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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村点描 ―当部

 この9月に90歳になられたという一人暮らしのおばちゃん。そのおばあちゃんが育てた“秋田こまち”の天日干しです。

 



栄村点描

●元気です!
  
     
桑原千恵さん(森集落)

   
千恵さんが育てている粟

         
藤木きよさん(極野集落)
 

島田マツさん(青倉集落)    

          
マツさんの草取り作業



●にほんの里の夕焼け(大久保集落)







●極野       

観音さま



お宮


小滝の歩み

 私はこの「復興への歩み」でしばしば小滝の復興プロジェクトチームの活動について紹介していますが、その素晴らしい活動の背景には永い年月にわたって小滝集落の人たちが培ってきた集落自治の伝統があるように思います。

 昨年夏から秋にかけて、私は小滝集落でT型集落点検という調査をやらせていただきました。村外に出ている子どもとその家族を含め、それぞれの世帯の家族構成をすべてお聞きするという調査です。この調査結果は今回の震災復興への取り組みにおいても大いに役立っています。

 その調査を進める中で、小滝のある人から『小滝部落昭和五拾年乃歩』という冊子の存在を教えていただきました。集落の長老3名の方が昭和57年(1982年)に毛筆で書かれたものです。お三人は当時75〜82歳でしたから、いま生きておられたらいずれも百歳を超えられている方々です。残念ながら、私はそのお三人のどなたともこの世でお会いすることはできませんでしたが、『小滝部落昭和五拾年乃歩』を読ませていただき、たいへん感動しました。
 今日はその内容の一部を紹介させていただきます。


雪とのたたかい
 今回の震災に際して、小滝から月岡に通じる道路が雪崩で塞がれ、小滝の人たちはヘリコプターで避難所の北信小学校(当時)に移動されましたが、小滝〜月岡間は昔から冬の難所だったようです。
 『五拾年乃歩』には、つぎのように記されています。
「小滝ハ月岡へ通ずる横手道路は冬季間は崩雪の危険甚だしく交通乃途絶する事?々なり大雪の時ハ上ノ山へ登り日隠へ廻って行った事も度々あった」
 横手道路というのは、現在、車が通っている小滝〜月岡間の道路ではなく、その横の山の上にある古道(「横手(よこて)上道(うわみち)」と呼んでいる)のことを指しています(一昨年秋に古道復活整備作業が行われたときの写真を紹介します)。


横手上道

 小滝の大先輩たちは、なんとか雪崩の危険を防ぐべく必死で考え、県の林務課と粘り強く交渉し、昭和25年から「危険ヶ所へ石垣の段を拾ヶ所設置工事」(危険な箇所10ヶ所に石垣の段を設置する)を6年間かけて実現したのです。費用は全額、林務課の負担。『昭和五拾年乃歩』には、                
「なかなか厳しい世想の中でしたので年毎に再々県の林務課迄陳情の決果漸くにして施行完成した」
と記されています。「県の林務課」というのは長野市の県庁あるいは現在の北信地方事務所にあたる県の出先機関のいずれを指すか、私にはわかりませんが、それにしても車などなかった昭和25年頃に小滝から県林務課にたびたび交渉に出向いた大先輩たちの努力には本当に頭が下がる思いです。 


 昭和30年にようやく車が小滝に入れる道路ができた
 いま、小滝に行くとき、大巻のところで県道から村道に折れて小滝公民館のところまでずっと舗装道路を進みます。横倉の仮設住宅から車ならば10分もかかりません。


現在の道路(奥に見えるのが公民館)

 しかし、この道路ができたのはようやく昭和30年に至ってからのことなのです。それまでは上に書いたように人が歩けるだけの道しかなかったのです。
 小滝の人たちは県の耕地課と交渉し、「農道改修」という名目で予算を獲得し、月岡〜小滝間の道路づくりを進めたのです。そして最後は県単独事業に組み込んでもらい、
「昭和三十年十一月全長一,五K米が完成是で初めて小滝部落迄自動車の乗り入れが出来る様になった」
のです。
 
 このように小滝の人たちは、現世代の2世代前から、集落の暮らしに必要なことは自分たちの手で切り拓くという自治の精神で取り組んできたのです。自分たちでやれることは自分たちでやる、そして行政の援け(予算)が必要なものは集落が団結して行政と粘り強く交渉して事業を実現する。これが自治の精神だと思います。

 私はこの精神が今回の震災復興でも受け継がれ、発揮されていると思います。
 今後、随時、小滝の「昭和50年の歩み」を紹介していきたいと思います。

栄村点描 ― 青倉

 減築
 このお家は元々の建物の3分の1ほどを切り離し・解体し、残りの3分の2を新たな家として修復されるものです。こういう方法を「増築」に対して「減築」と呼ぶそうで、災害にあった家の修復方法の1つだそうです。

 

元の場所での新築が始まった
 青倉の中村地区で、解体された跡地での新築工事が始まっていました。いまは基礎の工事が行われている段階です。
住居については、これまで解体ばかりが進んできましたが、ついに新築が始まり、復旧・復興が新しい局面を迎えつつあることが感じられます。

 

あんぼの家
 渡邉加奈子さんの「あんぼの家」で修復工事の足場組みが進んでいます。間もなく曳き屋さんが入り、家の傾きなどを直す作業が始まるそうです。

 
 
電動車で仮設から集落へ
 写っているのは桜沢名代子さん。毎日、横倉の仮設住宅から青倉を経て今泉の畑・作業場まで電動車で通っておられます。
 今日12日は津南の病院に行かれるとのことでしたが、横倉と青倉の間には国道117号線の青倉トンネルがあり、電動車での通いは大変です。

栄村点描

スキー場を上がっていくと、もうすっかり秋です。すすきがしっかり色づいています。


31日朝、スキー場に
 

 スキー場眺望点から(31日朝7時過ぎ)


朝の空(上と同じ場所にて)
 

古道・志久見街道を描いたマンガをご紹介します。


 2010年度農水省交付金事業「山村college」で京都精華大学出身の漫画家・キノシタヒロシさんが描かれたものです。

※クリックで拡大します。
 












小滝で古道整備

 栄村にはたくさんの古道があり、とくに小滝集落では一昨年から古道の復活整備・活用の活動が展開されています。
 今年は震災で春の整備作業が出来ずにきたのですが、3日から樋口利行さんが「ちゃめ仕事」で志久見街道の刈り払い作業を開始、昨4日午後は駒澤大学OBらも応援に駆けつけてくれるとのことで、中沢謙吾さん、加藤彰紀さんも加わって整備作業が進められました。


大免沢川手前で道にかかる木をチェーンソーで伐る謙吾さん  


仮払われた草を片付ける駒澤大OBら

古道は地震にも強い

 今回の震災では、村道滝見線(小滝〜志久見を結ぶ)が激しく壊れています。とくに大免沢(だいめんざわ)、奈免沢(なめざわ)の沢沿いに大きな被害が発生しています。
 ところが、古道の志久見街道はほとんど傷んでいません。「古道が災害に強い」ということはよく言われることですが、今回の栄村の震災でも実証されたわけです。おそらく、自然の地勢に合わせて道がきられているからでしょう。逆に、現代の道路は盛土をした部分がほとんどやられています。
 昔の人たちから学ぶべきことがたくさんあるということですね。
 
 志久見街道の素敵な景色をご紹介しましょう。
 四ッ廻りで千曲川が南北から東西に流れを変える地点を望む。このあたりで右手から大免沢川が流れ込む。写真左手が青倉の四ッ廻り地区。写真奥の山を越えると志久見集落だ。


小滝から千曲川沿いの志久見街道に入って間もなく。木陰ができて、昨日のような暑い日の午後でも涼しい。


応援に来てくれた駒澤大三人衆(清水、小嶋、廣田の3君)。


栄村点描


ぬけるような青空と仮設住宅(1日朝)
  


仮設住宅のアサガオ


小滝の畑へ通う仮設の二人

 写真左は中沢益夫さん、右が中沢重光さん。お二人とも70歳代だが、とても元気。二人は毎日、益夫さんの軽トラで小滝の畑や田に向かう。小滝ではまだ解体されていない元の住居をベースに丸一日、さまざまな農作業に精を出す。
 小滝まで車だと10分もかからないが、歩くと30分以上かかる坂道だ。


ラーメンが食べられるお寿司屋さん




森商店街の寿司屋「松(まつ)海(み)」さん。このお店、お昼限定で魚で出汁をとった特製ラーメンが食べられます。とても美味しく、お値段も650円とお得。もともとは日曜日限定でしたが、震災後、商店街で真っ先にお店を再開。それを契機に毎日お昼に食べられるようになりました。村外から来た人にも大好評です。                 

 (了)