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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌2月26日〜3月15日

26日(金) 今日は一日、No.278の編集。21〜25日は結局バタバタと過ごし、今日の編集となった。
 ただし、昨日から村を訪れている東京の大学院生を9時半すぎ、月岡の樋口久直さん・順子さんご夫婦のお宅に案内。さらに、昼時に「一緒に昼食を」というお誘いをいただき、再び、樋口さん宅へ。和久さんご夫婦とも一緒。牛舎で会う和久さんと、自宅で食事をする和久さんとは随分雰囲気が違って印象的だった。
 みんなで食事するところを1枚、写真に撮りたいなと思っていたが、食べるのと話すのに忙しくて、撮影チャンスを失ってしまった。今日は結局、1枚の写真も撮らない一日となった。
 
27日(土) 今日も大学院生を3軒の家に案内しながら、No.278の配達を開始。計52部で、あまり進まなかった。
 夕刻は野田沢の庭先キャンドル祭りの撮影。約1時間半、シャッターを切りながら、歩き回った。昨年に比べれば、はらかに暖かだったが、素手で撮影していると、手は次第に冷たくなった。夜は冬である。



 上写真は、大学院生を案内した3軒のうちの1軒、笹原の関沢義平さん宅で、ねこつぐらの藁を叩く作業場がある昔の牛舎にキミ子さんが案内して下さった後、キミ子さんと院生が談笑しながら歩く姿。むらの文化はこういう機会をとおしても伝承される。そういう機会を創ることに少しでも役立つことができれば嬉しいなと思っている。

28日(日) 今日は秋山での配達。秋山への道、秋山の中の道、いずれもほとんどが乾いている。
 今日も大学院生を案内しながらの配達で軒数は少ない。秋山で48部。森に戻って来てから27部。
 屋敷集落の山田知周さんのお家では犬を飼っておられる。「モモ」という名のメス犬。配達に行くと、これまで吠えまくられて困っていた。ところが、1月31日にお茶のみにお邪魔させていただいた後、2月8日、20日、そして今日の3回、ほとんど吠えられることがない。今日、家の前に出ておられた知周さんとも話したが、「家に入っていい人」と認知されたということのようだ。なかなか面白いことだと思う。



 上の原集落〜和山集落間で、大きなリュックを背負いながら道を歩いてくる若者にまず一人、続いてまた一人と出会い、その次に2人、さらに3人と出会った。そこで車を停めて窓を開け、「どこから?」と尋ねると、「志賀高原から入って岩菅山に登り、いま、切明で温泉に入ってきました。慶応のワンダーフォーゲル部です」とのこと。志賀高原を出発したのは一昨日、昨夜は笠法師山の近くでのテント泊だったそうだ。「疲れました」と言っていたが、まだ体力は残っているようだ。列のいちばん最後に女子学生がいたことにさらに驚いた。
 この季節の岩菅山に登れるのは今冬の雪の少なさゆえかもしれないが、秋山郷の観光の可能性の無限性をまた学んだという感じだ。
 
29日(月) 朝、大学院生を森宮野原駅に送り、その院生のお世話(宿泊等)をして下さった青倉の島田きみ子さんにお礼に。急なことできみ子さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思うが、民家に泊めていただけたことで院生が得たものは大きかったのではないかと思う。感謝!である。院生が指導を受ける駒澤大学文学部地理学科の高橋健太郎先生は震災前からのご縁だが、震災から間もない2011年の6月を含めて、この5年間ずっと学生たちを連れて栄村に来て下さっている。こういうつながりは大事にしたいものだ。
 午前中、青倉、白鳥、平滝などで58軒。午前中から降っていた雨は、昼前、泉平に上がった頃からみぞれ、あるいは雪らしきものに変わった。昼食を箕作でとっている間に雪に変わった。べちょべちょの湿雪だ。
 相当に疲れていて、午後は一休みしたいと思ったが、印刷・折りなどをしたりして、結局、休むという具合にならなかった。
 

3月1日
(月) 今冬最強の寒波が下りてきているという。北海道は大変なことになっているようだが、ものすごい低気圧が発達するというのは、単に強力な寒波が下りてきているというだけでなく、南からの強い暖気がぶつかっているからだ。その暖気が曲者だと思う。やはり赤道あたりの海水温の上昇が異常な状態になっているのだと思う。地球の気候変動が深刻な状態になっているのだと思う。
 午前中は主に東部地区を廻った。計63軒。
 午後は、2時24分着の飯山線で某新聞社の本社編集委員を出迎え。5日〜1週間滞在されるそうだ。まず、東部〜西部〜豊栄〜北信をざっと車で一周して案内した。全国いろんな支局で活躍されてきた人のようだが、栄村に実際に来るまでは「山村にひっそりと人びとが暮らしている」というイメージを抱いておられたらしいが、ひとまず廻ったところで、「ずいぶんと豊かな村で、人びとはいろんなことに取り組んでおられるんですね」という感想をもらされた。まだよくわからないが、なにか久々に「“外の目”から見た栄村」というものを感じさせられたように思った。記者氏が栄村滞在の結果としてもたれる観察結果は私たちにも参考になるだろうと思う。

11時頃に北野で出会った車の積雪


大庭光一氏と立ち話する記者氏(左)

2日(水) 記者氏は「なにか作業を手伝わせてもらいながら、村の人が栄村に愛着をもつのは何故かを知りたい」とのこと。もともとのご希望は「雪かき」だったが、そんなに雪もないので、とりあえず斉藤克己・勝美さん宅に案内。昼までは一緒におしゃべり。
午後は、記者氏を斎藤さん宅に残し、私は配達へ。月岡を廻っていた午後1時半頃、また雪が降ってきたが間もなくやみ、今回の降雪はほぼ終わったようだ。
 大久保、月岡、横倉、森などで計136軒を廻り、累計387部。人の案内でなかなか配達が思い通りに進まなかったが、なんとか確保すべき配達ペースを回復できてきたように思う。
 「おひさまケチャップ」に津南町の「喰い処味郷」から注文が入ったとのことなので、私自身の夕食を兼ねてケチャップを届けに行った。主たる用途は自慢のトンカツのソースを「おひさまケチャップ」を主体として作るというもの。先日、一度、そのソースでトンカツを食べて「これは行ける!」と思ったが、折角なので今夜もう一度注文し、写真を撮った。



 今回は250gの「味郷とんかつ」ではなく、130gの「とんかつ定食」。ソースは一般のとんかつソースの濃い茶色ではなく、ケチャップ色が感じられるもの。さっぱりとしていて美味しい。是非、お試しください。

3日(木) 記者氏はえのき農家の大庭光一(てるかず)宅へ。送り届けた後、私は配達等へ。昼に様子を見に行くと、「お手伝いできたと思います。奥さまから筋がいいと言っていただきました」とのこと。午後も、記者氏を大庭さん宅に残し、再び配達へ。夕刻に迎え、旅館まで送った。午後は光一さんがLEDの配線工事をされる際、荷物の移動を手伝ったそうだ。
 午前中、配達はわずかで、白鳥から東大滝を経て、明石(あかいし)に行った。狙いは2つ。白鳥大橋を通過した時、No.278で紹介した橋脚の鉄筋調査の作業は懸崖(けんがい)側ではなく、千曲川側で行われていた。その様子は明石からでないと見えない(作業の様子は明石からバッチリ撮影できた)。もうひとつ、箕作〜明石間のバイパス建設の明石での橋台建設は除雪作業が終わり、積雪前に打ち込まれた杭を掘り出す作業に入っている模様。その様子を見ておきたかった。
10時15分現在で国道117の平滝の気温表示板は4℃を示していたが、明石の橋台建設現場は風が強く、体感温度は0℃ないし氷点下。手がかじかむ中で撮った写真を1枚。



 このバイパスはもともと、栄村側の強い要望であると同時に、明石の人たちの強い要望であったはずだ。ただし、今回の建設は栄村の震災復興の事業として着手された経緯があり、明石の人たちがどう受け止められているかを聞いておきたかった。たまたま外に出ておられた人に声をかけて話を聞かせてもらった。「40年来の強い願いで、実現されて喜んでいる」とのこと。話してくださった人は66歳、小中学校は栄村の学校に通っておられた。同級生には箕作へ嫁に行った人もおられるという。
 この橋・道路が開通すれば明石と箕作・栄村の往き来は再び活発なものになるだろう。今後、明石の人たちへの取材をさらに重ねたい。
 昼前、家に立ち寄った時に、フクザワコーポレーションの車が「トマトの国」への道を下ってくるのが目に入った。導流堤の工事準備が始まったのだと直感し、現場に行くと除雪された跡があった。
 午後、箕作、泉平、小滝などを廻り、今日は計88部。

4日(金) 今日は天気がよさそうで、日曜日は天気が崩れるというので、今日を秋山行きにした。
 記者氏は、「今日は配達に同行して、村の様子をいろいろ見たい」とのことで秋山に同行。
 10時半頃に小赤沢ゾーンに入り、鳥甲山の定点撮影場所でまず1枚撮った後、「11時までに撮影」を原則としている天池近辺からの鳥甲連峰の撮影のため、まっすぐ上の原へ。28日には車で入れた天池横の道路は29日〜2日の雪で入れなくなっていた。20分間ほど、雪上を歩き、何枚もの写真を撮った。その後、上の原集落14軒の配達。その後、小赤沢集落での配達に向かう予定だったが、屋敷集落の様子を記者氏に見せるために屋敷をぐるっと一周することにした(屋敷の配達は28日に済んでいる)。そして、みずと屋食堂前の坂道を上って行くと、林道に向かう道が除雪されていた。「ひょっとして林道までは道が開いたのか」と思い、車で上がっていくと、林道も開いている。



 「まあ、途中までしか開いていないだろう。その時はターンして戻ればいいや」と思って進むと、結局、切明まで出られた。貴重な風景写真が撮れているので、それは「日誌」とは別の形で公表したい。なお、改めて断っておくが、こういう行動はあくまでも取材のための自己責任行動であり、一般に真似されることがないようにお願いする。
配達はNo.278は配達したもののNo.277が未配達だった切明・和山を廻ることも含めて、秋山で62軒。下ってからの森での配達を含めると、71軒。
 秋山への405はほとんどのところが乾いており、雪や石が落ちているところも少なくて、走りやすい状態だったこともあるが、同行者がいると、話ながらの運転で、あっという間に秋山に着いた。注意散漫になってはいけないが、単独行にはない良さもあるようだ。
 帰路、中子に立ち寄った。「農家民宿れすとらん ひがし」を経営される山本光一(こういち)さんのお父さん・光夫さんは、桜の木に害を与える鳥を追い払うために爆音装置をセットされている。ガスを充満させ、それが定期的にプラグから出る火花で「爆発」し、大きな音を立てる装置(下写真)。前回訪ねた時に体験済みだったが、実際に爆発音が出るとやはりびっくりする。



 夕刻、森の五宝木住宅で山田政治・せきさん宅に配達に行き、久々にいろんなお話を伺った。1つは村営牧場の話。いわゆる鳥甲牧場とは別のもの。これまで詳しいことを聞いたことがなかった。おそらく、村民でも70歳以上の人でないと、ほとんどご存じないのではないだろうか。もう少し詳しく話を聞いて、一度、記事にしたいと思う。
もう1つは、山菜など五宝木の豊かな恵みをどう継承していくかという問題。政治さん、せきさんとある程度打ち合わせできたが、さらに話を詰めて、今春5月、五宝木の恵みを継承するプログラムをスタートさせたいと思っている。

5日(土) 配達を休みにして、午前中は若干のPC作業などをしたうえで、十日町の接骨院へ。極端に調子が悪いということはないが、腰の具合の調整。
 帰路、土日は営業している中子の「ひがし」さんに昼食を兼ねて立ち寄る。「ひがし」さんを紹介したNo.277から配達対象に加えた。長瀬から川を渡って上加用(かみかよう)から冬も開いている坂道を上がるとすぐに着くので、配達はさほど大変ではない。「ひがし」さんの近くに住む新規就農者にも配達することにした。たしかに行政区分は津南町だが、栄村の仲間のような存在だと思っている。
 「ひがし」さんの今日のおすすめは「デミグラスソース添えのハンバーグ」。ハンバーグはしっかり手作りされていて、この近辺のお店ではなかなか食べられない一品。十日町市の家族連れがちょうど食事を終えられたところで、写真を撮らせていただいた。



 この後、「日出山線はどうなっているだろうか」と思い、中子から加用に下り、上日出山まで行った。
 上日出山までは、津南町が冬期間、道路除雪を行なっているが、その先は閉鎖。上日出山までは道路にまったく雪がないだけでなく、山川の法面にもまったくといっていいほど、雪がない。驚いたのは、上日出山の先の冬期閉鎖区間の始まり地点に「除雪作業中 栄村」の看板が立てられ、栄村のブルとロータリーが停めてあったこと。たしかにこの先は栄村の秋山に通じるための道だが、春の道割りは津南町地籍のところでありながら、栄村の仕事になっているようだ。道割りされるところには少なくとも50cmは超える積雪があった。



 夕刻は、「今夜は天地の斉藤克己さん宅に民泊させていただく」という記者氏を送って天地へ。結局、11時半すぎまで一緒に喋り、真っ暗の夜道を下って帰宅。

6日(日) 今日は午後が森集落第1常会の総会なので、午前中、家でブログ記事などの編集やアップ作業を行ない、2時前に森公民館へ。雪がないので短靴で出かけた。総会は1時間ほど。その後は懇親会で、午後6時すぎまで。
 常会総会・懇親会は昨年に続き2度目だが、むらの暮らしにとって大事な場である。

7日(月) 午前中の大部分は原稿書きやメモの作成で、11時半頃から配達開始。昼食をはさんで、横倉、平滝、白鳥で計104軒。
好天というのではなく、なんとなくどんよりした空模様。だから「ポカポカ陽気」というのではないのだが、気温はこの時期としては高い。田んぼの法面の大半から雪が消え、林・山にも土が見える部分がいっきに広がって、景色が一変した。ここ数日、いい天気が続き、雪消えが進んでいたが、今日はなにか大きな変わり目という感じがした。昨日、常会の総会に短靴で出かけた延長線上で短靴で配達に廻ったが、基本的に問題なし。
 法面を見ると、オオイヌフグリが花を咲かせ始めている。もう完全に春だ。


オオイヌフグリ


ヒメオドリコソウ

 平滝でお茶のみに立ち寄ったお宅で、ひんご遺跡の発掘作業にまつわるお話をいろいろとお聞きした。遺跡から発掘されたものの説明は専門家の手に委ねるとして、縄文時代の遺跡の発掘が村と村人にどういう変化を生み出しているのかについては、作業に携わった村民の方々からお話をお聞きして、1つの記事にまとめる必要があるなと思った。
 夕刻近くに貝廻坂を上がっていくと、雪をかぶった田んぼから水蒸気が上がるのがはっきり確認できた。特に野田沢近くの県道から妹木方向を眺めた景色は夕陽もあって最高の景色。何枚も写真を撮った。できれば、「復興への歩み」で紹介したい。

8日(火) 車道は言うに及ばず、各家の玄関に通じる道にもまったく雪がない。今日も短靴。
 最近、夕食を終えると、印刷や折り作業はできるが、PCにむかってモノを書くような作業をする気力が出て来ない。「まあ、無理もないことか」と思う。そこで、モノを書くような仕事は一日のはじめにして、それから配達に出るという方式もいいのではないかと考え、今日は午前中、家で仕事をし、午後に配達に出かけた。東部地区で108軒。
 配達に向かう途中、直売所に立ち寄ったが、樋口松子さんが出荷されている茎付きのタラの芽が人気らしい。“ひと工夫”が大事だなと思う。
 午後2時半頃から小雨が降り始め、夕刻に近づくにつれて本降りに。
 志久見での配達時、桑原健さん宅の玄関になにか貼り紙があることに気づいた。お体の調子が悪いということで長野の息子さん宅に行かれてからもう3ケ月以上が経つ。玄関まで行って貼り紙を見ると、7日に亡くなられたという訃報だった。ご冥福をお祈りする。
 昨日のオオイヌフグリ、ヒメオドリコソウに続き、今日は中野集落でヒマラヤユキノシタが花を咲かせているのに出会った。明日からは気温が下がるというが、この先、いろんな花の開花期が繰り上がってくるのだろうか。季節感がおかしくなりそうだ。



9日(水) 天気予報どおりだが、久しぶりの降雪。その中、原向、程久保、野田沢、青倉などで47軒を廻り、No.278の配達を完了。今号の前半は大学院生との付き合い、後半は新聞記者氏との付き合いがあって、やや大変であったが、なんとか9日中に完了出来て正直なところホッとした。
 降雪はあったものの配達は短靴で大丈夫だった。しかし、午後2時すぎに配達を終わってから、家の出入りが短靴では具合悪く、4日ぶりに長靴を履いた。
 今日はそんな風に久しぶりの降雪だったが、冬期は閉鎖されている道が村内の各所で早くも開けられていた。除雪した上で当面は「通行禁止」とされているところもあるが、いくつか記録にとどめておきたい。1つは原向集落の堀切・登渡地区と長瀬新田地区を結ぶ田んぼの中の道。農作業の時期になると、この道があるとないとでは大違い。もう1つは同じく、原向で長瀬新田付近から天代坂にぬける広い道。もう完全に通行できる状態だ。
 青倉と横倉の間の旧国道(四ッ廻りに通じる道路)は「通行禁止」の看板が立っているが、もう除雪作業は終わったようだ。


堀切・登渡〜長瀬新田間


長瀬新田〜天代坂間

10日(木) 今日も少し雪が降るかなと思ったが、夜になってからチラついた程度。私自身は昨日よりも過ごしやすく感じたが、「いや、今日のほうが寒い」という人もおられた。まあ、外を歩き廻っているのと、家の中で仕事している場合とでの違いかもしれない。
 ある人をお訪ねしたら、「数日前にキャベツの種を播いて、もう芽が出ています」とのこと。暖かくした室内に置かれているのを見せていただいた。トマト、キュウリ、ナス、カボチャなどの種まきもされたとのこと。この後仮植ポットに移し、簡易なハウスでさらに育て、5月に畑に植えられるそうだ。今年の雪消えが早いから特別にやられているということではなく、もう3年ほどやっておられるとのこと。ただし、昨年までと今年とで1つ、大きな違いがある。今年はこういう早い時期の播種で6月頃には収穫できる野菜が直売所に並ぶだろうということ。いい話だ。
 直売所に立ち寄ると、店番の女しょから、「凍みだいこんが入りましたよ」と声をかけていただいた。秋山の福原年子さんが作られたもの。こういう凍みだいこん、私は初めて。秋山ならではのものなのかなと思う。袋に入れられているカードも素敵。袋を手にとってみると、「麩」の袋のような軽さ。煮物にいいそうだ。



11日(金) No.279の編集・印刷が今日の午前中までずれ込み、配達は午後から。
 今日は東日本大震災から満5年。私はマスコミの「震災〇周年」という騒ぎは嫌いだが、満5年という1つの節目にもかかわらず、どうも民放などは震災関係の番組はかなり減ったようだ。震災から時間が経過すればするほど、本当の問題の所在はテレビなどの「絵」にはなりにくいものになってきていることも1つの要因かとも思う。
 配達の途中で鳥甲牧場に行ってみた。まだ通行止めだが、いろいろと状況を見ておきたいため。雪は少ない。しかし、午後3時20分頃、猛烈に雪が降ってきた。そのため五宝木方面の状況は見ないで戻ってきたが、下におりて尋ねると、下ではまったく雪は降っていなかった。標高の差による気象状況の違いを改めて実感した。



12日(土) 「復興への歩み」No.275(1月21日付)で「スカイランタンバスツアー」のことを書いて以来、3月12〜13日はそれへの密着取材を予定していたが、昨日の段階で森集落(イニシアチブをとったのは森商工振興会)の「森じゅうに灯りをともす」という試みが非常に大きな意味をもっていることが明確になり、予定を全面変更して、朝8時半から準備作業、点灯、打ち上げ会までの全過程に密着し、膨大な写真を撮った。
 森商工振興会の斎藤龍男さんの頭の中には少し早い時期から構想があったようだが、実施への最終決断は2月27日の野田沢の庭先キャンドル祭りを見に行ってからのこと。わずか10日余りで4〜50人の人たち、それも小学生から歳の高い人までが主体的に取り組んだことの意味はとてつもなく大きい。関係者は「『結い』とは関係ない。森の独自の取り組みだ」と強調されていた。
 打ち上げ会にも参加させていただいた。「毎年続けるのは厳しいかも」と言う人もおられたが、企画を変に大きくすることよりも、集落のみんなが無理なく参加できるという点に重点をおいてやっていくことが大事なんだろうと強く思った。
 下の写真は国道端で午後2時すぎの撮影。午前中の作業が終わった後、陽射しが強まった時間帯があって、灯篭の雪が融けた箇所があった。それを比較的歳の高い人たちが出て、修復されている様子。「ズクがあるなあ」と思った場面である。



 配達は撮影の合間をみて、森を中心に85部。

13日(日) 起床後、まず昨日の森の写真を整理し、4頁版のアルバムを作成。準備への多くの人たちの参加を描き出すことに重点をおいた。
 平滝集落は今日は雪上運動会で、運動会終了後、長野県埋蔵文化財センターの主任調査研究員の谷和隆氏を招いて、「ひんご遺跡の説明会」。森のアルバムの編集を終えて駆けつけると、ちょうど雪上運動会を終えた平滝の人たちが公民館に移動しているところだった。関係者の許可を得て、谷氏が提示された全スライドを撮影。同時に、谷氏の解説内容をメモしなければならないので、大変だった。
 ひんご遺跡は昨秋の発掘段階で分かっていた以上に重要かつ貴重な遺跡のようだ。メモを読み返すと、谷氏が話されたことを私が完全に再現することは難しいなあと思うが、配られた資料も参考にして、できるだけ詳しく、わかりやすく「復興への歩み」で紹介したいと思う。
 平滝の遺跡説明会が終わったのが正午少し前。その後の懇親会にも参加できれば、さらに突っ込んだ話も聞けたと思うが、「スカイランタンバスツアー」で四国から来られた一行が秋山郷に入っているので、昼食後、それを追いかけて秋山・切明温泉へ。秋山もどんどん雪が消えている。
 ツアー参加者の感想や意見を聞くことができた。首都圏の人の場合、冬の秋山郷にも自家用車で来るという人がおられるが、西日本の人は「今年は雪があまりなくて残念。豪雪地というものに一度は来てみたいが、自分で車を運転してくるのは怖い。足を提供していただければ是非、来たい」とのことだった。
 夜になってからは、夕食会の会場に最後まで残ってワイワイ話しておられた人たちの輪に入れていただき、いろんな話が聞けた。
切明を出たのは午後8時頃で、真っ暗な切明線−国道405を下って、9時すぎに帰着した。
 下写真は、切明橋付近でツアー参加者が摘んだりされているところ。



14日(月) No.279の昨日までの累計配達数が137部にとどまっているので、「今日は頑張らなきゃ」と思ったが、12、13日がかなりハードだったせいだろう、あまり無理がきかず、「今日はゆっくり無理せずに」と考えを切り替えた。
午前中、12日の森の写真アルバムの編集等。昼頃から配達に出たが、12時半頃からみぞれ、さらに雪に。下写真は午後1時すぎの程久保。写真中央は「復興の歩み」No.279に掲載した「野田沢の庭先キャンドル祭り」で「程久保集落の田んぼ」として紹介した田んぼ。



 No.279の配達は36軒にとどまったが、それ以外に森集落で12日の写真アルバムを40軒配布。
 天地に行った際、斎藤克己さんからマンサクなどを預かり、樓蘭に届けた。スノーモービルで山に入り、採られたもの。



15日(火) 今日は朝から雪。その中、「今日は相当の軒数を廻るぞ」という意気込みで臨んだ。
白鳥や平滝を廻った後、東部谷に入り、正午すぎから中野集落、極野集落を廻ったが、中野からは完全に冬景色。午後2時すぎに国道117に戻ると、景色は一変。天気もよくなってきて、春景色。標高の違いを強く感じた。下1枚目の写真は左が11時半すぎの切欠集落。雪は降っているが、法面にはふきのとうがいっぱい出ていて、公民館前の桜の木の枝先は赤い。他方、2枚目は正午すぎの中野集落。こちらは冬景色。





 3時すぎに青倉集落に入ると、田原の道がすでに割られ、開いていた。先週末に道割りされたらしい。
 

配達日誌2月11日〜20日

11日(木) 昨日はNo.277の編集に手をつけるところまでいかず、今日は、昼食時に追加取材で中子に行ったのと、夕刻4時すぎに用事があってスキー場を短時間訪れた以外はずっと室内作業。
 天気は最高によくて、夕刻4時半〜5時頃に中子に行けば、夕陽に照らされる桜の木々のいい写真が撮れたに違いない。しかし、「いま、出かければ、また作業が後にずれ込み、夜が遅くなる」と考え、グッと我慢。
 そのように努力したが、No.277や配達日誌の印刷と折りを終えると深夜1時になってしまった。
 
12日(金) 昨夜が遅かったので、配達スタートは10時すぎ。
 好天で、朝の部屋は暖かったが、スタート直後には、「わずかに風があり、冷たくて、外はポカポカというのではない」というメモ書きが残っている。しかし、中条、小滝、野田沢、程久保と廻って、大久保で数軒廻った段階(正午頃)で、軽トラの中は暑く感じられ、窓を開け、さらにマフラー、帽子、ジャンパーの順ではずしていった。ポカポカ陽気は3時頃まで続いたと思う。
 雪がいっきに消えていることに驚いた。いちばん驚いたのは、天地〜野口間で高倉山などの姿がとても綺麗で車を停めて写真を撮った時のこと。山の写真を撮った後、振り向いた時に目に入ったのが下の写真。



 これはもう春先の光景だ。
 天代集落内で出逢った道路除雪で道の脇に寄せられた雪を見ると(次の2枚の写真のうち、上の方)、「ああ、やっぱり9日、10日は結構降ったんだ」と思うが、同じ所で目を山裾に移すと、多くの地面が出ている(次の2枚の写真のうち下の方)。このように早く消えるのはやはり春雪だということだろう。




12日午後3時半頃、天代集落にて

 配達は、No.276未配地域を優先で、111軒120部。まずまずのペース。
 翌日分の印刷等がまたまた遅くまでかかり、就寝は1時半すぎ。作業の直後というのは脳が活性化しているせいか、よほど疲れている場合を除き、すぐには寝る気になれない。
  
13日(土) 昨日、「えっ、もう金曜日なんだ」と軽いショックをうけた。時間の流れが速すぎる。
 No.277は小赤沢の豆まきをトップで扱っているので、小赤沢の人たちにできるだけ早く届けたいが、14日は天気が荒れるという予報なので、今日、秋山・小赤沢に行くことにした。朝の出発は遅かったが、小赤沢と屋敷のごく数軒のみの予定なので、「昼過ぎには秋山から下におりる」という目論見だった。だが、2軒で話し込み、目論見は見事に破産。津南に着いたのは午後4時頃だったか。
 3日の豆まきで写真を撮らせていただいた方々に写真をお見せし、今後の秋山・栄村の広報に活用することをご了解いただいた。今日の重要な成果。

 往路、横手(見玉と清水川原の間)のあたりで「雪崩パトロール」という車と出会い、その姿を撮影するために停車した時、中津川を覗(のぞ)くと、水の流れは見えず、川の全面がシャーベット状になっていた(下写真)。「?」と思ったが、帰路にもう一度様子を見て、正体がわかった。山の崖面から川に落ちた雪がシャーベットになっているのだ。



 国道405では往路も帰路もずっと除雪作業が行われていた。国道に迫る崖面の雪をバックホーで落とし、それをドーザーで除雪する。往路と帰路の間には3時間以上の時間が経過していたが、除雪作業場所はそれほど移動していなかった。大変な作業なのだと思う。
 夜は野田沢の「庭先キャンドル祭り」実行委の打ち合わせ会合の様子を取材。夜7時40分頃、野田沢公民館を出ると、生ぬるい風が頬にあたった。「えっ?」と思ったが、その後9時すぎ、役場横の気温標示板は4℃を示していた。天気予報で「南から暖かい湿った空気が流れ込む。各地から春一番の便りが入るでしょう」と言っていたが、どうやらそのとおりになりそうだ。
 
14日(日) 今朝は普通の起床だったが、ブログ記事を編集していたりしたので、配達は10時すぎにスタート。
 午前中は朝方に降っていた雨もやみ、天気は荒れず。ただし、至るところで霧・モヤ。ライトを点灯しての運転。雪坪集落のいちばん奥に行った時に撮った景色は水墨画的世界。



 北野天満温泉の近くにある復興住宅を訪れた時、北野川が増水し、しかも真茶色なのに驚いた。午後3時すぎ、百合居橋付近の千曲川を見たが、こちらもかなりの増水。昨日・今日の陽気で雪融けがいっきに進んだということだろう。
 「暖かい南風が日本列島に流れ込んだため」と説明されている。これは納得できる。また、そういう暖かい南風が日本列島に流れ込む時期が3月になるか、それとも2月になるか、それが年によって変動すること自体は以前からあることであり、格別異常なこととは思わない。しかし、問題は流れ込んでくる「暖かい南風」の温度がこれまでとは大きく異なることだ。赤道付近の海水温が異常に高くなっているのだろう。それは、昨年秋に茨城県常総市などに大きな被害をもたらした大雨の原因もそれだ。地球気候変動は相当凄まじいことになっているようだ。「豪雪地」という特性をもつ栄村は、そのことに合わせた暮らしを歴史的に形成してきている。その特性に変動をもたらすような気候変動に至っているとすれば、村(の暮らし)の根幹に関わってくる。

 配達は、夕刻4時近くに眠気を感じ、いったんは「今日はもうここまで」と思い、お茶のみに立ち寄らせてもらった友人にもそのように言って別れたが、なぜか元気が再び出てきて、6時頃まで継続。最後はもう暗かったが、188軒197部で、累計363部となり、No.276の遅配も解消し、なんとかペースを取り戻した感じだ。
 
15日(月) 朝9時すぎに給油したうえで、青倉で昨夕に廻りきれなかった35軒の配達。その後、10時半すぎに村を出て、久しぶりに長野市へ。「土木観光を考えるシンポジウム」というものに参加するため。知り合いから開催を教えていただき、出かけた。
 シンポジウムは1時15分から4時15分の3時間のやや長めのものだったが、なかなか面白いものだった。その内容は「復興への歩み」次号でも紹介したいと思っているが、震災復旧に取り組んできた栄村にはその資源が山ほどある。ただ、その資源を活かしていくうえで、安全基準をどう考えるかが難しい課題だと思う。

 帰路途中、飯山で夕食を食べ、そこからの117はもう真っ暗な中でかなり激しい降雪。前方が見えにくい。その中で後ろからあおってくる車が。かなり経ってから追い抜いていったが、大型トラック。こういう時にあおられるのは嫌なものだ。久々の雪の夜道で相当に緊張した。
 車を車庫に入れたのは7時半すぎ。夜11時すぎ、同じ箇所を撮影してみた。


 午後7時半すぎ

          午後11時すぎ

 かなり降り、積雪も増えているが、フワフワの雪。冷え込みは木曜まで続くというが、いったん気温が上がれば消えるのは早いだろう。国道は9日夜のように除雪が出ることはないが、室内に聞こえてくる車の音を聞くと、道路積雪が多いという感じではない。帰路に走った時の実感からも、車が走ると、どんどん融けていく性質の雪のように思われる。やはり春雪なのだろう。

16日(火) 昨日の雪は夜のうちにやみ、今日は朝から快晴。
 No.277の配達が昨日で累計403部になり、配達に少し余裕ができたのと、朝からの快晴のため、午前中は写真撮りにした。「トマトの国」でこんな面白い写真も撮れた。



 宿泊客の車のようだ。例年だとそんなに珍しい光景でもないが、今冬はこんなのは初めて。ただし、夕刻に入浴に行くと、この車があった場所にも雪はもうなかった。車が出た後、日中の陽気で消えたのだろう。

 いくつかの所に行ったが、一番の重点は昨日のシンポジウムで「信州の土木 魅力のマップ」に取り上げられていた白鳥大橋。白鳥大橋がどんな造りになっているのかを見せる写真を撮るために、久しぶりに明石集落(野沢温泉村)を訪ねた。また、白鳥大橋そのものが一級の景観であることを見せる写真を撮るためにかなり苦労して、自分なりに納得のいくものをなんとか1枚撮れた。

 配達は午後開始だったが、箕作、泉平、月岡、横倉で110軒廻れた。配達途中に撮った写真を1枚。月岡集落の中の田んぼ。水が入るようになっている田んぼだが、それにしても昨日の雪が跡かたもなく消えているのに驚いた。春の雪だ。


 
17日(水) 午前中は記事の編集をしたり、いつもの薬をもらいに診療所へ行ったり。診療所では、待ち時間に「復興への歩み」を熱心に読んでいてくださるおかあさんがいて、感激。
 午後、腰の調子がよくないなど、「一度、接骨院に行っておくほうがいいか」と思いたち、激しく雪が降る中、十日町へ。
 そんな次第で、今日の配達は森集落での30軒のみ。No.276でもそうだったが、新しい号の配達スタートから4〜5日はかなりハイピッチで進むが、その後、失速するような感じがする。新号スタート時期のペースをもう少し緩め、持久力・持続力のある配達を心がけるようにすべきなのかなあ、などと思う。

 今日の雪は今季最高の降雪量だったのではないだろうか。朝6時に起床した時は降っていなかったが、たしか7時すぎから降り始め、一日中降った。下の写真は夕刻5時半頃、十日町から帰り、車庫の前の雪を片づけた後に撮ったもの。手前は雪を片づけたところだが、そのむこうの積雪が今日の新雪。30cmは軽く越している。



 今日は国道117に除雪車が出動するのが遅かった。昼頃に初出動。この間は少し降れば、すぐに出動していたが、どうしてだろう?
 
18日(木) 集落内道路に結構の積雪がある状態で今日になったので、朝は除雪車が出動。
 9時に人と会う約束があったので、8時半すぎに車庫前の雪の片づけ。除雪車が通った後に残る雪の塊もあまり硬くも重くもない。昨日の雪はふわふわした雪だった。



 上写真は、午後、白鳥で撮ったものだが、昨日の50cm以上の積雪が消えて緑の草が見えている。昨日もそうだったが、雪が消えるのが速い。春雪というが、真冬の雪とのあまりの違いに改めて驚く。
 午前中は9時の約束の後にも、もう1件、人と会う約束があり、それにプラス、記事の編集もあって、配達は午後。主に白鳥、平滝で96軒。まずまずの軒数。
 
19日(金) 17日からブログで「5年間を思い出す」というシリーズを始めたが、一昨年2014年の2月17日の写真の1枚として下のものを取り上げた。



 平滝駅のすぐ近くの「尾根」という踏切への道である。踏切がほとんど見えない。写真真ん中にわずかに黄色ものが見えるところが踏切。
 今日の配達で同じ場所に行ったので、ほぼ同じ場所から撮影した。下の写真だ。2014年と比べると雪はないに等しい。改めて今冬の雪の少なさを実感した。



 配達は東部と森、平滝で88軒。No.277は秋山の屋敷集落〜切明集落を残すのみとなった。明日、秋山に行く。

20日(土) 昨日、配達での運転中、暑くて窓を開けて走ることがあった。それがいけなかったのか、昨夜遅くから調子がおかしかった。朝、やはり風邪気味。なかなか起きられなかったが、「今日はやっぱり秋山に行かなければ」と思い、7時40分頃に起きた。秋山小校区合同雪上運動会が9時45分から始まる。
 家を出たのは8時45分頃だったが、間に合った。道路状況がよかったこともあるが、国道405をかなりスムーズに運転できるようになってきた。
 雪上運動会と、午後に開催された「秋山郷の未来を語ろう会」の様子は「復興への歩み」等で紹介する。
 雪上運動会は12時10分頃に終了したが、それから「語ろう会」が始まる2時半までの間に屋敷と上の原で35軒に配達。和山集落が残ってしまった。23日頃にもう1回、秋山に向かうことになるだろう。
 午後4時10分頃に小赤沢スタートで下ってきたが、日が長くなり、明るかった。それで横手で懸案の写真が撮れた。



 見玉から清水川原方向に向かうと国道405がいっきに狭くなるところ。写真左手に見える数多くの雪崩止めの存在が冬の難所であることを物語っている。
 そこの中津川におちる崖面に1基のコンクリート構造物が見える。昨年造られたものだ。工事の当時に掲げられていた看板によれば、「スノーシェッドの下部構造」というようなことが書かれていた。こういう場所でのスノーシェッドの建設にはまずこういうものを造る必要があるのだ。作業する人たちの様子を何度も車窓から見たが、足場でちょっとでも足を踏み外せば中津川に転落する。私などは見るだけでブルブルっとしてしまう大変な作業。その作業のおかげで来冬あるいは再来年の冬にはもっと楽で安全な通行ができるようになるのだろうと思う。感謝!!である。
 
 21日〜25日は配達をしていないので、日記は省略。その5日間の概要のみ記しておく。
 21日(日)は洗濯など身の回りの整理と、午後2時から森集落の水道問題に関する説明会に出席。22日(月)は、栄村の復旧・復興工事の取材から出発した問題意識で、土木建設業で働く人たちの仕事について知るための取材、中野市へ。23日(火)は、白鳥大橋の長寿命化工事に関する聞き取り、平滝集落の村道の道割りの様子の取材など。24日(水)は、保育園の雪遊びの模様の撮影、「お米のふるさと便り」の編集・制作など。25日(木)は、SL飯山線運行との関係で「ビューポイント」に関する資料の作成、米の発送作業、栄村を調査研究する大学院生の受け入れなど。
 

配達日誌2月26日〜3月4日

26日(金) 今日は一日、No.278の編集。21〜25日は結局バタバタと過ごし、今日の編集となった。
 ただし、昨日から村を訪れている東京の大学院生を9時半すぎ、月岡の樋口久直さん・順子さんご夫婦のお宅に案内。さらに、昼時に「一緒に昼食を」というお誘いをいただき、再び、樋口さん宅へ。和久さんご夫婦とも一緒。牛舎で会う和久さんと、自宅で食事をする和久さんとは随分雰囲気が違って印象的だった。
 みんなで食事するところを1枚、写真に撮りたいなと思っていたが、食べるのと話すのに忙しくて、撮影チャンスを失ってしまった。今日は結局、1枚の写真も撮らない一日となった。
 
27日(土) 今日も大学院生を3軒の家に案内しながら、No.278の配達を開始。計52部で、あまり進まなかった。
 夕刻は野田沢の庭先キャンドル祭りの撮影。約1時間半、シャッターを切りながら、歩き回った。昨年に比べれば、はらかに暖かだったが、素手で撮影していると、手は次第に冷たくなった。夜は冬である。



 上写真は、大学院生を案内した3軒のうちの1軒、笹原の関沢義平さん宅で、ねこつぐらの藁を叩く作業場がある昔の牛舎にキミ子さんが案内して下さった後、キミ子さんと院生が談笑しながら歩く姿。むらの文化はこういう機会をとおしても伝承される。そういう機会を創ることに少しでも役立つことができれば嬉しいなと思っている。

28日(日) 今日は秋山での配達。秋山への道、秋山の中の道、いずれもほとんどが乾いている。
 今日も大学院生を案内しながらの配達で軒数は少ない。秋山で48部。森に戻って来てから27部。

 屋敷集落の山田知周さんのお家では犬を飼っておられる。「モモ」という名のメス犬。配達に行くと、これまで吠えまくられて困っていた。ところが、1月31日にお茶のみにお邪魔させていただいた後、2月8日、20日、そして今日の3回、ほとんど吠えられることがない。今日、家の前に出ておられた知周さんとも話したが、「家に入っていい人」と認知されたということのようだ。なかなか面白いことだと思う。



 上の原集落〜和山集落間で、大きなリュックを背負いながら道を歩いてくる若者にまず一人、続いてまた一人と出会い、その次に2人、さらに3人と出会った。そこで車を停めて窓を開け、「どこから?」と尋ねると、「志賀高原から入って岩菅山に登り、いま、切明で温泉に入ってきました。慶応のワンダーフォーゲル部です」とのこと。志賀高原を出発したのは一昨日、昨夜は笠法師山の近くでのテント泊だったそうだ。「疲れました」と言っていたが、まだ体力は残っているようだ。列のいちばん最後に女子学生がいたことにさらに驚いた。
 この季節の岩菅山に登れるのは今冬の雪の少なさゆえかもしれないが、秋山郷の観光の可能性の無限性をまた学んだという感じだ。
 
29日(月) 朝、大学院生を森宮野原駅に送り、その院生のお世話(宿泊等)をして下さった青倉の島田きみ子さんにお礼に。急なことできみ子さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思うが、民家に泊めていただけたことで院生が得たものは大きかったのではないかと思う。感謝!である。院生が指導を受ける駒澤大学文学部地理学科の高橋健太郎先生は震災前からのご縁だが、震災から間もない2011年の6月を含めて、この5年間ずっと学生たちを連れて栄村に来て下さっている。こういうつながりは大事にしたいものだ。

 午前中、青倉、白鳥、平滝などで58軒。午前中から降っていた雨は、昼前、泉平に上がった頃からみぞれ、あるいは雪らしきものに変わった。昼食を箕作でとっている間に雪に変わった。べちょべちょの湿雪だ。
 相当に疲れていて、午後は一休みしたいと思ったが、印刷・折りなどをしたりして、結局、休むという具合にならなかった。
 
3月1日(月) 今冬最強の寒波が下りてきているという。北海道は大変なことになっているようだが、ものすごい低気圧が発達するというのは、単に強力な寒波が下りてきているというだけでなく、南からの強い暖気がぶつかっているからだ。その暖気が曲者だと思う。やはり赤道あたりの海水温の上昇が異常な状態になっているのだと思う。地球の気候変動が深刻な状態になっているのだと思う。
 午前中は主に東部地区を廻った。計63軒。


11時頃に北野で出会った車の積雪
                  
 午後は、2時24分着の飯山線で某新聞社の本社編集委員を出迎え。5日〜1週間滞在されるそうだ。まず、東部〜西部〜豊栄〜北信をざっと車で一周して案内した。全国いろんな支局で活躍されてきた人のようだが、栄村に実際に来るまでは「山村にひっそりと人びとが暮らしている」というイメージを抱いておられたらしいが、ひとまず廻ったところで、「ずいぶんと豊かな村で、人びとはいろんなことに取り組んでおられるんですね」という感想をもらされた。まだよくわからないが、なにか久々に「“外の目”から見た栄村」というものを感じさせられたように思った。記者氏が栄村滞在の結果としてもたれる観察結果は私たちにも参考になるだろうと思う。


大庭光一氏と立ち話する記者氏(左)

2日(水) 記者氏は「なにか作業を手伝わせてもらいながら、村の人が栄村に愛着をもつのは何故かを知りたい」とのこと。もともとのご希望は「雪かき」だったが、そんなに雪もないので、とりあえず斉藤克己・勝美さん宅に案内。昼までは一緒におしゃべり。
 午後は、記者氏を斎藤さん宅に残し、私は配達へ。月岡を廻っていた午後1時半頃、また雪が降ってきたが間もなくやみ、今回の降雪はほぼ終わったようだ。
 大久保、月岡、横倉、森などで計136軒を廻り、累計387部。人の案内でなかなか配達が思い通りに進まなかったが、なんとか確保すべき配達ペースを回復できてきたように思う。

 「おひさまケチャップ」に津南町の「喰い処味郷」から注文が入ったとのことなので、私自身の夕食を兼ねてケチャップを届けに行った。主たる用途は自慢のトンカツのソースを「おひさまケチャップ」を主体として作るというもの。先日、一度、そのソースでトンカツを食べて「これは行ける!」と思ったが、折角なので今夜もう一度注文し、写真を撮った。今回は250gの「味郷とんかつ」ではなく、130gの「とんかつ定食」。ソースは一般のとんかつソースの濃い茶色ではなく、ケチャップ色が感じられるもの。さっぱりとしていて美味しい。是非、お試しください。


 
3日(木) 記者氏はえのき農家の大庭光一(てるかず)宅へ。送り届けた後、私は配達等へ。昼に様子を見に行くと、「お手伝いできたと思います。奥さまから筋がいいと言っていただきました」とのこと。午後も、記者氏を大庭さん宅に残し、再び配達へ。夕刻に迎え、旅館まで送った。午後は光一さんがLEDの配線工事をされる際、荷物の移動を手伝ったそうだ。

 午前中、配達はわずかで、白鳥から東大滝を経て、明石(あかいし)に行った。狙いは2つ。白鳥大橋を通過した時、No.278で紹介した橋脚の鉄筋調査の作業は懸崖(けんがい)側ではなく、千曲川側で行われていた。その様子は明石からでないと見えない(作業の様子は明石からバッチリ撮影できた)。もうひとつ、箕作〜明石間のバイパス建設の明石での橋台建設は除雪作業が終わり、積雪前に打ち込まれた杭を掘り出す作業に入っている模様。その様子を見ておきたかった。
 10時15分現在で国道117の平滝の気温表示板は4℃を示していたが、明石の橋台建設現場は風が強く、体感温度は0℃ないし氷点下。手がかじかむ中で撮った写真を1枚。



 このバイパスはもともと、栄村側の強い要望であると同時に、明石の人たちの強い要望であったはずだ。ただし、今回の建設は栄村の震災復興の事業として着手された経緯があり、明石の人たちがどう受け止められているかを聞いておきたかった。たまたま外に出ておられた人に声をかけて話を聞かせてもらった。「40年来の強い願いで、実現されて喜んでいる」とのこと。話してくださった人は66歳、小中学校は栄村の学校に通っておられた。同級生には箕作へ嫁に行った人もおられるという。
 この橋・道路が開通すれば明石と箕作・栄村の往き来は再び活発なものになるだろう。今後、明石の人たちへの取材をさらに重ねたい。

 昼前、家に立ち寄った時に、フクザワコーポレーションの車が「トマトの国」への道を下ってくるのが目に入った。導流堤の工事準備が始まったのだと直感し、現場に行くと除雪された跡があった。
 午後、箕作、泉平、小滝などを廻り、今日は計88部。
 
4日(金) 今日は天気がよさそうで、日曜日は天気が崩れるというので、今日を秋山行きにした。
 記者氏は、「今日は配達に同行して、村の様子をいろいろ見たい」とのことで秋山に同行。
 10時半頃に小赤沢ゾーンに入り、鳥甲山の定点撮影場所でまず1枚撮った後、「11時までに撮影」を原則としている天池近辺からの鳥甲連峰の撮影のため、まっすぐ上の原へ。28日には車で入れた天池横の道路は29日〜2日の雪で入れなくなっていた。20分間ほど、雪上を歩き、何枚もの写真を撮った。その後、上の原集落14軒の配達。その後、小赤沢集落での配達に向かう予定だったが、屋敷集落の様子を記者氏に見せるために屋敷をぐるっと一周することにした(屋敷の配達は28日に済んでいる)。そして、みずと屋食堂前の坂道を上って行くと、林道に向かう道が除雪されていた。「ひょっとして林道までは道が開いたのか」と思い、車で上がっていくと、林道も開いている。



 「まあ、途中までしか開いていないだろう。その時はターンして戻ればいいや」と思って進むと、結局、切明まで出られた。貴重な風景写真が撮れているので、それは「日誌」とは別の形で公表したい。なお、改めて断っておくが、こういう行動はあくまでも取材のための自己責任行動であり、一般に真似されることがないようにお願いする。

 配達はNo.278は配達したもののNo.277が未配達だった切明・和山を廻ることも含めて、秋山で62軒。下ってからの森での配達を含めると、71軒。
 秋山への405はほとんどのところが乾いており、雪や石が落ちているところも少なくて、走りやすい状態だったこともあるが、同行者がいると、話ながらの運転で、あっという間に秋山に着いた。注意散漫になってはいけないが、単独行にはない良さもあるようだ。

 帰路、中子に立ち寄った。「農家民宿れすとらん ひがし」を経営される山本光一(こういち)さんのお父さん・光夫さんは、桜の木に害を与える鳥を追い払うために爆音装置をセットされている。ガスを充満させ、それが定期的にプラグから出る火花で「爆発」し、大きな音を立てる装置(下写真)。前回訪ねた時に体験済みだったが、実際に爆発音が出るとやはりびっくりする。



 夕刻、森の五宝木住宅で山田政治・せきさん宅に配達に行き、久々にいろんなお話を伺った。1つは村営牧場の話。いわゆる鳥甲牧場とは別のもの。これまで詳しいことを聞いたことがなかった。おそらく、村民でも70歳以上の人でないと、ほとんどご存じないのではないだろうか。もう少し詳しく話を聞いて、一度、記事にしたいと思う。
 もう1つは、山菜など五宝木の豊かな恵みをどう継承していくかという問題。政治さん、せきさんとある程度打ち合わせできたが、さらに話を詰めて、今春5月、五宝木の恵みを継承するプログラムをスタートさせたいと思っている。
 

配達日誌2月1日〜10日

1日(月) ほぼ一日、No.276の編集・制作等にかかりきりで、外出したのは直売所の取材と夕刻の温泉くらい。
 陽が落ちるとともに、今夜は冷え込み、午後7時頃、温泉から出てくると、路面はすでにツルツルになってきていた(下写真)。


 
2日(火) No.276の配達を開始し、森、東部、西部、豊栄をぐるっと一周した。
 昼すぎに陽がさした時間帯もあったが、朝から夕まで断続的に降雪。朝は9時半頃のスタートだったと思うが、森で−1℃。滑りやすい。



 家の前のこんな看板は有難い。とくに滑りそうにも思えない所が意外と滑りやすいという場所。この注意書きに救われたかんじ。
 お昼は配達で立ち寄ったお宅で、薪ストーブの上で煮込まれた昆布巻きを頂いた。美味い!
 夕刻近くまで頑張って114部。

3日(水) 今日は節分。秋山小の斉藤充子先生から「小赤沢での豆まきに来てください」とお誘いを受けていたので、午前10時すぎまで青倉などで配達して、昼前に小赤沢に着けるように秋山に向かった。津南で国道405に入ったのが10:55、東電の発電所を右手に中津川渓谷沿いの狭い405に入ったのが11:06、前倉橋通過が11:28、小赤沢での1軒目の配達が11:34だった。
 朝方は降雪だったが、405に凍結もなく、スイスイ行けた感じ。途中、狭いところでタイヤドーザー、ロータリーとの離合があったが、とくに困ることはなかった。

4日(木) 猛烈に冷え込んだ朝だった。ネットでは最低気温−6℃とされていたが、さらにもう少し低かったのではないだろうか。8時40分頃スタートで配達に出たが、至るところで路面が凍結。
 国道などの車の走行には問題がないが、配達でそれぞれの家に近づく時が問題。軽トラから降りる時、まず第一歩の着地点がツルッとこないか、手を軽トラにかけたまま慎重に探らないと、すぐに滑って転んでしまうような状況。
 こういう凍結の大部分は通常なら午前9時すぎで解消されるものだが、今日は午前10時を廻っても続いた。陽当たりのよい所で、「少し凍結が緩んできたかなあ」と感じたのは10時半を廻ってからのことであった。10時50分で、国道117の平滝の気温標示板が−2℃を示していた。
 これだけ冷え込み、かつ晴れているので、空気は澄み渡り、いつもの風景がいつもの風景にとどまらず、とても綺麗に感じられた。「綺麗だなあ」と感じる風景を切り取って、配達の合間に写真に収めた。


越後の真っ白な山並みが綺麗。飯山線白鳥駅〜白鳥踏切間の小さな鉄橋にて
(越後の山並みにピントを合わせているので、手前はぼけています)

 配達は豊栄地区(平滝、白鳥)が主で115軒。
 午後2時すぎまでに配達を終わり、すぐに温泉へ。温泉「トマトの国」は昨日と今日、武蔵村山の中学生の団体が宿泊しているので、入浴受付が午後3時までなのだ。明るいうちの温泉、昨夏の湯滝温泉露天風呂以来だが、なかなかいいものだ。
 その後、家で昨年10月1日以降の写真データをパソコン画面でチェックする作業。計4時間くらいやっていたと思うが、昨年10月は「1ヶ月の半分くらい、秋山か野々海にいたんだなあ」というのが実感として感じられた。

5日(金) 朝、起床したら、雪曇りで路面はうっすら白くなっていた。たしかに予報では「午前中、雪」となっていたが、昨日のような好天の後、朝一番の光景がこんなふうだと出鼻をくじかれた感じになる。雪が少ない今冬に慣れてしまったのか。
 朝、5時頃だろうか、一度目が覚めたが、「早過ぎる」と思い、もう一度眠った。次に目が覚めたのはなんと7時半すぎ。いつもは二度寝しても遅くとも6時半頃には目が覚めるのだが…。なんか調子悪いのかなと思ったが、9時半頃に配達に出発してからは順調。午前中、森、月岡、泉平、箕作で122軒。普通の1日分に相当する。森では66軒を廻ったのだが、所要時間は1時間余。配達という観点からいうと、森集落はいわば都会のようなところである。つまり、住宅が密集していて、あっという間に5軒、10軒と廻れる。これがたとえば原向あたりになると、雪道を歩かなければならない冬場は、1軒の配達に車を降りてから、車に戻るまでに5分くらいかかるケースもある。



 泉平での配達中、「医者どん」の屋根におとうさんが上っておられるのが見えた。連写で撮った写真の1枚。おとうさんの視線を見ると、私がカメラを向けていることに気づかれた様子。しかし、その直後の画像を見ると、すぐに視線をスノーダンプに戻し、黙々と作業を続けられていた。
 午後も配達を続け、今日は計151軒。明日来客があって、基本的に配達ができないが、その分も配達できてしまった感じ。
 今日の昼食はある人とご一緒し、話が弾んで1時間半余に及んだ。楽しい会話は元気の源になる。
 
6日(土) 今日も起床は7時半すぎ。9時に会合が入っていたので、慌てて朝食を済ませ、8時半頃に出かけた。
 今日は二人の方が村を訪れて下さった。二人といっても「二人一組」ではなく、別々の来訪。まずお一人と10時半すぎに森宮野原駅でお会いし、いろんな所を案内。毎冬、除雪のボランティアに来て下さっている人で、昨年は貝廻坂、極野、北野などを案内したので、最初の案内先として村内ではなく、津南町になる中子(なかご)に案内。この方、信州大学在学時にオートバイでいろんな所を廻られたそうだが、津南の河岸段丘の上を走っている時に、「いま、どこに向かっているか、わかりますか?」とお尋ねすると、「いえ、さっぱりわかりません。学生時代は結局117だけを走っていたってことですね」とのお答え。初めてのところをご案内できて、喜んでいただけると、案内のし甲斐がある。
 昼食後、村に戻って、いったんスキー場に立ち寄り、スノーボードをお楽しみ中のもう一人のお客さんに挨拶。そして、再び、一人目の方を天地の斉藤克己・勝美ご夫婦の家に案内。勝美さんが出して下さった煮物など、非常に喜んでいただけた。写真は、雪が降る中、お二人が見送りに出て下さり、勝美さんがケチャップを贈り物して下さっている場面。



 夜は、もうお一人のお客さんを宿に訪ね、9時半頃までいろんなお話をした。
 
7日(日) 今朝の起床は前日、前々日よりもさらに遅く8時近く。
 しかし、これは「疲れていて、起きられなかった」ということではない。昨夜、「明朝は遅くなってもいい」というつもりで、深夜0時5分開始の「今夜も生でさだまさし」を見たため。歌番組ではなく、トーク中心のもの。べつに格別の内容があるというわけではないが、トークの軽妙さが面白い。ただし、最後まで見たわけではない。番組が始まって1時間を経過した頃、さだまさしが1曲、歌い始めたのは覚えているが、その後は記憶にない。朝、目覚めると、テレビがついたままだった。
 起床すると、雪が降っていて、国道の路面も白くなっていた。結局、夜まで断続的に降り続けたが、たいした積雪にはならず。
 配達は横倉、青倉、志久見などで計96軒。

 じつは昨日、来訪者を中子に案内した時、昨年11月にオープンした「農家民宿れすとらん・ひがし」を訪れたが、昼食にはやや早い時間だったので、コーヒーセットの注文にした。その時に「おすすめ」として紹介されていた「豚の角煮とゆで玉子の煮つけ」というのを食べてみたかったのと、天気予報では昼頃から「晴れ」と出ていたので、雪を被った中子の桜を撮ってみたいと思ったので、昼食はその「ひがし」さんへ。訪れた時はまだ雪が舞っていたが、ご主人らとお話しているうちに外は晴れた。奥さんから「風が桜の雪を飛ばしていますよ」と教えられ、連写で撮影。そんなにうまくは撮れなかったが、連続写真で見ると、たしかに風で雪が飛ぶ様がよくわかる。ここでは1枚だけ。



 中子の帰り、この1週間の懸案だった散髪へ。すっきりした。髪を切ってもらうことでもスッキリするが、とくに洗髪とその後の頭、肩のマッサージが格別に気持ちいい。震災直後、半年ほどの間、逆巻(宮野原橋を渡って津南町に入ってすぐのところ)に臨時事務所を借りていた時の縁で、中島理容室にこの5年間、お世話になっている。
 
8日(月) 3日の秋山行で配達が小赤沢(+屋敷5軒)しかできていなかったので、数日前から、天気予報で「晴れ」と出ている今日8日、今号2度目の秋山配達を計画していた。しかし、昨日7日に予報を見ると、朝の最低気温が−9℃になっていて、凍結が心配された。幸か不幸か、土曜日にゆうパックの不在票が入っていて、問い合わせた結果、今日8日の午前9時に桑名川郵便局で受け取ることになったので、まず117を走って桑名川へ。市川橋で関田山脈方向の景色の素晴らしさに見惚れ、写真を撮ったが、足元がツルツルでおっかなびっくりの撮影。

 秋山へは10時20分に津南の大割野から国道405に入るという遅いスタート。道路に問題はなかったが、前倉橋の少し手前で、除雪ロータリーとの離合(下写真)。前回もあったが、もう慌てることもない。



 今日の配達は屋敷、上の原、和山の3集落だが、快晴なので、まず上の原に向かい、天池に行った。今日は前回1月26日のように車で入ることはできず、雪道を歩いて。一度除雪されている道なので雪は少なく、歩行は楽なもの。いいものが撮れたと思う。
 その後、昼食弁当を済ませたうえで、集落を下りながら14軒の配達。家の前が鳥甲の絶好撮影ポイントになっている家のおかあさんに出会って立ち話をしたが、朝陽に輝く鳥甲連峰の山頂について、このおかあさんは「金色」と表現されていた。私は正月2日に撮影したものを「赤く輝く」と表現したと思うが、「金色」という表現も、「たしかにそうだ」と思う。
 上の原での配達が終わった辺りで、まだ大した軒数も廻っていないのに背中に疲れを感じた。「いや、今日は秋山での配達を完了させねば」と気を奮い立たせ、和山へ。

 和山では11軒の配達をするが、8軒が和山の民宿街としてまとまったゾーンの中にあるの対して、残り3軒は集落の中心部からずいぶんと離れて、それぞれポツンと存在している。そのうちの1軒、島田福一さんのお宅を訪ねた時、たまたまご主人が家の前に停められた車から降りられたところだったので立ち話。和山の島田家の由来について面白いお話が聞けた。これはいずれ「復興への歩み」で紹介したいと思う。
 屋敷では何人かの方から、「お茶でものんでいかないか」と声をかけていただいたが、時計と睨(にら)めっこで、「凍結しないうちに下りたいので」とお断りせざるをえなかった。ただし、1件、質問したいことがあって立ち寄った小赤沢で話が思った以上に長引き、下ったのは4時を廻ってしばらくしてからだった。ただし、日が長くなっているので、津南に下りた段階でまだ薄暮だった。
 
9日(火) 今日1日廻ればNo.276の配達完了というところまで辿り着いたが、昨夜から急に体調がおかしくなった。背中がだるくてしようがない。昨夜は早めに就寝したが、今朝目覚めると、背中が板になったような感じ。
 「もう1日余裕があるから」と考え、今日は配達を休んで十日町に治療に行くことにした。ただ、昨日撮った写真はとても気に入っていて、どうしてもアルバム化しておきたかったので、その作業をして、午後、治療へ。

 天気予報では朝から降雪とのことだったが、実際は昼頃から。結構激しい降雪の中を十日町へ向かった。私は中里から裏道に入るので、宮中ダムの前を通るが、宮中ダム下流の信濃川の水量が異常に少ないと感じた。
 治療を受けて、少し楽になったが、帰路、宮中ダムで水量が少ない状況を撮影。



 日々、千曲川の様子が視界に入っていて、水量がそんなに少ないとは感じていなかったので、「いったい、どこで水量が減っているのか?」という疑問が出てきて、この後、鹿(しか)渡(わたり)の東電の発電所、宮野原橋付近、西大滝ダムの直下などの様子を見に行った。西大滝ではすっかり暗くなって、あまり様子が判然としなかったが、どうも宮中の取水量が多いのではないかと思う。例の水利権取り消し事件以降、宮中での取水量は厳重に管理されているが…。
 こういう、ある意味では「衝動的な」動きが、休むべき時に休まず、疲れを蓄積してしまうのだろうが、まあ、私の性分なので、なかなかやめられない。
 
 夜8時半頃だったのではないかと思うが、突然、村内放送のスピーカーから大音量の告知放送。「長野地方気象台が栄村に大雪警報を発令しました。明け方までに40センチの積雪が予想されます」というもの。
 「大雪警報が出ると、雪はやむ」というジンクスのようなものがあり、しばらくしてから外を見ると、やはり雪はやんでいる。ところが、夜9時40分頃、国道117から除雪車の音が聞こえてきた。カーテンを開けて、外を見ると、たしかに除雪車が出ていた。その後、ロータリーも出動。除雪車が家の前を繰り返し通り、午後11時すぎまで動いていた。外に出て、積雪状況を見たが、除雪しなければ車が立ち往生するといほどの状況ではない。


夜10時20分頃の国道117号線の様子

 私は震災翌年2012年の冬、夜9時頃に「間もなく森に到着します」という東京のTV局ディレクターからの電話を受けて、横倉の仮設住宅から森に車で向かったことがあるが、117は立ち往生寸前の積雪量だった。でも、除雪の出動はなかった。2013〜14年の冬から117沿いで暮らしているが、こういう時間帯の除雪車出動は経  験がない。「大雪警報」が出たので、県関係から出動の指令が出たのだろうか。少雪の今冬、仕事が少なくて困っている状況だから、出動を要請されることは悪いことではないが。

10日(水) 昨日の治療である程度楽にはなったが、まだ背中がだるくてしようがない。加えて、腰も不安定。もう一日、配達を休んで治療に行くことにした。


朝9時前、車庫の前で駐車スペース確保のために除雪した時の様子。
夜の間に30cmくらいは積もったのか。

 ただし、今日の午前中、平滝の橋脚建設現場の最終撤去作業が行われることを知っていたので、朝9時に現場へ。現場事務所として使用されていたコンテナの撤去作業。作業の様子を見ていて、青倉の仮設公民館のことが思い出された。
 撤去作業のピークは雪が最も激しくなった時間帯。素手でカメラのシャッターを切っていたら、左右10本の指すべてが一瞬のうちに“しもやけ”になってしまうのでは、という感じになった。買ってあった温かいお茶のペットボトルを握りしめて指を温めた。
 撤去・回収作業に来られたのは群馬県前橋市の業者。尋ねると、午前2時半発で来られたとのこと。十二峠で除雪車と出会い、勝手がわからず、苦労されたそうだ。帰りについて聞くと、5〜6時間要するとのこと。片側が開け放しの状態のコンテナを積んでいるので、スピードが出せず、高速も使えず、下道で峠越えをして群馬に戻られるのだ。
 震災から間もなく満5年だが、震災直後の義援金は言うまでもなく、復旧、さらに復興の工事がこういう遠方から来られる人たちのまったく表には出て来ない地味な作業によって支えられているのだということを、改めてしっかり認識しなければならないと思った。
 
 治療の後は、私のミスで昨日発送できていなかった荷物の発送作業のみ行い、あとは格段の作業をせず、早めに就寝することに。ある人から、「自分では自覚していない疲労の蓄積があるんですよ」と言われたが、そうかもしれない。3月29日の誕生日がくれば、また1つ歳を重ねる。栄村には私よりも高齢の先輩諸氏がたくさんおられ     
るが、歳を重ねるということがど    
ういうことなのか、それは自分が実際に経験しないとわからないことだと思う。「未踏」の域にどんどん入っていくわけで、人の忠告にも耳を傾けて、調整法をいろいろ考えなければならないと思う。
 

配達日誌1月20日〜31日

20日(水) 朝から降雪。家の前の国道を除雪車が頻繁に通り、賑やか。かなり荒れた天気だが、明け方くらいからの降雪なのか、積雪はたいしたことがない。
 9時すぎにちょっと出かける時、久しぶりに車庫の前の除雪をした。その時の国道の様子が下の写真。



 No.275の印刷などを行ない、11時ごろに飯山にむけて出発。データを保存する2.0TB(テラ・バイト)容量のUSBが満杯近くなったので、それを購入するため。
 飯山方面の国道は大型車がつくった轍の幅が軽トラには合わないので走りづらかった。往き帰りの過程でいろんな写真が撮れて、夕刻に「今日は荒天」という写真アルバムをブログにアップ。
 配達は青倉を中心に44軒・62部。
 一日中降っても積雪はほとんど増えていない。今夜は積もるのだろうか。

 
21日(木) 未明から朝にかけて、「久しぶりに積もったなあ」という感じ。夜、「久々に『積もったなあ』という感じ」というタイトルのブログ記事をアップした。
 配達は135部。
 今日の印象的な出来事は、切欠集落の坂の上の3軒に行くために、集落の上から入って歩きで坂を下る時に滑ったこと。新雪がそこそこにあり、その上を歩いていて、いきなり滑った。どうやら新雪の下にシャーベット状の雪があったよう。横向けに滑ったので、怪我をするようなことはなかったが、今冬、歩いていて滑ったというのは初めて。下写真のところで、写真手前に私が滑った跡が写っている。



 昼頃、北野天満宮を通過する時、車を天満宮に停めて、「学問の橋」まで歩いて行った。なかなかいい景色。



 
22日(金) 今日は「お米のふるさと便り」の編集作業が主で、配達は18軒のみ。
 ほぼ一日、雪が降り、午後は積雪が増えた。青倉集落では雪害救助員が今冬初出動していた。印象的な写真9枚でブログ記事「おお、栄村だ!」を編集・アップ。
 夕刻、訪ねた家で話し込み、暗くなってから天地〜野口間、さらに天代坂を下った。野口の手前のカーブは以前からよく滑るところだと自覚しているが、今夜もよく滑る状態だった。ブレーキを踏まずに、ひたすらハンドルを切って曲がって行けば滑らないで済む。でも、「雪が降る日は早めに家に入り、車で走らないようにせよ」ということを久々に思い知った。下の写真は午後6時すぎの天代坂の様子。




23日(土) 昨夜は雪がやみ、今朝は「除雪なし」かと思っていたが、中条の集落内道路には朝の除雪が入った(除雪車が来た時には気づかなかったが)。車庫前の除雪をして、9時半頃に配達に出た。
 今日の配達で廻った集落の中には今朝の除雪車出動がなく、かなりの雪が残っていて走りにくいところがあった(写真下)。



 こういう違いがあるのはどうしてなのか? 不思議だ。たしかに以前に聞いたことがある出動基準(積雪15cm以上)には満たない積雪であるが、高齢者が増えている現在、こういう状態では高齢の人が家から出ることを困難にすると思う。昨年の12月〜1月のように大雪の日が続き、除雪車の出動が間に合わない場合なら別だが、今冬のように除雪車の出動に余裕がある場合、もっと高齢者が暮らしやすい村にするという観点からのきめ細かい除雪対応が求められると思うのだが、どうだろうか。

 午前中、主に平滝、白鳥を廻り、76軒。昼食の後、限られた軒数を廻って、今日はあがるつもりだったが、「今日中に届けておかなければ」というところを思い出して、結局4時前まで配達を続け、今日は153軒。経験則的に言うと、135軒を超えたあたりで体がきつくなる。今日は相当に疲れた。
 さて、明日はどんな天候になるのやら。

 
24日(日) 詳しくはブログ記事を三度にわたって記したが、目まぐるしい天候の変化。簡単にいえば、吹雪→ぬけるような晴天→吹雪。
 しかし、これでようやく栄村の冬らしい景色に少し近づいたともいえる(下写真は私の住む家の裏手。屋根から落ちた雪で1階は埋まった)。



 今日はもともと荒天が予報されていたので、午前中、「復興への歩み号外・小赤沢集落版」を編集。
 午後は急遽依頼された仕事。午後1時半頃から5時頃までずっと屋内での仕事だったので、2時〜3時頃の最も激しい降りは写真を撮れず。「どんな時でもカメラを持ち歩かねば」と反省。

 
25日(月) 朝9時台が最も激しい降雪だっただろうか。
 朝、集落内道路にも除雪車が入ったが、本格的な積雪はその後。午後3時半頃に家に戻ると、もう1回除雪が入っていて、車庫の前には除雪車が道路脇に残す固い雪がビッチリ。それを片づけ、車庫前に車を停められるスペースを確保。
 今日も昨日に続き、依頼された仕事が入った。朝9時までに今日発送しなければならない米30kgの精米と箱詰めを終えて、9時頃から依頼仕事へ。
 今日、箕作でお葬式があり、仕事の途中で、葬儀会場に向かうバスを吹雪の中で待つ人たちの姿を見た。「こんな激しい雪の日にお葬式なんて大変だなあ」と思う一方、「雪国に生まれ、雪国で一生涯を終えた人の野辺送りにはこういう日こそふさわしいのかも」とも思った。
 雪が完全にやんだ夕刻、温泉の帰りに「トマトの国」から撮った1枚。こんな素敵な景色が見られるのは厳しい雪国だからこそ。
 



26日
(火) 今日は秋山行きと昨夜の段階で決めた。
 朝7時頃のNHKの気象情報で「飯山−15.6℃」とのこと。道路の凍結が心配なので出発は遅い目にする。昨夜の就寝が早かったので6時には起床。「復興への歩み号外・屋敷集落版」を今朝に完成させるつもりだったが、朝一番にプリンターのスイッチを入れたところ、故障の表示。保守サービスをお願いするしかない。「屋敷集落版」の編集は断念。したがって、今日の秋山での配達は屋敷以外の集落とし、今週中にもう一度、秋山に行くことにした。

 朝から空が真っ青の好天。秋山を配達で廻ったことについて「日誌」に記したことは多々あるが、前々から企図していながら、出来ずにいたことを今日の日誌でやってみたい。仮にタイトルをつけるとしたら、「秋山への道」というもの。頁数を費やすことになるが、写真アルバムを作ってみる。


津南町で国道405に入って間もなく。最高の天気。行く手に中津川渓谷が見える(9:37)。


いよいよ中津川渓谷に入る(9:56)。


進む先のスノーシェッドを撮影。写真左から右へ雪の切れているところがスノーシェッド。


右:清水川原手前の405号線。除雪した雪を随所で中津川に落としている。写真は来た道を振り返って撮ったものだが、写真左手の雪の切れ目の下は中津川渓谷。ブルブルッとする。


清水川原橋を越えて間もなく、離合のための待機場所にて撮影(10:07)。これから進む405号線が写真の中央付近、杉林の左に見える。


上の写真で見えた405号線の箇所を進む時に撮影したもの。本当に車1台の幅しかない。しかし、上りの時は谷が左手なのであまり怖さを感じない(私は右手に谷があると、非常に恐怖を感じる)。秋山行の路線バスは大型でここを通る。今日の帰路はこの付近で大赤沢行きの終バスと離合した。


前倉橋から大赤沢にむかう坂道。路面流水道路になっている。凍結を防ぐ方法はこれしかないのではないかと思う。今冬は水が少なく、道路の端が凍っていることがあるが、極度に冷え込んだ今日は写真のような状況で、途中、ヒヤッとする箇所もあった。


これは秋山に入った後、屋敷〜上の原間。前面に見える鳥甲山は素晴らしいが、405号線の路面はご覧のとおり。
 ただ、屋敷〜上の原間、さらに和山〜切明間については、道路の曲がり方、坂の具合などを体がだいぶ覚え込み、さほどの怖さを感じなくなった。「慣れ」は「油断」につながる危険があり、注意しなければならないが、慣熟が冬道克服の最良・唯一の方法だと思う。

 私は「冬の秋山観光」積極推進論者だが、冬道に不慣れな人の安易な秋山入りには反対。路線バスの使用やガイド付きの観光を推奨したい。また、村サイドでは「冬の秋山ガイド」の態勢を構築・充実させることが必要だ。


27日(水) 寒さ対策として、一晩中、暖房をつけっ放しにして成功。午前6時に寒さも感じることなく起床。
 夜が明けると、今日も晴天。下は8時20分に部屋の窓から撮ったスキー場方向の眺め。家の裏の雪に覆われた田んぼも綺麗だったので、手前の田んぼを広く入れた1枚。例年だと、家のすぐ裏に2階の窓に達するくらいの積雪があって、こういう写真は撮れない。



 さて、4〜5日前くらいからだろうか。右足の薬指が赤みをもって腫れ、痒くなってきた。私は靴を履きっ放しの日が続いたりすると水虫菌が活性化する性質で、以前に菌が皮膚内に侵入して腫れたことがあったので、それかと思い、水虫用の薬を塗ったりしていた。しかし、昨日、秋山での配達に廻っていたとき、「違う!」と思った。長靴を履いて雪の上を歩いている時、左足は何も冷たさを感じないのに、右足だけ異常な冷たさを感じたのだ。
 親しい人であっても、靴下を脱いだ足の指先を見せるなどというのは大変に失礼なことだと思うが、心配になり、知り合いのある人に「申し訳ありませんが、ちょっと見ていただけませんか」とお願いした。「これは異常ですよ。すぐに皮膚科で診てもらった方がいいですよ。上村病院の皮膚科がいいです」。
 そういう次第で、今日はまず十日町市(と言っても、旧中里村で、津南町のすぐ隣りで近い)の上村病院へ。ほとんど待ち時間なしで診てもらうことができて、「菌が入っている状態ではない。しもやけですね」との診断。薬を処方してもらった。

 ところで、私はこれまで「しもやけ」という言葉を書いた記憶はなく、漢字表記を知らなかった。「しもやけ」と凍傷の相違について調べようとネットで検索して驚いた。「しもやけ」は「凍瘡」と書くそうだ。凍傷との違いは皮膚組織の損傷に至っているかどうかのようだ。放置して、悪化させればおっかないことになったかもしれない。単に冷えるだけでなく、長靴の中に雪が入るような所にもよく行くので、長靴の中が濡れた場合などは注意しなければならないようだ。

 配達がやや遅れ気味なので、皮膚科受診の後、村に戻り、配達を進めたが、この間、徐々に痛みを増していた左足の神経痛がひどくなり、運転台に座っているのが辛くなってきた。113軒の配達を終えたところで十日町の接骨院に行くことを決断。他にも痛い箇所があるが、今日はとりあえず左足の神経痛の治療。かなり楽になった。
 夜になって、帰宅時に国道117からスキー場のナイター(営業用ではなく、スキークラブの練習用)がきれいに見えたので、朝と同じく部屋の窓から1枚。



 
28日(木) 起床が7時すぎと遅かった。昨夜、寝そびれて、就寝が遅かったせいだ。
 印刷が必要だったので、コーヒーメーカー、オーブントースター、テレビ、コタツをつけている中でプリンターを動かし始めたら、ブレーカーがダウン。プリンターは起動し始める時、一瞬、蛍光灯が暗くなるくらい電力容量が大きい。
 遅いスタートで、まず青倉で20数軒を廻ったが、午前10時頃は薄曇りで、空気が冷たかった。11時頃になって、青空も見えるようになり、昨日、一昨日と同様の好天に。大気が暖かくなった。

 午前中、66軒を廻ったが、左の背中がだるくてたまらない。2日連続での十日町の接骨院行きを決めた。森宮野原14:22発の上り列車の姿を栄大橋から撮影する必要があったので、それが終わるとすぐに十日町へ。ところが、昨日と違って、混み合っていて、かなりの待ち時間。村に戻ったのは午後5時を過ぎていたが、今日の配達が66軒で終わったのでは、ちょっとピンチなので、柳在家と長瀬で計20軒を配達。もうすっかり暗くなり、温泉の締切時間も迫ったので、そこで終了。
 温泉は私が最後の客。駐車場から出る時、建物の電気がつぎつぎと消されていくところだった。

 今日の午前中、役場前から見える千曲川対岸の断崖の上から撮った写真がとても綺麗だったので、夜、その写真を紹介するブログ記事「栄村はやはり凄いところだ」を編集・アップ。下写真は役場前の国道117から千曲川対岸を撮ったものだが、赤マークをした地点から村の風景を撮影した(その写真は「復興への歩み」に掲載する)。



 
29日(金) No.275の配達も終盤。明日30日は昼から人と会う予定があり、31日は秋山・屋敷集落に行きたいと思っているので、朝からの雪の中、ピッチをあげて配達。
 午前中に森、長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、原向、大久保、程久保、野田沢を廻り、108軒。



 雪は湿雪。上写真は森の五宝木住宅で配達している時に、除雪車が格納庫から出てきたところ。今季、飯山線の除雪車が雪を飛ばしているところを撮ったのは初めてのような気がする。
 当部の集落内道路はまだ車が通った形跡がなく、人の足跡もなかった(下写真)。わずかな積雪だが、こういうところに入って行くのは気持ちがいい。



 極野を廻っていた時だったと思うが、雪が雨に変わった。それから1時間ほどすると、雪の上を歩く時の感触と音が変わった。雪がザラメ状になったためだろう。昼食を終えて、午後1時に外に出ると、再び雪。朝とは異なる細かい粒の雪だが、なにか冷たーい雪。
 平滝と白鳥で16軒廻ったところで、印刷したものがなくなった。平滝の国道気温表示計は−1℃。寒い。下の写真は平滝で千曲川対岸を撮ったもの。
 
 
 
 寒々とした雰囲気が伝わるかと思うが、この写真を撮ったのは、直前に平滝〜箕作間に架かる橋を建設中の現場代理人と話していたのが誘因。橋が通行できるようになるのは来年あたりだと思われるが、橋が完成して通行できるようになれば、人間はそれを当然のことと思うようになるだろう。しかし、この橋の建設の前史は長い。車が当たり前の存在になる以前、栄村と明石(あかいし)(現・野沢温泉村)の間には今とは比較にならない行き来があった。ただし、それは現代の感覚からいえば「道」と言えるようなものではない道を通じてであった。写真の中央に雪の切れ間が見えるところが旧道。長い間、手入れがされていないので、現在では雪のない季節でも通行不能だと聞いている。
 こういうことは記録化していかないと、間もなく、「誰も知らないこと」になってしまう。そしてまた、便利な道路や橋がどのような苦難を経て建設されたかということも忘れ、わからなくなると思うのだ。

 
30日(土) 午前中は、昨日印刷部数が足りなくなって配達ができなかった白鳥集落の国道よりも山手の地区を廻った。正午に人と会う約束があったので、「急がなければ」と思いながら配達したが、思っていたほどには時間がかからずに完了。これで明日、秋山の屋敷集落を廻ればNo.275の配達は完了する。
 この白鳥での配達途中にこんな写真を撮った。



 橋場川が集落の中を下るところだ。数日前、月岡健治さんがfacebookに「今年は川が埋まらない」と書いておられたので、その様子を撮影した次第。比較写真として、昨冬12月15日(ほぼ1年前、暮れの総選挙の翌日)に同じ場所を撮影したものを示したい。


 
 川などほとんど見えない。でも、これが「栄村の雪」なんだよね。
 忘れないようにしないと来冬に厳しい思いをすることになるかも。

 正午の約束は、メールで取材を申し込まれた東京の大学生と会うというもの。メディア社会学科というものに所属されていて、栄村を取材されているとのこと。「東京の大学生」とはいっても、実は飯山市出身の人で、5年前の地震の時は中学3年生で震度5くらいを体験されたそうだ。
 ひと通り話をし終わったところで、坪野と小滝以外はあまりご存じないとのことなので、西部地区と東部地区をざっと車で案内した。その途中、私が用を足したくなって、天地の斉藤克己さん宅にお邪魔し、学生さんを紹介した。「Nさんというお名前なんだけど、じつは飯山市の〇〇が実家だそうです」と言うと、克己さんの反応は、「えっ! N農園のお孫さんかい。○○さんはお元気ですか。〇〇さんには随分お世話になった」というもの。世の中、広いようで狭いなあと思った。

 夜、家に戻ってから、29日の項で書いた千曲川の橋脚建設の現場の代理人との会話の関係で、「あそこの予備調査が始まった時に写真を撮ったことがある」と思い出し、その写真データを探し始めた。「もう雪が積もってもおかしくない時期だった」ということだけは覚えていたが、それが何年のことか思い出せない。2014年の11〜12月の写真データを見ると、もう橋台の建設が進んでいる。「12年か13年か」と思い、パソコンのデータを探しまくって、ようやく2013年12月5日のデータの中にあるのを発見。それが下の写真。



 同じ場所をいま撮ると、すでに橋台のみならず、橋脚も完成している。橋が完成する頃、人はこのあたりがかつてはこんな風景であったことを完全に忘れてしまっているのではないだろうか。

 
31日(日) 昨夜は千曲川橋梁建設現場の写真のデータを探し出した後、地震当時のレポート(当初1ヶ月間のタイトルは「栄村復興への歩み」ではなく「栄村の状況」)を久しぶりに読み返した。当時の様子がヴィヴィッドに書かれていて、「あー、そうだったんだな」と懐かしく思い出した。
 気がついたら、夜中の1時半を廻っていた。そんな次第で、今朝は8時頃の起床。

 起きた時は雪が降っていたが、そんなに大した降りでもないし、予報では昼前から晴れになっていたので、秋山に向かった。屋敷集落で、No.275とともに「号外・屋敷集落版」を配達するためだ。
 津南町正面のセブンイレブンで昼食用の弁当を買って出発したのが午前10時20分。まだ雪が降っていたが(灰(はい)雨(ざめ)のスノーシェッドを越えると、栄村よりも激しく降っていた)、清水川原橋を通過するとき、苗場山と鳥甲山の間の空が明るくなっているのが見えた。秋山に着いた時は晴天。
 手元のメモ帳に、「秀清館の配達を終わった時点でアツい」という記録がある。かなり暖かだった。北原地区での配達を終わり、「みずと屋食堂」さんから上のゾーンに入る前に、五宝木に向かう道路が今日も車で入れる状態であることを現認し、「晴れているから布岩の直下のところまで歩ける」と考え、向かった。そして、行けた!



 上写真は、布岩の直下から自分が歩いてきた方向を撮影したもの。
 写真奥に見える風景を撮影したものの中から1枚、「復興への歩み」に掲載するが、布岩に向かう途中、振り返ってその景色を初めて見た時、言葉では何とも表現しきれない感動を覚えた。
 少雪だからこそ行くことができた、見ることができたものだが、雪が多い年でも3月頃の雪が締ってきた時期に、多くの人に見せられればいいなあ、と心の底から思う。
 屋敷での配達が終わった後、あるお宅に寄らせていただき、お茶のみをさせていただいた。ご主人にお尋ねすると、今年は開いている道は例年は必ず雪崩が発生し、雪がある間は通れないとのこと。しかし、雪崩を避ける別のルートがあるそうだ。
 地元の人たちのお知恵をお借りして、秋山の素晴らしい景色、資源を観光に有効に活かせる方策を探り出していきたいなあと思う。
 

配達日誌1月10日〜19日

10日(日) 今日は道祖神祭り。わずか6世帯の中条地区は、午後の森集落の道祖神祭りに先行して、午前、独自の祭り、どんど焼きを行なう。つい4〜5日前、「点火役は隣組長だ」と言われた。
 朝8時、喪中で欠席の1世帯を除き、5世帯の男衆5人でどんど焼きの準備。雪が少ないので柱を立てるために土を掘らなければならないかと思っていたが、会場の田んぼには意外と雪があり、土は掘らずに立てられた。
 10時半すぎに点火。青空の天にむかって白い煙がむくむくと立ち昇る。そして、10数分後、柱の周りに縛り付けられていた茅、藁がパカッと3つに割れ、紅蓮の炎をあげた。



 どんど焼きは毎年見てきたが、こんな素晴らしいのは初めて。

 正午少し前に終わったが、お神酒をいただいていたので、一休み。10分か20分はうつらうつらした。2時すぎくらいからか、久しぶりの配達に出た。72軒81部。配達開始からしばらくは、本当に久しぶりの配達だったので、なにか変な感じがあったが、いつの間にか、普通のペースに戻っていた。
 平滝での配達の途中、国道のカーブの先に大きな白煙が見えた。平滝のどんど焼きだ。つぎに、白鳥でも白煙が視界に。そして、あるお家に配達に行った時、会場の全体像が見えた。そして、「みかん撒きだぞ」という声が耳に届いた。
 いいものだ。
 白鳥のどんど焼きの様子はあえて遠景の写真を示したい(下写真)。



 
11日(月) 8時55分スタートで配達に出た。
 配達が休みだった間は、朝、寒くてなかなか布団から出る気になれない日があったが、配達再開となると、そんなことはもうない。寒くてもすくっと起き上がれる。
 朝から雪が降る中で、東部から廻り始め、坪野、原向、天地を経て、西部、さらに青倉という順で進んだが(全戸周りは坪野、天地、大久保、程久保、野田沢の5集落)、やはりと言うべきか、極野は他と較べてやや積雪量が多いなという印象だった。
 ひたすら廻り、今日は計160軒。昨日と合わせて241部で順調な滑り出し。
 一定の年齢以上の人は、それぞれに「SLの思い出」を持っておられる。積極的に引き出していきたい。SLの定期運行の最後が昭和42年(1967年)。当時、カメラを持てる余裕があった人は少ないだろう。写真を入手するのは相当の努力が必要と思われる。とにかく、SLを大きな話題にしていくことが鍵だと思う。
 
12日(火) 森、泉平などで121軒、130部。累計371部で、配達は快調。
 昼すぎ、泉平から箕作へ下るとき、こんな1枚を撮った。見えているのは平滝集落。なかなかいい景色だと思うが、どうだろうか。




13日(水) 今日は天気予報で晴れそうだったので、秋山行きを予定していた。そのとおりに行動したが、大しくじりをしてしまった。
 清水川原手前の猿飛橋、逆巻温泉というところを一度も訪れたことがないので、往路の途中で立ち寄ろうと思った。見玉〜清水川原間の国道405には雪もなく、いつになく走りやすかったので、深い思慮なしに405号から右へ、猿飛橋への曲がりくねった坂道に入った(下写真。この写真は帰途に撮ったもの)。入った直後に「しまった!」と思った。道路が完全に凍っていてツルツル。最初のカーブでなんとか車を停めることができて、ほんのわずかの距離をバックで戻ろうとしたが、まったくバックできない。すぐに「無理」と判断した。さあ、どうするか? 前へ進めば、相当の距離の曲がりくねった坂道が続く。無事に下れるという保証はまったくない。しかし、さらにバックを試みる方が危ないという気がした。


これが猿飛橋への坂道(撮影は氷が割られた後)

 結局、前へ進むことにした。結果として無事に下りきり、猿飛橋に辿り着くことができた。                 
しかし、それはもう恐怖という次元を超えたものだった。もう必死だったと言うしかない。

 さて、猿飛橋を渡ったが、「どうやって405に戻るか?」である。坂道を上がることはできない。
 猿飛橋を渡った先に1軒の民家があり、訪ねた。80歳を超えるというおじいさんが出てきて下さったが、酸素ボンベをひいている人で、「私が動ければ、なんとかしてあげたいが、こんな状態なので…」というご返事。
 携帯で知人と連絡をとり、相談した。「猿飛橋の先の坂道を上がって、川津屋さんまで行って援けを求めるしかないでしょう」。
 さらに坂道を進むことは怖かったが、他に方法はない。幸いなことに川津屋さんへの道は凍結しているところもなかった。そして、川津屋さんに着くと、玄関前にご主人の姿。「どうされました?」、「坂道が凍結していて、405に戻れないのです。なにか方法はないでしょうか。」、「ええ、水が充分に来ていないのです。午後にも直しに行こうと思っていたところです。」、「わかりました。私が氷を割りましょう。」
 川津屋のご主人、吉野さんがタイヤドーザーに乗り込み、「中に入って待っていてください」と。


タイヤドーザーに乗り込み、出発して下さる吉野さん

 私は気を取り直して、周辺の写真などを撮っていたが、猿飛橋の方からタイヤドーザーの音が聞こえる。
 間もなく、ご主人が戻って来られ、通れるようになったとのこと。心からのお礼を申し上げ、少しお話させていただいた後、氷が割られ、水が流れる坂道を上がって、405号線に戻れた。ただただ感謝!!である。
 冬道は怖い。
 
秋山ではお二人の人と話し込み、配達はほとんど進まず。もう一回行かなければならない。夕暮れ迫る中で秋山を出て、津南町の中心部に着いたのは6時半頃。反省しきりの一日であった。

14日(木) 朝からほぼ一日中降雪。しかし、ほとんど積もらない。
 昨日の信毎によれば、白馬村は「寡雪対策本部」を設置したとのこと。なるほど“寡(か)雪(せつ)”という言葉があるのか。たしかに「少雪」という言葉では言い表しきれない異常な少なさだ。
 雪が舞う中で平滝、白鳥、箕作、横倉などで140軒を配達。軽トラを降りて、ポストまでの間に距離がある場合は袋に入れるが、それ以外の場合は、「歩み」が濡れないように車から玄関までダッシュ。履いているのは長靴だが、足元にほとんど雪がなく、凍ってもいないので走れる。普段の冬場にはありえないことだ。


これは少雪だからこそ見られる良き眺めかもしれぬ


午後3時頃の家の裏の田んぼの法面
昨日の段階でどれほど雪が少なくなっていたか、そして今日の雪がほとんど積もらないことがわかる一枚だろう
                               
15日(金) 13日の秋山行きではほとんど配達ができなかったので、雪が降ってはいたが、秋山の配達に行くことにした。
 屋敷、小赤沢、上の原、和山の順で計74軒を廻った。

 屋敷では、昨秋に「屋敷集落を歩く」、「布岩巡り」という写真アルバムを編集した(ブログにアップ)ことをふまえ、その冬版を作りたいなと思い、2時間ほどかけて写真を撮りながら、廻った。降雪の中での撮影で、やはり布岩が鮮明に見えるものは撮れなかった。
 そんな中、屋敷から五宝木方面に向かう道路が除雪されていることに気づき、慎重に進んでみた。布岩直下の近くまで行けた。布岩直下の撮影ポイントへは歩いて行けそうだったので、歩を進め始めた途端に雪が猛烈な横殴りの降り方に変わった。危険を感じ、布岩直下に進むことは断念した。


11時35分撮影の布岩。横殴りの雪の中、望遠で撮影。見えるか、見えないかという感じの、こういう写真もそれなりにいいのではないだろうか。

 午後1時半すぎ、上の原での配達を終えた頃、青空が見え始めた。白樺の木の上で、「ギーギー」と鳥が鳴くのが聞こえた。鳥の姿をカメラで捉えることができた。私は鳥の名前はさっぱりわからないので、後日、鳥に詳しい人に照会してみようと思う。

 上の原の配達が終わる頃から背中に疲れを感じ始めたが、ふんばって和山の配達へ。そして、午後3時頃、小赤沢まで戻り、「さあ、今日はこれで帰ろう」と思ったところで地域おこし協力隊の木村敦子さんに出会った。「今から道祖神祭。3時に屋敷で点火、小赤沢は4時」とのこと。躊躇なく屋敷に向かった。1時間弱、撮りまくった。4時からの小赤沢は「どうしようかな。帰り道が暗くなるな」と少し躊躇したが、「やはり小赤沢も撮らなければ」と思い、小赤沢の会場へ。
 ここでも徹底的に撮り、最後の「みかん撒き」の終盤でカメラのメモリカードが一杯になってしまった。こんなことは2011年7月の東北・三陸海岸訪問時以来のこと。今日の撮影枚数は2,549枚
 
16日(土) 午前中は中野市の耳鼻科に出かけた。年末にひいた鼻風邪から鼻炎を起こしたのだ。8日に受診して、抗生物質の投与などを受けて快方にむかっているが、15日に秋山に行った際、薬を持参せず、半日以上、薬を服用しなかったら、ちょっと具合が悪くなったので、念のための受診。
 着くと、駐車場は満杯。近くの薬局の駐車場に停めさせてもらったが、医院に入ると、座る席がない。結局1時間半待ちだった。いっぱいの患者さんがいたにもかかわらず、雪長靴は私の他はもう一人だけ。外は青空で、雪とはまったく無縁の世界。

 村に帰ってくると、国道が真っ白。集落内道路はかなり積もっている。知人に言わせると、「この冬初めて、栄村らしい降り方だった」とのこと。


16日午後1時40分すぎの大久保集落付近

 午後は原向などで配達。計39軒にとどまったが、価値ある39軒。雪の中で、車から降りてかなり歩かなければならない家が多い地域での配達だからだ。
 原向の登渡地区で切欠堤への道に車が入った跡があるので、そちらに向かった。途中で車は進めなくなったが、歩いた跡(新しいもの)があったので、長靴が埋まるほどの深さの中を進み、冬の切欠堤の様子が撮影できた。
 極野集落では“たね”の写真などを撮り、夕刻、「雪国と水」というブログ記事を編集してアップした。反応はいい。
 
17日(日) 朝、気温がぐっと下がり、路面の凍結が厳しいと思い、配達への出発時刻を遅めにし、9時少し前に出かけた。
 まず、雪坪集落を廻ったが、いい写真が撮れないかなと思って、村道滝見線(冬期閉鎖)の方に行ったら、除雪がされていて、猟犬を伴った人から「塩尻まで行けるよ」とお聞きした。進んで行くと、奈免沢(なめざわ)の方にも行けそう。奈免沢川の橋まで進み、道はさらに開いていたが、そこでターン。千曲川を挟んで役場の対岸からスキー場方向などの写真が撮れた(下写真)。この時期にこんな写真が撮れるなんて、やはり極端に雪が少ないのだ。



 東部や月岡、小滝などで計146軒を廻り、No.274の配達を完了。10日午後から配達を開始したとはいえ、「7」の日で配達完了とは速いペースだ。例年の積雪があれば、ありえないスピードだ。
 
18日(月) No.274の配達が完了しているので、15日に秋山で撮った写真のデータ整理をしながら、途中、森宮交通の取材や、直売所の様子を見に行ったりした。また、午前と午後の2回、雪の様子をブログにアップ。
 雪は朝9時から午後4時頃までずっと降っていたが、たいした積雪にはならず。国道や「トマトの国」への道は除雪車が出たが、集落内道路は出ず。
 15日の屋敷と小赤沢の道祖神祭の写真は、よさそうなものをピックアップしただけでも296枚。写真は撮れるだけ撮るほうがいいのだが、そのデータの整理がとてつもない大仕事になる。悩ましいところだ。
 
19日(火) 予報では一日中ダルマのマークだったが、朝起きると快晴。午後からほんの少し降ったが、積もるようなものではない。夕刻に長野地方気象台から栄村に大雪警報が出されたが、本当に降るのだろうか。

 昨夜、嬉しいメールが届いた。飯山線をSLが走る写真が送られてきたのだ。東京の知人からで、ご主人が「鉄道マニア」で、高校生時代に飯山線で撮られた写真があるというのだ。
 天気がよいので、朝9時すぎの列車が通る瞬間を狙って、横倉集落の千曲川沿いの現場へ。例年並みの積雪があれば、この時期には近づけない場所だ。いい写真が撮れたと思う。


飯山線撮影地点近くから横倉駅方向を望む

 現場周辺の様子に71年当時と較べて微妙な違いがあったので、横倉の渡辺利正さん宅をお尋ねした。やはり圃場整備で少し変化があったようだ。利正さんはお婿さんで野沢温泉の出身だが、奥さんのうめ子さんからのSL時代の思い出をお聞きすることができた。
 森宮野原駅に転車台(機関車の向きを変える設備)があった当時の写真もいただいたので、その現場も撮影してきた。撮影された場所はどうも線路と線路の間のようで、列車が来ない時間に撮影に入ったが、飯山方面からロータリー車が入って来て、慌てた(撮影のためにいた場所はロータリー車が走行する線路とは関係なかったが)。いただいた写真には、今はもうない古い家も写っていて、昔を知る人たちにお話を聞きに廻った。           
 それ以外はNo.275の編集作業。
 
*1月1日〜9日は配達をやすんでいたので、「日誌」はなし。その間に撮った写真を数枚、掲載しておきたい。


降雪の中、天池付近を歩く(1日)

  
上の原のあるお家にて(2日)。このロータリーは私と同世代のかあちゃんが操作しておられる。


ソリ遊びする島田きみ子さん(青倉)のお孫さんたち(3日)


家の近くでナラの木を伐り倒し、薪用にチェーンソーで切る斉藤克己さん
例年のこの季節では考えられない作業(5日)。


車が入った跡があったので東部パイロットに入ってみた(5日)

配達日誌12月21日〜31日

21日(月) No.272の配達が残っている原向、野口、小滝で25軒を廻った。
 現在の積雪ならば東部パイロットの道を走れると判断し、柳在家から東部パイロット経由で原向へ。道路には車が走った跡があり、地元の人が結構入っている模様。鳥甲山などの資料的写真が撮れた。


東部パイロットから眺めた鳥甲山。頂上が朝陽を受け輝く。9時20分。

 途中、斉藤勝美さん宅に立ち寄り、新加工品「おひさまケチャップ」を撮影。
 帰宅後、「お米のふるさと便り」を編集。
 
22日(火) 朝、起きて少し作業をしたが、肩がうずく。寝不足   
という類ではなく、肩の状態が相当に悪いと考えて、十日町へ治療に。
 昼すぎに帰宅して、「復興への歩み」No.273の編集を進めるも、夕食後は作業を続行できず。「肩が痛い」といったことではなく、気力がおこらないという感じ。珍しいこと。

23日(水) 昨夜、仕事せずに過ごして正解だったのだろう。「復興への歩み」No.273の編集は順調に進み、本紙は完成。
 夕刻、知り合いから電話で、「おでんを作ったので食べに来ない?」というお誘い。一人暮らしではおでんを食べる機会というのはない(コンビニのおでんはにおいをかいだだけでも嫌。絶対に食べない)。喜んでお誘いにのり、訪ねると、主菜はなんとすき焼き。たっぷりと食べて満腹というところに、さらにXマスケーキが登場。「えっ! もう食べられない」と言いながら、大きなピースをペロッと平らげた。生クリームが上等で、下手な甘さがないからだろう。一日早いが最高のクリスマス。
 家に帰ってから、年末年始増大号の写真集用の写真の選抜にかかるも、第一次的な選抜でタイムアップ。

24日(木) 朝から写真集の編集を進めるも、結局、夕刻近くまでかかった。
 写真集の主たる素材とした21日の写真は撮影枚数が1157枚。そこからまず128枚を選抜。そしてさらに絞って写真集には24枚を使用。写真集のレイアウトを充分に考える時間的余裕はなかった。
 最近、「写真が素晴らしい」と多くの方から言っていただくが、私の答えは「カメラが優れているだけのことですよ」というもの。しかし、もう少し考えると、カメラの性能の他に、もう一つ、要因があるように思うようになった。撮影技術は相変わらずの素人だが、徹底的に歩き廻り、かつ同じ場所に何度も足を運ぶことで、いい撮影ポイントを見つけられるようになったのだと思うのだ。「下手な鉄砲も数打てば当たる」ではないが…。
 カメラ愛好家という人たちがおられるが、彼らは著名な撮影ポイントで、撮影技術を駆使して、他の人のものとは違う作品を撮ろうとしておられるように思う。私はいわば「芸術としての写真」のようなことには関心がない(というか、そもそもそんな技術がない)。俗っぽい言い方をすれば、「栄村の地域おこし」に使える写真素材が欲しいのだ。

25日(金) 久々に本格的な配達活動。今号は年内に配布が完了するように、「まず協賛者宅、その後に集落毎の全戸廻り」という通常の方式ではなく、最初から集落を1つずつ全戸配布していく方式で配達。
 今日は月岡、大久保の全戸と森、横倉の一定ゾーンを廻り、130軒148部。


天地の畑で出会ったカモシカ。今季、クマは見ないなあ。

 午前中にメール配信、ブログへのアップも行ったが、今号は写真集もあるので、この作業も一(ひと)仕事どころか二(ふた)仕事くらいのボリュームがあった。
 午後3時5分頃、大久保の最後の1軒というところで、それまでの小雨が雪に変わった。6時前に「トマトの国」に行くと、あたりは真っ白。でも、その後も大した雪にはならず。
 大久保での配達の時のことだが、これまで意識していなかった大久保の裏山の様子(地形)が目に入ってきた。この間、栄村の大地(地形)に関心を深めているがゆえに、これまで何気なしに見ていたものの中に新しいものが浮かび上がってくるのであろう。


大久保の裏山の様子

 栄村およびその近辺は山の斜面が崩れているところが多い。人が住む場所からは離れているので格段の災害を引き起こしてはいないのだろうが、中条川上流の大崩壊の問題との関連で考えると、難しい問題が出てくるように思う。どこまでを防災工事の対象とし、どこは手を触れずに自然そのままとうまく折り合いをつけて村(人間)の暮らしを営んでいくのか。詳しいことは別の機会にきちんと書きたいが、中条川上流の大崩壊地について、そのあるがままの状態と折り合いをつけながら暮らしていくという選択肢もあるのではないかということを、最近、少し考え始めている。

26日(土) 午前中は雪。でも、大した積雪になる雪ではない。
 青倉で52軒を廻った後、「これくらいの積雪ならば西山田に上がれるなあ」と思い、西山田で雪景色を撮影。平年でも、積雪初期や雪消え時に歩いて上がれば雪景色を撮れるが、軽トラで西山田に上がって撮影できるというのは珍しい。


上から順に、森の開田、栄大橋、飯山線中条橋梁が写る珍しい風景。西山田から下りる道で撮影。

 その後、平滝の国道よりも上のゾーンで配達をしていると、重機のかなり大きい音が響きわたる。千曲川に架ける橋の工事現場からだとわかり、久々に現場事務所を訪ね、現場代理人平澤さんに話を伺った。「現場代理人」と「現場監督」の違いも初めて理解できた。土木工事のあり方についていろいろ考えなければならないことが多いように思う。途中で昼休み時間帯になり、現場で作業されていた男性陣4〜5名とも談笑できて、なかなか面白かった。
 午後、箕作、泉平も廻り、配達は計144軒。

 3時すぎ、西の空が青空だったので、野々海への道を上れば北アルプスの山々が撮れるかなと思い、平滝から野々海線へ。17日の積雪の後、除雪関係者が倒木の危険がある木の伐採のために野々海まで進み、その際、道路除雪をしていたので、かなり上まで楽に行けた。しかし、標高800mを超えたあたりからだろうか、いっきに積雪が増え、「もう少し上がれるかな」という思いで慎重に車を進めたが、今回もケンの木付近で雪につかまった。まだ明るかったが、「暗くなったら大変だ」と、少々焦りながら軽トラの下の雪を掘り出し、狭い幅のところでなんとか車を回転させて下りた。


標高850mくらいと思われる地点にて

 西の空はたしかに晴れているのだが、山際は雲か霧か、霞んでいて北アルプスは見えず。その代わり、鳥甲山などが夕陽(残照)に輝く姿が撮れた。とくに苗場山のむこうに見える神楽ヶ峰と思われる山の姿が格別に綺麗だった。

27日(日) 寝坊で7時半頃起床だったが、8時少し前に集落内道路の除雪がやって来た(今日の除雪は昼頃を含め2回)。
 出発時、車庫の前の雪の片付けはたいしたことがなかったので、雪は明け方頃から本降りになったのだと思う。「大雪」の予報にもかかわらず、昨夜は0時すぎでも屋根をたたく音が聞こえるくらいの雨で、「え?!」と思っていたが。


朝9時前、車庫のシャッターを開けた時の様子

 積雪が増えてもあまり困らないゾーンを今日の配達地域に選んでおいたので、午前中、森から東部・長瀬までで123軒、午後は箕作など20軒で、計143      
軒。もう少し廻る体力はあったが、手持ちの印刷物がなくなり、終了。
 玄関先で出会った人などから、「年末年始はゆっくり休んでください」とか、「年内の配達はほぼ終わったかい」とか、声をかけていただく。「年末年始の配達予定」を認識・理解いただいているようで、嬉しい。
 昼、いったん家に戻ると、車庫にお餅などの贈り物がドッサリ。有り難い。

28日(月) 予報は「一日中曇り」だったが、朝から素晴らしい快晴。
 長瀬から県道長瀬横倉線に入り、原向にむかったが、景色が素晴らしく、さまざまな地点で立ち止まっては撮影。とくに、切欠集落と宮野原集落(津南町)が一体で見えるポイントからは9月22日に黄金色の写真を撮ったのと同じアングルで、今度は銀世界の写真が撮れた。夕刻にブログにアップ。
 原向・野口では、県道から配達先の家までの道が車進入不可能になり、かなりの距離を歩かざるをえない。今季は今日まで雪がなくて助かっていたが、これから少なくとも3月いっぱいは、これが続く。慣れれば、「いい運動だ」ということになるが、25〜27日の配達と較べると、所要時間がいっきに3〜4倍増える。


手前が県道。田の中に見えるポールに沿って、奥に見える家まで歩く。

 昼に約束があったので、午前中の配達は40軒。昨日と較べると4割だ。   
 午前中の配達で出会った知り合いの女性、「雪が少ないのは助かるけど、雪がないと困る人もおられるので、風呂(温泉)で話題にする時は、周りに誰がいるかを見て、小さな声で話すようにしているわ」と。みなさん、同じ気遣いをされている。
 午後も廻り、今日は計83軒。
 
29日(火) 今日は超過酷であった。
 朝、国道などもあまり除雪が進んでいなかったので、奥の集落では除雪ができていないところもあるだろうと考え、出かけるのを遅めにしたが、あまり状況が変わらないので8時半頃に見切り発車。
 当初予定ではまず切欠で配達するつもりだったが、坂がきついところなので、後回し。当部、北野、中野で計32件を廻った後、極野へ。
 極野では今日葬式があり、ちょうど旧バス停に迎えのバスが来ていた。その横に車を停めて一服した後、極野集落のいちばん標高に低いところへ坂を下ろうとしたとき、除雪されていないことに気づいた。一瞬迷った。「下るしかない」と心に決め、ゆっくり、ゆっくり下った。軽トラで雪を押していく感じ。


前方の坂道は除雪された形跡がない!

 私がいちばん下の家で配達を終えた時、真っ赤な色の乗用車が下りてきた。留守家になっている実家の除雪のために東京から来られたご夫婦。私が先に下りていなかったら、車高の低い乗用車では雪がつかえて下りて来られなかっただろう。
 極野での配達を終える頃から吹雪に。
 程久保、野田沢での配達は吹雪の中。とくに程久保では風を遮るものがないところもあるので、大変。
 ここまでで昼に。午前中、雪の中に膝上まではまりながら玄関に行く家が5軒。うち2軒は、昨年までは冬も村で暮らしていた高齢者が今冬は冬期間のみ村外に出られたもののよう。
 明日は秋山行きを予定していて、秋山以外の配達は今日中に完了させたいので、昼食後、白鳥、平滝、小滝、横倉、切欠を廻り、終了は4時55分。もうかなり暗くなっていたが、少し日が長くなった感じ。配達は計149軒。雪がなかった25、26日と較べると2倍の時間がかかり、消費エネルギーは数倍以上だと感じた。
 凍てついているところで踏ん張ったり、深い雪の中を歩いたりで、膝・腰の負担が大きい。雪の中を歩く距離が長い原向・野口を昨日のうちに終わらせておいてよかった。
 
30日(水) 夜のうちに思いの外、結構の雪が降った。朝になっても、さらに降り続けている。
 今朝は5時に目覚めた。昨夜は何も作業をせず、いつもよりも早めに寝たので、5時起床でも大丈夫と考え、そのまま起床した。
 印刷や折り、メール等の作業をして、9時少し前に出発。国道の除雪も昨日に続いて遅めだし、あまり早くに出かけて秋山への道が凍てついていても困るので、この時間にした。ガソリンは満タンの半分以上あるが、雪も降り続けているし、なにかあっては困るのでまずガソリンスタンドへ。10ℓ入った。


午前8時58分の国道117号線

 見玉を過ぎて、東電ダムから清水川原スノーシェッドに入るまでの区間(距離的にはわずかだが)、清水川原橋を越えて、前倉橋までの区間、いずれも狭い道が続き、やはり緊張する。とくに東電ダムからしばらくの間は右手が谷で怖い。なぜか左手に谷がある場合はそれほど怖くないのだが。
 小赤沢に着くまでに出会った対向車のナンバーには、名古屋ナンバー(2台)、愛媛(!)、松本があった。松本ナンバーは前倉橋で出会った素敵なカップルで、「無料宿泊券をゲットしたので、昨日、のよさの里に泊りました」とのこと。
 小赤沢での配達を始めたのが10時40分頃。ポイント、ポイントで写真を撮りながら廻って、小赤沢の配達を終えたのが正午すぎ。自販機で温かいお茶を買って、弁当で昼食。1軒くらい食堂があってほしいが…。


2段のツララと坂を下る水(小赤沢にて)

 屋敷集落も1時間強かかった。写真を撮らなければもっと早く終わるかもしれないが。
 その後、上の原14軒、和山11軒で配達し、最後の切明へ。「雪あかり」には横浜、習志野などのナンバーが駐車。帰路、切明に向かう「なにわ」(大阪)、札幌、宇都宮ナンバーの車に出会い、さらに前倉橋付近で横浜(2台)、練馬ナンバーに出会った。当方(栄村)の構え方一つ変えれば、年末年始、現在の10倍以上の温泉客の集客ができそうな気がする。
 切明4時頃発で、5時半近くに津南の中心街まで下りることができた。
 やはり緊張する運転で疲れた。夜はいっさい作業せず。
 
31日(木) 今朝も5時起床。
 昨夜、今季初めて湯たんぽを入れたので、寒さで目が覚めることはなし。
 昨日の運転中から鼻水がよく出ると思っていたが、どうやら鼻風邪をひいた模様。朝から鼻をかむこと頻(しき)り。
 配達を昨日で終えることができたので、今日はのんびりと構えていたが、昨日の秋山での写真を整理し、アルバムを編集し始めると、これがなんと夕刻までかかってしまった。夜の早い時間に今年最後のブログを発信。
 年越し蕎麦は昼に食べた。夕刻にまとめ洗濯。
 夜は久しぶりに日本酒を呑んだ。冷酒で、たまに呑むと、とても美味しい。いちおう「紅白」にチャンネルを合わせたが、およそ見るに堪えない。Twitterで「演出最高」なんてコメントをしている人がいたが、どんな感性をしているのやら。大晦日にチャンネルをくるくる変えるということを初めて経験したが、どのチャンネルも大したことがない。「ゆく年来る年」もあまり感じるところがなかった。
 最後に、最近撮った写真から2枚を紹介して、本年の日誌を締めくくりたい。
 
 
 西山田の棚田の小山(26日撮影)
 
 
 吹雪の天代坂(29日撮影)

配達日誌12月11日〜20日

11日(金) 昨日は「復興への歩み」No.272の編集に着手できなかったので、朝から一気に編集。昼までに出来上がった。
 途中、訪ねてきてくれた卒業生が津南の中子に行くというので、道案内で中子まで出かけた。その帰途に『村史堺編』で書かれている千曲川の森集落対岸の地層を撮影。(後で『村史』に照らしてチェックしたら、あまり撮影がうまくない。もう1回、撮り直す。今日撮ったものを1枚だけ掲載しておく)



 午後は、英文ガイドマップを掲載したので、栄中学校に「復興への歩み」を届け、その後、中野市の耳鼻咽喉科へ。雨は結構激しく、時速60kmを超えると滑る感じ。60km以下に抑えて安全運転。
 
12日(土) No.272の配達を本格的に開始。主に協賛者宅を廻るのだが、いつも豊栄地区(平滝、白鳥)が遅くなっているように思うので、今日は横倉、箕作、泉平、平滝、白鳥の順で廻ることにした。

 平滝の国道より上の部分を最後に廻したが、そこでまたまた非計画的な行動に。太古の昔の長野県北部の造山運動を振り返るために北アルプスの遠景を撮影したいと思い、村道野々海線へ。ところが北西方向には雲が出ていて、撮れない。その代わり、野々海への道に雪がなく、どんどん上へ。さすがに標高950mを超えるあたりから雪道になったが、三叉路まで辿り着けた。さらに野々海池の入り口に向かおうとしてところで、昨年11月17日の時よりもはるかに三叉路に近い地点で雪につかまり、久しぶりに軽トラの下の雪を掘った。タイヤがスリップするのではなく、軽トラのハラが完全につかえていた(下写真が軽トラを脱出させた跡)。掘るのは比較的簡単で、後は雪道を歩いて池へ。所々、水の流れの関係で雪がないところがあって、そこを歩くと非常に楽。「雪道って、こんなに大変なんだ」と感心(?)。



 帰宅後、ブログ記事を編集し、アップ。
 午後は久しぶりに散髪へ。3日ほど前から急に髪がうるさくなった。スッキリした。配達は92部。

13日(日) 起床は7時近くで随分と眠った。7時間を超えている。そのせいか、かえって体がだるい。ただし、午前中の配達で軽トラから降りると自然に走り出すこともしばしばあったので、体調がよくないということではないと思う。
 配達は森集落と東部谷が主で、計96軒。

 柳在家で森下英忠さん宅を訪れた時、ご主人が表に出て来られたところで、しばし立ち話。長い間、不思議に思っていたことをお尋ねし、疑問が氷解した。疑問というのは、森下さんのお家のそばに「観音堂・山口」と書かれたドーム型車庫の建物と、まさしく観音堂そのものの建物(下写真に見えるもの)の2つがあること。



 森下さんのご説明では、上写真に見えるものが本来の観音堂。しかし、平成17年集中豪雨で観音堂の下が崩れ、観音堂も倒壊する危険が生じたので、少し離れた所にドーム型車庫を建て、そこに観音堂に収蔵されていたものをすべて移転したとのこと。元の観音堂には、観音堂の由来等に関わると思われる様々なことが書かれた大きな扉があったが、それは災害で壊れて、いまはないということもお聞きした。
 なお、柳在家にはもう1つ、観音堂と思われるものがあるが、森下さん宅そばの観音堂は柳在家集落の山口地区のもの。山口というのはいわゆる小字(こあざ)名で、昔はこのあたりの家の住所は「堺村山口」と表記されたそうである。柳在家には他に、小字としての柳在家、さらに柿在家と、計3つの小字があったそうである。

 この柳在家での会話から2つのことを思った。1つは、栄村では災害の記録化が弱いということ。平成17年の集中豪雨は私が初めて村を訪ねた頃の出来事だが、村内至るところで被害が発生したと聞いている。この平成17年集中豪雨被害を記録化し、分析・研究すれば、今後発生する可能性がある土砂災害等について予測をたて、防災の具体策を考えることができるはずだが、そういう積極的な努力がなされている形跡はない。これは行政の問題であると同時に、住民自身の問題でもあると思う。

 2つは、小字というものの重要性である。今年発掘調査された「ひんご遺跡」の「ひんご」という名も小字名である。小字というものは、自然の地勢と折り合いをつけながら人間が暮らしを営んできた基本単位である。昭和の大合併等を通して小字というものが行政の中から消えたが、じつは小字名の中にいろんなことが秘められている。「地域おこし」とか「地域活性化」といったことを考える場合に、栄村という単位も大事だが、小字というものに着目すると、本当に地域資源を活かす考えが浮かんでくるのではないかと思う。
 「山口」という小字名、私は「山の口」という意味ではないかと直感的に思った。その「山」というのは意外と大きなものを指しているのではないか。柳在家という変わった地名の「在家」が何を意味するのかも含めて、なにか山の修行、修験道との関わりがあるのではないかなどと考えてしまう。このあたりは、最近、とみに関心を深めている栄村の大地の成り立ちということともつながってくる。興味は尽きない。

 午後は長野市へ買い物に。もう1週間ほど前から地学関係、5万分の1地図を入手したくてウズウズしていたが、今日、北野集落から見た景色から、「これは5万分の1の地図で色々と考えなければ」という思いがいっきに強まり、行った次第。


「この北野川沿いの山あるいは台地は毛無山まで一続きなのではないか。」
5万分の1の地図を見ると正解のようだ
 
 書籍はあまり大したものを入手できなかったが、地図は5万分の1地図の他に、登山向けのいい地図も入手できて、栄村の大地について考えやすくなった。           

14日(月) 配達は大久保、野田沢、程久保、青倉を中心に113軒。
 配達の途中で、大久保と毛無山(野沢温泉村)の関係、妹木や大久保あたりから見える天水山の様子(善光寺地震の時に大きく崩壊した地点の確認)、中条川No.2谷止工のほぼ完成の様子と、昔の中条川(東入沢川)の流れや善光寺地震の際の土石流の流路と現在の「トマトの国」の位置関係など、「栄村の大地」という問題意識と中条川災害の問題意識で写真を撮った。結構データは得られつつあると思うが、整理が追いつかない。



<上写真について>
妹木から天水山方向を捉えた(8:42撮影)。
右下に中条川上流1号崩壊斜面が見える。
1号崩壊斜面から山腹ずたいに左に進んで、やや丸型の地肌が見える箇所と、さらにその左にやや縦長の地肌が見える箇所がある。これらが善光寺地震の際の斜面大崩壊の痕跡だと思われる。なお、この角度からの撮影では中条川上流2号崩壊地は見えない。
写真手前にはスキー場ゲレンデが写っている。

15日(火) 秋山で人と会う用件があり、秋山地区の配達も兼ねて、朝から秋山へ。
 秋山の住人に電話をして日出山線で行けることを確認して出発。日出山線を過ぎ、鳥甲牧場への道に入る所で撮影した写真が「7時57分」になっているので、遅くとも7時15分頃には家を出た。
 鳥甲牧場と五宝木集落で、鳥甲山の裏側(上野原から見えるのを表側と表現した場合の裏側)の様子、鳥甲山から三ッ山や大次郎山、毛無山と連なる栄村の南西方向の地形などを徹底的に写真に収めた。
 その後、五宝木トンネルを通って屋敷、そして切明方面へ。五宝木トンネルは先日通った時もすでにトンネル内の照明は点(つ)いていなかったが、今日はトンネル内に道路標識等が置かれ、雪の間の倉庫の感じ。下写真は、トンネルに入って276mの地点で運転席から撮影したもの。写真中央に出口が点として見える。この地点から976m先である。



 雪がまったくないお蔭で、林道の要所、要所から見える鳥甲山の姿を撮影。「白沢」や、その少し屋敷よりの赤山(あるいは赤瑤瞭)からおちてくる沢の様子、その沢の上に見える山の姿など、貴重な写真がたくさん撮れた。
 用件で会った人から「冬でも川原から湧き出る温泉に入る人は多いですよ」と言われ、挑戦することにした。タオルは買ったが、バスタオルは売っていないので雄川閣から貸していただいて、河原の温泉へ。今日はずいぶん気温が高かったようで、川原で服を脱いでもブルブルと震えるようなことはなかった。温泉の具合は最高。雪が積もって、かんじきを履かないと行けない状態になったら、往復が厄介だろうが、雪見しながら川原の温泉で温まるというのは最高だろう。風邪をひかないように注意しなければならないが、今季は絶対にチャレンジしてみようと思う。



 上はたしかに川原の温泉に浸かっているという証拠写真。「復興への歩み」などに掲載するものではないが、ここは「日誌」なので…。もっと足を高く上げてみたかったが、両手はカメラを持っているので、腹筋が弱くて体をそんなに反らすことができないので、足の指先だけが写っている。
 そんな次第で川原の湯から出たのが2時半頃。かなり遅くなり、午前中の撮影で疲れたこともあり、和山集落だけ配達して、下(しも)へ下った。帰路は東秋山林道経由。
 
16日(水) 午前中に月岡、箕作、白鳥、平滝などで109軒を配達。
 平滝から箕作に向かう時、ガソリンスタンド横から清水河原のスノーシェッドに向かう道の脇に、東電が西大滝ダムで取水した水を津南町の三箇(さんが)の上の山まで送る隧道に入る横坑がある。この横坑の存在や意味について村民でも知らない人が増えたが、ここにトラックなどが数台停まっていた。横坑の入り口を見ると、扉が開いていた。おそらく業者が保守作業に入っているのであろう。かつては地元の人が日雇いで作業したものだが。深夜労働で、日当は随分とよかったそうだ。いま、70歳代のかあちゃんなどに経験者がおられる。

 午後は、昨日の写真を整理し、少しブログ記事を書いてみようとしたが、さまざまな地形の理解がまだまだ不足していて、完成に至らず。もっと勉強が必要。
 今日は写真をほとんど撮らず。午後に1枚だけ、家からスキー場方向を撮った。午後4時すぎだが、青空が広がって、雲というか山霧というか、それが縦長に上昇し、消えていくさまが綺麗だった。


 
17日(木) 朝からついに里でも降雪。いったん止み、晴れたかと思いきや、次は雨。そして夕刻から深々と降り続き、今季初の積雪。
 降雪・積雪の模様は「ようやく本格的な降雪」を編集し、ブログにアップ。

 そんな中、午後は1時半から4時までの2時間半、「第10回復興推進委員会」なる会議を傍聴。この会議の開催は村のHPを見て、たまたま知った。村の告知放送での案内はない。2時間半はスケジュール上きついが、議題が「生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の実績について」というものだったので、無理をして傍聴した。
 傍聴するだけの価値があったかどうか、判断は難しいが、実績額約2億8千万円にも達する国費事業には必須の手続きとしての事業報告としてはあまりにお粗末な内容。国や県がこんな実情を許容しているとしたら、いったい、交付金事業の実務及び手続って、いったい何なんだろうと思わざるをえない。
 村の復興という観点からの傍聴報告は「復興への歩み」に書きたいと思う。
 配達は主に東部地区で113軒。

18日(金) 昨夜10時頃には屋根の雪が落ちる音が聞こえていた。今朝、除雪車の音には気づかなかったが、外に出ると、たしかに除雪車が出動した形跡があった。ただし、1回、さーっと通っただけという感じで、車庫から出る時に除雪で道路脇によせられた雪を片づける作業は必要なかった(下写真)。



 配達は午前中のみで箕作や泉平、平滝などで109軒。


19日(土) 朝一番は直売所に関するインタビュー。その後、午前中、平滝・白鳥などで21軒の配達をしたうえで、室内作業に。夕刻近くにもう一度配達に出て、秋山以外の配達は今日中に完了したいと思っていたが、予定外の仕事が入り、25軒分が残った。明日、秋山とともに配達したい。

 今日は断続的に雪が降ったが、新たな積雪になるようなものではなかった。明日20日は晴れの予報で、その後、曇りまたは雨のマーク。クリスマスには寒波が来るとの予報だが、17〜18日の積雪は根雪にはならないだろう。クリスマス寒波でようやく根雪の始まりになるのかなと思う。ただし、私が住んでいるところの北側の屋根下は屋根から落ちた雪がそこそこの量になっていて、これは次の寒波まで残るかもしれない(下写真)。



 昨日から15日に撮影した写真を整理し、「鳥甲山をいろんな地点・方角から見る」を編集しているが、山の頂の名前や沢の名前が正しいかどうか、不安があるので、秋山の若者に見てもらった。鳥甲山の登山も経験されているので、よく知っておられた。大変助かった。彼が持つ知識などがもっと活用されれば、観光事業に相当役立つと思う。村には死蔵されてしまっている知恵があまりに多いと思う。なんとか活かしていきたい。
 
20日(日) 昨夜は眠いのを無理して11時頃まで起きていた。そのせいか、今朝は目覚めたら、もう8時。こんなことは滅多にない。遅くとも7時頃には自然と目覚めるのだが…。
 起きると、腰が張っていて、ぎっくり腰寸前の状況。最近は、「やばいな。このままではぎっくり腰だ」というのがわかる。床のものを取る時はまず脚を折って腰を下ろすようにするなど最新の注意を払う。
 今日は秋山の配達と決めていたので、9時15分頃に家を出た。その時に撮影したスキー場方向の写真を1枚。



 秋山行きのコースはもはや405号線しかない。
 出発が遅かったのだから、先を急ぐべきなのだが、「今日は栄村の大地(ジオ)を知るという観点から、〈大地をV字型に切り裂いて下ってくる中津川〉という様子を写真に収めたい」という気持ちがあって、頻繁に車を停めて、撮影を繰り返しながら進んだ。そのため、最初に配達をする上野原集落に辿り着き、いわゆる天池で写真を撮った時刻が11時25分。
 集落を下る形で上野原での配達を終えたのが12時半。上野原バス停脇に車を停めて昼食弁当。ほぼ食べ終えた頃、和山行のバスが通過。バスに目をやると、いちばん後ろの席に一人の姿。パッと見て観光客の人だと思った。「いまの季節、秋山の奥に観光にやって来る人に是非話を聞きたい」と思い立ち、バスを追いかけ始めた。今日は和山、切明方面に行く予定はないのに。

 栃川橋あたりでバスに追いつき、その後ろについて和山バス停へ。すると、バス停にカップルと思われる若い男女2名の姿。私が車を駐車させている間に、二人はバスに乗り込んでしまったが、男性の方はまだ乗降口におられて、話を聞くことができた。東京からの人で、昨夜は切明に宿泊され、昨日も今日も川原から湧き出る温泉に入ったとのこと。「とてもよかった。今日は暖かだったので、川で泳いじゃいました。次は夏に来てみたい」とのこと。この「川で泳いだ」という話、「?」と思ったが、真相は後にあきらかになる。
 さて、上野原バス停で見かけた男性はもう和山温泉の民宿街の方へ歩いておられた。声をかけると、「切明まで歩いて行きます。日帰りです。川原から湧き出る温泉に入りたくて」とのお答え。驚き、「軽トラの助手席でよかったら送ります」と申し出、助手席の荷物を片づけていると、切明・雪あかりの高橋さんが通りかかられ、切明までは高橋さんが送って下さることになった。私はその後を追いかけ、彼が川原の温泉に行く様子を撮影させていただくことに。その撮影の過程で先ほどの「川で泳いだ」の真相がわかった。先に温泉に入っていた男性2名のうち1名が川で泳ぎ出したのだ。1時間以上も温泉に浸かっていると、体が火照って、水が平気になるようだ。



 上野原バス停で見かけた男性は約50分ほど川原の温泉を楽しまれ、結局、「私が津南まで送りましょう」ということになり、屋敷・小赤沢の配達は先送り。しかし、会話から得るものは多かった。
 

配達日誌12月4日〜10日

4日(金) 朝一番で隣組の配り物。その届け先の1軒で、「秋山に除雪車出動で、○〇が飛んで行った」という話を聞いた。その後、昼すぎに秋山の住人のFB(フェイスブック)投稿で、かなりの積雪を確認。
 TV等で「大荒れの天気」という報道がしきりに流れたが、今日の雪は基本的にいわゆる「上雪(かみゆき)」なのだろう。秋山は標高の高さゆえにかなりの降雪・積雪になったが、栄村の大部分の地域は大して降っていない。今日は東部と西部をぐるっと廻ったが、極野、坪野、原向、天地、大久保、泉平でわずかな積雪を確認したが、妹(いもと)木(ぎ)まで下りてくると、地区の途中で雪が見えなくなった。

 村では、「山に(雪が)3回降ると、里におりてくる」とよく言われる。私ももう9回目の冬を迎えるので、そのとおりのことを幾度も経験している。しかし、その「山に3回降る」というのは、たとえばスキー場のてっぺん、あるいは貝立山の上の方が真っ白になること。ところが、今年は、それよりもずっと下まで来ていながら、ギリギリのところで里にはまだ下りてきていない。下の写真は午前11時47分に貝廻坂から撮ったものだが、かなりのところまで雪が来ていながら、里の一歩手前で止まっているのがよく確認できると思う。



 配達は昼すぎで103軒。午後はのんびりアルバム作りなどをしていたが、先日頼まれていた仕事を今夜中に完成させなければならないことが判明。夕刻近くから俄然忙しくなり、結局、0時頃まで仕事。
 
5日(土) 朝一番で嬉しい電話。宮川吉郎さんからで、「今年いちばん大きいヒラタケが採れたので、差し上げます。直売所の前で9時すぎに」とのこと。9時に直売所に行き、裕子さんからいただいた。驚くべき大きさ。



 下に敷いた新聞紙との比較で大きさがわかると思う。
 さて、どうやって食べたものか?
 裕子さんに尋ねると、「炒めもの。中華に合いますよ」とのことなので、「ここはプロに任せよう」と考え、すぐに樓蘭へ。調理をお願いした。その結果は次頁写真。
 料理に使うポークはやはりこだわりたいと思い、津南に走って山田精肉店で妻有ポークの肩ロースをスライスしてもらった。
 料理は6皿分(1皿1〜2人前)ほど出来たので、吉郎さん・裕子さんご夫妻にも車を飛ばしてお届けした。吉郎さんからは、「ワインがすすんでしまった」というメールをいただいた。



 とても美味しかった。
 そのうえで、ある青年曰く、「『美味しい中華』というだけじゃなく、『栄村の自慢料理』にするにはヒラタケそのものをシンプルに押し出したレシピもほしいな」と。それは言える。今年はもうチャンスはないと思うが、来年はそれも追求したい。

 配達は白鳥を中心に104軒。
 夕刻、野々海へ。標高900mのケンの木で「これ以上進んだら動けなくなる」と判断し、Uターン。しかし、面白い写真がいろいろ撮れた。
 
6日(日) 今日は配達はせず、中条川上流の大規模崩壊との関係で、斜面崩壊などについて新しい資料も入手して、いろいろと勉強。室内で半日以上も勉強するなんて、最近はめったにないこと。時間の割に進まない。


6日午後撮影の1号崩壊地斜面。本格的に分析できるようにならねば…

 地学という分野は、もともとは好きではない。高校3年の時に、理科の選択科目で地学をとらざるをえなかったが、私のみならず、ほとんどの生徒が関心なし。担当の先生が面白い人で、受講者が男子生徒ばかりだったので、よく下ネタで生徒の笑いをとっておられた。あの時、少しは真面目に勉強しておけばよかったな、と後悔。 
      
 午後3時からは久しぶりに高橋彦芳さんを訪問。来年、米寿(88歳)を迎えられるが、相変わらずお元気。2時間ほどお邪魔したが、後半は相当話が盛り上がってきた。彦芳さんの村づくりへの夢は衰えていない。今に生きる“夢”、アイディアをたくさんお持ちだ。いわば「高橋村政はまだまだ未完」なのだ。それを継承・発展させる若手の人材を育てなければ、と思った。

7日(月) 夜早く寝るようにしているので、6時には起床。2時間弱、中条川対策検討会の資料を読み、8時頃から配達へ。平滝などで43軒。
 その後、久々に議会傍聴。
 中条川問題と雄川閣施設建て替え問題についての議員と村長のやりとりは「復興への歩み」で取り上げたいと思う。議員の不勉強、無責任さを自己露呈している面も目立ったが、それ以上にひどいのは村長の答弁のぞんざいさ。誠実に答弁しようという姿勢が感じられない。こういう人にはさっさと辞めてもらわないと村民の不幸だとつくづく思った。
 午後は再び泉平、箕作、横倉などで配達。今日は計110軒。
 夜、写真アルバムを作りたかったが、体力続かず、断念。




 朝霧がはれていく。平滝集落から。
 1枚目は千曲川沿いの断崖と毛無山(奥)。2枚目は苗場山方向を望む。
 
8日(火) 早く起床したので、まず、「こんな景色もいいなあ」というブログ記事を作成しアップした。「こんな景色」とは、6日夕に野々海線のケンの木(標高約900m)付近で撮影した夕陽の中を民間航空機が飛ぶ姿を撮影したもの。興味のある方はブログ「栄村復興への歩み」で検索してみてください。http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2056です。
配達は森集落と東部地区で111軒。

 志久見で前号の配達時から鍵がしまっているお宅がある。数回訪ねても、やはり鍵がかかったままなので、近所の方に尋ねたら、「体調を悪くされて、長野の息子さんのところに行っておられる」とのことだった。その時は家の前に愛車が置かれていたが、今日は車も姿を消していて、鍵はやはりかかったまま。相当にお悪いのだろうか。心配だ。1軒、1軒、配達に廻ると、ポストが溜まっているなどで、入院されたケースなど、だいたい分かる。

 最近、栄村の大地の成り立ちに対する関心が強まっていて、6日に彦芳さんから教えていただいた『栄村史堺編』の記述内容に沿って、栄村千曲川右岸の台地と津南町の河岸段丘とがもともとは1つの台地であることを示す写真を撮りたいと思い、東部地区の配達に廻りながら、いろんな写真を撮影。



 上はその中の1枚。写真右手に見えるのは長瀬集落の旧東部小(現・長瀬団地)。写真奥に見えるのは志久見川を挟んで対岸の津南町加用地区。旧東部小のグラウンドと標高がほぼ同じ。志久見川はV字形の急峻な谷になっていて、このように写真を撮ると、川の姿は見えず、栄村と津南町が地続きのように見える。写真左手に山が見えるが、じつはその上は河岸段丘の第2段。桜で有名な中子地区などがある段丘だ。その段丘と栄村の原向の田んぼゾーンがほぼ同じ標高である。
 
9日(水) 朝から「ジオある記」というブログ記事を編集。昨日の日誌に書いた栄村の大地のことを撮影した尻から記録化したいと思って書いた。第1回は昨日の日誌にも書いた津南の河岸段丘と栄村の千曲川右岸の台地がもともとは一体のものという話。

 昼前に配達に出かけたが、弁当を購入し、長瀬集落と原向の3軒の配達が終わった後、東部パイロットに出て、鳥甲山や毛無山(野沢温泉村)を眺めながら昼食。朝方は冷え込んだが、日中はポカポカで軽トラの窓を全開にして、ピクニック気分。
 眺めていた景色はこういうもの。


鳥甲山を、いわば裏側から見たもの。


越後の山並みを眺めたもの。山の上の方は見事に真白。写真に撮ると、小さくなるが、実際はもっと迫力がある。昨年だと、もう積雪で近づけない場所からの眺めである。

 その後、原向・野口での配達を終え、天代集落に下る途中で、坪野の山の田んぼゾーンからは大久保集落や泉平集落と毛無山の関係を示す写真が撮れるのではと考え、坪野へ。そういう写真は撮れなかったが、坪野から野沢温泉に通じる野沢街道の旧道に入り、山道で天地集落に下りた。夏にはススキが覆い繁っていて通れなかった道。途中は雪道だった。


坪野の山の上の野沢街道の山道にて。

 その後、天代、北野、中野、極野、当部、笹原を廻って、今日は計72軒。

10日(木) 夕方の天気予報では「今日の日中の気温は高かった」とのことだが、配達に廻った午前中、風が強く冷たかった。昨日までの晴天とはうってかわって一日中曇天。
 午前中に月岡、小滝、野田沢、程久保、大久保を廻り、No.271の配達を基本的に完了。秋山の和山集落9軒のみ未配達だが、これは青空が期待できる14日頃に廻りたいと思っている。
 午後、スキー場内の道を上がった。4日に積もった雪はすっかり消えている。中条川上流の大崩壊との関係で天水山の写真を撮りたいと思って上がったのだが、やはりスキー場からは見えない。
 その代わりと言ってはなんだが、「栄村の大地の成り立ち」ということで、よりいい写真を撮りたいと思っていた毛無山と栄村の千曲川右岸の台地の関係を示す写真や、鳥甲山、苗場山という秋山郷の火山とそこから流れ出る川が栄村の千曲川右岸の台地と津南の台地を分断した構造のようなものを示す写真がいろいろと撮れた。1枚だけ紹介しておきたい。



 山並みは左から鳥甲山、三ッ山、大次郎山、毛無山(スキー場コースが2本見える)。
 台地の上に、左から東部パイロット、菅沢農場、大久保集落が見える。大久保集落の手前には牛舎がある妹木が見える。別の機会に拡大したものもお見せしたい。
 
 11月のある時期以降、体調不良のことを頻繁に書いてきたが、この間、“ゆっくりペース”を心がけてきて、ようやく1ヶ月以上に及ぶ風邪症状からは脱け出せたように感じている。疲れると微熱を感じたり、体の節々が痛むということがこの1週間ほどなくなった。油断せず、さらに体調を整えていきたい。
 もう年末年始のことを考えなければならないが、今度の年末年始は「元旦から配達に廻る」ということは無理なようだ。はたして数日間、大人しくしていることができるかどうかが問題だが、なにか数日間熱中できる本でも探し出しておきたいと思う。

 

配達日誌11月21日〜12月3日

21日(土) 随分と久しぶりになるが、小谷村、白馬村へ。
 今日の主眼は小谷村の中谷地域づくり協議会の方々にお会いすること。9時頃に村を出て、11時半頃に白馬村に入った。中谷で午後1時半からフォーラムがあるので、あまり時間がなかったが、白馬村の堀之内地区の様子を少し見て廻った。そして、小谷村にむけて国道148号線を走り始めて間もなく、中谷の柴田さんから電話が入った。「お昼はどうされますか。蕎麦を打って用意しているので、よろしければ、こちらに来て食べてください」とのこと。
 お言葉に甘えて、フォーラム会場の中土観光交流センター「やまつばき」にてお蕎麦をいただいた。「栄村のようにヤマゴボウをつなぎに使ったものではありませんが」とのことだったが、とても美味しいお蕎麦だった(下写真)。写真は撮らなかったが、天ぷらも用意されていて、これも美味。



 調理されていた人たちの中のお一人に、小谷村独特の制度である集落支援員を務められている田辺さんという方がおられた。大阪の出身だそうだ。この制度は注目すべきものだと思った。



 フォーラム開会前に中谷の協議会の主だった方々からお話をお聞きし、私はフォーラムが始まって間もなく、センターを辞し、中谷地区の各所を見て廻った。昨年11月28日に訪れた時に、その景観に非常に衝撃を受けた小谷温泉付近にも行き、有名な山田旅館(上写真、本館は江戸時代の築という。地震を生き延びたのが不思議)を見るとともに、当時は先へ進めなかった道を進み、雨飾山の登山口まで行った。『日本百名山』の深田久弥が深く愛した山である。私は雨飾山というものを昨年、当地を訪れるまで知らなかった。先日、TVで深田久弥と雨飾山の深い因縁を知り、興味はますます深まった。私に体力があるならば、来年、中谷の人に案内していただいて登ってみたいなどと思っている。


雨飾山の登山口。山霧で山は見えなかった。

 帰路にもう一度、白馬村に立ち寄ったが、大きな被害を受けた田んぼの復旧工事があまり進んでいないように見受けられ、心配になった。
 帰り道、長野市内で道を間違え、1時間近くをロス。村に戻ったのは7時半ころだったか。
 体調は非常に悪い。
(以上、21日夜は体調が悪かったので、22日に記述)

22日(日) 昨夜は「どうなることやら」と自分でも心配するくらいに体調が悪かったが、朝は気分よく目覚めた。配達の遅れを取り戻さなければと思いながらも、「まずは昨日のレポートを」と思って、午前中は小谷・白馬のレポート作成。      
 レポートは11時すぎに完成したが、これだけで疲れてしまった。昼食後、思い切って配達を中止し、本格的に寝た。睡眠は2時間ほどだったと思うが、この睡眠で疲れが抜けた。
 今日はそんなにニュースを見ていないが、小谷村・白馬村に関するニュース報道について、二言。

 まず1つは、11月19日の「信濃毎日」の連載「暮らしを取り戻す〜県北部震度6弱から1年」の2回目の記事。小谷村中谷地区が取り上げられ、「山あいの集落 進む過疎」というタイトル。記事のトーンは「地震で過疎の村から人がどんどん出ていく」というもの。栄村をめぐってもお馴染の記事。
 壊滅的な被害を受けた中谷地区でそういう事態が心配されたが、「地元では、離村を10ポイント以下に抑えることができたという積極的評価がされている」と私は聞いていたので、この記事のトーンは何なのだ?と思った。昨日、中谷の人たちとこの記事の話をしたら、中谷の人たちも相当に怒っておられた。「もうこれからはゲラを見せてくれるのでなかったら、下手に取材には応じられない」という声も。その気持ちはいやというほどにわかる。

 もう1つは、夜7時のNHKニュースで流された白馬村での断層調査の話。東北大学が入って断層の発掘調査が行われている。神城断層では300年前にも地震が発生しているという新知見が得られ、「活断層は1千年単位で地震を起こす」という通説を覆す可能性があるという趣旨のニュース。
 5年前の栄村の地震では、地震の発生メカニズムは不明のまま。既知の断層は動いた形跡がないというだけで、どこにある断層が動いたのかは未解明。というか、解明する用意はどこにもなさそう。これを本格的に調査・解明するとなると、かなりの予算が必要となる。だから、研究者も下手に手を出さない。
 ところが、昨年11月、私が白馬村を訪れた時、非常に目についたのがさまざまな大学の研究所・研究者の姿。中央構造帯が走る地域であり、従来から研究対象にしている研究機関・研究者が多い。少々意地悪い言い方をすれば、みなさん、これまでの自分たちの研究論文との整合性を確かめるために白馬村に走ったのだろう。そして、ここは研究予算がつくというわけである。予算と関係なく、山間の地域に足を運んでくれる研究者というのはそうはいないものである。
 
23日(月) 久々に快調。午前中、主に東部地区を廻り、119軒に配達。昼すぎからは「お米のふるさと便り」の制作。愛知県から来村下さった方があり、6時半頃から2時間強、吉楽旅館で会食。9時前に帰宅後、「便り」の仕上げ。なんだかんだで、作業は夜遅くまでかかったが、そう疲れることもなかった。
 来村されたのはお二人だが、そのうちお一人はもう何回目だろうか。絵を描かれる人で、私より年上だが、これから先も村を訪れて下さりそう。これぞリピーターというものだ。

 今日見聞したことのなかで特筆すべきは、坪野の斉藤広友さんが冬、家の前の坂に流される水の仕掛けの凄さ。
 前回、11月2日だったと思うが、配達に行った時、家の外にいる広友さんと出会った。ご存じの人も多いだろうが、広友さんは昨冬前に北長野に新居を構え て、移転された。かなり深刻な患いがあって、坪野で暮らすことが困難になったためである。だが、この春以降、私は広友さんとしばしば坪野のお家で会ってい る。移転先でボランティア活動をされているが、その合間をぬって畑作業などをするため、坪野に帰って来られるのだ。私が配達したものも、だいたい次回の配 達時には取り出されている。
 私は、冬の間、広友さんの家のポストまで行けるかどうか心配で、2日に会った時、「今年も水は流すんですか?」と気 軽に尋ねた。「流すよ。前回来た時に山のかけ口に行ってきた。2〜3kmあって、大変なんだぜ」。私は家の近くまで来ている水を引いているものだと思い込 んでいて、そんなに大変なものだとは思っていなかった。


 
 今日、広友さんの家に行くと、坂に水が流されていた。毎日来られるわけではないので、「そろそろ雪が来ても大丈夫なように」と、水をかけていかれたのだろう。私は前回の話があったので、坂の上のパイプを見てみた。すると、パイプは坂の上よりもさらに上の方からきているのではなく、坂の横手の畑の方(下手)から来ている。私はポストに「歩み」を入れたうえで、そのパイプがどこから来ているのか、追跡した。畑を越え、家と作業所の横手の低木などが生え、足元は石がごろごろしている中を追いかけた。すると、家の裏手を流れる天代川に近づくと、パイプは地面を這うのではなく、高く引き上げられ、空中で川を向こう岸へ渡るようになっている(下写真1枚目)。川を渡るところで二手に分かれているが、うち一方は対岸の滝の方に連なっている(下写真2枚目)。





 いやはや、なんともすごい仕掛けだ。広友さんに是非、詳しい話を聞きたい。また、来春、雪消え後の片付け作業の時に現場に同行してみたい。

24日(火) 午前中、大久保、箕作、泉平などで97軒配達。途中、昨夜の来村客と一緒に「大庭君家のえのき」を訪問。
 午後、この間の体調悪さで最も深刻な喉の痛みを解決するために中野市の耳鼻咽喉科へ。中野市というのは何回訪れても道がよくわからないが、目的の医院は細い道を入った先にあって、探し出すのに一苦労。症状はさほど深刻なものではないようで一安心。
 それにしても、大病院の週2回程度の予約診療(他所の大学病院医師などが非常勤で来る)を除くと、飯山市にも十日町市にも耳鼻咽喉科の医院がないというのは不便。中野市も1軒だけだが、かなり立派な医院で、季節がらということもあるのか、患者も多かった。子どもが育つ地域には耳鼻咽喉科は不可欠の存在だと思うのだが…。
 中野市まで行くとなると、やはり半日仕事になってしまう。



 今日撮った写真の中の最高傑作はこれ。正午過ぎに泉平で撮ったもので、強い風でイチョウの葉が凄まじい勢いで散る様子。望遠で撮った。
 落葉する様子を撮ろうとこれまで何度か試みたが、うまく撮れなかった。さすがにこれだけの量が一斉に散るとはっきり撮れる。

<マイナンバー制度について>
 栄村の全世帯に「マイナンバー通知カード」が今週あたり配達されてきたのではないだろうか。私の場合、23日に「簡易書留ご不在連絡票(マイナンバー専用)」というものがポストに入っていた。私は受け取る意思がないので、今日24日、連絡票に書かれた番号に電話すると、「受取拒否の署名をしなければならない」とのこと。10時半頃に配達の人から電話連絡が入り、青倉集落内で落ち合って、署名した。局員の指示に従い、簡易書留の封筒に「受取拒否」と自筆で書き、その横に署名した。
 私が受取を拒否したからといって、国が私に割り振った番号が消えるわけではないし、いずれは何かの行政手続きの際に私自身が「不便」するのだろうと思う。
 だが、この「マイナンバー」、なんともソフトな感じのネーミングだが、ルーツは国民総背番号制。私の信念に照らして、唯々諾々と従うわけにはいかない。現時点では、「希望者のみに配布」とされている「マイナンバーカード」、いずれは全員が「身分証明書」代わりに持たされるようになるだろう。「安保法反対」を明言するとTV番組から降ろされる昨今。いずれ、「戦争反対」と言っただけで追求を受け、「マイナンバーカード」で身元調べをされるようなことになるのだろう。次の「戦前」は、このようにカード1枚にすべての個人情報が書き込まれ、かつての戦前以上に国に逆らいづらいものになるだろう。ゾッとする話である。そうしないためにも、スジを通しておきたいと思った次第。

25日(水) 昨夕、中野市からの帰り道、栄村に近づくと、冷たい雨が強くなり、気温が6℃。「こりゃ、野々海は雪だな」と思った。もう暗くなりかけていたので、様子を見に行かなかったが、今朝、野々海へ。
 どんな様子かわからないので、さすがにスキー場から貝立山の裏側の山道を走るコースはとらず、平滝から。昨年11月15日の野々海の初雪を観察に行ったときに降雪を確認した地点を越えても雪は見えず、「降らなかったのかな」と思っていると、標高950mくらいの地点で薄っすらと雪があった。昨年の初雪とは比べものにならないくらい少ない雪。
 野々海池は霧がかかって写真にならなかったが、三叉路の湿地や東窓ではいい写真が撮れた。


野々海池は霧で見えないが、池に下る坂道にて

 8時すぎに出かけ、10時半頃に帰宅して、いっきにブログ記事「野々海の初雪」を制作、アップした。
 これで疲れてしまい、午後は室内作業。作業の主内容は、この秋、紅葉情報としてブログにアップしたものをすべてプリントアウトし、クリアファイルに収める作業。とりあえず3冊作った。
 じつは、先日同じものを1冊作り、「復興への歩み協賛寄金」にバザー収益金をご寄付下さった団体に礼状とともにお送りした。23日、その受取確認のメールが届き、その中で、「5年間に11回のチャリティバザーを行なってきましたが、あて名を変えただけの紋切型ではない礼状が届いたのは初めて」と言っていただいた。全部で約40種類のブログ記事を収めているが、今後もなにかのお礼に送ることができるだろうし、また、栄村の観光について議論するための材料にしたいと思っている。
 
26日(木) 配達のために県道を雪坪に向かい、スノーシェッドを越えると、正面に鳥甲山の冠雪した姿が見えた。それで、急遽、予定を変更して秋山へ。
 そこそこにいい写真が撮れた。


仁成館から見た鳥甲山。手前はジオパークで「和山の崖(凝灰岩)」と紹介されているところ

 写真撮影と上野原、和山での配達を兼ね、午後1時半頃には下に戻ってきたが、昼食を終えると、相当に疲れた実感が。ただ、どうしても今日中にブログにアップしておきたかったので、作業を強行。夜9時頃までにアップできた。
 25日の野々海といい、今日の鳥甲山といい、かなり趣味的と思われるかもしれないが、仕事。野々海池の雪景色は野々海の水でつくるお米の販売には不可欠。「鳥甲山は雪景色がいちばん素敵」と言われる人もおられる。冬の秋山観光を促進する素材も必死で創造していかなければならないと考える次第である。

27日(金) 北海道では大荒れの天気。だが、そういう時は栄村ではあまり雪が降ったりしない。ただ、午前11時すぎ、白鳥あたりから眺めた野々海の方向の山は「雪が降っているんだろうな」という空模様だったが。午後1時すぎ、スキー場を見上げたら真っ白になっているのには正直驚いた。夕刻、温泉に出かけるために車に乗ると、フロントガラスにシャーベット状の雪がびっちり。「トマトの国」ではうっすら積雪。国道117沿いは雨のままだったが、いちおう村の初雪といっていいだろう。


午後3時40分、森の開田から東南方向を望む。

 低気圧が北海道東部へ移動・発達し、大荒れの天気になるというのは、今年の初めから夏、秋にかけて何度も繰り返されているパターン。夜、いくつかの気象解説をみたが、この点に踏み込んだ解説は見られなかった。赤道付近の大気、海流の動きとの関連などもおさえた、踏み込んだ解説が欲しい。
 直売所で買ったサンふじ。蜜がいっぱい入っていて、最高に美味(うま)し。子ども時代にはよくリンゴを食べたが、大人になってからはほとんど食べなかった。かすかすしていて美味いものがなかった。再び食べるようになったのは栄村に移ってから。やはり畑で熟し、蜜がたくさん入ったものが最高。
 
28日(土) 朝8時頃から東部の中野〜笹原の31軒と森の39軒を配達。その後、用事を1件済ませ、野々海池へ。途中、群馬ナンバー、長野ナンバーが下ってくるのに出会った。少なくとも1台は上まで上がってきたようだ。キャンプ場方向まで轍(わだち)が残っていた。
 朝9時頃に太陽がキラキラと光り、いい天気になったので「野々海に行こう」と考えたのだが、私が実際に上ったのは11時頃。天気は悪くなっていて、案の定、野々海池は霧の中。しかし、程なく、風が霧を流してくれて池の姿が見えるようになった。しかし、それはほんの一瞬のこと。また、霧が立ち込める。
 今日はあまり準備ができていなかったので、早々に戻ってきたが、1時間くらい粘れば、相当いろんな写真が撮れるなと思った。今日撮れた写真は「復興への歩み」次号で使おうかと思う。
 午後はお米の発送、頼まれた用件1件、ブログ記事の作成と休養の午睡。体調はやはり本物でない。
 
29日(日) 昨夜、やや早めに就寝したせいか、午前3時すぎに目が覚め、そのまま起床。いろいろと調べものなどをしていたら、7時20分。「坪野の普請の様子を撮影に行かなきゃ」と、慌てて坪野へ。その後、9時頃、今度は平滝へ蕎麦打ち、餅つきの取材。
 昼すぎ、眠くなって「寝よう」と思って布団を敷いて床に入ったが、結局眠れず、4時には「おいこっと」の今年最終便を撮影に横倉へ。
 さすがに早めに就寝することに。

30日(月) 昨日、調べものをしていて、「中条川上流1号崩壊地は拡大崩壊の危険がある」という報告に出会い、今朝は1号崩壊地の現在の様子を撮影に現地へ。


森の開田から鳥甲山を望む(午前9時40分)

 その後は「復興への歩み」No.271の編集。ゆっくりとしたペースで、今日中には終わらず。少しは休養になったのではないかと思う。

1日(火) 午前5時頃起床で、そこから1時頃までぶっ通しで「復興への歩み」No.271の編集・校正・印刷等。これ自体はそんなにきつくなかった。
 昼食後、17軒30部のみ配達。
 早々に就寝するつもりだったが、メール配信、ブログへのアップ、印刷・折り作業などであっという間に午後11時を廻った。その後も、メールへの返信等で、結局1時就寝。

2日(水) 6時すぎに目が覚めた。昨夜が遅かったので、もう少し寝ようかとも思ったが、そのまま起床。
 予報で明日以降は天気が悪くなりそうなので、今日は秋山(小赤沢、屋敷)の配達と決めていた。7時40分頃にガソリン給油を行い、日出山線経由で秋山へ。途中、屋敷までの林道から見える鳥甲山の撮影などをしながら進み、8時50分頃から屋敷で配達を始めたが、2軒目の時、車から降りて一歩踏み出した途端に、すってんころり。よく見ると、道路が完全に凍結していた(下写真)。



 その直後に顔を合わせたおやじさんが、「ご苦労さん。今日はどこから来た?」と尋ねてこられた。「日出山線」と答えると、「○○さんは凍結で車を滑らせてしまい、落っこちたんだぜ。気をつけなきゃ」と。そう言われると、たしかにカーブを曲がる時などに滑りを感じていた。おっかない。転んだ後、スパイク付きの長靴に履き替え、軽トラに荷台に手をかけて移動するなど、細心の注意を払い、以後は無事。

 屋敷を配り終え、小赤沢で5軒ほど廻ったとき、ふと空を見上げると、先ほどはまったく見えなかった雲が出始めている。「小赤沢を全部配達した後に上野原に行ったのでは、雲に影響されない鳥甲山を正面から撮るのは難しくなるな」と思い、急遽、先に上野原に行くことにした。「西ノ平」というところと鳥甲山をワンセットで撮りたいという思いはあったので、苗場山3合目駐車場に通じる道を経由して上野原に向かった。まだ冬期通行止めになっているわけでもないし、雪が降っているわけでもないので、このコースを選んだのだが、1合目を過ぎて間もなく、道路の両側が霜で白くなっている(今朝は村全域で田畑などが霜で白くなった)というには過ぎるほどにしろくなってきた。そして、間もなく、道路に積雪。「えっ! まさか」という感じ。3合目駐車場への道と上野原に下る道との分岐点からは車が走った跡があったが。冬シーズン初めの雪道はやはりおっかない。幸い、上野原への下り道のほとんどは陽が当たり、積雪がなかった。
 秋山での配達は午後1時までに終わり、下におりた。
 その後、携帯の故障直しで津南に立ち寄るなどしたが、米の発送、森での配達などで夕刻に。
 鳥甲山の写真など、ブログにアップしたかったが、仕事量削減のため、今夜は仕事せず。
 
3日(木) 昨夜、「復興への歩み」No.271を印刷中に、「廃ボトルが満杯になりました」という表示が出て、プリンターがストップ。「廃トナー」とは、通常のインクに当たるトナーという粉の残滓(ざんし)。まあ、「廃油」みたいなものと言ってもいいだろうか。
 このため、保守サービスの人が来てくれるまで印刷はストップで、今日の午前中は配達することできず。
 その代わりと言っては変だが、朝起きた時から右腕の具合が悪かったので、十日町の接骨院へ。そのついでに、「10月29日仕上がり」の裾直しをしてもらった新しい冬ズボンをイオンに受け取りにようやく行けた。
 「午後イチ」で保守サービスが来てくれて、午後2時頃から配達。青倉を中心に計72軒。かなりゆったりしたペースで仕事している。今月中(年内)には通常の体力に回復したい。ただ、あまりゆっくりしていると、結局、後できつくなるので、そこそこには頑張らなければ。
 野田沢で宮川吉郎さんと出会った。「大根つぐらを作りましたよ」(下写真)。中には96本の大根が入っているそうだ。「大根が足りなくなったら、いつでも取りに来てください」。有り難い話だ。