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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌12月14日〜30日

14日(水) 朝から午後2時頃までずっと原稿書き。「議員活動報告」第9号。前日までに「前書き」的部分を書いてあったが、振興公社問題、切明温泉「源泉地買収」問題などの本題をいっきに書き上げた。
 今回の原稿には一つの苦心があった。全員協議会の非公開部分の扱いである。「非公開」とは言っても、法的に「守秘義務」が発生する「秘密会」ではない。だから、非公開会議の内容をそのまま書いても何の問題もないのだが、じつは「復興への歩み」11月9日付号外をめぐって、11月下旬にひと悶着あった。
 「松尾議員がネットにあげたものをめぐって『打ち合わせ』をしたい」という奇妙な「要請」を受けて、11月28日、私は議会事務局に赴いた。「号外」をめぐっては、この「要請」とほぼ時を同じくして、私の知人に村長から電話がきたとのことであった。そういうわけで、どういう事態が待っているのか、ある程度の予測をしていたが、事務局に行くと、議長だけでなく、副議長、議会運営委員会委員長もいて、事態は「予測」通りに進んだ。「松尾議員が言う通り、『秘密会』ではないが、あのように書くのは議員として問題がある」という趣旨のことが言われた。また、「同じようなことを繰り返すと、…」という話の中で、「懲罰」という言葉も飛び出てきた。また、「松尾議員はジャーナリストとしての立場が先に出て、議員としての意識が弱い」という趣旨の話も出た。
 私には到底受け入れられないもので、話は平行線のまま終わった形だった。そして、私が「振興公社の問題は重要なので、いろいろ調査・分析している。それも書くなということか」と問うと、「公社に断ってから」という返答。さらに、私が「それは新聞記者などが言うところの『裏どり』をしろという意味か」と問うと、「『裏どり』ではない。それはジャーナリストの発想法。そうではなく、記事について公社の了解を得てくださいということ」という返答。もう呆れかえって、何も言う気がしなかった。
 さらに、「会談」は終わったのかと思いきや、「松尾議員の一般質問通告の第3項目の3つ目は『11月8日の懇談会での森川村長の発言』云々と書いているので、その質問は取り消してください」という「注文」が飛び出してきた。私は、「振興公社の問題を質問から外すわけにはいかない」と主張し、その場で立ったまま、該当項目を「振興公社の現状について村長はどう捉えているか」という抽象的な表現に書き換え、12月定例会一般質問で振興公社問題を取り上げることができるようにした。
 今回の「議員活動報告」を書く上で、この一般質問が決定的な意味をもった。非公開の全協で出た公社赤字埋めのための村資金の投入額は「活動報告」に書かなかったが、森川村長は私の一般質問への答弁の中で、「3月まで営業を続けることができない」、すなわち経営破綻という核心問題を喋ったのである。
 「政治の寝技」のようなことは私にはできないが、正攻法で事の核心を衝いていくことはできる。村民のみなさんに報告しなければならないこと、伝えるべきことは、なんとか書けたのではないかと思う。
 ほとんど休憩もとらずに、6時間くらいぶっ通しでの執筆だったので、肉体的には疲れたが、心地よい疲れであった。
 夜は、訪ねた先で手作りのコロッケをご馳走になり、最高!

 

野田沢集落から望む関田山脈の山並みの美しさ(この頁に写真が1枚もないのも寂しいので13日の写真を1枚)

 

15日(木) 今日は雪が激しく降っていたのが、つぎには青空が出て太陽が燦々と降り注ぐ、かと思いきや、また雪が降る、という変な天気。そんな中、西部・中央、東部などで約60軒の配達。
 配達をしながら色んな写真を撮ったが、是非、紹介したいものが1枚。

 


 大久保集落で撮ったもの。
 玄関先のかなり広い場所の雪がきれいに片づけられている。一目見ただけでわかるが、ロータリーなどを使ったものではなく、スノーダンプ一丁でなされた仕事。見事という他ない。
 私の栄村暮らしも10度目の冬を迎えたが、最近はこういう光景を見ることが減ってきた。私にはこのような見事な仕事をする技も体力もないが、村の人でも若い人にはもうできないことなのではないだろうか。
 手前味噌になるが、この写真は “栄村の冬”を切りとった傑作ではないだろうか。

 

16日(金) 夜間は、早朝除雪を必要とするような降雪・積雪はなかったが、朝になってガンガン降り出した。
 しかし、今日は絶対に配達をしなければならない。
 午前、留守家だが、息子さん・娘さんが一定間隔で来られ、「復興への歩み」を熱心に読んで下さっているお家を訪ねた。11日の積雪以降は来られていないようで、玄関のポストへ、膝までスッポリ雪に入るところを進んだ。こういうのはまったく苦にならない。
 午後、いったん晴れたが、3時すぎから再び雪。2時すぎに家に戻り、4時に再び配達に出たところ、激しい降雪の中での午前の配達では感じなかった大気の冷たさ。配達は手袋ができないので、手が痛かった。温泉である人にそのことを話すと、「いっきに気温が下がったもの」という返答。昼間でも0℃だったから、4時以降は零下になったということだろうか。
 11日の大雪あたりからだろうか、足先がものすごく冷たくなる。昨年まではなかったこと。末梢の細い血管のめぐりが加齢で悪くなったのだろうか。昨冬、何十年ぶりかで足指の霜焼けになったが、その時、ある人から「お風呂の中で足の指先をマッサージするといい」と教えられた。今日、温泉で実践すると、たしかに足の指先が生き返った気がしてきた。
 今日の1枚は下のものにする。午前9時49分、白鳥集落での撮影。集落内道路にはまだ除雪車が入っていない状況の中で、狭い道に入っていく。

 

 

17日(土) 朝、森や東部で配達をした後、オープンセレモニーが行われるスキー場へ。
 今冬のオープンが17日と知った時は、誰しもが「雪のないオープンになるな」と思ったが、11日の大雪などが幸いして、「全面滑走可能」ではないが、ほとんどのコースで滑走できる状態でオープンを迎えることができた。
 私はいい絵を撮りたいと思っていたが、議員への案内状が来ていて、「公務」の一種の感じで、式典中は基本的に「隊列」の中に並ばざるをえなかった。式典中もかなり激しい降り。
 セレモニーは型通りに進んだ。挨拶は、村長、県議宮本氏、村議会議長、当間高原リゾートの代表者、信州プロレスのグレート無茶さん。あとの二人はこの日ならではの顔ぶれだが…。この後は、鏡割り、甘酒での乾杯。甘酒とイノシシ汁の振る舞い。振る舞いと並行して、デモンストレーション滑降が行われたが、さほどスポットライトが当てられたという感じではなかった。
 一言でいって、演出が下手だと思う。もう少し工夫できないか。「オープンセレモニー」という公式行事なので、型の踏襲が優先されるのだろうが、村の各種行事ではいつも「金太郎飴」のような顔ぶれでの挨拶が続く。たとえば、華やかなスキーウェアに身を包んだ子どもたちを主役にするとか、デモ滑降で滑り降りてきたスキーヤーがオープンセレモニーゲートにかけられたくす玉を割るとか、“絵になる”ことをいくらでも工夫することができる。“営業”はこのあたりから始まるのではないだろうか。
 セレモニーの後、場所を移して、知人と少し懇談。
 午後から天候は雨やみぞれに変わった。
 午後の配達はわずかだったが、森集落のいわゆる「谷」というところに行った。その時に撮った1枚が下のもの。この先を進むと、11月19日、SLをバッチリ撮影した地点がある。だが、ご覧のとおり、もうかなりの積雪。除雪されないところなので、SL撮影地点にはもう春まで行けない。あの写真は好評で、壁に掛けるための写真用プリントをして、お届けすることもしている。

 

 

18日(日) 朝早くから平滝、白鳥などで配達するとともに、快晴なので、各所できれいな雪景色を撮影。さらに、スキー場を訪れ、スキー客の様子を撮影。子どもたちの姿が目立ち、そこに焦点を当てての撮影が多くなった。
 午後は急きょ設定した「12月議会報告と懇談の会」。本当に急きょの設定で、せいぜい30人くらいにしか声をかけられなかったが、18名も集まって下さって、有意義な集まりになった。私が「議員活動報告」に書いたことをめぐって色々と質問が出されると同時に、「議会では〇〇のようなことには疑問や意見は出ないのですか?」という声が相次いだ。率直に言うと、私自身もわずか7ヶ月余の議員生活の中で慣れてしまったりして、問いかけすることを忘れてしまっているような、しかし、大事な事柄である。議会をめぐって、もっともっとみなさんと議論する機会を増やし、議員活動のあり方を常に刷新していかなければ、と強く思った。
 夕刻、もう一度、スキー場へ。午前中にスキースクールで練習を始めた4歳の子がどこまで上達したかを知りたかったが、時間が遅くて、スクールの関係者ももう帰っておられて、その点は取材できず。
 スキー場での子どもたちの様子を撮影し、ブログ記事を編集していて思ったが、スキーでの集客そのものについての宣伝の工夫が必要なのだと思う。一昨年だったか、「非圧雪」のコースを開設した時はTVで取り上げられ、評判になった。子ども用のスキースクールは「さかえ倶楽部スキー場」だけに限られたものではないが、提供されるサービスの質の高さは他に比べて誇れるものだと思う。当間リゾートからお客さまがかなり来る理由の1つも、これだと聞いた覚えがあるが…。「商品売り出しの工夫」が大事なのだ。今冬はくりかえしスキー場を訪れ、宣伝の素材を集めたいと思う。

 

 

 上の写真は、スクールで練習する4歳の男の子と、少し大きな女の子。平らなところで、おそるおそるスキーを履いて歩き始めたが、数分で結構歩ける(滑る)ことができるようになった。男の子は「先生」にウェアを直してもらっている。こういう場面、いい絵だと思う。

 

19日(月) 今日は予定通り、秋山へ。森を9時すぎに出発し、途中で何枚かの写真を撮りながら小赤沢に入ったのが10時半すぎだっただろう。
 配達は小赤沢、屋敷、上の原、和山で計60軒。天池で「遊んだり」、何回か人と話し込んだので、秋山の全戸を廻りきることはできなかったが…。
 405を津南に下りたのはもう暗くなり始めるころだった。帰りの途中からか、かなりしんどくなってきた。天池での「遊び」でかなりの汗をかいた後、タオルで背中などを拭いたが、少し風邪気味か。鳥甲山連峰の南の方の様子を「まさにカミソリの刃」と紹介するブログ記事を編集・アップして、今日は終わり。

 

20日(火) 明後日22日は青倉米の年末発送日。この10月から再び、青倉米の産直の責任を負うことになったが、それと合わせて、クロネコとの契約の変更を行なった。
 これまでの契約は2007年か08年かに結んだもので、いまでは超格安。運賃が少し上がる形で契約を更新した。少しは先方の事情も考慮に入れないと、持続不可能になってしまう。というわけで、契約更新はそれでいいのだが、「送り状」の発行システムも変更になった。
 その発行システムを今日試してみたのだが、まったくうまくいかない。サービスセンターに問い合わせの電話をしながら、なんとか発行に至ったのは昼すぎの2時半ころだっただろうか。午前中から始め、なんだかんだで5〜6時間、試行錯誤を繰り返した。
 そんな次第で、今日は配達に廻れず。

 

21日(水) 今週に入って気温が高く、朝の路面凍結のおそれが基本的にないので、午前7時前に配達をスタート。8時半すぎまでに54軒。

 

日の出と朝焼け(7時47分、横倉から)


 その後、「復興への歩み」の次号、300号記念号の一部となる写真アルバム「栄村の四季を楽しむ」の編集。急いだのは、通常、青倉米の発送に添付する「お米のふるさと便り」の替わりとして使用するため。
 午後遅くになんとかひとまずの完成にこぎつけ、午後4時少し前に
 再び配達へ。月岡などで53軒廻り、今日は久々に三桁の107軒。これはよかったのだが、配達が終わると同時に、どっと疲れが出て来て、異常な疲労感。

 

22日(木) 朝起きると、体がだるいまま。こんなことは滅多にない。おそらく熱がある。といっても、私は平熱が35℃台なので、体温計で計っても6℃少々だろう。
 とにもかくにもお米の発送を終えなくてはならないので、午後4時すぎまで踏ん張った。
 ヤマトに荷を引き渡してすぐに診療所に走ったが、「都合で本日は4時で終了しました」という掲示。やむなく、津南駅近くの古藤医院へ走り、薬をもらった。医院までの往復の運転時は少しふらつき感があった。10時頃に就寝。


23日(金) 風邪で完全にダウン。
 ただ、朝方と夕刻に窓からスキー場の様子を撮影し、ブログに「雪よ、戻って来て!」をアップ。

 

24日(土) 依然、調子が悪い。私は風邪薬がすぐに胃に響く。月に1回、睡眠安定剤と同時に処方してもらっている胃薬も22日から切れているので、土曜日もやっている古藤医院に再び走り、とりあえず4日分だけ処方してもらった。
 今日はこの医院行きで出かけた以外は引き続き静養。

 

25日(日) かなり具合はよくなり、午前中、平滝、泉平で配達。その後、スキー場の様子を見に行った。
 昨夜、雪が降ったが、積雪はわずか。それでもスキー場を楽しんでくれている人たちに感謝!! 午後、ブログ記事「もっと降ってほしかったけれど…」をアップ。

 

ソリ滑りを何度も、何度も楽しむ子


 昨日、「〇〇さんが11月18日に救急搬送され、入院しているが、明日、見舞いに行く。『復興への歩み』などを持っていってあげたいのだけれど」という連絡をある人からもらい、今朝、その人のところに届けた。その際、12月に入ってからのブログ記事も元原稿を印刷して届けることにした。印刷しながら見ると、「ほー、ほぼこの1ヶ月の天候と集落の様子の変化がわかるな」と自分で感心してしまった。

 

26日(月) 朝からあまり体調は良くなかったが、年末を目前にして、のんびりもしていられないので、午前中、野田沢、程久保、原向で配達廻り。
 程久保で景色が一変して驚いた。野田沢までと雪の量が違う。土が見えているところが少ない。さらに大久保から先は県道に除雪の跡が見られた。24日夜〜25日朝の降雪をうけて、25日朝に道路除雪が行われたのだろう。
 昼は、天地の克己さんが餅つきをすると言っておられたので、様子を撮影に。昨日搗いたお餅を昼食にいただいた。3つくらいペロッと食べたが、「やはり杵で搗いたお餅は違うなあ」というのが感想。

 

杵を振り下ろした後にグッと押す時の腰の入り具

合が違うなあというのが感想

 

 午後は極野、中野などを廻って、今日は90軒。その後、診療所行き。診察の順が回ってくるまでに予想外に時間がかかり、薬をもらうのを待っていると、予定していた宅急便の発送が間に合わなくなるので、いったん発送へ。そしてまた診療所へ。そんな次第でもう外は暗い時間に。
 夜は、仕事をしないように、テレビや読書で過ごした。

 

27日(火) 体調はすっきりし、午前中、飯山市の法務局へ。ある調べ事。種々の謄本を入手するのに計3,600円要した。さらに、その謄本から分かったことをさらに解明するために北信地方事務所へ。
 驚くようなことが判明した。さらに追跡調査が必要だが、これぞまさしく「政務活動」。「政務活動しました」と偽って、不正をやっている議員さん、自治体議員が何をなすべきか。よく考えてもらいたい。
 大いに成果があった調査だが、昼食を飯山で摂って、家に帰り着いたのは午後3時を回っていた。そのために昼の薬を飲むのが遅くなったせいでもないだろうが、夕刻、急にしんどくなってきた。無理して夕食を食べている最中にダウン。急速に体温が上がり、計っていないが38℃を軽く超えた感じ(平熱が低い私にとって38℃は普通の人にとっての40℃くらいの感じ)。こんな発熱は10年来なかったこと。

 

28日(水) 朝、起きると、熱は下がっていたが、頭がガンガン痛い。頓服薬をのんで、再度寝入る。
 正午前に目覚め、頭痛もいちおう収まった。
 天気がいいので、昼食を兼ねてスキー場へ。窓から見たスキー場が27日夜からの降雪で真っ白だったので、様子を見てきた。ブログ記事「滑走可能コースが増えた!」をアップ。
 その後は静養に努めた。29日、30日の2日間で、なんとか年内発行物の配達を完了させたいため。

 

29日(木) 朝は厳寒。しかし、心配した体調不良はなし。秋山の配達に行くことにした。津南で405号線に入ったのが午前9時ちょうど。路面凍結を避けるにはもう少し遅い時間がいいが、帰りの時間を考えて、この時間にした。今日は最奥部の切明まで。小赤沢から切明まではほとんどアイスバーン状態。

 


 川原から湧き出る温泉からはもうもうと湯気が立っていた。関係者に聞くところでは、積雪が始まって以降もそれなりの装備を用意して「川原の温泉」を訪ねる人たちがいるそうだ。切明温泉を訪ねる人たちにとっては、やはり雄川閣が拠点施設。冬期間、宿泊営業はしないまでも、閉鎖ではなく、村の観光の案内・休憩施設としての営業が不可欠。「コスト削減」だけを至上命題化し、お客さまが何を求めているかを考えることがなければ、観光は衰退するしかない。
 ある場所で、1枚の写真を撮るために路側に車を停めていると、集落の人がわざわざ車を停めて、声をかけてきてくださった。「多くの人は松尾さんの考えと同じだと思うよ。村長がどうこう言ってきても頑張って。来年の村議選も出てくれなきゃだめだよ」と。感激するとともに、責任の大きさに身が引き締まる思いがした。
 午後2時頃に小赤沢で配達を終えて、帰路についたが、かなり疲労感はあり、帰宅後は「バタンキュー」かと思っていたが、意外と元気で、ブログ「厳寒、アイスバーン、でも、最高の景色」をアップできた。

 

これは「のよさの里」の室内からの撮影

 

30日(金) 昨夜の就寝は遅かったが、目覚めは早く、6時に起きてしまった。「もう少し眠っておいたほうがいいかな」とも思ったが、目覚めてしまったものはもはやどうしようもない。
 大雪警報が昨夜出たが、けっこう降った。スキー場等のことを考えると万々歳である。

 


 上写真は7時半頃に車庫の前の雪を片づけた時に撮ったもの。昨日までは雪がなかったところなので、これが一晩の積雪量ということになる。目安になるものとして雪長靴を置いてみた。
 配達を早く済まさなければならないので、このまま出かけてもよかったが、東部の奥の方に行く予定で、集落内道路の除雪が遅れている可能性もあるので、ひとまず編集作業を行い、10時半頃に出かけた。
 北野、当部、長瀬、切欠、柳在家を配り終えて、昼すぎ。昼食を兼ねて2時頃にスキー場へ。
 かなりの賑わい。他県ナンバーがこれまで見た以上に多い。年末年始の稼ぎ時だから、これくらい来てもらわなければならないが、やはり賑わう様子は見ていても楽しい。今日も小さな子どもたちの姿がどんどん目に飛び込んでくる。父娘だろうか。微笑ましいシーンだ。

 


 午前の配達が終わった頃から、「かなりきついな」と感じていたが、やはり今日はこれ以上無理。3時頃に家に戻って休んだ。
これで大晦日も配達ということになったが、あと一息。今年の日誌はここまでとし、くる年をさらなる充実の年としたい。

 


配達日誌12月1日〜13日

(1日から9日までは、当日に書いた日誌ではなく、手許にある写真データなどをもとに記憶を呼び覚まし、後で行動記録等を書き残したもの。)

 

1日(木) 6日から始まる議会での私の一般質問の傍聴のお願いに廻るなどした。
 東部パイロットを走った時に撮影した写真が残っている。スキー場の上の方では積雪が見られる。家から見えるスキー場には雪が見えないが、上の方には雪があるのだ。このことと、知人のFBで見た秋山の積雪の模様が、2日の行動を決めた。

 

 

2日(金) 朝方の行動は記憶にないが、午前11時頃にガソリンを補給・満タンにして日出山線経由で秋山へ。配達はあまり考えず、冬を迎えた秋山の様子を見て、撮影するのが主たる目的。
 鳥甲山連峰の上空には雲が出ていて、「青空と雪景色」というわけにはいかなかったが、そこそこにいいものが撮れた。秋山から下におりた直後に会った人との会話をヒントに、「『白銀の世界と青空』、それとも『真っ白な雪と岩肌』」というブログ用の写真アルバムを編集してアップした。
 そこには掲載しなかったが、布岩で屋敷の山田由信さんと出会ったことが印象深い。
 県道秋山線から秋山林道に入って間もなく、1台のバイクが停まっているのが目に入った。今年の雪消え時にこの地点に薪材をいっぱい積んだガートラで由信さんが山から出てくるのに出会った経験があったので、「由信さんが山に入っているに違いない」と考え、山道に入った。

 

この道を入っていった

 

 不安がなかったと言えば嘘になるが、幸い、わずかな積雪に足跡があったので、それを目印に、途中からは今まで入ったことがない杉林へ。林には雪、したがって足跡がない区間もあったが、なんとか進み、ついに人が動く音が耳に入った。無事、由信さんに出会えて、大正時代に発電所建設用の切明までの鉄道をひくために布岩山に発破をかけたという場所を教えてもらうことができた。景観地・布岩の側面である。
 由信さんは原木栽培のナメコを採取されていた(下写真)。

 

 

3日(土) この日は撮影写真なし。
 議会12月定例会の初日6日の午後に入った「全員協議会(村長提出)」の協議内容資料を昨夕に受け取ったので、その精査にかなりの時間を要した。
 また、「復興への歩み」No.299の編集を進めた。10月下旬から11月末にかけて取材していながら掲載できなかった出来事もあり、写真データを整理しながらの時間を要する作業であった。

 

4日(日) 昨日の全協資料の精査をうけて、「切明温泉源泉地の買収について」なるテーマの不明点を解明すべく、事情を知る人たちに話を聞いてまわった。
 このテーマは相当に疑問があるものだと思う。さまざまな問題について、当局の資料を読むだけでは事の真相は見えない。
最近なにかと話題になる自治体議会の「政務活動費」、栄村議会議員には一銭の支給もないが(そもそも議会予算に「政務活動費」というものが存在しない)、この事実は「議員の調査活動は必要ない」という意味なのか? 議員が議員としての役割を果たそうとすれば、膨大な時間とエネルギーを調査活動に注ぎ込まなければならない。今日の聞き取り調査の場合は、聞き取りに廻るガソリン代程度のものだが、内容によっては調査のために村外に飛ばなければならない場合もあるし、かなり高価な書籍等を購入しなければならない場合もある。村民のみなさんにも考えていただきたい問題である。
 聞き取り調査の後、11月21日の臨時議会で問題となった平滝の貸工場建設現場の擁壁築造箇所と消雪池設置予定場所の状況の撮影へ(下写真)。

 

追加予算約500万円を投じた擁壁築造の現場

11月21日補正予算成立なのに工事はもう完成していた。不可思議な話だ。

 

工場の裏側。ここに消雪池をつくるのに追加約700万円。
貸工場の大屋根から雪が落ちると、どんな様子になるか、
11日の雪が落ちた後の12日の様子は後に掲載(12日の項に掲載)

 

5日(月) 「全協」関係の聞き取り調査のために遅れていた一般質問原稿の仕上げが主な仕事。
 ただし、朝8時半頃に「鹿を仕留めました。間もなく解体します」という電話をいただき、解体処理される現場へ。約50分間、記録写真を撮りながら、解体作業を見守った。
 予想したような抵抗感はなかった。内臓がすべて取り出された後、作業の後半、吊るされて、肋骨、そして鮮やかな色の肉の全体像が見えてくると、「きれいだなな」と思えてきた。帰宅後、写真データをパソコンに取り込み、画像を見ると、実際に見た時の美しさはあまり表現できていない。「ちょっと写真を紹介するのはきついな」という感想。したがって、写真は掲載しない。

 

6日(火) 12月定例会の初日。午前9時40分頃に議会事務局へ。議場ではなく、まず事務局に向かったのは、7日と8日の一般質問の順番を決めるくじ引きのため。くじは事務局到着順でひく。質問予定者8名の中で、私の到着は5番目くらいか。残ったくじの中から何気なくひくと、なんと「1番」。6月定例会に続き、二度目の「1番くじ」。9月はビリであった。
 議会は「午前は本会議、午後は全員協議会(村長提出)」の予定だったが、本会議は午前中では終わらず、午後2時半頃まで。休憩後、「全協(村長提出)」となり、予定テーマ4つのうち、今日は2つのみ。残りの2つは、7日と8日にまわされた。
 この日の議会の終了は5時近くになった。
 夜は、明日の一般質問草稿に手を入れた。
 今日は写真なし。


7日(水) 朝、『復興への歩み』No.299をブログにアップ。
 議会に出かける前、7時半頃と9時すぎに、薄っすらと雪化粧した景色を家の窓から撮影。昨日、議場から昼休み終了時にスキー場を見ると、ゲレンデが白くなっていたのを思い出した。

 

9時18分に自宅の窓から撮った1枚


 議会は10時からで、私の一般質問は約50分くらいだっただろうか。大きな質問項目の3つ目、「森川村長の村政の基本姿勢、振興公社の現状を村長はどう捉えているか」に充分な時間を確保するため、第1項目(SL運行総括)、第2項目(クマ対策)の時間を短縮したところ、全部で50分程度になった。1時間を超えると、議長から「簡潔に」という趣旨の指示をされるので、工夫せざるをえなかった。
 質問の成果は「議員活動報告」で書く予定。
 午後は、他の議員の一般質問と「全協(村長提出)」の「切明温泉源泉地の買収について」の予定だったが、昼休み終了間際に、村長から「全協は非公開に」という申し入れがあったという。まったくおかしな話。「全協」の前に、「傍聴者はお帰り下さい」と議長が言った。
 「全協」では徹底的に疑問点を突き出したが、村長から納得できる回答は得られなかった。
 終了は5時近く。今議会はかなりハードスケジュール。

 

8日(木) 10時から議会。午前中と、午後2時すぎまでは一般質問の続き。2時40分ころからだっただろうか、「振興公社への指定管理委託料の増額について」を協議事項とする全協(村長提出)。
 ここでは詳しいことは書かないが、村長の話はまったく整合性がない。到底、納得できるものではない。
 終了はやはり5時近くになり、今日は写真撮影なし。

 

9日(金) 今日の議会は午後。午前中は「切明温泉源泉地の買収」の件で追加調査。「昨年、源泉地所有者に無断で村が雄川閣駐車場で温泉掘削をした」という村長の説明とはあきらかに矛盾する県審議会の議事録が存在することが判明。
 午後の議会では、追加議案で「源泉地買収400万円」を計上した補正予算案が出てきた。人事院勧告に伴う職員給与増額の補正予算との抱き合わせでの提出。私は議案の分離を求めた。議員の中には私と同意見の人もいて、採決時は議場の空気が相当に張りつめた。採決の結果は6対5。可決は残念だが、現在の状況でギリギリ可能なところまで戦ったとは言えるのではないかと思う。「村民の声が届く議会」にするためにもっともっと頑張らなければならないが。
 夕刻5時半からは「トマトの国」で「副村長歓迎会」。森重氏は5日就任で、初仕事が議会出席。今次議会での審議内容にどのような感想をもたれたか、知りたいところだが、直接話す時間はなかった。
 凄まじく緊迫した議会の直後に、理事者と議員が同席する酒宴というのは私には違和感があるが、とりあえずは慣例に従った。話に聞く「昔は酒宴の場でもトコトン論争を続けた」というものであれば、納得できなくもないように思うが、いまはそんな雰囲気ではない。なお、こういう場は参加者各人が参加費をきちんと支払う。ちなみに今回は一人5千円。私のような貧乏議員には痛い出費だが…。
 今日も写真はなし。

 

10日(土) 昨夜がかなり遅かったので、起床は8時すぎ。こんなに遅いことは本当に稀だ。
 窓の外を見ると、一面真っ白。それほどの雪が降るという予報は耳にしていなかったので、これには驚いた。昨夜の酒宴で、「明日は久しぶりに山に入ってみようと思っている」と言っていた人がいたが、おそらく断念されたのではないだろうか。じつは、私も、12月に入ってもあまり降雪がないので、「明日は野々海に上がってみようか」と思っていたのだった。

 

午前9時49分撮影

 午前中はNo.299の印刷・折りの作業と、
 直売所訪問。
 午後は所用があって飯山へ。行き、「あさがみトンネル」を越えると景色がガラッと変わった。手前の栄村域は一面積雪だったが、トンネルを越えた飯山側はたしかに雪が降ったことはわかるが、“積雪”という感じはない。帰りは途中からまた雪が降り出したが、国道117の市川橋〜あさがみトンネル間あたりが非常に滑りやすく、冬の始まりの時期特有の運転の難しさを1年ぶりに味わった。水っぽい雪が、夕刻が迫る中で一部凍り始めているということも滑りやすさを強めたのかもしれない。
 夜は当初、原稿書きを頑張ろうと思っていたが、疲れを蓄積していくとまずいので、思い切って仕事は止めた。チャンネルをまわしていると、NHKがしきりに宣伝していた「漱石悶々」が始まったばかりで、それを観た。笑い出してしまうシーンが結構多く、よかった。ドラマの制作手法もよかったように思う。これで終わらせておけばよかったのだが、その後、「古舘伊知郎の忠臣蔵実況中継」なるものも途中から見てしまった。「忠臣蔵」をさまざまな新しい視点で切り取っているのが面白かった。古舘のしゃべりは相変わらずで格段の新鮮味はなかったが、企画が優れていたように思う。

 

11日(日) 雪は昨夜から夕刻までずっと降り続けた。10日、11日は雪の予報だったが、まさかこんなに降るとは思わなかった。びっくり。

 

スキー場に向かう道路の様子、午前8時48分撮影。

12日朝、晴天の下で、同場所を撮影した。12日の項参照。


 午後2時すぎだったか、津南町からの帰りに117で滑り、あやうく路側に突っ込む寸前。明け方までは乾雪だったが、日中は湿雪。雪の季節の始まりの時期の雪はとにかく滑りやすくて厄介。「今日はさっさと温泉に行き、後は家に立てこもり」と決めた。
 「早めに寝よう」と思ったが、5週間にわたってずっと見続けてきたB
Sプレミアムのドラマ「山女日記」が10時から放映なので、それを観てから就寝。

 

12日(月) 6時頃起床。青空が広がる! 猛烈な冷え込み。道路の凍結を警戒し、7時半過ぎに外へ。ひと通り雪景色写真を撮って、パソコンに取り込み、ブログ記事を編集し始めたところで、「SOS」の電話。長野に向かいたい人を飯山インター付近でひろい、高速で長野まで。帰村は午後1時半頃。
 長野市内には雪のかけらも無かった。遠くに見える飯綱山や白馬の山並みは真っ白で、最高に綺麗だった。カメラは持っていたが、撮影のために停車する場所を探す時間的ゆとりはなく、写真は撮れず。
 その後、泉平などで久々の配達。「昨日、雪で配達できなかった分も」と思っていたが、午後2時すぎからの配達だったので50部程度にとどまった。
 夕刻、横倉で見た景色は、朝の青空の下での景色に勝るとも劣らない美しいものだった。写真をとるためだけに動いていたら、もっときれいなものが撮れただろうが…。

 


12日朝8時1分撮影。1日の項に掲載の写真とほぼ同じ地点。同じところで撮ったのは偶然。

 


午後4時31分、横倉にて。雪原から靄(もや)がのぼる中、東の空にはお月さまが…。


下は平滝の貸工場の大屋根から11日の雪が落ちた時の様子(12日午後3時半頃に撮影)

 


13日(火) 午前中は精米と原稿書き。11時から「三人鍋」なるもののご招待をいただいたお宅へ。私を含めての三人だが、私が栄村に来た直後からずっとお付き合いのあるお二人と話が弾み、あっという間に午後2時をまわった。話は尽きなかったが、午後2時15分頃にお暇し、その後、何軒かのお宅に配達・連絡・依頼に廻っていたら、もう夕暮れ。昼間が最も短い冬至が近い。本当に夕暮れが早い。
 「三人鍋」の席では、「『松尾さんの配るもので初めて議会・村で何が起こっているかがわかる』と言っていたよ。『書いちゃいけない』なんてことはない。『書いちゃいけない』と言われたと書けば、もう相手は何も言えなくなるよ。とにかく、なにものも恐れずに書いてくれ」と叱咤激励された。
 「孤軍奮闘」がしんどくないと言ったら嘘になる。でも、頑張るしかない。べつに悲壮な決意をするというのではない。平常心で、“書くべきことを書く”を貫いていきたい。

 


朝陽がスキー場に当たり、数分間しか見られない美しさ。(7時22分撮影)

 


配達日誌10月16日〜29日

16日(日) 今日も朝から快晴。しかし、午前中はずっと室内での事務仕事。
 午後は、有害獣対策の先進事例を見に、隣の野沢温泉村の虫生地区を訪問。突然の訪問にもかかわらず、とても親切、丁寧に説明していただいた。非常に勉強になった。その後、飯山豊田インター先の国道117のバイパス工事完成地の撮影に行き、トンボ帰りで、樓蘭でのハーモニカコンサートの撮影取材。その途中で、明日、信越トレイルへの送迎をする人の打ち合わせにも飛んだ。忙しい1日だった。

 

17日(月) 朝、6時40分に「吉楽旅館」に行き、信越トレイルを歩く人たちを天水山松之山入口まで送った。途中、山伏山が正面に見えた時の美しさに驚いた。「松之山入口」というのは、山伏山の無印良品キャンプ場からの道と大厳寺高原〜野々海の林道が交差するところ。ここまで進むとブナの黄葉が相当に進んでいて、さらに驚いた。
 迎えは、当初予定では「12時半に野々海峠」だったが、雨が止んだので、「午後4時に伏野峠」に変更。2時に出発して藤沢から山に上り、3時20分頃に到着。東南方向は青空。国道403という狭い道を上るにつれて、凄い紅葉に感動。

 

天水山〜伏野峠間8時間半を踏破されたみなさん。リーダーは
75歳、登山歴60年という方。


 送りと迎えの間は、「復興への歩み」No.296の編集作業。
 気温が上がった日中、汗をかいたまま動いたのがまずかった。夜、頭痛が出て、風邪の症状。

18日(火) 朝、起きると、節々が痛い。本物の風邪。しかし、9時から「議会報編集委員会」。1時間ほどで終了。
 日中、車を駐車させておいて、車に戻ると、車内が暑い。夏のような感じ。
 夕刻までにNo.296に編集完了。朝・昼に風邪薬をのんだのが効き、バタバタしているうちに、風邪の症状はぬけてきた。

 

19日(水) 朝、窓からの景色は真っ白。8時すぎに配達に出発し、まず、原向に行ったが、ずっと空が見えない。雲というよりも霧のような感じ。10時半頃になってようやく青空が見え始めた。野口、坪野、北野と廻り、極野集落に入る手前だった。前方すべてが青空!
 集落の中から見える山がとても綺麗。配達を中断して、集落から3kmほど奥の中電取水ダムまで上った。今秋一番の紅葉。取水ダム付近はクマがよく出ると聞いていた。最新の注意をはらった。
 山の田んぼに1枚だけ、まだ刈り取られていないものがあった。その後、別の田んぼで藁を取り出しているおかあさんに声をかけると、「土がやっこくて機械が入れない田をこれから私が手刈りしに行くんだ」とのこと。さらに、夜、友人に電話すると、「ああ、機械が入れなくて、おばちゃんが刈ってくれたんだ」という話。
 「極野の山でこんなに紅葉しているんだったら、野々海池も紅葉本番だろう」。そう思い、極野、中野の配達を終えた後、1時すぎ、平滝から野々海に上った。池に着いたのが1時42分。目に飛び込んできた景色を見て、息を呑んだ。全面紅葉だ。ただ、残念ながら午後恒例の霧がちょうど出てきたところ。青空の下での1枚とはいかなかった。しかし、写真を見た人はみなさん、感動してくださった。

 

野々海池の紅葉と霧


 その後、キャンプ場に行ったら、自衛隊の車両に出会ってビックリ。詳しいことは「復興への歩み」で。
 極野での配達途中から、風邪症状のぶり返し。今日はSLの初めての試運転で大騒ぎだったようだ。試運転を示唆するスケジュール表を確保していながら、きちんと見ていなかったので、私は山の中にいた。

 

20日(木) 昨日の野々海での紅葉をうけて、朝の野々海池を撮りたいと思った。部屋から山の上空を見ると、曇り空。ダメ元で上ったが、やはりダメ。野々海池は真っ白で対岸は見えず。こういう時は、野々海峠への道を進めば、紅葉の進行具合がわかる。
 かなり進んだところでマイクロバスの対向車。野々海に上る時に追い越したマイクロだ。私の方が相当の距離をバックして離合した。その際、ドライバーが窓を開けて、「信越トレイルに入るお客さんを送ってきたところです。関西からのグループ」とのこと。どこの車かを尋ねると戸狩温泉との答え。以前、野々海にスノーモービルで来た人に「地元にきちんと話をつけて来られたのですか?」と問うと、「はい」との返事だったが、「地元の誰?」とさらに尋ねると、「戸狩温泉の宿です」と言われた経験がある。県外の人は、野々海や信越トレイルの地元は戸狩という認識で、栄村という村があることを知らないことが結構あるようだ。自らを宣伝できていないわが村が悪いのだと言ってしまえば、それまでのことだが…。
 配達を挟んで、昼、もう1回、野々海へ。2回目はスキー場から山道で。対岸は見える状況だったが、曇り空でいい写真は撮れず。水番小屋から右手の湖岸に入った。数年ぶりのこと。元々、笹や低木をかき分けて進まなければならない状況だったが、最近はいよいよ人が入らないので、以前にも増してやっかいな状況。しかし、平素は見られない景色が見られた。
 配達は長瀬、横倉、箕作で98部。

 

21日(金) どうしても青空の下での野々海池を撮りたかったので、秋山に向かう前に7時半発で満タン給油の後、野々海へ。すっきり青空で、紅葉3日目にしてようやくいい写真が撮れた。深坂峠の写真も撮りたいと思って、キャンプ場方向に走ったとき、クマに出くわした。むこうがすぐに藪に入っていったが。夜、温泉で出会った知人から、「今朝、野々海でクマが出たって放送で言っていた。いま頃、野々海に行くのは先生くらいだろう?」と言われた。たしかに村の人は行かない。出会うのは村外から来た写真撮影の人たちと、キノコ採りの長岡ナンバー車。たしかにクマの問題から言えば、あまり行かない方が賢明だが、村の人たちにも紅葉の野々海
池見物に出かけてほしいとも思う。
 9時頃に下におり、秋山へ。日出山コースを通りたかったが、午前8時半からは工事で通行止めのため、117から亀岡‐中子に上がり、妙法牧場沿いに進んで、布岩方向へ。布岩から屋敷に下り、紅葉写真撮りのための長い、長い秋山郷巡り。最終的にはカヤの平を経て、木島平村におりた。木島平村役場に立ち寄り、木島平村長などが切明温泉を訪れてくれたことを報じた「復興への歩み」を「村長に渡してください」と職員に託してきた。その職員も私が撮った写真に写っている人だった。

 

21日午後、ミズノサワで出会った群馬県太田

市の人たち。「ここは少し先のところまで歩い

て振り返ると最高に綺麗です」とお話しすると、

中には駆け出して絶景ポイントに向かう人も。


 今年、木島平から切明温泉を往復する「高原シャトル便」が運行されているが、私の今日の経験からいうと、木島平からカヤの平に上がっていく時の景色よりも下る時の景色の方が数十倍素晴らしい。北陸新幹線飯山駅を活用し、飯山駅発→栄村→鳥甲線(県道秋山郷森宮野原線)ないし妙法育成牧場経由コースで秋山へ→切明温泉→カヤの平・木島平村というコースが最高だと思う。このコースだと、ちょうど切明温泉が昼食時にあたると思う。
 帰宅は午後6時。その後、一気に「10月21日の記録」を編集し、ブログにアップ。

 

22日(土) 朝早くに目覚めた。6時半過ぎに、窓からスキー場方向を見ると、最高の景色。実際はまだ紅葉はさほど進んでいないが、朝陽に照らされると、紅葉しているように見える。
 そういう景色を見ると、「水面に紅葉が綺麗に映る野々海池を撮りたい」という思いがむらむらと湧いてくる。すぐにスキー場から上がるコースで野々海へ向かった。この季節、日の出は遅く、日没は遅くなるが、変化はそれだけではない。太陽の位置が低い。里ではすでに陽が上がっていても、少し山に上ると陽はまさに上がってくるところ。

 

6時55分、初心者コースのリフト下り場付近で撮影


 野々海池はわずかに波があったが、昨日よりもいい状態。15日ほどではないが、いい写真が撮れた。ブログやフェイスブックでの反響は大きかった。
 午後は25日発送のお米の袋詰めなどで、配達はなし。

 

23日(日) 朝6時50分に旅館出迎えで信越トレイル松之山口へ送り。その後、「落石災害」ということで、もう3年間も通行止めになっている林道野々海天水越線を歩いた。
 当初は、松之山口の通行止め措置が簡単なものだったため、車で入ろうかとも思ったが、いつもの軽トラではなく、人の車だったので、歩くことにした。震災前には何回か、大厳寺高原から車で上がったことがあり、その紅葉の凄さに圧倒された。知る人ぞ知る紅葉の絶景コースで、深坂峠で「通行止め」の看板は恨めしそうに見つめる人が多い。私は、今秋、一度、深坂峠から歩いて下ろうと思ったことがあったが、断念した。深坂峠側の通行止めバリケードがきわめて厳重だったからだ。おそらく、工事担当の行政関係者が「深坂峠からは人が入る可能性が高い」と考えて厳重にしたのだろう。私はいろんな通行止め箇所を訪れているが、深坂峠ほど厳重なところは見たことがない。
 歩きは往復2時間。帰路は雨だったが、汗を掻くほど。工事は8月20日発注というもので、年間予算額も限られている様子。この調子ではさらに3年間くらい通行止めが続きかねない。
 たしかに落石災害の跡ははっきり見られるが、他所の事例から考えて、紅葉期の2週間くらいだったら、通行止めを解除しても問題ないとみた。来秋は少なくとも、紅葉期の土日の歩きくらいは許可するように関係方面に働きかけたい。信越トレイルに挑戦すれば、素晴らしい景色が眺められるだろう。

 

 

すごい絶景(上写真)が見えるが、180度展開すると落石対策の工事現

場。たしかに危険箇所ではあるが…。


 午後は米詰め作業の続き。夜は「お米のふるさと便り」作り。

 

24日(月) 「林活議連」視察研修で生坂(いくさか)村、安曇野市、塩尻市へ。「林活議連」というのは、議員になるまで、その名前も存在も知らなかった。安曇野では北アルプスをはじめ、信州の山々を360度ぐるっと眺望できる素晴らしい場に行ったが、それは“おまけ”。視察の内容と学んだことなどは「議員活動報告」で取り上げたい。
 夜は、お米の発送が明日に迫っているので、休むもなく、「便り」の編集の仕上げと発送の事務作業で遅くまで仕事が続いた。

 

25日(火) 朝6時前に起床し、9時まで発送の事務作業。9時〜正午は発送作業。
 一休みして、午後は青倉全戸の配達。配達時に、青倉の圃場整備と合わせての地区内道路の改良工事の様子を初めて撮影したが、なかなか手間のかかる厄介な工事のようだ。

 

道路除雪が困難な地区の「道直し」を圃場整備と一体で進めている


 今日は朝、厳しい冷え込みだったが、昼すぎから南風と思われる風が吹き、気温が上がった。
 青倉での配達の後、もうひと踏ん張りして、もう1地区廻ろうかとも思ったが、さすがに無理。10時半
頃に就寝。

 

26日(水) 5時半起床、7時すぎに出発で秋山へ。暖かい一日。今日は秋山での配達がまず第一で、写真撮影にかまけているわけにはいかなかったが、時間帯との関係で撮影が困難になる場所には適切な時間に行けるように配慮しながら、配達コースを決めて進んだ。
 21日に続き、今日もできるだけ観光客の人に話しかけ、ブログのURLと携帯番号を記した名刺を渡すようにした。夕刻に、その関係での電話が早速に入ってきた。秋山の人とも何件か、有益な話ができた。また、私の方ではお顔を見たことがまだ1〜2回しかない人から、「おお、議員もやりながら、大変だね。ご苦労さん」といった言葉をかけていただき、心強く感じた。

 

「天池」のそばで絵を描く栃木県の女性

 

27日(木) 午前9時から議会産業社会常任委員会と全員協議会。10時半まで。村の来年度予算編成が始まるので、議会としての提言をまとめるためのもの。率直に言って、「議会はこの程度のことしか考えていない」ということを自己暴露するものと言わざるをえないが、詳しいことは機会を改めて書きたい。
 その後、平滝で少し配達した後、頼まれたある仕事の手をうつために現場に行ったり、人と打ち合わせしたりで1時間くらい。
昼食を食べた後、「撮り鉄」の凄まじさを初めて見た。私自身は「秘密の場所」で上り列車を撮影。

 

私有地に勝手に駐車しようとし、車の尻を何度も国道に出しな

がら切り返しする「撮り鉄」の車。これでは事故必至!


 午後3時から急に気温が下がり、夜は冷え込み。午後6時前で8℃くらい。
 大量に溜まった洗濯を片付けると、もう5時半過ぎ。慌てて、午後6時からの「狩猟時期等における安全狩猟講習会」に出るため、役場に走った。狩猟者を対象にした講習会のような名称だが、10月5日のクマによる人身事故をうけて設定されたと思われるもの。私は人から聞いて、出席させてもらおうと思っていたら、村内放送でも告知された。講師は県北信地方事務所林務課の鳥獣対策専門員・松尾一穂氏。この人は随分と柔軟思考の持ち主で、対話ができる人だった。僭越ながら、私の方から質問と提案もさせていただいて、いい議論になりかけたが、講習会の予定時間は1時間程度だったようで、議論を十分に発展させきれないうちに幕切れ。しかし、手がかりはつかめた。
 早く終わったので、「吉楽旅館」に立ち寄り、SL撮影で宿泊されたお客さんと懇談。国鉄民営化で首切りの対象にされた元国労組合員の人。奥さまはずいぶんと若い方だったが、奄美大島のご出身とのこと。「冬の栄村を是非訪れて下さい」と勧誘。ご主人は上越の雪深い村のご出身。冬に来ていただける可能性は50%以上とみたが、さて、どういう結果が出るだろうか。

 

28日(金) ほぼ一日、ブログ記事の編集や原稿書き。
 配達にも出たいが、日中に原稿書きなどをする日を作らないと、「復興への歩み」等の発行ペースを守れないのも事実。10月は紅葉の撮影のための長距離・長時間移動、ブログ発信のための写真を中心とした編集作業が多かったので、とくに大変。
 27日のSL試運転の際の「撮り鉄」の動きを観察した結果をふまえ、「このままでは事故が起こる」と危機感を抱き、役場に対策を提言したが、どこまで理解してくれたか、不安だ。

 

29日(土) 朝9時前後に電話が入り、知人と合流して、クマの出没地点3ヶ所を案内してもらった。すさまじい状況。クマが「慣れ親しんだ」柿の上に作る“たな”というものも初めて見た。
 帰宅後、すぐに、「復興への歩み」次号に掲載するクマ関係の記事(3頁分)を書き、編集も終えて、案内してくれた人に内容に間違いがないか、チェックしてもらった。
 「復興への歩み」次号記事には書けなかった泉平の事例について、少し記しておきたい。
 ここの柿の木は、所有者が先日、波トタンと番線を巻く措置をとられたが、今季は残念ながらクマの活動に追い付かず、1本の木はすっかり食い尽くされた。案内してくれた人の説明で、クマ道に残された糞に、大きなものと、小さなものの2種類があり、子連れのクマだったことが判明した。

 


 上写真の真ん中やや右手に見えるのが件の柿の木だが、クマがやって来る道は写真後方の森の中から通じていて、箕作の奥の小箕作川のあたりに通じているらしい。それは、かなり以前に泉平の人から聞いた「泉平に上がる古道」とかなり重なり合う感じがする。そのあたりの「藪」の刈り払い、森林の整備と一体化させないと、柿の木の防護措置だけではクマ被害を防げないのではないかと思う。その「緩衝帯」の整備は個人の力には余る規模の大きな作業であるし、さらに言えば、集落だけでもやりきれないものかもしれない。しかし、そこに踏み込まないと、クマ被害から人と集落を守ることはできないのだと思う。

 昼の編集作業の途中あたりから、風邪の症状が悪化。体がけだるく、調子悪い。それでも、発送作業や午後4時からの会合に出席。その後、夜はテレビをつけながら、のんびり。早めに就寝。

 


配達日誌9月16日〜30日

16日(金) この間に撮影した写真で、「復興への歩み」No.294に使用するもののピックアップや、9月議会での質疑のやりとりの振り返り、そのベースとなる議案・資料の整理・検討などの室内作業が主。後者の関係では役場に行って、補足説明を求めることもした。
 予算関係の書類は、相当に慣れたとはいえ、書類・説明書・担当課長の補足説明だけでは、「何に、いくら、どのように使われているのか?」が容易には見えてこない。このあたりのことは「議員活動報告」で一度、紹介してみようかなと思う。

 

17日(土) 今日は栄小学校の運動会。秋晴れとはいかなかったが、なんとか天気はもってくれた。村議は「来賓」ということなので、運動会の来賓席というものに初めて座った。「本部席」に近いので、グラウンドでの競技・演技とともに、先生方が活躍される運営の舞台裏というものがよく見え、新しい勉強になった。

 

父母による「大玉転がし」。子どもたちの競技もさることながら、

若いお父さん、お母さんの姿をたくさん見られたのもよかった。


 頼まれた仕事が1件あったのと、昼休み時間帯にPCトラブルが発生し、その対処に追われたので、午後は見学できず。運動会が終わった直後の3時頃、予報通りに降雨。
 午後の後半、森集落水道の水源転換工事の詳細設計を冬前に実施するための
補正予算が成立したことをお知らせする
「議員活動報告」の森集落向け号外を83軒に一気に配達。

 

18日(日) 一日中、雨。けっこう強く降る時間も。
 午前中から昼すぎにかけて、知り合いとかなり長い時間、いろんな話。午後は、片付けや、9月一日~15日の間の「配達日誌」を整理・編集。

 

19日(月) 4時半起床。「配達日誌」9月1日〜15日を編集、ブログにアップ。
 午前8時5分、大雨警報発令。高解像度降雨ナウキャストでは、関田山脈が「青色」(1時間10〜20mm)。

 

20日(火) 台風16号が和歌山に再上陸。関東方面に進むということで、長野県内にも大雨警報。
 「復興への歩み」No.294の編集を進めるが、写真データの発掘のために多大な時間を費やした。数日前、直売所を取材していて、「冬はクルミやお餅がよく売れる。並べても、並べても、売れる。品物がもっとあれば、売上げも伸びる」という話をお聞きしたので、「昨年、直売所に並んでいるクルミや栃モチの写真をたくさん撮りました。そこから写真データを引き出し、『みなさん、クルミや栃モチを直売所に出しましょう』と書いてみましょう」と話した。そこで、今日、データを取り出そうとしたのだが、膨大なデータの中から探すので、当初考えていた10倍くらいの時間を要した。かねがね写真データの整理が必要だと思っていたが、深刻だ。これまでに発行した「復興への歩み」などに関連記事・写真があれば、比較的簡単にデータを見つけられるのだが。
 昼、百合居橋を渡る時、千曲川がかなり増水していたので撮影。中条川の様子も見た。雨は午後1時半頃から2時すぎまで強く降ったが、強雨はその30分強だけ。先日来の雨の中心は千曲川上流方面であり、関田山脈の水が下ってくる中条川はさほど増水していない。
 いったん止んだ雨は、予報通り、夕刻から台風本番の雨として強まり、夜11時すぎまでかなり強い雨が続いた。その頃の千曲川の増水にも関心があったが、夜に川に近づくのは危険なので、自重した。


21日(水) 千曲川の増水がどうなっているか、とても気になっているので、朝一番は百合居橋付近での撮影に行った。同時に、西大滝ダムの放流の状況を確認するため、東大滝橋を越えて117から右に入り、西大滝ダムのゲートの全体が見える地点へ。ダムの上を車で通ってみようとも思ったが、職員らしき人の姿が数名見え、なにか対応措置をとっているように見えたので、ダム上に行くのは断念した。
 同時に、8月23日に「水害」があった貝廻坂の場所にも、復旧対策工事をうけて、水がうまく流れているかを見に行った。
千曲川の増水状況はもう一度見る必要があると思っていたが、なにやかやあって、今日2度目に行けたのは午後4時頃。百合居橋が目に入った瞬間、橋にかなり近いところまで水位が上がっていたので驚いた。後から検討すると、水位上昇のピークは正午頃だったのではないかと思われる。

 

21日午後4時すぎ、大巻付近の様子


 ギックリ腰の再発などを避けるための予防で、夕刻、十日町の接骨院へ。
 こんな行動をしていたので、「復興への歩み」No.294はせっかく出来上がっていたのに、20部くらいしか配達できず。

 

22日(木) 午前中、ブログのアップなどの室内作業。なお、今日も千曲川の水位の観察(撮影)を続けた。配達はなし。

 

23日(金) 午前中、主に東部地区を廻り、53軒。
 昼、ある人から「今年は野々海の紅葉はどうでしょうか?」と尋ねられた。ここ数日、同様の質問を受けているが、12日以降、野々海に行けていない。
 スキー場〜関田山脈方向を眺めると、雲に厚く覆われている。晴れ間があると予報されている24日や25日は他の予定があって、野々海には行けない。しかし、一昨年のことを思い出した。雨の日、午後に遠くからお客さんが野々海の紅葉を見に来ることになっていたので、雨の中、朝方に野々海に行ったことがある。野々海池の堤から対岸は見えなかったが、野々海峠への道を走れば、紅葉の状況がわかったし、霧の中の紅葉には独特の趣があった。
 この経験に照らして、「いい写真は撮れないだろうけれど、紅葉の始まり具合を知ることはできる」と判断し、スキー場から山道を上り、野々海に向かった。途中はずっと霧の中で、道の状態もこの間の雨で非常に悪かった。しかし、野々海に着く少し前から霧が消え、三叉路、野々海池、東窓の3ヶ所いずれも、バッチリ写真が撮れた。
 夜、早速、ブログ記事を編集し、アップした。この春、突然、知らない番号から携帯に電話が入り、「野々海のミズバショウの様子はどうですか?」という問い合わせがあった。「どなたですか?」と尋ねると、「昨年、野々海でお会いし、連絡先の入ったパンフをもらった」とのこと。村外の人が少しでも多く栄村に足を運んでくださる一助になればよいと思い、情報発信を続ける次第である。

 

24日(土) 午前中は保育園の運動会。「公務」での参観だが、心の底から感動した。
 まず、子どもたちが伸び伸びと各種目に取り組んでいる。先生方は種目と種目の間も、次の種目の準備で走り回り、ひと時の休みもない。腕章をつけた父母も線引きや道具の出し入れに忙しく動き回る。保育園をめぐっては、若い世代からいろんな不満や批判もあるようだが、今日の運動会を見て、「栄村の保育園はすごい」と心の底から思った。もちろん、若い世代からの批判にも一理ある。しかし、保育内容のいっそうの改善は、村が保育士体制の強化や施設改善にもっと力を入れることが前提になる。来賓としてお呼びいただいた議員の責務は重大だと強く感じた。

 

「サーキット」という種目。子どもたちの動きに感動!


 「栄村は子育てに最高の村」とアピールしたいところなのだが、それにはもう1つ、必要な条件がある。子育てする若い親がきちんと収入を得られる仕事(職)を用意することだ。それは「企業誘致」という類のことではないと思う。9月議会で冬の道路除雪のことが議論になり、「オペレーター確保のために、免許取得経費の補助を始め
た」という説明があったが、除雪要員を確
保するには春〜秋の間の仕事を同時に保障する必要がある。たとえば、栄村は村面積の90%以上が山・森林。森林管理で雇用を拡大するような森林計画が必要だろう。「栄村で子育てしたい」という若者はサラリーマン志向ではない。村らしい仕事の確保が重要なのだ。
 そんなことにも思いが及んだ一日だった。

 

25日(日) いい天気の下で、配達は121軒。
 野口から天地に向かう途中、サイクリング車が前方に見えた。まず写真を撮ったうえで、車で追いつき、声をかけさせてもらった。津南のグリーンピアから出発したとのこと。「どうですか、何もないところですが」と問いかけると、「素晴らしいです。最高の景色です」というご返事。その場所は、晴れた日の夕暮れ時などに、配達途中で通ると、私自身がその景色の素晴らしさに感動し、「俺はなんと贅沢な暮らしをしているんだろう」と思うところ。栄村は宝の宝庫だとつくづく思う。

 

野口〜天地間をサイクリング車で進む人


(後に知ったが、この日は「苗場山麓ジオサイクリング」というイベントが開催されていた。「つなんバイシクルクラブ」の協力で行われたとのことだが、栄村では事前の広報はなかったのではないだろうか。)

 

26日(月) 昨日の秋晴れから一転、今日は雨天。本当にいい天気が続かない。
午前中はある問題について村民からの訴えを聴いた。話はおよそ3時間に及んだ。午後は青倉で配達に廻ったが、予定軒数を終わるあたりで雨が強くなり、1軒のお家で少しお茶のみ。
 飯山線SL運行のポスターの写真を撮影させてもらった。

 

27日(火) 今日は晴天の予報だったので、朝から秋山へ。配達と同時に、
紅葉の進み具合を撮影するのが大きな目的。日出山線は最近、倒木での通行止めがあったので、極野から鳥甲線で五宝木に入り、6軒で配達した後、秋山林道に向かい、奥志賀公園栄線方面に走った。
 屋敷の秋山林道で素晴らしい出会いがあった。京都ナンバーの車のご夫婦。屋敷、白沢、大滝の3ヶ所でお話したが、話しているうちに、奥さまの実家が私の母の実家のすぐそばだと分かった。「冬の栄村にもお越しください。雪道は私が車を運転しますから」と申し出て、再会を約してお別れした。(後日、その方からメールをいただいた。きっと再会できると思う。)

 

28日(水) またも好天気は続かず。曇り〜弱雨の中、横倉、箕作で70軒を配達。
その後、まず、ブログ記事「SL、飯山線運行のポスターのご紹介」を制作し、アップ。続いて、昨日の秋山郷の写真データの整理とブログ記事の編集。夕刻までに「本格的な紅葉が近づいています〜9月27日の秋山郷の様子〜」を制作。
夜は若者と話。自伐林業(自分の山の木を自分の手で伐採すること)の構想など、有意義で楽しい話題をたくさん聞かせてもらった。こういう話は元気が出る。

 

29日(木) 25日発行の「お米のふるさと便り」で、「村の秋の恵み」として花豆やクリを話題にしたところ、一昨日、横浜の方から「購入のお世話をお願いできますか」という問い合わせが入った。クリは直売所で斉藤ユウ子さんのものを手に入れることにしたが、花豆は作付けの初期段階からずっと写真を撮らせてもらってきた五宝木の山田政治さんのものをお世話したいと考えた。今朝、政治さんに電話したところ、「いいですよ」というご返事。そこで、雨の中、鳥甲線で五宝木へ。
 10時すぎに到着すると、すでに1kg分を袋に入れて用意して下さっていた。そして、せきさんが手料理をいっぱい出して下さり、「昨日、搗いたばかり」というお餅もいただいた。
 午後、早速、宅急便で発送。その後、村議会9月定例会の内容の整理。「議員活動報告」を書き始めたが、整理作業が比較的早く進められる私の一般質問質疑の全容の編集を優先。ひとまず、質問の第1テーマに関する整理を終え、ブログにアップ。

 

30日(金) 朝、一昨日に箕作を廻った際に配達できなかった11軒に配達。その後、9時半頃、平滝から野々海へ。快晴で、秋の空(秋雲)の写真を何枚も撮りながら進んだ。そして、キャンプ場〜深坂峠間で旧大島村の大島中学校の全校遠足と出会った。再び平滝に下りたのは午後1時すぎ。3時間半余の「旅」だった。早速、アルバムを編集し、ブログにアップ。
 今日の野々海行きは、どうやら、「今日は野々海」、「今日は秋山」という紅葉シーズンの超繁忙期の始まりのような気がする。
 午後の配達は長瀬で29軒。

 


遠くに妙高山、火打山が見える(30日午前10時すぎ)


配達日誌8月16日〜31日

16日(火) まず配達。その後、野々海へ。
 三叉路の小さな池は期待通りに色づき始めている。驚いたのは、野々海池の入り口を下ろうとしたとき。水量の予想以上の低下にも驚いたが、それ以上にびっくりしたのは対岸が色づき始めていること。まったく予期していなかった。ブログ「猛暑の日、野々海に、秋を見つけた」をアップ。

 

色づきはじめた野々海池の対岸


 午後3時から白山さまのお祭りの片づけ。片づけにはそんなに時間を要さず、恒例の飲み会になる。今年の世話役・英男さんの奥さん・カノさん手作りの漬け物などがつぎつぎと出てきた。いちばん驚いたのは、たくさんの天ぷら。トウモロコシと青じそ、玉ねぎ、小女子(こうなご)のかき揚げだ。青じそが入っているのが1つのポイントのように思う。これは写真を撮っておくべきだった。だが、話が盛り上がっていて、写真を撮らずじまい。残念。
 野々海の色づきも話題に。水番の英男さんは今朝も行っておられて、「そうだ。色づいていたろう」と。私だけの主観ではなかった。
 午後6時すぎ、「そろそろ暗くなってくるぞ」というのでお開き。

 

17日(水) 英男さんが武蔵野大学の学生を野々海に案内するのに同行し、撮影取材。朝方、雨だったので心配したが、平滝から上る過程、野々海池での英男さんの水管理の様子を見る間は天気がもった。しかし、水番小屋で学生たちが英男さんにいろんなことを尋ねる会が始まった直後に激しい 降雨。台風の影響だ。11時頃に下におりてくるときは止んでいたが。

 

英男さん持参のミニトマトや枝豆をつまみながらのインタビュー


 その後、8月1日〜15日の配達日誌の整理と編集。
 その作業がほぼ終わりかけた頃、急に胃がさしこむような感じ。やむなく横になり、さらに布団を敷いて、夕食も食べず、寝た。

 

18日(木) 一晩寝て、胃の具合悪さはおさまっていた。が、なにか体の調子がよくない。じつは15日の白山神社の祭礼で何度も頭を下げる動作をしたとき、体に歪みを感じ、体を前に折ると腰に変な圧力がかかった。そんなこともあったので、背中の筋肉の疲れをとらなければならないと思い、午前中、十日町の接骨院へ。上半身はかなり楽になった感じ。
 4時すぎにまとめ洗濯へ。洗濯物を洗濯機に入れたところで、1本の電話。電話の主のところを訪ね、1時間強、懇談。その後、洗濯に戻ったが、もう夕食の時間。

 

19日(金) 5時に目覚めるも、二度寝し、6時すぎに起床。
 9月定例議会の一般質問要旨通告の締切が今日の午後1時なので、まず、要旨通告の原稿書き。
 9時にメールで議会事務局に送ったうえで、議会事務局を訪れ、議事録作成のためのテープ起こし作業の実際などを事務局の斉藤力さんから聞き、その後、初めて「議事録」というものを実際に手にとって閲覧。

 

もう稲穂が垂れ、色も黄金色にむかっている(中条にて)


 6月定例会での私の一般質問への答弁の中で森川村長が問題発言をしたが、その問題発言で被害を蒙った当事者が昨日、森川氏と会談したそうだが、その場での森川氏の発言内容を知り、愕然。憲法で保障されている基本的人権について、森川氏はどうやら正しい認識をお持ちでないようだ。暗澹たる気分になると同時に、「なんとかしなければ」と強く思う。
 午後、森の開田と青倉の西山田の棚田へ。写真撮影等。続いて、直売所の様子を見に行く。そこで知人から巨峰をいただく。非常に美味しかった。
 ある人を訪ね、久々に1時間以上、話し込んだ。
 この間、栄村の写真アルバムを制作しようと、写真の選定を進めてきたが、ひとまず選定を終えると、「定番」的なスポットに偏っていて満足できず。もう一度、一から選定し直すことにした。

 

20日(土) 「復興への歩み」No.292の編集。
 午後2時頃、土砂降りの雨。気象庁の「高解像度降雨ナウキャスト」を見ると、南東から北西へ雨雲が動いている。
 この雨の後の夕刻の景色が素晴らしかった。「トマトの国」に向かう途中だ。7月30日の夕景が素晴らしくてブログで紹介したが、それに勝るとも劣らない素敵な夕景だ。

 


 夜、秋の虫が鳴いた。いよいよ秋か!

 

21日(日) 「復興への歩み」No.292の配達、113軒。
 配達途中に切欠の集落と田んぼ、東部パイロットの奥まったところにある斉藤正春さんらのソバ畑などを撮影。ソバ畑は軽トラでやっと辿り着けるようなところだが、そういうところで丁寧に栽培されている様子に改めて感動を覚えた(下写真はちょっと変わった角度から撮影。真ん中に見えるのは東部パイロットに設置された携帯電話のアンテナ)。

 


 野菜を求めに直売所に行った際、店長からいろいろと話を聞いた。明日、直売所の出荷運営組合の総会だが、村からの補助金を得るために、組合役員や店長は大変な苦労をされている。

 

22日(月) 台風接近が騒がれたが、村にはほとんど影響なし。午前中に青倉などで60軒配達。
 午後2時から直売所の出荷運営組合の総会。村からの補助金が決まらない中、非常に苦しい議論となり、午後5時頃までの長い総会となったが、直売所にかける組合員の熱意がひしひしと伝わってくる、とても素晴らしい総会だった。
 終了後、その議論の熱気をひきずって、直売所をめぐる会話をいろんな人といろんなところで行い、気がついたら、9時をはるかにまわっていた。

 

23日(火) 午前中、程久保に向かう途中、貝廻坂で道路パトカーと遭遇した。10時40分頃のことだ。昨日の雨で水路の一部が破損し、北信建設事務所飯山事務所に住民から通報があって、駆けつけたとのこと。この水路は貝廻坂の改良・拡幅工事の一環として設置されたので県管理なのだ。(この現場の写真は「復興への歩み」No.294に掲載)
 午後は2時頃から「お米のふるさと便り」を一気に編集。2〜3時間。相当に疲れた。その関係で、青倉・西山田の棚田を訪れたが、かなり黄色くなってきている(下写真)。

 


 夜はかなり気温下がった。

 

24日(水) 貝廻坂の現場に応急措置のブルーシートが張られていた。
 午後はひんご遺跡報道説明会に参加。その際、久しぶりに箕作〜平滝間の橋の建設の様子を見た。床板工の型枠設置がかなり進んでいる。
 夕刻、9月議会議案書が届けられる。決算書とその説明書が4冊あり、ぶ厚い。
 夜、暑いというのではないが、気温、あまり下がらず。

 

25日(木) 午前10時頃、ギックリ腰発症。しかし、公務があるので、「北信州農村女性の集い」の会場(木島平村)へ。
 予定の4時半を過ぎ、5時頃に終了。そこから十日町の接骨院へ車で直行。6時半頃に到着。ギックリ腰の中で1時間以上の運転はきつかった。
 5時半頃、栄村を通過するとき、雨がパラパラ。帰り、十日町で小雨、栄村までずっと路面は濡れていた。大雨警報が出ていたようだ。

 

<以下、26日〜30日は配達ができなかったので、日誌も簡略化>

 

26日(金) ぎっくり腰のため、配達はしばらく休み。午前、自室作業で(蒸し)暑さを感じる。議会事務局と直売所へ。
 夕、気温低下。午後9時すぎ、大雨警報。ナウキャストでは長野市の南部あたりで赤色。東に進むと、秋山郷の奥で降ることになる。

 

27日(土) 6時前に起床。6時すぎにかなりの降雨。ナウキャストを見ると、その頃、栄村北部が黄色(1時間に20〜30ミリの降雨)。
 今日は森のお祭りだが、腰の状態が悪いので、宵祭りには行かず、自宅でおとなしくしていた。

 

28日(日) 午前中、家にいると、森の若衆が悪魔祓いに来てくれた。
 昼頃から、菅沢トマト収穫などの撮影に少し出かけた(下写真)。

 

 

29日(月) 午前中、腰の治療に十日町へ。
 青空に秋の雲が浮かび、気持ちのいい天気。出かける時に、ふと、小林昇子さんの荏胡麻の畑のことが頭に浮かび、様子を見に立ち寄った。素敵な写真が撮れ、ブログにアップ。

 

30日(火) 「ししこしょう」が「信州の伝統野菜」に認定されたので、横倉の渡辺利正夫妻を取材。「ししこしょう」を「伝統野菜」として推そうという話が出てから、認定まで満5年。この認定にはとても価値があり、活かさなくてはならないと強く思った。

 

 ししこしょうの畑は、写真左下から右上へ伸びる飯山線の線路の左側。伝統種を自然交配から守るために、他の野菜の畑から隔絶した畑で栽培されている。
 以前から、飯山線の線路を渡った先の千曲川との間の狭い土地に畑や田があることを不思議に思っていたが、元々は田が続くところに飯山線の線路が敷かれたのだということを、今回、初めて知った。

 

31日(水) ぎっくり腰もなんとか治まり、本格的配達を再開。今日は114軒。
 途中、森の開田の絶景ポイントへ。秋の空、黄金色の稲穂、そして鳥甲山という景色がうまく撮れたと思う。

 


配達日誌8月1日〜15日

1日(月) 午前中は、出来上がった「議員活動報告」第4号と未配達の「復興への歩み」No.290を切欠、長瀬の41軒で配達。
 午後1時、村長と面会。奥志賀公園栄線の通行止め、白鳥のバイオマス発電所計画、直売所かたくりへの支援問題で申し入れ。

 

2日(火) 午前中は青倉、月岡などで「議員活動報告」の配達。
 午後2時から、直売所にて小林店長、藤木八十治副組合長と直売所の抱える問題と打開策について話し合い。結局、3時間以上の話になった。あれだけの大きさの施設(ハコモノ)の建設を決めながら、その後の直売所の運営について、「上から目線」での「評論」のみを行ない、支援策を講じていない議会の問題性を痛感する。
5時半頃、外に出ると雨。夜かなり遅くまで雨続く。今日の雨は夕立という性格のものではない。

 

直売所では「またたび」がかなりの人気

 

3日(水) 午前中は室内作業。午後、平滝の国道よりも上の地区で14軒廻った後、剣の木の水路改良工事現場へ。桜沢喜文さんが話していたとおり、7月8日に行った時とはすっかり地形が変わっていた。この間、雨が降る日が多く、土を固める作業ができないので、作業が少しとまっている。工事がさらに進んだ段階で、「復興への歩み」で紹介したい。
 午後4時すぎ、診療所。その後、役場前で知人と少時間立ち話。西方の空に黒い雲が見えたが、夕立・雷雨はなし。
 昼すぎ、百合居橋で千曲川の増水状況を撮影(下写真)。上流域(東信など)での大雨の結果と思われる。写真に見られる、この日程度の増水では災害は起こらないが、「上流域での増水→下流域での洪水の危険」に対する村の警戒態勢に不安を覚える。

 

 

4日(木) 朝7時すぎに、森の役場横ではすでに25℃を表示。
 日出山線から五宝木、屋敷、小赤沢の順で秋山での「議員活動報告」とNo.290の配達。小赤沢集落は14軒のみで約30軒は配達できず。その後、上の原、和山、切明で配達し、昼食は雄川閣で「冷やし山菜うどん」。味はよかったが、器が普通のどんぶりで、せっかくの「冷し」料理が生きない。残念。
 その後、今日の秋山行きの1つの狙い、奥志賀公園栄線の通行止め現場の状況を見に行った。奥志賀公園線と秋山林道の交差点のところのゲートが締められていたら、それ以上進めないが、幸いにと言うべきか、バリケードで封鎖されていて、その横に軽トラ1台が辛うじてすり抜けられる余地が。
 軽トラで進むと、「200m先 工事現場」の看板。現場そのものに軽トラで乗りつけるのはまずいなと思い、歩いて現場へ。応急復旧工事を担当している湯本建設(湯田中温泉)の責任者の人がいい人で、災害の状況や復旧作業の段取りなどを詳しく聞けた。
 落石災害現場を離れた後、雑魚川沿いの遊歩道に入り、三段の滝へ。遊歩道に入って間もなく、降雨。しかし、ブナの樹冠に守られ、雨にはあまり濡れずにすんだ。まだ葉が緑の季節の「三段の滝」を撮ってみること、昨秋のように「三段の滝」の全体像を撮影することができるかを試してみることが目的。「滝と緑の葉」は狙い通りに成功。しかし、「三段の滝」の全体像は予想通りというべきか、撮れず。足元が濡れていて、滑りやすかったこともあるが、昨年、撮影のために崖を下りた地点が今年も使えるのか、確認できず。もう一度、行ってみる必要がある。(下写真。手前に見える木の左下に下りないと全体像は撮れない)

 

 

 上記のように奥志賀渓谷コースで5〜10分間、降雨あるも、村では夕立なしだったよう。英男さんの話では、「野々海の水は増えていない」とのこと。この間の雷雨・夕立はやはり南の方が中心のものだったようだ。

 

5日(金) 朝から再び、切明へ。「冷やし山菜うどん(そば)」の器の提案のため(「復興への歩み」No.291に記述)。
 午後、昨日と今日、秋山郷で撮った写真でブログ記事「真夏の秋山郷」を編集。夕刻までかかった。
 夕刻、温泉に行って英男さんに会ったが、顔が腫れている。ハチに刺され、診療所で点滴を受けたとのこと。

 

6日(土) 10時から「栄村歴史文化館こらっせ」の開館記念式典。議員の公務として出席。こういう場合はほとんど写真を撮らない。
 広瀬家土蔵の再現スペースで来賓として来られた広瀬家の人が白水智氏の説明を熱心に聞いておられる姿が印象的だった(下写真)。

 


 式典参加は午前11時すぎで終わり、午前中に「復興への歩み」No.291を印刷。午後は洗濯。
 今日は暑かった! 夜8時を過ぎても、「涼しいなあ」とならない。栄村は真夏でも夜になれば涼しくなるが、ここ数年、熱帯夜のようなことが少なくとも数日はあるようになった。

 

7日(日) 今日は「ぐるっとまるごと栄村サイクリング」。昨年は五宝木トンネルの手前で遠くの山を背景とするいい写真が撮れたが、今年はどこで撮影するか、ずいぶんと考えた。鳥甲山をバックに走る姿を撮りたいと思い、走者をクローズアップし、かつ、鳥甲山の大きな姿が写る場所をいろいろと考えたものの、いい場所が思いつかない。結局、「秋山林道の白沢付近がいいのでは」と考え、午前9時頃に現場へ。
 白沢で実際に撮ると、白沢の全体像を入れようとすると、やはり選手の姿が小さくなる。そこで、すぐ近くの不動滝に移動。鳥甲山の全体像を入れることはできないが、滝と鳥甲連峰の赤瑤瞭のあたりが入り、走者が大きく写るものが撮れた。ブログにアップしたが、「復興への歩み」でも紹介したい。
 その後、小赤沢29軒(4日に廻れなかったところ)でNo.291などを配達。午後、下(しも)におりた後、主に東部地区で51軒。405を下る時、いつも「眺めがいいなあ」と思う反里口のカーブ坂からの眺めを初めて撮影した。

 


 

8日(月) 今日は一日中、議会。午前は全協と臨時議会。午後は議員研修会と研修会講師との懇親会。これらに関することは「議員活動報告」で書きたい。
 温泉入浴の後、翌日の村内観光案内の打ち合わせ。
 夜11時頃、雨が降ってきた。それでも、そんなに涼しくならない。

 

9日(火) 朝7時すぎだったか、告知放送で「大雨警報発令」でビックリ。土砂災害警戒判定メッシュ情報で、まさに関田山脈あたりが赤表示。レーダー情報では強雨の雨雲はどんどん東へ移動するようだ。
 今日は秋山郷への案内を求められていたが、なんとか見られるところも確保できるだろうと考え、8時半頃に出発。コースは以下のとおり。 反里口のカーブの上からの眺め
 日出山線→鳥甲牧場(夏ソバ畑)→山田政治・せき宅(花豆の畑を見た後、お茶のみをさせていただき、きゃらぶき・マタタビなどを出していただく)→ブナのトンネル→山源(木工製品に関心があるお客さんの希望)→とねんぼ→切明・雄川閣(昼食)→林道・不動滝→布岩→前倉経由・405へ→猿飛橋→穴藤(吊り橋を渡り、導水管の直下まで行く)→ひまわり広場(お客さんのご希望)→ママのおやつ→津南町上野(うわの)集落(河岸段丘眺望)→中子(広大な田、中子の堤を見る)→トマトの国(入浴)

 

10日(水) 今日も観光案内。当初の話では「2日目は斑尾高原をご希望」とのことだったが、8日夜の打ち合わせで野々海のことを紹介したら、「是非、行きたい」ということになり、ご案内した。 野々海池に着いた時、英男さんが堤の草刈り中で、斜樋の扉を開けてくださり、中を見せてくださった。
 その後、斑尾高原にむかったが、「途中で珈琲をのみたい」とのことだったので、道の駅「花の駅千曲川」の「Cafe(カフェ)里わ」に立ち寄り。以前、「復興への歩み」で紹介したことがあるが、やはり都会から来られたお客さんはこういう洒落た雰囲気の店でのコーヒーを喜ばれる。栄村にもそういう店が欲しいなと思う。
 男性客のお一人がコーヒーの後、リンゴのソフトクリームを買ってこられ、美味しそう。「僕も」と思い、レジに行くと、「リンゴサンデー」というのがあり、私はそれにした。下の写真がそれだが、見た目がきれいだし、リンゴ味もよかった。まだまだ工夫の余地があるとは思ったが。

 


 栄村の道の駅のソフトクリームは人気だが、スタンド販売だけではなく、それこそCafeで食べられる場所があれば最高。物産館が売上げを伸ばしていく途(みち)はこのあたりにあると思うのだが…。
 その後、斑尾高原の希望湖(のぞみこ)にご案内し、斑尾高原で昼食の後、飯山駅14:10発の新幹線に間に合うようにお送してお別れ。
 午後3時前に村に戻り、すぐに配達に出かけようとしたが、疲れがどっと出てきて、配達はせず。村を観光案内することはよくあるが、まったく初見の人を丸2日間ご案内するというのは初めて。肉体的疲れ以上に、緊張感による疲れが大きかったのかなと思う。

 

11日(木)

泉平の田んぼと、畦に咲くミソハギ

 

 今日、林秀庵で方丈様の交替式が行われると、昨日、聞いた。朝、泉平全戸と箕作、横倉の一部、計55軒の配達の後、知り合いに電話で尋ねると、「10時頃から」とのこと。志久見に向かい、順番に配達に廻り、林秀庵に着くと、今日は車が入れない。お盆の施食会(せじきえ)(みなさん、「せがき」と言われる)が行われている最中で、交替式にはまだしばらく時間があるとのこと。志久見集落の残りと笹原、当部の配達をして、もう一度、林秀庵へ。
 檀家でもない私が写真を撮っていいものか、悩んだ挙句、方丈様のお孫さんにあたる役場職員の石塚雄輝さんを訪ねたところ、雄輝さんのお母上(新たに方丈様になられる石塚彰雄さんの奥さま)から「どうぞ、どうぞ。本堂に上がって撮ってください」と言っていただき、本堂へ。
 10時40分すぎからほぼ1時間、一部始終を撮らせていただいた。
 儀式は、これまでの方丈様が退任される“退董(たいとう)”と、新たな方丈様がお寺に入られ、曹洞宗の総本山・永平寺からの辞令を受けられる式の二つから成るが、とくに印象的だったのはこれまでの方丈様が旅姿でお寺を後にされる様子。いま、世上で「生前退位」ということが大きな話題になっているが、「退位」とはどういうことなのか、教えられた気がした。
 この後、「菅沢まつり」が行われている菅沢農場へ。
 トウモロコシやスイカをいただいた後、奥志賀公園栄線の通行止めが昨夕4時で解除されたので、応急復旧工事が完了した現場の様子を撮影するべく、秋山へ。この1週間で、秋山は5回ということになる。
 朝から夕刻までかなりハードに動き回り、さすがに疲れた。夜、「山の日」特集のテレビ番組を観て、9時半に就寝。

 

12日(金) 昨夜の就寝が早かったので、朝6時から始動。6時20分頃、久しぶりに、天地でズッキーニの収穫の様子を撮影。
配達は大久保、野田沢、平滝などで100軒。
 午前中に、「奥志賀公園栄線復旧」のブログ記事を制作・アップ。さらに、午後、昨日、秋山で撮った写真と、今日の午前、スキー場などで撮った写真で、写真アルバム「立秋を過ぎて…」を編集、ブログにアップ。

 

13日(土) No.291の配達を急いだ。白鳥、月岡、小滝、原向、坪野などで計176軒。
 午前11時頃、暑さがピークとなり、午前を終わった段階で熱中症気味。昼食後、2〜30分ほどの眠りで生き返った。3時すぎから配達を再開。午後4時頃、空気が湿っぽくなり、肌がべたつくようになった。夕方にこんなことを経験することはこれまでなかったように思う。(14日夕刻にも同じことを感じた。)
 昨夕、「トマトの国」に行った時、鳥甲山の上空に半月よりもやや大きくなったお月さまを見て、写真を撮ったが、今夕はさらにいいものが撮れた。(満月の時に同じ構図で撮りたいと思ったが、14日夕、同じ時間帯にはお月さまはもっと東の方角にあって、12、13日のような写真はもはや撮れなかった。)

 

下中央に見える山が鳥甲山。やや右手に見えるのは三ツ山、左は高倉山。

 

14日(日) 今日は五宝木、小赤沢の一部と屋敷・上の原・和山の全戸のNo.291の配達で、秋山へ。
 まず、津南町の中子の2軒に行き、そこから妙法育成牧場に進み、東電中津川第一発電所の貯水池がある高野山(こうのやま)のてっぺんへの道を探るも失敗。
 妙法育成牧場から日出山線出口に向かう間に、いわゆる「ブナのトンネル」以上に素晴らしいと感じるブナ林の中の道があることを知った。
 秋山ではかつて見たことがないほど、家々に車が駐車。お盆で帰省されている人が多い。まあ、私がお盆に時期に秋山に入ったのが初めてだからだろうが、集落内の車と人の多さに驚いた。

 

ジャガイモ掘りをする山田カツさんのひ孫さん(五宝木)

 

 秋山での配達の後、405を下り、津南町の穴藤集落へ。9日にお客さんを案内した際、素敵な景色をいくつも見ながら、写真を撮らなかったので、今日、立ち寄った。
 導水管の下で写真を撮った後、発電所構内に道がつながっていて、いくら進んでも「通行止め」にならないので、どんどん進むと、ダムのえん堤の上を車が通行できるようになっていて、国道405へ戻れるようになっていた。
 ダムのえん堤を車で通ることは西大滝ダムで何度も経験しているが、中津川第一発電所では初めてのことで、正直言っておっかなかった。しかし、眺めは絶景。

 

えん堤上から中津川上流側を見る

 この後、極野、中野の28軒でも配達。中野の桑原トキさん宅の前に大勢の人の姿。時々、親族が大勢集まられると聞いていたが、「今日はこれまでで一番多く、50人以上の大集合」だったとのこと。お宅に着いた時はみなさんが解散行動に移られた後で、写真は撮れなかった。

 

15日(月) 今日は地元・中条の白山神社のお祭り。朝6時から境内の草刈りやお社の中のさまざまな準備。1時間ほどで終わり、午前中は柳在家、切欠、長瀬、森で配達。
 午後2時から例祭。毎年来て下さる神主さんが6月に亡くなり、息子さんに代替わり。例祭の内容がかなり先代とは異なり、例祭の半分強の時間、「私にあわせて、頭をお下げください」と言われる。長い時間、頭を下げる姿勢を続けるというのは、かなりきついものだ。
 例祭が終わると、お神酒。さらに、神主さんがお帰りの後、みんなで飲む。この例祭、私にとってももはや恒例のものとなった。
今年は多忙で疲れがたまっているので、他の集落の祭りの夜の撮影取材はしないことにした。

 


配達日誌9月1日〜15日

1日(木) 箕作、横倉など107軒の配達。昨日に続き、3桁の配達軒数。
 配達途中で、まず、飯山線を走る珍しい車両キハ40−560系(下写真)を白鳥で偶然撮影。また、正午前に野々海へ。ブナの木の葉の様子がおかしいことが気になった(→12日に事態の真相を解明)。

 


 午後、直売所に立ち寄った際、レジ係の女衆から、「新しく出荷された野菜は自分で買って帰って、必ず試食するようにしている。自分で確かめないと人に薦められないでしょ」という話を聞いた。言われてみれば、その通りだが、単にレジをうつだけでなく、そこまで責任をもって野菜を扱っている組合員の姿勢に頭が下がる思いであった。

 

2日(金) 秋山に8月14日以来久々に配達に出かけた。8月下旬はいろいろとスケジュールが入ったうえに、25日のぎっくり腰発症で26〜28日の間、配達活動に出られなかったことが響いて、今日に至ってしまった。
 今日は珍しく405号線で秋山に向かった。当初から「今日は小赤沢集落と五宝木を全戸廻れればOK」と考えていたので、いろんなところで人と話し込んで、さまざまな収穫があった。配達に訪れた家々の多くで、軒先に小豆や花豆が乾されているのがいかにもこの季節の秋山らしい光景で、何枚もの写真を撮った。

 

鞘から小豆を取り出す福原キクヨさんの素早い指の動き


 今日の最大の収穫は、私が昨年から気に入り、ブログ等で複数回にわたって紹介している秋山林道沿いの滝の名前が判明したこと。秋山のいろんな風光明媚な場所を教えてくれる人に尋ねたら、「猟師の人でないと知らない」と言われ、8月14日にも猟師の人を訪ねたが、お留守で会えなかった。今日、ようやくお一人と会
えたのだが、「屋敷の人でないと知らない」とのことで、屋敷の山田由信さんを訪ねた。一発で答えが返ってきた。「カニモ滝と言います」。さらにお尋ねすると、「猟師の名前に由来する」とのこと。現在は秋山林道のすぐ脇に見える滝だが、林道整備前は山の中の滝。猟師の人以外は近づかない(近づけない)ところだったことが容易に推察できる。由信さんは、「あの滝は、水量が多い春がいいなあ」と。
 五宝木で山田政治さんから、五宝木開拓の初期、五宝木に入る道路がほとんど整備されていなかった時代の五宝木の人たちと営林署との独特の関係性について話をお聞きした。現在の森林管理局(営林署の後継組織)の人はまったく知らないし、理解もできない話だ。上に書いたカニモ滝のこともあわせ、現在の80歳代、90歳代の人しか知らない貴重な地域の歴史を聞き取り、伝承する必要性を痛感した。


五宝木ではナナカマドの実がすでに真っ赤になっている

 

 この他、小赤沢で地域おこ し協力隊の木村敦子さんがやっている「フリースペースじょんのびお茶のま」のこと、秋山小(現在では公式には「秋山分校」)での大学生と在校生・福原弥夢くんとの交流の様子などは「復興への歩み」本文で紹介したい。

 

3日(土) 昨日、秋山から戻る途中から「体調がおかしいな。風邪かな?」と感じていたが、一晩寝ても回復せず、フラフラ感があるので、土曜日でも開診している津南町の医院へ。やはり風邪で、薬をもらい、帰宅後はひたすら休養。

 

4日(日) 体調は回復。遅れていた「議員活動報告」9月1日号の作成でほぼ一日が終わったが、午後後半、出来立てのほやほやを持って、白鳥集落38軒を廻った。

 

5日(月) 日中は9月議会での一般質問の原稿書き。質問時間が制約される中で、どうやって意味のある質問をするか。推敲(すいこう)を重ね、原稿書きは予定時間の倍近くかかった。
 そのため、夕刻、暗くなってから配達に出たが、やはり足もとが危なく、雪坪、志久見で11軒を廻ったところで断念。明日朝、議会前に廻ることにした。

 

6日(火) 今日から議会9月定例会。午前10時開会前に、雪坪、志久見、柳在家で配達。議会出席用に着替えて、9時半過ぎに議会へ。
 午前中の補正予算等の審議も重要だったが、今日の最大のポイントは午後の「全員協議会(村長提出)」だった。直売所への補助金の問題。出荷運営組合関係者が多数、傍聴に来られた。全協の最後の段になってようやく、村長が「議会最終日に追加議案を提出する」と発言し、補助金の見通しがひとまずついた。
 3時前の終了で、その後、夕刻まで月岡、小滝、野田沢などで55軒を配達。朝と合わせて、議会開会日にもかかわらず、計101軒を配達。今回の議会は13日までと長いので、「議会中は配達せず」というわけにいかない。
野田沢からの帰路、午後5時すぎだったが、8月の雨で被害が出た貝廻坂の水路の復旧工事の様子を撮影。建設事務所の早い対応に少々驚いた。

 

7日(水) 午前10時からの議会の前に、平滝で31軒配達。

 

ひんご遺跡の朝8時すぎの風景


 議会は一般質問1日目で、午後2時頃終了。その後、昨日の補正予算審議であきらかになった森集落の水道導水管の震災による破損箇所の撮影に出向いた。

 

8日(木) 朝、10時からの議会の前と議会の終了後に、青倉53軒に、「復興への歩み」No.293と「議員活動報告」を配達。
 議会は一般質問2日目。今議会での一般質問は9名。6月議会ではくじ引きで私がトップバッターだったが、今回は私が最後。詳しいことは「議員活動報告」に書くが、「防災体制」、「第6次総合振興計画の策定について」、「文化政策と観光政策」の3テーマで質問。答弁時間も含めて1時間余。これが確保できる最大時間。本会議で
の議案審議との関連づけや、議会閉会中も行政チェックをしたり、提言したりできるような布石をうっておくことを心がけて、単なるパフォーマンスではない一般質問を追求している。


9日(金) 青倉の圃場整備工事関連で昨夜に住民から電話があった問い合わせ事項を調べるために、朝、議会前に青倉を訪ねた。
 議会は、午前9時から議員全員協議会、その後、午前10時から本会議で、決算特別委員会を設置して、決算審議。ほぼ丸一日。今日は議会前も議会後も配達する時間はなし。

 

10日(土) 今日・明日は議会が休みなので、7時50分発で、1週間ぶりの秋山へ。今日は屋敷集落の大半と上の原、和山、切明での配達。計42軒。和山は今日が祭礼だった。
 秋山に向かう前に中子(津南町)で2軒廻り、妙法育成牧場の道を通ったが、放牧されている牛を初めて撮影。さらに旧鳥甲牧場・五宝木高原でもいい写真が撮れた。

 

旧鳥甲牧場(五宝木高原)の朝の風景。手前のピンク色はイヌダテ


 今日の鳥甲山はずっと雲がかかっていて、格段の写真は撮らず。切明から秋山林道、奥志賀高原栄線に向かい、「紅葉は始まりつつあるか」をテーマに撮影。結果はブログ記事にする(11日にアップ)。同時に、7月28日の落石・土砂災害の応
急復旧工事箇所のその後を調査・撮影。
 屋敷での配達時、山田由信さんの畑を訪ねた。その際、畑に通じる道で測量が行われていて、尋ねると、「工事用道路として使うので測量している」とのこと。中津川にむかって地すべりが発生している箇所の対策工事が行われるようだ。

 

11日(日) 午前中、泉平、野田沢、程久保などで63軒の配達。
 泉平では、集落のみなさんが自ら工事された水路管理道路が完成した姿を見学させていただいた。
 お昼は、配達に訪れたお宅の庭でバーベキューが行われていて、参加させていただいた。お昼からお肉をたっぷり食べて、いささかお腹が重くなった(笑)。
 午後3時すぎに野々海に行くも、三叉路に着いた頃から霧が出てきて、野々海池の様子などはまったく見えず。

 

12日(月) 朝、野々海池の様子を見に行った。「午後は必ずのように霧が出る」というベテランの言葉があったので、10時からの議会前に往復するのは時間的に少々きつかったが、行ってきた。そこそこの天気模様だったので、今年の9月中旬の野々海の様子を把握する貴重な画像が確保できた。

 

野々海・東窓湿地の12日朝の様子。下草はもう完全に秋の色。


 議会は決算特別委員会の2日目。正午前に特別委での審議は終了。
 議会終了後、野々海に至る道路から確認できるブナの木の葉が枯れている状況について、県林務部−北信地方事務所林務課に問い合わせ。判明したこと、Webで調べたことなどを整理し、ブログ記事「ウエツキブナハムシによる被害と思われる事態について」を書き、ブログにアップ。FB、ツイッターで告知。
 その後、東部地区32軒の配達。午後3時15分すぎから、降雨が本格化(原向集落配達時)。

 

13日(火) 議会最終日。午前中の全協で副村長人事が飛び出してきた。議会は午後3時前に閉会。
 夕刻、「年に2回」という議会終了後の「宴会」があったが、私は腰の治療に行かねばならなかったので欠席。
 昼休み時、森集落のおかあさんたちに声をかけていただき、公民館での手芸の様子を撮影させてもらった。

 

14日(水) 朝、森川村長に、奥志賀公園栄線の落石・土砂災害箇所の今冬積雪期前の追加対策について、写真資料添付の申し入れ書を手渡した。その全容はブログで公開。
 村長との会談であきらかになったが、7月28日の災害発生以降、今日に至るまで、役場職員は1名も現場を見に行っていない。これは「職務多忙」云々の問題ではない。震災以降、一人の被災者として行ってきた現場主義の取材等の行動を、これからは議員としての立場・権限をもって継承・発展させ、村行政の改善に取り組んでいきたい。
 昼からは、若者との懇談。4時間余に及んだが、いろんな成果が得られた。こういう機会を増やしていきたい。

 

15日(木) 午前中、私の選挙・議会活動を支援してくれている森集落の人と、森集落の農業の将来像などについて議論。
 その後、天代、坪野、大久保など31軒の配達。これでNo.292の未配世帯は解消した。途中、大久保〜天地間の道路改良(築造)がほぼ完了した様子と、貝廻坂の「水害」箇所の復旧工事が完成した姿を撮影。

 

改良・拡幅された大久保〜天地間の道路
写真右手に旧道の一部が見える。


 午後は、久々の散髪。すっきりした。その後、今日も若者と2時間ほど懇談。さらに、夕刻、まとめ洗濯。


 


配達日誌7月11日〜20日

11日(月) No.287、288の配達を昨日でなんとか完了し、今日はNo.289の編集・制作。
 野々海池の大明神、大きな石が「ご神体」として祀られているが、その「大石」は昭和46(1971)年に堤の下の野々海川付近から人力で運び上げられた。このことは、6月初めに久保田晋介さんからお聴きしていた。当時の写真もお借りできた。その後、その写真のスキャニングなどができていなかったが、No.289で野々海築堤のことを書くので、朝からデータを取り込み。そのうえで、晋介さんのアルバムに貼り付けられていた築堤工事当時の写真のデータも欲しくて、午前中、晋介さん宅を訪問。草刈り中だったが、すぐに対応して下さり、No.289に掲載した写真などのデジタルデータ化ができた。

 

大明神の「大石」を運び上げた人たち


 午後は、ぎっくり腰症状はおさまったものの、腰が非常に不安定な状況なので治療へ。
 その帰路、青空がある程度見えるので、「切欠の集落と田んぼ」の夏バージョンを撮影するチャンスだと思い、長瀬〜原向間の県道の撮影ポイントへ。
 No.289の編集は12日へずれ込むことに。

 

12日(火) No.289と配達日誌7月1日〜10日の編集は昼前に完了。
 朝、起床した頃は室内にいても、半袖ではちょっと肌寒い感があったが、午前11時頃から大気が急にムッとしてきた。その後、夕刻まで暑い!  30℃を超えた。
 午後3時半すぎから、森、横倉、泉平、箕作、平滝で協賛者宅を配達。後半はかなり涼しくなった。今日の配達は62軒71部。
久しぶりに平滝の架橋工事現場に立ち寄った。「明日、検査が入る」とのこと。箕作側には次の工事を行う「綿半」さんが入ってきており、これまでの橋桁の送り出し工事は完了となり、発注者・県建設事務所の竣工検査が入るのだ。平滝の現場が閑散としていて、なにか寂しい気もする。
 今日はなぜかまったく写真を撮っていない。


13日(水) 朝から協賛者宅を中心に113部を配達。順調だ。
 先日、滝沢総一郎さんのアスパラ畑の立茎作業の様子を撮影したが、今日行ってみると、もうすっかり葉が出ていて、花のつぼみも見えた。

 


 北野〜天代間では土合橋の橋桁設置工事について現場事務所を訪ねた。
 平滝の架橋工事とはまたまったく違う工法。ひととおりの説明をしていただき、帰宅後、Webの説明記事も読んで、自分自身ではいちおう理解できたが、まだ人に説明できる段階ではない。ひとまず写真だけ示しておく。現在、橋台と橋台を結んでいるものは橋桁ではなく、橋桁を架けるための装置だそうだ。

 

 

14日(木) 天気予報を見ると、日中はお日様マークが出ているので、「晴れの日に高原シャトル便のコースを走ってみる」という計画を実行に移した。
 木島平村に向かい、「高原シャトル便」の出発点となっている木島平村観光交流センターに行こうとしたが、場所がなかなかわからない。私に木島平村の土地勘がないのが最大の要因ではあるが、そのことを自覚しているので、まず木島平村役場を訪ね、観光案内地図を手に入れた。ところが、その地図では主要道が県道何号線なのかは記されていず、道路を走ると、道路標識は県道何号線ということを知らせるものがほとんど。「観光交流センター」の在り処を示す道路標識が出てきたのは、同センターの近くになって初めて。

 

木島平村観光交流センター 職員の対応がとてもよかった


 木島平村は前村長が「農村文明塾」をやったり、今年度は木島平村主導で地方創生加速化交付金を獲って「高原シャトル便」を実験運行することになったりということで、栄村より進んでいるのかと期待したが、まったくの期待外れ。
 「高原シャトル便」のコースはたしかに素晴らしい。完成は夜遅くになったが、ブログ記事「涼しい!! カヤの平から切明温泉へ」を編集し、アップした。それだけの値打ちがあるコースである。しかし、本年度の実験運行は「地方創生交付金」という補助金での無料運行。そのためか、自前で運行した場合に採算ベースに合う誘客ができるだけの工夫はまったく見られない。お客はただバスに乗って木島平〜カヤの平〜切明を往復することしか出来ないのか? 切明で2時間ほど、〈温泉に浸かる、昼食を食べる〉ということはできるが、秋山郷の景色を充分に堪能できるわけではない。
 「補助金が人や自治体をダメにする」という説があるが、たしかに一理ある。木島平村の観光当局者や栄村の観光協会関係者と一度じっくり話してみたいと思う。

 

15日(金) 午前中、大久保・天地・野口・原向で配達。
 朝方、飯山線が雨の影響で大幅に遅れたとのこと。その関係で、飯山日赤まで人を送迎することになったが、飯山駅で事情を尋ねると、「替佐の駅の水位計が警戒水位超となったため」とのこと。昨夜、ほんの一時、強い雨の音がしたことがあったが、局地的にかなりの強雨になったようだ。千曲川がかなり濁っている。
 飯山の往復は「曇り」の予報とは異なり、青空も広がって気温もグングン上がったが、帰路、貝廻坂を上がると、妹木あたりからだったろうか、小粒の雨が降り、原向まで行くと、止んでいたものの路面が濡れ、水溜まりも。東部へ下ると、長瀬の路面は乾いていて、柳在家から下は路面が濡れていた。上郷のガソリンスタンドでは、「何処で降っているの? ここはまったく降っていないが」と尋ねられた。その後、箕作で配達を初めて間もなくポツポツを降り始め、箕作〜平滝間の架橋工事現場の箕作側の現場に写真を撮りに行くと、1〜2分で服がぐっしょり濡れるほどの雨(下写真)。帰宅後、17時頃の雨雲レーダーを見ると、中越で2ヶ所、激しい降雨の模様。本当に不安定な天候である。

 

箕作の架橋工事現場。雨が写っている。(17時撮影)


16日(土) 朝の涼しい時間帯に白鳥で配達をスタート、50軒を廻ったが、8時半頃から暑くなってきた。9時頃、平滝に移動する時に見た国道117の気温表示が27℃。
 この間の降雨で野々海池の水位はかなり保たれているだろうと思ったが、その確認の意味も込めて、野々海に向かってしまった。平滝集落の人が耕作している最も標高の高い田んぼ、標高600mあたりから涼しくなった。

 


 長野県側の空には青空が見られるが、新潟側は霧でまったく見えないという不思議な天候(上写真。左手=長野県に青空、右手=新潟県は霧)。野々海峠手前の信越トレイル出入口付近で柏崎から来られたという二人組と出会った。深坂峠から歩いて来られたそうだ。トレイルの入口には新潟ナンバーが1台停まっていて、この車の人はトレッキング中だそうだ。深坂峠では弁当を広げるご夫婦に出会った。
 三叉路の池は、先日はモリアオガエルの卵の塊が分解し、池に白いものが点々と浮かんでいる状態だったが、今日はもう白いものは見えず、代わりにモリアオガエルの鳴き声が聞こえた。
 午後は森集落を中心に廻り、今日は計113軒。
 夜、ブログに「野々海高原はまるで初秋のような感じ」をアップ。

 

17日(日) 昨日までで累計404部配達し終えたが、「20日までに約800部」ということからすると遅れている。青倉、横倉、月岡、箕作で計112軒を廻った。
 昨日、「道の駅」前の国道117号線を通った時、森集落の人たちが水路の改修工事をやっている姿を見たので、今日の午後、その様子を撮影に行った(下写真)。

 


 作業をやっている人の中には、平素の仕事が建築関係という人もいるが、他の人は普通の元勤め人であったり、農家であったり。平滝・横倉の野々海水路の改良工事もそうだが、こういう工事を自前の技でできることが、栄村の1つの底力だと思う。都市部で、「費用は出しますよ。原材料も支給しますよ」と行政が言っても、市民が道路改修工事などを自らやることは基本的に不可能であろう。

 

18日(月) 「野々海のガイドマップ」(あるいはガイドブック)が必要だという思いが強まり、午前中はその制作。「栄村復興への歩み」の次号を「観光ガイドマップ」の見本として制作するという趣向。
 午後は、中条川関係の工事の様子をチェックしておきたいと思ったが、1号崩壊地は「今日は落石の危険がある作業をしている」ということなので断念。そのかわり、「トマトの国」の裏から中条川に入り、上流の方にむかって歩いてみた。降雨の直後などは危険だが、水の流れが安定していることを確認してのこと。
 流れの中の石をつたって左岸から右岸へ、右岸から左岸へ、と2回渡り、2号谷止工のえん堤や減勢工の上にも初めて上ってみた。
とくに1号崩壊地直下のすぐ手前には、土石流で運ばれてきた巨大な岩がまだゴロゴロしている。
 中条川問題を一度、きちんと整理しなければならないと思う。

 

減勢工(セルダム)の上から下流方向を見る

 

1号崩壊地が目前に見える。
手前に見える大きな岩は土石流当時のままなのだろう。

 

19日(火) 朝9時から「議会報編集委員会」というものに初めて出席。1時間ほど。そこで思ったことは「議員活動報告」に書こうかと思う。
 昨日、配達できなかったので、かなり焦りながら、午前中は長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、天代、野田沢、小滝を廻り、116軒。草刈りをする人が多い。極野のある人は、「草刈るのに忙しいよ」と。今年は草の勢いがすごい。
 朝から暑いが、カラッとしていて気持ちいい。昼頃に「梅雨明けだ。気象庁はしばらく梅雨明け宣言しないだろうが、間違いない」と思い、夏空の写真を狙う。
 数日前から頭髪がうるさく、17日に散髪しようと思ったら、17〜18日、理髪店は連休。そこで、今日の昼食後、散髪へ。
 すっきりしたところで、泉平の配達をして、今日は全部で139軒。累計655部で、あと一息というところまで来た。

 夜、ブログに「勝手に梅雨明け宣言」をアップ。


 

 ブログに掲載した写真。空にピントをあわせた。泉平にて、16:07撮影

 

20日(水) 起床した時、あまり体がすっきりしていなかったが、今日は踏ん張りどころ。6時台に配達スタート。まず、雪坪、志久見、柳在家、切欠の49軒を廻ったところで8時半すぎ。9時20分から頼まれた用事があるので、いったん配達を中断。
 午前10時半頃のスタートで秋山へ。往きは日出山線コース。
 慌てていて、「下(しも)」でガソリンを補給するのを忘れていたので、まず、小赤沢のガソリンスタンドへ。栄村暮らしも10年目になったが、秋山での給油は初めて。(昨秋か冬か、一度、入れようとしたが、燃料の配達中でスタンドが留守だったので、給油できなかったことがある。)
 日出山線から屋敷までの林道を走っている間は涼しかったが、小赤沢の集落の中の配達時は暑い!43軒の配達を終えたところで、「少し涼みたいなあ」と思い、考えついたのが苗場山1合目の大瀬の滝に行ってみること。これは大正解だった。夜、「滝涼み」というタイトルでブログ記事にした。
 苗場山3号目に向かう道路から上の原に下る道も涼しくてドライブコースとしてよかった(下写真)。屋敷、五宝木でも配達し、五宝木〜極野線を通って「下」におりたのが午後3時半すぎ。

 


 4時頃、他の用件で泉平に向かった時に関田山脈に見えた雲の様子が素晴らしかった。山脈全体が雪山のような感じになった。しかし、残念なことに用件で他人の車に乗っていたので、カメラを持たず。二度目のチャンスがあるかどうか、わからないが、夏の待機中の水蒸気が多い日の夕刻近くには平素見られないような景色が関田山脈に見られるのではないかと思われる。

 

国道117・矢垂橋近くにて

 


配達日誌7月1日〜10日

1日(金) 野々海祭りはよかった! 堤の上での神事は例年通りだったが、キャンプ場でのタケノコ汁の会、人が非常に多かった。「懐かしい」という思いで、村外から来られている村出身者が多いようだ。来賓は建物の2階で直会(なおらい)というのではなく、みなさんと一緒というほうがいいと思うが。

 

野々海大明神前での神事に参集する人びと


 野々海の往き帰り、青倉〜スキー場〜野々海のコースを使ったが、トンボが目立った。トンボが目立つと、チョウが少なくなる。悪路を進むと、突然、野々海(池)の素晴らしい姿が目の前に広がるという往きも素晴らしいが、ブナ林の中の山道を下ってくると、スキー場の上で視界がいっきに広がり、津南の河岸段丘、千曲川、そして鳥甲山などの遠景が夏らしい空とともに広がる下りのコースは最高だ。
 そんな次第で、帰宅後の数時間、写真アルバムを作ってしまい、「議員活動報告」の完成は翌日へ順延。

 


スキー場の最頂部付近からの眺め。津南町の河岸段丘が一望できる。

 

2日(土) 午前中は「議員活動報告」の執筆・編集。
 早速、ガンガン配達、といきたいところだったが、洗濯などもせざるをえず、配達はわずかにとどまった。

 

3日(日) 今日は栄村駅伝大会。「えっ?! もうそんな時期なの?」と思ってしまうくらい、月日の経つのがはやい。ついて行ききれない感じがする。
 今年は時間の都合もあり、地元・中条で応援風景を取材・撮影。歳でもうほとんど外に出られない人を除いて、地区の人全員が応援に並んだ。小さな地区だから、人数は限られているが、これって凄いことだと思う。
 ランナーが通過する直前から雨がポツポツ落ちてきたが、家に入って間もなく、かなり強い降りになった。ゴール地点での表彰式は雨の中だったのだろうか。
 昼頃に配達の準備(3種類を一緒に配るので、セット作り)を終え、買い込んだおにぎりといなりを頬張りながら運転し、貝廻坂へ。天地で話し込んだが、天地、大久保、程久保、野田沢、小滝の全戸65軒を廻り、配達物切れ。家に用意してあるものを取りに戻り、青倉49軒などを廻って、今日は計115軒。昨日、半月ぶりに配達を再開したが、昨日は14軒。今日、久々に本格的な配達をした。今日も蒸し暑く、その面では大変だったが、「疲れた」という感はなく、むしろ「体にキレが戻った」という感じ。議会の審議時間が短いのは困ったものだが、 私には議席でじっと座っている
のよりも、配達で村じゅうを駆け回っているほうが性に合っているのかもしれない、などと思ってしまった。

 

アスパラの立茎作業をされる滝沢総一郎さん

(強い雨風による倒伏防止のためにロープを張っておられた)

 

4日(月) 今日は、「疲れた!」の一言に尽きる。
 今回は、No.287、288に加え、「議員活動報告」があるので、8頁版が3つあることになる。印刷はプリンターがやってくれるが、A3判の刷り上がりを2つに折る作業はすべて手作業。100部を印刷すると、計300回の折り作業をすることになる。昨夜も折り作業が延々と続き、夜0時をまわった。
 予報は曇りだったのに、実際は雨。極野22軒を廻った後、極野〜五宝木線で五宝木へ。そして屋敷、小赤沢。小赤沢の途中からかなりの疲労感。昨日のハイピッチ、夜の作業、雨の中の配達という3要因の重なりの故か。

 

花豆の花(屋敷にて撮影)


 3時半頃に津南町まで下り、「今日はこのまま休もうか」と思ったが、平滝の現場から400t吊クレーン車が去るので、解体された姿を撮るために平滝へ。午後9時にクレーン車が出発するまで待機の現場代理人さんと1時間以上話し込んだ。それはそれでとても意義あるものだったのだが。
 明日は午前中、野菜の発送があるので、診療所行き(投薬を受けるための定期的通院)の時間もとって、配達を午後へまわし、少し体力調整にしよう。

 

5日(火) 昨夜も折り作業で就寝は遅く、今朝は二度寝で、9時前に飛び起きた。
 午前中はズッキーニの受け取り、発送準備と順調に進んでいたが、ここでアクシデント。ミスで車のバッテリーが上がってしまったのに加え、久々のギックリ腰。
 すぐに十日町の接骨院に行き、これまでよりも即効性のある治療法を試みてもらい、いったんは相当に楽になったが、夕刻からダメ。横になっても寝返りひとつ自由にはできず、なにもできない。2〜3日はまともな仕事、できないかも。

 

6日(水) 一晩寝ると、朝、相当に楽になっていた。午前中は議会全員協議会。
 全協は1時間強で終了したが、その後、議会事務局室で議長、副議長から“注意”。私の「議員活動報告」に関するものだったが、どうやら議長に苦情を言ってきた人がいるらしいが、内容からすると、それが現職議員と前職議員のようで、とても情けない。連絡先も明示している私自身には何も言って来ていないからだ。議員活動に関することなので、詳しいことは「議員活動報告」で書きたい。
 午後は昨日に続き、接骨院へ。かなり徹底的な治療をしてもらい、かなりよくなった。少し配達をすることも考えたが、自重した。
 今日は30℃を超え、猛烈に暑かった。ただし、そんなに蒸す感じではなかった。

 

7日(木) 朝の起床時は咋朝よりも腰が重く、厄介な感じだったが、「動くと痛い」というものではなく、ぎっくり腰はよくなっている感じ。配達に歩いた方がいいだろうと考え、午前中は森と横倉で計117軒。
 朝方はどちらかといえば曇天で気温もあまり上がらなかったが、11時すぎから陽射しが強くなり、気温は急上昇。午後は夕刻にかけて蒸し暑くなったように感じた。
 昼食で久しぶりにしっかりした和食を食べ、ホッと一息。
 午後イチは、PCのwindows10への変更で接続に問題が生じたスキャナーの調整に業者の知人に来ていただいたのと、プリンターのメンテナンスが重なり、自宅。おしゃべりしながら、午後配達用の折り作業。
 配達再開直前に電話が入り、津南で公演されていた月岡翁笙氏に「さかえ田植唄おどり」の写真データを届けに津南町へダッシュ。
 夕刻、箕作の半分と泉平を廻り、今日の累計167軒。相当疲れ、左足に神経痛的な症状を感じたが、なんとか乗り切った。夜は11時頃までずっと折り作業。
 今日から、「栄村復興への歩み」発行協賛金への協力をお願いするキャンペーンを始めた。

 

コスモスが開花!(泉平にて)

 


泉平・武田文子さんのお花畑


8日(金) 朝、平滝で少し配達した後、野々海に上がった。水位を見ておきたかった。池の周りの土手の見え具合からすると、たしかに1日よりも減っているが、斜樋を見ると、8段目にもわずかに水が確認できる。おそらくは9段目、10段目が開けられているだろうと思う。ただ、ほとんどの田んぼが中干し期に入っているので、水はそんなにいらないのだろうと思われる。
 今日は水番の英男さんが野々海に向かわれたのはやや遅くて、帰り道で行き合った。水栓の調整の具合を後から尋ねてみようと思っていたが、今日はバタバタしていて果たせず。
 野々海に上がったのにはもう一つ理由があった。平滝と横倉に下る水路の途中にサイフォンがあるが、サイフォンで水を送っている箇所の谷を土で埋めて、水路沿いを車で通れるようにし、水路管理をしやすくする工事が始められていると聞いていたので、その様子を見に行くことだ。
 帰路に立ち寄った。業者に工事してもらっているのではなく、平滝と横倉の人たちが自身で重機を使い、山を切り、谷を埋めるという大変な工事作業をやっている。この工事の計画は1〜2年前から検討されていることを知っていたが、これだけの工事を自分たちでやるというのは本当に驚きである。工事の様子は「復興への歩み」本紙で紹介したいが、ここでは昼食などの休憩時のための施設の工夫を紹介しておく。

ブルーシートで休憩時の日よけ。伐採したブナの木でそこへ上がるための

階段がつくられている


 素敵だ!
 午前中は野々海の帰路に平滝の国道より上の部分の配達を終えるところまで。
 足腰がかなり疲れたが、昼食の量をやや多めにしてエネルギー補給し、午後は平滝の残り、白鳥の3分の1、泉平、月岡、そして箕作の残りを廻って、今日は累計148部。
 箕作の最後から8軒目あたりから雨がポツポツ落ちてきて、最後の1軒の時、強い雨に。そして、その直後、さらに強まって地面を叩きつけるような雨になった。大きくは台風1号と梅雨前線の影響であろうが、地面を叩きつけるような雨は夕立の感じ。雷は聞こえなかったが、気温上昇で積乱雲が発生して強雨になったのではないかと思う。この間のぐずぐずした天気は配達には困りものだが、畑にとってはいいだろう。
 ぎっくり腰そのものの症状は改善しているが、腰・背中の張りはかなりのもの。とにかく6月後半の空白を埋めるべく、3つのものを同時に印刷・折り・配達しているので、後1〜2日は厳しい状態が続く。

 

9日(土) 久しぶりに6時少し前に起床できた。昨夜、0時より前に寝るように心がけたということの影響もあるだろうが、体の芯の部分の疲れはとれてきたということだろうか。
 今日は「一日中雨」と言われていたが、Yahoo!の天気予報を見ると、「曇り」の時間帯もある。そこを狙って、午前6時台の後半からスタート。朝方の曇りの時間帯に東部で76軒、廻れた。
 9時半頃には家に戻り、雨の様子を窺いながら、資料類の整理。ほんの少し片付いたか。
 午後、30分強、午睡。目が覚めると、雨が止んでいる! 長瀬、切欠、柳在家、そして志久見の3分の1弱の計64軒。志久見の最後の数件を廻っている頃に再び雨に。今度の雨は霧雨(きりさめ)。霧雨はちょっと見た目には大した雨ではないが、細かな雨が密度濃く降るので、手に持った「復興への歩み」を大いに濡らしてしまう大敵。早々に切り上げ、6時50分頃に、温泉「トマトの国」に向かう時に撮った写真を1枚。霧雨は配達の大敵だが、景色的には美しい。

 

中条地区からの景色


 夕方の配達で、ある人から「一人で大丈夫ですか? 議員にもなられて大変でしょう」と声をかけていただいた。こういう心配の声は他でもかけられる。「議員活動は議会が開会の日だけ」というのであれば(そういう人をこれまで何人も見てきたが)、議員になってもそんなに大変ではないが、私の場合はそうではないことを、多くの人が理解して下さっている。立候補を決めた時に思っていたよりも実際は大変だが、これも自分で選択した道。頑張るしかない。定例議会も体験したので、なんとか自分なりのペースをつかんでいけるのではないかと思う。
 夜、折りの作業中に初めてお話する村民の方から電話をいただいた。「議員活動報告」を読んでいただき、関心を持って下さった方である。最近は、かなり多くの方から「『議員活動報告』がいい」と声をかけていただいているが、「議員活動報告」はじつは大変。「それはみんなに公表すべきだ」と複数の人から言われているので、どこかできちんと報告するつもりだが、私の「議員活動報告」を不都合と思う人からは議会(議長)に圧力がかかっているようだ。そういう圧力に負けるわけにはいかない。
(昨日の野々海池の水位だが、今日、英男さんに尋ねると、「増えても減ってもいない。栓は9段目のまま。来週は中干しが終わるので、出す量が増える」とのこと。)

 

10日(日) 今朝も6時前に起床できた。No.287、288(そして「議員活動報告」第3号)の配達を今日中に終わらせたいということで、6時半頃からスタート。
 白鳥の3分の2くらいが残っているので、まず白鳥へ。ここが終わったのが8時10分頃。今日は朝から晴れだが、この時間でもう25℃以上。暑い! いったん家に立ち寄り、参院選の投票へ。その後、志久見集落の残りを廻って、ガソリンを補給したうえで、日出山線で秋山へ。

 

雪坪から見える鳥甲山(午前8時40分)


 途中、豚舎があるところ、そして熊出没ゾーンを通るので窓を閉め、エアコンを入れた。鳥甲牧場に近づき、「クーラーが効きすぎ」と思い、エアコンを止めて窓を開けると、じつに涼しい! 鳥甲牧場−五宝木高原は別天地だ。野々海と同じく赤トンボも飛ぶ。
秋山の配達は上の原、和山、切明。上の原の中心ゾーンは暑かった。帰路は秋山林道→五宝木→極野。切明〜屋敷間の不動滝で撮影したあたりまでは元気だったが、途中から急速に体がきつくなってきた。雪坪で4軒配達し、5部不足するため、いったん家へ。残り7軒を廻って配達完了が3時10分。熱中症状態だったと思う。1時間弱の午睡、温泉、夕食で、夜8時半頃になってようやく元気回復。
 5日と6日のギックリ腰による配達休みがあって、7日〜今日は相当に無理をしたが、なんとか10日中に配達が完了し、先の見通しがたってきた。7月は11日と21日、8月は2回出せれば、ペースは確立できる。9月は6日〜9日の間に9月定例会が始まり、1週間くらいの会期になると思われるが、なんとか乗り切れるだろう。9月は決算議会なので、7〜8月の間に「決算」というものについてしっかり勉強しておくことが鍵だと思う。

 

 野々海祭りと3日の栄村駅伝応援の様子の写真を紹介しておきたい。

 

大鍋でタケノコ汁をつくる。
今年の当番、森集落の人びと。

 

中条地区の人たち総出で応援。


配達日誌6月21日〜30日

21日(水) 中条川上流の2号崩壊地の不動滝、その上に平らなところがかなりの広さであり、その先にはブナ林があるという。そのブナ林が東入沢川(中条川の上流)の水源の1つになっているという。そのブナ林に、羽倉集落から山に上る道からも接近できると聞いたので、早朝、行ってみた。
 しかし、信越トレイルの一部にもなるそのコースは、今年の草刈りなどは行われていない様子で、午前10時開会の議会に間に合わなくなるため、本格的に山に入る手前で断念し、引き返した。

 

羽倉の上。信越トレイルはここを左に進む。


 議会は午後2時すぎに終わり、夕刻は「お米のふるさと便り」のための青倉での撮影など。
 夕刻は西山田の棚田へ。やっぱり最高の眺めだ(下写真)。
 

 

22日(水) 議会最終日は午後1時半開会なので、午前中、平滝の架橋工事現場、野々海池の水位の様子の確認、「ひんご遺 跡」での栄小学生の遺跡発掘体験の様子を取材へ。
 子どもたちは熱心に発掘作業に取り組んでいたが、最後の挨拶で、県埋蔵文化センターの課長・町田さんが「こういう仕事に従事する人が少ない。大学で考古学を学んでも就職となると、他の分野に進んでしまう」という現状を紹介して、遺跡発掘の仕事への誘いをしていたのが印象的だった(下写真)。現場の主任・谷さんは「夏休みの宿題で遺跡を取り上げようという人は発掘作業に自由に参加できます」とも呼びかけていた。

 


 午前中の最後にアスパラの発送作業をして、午後1時すぎ、議会へ。
 夜は、議会主催の村長歓迎会、長部局主催の新人議員歓迎会の2つを兼ねた宴会へ。帰りは森の駅前から歩きだったが、雨。帰宅後、かなり強い雨。
 今日の野々海池の水位を示す写真を2枚、示しておきたい。

 

 

 

23日(木) 昨夜、宴会で久々に酒を飲んだこともあり、疲れがどっと出て、午前は十日町の接骨院へ。その後もほぼ一日、ゴロゴロ状態。こんなことは何年ぶりだろうか。
 仕事と呼べるものは「お米のふるさと便り」に使う写真をピックアップしたことと、村役場の7月1日付の人事異動の取材に出かけたくらい。

 

24日(金) 午前中は「お米のふるさと便り」の編集。「間に合うかな?」と心配したが、意外と早く仕上がった。
 昼すぎ、平滝の架橋工事現場へ。現場代理人の島田さんと少し話したり、写真を撮ったりしたところで、「シルバーマーク」の付いた軽自動車が1台停まっていることに気づき、さらに橋脚建設の際に工事用道路になっていたところの下の方から草刈り機の音がすることに気づいた。
 道を下って行くと、一人のおかあさんが草刈りをちょうど終えようとしていた(下写真)。桜沢みねさんだった。橋脚建設の際、工事用仮設道路のためにみねさんの杉林の一部が伐採され、橋脚建設工事の後、橋脚建設工事を担当した塩川組さんが植樹をされた。その一帯の草刈りをされていたのだ。

 


 「地主は桜沢みねさん」と聞いてはいたが、現在では村にはお住まいではないため、正直に言うと、私にはよくわからない存在だった。今日、みねさんと話していて、「ところで、おたくさんは?」と聞かれ、「松尾です」と答えると、「ああ、あの松尾さんかい?震災の後はずいぶんとお世話になった」と言ってくださる。「えっ?」と言うと、「私も仮設住宅にいましたから」と。うん、記憶している、仮設住宅に「桜沢みね」さんという人がおられたことを。
 こういうご縁というのはおもしろい。工事後の植樹では杉の木ではなく、ブナが植えられた。どうやら、このブナの幼木とは今後いろんな形でお付き合いが続きそうな気がする。

 

25日(土) 起床後、「復興への歩み」の原稿を書き始めたが、木島平村と切明温泉を結ぶシャトルバス(=「高原シャトル便」)の運行初日の様子を撮影するために、9時半頃に秋山に向けて出発。日出山線を進み、途中、鳥甲牧場に立ち寄って、レタスの一種、「グリーンリーフ」の栽培・収穫の様子を撮影。
 その後、秋山林道を走り、11時5分に切明温泉着の「高原シャトル便」をミズノサワ付近で撮影しようと思っていたが、10時40分すぎに秋山林道から切明に下る三叉路のところで「シャトル便」に遭遇。時刻表よりも早くなっていた。
 やむなく、バスの後を追いかけて切明へ。いろいろ撮影したり、取材したりして切明を後にしたのが午後1時少し前くらいだったろうか。
 この切明で面白い出会いがあった。松本からカヤの平を経由して車でやって来たという若者5人組。私はこういう人たちに積極的に話しかけるように心がけている。彼ら・彼女らからは、「このあたりに、どこか、食事できるところはありませんか?」と尋ねられた。「僕は、たったいま、ここ(雄川閣)でソバを食べたところですが」と答えたが、あまり関心をもたれなかった感触。「これから、どちらへ?」と尋ねると、「津南町から十日町方向へ」との返答だったので、ちょっと思案を巡らして、「あっ、それなら国道405で津南町に出てすぐのところに“味郷とんかつ”という美味いとんかつを食べられるところがありますよ」と紹介すると、一気に関心を示され、スマホで「これですか?」と「味郷」さんの店の写真を見せられた。世の中、便利になっているんだなあと感心。さらに、「ママのおやつ」さんのことも紹介すると、これまた、すぐにスマホで「このお店ですか?」と写真を見せられた。

 

「川原から湧き出る温泉」で遊ぶ松本から来た若者たち


 この話で私が思ったことは、スマホの便利さだけではない。秋山郷観光における「食べ処」の問題について考えさせられたのだ。ドライブで来る人たちにとっては切明と津南町はせいぜい1時間以内。津南の街中が秋山郷観光の際の食事処となりうるのだ。私たちは、そういう発想法で、栄村及びその近辺の観光を広域的に捉え(考え)、観光プランを創造・提案し、情報発
信していくことが必要なのだ。
(この若者たちが25、26の両日、「ママのおやつ」を訪れたことが26日夜にわかった。「味郷」も訪れたが、残念ながら臨時休業だったそうだ。)

 

26日(日) 朝、「復興への歩み」の原稿を少し書く。
 今日は、森集落第1常会の日帰り旅行。予定よりも少し早い9時15分頃、迎えのバスが中条に。昨年、送迎バスの動きから「1泊旅行」ではなく日帰りであることを知ったこと、昨年度、隣組長を務めたことなどから、今年は初参加することにした。
行き先は松之山温泉の「白川屋」。栄村に移ってきて以降、松之山には何度も行っているが、温泉に入るのは初めて。11時頃から昼食宴会。週に2回の飲酒はきつい面もあるが、面白いゲームやカラオケで楽しい時間を過ごした。

 

熱唱する月岡英男さん


 ビールを結構飲んだこともあり、帰宅後、1〜2時間、爆睡。夜はパソコンにむかってメールを書いたり、電話をしたり。
仕事のペースを取り戻せそうになってきた。

 

27日(月) 朝8時すぎに平滝の現場へ。今日は、この間ずっと平滝側に置かれていた計80トンの橋桁4本が400t吊の巨大クレーンで持ち上げられ、この間の送り出しで橋脚P2を越えて進んできた橋桁と平滝側の橋台の間に入れられる。この間、連日のように工事の様子を追いかけてきた者として、この瞬間はどうしても写真に収めておきたかった。
 現場に着くと、巨大クレーンはすでに準備態勢に入っていた。その近辺には立ち入れない。現場代理人さんに「安全で、よく見えるところは?」と尋ねると、箕作側だとのこと。箕作側へ移動し、橋の近くで、作業箇所がよく見える田んぼの畦に陣取った。写真データの記録を見ると、その地点で撮影を始めたのが8時34分、1本目の橋桁の移動完了を見届け、その場を離れたのが10時きっかり。工事現場の1ヶ所での撮影時間としてはこれまでで最長時間かもしれない。じっと畦に立ち尽くして撮影していると、東からの太陽光が背中に降り注ぎ、背中があっという間に汗ばんできた。

 


橋桁がクレーンで所定の位置におろされる瞬間だが、箕作側から延びてきている橋桁上でそれを待ち受ける作業員の姿が見える(黄色でマーク)。吊られている橋桁から垂れるロープを掴んで誘導する。


 午後も、4時少し前にもう一度、現場に赴き、橋桁4本が所定の場所に収まったことを確認した。
 6月の写真データをふりかえると、とくに後半、議会準備で配達がストップして以降はとくに顕著だが、デスクワークが増える中で、平滝の現場だけはほぼ毎日のように様子を見に行き、写真を撮っている。やや「オタク」っぽくもなくはないが、この現場はそれだけのこだわりをもって取材し続けるだけの価値があるものだと思う。
 夜は若者との懇親会。9名の若者たちが集まってくれたが、なかなかいい雰囲気。こういう機会を増やしていきたい。
 午前と夕刻の撮影の間に、「復興への歩み」の原稿書きを進めた。

 

28日(火) 今日はほぼ丸一日、原稿書き。「復興への歩み」No.287の記事の中の1つとして、栄村振興公社に関することを書こうとしたが、1頁や2頁では済まないことが判明し、思い切って8頁すべて振興公社問題に費やす特集号にすることにした。
 貸借対照表や収支計算書を読み込むことなど、元々は苦手とすることだが、きちんとした問題意識をもって読み込むと、意外とポイントがスラスラと読み解けた。議会一般質問の準備過程で「定款」を読み込み、かつ、公社の現状をある程度把握していたことも大きかったかもしれない。
 夜遅くの問い合わせにもかかわらず、メールで送った原稿のチェックをして下さった知人にも感謝申し上げたい。

 

29日(水) 朝方、振興公社特集の原稿の最後の項目を書き、11時頃に完成。
 その後、ほぼ同時に発行する通常号No.288の掲載写真を求めて、斉藤幸一さんのキュウリ畑、斉藤克己さんのズッキーニ畑と勝美さんのケチャップ用トマトの畑、宮川頼之さんの加工用トマト畑の様子を見に、東部谷〜菅沢〜野田沢(妹木)をぐるっと廻った。下の写真は、1枚目が頼之さんご夫婦の5月17日の菅沢での定植作業、2枚目、3枚目はそのトマトの今日6月29日の成長ぶり。

 

 

 


 もう一つ、中条川上流山腹崩壊地で今春から始められた谷止工の工事の様子を見に行くことにした。ここは車1台が通るのがやっとの山道を工事用ダンプが通るので、崩壊地に向かうことそのものについて、現場代理人と事前連絡をとることが必要。朝方に電話し、結局、「夕刻4時半以降に来てください」ということになった。いったん2号崩壊地まで入り、不動滝の姿を撮影し戻る時、谷止工の現場で床堀りした箇所にブルーシートを張って、雨対策をしているところを上流側から撮影した(下写真)。常人では想像もつかないような厳しい現場での工事である。

 


 私は、じつはこの谷止工の設置については、「本当に必要なのか?」、疑問を抱いている。砂防工事を主管している林務課に話を聞けば、必要性はそれなりにきちんと説明されるが、私の懐疑はそれを超える。ただ、いったんついた予算はそう簡単には撤回されないし、いま、私には反対論を主張することに精力を注ぎ込む余裕はない。もう実施計画段階に入っている工事は実施を見守り続けつつ、中条川上流の山腹崩壊地の自然の様子の観察を続け、より根本的な問題を考えていきたいと思っている。
 「復興への歩み」No.287(振興公社特集)は若干の校正をして、夜、ネット上での発信から開始。
 No.288は使用する写真のデータを整理するところまで。

 

30日(木) 日中ほぼ一日かけて「復興への歩み」No.288を作成。こちらは写真が多く、原稿を書く量は少なかったので、夕刻までになんとか完成。
 27日の項にも少し書いたが、6月、とくに後半、写真は平滝の架橋工事関係が圧倒的に多く、「人を撮る」という今春に立てた目標から大きく後退している。7月に入ったら、もう一度、軌道修正したい。No.287・288と一緒に「議員活動報告」を配れるようにしたいということで、書き始めたが、こちらも書くことが多くて、難儀しそう。

 

*6月1日〜20日の「配達日誌」は書いた日もあるが、中旬頃、書けない日があり、未完成。今回は21日以降のみを公表する。

 


 スペースが残ったので、とりあえず記録にとどめておきたい中条川上流1号崩壊地に露出する地層の写真を掲載する。じつは、この地層の大部分、近く吹き付け工が行われ、見られなくなる。

 


 この一帯の地層が水平面に並行ではなく、南東方向に傾いていることがわかる。
 草が生えているところは地層がある程度安定しているのだと思われる、それに対して、下写真は左写真の右手に位置するところで、たえず落石が見られる不安定箇所。

 


 1枚目写真の真ん中やや右寄りと真ん中下に赤っぽいところが見える。それをクローズアップしたものが下2枚目写真。

 

 

 

 この露出地層は、地震研究と、ジオパークの観点の両面から第一級の価値を有するのではないかと思う。工事関係者(今後行われる森の水道水源復活工事を含む)の安全確保上、吹き付け工の実施はやむを得ないと思うが。