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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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仙(せっ)当城(とじょう)をご存じですか?〜月岡からの報告

  昨27日、月岡集落の人たちの呼びかけで仙当城址に登る会がありました。
 これは、新潟県六日町の上田史談会(しだんかい)の会長さんたちが仙当城址を見に来られるので、一緒に登り、上田史談会のみなさんからお話をお聴きしようということでもたれたものです。私は南雲成一さんからご連絡をいただき、参加させていただきました。


 こちらは、「二の丸」跡に立てられた標柱。前方に見える平らな部分が「本丸」跡です。
 仙当城の最大の特徴は壮大なスケールの空濠の存在。下の写真が「本丸」と「二の丸」の間の空濠です。


 「二の丸」から「本丸」方向を見て左手


 「二の丸」から「本丸」方向を見て右手

 つぎは、「本丸」と「二の丸」を結ぶ「一騎(いっき)駆(が)け」と呼ばれる連絡道。馬一頭が辛うじて通れる狭さで、「いざ」という時、敵が一気に押し寄せることができないように工夫されたもの。

 写真中央の「馬の背」のような部分が「一騎駆け」です。写真右下に空濠を登ってくる人たちが見えます。
 
 仙当城は中世〜戦国期、現在の栄村地域の大半を領地としていた市河氏の山城。その時代の山城に詳しい上田史談会のみなさんは口を揃えて、「こんな大規模な山城址は珍しい。第一級のものだ」と言っておられました。
 上田史談会は、上杉景勝と直江兼続を生んだ越後国南魚郡上田庄の坂戸城の歴史を中心に郷土の歴史を調べ、語る会。NHKを動かし、大河ドラマ「天地人」を実現されました。


●仙当城跡を国の文化財に
 上田史談会の会長さんらは「こんな立派な山城址は是非、国の文化財に指定するように働きかけ、その立派さにふさわしい評価が与えられるようにすべきだ」と言われ、どのように指定にむけてどのように運動するのがよいかについてもご指導くださいました。


●月岡仙当城跡保存会
 月岡集落では3年前から保存会をつくり、仙当城に登る山道の整備、城跡での刈払い等の作業を行っています。山道の入り口には二の入り沢川に木橋も架けられています(右写真)。この秋も刈払い作業をされました。仙当城への山道を少し辿ってみましょう。
 山城に登る道ですから当然のことといえますが、かなり急な坂道が2ヶ所あります。でも、子どもからお年寄りまで、十分に登れます。






 途中、振り返ると、貝立山−関田山脈や千曲川が見え、素晴らしい眺望です。



 仙当城址にも地震の爪痕が随所に見られます。右写真は山道が通る尾根が二の入り沢川にむかって大きく崩れた箇所。


 山道脇の木には立派ななめこが大量に見られます。さっそく、みなさんが採られ、お昼、なめこ汁をつくって月岡公民館でいただきました。
 

 今回の仙当城址に登る会には月岡にお住まいのケヴィン・友絵夫妻も参加されていて、お二人のお子さん、もなちゃんもパパに背負われて一緒に城址まで登りました。


 上田史談会のみなさん。写真左の方が会長さん。
 
 震災復興の途上で、この日の仙当城址に登る会が催されたことにはとても大きな意義があると思います。
 栄村にある“歴史の資源”を発掘し、それを現代に有効に活かしていく。そこに、栄村が山村らしさを生かしながら、震災復興を実現し、「中山間地再生のモデル」となっていく道があると思います。志久見街道を活かす10月30日の小滝での古道歩きの会につづき、栄村の新しい観光の可能性を押し広げていきたいですね。


野々海への道

 もう雪の季節ですね。“雪の野々海池”を撮ってみたいなと思い、今日の朝、平滝から上ってみました。しかし、残念ながら、途中で雪が深くなり、前へ進めず、中途断念となりました。標高700mくらいまでは上ったでしょうか。
 いままで考えたことがなかったのですが、いま頃の季節に、野々海への道の途中あたりで雪遊びを楽しむ企画も考えられるな、と思いました。
 何枚か、写真を紹介します。
                        

                
軽トラのお腹がつかえて、もうこれ以上進めず


苗場山〜越後の山並みを望む

冬支度点描


白菜の行列。


とても大きな白菜です。天代から野口に至る道の脇の畑で極野の藤木虎勝さんご夫婦が作業されていました(23日午前)。天日で少し乾燥させて、冬用に保存されるんですね。村内随所で見られる光景です。


 つぎは、菅沢農場での野沢菜の収穫作業の様子です。
 「今年は暖かくて、作業が楽だ」と斉藤克己さん。


 人参の泥を落とし、保存へ。小滝・樋口栄さん。




 家周りにカヤが並べられています。これはきっとカヤでの雪囲いですよね。23日午前、天地で見ました。昔はみんな、こんな風にやったものだと聞きます。


村に帰り、20日午前、城ヶ館に行ってきました


 村に戻った翌日19日の午後、青倉の生き物調査の関係で来村をお願いしていた森林文化協会の海老沢俊夫さんがお出でくださり、20日午前、スキー場中腹の眺望ポイント、そして城ヶ館に行ってきました。

朝方はかなり雨が降っていましたが、スキー場中腹に行った9時半過ぎは雨も止んで、雲海ができている状態でした。私が東北に行っていた間の16日朝はスキー場中腹あたりまでが雪化粧したそうですが、この時期の眺めもなかなかきれいだなあ、と思いました。
 この後、城ヶ館に行ったのですが、海老沢さんは滋賀県旧朽木(くつき)村に自宅を構え、森林をめぐる活動の専門家。城ヶ館で木々を見ながら、いろいろと解説をしていただきました。

 上は私が志久見街道などで撮影し、「この赤い実は何?」と言っていたものと同じだと思いますが、「ガマズミ」というものだそうです。山地や丘陵地の明るい林や草原に生える落葉低木です。


 こちらはヤシャブシの芽。海老沢さんは「冬に芽の観察会というのもやるんですよ。芽を見て、何の木を当てる。結構面白いですよ」と話されます。
 芽にも、葉になる芽と、花になる芽の2種類があるそうです。枝の先端に見えるのが葉になる芽、大きな芽が花になる芽です。


 驚いたのがユキツバキの花のつぼみです。
 つぼみがしっかり付いていて、しかもすでに花びらの赤色がうっすらと見られます。こんな状態で花を咲かせる5月半ばあたりまで約5〜6ヶ月、雪の中を過ごすのですね。本当に驚きました。


 実をいっぱい付けたブナの木
 ブナも実をいっぱいぶら下げていました。道の上にも落ちています
 今年度と来年度の2年間、農水省の「食と地域の交流促進対策交付金」が交付されることになっています。「豊かな生きものと共生する青倉地域協議会」というものをつくり、「雪融け水とブナ林で生きものいっぱいの棚田」をキャッチフレーズとして、青倉のいきもの調査と青倉米販売等を結びつけていこうというプロジェクトです。
 震災によって計画予定を大幅に変更せざるをえなくなっていますが、来年度の本格実施へ、計画を練るべく海老沢さんにご指導をお願いしました。
 「冬の木の芽の観察」など、思いも及ばなかったことで、面白いプロジェクトにしていけそうだと思っています。また、冬の間、青倉の高齢者の方々に、青倉の植生や昔のカヤ場のことなどをお聞きするヒアリングなどを進めていきたいと考えています。


 自然の営みと同時に、歴史の跡も1枚。上の写真の場所は、城ヶ館から三叉路の方向に農道を進み、進行方向右手です。写真の左右に木が生えていますが、その間に少し窪んだところがあります。これが、中世に城ヶ館にあった山城の濠の跡なのです。「山城」といっても、立派な館(やかた)があったわけではなく、狼煙信号を伝送する場所だったそうです。
 

平滝のおばあちゃん


 笑顔がとても素敵なおばあちゃんでしょう。お歳をお聞きしてビックリ。92歳になられるそうです。
 とてもお元気で、次に紹介する小豆や地(ぢ)豆(まめ)、「くらかけ」という豆、すべて、おばあちゃんが育てられたものなのです。
 

小豆   
大納言だそうです。     


地豆
地豆とは落花生のこと。落花生は枝に実るのではなく、地中で育ちます。それゆえの呼び名だと思います。


「くらかけ」と呼ばれる豆。
お浸しにして食べると美味しいそうです。写真中央に豆が見えますが、青い豆の中に黒い部分があります。これは「馬の背に鞍をかけた」のと似ていることから、そのように呼ぶのだとお聞きしました。

 このお家のすぐそばの平滝駅も紹介しておきましょう。昨年、建て替えられたものですが、ホームを見ると、昔の駅名看板がかけられていました。




今年は「長野県スキー発祥百周年」。


さかえ倶楽部スキー場へよらっしゃれ!

 11日夜、京都への出勤の帰り、上越新幹線の車中でJR東の広報誌「トランヴェール」11月号を手にとってページをめくっていくと、北信のスキー場全紹介の広告記事(1頁分)が目に入りました。「北信州は一大スノーリゾート! 100周年記念のイベント・特典がいっぱい!!」という見出しです。

 もちろん、さかえ倶楽部スキー場も紹介されていました。ただ残念なのは、さかえ倶楽部スキー場が大震災をのりこえて今年の営業をするのだということが紹介されていなかったことです。
 「長野県スキー発祥百周年」に加え、「栄村は頑張っているぞ! 」というメッセージを全国のみなさんに伝えるものとして、さかえ倶楽部スキー場の宣伝に努めたいものです。



 スキー場に至る道の崖崩れ箇所では急ピッチで復旧工事が進んでいます。

 また、スキー客のみなさんが宿泊されるトマトの国の復旧工事も進んでいます。
 今回の復旧工事で、とくに高齢の人にとっては悩みの種だった玄関の階段がなくなり、車を玄関に横付けできるスロープ化の工事が進んでいます。


晩秋の栄村

 10月末から昨日までの間、村内各所で撮影しながら、まだ掲載できていない写真がたくさんあります。今日は少し多めに紹介したいと思います。


千曲川の流れ。写真上方にかすかに横倉の仮設住宅が見えます。
(対岸の村道月岡小滝線から撮影、10月27日)


こちらの写真はいまやお馴染みになったかと思われる千曲川、月岡集落大巻の稲刈り後の田です。遠くに紅葉が進む開田山脈が望めます。(撮影10月27日)


晩秋の森宮野原駅(11月1日撮影)


栄大橋から塩尻方向を望む(11月3日)
 

栄大橋上から中条橋、そして山崩れ地点を望む(11月3日撮影)


森の開田・旧村営グランドのあたりから上の山を望む。写真中央に山崩れ地点が見える(11月4日撮影)


森の開田記念碑(11月4日)


スキー場内村道と西山田農道の交差点(いわゆる三叉路)から横倉沢川の谷を望む(11月4日)
 

上写真と同一地点で西山田農道方向を望む(11月4日)






 この3点は、貝立水路かけ口のブナ林の中で。林の中を歩くとき、落ち葉の感触は素敵ですね。
(11月4日撮影)


黄色のカエデ。貝立水路かけ口付近にて(11月4日)


大きな木の紅葉も素晴らしいのですが、その木々の下、下草や幼木が一斉に紅葉している様もとても美しいものです。青倉〜野々海間の道にて(11月4日)


国道117号線森大橋の上から。


燻炭づくり。雨の日が多い最近、屋根付きという工夫をしたもの。屋根に煙が抜ける穴が開けてある。(11月6日、泉平にて)


搗きたてのお餅の大根おろし和え(泉平収穫祭にて、11月6日)


 最後に、飯山線の景観・撮影ポイントの1枚です。今日の朝、森宮野原9:06発長野方面行きの列車が通過するところを撮ってきました。


晩秋の栄村

 前号で干し柿などを紹介しましたが、むらのあちこちで豆をはたいたり、天日干しする光景、あるいは漬物にするために大根を干すところが見られます。
 4日午後、森の開田の記念碑を撮影に行くとき、下のような光景を見ました。


森の開田の畑で豆をはたく広瀬敏男さん(4日)
              

笹原の関沢さん(5日)             


大根干し(笹原にて)
 

小豆
(笹原にて)                


黒豆(青倉にて)
 黒豆は殻に入った状態で十分に乾燥させないと、いい色にならず、また煮た時に皺(しわ)になるそうです。




 上は野沢菜。極野の集落で見た光景です。写真に見える水で洗った後なのでしょうか。下は高原豆(別名:花豆)。白い高原豆というのは初めて見ました。北野の仮設住宅で暮らすかあちゃんが干していました。
 紅葉の様子も少し紹介します。
 

東部の県道を長瀬から笹原に向かう左手の眺めです。


吊り橋「学問の橋」の上から見た北野天満温泉の紅葉です。


極野の観音様をこんなアングルで撮ってみました。いかがでしょうか。

晩秋の栄村

 11月は栄村では雪が降っても不思議はない時期。ここ2日ほどは暖かい日が続いていますが、もうすっかり晩秋です。晩秋の様子を2点、ご紹介します。


 黄色は干し柿。手前の薄い緑色のものは里芋の茎を干している。後方は“ずいき”(八つ頭の茎)を干している。柿の皮は別に日なたで干し、沢庵づけに使う。里芋の茎、ずいきを干したものは「けんちん汁」に入れると美味しいそうです。ずべて、晩秋にのみ見られる“むらの知恵・技”ですね。
 

 野々海池ではブナ林が落葉し、木の先端のみが赤く見える晩秋独特の姿が見られます。4日午後3時半撮影です。少し霧が立ち込め始めている様子もいいですね。

関口直衛さんをご紹介します

 
先ほど、暮坪集落が1971年に消滅したことにふれました。暮坪の住民のほとんどは他市に移住されたのですが、1世帯のみ栄村に残られました。関口直衛さんです。森集落にお住まいですが、いまでも、滝見線から暮坪への道に入る地点の近くで耕作を続けておられます。
 昨日、暮坪の様子を見に行った帰り、「今日も関口さんは作業小屋に来ておられるかな」と思ってお訪ねしたところ、作業小屋の前でバッタリ出会いました。
 お元気そうなお顔でしょう。年齢はおいくつだと思いますか。聞いてビックリ。80歳になられたそうです。

 つぎの写真は関口さんが耕作されている田畑です。1枚約1反の田んぼを7枚ほどやっておられます。
 田植えや収穫のときは長野にお住まいの息子さんが手伝いに来られるようですが、基本的に奥さんとお二人でやっておられます。森のご自宅からここまで軽トラで山道を20分以上かかります。
 田んぼの被害状況をお尋ねして驚きました。1枚は国の復旧事業に委ねられていますが、2枚の田んぼはご自分で杭を打ち、畦をバックフォーで固め、さらに少し水を入れた後、畦塗りをして修復されたというのです。80歳ですよ。本当に驚きです。ご自身は「やっぱり80歳になると力仕事がきつい」と仰っていましたが。
 田んぼの上、山にいちばん近いところには元は田んぼであったところを鯉の池にされています。


 ここも地震で畦がぬけたそうで、森林組合からかなりの本数の杭用の木を購入して、自分で直したとのことです。右写真の池端に見える杭がそれです。
 池の鯉は「金魚すくいで手に入れたものを育てたんだ」とのことです。
 

関口さんが餌をまくと、鯉たちが姿を見せました。