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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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大島中学校の全校生徒が野々海に遠足

 

 上写真は、旧大島村(現・上越市)の大島中学校の生徒が信越トレイルから深坂峠に姿を現した瞬間を撮影したものです。
 9月30日午前、気持ちいい秋晴れで、私は野々海の様子を見に出かけ、キャンプ場と深坂峠の間で中学生の集団と出会いました。全校生徒25名の遠足だということで、3つくらいのグループに分かれて、順次、姿を見せました。その後、キャンプ場で昼食弁当。先生が車で先に来られ、トン汁を用意して待っておられました。

 


 大島中学校の校歌には「野々海」が出てくるそうです。そういう縁で、3年に1回、全校で野々海に遠足に来られるとのこと。学校は「ほくほく線」大島駅の近くにありますから、かなり長距離の歩きです。往路は野々海峠から深坂峠の間2km、信越トレイルを歩いて来られました。
 大島村には、野々海池の築堤にあたって、栄村(当時は水内村)が大変お世話になりました。野々海で作業に従事する人たちが食べるお米は大島村から運ばれたものが多く、人足の面でも大島村の人たちにずいぶんお世話になりました。そして、大島村の人たちの協力を得るために奔走されたのが殉職された高橋統祥さん(青倉)でした。
 そういうご縁がある大島村の中学生たちと野々海で出会えたことはとても嬉しいことでした。


コウメバチソウ、そしてオニヤンマ

 

 9月1日に野々海池に行ったとき、こんな花に出会いました。
 咲いている場所は限られ、野々海池に下る坂道の水番小屋横の曲がり角から堤手前の橋までの間の土手で見られます。
 じつは、8月に入ってからだったと思いますが、野々海池を訪れるたびに気になる「花」がありました。下の写真のものです。何回か見たものは下写真の左側に見えるように茎の先端に白い球がついているもの。ひょっとすると7月後半から見ていたのかもしれません。8月23日に至って初めて、写真右側のように5枚の萼片が開いている様子を見ました。その時は、「この花は、これで開花状態なのかなあ」と思いました。そう思ってしまうほど、白い球の状態を長期にわたって見ていたのです。

 

 

 さて、9月1日に初めて見た花をクローズアップでご覧ください。

 


 とても気に入り、是非、ブログで紹介したいと思ったのですが、名前がわかりません。図鑑をしらべても、ヒットするものがありません。「困った時は知恵ある人を頼るのが一番」を考え、京都時代の友人お二人にメールで尋ねてみました。1〜2時間でお二人それぞれから回答のメールをいただきました。
 そのご教示をもとにさらにWebでの調べも行い、現時点では「コウメバチソウ」ではないかと考えています。

 「コウメバチソウ」と「ウメバチソウ」の二種があります。一見したところではまったく同じに見えるのですが、Webで拝見したものによると、仮雄しべがどれだけ裂しているかで見分けられるそうです。コウメバチソウは9〜11裂、ウメバチソウは11裂以上〜22裂とのこと。上に示した写真で見ると、9裂のように見えることから「コウメバチソウ」と判断した次第です。
 詳しい方、この判断に間違いがあれば、ご指摘・ご教示ください。

 

 この花、面白いところがあります。
 葉っぱは地面に近いところにあって、その葉の中を貫通するような形で茎が伸びているのです。下の写真をご覧ください。

 

 

 「コウメバチソウ」の学名はParnassia palustris var. tenuisで、Parnassiaはパルナス(聖なる山)、palustrisは沼地に生えると言う意味だそうです。なんか、野々海に咲く花にぴったりの名前だと思います。

 


 さて、野々海池で「コウメバチソウ」を見る前、野々海の三叉路でとても興味深いものを見ました。オニヤンマの交尾です。三叉路の舗装道路上でのものです。

 


 Webで調べると、オニヤンマを追跡し、交尾の様子を動画で記録している人もおられますが、よほど時間をかけないと、そういう撮影はできないと思われます。私は偶々、2匹のオニヤンマが連なっているのを目撃し、連写しながら徐々に近づき、上のような交尾状態がはっきり確認できる写真を撮れたという次第です。
 オニヤンマの雄は、雌を探すいわばパトロールをして、発見次第、雄は尻の先端にある尾部付属器を用いて雌の首を掴み(「連接」と言うそうです)、しかる後に交尾に至るとのこと。
 交尾をひたすら追いかけるという趣味は私にはありませんが、とても珍しい1枚だと思い、ご紹介する次第です。

 


猛暑の日、野々海に秋を見つけた

 

 今日16日は、昨日の雨模様の天候から一転、朝から猛烈に暑い。
 午前11時すぎ、配達を中断し、涼しさを求めて、スキー場から野々海にむかった。
 山に入って、車の窓を全開にすると、暑さは感じず、爽やかになった。

 山を抜けて、野々海の三叉路に着くと、期待通りの景色が目に飛び込んできた。
 三叉路の小さな池の際の湿地の低草はもう色づいている。今年もやはり、ここが真っ先に紅葉にむかう。
 池の手前に見える花期を過ぎたサワヒヨドリも素敵だ。

 

 

 


 続いて、野々海池にむかった。

 


 1週間前に訪れたときよりも、かなり水が減っている。
 そして、対岸の樹々には色づきが感じられる。

 

 

 

 

 東窓。
 むこうに見える林はまだ夏の色合いだが、湿地は秋の色をつけ始めている。

 

 

 

 午後1時すぎ、平滝に下るとき、鳥甲山の上空に秋の雲、うろこ雲が広がった。


ネジバナを見つける

 

 28日午後、野々海池に行った。16日以来、12日ぶりのことだ。
 青倉から山に上がる直前、空模様があやしくなった。野々海もあいにく小雨模様で、「爽やか」という感じではなかったが、後に平滝に下るにつれて、すごい蒸し暑さ。それと較べると、野々海はやはり涼しかった。
 そんな中、野々海池の堤でネジバナに出会った。たしか昨年も2〜3本見た。
 ところが、今日は堤の奥から出口に進むにつれて、何本も目に入る。「いったい、何本くらい咲いているのだろう?」。もう一度、野々海大明神のところまで戻って、1本、1本、確認し、かなりの枚数の写真を撮りながら進んだ。
 驚いたことに、堤の上だけで少なくとも72本を確認できた。水番小屋上の土手も含めると、80本を越えた。
 上の写真には少なくとも9本は写っているのだが、わかるだろうか。

 

 

 

 撮ったなかで花序が最もきれいにねじれているもの。

 

 

 

 こちらは見たなかで最も長かったもの。これはねじれていない。

 

 「ねじれた花序」がネジバナという和名の由来だが、ねじれないものもあり、また、ねじれには右巻きと左巻きの両方があるという。
 私がネジバナを初めてみたのは10年ほど前、青倉・城ヶ館の田んぼの畦道だった。そこでは、最近は見られない。野々海池の堤で増えているのだとしたら、嬉しいことだ。

 

 

 

 野々海池の水はかなり減っていた。でも、田んぼが水を必要とする9月上旬まで充分にもつ水位だ。

 

 

 

 こちらは野々海にむかってスキー場の中を上る途中の1枚。毎年、オミナエシ(女郎花)が見られるところ。2週間ほど前はまだ開花していなかったが、今日はもうしっかり黄色い花を見せている。そして、手前にはもう穂をつけたススキ。

 


野々海高原はまるで初秋のような感じ

 

 野々海池の裏側、野々海峠に通じる林道(下写真)を走ると、随所で山ブドウの蔓の葉が色づいているのが目に入る。
大気はじつに涼しく、爽やか。

 


 野々海高原に上る前、下界は午前8時半頃から空気がムッと暑くなり、9時には27℃に達した。しかし、平滝から野々海にむかい、標高700mを過ぎる頃から空気が変わった。

 

 

 何の木なのだろうか。クローズアップしてみよう。

 


 この木は、目に入るものすべて、このように葉の半分近くが色づいている。昨年までは気づかなかったものだ。

 

 

 ナナカマドの葉は真っ赤に色づいているものがある。

 


 ナナカマドの葉は例年、けっこう早く赤くなるものが見られるが、それにしてもやや早いように感じるが…。

 

 

 

 予報は一日を通して「曇り」だったが、青空も見られた。上写真は午前9時45分、野々海の三叉路での撮影。
 野々海峠、深坂峠に行ったが、新潟県側は霧で真っ白。なにも見えない。

 


 深坂峠では霧の中で中年のご夫婦がお弁当をひろげていた。素敵な雰囲気だった。
約2ヶ月前に可憐な花を咲かせていたイワカガミの葉は赤くなっている。

 

 

 いたるところでアキアカネに出会う。
 飛んでいる姿を撮るのは難しいので、とまっているところを1枚。

 

 

 

 

 野々海池大明神の横で、久々にチョウの群れに出会った。
 チョウがとまる花はネコノメソウ(ユキノシタ科)。
 大明神の左手のエゾアジサイも素敵だった。

 

 

 野々海池は少し水が減ったものの、「満々と水を湛える」と言ってもいいほどに、まだまだ水はたっぷり。

 

 

 

 

 野々海三叉路の小さな池の周りも少し色が変わってきている感じ。

 

 

 帰りはスキー場〜青倉に下る山道を選んだ。

 

 

 山を下るにつれて、気温が少しずつ上がるように感じられたが、ブナ林の中は気持ちがいい。

 そんななかで出会うヒヨドリバナの類。今年見たものの中で淡紅紫色が最も鮮やかだった。

 

 

 

 

 ヤブデマリと思われるが、ガマズミ属の樹の実は、かなり山を下っても、もう赤くなっている。
 この赤い実が高原の景色を7月初めとは異なるものしている。

 

 

 

 スキー場の最頂部近くで津南町の河岸段丘を撮影してみた。いままでになく鮮明。
 写真手前は栄村森集落で、村役場の建物が見える。

 

 さらに望遠を効かせたものの一部を切り取り、拡大すると、中子の池、「農家民宿ひがし」さんが見える。

 

 

 

 今日の最後は、スキー場内の道路脇で今年初見のヤマユリ。

 

 


栄村復興への歩みNo.289

野々海祭り、とても賑やかで最高でした!

 

 

 7月1日、恒例の野々海大明神祭が盛大に催されました。写真は神事の後、キャンプ場でのキノコ汁の振る舞いに集まった人たち。
とてもたくさんの人たちが集まりました。お天気に恵まれたことも一要因ながら(昨年は雨でした)、「懐かしい野々海を訪れたい」と思う村外居住の人たちが多く来られたことも大きな要因のようです。関係者の中からは、「バスをもう2台くらい増やしてほしいな」という村(役場)への声も上がっていました。
 今年は水不足が心配されましたが、野々海池はまだまだたっぷりと水を湛えていて(下写真参照、7月8日撮影)、大丈夫です。人力のみでの築堤工事を完遂し、水内の田んぼに水を送れるようにした先人の業績の大きさを改めて思い知らされます。

 

 

築堤工事の頃の写真をご覧ください

 

 

 非常に貴重な写真です。写真の裏には「29.8 築堤工事」と記されています。
 森集落の隣・羽倉(津南町)にお住まいの久保田晋介さん(白鳥集落出身、旧姓・月岡さん)からお借りした写真からスキャナー(写真をデジタル画像データに変換する装置)でデータをとりました。
 写真は築堤中の堤の上から堤に下りる坂の方を望んだものです。写真中央に牛がローラーを牽いている姿が写っています。人も20人ほどの姿が確認できて、牛の右手では数人の人がいわゆる「たこつき」(蛸胴突き)をしている様子も窺(うかが)えます。『水内開拓史』によれば、築堤工事は昭和24年8月31日に現場で地鎮祭が行われ、4年の歳月を経て、昭和29年9月28日に「野々海築堤完成祝」(於:北信中学校)が行われています。写真は完成を間近に控えた時期の仕上げ作業の様子なのですね。もう一枚ご覧ください。

 


 余水吐から流れ出た水を流す放水路を掘削している様子です。写真の裏には「余水吐 掘さく 昭和二十九年度工事 同三十年度完成予定」とあります。写真に見える橋は、現在も水番小屋の横手から堤に向かう途中にある橋のあたりに架けられた仮橋です。
 こういう築堤工事の様子をかなり鮮明に確認できる写真は『水内開拓史』でも見られません。他にも、水路建設の様子、野々海大明神を祀る巨石の運搬作業の様子など貴重な写真データを22枚確保させていただきました。野々海開拓事業に携わられたと思われる方たちにお見せし、他にも写真がないか、調べてみたいと思っています。
 野々海開拓の記録や記憶をお持ちの方、松尾(080−2029−0236)にご連絡ください。

 

野々海開拓事業を今日に受け継ぎ、水路改良工事に取りくむ平滝と横倉の人たち

 

 

 上の写真は7月8日撮影。
 場所は、『水内開拓史』に「平滝釼ノ木(けんのき)地籍から横倉上とや地籍隧道出口までの間が最も難所であった。山の峯をとおしたため勾配が一定にならず、中間に埋盛土のヵ所があり、火山灰土質であるので崩壊の危険に対して注意を払わなければならなかった」と記されているところだと思います。
 横倉への水路を日々管理されている上倉直人さんのお話では、「狭い峯のところが崩れ、その後、サイフォンにしてつくり直した」そうです。そのため、この箇所は歩いてしか通れません。そこで、今回、サイフォンを撤去し、上の写真に見られる黒パイプを入れ直し、この「谷」を埋めて、車も通れる水路管理道路をつくろうというのです。下写真のように重機で山を切り、その土を「谷」に投入しています。

 


 費用は、いわゆる「農地・水・環境」のお金で約300万円くらいだそうです。この改良工事には野々海開拓の精神が脈々と受け継がれています。栄村の村づくりはこうして一日も休むことなく、日々新たな努力が積み重ねられ、進められているんですね。

 


今日は野々海祭り

 今日7月1日は毎年、野々海大明神祭りの日。
 昨年は雨降りしきる中でのお祭りだったが、今年は好天。野々海池がきれいでした。

 

 

 私は今年は「公務」としての参加でしたので、神事の間の写真は撮っていない。お祭りに参集してくる人びとの様子と大明神の姿を紹介する。

 

 


 この大明神は大きな岩だが、現在の堤の下の川から運び上げられたもの。野々海開拓の事業すべてが完了した1970年頃のことで、人力のみで引き上げられたそうだ。

 

 

 大明神祭の後はタケノコ汁が振る舞われるのが恒例。以前は堤の上で行われていたが、最近はキャンプ場にて。タケノコ汁などを用意する今年の当番地区は森集落。

 

タケノコ汁の大釜と森の人たち

 

伝統食などを販売する平滝のかあちゃんたち

 

野外のテントでタケノコ汁を待つ人たち

 

 

来賓用の屋内会場での乾杯と音頭をとられた東京栄村会長の上辻(かみつじ)旦泰(あきやす)氏。

 

 

水不足の今年、野々海池にはまだまだたくさんの水があるが、「少し減ったな」という感はあった。

 

 

 

 帰路でのことだが、野々海三叉路のモリアオガエルの卵、まだ枝上にもあったが、かなりが池に落下し、バラバラになってきていた。ふと気づくと、先日までは聞こえなかった独特の鳴き声が耳に入ってきた。

 

 

 写真を見ると、水中の草の根がはっきり見える。水の透明度は高いのだ。

 この池の風景は次の写真。

 

 

 

 今日は往復とも、スキー場〜貝立山裏の山道コースを選んだ。
 青倉集落の貝立水路のかけ口入口を越えたあたりから、今日はトンボ・ラッシュ。トンボの群れをかき分けながら走る感じだ。連写でその様子を撮れたものを1枚。

 

 

 これは往路で撮ったもの。こういう写真をもう少し撮りたくて、復路も山道を選択したのだが、トンボの群れの撮影はうまくいかず。その代わりと言ってはなんだが、面白いことに初挑戦した。車を運転しながらの一眼レフでの片手撮影。レンズ窓を覗かずに、ただカメラをかざしてシャッターを切るだけなので、まともな写真が撮れているか、不安だったが、そこそこに面白いものが撮れていた。こんなことができるのは対向車も後続車もないからだが、理想は誰かに運転してもらって、助手席で撮ることだ。

 では、どんな道なのかを知っていただくために、撮影順にかなりの枚数を並べていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山道に入って1枚目の撮影は13:00。上の写真に見える山が貝立山。この撮影が13:11。間もなく、青倉集落の貝立用水かけ口入口を通過。そこからしばらくは車右手にずっとエゾアジサイが続く。まだ満開ではないが。

 

 

 

 

 

 

 


上は貝立山登山口付近。13:15。

 

 

スキー場最頂部に近づき、津南町の河岸段丘が視界に入ってきた。13:17。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後はスキー場内のブナ林。13:37。

 

 


野々海池は「自然に水がたまったもの」?!

 5月10日に野々海に行った時、野々海の三叉路で下の写真の看板が目に飛び込んできて、「何だろう?」と思いました。4日に行った時にはなかったものです。



 「野々海池のミズバショウ群落」というタイトルの苗場山麓ジオパークの看板でした。
 「野々海に1枚くらい案内板があって然るべき」と思っていましたので、看板が立てられたこと自体は結構なことなのですが、看板に書かれた文を読んでビックリです。



 この文を素直に読めば、「自然に水が溜まった」ということですよね。
 水内(みのち)の人たちが汗水たらし、高橋統祥さんの尊い犠牲のうえにはじめて可能になった戦後の野々海池の築堤−水内開拓のことがいっさい触れられていません。野々海にどんなに雪が積もろうとも、築堤がなければ、雪融け水を溜めることはできず、水内の田んぼを潤すことはできなかったのです。
 苗場山麓ジオパークは、その基本理念として、〈大地(ジオ)と生態(エコ)、そして雪国文化(カルチャー)の地域要素を“地域の宝物”と認識することからスタートする〉と謳っています。
 なのに、この野々海の看板の文はいったい何なのでしょう?
 村は苗場山麓ジオパークに相当のお金をつぎ込んでいますが、こんなデタラメを書くようでは困ります。即刻、改めてほしいと思います。

野々海で「新発見」
 3日午前、野々海池の水位の低下を写真撮影するために野々海に行き、そこで「ミズバショウを見たい」という趣旨で来られた首都圏のご夫婦と出会いました。今年は雪消えが早く、もう満足なミズバショウをご覧いただくことはできませんでしたが、深坂峠や野々海峠を含めて少し野々海周辺を案内させていただきました。


野々海峠への林道の脇には車中からも見えるところにたくさん咲いている


野々海池入口で撮影。葉の形・大きさからオオイワカガミと思われる。

 ご主人はかなり色んな山に登っておられるそうですが、その人が感心して言われました。

   「こんなにたくさんイワカガミが見られるところは珍しいですね!」

 私自身にとっても「新発見」です。野々海普請が行われた5月15日にいろんなところを歩き廻り、「野々海はミズバショウだけでなく、イワカガミの群生地なのではないか」と気づき始めていました。

 ここに掲載した写真では “群生”という様子はあまりわからないかもしれませんが、とにかく凄いことは事実です。
 また、今年はもう開花期が終わったミズバショウですが、その“群落”についても、「新発見」がありました。
 5月上・中旬、野々海の至るところにミズバショウを見ることができたのです。その多くは一般の人はガイドなしでは入らないほうがよいと思われるところですが、「野々海って本当にミズバショウの群落地なんだなあ」と思わせるに十分でした。


又右ヱ門堤(またえもんつつみ)の奥のミズバショウ群生地(5月15日撮影、開花初期)

 他方、「野々海でミズバショウを見たい」と思う人の多くが向かう先、「東窓」の湿原(キャンプ場の横手です)はミズバショウが極度に減っています。今年だけでなく、昨年もそうでした。今年、仔細に観察すると、他の湿地には見られる雪融け水の流れが「東窓」ではほとんど見られませんでした。素人考えですが、5年前の地震の影響で水の流れが変わったのかもしれません。

野々海の自然・歴史環境の調査・保全・活用で新しい仕事(雇用)の創造も可能
 野々海の多様な自然、そして築堤・用水の歴史、これらは栄村にしかない豊かな資源です。
 これをきちんと調査し、記録化したり、保全したりすることは重要な課題です。全国的な価値を有することはもちろんのこと、世界的な価値もあると言えるのではないかと思います。
 そこには、当然、調査、管理、活用のための仕事が生まれます。栄村にしかない仕事です。いいかえれば、新しい雇用が生まれます。「そんなに甘くない」と思う人はお隣・飯山の「森の家」の事例を少し勉強してみてください。「都会から企業の誘致を」という「ないものねだり」をするよりも、栄村の「あるもの探し」をするほうが栄村の未来を確実に保証するのだと言えます。そして、ジオパークについては、栄村の「あるもの探し」の重要な一環として、津南町まかせではなく、栄村自前の調査・研究を実施し、この記事の冒頭で紹介したような恥ずべき現実を変えていくことが必要だと思います。
(野々海について今春に調査した成果を、今後行う聞き取り調査の結果も含めて、近くまとめたいと考えています)
 

神への祈りから始まる野々海の水番



 柏手を打った後、深々と礼をするのは月岡英男さん。
 頭(こうべ)を下げる向こうには野々海大明神が祀られている。
 5月29日朝の水番の始まりである。時は8時20分すぎ。





 水番小屋を開けた英男さんは慣れた足取りで斜めの堤の上を歩き、鍵を開けて金網の中の斜樋に入る。右写真には階段状に並んだ開閉器が見える。
 1段目、2段目にはすでに水がない。英男さんが立っているところが3段目で、すでに開栓されているが、この3段目からの取水ではもう足らないようで、4段目の栓のチェーンを引っ張って開け始めた。



 4段目の栓は全開にするわけではない。鉄棒を差し込み、栓の開き具合を調整する。



 栓から写真右上方へ鉄棒が見える。

 これより先、英男さんは野々海池に入る前に、平滝・横倉方面と森・青倉方面の分水点に立ち寄り、水路を流れる水の量を点検した。





 これが分水器の内部。手前が森・青倉へ行く水。真ん中上に見えるコンクリートの色が変わっているあたりまで水の高さが必要だそうだ。ここの様子を見て、野々海池の斜樋の栓をさらに開けるかどうかを判断する。

 この後、野々海池に到着して、池の様子を見た瞬間、私は驚いた。
 向こう岸に土が見えている。これまでの私の経験では早くても7月中旬を過ぎないと見られない光景である。



 下は5月15日の野々海普請の日の様子。



 平年だと、この時期は余水吐から水が流れ出していて、野々海池の水位は変わらない。
 かなりの雨が降ってくれなければ、7月いっぱいもたせるのも厳しいのではないだろうか。災害をもたらすような大雨は困るが、かなり降ってくれないと困る。今年の7月1日の「野々海開き」のお祭りは「雨乞い」の儀式としての性格をもつことになるかもしれない。
 水番の作業を始める前の英男さんの拝礼の意味の重さを感じる。
 

野々海池の現在の様子



 4月22日午後4時すぎの野々海池の様子です。
 昨日、今日の2日間、野々海への道路の除雪が行われ、その様子を取材してきました。
 まずお断りしておきますが、このレポートは、「野々海への通行が解禁された」という趣旨で書いているものではありません。現在はまだ「通行止め」です。私は、あくまでも取材目的、第1に、今年の少雪で田んぼの水の心配をされている水内地区の人びとに野々海池の様子をお伝えすること、第2に、野々海の豊かな自然を観光に活かす方策について役場と協議するための資料の確保、の2点にあります。
 「もう野々海へ行けますよ」という趣旨ではないことをしっかりとご確認ください。




「通行止」の指示に従ってください



 21、22日に除雪が完了したのは三叉路まで。野々海池の堤への道の除雪は途中までです。
 池の様子は、最初の写真から窺えるように、雪に覆われているものの、平年の5月中旬頃の量。
 池の端や、毎年雪消えが早い東窓寄りのあたりには水が見えます。つぎの2枚の写真をご覧ください。



   三叉路から堤の方に100mほど進んだ地点から見たものですが、手前に水面が見えるところは、水番小屋から150〜200mほど三叉路方向の地点になると思います。




 こちらは、東窓方向にむかって池の幅が狭くなっているところです。もう雪が完全に融けて水面がポッカリ出ている箇所が認められます。
 明日23日以降、平地で気温が20℃以上になる日が増えるようです。そのため、池の雪はかなり早いスピードで消えるのではないかと思います。
 今春は、野々海の普請の日程が繰り上げられ、5月15日となりました。その頃にはもはや雪はなくなっていることになるだろうと思われます。
 
 
〈観光〉という面で気になるのは、ミズバショウを野々海で見られるようになるのはいつ頃かということです。
   その目安の一つとして、三叉路の湿地の様子を見てきました。
 
 
 
 
 
  ご覧のとおり、こちらも雪はかなり少なくなっています。2枚目写真の手前に見える木は毎年、モリアオガエルが産卵するあたりです。
  気温が高い日が続けば、素人考えですが、GW期間中にミズバショウが見られるようになるのではないかと思います(月岡のミズバショウなどの開花時期は当たりました)。
  多くの人に見てもらえるよう、役場と話し合いをしていきたいと思います。
  ただし、今春、他のミズバショウを見てきた経験からすると、例年ほどの綺麗なものは見られない可能性があります。少雪の影響だと思います。
 

  最後に、除雪の様子、道路の状況を紹介しておきます。
 
 
 三叉路〜キャンプ場間の道路で除雪作業を行なうブルドーザー
 
 
三叉路の少し手前の道路

 三叉路付近の積雪は1m強です。

 
 最後に念を押しますが、野々海行きは村が通行止めを解除してからにしてください。まだまだ、さまざまな危険があります。通行が可能になったら、またお知らせします。