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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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青倉の田んぼ:四つ廻り(4/4レポートの参考資料)

 青倉には大きく分けて5つの田んぼゾーンがあります。田原(集落の里地)、西山田(お馴染みのところで、ここでは城ヶ館(じょうごだて)を含めます)、北坂ノ上(スキー場近辺)、今泉(元は独立の集落、1970年代に人は青倉に移転)、そして四ッ廻りです。その四ッ廻りをご紹介します。


 上はスキー場から撮ったものですが、家並みが見えるのが青倉集落です。(写真イ)写真中央に見える川が千曲川。写真ではその右側に尾根が突き出ている部分がありますが、その先端部分が四ッ廻りです。


こちらは志久見街道の眺望地点から撮影したもので(京都精華大学・甲斐聖子さん5月2日撮影)、千曲川の上方に青倉集落が小さく見えます。(写真ロ)そして、写真の千曲川左手に写っている部分(写真の左半分の大半)が四ッ廻りです。

 上の写真の上方には関田山脈が見えますが、青倉の辺りだけ関田山脈から尾根が突き出してきています。西山田もその尾根上にあります。この尾根はいまでも少しずつ関田山脈から押し出してきているそうで、「抜け間」という地名があると聞いています。そして、その「抜け間」が訛ったのでしょうか、四ッ廻りの付け根あたりの位置に「のけま」という屋号のお家があります。

地名の由来
 「四ッ廻り」という地名の由来ですが、(上の左写真では写っていないのですが)西から流れてきた千曲川が、この尾根の突き出しのために、いったん南に下り、少しまた東方向に流れた後、今度は北にむかって流れ、青倉集落のところで再び東方向に流れます。千曲川が計4ヶ所で曲がる(廻る)わけですね。そこで「四ッ廻り」という地名が生まれたものと思われます。

千曲川の縁まで田んぼを作った

 左の写真は志久見街道から千曲川の対岸を撮影したものです(写真ハ)。前頁の写真ロで千曲川が白くしぶいている箇所がありますが、その辺りをクローズアップして撮りました。よく見ると、対岸に少し平らな部分(木が生えていない)があります。ここは以前、田んぼだったところです。

 野々海池で築堤工事がされ、野々海の水が青倉にも来るようになる(昭和24〜29年)まで、西山田には水があまりなく、田んぼは数えるほどの枚数しかありませんでした。そこで、青倉の人たちは横倉沢川という川から水を引く四ッ廻りに可能な限り多くの田んぼを作ったのです。当時は汲み上げポンプなどない時代ですので、こんなに千曲川のすぐ傍にあっても、水は千曲川から取ったのではありません。

 川に近いところは砂地があって、四ッ廻りの耕土は非常にいいそうです。ただし、水持ちはよくなく、耕作には苦労するようです。

こんな所にもまだ田んぼがあるの!!

四ッ廻りには、青倉から旧国道を長野方向に走り、(写真ニ)


隣の横倉集落との中間点、横倉沢川に架かる橋を越えた所で左に入ります。(写真ホ)


木の葉が茂っていない時期ですと、右手には千曲川と小滝の田んぼが見えます。(写真ヘ)


左手は横倉沢川沿いに田んぼがあります。(写真ト)


しばらく行くと、四つ廻りの田んぼがつぎつぎと見えてきて、それを左手に見ながらどんどん進んで行きます。(写真チ)


かなり進んで、(写真リ)


行き止まりになります。(写真ヌ)

 私が初めて四ッ廻りを訪れたとき、田んぼはこれだけと思ったのですが、もう一段下、千曲川に近い所に田んぼがあると聞いてびっくり。


なるほど、先ほどの道から左の方に分かれた道がさらに分かれて下の方に向かっている。(写真ル)


そこを進むと、また田んぼがたくさんあるのです。(写真ヲ)
ここは「行き止まり(写真ヌ)」の左側に見える杉林の下になります。
 

 「行き止まり(写真ヌ)」の田んぼと写真ル・ヲの田んぼの間(杉林が見える所)には上の写真に見えるほどの段差があります。(写真ワ)


 そして、写真ヲのすぐ左手を見ると、上の写真のように、すぐ傍に千曲川が流れているのです。(写真カ)

 千曲川の河原といってもいいような場所(最初の写真イ)の田んぼはさすがに今では放棄されていますが、今でも「こんな所に田んぼが!」と驚くような所まで耕作が続けられているのです。

 四ッ廻りは、西山田の棚田とはまた別の意味で、青倉の人たちの米作りへの思い入れの深さとでもいうべきものに心打たれる場所です。(お米のふるさと便り第20号より)

「栄村復興支援アピール」 署名フォーム

  • -
  • 2011.04.03 Sunday

栄村復興支援アピール署名

※氏名(匿名希望の方はイニシャル)と都道府県・職種のみを公表いたします。


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男性女性


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※匿名希望の方はイニシャルで
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4月2日レポートの後記

  • -
  • 2011.04.02 Saturday
 今日は天気予報の雪こそ降りませんでしたが、寒い1日でした。明日はいい天気のようです。
 フジTVの報道、ユーチューブで見ることができました。結構いい内容だったと思います。他の局もいい意味で追随してほしいものです。それから、壊れた家を前にして絶望感のようなものを吐露する人の声・姿はマスコミ的には「絵になる」のでしょうが、復興にむけて手掛かりとなるような内容の報道をもっと前面に出していってほしいと思います。

 今夜は11時前に書き終わりましたが、かなりきついですね。レポートが途切れるのは残念なのですが、明日はお休みにしたいと思っています。ちょっと体力的限界を感じています。ご理解いただきますよう、お願いいたします。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

仮設住宅について

地震から3週間、なぜ、未だ仮設住宅の見通しが立たないのか?
 地震からすでに3週間経ったにもかかわらず、仮設住宅がいったい何戸分建てられるのかも、あきらかにならない。住民からの「仮設住宅入居希望」の調査は3月17日から行われました。それからもう半月が経過しているというのに、どうしてなのでしょうか。

 「村役場がしっかりしていないのか?」と役場への不信感を強めもしました。役場職員が「全壊でないと、仮設には入れない」と話すのも聞きました。そして、今日、仮設住宅などの集落の要望をまとめて、村長に申し入れた、ある集落の区長さんが次のように言うのを聞いて、事態の核心が見えてきたように思います。

「要望を出した後、県の相談員から『仮設は全壊でないと入れない』と言われた。だから、あの要望通りにはいかないようだ。」

 県も少なくとも現場レベルでは、「仮設に入れるのは全壊のみ」という見解に頑(かたく)なに固執しているようです。

 しかし、「全壊か半壊か」というようなことは、素人が見た目で判断する性質のもの、あるいは感覚的なものではありません。それは、「罹災証明書」の発行の前提となる被害状況調査をまって判定されるものです。今回の栄村の場合では、4月4日に始まる調査をまってはじめてあきらかになるものです。

 この考え方でいくと、被害状況調査の結果をまたなければ、仮設住宅の必要戸数もあきらかにならないということになってしまいます。下手をすると、4月も中旬にならないと、仮設住宅の見通しすら明確にはならないということになりかねません。

 そんな悠長なことが許される状況ではありません。
 そこで、仮設住宅の入居基準はどうあるべきかを考えてみたいと思います。

仮設住宅の入居基準はどうあるべきか

 私の手元に、「被災者生活再建の手引き(住宅の確保に向けて)」というパンフレットがあります。中越地震の際に新潟県の災害対策本部が発行したものです。その中にある「問11 仮設住宅に入るには、どのような条件が必要でしょうか」という項目があります。その問に対する答えを紹介します。

 住宅が全壊するなどの被害を受けられた方、道路が通行止め、がけ崩れなどの危険により住宅に住めない方が対象になります。
 補修すれば住むことができるような場合は対象になりません。個別の判断は市町村が行います。(下線は引用者)

 じつによく考え抜かれ、工夫がされた文章だと思います。
 この規定からすれば、「全壊に限る」という制限は出てきません。種々の条件で「住宅に住めない方」は仮設入居の対象となります。栄村では、雪が消えないと地盤の状況が把握できず、住み続けられるかどうか判断ができないというケースがかなりあります。こういう人も当然、仮設入居の対象者となるでしょう。

 そして、最後に最重要なのが、「個別の判断は市町村が行います」という箇所です。「個別の判断」ということは、何かの基準で一律に杓子定規に決めるのではなく、現場をよく知るものが実情に即して柔軟に判断すべし、ということです。

 この新潟県が2004年の中越地震の時に出した指針を参考にして考えれば、先に紹介したある集落の区長さんが住民の希望をとりまとめて出された要望書の内容を大枠で受け入れることが可能になるはずです。

 私は、住民の要望を尊重すれば、県は適切な決断をしてくれるものと確信しています。村にはそういう考えで一刻も早く村としての仮設住宅方針を確定してほしいと思います。
 
仮設と小規模集合住宅の兼ね合いについて
 仮設住宅の要望と共に、自宅の自力再建が困難な高齢者等から集落内での公営の小規模集合住宅を建設する要望が出ています。

 今日、ある人から、「集合住宅を希望されるのであれば、まず仮設を建て、その次に集合住宅を建てる。そして集合住宅ができたら、仮設を壊すというのでは、お金の無駄遣いになるのではないか。それだったら、最初から集合住宅を建てたらどうか」という意見をいただきました。

 そして、ある集落の人にこの話をしたら、「そうだ。仮設と集合住宅の両方というのでは、用地確保も大変だ」と言われ、さらに驚いたことに、「集合住宅ができる見通しがたっていれば、できるまで避難所で頑張ることすら不可能ではない」と言われるのです。

 その人の集落は小規模な集落で、みなさんの要望はすでにかなりはっきりしています。小規模集合住宅入居希望は3〜4世帯。用地の候補地もすでに決まっています。「避難所でもOK」というのは少々極端でしょうが、いつまでに小規模集合住宅が建つという展望が明確であれば、しばらくの間は仮住まい状態でも頑張れることと思います。
 
 以上はあくまでも私が考えたことであって、すべてこのとおりにいくと思っているわけではありませんが、こういう考え方でやれば、《明日が見える》ようになると思います。

《明日が見通せない》不安

 12日未明の震度6強の地震。そこから数日間はただただ余震の揺れに怯えながら、避難所で時の経過を見守ることしかできませんでした。やがて、「一時帰宅」。変わり果てた我が家と対面し、そのあまりのひどさに息をのみ、悲嘆にくれる。しかし、「一時帰宅」、「半日帰宅」、「避難指示解除」と進むにつれて、気力をふりしぼり、家の片付けに取り組む。24日からは震災ごみの搬出が始まり、次第に家に帰れる者、ひとまずは家に帰れてもかなりの規模の修復工事を要する者、そして家に帰ることすらできない者に分かれてくる。

 家に帰ることすらできない者、かなり大がかりな修復工事を要する者にとって、「仮設住宅に入れるのか?」、「被害度の認定は全壊になるのか、半壊になるのか」、「半壊の認定しかもらえない場合、自宅の修復の費用を賄えないのではないか」等々、つぎつぎと不安がよぎってくる。

 それに対して、被害度の調査・判定が始まるのは4月4日から。しかも、すがる思いで期待していた仮設住宅について、いつ建つのか、そして、いつ入れるのかもあきらかにならない中で、「全壊でないと仮設には入れない」という話が耳に入ってくる。

 いま、自宅がかなりの被害を受けた被災者は、《明日が見通せない》という極度に不安な状態に置かれています。復興へ、どんなに厳しい道のりであろうとも、《明日が見える》のであれば、頑張りようもあります。しかし、仮設住宅がどうなるのかも分からないのでは、不安、苛立ちが高まるばかりで、生きる気力すら奪われかねません。地震から3週間、いま、そういう局面にきていると思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

改めて被害の大変さを思い知りました

  私自身の手で被害の実態と被災者の仮設住宅入居の希望等を逐一把握する必要が生じ、電話等で聞き取り調査をする一方、午前中、最も被害が激しい集落の1つ、青倉集落を歩いてまわりました。とくにこの間、足をむけることができていなかった川手地区(第1常会)の最も端の地域をまわり、その被害の大変さを改めて思い知りました。
 まず、2軒の家の写真をご覧ください。




 私の知人Kさんのご両親の家(上)とKさんご自身の家(下)です。ご両親の家はあきらかに傾いています。Kさんのお宅はこの写真でみるかぎり、そんなに大した被害があるようには見えません。2つの家は近接しています。


 ご両親の家を正面から見ると、倒壊してしまわなかったのが不思議なくらいの感じです。

    
 そして、もっと驚いたのが、上写真のこのお宅の前の地面の様子です。上右の写真で右側に斜面に雪があるのが見えますが、その手前から下を見たのが次の写真です。


 赤いのは国道117号線の北沢橋という橋です。その下は千曲川に注ぎ込む北沢川という川。川自体はさほどの水量はない川なのですが、Kさんのご両親の家の手前からいっきにかなり大きな崖になっています。いまは雪に覆われているので、その様子があまりはっきり見えないのですが、この崖がおそらく大きく崩れているものと思われます。
 これと合わせて、先ほどの写真ではあまり被害がないように見えたKさんの家の前を見てみたいと思います。
  

 上写真はKさん宅の前の地面の地割れです。そして、左写真の雪の山状に見えている部分をクローズアップしたものが下写真です。この雪の山は地震で雪崩てきたもので、これが融けたときの様子を想像してください。地盤が川の底にむかって押されていることは明白で、とても危険な状態にあることがわかります。


 この2軒のお家はもう住めないというばかりでなく、この場所に住宅を再建することも難しいでしょう。ご本人もそのように考えておられ、集落の仲間で相談して代替地を探そうという話になっているようです。

 青倉のこのあたりは、そもそも、後方の関田山脈から千曲川にむかって、いまだに地盤の移動が続いていると言われています。
 復興にむけて個人の力には余る被害の深刻さが浮かび上がってきます。
《明日が見える》ようにするために、いま、何が必要か

 さて、今日はこのことについて考えてみたいと思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

「栄村は東日本大震災に含まれるのか?」について

  昨日、標記のような疑問を出しましたところ、早速、確かな筋から情報を寄せていただきました。
 栄村は、概念上、「東日本大震災」には含まれないとのことです。ただし、栄村に対しても激甚災害指定を受けていますので、財政措置等について、東日本大震災被災地と同じ扱いを受けているとのことです。
 そのうえで、政府がいま検討しているとされる「復興支援法」の対象地域に栄村が含まれるようにするには政府への強力な働きかけが必要とのことです。
 
 いまのところ、「東日本大震災」に栄村が含まれないとされることによる直接の不利益はないようですが、しかし、“なぜ?”という気持ちは依然として残ります。地震の発生構造等による区別があるのかもしれませんが、震度6強というのは凄まじい大地震です。同じ時期に、非常に近い地域で起きた地震について、特定の被災地に不利益をもたらしかねない区別を持ち込むことに、被災当事者として納得はできません。

 どなたか、菅総理大臣にメールを直接送れる方はおられませんか? 彼は年金未納問題で党代表を辞任し、頭を丸めたとき、「田直し」等の実践的住民自治を学びに栄村を訪れたことがあります。彼が「長野県栄村」と聞いて、ピンと来ないはずがありません。「口利き」を求めるわけではありませんが、彼の耳に直接、「栄村大地震」をインプットしてほしいと願います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

4月2日 栄村の状況レポート はじめに

  • -
  • 2011.04.02 Saturday
 早いもので地震から3週間が経過しました。震災という状況が徐々に〈日常〉と化してきています。今日でも、震災後初めて栄村を訪れられた方は「なんとも凄まじい惨状だ」と言ってくださいます。ところが、私にとっては、亀裂の入った道路、倒いた家屋等々が「見慣れた」風景になってしまっているのですから、我ながら驚きです。しかも、遠くに目をやれば、雪を冠った山々の美しい山並みが目に入り、震災という事実が嘘のようです。

 しかし、震災という現実は厳然としてあります。そして、家はどうすればよいのか、《明日の見通し》が依然として見えない不安な日々が続いています。

 それも、もうそろそろ限界です。今日は、《明日の見通し》が見えるようにするには、いま、何が必要なのかを考えてみたいと思っています。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

4月1日レポートの後記

  • -
  • 2011.04.02 Saturday
 今日は写真なしですが、お伝えしたいことがまだまだありました。「結いのしょ」として活動された方々からのメール、津南新聞という地元紙のこと、私のレポートの電子書籍化のこと、などなどです。また機会を見てご報告したいと思います。

 いま、11時過ぎです。この分量で2時間強、いつもよりペースが遅いように思われるかもしれませんが、途中で30分間、雑誌の電話取材がありました。メディアについて色々と思うところもありますが、いまはまず報道していただくことが大事、という考えでやっています。

 ところで、今日は午前中、隣の隣の十日町市まで車を走らせ、整骨院に行ってきました。私はもともと腕がマヒ症状を呈するとか、五十肩、さらに脊椎に問題があって腰痛持ちだということで、その整骨院によく通っていました。私が栄村だということはご存じなので、どんなふうに迎えられるかと思っていたら、受付のときにいきなり、「やあ、松尾さん。『結い』に登録しましたよ」と声がかかりました。なんともうれしいことです。電気治療やマッサージをしていただき、背中のはりが少し楽になりました。

 いい意味で少しずつ〈日常性〉を取り戻さなくてはならないと思います。次の課題は洗濯の時間を確保することです。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事

避難所をめぐって

 31日夜を避難所で過ごされた人は約280名だったそうです。
 徐々に減ってはいますが、しかし、多いといえば多いです。

 これには色んな要因があります。たとえば、村の中心部・森集落の場合は、農集耕という下水道システムの損傷の回復に時間がかかっていることが一番の原因です。家ではトイレが使えず、炊事もできないので、3食とも避難所、寝るのは避難所とならざるをえません。それ以外の集落では、やはり帰れる家がないという要因が一番大きいようです。

 何回か紹介した小滝集落の場合は、避難所生活は今日で「終わり」とされました。1世帯だけ残られましたが、この方は仮設住宅に入れるまで避難所生活を続けることを決意されています。他の人は自宅に戻られるか、「仮設住宅ができるまで村外で仮住まい」かです。

 その一方で、今日、別の集落の話を聞くことができました。このN集落の場合、「自宅の建物に不安があって戻れない」というケースと、「家は大丈夫だが、一人で夜を過ごすのは怖い」というケースがあるそうです。

 前者は仮設住宅の開設が一刻も早く求められるということに尽きます。
 後者は、震災ということで一気に表面化したのですが、高齢者の居住福祉に関わる問題でもあると思います。昨年、小滝集落で集落点検会を行った際に、「一人でいるのが寂しくなったとき、みんなと一緒に寝られる共同の家のようなものがつくれないか」というご意見が出ました。そこでは「寂しさ」と表現されたと記憶していますが、それは高齢ゆえの「不安感」ともいえるものではないかと思います。

 いま、「一人で夜を過ごすのは怖い」というのは、「地震がもう一度来たとき、大丈夫か」ということですが、それは単に建物がもつかどうかということではなく、「一人でいることの怖さ」、「一人で対処できるか」という不安です。

 高齢者福祉のあり方として、施設か在宅か、あるいは施設として従来型かグループホーム型かということがよく問題になりますが、それだけではない問題があるといえるでしょう。不安などに襲われたときに一時的に駆け込むことができる空間の確保ということです。
 震災は、じつは平時にも問われているそういう問題を待ったなしの形で突きつけるのだと思います。

―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール記事