。
 シモツケソウがまだ綺麗に咲いているのだ。



 「えっ! まだこんなに綺麗に咲いているの??」
 「ここは雪がいちばん最後まで残ってたところだ。」
 
そして、道の反対側を指さして、



 「あれが野々海川だ。」
 

 私がネジバナを1本見つけ、嬉々として写真を撮っていると、
「こっちにいっぱい咲いてるぞ。」







 間もなく、広い林道に別れを告げて、細い山道に入った。




 この山道に入ってすぐに、道の左手を指して、



 「あれが又(また)右(え)ヱ門(もん)堤よ。江戸時代に白鳥の人がつくったんだ。」
 「ええ、これは知っています。村に来始めた頃に一度来たことがあります。」
 写真ではちょっと分かりづらいだろうが…。

 又右ヱ門堤の横を越えた直後にお地蔵さんのようなものがあった。



 「右 うらた道」という文字が見える。
 「うらた」とは新潟県の集落の名前で「浦田」と書く。野々海峠を越えたところだ。
 「左」の方はうまく読み取れない。
 
 昨年、旧東山道歩きに来られた人たちにご一緒した折りに調べたら、「平安期の蝦夷征討軍は白鳥から野々海峠越えで越後に出た」とあった。この道は歴史が古い道だと思われる。
 

 
 この道を歩きながら、道脇に見える水路を指さしながら、
 「又右ヱ門堤からの水を引いた水路だと思うよ。」
 
 
 お地蔵と思われるものがある地点から4〜5分、下り坂を進むと、1号隧道の出口。



 こちらは入り口とは異なり、内部がはっきりと見えた。


 
 英男さんは昨秋、1号隧道の調査で内部に入っておられる。
 「掘られた当時はすべて手作業。両側から掘っていって出会ったところでは高さの違いがあったんだと思うよ。真ん中あたりまで進むと、深くなっているんだ。」
 「やはり、屈みながら進んだのですか?」
 「おお、そうだ。大変だった。」
 
 今秋、改修工事が予定されているが、機会があれば是非、内部に入ってみたいなと思う。
 
 

 上の写真、少しわかりにくいかと思うが、隧道出口のところで水が二手に分かれている。
 「この左の方が白鳥へ行くんだ。」
 
 
 水路の上に蓋がされているというところを英男さんが進むのについて行く。


 
 「ほら、水路が見えてきた。」
 

 
 昨年秋、野々海の普請の日に私が白鳥の人たちと出会ったブナ林のすぐ上のところだと思われる。
 
 私たちは、水路の手前で右に曲がり、今度はブナ林の中の道を上(のぼ)りはじめた。野々海池への帰り道だが、これがじつに素晴らしい。
 
 
 
 
 
 歩きながら足元を見ると、イワウチワの葉っぱがたくさん見える。そして、道の両側に目をやると、かなり太いブナの木があちこちに見える。
 そこそこに上り坂なのだが、汗はほとんど出ない。とても涼しいのだ。
  
 ブナのかなりの巨木も見える。木肌の感触も楽しめる。



 
 
 「最高の散策道ですね。」
 「そうだろう。いいと思うんだよね。」
 「ガイドが一人いれば、いい周回コースですね。」
 この山道に入って8分、先ほどのお地蔵のところに出た。そして、先に舗装路の林道から山道に入ったところで林道を横切り、再び山道に入った。



 白鳥への水路の手前からの山道よりも少し傾斜が強いようだが、すぐに野々海池入り口に通じる広い道に出た。
 
 「タケノコ採りの人はみんな、いまの山道を通っていくんだ。」
 「最近は村の人はあまり来ないんでは?」
 「そう、みんな商売の人。長岡ナンバーとかの車がここに停まっている。」
 そんな話をしているうちに、野々海池の入り口に着いた。



 約40分の“散策”だった。山道に慣れていない人でも約1時間で廻れるだろう。途中で休憩を入れて、1時間半〜2時間のコースとして設定してもいいだろう。
 
 水番小屋に戻って、しばしお茶のみ。
 小屋には薪ストーブがある。
 「ストーブ使うのはいつ頃からですか。」
 「いまも使うよ。昼寝する時、ストーブを焚いておかないと寒くなる。」
 
 やはり山の上はちがう。この後、水番小屋で英男さんと別れ、私は青倉へ下る山道を進んだが、そこで紅葉に出会うことになるのだった。
 秋はもうすぐそこにきているようだ。                  (了)