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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌4月21日〜30日

21日(木) 今日は「復興への歩み」No.283の編集が主。
ただし、「まずは熊本へ支援物資を」ということで、紙おむつや離乳食などを購入するために津南町へ。また、記事内容との関係で坪野集落に写真撮影に。
結局、編集に夕刻までかかり、今日は配達なし。

22日(金) 12日にひいた風邪がぶり返してきて、朝、起きると頭が重い。午前中は静養。
大人しくしていればよさそうなものだが、「野々海は21日、22日に除雪が入ります」と役場関係者が話していたことを思い出し、3時頃、野々海にむかった。
 野々海への道を上がっていくと、標高900mをこえたあたりでロータリーが下ってくるのが視界に入り、バックで後退して、路側の余地のあるところでしばらく待機。その後、三叉路まで上がれて、さらに堤の方にむかったが、ここは100mほど進んだところで、まだ未除雪に(下写真)。



 野々海から下りた後、平滝の架橋工事現場へ。ちょうど今日の作業が終わったところで、いろいろと写真を撮らせてもらった。
そんな次第で、No.283の配達には至らず。

23日(土) 今日は朝6時台から配達スタート。青倉、森で何軒かを廻った後、日出山線経由で屋敷集落へ。No.283では屋敷の人のことを取り上げているので、まず屋敷で配達をしておきたかった。
 屋敷橋近くの二本筋の滝のところのヤマザクラがついに満開。素敵な写真が撮れた。これは25日発行の「お米のふるさと便り」で使うと同時に、「復興への歩み」No.284で紹介したいと思う。
 屋敷からの帰路、五宝木に立ち寄り、2軒に配達。政治さんらはGW明け頃に五宝木に戻られるらしいが、すでに2軒の人が五宝木に戻っておられた。その後、冬期はゲートが外されている旧村営牧場に入ってみると、猟犬の姿が…。阿部広文さんがナメコのこま打ちをされていた。これもいい写真になった。



 昼すぎまでで51軒。午後は友人に会いに村外へ。話が弾み、村に戻ったのは午後10時を廻っていた。私自身は選挙戦にならなかったが、村長選の只中で、ずっと村にいると緊張の糸がピーンと張り詰めたまま。久しぶりに外に出かけて、少しリラックスできた。

24日(日) 村長選挙当日。投票には昼頃に行き、信毎の出口調査にも回答した。
 今日はほぼ一日、「お米のふるさと便り」の制作。その関係で追加取材が必要で、9時すぎからスキー場にむかい、スキー場頂上を経て、青倉・西山田の棚田に水を供給する貝立水路のかけ口まで。
 先日、スキー場に上がった時は、頂上から先に進むところに残雪があって、車ではそれ以上進めなかったが、今日は予想通り、その先まで軽トラで進めた。しかし、貝立水路かけ口までは行けず、途中から歩き。下1枚目写真のところは強引に突破したが(私の車は今春の場合、GW明けまで冬タイヤ)、その先は下2枚目写真のような状況で歩き。今年の水路普請は雪を掘る必要もなく、楽になりそう。





 夜8時40分すぎ、役場ホールの開票所へ。異様なまでの静寂さ。2度目の経験だが、前回(8年前の村長選)の時はこれほどの緊張感はなかった。下写真は、集計結果が選管書記長から選管委員長に伝えられる瞬間。



 結果は1位森川氏が2位高橋氏に約200票差をつけた。
 この投票結果をどう見るか、おいおい議論していきたい。

25日(月) 朝、「復興への歩み」の配達を再開し、平滝で53軒62部。
 その後、午前10時から役場2階大会議室で当選証書の交付式。村議補選の場合、19日段階での決まったことは「選挙は行わない」ということのみで、昨24日の村長選開票作業終了後に開催された選挙会という会議で初めて「当選」が決定された。
 当選証書を受け取った後、議会事務局で諸手続きを行なったが、そのあたりからは別途、議会活動報告で書くことにする。
 午後は再び「復興への歩み」の配達。長瀬、切欠などで65軒。切欠で、「選挙が終わって、寂しくなったね」という声も。いいお天気なので、外作業をする人が多いが、たしかに静かだ。
 その後、直売所かたくりに立ち寄ったが、タラの芽もたくさん出ていて、いよいよ山菜シーズン真っ盛りに。



26日(火) 朝、少し室内作業をした後、9時半すぎスタートで配達へ。
最初の配達先に野口・原向を選んだ。昨夕、温泉で出会った関沢真さんから原向の桜について、面白い話を聞き、その桜を撮りたいと思ったため。
   「今年はGW期間中に田ぶち(=田起こし)ですか?」
   「いえ、これからスジ播きです。原向に桜の木が一本あるでしょう。
    『あの桜が満開になったらスジ播き』という言い伝えがあるんで
    す。今日、満開になっていました。」
 こんなやりとりだった。その桜は私もとても気に入っているもので、ツボミ段階で二度ばかり写真を撮っていた。
柳在家から東部パイロットを経由して大久保〜長瀬間の県道に出たので、野口から配達開始。東部パイロットでいろいろ撮影したり、野口で20分近く話し込んだこともあって、件(くだん)の桜のところに着いたのは10時40分すぎ。手前のタンポポもきれいだったので、下のような写真を1枚紹介しておく。



 午前の配達は北野、中野、程久保を加えて55軒。
 その後、ブログ記事「4月26日午前に出会った風景、光景、人」を編集。かなりの写真枚数で編集に時間を要し、前半部分でいったん打ち切り、3時半頃から横倉で配達再開。
 その1軒目に向かう時、百合居橋のたもとに救急車が停まっているのに気づき、さらに川に目をやると、救命ボートが上流方向へ。慌ててカメラを持って、百合居橋上へ。渡河を試みたバックホウが川の真ん中で傾き、オペレーターが川に流される寸前の状況になっていた。この時の写真は「復興への歩み」の次号に掲載する。
 救出できたようなので、横倉で35軒を配達。その後、平滝の架橋工事現場へ。神戸の事故があって、ピリピリしていた。今日は労基署が来たようだ。ここで先ほどの百合居橋付近での“事故”の詳細について聞いた。昼前にすでに川の中で危険な状態になっていて、平滝の現場の人たちが救出を試みたが、より危険な状況になり、消防の出動を求めたそうだ。
 私はその後、さらに野々海の状況を見に上がった。除雪は完了していて、野々海池では余水吐付近では水面が出ていて、余水吐から勢いよく水が出ていた。
 夜は、ブログ記事の編集を再開し、遅くまでかかった。

27日(水) 昨夜が遅かったこともあり、朝、あまり調子がよくない。結局、10時から開催の「駅前複合施設」の竣工式典への出席から(これ、議員としての職務)。
 続いて、村が貸工場を建設する水工場のことで、サンタキザワの福原初社長に取材。
 この後、横倉で残っていた12軒の配達を行なったが、どうも体がだるい。完全に風邪のぶり返し。
 家で少し横になり、その後、若干のメモ作りをした後、夜はゆっくりめに過ごした。
 横倉での配達の後に直売所に立ち寄ったが、コシアブラも出ていた。



28日(木) 昨日午後の体のだるさは完全に風邪のぶり返し。今日は朝から結構の雨が降っていて、配達に出ると濡れることになるし、午後は議会なので、午前中は家でブログのアップなどの作業。
 午後の議会、傍聴は何度もしたことがあるが、議席に座るのは初めて。緊張し、議事進行についていくので精一杯。詳しいことは別の議会活動報告に書くことにする。
 夕刻からは議員主催の村長送別会。ひとまずは、こういうものにもきちんと出て、いずれ、いろいろな判断をしていきたいと思っている。

(29日は記載漏れ)

30日(土) 午前中、まず雪坪へ。10軒の配達の後、滝見線へ。古道のヒトリシズカを見ておきたかった。やはりヒトリシズカは山道にひっそりと、静かに咲いているのがいちばん似合っている。





 古道から滝見線に戻り、そのまま小滝へ。そして、月岡でも配達して、午前中の配達は終わり。
午後、スキー場頂上のカタクリの状況を確認しておきたくてスキー場へ。カタクリはまだ、面積にして、群生地の半分弱でしか咲いていないが、そのびっしり度はやはり村内最高。誰かもう一人いれば、花を傷めないように工夫しながら、花の中に寝そべり、その様子を撮ってみたいななどと思った。
 イワカガミも今季初めて、かなりの数、見ることができた。



 その後、スキー場頂上からさらに貝立山裏の水路かけ口、そして、山道に雪が見えなかったので、野々海方向へ。しかし、貝立と野々海の中間点を過ぎたあたりで雪につかまり、車の下の雪を取り除くのに20分ほどかかった。「ああ、またやっちゃった」という感じ。その後、No.284の関係で津南の「ママのおやつ」に取材へ、さらに白鳥で配達。


車を脱出させた跡の様子




白鳥で出会ったとてもきれいな八重桜

<4月11日〜20日について>
 紙幅に余裕が出たので、「配達日誌」を書かなかった4月11日〜20日の間について、少し書いておきたい。
 4月11日(月)には通常通り、「復興への歩み」No.282を発行した。ただその際、一つの注意をした。「復興への歩み」にはいつも、最後の頁に「奥付(おくづけ)」(文責者名、協賛金口座等)を書いているが、ここから私の名前、協賛金口座を外し、連絡先の電話番号のみを記すことにした。公職選挙法との関係での配慮である。
 私の名前が入っていると、違法事前運動文書として摘発されかねない。また、「復興への歩み」への協賛金を募ること自体は違法でもなんでもないが、選挙費用との関係を誤解されかねないので、それも休止した。

 配達活動は通常通りに行うようにしたが、困ったことが一つあった。出会った人に私からあまり気軽に声がかけられない。「個別訪問」、「投票依頼」の違法事前運動として摘発されかねないからだ。声をかけて下さった人たちには、事情を話してご理解いただいたが。
 そして、14、15日、さらに17、18日はさすがに選挙関係の実務が多くて、配達に時間を充てられなかった。このあたりのことは「村議補選への立候補・当選と私のこれからのあり方について」に書いたが。
 以下は、ブログでも紹介していない11〜20日の間の写真を貼り付けておきたい。


森の農家組合の人たちのスジ(籾)消毒作業。左から広瀬隆司さん、月岡英男さん(大家さん)、広瀬幸雄さん(私の選挙責任者)。午前9時すぎ、私が住むところの1階の作業所にて。朝陽がさしてきている。



 15日午後、役場2階の大会議室(議会開会時は議場になる)で立候補届出書類の事前審査が終わった時、窓の外を眺めて、「あっ、芽吹きが始まっている」と思った。左写真は役場の外に出てから撮ったもので、あまりうまく撮れていないが、記念に残しておきたい。

 16日(土)は秋山での配達。通行止めの秋山林道にも行き、雪渓が見られる小水(こみず)、ミズノサワへも。この日撮影したものは「復興への歩み」No.283に少し掲載したが、いい出会いのあった一日だった。帰路、国道405清水川原〜横手付近で撮影したスノーシェッド関連の工事の様子を1枚。



 雪消え直後から工事は行われている。新潟県の管轄地域だが、国道405の改良はゆっくりしたテンポでではあるが、進んでいる。あまり「太いパイプ」とは関係ないように思うが…。

 最後にブログでは紹介したかと思うが、15日夕に「トマトの国」で温泉入浴後に撮った1枚を掲載しておきたい。


 

配達日誌3月21日〜31日

21日(月) No.280の準備は別刷りの差し込みなども含めて昨夜のうちに出来ていたが、午前中は部屋の片づけなどをして、午後、秋山での配達へ。秋山では、「宝来さん、ご卒業おめでとう」という写真アルバムも配る。
 今日は天気が良くなるだろうと期待していたが、午後2時前に秋山に向かうと、秋山地域の手前、津南町反里口(そりぐち)あたりから小雪が舞い始めた。屋敷や上の原では地面にうっすらと新しい雪があるのを見た(下写真は午後4時少し前に上の原で撮影)。



 平年であればどうと言うこともないことだが、春が早く来た今年の場合、驚きである。上の原に続いて廻った和山では何人かの人と会話したが、「少し雪が舞ったが、ここは風が強いので積もらなかった」とのこと。
 屋敷である人と玄関先で出会うと、「この前のに書いてあったけれど、1〜2時間だったらやれるよ」と声をかけられた。「秋山のいろんなビューポイントを地元の人が1〜2時間案内できると、いいなあ」という話である。有り難い。もっといろんな人に声をかけてみようと思う。
 秋山での配達は計92軒で、午後6時20分頃に終了。春分の日が過ぎて、すっかり日が長くなってきている。秋山出発時は、車はスモールランプの点灯で充分な程度の明るさ。しかし、405を下るにしたがってどんどん暗くなる。反里口に下る直前の地点の気温表示板は「−1℃」。マイナスの気温表示を見るのは久しぶり。

22日(火) No.280は平滝集落の集まりでの「ひんご遺跡報告会」を4ページにわたって扱っているので、平滝集落での配達を優先。10時すぎから約2時間で一巡した。
 村内各所で田んぼの雪が消えつつあるが、平滝ではすでに乾き始めているのを見て驚いた。


手前の田んぼにはまだ雪が見えるが、むこうの田は乾いている

 平滝での配達が終わった後、清水河原スノーシェッドの近くのカタクリが早く咲く場所をチェック。昨年は4月4日に開花を撮影している。今日は蕾を1つ確認できた。この関係で、昼食後、長瀬のカタクリ街道、北野天満温泉の2ヶ所のカタクリ群生地も見に行った。北野天満温泉ではやはり1つ、蕾を確認できた。明日から気温が下がるとのことなので、来週初めにある程度開花するのではないかと思う。
 北野天満温泉のカタクリをチェックした後、明日、「お米のふるさと便り」を編集しなければならないので、青倉の西山田の棚田のチェックに。
 先週のはじめに道割り作業が行われていたので、軽トラで上がれるかと思って行ったが、入り口がブルで塞がれていて、歩いて登ることに。
 結果としては、歩いて登ってよかった。むら暮らし10年目にして初めて見るような素晴らしい景色に出会えた。明日、「お米のふるさと便り」で写真アルバムを編む。

23日(水) 秋山、平滝と廻ったので、今日は協賛者宅を一巡しようと、8時すぎに出発して、中条、森、東部、西部、横倉とグイグイ廻った。
 いろんな集落で歳の高い人が歩く姿を見かけた。花を手に、お墓参りに向かう人たち。今日はお彼岸明けの日なのだ。下写真は雪坪集落で、撮影時間は9時きっかり。



 配達途中で、長瀬、北野天満温泉、清水河原スノーシェッド付近の3ポイントでカタクリをチェック。清水河原で開花を撮影できた。昨日確認した蕾は蕾のまま。開花を確認できたものは、すでに昨日開花していたが、見えにくい場所でチェック漏れだったもののようだ。
 昼過ぎまでに92軒を配達。
 午後はカタクリのブログ記事と「お米のふるさと便り」の編集。昨日の西山田の写真は「西山田の棚田の小さな旅」というタイトルのアルバムにした。お米は25日発送なので、26日頃にブログで公開しようと思う。
 編集に集中していて、気づいたら午後6時。慌てて温泉に出かけたが、外は雪模様。

24日(木) 午前中、青倉と白鳥で91軒を配達。今日も出発が早く、91軒の配達は10時半に完了。白鳥での配達中に雪がけっこう激しくなってきた。でも、積もらない。
 雪の中でも、カタクリはけなげに花を咲かせていた。



 日中、昨年春の秋山郷の写真データの引っ張り出し作業。意外と、結構いいものを撮っていて、自分で驚いた。
夕刻が近づく中でもう一度、配達へ。27軒で48部。
 平滝のフランセーズ悠さかえに行った時、箕作〜平滝間の架橋工事を行なう建設会社「角藤」の現場事務所が建っていて、現場の人が二人おられることに気づいた。現場事務所は昨日設置されたそうだ。工事日程の概略を聞いた。4月早々に400tのクレーンが入る。4月頭から目を離せない。

25日(金) 朝、起きてみると、窓から見える隣りの家の屋根に雪がかなりある。驚きだ。たしかに 昨夜遅く、屋根から雪が落ちる時のような音がしたので変だなと思っていたが。道路除雪も出た。
 雪のせいではないが、今日はほぼ室内作業。春の秋山郷の観光案内パンフの制作の試み。今日はひとまず4頁分。
その合間に、中条川の導流堤の現場事務所(フクザワコーポレーション)と平滝の「角藤」の現場事務所を訪問。導流堤の方は、雪で作業中止とのことで、代理人さんに現場を案内していただいた。木が伐採され、白山神社の社が村道から見えるようになった。
 「角藤」さんの事務所では、箕作側から橋を送り出していく、かなり特殊な工法について、図面で説明してもらった。4月頭から作業が始まった際の写真撮影についての心得についてもお聞きした。
 今日はあまり写真を撮っていない。ブログに「時期はずれの『大雪』?!」と題して掲載した写真を1枚。午前10時、出かける時に撮った私の軽トラの様子。



26日(土) 昨日の雪から一転して朝から快晴。
 8時半すぎに配達に出かけた。泉平、月岡、大久保、長瀬などで、午前中に105軒。あまりにいい天気で、頻繁に写真撮影。
午後は荷物発送、ブログ記事の作成、洗濯など。
 ブログに掲載したものだが、今日撮った中でいちばん気に入っているものを1枚。東部パイロットで撮影した。関田山脈の斑尾方面を望んだものだが、奥には北アルプスも見えている。



27日(日) 今日は午前8時半から森集落の区総会。11時までに終了。
 昨夜、プリンターのエラー表示。「廃トナーボトル満杯」のお知らせ。印刷する時に、トナー(インクに相当するもの)の滓が出る。それを溜めるボトルが一杯になったということで、ボトルを交換しないと印刷ができない。日曜日でメンテナンス会社との連絡もとれず、今日は配達中止。
 カタクリの開花状況を見に、長瀬、北野、平滝に行ったり、中子の桜の様子を見に行ったり。さらに今日で営業が繰り上げ終業になったスキー場の様子も見に行った。
 もうスキー場内の村道も完全に出ている中で、名残りスキーを楽しむ人の様子を撮った。今年のスキー場係はすごい執念で頑張ったと思う。



28日(月) 朝一番でメンテナンス会社と連絡がとれ、廃トナーボトル交換を手配。
 満杯になる直前に辛うじて印刷できた50部を持って、8時すぎに配達に出かけた。配達途上で、飯山線中条川橋梁で行われている工事の現場へ。今日は、工事は行われていなかったが、様子を見ると、どうも橋梁のすぐ下流にえん堤のようなものを設ける工事のようだ。いわゆる「谷」という地区を抜けていくが、普段の春〜秋は草が繁って誰も近づかない場所。工事をきっかけに草刈り等の整備を行なえば、なかなかのスポットになるところでもあると思った。下写真は工事現場に向かう途中の地点で、真ん中やや上に国道117が走っていて、滝の上のところを飯山線が走る。



 北野天満温泉ではカタクリの開花を確認。さらに3〜5分咲きの梅まで見ることができた。
午前中にメンテナンス会社が来てくれていて、印刷をかけると同時に、カタクリなどについてのブログ記事を編集し、アップ。
その後、北野、中野、極野の配達へ。その後、夕陽を求めて小1時間ドライブ。
今日は一日、よく動いた。

29日(火) 朝は8時半頃にスタート。気温は朝から上がっていたが、風がやや強く、冷たく感じた。しかし、そんな感じも10時すぎ頃までだったかと思う。
 白鳥で未配達だった29軒を廻った後、森林組合のチップ製造所、明石へ。明石では「私もひんご遺跡の発掘作業に出ていた」という人に出会い、ちょうど「ひんご遺跡報告会」の記事を掲載しているNo.280を手渡し。ご近所にIターン者で、やはり遺跡発掘作業に出ておられた人の家を訪ねた。
 その後、箕作、横倉を廻った後、カタクリ街道へ。ついに2輪の開花を確認。詳しくはブログに書いたが、斜面を登り、腹這いになって、いい感じのものが撮れた。
 その後、坪野、天代を廻ったが、ここは福寿草の群生が素晴らしいところがある。坪野のものはなかなか写真が撮りにくいが、こんな感じ。昔の分教場跡のところだ。天代のものはブログにアップした。



 この後、「今日はカタクリ街道のものが撮れたから、北野天満温泉はパスしようか」と一度は思ったが、やはり行くことにしてよかった。前日は2輪ほどしか開花が見られなかったものが、20輪以上が開花。
 公園内を散歩しておられる人に声をかけると、木島平村から来られたとのこと。「カタクリはご覧になりましたか?」と尋ね、お勧めすると、見に行かれたようだった。観光を盛んにするポイントは気軽な声かけだと思う。
その後も東部で配達を続け、今日は135軒。残すところ、58軒となった。

 そんな次第で今日もよく動いて終わったが、今日で66歳に。「66」という数字はピンと来ない。温泉で出会った知人から、「何歳になった?」と聞かれ、「6」と答えると、「56歳?」と言われ、「いや、いや、66ですよ」と返事。「えっ、66歳かい。若いな。オレが66歳になったとき、そんなフットワークで動けるかな」との反応。この言葉は今日の最高の誕生日プレゼント。
「復興への歩み」を10年続けると宣言しているので、あと5年。いまの調子ではいかないだろうが、なんとか踏ん張っていきたい。

30日(水) 66歳になった翌日の今日。ずいぶんとやんちゃをした。
 朝方は種々の実務作業をして、11時近くから外で動いたが、まず一番に出かけたのは志久見街道の小峠。雪はもうほとんどない。イワウチワの開花を撮りたかった。結果から言えば、空振り。まだ開花していない。陽当たりのいい崖下では開花しているのではないかと思い、木の枝や低木の根っ子などを掴みながら、千曲川に面した崖を下ってみたが…。
 その後、小滝で12軒の配達をした後、「まさか咲いていないだろうが、雪消えが早いので、もしかしたら」と思い、ミズバショウの群生地へ。群生地から昨年よりもやや遠い地点で車を降り、雪道を30分ほど歩いた。群生地の下の耕作放棄地にはまだ4〜50cmほどの雪があった。



 しかし、雪の中を上っていくと、なんと開花し始めていた。一昨年と比べると1ヶ月強早い。
 感動だ。
 こんな開花初期のものばかりが群生している様子を見るのは初めて。まだ「きれいだなあ」と言うには早すぎるが、これはこれでいいものだ。



 車に戻ったのは1時間10分ほど後。復路は下りのせいもあって早かった。
 でも、疲れた。小峠での奮闘もあり、腕、脚の筋肉に張りを感じた。
 2時すぎに家に戻り、写真データを取り出し、記録を作成したりして、今日は終わりにした。温泉が心地よかった。
 夕刻から小雨。8時すぎからは時折、強風も。

31日(木) 早くに目覚め、早朝から野田沢、程久保で配達。午前7時すぎ、程久保の滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見に行った。畑の大部分でもう雪が消えている(下写真)。昨年は雪が消えたのがたしか4月末だった。



 アスパラが芽を出すのも早まるのではないかと思われるが、あまり早く出ると、霜がこわいという。ここ数日、村には霜注意報が出ているし、今朝は氷が張った。自然とはなかなかやっかいなものだと思うし、農業の難しさを感じる。
この後、秋山には21日の配達以降、1週間以上行っていないので、秋山へ。日出山線でも行けるだろうとは思ったが、今朝は道路の凍結が怖いので、405で行った。
 秋山もすっかり雪がない。「復興への歩み」No.279で「スイスのようだ」と紹介した不動滝もすっかり様子が変わっていた。



 下におりてから北野天満温泉に行き、カタクリがたくさん咲いているのに驚いた。
 その後、原向でNo.280最後の配達。
 いよいよ4月だ。
 

配達日誌3月16日〜20日

16日(水) 今朝は予報通り、随分と冷え込んだ。朝、外に出ると、氷が張っていた。



 一昨日、昨日と雪が降り、冬に戻ったような感もなくはないが、今朝の冷え込みは全国的に晴れの天気での放射冷却とのこと。その後、気温は上がり、午後、泉平の配達に廻ったとき、集落のいちばん山に近いお家でも10℃あった。
 午前中は「ひんご遺跡報告会」のレポートなどを書いて室内作業。配達は午後からで泉平、森などで67軒。もっと廻りたかったが、以下の事情で配達を途中で切り上げた。

 森の「谷」で交通整理の警備員の人に出会い、何なのか尋ねると、「飯山線の中条川橋梁の修理が行われているので」というお答え。それで中条川橋梁の様子を見に栄大橋へ。工事の様子は窺(うかが)えなかった。だが、飯山線SL運行のビューポイントの関係で、栄大橋が「鳥甲山と飯山線がワンセットで撮影できる」と紹介されていることを今朝知ったので、そういうアングルの写真をついでに撮ろうとした。飯山線の列車を大きめに写すと、鳥甲山は写真に入ってこない。だから平素は「鳥甲山と飯山線がワンセット」という写真は撮っていない。
 この撮影中、若い人がカメラを持って来られたので声をかけてみた。岡山県から来られたという。「下り列車を撮影した後、上り列車を追って上境まで行きたい。間に合うでしょうか?」とのこと。旧国道をご存じなかったので、急遽、道案内をすることにした。「撮り鉄」の人が定番としている矢垂大橋上からではなく、上桑名川〜上境の間の鳴沢踏切付近で撮影された(下写真)。



 この地点での撮影の前後に話を伺うと、岡山大学の学生さんで飯山線には複数回来られているそうだ。「飯山線と只見線が大好きです。『おいこっと』を走らせたのは正解ですね。こんなきれいな路線、活かさないのはもったいない」。
こういう案内をして何か実利を得られるわけではないが、無駄ではなかったと思っている。

17日(木) 昨日の配達軒数が少なかったのと、明日18日は秋山小の卒業式の取材に行くので、「今日は頑張らなきゃ」と思い、東部、横倉、平滝・白鳥などで計177軒を廻った。
 快晴で気温はグングン上がり、気温表示板で見た最高気温は16℃。ジャンパーはもちろんのこと、セーターも脱ぎ、車の窓を開けての配達だった。
 177軒廻るというのは相当にハイピッチだが、それでも配達に廻る間にかなり多くの写真を撮った。「春そのもの」という景色が随所に見られたからだ。撮影しながら、「今日は帰ったら、写真を整理・編集してブログにアップしよう」と思っていたが、さすがに177軒廻ると、その体力は残っていなかった。2枚だけ、載せておきたい。





 原向集落の堀切・登渡にある「開田記念碑」の桜の木。つぼみはかなり大きく、赤くなっている。今年は栄村でも桜が相当早く咲くのではないだろうか。
 
 昼、用件があって津南に行った際、昼食に「味郷」の立ち寄ると、天地の斉藤克己さんらが食事中。「味郷」に置かれている新聞は1月から、スポーツ紙から読売新聞に変わっているが、先日、栄村を訪れた読売の編集委員の記事がちょうど掲載される日。すぐに新聞を見て記事を発見。克己さんに紹介した。とても喜ばれ、一安心。

18日(金) 昨夜は珍しく目覚ましをセットし、今朝は4時半(目覚ましが鳴る前)に起床。できれば「朝陽に照らされる鳥甲山」を撮りたかったのと、9時20分開始の秋山小卒業式の前にかなりの軒数での配達を終えたかったので、5時半より前に自宅をスタート。
 宝来さんのご卒業を祝福するかのように午前中は晴天。今日の日の出は午前5時50分すぎで、それには間に合わなかったが、405が小赤沢に入った直後の地点からの鳥甲山は朝陽をうけて白く輝き、きれいだった。



 卒業式のことは「復興への歩み」No.280に書くつもりだし、また、帰宅してすぐに「宝来さん、ご卒業おめでとう」というブログ記事も出したので、ここでは帰路のことを少し記しておきたい。
 正午に秋山小玄関前での宝来さんの見送りの様子を撮影した後、小赤沢で42軒の配達をし、さらに五宝木の様子を見たうえで国道405を下った。運転しながら、ずっとせつない気持ちがこみ上げてきて、涙をおさえるのに苦労した。宝来さんのご卒業をみんなが心からお祝いした後に、なぜか「閉校式」という哀しい式典が行われたからだ。秋山の人たちは昨秋11月7日にみんなが秋山小に集まり、「秋山小メモリアルデー」を行なっている。人びとの思いがいっぱい詰まったものだった。「なぜ、お祝いの日に、哀しい式をやるの?」、その思いが運転中に再びこみあげてきて、本当にせつなかった。私が秋山に本格的に通うようになったのは昨年4月からのことで、新参者として、秋山小の閉校問題について踏み込んだことは書かないできた。でも、もう思いは抑えきれない。秋山、そして栄村のこれからを考える時、秋山小問題を正面から議論しなければならないと思う。けっして遅すぎるということはないと思う。

19日(土) 今日は雪ん子まつりだが、朝から曇天。
 午前中、いくつかの取材。その後、月岡の山に上がる道に行ってみたが、先日の雪もあって、途中で「これ以上進むのは危険」と判断し、引き返した。
 自宅で若干のメモ書き、データ整理など行ったうえで、午後、箕作と月岡、大久保の配達。計63軒。長瀬の配達が明日に残った。
夕刻5時半頃に雪ん子まつりの会場に行ったが、あいにくの小雨。それでも、かなりの人出だった。今日の取材の主眼は村内告知放送などでえらく宣伝されている「レゲエシンガーFio(フィオ)ライブ」というものがどんな雰囲気なのかを観察すること。昨年あたりから雪ん子まつりの客層が若者中心に変わりつつあるように思われるが、そのライブが若者によってかなり盛り上がるのかなと思ったのだ。だが、結果はさほどのことではなかった。「Fioって知ってる?」と若い人に尋ねても、「知らない」という返答ばかり。そんな中、彼女は半袖の衣装で元気に歌っていた(下写真)。長野県松本市の出身だとのこと。関係者によればご本人から出演の申し出があったそう。シンガーといわれる人たちが本格的に売れるようになるまで、どれほどの苦労があるのかを垣間見た感じがした。



 また、このミニライブの際に、ミキシング(音の調整)を担当する人たちの姿が目に入った。ずっと座っての作業だが、下は雪。大変なご苦労だなと思う。



 まつりのフィナーレを飾る打ち上げ花火、ある人の知恵を借用して、千曲川の対岸から撮りたいと思ったが、靄(もや)がかかっていて無理。ところが、自宅の窓からバッチリ撮れた。写真は「復興への歩み」に掲載する。

20日(日) 朝食を終えた後、午前8時前から昼の1時半頃まで、ずっとPCの前に座りっ放しで「復興への歩み」No.280の執筆・編集作業。自分でも信じられないくらいの集中力でいっきに進められた。
 その後、2時すぎから森の開田の道路状況を見に上がったのに続き、長瀬でNo.279の最後の配達。出来上がったNo.280も一緒に配ろうかとも思ったが、21日発行なので、No.279だけにとどめた。
 今日も小雨模様で、気温は昨日よりも低い。今年は春が早くやって来たとはいえ、まだ当面、半月くらいはストーブをはなすわけにはいかない。


森の開田農道の終点・旧村営グラウンド付近の残雪の様子
残雪の高さは私の太腿のあたり。この雪はなかなか融けにくいのではないだろうか。

配達日誌2月26日〜3月15日

26日(金) 今日は一日、No.278の編集。21〜25日は結局バタバタと過ごし、今日の編集となった。
 ただし、昨日から村を訪れている東京の大学院生を9時半すぎ、月岡の樋口久直さん・順子さんご夫婦のお宅に案内。さらに、昼時に「一緒に昼食を」というお誘いをいただき、再び、樋口さん宅へ。和久さんご夫婦とも一緒。牛舎で会う和久さんと、自宅で食事をする和久さんとは随分雰囲気が違って印象的だった。
 みんなで食事するところを1枚、写真に撮りたいなと思っていたが、食べるのと話すのに忙しくて、撮影チャンスを失ってしまった。今日は結局、1枚の写真も撮らない一日となった。
 
27日(土) 今日も大学院生を3軒の家に案内しながら、No.278の配達を開始。計52部で、あまり進まなかった。
 夕刻は野田沢の庭先キャンドル祭りの撮影。約1時間半、シャッターを切りながら、歩き回った。昨年に比べれば、はらかに暖かだったが、素手で撮影していると、手は次第に冷たくなった。夜は冬である。



 上写真は、大学院生を案内した3軒のうちの1軒、笹原の関沢義平さん宅で、ねこつぐらの藁を叩く作業場がある昔の牛舎にキミ子さんが案内して下さった後、キミ子さんと院生が談笑しながら歩く姿。むらの文化はこういう機会をとおしても伝承される。そういう機会を創ることに少しでも役立つことができれば嬉しいなと思っている。

28日(日) 今日は秋山での配達。秋山への道、秋山の中の道、いずれもほとんどが乾いている。
 今日も大学院生を案内しながらの配達で軒数は少ない。秋山で48部。森に戻って来てから27部。
 屋敷集落の山田知周さんのお家では犬を飼っておられる。「モモ」という名のメス犬。配達に行くと、これまで吠えまくられて困っていた。ところが、1月31日にお茶のみにお邪魔させていただいた後、2月8日、20日、そして今日の3回、ほとんど吠えられることがない。今日、家の前に出ておられた知周さんとも話したが、「家に入っていい人」と認知されたということのようだ。なかなか面白いことだと思う。



 上の原集落〜和山集落間で、大きなリュックを背負いながら道を歩いてくる若者にまず一人、続いてまた一人と出会い、その次に2人、さらに3人と出会った。そこで車を停めて窓を開け、「どこから?」と尋ねると、「志賀高原から入って岩菅山に登り、いま、切明で温泉に入ってきました。慶応のワンダーフォーゲル部です」とのこと。志賀高原を出発したのは一昨日、昨夜は笠法師山の近くでのテント泊だったそうだ。「疲れました」と言っていたが、まだ体力は残っているようだ。列のいちばん最後に女子学生がいたことにさらに驚いた。
 この季節の岩菅山に登れるのは今冬の雪の少なさゆえかもしれないが、秋山郷の観光の可能性の無限性をまた学んだという感じだ。
 
29日(月) 朝、大学院生を森宮野原駅に送り、その院生のお世話(宿泊等)をして下さった青倉の島田きみ子さんにお礼に。急なことできみ子さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思うが、民家に泊めていただけたことで院生が得たものは大きかったのではないかと思う。感謝!である。院生が指導を受ける駒澤大学文学部地理学科の高橋健太郎先生は震災前からのご縁だが、震災から間もない2011年の6月を含めて、この5年間ずっと学生たちを連れて栄村に来て下さっている。こういうつながりは大事にしたいものだ。
 午前中、青倉、白鳥、平滝などで58軒。午前中から降っていた雨は、昼前、泉平に上がった頃からみぞれ、あるいは雪らしきものに変わった。昼食を箕作でとっている間に雪に変わった。べちょべちょの湿雪だ。
 相当に疲れていて、午後は一休みしたいと思ったが、印刷・折りなどをしたりして、結局、休むという具合にならなかった。
 

3月1日
(月) 今冬最強の寒波が下りてきているという。北海道は大変なことになっているようだが、ものすごい低気圧が発達するというのは、単に強力な寒波が下りてきているというだけでなく、南からの強い暖気がぶつかっているからだ。その暖気が曲者だと思う。やはり赤道あたりの海水温の上昇が異常な状態になっているのだと思う。地球の気候変動が深刻な状態になっているのだと思う。
 午前中は主に東部地区を廻った。計63軒。
 午後は、2時24分着の飯山線で某新聞社の本社編集委員を出迎え。5日〜1週間滞在されるそうだ。まず、東部〜西部〜豊栄〜北信をざっと車で一周して案内した。全国いろんな支局で活躍されてきた人のようだが、栄村に実際に来るまでは「山村にひっそりと人びとが暮らしている」というイメージを抱いておられたらしいが、ひとまず廻ったところで、「ずいぶんと豊かな村で、人びとはいろんなことに取り組んでおられるんですね」という感想をもらされた。まだよくわからないが、なにか久々に「“外の目”から見た栄村」というものを感じさせられたように思った。記者氏が栄村滞在の結果としてもたれる観察結果は私たちにも参考になるだろうと思う。

11時頃に北野で出会った車の積雪


大庭光一氏と立ち話する記者氏(左)

2日(水) 記者氏は「なにか作業を手伝わせてもらいながら、村の人が栄村に愛着をもつのは何故かを知りたい」とのこと。もともとのご希望は「雪かき」だったが、そんなに雪もないので、とりあえず斉藤克己・勝美さん宅に案内。昼までは一緒におしゃべり。
午後は、記者氏を斎藤さん宅に残し、私は配達へ。月岡を廻っていた午後1時半頃、また雪が降ってきたが間もなくやみ、今回の降雪はほぼ終わったようだ。
 大久保、月岡、横倉、森などで計136軒を廻り、累計387部。人の案内でなかなか配達が思い通りに進まなかったが、なんとか確保すべき配達ペースを回復できてきたように思う。
 「おひさまケチャップ」に津南町の「喰い処味郷」から注文が入ったとのことなので、私自身の夕食を兼ねてケチャップを届けに行った。主たる用途は自慢のトンカツのソースを「おひさまケチャップ」を主体として作るというもの。先日、一度、そのソースでトンカツを食べて「これは行ける!」と思ったが、折角なので今夜もう一度注文し、写真を撮った。



 今回は250gの「味郷とんかつ」ではなく、130gの「とんかつ定食」。ソースは一般のとんかつソースの濃い茶色ではなく、ケチャップ色が感じられるもの。さっぱりとしていて美味しい。是非、お試しください。

3日(木) 記者氏はえのき農家の大庭光一(てるかず)宅へ。送り届けた後、私は配達等へ。昼に様子を見に行くと、「お手伝いできたと思います。奥さまから筋がいいと言っていただきました」とのこと。午後も、記者氏を大庭さん宅に残し、再び配達へ。夕刻に迎え、旅館まで送った。午後は光一さんがLEDの配線工事をされる際、荷物の移動を手伝ったそうだ。
 午前中、配達はわずかで、白鳥から東大滝を経て、明石(あかいし)に行った。狙いは2つ。白鳥大橋を通過した時、No.278で紹介した橋脚の鉄筋調査の作業は懸崖(けんがい)側ではなく、千曲川側で行われていた。その様子は明石からでないと見えない(作業の様子は明石からバッチリ撮影できた)。もうひとつ、箕作〜明石間のバイパス建設の明石での橋台建設は除雪作業が終わり、積雪前に打ち込まれた杭を掘り出す作業に入っている模様。その様子を見ておきたかった。
10時15分現在で国道117の平滝の気温表示板は4℃を示していたが、明石の橋台建設現場は風が強く、体感温度は0℃ないし氷点下。手がかじかむ中で撮った写真を1枚。



 このバイパスはもともと、栄村側の強い要望であると同時に、明石の人たちの強い要望であったはずだ。ただし、今回の建設は栄村の震災復興の事業として着手された経緯があり、明石の人たちがどう受け止められているかを聞いておきたかった。たまたま外に出ておられた人に声をかけて話を聞かせてもらった。「40年来の強い願いで、実現されて喜んでいる」とのこと。話してくださった人は66歳、小中学校は栄村の学校に通っておられた。同級生には箕作へ嫁に行った人もおられるという。
 この橋・道路が開通すれば明石と箕作・栄村の往き来は再び活発なものになるだろう。今後、明石の人たちへの取材をさらに重ねたい。
 昼前、家に立ち寄った時に、フクザワコーポレーションの車が「トマトの国」への道を下ってくるのが目に入った。導流堤の工事準備が始まったのだと直感し、現場に行くと除雪された跡があった。
 午後、箕作、泉平、小滝などを廻り、今日は計88部。

4日(金) 今日は天気がよさそうで、日曜日は天気が崩れるというので、今日を秋山行きにした。
 記者氏は、「今日は配達に同行して、村の様子をいろいろ見たい」とのことで秋山に同行。
 10時半頃に小赤沢ゾーンに入り、鳥甲山の定点撮影場所でまず1枚撮った後、「11時までに撮影」を原則としている天池近辺からの鳥甲連峰の撮影のため、まっすぐ上の原へ。28日には車で入れた天池横の道路は29日〜2日の雪で入れなくなっていた。20分間ほど、雪上を歩き、何枚もの写真を撮った。その後、上の原集落14軒の配達。その後、小赤沢集落での配達に向かう予定だったが、屋敷集落の様子を記者氏に見せるために屋敷をぐるっと一周することにした(屋敷の配達は28日に済んでいる)。そして、みずと屋食堂前の坂道を上って行くと、林道に向かう道が除雪されていた。「ひょっとして林道までは道が開いたのか」と思い、車で上がっていくと、林道も開いている。



 「まあ、途中までしか開いていないだろう。その時はターンして戻ればいいや」と思って進むと、結局、切明まで出られた。貴重な風景写真が撮れているので、それは「日誌」とは別の形で公表したい。なお、改めて断っておくが、こういう行動はあくまでも取材のための自己責任行動であり、一般に真似されることがないようにお願いする。
配達はNo.278は配達したもののNo.277が未配達だった切明・和山を廻ることも含めて、秋山で62軒。下ってからの森での配達を含めると、71軒。
 秋山への405はほとんどのところが乾いており、雪や石が落ちているところも少なくて、走りやすい状態だったこともあるが、同行者がいると、話ながらの運転で、あっという間に秋山に着いた。注意散漫になってはいけないが、単独行にはない良さもあるようだ。
 帰路、中子に立ち寄った。「農家民宿れすとらん ひがし」を経営される山本光一(こういち)さんのお父さん・光夫さんは、桜の木に害を与える鳥を追い払うために爆音装置をセットされている。ガスを充満させ、それが定期的にプラグから出る火花で「爆発」し、大きな音を立てる装置(下写真)。前回訪ねた時に体験済みだったが、実際に爆発音が出るとやはりびっくりする。



 夕刻、森の五宝木住宅で山田政治・せきさん宅に配達に行き、久々にいろんなお話を伺った。1つは村営牧場の話。いわゆる鳥甲牧場とは別のもの。これまで詳しいことを聞いたことがなかった。おそらく、村民でも70歳以上の人でないと、ほとんどご存じないのではないだろうか。もう少し詳しく話を聞いて、一度、記事にしたいと思う。
もう1つは、山菜など五宝木の豊かな恵みをどう継承していくかという問題。政治さん、せきさんとある程度打ち合わせできたが、さらに話を詰めて、今春5月、五宝木の恵みを継承するプログラムをスタートさせたいと思っている。

5日(土) 配達を休みにして、午前中は若干のPC作業などをしたうえで、十日町の接骨院へ。極端に調子が悪いということはないが、腰の具合の調整。
 帰路、土日は営業している中子の「ひがし」さんに昼食を兼ねて立ち寄る。「ひがし」さんを紹介したNo.277から配達対象に加えた。長瀬から川を渡って上加用(かみかよう)から冬も開いている坂道を上がるとすぐに着くので、配達はさほど大変ではない。「ひがし」さんの近くに住む新規就農者にも配達することにした。たしかに行政区分は津南町だが、栄村の仲間のような存在だと思っている。
 「ひがし」さんの今日のおすすめは「デミグラスソース添えのハンバーグ」。ハンバーグはしっかり手作りされていて、この近辺のお店ではなかなか食べられない一品。十日町市の家族連れがちょうど食事を終えられたところで、写真を撮らせていただいた。



 この後、「日出山線はどうなっているだろうか」と思い、中子から加用に下り、上日出山まで行った。
 上日出山までは、津南町が冬期間、道路除雪を行なっているが、その先は閉鎖。上日出山までは道路にまったく雪がないだけでなく、山川の法面にもまったくといっていいほど、雪がない。驚いたのは、上日出山の先の冬期閉鎖区間の始まり地点に「除雪作業中 栄村」の看板が立てられ、栄村のブルとロータリーが停めてあったこと。たしかにこの先は栄村の秋山に通じるための道だが、春の道割りは津南町地籍のところでありながら、栄村の仕事になっているようだ。道割りされるところには少なくとも50cmは超える積雪があった。



 夕刻は、「今夜は天地の斉藤克己さん宅に民泊させていただく」という記者氏を送って天地へ。結局、11時半すぎまで一緒に喋り、真っ暗の夜道を下って帰宅。

6日(日) 今日は午後が森集落第1常会の総会なので、午前中、家でブログ記事などの編集やアップ作業を行ない、2時前に森公民館へ。雪がないので短靴で出かけた。総会は1時間ほど。その後は懇親会で、午後6時すぎまで。
 常会総会・懇親会は昨年に続き2度目だが、むらの暮らしにとって大事な場である。

7日(月) 午前中の大部分は原稿書きやメモの作成で、11時半頃から配達開始。昼食をはさんで、横倉、平滝、白鳥で計104軒。
好天というのではなく、なんとなくどんよりした空模様。だから「ポカポカ陽気」というのではないのだが、気温はこの時期としては高い。田んぼの法面の大半から雪が消え、林・山にも土が見える部分がいっきに広がって、景色が一変した。ここ数日、いい天気が続き、雪消えが進んでいたが、今日はなにか大きな変わり目という感じがした。昨日、常会の総会に短靴で出かけた延長線上で短靴で配達に廻ったが、基本的に問題なし。
 法面を見ると、オオイヌフグリが花を咲かせ始めている。もう完全に春だ。


オオイヌフグリ


ヒメオドリコソウ

 平滝でお茶のみに立ち寄ったお宅で、ひんご遺跡の発掘作業にまつわるお話をいろいろとお聞きした。遺跡から発掘されたものの説明は専門家の手に委ねるとして、縄文時代の遺跡の発掘が村と村人にどういう変化を生み出しているのかについては、作業に携わった村民の方々からお話をお聞きして、1つの記事にまとめる必要があるなと思った。
 夕刻近くに貝廻坂を上がっていくと、雪をかぶった田んぼから水蒸気が上がるのがはっきり確認できた。特に野田沢近くの県道から妹木方向を眺めた景色は夕陽もあって最高の景色。何枚も写真を撮った。できれば、「復興への歩み」で紹介したい。

8日(火) 車道は言うに及ばず、各家の玄関に通じる道にもまったく雪がない。今日も短靴。
 最近、夕食を終えると、印刷や折り作業はできるが、PCにむかってモノを書くような作業をする気力が出て来ない。「まあ、無理もないことか」と思う。そこで、モノを書くような仕事は一日のはじめにして、それから配達に出るという方式もいいのではないかと考え、今日は午前中、家で仕事をし、午後に配達に出かけた。東部地区で108軒。
 配達に向かう途中、直売所に立ち寄ったが、樋口松子さんが出荷されている茎付きのタラの芽が人気らしい。“ひと工夫”が大事だなと思う。
 午後2時半頃から小雨が降り始め、夕刻に近づくにつれて本降りに。
 志久見での配達時、桑原健さん宅の玄関になにか貼り紙があることに気づいた。お体の調子が悪いということで長野の息子さん宅に行かれてからもう3ケ月以上が経つ。玄関まで行って貼り紙を見ると、7日に亡くなられたという訃報だった。ご冥福をお祈りする。
 昨日のオオイヌフグリ、ヒメオドリコソウに続き、今日は中野集落でヒマラヤユキノシタが花を咲かせているのに出会った。明日からは気温が下がるというが、この先、いろんな花の開花期が繰り上がってくるのだろうか。季節感がおかしくなりそうだ。



9日(水) 天気予報どおりだが、久しぶりの降雪。その中、原向、程久保、野田沢、青倉などで47軒を廻り、No.278の配達を完了。今号の前半は大学院生との付き合い、後半は新聞記者氏との付き合いがあって、やや大変であったが、なんとか9日中に完了出来て正直なところホッとした。
 降雪はあったものの配達は短靴で大丈夫だった。しかし、午後2時すぎに配達を終わってから、家の出入りが短靴では具合悪く、4日ぶりに長靴を履いた。
 今日はそんな風に久しぶりの降雪だったが、冬期は閉鎖されている道が村内の各所で早くも開けられていた。除雪した上で当面は「通行禁止」とされているところもあるが、いくつか記録にとどめておきたい。1つは原向集落の堀切・登渡地区と長瀬新田地区を結ぶ田んぼの中の道。農作業の時期になると、この道があるとないとでは大違い。もう1つは同じく、原向で長瀬新田付近から天代坂にぬける広い道。もう完全に通行できる状態だ。
 青倉と横倉の間の旧国道(四ッ廻りに通じる道路)は「通行禁止」の看板が立っているが、もう除雪作業は終わったようだ。


堀切・登渡〜長瀬新田間


長瀬新田〜天代坂間

10日(木) 今日も少し雪が降るかなと思ったが、夜になってからチラついた程度。私自身は昨日よりも過ごしやすく感じたが、「いや、今日のほうが寒い」という人もおられた。まあ、外を歩き廻っているのと、家の中で仕事している場合とでの違いかもしれない。
 ある人をお訪ねしたら、「数日前にキャベツの種を播いて、もう芽が出ています」とのこと。暖かくした室内に置かれているのを見せていただいた。トマト、キュウリ、ナス、カボチャなどの種まきもされたとのこと。この後仮植ポットに移し、簡易なハウスでさらに育て、5月に畑に植えられるそうだ。今年の雪消えが早いから特別にやられているということではなく、もう3年ほどやっておられるとのこと。ただし、昨年までと今年とで1つ、大きな違いがある。今年はこういう早い時期の播種で6月頃には収穫できる野菜が直売所に並ぶだろうということ。いい話だ。
 直売所に立ち寄ると、店番の女しょから、「凍みだいこんが入りましたよ」と声をかけていただいた。秋山の福原年子さんが作られたもの。こういう凍みだいこん、私は初めて。秋山ならではのものなのかなと思う。袋に入れられているカードも素敵。袋を手にとってみると、「麩」の袋のような軽さ。煮物にいいそうだ。



11日(金) No.279の編集・印刷が今日の午前中までずれ込み、配達は午後から。
 今日は東日本大震災から満5年。私はマスコミの「震災〇周年」という騒ぎは嫌いだが、満5年という1つの節目にもかかわらず、どうも民放などは震災関係の番組はかなり減ったようだ。震災から時間が経過すればするほど、本当の問題の所在はテレビなどの「絵」にはなりにくいものになってきていることも1つの要因かとも思う。
 配達の途中で鳥甲牧場に行ってみた。まだ通行止めだが、いろいろと状況を見ておきたいため。雪は少ない。しかし、午後3時20分頃、猛烈に雪が降ってきた。そのため五宝木方面の状況は見ないで戻ってきたが、下におりて尋ねると、下ではまったく雪は降っていなかった。標高の差による気象状況の違いを改めて実感した。



12日(土) 「復興への歩み」No.275(1月21日付)で「スカイランタンバスツアー」のことを書いて以来、3月12〜13日はそれへの密着取材を予定していたが、昨日の段階で森集落(イニシアチブをとったのは森商工振興会)の「森じゅうに灯りをともす」という試みが非常に大きな意味をもっていることが明確になり、予定を全面変更して、朝8時半から準備作業、点灯、打ち上げ会までの全過程に密着し、膨大な写真を撮った。
 森商工振興会の斎藤龍男さんの頭の中には少し早い時期から構想があったようだが、実施への最終決断は2月27日の野田沢の庭先キャンドル祭りを見に行ってからのこと。わずか10日余りで4〜50人の人たち、それも小学生から歳の高い人までが主体的に取り組んだことの意味はとてつもなく大きい。関係者は「『結い』とは関係ない。森の独自の取り組みだ」と強調されていた。
 打ち上げ会にも参加させていただいた。「毎年続けるのは厳しいかも」と言う人もおられたが、企画を変に大きくすることよりも、集落のみんなが無理なく参加できるという点に重点をおいてやっていくことが大事なんだろうと強く思った。
 下の写真は国道端で午後2時すぎの撮影。午前中の作業が終わった後、陽射しが強まった時間帯があって、灯篭の雪が融けた箇所があった。それを比較的歳の高い人たちが出て、修復されている様子。「ズクがあるなあ」と思った場面である。



 配達は撮影の合間をみて、森を中心に85部。

13日(日) 起床後、まず昨日の森の写真を整理し、4頁版のアルバムを作成。準備への多くの人たちの参加を描き出すことに重点をおいた。
 平滝集落は今日は雪上運動会で、運動会終了後、長野県埋蔵文化財センターの主任調査研究員の谷和隆氏を招いて、「ひんご遺跡の説明会」。森のアルバムの編集を終えて駆けつけると、ちょうど雪上運動会を終えた平滝の人たちが公民館に移動しているところだった。関係者の許可を得て、谷氏が提示された全スライドを撮影。同時に、谷氏の解説内容をメモしなければならないので、大変だった。
 ひんご遺跡は昨秋の発掘段階で分かっていた以上に重要かつ貴重な遺跡のようだ。メモを読み返すと、谷氏が話されたことを私が完全に再現することは難しいなあと思うが、配られた資料も参考にして、できるだけ詳しく、わかりやすく「復興への歩み」で紹介したいと思う。
 平滝の遺跡説明会が終わったのが正午少し前。その後の懇親会にも参加できれば、さらに突っ込んだ話も聞けたと思うが、「スカイランタンバスツアー」で四国から来られた一行が秋山郷に入っているので、昼食後、それを追いかけて秋山・切明温泉へ。秋山もどんどん雪が消えている。
 ツアー参加者の感想や意見を聞くことができた。首都圏の人の場合、冬の秋山郷にも自家用車で来るという人がおられるが、西日本の人は「今年は雪があまりなくて残念。豪雪地というものに一度は来てみたいが、自分で車を運転してくるのは怖い。足を提供していただければ是非、来たい」とのことだった。
 夜になってからは、夕食会の会場に最後まで残ってワイワイ話しておられた人たちの輪に入れていただき、いろんな話が聞けた。
切明を出たのは午後8時頃で、真っ暗な切明線−国道405を下って、9時すぎに帰着した。
 下写真は、切明橋付近でツアー参加者が摘んだりされているところ。



14日(月) No.279の昨日までの累計配達数が137部にとどまっているので、「今日は頑張らなきゃ」と思ったが、12、13日がかなりハードだったせいだろう、あまり無理がきかず、「今日はゆっくり無理せずに」と考えを切り替えた。
午前中、12日の森の写真アルバムの編集等。昼頃から配達に出たが、12時半頃からみぞれ、さらに雪に。下写真は午後1時すぎの程久保。写真中央は「復興の歩み」No.279に掲載した「野田沢の庭先キャンドル祭り」で「程久保集落の田んぼ」として紹介した田んぼ。



 No.279の配達は36軒にとどまったが、それ以外に森集落で12日の写真アルバムを40軒配布。
 天地に行った際、斎藤克己さんからマンサクなどを預かり、樓蘭に届けた。スノーモービルで山に入り、採られたもの。



15日(火) 今日は朝から雪。その中、「今日は相当の軒数を廻るぞ」という意気込みで臨んだ。
白鳥や平滝を廻った後、東部谷に入り、正午すぎから中野集落、極野集落を廻ったが、中野からは完全に冬景色。午後2時すぎに国道117に戻ると、景色は一変。天気もよくなってきて、春景色。標高の違いを強く感じた。下1枚目の写真は左が11時半すぎの切欠集落。雪は降っているが、法面にはふきのとうがいっぱい出ていて、公民館前の桜の木の枝先は赤い。他方、2枚目は正午すぎの中野集落。こちらは冬景色。





 3時すぎに青倉集落に入ると、田原の道がすでに割られ、開いていた。先週末に道割りされたらしい。
 

配達日誌2月11日〜20日

11日(木) 昨日はNo.277の編集に手をつけるところまでいかず、今日は、昼食時に追加取材で中子に行ったのと、夕刻4時すぎに用事があってスキー場を短時間訪れた以外はずっと室内作業。
 天気は最高によくて、夕刻4時半〜5時頃に中子に行けば、夕陽に照らされる桜の木々のいい写真が撮れたに違いない。しかし、「いま、出かければ、また作業が後にずれ込み、夜が遅くなる」と考え、グッと我慢。
 そのように努力したが、No.277や配達日誌の印刷と折りを終えると深夜1時になってしまった。
 
12日(金) 昨夜が遅かったので、配達スタートは10時すぎ。
 好天で、朝の部屋は暖かったが、スタート直後には、「わずかに風があり、冷たくて、外はポカポカというのではない」というメモ書きが残っている。しかし、中条、小滝、野田沢、程久保と廻って、大久保で数軒廻った段階(正午頃)で、軽トラの中は暑く感じられ、窓を開け、さらにマフラー、帽子、ジャンパーの順ではずしていった。ポカポカ陽気は3時頃まで続いたと思う。
 雪がいっきに消えていることに驚いた。いちばん驚いたのは、天地〜野口間で高倉山などの姿がとても綺麗で車を停めて写真を撮った時のこと。山の写真を撮った後、振り向いた時に目に入ったのが下の写真。



 これはもう春先の光景だ。
 天代集落内で出逢った道路除雪で道の脇に寄せられた雪を見ると(次の2枚の写真のうち、上の方)、「ああ、やっぱり9日、10日は結構降ったんだ」と思うが、同じ所で目を山裾に移すと、多くの地面が出ている(次の2枚の写真のうち下の方)。このように早く消えるのはやはり春雪だということだろう。




12日午後3時半頃、天代集落にて

 配達は、No.276未配地域を優先で、111軒120部。まずまずのペース。
 翌日分の印刷等がまたまた遅くまでかかり、就寝は1時半すぎ。作業の直後というのは脳が活性化しているせいか、よほど疲れている場合を除き、すぐには寝る気になれない。
  
13日(土) 昨日、「えっ、もう金曜日なんだ」と軽いショックをうけた。時間の流れが速すぎる。
 No.277は小赤沢の豆まきをトップで扱っているので、小赤沢の人たちにできるだけ早く届けたいが、14日は天気が荒れるという予報なので、今日、秋山・小赤沢に行くことにした。朝の出発は遅かったが、小赤沢と屋敷のごく数軒のみの予定なので、「昼過ぎには秋山から下におりる」という目論見だった。だが、2軒で話し込み、目論見は見事に破産。津南に着いたのは午後4時頃だったか。
 3日の豆まきで写真を撮らせていただいた方々に写真をお見せし、今後の秋山・栄村の広報に活用することをご了解いただいた。今日の重要な成果。

 往路、横手(見玉と清水川原の間)のあたりで「雪崩パトロール」という車と出会い、その姿を撮影するために停車した時、中津川を覗(のぞ)くと、水の流れは見えず、川の全面がシャーベット状になっていた(下写真)。「?」と思ったが、帰路にもう一度様子を見て、正体がわかった。山の崖面から川に落ちた雪がシャーベットになっているのだ。



 国道405では往路も帰路もずっと除雪作業が行われていた。国道に迫る崖面の雪をバックホーで落とし、それをドーザーで除雪する。往路と帰路の間には3時間以上の時間が経過していたが、除雪作業場所はそれほど移動していなかった。大変な作業なのだと思う。
 夜は野田沢の「庭先キャンドル祭り」実行委の打ち合わせ会合の様子を取材。夜7時40分頃、野田沢公民館を出ると、生ぬるい風が頬にあたった。「えっ?」と思ったが、その後9時すぎ、役場横の気温標示板は4℃を示していた。天気予報で「南から暖かい湿った空気が流れ込む。各地から春一番の便りが入るでしょう」と言っていたが、どうやらそのとおりになりそうだ。
 
14日(日) 今朝は普通の起床だったが、ブログ記事を編集していたりしたので、配達は10時すぎにスタート。
 午前中は朝方に降っていた雨もやみ、天気は荒れず。ただし、至るところで霧・モヤ。ライトを点灯しての運転。雪坪集落のいちばん奥に行った時に撮った景色は水墨画的世界。



 北野天満温泉の近くにある復興住宅を訪れた時、北野川が増水し、しかも真茶色なのに驚いた。午後3時すぎ、百合居橋付近の千曲川を見たが、こちらもかなりの増水。昨日・今日の陽気で雪融けがいっきに進んだということだろう。
 「暖かい南風が日本列島に流れ込んだため」と説明されている。これは納得できる。また、そういう暖かい南風が日本列島に流れ込む時期が3月になるか、それとも2月になるか、それが年によって変動すること自体は以前からあることであり、格別異常なこととは思わない。しかし、問題は流れ込んでくる「暖かい南風」の温度がこれまでとは大きく異なることだ。赤道付近の海水温が異常に高くなっているのだろう。それは、昨年秋に茨城県常総市などに大きな被害をもたらした大雨の原因もそれだ。地球気候変動は相当凄まじいことになっているようだ。「豪雪地」という特性をもつ栄村は、そのことに合わせた暮らしを歴史的に形成してきている。その特性に変動をもたらすような気候変動に至っているとすれば、村(の暮らし)の根幹に関わってくる。

 配達は、夕刻4時近くに眠気を感じ、いったんは「今日はもうここまで」と思い、お茶のみに立ち寄らせてもらった友人にもそのように言って別れたが、なぜか元気が再び出てきて、6時頃まで継続。最後はもう暗かったが、188軒197部で、累計363部となり、No.276の遅配も解消し、なんとかペースを取り戻した感じだ。
 
15日(月) 朝9時すぎに給油したうえで、青倉で昨夕に廻りきれなかった35軒の配達。その後、10時半すぎに村を出て、久しぶりに長野市へ。「土木観光を考えるシンポジウム」というものに参加するため。知り合いから開催を教えていただき、出かけた。
 シンポジウムは1時15分から4時15分の3時間のやや長めのものだったが、なかなか面白いものだった。その内容は「復興への歩み」次号でも紹介したいと思っているが、震災復旧に取り組んできた栄村にはその資源が山ほどある。ただ、その資源を活かしていくうえで、安全基準をどう考えるかが難しい課題だと思う。

 帰路途中、飯山で夕食を食べ、そこからの117はもう真っ暗な中でかなり激しい降雪。前方が見えにくい。その中で後ろからあおってくる車が。かなり経ってから追い抜いていったが、大型トラック。こういう時にあおられるのは嫌なものだ。久々の雪の夜道で相当に緊張した。
 車を車庫に入れたのは7時半すぎ。夜11時すぎ、同じ箇所を撮影してみた。


 午後7時半すぎ

          午後11時すぎ

 かなり降り、積雪も増えているが、フワフワの雪。冷え込みは木曜まで続くというが、いったん気温が上がれば消えるのは早いだろう。国道は9日夜のように除雪が出ることはないが、室内に聞こえてくる車の音を聞くと、道路積雪が多いという感じではない。帰路に走った時の実感からも、車が走ると、どんどん融けていく性質の雪のように思われる。やはり春雪なのだろう。

16日(火) 昨日の雪は夜のうちにやみ、今日は朝から快晴。
 No.277の配達が昨日で累計403部になり、配達に少し余裕ができたのと、朝からの快晴のため、午前中は写真撮りにした。「トマトの国」でこんな面白い写真も撮れた。



 宿泊客の車のようだ。例年だとそんなに珍しい光景でもないが、今冬はこんなのは初めて。ただし、夕刻に入浴に行くと、この車があった場所にも雪はもうなかった。車が出た後、日中の陽気で消えたのだろう。

 いくつかの所に行ったが、一番の重点は昨日のシンポジウムで「信州の土木 魅力のマップ」に取り上げられていた白鳥大橋。白鳥大橋がどんな造りになっているのかを見せる写真を撮るために、久しぶりに明石集落(野沢温泉村)を訪ねた。また、白鳥大橋そのものが一級の景観であることを見せる写真を撮るためにかなり苦労して、自分なりに納得のいくものをなんとか1枚撮れた。

 配達は午後開始だったが、箕作、泉平、月岡、横倉で110軒廻れた。配達途中に撮った写真を1枚。月岡集落の中の田んぼ。水が入るようになっている田んぼだが、それにしても昨日の雪が跡かたもなく消えているのに驚いた。春の雪だ。


 
17日(水) 午前中は記事の編集をしたり、いつもの薬をもらいに診療所へ行ったり。診療所では、待ち時間に「復興への歩み」を熱心に読んでいてくださるおかあさんがいて、感激。
 午後、腰の調子がよくないなど、「一度、接骨院に行っておくほうがいいか」と思いたち、激しく雪が降る中、十日町へ。
 そんな次第で、今日の配達は森集落での30軒のみ。No.276でもそうだったが、新しい号の配達スタートから4〜5日はかなりハイピッチで進むが、その後、失速するような感じがする。新号スタート時期のペースをもう少し緩め、持久力・持続力のある配達を心がけるようにすべきなのかなあ、などと思う。

 今日の雪は今季最高の降雪量だったのではないだろうか。朝6時に起床した時は降っていなかったが、たしか7時すぎから降り始め、一日中降った。下の写真は夕刻5時半頃、十日町から帰り、車庫の前の雪を片づけた後に撮ったもの。手前は雪を片づけたところだが、そのむこうの積雪が今日の新雪。30cmは軽く越している。



 今日は国道117に除雪車が出動するのが遅かった。昼頃に初出動。この間は少し降れば、すぐに出動していたが、どうしてだろう?
 
18日(木) 集落内道路に結構の積雪がある状態で今日になったので、朝は除雪車が出動。
 9時に人と会う約束があったので、8時半すぎに車庫前の雪の片づけ。除雪車が通った後に残る雪の塊もあまり硬くも重くもない。昨日の雪はふわふわした雪だった。



 上写真は、午後、白鳥で撮ったものだが、昨日の50cm以上の積雪が消えて緑の草が見えている。昨日もそうだったが、雪が消えるのが速い。春雪というが、真冬の雪とのあまりの違いに改めて驚く。
 午前中は9時の約束の後にも、もう1件、人と会う約束があり、それにプラス、記事の編集もあって、配達は午後。主に白鳥、平滝で96軒。まずまずの軒数。
 
19日(金) 17日からブログで「5年間を思い出す」というシリーズを始めたが、一昨年2014年の2月17日の写真の1枚として下のものを取り上げた。



 平滝駅のすぐ近くの「尾根」という踏切への道である。踏切がほとんど見えない。写真真ん中にわずかに黄色ものが見えるところが踏切。
 今日の配達で同じ場所に行ったので、ほぼ同じ場所から撮影した。下の写真だ。2014年と比べると雪はないに等しい。改めて今冬の雪の少なさを実感した。



 配達は東部と森、平滝で88軒。No.277は秋山の屋敷集落〜切明集落を残すのみとなった。明日、秋山に行く。

20日(土) 昨日、配達での運転中、暑くて窓を開けて走ることがあった。それがいけなかったのか、昨夜遅くから調子がおかしかった。朝、やはり風邪気味。なかなか起きられなかったが、「今日はやっぱり秋山に行かなければ」と思い、7時40分頃に起きた。秋山小校区合同雪上運動会が9時45分から始まる。
 家を出たのは8時45分頃だったが、間に合った。道路状況がよかったこともあるが、国道405をかなりスムーズに運転できるようになってきた。
 雪上運動会と、午後に開催された「秋山郷の未来を語ろう会」の様子は「復興への歩み」等で紹介する。
 雪上運動会は12時10分頃に終了したが、それから「語ろう会」が始まる2時半までの間に屋敷と上の原で35軒に配達。和山集落が残ってしまった。23日頃にもう1回、秋山に向かうことになるだろう。
 午後4時10分頃に小赤沢スタートで下ってきたが、日が長くなり、明るかった。それで横手で懸案の写真が撮れた。



 見玉から清水川原方向に向かうと国道405がいっきに狭くなるところ。写真左手に見える数多くの雪崩止めの存在が冬の難所であることを物語っている。
 そこの中津川におちる崖面に1基のコンクリート構造物が見える。昨年造られたものだ。工事の当時に掲げられていた看板によれば、「スノーシェッドの下部構造」というようなことが書かれていた。こういう場所でのスノーシェッドの建設にはまずこういうものを造る必要があるのだ。作業する人たちの様子を何度も車窓から見たが、足場でちょっとでも足を踏み外せば中津川に転落する。私などは見るだけでブルブルっとしてしまう大変な作業。その作業のおかげで来冬あるいは再来年の冬にはもっと楽で安全な通行ができるようになるのだろうと思う。感謝!!である。
 
 21日〜25日は配達をしていないので、日記は省略。その5日間の概要のみ記しておく。
 21日(日)は洗濯など身の回りの整理と、午後2時から森集落の水道問題に関する説明会に出席。22日(月)は、栄村の復旧・復興工事の取材から出発した問題意識で、土木建設業で働く人たちの仕事について知るための取材、中野市へ。23日(火)は、白鳥大橋の長寿命化工事に関する聞き取り、平滝集落の村道の道割りの様子の取材など。24日(水)は、保育園の雪遊びの模様の撮影、「お米のふるさと便り」の編集・制作など。25日(木)は、SL飯山線運行との関係で「ビューポイント」に関する資料の作成、米の発送作業、栄村を調査研究する大学院生の受け入れなど。
 

配達日誌2月26日〜3月4日

26日(金) 今日は一日、No.278の編集。21〜25日は結局バタバタと過ごし、今日の編集となった。
 ただし、昨日から村を訪れている東京の大学院生を9時半すぎ、月岡の樋口久直さん・順子さんご夫婦のお宅に案内。さらに、昼時に「一緒に昼食を」というお誘いをいただき、再び、樋口さん宅へ。和久さんご夫婦とも一緒。牛舎で会う和久さんと、自宅で食事をする和久さんとは随分雰囲気が違って印象的だった。
 みんなで食事するところを1枚、写真に撮りたいなと思っていたが、食べるのと話すのに忙しくて、撮影チャンスを失ってしまった。今日は結局、1枚の写真も撮らない一日となった。
 
27日(土) 今日も大学院生を3軒の家に案内しながら、No.278の配達を開始。計52部で、あまり進まなかった。
 夕刻は野田沢の庭先キャンドル祭りの撮影。約1時間半、シャッターを切りながら、歩き回った。昨年に比べれば、はらかに暖かだったが、素手で撮影していると、手は次第に冷たくなった。夜は冬である。



 上写真は、大学院生を案内した3軒のうちの1軒、笹原の関沢義平さん宅で、ねこつぐらの藁を叩く作業場がある昔の牛舎にキミ子さんが案内して下さった後、キミ子さんと院生が談笑しながら歩く姿。むらの文化はこういう機会をとおしても伝承される。そういう機会を創ることに少しでも役立つことができれば嬉しいなと思っている。

28日(日) 今日は秋山での配達。秋山への道、秋山の中の道、いずれもほとんどが乾いている。
 今日も大学院生を案内しながらの配達で軒数は少ない。秋山で48部。森に戻って来てから27部。

 屋敷集落の山田知周さんのお家では犬を飼っておられる。「モモ」という名のメス犬。配達に行くと、これまで吠えまくられて困っていた。ところが、1月31日にお茶のみにお邪魔させていただいた後、2月8日、20日、そして今日の3回、ほとんど吠えられることがない。今日、家の前に出ておられた知周さんとも話したが、「家に入っていい人」と認知されたということのようだ。なかなか面白いことだと思う。



 上の原集落〜和山集落間で、大きなリュックを背負いながら道を歩いてくる若者にまず一人、続いてまた一人と出会い、その次に2人、さらに3人と出会った。そこで車を停めて窓を開け、「どこから?」と尋ねると、「志賀高原から入って岩菅山に登り、いま、切明で温泉に入ってきました。慶応のワンダーフォーゲル部です」とのこと。志賀高原を出発したのは一昨日、昨夜は笠法師山の近くでのテント泊だったそうだ。「疲れました」と言っていたが、まだ体力は残っているようだ。列のいちばん最後に女子学生がいたことにさらに驚いた。
 この季節の岩菅山に登れるのは今冬の雪の少なさゆえかもしれないが、秋山郷の観光の可能性の無限性をまた学んだという感じだ。
 
29日(月) 朝、大学院生を森宮野原駅に送り、その院生のお世話(宿泊等)をして下さった青倉の島田きみ子さんにお礼に。急なことできみ子さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたことと思うが、民家に泊めていただけたことで院生が得たものは大きかったのではないかと思う。感謝!である。院生が指導を受ける駒澤大学文学部地理学科の高橋健太郎先生は震災前からのご縁だが、震災から間もない2011年の6月を含めて、この5年間ずっと学生たちを連れて栄村に来て下さっている。こういうつながりは大事にしたいものだ。

 午前中、青倉、白鳥、平滝などで58軒。午前中から降っていた雨は、昼前、泉平に上がった頃からみぞれ、あるいは雪らしきものに変わった。昼食を箕作でとっている間に雪に変わった。べちょべちょの湿雪だ。
 相当に疲れていて、午後は一休みしたいと思ったが、印刷・折りなどをしたりして、結局、休むという具合にならなかった。
 
3月1日(月) 今冬最強の寒波が下りてきているという。北海道は大変なことになっているようだが、ものすごい低気圧が発達するというのは、単に強力な寒波が下りてきているというだけでなく、南からの強い暖気がぶつかっているからだ。その暖気が曲者だと思う。やはり赤道あたりの海水温の上昇が異常な状態になっているのだと思う。地球の気候変動が深刻な状態になっているのだと思う。
 午前中は主に東部地区を廻った。計63軒。


11時頃に北野で出会った車の積雪
                  
 午後は、2時24分着の飯山線で某新聞社の本社編集委員を出迎え。5日〜1週間滞在されるそうだ。まず、東部〜西部〜豊栄〜北信をざっと車で一周して案内した。全国いろんな支局で活躍されてきた人のようだが、栄村に実際に来るまでは「山村にひっそりと人びとが暮らしている」というイメージを抱いておられたらしいが、ひとまず廻ったところで、「ずいぶんと豊かな村で、人びとはいろんなことに取り組んでおられるんですね」という感想をもらされた。まだよくわからないが、なにか久々に「“外の目”から見た栄村」というものを感じさせられたように思った。記者氏が栄村滞在の結果としてもたれる観察結果は私たちにも参考になるだろうと思う。


大庭光一氏と立ち話する記者氏(左)

2日(水) 記者氏は「なにか作業を手伝わせてもらいながら、村の人が栄村に愛着をもつのは何故かを知りたい」とのこと。もともとのご希望は「雪かき」だったが、そんなに雪もないので、とりあえず斉藤克己・勝美さん宅に案内。昼までは一緒におしゃべり。
 午後は、記者氏を斎藤さん宅に残し、私は配達へ。月岡を廻っていた午後1時半頃、また雪が降ってきたが間もなくやみ、今回の降雪はほぼ終わったようだ。
 大久保、月岡、横倉、森などで計136軒を廻り、累計387部。人の案内でなかなか配達が思い通りに進まなかったが、なんとか確保すべき配達ペースを回復できてきたように思う。

 「おひさまケチャップ」に津南町の「喰い処味郷」から注文が入ったとのことなので、私自身の夕食を兼ねてケチャップを届けに行った。主たる用途は自慢のトンカツのソースを「おひさまケチャップ」を主体として作るというもの。先日、一度、そのソースでトンカツを食べて「これは行ける!」と思ったが、折角なので今夜もう一度注文し、写真を撮った。今回は250gの「味郷とんかつ」ではなく、130gの「とんかつ定食」。ソースは一般のとんかつソースの濃い茶色ではなく、ケチャップ色が感じられるもの。さっぱりとしていて美味しい。是非、お試しください。


 
3日(木) 記者氏はえのき農家の大庭光一(てるかず)宅へ。送り届けた後、私は配達等へ。昼に様子を見に行くと、「お手伝いできたと思います。奥さまから筋がいいと言っていただきました」とのこと。午後も、記者氏を大庭さん宅に残し、再び配達へ。夕刻に迎え、旅館まで送った。午後は光一さんがLEDの配線工事をされる際、荷物の移動を手伝ったそうだ。

 午前中、配達はわずかで、白鳥から東大滝を経て、明石(あかいし)に行った。狙いは2つ。白鳥大橋を通過した時、No.278で紹介した橋脚の鉄筋調査の作業は懸崖(けんがい)側ではなく、千曲川側で行われていた。その様子は明石からでないと見えない(作業の様子は明石からバッチリ撮影できた)。もうひとつ、箕作〜明石間のバイパス建設の明石での橋台建設は除雪作業が終わり、積雪前に打ち込まれた杭を掘り出す作業に入っている模様。その様子を見ておきたかった。
 10時15分現在で国道117の平滝の気温表示板は4℃を示していたが、明石の橋台建設現場は風が強く、体感温度は0℃ないし氷点下。手がかじかむ中で撮った写真を1枚。



 このバイパスはもともと、栄村側の強い要望であると同時に、明石の人たちの強い要望であったはずだ。ただし、今回の建設は栄村の震災復興の事業として着手された経緯があり、明石の人たちがどう受け止められているかを聞いておきたかった。たまたま外に出ておられた人に声をかけて話を聞かせてもらった。「40年来の強い願いで、実現されて喜んでいる」とのこと。話してくださった人は66歳、小中学校は栄村の学校に通っておられた。同級生には箕作へ嫁に行った人もおられるという。
 この橋・道路が開通すれば明石と箕作・栄村の往き来は再び活発なものになるだろう。今後、明石の人たちへの取材をさらに重ねたい。

 昼前、家に立ち寄った時に、フクザワコーポレーションの車が「トマトの国」への道を下ってくるのが目に入った。導流堤の工事準備が始まったのだと直感し、現場に行くと除雪された跡があった。
 午後、箕作、泉平、小滝などを廻り、今日は計88部。
 
4日(金) 今日は天気がよさそうで、日曜日は天気が崩れるというので、今日を秋山行きにした。
 記者氏は、「今日は配達に同行して、村の様子をいろいろ見たい」とのことで秋山に同行。
 10時半頃に小赤沢ゾーンに入り、鳥甲山の定点撮影場所でまず1枚撮った後、「11時までに撮影」を原則としている天池近辺からの鳥甲連峰の撮影のため、まっすぐ上の原へ。28日には車で入れた天池横の道路は29日〜2日の雪で入れなくなっていた。20分間ほど、雪上を歩き、何枚もの写真を撮った。その後、上の原集落14軒の配達。その後、小赤沢集落での配達に向かう予定だったが、屋敷集落の様子を記者氏に見せるために屋敷をぐるっと一周することにした(屋敷の配達は28日に済んでいる)。そして、みずと屋食堂前の坂道を上って行くと、林道に向かう道が除雪されていた。「ひょっとして林道までは道が開いたのか」と思い、車で上がっていくと、林道も開いている。



 「まあ、途中までしか開いていないだろう。その時はターンして戻ればいいや」と思って進むと、結局、切明まで出られた。貴重な風景写真が撮れているので、それは「日誌」とは別の形で公表したい。なお、改めて断っておくが、こういう行動はあくまでも取材のための自己責任行動であり、一般に真似されることがないようにお願いする。

 配達はNo.278は配達したもののNo.277が未配達だった切明・和山を廻ることも含めて、秋山で62軒。下ってからの森での配達を含めると、71軒。
 秋山への405はほとんどのところが乾いており、雪や石が落ちているところも少なくて、走りやすい状態だったこともあるが、同行者がいると、話ながらの運転で、あっという間に秋山に着いた。注意散漫になってはいけないが、単独行にはない良さもあるようだ。

 帰路、中子に立ち寄った。「農家民宿れすとらん ひがし」を経営される山本光一(こういち)さんのお父さん・光夫さんは、桜の木に害を与える鳥を追い払うために爆音装置をセットされている。ガスを充満させ、それが定期的にプラグから出る火花で「爆発」し、大きな音を立てる装置(下写真)。前回訪ねた時に体験済みだったが、実際に爆発音が出るとやはりびっくりする。



 夕刻、森の五宝木住宅で山田政治・せきさん宅に配達に行き、久々にいろんなお話を伺った。1つは村営牧場の話。いわゆる鳥甲牧場とは別のもの。これまで詳しいことを聞いたことがなかった。おそらく、村民でも70歳以上の人でないと、ほとんどご存じないのではないだろうか。もう少し詳しく話を聞いて、一度、記事にしたいと思う。
 もう1つは、山菜など五宝木の豊かな恵みをどう継承していくかという問題。政治さん、せきさんとある程度打ち合わせできたが、さらに話を詰めて、今春5月、五宝木の恵みを継承するプログラムをスタートさせたいと思っている。
 

配達日誌2月1日〜10日

1日(月) ほぼ一日、No.276の編集・制作等にかかりきりで、外出したのは直売所の取材と夕刻の温泉くらい。
 陽が落ちるとともに、今夜は冷え込み、午後7時頃、温泉から出てくると、路面はすでにツルツルになってきていた(下写真)。


 
2日(火) No.276の配達を開始し、森、東部、西部、豊栄をぐるっと一周した。
 昼すぎに陽がさした時間帯もあったが、朝から夕まで断続的に降雪。朝は9時半頃のスタートだったと思うが、森で−1℃。滑りやすい。



 家の前のこんな看板は有難い。とくに滑りそうにも思えない所が意外と滑りやすいという場所。この注意書きに救われたかんじ。
 お昼は配達で立ち寄ったお宅で、薪ストーブの上で煮込まれた昆布巻きを頂いた。美味い!
 夕刻近くまで頑張って114部。

3日(水) 今日は節分。秋山小の斉藤充子先生から「小赤沢での豆まきに来てください」とお誘いを受けていたので、午前10時すぎまで青倉などで配達して、昼前に小赤沢に着けるように秋山に向かった。津南で国道405に入ったのが10:55、東電の発電所を右手に中津川渓谷沿いの狭い405に入ったのが11:06、前倉橋通過が11:28、小赤沢での1軒目の配達が11:34だった。
 朝方は降雪だったが、405に凍結もなく、スイスイ行けた感じ。途中、狭いところでタイヤドーザー、ロータリーとの離合があったが、とくに困ることはなかった。

4日(木) 猛烈に冷え込んだ朝だった。ネットでは最低気温−6℃とされていたが、さらにもう少し低かったのではないだろうか。8時40分頃スタートで配達に出たが、至るところで路面が凍結。
 国道などの車の走行には問題がないが、配達でそれぞれの家に近づく時が問題。軽トラから降りる時、まず第一歩の着地点がツルッとこないか、手を軽トラにかけたまま慎重に探らないと、すぐに滑って転んでしまうような状況。
 こういう凍結の大部分は通常なら午前9時すぎで解消されるものだが、今日は午前10時を廻っても続いた。陽当たりのよい所で、「少し凍結が緩んできたかなあ」と感じたのは10時半を廻ってからのことであった。10時50分で、国道117の平滝の気温標示板が−2℃を示していた。
 これだけ冷え込み、かつ晴れているので、空気は澄み渡り、いつもの風景がいつもの風景にとどまらず、とても綺麗に感じられた。「綺麗だなあ」と感じる風景を切り取って、配達の合間に写真に収めた。


越後の真っ白な山並みが綺麗。飯山線白鳥駅〜白鳥踏切間の小さな鉄橋にて
(越後の山並みにピントを合わせているので、手前はぼけています)

 配達は豊栄地区(平滝、白鳥)が主で115軒。
 午後2時すぎまでに配達を終わり、すぐに温泉へ。温泉「トマトの国」は昨日と今日、武蔵村山の中学生の団体が宿泊しているので、入浴受付が午後3時までなのだ。明るいうちの温泉、昨夏の湯滝温泉露天風呂以来だが、なかなかいいものだ。
 その後、家で昨年10月1日以降の写真データをパソコン画面でチェックする作業。計4時間くらいやっていたと思うが、昨年10月は「1ヶ月の半分くらい、秋山か野々海にいたんだなあ」というのが実感として感じられた。

5日(金) 朝、起床したら、雪曇りで路面はうっすら白くなっていた。たしかに予報では「午前中、雪」となっていたが、昨日のような好天の後、朝一番の光景がこんなふうだと出鼻をくじかれた感じになる。雪が少ない今冬に慣れてしまったのか。
 朝、5時頃だろうか、一度目が覚めたが、「早過ぎる」と思い、もう一度眠った。次に目が覚めたのはなんと7時半すぎ。いつもは二度寝しても遅くとも6時半頃には目が覚めるのだが…。なんか調子悪いのかなと思ったが、9時半頃に配達に出発してからは順調。午前中、森、月岡、泉平、箕作で122軒。普通の1日分に相当する。森では66軒を廻ったのだが、所要時間は1時間余。配達という観点からいうと、森集落はいわば都会のようなところである。つまり、住宅が密集していて、あっという間に5軒、10軒と廻れる。これがたとえば原向あたりになると、雪道を歩かなければならない冬場は、1軒の配達に車を降りてから、車に戻るまでに5分くらいかかるケースもある。



 泉平での配達中、「医者どん」の屋根におとうさんが上っておられるのが見えた。連写で撮った写真の1枚。おとうさんの視線を見ると、私がカメラを向けていることに気づかれた様子。しかし、その直後の画像を見ると、すぐに視線をスノーダンプに戻し、黙々と作業を続けられていた。
 午後も配達を続け、今日は計151軒。明日来客があって、基本的に配達ができないが、その分も配達できてしまった感じ。
 今日の昼食はある人とご一緒し、話が弾んで1時間半余に及んだ。楽しい会話は元気の源になる。
 
6日(土) 今日も起床は7時半すぎ。9時に会合が入っていたので、慌てて朝食を済ませ、8時半頃に出かけた。
 今日は二人の方が村を訪れて下さった。二人といっても「二人一組」ではなく、別々の来訪。まずお一人と10時半すぎに森宮野原駅でお会いし、いろんな所を案内。毎冬、除雪のボランティアに来て下さっている人で、昨年は貝廻坂、極野、北野などを案内したので、最初の案内先として村内ではなく、津南町になる中子(なかご)に案内。この方、信州大学在学時にオートバイでいろんな所を廻られたそうだが、津南の河岸段丘の上を走っている時に、「いま、どこに向かっているか、わかりますか?」とお尋ねすると、「いえ、さっぱりわかりません。学生時代は結局117だけを走っていたってことですね」とのお答え。初めてのところをご案内できて、喜んでいただけると、案内のし甲斐がある。
 昼食後、村に戻って、いったんスキー場に立ち寄り、スノーボードをお楽しみ中のもう一人のお客さんに挨拶。そして、再び、一人目の方を天地の斉藤克己・勝美ご夫婦の家に案内。勝美さんが出して下さった煮物など、非常に喜んでいただけた。写真は、雪が降る中、お二人が見送りに出て下さり、勝美さんがケチャップを贈り物して下さっている場面。



 夜は、もうお一人のお客さんを宿に訪ね、9時半頃までいろんなお話をした。
 
7日(日) 今朝の起床は前日、前々日よりもさらに遅く8時近く。
 しかし、これは「疲れていて、起きられなかった」ということではない。昨夜、「明朝は遅くなってもいい」というつもりで、深夜0時5分開始の「今夜も生でさだまさし」を見たため。歌番組ではなく、トーク中心のもの。べつに格別の内容があるというわけではないが、トークの軽妙さが面白い。ただし、最後まで見たわけではない。番組が始まって1時間を経過した頃、さだまさしが1曲、歌い始めたのは覚えているが、その後は記憶にない。朝、目覚めると、テレビがついたままだった。
 起床すると、雪が降っていて、国道の路面も白くなっていた。結局、夜まで断続的に降り続けたが、たいした積雪にはならず。
 配達は横倉、青倉、志久見などで計96軒。

 じつは昨日、来訪者を中子に案内した時、昨年11月にオープンした「農家民宿れすとらん・ひがし」を訪れたが、昼食にはやや早い時間だったので、コーヒーセットの注文にした。その時に「おすすめ」として紹介されていた「豚の角煮とゆで玉子の煮つけ」というのを食べてみたかったのと、天気予報では昼頃から「晴れ」と出ていたので、雪を被った中子の桜を撮ってみたいと思ったので、昼食はその「ひがし」さんへ。訪れた時はまだ雪が舞っていたが、ご主人らとお話しているうちに外は晴れた。奥さんから「風が桜の雪を飛ばしていますよ」と教えられ、連写で撮影。そんなにうまくは撮れなかったが、連続写真で見ると、たしかに風で雪が飛ぶ様がよくわかる。ここでは1枚だけ。



 中子の帰り、この1週間の懸案だった散髪へ。すっきりした。髪を切ってもらうことでもスッキリするが、とくに洗髪とその後の頭、肩のマッサージが格別に気持ちいい。震災直後、半年ほどの間、逆巻(宮野原橋を渡って津南町に入ってすぐのところ)に臨時事務所を借りていた時の縁で、中島理容室にこの5年間、お世話になっている。
 
8日(月) 3日の秋山行で配達が小赤沢(+屋敷5軒)しかできていなかったので、数日前から、天気予報で「晴れ」と出ている今日8日、今号2度目の秋山配達を計画していた。しかし、昨日7日に予報を見ると、朝の最低気温が−9℃になっていて、凍結が心配された。幸か不幸か、土曜日にゆうパックの不在票が入っていて、問い合わせた結果、今日8日の午前9時に桑名川郵便局で受け取ることになったので、まず117を走って桑名川へ。市川橋で関田山脈方向の景色の素晴らしさに見惚れ、写真を撮ったが、足元がツルツルでおっかなびっくりの撮影。

 秋山へは10時20分に津南の大割野から国道405に入るという遅いスタート。道路に問題はなかったが、前倉橋の少し手前で、除雪ロータリーとの離合(下写真)。前回もあったが、もう慌てることもない。



 今日の配達は屋敷、上の原、和山の3集落だが、快晴なので、まず上の原に向かい、天池に行った。今日は前回1月26日のように車で入ることはできず、雪道を歩いて。一度除雪されている道なので雪は少なく、歩行は楽なもの。いいものが撮れたと思う。
 その後、昼食弁当を済ませたうえで、集落を下りながら14軒の配達。家の前が鳥甲の絶好撮影ポイントになっている家のおかあさんに出会って立ち話をしたが、朝陽に輝く鳥甲連峰の山頂について、このおかあさんは「金色」と表現されていた。私は正月2日に撮影したものを「赤く輝く」と表現したと思うが、「金色」という表現も、「たしかにそうだ」と思う。
 上の原での配達が終わった辺りで、まだ大した軒数も廻っていないのに背中に疲れを感じた。「いや、今日は秋山での配達を完了させねば」と気を奮い立たせ、和山へ。

 和山では11軒の配達をするが、8軒が和山の民宿街としてまとまったゾーンの中にあるの対して、残り3軒は集落の中心部からずいぶんと離れて、それぞれポツンと存在している。そのうちの1軒、島田福一さんのお宅を訪ねた時、たまたまご主人が家の前に停められた車から降りられたところだったので立ち話。和山の島田家の由来について面白いお話が聞けた。これはいずれ「復興への歩み」で紹介したいと思う。
 屋敷では何人かの方から、「お茶でものんでいかないか」と声をかけていただいたが、時計と睨(にら)めっこで、「凍結しないうちに下りたいので」とお断りせざるをえなかった。ただし、1件、質問したいことがあって立ち寄った小赤沢で話が思った以上に長引き、下ったのは4時を廻ってしばらくしてからだった。ただし、日が長くなっているので、津南に下りた段階でまだ薄暮だった。
 
9日(火) 今日1日廻ればNo.276の配達完了というところまで辿り着いたが、昨夜から急に体調がおかしくなった。背中がだるくてしようがない。昨夜は早めに就寝したが、今朝目覚めると、背中が板になったような感じ。
 「もう1日余裕があるから」と考え、今日は配達を休んで十日町に治療に行くことにした。ただ、昨日撮った写真はとても気に入っていて、どうしてもアルバム化しておきたかったので、その作業をして、午後、治療へ。

 天気予報では朝から降雪とのことだったが、実際は昼頃から。結構激しい降雪の中を十日町へ向かった。私は中里から裏道に入るので、宮中ダムの前を通るが、宮中ダム下流の信濃川の水量が異常に少ないと感じた。
 治療を受けて、少し楽になったが、帰路、宮中ダムで水量が少ない状況を撮影。



 日々、千曲川の様子が視界に入っていて、水量がそんなに少ないとは感じていなかったので、「いったい、どこで水量が減っているのか?」という疑問が出てきて、この後、鹿(しか)渡(わたり)の東電の発電所、宮野原橋付近、西大滝ダムの直下などの様子を見に行った。西大滝ではすっかり暗くなって、あまり様子が判然としなかったが、どうも宮中の取水量が多いのではないかと思う。例の水利権取り消し事件以降、宮中での取水量は厳重に管理されているが…。
 こういう、ある意味では「衝動的な」動きが、休むべき時に休まず、疲れを蓄積してしまうのだろうが、まあ、私の性分なので、なかなかやめられない。
 
 夜8時半頃だったのではないかと思うが、突然、村内放送のスピーカーから大音量の告知放送。「長野地方気象台が栄村に大雪警報を発令しました。明け方までに40センチの積雪が予想されます」というもの。
 「大雪警報が出ると、雪はやむ」というジンクスのようなものがあり、しばらくしてから外を見ると、やはり雪はやんでいる。ところが、夜9時40分頃、国道117から除雪車の音が聞こえてきた。カーテンを開けて、外を見ると、たしかに除雪車が出ていた。その後、ロータリーも出動。除雪車が家の前を繰り返し通り、午後11時すぎまで動いていた。外に出て、積雪状況を見たが、除雪しなければ車が立ち往生するといほどの状況ではない。


夜10時20分頃の国道117号線の様子

 私は震災翌年2012年の冬、夜9時頃に「間もなく森に到着します」という東京のTV局ディレクターからの電話を受けて、横倉の仮設住宅から森に車で向かったことがあるが、117は立ち往生寸前の積雪量だった。でも、除雪の出動はなかった。2013〜14年の冬から117沿いで暮らしているが、こういう時間帯の除雪車出動は経  験がない。「大雪警報」が出たので、県関係から出動の指令が出たのだろうか。少雪の今冬、仕事が少なくて困っている状況だから、出動を要請されることは悪いことではないが。

10日(水) 昨日の治療である程度楽にはなったが、まだ背中がだるくてしようがない。加えて、腰も不安定。もう一日、配達を休んで治療に行くことにした。


朝9時前、車庫の前で駐車スペース確保のために除雪した時の様子。
夜の間に30cmくらいは積もったのか。

 ただし、今日の午前中、平滝の橋脚建設現場の最終撤去作業が行われることを知っていたので、朝9時に現場へ。現場事務所として使用されていたコンテナの撤去作業。作業の様子を見ていて、青倉の仮設公民館のことが思い出された。
 撤去作業のピークは雪が最も激しくなった時間帯。素手でカメラのシャッターを切っていたら、左右10本の指すべてが一瞬のうちに“しもやけ”になってしまうのでは、という感じになった。買ってあった温かいお茶のペットボトルを握りしめて指を温めた。
 撤去・回収作業に来られたのは群馬県前橋市の業者。尋ねると、午前2時半発で来られたとのこと。十二峠で除雪車と出会い、勝手がわからず、苦労されたそうだ。帰りについて聞くと、5〜6時間要するとのこと。片側が開け放しの状態のコンテナを積んでいるので、スピードが出せず、高速も使えず、下道で峠越えをして群馬に戻られるのだ。
 震災から間もなく満5年だが、震災直後の義援金は言うまでもなく、復旧、さらに復興の工事がこういう遠方から来られる人たちのまったく表には出て来ない地味な作業によって支えられているのだということを、改めてしっかり認識しなければならないと思った。
 
 治療の後は、私のミスで昨日発送できていなかった荷物の発送作業のみ行い、あとは格段の作業をせず、早めに就寝することに。ある人から、「自分では自覚していない疲労の蓄積があるんですよ」と言われたが、そうかもしれない。3月29日の誕生日がくれば、また1つ歳を重ねる。栄村には私よりも高齢の先輩諸氏がたくさんおられ     
るが、歳を重ねるということがど    
ういうことなのか、それは自分が実際に経験しないとわからないことだと思う。「未踏」の域にどんどん入っていくわけで、人の忠告にも耳を傾けて、調整法をいろいろ考えなければならないと思う。
 

配達日誌1月20日〜31日

20日(水) 朝から降雪。家の前の国道を除雪車が頻繁に通り、賑やか。かなり荒れた天気だが、明け方くらいからの降雪なのか、積雪はたいしたことがない。
 9時すぎにちょっと出かける時、久しぶりに車庫の前の除雪をした。その時の国道の様子が下の写真。



 No.275の印刷などを行ない、11時ごろに飯山にむけて出発。データを保存する2.0TB(テラ・バイト)容量のUSBが満杯近くなったので、それを購入するため。
 飯山方面の国道は大型車がつくった轍の幅が軽トラには合わないので走りづらかった。往き帰りの過程でいろんな写真が撮れて、夕刻に「今日は荒天」という写真アルバムをブログにアップ。
 配達は青倉を中心に44軒・62部。
 一日中降っても積雪はほとんど増えていない。今夜は積もるのだろうか。

 
21日(木) 未明から朝にかけて、「久しぶりに積もったなあ」という感じ。夜、「久々に『積もったなあ』という感じ」というタイトルのブログ記事をアップした。
 配達は135部。
 今日の印象的な出来事は、切欠集落の坂の上の3軒に行くために、集落の上から入って歩きで坂を下る時に滑ったこと。新雪がそこそこにあり、その上を歩いていて、いきなり滑った。どうやら新雪の下にシャーベット状の雪があったよう。横向けに滑ったので、怪我をするようなことはなかったが、今冬、歩いていて滑ったというのは初めて。下写真のところで、写真手前に私が滑った跡が写っている。



 昼頃、北野天満宮を通過する時、車を天満宮に停めて、「学問の橋」まで歩いて行った。なかなかいい景色。



 
22日(金) 今日は「お米のふるさと便り」の編集作業が主で、配達は18軒のみ。
 ほぼ一日、雪が降り、午後は積雪が増えた。青倉集落では雪害救助員が今冬初出動していた。印象的な写真9枚でブログ記事「おお、栄村だ!」を編集・アップ。
 夕刻、訪ねた家で話し込み、暗くなってから天地〜野口間、さらに天代坂を下った。野口の手前のカーブは以前からよく滑るところだと自覚しているが、今夜もよく滑る状態だった。ブレーキを踏まずに、ひたすらハンドルを切って曲がって行けば滑らないで済む。でも、「雪が降る日は早めに家に入り、車で走らないようにせよ」ということを久々に思い知った。下の写真は午後6時すぎの天代坂の様子。




23日(土) 昨夜は雪がやみ、今朝は「除雪なし」かと思っていたが、中条の集落内道路には朝の除雪が入った(除雪車が来た時には気づかなかったが)。車庫前の除雪をして、9時半頃に配達に出た。
 今日の配達で廻った集落の中には今朝の除雪車出動がなく、かなりの雪が残っていて走りにくいところがあった(写真下)。



 こういう違いがあるのはどうしてなのか? 不思議だ。たしかに以前に聞いたことがある出動基準(積雪15cm以上)には満たない積雪であるが、高齢者が増えている現在、こういう状態では高齢の人が家から出ることを困難にすると思う。昨年の12月〜1月のように大雪の日が続き、除雪車の出動が間に合わない場合なら別だが、今冬のように除雪車の出動に余裕がある場合、もっと高齢者が暮らしやすい村にするという観点からのきめ細かい除雪対応が求められると思うのだが、どうだろうか。

 午前中、主に平滝、白鳥を廻り、76軒。昼食の後、限られた軒数を廻って、今日はあがるつもりだったが、「今日中に届けておかなければ」というところを思い出して、結局4時前まで配達を続け、今日は153軒。経験則的に言うと、135軒を超えたあたりで体がきつくなる。今日は相当に疲れた。
 さて、明日はどんな天候になるのやら。

 
24日(日) 詳しくはブログ記事を三度にわたって記したが、目まぐるしい天候の変化。簡単にいえば、吹雪→ぬけるような晴天→吹雪。
 しかし、これでようやく栄村の冬らしい景色に少し近づいたともいえる(下写真は私の住む家の裏手。屋根から落ちた雪で1階は埋まった)。



 今日はもともと荒天が予報されていたので、午前中、「復興への歩み号外・小赤沢集落版」を編集。
 午後は急遽依頼された仕事。午後1時半頃から5時頃までずっと屋内での仕事だったので、2時〜3時頃の最も激しい降りは写真を撮れず。「どんな時でもカメラを持ち歩かねば」と反省。

 
25日(月) 朝9時台が最も激しい降雪だっただろうか。
 朝、集落内道路にも除雪車が入ったが、本格的な積雪はその後。午後3時半頃に家に戻ると、もう1回除雪が入っていて、車庫の前には除雪車が道路脇に残す固い雪がビッチリ。それを片づけ、車庫前に車を停められるスペースを確保。
 今日も昨日に続き、依頼された仕事が入った。朝9時までに今日発送しなければならない米30kgの精米と箱詰めを終えて、9時頃から依頼仕事へ。
 今日、箕作でお葬式があり、仕事の途中で、葬儀会場に向かうバスを吹雪の中で待つ人たちの姿を見た。「こんな激しい雪の日にお葬式なんて大変だなあ」と思う一方、「雪国に生まれ、雪国で一生涯を終えた人の野辺送りにはこういう日こそふさわしいのかも」とも思った。
 雪が完全にやんだ夕刻、温泉の帰りに「トマトの国」から撮った1枚。こんな素敵な景色が見られるのは厳しい雪国だからこそ。
 



26日
(火) 今日は秋山行きと昨夜の段階で決めた。
 朝7時頃のNHKの気象情報で「飯山−15.6℃」とのこと。道路の凍結が心配なので出発は遅い目にする。昨夜の就寝が早かったので6時には起床。「復興への歩み号外・屋敷集落版」を今朝に完成させるつもりだったが、朝一番にプリンターのスイッチを入れたところ、故障の表示。保守サービスをお願いするしかない。「屋敷集落版」の編集は断念。したがって、今日の秋山での配達は屋敷以外の集落とし、今週中にもう一度、秋山に行くことにした。

 朝から空が真っ青の好天。秋山を配達で廻ったことについて「日誌」に記したことは多々あるが、前々から企図していながら、出来ずにいたことを今日の日誌でやってみたい。仮にタイトルをつけるとしたら、「秋山への道」というもの。頁数を費やすことになるが、写真アルバムを作ってみる。


津南町で国道405に入って間もなく。最高の天気。行く手に中津川渓谷が見える(9:37)。


いよいよ中津川渓谷に入る(9:56)。


進む先のスノーシェッドを撮影。写真左から右へ雪の切れているところがスノーシェッド。


右:清水川原手前の405号線。除雪した雪を随所で中津川に落としている。写真は来た道を振り返って撮ったものだが、写真左手の雪の切れ目の下は中津川渓谷。ブルブルッとする。


清水川原橋を越えて間もなく、離合のための待機場所にて撮影(10:07)。これから進む405号線が写真の中央付近、杉林の左に見える。


上の写真で見えた405号線の箇所を進む時に撮影したもの。本当に車1台の幅しかない。しかし、上りの時は谷が左手なのであまり怖さを感じない(私は右手に谷があると、非常に恐怖を感じる)。秋山行の路線バスは大型でここを通る。今日の帰路はこの付近で大赤沢行きの終バスと離合した。


前倉橋から大赤沢にむかう坂道。路面流水道路になっている。凍結を防ぐ方法はこれしかないのではないかと思う。今冬は水が少なく、道路の端が凍っていることがあるが、極度に冷え込んだ今日は写真のような状況で、途中、ヒヤッとする箇所もあった。


これは秋山に入った後、屋敷〜上の原間。前面に見える鳥甲山は素晴らしいが、405号線の路面はご覧のとおり。
 ただ、屋敷〜上の原間、さらに和山〜切明間については、道路の曲がり方、坂の具合などを体がだいぶ覚え込み、さほどの怖さを感じなくなった。「慣れ」は「油断」につながる危険があり、注意しなければならないが、慣熟が冬道克服の最良・唯一の方法だと思う。

 私は「冬の秋山観光」積極推進論者だが、冬道に不慣れな人の安易な秋山入りには反対。路線バスの使用やガイド付きの観光を推奨したい。また、村サイドでは「冬の秋山ガイド」の態勢を構築・充実させることが必要だ。


27日(水) 寒さ対策として、一晩中、暖房をつけっ放しにして成功。午前6時に寒さも感じることなく起床。
 夜が明けると、今日も晴天。下は8時20分に部屋の窓から撮ったスキー場方向の眺め。家の裏の雪に覆われた田んぼも綺麗だったので、手前の田んぼを広く入れた1枚。例年だと、家のすぐ裏に2階の窓に達するくらいの積雪があって、こういう写真は撮れない。



 さて、4〜5日前くらいからだろうか。右足の薬指が赤みをもって腫れ、痒くなってきた。私は靴を履きっ放しの日が続いたりすると水虫菌が活性化する性質で、以前に菌が皮膚内に侵入して腫れたことがあったので、それかと思い、水虫用の薬を塗ったりしていた。しかし、昨日、秋山での配達に廻っていたとき、「違う!」と思った。長靴を履いて雪の上を歩いている時、左足は何も冷たさを感じないのに、右足だけ異常な冷たさを感じたのだ。
 親しい人であっても、靴下を脱いだ足の指先を見せるなどというのは大変に失礼なことだと思うが、心配になり、知り合いのある人に「申し訳ありませんが、ちょっと見ていただけませんか」とお願いした。「これは異常ですよ。すぐに皮膚科で診てもらった方がいいですよ。上村病院の皮膚科がいいです」。
 そういう次第で、今日はまず十日町市(と言っても、旧中里村で、津南町のすぐ隣りで近い)の上村病院へ。ほとんど待ち時間なしで診てもらうことができて、「菌が入っている状態ではない。しもやけですね」との診断。薬を処方してもらった。

 ところで、私はこれまで「しもやけ」という言葉を書いた記憶はなく、漢字表記を知らなかった。「しもやけ」と凍傷の相違について調べようとネットで検索して驚いた。「しもやけ」は「凍瘡」と書くそうだ。凍傷との違いは皮膚組織の損傷に至っているかどうかのようだ。放置して、悪化させればおっかないことになったかもしれない。単に冷えるだけでなく、長靴の中に雪が入るような所にもよく行くので、長靴の中が濡れた場合などは注意しなければならないようだ。

 配達がやや遅れ気味なので、皮膚科受診の後、村に戻り、配達を進めたが、この間、徐々に痛みを増していた左足の神経痛がひどくなり、運転台に座っているのが辛くなってきた。113軒の配達を終えたところで十日町の接骨院に行くことを決断。他にも痛い箇所があるが、今日はとりあえず左足の神経痛の治療。かなり楽になった。
 夜になって、帰宅時に国道117からスキー場のナイター(営業用ではなく、スキークラブの練習用)がきれいに見えたので、朝と同じく部屋の窓から1枚。



 
28日(木) 起床が7時すぎと遅かった。昨夜、寝そびれて、就寝が遅かったせいだ。
 印刷が必要だったので、コーヒーメーカー、オーブントースター、テレビ、コタツをつけている中でプリンターを動かし始めたら、ブレーカーがダウン。プリンターは起動し始める時、一瞬、蛍光灯が暗くなるくらい電力容量が大きい。
 遅いスタートで、まず青倉で20数軒を廻ったが、午前10時頃は薄曇りで、空気が冷たかった。11時頃になって、青空も見えるようになり、昨日、一昨日と同様の好天に。大気が暖かくなった。

 午前中、66軒を廻ったが、左の背中がだるくてたまらない。2日連続での十日町の接骨院行きを決めた。森宮野原14:22発の上り列車の姿を栄大橋から撮影する必要があったので、それが終わるとすぐに十日町へ。ところが、昨日と違って、混み合っていて、かなりの待ち時間。村に戻ったのは午後5時を過ぎていたが、今日の配達が66軒で終わったのでは、ちょっとピンチなので、柳在家と長瀬で計20軒を配達。もうすっかり暗くなり、温泉の締切時間も迫ったので、そこで終了。
 温泉は私が最後の客。駐車場から出る時、建物の電気がつぎつぎと消されていくところだった。

 今日の午前中、役場前から見える千曲川対岸の断崖の上から撮った写真がとても綺麗だったので、夜、その写真を紹介するブログ記事「栄村はやはり凄いところだ」を編集・アップ。下写真は役場前の国道117から千曲川対岸を撮ったものだが、赤マークをした地点から村の風景を撮影した(その写真は「復興への歩み」に掲載する)。



 
29日(金) No.275の配達も終盤。明日30日は昼から人と会う予定があり、31日は秋山・屋敷集落に行きたいと思っているので、朝からの雪の中、ピッチをあげて配達。
 午前中に森、長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、原向、大久保、程久保、野田沢を廻り、108軒。



 雪は湿雪。上写真は森の五宝木住宅で配達している時に、除雪車が格納庫から出てきたところ。今季、飯山線の除雪車が雪を飛ばしているところを撮ったのは初めてのような気がする。
 当部の集落内道路はまだ車が通った形跡がなく、人の足跡もなかった(下写真)。わずかな積雪だが、こういうところに入って行くのは気持ちがいい。



 極野を廻っていた時だったと思うが、雪が雨に変わった。それから1時間ほどすると、雪の上を歩く時の感触と音が変わった。雪がザラメ状になったためだろう。昼食を終えて、午後1時に外に出ると、再び雪。朝とは異なる細かい粒の雪だが、なにか冷たーい雪。
 平滝と白鳥で16軒廻ったところで、印刷したものがなくなった。平滝の国道気温表示計は−1℃。寒い。下の写真は平滝で千曲川対岸を撮ったもの。
 
 
 
 寒々とした雰囲気が伝わるかと思うが、この写真を撮ったのは、直前に平滝〜箕作間に架かる橋を建設中の現場代理人と話していたのが誘因。橋が通行できるようになるのは来年あたりだと思われるが、橋が完成して通行できるようになれば、人間はそれを当然のことと思うようになるだろう。しかし、この橋の建設の前史は長い。車が当たり前の存在になる以前、栄村と明石(あかいし)(現・野沢温泉村)の間には今とは比較にならない行き来があった。ただし、それは現代の感覚からいえば「道」と言えるようなものではない道を通じてであった。写真の中央に雪の切れ間が見えるところが旧道。長い間、手入れがされていないので、現在では雪のない季節でも通行不能だと聞いている。
 こういうことは記録化していかないと、間もなく、「誰も知らないこと」になってしまう。そしてまた、便利な道路や橋がどのような苦難を経て建設されたかということも忘れ、わからなくなると思うのだ。

 
30日(土) 午前中は、昨日印刷部数が足りなくなって配達ができなかった白鳥集落の国道よりも山手の地区を廻った。正午に人と会う約束があったので、「急がなければ」と思いながら配達したが、思っていたほどには時間がかからずに完了。これで明日、秋山の屋敷集落を廻ればNo.275の配達は完了する。
 この白鳥での配達途中にこんな写真を撮った。



 橋場川が集落の中を下るところだ。数日前、月岡健治さんがfacebookに「今年は川が埋まらない」と書いておられたので、その様子を撮影した次第。比較写真として、昨冬12月15日(ほぼ1年前、暮れの総選挙の翌日)に同じ場所を撮影したものを示したい。


 
 川などほとんど見えない。でも、これが「栄村の雪」なんだよね。
 忘れないようにしないと来冬に厳しい思いをすることになるかも。

 正午の約束は、メールで取材を申し込まれた東京の大学生と会うというもの。メディア社会学科というものに所属されていて、栄村を取材されているとのこと。「東京の大学生」とはいっても、実は飯山市出身の人で、5年前の地震の時は中学3年生で震度5くらいを体験されたそうだ。
 ひと通り話をし終わったところで、坪野と小滝以外はあまりご存じないとのことなので、西部地区と東部地区をざっと車で案内した。その途中、私が用を足したくなって、天地の斉藤克己さん宅にお邪魔し、学生さんを紹介した。「Nさんというお名前なんだけど、じつは飯山市の〇〇が実家だそうです」と言うと、克己さんの反応は、「えっ! N農園のお孫さんかい。○○さんはお元気ですか。〇〇さんには随分お世話になった」というもの。世の中、広いようで狭いなあと思った。

 夜、家に戻ってから、29日の項で書いた千曲川の橋脚建設の現場の代理人との会話の関係で、「あそこの予備調査が始まった時に写真を撮ったことがある」と思い出し、その写真データを探し始めた。「もう雪が積もってもおかしくない時期だった」ということだけは覚えていたが、それが何年のことか思い出せない。2014年の11〜12月の写真データを見ると、もう橋台の建設が進んでいる。「12年か13年か」と思い、パソコンのデータを探しまくって、ようやく2013年12月5日のデータの中にあるのを発見。それが下の写真。



 同じ場所をいま撮ると、すでに橋台のみならず、橋脚も完成している。橋が完成する頃、人はこのあたりがかつてはこんな風景であったことを完全に忘れてしまっているのではないだろうか。

 
31日(日) 昨夜は千曲川橋梁建設現場の写真のデータを探し出した後、地震当時のレポート(当初1ヶ月間のタイトルは「栄村復興への歩み」ではなく「栄村の状況」)を久しぶりに読み返した。当時の様子がヴィヴィッドに書かれていて、「あー、そうだったんだな」と懐かしく思い出した。
 気がついたら、夜中の1時半を廻っていた。そんな次第で、今朝は8時頃の起床。

 起きた時は雪が降っていたが、そんなに大した降りでもないし、予報では昼前から晴れになっていたので、秋山に向かった。屋敷集落で、No.275とともに「号外・屋敷集落版」を配達するためだ。
 津南町正面のセブンイレブンで昼食用の弁当を買って出発したのが午前10時20分。まだ雪が降っていたが(灰(はい)雨(ざめ)のスノーシェッドを越えると、栄村よりも激しく降っていた)、清水川原橋を通過するとき、苗場山と鳥甲山の間の空が明るくなっているのが見えた。秋山に着いた時は晴天。
 手元のメモ帳に、「秀清館の配達を終わった時点でアツい」という記録がある。かなり暖かだった。北原地区での配達を終わり、「みずと屋食堂」さんから上のゾーンに入る前に、五宝木に向かう道路が今日も車で入れる状態であることを現認し、「晴れているから布岩の直下のところまで歩ける」と考え、向かった。そして、行けた!



 上写真は、布岩の直下から自分が歩いてきた方向を撮影したもの。
 写真奥に見える風景を撮影したものの中から1枚、「復興への歩み」に掲載するが、布岩に向かう途中、振り返ってその景色を初めて見た時、言葉では何とも表現しきれない感動を覚えた。
 少雪だからこそ行くことができた、見ることができたものだが、雪が多い年でも3月頃の雪が締ってきた時期に、多くの人に見せられればいいなあ、と心の底から思う。
 屋敷での配達が終わった後、あるお宅に寄らせていただき、お茶のみをさせていただいた。ご主人にお尋ねすると、今年は開いている道は例年は必ず雪崩が発生し、雪がある間は通れないとのこと。しかし、雪崩を避ける別のルートがあるそうだ。
 地元の人たちのお知恵をお借りして、秋山の素晴らしい景色、資源を観光に有効に活かせる方策を探り出していきたいなあと思う。
 

配達日誌1月10日〜19日

10日(日) 今日は道祖神祭り。わずか6世帯の中条地区は、午後の森集落の道祖神祭りに先行して、午前、独自の祭り、どんど焼きを行なう。つい4〜5日前、「点火役は隣組長だ」と言われた。
 朝8時、喪中で欠席の1世帯を除き、5世帯の男衆5人でどんど焼きの準備。雪が少ないので柱を立てるために土を掘らなければならないかと思っていたが、会場の田んぼには意外と雪があり、土は掘らずに立てられた。
 10時半すぎに点火。青空の天にむかって白い煙がむくむくと立ち昇る。そして、10数分後、柱の周りに縛り付けられていた茅、藁がパカッと3つに割れ、紅蓮の炎をあげた。



 どんど焼きは毎年見てきたが、こんな素晴らしいのは初めて。

 正午少し前に終わったが、お神酒をいただいていたので、一休み。10分か20分はうつらうつらした。2時すぎくらいからか、久しぶりの配達に出た。72軒81部。配達開始からしばらくは、本当に久しぶりの配達だったので、なにか変な感じがあったが、いつの間にか、普通のペースに戻っていた。
 平滝での配達の途中、国道のカーブの先に大きな白煙が見えた。平滝のどんど焼きだ。つぎに、白鳥でも白煙が視界に。そして、あるお家に配達に行った時、会場の全体像が見えた。そして、「みかん撒きだぞ」という声が耳に届いた。
 いいものだ。
 白鳥のどんど焼きの様子はあえて遠景の写真を示したい(下写真)。



 
11日(月) 8時55分スタートで配達に出た。
 配達が休みだった間は、朝、寒くてなかなか布団から出る気になれない日があったが、配達再開となると、そんなことはもうない。寒くてもすくっと起き上がれる。
 朝から雪が降る中で、東部から廻り始め、坪野、原向、天地を経て、西部、さらに青倉という順で進んだが(全戸周りは坪野、天地、大久保、程久保、野田沢の5集落)、やはりと言うべきか、極野は他と較べてやや積雪量が多いなという印象だった。
 ひたすら廻り、今日は計160軒。昨日と合わせて241部で順調な滑り出し。
 一定の年齢以上の人は、それぞれに「SLの思い出」を持っておられる。積極的に引き出していきたい。SLの定期運行の最後が昭和42年(1967年)。当時、カメラを持てる余裕があった人は少ないだろう。写真を入手するのは相当の努力が必要と思われる。とにかく、SLを大きな話題にしていくことが鍵だと思う。
 
12日(火) 森、泉平などで121軒、130部。累計371部で、配達は快調。
 昼すぎ、泉平から箕作へ下るとき、こんな1枚を撮った。見えているのは平滝集落。なかなかいい景色だと思うが、どうだろうか。




13日(水) 今日は天気予報で晴れそうだったので、秋山行きを予定していた。そのとおりに行動したが、大しくじりをしてしまった。
 清水川原手前の猿飛橋、逆巻温泉というところを一度も訪れたことがないので、往路の途中で立ち寄ろうと思った。見玉〜清水川原間の国道405には雪もなく、いつになく走りやすかったので、深い思慮なしに405号から右へ、猿飛橋への曲がりくねった坂道に入った(下写真。この写真は帰途に撮ったもの)。入った直後に「しまった!」と思った。道路が完全に凍っていてツルツル。最初のカーブでなんとか車を停めることができて、ほんのわずかの距離をバックで戻ろうとしたが、まったくバックできない。すぐに「無理」と判断した。さあ、どうするか? 前へ進めば、相当の距離の曲がりくねった坂道が続く。無事に下れるという保証はまったくない。しかし、さらにバックを試みる方が危ないという気がした。


これが猿飛橋への坂道(撮影は氷が割られた後)

 結局、前へ進むことにした。結果として無事に下りきり、猿飛橋に辿り着くことができた。                 
しかし、それはもう恐怖という次元を超えたものだった。もう必死だったと言うしかない。

 さて、猿飛橋を渡ったが、「どうやって405に戻るか?」である。坂道を上がることはできない。
 猿飛橋を渡った先に1軒の民家があり、訪ねた。80歳を超えるというおじいさんが出てきて下さったが、酸素ボンベをひいている人で、「私が動ければ、なんとかしてあげたいが、こんな状態なので…」というご返事。
 携帯で知人と連絡をとり、相談した。「猿飛橋の先の坂道を上がって、川津屋さんまで行って援けを求めるしかないでしょう」。
 さらに坂道を進むことは怖かったが、他に方法はない。幸いなことに川津屋さんへの道は凍結しているところもなかった。そして、川津屋さんに着くと、玄関前にご主人の姿。「どうされました?」、「坂道が凍結していて、405に戻れないのです。なにか方法はないでしょうか。」、「ええ、水が充分に来ていないのです。午後にも直しに行こうと思っていたところです。」、「わかりました。私が氷を割りましょう。」
 川津屋のご主人、吉野さんがタイヤドーザーに乗り込み、「中に入って待っていてください」と。


タイヤドーザーに乗り込み、出発して下さる吉野さん

 私は気を取り直して、周辺の写真などを撮っていたが、猿飛橋の方からタイヤドーザーの音が聞こえる。
 間もなく、ご主人が戻って来られ、通れるようになったとのこと。心からのお礼を申し上げ、少しお話させていただいた後、氷が割られ、水が流れる坂道を上がって、405号線に戻れた。ただただ感謝!!である。
 冬道は怖い。
 
秋山ではお二人の人と話し込み、配達はほとんど進まず。もう一回行かなければならない。夕暮れ迫る中で秋山を出て、津南町の中心部に着いたのは6時半頃。反省しきりの一日であった。

14日(木) 朝からほぼ一日中降雪。しかし、ほとんど積もらない。
 昨日の信毎によれば、白馬村は「寡雪対策本部」を設置したとのこと。なるほど“寡(か)雪(せつ)”という言葉があるのか。たしかに「少雪」という言葉では言い表しきれない異常な少なさだ。
 雪が舞う中で平滝、白鳥、箕作、横倉などで140軒を配達。軽トラを降りて、ポストまでの間に距離がある場合は袋に入れるが、それ以外の場合は、「歩み」が濡れないように車から玄関までダッシュ。履いているのは長靴だが、足元にほとんど雪がなく、凍ってもいないので走れる。普段の冬場にはありえないことだ。


これは少雪だからこそ見られる良き眺めかもしれぬ


午後3時頃の家の裏の田んぼの法面
昨日の段階でどれほど雪が少なくなっていたか、そして今日の雪がほとんど積もらないことがわかる一枚だろう
                               
15日(金) 13日の秋山行きではほとんど配達ができなかったので、雪が降ってはいたが、秋山の配達に行くことにした。
 屋敷、小赤沢、上の原、和山の順で計74軒を廻った。

 屋敷では、昨秋に「屋敷集落を歩く」、「布岩巡り」という写真アルバムを編集した(ブログにアップ)ことをふまえ、その冬版を作りたいなと思い、2時間ほどかけて写真を撮りながら、廻った。降雪の中での撮影で、やはり布岩が鮮明に見えるものは撮れなかった。
 そんな中、屋敷から五宝木方面に向かう道路が除雪されていることに気づき、慎重に進んでみた。布岩直下の近くまで行けた。布岩直下の撮影ポイントへは歩いて行けそうだったので、歩を進め始めた途端に雪が猛烈な横殴りの降り方に変わった。危険を感じ、布岩直下に進むことは断念した。


11時35分撮影の布岩。横殴りの雪の中、望遠で撮影。見えるか、見えないかという感じの、こういう写真もそれなりにいいのではないだろうか。

 午後1時半すぎ、上の原での配達を終えた頃、青空が見え始めた。白樺の木の上で、「ギーギー」と鳥が鳴くのが聞こえた。鳥の姿をカメラで捉えることができた。私は鳥の名前はさっぱりわからないので、後日、鳥に詳しい人に照会してみようと思う。

 上の原の配達が終わる頃から背中に疲れを感じ始めたが、ふんばって和山の配達へ。そして、午後3時頃、小赤沢まで戻り、「さあ、今日はこれで帰ろう」と思ったところで地域おこし協力隊の木村敦子さんに出会った。「今から道祖神祭。3時に屋敷で点火、小赤沢は4時」とのこと。躊躇なく屋敷に向かった。1時間弱、撮りまくった。4時からの小赤沢は「どうしようかな。帰り道が暗くなるな」と少し躊躇したが、「やはり小赤沢も撮らなければ」と思い、小赤沢の会場へ。
 ここでも徹底的に撮り、最後の「みかん撒き」の終盤でカメラのメモリカードが一杯になってしまった。こんなことは2011年7月の東北・三陸海岸訪問時以来のこと。今日の撮影枚数は2,549枚
 
16日(土) 午前中は中野市の耳鼻科に出かけた。年末にひいた鼻風邪から鼻炎を起こしたのだ。8日に受診して、抗生物質の投与などを受けて快方にむかっているが、15日に秋山に行った際、薬を持参せず、半日以上、薬を服用しなかったら、ちょっと具合が悪くなったので、念のための受診。
 着くと、駐車場は満杯。近くの薬局の駐車場に停めさせてもらったが、医院に入ると、座る席がない。結局1時間半待ちだった。いっぱいの患者さんがいたにもかかわらず、雪長靴は私の他はもう一人だけ。外は青空で、雪とはまったく無縁の世界。

 村に帰ってくると、国道が真っ白。集落内道路はかなり積もっている。知人に言わせると、「この冬初めて、栄村らしい降り方だった」とのこと。


16日午後1時40分すぎの大久保集落付近

 午後は原向などで配達。計39軒にとどまったが、価値ある39軒。雪の中で、車から降りてかなり歩かなければならない家が多い地域での配達だからだ。
 原向の登渡地区で切欠堤への道に車が入った跡があるので、そちらに向かった。途中で車は進めなくなったが、歩いた跡(新しいもの)があったので、長靴が埋まるほどの深さの中を進み、冬の切欠堤の様子が撮影できた。
 極野集落では“たね”の写真などを撮り、夕刻、「雪国と水」というブログ記事を編集してアップした。反応はいい。
 
17日(日) 朝、気温がぐっと下がり、路面の凍結が厳しいと思い、配達への出発時刻を遅めにし、9時少し前に出かけた。
 まず、雪坪集落を廻ったが、いい写真が撮れないかなと思って、村道滝見線(冬期閉鎖)の方に行ったら、除雪がされていて、猟犬を伴った人から「塩尻まで行けるよ」とお聞きした。進んで行くと、奈免沢(なめざわ)の方にも行けそう。奈免沢川の橋まで進み、道はさらに開いていたが、そこでターン。千曲川を挟んで役場の対岸からスキー場方向などの写真が撮れた(下写真)。この時期にこんな写真が撮れるなんて、やはり極端に雪が少ないのだ。



 東部や月岡、小滝などで計146軒を廻り、No.274の配達を完了。10日午後から配達を開始したとはいえ、「7」の日で配達完了とは速いペースだ。例年の積雪があれば、ありえないスピードだ。
 
18日(月) No.274の配達が完了しているので、15日に秋山で撮った写真のデータ整理をしながら、途中、森宮交通の取材や、直売所の様子を見に行ったりした。また、午前と午後の2回、雪の様子をブログにアップ。
 雪は朝9時から午後4時頃までずっと降っていたが、たいした積雪にはならず。国道や「トマトの国」への道は除雪車が出たが、集落内道路は出ず。
 15日の屋敷と小赤沢の道祖神祭の写真は、よさそうなものをピックアップしただけでも296枚。写真は撮れるだけ撮るほうがいいのだが、そのデータの整理がとてつもない大仕事になる。悩ましいところだ。
 
19日(火) 予報では一日中ダルマのマークだったが、朝起きると快晴。午後からほんの少し降ったが、積もるようなものではない。夕刻に長野地方気象台から栄村に大雪警報が出されたが、本当に降るのだろうか。

 昨夜、嬉しいメールが届いた。飯山線をSLが走る写真が送られてきたのだ。東京の知人からで、ご主人が「鉄道マニア」で、高校生時代に飯山線で撮られた写真があるというのだ。
 天気がよいので、朝9時すぎの列車が通る瞬間を狙って、横倉集落の千曲川沿いの現場へ。例年並みの積雪があれば、この時期には近づけない場所だ。いい写真が撮れたと思う。


飯山線撮影地点近くから横倉駅方向を望む

 現場周辺の様子に71年当時と較べて微妙な違いがあったので、横倉の渡辺利正さん宅をお尋ねした。やはり圃場整備で少し変化があったようだ。利正さんはお婿さんで野沢温泉の出身だが、奥さんのうめ子さんからのSL時代の思い出をお聞きすることができた。
 森宮野原駅に転車台(機関車の向きを変える設備)があった当時の写真もいただいたので、その現場も撮影してきた。撮影された場所はどうも線路と線路の間のようで、列車が来ない時間に撮影に入ったが、飯山方面からロータリー車が入って来て、慌てた(撮影のためにいた場所はロータリー車が走行する線路とは関係なかったが)。いただいた写真には、今はもうない古い家も写っていて、昔を知る人たちにお話を聞きに廻った。           
 それ以外はNo.275の編集作業。
 
*1月1日〜9日は配達をやすんでいたので、「日誌」はなし。その間に撮った写真を数枚、掲載しておきたい。


降雪の中、天池付近を歩く(1日)

  
上の原のあるお家にて(2日)。このロータリーは私と同世代のかあちゃんが操作しておられる。


ソリ遊びする島田きみ子さん(青倉)のお孫さんたち(3日)


家の近くでナラの木を伐り倒し、薪用にチェーンソーで切る斉藤克己さん
例年のこの季節では考えられない作業(5日)。


車が入った跡があったので東部パイロットに入ってみた(5日)

配達日誌12月21日〜31日

21日(月) No.272の配達が残っている原向、野口、小滝で25軒を廻った。
 現在の積雪ならば東部パイロットの道を走れると判断し、柳在家から東部パイロット経由で原向へ。道路には車が走った跡があり、地元の人が結構入っている模様。鳥甲山などの資料的写真が撮れた。


東部パイロットから眺めた鳥甲山。頂上が朝陽を受け輝く。9時20分。

 途中、斉藤勝美さん宅に立ち寄り、新加工品「おひさまケチャップ」を撮影。
 帰宅後、「お米のふるさと便り」を編集。
 
22日(火) 朝、起きて少し作業をしたが、肩がうずく。寝不足   
という類ではなく、肩の状態が相当に悪いと考えて、十日町へ治療に。
 昼すぎに帰宅して、「復興への歩み」No.273の編集を進めるも、夕食後は作業を続行できず。「肩が痛い」といったことではなく、気力がおこらないという感じ。珍しいこと。

23日(水) 昨夜、仕事せずに過ごして正解だったのだろう。「復興への歩み」No.273の編集は順調に進み、本紙は完成。
 夕刻、知り合いから電話で、「おでんを作ったので食べに来ない?」というお誘い。一人暮らしではおでんを食べる機会というのはない(コンビニのおでんはにおいをかいだだけでも嫌。絶対に食べない)。喜んでお誘いにのり、訪ねると、主菜はなんとすき焼き。たっぷりと食べて満腹というところに、さらにXマスケーキが登場。「えっ! もう食べられない」と言いながら、大きなピースをペロッと平らげた。生クリームが上等で、下手な甘さがないからだろう。一日早いが最高のクリスマス。
 家に帰ってから、年末年始増大号の写真集用の写真の選抜にかかるも、第一次的な選抜でタイムアップ。

24日(木) 朝から写真集の編集を進めるも、結局、夕刻近くまでかかった。
 写真集の主たる素材とした21日の写真は撮影枚数が1157枚。そこからまず128枚を選抜。そしてさらに絞って写真集には24枚を使用。写真集のレイアウトを充分に考える時間的余裕はなかった。
 最近、「写真が素晴らしい」と多くの方から言っていただくが、私の答えは「カメラが優れているだけのことですよ」というもの。しかし、もう少し考えると、カメラの性能の他に、もう一つ、要因があるように思うようになった。撮影技術は相変わらずの素人だが、徹底的に歩き廻り、かつ同じ場所に何度も足を運ぶことで、いい撮影ポイントを見つけられるようになったのだと思うのだ。「下手な鉄砲も数打てば当たる」ではないが…。
 カメラ愛好家という人たちがおられるが、彼らは著名な撮影ポイントで、撮影技術を駆使して、他の人のものとは違う作品を撮ろうとしておられるように思う。私はいわば「芸術としての写真」のようなことには関心がない(というか、そもそもそんな技術がない)。俗っぽい言い方をすれば、「栄村の地域おこし」に使える写真素材が欲しいのだ。

25日(金) 久々に本格的な配達活動。今号は年内に配布が完了するように、「まず協賛者宅、その後に集落毎の全戸廻り」という通常の方式ではなく、最初から集落を1つずつ全戸配布していく方式で配達。
 今日は月岡、大久保の全戸と森、横倉の一定ゾーンを廻り、130軒148部。


天地の畑で出会ったカモシカ。今季、クマは見ないなあ。

 午前中にメール配信、ブログへのアップも行ったが、今号は写真集もあるので、この作業も一(ひと)仕事どころか二(ふた)仕事くらいのボリュームがあった。
 午後3時5分頃、大久保の最後の1軒というところで、それまでの小雨が雪に変わった。6時前に「トマトの国」に行くと、あたりは真っ白。でも、その後も大した雪にはならず。
 大久保での配達の時のことだが、これまで意識していなかった大久保の裏山の様子(地形)が目に入ってきた。この間、栄村の大地(地形)に関心を深めているがゆえに、これまで何気なしに見ていたものの中に新しいものが浮かび上がってくるのであろう。


大久保の裏山の様子

 栄村およびその近辺は山の斜面が崩れているところが多い。人が住む場所からは離れているので格段の災害を引き起こしてはいないのだろうが、中条川上流の大崩壊の問題との関連で考えると、難しい問題が出てくるように思う。どこまでを防災工事の対象とし、どこは手を触れずに自然そのままとうまく折り合いをつけて村(人間)の暮らしを営んでいくのか。詳しいことは別の機会にきちんと書きたいが、中条川上流の大崩壊地について、そのあるがままの状態と折り合いをつけながら暮らしていくという選択肢もあるのではないかということを、最近、少し考え始めている。

26日(土) 午前中は雪。でも、大した積雪になる雪ではない。
 青倉で52軒を廻った後、「これくらいの積雪ならば西山田に上がれるなあ」と思い、西山田で雪景色を撮影。平年でも、積雪初期や雪消え時に歩いて上がれば雪景色を撮れるが、軽トラで西山田に上がって撮影できるというのは珍しい。


上から順に、森の開田、栄大橋、飯山線中条橋梁が写る珍しい風景。西山田から下りる道で撮影。

 その後、平滝の国道よりも上のゾーンで配達をしていると、重機のかなり大きい音が響きわたる。千曲川に架ける橋の工事現場からだとわかり、久々に現場事務所を訪ね、現場代理人平澤さんに話を伺った。「現場代理人」と「現場監督」の違いも初めて理解できた。土木工事のあり方についていろいろ考えなければならないことが多いように思う。途中で昼休み時間帯になり、現場で作業されていた男性陣4〜5名とも談笑できて、なかなか面白かった。
 午後、箕作、泉平も廻り、配達は計144軒。

 3時すぎ、西の空が青空だったので、野々海への道を上れば北アルプスの山々が撮れるかなと思い、平滝から野々海線へ。17日の積雪の後、除雪関係者が倒木の危険がある木の伐採のために野々海まで進み、その際、道路除雪をしていたので、かなり上まで楽に行けた。しかし、標高800mを超えたあたりからだろうか、いっきに積雪が増え、「もう少し上がれるかな」という思いで慎重に車を進めたが、今回もケンの木付近で雪につかまった。まだ明るかったが、「暗くなったら大変だ」と、少々焦りながら軽トラの下の雪を掘り出し、狭い幅のところでなんとか車を回転させて下りた。


標高850mくらいと思われる地点にて

 西の空はたしかに晴れているのだが、山際は雲か霧か、霞んでいて北アルプスは見えず。その代わり、鳥甲山などが夕陽(残照)に輝く姿が撮れた。とくに苗場山のむこうに見える神楽ヶ峰と思われる山の姿が格別に綺麗だった。

27日(日) 寝坊で7時半頃起床だったが、8時少し前に集落内道路の除雪がやって来た(今日の除雪は昼頃を含め2回)。
 出発時、車庫の前の雪の片付けはたいしたことがなかったので、雪は明け方頃から本降りになったのだと思う。「大雪」の予報にもかかわらず、昨夜は0時すぎでも屋根をたたく音が聞こえるくらいの雨で、「え?!」と思っていたが。


朝9時前、車庫のシャッターを開けた時の様子

 積雪が増えてもあまり困らないゾーンを今日の配達地域に選んでおいたので、午前中、森から東部・長瀬までで123軒、午後は箕作など20軒で、計143      
軒。もう少し廻る体力はあったが、手持ちの印刷物がなくなり、終了。
 玄関先で出会った人などから、「年末年始はゆっくり休んでください」とか、「年内の配達はほぼ終わったかい」とか、声をかけていただく。「年末年始の配達予定」を認識・理解いただいているようで、嬉しい。
 昼、いったん家に戻ると、車庫にお餅などの贈り物がドッサリ。有り難い。

28日(月) 予報は「一日中曇り」だったが、朝から素晴らしい快晴。
 長瀬から県道長瀬横倉線に入り、原向にむかったが、景色が素晴らしく、さまざまな地点で立ち止まっては撮影。とくに、切欠集落と宮野原集落(津南町)が一体で見えるポイントからは9月22日に黄金色の写真を撮ったのと同じアングルで、今度は銀世界の写真が撮れた。夕刻にブログにアップ。
 原向・野口では、県道から配達先の家までの道が車進入不可能になり、かなりの距離を歩かざるをえない。今季は今日まで雪がなくて助かっていたが、これから少なくとも3月いっぱいは、これが続く。慣れれば、「いい運動だ」ということになるが、25〜27日の配達と較べると、所要時間がいっきに3〜4倍増える。


手前が県道。田の中に見えるポールに沿って、奥に見える家まで歩く。

 昼に約束があったので、午前中の配達は40軒。昨日と較べると4割だ。   
 午前中の配達で出会った知り合いの女性、「雪が少ないのは助かるけど、雪がないと困る人もおられるので、風呂(温泉)で話題にする時は、周りに誰がいるかを見て、小さな声で話すようにしているわ」と。みなさん、同じ気遣いをされている。
 午後も廻り、今日は計83軒。
 
29日(火) 今日は超過酷であった。
 朝、国道などもあまり除雪が進んでいなかったので、奥の集落では除雪ができていないところもあるだろうと考え、出かけるのを遅めにしたが、あまり状況が変わらないので8時半頃に見切り発車。
 当初予定ではまず切欠で配達するつもりだったが、坂がきついところなので、後回し。当部、北野、中野で計32件を廻った後、極野へ。
 極野では今日葬式があり、ちょうど旧バス停に迎えのバスが来ていた。その横に車を停めて一服した後、極野集落のいちばん標高に低いところへ坂を下ろうとしたとき、除雪されていないことに気づいた。一瞬迷った。「下るしかない」と心に決め、ゆっくり、ゆっくり下った。軽トラで雪を押していく感じ。


前方の坂道は除雪された形跡がない!

 私がいちばん下の家で配達を終えた時、真っ赤な色の乗用車が下りてきた。留守家になっている実家の除雪のために東京から来られたご夫婦。私が先に下りていなかったら、車高の低い乗用車では雪がつかえて下りて来られなかっただろう。
 極野での配達を終える頃から吹雪に。
 程久保、野田沢での配達は吹雪の中。とくに程久保では風を遮るものがないところもあるので、大変。
 ここまでで昼に。午前中、雪の中に膝上まではまりながら玄関に行く家が5軒。うち2軒は、昨年までは冬も村で暮らしていた高齢者が今冬は冬期間のみ村外に出られたもののよう。
 明日は秋山行きを予定していて、秋山以外の配達は今日中に完了させたいので、昼食後、白鳥、平滝、小滝、横倉、切欠を廻り、終了は4時55分。もうかなり暗くなっていたが、少し日が長くなった感じ。配達は計149軒。雪がなかった25、26日と較べると2倍の時間がかかり、消費エネルギーは数倍以上だと感じた。
 凍てついているところで踏ん張ったり、深い雪の中を歩いたりで、膝・腰の負担が大きい。雪の中を歩く距離が長い原向・野口を昨日のうちに終わらせておいてよかった。
 
30日(水) 夜のうちに思いの外、結構の雪が降った。朝になっても、さらに降り続けている。
 今朝は5時に目覚めた。昨夜は何も作業をせず、いつもよりも早めに寝たので、5時起床でも大丈夫と考え、そのまま起床した。
 印刷や折り、メール等の作業をして、9時少し前に出発。国道の除雪も昨日に続いて遅めだし、あまり早くに出かけて秋山への道が凍てついていても困るので、この時間にした。ガソリンは満タンの半分以上あるが、雪も降り続けているし、なにかあっては困るのでまずガソリンスタンドへ。10ℓ入った。


午前8時58分の国道117号線

 見玉を過ぎて、東電ダムから清水川原スノーシェッドに入るまでの区間(距離的にはわずかだが)、清水川原橋を越えて、前倉橋までの区間、いずれも狭い道が続き、やはり緊張する。とくに東電ダムからしばらくの間は右手が谷で怖い。なぜか左手に谷がある場合はそれほど怖くないのだが。
 小赤沢に着くまでに出会った対向車のナンバーには、名古屋ナンバー(2台)、愛媛(!)、松本があった。松本ナンバーは前倉橋で出会った素敵なカップルで、「無料宿泊券をゲットしたので、昨日、のよさの里に泊りました」とのこと。
 小赤沢での配達を始めたのが10時40分頃。ポイント、ポイントで写真を撮りながら廻って、小赤沢の配達を終えたのが正午すぎ。自販機で温かいお茶を買って、弁当で昼食。1軒くらい食堂があってほしいが…。


2段のツララと坂を下る水(小赤沢にて)

 屋敷集落も1時間強かかった。写真を撮らなければもっと早く終わるかもしれないが。
 その後、上の原14軒、和山11軒で配達し、最後の切明へ。「雪あかり」には横浜、習志野などのナンバーが駐車。帰路、切明に向かう「なにわ」(大阪)、札幌、宇都宮ナンバーの車に出会い、さらに前倉橋付近で横浜(2台)、練馬ナンバーに出会った。当方(栄村)の構え方一つ変えれば、年末年始、現在の10倍以上の温泉客の集客ができそうな気がする。
 切明4時頃発で、5時半近くに津南の中心街まで下りることができた。
 やはり緊張する運転で疲れた。夜はいっさい作業せず。
 
31日(木) 今朝も5時起床。
 昨夜、今季初めて湯たんぽを入れたので、寒さで目が覚めることはなし。
 昨日の運転中から鼻水がよく出ると思っていたが、どうやら鼻風邪をひいた模様。朝から鼻をかむこと頻(しき)り。
 配達を昨日で終えることができたので、今日はのんびりと構えていたが、昨日の秋山での写真を整理し、アルバムを編集し始めると、これがなんと夕刻までかかってしまった。夜の早い時間に今年最後のブログを発信。
 年越し蕎麦は昼に食べた。夕刻にまとめ洗濯。
 夜は久しぶりに日本酒を呑んだ。冷酒で、たまに呑むと、とても美味しい。いちおう「紅白」にチャンネルを合わせたが、およそ見るに堪えない。Twitterで「演出最高」なんてコメントをしている人がいたが、どんな感性をしているのやら。大晦日にチャンネルをくるくる変えるということを初めて経験したが、どのチャンネルも大したことがない。「ゆく年来る年」もあまり感じるところがなかった。
 最後に、最近撮った写真から2枚を紹介して、本年の日誌を締めくくりたい。
 
 
 西山田の棚田の小山(26日撮影)
 
 
 吹雪の天代坂(29日撮影)