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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌12月11日〜20日

11日(金) 昨日は「復興への歩み」No.272の編集に着手できなかったので、朝から一気に編集。昼までに出来上がった。
 途中、訪ねてきてくれた卒業生が津南の中子に行くというので、道案内で中子まで出かけた。その帰途に『村史堺編』で書かれている千曲川の森集落対岸の地層を撮影。(後で『村史』に照らしてチェックしたら、あまり撮影がうまくない。もう1回、撮り直す。今日撮ったものを1枚だけ掲載しておく)



 午後は、英文ガイドマップを掲載したので、栄中学校に「復興への歩み」を届け、その後、中野市の耳鼻咽喉科へ。雨は結構激しく、時速60kmを超えると滑る感じ。60km以下に抑えて安全運転。
 
12日(土) No.272の配達を本格的に開始。主に協賛者宅を廻るのだが、いつも豊栄地区(平滝、白鳥)が遅くなっているように思うので、今日は横倉、箕作、泉平、平滝、白鳥の順で廻ることにした。

 平滝の国道より上の部分を最後に廻したが、そこでまたまた非計画的な行動に。太古の昔の長野県北部の造山運動を振り返るために北アルプスの遠景を撮影したいと思い、村道野々海線へ。ところが北西方向には雲が出ていて、撮れない。その代わり、野々海への道に雪がなく、どんどん上へ。さすがに標高950mを超えるあたりから雪道になったが、三叉路まで辿り着けた。さらに野々海池の入り口に向かおうとしてところで、昨年11月17日の時よりもはるかに三叉路に近い地点で雪につかまり、久しぶりに軽トラの下の雪を掘った。タイヤがスリップするのではなく、軽トラのハラが完全につかえていた(下写真が軽トラを脱出させた跡)。掘るのは比較的簡単で、後は雪道を歩いて池へ。所々、水の流れの関係で雪がないところがあって、そこを歩くと非常に楽。「雪道って、こんなに大変なんだ」と感心(?)。



 帰宅後、ブログ記事を編集し、アップ。
 午後は久しぶりに散髪へ。3日ほど前から急に髪がうるさくなった。スッキリした。配達は92部。

13日(日) 起床は7時近くで随分と眠った。7時間を超えている。そのせいか、かえって体がだるい。ただし、午前中の配達で軽トラから降りると自然に走り出すこともしばしばあったので、体調がよくないということではないと思う。
 配達は森集落と東部谷が主で、計96軒。

 柳在家で森下英忠さん宅を訪れた時、ご主人が表に出て来られたところで、しばし立ち話。長い間、不思議に思っていたことをお尋ねし、疑問が氷解した。疑問というのは、森下さんのお家のそばに「観音堂・山口」と書かれたドーム型車庫の建物と、まさしく観音堂そのものの建物(下写真に見えるもの)の2つがあること。



 森下さんのご説明では、上写真に見えるものが本来の観音堂。しかし、平成17年集中豪雨で観音堂の下が崩れ、観音堂も倒壊する危険が生じたので、少し離れた所にドーム型車庫を建て、そこに観音堂に収蔵されていたものをすべて移転したとのこと。元の観音堂には、観音堂の由来等に関わると思われる様々なことが書かれた大きな扉があったが、それは災害で壊れて、いまはないということもお聞きした。
 なお、柳在家にはもう1つ、観音堂と思われるものがあるが、森下さん宅そばの観音堂は柳在家集落の山口地区のもの。山口というのはいわゆる小字(こあざ)名で、昔はこのあたりの家の住所は「堺村山口」と表記されたそうである。柳在家には他に、小字としての柳在家、さらに柿在家と、計3つの小字があったそうである。

 この柳在家での会話から2つのことを思った。1つは、栄村では災害の記録化が弱いということ。平成17年の集中豪雨は私が初めて村を訪ねた頃の出来事だが、村内至るところで被害が発生したと聞いている。この平成17年集中豪雨被害を記録化し、分析・研究すれば、今後発生する可能性がある土砂災害等について予測をたて、防災の具体策を考えることができるはずだが、そういう積極的な努力がなされている形跡はない。これは行政の問題であると同時に、住民自身の問題でもあると思う。

 2つは、小字というものの重要性である。今年発掘調査された「ひんご遺跡」の「ひんご」という名も小字名である。小字というものは、自然の地勢と折り合いをつけながら人間が暮らしを営んできた基本単位である。昭和の大合併等を通して小字というものが行政の中から消えたが、じつは小字名の中にいろんなことが秘められている。「地域おこし」とか「地域活性化」といったことを考える場合に、栄村という単位も大事だが、小字というものに着目すると、本当に地域資源を活かす考えが浮かんでくるのではないかと思う。
 「山口」という小字名、私は「山の口」という意味ではないかと直感的に思った。その「山」というのは意外と大きなものを指しているのではないか。柳在家という変わった地名の「在家」が何を意味するのかも含めて、なにか山の修行、修験道との関わりがあるのではないかなどと考えてしまう。このあたりは、最近、とみに関心を深めている栄村の大地の成り立ちということともつながってくる。興味は尽きない。

 午後は長野市へ買い物に。もう1週間ほど前から地学関係、5万分の1地図を入手したくてウズウズしていたが、今日、北野集落から見た景色から、「これは5万分の1の地図で色々と考えなければ」という思いがいっきに強まり、行った次第。


「この北野川沿いの山あるいは台地は毛無山まで一続きなのではないか。」
5万分の1の地図を見ると正解のようだ
 
 書籍はあまり大したものを入手できなかったが、地図は5万分の1地図の他に、登山向けのいい地図も入手できて、栄村の大地について考えやすくなった。           

14日(月) 配達は大久保、野田沢、程久保、青倉を中心に113軒。
 配達の途中で、大久保と毛無山(野沢温泉村)の関係、妹木や大久保あたりから見える天水山の様子(善光寺地震の時に大きく崩壊した地点の確認)、中条川No.2谷止工のほぼ完成の様子と、昔の中条川(東入沢川)の流れや善光寺地震の際の土石流の流路と現在の「トマトの国」の位置関係など、「栄村の大地」という問題意識と中条川災害の問題意識で写真を撮った。結構データは得られつつあると思うが、整理が追いつかない。



<上写真について>
妹木から天水山方向を捉えた(8:42撮影)。
右下に中条川上流1号崩壊斜面が見える。
1号崩壊斜面から山腹ずたいに左に進んで、やや丸型の地肌が見える箇所と、さらにその左にやや縦長の地肌が見える箇所がある。これらが善光寺地震の際の斜面大崩壊の痕跡だと思われる。なお、この角度からの撮影では中条川上流2号崩壊地は見えない。
写真手前にはスキー場ゲレンデが写っている。

15日(火) 秋山で人と会う用件があり、秋山地区の配達も兼ねて、朝から秋山へ。
 秋山の住人に電話をして日出山線で行けることを確認して出発。日出山線を過ぎ、鳥甲牧場への道に入る所で撮影した写真が「7時57分」になっているので、遅くとも7時15分頃には家を出た。
 鳥甲牧場と五宝木集落で、鳥甲山の裏側(上野原から見えるのを表側と表現した場合の裏側)の様子、鳥甲山から三ッ山や大次郎山、毛無山と連なる栄村の南西方向の地形などを徹底的に写真に収めた。
 その後、五宝木トンネルを通って屋敷、そして切明方面へ。五宝木トンネルは先日通った時もすでにトンネル内の照明は点(つ)いていなかったが、今日はトンネル内に道路標識等が置かれ、雪の間の倉庫の感じ。下写真は、トンネルに入って276mの地点で運転席から撮影したもの。写真中央に出口が点として見える。この地点から976m先である。



 雪がまったくないお蔭で、林道の要所、要所から見える鳥甲山の姿を撮影。「白沢」や、その少し屋敷よりの赤山(あるいは赤瑤瞭)からおちてくる沢の様子、その沢の上に見える山の姿など、貴重な写真がたくさん撮れた。
 用件で会った人から「冬でも川原から湧き出る温泉に入る人は多いですよ」と言われ、挑戦することにした。タオルは買ったが、バスタオルは売っていないので雄川閣から貸していただいて、河原の温泉へ。今日はずいぶん気温が高かったようで、川原で服を脱いでもブルブルと震えるようなことはなかった。温泉の具合は最高。雪が積もって、かんじきを履かないと行けない状態になったら、往復が厄介だろうが、雪見しながら川原の温泉で温まるというのは最高だろう。風邪をひかないように注意しなければならないが、今季は絶対にチャレンジしてみようと思う。



 上はたしかに川原の温泉に浸かっているという証拠写真。「復興への歩み」などに掲載するものではないが、ここは「日誌」なので…。もっと足を高く上げてみたかったが、両手はカメラを持っているので、腹筋が弱くて体をそんなに反らすことができないので、足の指先だけが写っている。
 そんな次第で川原の湯から出たのが2時半頃。かなり遅くなり、午前中の撮影で疲れたこともあり、和山集落だけ配達して、下(しも)へ下った。帰路は東秋山林道経由。
 
16日(水) 午前中に月岡、箕作、白鳥、平滝などで109軒を配達。
 平滝から箕作に向かう時、ガソリンスタンド横から清水河原のスノーシェッドに向かう道の脇に、東電が西大滝ダムで取水した水を津南町の三箇(さんが)の上の山まで送る隧道に入る横坑がある。この横坑の存在や意味について村民でも知らない人が増えたが、ここにトラックなどが数台停まっていた。横坑の入り口を見ると、扉が開いていた。おそらく業者が保守作業に入っているのであろう。かつては地元の人が日雇いで作業したものだが。深夜労働で、日当は随分とよかったそうだ。いま、70歳代のかあちゃんなどに経験者がおられる。

 午後は、昨日の写真を整理し、少しブログ記事を書いてみようとしたが、さまざまな地形の理解がまだまだ不足していて、完成に至らず。もっと勉強が必要。
 今日は写真をほとんど撮らず。午後に1枚だけ、家からスキー場方向を撮った。午後4時すぎだが、青空が広がって、雲というか山霧というか、それが縦長に上昇し、消えていくさまが綺麗だった。


 
17日(木) 朝からついに里でも降雪。いったん止み、晴れたかと思いきや、次は雨。そして夕刻から深々と降り続き、今季初の積雪。
 降雪・積雪の模様は「ようやく本格的な降雪」を編集し、ブログにアップ。

 そんな中、午後は1時半から4時までの2時間半、「第10回復興推進委員会」なる会議を傍聴。この会議の開催は村のHPを見て、たまたま知った。村の告知放送での案内はない。2時間半はスケジュール上きついが、議題が「生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の実績について」というものだったので、無理をして傍聴した。
 傍聴するだけの価値があったかどうか、判断は難しいが、実績額約2億8千万円にも達する国費事業には必須の手続きとしての事業報告としてはあまりにお粗末な内容。国や県がこんな実情を許容しているとしたら、いったい、交付金事業の実務及び手続って、いったい何なんだろうと思わざるをえない。
 村の復興という観点からの傍聴報告は「復興への歩み」に書きたいと思う。
 配達は主に東部地区で113軒。

18日(金) 昨夜10時頃には屋根の雪が落ちる音が聞こえていた。今朝、除雪車の音には気づかなかったが、外に出ると、たしかに除雪車が出動した形跡があった。ただし、1回、さーっと通っただけという感じで、車庫から出る時に除雪で道路脇によせられた雪を片づける作業は必要なかった(下写真)。



 配達は午前中のみで箕作や泉平、平滝などで109軒。


19日(土) 朝一番は直売所に関するインタビュー。その後、午前中、平滝・白鳥などで21軒の配達をしたうえで、室内作業に。夕刻近くにもう一度配達に出て、秋山以外の配達は今日中に完了したいと思っていたが、予定外の仕事が入り、25軒分が残った。明日、秋山とともに配達したい。

 今日は断続的に雪が降ったが、新たな積雪になるようなものではなかった。明日20日は晴れの予報で、その後、曇りまたは雨のマーク。クリスマスには寒波が来るとの予報だが、17〜18日の積雪は根雪にはならないだろう。クリスマス寒波でようやく根雪の始まりになるのかなと思う。ただし、私が住んでいるところの北側の屋根下は屋根から落ちた雪がそこそこの量になっていて、これは次の寒波まで残るかもしれない(下写真)。



 昨日から15日に撮影した写真を整理し、「鳥甲山をいろんな地点・方角から見る」を編集しているが、山の頂の名前や沢の名前が正しいかどうか、不安があるので、秋山の若者に見てもらった。鳥甲山の登山も経験されているので、よく知っておられた。大変助かった。彼が持つ知識などがもっと活用されれば、観光事業に相当役立つと思う。村には死蔵されてしまっている知恵があまりに多いと思う。なんとか活かしていきたい。
 
20日(日) 昨夜は眠いのを無理して11時頃まで起きていた。そのせいか、今朝は目覚めたら、もう8時。こんなことは滅多にない。遅くとも7時頃には自然と目覚めるのだが…。
 起きると、腰が張っていて、ぎっくり腰寸前の状況。最近は、「やばいな。このままではぎっくり腰だ」というのがわかる。床のものを取る時はまず脚を折って腰を下ろすようにするなど最新の注意を払う。
 今日は秋山の配達と決めていたので、9時15分頃に家を出た。その時に撮影したスキー場方向の写真を1枚。



 秋山行きのコースはもはや405号線しかない。
 出発が遅かったのだから、先を急ぐべきなのだが、「今日は栄村の大地(ジオ)を知るという観点から、〈大地をV字型に切り裂いて下ってくる中津川〉という様子を写真に収めたい」という気持ちがあって、頻繁に車を停めて、撮影を繰り返しながら進んだ。そのため、最初に配達をする上野原集落に辿り着き、いわゆる天池で写真を撮った時刻が11時25分。
 集落を下る形で上野原での配達を終えたのが12時半。上野原バス停脇に車を停めて昼食弁当。ほぼ食べ終えた頃、和山行のバスが通過。バスに目をやると、いちばん後ろの席に一人の姿。パッと見て観光客の人だと思った。「いまの季節、秋山の奥に観光にやって来る人に是非話を聞きたい」と思い立ち、バスを追いかけ始めた。今日は和山、切明方面に行く予定はないのに。

 栃川橋あたりでバスに追いつき、その後ろについて和山バス停へ。すると、バス停にカップルと思われる若い男女2名の姿。私が車を駐車させている間に、二人はバスに乗り込んでしまったが、男性の方はまだ乗降口におられて、話を聞くことができた。東京からの人で、昨夜は切明に宿泊され、昨日も今日も川原から湧き出る温泉に入ったとのこと。「とてもよかった。今日は暖かだったので、川で泳いじゃいました。次は夏に来てみたい」とのこと。この「川で泳いだ」という話、「?」と思ったが、真相は後にあきらかになる。
 さて、上野原バス停で見かけた男性はもう和山温泉の民宿街の方へ歩いておられた。声をかけると、「切明まで歩いて行きます。日帰りです。川原から湧き出る温泉に入りたくて」とのお答え。驚き、「軽トラの助手席でよかったら送ります」と申し出、助手席の荷物を片づけていると、切明・雪あかりの高橋さんが通りかかられ、切明までは高橋さんが送って下さることになった。私はその後を追いかけ、彼が川原の温泉に行く様子を撮影させていただくことに。その撮影の過程で先ほどの「川で泳いだ」の真相がわかった。先に温泉に入っていた男性2名のうち1名が川で泳ぎ出したのだ。1時間以上も温泉に浸かっていると、体が火照って、水が平気になるようだ。



 上野原バス停で見かけた男性は約50分ほど川原の温泉を楽しまれ、結局、「私が津南まで送りましょう」ということになり、屋敷・小赤沢の配達は先送り。しかし、会話から得るものは多かった。
 

配達日誌12月4日〜10日

4日(金) 朝一番で隣組の配り物。その届け先の1軒で、「秋山に除雪車出動で、○〇が飛んで行った」という話を聞いた。その後、昼すぎに秋山の住人のFB(フェイスブック)投稿で、かなりの積雪を確認。
 TV等で「大荒れの天気」という報道がしきりに流れたが、今日の雪は基本的にいわゆる「上雪(かみゆき)」なのだろう。秋山は標高の高さゆえにかなりの降雪・積雪になったが、栄村の大部分の地域は大して降っていない。今日は東部と西部をぐるっと廻ったが、極野、坪野、原向、天地、大久保、泉平でわずかな積雪を確認したが、妹(いもと)木(ぎ)まで下りてくると、地区の途中で雪が見えなくなった。

 村では、「山に(雪が)3回降ると、里におりてくる」とよく言われる。私ももう9回目の冬を迎えるので、そのとおりのことを幾度も経験している。しかし、その「山に3回降る」というのは、たとえばスキー場のてっぺん、あるいは貝立山の上の方が真っ白になること。ところが、今年は、それよりもずっと下まで来ていながら、ギリギリのところで里にはまだ下りてきていない。下の写真は午前11時47分に貝廻坂から撮ったものだが、かなりのところまで雪が来ていながら、里の一歩手前で止まっているのがよく確認できると思う。



 配達は昼すぎで103軒。午後はのんびりアルバム作りなどをしていたが、先日頼まれていた仕事を今夜中に完成させなければならないことが判明。夕刻近くから俄然忙しくなり、結局、0時頃まで仕事。
 
5日(土) 朝一番で嬉しい電話。宮川吉郎さんからで、「今年いちばん大きいヒラタケが採れたので、差し上げます。直売所の前で9時すぎに」とのこと。9時に直売所に行き、裕子さんからいただいた。驚くべき大きさ。



 下に敷いた新聞紙との比較で大きさがわかると思う。
 さて、どうやって食べたものか?
 裕子さんに尋ねると、「炒めもの。中華に合いますよ」とのことなので、「ここはプロに任せよう」と考え、すぐに樓蘭へ。調理をお願いした。その結果は次頁写真。
 料理に使うポークはやはりこだわりたいと思い、津南に走って山田精肉店で妻有ポークの肩ロースをスライスしてもらった。
 料理は6皿分(1皿1〜2人前)ほど出来たので、吉郎さん・裕子さんご夫妻にも車を飛ばしてお届けした。吉郎さんからは、「ワインがすすんでしまった」というメールをいただいた。



 とても美味しかった。
 そのうえで、ある青年曰く、「『美味しい中華』というだけじゃなく、『栄村の自慢料理』にするにはヒラタケそのものをシンプルに押し出したレシピもほしいな」と。それは言える。今年はもうチャンスはないと思うが、来年はそれも追求したい。

 配達は白鳥を中心に104軒。
 夕刻、野々海へ。標高900mのケンの木で「これ以上進んだら動けなくなる」と判断し、Uターン。しかし、面白い写真がいろいろ撮れた。
 
6日(日) 今日は配達はせず、中条川上流の大規模崩壊との関係で、斜面崩壊などについて新しい資料も入手して、いろいろと勉強。室内で半日以上も勉強するなんて、最近はめったにないこと。時間の割に進まない。


6日午後撮影の1号崩壊地斜面。本格的に分析できるようにならねば…

 地学という分野は、もともとは好きではない。高校3年の時に、理科の選択科目で地学をとらざるをえなかったが、私のみならず、ほとんどの生徒が関心なし。担当の先生が面白い人で、受講者が男子生徒ばかりだったので、よく下ネタで生徒の笑いをとっておられた。あの時、少しは真面目に勉強しておけばよかったな、と後悔。 
      
 午後3時からは久しぶりに高橋彦芳さんを訪問。来年、米寿(88歳)を迎えられるが、相変わらずお元気。2時間ほどお邪魔したが、後半は相当話が盛り上がってきた。彦芳さんの村づくりへの夢は衰えていない。今に生きる“夢”、アイディアをたくさんお持ちだ。いわば「高橋村政はまだまだ未完」なのだ。それを継承・発展させる若手の人材を育てなければ、と思った。

7日(月) 夜早く寝るようにしているので、6時には起床。2時間弱、中条川対策検討会の資料を読み、8時頃から配達へ。平滝などで43軒。
 その後、久々に議会傍聴。
 中条川問題と雄川閣施設建て替え問題についての議員と村長のやりとりは「復興への歩み」で取り上げたいと思う。議員の不勉強、無責任さを自己露呈している面も目立ったが、それ以上にひどいのは村長の答弁のぞんざいさ。誠実に答弁しようという姿勢が感じられない。こういう人にはさっさと辞めてもらわないと村民の不幸だとつくづく思った。
 午後は再び泉平、箕作、横倉などで配達。今日は計110軒。
 夜、写真アルバムを作りたかったが、体力続かず、断念。




 朝霧がはれていく。平滝集落から。
 1枚目は千曲川沿いの断崖と毛無山(奥)。2枚目は苗場山方向を望む。
 
8日(火) 早く起床したので、まず、「こんな景色もいいなあ」というブログ記事を作成しアップした。「こんな景色」とは、6日夕に野々海線のケンの木(標高約900m)付近で撮影した夕陽の中を民間航空機が飛ぶ姿を撮影したもの。興味のある方はブログ「栄村復興への歩み」で検索してみてください。http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2056です。
配達は森集落と東部地区で111軒。

 志久見で前号の配達時から鍵がしまっているお宅がある。数回訪ねても、やはり鍵がかかったままなので、近所の方に尋ねたら、「体調を悪くされて、長野の息子さんのところに行っておられる」とのことだった。その時は家の前に愛車が置かれていたが、今日は車も姿を消していて、鍵はやはりかかったまま。相当にお悪いのだろうか。心配だ。1軒、1軒、配達に廻ると、ポストが溜まっているなどで、入院されたケースなど、だいたい分かる。

 最近、栄村の大地の成り立ちに対する関心が強まっていて、6日に彦芳さんから教えていただいた『栄村史堺編』の記述内容に沿って、栄村千曲川右岸の台地と津南町の河岸段丘とがもともとは1つの台地であることを示す写真を撮りたいと思い、東部地区の配達に廻りながら、いろんな写真を撮影。



 上はその中の1枚。写真右手に見えるのは長瀬集落の旧東部小(現・長瀬団地)。写真奥に見えるのは志久見川を挟んで対岸の津南町加用地区。旧東部小のグラウンドと標高がほぼ同じ。志久見川はV字形の急峻な谷になっていて、このように写真を撮ると、川の姿は見えず、栄村と津南町が地続きのように見える。写真左手に山が見えるが、じつはその上は河岸段丘の第2段。桜で有名な中子地区などがある段丘だ。その段丘と栄村の原向の田んぼゾーンがほぼ同じ標高である。
 
9日(水) 朝から「ジオある記」というブログ記事を編集。昨日の日誌に書いた栄村の大地のことを撮影した尻から記録化したいと思って書いた。第1回は昨日の日誌にも書いた津南の河岸段丘と栄村の千曲川右岸の台地がもともとは一体のものという話。

 昼前に配達に出かけたが、弁当を購入し、長瀬集落と原向の3軒の配達が終わった後、東部パイロットに出て、鳥甲山や毛無山(野沢温泉村)を眺めながら昼食。朝方は冷え込んだが、日中はポカポカで軽トラの窓を全開にして、ピクニック気分。
 眺めていた景色はこういうもの。


鳥甲山を、いわば裏側から見たもの。


越後の山並みを眺めたもの。山の上の方は見事に真白。写真に撮ると、小さくなるが、実際はもっと迫力がある。昨年だと、もう積雪で近づけない場所からの眺めである。

 その後、原向・野口での配達を終え、天代集落に下る途中で、坪野の山の田んぼゾーンからは大久保集落や泉平集落と毛無山の関係を示す写真が撮れるのではと考え、坪野へ。そういう写真は撮れなかったが、坪野から野沢温泉に通じる野沢街道の旧道に入り、山道で天地集落に下りた。夏にはススキが覆い繁っていて通れなかった道。途中は雪道だった。


坪野の山の上の野沢街道の山道にて。

 その後、天代、北野、中野、極野、当部、笹原を廻って、今日は計72軒。

10日(木) 夕方の天気予報では「今日の日中の気温は高かった」とのことだが、配達に廻った午前中、風が強く冷たかった。昨日までの晴天とはうってかわって一日中曇天。
 午前中に月岡、小滝、野田沢、程久保、大久保を廻り、No.271の配達を基本的に完了。秋山の和山集落9軒のみ未配達だが、これは青空が期待できる14日頃に廻りたいと思っている。
 午後、スキー場内の道を上がった。4日に積もった雪はすっかり消えている。中条川上流の大崩壊との関係で天水山の写真を撮りたいと思って上がったのだが、やはりスキー場からは見えない。
 その代わりと言ってはなんだが、「栄村の大地の成り立ち」ということで、よりいい写真を撮りたいと思っていた毛無山と栄村の千曲川右岸の台地の関係を示す写真や、鳥甲山、苗場山という秋山郷の火山とそこから流れ出る川が栄村の千曲川右岸の台地と津南の台地を分断した構造のようなものを示す写真がいろいろと撮れた。1枚だけ紹介しておきたい。



 山並みは左から鳥甲山、三ッ山、大次郎山、毛無山(スキー場コースが2本見える)。
 台地の上に、左から東部パイロット、菅沢農場、大久保集落が見える。大久保集落の手前には牛舎がある妹木が見える。別の機会に拡大したものもお見せしたい。
 
 11月のある時期以降、体調不良のことを頻繁に書いてきたが、この間、“ゆっくりペース”を心がけてきて、ようやく1ヶ月以上に及ぶ風邪症状からは脱け出せたように感じている。疲れると微熱を感じたり、体の節々が痛むということがこの1週間ほどなくなった。油断せず、さらに体調を整えていきたい。
 もう年末年始のことを考えなければならないが、今度の年末年始は「元旦から配達に廻る」ということは無理なようだ。はたして数日間、大人しくしていることができるかどうかが問題だが、なにか数日間熱中できる本でも探し出しておきたいと思う。

 

配達日誌11月21日〜12月3日

21日(土) 随分と久しぶりになるが、小谷村、白馬村へ。
 今日の主眼は小谷村の中谷地域づくり協議会の方々にお会いすること。9時頃に村を出て、11時半頃に白馬村に入った。中谷で午後1時半からフォーラムがあるので、あまり時間がなかったが、白馬村の堀之内地区の様子を少し見て廻った。そして、小谷村にむけて国道148号線を走り始めて間もなく、中谷の柴田さんから電話が入った。「お昼はどうされますか。蕎麦を打って用意しているので、よろしければ、こちらに来て食べてください」とのこと。
 お言葉に甘えて、フォーラム会場の中土観光交流センター「やまつばき」にてお蕎麦をいただいた。「栄村のようにヤマゴボウをつなぎに使ったものではありませんが」とのことだったが、とても美味しいお蕎麦だった(下写真)。写真は撮らなかったが、天ぷらも用意されていて、これも美味。



 調理されていた人たちの中のお一人に、小谷村独特の制度である集落支援員を務められている田辺さんという方がおられた。大阪の出身だそうだ。この制度は注目すべきものだと思った。



 フォーラム開会前に中谷の協議会の主だった方々からお話をお聞きし、私はフォーラムが始まって間もなく、センターを辞し、中谷地区の各所を見て廻った。昨年11月28日に訪れた時に、その景観に非常に衝撃を受けた小谷温泉付近にも行き、有名な山田旅館(上写真、本館は江戸時代の築という。地震を生き延びたのが不思議)を見るとともに、当時は先へ進めなかった道を進み、雨飾山の登山口まで行った。『日本百名山』の深田久弥が深く愛した山である。私は雨飾山というものを昨年、当地を訪れるまで知らなかった。先日、TVで深田久弥と雨飾山の深い因縁を知り、興味はますます深まった。私に体力があるならば、来年、中谷の人に案内していただいて登ってみたいなどと思っている。


雨飾山の登山口。山霧で山は見えなかった。

 帰路にもう一度、白馬村に立ち寄ったが、大きな被害を受けた田んぼの復旧工事があまり進んでいないように見受けられ、心配になった。
 帰り道、長野市内で道を間違え、1時間近くをロス。村に戻ったのは7時半ころだったか。
 体調は非常に悪い。
(以上、21日夜は体調が悪かったので、22日に記述)

22日(日) 昨夜は「どうなることやら」と自分でも心配するくらいに体調が悪かったが、朝は気分よく目覚めた。配達の遅れを取り戻さなければと思いながらも、「まずは昨日のレポートを」と思って、午前中は小谷・白馬のレポート作成。      
 レポートは11時すぎに完成したが、これだけで疲れてしまった。昼食後、思い切って配達を中止し、本格的に寝た。睡眠は2時間ほどだったと思うが、この睡眠で疲れが抜けた。
 今日はそんなにニュースを見ていないが、小谷村・白馬村に関するニュース報道について、二言。

 まず1つは、11月19日の「信濃毎日」の連載「暮らしを取り戻す〜県北部震度6弱から1年」の2回目の記事。小谷村中谷地区が取り上げられ、「山あいの集落 進む過疎」というタイトル。記事のトーンは「地震で過疎の村から人がどんどん出ていく」というもの。栄村をめぐってもお馴染の記事。
 壊滅的な被害を受けた中谷地区でそういう事態が心配されたが、「地元では、離村を10ポイント以下に抑えることができたという積極的評価がされている」と私は聞いていたので、この記事のトーンは何なのだ?と思った。昨日、中谷の人たちとこの記事の話をしたら、中谷の人たちも相当に怒っておられた。「もうこれからはゲラを見せてくれるのでなかったら、下手に取材には応じられない」という声も。その気持ちはいやというほどにわかる。

 もう1つは、夜7時のNHKニュースで流された白馬村での断層調査の話。東北大学が入って断層の発掘調査が行われている。神城断層では300年前にも地震が発生しているという新知見が得られ、「活断層は1千年単位で地震を起こす」という通説を覆す可能性があるという趣旨のニュース。
 5年前の栄村の地震では、地震の発生メカニズムは不明のまま。既知の断層は動いた形跡がないというだけで、どこにある断層が動いたのかは未解明。というか、解明する用意はどこにもなさそう。これを本格的に調査・解明するとなると、かなりの予算が必要となる。だから、研究者も下手に手を出さない。
 ところが、昨年11月、私が白馬村を訪れた時、非常に目についたのがさまざまな大学の研究所・研究者の姿。中央構造帯が走る地域であり、従来から研究対象にしている研究機関・研究者が多い。少々意地悪い言い方をすれば、みなさん、これまでの自分たちの研究論文との整合性を確かめるために白馬村に走ったのだろう。そして、ここは研究予算がつくというわけである。予算と関係なく、山間の地域に足を運んでくれる研究者というのはそうはいないものである。
 
23日(月) 久々に快調。午前中、主に東部地区を廻り、119軒に配達。昼すぎからは「お米のふるさと便り」の制作。愛知県から来村下さった方があり、6時半頃から2時間強、吉楽旅館で会食。9時前に帰宅後、「便り」の仕上げ。なんだかんだで、作業は夜遅くまでかかったが、そう疲れることもなかった。
 来村されたのはお二人だが、そのうちお一人はもう何回目だろうか。絵を描かれる人で、私より年上だが、これから先も村を訪れて下さりそう。これぞリピーターというものだ。

 今日見聞したことのなかで特筆すべきは、坪野の斉藤広友さんが冬、家の前の坂に流される水の仕掛けの凄さ。
 前回、11月2日だったと思うが、配達に行った時、家の外にいる広友さんと出会った。ご存じの人も多いだろうが、広友さんは昨冬前に北長野に新居を構え て、移転された。かなり深刻な患いがあって、坪野で暮らすことが困難になったためである。だが、この春以降、私は広友さんとしばしば坪野のお家で会ってい る。移転先でボランティア活動をされているが、その合間をぬって畑作業などをするため、坪野に帰って来られるのだ。私が配達したものも、だいたい次回の配 達時には取り出されている。
 私は、冬の間、広友さんの家のポストまで行けるかどうか心配で、2日に会った時、「今年も水は流すんですか?」と気 軽に尋ねた。「流すよ。前回来た時に山のかけ口に行ってきた。2〜3kmあって、大変なんだぜ」。私は家の近くまで来ている水を引いているものだと思い込 んでいて、そんなに大変なものだとは思っていなかった。


 
 今日、広友さんの家に行くと、坂に水が流されていた。毎日来られるわけではないので、「そろそろ雪が来ても大丈夫なように」と、水をかけていかれたのだろう。私は前回の話があったので、坂の上のパイプを見てみた。すると、パイプは坂の上よりもさらに上の方からきているのではなく、坂の横手の畑の方(下手)から来ている。私はポストに「歩み」を入れたうえで、そのパイプがどこから来ているのか、追跡した。畑を越え、家と作業所の横手の低木などが生え、足元は石がごろごろしている中を追いかけた。すると、家の裏手を流れる天代川に近づくと、パイプは地面を這うのではなく、高く引き上げられ、空中で川を向こう岸へ渡るようになっている(下写真1枚目)。川を渡るところで二手に分かれているが、うち一方は対岸の滝の方に連なっている(下写真2枚目)。





 いやはや、なんともすごい仕掛けだ。広友さんに是非、詳しい話を聞きたい。また、来春、雪消え後の片付け作業の時に現場に同行してみたい。

24日(火) 午前中、大久保、箕作、泉平などで97軒配達。途中、昨夜の来村客と一緒に「大庭君家のえのき」を訪問。
 午後、この間の体調悪さで最も深刻な喉の痛みを解決するために中野市の耳鼻咽喉科へ。中野市というのは何回訪れても道がよくわからないが、目的の医院は細い道を入った先にあって、探し出すのに一苦労。症状はさほど深刻なものではないようで一安心。
 それにしても、大病院の週2回程度の予約診療(他所の大学病院医師などが非常勤で来る)を除くと、飯山市にも十日町市にも耳鼻咽喉科の医院がないというのは不便。中野市も1軒だけだが、かなり立派な医院で、季節がらということもあるのか、患者も多かった。子どもが育つ地域には耳鼻咽喉科は不可欠の存在だと思うのだが…。
 中野市まで行くとなると、やはり半日仕事になってしまう。



 今日撮った写真の中の最高傑作はこれ。正午過ぎに泉平で撮ったもので、強い風でイチョウの葉が凄まじい勢いで散る様子。望遠で撮った。
 落葉する様子を撮ろうとこれまで何度か試みたが、うまく撮れなかった。さすがにこれだけの量が一斉に散るとはっきり撮れる。

<マイナンバー制度について>
 栄村の全世帯に「マイナンバー通知カード」が今週あたり配達されてきたのではないだろうか。私の場合、23日に「簡易書留ご不在連絡票(マイナンバー専用)」というものがポストに入っていた。私は受け取る意思がないので、今日24日、連絡票に書かれた番号に電話すると、「受取拒否の署名をしなければならない」とのこと。10時半頃に配達の人から電話連絡が入り、青倉集落内で落ち合って、署名した。局員の指示に従い、簡易書留の封筒に「受取拒否」と自筆で書き、その横に署名した。
 私が受取を拒否したからといって、国が私に割り振った番号が消えるわけではないし、いずれは何かの行政手続きの際に私自身が「不便」するのだろうと思う。
 だが、この「マイナンバー」、なんともソフトな感じのネーミングだが、ルーツは国民総背番号制。私の信念に照らして、唯々諾々と従うわけにはいかない。現時点では、「希望者のみに配布」とされている「マイナンバーカード」、いずれは全員が「身分証明書」代わりに持たされるようになるだろう。「安保法反対」を明言するとTV番組から降ろされる昨今。いずれ、「戦争反対」と言っただけで追求を受け、「マイナンバーカード」で身元調べをされるようなことになるのだろう。次の「戦前」は、このようにカード1枚にすべての個人情報が書き込まれ、かつての戦前以上に国に逆らいづらいものになるだろう。ゾッとする話である。そうしないためにも、スジを通しておきたいと思った次第。

25日(水) 昨夕、中野市からの帰り道、栄村に近づくと、冷たい雨が強くなり、気温が6℃。「こりゃ、野々海は雪だな」と思った。もう暗くなりかけていたので、様子を見に行かなかったが、今朝、野々海へ。
 どんな様子かわからないので、さすがにスキー場から貝立山の裏側の山道を走るコースはとらず、平滝から。昨年11月15日の野々海の初雪を観察に行ったときに降雪を確認した地点を越えても雪は見えず、「降らなかったのかな」と思っていると、標高950mくらいの地点で薄っすらと雪があった。昨年の初雪とは比べものにならないくらい少ない雪。
 野々海池は霧がかかって写真にならなかったが、三叉路の湿地や東窓ではいい写真が撮れた。


野々海池は霧で見えないが、池に下る坂道にて

 8時すぎに出かけ、10時半頃に帰宅して、いっきにブログ記事「野々海の初雪」を制作、アップした。
 これで疲れてしまい、午後は室内作業。作業の主内容は、この秋、紅葉情報としてブログにアップしたものをすべてプリントアウトし、クリアファイルに収める作業。とりあえず3冊作った。
 じつは、先日同じものを1冊作り、「復興への歩み協賛寄金」にバザー収益金をご寄付下さった団体に礼状とともにお送りした。23日、その受取確認のメールが届き、その中で、「5年間に11回のチャリティバザーを行なってきましたが、あて名を変えただけの紋切型ではない礼状が届いたのは初めて」と言っていただいた。全部で約40種類のブログ記事を収めているが、今後もなにかのお礼に送ることができるだろうし、また、栄村の観光について議論するための材料にしたいと思っている。
 
26日(木) 配達のために県道を雪坪に向かい、スノーシェッドを越えると、正面に鳥甲山の冠雪した姿が見えた。それで、急遽、予定を変更して秋山へ。
 そこそこにいい写真が撮れた。


仁成館から見た鳥甲山。手前はジオパークで「和山の崖(凝灰岩)」と紹介されているところ

 写真撮影と上野原、和山での配達を兼ね、午後1時半頃には下に戻ってきたが、昼食を終えると、相当に疲れた実感が。ただ、どうしても今日中にブログにアップしておきたかったので、作業を強行。夜9時頃までにアップできた。
 25日の野々海といい、今日の鳥甲山といい、かなり趣味的と思われるかもしれないが、仕事。野々海池の雪景色は野々海の水でつくるお米の販売には不可欠。「鳥甲山は雪景色がいちばん素敵」と言われる人もおられる。冬の秋山観光を促進する素材も必死で創造していかなければならないと考える次第である。

27日(金) 北海道では大荒れの天気。だが、そういう時は栄村ではあまり雪が降ったりしない。ただ、午前11時すぎ、白鳥あたりから眺めた野々海の方向の山は「雪が降っているんだろうな」という空模様だったが。午後1時すぎ、スキー場を見上げたら真っ白になっているのには正直驚いた。夕刻、温泉に出かけるために車に乗ると、フロントガラスにシャーベット状の雪がびっちり。「トマトの国」ではうっすら積雪。国道117沿いは雨のままだったが、いちおう村の初雪といっていいだろう。


午後3時40分、森の開田から東南方向を望む。

 低気圧が北海道東部へ移動・発達し、大荒れの天気になるというのは、今年の初めから夏、秋にかけて何度も繰り返されているパターン。夜、いくつかの気象解説をみたが、この点に踏み込んだ解説は見られなかった。赤道付近の大気、海流の動きとの関連などもおさえた、踏み込んだ解説が欲しい。
 直売所で買ったサンふじ。蜜がいっぱい入っていて、最高に美味(うま)し。子ども時代にはよくリンゴを食べたが、大人になってからはほとんど食べなかった。かすかすしていて美味いものがなかった。再び食べるようになったのは栄村に移ってから。やはり畑で熟し、蜜がたくさん入ったものが最高。
 
28日(土) 朝8時頃から東部の中野〜笹原の31軒と森の39軒を配達。その後、用事を1件済ませ、野々海池へ。途中、群馬ナンバー、長野ナンバーが下ってくるのに出会った。少なくとも1台は上まで上がってきたようだ。キャンプ場方向まで轍(わだち)が残っていた。
 朝9時頃に太陽がキラキラと光り、いい天気になったので「野々海に行こう」と考えたのだが、私が実際に上ったのは11時頃。天気は悪くなっていて、案の定、野々海池は霧の中。しかし、程なく、風が霧を流してくれて池の姿が見えるようになった。しかし、それはほんの一瞬のこと。また、霧が立ち込める。
 今日はあまり準備ができていなかったので、早々に戻ってきたが、1時間くらい粘れば、相当いろんな写真が撮れるなと思った。今日撮れた写真は「復興への歩み」次号で使おうかと思う。
 午後はお米の発送、頼まれた用件1件、ブログ記事の作成と休養の午睡。体調はやはり本物でない。
 
29日(日) 昨夜、やや早めに就寝したせいか、午前3時すぎに目が覚め、そのまま起床。いろいろと調べものなどをしていたら、7時20分。「坪野の普請の様子を撮影に行かなきゃ」と、慌てて坪野へ。その後、9時頃、今度は平滝へ蕎麦打ち、餅つきの取材。
 昼すぎ、眠くなって「寝よう」と思って布団を敷いて床に入ったが、結局眠れず、4時には「おいこっと」の今年最終便を撮影に横倉へ。
 さすがに早めに就寝することに。

30日(月) 昨日、調べものをしていて、「中条川上流1号崩壊地は拡大崩壊の危険がある」という報告に出会い、今朝は1号崩壊地の現在の様子を撮影に現地へ。


森の開田から鳥甲山を望む(午前9時40分)

 その後は「復興への歩み」No.271の編集。ゆっくりとしたペースで、今日中には終わらず。少しは休養になったのではないかと思う。

1日(火) 午前5時頃起床で、そこから1時頃までぶっ通しで「復興への歩み」No.271の編集・校正・印刷等。これ自体はそんなにきつくなかった。
 昼食後、17軒30部のみ配達。
 早々に就寝するつもりだったが、メール配信、ブログへのアップ、印刷・折り作業などであっという間に午後11時を廻った。その後も、メールへの返信等で、結局1時就寝。

2日(水) 6時すぎに目が覚めた。昨夜が遅かったので、もう少し寝ようかとも思ったが、そのまま起床。
 予報で明日以降は天気が悪くなりそうなので、今日は秋山(小赤沢、屋敷)の配達と決めていた。7時40分頃にガソリン給油を行い、日出山線経由で秋山へ。途中、屋敷までの林道から見える鳥甲山の撮影などをしながら進み、8時50分頃から屋敷で配達を始めたが、2軒目の時、車から降りて一歩踏み出した途端に、すってんころり。よく見ると、道路が完全に凍結していた(下写真)。



 その直後に顔を合わせたおやじさんが、「ご苦労さん。今日はどこから来た?」と尋ねてこられた。「日出山線」と答えると、「○○さんは凍結で車を滑らせてしまい、落っこちたんだぜ。気をつけなきゃ」と。そう言われると、たしかにカーブを曲がる時などに滑りを感じていた。おっかない。転んだ後、スパイク付きの長靴に履き替え、軽トラに荷台に手をかけて移動するなど、細心の注意を払い、以後は無事。

 屋敷を配り終え、小赤沢で5軒ほど廻ったとき、ふと空を見上げると、先ほどはまったく見えなかった雲が出始めている。「小赤沢を全部配達した後に上野原に行ったのでは、雲に影響されない鳥甲山を正面から撮るのは難しくなるな」と思い、急遽、先に上野原に行くことにした。「西ノ平」というところと鳥甲山をワンセットで撮りたいという思いはあったので、苗場山3合目駐車場に通じる道を経由して上野原に向かった。まだ冬期通行止めになっているわけでもないし、雪が降っているわけでもないので、このコースを選んだのだが、1合目を過ぎて間もなく、道路の両側が霜で白くなっている(今朝は村全域で田畑などが霜で白くなった)というには過ぎるほどにしろくなってきた。そして、間もなく、道路に積雪。「えっ! まさか」という感じ。3合目駐車場への道と上野原に下る道との分岐点からは車が走った跡があったが。冬シーズン初めの雪道はやはりおっかない。幸い、上野原への下り道のほとんどは陽が当たり、積雪がなかった。
 秋山での配達は午後1時までに終わり、下におりた。
 その後、携帯の故障直しで津南に立ち寄るなどしたが、米の発送、森での配達などで夕刻に。
 鳥甲山の写真など、ブログにアップしたかったが、仕事量削減のため、今夜は仕事せず。
 
3日(木) 昨夜、「復興への歩み」No.271を印刷中に、「廃ボトルが満杯になりました」という表示が出て、プリンターがストップ。「廃トナー」とは、通常のインクに当たるトナーという粉の残滓(ざんし)。まあ、「廃油」みたいなものと言ってもいいだろうか。
 このため、保守サービスの人が来てくれるまで印刷はストップで、今日の午前中は配達することできず。
 その代わりと言っては変だが、朝起きた時から右腕の具合が悪かったので、十日町の接骨院へ。そのついでに、「10月29日仕上がり」の裾直しをしてもらった新しい冬ズボンをイオンに受け取りにようやく行けた。
 「午後イチ」で保守サービスが来てくれて、午後2時頃から配達。青倉を中心に計72軒。かなりゆったりしたペースで仕事している。今月中(年内)には通常の体力に回復したい。ただ、あまりゆっくりしていると、結局、後できつくなるので、そこそこには頑張らなければ。
 野田沢で宮川吉郎さんと出会った。「大根つぐらを作りましたよ」(下写真)。中には96本の大根が入っているそうだ。「大根が足りなくなったら、いつでも取りに来てください」。有り難い話だ。
 




配達日誌11月16日〜20日

16日(月) No.270の編集と一定部数の印刷等を午前中に終え、昼からNo.269の未配達がある程久保、野田沢集落の配達へ。

 程久保集落では滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見てきた。本当は茎を切り倒す作業をされるところを取材したかったのだが、この間の私のスケジュールの関係でできず。しかし、今日、畑の様子を見られてよかった。総一郎さんはお家にもご不在で話を聞くことはできなかったが、写真は撮れたので、ひとまずはよし。後日、いろいろと話を聞いてみたい。


アスパラの茎が切り倒され、すっかり様子が変わった

 野田沢ではいろんなことがあった。まず、用事があって実家に帰っておられ     
た麻子さんと出会った。お元気そう。つぎに、宮川吉郎さん宅。キノコがあまり採れない今季だが、さすが吉郎さん。ナメコをいっぱい採っておられて、裕子さんからたくさんのナメコと二十日大根をいただいた。
 また、野田沢集落に入る時、電動車でネギを畑から自宅に運んでいるかあちゃんの姿が見えたが、その人の家に配達に行った時、家の前におられて、電動車で運んでいた人であることを確認。電動車では運べる量に限りがあるので、何回もに分けて運んでいるとのこと。その後、畑でも出会った。「おかあさん、地震の年だったかな、この畑で出会って、『何を栽培するか』なんてことを話しましたよね」と言うと、おかあさんも覚えていてくださった。その結果でもないが、「水菜を持っていくかい」と言って下さり、これまた大量にいただいた。水菜を畑から実際に収穫する様を初めて見た。「ほう、抜くんじゃなくて、根の近くを鎌で切るんだ」と感心。
 貝廻坂の通行止が全面解除になって本当に便利になった。夕暮れが迫る中、白鳥で40軒を廻り、今日は計65軒。
 
17日(火) 昨夜やや早めに就寝したせいか、4時半頃に目覚めた。起きようかどうか、しばらく様子をみたが、眠気は戻ってこないので、そのまま起床。5時半頃から、ここ数日中に作成しなければならない書類の作成作業にとりかかり、午前中はその作業で過ごした。

 午後、平滝を中心に配達に廻ったが、その途中で柿をとっているかあちゃん3人と出会った。当初は写真を撮るつもりだったが、「ちょっと下りてきて、とってみなさいよ」と言われ、柿とりに参加。物干し竿のような長い棒の先に切狭がついた棒を手元で操作するのだが、なかなか難しい。次第に慣れてきて、うまくとれると、「あら、上手ね」とおだてられ、その気になって、結構長い間やっていた。その後、かあちゃんたちのうちのお一人のお宅にお邪魔してお茶のみ。今風にいえば“女子会”への参加。気がついたら、外はすっかり暗くなっていた。


柿取りをした木。かなり急な法面の下にある

 村には柿の木がいっぱいあるが、昨年までは「栄村の人はせっかくの柿をほとんど取らないな」という印象だった。「渋柿だから」と説明されたこともある。ところが、今年は柿を取っている人の姿をよく見かけるし、干し柿作りで軒先に柿をつるしている家も多い。また、直売所には「さわし柿」が出ている。
 今日、柿取りに参加したところの木は渋柿。さわし柿にするとのこと(その後のお茶のみでもさわし柿が出された)。別の木で取られた甘柿を袋いっぱい、いただいた。        
 平滝〜明石間の橋をつくる場所では、森林組合の手で立ち木の伐採が行われていた。
 
18日(水) 今日も書類作成作業があるが、午後に雨が強くなるという天気予報だったので、「午前中配達、午後書類作成」という段取りに。今朝も4時すぎに一度目が覚めたが、今日は起きないで、7時前に起床。
 午前中に配達できたのは66部で、考えていたほどの軒数は廻れなかったが、今日は1つの関心事項をもって廻り、その関係の撮影を意識的に行なった。崖面に見える紅葉の名残りの様子の変化を写真記録に残すことだ(写真は後ほど)。
 もう1つ、配達の途中で月岡のミズバショウ群生地近くの現在の様子を見てきた。来春、ミズバショウが最もきれいな時期に写真を撮りたいと思っていて、地形を頭の中に叩き込むことが1つの狙い。今春は雪の上を片道30分ほど歩いて行ったが、今日、その道を軽トラで走ると、我ながら「ただ雪原が広がるだけのところで、よく辿り着けたな」と思うほど、道は曲がりくねっている。まあ、雪原で見通しがいいということはあるが、ちょっと間違うと川筋に落ちる危険がある。来春は道筋がしっかり頭の中にある状態で行けるだろう。あとはスケジュール調整をしっかりやって、初期、最盛期、終期の少なくとも3回、きっちり行けるようにすることだ。


10日(午後4時すぎ)


18日(10時半ころ)

 「赤い葉が減っているな」と思ってはいたが、このように今日の写真と10日のものを並べて比較してみると、様子が大きく変わっていることにいささか驚いた。同一箇所の紅葉の変化(とくに落葉期)をこのように追いかけたのは初めて。こういう作業も大事だなと思う。

19日(木) 午前中は青倉を中心に62軒を配達。甚治さんのお宅の隣り(甚治さん宅とはそこそこ離れている)まで行った時、トントンと藁を叩く音が聞こえてきた。「きっと、つぐら作りの藁を小槌で叩いておられるのだな」と思いながら、お宅に伺うと、やはりそうだった。「元気にやっておられますね」と声をかけると、「10日ぶりくらいかな」とのこと。「えっ、お体でも悪かったんですか」とお尋ねすると、「やる気にならなかっただけ」というご返事。「そうだな」と思う。お歳は90歳を超えられた。そんなに気を詰めてやるものでもないだろう。何かを教えられた気がした。


青倉で撮った1枚。スキー場への道の下に見える紅葉の名残りがとても綺麗。
いろんな地点から撮ったが、結局、これが気に入った。

 午後は、2時半から「おもてなしセミナー」を覗いた。同じ講師が3回やっているものの3回目。半分くらいが私も聞いた1回目と同じ内容。1回目よ  
りは栄村の人に通じる内容を伴っている  
と感じたが、冒頭に「おもてなし」の事例として「リッツ・カールトン東京」の1泊9万円(食事なし)の話をもってくるというセンスはやはり共感できない。「お客さまに声をかける」ことが大切という話は私が「歩み」No.270で書いたことと完全に一致するもので、その意味では共感してもいいのかもしれないが、栄村の経験をほとんどふまえないでの講演にはやはり違和感を覚えざるを得ない。講師への違和感以上に、主催者の企画への違和感の方が大きいのかもしれないが。

 夜は7時から、森区住民を対象とする駅前施設(事業名は「観光及び震災情報発信拠点施設建設整備事業」)の説明会。すでに工事が始まっている段階で「住民への説明会」というのも変な話。私はできるだけ静かに聞いているように心がけたが、住民のお一人がバッサリ。「工事が始まってから説明会というのは、どういう訳ですか。みんな白けていますよ。だから、参加者も少ない」と。
 この施設、要は森林組合の事務所をつくらなければならないが、それ単独では補助金が確保できないために、色々ともっともらしい話にせねばならず、「観光及び震災情報発信拠点施設」云々というものになったもの。役場担当者はあっけらかんとそのことを認めるので、この場ではそのことを議論してもあまり意味がない。
 いちばん問題だなと思ったのは、やれ観光だ、ジオパークだ、震災の記憶を風化させない展示だ、ママカフェだと、いろいろと言っているものの、その内実がまったくないこと。別に国家資格保持者の有無を問題にするわけではないが、博物館学芸員有資格者ないしそれ相当の能力を有する人材の育成・確保なしに「史料展示館」だ、「震災展示スペース」だ、「ジオパーク案内所」だと、ハコモノ施設さえつくれば、なにかが出来ると考えているのがおかしい。これは個々の担当職員の問題ではなく、村政のあり方そのものの問題である。ここ1年ほど、村長は口を開けば、「ジオパークに認定されたので、観光の発展が期待されている」とのたまう。日本国内でジオパークを観光と結びつけているのは津南町と栄村だけと聞く。そのことは今日の説明会で役場職員も認めていた。それでも、津南町はまだジオパークと観光を結びつける具体的な努力をしているが、栄村にはそれに比する試みは皆無と言って過言でない。ジオパークのポイントに行くと、ジオパーク関係の説明文書をコピーしただけということが一目瞭然の小看板が立てられている(下写真、説明は文末に)。「なにも無いよりはまし」なのかもしれないが、感心できたものではない。



 「ハコモノだけでは村づくりは進まない」という批判だけで済むレベルではなくなっている。事は相当に深刻。村政の根っ子からの変革が必要なようだ。とはいっても、簡単なことではない。私は政治舞台ではなく、もっと深いところで何かを変えることをめざしたいと思っている。
 この施設をめぐる問題は「歩み」次号で深くかつ全面的に議論しなければならないかなと思う。

<上の写真について>
 これは9月14日に国道405号線の上野原近くで撮影したもの。「上野原の風穴」がある場所に立てられている看板。文章は、「国道405号線沿い、上ノ原集落への登り口少し手前の岩壁の隙間から冷たい風が吹きでています」で始まる。だが、その現場に立つ看板なのだから、「ここが上野原の風穴です」で文章が始まらないとおかしい。細かいことのように思われるかもしれないが、結構大事なことだと思う。

20日(金) 朝は6時すぎに起床で、結構眠ったが、朝起きてすぐから背中が重い。珍しいこと。今日は配達に出ず、室内での整理作業などにとどめた。
 10月に「11月になったらぶっ倒れる」と自分で言っていたが、予期した以上に疲れは深いよう。「完全休養」は避けたいので、相当のペースダウンを心がけるしかないだろう。まあ、10月〜11月上旬に「さわいで」、しっかりと活かすべき財産をたくさん仕入れたので、その整理・活用に相当の時間をあて、ゆっくりペースでやっていこうかと思う。
 

配達日誌11月11日〜15日

11日(水) 午前中は切欠、長瀬、笹原、当部で53軒、午後、泉平、月岡で51軒を廻った。計104軒で、配達としてはまずまず順調。
 いまの時期、村を廻っていると、大根、ネギ、白菜、キャベツ、野沢菜の収穫、そして、それらの野菜の越冬用の準備(まず乾すこと、野沢菜は漬け込み)の作業と頻繁に出会う。今日、切欠で出会った人は白菜を軒下に移動させているところであった。天気がよい状態で3日間程度、乾すそうだ。「乾す」と言うと、都会の人たちは乾燥野菜を作るように受け取られるかもしれないが、そうではなく、余計な水分をとばして、腐らずに保存できるようにするのだ。
 そのおかあさんによれば、「今年は白菜が大きくなりすぎた。これじゃ、鍋物に入れる時でも白い部分の切り方をうまくしないと、よく煮えません」とのこと。10月の陽気がよすぎったためだろう。自然とのつきあい方はなかなか難しい。

 今日は、「探検」と言うほどのことはしていないが、切欠などで道路からは離れた田んぼなどに入ると、普段は目にできないいい景色がいろいろと見られることをいくつも発見できた。1枚だけ紹介しておきたい。



 おそらくは笹原の人がやっておられる田んぼだと思うが、長瀬から笹原に向かい、スノーシェッドを越えて、県道が直線になったところの左手の田んぼの畦を志久見川に面するところまで進んで撮ったもの。
 
12日(木) 今日はまた、まったく非計画的にさわいでしまった。「さわぐ」というのは、村では「動きまわる」というような意味で使われる。当初はその使用法に違和感があったが、最近は自分でも使うようになってきた。国語辞書では、7番目の語義として、「忙しく立ち働く」が出てくる。
 北野での配達があと1軒となった時、北野から見える1つの場所が気になり、そこを撮ろうと北野集落の入り口付近に戻った。
 「気になった場所」というのは、次の写真のところ。



 当初は、もうわずかにしか紅葉が残らない風景を撮り残しておきたいというだけのことであった。
 しかし、望遠を効かせて、いろんな箇所のクローズアップをしているうちに、次の箇所が俄然、気になりだした。



 見えているのは、いわゆる天代坂の法面だが、写真中央のところ。道路のすぐ脇が崩れかかっているように見える。「あそこは一体、どんなふうになっているのだろうか?」と気になり、その場に行ってみることにしたのだ。
 現場に行ってみて、道路がすぐさまどうこうなるという状況ではないことは理解できたが、そこは「苗場山麓ジオパーク」で「天代の露頭」として紹介されているところのすぐそば。43万年前の地層が見えるというところである。

 地質学者による「発見」の直後(地震よりも数年前)から、道路からは何度も見ているが、今日は初めてその露頭の上に上がった。そこから、そのそばの原向集落の天代坂付近について次々と関心が湧き出てきて、結局、2時間ほど歩き回ることになった。その一番の極みは、原向集落の当部新田のいちばん奥の家・平塚さんの横手を走る道が、その先、どうなっているかを「探検」したこと。地図の記載にしたがって、最初、野口〜天代間の道路から入ったが、すぐに行き止まり。このあたりで主に花卉栽培をしておられる藤木虎勝さんに出会い、「この道は抜けられますか?」と尋ねると、「抜けられない」とのこと。それでも執念深くソバ畑に沿ってどんどん奥まで入った。でも、当部新田へは抜けられない。そこで、次は平塚さんの家の横手の道へ軽トラを進め、ほんの少し進んだところで、後は歩き。道形ははっきりある。ただし、低木等が繁っている(写真下)。落葉しているので、なんとか進み、虎勝さんの畑まで出た。最高に面白い。



 「面白い」という表現は語弊(ごへい)があるかもしれないが、そこには村の歴史が詰まっていると思うのだ。
 この後も、北野での配達の最後の1軒に向かったものの、またまた林道に入り、行き先の知れぬ道を進む「冒険」。これについては、「北野の林道から見た眺め」というブログ記事を作成し、アップした。
 しかし、こういうことをやっていると、体調がなかなか完全復調しない。夜になって、喉がかなりひどく痛くなってきた。

13日(金) 白鳥と横倉、小滝で計54軒を配達。白鳥では柿、横倉ではカブ、長ネギ、ターサイをいただいた。柿は午後にさっそく1個食べたが、適度の甘みでとても美味しかった。ターサイは初めてだが、塩・胡椒だけで炒めたら、最高に美味しかった。残念ながら、食い気が先に走って、ターサイの写真を撮っていなかった。10月の写真データを引っ張り出せば、直売所に出荷されているものを撮ったのがあるかもしれない。渡辺うめ子さんの畑での頂き物。

 今朝、一番の動きは津南町の見玉(国道405で秋山郷に向かう途中の集落)の「見玉公園」の見学・撮影。先日、秋山からの帰りに「見玉公園」という看板が目に入り、気になっていたが、昨夜、津南の人から「観光スポットとして成功している」と聞いたので、行ってみた。「石落とし」と呼ばれる地形が見られる場所である。



 たしかに、素敵なスポットである。
 この公園が誕生した経緯を公園の近くの土産物店で聞いたが、地元民の熱意の産物のようである。栄村の観光を考えるうえで学ばなければならないことが多々あるように思う。なにかの機会に紹介したい。
 白鳥での配達の後、診療所へ。先生からは「しばらく静かにしなさい」とのアドバイス。整理して活かさなければならない素材もたくさんあるので、外で“さわぐ”ことはしばらく控えることにせねばなるまい。
 
14日(土) 今日は秋山での配達。No.269未配達世帯を全部廻ると同時に、11月7日の秋山小メモリアルデーの記録集を全戸配布。
 今日の秋山はすごい強風だった。景色は1週間前とはすっかり様変わり。今日の強風もあって、広葉樹はすべて落葉。山々がとても寂しく、かつ厳しい表情を見せている。非常に衝撃を受けた。
 あまり「さわがない」ということで、山に入ったりはしなかったが、切明で最後の2軒の配達が終わった後、秋山林道をミズノサワまで走った。なんとも表現が難しい景色であった。上に書いた「とても寂しく、かつ厳しい」ということに尽きるかもしれないが、これは一度は見ておくべき景観だとも思った。写真を1枚だけ示す。小雨が降っていて、水滴がつき、あまりいい写真ではないが。かなり暗く見づらい写真かもしれないが、私の脳裏に焼き付いているものはもっと暗く、厳しいものである。



 今日の“最大の出来事”は長崎の高校の同級生という若者4人組に出会ったことだろう。これにつてはブログに詳しく書いた(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2035)。
 上記のとおり、切明の先まで行ったので、帰路の405号線はすでに暗かった。
 
15日(日) 朝、「秋山小メモリアルデー2015年11月7日」20部を教頭の斉藤充子先生に届けに行き、何ヶ所かの工事現場を撮影した後は、No.270の原稿準備。
 午後は集落の水路普請。3時頃に雨が降り出し、私が参加した場所は予定を切り上げて終了。途中、水路沿いから見える景色は最高だった。明日にでも、晴れたら写真に収めておきたい。
 朝、貝廻坂工事の完成状況を撮影に行った時の1枚を紹介しておきたい。関田山脈側から見れば雲海が見えたことだろう。



 

配達日誌11月3日〜10日

3日(火) 昨夜は比較的早く眠りに就いたが、朝目覚めると体調は悪い。配達は断念し、米・野菜の発送と、午前・午後2回の依頼された仕事のみをこなした。
 夕方に2時間くらい眠った後が体調最悪のピークか。お腹にやさしい軽い夕食を食べ終えた頃から体調が落ち着き、日誌を書いている今はBSで「百名山スペシャル」を見ている最中。
 明日は体調が回復していても、あまり無理をせずにかなりの休養をとるようにしたい。今日会った友人も夫婦二人で風邪で、「この風邪はしつこい」と言っていた。私の前に風邪をひいた知人も長引いていた。
 今日はそういうわけで1枚も写真を撮っていない。
 
 夕刻4時頃、直売所をちょこっと訪ね、「今日の人の入りは?」と尋ねると、ほぼ一日雨であったにもかかわらず、「かなりの人出ですよ」というご返事。

 10月は自分でもたいへんな無理をしたと思っている。
 ただ、その成果も大きい。
 今まで持っていなかった“目”が養われたように感じている。今日、直売所に置いた小パンフ「11月2日の紅葉」に収めた東部地区での紅葉風景などは昨年までの私の視界には入っていなかったのではなかろうか。
 人生65年。いまのように活発に動ける時間はこの先、そんなに長くはないだろうが、動く中でさらに自らの視野の中に収めたいもの、そして知りたい・学び取りたいと思うものが多々ある。人生の62年目でさまざまなものを一挙に失う事態に遭遇し、いまは何も持たない身であるが、最も幸せなときを過ごしているように思う。
 10月の経験は、栄村の観光のあり方をふくめて、11月にじっくりと総括し、深めていきたいと思う。
 
4日(水) 奥志賀公園栄線が今日の昼で冬期閉鎖されるので、「野沢温泉やまびこゲレンデゲートまで」という限定つきで出かけた。
 なかなかの景色で、「火打山」という存在(しかもすでにしっかり冠雪)を知るなど、収穫は大きかった。


火打山

 だが、野沢温泉村に下りて、飯山で買い物・昼食をとって帰ってきたが、体が急速にしんどくなってきて、午後は家で就寝。夕刻に起きたら、調子は戻ったよう。
 夜は奥志賀公園栄線のブログ記事を書いて、アップした。
                                  
5日(木) 昨日、野々海の様子を見ておきたいと思いながらも、「奥志賀公園栄線は今日で閉まる」ということで奥志賀公園栄線の取材を優先した。そこで、今日は午前中、野々海へ。家からスキー場の山の方を見たら快晴だったが、風が少し気になった。しかし、野々海に上がってみると、風もほとんどなく、これまでに野々海で経験した天候としては最高の状態。


完全に落葉した野々海池と水番小屋

 徹底的に写真を撮りまくったと言ってもいい。とくに野々海峠からの眺めは最高だった。野々海池に落葉した樹々の姿が映る絵はいまひとつうまく撮れなかった。去年のベスト・ショットを見てから出かけるべきだった。

 信越トレイルの野々海峠入口で出会った人と少し話した。「伏野(ぶしの)峠から歩いてきました。今日で6日目です」とのこと。信越トレイルの踏破には5〜6日かかると聞いていたが、実際に6日間も歩いている人がいることにまず驚いた。さらに、かなり若く見えたのでお尋ねすると、「ええ、勤めがあります。今週は1週間休暇をとっています」とのこと。なかなか有給休暇が取りづらい日本社会だが、こういう人もおられるんだ。これが2つめの驚き。だけど、こちらの観光施策如何ではシニア世代だけでなく、もう少し若い世代も惹きつけることはできるということだ。
 午後は平滝や森などで66部を配達。
 夕刻をすぎても体調がおかしくなることはなし。ようやく回復の兆しが見えてきたか。夕刻にも野々海へ。
 夜は野々海の写真を整理し、ブログにアップ。0時近くまでかかり、この作業はきつかった。
 
6日(金) 昨夜のブログ記事の追加を編集したりして、出かけたのは10時すぎ。午前中は主に大久保での配達。朝は結構寒かったのに、気温がグイグイ上がり、参った。風邪ひき中なのであまり薄着はよくないと思い、途中までセーターを着ていたが、たまらずに脱いだ。
 この「気温差攻撃」で昼食後はしんどく、1時間ほど寝て、4時すぎから配達再開。青倉、森で79軒。暮れるのが早くて、最後はもうすっかり暗い中での配達だった。午前中と合わせて121軒で、久々に3桁の配達軒数となった。

 大久保では眺めがよくて、いろんな写真を撮った。また、治信さんが「つんね」で作業されているのが見えたので、訪ねた。奥さんもご一緒で、治信さんは草刈り、奥さんは野菜の世話。紫白菜など珍しい野菜がいろいろ育てられていた。ちょうど赤かぶを抜いておられたところで、「持っていくかい?」と言われ、7〜8株いただいた。これを浅漬けにしたもので、お茶漬けサラサラというのは最高。数日後の楽しみ。


手前が紫白菜

          引き抜いて下さったカブ
   
7日(土) 今日はフル稼働。朝から森、雪坪、志久見で57軒を配達。その後9時すぎから1時間ほど依頼された用件をこなし、10時20分に給油して、日出山線経由で秋山へ。この間、なかなか配達に行けていなかった屋敷集落で27軒を配達。これが12時すぎまで。秋山小のメモリアルデー開会が午後1時なので、駐車場所の秋山小クラウンドの車中で昼食。終了が予定をかなり超過して4時。この間、約3時間半ほど体育館の床で立ちっ放し。これはかなりきつかった。
 引き続き、小赤沢で13軒の配達をし、「秋山小を語る夕べ」会場の「とねんぼ」へ。ここでの取材が午後7時10分すぎまで。8時には下(国道117沿い)に着けたが、まさに丸一日フル稼働だった。

 メモリアルデーはなかなかいいものだった。「閉校式典」とは銘打たず、「メモリアルデー」としたところに地域の苦渋と知恵を見ることができる。


子どもたちの演奏に聞き入り、拍手する歴代職員や地域の人たち

 地域の代表の挨拶にはその苦渋が垣間見え、「語る夕べ」の席上での地域の人の発言や歴代職員の言葉・メッセージにはかなり率直な閉校批判が見られた。それに比して、村長の来賓挨拶にはその陰りもなかったのは、予想できたこととはいえ、いまの栄村の現状を象徴していて悲しい。
 メモリアルデーの会場には秋山郷の歴史(近現代史)を語る貴重な資料も展示されていた。それを詳細に拝見する時間はなかったが、機会を見て改めて拝見させていただければと思う。「人口ビジョン」が云々されているが、「秋山ビジョン」こそ真剣に、しかもかなり急いで検討しなければならないのではないかと痛切に思う。
 
 往路に日出山線を選んだのは正解だった。日出山線沿線、ブナのトンネル、布岩でこの時期の素晴らしい景色を撮ることができた。





 上の2枚は10:44撮影。たしか下日出山よりも手前だったと思う。日出山線沿線は10月下旬〜11月初旬の紅葉の穴場だと思う。1枚目の写真はこの下が横平川の深い谷なっている。2枚目は道路の上を見上げたもの。雪崩防止柵があり、冬の大変さが感じられる。
 
8日(日) この間、「ダウンした」というのはあっても、積極的に休養日をとることができなかった。11月の「復興への歩み」発行を2回とし、少し余裕が確保できたので、今日は休養日にしようと考えた。
 だが、昨夜早めに就寝したせいか、4時半過ぎに目覚め、5時すぎには起床した。そして、昨日のような催しの取材写真が大量にあると、やはり早いうちにデータを整理しないと、記憶もあいまいなところが出てきてしまって、データが生きない。
 写真を選びながら、「メモリアルデー」の部分のアルバムを編むだけでほぼ正午までを要した。5時間半ほどの作業。かなりきつかったが、早いうちに作業してよかったと思う。

 写真データを見ていて、つくづく思ったのが、室内会場での催しの写真撮影の難しさ。挨拶している人や演技している人のあまり近くに進むのは憚れるし、会場のみなさんの視線を遮るような位置に立つのも憚れる。そうすると、どうしても遠くからの撮影になり、なかなかいいものが撮れない。取材者としての「プロ意識」をもっと鍛えなければいけないのかなあとも思う。

 午後も一休みの後、夕刻にかけて「秋山小を語る夕べ」の写真のピックアップ作業。
 外での動きなしでPC作業ばかりというのは「休養」どころか、いちばん疲れる。作業の姿勢をよくすれば楽になるのだろうが、PC上のデータを見つめ続ける作業はなかなかそうもいかない。
 夜は基本的に作業せず、9時から縄文時代を取り上げたNHKスペシャルを観た。いろいろと刺激を受けた。それについてはどこかで触れたいと思う。
 今日は写真撮影ゼロ。
 
9日(月) 昨夜は早い目に寝たが、7時までぐっすり。じゃあ、体はスッキリかといえば、そうでもない。昨日は丸一日動かなかったうえに、夕食を少し食べ過ぎたよう。
 朝、ブログのアップ作業などをしたうえで、9時すぎに出発。

 配達の最初は志久見だったが、「志久見集落を徹底研究してみよう」という思いがあり、集落のいろんな所で写真撮りをしながらの配達。
 注意して見ると、地震後取り壊された家の跡も見える。また、落葉が進んだこの時期は、山のあり様などを含め、地形を見極めるのに最適の時期。今日だけでは必要なものをすべて撮りきれていないので、後日、追加撮影をして、まとめてみたい。1枚だけ紹介しておく。



 県道左手に「志久見」の標識があるところから志久見川に下りて撮ったもののうちの1枚。写真奥が上流だが、写真中央から左(川の右岸にあたる)を見てもらいたい。左側の山の斜面と、川沿いというか川の中というべきか、草だけが生えているところとは、あきらかに別に形成されたものだと見ることができる。草が生えているところは上流から押されてきた土砂が堆積したものだと思われる。この結果、志久見川の流れは左岸、つまり志久見集落寄りに変わり、県道が走る河岸段丘と志久見川の間の崖面を浸食。大雨によって志久見側の護岸が破壊される構造になっていると言えると思う。以前に一昨年の台風18号被害をうけての志久見川の護岸工事をめぐって少し書いたことがあるが、災害復旧工事はこの根本問題に対処していない(できていない)と思う。
 
 その後、柳在家、原向、天地、坪野、天代で配達したが、これまで入ったことのない農道に入るなど、いろいろと探検。「栄村の自然を生かす・活かす暮らし方」を念頭においてのこと。これは写真データを整理でき次第、ブログ記事にまとめる。また、直売所を数日ぶりに訪ねた。
 午後は、風邪が根本的には抜けきっていないようで、先週月曜にもらった薬が今日で切れるのが心配で診療所へ。その後、横倉などで34軒を配達、今日は計86軒。

10日(火) 今日は午後の一定の時間を除いて基本的に雨降り。
 午前中にプリンターのメンテナンス作業があると通知を受けていたので、午前は配達に出ず、昨日の原向〜坪野での“探検”の記録をまとめ始めた。
 プリンターのメンテナンスは無事終了。部品の交換がされた。以前の機械であれば、少なくとも6〜7万円はするもの。現在のプリンターはこうした部品の更新を込みにした契約なので助かる。ただし、その分、月々の支払いは、プリンターをA3用紙が1枚通るたびに約10円で(「復興への歩み」を1部印刷するにはプリンターを表裏2回で計4回通すことになる)、大きくなるが。
 午後は配達に出るつもりだったが、昼過ぎに会った人との話が長引き、結局、午後も配達なし。その代わりと言ってはなんだが、“探検”のレポートを一気に完成へ。風邪の症状がいちおう引いてきたのか、PC作業をかなりぶっ続けでやっても、そんなに疲れなかったが、夕刻7時を廻るとさすがに疲れてきた。校正したり、ブログへのアップをしていたら、0時を廻ってしまった。
 そういうわけで、今日はあまり写真を撮っていないが、少ない中の1枚を掲載する。



 この写真について一言。
 紅葉だけを写した方がきれいかもしれないが、いわば「暮らしの中の景色」というようなことにこだわり、あえて無粋なスノーシェッドや法面枠も入る構図で撮った。
 

配達日誌10月28日〜11月2日

28日(水) 風邪で休養。熱は出ないが、とにかく体がだるく、重い。午前中は基本的に寝ていたが、午後はあまり寝ているのばかりも嫌なので、東部パイロットで昨日撮った写真を整理し、「東部パイロットから栄村の四方を眺める」を編集。ただし、公表はもう少しいろんなことを調べてからにする。
 夕刻は、6年前に「囲炉端味噌」のパッケージデザインをしてくれた京都精華大学芸術学部の卒業生が来村されたので、一緒に食事。
 
29日(木) 今日は一日、昨日来村された卒業生を案内。秋山、五宝木、天地を訪ねた。
 「『春、山に入れば、2〜300万円は稼げるよ』と言っているおじいさんがおられますよ」と話すと、「えっ、どうして?」と興味深々の様子。五宝木で山田政治さん・せきさんご夫婦を紹介し、その後、五宝木の共有地に案内し、彼女はそこで天然のなめこを見つけて、大喜び。これで政治さんの話も理解されたようだ。
 私が見過ごすようなものにカメラを向けてサッと撮影(左写真)。「さすが、デザイナーだな」と感心。


 
 村を案内し、満足してもらえると、とても嬉しいもの。「ガイドをやったら」と薦めて下さる方がかなりおられるが、ガイドを本格的に仕事化したら、「復興への歩み」の発行ができなくなる。私なりに持っている知識などを伝えて、ガイドを担ってくれる人を生み出していきたいと思う。
 
30日(金) 配達がいちばん遅れている森、平滝、白鳥を廻った。
 その途中で、ひんご遺跡、箕作・平滝間の橋の建設現場を取材。
 ひんご遺跡の発掘調査では、多くの村民の方々が猛暑の中で頑張られた。その成果は大きいと思う。心から敬意を表したいと思う。
 橋脚建設を請け負っておられる塩川組の現場代理人・平澤さんに久しぶりにお会いしたが、私が橋脚建設現場の様子を2月の「復興への歩み」で取材・報道したことがきっかけで、県建設事務所が種々の工事について、完成後の姿の紹介だけでなく、建設中の作業の様子を紹介するようになったというお話を聞いた。私は震災以降の復旧・復興工事を見つめる中で建設業の重要性を強く感じている。私たちはもっともっと建設工事現場の様子を知る必要があると思う。
 
31日(土) 朝は3時だったか4時だったか、とにかく早くに目覚め、室内作業をしながら夜明けを待ち、中条川上流崩壊地点の久々の取材へ。崩壊地の紅葉が今秋見た紅葉の中でいちばん綺麗だったのに皮肉を感じた。
 午後は、東京・駒場保育所の父母OBに人たちが来村されたのでご案内。夕暮れ時の野々海池が、寒かったが、とても素敵だった。


夕暮れ時、野々海池を訪れた駒場のみなさん。「あら、冬だわ」の声が。

1日(日) 昨日来村された駒場保育所の父母OBの「いたどりの会」のみなさんが、今日の午前中、野々海水路の普請のお手伝いをしてくださった。
 世話役の山口さんから「2日目の午前中は村らしいアクティビティをしたい」という希望が伝えられてきて、「何にしようか?」と思っていた時に、野々海水路の普請が11月1日であることがわかった。そこで、平滝集落の手伝いをさせていただくのがいいのではないかと考え、平滝の区長さんに希望を伝えて、ご了解をいただいた。
 全部で男女10名。ほとんどの人にとって慣れない作業だったと思うが、午前8時半から11時半頃までの3時間、おおいに活躍していただいた。夜、区長さんに電話したところ、こちらが恐縮するほどに感謝していただいた。
 普請は高齢者が増える中でギリギリの人数でやるとなると、かなり厳しいことになる。ところが、人数がたっぷりで賑やかにやると、気持ちも軽くなる。今後、普請のお手伝いそのものを主題とする栄村体験ツアーを積極的に企画していきたいと思う。


平滝の女しょと駒場の女性、一緒に作業し、随分仲良くなられたようだ

 駒場のみなさんとは午後2時頃に「道の駅」でお別れし、その後は「復興への歩み」No.269の編集。                 
 普請の集合点・ケンノキ(標高約900m)に着いた時に見えた景色を1枚。中央に見える雪を被る山は北アルプス。



2日(月) 朝、折りの作業など。意外と手間取り、10時少し前に配達へ出発。ただし、10時半頃に天地で移住を考えられている方とお会いする約束になっていたので、野田沢と程久保で4軒を配達したのみで天地へ。
 斉藤克己さん宅でその人と3時間ほど話し込んだ。途中で勝美さんが昼食を出して下さったのだが、八頭(やつがしら)の煮っころがしが最高に美味かった。写真を撮らなかったのが残念。
 その後、東部地区で協賛者宅への配達をしたが、途中で見た雨上がりの景色はなんとも表現しきれない素敵なものだった。写真ではうまく表しきれていないが、野口と天代の間の道から見た景色がとくに素敵だった。
 


奥に見えるのは関田山脈の山並み。雨上がりの雲が出ている。山から見れば雲海になっているだろう。

 配達の途中から風邪の症状がぶり返し、市販の風邪薬も切れていたので診療所へ。検査もしてもらって、こじらせてはいないことがわかったが、いろんな薬を出していただいた。今日は早めに休むことにする。

 

配達日誌10月20日〜27日

20日(火) 配達が大幅に遅れているので、No.266と267の2号分が未配達のところを廻りきりたいと思い、9時前から動き出し、まず東部に入った。
 しかし、志久見の配達を終えたところで、「志久見街道の大峠(おおとうげ)付近の紅葉の具合を見ておこう」と山を上ったのが予定を狂わせてしまう一歩になってしまった。

 大峠を下り始めるとすぐに志久見水路と交差する。そこを左に曲がり、1分も歩けば、「小滝を望む」というポイントになる。そこから先は歩いたことがなかった。暮坪集落に通じているのだが(暮坪から水源の奈免沢川までは歩いたことがある)、村道滝見線で暮坪まで車で20分ほどかかるので、大体の距離感はあり、水路を歩くと相当の時間を要するとわかってはいたが、どんどん歩き進んでしまった。
 歩き進んだ一つの原因は、ちょっと進むと、大峠付近よりも紅葉が進んでいて、しかも今年は全般的に綺麗にならない赤色がここでは綺麗に出ていたことにある。
 水路は千曲川沿いの地域からすれば標高が200m以上高い所で、山の中腹をほぼ等高線沿いに進む(水は高い所から低い所へしか流れないが、水路沿いに歩くと、ほとんど同じ標高を歩いている感じ)。両側に木が繁る中を歩いていくのだが、所々で展望がきく地点に出る。こんな感じ。




 
 こういう眺望のきく地点が暮坪までに3〜4ヶ所ある。
 これは超満足できるコースだ。「秋山郷、野々海の紅葉がピークを過ぎた頃に紅葉を楽しめるスポットを見つけたい」という秘かな願望を満たしてくれる。

 戻ってくるとお昼。昼食後、配達の続きに出たが、原向・野口地区で印刷部数が尽きた。
 「そろそろ、ソバの収穫期かな」と思い、山道を進んだところにあるソバ畑へ。これも最高に美しい。その後、いったん家に戻り、印刷と折り、そして夕暮れ時の箕作集落での配達へ。今日は117軒。約70軒が残ってしまった。

 夜、ブログ記事「侘び・寂びの紅葉」を制作・アップ。志久見水路のアルバムを作りたかったが、無理。また、No.268の編集も明日へ。
 
21日(水) 朝6時半の村内放送で目が覚めたが起床せず、7時すぎに再度目覚めて起床。
 配達が残った約70軒は、No.268を編集・印刷したうえで、3号分をセットで配ることにし、まずNo.268を編集。いっきに編集を進め、昼過ぎにひとまず必要な分の印刷もできた。
 お昼は運転しながらおにぎりなどを頬張り、横倉、野田沢、程久保の順に廻った。貝廻坂が日中でも片側通行できるようになったことが大きい。計76軒。


妹木で牛舎の建設が進んでいた(午後3時すぎ)
 
 しかし、右腕の調子がおかしくなってきた。腰も爆発寸前の様子。夕刻、十日町へ走り、接骨院へ。主訴は右腕ということで施術を受けたが、「右腕だけ?」と聞かれ、「右腰も怪しい」と答えると、「うん、腰も硬いね」と言われ、徹底治療。
 治療後、かなり楽になった。
 「10月が終わったら、ぶっ倒れる」と自分自身で言っていたが、目算よりも10日ほど早くボロが出てきた。まあ、調子を整え直して頑張りたい。

22日(木) 今日は午前8時頃から頼まれている仕事があり、それは夕方までかかる。5時半起床で、配達を6時すぎから始めた。家を出る頃はまだ車のスモールランプを点灯。廻れたのは41軒。
 当部付近の北野川の紅葉風景はそれなりのものが撮れた。

 極野の小学生の登校風景も撮った。集落内を歩き、スクールバスが車での間、遊ぶ姿は素敵。間もなくバスが来て、県道を下って行った。「バスで学校へ」というのは少なくとも小学生には望ましくないと思うのだが、少子化の中で、そういうケースが他の地域でもさらに増えていくんだろうなと思う。





 1枚目は7時37分、2枚目は44分の撮影。

23日(金) 朝、天気がよい。配達に精を出さなければいけないのだが、野々海に行っていなくて、落葉期の様子を見ておきたい。
 「まず平滝で配達して、その途中で野々海へ上がろうか」とも思ったが、スキー場からのコースを最近走っていないので、結局、スキー場から。

 8時半すぎに出かけて、平滝に下りたのが午後2時すぎ。まあ、いろいろあった。スキー場の最頂部で春にイワウチワがきれいに群生する山へ。ここで道に迷ってしまった。後で写真データに記録されている時間を見ると、15分間ほどさ迷った。リフト降り場に車を停めていたが、山から出たのはかなり下。ゲレンデを上る羽目になった(下写真)。


ここを最頂部のリフト降り場まで上った

 野々海池を撮影した後、当初は「行っている時間はない」と思っていた白鳥水路沿いの道を、結局、下った。白鳥から管理道路で車が上がれる終点まで行って、往きが30分、戻りは上り坂の連続で40分。月岡富士男さんが言っておられた時間にピッタリ。         
 キャンプ場で東京・府中市から来られたご夫婦と会った。東窓の木道をご案内したが、奥さまが「いいところにお住まいですね」と。うーん、たしかにいい所だが、「いいところにお住まい」というのとはちょっと感覚が違う気もする。
腰は最悪の状態。平滝で少し配達した後、十日町の接骨院へ。ついでに、ジャンパーが昨冬の配達でもう使い物にならなくなっているので、イオンで新しいものを購入。これで寒くなっても大丈夫。

24日(土) 昨日、直売所で「秋山の紅葉も『もう終わり』とお客さんが言っていた」と聞いた。
 やはり、秋山郷の紅葉の全体像をきちんと把握しておきたい。1つは観光パンフなどで紹介されている「名所」の今日あたりの様子(紅葉のピークが終わる頃の様子)、もう1つは10月6日に走った奥志賀公園栄線コース、そして雑魚川の遊歩道が10月下旬ではどうなっているのか。

 朝、直売所前に置く24・25日用の小パンフの印刷やブログ発信、泉平で数軒の配達をして、コースに入ったのが8時24分(下写真)。



 11月に入れば、いつ雪が降ってもおかしくないが、奥志賀公園栄線が11月4日で閉鎖されるのはいささか早い。あと1週間はなんとかならないだろうか。案の定、泉平〜野沢温泉スキー場間は紅葉がよく、いい景色だった。落葉期も含めて、11月10日頃までは見られるようにできないものか。
 カヤの平のカラマツの紅葉はちょうどいい頃。切明までの秋山林道の紅葉はほぼ終わり。
 切明から屋敷、小赤沢にかけてまではいまがピークないし、ややピーク過ぎというところか。
 結局、5時すぎに直売所まで戻ってきた。
 
 夜、紅葉の写真撮影に来られた写真愛好家の方たちとお話。
 そこで、ひとつ、面白いことがわかった気がする。
 私が当部集落付近で北野川沿いの紅葉の写真を見ながら、「前倉橋の他に川と紅葉がワンセットで撮れる場所は他にはないですか?」と尋ねてこられた。(下写真は時間をかけずに撮ったので、カメラアングルの工夫がもっと必要だが、いいポイントであることは確か。



 春の「中子の桜」はある人がネットにアップした1枚の写真がきっかけとなって超有名になったと言われている。要はなんらかの情報発信が行われるかどうかで「名所」が決まっていくのが現代社会なのだ。いつもいつも決まりきった写真を観光パンフに載せているのではお客は増えない。
 この写真愛好家の人たちから村内のある特定のミズバショウ群生地について、「今春、行こうと思ったが、行き方が分からなかった。行けますか?」と尋ねられた。あまり変に有名になって「中子」のように人がわんさか押しかけてくることになっても困るが、地元に受入態勢があれば、有名スポットが栄村にいっぱい誕生することは間違いないだろう。
 
 体はくたびれきっていたが、明日発送の「お米のふるさと便り」制作のために写真選抜作業を行い、就寝は0時半頃だったか(25日追記)。
 
25日(日) 昨夜お会いした人たちにお知らせしなければならないことがあって、朝8時頃に電話すると、もう天池に着いておられた。現在気温が5℃で、風が強くて寒いとのこと。

 今日は、午前中は「お米のふるさと便り」の編集で室内作業。午後、文化祭をのぞいたうえで、配達。とにかく「寒い」の一言に尽きる。とくに午後4時頃、大久保集落を廻っている頃がいちばん寒かった。その後、5時頃にR117沿いに下りてくると、さほどの寒さでもなかった。やはりちょっとした標高差で相当に気温等が異なる。
 青倉集落に入った時はすっかり暗くなっていたが、計29軒を廻った。
 
 今日の天気が寒いというだけでなく、なにか変なものだった。
 午後2時を廻ると、陽が傾き、それが里山を照らし出して、非常にいい雰囲気の景色になる。「ちょっと1枚撮りたいな」と思うと、次の瞬間、陽が陰っている。その正体は、



 上の写真に見られる雲の二重構造、あるいは「空の三層構造」。
 青空と陽を通す明るい薄雲、その下を黒い雲が強い風に流されながら激しく動くのだ。
 こんな雲の動きをしげしげと見つめたのは人生で初めてのことかもしれない。
 
26日(月) 秋山の屋敷集落の配達が遅れているので、今日はまず秋山へ。そして、それにはもう一つの狙いもあった。天池の写真も撮っていきたかったのだ。18日に、池に鳥甲山の姿が完璧に映っている1枚が撮れたのだが、秋山の人がFB(フェイスブック)で「もう少し色づきが進めば…」というようなことを書いていたので、紅葉の赤みがさらに進んだ1枚を撮りたかったのだ。24日に撮った時は午後の逆光時間帯、しかも鳥甲山の姿は鮮明に見えなかった。
 今日は晴れているので、「撮れる」と確信して、秋山に入って、まず天池に向かった。そこそこのものが撮れたが、紅葉はピークを過ぎており、また、時間と光線の具合か、池に鳥甲山は映らなかった。

 そんなふうに天池の撮影にこだわっている私だが、ずっと疑問に思っているのは、栄村の観光案内のパンフレットといえば、布岩と天池がほとんどメインのように出てくる。布岩はわかる。柱状節理の姿としては全国的に見てもトップクラスだろう。だが、池の美しさということでは、野々海池の方がよほど優れていると思うのに…である。
 地元のおかあさんに話を聞いて、わかった。私は、「天池」ということでパンフレットで紹介されるスポットよりも、その隣の沼地のような所(下写真)の方が景色がより優れていると思っているのだが、そのおかあさんによれば、その「沼地」こそが本来の天池だというのだ。手入れ不足で充分な水が入っていないのだという。



 それはさておき、午後になって完全に予定が狂ってしまった。
 朝、秋山に向かう途上で苗場山の初冠雪が目に入り、矢櫃トンネルを出た所の「秋山郷ビューポイント」に立ち寄るなど、少し予定にない行動が入ったが、昼食を小赤沢で摂った後、基本的に屋敷に向かうつもりだった。ところが、小赤沢で数軒のみ配達しようと歩き出した瞬間に再び冠雪した苗場山が眼前に現れた。「初冠雪の苗場山と秋山(小赤沢)の紅葉」というテーマの1枚を撮りたいと思い始め、配達しながらポイントを探ったが、なかなかいいポイントが見つからず、ついに3合目駐車場にまで行った。
 3合目から再び小赤沢に下りて、配達を終わった時は午後3時を廻っていた。結局、屋敷での配達を後日にまわし、五宝木の6軒で配達して、帰宅へ。
 夜、かなり体がきつくなっていたが、「初冠雪の苗場山」をブログにアップして、就寝へ。
 
27日(火) どうやら風邪だ。しかも、これまでのように「ちょっと風邪気味」というのではなく、きちんと直さないとヤバイなという感じ。
 朝から体が重かった。さらにいえば、昨夜、いつもだったら編集作業が終わった後、1〜2時間ほど、TVを見たりなんだりしているのだが、体が眠ることを求めた。
 昨夜も今朝も、「まあ、この間の行動で疲れているのだ」と思っていて、午前中、いつもの薬をもらいに診療所に行った時も、とくに不調は言わずに帰ってきた。
 しかし、午後の配達を始めると、さらに体のだるさが増し、全身の筋肉の軽い痛み、喉のかすかな痛みと、風邪の症状が揃ってきた。
 坪野集落で配達を終えたところで、今日の配達の切り上げを決めた。それでも、幸一さんのキュウリ畑の蔓を切った後の様子、正春さんらのソバ畑の様子を見ておきたいと思い、原向から東部パイロットのあたりを約1時間、動きまわり、いろんな写真を撮った。素晴らしい景色がいっぱい目に飛び込んできた。
 
 午後4時から2時間、布団をかけて眠り、少し持ち直した。
 今夜は真面目に早く就寝しようと思う。

 

配達日誌10月10日〜19日

10日(土) 今日・明日は稲刈り等で来村されるお客さまの受け入れ・案内が主軸。
 ただし、9時台に頼まれた仕事があったので、まず、その関係で平滝へ。この用件はすぐに終わった。
 その前に、昨日午後の秋山(屋敷)行きで分かった日出山線コースの紅葉の進み具合を案内するパンフレット・ブログ記事を編集・発信。印刷したものを直売所かたくりの雁木下の観光パンフの所に持っていったら、5日の野々海、6日の雑魚川遊歩道、もみじわかばラインのパンフレットがほとんど無くなっていたので増刷。
 銀座4丁目のお店のご主人がアスパラ、ズッキーニ、ワラビ等でお世話になって農家に挨拶廻りされるのに同行。


滝沢総一郎さんと銀座のお店のご主人

 滝沢総一郎さんとはアスパラ畑でお会いし、最近あまり聞けていなかった秋のアスパラの手入れの状況を詳しく聞くことができた。最近は今秋の稲刈り・脱穀で出た籾殻を入手して畑に入れる作業が佳境。毎年、籾殻を入れていくことによる土の変化について熱心に話されていた。
 白鳥の月岡富士男さんの標高700m以上の田んぼ・畑にも案内したが、そこに至る道に銀座のご店主は相当驚いておられた。
 稲はまだ青さが残っている。先日の爆弾低気圧で稲が倒された。稲刈りできるのは20日に近い頃になるのではないだろうか。標高が高いので紅葉がずいぶんときれいだった(下写真)。



11日(日) 朝方に少し雨が降ったものの昼間は青空も出て、田んぼ2枚の手刈りでの稲刈り。
 昼ごろまでに終われると踏んでいたが、昼食を挟んで、2枚目のはぜ掛けが終わったのが3時。2時頃にやっとありつけた昼食の焼肉。とりわけ野菜類が非常に美味かった。銀座の料理店のご主人は栄村の野菜のさまざまな品目が「そうとうにいい素材として使える」という確信をますます深められたようだ。
 4時に青倉を出発して、銀座のご店主を今夜の宿・切明温泉まで案内。極野〜五宝木〜林道で切明というコースだった。五宝木に近くなった頃から霧がだいぶ出て走行が厄介だったが、紅葉がいっきに進んでいるのに驚いた。切明到着が5時10分頃、私は家に戻るので5時半に出て405号線を走り、6時40分に到着。「トマトで温泉に入りたい」の一心で走り続けた。
 ここ1週間、長距離を走り回り、紅葉関係の案内パンフ類をすでに4種類制作しているので、体はバテバテ。今夜は体中が痛い。でも、「秋山の紅葉の様子のアップを」ということで、布岩と切明の様子の写真をブログ等にアップ。
 稲刈り時の写真を2枚。





12日(月) 一昨日、昨日と動きっ放しだったので、「今日はゆっくりしよう」と思い、白鳥の山の上の水路(管理道路)の紅葉の様子を見に出かけた(下写真)。「まだやや早いかな」という感じではあるが、なかなかよかった。早速、「白鳥の水路を往く」というブログ用記事を作成。



 続いて、10日・11日の多忙さで未完成だった「復興への歩み」No.267を完成させ、夕刻、大久保集落などに配達。
 夕暮れ時の景色があまりに素敵だったので、ブログ記事「夕闇が迫る頃のむら」を作成・発信。
 「ゆっくりしよう」はまったく現実とならなかった。まあ、この10月は走りまくるしかないのだろう。紅葉期が終わった後の反動が怖いが…。
 
13日(火) 昨夜は体中がバリバリで全身痛かった。
 今朝、目覚めた時、スッキリ。「ああ、いい気持ち」と思ったが、時計を見てビックリ。9時を少し廻っていた。8時間近く眠ったのだろうか。
 印刷や折り作業があって、10時すぎから出かけた。
 11日夕に切明に向かった時、村道鳥甲線がとても綺麗だったので、その写真を撮りたいと思った。そこで、鳥甲線に入る極野集落の手前まで、県道沿いの家に配達して(脇道に入らなければならない所は後日配達)、12:05に鳥甲線に入った。天気は、朝方が雨で、あまり良くなかったが、結構いい写真が撮れた。途中、県外車に1台、出会ったが、このコースはもっともっと活かさなくてはならないもの。
 五宝木橋での撮影を終えたのが13:04だったが、Uターンして箕作で2時前に昼食にありついた。

 その後、泉平集落の配達へ。泉平の各所で撮影しながら配達したが、最後に、4月の雪消え期に写真を撮った武田充俊さんのズッキーニ畑を同じアングルで撮りたいと思い、集落の外れへ。
 その帰り、まだ入ったことがない林道らしきものが気になり、そこに進んだ。


紅葉とは無縁の杉林が続く林道

 どこかで引き返そうかと思いながらも、やはり先が気になり、どんどん進んだ。途中で2回、分かれ道があり、「大丈夫かな?」と心配になってきたが、どうも里に近づいている感じもあって、さらに進む。「どうも、東大滝(野沢温泉村)に出るのかな」と思いつつ進むと、突然、見慣れた景色が目に入った。白鳥集落だ。
 昨年3月末に野沢温泉村の明石(あかいし)集落で地滑りがあった時に上った山道に出た。その景色の素晴らしさ! そして、いま、「箕作大橋」(仮称)が建設されているバイパス道路が造成されている現場に出た。


明石の道路造成現場。写真奥に見えるのは平滝集落

 その後、平滝集落で頼まれていた用件を済ませ、もう少し配達もし     
て、今日は153部配達。                        
 夜、ブログ記事「10月13日午前の写真」(掲載写真48枚)を編集し、アップ。

14日(水) 秋山・小赤沢の配達が遅れているので、今日はまず秋山へ。小赤沢での配達を午前中に終え、昼過ぎに五宝木の山田政治さんを訪ねる予定で出かけた。
 小赤沢の配達は11時半すぎに終わり、ここまでは予定通り。
 ただ、秋山に入ると、予想以上に紅葉が進んでいて、真っ盛りという感じ。「これは今日のうちに秋山林道のミズノサワの写真を撮っておかないとチャンスを       
逃すな」と考え、昼食後に切明方向に走り、さらにミズノサワへ。本当に絶頂期だった。予定を変えてよかった。
 その後、五宝木に向かい、その途中で布岩のいい写真も撮れた。
 政治さんには断続的に電話をしていたが通じず、訪ねると、お留守だった。明日、電話して明後日、出かけ直そうと思う。
 帰宅後、「秋山郷の紅葉は真っ盛り」を編集し、ブログにアップ。早くアップすることを優先し、写真5枚のみの掲載とした。小赤沢でこまめに撮った写真などは別の形で活かしたい。

 今日、午後1時頃に切明で見た光景は、秋山の観光について考えるうえで示唆的だった。





 いずれも逆光で撮ったので、ちょっと見づらいところがあるが、1枚目はリバーサイドハウスの第2駐車場。小さくしか写っていないが、駐車場の端、川沿いの所に男性が一人座っている。写真には写っていないが、もう少し右手の所には女性がやはり座っておられた。いずれも弁当を広げていた。もう1枚は発電所に通じる吊り橋を散策する人たち。
 今日は昼間、ポカポカ陽気。秋山にやって来た人は時間の大半を車やバスの中からの紅葉見物に費やす。車から降りた時、ちょっとした散策や見晴らしのいい所での昼食(弁当)が楽しみなのだろう。
 切明は景色もいい。この一帯を自然公園化すれば、秋山(紅葉)観光に訪れた人たちがここで多くの時間を過ごし、したがってまたおカネを落とす機会も増えるだろう。志賀高原のホテルから来たバスの乗客がホテル用意の弁当を食し、トイレを無料使用し、ゴミだけを残していくという現状を大きく打開する鍵がこのあたりにあると思うのだが。そういえば、志賀高原は人びとが散策できるようなコースをたくさん用意している。

 秋山から帰った後、直売所で福原初さん自ら売る五宝木大根を買い、夕食は大根おろしをいっぱい載せたおろしトンカツを美味しく食べた。実際は写真の2倍のおろしをのせ、ポン酢をかけて食べた。大根の辛みとトンカツの甘みがミックスして最高。




15日(木) 午後、早々とタイヤ交換をした。
 7月から使っていたノーマルタイヤがもうツルツルのなってきていて、10月早々に新しいノーマルタイヤに換えようと思っていたが、時間がとれずにきた。山道を走ることが多いので、昨日あたりは相当ヤバイと思った。秋山での突然の降雪に備えて20日にはスノータイヤに換えようと思っていたので、「じゃあ、いっそのこと、冬タイヤに換えてしまおう」と考えた次第。
 今からスノータイヤにすると、雪のない道路での摩耗が進むとは思うが、どのみち、一冬を一本のタイヤでは乗り切れないことはわかっているので、交換した次第。これで秋山行きも怖くない。



 朝から好天。気持ちよく、午前中に青倉、白鳥で108軒廻れた。いろいろ写真も撮った。とくに主にかあちゃんたちの農作業姿に注目。9〜10月期の農作業風景を一度、まとめてみたいと思っている。
 午後3時半頃、平滝集落での配達途中に野々海へ上った。5日に上って以来、10日間行っていない。5日の段階で今秋の野々海の紅葉はヤマ場を越えたと思っていたが、「夕陽に映える野々海の紅葉」というようなものが撮れるのではないかというのが、当初の目論見。上る途中は結構いい紅葉だった(下写真)。


奥に見える紅葉は12日に行った白鳥の水路がある山のもの

 だが、野々海を上りきったところの三叉路が見える地点に来た時、驚いた。視界に入った野々海池の樹々がもうすっかり落葉しているのだ。平年の10月末の景色。後は初雪を待つばかりなのか。


落葉した樹々。私の大好きな風景。
                
 戻ってからブログ記事「早くも“晩秋”の訪れ」を編集し、アップした。
 夜8時半すぎ、国道117の気温表示は9℃。1桁の気温表示を見たのは今期初めて。朝は5℃くらいなのだろう。ここ1週間ほど、昨冬の灯油の残りで朝晩、ヒーターを入れていたが、灯油切れ。昨日、灯油を買い忘れ、昨晩、今朝と寒い思いをした。夕刻、灯油を買い込んで、今晩はバッチリ。

16日(金) 今日は五宝木での山ブドウ採りをなんとしても実現したいと考えた。
 今日の行動は、日出山線で秋山に向かい、まず、鳥甲牧場で五宝木大根の収穫現場を撮影した。つぎに五宝木の山田政治さん宅へ。山ブドウ採りだ。政治さんはデイサービスで不在。せきさんが、「私が案内するよ」と言われ、軽トラで山へ。随分奥まで入った。私の当初の腹積もりとしては、昼過ぎの山ブドウ採りの約束をして、いったん秋山に向かうという計画だったが、変更。山ブドウ採りを終わって五宝木を後にしたのはちょうど正午頃。


五宝木・山田政治さん宅近くの風景。いいところだ。

 その後、秋山林道で屋敷へ。途中、布岩の撮影。14日に撮影した布岩について、「ちょっと少し早いかな」と言った人がいたので、「じゃあ、もう1回」と思ったもの。
 数日前に屋敷の「みずと屋食堂」のキノコラーメンを話題にしていた人がいたので、みずと屋食堂に入り、キノコラーメンを注文。超満員でビックリ。お客さんは全員、県外の人。
 屋敷で「布岩めぐり」、つまり色んな地点から布岩を撮影し、続いて、天池の撮影へ。午後で逆光、しかも雲が垂れてきていて、あまりいいものは撮れなかったが。
 天池撮影終了後、上野原集落に戻って配達するつもりだったが、車をターンさせるために少し山を上ると、いい景色が続き、そのまま苗場山3合目の登山口まで。小赤沢に下る途中、大瀬(おぜ)の滝を撮影。
 帰路は東秋山林道。ここでも今までに見たことがない絶景に出会った。
 午後3時頃に帰宅してアルバムを作るつもりだったが、結局、帰宅は5時半。
 その後、ブログ記事「キノコラーメン@みずと屋食堂」、「五宝木大根の収穫作業」、「山ブドウを採ったよ」の3連発を作成。

17日(土) 昨夜の就寝は2時頃だったが、今朝は7時半にすっきり目覚めた。朝、まず、直売所かたくりに「秋山郷の紅葉は真っ盛り」の増刷を届けに行く。昨日、届けられなかったので、すべてなくなっていた。続いて、「布岩めぐり」と「秋山郷の紅葉は17、18両日が最高の見頃」を作成。後者はすぐに直売所かたくりへ。


直売所かたくりは今日も大盛況

 ところで、昨夜は0時前に作業を終え、その後、Eテレで「むのたけじ百歳の不屈」の再放送を見た。本放送の時はあまり見る気にならず、見なかったのだが、昨夜見てよかった。私の活動に参考になるところもあった。
 これを見始めた頃からか、左肩甲骨下の筋肉がみるみるうちに張り出した。それが今日になっても解消せず。午後、「湯上り整体」に行くことにしたが、少         
し撮影をしたりしていて、午後4時ぎりぎりに滑り込み。少し楽になった。今日は久しぶりの休養日ということかな、と思う。

18日(日) 今日は朝から秋山郷の上野原集落と和山集落の配達へ。この秋一番の好天で、いい写真が撮れた。動いている間に体が軽くなってきた。
 夜、10時すぎまで踏ん張って、ブログ記事「鳥甲山のビューポイントを探りながらの配達の日誌(10月18日)」を編集し、アップした。掲載写真は31枚。http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2002でご覧いただければ幸いです。

19日(月) 朝の目覚めはあまりよくなかったが、そんなことも言っていられない。15日夕に平滝で重平さんに会った時、「最近、見なかったね。どこかに行っているのかと思っていた」と言われた。今日の午後は北野の斉藤幸一さんからも「最近、見かけなかったね」と言われた。配達の遅れを取り戻さなければならない。
 昨日の午後は、直売所に置くパンフの補充ができなかった。今日は補充しなければならないが、土曜日に出したもののタイトルが「17、18両日が最高」というものだから、それの増刷というわけにはいかない。そこで、朝から、「紅葉を満喫し、冬もまた栄村を訪ねてくださいね」というタイトルの新しい8頁パンフを制作。持って行ったのは10時頃だったと思うが、午後1時前に行ったら、もうなくなりそうだったので、慌ててマスプリし、持って行った。
 そんな中で101軒を配達。
 夕刻、ようやく新しいポリバケツを買いに行き、山ブドウの漬け込み作業。みなさんのご意見にしたがい、ワインにする。数日、作業が先行している知人がいて、様子を見せてもらった。
 その知人を含む複数の人のアドバイスで、ゴミを取り除くだけでブドウは洗わず、房ごと漬け込み。





 これを「ワインレッド」と言うんだなあ。踏み潰しに使ったポリ袋が染まっている。


 
 

配達日誌10月5日〜9日

5日(月) 2日に配達しておきたかった25軒を朝、廻った。その後、「野々海にこの前行ったのは28日、様子をみておかなきゃ」と思い、8時半頃からスキー場→貝立山裏のコースでむかった。
 当初、「まず野々海に行き、昼頃に秋山に行こう」と思っていたが、野々海で3時間ほど費やしたか。今日の秋山行きは断念した。
 野々海の紅葉は、今年はだめ。野々海池の場合、正面を見ると、上の方はもう紅葉を終えて落葉しつつある。しかし、水面に近いところはまだ色づいていない。「紅葉真っ盛り」という図は今年は見られないと思う。期待できるのは、白鳥への水路にむかってブナ林の中を下るコースだけだと思う。


野々海池の西方向の様子

 野々海で4〜5組の人たちと出会った。千曲市、長野市、飯山市などから来られたようだ。昨年の様子をよくご存じの人は、「今年はだめだね。盛りはないな」と、私と同意見。
 また、三叉路の沼地のところで、「ネットで『いま見頃』と見て、来ました」という人がおられた。「えっ、それ、きっと私のブログだ」だと心の中で叫んだが、1日に観光協会がfacebookに「10月1日の野々海」という写真を掲載していることを知っていたので、「それかもしれない」と思い、口にはしなかった。
 野々海に何の案内板もないのは誠に残念。
 「今日中にブログをアップしたい」と、頑張って写真データを整理し、「10月5日の野々海」をアップ。


野々海峠に向かった時、道路の前面に日本海がワーッと視界に入ってきた。これには驚いた。

6日(火) 今日は、昨日行けなかった秋山に行くと決めていた。
 まず、直売所の様子を見て、それから出発したが、コースは箕作・泉平からスーパー林道(奥志賀栄公園線)でカヤノ平をぬけて行くもの。

 このコースを紅葉観光コースとして打ち出すとき、「出発点の泉平集落では稲刈りの真っ最中」という案内をするのもいいなと思い、泉平に立ち寄った。いい具合に4〜5台のコンバインが動いていて、いい絵になったが、ここでとんでもないアクシデント。撮影のアングルを変えたいと思い、田んぼの端を小走りに移動した時、足が棒に引っかかり、転倒。その時、右手の小指と薬指がカメラの角に当たり、猛烈に痛い。いったん帰宅して治療しようかと思うほど。それでも写真を撮り、その後、痛みをこらえながら、スーパー林道を走り、最高のドライブと撮影を実現して、帰宅は夕刻5時すぎ。帰宅の直前にようやく上郷の薬局で打ち身に効く塗り薬を購入。
 転んだ直後に撮った写真が次のもの。関田山脈をバックにした構図で泉平の稲刈りの様子を撮りたかったのだ。



 夜になっても痛い。指に力を入れられず、運転に無理があったのか、右腕の脇や脇腹に違和感。
 それでも、「今日中にブログにアップしたい」ということで、夜11時くらいまで作業。
 今日の一番の傑作はブログ記事のTOPに使ったが、「復興への歩み」にも使う予定。
 ブログは編集時間の都合もあって、雑魚川沿いの遊歩道に限定したが、じつはスーパー林道を進む時のこういう場面も素晴らしい。まるで青空にむかって走るような感じ。


 
 雑魚川沿いの遊歩道を1時間強歩き、「大滝入口」に出てきた時のこと。
 車を停めた清水小屋入口まで奥志賀栄公園線を40分ほど歩かなければならない。志賀高原方面に向かう車が来たら、乗せてもらえるように頼もうかなとも思っていた(いわゆるヒッチハイク)。
 「大滝入口」に1台の車が停まっていた。ナンバーを見ると、なんと鹿児島ナンバー。驚き、運転席に側に廻ると、窓が開いている。思わず、声をかけた。
    「鹿児島ナンバーですけど、鹿児島から車で来られたのですか?」
    「ええ。」
    「どういうコースで?」
    「九州自動車道、中国道…と普通に走って。」
    「鹿児島はどこですか?」
    「出水市(いずみし)。」
    「ああ、出水ですか。」
    「わかるんですか?」
    「ええ、……ということがありまして。」
    「あれ、悪いこと、聞いちゃいましたね。」
    「いえいえ。」
というように会話が進み、「じゃあ、乗って行きますか?」と言って下さり、清水小屋入口まで乗せていただいた。
 ちなみに先方は、ドライバーが30歳代の女性。その人のお母さんと思しき人、妹さんのような人、ドライバーのお子さんと思われる幼児の女の子の4名。お母さんは、「100名山はもうクリアしました」とのこと。素晴らしい人生を送っておられる。
 誠に有難いことであった。
 
7日(水) 昨夜、薬を飲み忘れ。2時頃に目が覚めて、薬を服用。そのため、起床は7時すぎ。
指の痛みはかなりひいていたが、左の二の腕の筋肉が張っている。右がダメで左腕に負担がかかったのか。それとも、「三段の滝」で一番の絵が撮れた時、かなり無理な所に行ったので、引き返す時に相当無理な動きをした結果か。

 2日午後〜4日は仕事なしの「休み」だったが、長距離移動で体は休まっていない。昨日も無理をした。それで、今日は散髪に行ったり、まとめ洗濯をしたり。事実上の休日。
 だが、散髪を終えて道路に出たところで、コンバインを積んだ中型トラックに出会った。「誰だろう?」と思い、運転席を見ると、長瀬の斉藤正春さん。「中尾の田んぼに向かわれるのかな」と思った。先回りをして、長瀬の志久見川に架かる橋の所で待って、写真を1枚(下写真)。



 その後、ご自宅に向かわれたので、話を聞くと、「午後、稲刈り」とのことで、午後、中尾に行った。
 正春さん、「復興への歩み」No.265の2頁に掲載したソバ畑の写真をえらく喜んで下さった。ソバ刈りの日取りを伝えてもらうようにお願いした。

 昼頃から頭が重くなってきた。3時すぎからは目が痛い。「昨日、写真データの整理なので目を使いすぎたかな」と思っていると、夕刻、喉が痛くなってきた。風邪だ。薬を飲んで早めに寝よう。

8日(木) 風邪っ気は一晩で抜けた。昨晩は結局早くには寝なかったが、なぜか5時に目覚めて起床。
 6日に撮影した雑魚川沿い以外の写真がもったいないので、アルバム「今、紅葉がいちばん綺麗なのは、もみじわかばライン」をいっきに作成。ブログにアップ。

 今日は、今秋デビューの「森むら米」の稲刈り。昨夜、温泉でそのことを話すと、大家さんが「雨が降らなければいいがなあ。幸雄さんが稲刈りしようとすると、必ず雨が降るんだ」と言う。晴天続きなので、「まさか」と思っていたら、ポツポツと降ってきた。そして、今朝、かなり激しい雨も。
 幸雄さんに尋ねると、「10時頃から刈る」とのこと。白鳥で31軒を廻った後、10時5分に森の開田へ。雨は上がっていたが、野々海方向を見ると、黒い雲が湧き出てくる。ほんの一時、雨が落ちてきたが、青空も。11時45分まで、1反5畝、1反、6畝、3畝の4枚の稲刈りを撮影。約980枚を撮り、すぐに家に戻って、3時すぎまでにドキュメントを作成し終わった。田んぼに行くと、予定の田んぼすべての刈り取りがちょうど終わったところだった。



 上の写真、ドキュメントでは使わなかったが、バックにスキー場が入り、いい絵だと思う。
 右手は薬指に痛みが残っている。車のドアを開けるのがいつも通りにはいかない。
 
9日(金) 今朝方も少し雨。稲刈りを予定している農家では困っておられる。私は室内で原稿を書いた後、明後日に稲刈りする田の畔と法面の草刈り。きれいになった。
 午後2時半頃に出発で秋山の配達へ。屋敷と小赤沢を予定していたが、屋敷で場所、場所によって景色が変わる様子を撮影したいという気持ちもあり、結局、後者に。配達は屋敷の27軒にとどまったが、3時半すぎから1時間強かかった。撮った写真はすぐに整理して、ブログにアップ。
 帰路、薄闇の中で、見倉集落のはぜ掛けの様子を撮影してきた。

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