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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村の震災ニュース・情報が少ないことをめぐって

 今回の栄村の震災をめぐっては、栄村の被災状況が全国ニュースでほとんど報道されない、「栄村がどんな状況になっているのか、わからない」という声がいろんなところから聞こえてきます。事実、そのとおりだと思います。

 その直接の原因は、東北地方での津波被害のあまりの大きさ、原発災害の深刻さということがあり、1ヶ所だけ遠く離れた地点である栄村の地震が、3月12日の地震発生直後を除いては、長野県内を除いては、ほとんど報道されていないことにあります。隣町の津南町ですら、県が違うために長野県内ニュースが流れず、3月18日夕に発行された津南新聞の報道で栄村がたいへんな被害を受けていることを知ったという人が多いという事実があります。

東北の被害の大きさ、原発災害の深刻さだけが原因ではない
 しかし、栄村の被害状況等がよく伝わっていないことの原因を以上のことだけに解消するわけにはいきません。大きな問題として、村役場からの情報発信がほとんどないことを指摘しなければなりません。
 そのメルクマールとして、2つの事実を挙げることができます。

 1つは、栄村役場の公式HPが地震後、3月28日現在、4回しか更新されておらず、しかも被災状況についての具体的な情報は皆無に等しいことです。

 2つは、報道陣が殺到した1週間〜10日間の間、役場は1回も公式会見を行っていないことです。1週間以上経過した段階で、報道陣からの要請で役場内にいる報道陣を集めての情報開示が数回行われたのみです。いわゆるプレスリリースも行われていません。ましてや、村長会見は1回も行われていません。

 村がマスメディアに対して適切な(頻度及び内容)情報発表を行っているのであれば、メディアに対して、「全国ニュースでもっと栄村のことを取り上げてくれ」と要請することもできるでしょうが、自らが情報発信を怠っていては、そういう要請もできないでしょう。

情報の空隙を埋めたブログ
 こういう空隙を辛うじて埋めたのがNPO法人栄村ネットワークの栄村被災情報ブログでした。ブログの開設を決断し、以降、不眠不休でブログを管理・運営して下さっている乾さんに感謝の言葉もありません。
 28日正午の段階で6万件を超えるアクセスがされていて、「栄村ネットワーク」が一躍有名になったのは有難いことですが、そんなことで喜んでいるわけにはいきません。

栄村の被災者地震が被害状況の全体像がわからないという事態
 このように村の情報発信がほとんどないに等しいという事態は、単にマスメディアへの対応にとどまる問題ではありません。より重大なのは、栄村の被災者自身が被害状況についてよくわからないという事態を引き起こしたことです。

 私は村の人からこういう話を聞きました。「栄村から遠い所に住んでいる子どもがネットワークの被災情報ブログで栄村の状況を見て、それを私に連絡してくれている。それではじめて村全体の状況がわかる」と。

 避難所での生活をめぐる情報や一時帰宅のことなど、たしかに、役場から各集落の区長さんを通じてお知らせは届いていましたが、村全体の状況や村がこの大災害に対してどういう基本方針で対処しようとしているかについては十分な情報発信があったとはとてもいえません。

情報発信部署の必要性とその死守の大切さ
 この問題の背景は相当に深いものだと考えます。
 第1は、震災のような大規模災害発生という非常事態の中での情報発信部署の不在ということです。

 役場職員が震災の当初段階では平素の部署と関係なく忙しく動き回っている状況で、放っておけば、じつは情報発信は最も疎かになる部門です。2〜3名程度の職員を情報発信に専ら当たるものとして指名・配置するのでなければ、種々の作業に忙殺され、情報発信は不可能となります。いや、もっと言えば、他の職員が忙しく走り回っている中で、情報発信のためにパソコンに向かっている姿は、あまり情況に馴染まない姿です。ましてや、情報を求めて、情報発信者が他の職員等に情報を聞きに廻ったりするのは、他の職員からすれば緊急の仕事に対する妨害とすら受けとめられかねません。

 そういうなかで、情報発信に専従する人員が確保され、そのメンバーが住民の視点にたって、「住民は何を知りたいか」を絶えず考え、その情報を災害対策本部に求め、情報を得なければならないのです。

 残念ながら、今回の栄村では、そういう情報発信専従職員は確保されていませんでした。
 昨日、県内のある市の職員の方々が村を訪れて下さり、私の案内で村内の被害状況を見て廻られました。そのとき、私が「おたくの市では、情報発信の部署が平素からきちんと置かれていますか」とお尋ねしたところ、そういう用意はないとのことでした。どの自治体等でも、今回の栄村の負の教訓を生かしていただきたいと思います。

平素からの情報発信への姿勢が問われる
 背景の第2は、震災のような非常時ではなく、平時のときに、住民に対する情報発信についてどのような姿勢で臨んでいるかという問題です。

 村には、他の市町村と同じく、毎月発行される「広報」というものがあります。制作担当者には申し訳ないのですが、率直に言って、面白くありません。まるで「回覧板」のような内容になっているからです。極端にいえば「お知らせ」ばかりに近い状態です。
 私は、これについて、主たる問題は制作担当者にあるのではなく、村の対住民の基本姿勢にあると考えています。

 村は住民みんなでつくるものです。ですから、村は政策形成過程を公開する必要があります。村がどんな問題・課題に直面しているのかをあきらかにし(=情報の公開)、住民に共に考えることを訴えること、そして、住民の意見を汲み上げること、さらに、それに対して村(村長、役場)はどのように考えているのかをあきらかにすること。こういうことがなされてこそ、住民自治が実現され、生き生きとした村づくりが進むのだと考えます。

 ところが、政策は役場の幹部だけが考えるものという間違った考えがある結果、役場が決めた政策を結果として知らせることだけが情報発信だと錯覚している。だから、「広報」が単なる「お知らせ」になってしまうのだと思います。

復興過程で求められる情報発信
 今日のレポートの冒頭に書いたように、今回の震災をめぐっては、いよいよ復興の過程に入ります。
 この段階では、どういう情報の発信が求められるのでしょうか。

 私は、一連のレポートで、最も被害が大きいところ(集落)の状況の報告に1つの重点をおいてきました。これは、被害が比較的軽微であった地区を軽視するということではけっしてありません。被害の大きい地区の状況を村民全体が共有し、その被害が大きい地区が復興できるような復興策を全住民で考え、実行していくことが必要であるし、そうすることが被害が比較的軽微な地区の復興も実現していくからです。

 村は、いよいよ復興に取り組むという現段階で、全村の被害状況について村民全体が認識を共有できるように情報を発信する必要があるでしょう。

 栄村の村民は、自らが避難所生活を余儀なくされている中で、メディアの取材に対して、「私たちは救援物資にも恵まれている。もっと被害が凄い東北の人たちに申し訳ない」と答えられるほど、心優しい、そして広い心を持っておられます。その素晴らしい心を持つ村民の力を総結集して、復興へ力強く歩み出すことが、いま、求められていると思う次第です。(了)

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

避難・復旧から復興へ

 今夜、避難所で寝泊まりされている方は290名です。ずいぶんと少なくなりました。約半数の世帯で水道が復旧したのが減少の大きな要因です。30日からは7か所の避難所が3ヶ所に統合されます。この290名の中には、今後もかなり長期にわたって避難所にとどまらなければならない方たちがおられます。この方たちだけに地震被災の重圧がのしかからないように細心の注意を払いながら、局面を避難・復旧から復興へ転換していかなければなりません。

 実際、避難所にとどまっている人たちも含めて、いま一番求めているものは復興にむけてのビジョンであり、村(長)の明確なメッセージです。
 私、そして栄村ネットワークは、復興にむけてのビジョンが明確になるよう、微力ながら全力で頑張っていきたいと考えています。

 そのためにも、今日は、これまでのレポートとは趣を異にしますが、今回の地震被災をめぐる栄村の情報発信について、私の思うところをみなさんにお伝えし、ご意見をいただければと思います。

(長くなりますので、分割させていただきました。続きの記事はこちら「栄村の震災ニュース・情報が少ないことを巡って」注:WEB更新担当)

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

県による説明資料

 県が、3月26日に中条地区と青倉地区住民(避難勧告対象世帯)に対して説明を行った時(前回記事)の資料を掲載致します。(画像クリックで拡大します)



―栄村ネットワーク関係者 現地からの資料


訃報

  小滝集落の長老、樋口良男さんがお亡くなりになりました。享年89歳でした。
 良男さんは、地震まで元気にされていましたが、避難の過程で体調を崩され、急性肺炎で入院中でした。

 良男さんは第二次大戦中、応召され、択捉島で終戦を迎え、シベリアに連行・抑留され、帰国されたのは昭和23年だったとお聞きしています。その後は西部農協の組合長を務められるなど、村のリーダーとして活躍されました。

 私がお付き合いをさせていただいたのはこの1年のことですが、学生らがお訪ねすると、即席の「ロシア語講座」をなさるなど、たいへん素敵なおじいちゃんでした。江戸時代の寛政年間に志久見街道を旅して小滝の十二社で一泊した人が書いた落書きの文言を暗誦されていたのも良男さんでした。

 お顔を見たいと思いましたが、こういう状況の中ですので、ご長男がお住まいの長野市で近親者のみの葬儀が行われ、後日、集落でのお別れ会が行われることになると聞いています。
 天寿をまっとうされたと言っていいと思いますが、本当に残念です。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

高校生が「結いのしょ」で活躍


 今日は、柏崎工業高校防災エンジニア科の生徒さん13名が引率の先生やご父兄と共に、「結いのしょ」として駆けつけてくれ、主にごみ集積所で活躍してくれました。
 大型ごみの所では、廃棄されたものを解体処理する作業を素早く行ってくれ、「さすが、柏工の生徒さん」という評判だったそうです。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

修復事例の紹介


 長谷川さんからいいただいたチラシに能登半島地震での修復事例の写真がありましたので、紹介しておきます。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

古いが素晴らしい家がいっぱいある

 ご紹介するのは、私が村に住むようになった時からお世話になっている知り合いのお家です。外観は、下の写真のような感じで、こういう言い方をしては失礼になりますが、そんなに「立派なお家」とは見えません。


 平素は別棟の作業所で話をするので、この母屋に入ったのは昨年2月にお父様がお亡くなりになった弔いのときだけです。べつに家の観察をしたわけではありませんが、「古いお家だ」という以上の感想はありませんでした。


 ところが、今日訪れてみてビックリ。仮住居に引っ越しされるため、家具などをすべて運び出されていたのですが、その結果、家の構造がはっきりと見えます。上の写真に見える横柱(というのでしょうか)の立派さを見てください。また、下の写真は2階を見上げて撮ったものです。この家はもともとは茅葺きの家。築90年くらいになるそうですが、その茅葺き部分を取って、2階部分を載せたそうです。そこに見られる梁もまたじつに立派なものです。


 この家を修復するか、建て替えるか、知人はまだ最終判断を下してはいませんが、ご本人も「いやあ、立派な家だ」と言っておられました。

 昨日、長谷川さんがその素晴らしさに惚れ込み、「こんな時に、ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが、修復作業を楽しいものにしましょうよ」と言われた家といい、とにかく、古い民家に素晴らしい家がたくさんあるのです。
 こういうお家をどうするのか。それは個々人の問題を超えて、村のこれからのあり方、社会のあり方を左右するテーマであると思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

家の片付け‐応急措置の進展に感心

 昨日の「多くの住宅が修復可能」の報告の継続で、写真紹介したお宅の1軒に今日も伺い、片付けとひとまず暮らせる環境を整える応急措置の進展ぶりに驚き、感心しました。
 15日などに撮った写真と今日の様子を対比させてレポートしたいと思います。


 これは15日午後に撮影したものです。玄関に入ったところから撮ったのですが、写真真ん中に食器棚のようなものが見えますが、そこが居間です。廊下的な部分と居間の間の障子はすべて外されています。敷居が下がったりして障子が動かないためです。


 こちらは、その居間を今日、居間の中から撮ったものです。
 右半分は元の障子がはめ込まれています。あとの2枚はダメになったので、居間と座敷の間の帯戸(写真左側のような板づくりの戸をいいます)で生き残ったものを使っています。
 これで玄関・廊下と居間の区切りができ、部屋を暖かく保つことができます。これ自体がなかなかの知恵だと思うのですが、このような応急措置ができた裏には、さらにもう一つの知恵・技が隠されていました。
  

 上の写真の中央に灰色がかった色の材が1本立てられています。また下の写真でも写真中央に周りの材とは色が違う、同様に灰色がかった材が入っています。


 いずれも障子を入れる部分の鴨居を支えるための応急措置です。これによって障子を入れ、動かすことができるようになったのです。これはこの家の主(78歳)が一人でおやりになったことです。


 また、居間と座敷の外に面した戸の部分をご覧ください。
 上は15日の一時帰宅(30分間)のときに外側から撮影したもの。サッシ戸が外れ、無残な姿を晒しています。下は、今日写真の左部分を内側から撮ったもの。破れた障子紙がきれいに取り除かれています。


 私が訪れた時、奥さんは買い物に出ておられたのですが、その買い物の1つが障子紙を購入すること。障子を貼りかえられるそうです。そのひとつでグッと落ち着いた雰囲気が戻り、地震の衝撃から立ち直る安らぎの空間が蘇ってきます。


 さらに、もう一つ。  
 上の写真に写っているのはこのお宅の物置。もともとは鶏を飼っていた建物だそうです(24日撮影)。はっきりと傾いています。ご主人は一時帰宅の15日の時点から「これは取り壊す」と言っておられました。ところが、昨26日、この家を訪れた長谷川順一さんが、「すぐに壊さない方がいいですよ。母屋を修復する時に、母屋から運び出した家具などを置く場所として使えますから。倒れないように、つっかえ棒を入れればよい」とアドバイスされました。今日、訪ねてみると、早速、下の写真のようにつっかえ棒が入れられていました。「昨日来てくれた先生が言っていたからさ」と、ご主人。


 こういう応急措置を自力でどんどんやってしまう力(知恵と技)に私は感心させられること、頻りでした。
 村の高齢者、さらには百姓仕事をやっているような“わけしょ”は、話していて、家のつくり(構造)についてかなり詳しいことがよくわかります。住宅についても“消費者”になってしまい、建築のことは建築屋のまかせっきりの都会の暮らしとの違いを強く感じます。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

何なの?! この雪


 これは今朝8時少し前に役場前で撮影したものです。
 今朝は起きてみてビックリ。今日は3月27日ですよ。お天道様はいったい何を考えているのやら。地震で集落内道路などの除雪作業が難しい中、午前中は、この雪のために復旧活動にずいぶんと影響が出ました。家が危険な家屋では早めに雪を下ろすお宅も散見されました。
 ただし、この時期の雪はそんなに残りません。夕刻には、少なくとも道路は昼過ぎまでの雪がウソのような感じになっていました。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

後記 3/26

  • -
  • 2011.03.27 Sunday
 今日はほぼ一日中、雪でした。かなり激しく降る時間もあり、復旧活動の妨げですが、それでも皆さん、頑張って片付けや復旧作業に取り組んでおられます。明日も、午前中は雪の予報です。

 記事の執筆は、0時を過ぎてしまいました。最後の20分ほど、猛烈に眠いです。今日は夕方ころから肩が詰まります(「凝る」というよりも「詰まる」という感じ)。
 でも、今日の長谷川さんのお話にはずいぶんと勇気づけられました。

 明日もがんばりますよ〜。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事