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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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村の実家や親戚に情報を送ってくださっているみなさまへ

 最近、「娘がブログを見て、私(=村に住んでいる人)のところに村の情報を知らせてくれるんだ」という話を、地震直後に増して、よく聞くようになりました。

 たしかに村では、村内の状況等についての情報が非常に不足しています。ですから、私のレポート=ブログ情報が重要な情報源になっていることは確かなようです。私は当初、村外の人びとに村の状況をお伝えし、少しでも多くの方からの支援をお願いしたいという趣旨でレポートを始めたのですが、〈村外⇒村内〉というルートでの村民への情報提供という役割も意識していきたいと思います。

 もとより、私は新聞記者ではありませんので、一日中、取材に駆け回っているわけではありません。また、隈なく全地域を廻って情報を収集しているわけでもありません。ですから、必要な情報のごく一部を提供できるにすぎないと思いますが、これからもよろしくお願いします。そして、これからは、「こういうふうに復興を進めたらいいのでは」という提案もしていきたいと考えていますので、そのあたりもお伝えいただければ、と思います。よろしくお願いします。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

菅総理から村長に電話

 今夜の説明会の席上、今日の午後4時、菅直人総理から村長に電話が入ったという報告がありました。話の内容はわかりませんが、総理から栄村に電話があったのは重要なことだと思います。

 私は数日前、「東日本大震災に栄村は含められていない」ということをめぐって、「どなたか菅総理にメールを直接届けられる人はいませんか」という問いを投げかけましたが、レポートを読んでくださっている方の努力で菅総理の村への電話となったようで、ご努力いただいた方々に感謝申し上げます。今後も栄村の情報が届くことを願ってやみません。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

この集落を守りたい

 まず、写真をご覧ください。

 これは昨年5月1日、小滝集落ですじ蒔き(栄村では稲の種を「すじ」と言います)のとき、苗床を整備する作業の途中で、集落のみなさんがひと休憩しているときの様子です。6名が写っていますが、全員が70歳代です。かなり体が不自由になっている方もおられますが、それでも元気に農作業に励んでおられます。

 この6人のうち4人の方は今回の震災で住む家を失われました。みなさん、それでもこのむらで暮らし続けたいと思っておられます。
 小滝集落の様子を少し見てみましょう。
 

 上は小滝のお宮(十二社)の春の様子(2010年5月1日)、そして下は今年の1月16日、道陸神でのみかん撒きの様子です。雪深い中で集落の全員が集まり、賑やかに楽しみました。このとき、わずか2カ月後に大地震に襲われるなんて、誰が想像したでしょう。


 私はこの小滝が大好きです。暮らしている人たちみんなが素敵だし、また、集落の佇まい、景観がまさに「にほんの里」と呼ぶにふさわしいものです。
 この小滝に素晴らしい古民家があります。


この古民家の中に入ると、3月26日に紹介した二重梁が見られます。


 そして、このお家の斜め前にはもう1軒、今度の地震でもビクともしなかった家があります。地震後に亡くなった樋口良男さんのお宅です。


 上は4月5日撮影、そして下は平成18年豪雪のときの雪下ろし作業の様子(中沢益夫さん撮影)です。


 いまはまだ雪が1mも残っているので見えませんが、先の古民家とこの良男さんのお宅の周りには小さな田んぼ、畑、そして水路があり、なんともいえない素敵な集落の姿を見せます。

 私はこういう素敵な集落を守りたいと思っています。
 それには、これらの古民家をいろんな人たちの力を集めなければなりません。
 そして、いっさいの前提として、先の写真で紹介した小滝の70歳代の人たちが小滝で暮らし続けられるようにする小規模集合住宅を確保できるよう、頑張りたいと思っています。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

集落でワークショップと復興委員会のような組織を

 今日、ある人と話していたのですが、むらの復興には、集落の中に復興委員会のような組織を立ち上げていくことが必要ではないかと思います。

 集落には、基本組織として、区長、副区長、評議員会などがあります。今次震災の避難時には区長さんや副区長さんが大活躍して下さいました。これから復興の道を歩んでいくときも、区長さんや副区長さんが果たされる役割には大きなものがあります。

 そのうえで、集落の総力を傾注して復興を実現していくには、世帯主が集まるだけでなく、若者やかあちゃん(女性)のパワーを総結集していくことが必要だと思います。そして、それには少なくとも2つの仕掛けをつくることが必要だと思うのです。
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4/6 レポートの後記

  • -
  • 2011.04.07 Thursday
  もっと色々とレポートすべきことはありますが、今夜はこれくらいにとどめます。明日は朝7時半スキー場集合で山の上の水路、田んぼの様子を見に行きます。あまり危ないところには無理して近づかず、雪の上からの観察になりますが、それなりの収穫は得たいと思っています。

 今日もいろんなメディアの人とのお付き合いがありました。私の知人の一人は、平素はあまりメディアの取材を好む人ではないのですが、「とにかく伝えてくれ。どこでも撮ってくれ」と言っておられます。内田樹(たつる)さんの『街場のメディア論』(光文社新書)などをお読みになり、メディア復権となるような発信をしていただきたいと念じています。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

4月5日栄村の状況レポート はじめに

  • -
  • 2011.04.06 Wednesday
 今日の日中は陽が当たる所ではかなりポカポカ陽気の一日でした。それに伴って、雪消えは少し進んだように思います。家の周り、田んぼの法面(のりめん)(土手に当たる部分)などに土の見えるところが増えてきます。でも、まだまだ雪はたくさん残っています。里地の田んぼで、これから暖かい日が多いとすれば20日頃、気温が上がらない日が多ければ月末近くにようやく雪が消えるという具合でしょう。

 そんな中で復興への歩みが始まっているのですが、目に見えてドラスティックに事が進んでいくというわけではありません。

 そこで、今日は、しばしば取り上げている住宅復興の問題とも絡みますが、むらの暮らしとはどういうものなのか、したがってまた復興過程はどのような歩みになるのかを少し紹介してみたいと思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

「ばあさんが畑をやれるようにしてやらないと」

 今日、知り合いと話していて、上の表題のような話が出てきました。
 彼のお母さん(ばあさん)は長野市の二男さんの家に避難されていて、ちょこちょこ片付けなどにむらの家に戻ってこられています。

 二男さん曰く、「おふくろにはいつまで居てもらってもいい。ただし、土日のたびに畑をやるからむらまで送ってと言われると困る」と。私の知り合いもそこのところはよくわかっています。ですから、家を建て直す、あるいは修復する間、集落の中で仮設住宅に入って、自分の足で畑に通い、農作業できる環境を確保したいと考えておられます。
 
 中越大地震のとき、長岡市内の仮設住宅に入ったお年寄りがいつの間にか、仮設住宅と仮設住宅の間の土地を耕して畑にしてしまったという話があります。
 農山村でずっと暮らしてきた人にとって、田や畑をやるのは、「作物をつくって、いくらの金を稼ぐ」という問題ではない。自分の暮らしのあり様そのものなのです。

 この知り合いの人のばあさまがやっておられる畑は、近年では、1反(10a)にも満たないのではないでしょうか。それでも、家族が食べる野菜は基本的にばあちゃんがつくるものですべて賄われています。種類も豊富です。
 これは、人の暮らしの原点が見事に貫かれている暮らし、生き方だと思います。

 長野県、そして栄村は高齢者が元気なので有名ですが、それは70歳代はいうにおよばず、80歳代になっても、こういう農のある暮らしをやっているからこそ元気なのです。
 震災からの復興はこういうことを念頭において進めていかなくてはなりません。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

田んぼを守る

 田んぼはまだ雪の下にあって、その被害状況はわかりません。しかし、昨日報告したように農道が崩れている箇所があることははっきりしています。中条川上流での山崩れは森地区の田んぼにいく水路をのみこんでしまいました。あるいは、今日、横倉集落の田んぼを見てきましたが、田んぼの上の雪にはっきりとわかるクラックが入っていました。


 下上写真で田んぼの雪の中を走るクラックがはっきりと確認できます。このクラックは右写真の道路面のクラックとつながっています。道路面はわずかですが段差が見えます。そのことから、クラックは雪だけでなく、田んぼにまで及んでいることが推測できます。



 田んぼは平らであることが絶対的要件です。田んぼの中に段差などができたら、そこから水が漏れ出し、水稲作はできません。今年は米作りができないという田んぼがかなり出てくるものと思われます。
 みなさん、「田んぼが無事であってほしい」と祈りながらも、ある程度の覚悟を決めておられます。

 では、今年、田んぼができないとなった場合、みなさんはどうされるのでしょうか。
 「田んぼをやめる」と言う人は基本的にいないでしょう。その場合、田んぼ作業をまったくしないというのではありません。

 田んぼや水路の復旧工事を行う一方、それだけでなく、田起こし(=田んぼを耕す)、草刈りの作業をしっかりとやるのです。米作りができないからといって、田んぼを放置しておくと、草が生え、伸び、やがてはススキのようなものまで生えてきます。ススキが生えてしまうと、根が深く大きいので、いざ田んぼをやろうというとき、田んぼが大きな穴ぼこだらけになってしまいます。ですから、ススキが生えるような状態には絶対にしてはならないのです。


青倉集落西山田の棚田
 
 田んぼだけでなく、畔も法面も同じです。水路も、修復を要する箇所に手を入れるだけでなく、きちんと掃除をし、草が生えたり、落ち葉が溜まったりすることがないように維持作業をきちんとやらなければなりません。


標高1,000mの位置する野々海池。ここから青倉の棚田へ水路がつながっている
   (撮影は昨年5月23日。5月下旬でも池の大半は雪で覆われています)

ちゃめ仕事をご存知ですか?
 では、その草刈りなどの仕事をいつやるのか。
 栄村には「ちゃめ」という言葉があります。「朝飯前」という意味です。「ちゃ」が朝食を指し、「め」は「前(まえ)」がつまってものでしょう。

 田んぼの季節になると、みんな、朝5時には田んぼに行きます。通常ならば田んぼの水管理をしたり、草刈りしたりします。担い手の多くは勤めをもっています。5時から7時まで田んぼで農作業をし、家に帰って朝ご飯、それから勤めに出るのです。

 今年、田んぼがだめという場合でも、この「ちゃめ仕事」をやり続けることになります。
 飯山市あたりの仮入居の住宅に5月以降も住み、そこから村の勤め先に通うというのでは、この「ちゃめ仕事」ができなくなります。

 農業構造改革論者がしばしば「兼業農家は土日だけの作業」などと言いますが、とんでもない話です。日々、「ちゃめ」をやり、夕刻には勤めが終わると、田んぼに行って水管理(=「水見(みずみ)」)をやるのです。
 ですから、仮設住宅にせよ、家の再建にせよ、集落を離れては成り立たないのです。

 みなさんは、このような日々の農作業と固くむすびついたむらの暮らしをどうお考えになりますか。「効率の悪いもの」と考え、切り捨ての対象にされますか?
 私は、いま、原発大災害で現代文明が根底から揺らいでいる今だからこそ、こういう大地とかたく結ばれた農のある暮らしというものを大事にしなければならない、価値あるものとして守り抜かなければならないと思うのです。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

箕作の中華料理店・楼蘭にて

 つい先日、どこでだったか、思いだせないのですが、ある人から「楼(ろう)蘭(らん)です」と声をかけられました。東京世田谷・千歳船橋から栄村の箕作集落に移住され、「楼蘭」という中華料理店を昨年末に開業された渡辺さんという方です。

 震災の後、「楼蘭の渡辺さんと連絡がとれない」という千歳船橋商店街の方からの安否確認メールを取り継いだことがありました。
 その楼蘭さんが営業を再開されたというので、今日の昼、「結い」本部の仲間と一緒に昼食を食べに行ってきました。ここ1週間はバイキング形式で昼食1人前500円という大サービスです。

 いやあ、美味しかった。料理も美味しかったし、さらに、被害が小さかった箕作集落にあるとはいえ、早くもお店を開け、わずか1食500円でみなさんにサービスするという心意気がすばらしい。
 私は、このお店は絶対に成功されると思いますね。
 料理を紹介しましょう。


 これ以外にご飯と、「汁物」ということで坦々麺が出てきました。私たちがお店に行ったのが11時半少し前。間もなく、小学校の先生方10名ほどもお出でになり、大盛況でした。
元気がでる話です。


厨房の渡辺さん

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

県知事が2回目の栄村訪問


 今日4日の午後、県知事の阿部守一氏が栄村を訪れました。地震直後の3月13日に続いて2度目のものです。
 知事は中条川土砂堆積現場を視察した後、役場で村長と会談、その後、役場避難所で住民と直接対話をされました。

 私は夕刻、役場内の避難所で住民と話し合う場面、記者団の質問に答える場面を見聞したほか、記者や役場職員から知事の発言等について聞きました。
 一言でいえば、県として打ち出すことが望まれるベストの方針を示されたのではないかと思います。

 豪雪の村、過疎の山村、高齢化の村だからこそ、これからのモデル的なむらづくりビジョンを復興プランとして創っていくという基本方向、仮設住宅や集合住宅について住民の不安を解消し、むらの現実に即した対応をしていくこと、むらの農業、商店街についての復興をすすめること、などです。

 私たち村民は、これをうけて、自ら積極的・創造的にむら復興のビジョンを提案していかなければなりません。
 ただ心配事もなくはありません。

 1つは、県の職員が知事のこの考え・方針を本当に自分のものとしてやっていくのかどうかです。今夕、知事は避難所で住民と一緒に弁当を食べられましたが、今夕の弁当はいつもの弁当よりもいいものでした。こういう変な「気配り」をする職員のあり方は困ります(3月13日の知事視察の直前に、役場玄関の地盤沈下箇所に、「知事の足元が危なくないように」という県の指示で、砕石を入れたということがありました)。

 2つは、村(役場)です。いわばボールは投げられたのです。このボールをどのように受け止めて、どんなボールを知事(県)に返すのか。村(村長、役場)が問われていると思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事