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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌6月11日〜14日

11日(水) 予定を変えてNo.223を執筆・編集・印刷。12日から配達開始。

12日(木) 6月7日の日誌で紹介した石澤チヱさん宅を訪ねる。「上がりなさい」ということで茶の間に上げていただく。「じゃあ、お茶のみに集めよう」ということで早速何軒かに電話される。そしてチヱさん以外に3人の方が来られて、話に花が咲く。

 そこで撮ったのが上の1枚。距離の関係でお一人が写っていないが、とくにカメラを意識されることもなく、私のこれまでの体験では最もお茶のみらしいお茶のみの写真が撮れたという感じ。
 チヱさんが出して下さったアスパラのゴマ和えが最高に美味しかった。クルミが入っているらしい。アスパラは都会のスーパーでは値段の高いもの。そのアスパラがこれだけの分量、大盛りで出される。むらのお茶のみはなんとも贅沢。


 ところで、チヱさん宅を昨日、「以前、農協で布団を購入されていますね」と言って、変な男2人が訪ねてきたという。チヱさんはしっかりしておられるので被害はなかったが、家に上がり込んであきらかに挙動不審だったという。そういうこともあってか、私と入れ替わりに“受け持ちさん”(村では駐在さんのことをこのように呼ぶ)がやって来た。

13日(金) 昨日は一日中雨だったが、夜10時すぎだったか、屋根を叩きつける音が激しくする猛烈な雨。一時停電もした。すでに寝着に着替えていたが、「えっ、今からひょっとすると避難指示が出るんじゃないか」と不安に思った。中条川問題は深刻。
 青倉のあるお宅で外に出ておられたかあちゃんから、「粽を作ったんだ。食べていかないかい?それとも持って行く?」と聞かれ、寄らせていただくことに。粽も美味しかったが、続けて出てきたものに驚いた。冷やし甘酒。じつは私はあまり甘酒というものを好まないのだが、これがじつに美味しい。炊飯ジャーを使って簡単に作れるそうだが、熱中症に非常に効き目があるとのこと。Webで調べると「飲む点滴」と言われているそうだ。これは写真を撮っておくのだったと後悔。

 最近、花を話題にすることが多いが、5日に一部のみ開花していた花が今日は満開。


 
 家に戻ってからいろいろ調べると、どうも「ゼニアオイ」というものらしい。そうだとすれば「地中海原産の帰化植物」らしいが、いまのところ白鳥のあるお宅のそばの1ヵ所だけ。
 
 私が花にこだわるのは、種や苗を買って育てる園芸花ではなく、少しは人為的な要素も介在しているかもしれないが、野生化し、どんどん自生していっている花がなんとも綺麗で、「村じゅう丸ごと植物園」と言えるくらいに村の花が豊かであることを、村の“売り”にしたいなあという思いがあるため。花に関する知識はあまりないが、いろんな人のご協力を得て、「栄村花図鑑」のようなものを作れれば最高に楽しいなと思っている。

14日(土) 今日の午前中、「トマトの国」の近くで北信州植樹祭というものが開催された。参加した知り合いの子どもの写真を撮りたかったので植樹そのものが始まる11時頃に現場へ行った。写真は式典の終わり際のものだが、会場の裏手に中条川崩落地点があるのを意識して撮った。こういう場所で植樹祭が開かれるということになにか違和感を覚えるのだが、過敏すぎるだろうか。


 会場脇に着いたとき、駐車整理をしてくれた人に見覚えがあって、「何回かお会いしたことがあるように思うんですが」と尋ねると、県地方事務所林務課の人。崩落地点で現在どのようなことをやっておられるかを尋ねた。仮設工事用道路がやはりクラックで危険で、上方に新しい道をつけるとのことだった。調査を担当する会社が決まったところだで、まだ工事は先のことだそうだ。正直なところ、あの現場に行くのはおっかないが、近いうちに様子を見に行こうかと思う。
 

配達日誌6月6日〜10日

6日(金) わずか30分ほどだが寝足りなかったのか、朝から体がだるく、午前中55軒廻ったところで休み、夕刻近くに19軒廻る。
 天代に行ったとき、留守宅に車がとまっていたので、ちょうど家から出てこられたお隣のおかあさんに「今日はお隣、来られているのですか?」と尋ねると、「今日は○○さん家の法事があるので来られています」とのご返答。さらに、震災後、村外に移られた方の作業小屋にも車がある。訪ねていくと礼服を着たおとうさんが顔を出された。やはり法事に来ておられるのだ。天代、現在は5世帯だが、みんな親戚なのだろうか。
 夕刻、平滝に行ったとき、畑仕事をされているおかあさんに「写真を撮らせてください」とお願いすると、快く撮らせてくださり、いろんなお話を聞かせてもらった。ネギの苗と思われるものがあり、ちょうど昨日、あるお家で「ネギの苗を頼まれたが、なかなか生長してくれなくて」という話を聞いたばかりだったので、「ネギの苗って難しいのでしょう」と尋ねると、「これは一本ネギの苗ですよ。去年種をとって撒いたら、まるで千本ネギのようにいっぱい育って…」とのこと。

一本ネギの苗

 一本ネギと千本ネギ、そんな名前、初めて知った。帰ってからネットで検索するとたしかに一本ネギと千本ネギがある。千本ネギって、村では春先に食べられる、あの何とも甘さがある美味しいネギなんですね。

7日(土) 志久見を廻っていたとき、何回か道端などで挨拶したことがあるおばあちゃんが畑をやっておられた。何軒か廻った後、畑のところまで行き、「1枚、撮らせてください」とお願いすると了解してくださったうえで、「まあ、腰かけなさいよ」と言われて、草の上に腰をおろしていろいろお話した。お名前は石澤チヱさん。「チヱ」の「ヱ」の字にこだわりがあるのだとのこと。若い人には「ヱ」という字の存在そのものを知らない人がいるのではないだろうか。

 やっておられた作業は春菊の間引き。間引いたものもさっと湯がいて食べると美味しいとのこと。これまでの道端での出会いで、近所の人たちとのお茶のみに出かけられることが多いと認識していたので、そのように言うと、「家はお茶のみ宿みたいになっていますよ」とのこと。一度、お茶のみに寄せていただきたい。
 午後は、小滝に住んでおられた加藤さんとそのお仲間の田植えの写真撮りで過ごす。3時すぎに家に戻って写真集を編集し、すぐに届けたら、日帰りされる人たちにも間に合った。夜は小滝の公民館に宿泊された人たちを訪ねて、楽しい会話ができた。

8日(日) 夜中に雨が降った模様。そして朝から天気はぐずつき模様。12時半すぎ、原向で雨が強くなる。午後1時半頃止んだが、2時すぎ、また降ってくる。4時頃にはほぼ上がり、それ以降は基本的に降らず。配達には雨が降らないほうが楽だが、畑にとってはもう少し雨が必要。
 今日は、何人かに花の名前を尋ね、いろいろと成果があった。「マーガレット」については本文に書くが、ここでは「ムシトリグサ」について。

 白鳥で犬の散歩をされたいたおかあさんに「この花の名前、ご存知ないですか?」と尋ねると、「ムシトリグサって言うけれど、正式の名前ではないと思う」と教えてくださった。家に戻ってから「ムシトリグサ」でネット検索すると、バッチリ出てきた。しかし、そのブログの主は「名前がわからないので仮にムシトリグサと名付けた」と書いている。さらにネットで調べると「ムシトリグサ」は「イワショウブ」というものの別名として紹介されていて、イワショウブとして紹介されている花の写真は私が探しているものとはまったく違う。
 ほとほと困り果てて、ダメ元で『いっしょに探そう 野山の花たち』(信濃毎日新聞社刊)の索引を調べると、「ムシトリスミレ」と「ムシトリナデシコ」というのがある。その頁を見ると、「ムシトリナデシコ」が探していたものと一致! 「やった!」という感じ。

 茎にネバネバしたところがあって(下写真の茎が茶色っぽく見えるところ)、そこに虫が捕まってしまうところから「虫捕り撫子」の名がついたとのこと。


 こんな調子で花の名前調べをしていたら7時を廻ったしまった。温泉に行くと、「『今日はもう来ないな』と話していたところだよ」と言われる。お湯の中でも花談義をする。
 今日面白かったことを、もう1つ。昼過ぎ、配達で月岡の集落内道路を走っていくと、どうも道端に人が横たわっているように見える。「間違いかな」と思いつつも、ひいてはいけないのでスピードを落とし、道路の反対側に寄って通ると、たしかに人が道端で横になっている。よく見ると、月岡在住のケヴィンさん。愛娘のモナちゃんが桑の実を採っているのを写真撮影していたのだ。その様子を写真でどうぞ。



桑の実

9日(月) 6月下旬に村を訪れる予定の駒澤大学の学生さんたちに事前レクチャーをするために東京へ。折角の上京の機会なので25年ぶりの知人と会う。自分が歳をとったことが非常によくわかる。
 上越新幹線の最終で帰り、12時半頃に村に戻った。

10日(火) 昨夜眠りについたのが1時半を過ぎていたので、ゆっくりめの起床。No.222の配達は完了しているので、気になっていることの補充取材などで村内を廻る。
 出会った人に聞いたところでは、昨日の村は夕刻、凄い雨で、「また公民館へ避難か」と思った人もいたようだ。
 さて、久しぶりに頼之さんと出会い、1時間弱、トマトづくりのことを中心にいろんな話を伺うことができた。久しく滞っていた「追っかけ:頼さんのトマトづくり」を2回分作成して、ブログにアップ。ブログでは紹介しなかったが、頼之さんからニンニクが育っているのを紹介された。下の写真がそれ。これは自家用だが、息子さんの一哉さんが仲間の若者と一緒に野田沢の畑でかなりの量、栽培されているそうだ。


 3時頃に家に戻り、今日見た花について調べ、「クリンソウ」と判明。そして上記のブログのアップ作業を終えると7時近くになっていた。
 ところで、昼に天地の克巳さん・勝美さん夫妻を訪ねたら、勝美さんが「このあいだ、山アスパラのこと書いたでしょ。あれで大変だったんだよ」と言われる。「えっ、どうしました?」と尋ねると、あの記述を読んだテレビ局が電話してきたとのこと。勝美さんはTV取材はいやだったそうで、一度は断ったのだが、なお取材があったという。まあ、私とは笑いながらの会話なので、べつに深刻な問題というのではないのだが、私が書く「復興への歩み」および「配達日誌」とメディアの関係をめぐって若干記しておきたい。
 私が「復興への歩み」と「配達日誌」をブログで公開しているのは栄村のことを多くの人に知ってもらいたいという思いのゆえで、したがってその内容にメディア関係者が注目してくれるのは嬉しいことではある。しかし、私の記事で知ったことについて、その関係者に取材するという場合は一言断っていただけると有難いと思うのだ。私が記事で村の人のことを書く場合、具体的なお名前を書く場合、お名前を挙げない場合、さらに集落もわからないように配慮する場合と、いろいろ意識的に区別している。お名前を挙げる場合、その方と私の信頼関係を前提にしている。だからこそ、私の記事を基にして取材したいという場合は、「あの記事に関心をもったのだが、そのことでご本人に直接連絡をとってもいいだろうか」と、一言声をかけてもらえると有難いのだ。でないと、私自身が村の人たちにいろんな話をフランクに聞き、書くことに困難が生じかねない。そのあたりのこと、是非、ご理解いただきたいのだが…。

 印刷版ではページが余ったので、この間、名前を知ることができた花などで「復興への歩み」本文や「配達日誌」のここまでの記述で紹介できなかったものを掲載しておきたいと思います。

クリンソウ

 最初、青倉の高橋友太郎さん宅の“たね”のそばに咲いているのを見つける。白い花もあった。春江さんに名前を聞いたところ、「甚治さんのかあちゃんから分けてもらった。かあちゃんが名前を知っているんじゃないか」とのこと。
 甚治さん宅に行くと、たしかに家の裏手にたくさん咲いていた。
 ふささんに尋ねてみると、「名前は何といったっけ? 隣りの家(いまはいない人)から分けてもらった。湿ったところに咲くんだ」というお返事。
 『いっしょに探そう 野山の花たち』によれば、「サクラソウ科。山地の湿地などに生える大型の多年草。『九輪草』の名は花の咲く姿が社寺の建築物の頂上部にある九輪に似ているところから」とある。


 http://chikusatown.net/tourism/nature/kurinso.html(兵庫県宍粟(しそう)郡千草町情報発信局)によれば、兵庫県では絶滅危惧種Bランクに指定されているとのこと。
 花の色は赤系のものだけでなく、白いものもある。


シラン
 6月4日に初めて見たが、その後、いたるところで見る。箕作の人に名前を教えていただいた。




 図鑑によれば、「日当たりの良い湿った草地などに生える多年草」とのこと。最近は「野生のものを見ることは少なくなったとあり、栄村のいろんなところに咲いているのは貴重だと思います。

ダイモンジソウ



 「川岸の岩場や谷間の湿った岩壁などに生える多年草」で、ユキノシタ科。小さくて、そんなに目立ちませんが、なかなかいい花だなと思う。

シャガ

 そろそろ終わりの時期になっていますが、よく見かけるものです。アヤメ科の花。「射(しゃ)干(が)」の名は、ヒオウギ(アヤメ科の花)の中国名「射干」に由来し、ヒオウギに似ているため見誤ったことに発するという(『いっしょに探そう野山の花たち』より)。
 
 (了)

配達日誌6月1日〜5日

1日(日) 午前中は青倉・西山田での田植え。午後は昨日の神田すずらん祭りの会計整理など。

2日(月) 代掻き作業の写真撮影やNo.222の作成。

3日(火) 夕刻、嬉しいことがあった。坪野に行った際、畑で作業している人を見かけ、近寄って挨拶すると、なんと斉藤直太郎さんだったのだ。「ワラビ採りで1週間くらい、こちらに泊っている」とのこと。行者ニンニクが植えてある畑の草取りをされていて、とてもお元気そうだった。小布施でも少し畑をやっておられるそうだ。奥さんにもお会いできた。

草取り中の直太郎さん

 No.221の配達を28日に完了して以来、久しぶりの配達。なんやかや事務作業があって昼前の開始となり、しかも午後のいちばん暑い時間帯は配達を避けたので、終ったのは6時すぎ。今日の配達部数は108部。

4日(水) 昼すぎの温泉、そして小1時間の昼寝は最高の効き目だった。
 朝8時から11時まで手伝いで手植えの田植え。その後、休まずに青倉集落54軒を廻ったところでヘトヘト。昼食後、温泉に直行し、さらに昼寝。体はシャンとして、4時半から夕刻の配達へ。小滝、野田沢、程久保、大久保を廻る。この時間はかなり涼しくなっていて、吹く風はこの間の暑い日々のものとは少し異なり、雨の近づきを感じさせるものだった。
 昼食は樓蘭の「樓蘭冷麺」(ローランリャンメン)。6月に入り、夏メニューに切り替わった。ゴマダレ風味が最高でお薦め。

 
5日(木) 予報では雨だったが、降ったのは夜中だけ。たしかに気温は下がったが…。昼過ぎからは風がとても強かった。
 配達は“折り”を終えたものが尽きたので、きっかり100部、午前中で終了。午後はデータを整理、田んぼの水路の落ち葉掻き出しなど。

1日に田植えした田んぼの夕刻の様子
(17:15撮影)

 今日も何人かの人から、「レポートのおかげで村の様子がわかる」と言っていただいた。そう言っていただくことは嬉しいことだが、「情報化社会」と言われながら、じつは人の暮らしに不可欠なことが伝わるメディアが存在しないのだなあと思う。一人でできることには限りがあると痛感しているが、私のレポートはじつは私一人で書けているわけではない。気さくにいろんなことを話してくれる村の人たち、私が知りたいと思うことを教えてくれる村人、カメラを向けることを快く受け入れてくれる人びとがいればこそのものだ。「みんなの力を合わせて作るメディア」をめざしたい。
                              

配達日誌5月30、31日

30日(金) 主に明日の出店のための準備で一日が過ぎる。

31日(土) 朝5時前出発で東京・神田すずらん祭りへ。山菜を中心に出店し、同時に栄村との交流参加を呼びかけた。

 店は11時オープンだったが、「たけのこ」「アスパラ」は開店前から予約。1時間ほどで完売。「わらび」や「行者にんにく」も完売したが、いちばん力を入れた「山菜おこわ」が苦戦。お買い求めて下さった人からは「美味しい!」とエールが返ってきたが、祭り全体が食べもの類の店が多く、しかも安価なのが誤算。出店するイベントの性格・他の出店傾向を事前調査することが大切だと思った。
 「復興への歩み」をいつも読んで下さっている人お二人、また宮川頼之さんのトマト収穫の手伝いに行ったことがあるという人がひとり。いろんな人と出会えた。
 東京まで日帰りで行くのはスケジュール的には厳しいが、今後も積極的に対応していきたい。

配達日誌5月24日〜29日

24日(土) 昨日までの肌寒さとは一変、暖かいを通り越して暑い一日だった。昼過ぎ、国道117の平滝気温表示器では25℃だった。
 21、22日にほとんど配達できなかったのを取り返そうと、今日は150軒配達を目標とし、152軒を廻った。さすがに最後は疲れたが、いいシャッターチャンスはその後に訪れた。配達を終えた後、長瀬の東部保育園で民具保全の記録活動の模様を拝見して帰る途中、右前方に何人もの人が手植えで田植えしている姿が見えた。すぐに車を停めて、その田んぼへ。柳在家のあるお家の家族総出の田植えだった。
 80歳を超えるご夫婦とそのお子さんたち。おかあさんによれば、「おとうさんは90歳が近い」とのこと。「こんなの珍しいでしょ。ポット苗で、それ用の機械でないと機械植えできないので、こうやって手植えしているんです。秋ははぜ掛けして。やっぱりはぜ掛けした米がいちばんおいしいよ」とのこと。「歩み」本文にも写真を掲載したいと思うが、まずは1枚。


 配達の〆は「道の駅」での久しぶりのソフトクリーム。暑い一日だったのでピッタリ。震災で箕作の酪農家がいなくなってオーナーは変わったが、製法・美味しさは変わらない。私はシンプルなバニラ(コーン型)が好き。若い女性はカップ型を好む人も多いようだ。
 国道117を進む人は是非、お立ち寄りを。300円です。


 
  
25日(日) 午前中、天地、原向、天代、北野、中野、極野と廻る。計82軒だが、比較的ゆったりとしたペースで廻れ、農作業中の人に声をかけることも多かった。村は代掻きと田植えの真っ最中だ。昨日・今日と今度の週末がピークであろう。
 中野の畑であまり見慣れない苗を見かけ、隣の畑で作業しているおかあさんに尋ねてみた。ヒメヒマワリというもので、出荷用とのこと(下写真)。花は8〜9月に咲くという。調べると、本来の花名は「キクイモモドキ」というらしい。ヒマワリ属の「キクイモ(菊芋)」に似た花を咲かせることからついた名前だそうだ。村を廻ると、いろんなものをつくっている人に出会うものだ。


 昨日あたりから心掛けていることがある。運転中および歩行時の姿勢だ。疲れてくると背中の真ん中あたりが張るというか、だるいというか。腹筋・背筋が弱いのが原因だと思うが、それをどう強化するかで悩んだ。私は脊椎(腰骨)に問題があるので、いわゆる腹筋運動はできない。そこで、以前に接骨院で「歩く時にお腹に力を入れなさい」と言われたことを思い出し、お腹に力を入れるようにした。必然的に背筋がピンとして、肩甲骨の下がぐにゃっとした状態もなくなり、体が楽になる。とはいっても、相当に意識しないとできない。しばらくの間、習慣化するように頑張りたい。もともとそんなに長生きしたいとは思っていないが、今年64歳。生きている間はそれなりに元気に動ける状態でありたいので、いままではあまり考えなかった体の鍛錬ということを意識するようになった次第だ。
 
26日(月) 午前中、白鳥・平滝の一部と箕作、泉平、大久保などを廻る。
 箕作では自宅横の作業場でアスパラの出荷作業をされているご一家に出会った(下写真)。朝は5時から収穫だとのこと。アスパラ農家はどこも朝が早い。「少し持っていくかい」と言って下さり、アスパラを一塊(20本近いか)いただいた。


 泉平では畑で菜っ葉を摘んでいるおかあさんに出会う(下写真)。五月菜だ。下平(しただいら、国道117沿いなどの標高の低いところ)ではかなり前に終わったが、標高が高い泉平、しかもその泉平の中でも山に近いところではまだ摘めるのだ。「もうそろそろ終わりだ」と言っておられたが、「食べるかい」と言って五月菜をくださった。お浸しにするのが美味しい。


 午後2時半からは役場ホールで開催の第5回復興推進委員会を傍聴。必要なことは「復興への歩み」本紙にレポートしたいが、聴いていて、何のための委員会なのか、まったく意味不明という感じだ。傍聴は私と県北信地方事務所の職員1名のみ。メディアの取材もなし。取材しないメディアにも問題はあるだろうが、「わざわざ人と時間を割いて取材するだけの意味を見いだせない」と言われてもしかたないだろうと思う。でも、私は可能なかぎり傍聴を続けたいと思っている。
 
27日(火) 昨夜から雨で、予報では今日の昼までとのことだった。そのため、午前中は室内作業の予定にしていたが、朝起きてみると快晴。依頼された写真データ探し、手紙書きなどした後、9時半頃から森の開田に向かった。震災の復旧工事が行われた田んぼで不具合が生じているものが複数あると聞いたためだ。詳しいことは「復興への歩み」本文で扱いたいが、中越大震災で大きな問題となったことである。村ではこういう事態にきめ細かな対応ができていない模様で、突っ込んで考える必要がある。
 その後立ち寄った先でのお茶のみで、「ふきのきんぴら」と「行者にんにくのたまり漬け」をいただく。美味しかったですよ。

ふきのきんぴら


行者にんにくのたまり漬

 午後は月岡、野田沢、程久保などを廻ったが、初めて顔を合わせたおかあさんが、「綴じていて、こんな厚さになった」と手で厚さを示しながら話して下さった。「綴じているよ」と言って下さる方がよくおられるが、有難いことだ。なによりも元気補給剤です。
 また、程久保で田植えの途中の休憩に出会い、私も加えていただく。お茶だけと思ったが、赤飯、ぜんまいの煮物などを勧められ、昼食からさほど時間が経っていなかったが誘惑には勝てず、いただいてしまう。美味い! 「昔は、ぜんまいなんて、特別な時にしか食べられなかったごっつおだった」という話も出る。

 配達が終わったのは4時半すぎだったが、野々海への道が開いていることを知っていたので野々海池にむかった。村でも25℃くらいの暑さだったが、途中から風がひんやりしてきた。野々海はまだ雪の世界。
 
28日(水) 午前中は久々の草刈り。作業中はなんとも感じなかったが、後で少し腰に張りが…。
 午後、志久見、柳在家、切欠、長瀬、当部を廻って、No.221の配達完了。
 24日に田植えの様子を撮影させていただいたお家に写真集を作ってお届けした。「いい記念になる。来年はできるかどうか、わからないし」と、たいへん喜んでいただいた。ご夫婦は80歳代、「来年はできるかどうか」という言葉が重い。レポートやブログに公表する以外にも、こういう写真のお届けをやっていきたいと思う。

24日に田植えの様子を撮影した田んぼ(28日午後撮影)

 栄村も今日は30℃を超えた。とにかく暑い。湿気はないので気持ち    
はすがすがしいが…。柳在家を廻っているとき、2軒で「暑いね」という話になり、「昨日、野々海に行きましたが、まだ雪がありますよ」と言うと、「そんなに違うんだね」と感心されていた。
 というわけで、今日はこの後、野々海池の雪写真のレポートを作る。
 
29日(木) 昨日でNo.221の配達が完了し、体も疲れているので、今日はのんびり。
 とはいっても、午前中は写真の整理などを行ない、昼ごろから外へ。午後3時すぎ、アスパラの畑を訪ね、アスパラの収穫のしかたや、出荷時のA級、B級のランク分けの目安などを教わった。
 A級、B級の見分けは傷がないか、曲がりの具合なども目安になるが、最大のものは穂先の具合。これが開いているとB級、へたをするとC級になってしまうという。2つの写真を掲載する。A級とB級を判定してみてください。




 収穫の様子を見せてもらったが、ノコギリ刃の専用の鎌でパッパッと採っていかれる。一瞬の技だが、26cmを目安に切り、さらに畑に残った部分を切り落としていく。26cmというのは出荷の長さからきているものだが、この長さでないと腰に付けている籠にうまく収まらないそうだ。
  
 収穫は1日に2回。朝は4時半起きで5時頃に畑へ。収穫作業は2〜3時間。もう1回は夕刻4時半頃から。陽が照っている時間帯の収穫はよくないそうだ。遅い時は7時半頃までかかるという。収穫の後には選別、荷造り等があるわけで、たいへんな仕事だと思う。
(A級、B級の見分けですが、下がA級。味は変わらないという。こういう市場が定める出荷システムというのはおかしいと私は思うんですが…)

(了)


配達日誌5月21日〜23日

20日(火) No.221の発行は明日なので配達はなし。原稿の作成にいつになく手間どる。中条川の現状を示す写真の取捨選択に非常に時間を要したためだ。ひとつには昨秋9月の土石流直後の写真などとの比較作業があるからだ。そして、もうひとつ。現場のあまりのすさまじさに驚き、ある種の興奮状態の中で撮影すると、撮影結果データが自分の思っていたものと違う。冷静に状況を把握し、どのように撮影すればよいのかを充分に考えながら撮影するというふうになっていないのだと思う。まあ、素人写真なので多くを期待するのが間違っているのかもしれないが、今後の1つの課題だと思っている。
 最近、気になることがある。昨秋遅い時期に、村が復興基金を使って田んぼの畦に「わら芝」をはることを推奨した。かなりの人がさっそく取り組んだが、春になってその現場の様子を見ると、芝が育つよりも早く草がどんどん出てきているのだ(下写真)。昨秋段階で効果に疑問を抱いていた人もいた。どこまで効果があるものなのか、観察を続け、また、いろんな人の意見も聞いてみたい。

昨秋、説明会で「わら芝」はりが行われたところ

21日(水) 急ぎの事務作業があり、No.221の配達は22軒のみにとどまる。
 今日は青倉の貝立水路の普請。5時現場集合で、メンバーの大半は普請の後、8時半には勤務先に到着しなければならない。都会暮らしからは想像できないことだと思う。私は取材ということで同行。以前にはこの普請そのものに参加したことが2〜3回あるが、1回はまだ雪が残る中での作業だった。この大変な普請の様子、土水路というものを多くの人に知ってもらいたいと思い、今回は取材同行をお許しいただいた。詳しいことは25日発行の「お米のふるさと便り」に掲載する。

 天地の斉藤勝美さん宅を訪れ、面白いものを見せていただき、ついでに口に入れさせていただいた。「山アスパラ」という山菜だ。

山アスパラ

 ネットで調べると「学名はオオナルコユリ」と言うそうだ。また、よく似たものに「アマドコロ」という山菜もあるようだ。もう少し調べないといけないが、勝美さんは山の川の縁(ふち)などに生えていると言っておられた。以前、東京の産直市に持って行ったとき、買い物に来た料理人から「千円出すから売ってくれ」と言われたという。「1本で千円」。私は大変なものを食べてしまったわけです、しかも2本も。もちろん、とても美味しかった。

22日(木) とにかく寒い。一日中雨。今日中に発送しなければならない書類があり、丸一日室内作業。珍しいことだ。
 そんな中、夕刻に自宅前で軽トラに乗り込んだ時に、森集落のHさんが通りかかり、話しかけてきて下さった。「あそこに、あれから2回行ったぜ」と。「あそこ」とは中条川上流の2号崩壊地にある森開田水路のかけ口。「水が来ないんですか?」、「そう、あのかけ口はどうしても石が詰まるんだ」「道にクラックが入っていて、本当に怖い」。
 森の開田に関わる人たちの苦労は本当に大変なものだ。今日撮った写真はないが、No.221に掲載していない森開田水路のかけ口付近の写真を紹介しておきたい。

 野々海池を出た水は隧道、分水升を経て間もなく東入沢川に入り、上写真の滝を落ちてくる。この滝の下のすぐ近くが森開田水路のかけ口。

23日(金) 書類づくりが一段落し、今日は朝8時前から全面的に配達活動。主に青倉集落と東部地区を廻り、計130軒。
 今日も断続的に小雨が降り、気温は上がらず。そんな中でも田植えにいそしむ人たちの姿が見られた。専業農家が成り立つようにする、あるいは勤務先を持ちながら兼業で田んぼを維持する、こういうケースを考えると、田植え機を使っての効率的な作業は必要だ。しかし、その一方で、かあちゃんたちが手植えをする姿、田植え機で植えられた田んぼの補植する姿は、ゆったりした時間の流れを感じさせ、なんとも言えないよさを感じさせてくれる。



 青倉で見た一人のかあちゃんは、すでに田植えされた田んぼに入っていたのであきらかに補植作業だと思われるが、私が最初に見て撮影(上写真)してから集落内の配達を終えて戻ってきたとき、まだ同じ田んぼで作業しておられた。少なくとも1時間ほど経っていたと思う。「農業」というよりも「農の営みのある暮らし」と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。この人も若い時はきっとこんなゆったりしたことはできなかったであろう。たくさんの田んぼをひたすら尽力で耕作しなければならなかったのだから、きっと忙しかったにちがいない。しかし、定年退職後でそんなに稼ぐ必要がない人の存在も念頭におけば、「ゆったりとした農の営みのある暮らし」を栄村の復興=活性化の1つの道として追求することも不可能ではないと思うし、積極的に追求すべきものなのではないかと思う。

 昨夜、1通のメールをいただいた。村内の女性から。昭和41年小学校卒というから、私よりも5つほど若い人だ。志久見分校を卒業されたという。先般、同級会があり、そこで「信濃乃国」の歌詞を全文記した巻物の書を同級生から託されたという。その巻物を見てほしいというご依頼であった。今日の夕刻お会いして、その巻物をお預かりした(下写真)。こういうものの価値は私もよくわからないので、そういうことに詳しい方に見ていただこうと思っているが、こういうご連絡をいただいたこと自体が大事なことだと思う。そこから村の歴史が掘り起こされ、村の元気づくりの手がかりが生まれてくると思うのだ。

 
 天候不順のせいか、軽い風邪気味で午後は体調がよくない。


配達日誌5月14日〜19日

14日(水) 栄村も暑かった。水分の携行が不可欠だ。
 山の方も含めてほとんど雪が消え、村のいたるところで工事花盛り。志久見集落の志久見川で1週間ほど前から看板に「崩れた護岸をなおしています」と書かれた工事が始まった。県道から下っていく先で工事が行われているようだが、「立入禁止」で様子を見ることができない。こういう所は日曜日や平日の朝早くならば工事が行われていなくて様子を見に行ける。今朝8時ちょっと過ぎ、まだ工事をやっていなくて様子を見ることができた。現場の上を見ると、写真のように真上が県道で、作業所もたっている。そういう場所なのだから、護岸が崩れたとなれば復旧工事は必要だと思うが、なにか「つぎあて」をしているだけで、根本的な対応にはなっていないような気がする。中条川の問題もそうだが、河川環境、河川の安全をどのように確保するのか、よくよく考えなければならないように思う。


 今日は長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、天代、小滝、平滝の一部など131軒を廻ったが、平滝に行った際、野々海にむかった。「今日こそは野々海まで行けるのでは」と思ったのだが、かなり行ったところで、沢から雪が出てきた箇所があって、結局、到達できず。その地点の先の道には雪がなかったので、本当に残念。できれば近い日に再挑戦したい。


 ぜんまい揉み・干しが盛んだが、東部の奥の集落では「むしろ」を使っている家が多い。むしろは、揉む時にすべらず、また水分を吸収してくれるので干すのにも適している。このむしろのことを栄村の人は「ねこ」と呼ぶ。しかし、「なぜ、『ねこ』と呼ぶのですか?」と尋ねても、みなさん、「知らない」と答えられる。ただ、今日、極野の人と天代の人が「大きなむしろを『ねこ』と言うんだ」と教えて下さった。そこで家に帰ってから試しにネットで「むしろ ねこ」で検索したら、「ねこだ」というのがヒットした。辞書の『大辞林』に語意が出ていて、「藁で編んだ大形のむしろ。ねこ」とある。疑問がひとつ氷解した。

15日(木) 昨夕のTVの天気予報では「明日は季節が2ヶ月逆戻りする」とのことだった。ところが午前中は暑く、昼頃、森の役場近くの気温表示は27℃。「予報は間違いじゃないか」と思っていると、午後3時すぎから空模様が変化し、この日誌を書いている夕刻5時すぎはかなりの雨で部屋にいても肌寒さがある。風も強い。
 午前中の配達時の会話で、「雨がないので、畑ができない」という声があった。そのことからすると雨は有難いが、なんだか不安定な天候だ。
 今日は昼までで配達を終了し、午後は室内でのメモづくりや事務整理と散髪。配達は横倉と森で118軒。今日は写真なし。撮ってばかりで整理が追いつかない状況を打破するため、あまり写真を撮らないようにした面がある。

16日(金) 今日はこれまでと少し変わった動き方をした。一昨日暑かったので、「これから暑くなれば、配達は朝の早い時間帯と夕刻にしよう」と考え、さっそく今日それをやってみたのだ。出発時間は記録していなくてはっきりしないが、箕作39軒、野田沢15軒を廻った後に撮った写真の時間が8時2分と記録されているので、7時前から配達を始めたことは確実だと思う(下写真が8時2分撮影のもの。何の機械だと思います?なんと左右に立っているものが広がり、代掻きをするんです)。


 午前中は74軒の配達とトマトの定植作業の撮影を済ませて10時には戻った。その後2時間強、書類作成などの室内仕事。昼食の前に中条川のある箇所の撮影に行ったところまでは計画通りだったが、昼食先で少し話し込み、さらにその関係で1軒のお宅に立ち寄り、なにやら「無計画」的な行動に。でも、意義ある話し合いができた。
 夕刻は4時から雪坪、志久見、柳在家、切欠で計70軒。畑仕事をしている人などにずいぶん声をかけた。あるかあちゃんは、「きゅうり、トマト、ナス…。一人だから、これだけで充分。たまには子どもも来るし、食べさせるけど。子どもが4人もいるんですよ。みんな都会にいるけど」と。生き生きした感じで話して下さった。

かなり年配の人の代掻き。なにかゆったりした雰囲気を
感じた。遠くの山には雪が見えた。

 高齢の人が楽しく、生き生きと田んぼや畑をやっている姿を見ると、こちらも嬉しくなる。こういう生き方は素敵だと思う。しかし、いま、日本社会全体をみると、そういう暮らしができなくなってきているように思う。こういう栄村の高齢者の暮らしの値打ちをもっともっと発   
信していくことが大事だと強く思う。   
 タケノコ(栄村でいうタケノコは孟宗竹ではなくネマガリダケ)を剝く人の姿をちらほら見るようになった。ワラビをそろえているおかあさんの横にはウドがどっさりという場面にも出会った。山菜もすべてが出揃う時期になったのだ。

栄村の山ウドは最高に美味しい

17日(土) とにかく寒い。夜はファンヒーターを使う必要がありそう。
 朝、青倉の貝立水路のかけ口開けの作業を撮影に雪の中へ行き、体が冷え切ったせいもあるかと思っていたが、その後の配達で会う人みんな「寒い」と言う。      
 白鳥の配達中、家周りの工事をしている人たちが家の前の庭で3時のお茶のみ休憩をしていた。その家のかあちゃんに「お茶をのんでいけ」と勧められ、お邪魔することに。これからの季節はこういう機会も増えそう。
 甘いものを進められた工事関係者の一人が「おら、晩酌があるから」と言って遠慮したことからお酒やお米の話に発展。お寺への新年の挨拶に米を一升持って行くという慣習があるらしい。「でも、最近は米のかわりにカネだ。一升は500円という換算。コメは重たいが、カネは軽くていいや」という話を聞く。こういう慣習をめぐる話は面白い。昨夜の温泉では、「昔はコメを買うのに月10日働かなければならなかった。いまはコメの値段が下がって、ひと月のコメ代なんて3日分の仕事にもならない」という話も。

 白鳥の国道沿いの家の畑で、かなり高齢のばあちゃんが畑の苗の様子を見つめているのに出会い、「何の苗ですか?」と尋ねた。ばあちゃんが答えてくれたが、数回聞き直しても「ニガ」としか聞こえない。何度目かに私は「そんなの知らないですね。どんな野菜ですか」と言うと、「あんたはネギ食わねえかい」と逆に尋ねられる。これでやっと「ニガ」ではなく「ネギ」だとわかった。これほど言葉を聞き取るのに苦労したことは珍しい。また、畑で育っているネギはよく見るが、芽を出したばかりの頃のネギを見たのは初めてだ。

ネギが芽を出したところ

 平滝では、漬物桶を水路で洗っているかあちゃんと出会い、声をかけると、「やっと今頃(食べ)終わった」というご返事。きっと高齢者ご夫婦二人の暮らしなのだろう。家の前の水路に板を入れて、洗い物ができるようにしてある。こういう暮らしっていいものだと思う。
 今日でNo.220の配達完了かと思いきや、あと15軒残していた。明朝の配達になる。

18日(日) 昨夜は遅くなってからだが、やはりヒーターを入れなければならなかった。しかし、今日は朝から好天。午後、田んぼの畦に坐り、直射日光を受けると、暑い(「熱い」という表現の方が的確か)。ところが、午後4時頃、陽が西に落ち始めると、気温が急速に下がってくる。上に1枚羽織らないと風邪をひきそう。とにかく昼夜の気温差が大きい。
 午前中は主に斉藤勝美さんの「ぶらりん農園」の様子の写真撮影取材、午後は1時間半ばかり青倉の高橋友太郎さん・真太郎さん父子の田かき(代掻きのこと)の様子をやはり撮影取材。
 勝美さんの家では面白いものを見た。とうちゃんの克己さんがミツバチを飼っておられるが、普通の木箱の巣箱以外に、自然の木の穴をミツバチが巣にしているのを伐ってきたものを設置されたようなのだ。ご本人からの説明は聞いていないが、ほぼ間違いないと思う。

自然の木の穴を活かしたミツバチの巣
写真では再現できないが、ミツバチがぶんぶん飛んでいた

 青倉・高橋家のトラクターにハローを装着しての田かきは真太郎さんの担当。その後、友太郎さんが「均し棒」で丁寧に田んぼを均していかれる。友太郎さん曰く、「真太郎は丁寧だ。おれはもっと飛ばすけれど」と。たしかにその後、別の人の田かきを見たら、スピードが全然速かった。
 1枚の田んぼ(約8畝)の田かきが終わるまで時折写真を撮りながらずっと見ていたが、ここまでじっくり田かきを見るのは初めて。温泉で話していると、「田かきがいちばん大変。田かきが終われば、田植え作業は半分以上終わったに等しい」という話を聞くが、本当にそうだと思う。友太郎さんからは、「昔は牛んぼでやったもんだ。牛・馬がいる家はいいが、飼えない百姓はこうやってやったもんだ(鋤・鍬をふるう仕草を見せながら)。力が要ったんだ。栄村に機械が入ってきたのは昭和30年代の中ごろかな。耕運機だ。そしてさらに乗用型になった」と貴重な話を畦に坐りながらお聞きできた。

均し棒をひく友太郎さん。かなりの重労働だ

 1日が終わると、背中の張りが凄い。寝るまえにストレッチをかなりやる。さて、明朝、その効果は出るだろうか。

19日(月) やはり朝晩は寒い。
 No.220の配達は昨日で完了。今日はある報告書を作成する必要があって、関係書類・資料の整理等に一日を費やし、払込ミスをしていた電話料金の支払いのために津南のコンビニまで走った以外は、ほとんど家を出なかった。
 もともと整理・整頓ということが苦手の私で、この歳になってその習性を大きく変えることは難しいだろうが、なんとかしなければならないのも確か。「整理・整頓に一定の時間をかけることも仕事」という考えで仕事計画(行動計画)をたてることが必要なようだ。
 今日の写真はないが、「歩み」本体でも掲載しきれないが埋もれさせるのは惜しい写真を紹介したい。


ご夫婦お二人で手植えでの田植え(14日、平滝にて)


ぜんまいを揉む藤木金壽(かねとし)さん。
84歳だそうですが、お元気です。「“ねこ”というのは莚の大きなもののこと」と最初に教えてくださった方です(14日、極野にて)。


たんぽぽのわたぼうし
平素、わたぼうしには目もくれいない私ですが、遠目にも非常にきれいに見えたので、近づいて真上から撮影しました。(18日朝、原向にて)

(了)

配達日誌5月11日〜13日

11日(日) 通常のスケジュールならばNo.220の配達を開始する日だが、今日はそれどころではない。ほとんどの集落で早朝は美化運動のゴミ拾い(朝5時半とか6時の集合)、その後、8時頃から道普請や水路普請。
 私が住んでいる森集落の普請は午後だったが、午前中は農家組合の人たちが開田水路の普請をするので、それの取材や青倉の道普請の撮影。

森農家組合の普請の様子。水路の枡に入って泥上げ

 午後の普請は1時半から4時までだった。私は以前にも森の普請に出たことはあったが、今回の担当場所は初経験のところ。「ふーん、こんなふうに水路が流れているのか」と感心。まだまだ知らないことが多い。また、中条川の土石流をはじめとして自然災害とどう折り合いをつけて暮らし、そのためのインフラとしての水路や道路を維持していくのか、考えさせられるところが多い。
 普請が終わった後、夕刻2時間くらいでNo.220を完成。

12日(月) 午前中、大久保の観音堂の修復の相談にのって下さっている宮川和工(かずのり)さんが仲間の大工・福原さんと共に来てくださり、大久保の区長さん、大工さんと一緒にさまざまな説明をしていただいた。その中で面白いことを知った。入り口の上と内部正面の上に写真のようなものがある。

 これを虹梁(こうりょう)というそうだ。宮川さんによれば、この彫刻の模様が少し変わっていて興味深いものなのだという。福原さんにお尋ねすると、「いまは彫刻師に彫ってもらうが、昔は大工が自分で彫ったものだ」そうだ。文化財はいろんなところにあるものだ。
(宮川さんのtwitter書き込みはhttp://t.co/73GWcofnoY)。

 午後の配達の中で、「今度顔を合わせる機会があったらお尋ねしよう」と思っていた人と顔を合わせることができた。「いつも不思議に思っているんですが、車のナンバー、どうして他県ナンバーなのですか?」、「あっ、私は他県の者だからですよ」、「えっ、他県のご出身なのですか」、「いや、生まれはここなのですが、○○で自営業をやっています。ところが母親が病気になったので、もう10年ほど前から、私がこちらに戻って世話をしているんです」、「じゃあ、自営業の方は?」、「それは妻と息子に任せて、私はここで百姓をしています」。
 率直なところ、「ふーん、すごい人がいるもんだ」と思った。でも、他にもこのようなケースはあるのだろうと思う。いまの日本社会が成り立っていくには考えなければならない問題が多いとつくづく思う。

 泉平に行ったとき、地元の人に「この先は行ったら大変だよ」と言われた細い農道を小林清治さんが軽トラで進んで行く姿を目にし、後を追いかけた。行き着いたところは、小林さんが山菜採りのお客さんを呼ぶ林の中の山菜園だった。10名弱のお客さんが来ておられ、ぜんまいをたくさん採っていた。冬の間に木の枝払いをして、よく整備されている。

 お客さんが採ったぜんまいは重さで値段が決まるそうだ。小林さんがぜんまいを湯がくサービスをし、お客さんはそれを持ち帰ってぜんまい揉み・干しをするというシステム。これでお客さんは乾燥したぜんまいを買うのに比べて10分の1くらいの値段で良質のぜんまいをたくさん入手できるとのこと。
 小林さんから、男ぜんまいと女ぜんまいの見分け方、ぜんまい採りのルール(1株すべてを採らず、女ぜんまいを1本残す)などを教わった。
 今日は配達は午後からになり、月岡など87軒を廻る。

13日(火) 昨晩、今日の配達用の「歩み」の折りをしていて、困った事態に直面した。150部刷ったうちの約100部が色ずれを起こしていて、使い物にならないのだ。今朝プリンターのあるところへ行って、昨日の夕方に印刷にかけた分を見ると、これは大丈夫。業者にも来てもらって調べた。「色調節」という機能があり、それで「自動調節」という操作を行なった。頻繁に不具合が生じるようだと、部品の交換が必要になるようだ。とにかく使い込んでいるのでメンテナンスが大変だ。

 以前に「日誌」で紹介したことがある長瀬の中村さん。約22町歩の田んぼをやっておられる。「栄村でいちばん早く田植えを始めるのは長瀬の中村さん」と聞いたことがある。先日、中村さんのお父さんに「田植えはいつ頃から? 場所は?」とお尋ねしたら、「15日頃、志久見分校のむかい側にある田んぼが最初だと思う」とお答えいただいた。そこで、今日昼頃、東部谷を下りてくる際に注意して見ていると、すでに苗が植わっている田んぼが目に入った。きっとこれが最初の田植え場所なのだと思う。


 野田沢に行ったとき、田んぼを挟んで少し距離のあるところの作業所前で、何人かの人たちが座って農作業中の小休みをしているのが目に入った。かあちゃんが一人で黙々と畑を耕している姿とともに、こういう光景を見ると、なにかいい気持になる。望遠で撮ってみた。


 今日は午後1時頃で配達を終了し、午後は写真データの整理を行なった。配達は青倉など計101軒。

 

配達日誌5月7日〜10日

7日(水) 午前中、志久見から当部まで東部谷を廻る。量の多寡はあるが、大半の家でゼンマイ干しが見られる。ゼンマイ揉みをしている人を見かけると、「今年のゼンマイはどうですか?」などの声をかけるようにしているが、「よくない。自分で採りに行けないから」という返答も。若い人(50歳代以下)がゼンマイ揉みをする姿は基本的に見たことがない。山村特有のこの風物詩が継承できるのかどうか。大きな課題になってきているように思う。

ゼンマイとともに雪長靴を干す珍しい光景も(柳在家)

 切欠の配達の後、集落の奥から山に入っていく道があるが、どこへ通じるのか、前々から疑問だった。相当不安だったが、まもなく棚田に出て、さらに進むとすごい急坂に。長瀬〜原向をむすぶ県道に出た。農作業などのための、私が知らない道がまだまだいっぱいある。

この道をアクセルを踏み込んで上がった

 当部で「あと1軒」というときに、携帯が鳴った。11時24分のことだ。「平滝で萱葺き作業が始まっていますよ」というもの。昨日、重平さんから聞いていたのに、失念していた。猛スピードで平滝へ走り、11時42分には現場で撮影ができた。重平さんの「藁」へのこだわりについてもお話を聞けた。約3反の田んぼはすべて“はぜ掛け”だそうだ。改めて紹介の機会を設けたい。
 午後は泉平の配達の途中で印刷物が切れ、今日の配達はそこまで。泉平で村外からの来訪者に出会い、「カメラマンですか?」と尋ねられて、「復興への歩み」の配達のことを話すと、「栄村新聞ですね」と言ってくださった。私の趣意がストレートに理解され、嬉しかった。

8日(金) 北野、中野、極野、月岡、そして泉平の残り分を配るとNo.219の配達が完了する。
 時間配分を計算していて、配達以外のいろんなことをできる時間がどれくらいあるか把握していたので、菅沢でズッキーニの定植中のご夫婦と話しこんだり、東部地区の水路改修記念碑を調べたり、月岡集落のずっと奥の水芭蕉群生地を訪れたり、今日は「さわぎまくった」。
 最後の仕上げはスキー場。先日までは第1リフトと第2リフトの接続点から先は除雪未了で進めなかったが、今日は大丈夫。どんどん進んだが、リフトの終着点がすぐ眼上に見える地点のカーブで残雪のため、車が進まない。スコップで雪をかき出し、なんとか前進。

 頂上はまだ大部分に積雪がある。カタクリが数本咲いているのを撮影して、「まだもう少し日がかかるな」と思いながら振り返ると、雪のない場所にカタクリがたくさん咲いている! さらに、雪の上をリフト裏の林を上る。イワウチワを見るためだ。「あった!」 まさに群生という感じ。
 帰宅して、水芭蕉、カタクリ、イワウチワの写真を抽出し、試験的に印刷してみる。なかなかいい感じ。久しぶりの大収穫。
 夜10時頃、家が揺れるような強風。「明日は天気が突然荒れる」とTVで聞いていたが、一晩早い。その1時間後くらいに、TVに「長野県に竜巻の危険」というテロップ。長野地方気象台の情報は栄村に関するかぎり、問題の気象事象が峠を越してからということが多いように感じる。

9日(金) 朝、知り合いのご夫婦を水芭蕉群生地とスキー場上のカタクリ群生地にご案内。その後、今泉のカタクリの開花状況、平滝の重平さん宅の萱葺きの進行状況などを見に行くが、かなり疲れがたまり、午後は2時間ほど休息。

 
 No.220の作成準備などを始めるが、整理すべき写真データなどが厖大であまり進まない。夜は県北信建設事務所による中条川土石流対策工事の説明会に行く。4月24日の林務課の説明会と比べて、なにか工事開始の儀礼的な挨拶会にすぎないという印象。それでも、聞きたいことは聞き、今後考えていくうえでの手がかりは得られた。

10日(土) 朝早くに家を出て、定期通院へ。途中、3月末の大雨で崩落した藤沢〜桑名川間の道路復旧工事の様子を撮影。

仮復旧で前後の道よりも路盤が低くなっている

 昼前から頼之さんのトマトづくりの様子の撮影に走り廻る。アスパラが出ているのに感激。
 途中、菅沢で火事騒ぎ。知り合いが畑の片づけをしていて野焼きの火が広がり、慌てたらしい。行ってみると、法面の枯草が燃えただけ。ご本人が慌てて通報したので、消防車・警察が来て、大騒ぎに。こういう場合は「始末書」だけでは済まないのだろうか。
 それはともかく、空気が乾燥していて、風もあるので野焼きは要注意だ。
 午後後半、中条橋から下へ下りられることがわかり、中条川の中条橋〜千曲川の状況を撮影。国道117の栄大橋の橋脚のすぐそばに損壊箇所があるなど、想像を超える状況だった。この地点そのものは今回の復旧工事の対象になっているが、抜本的な河川改修が必要だと感じた。
 この中条川の撮影の直前、中条橋からお孫さんを交えた畑作業の様子が見られ、ちょっと撮影。素敵な光景だ。




配達日誌5月4日〜6日

4日(日) 今日の栄村は賑(にぎ)やかだった。それに煽(あお)られてか、私も騒ぎ過ぎ(栄村ではいろいろと動き回ることをこのように表現する)て、いささか疲れた。
 賑やかだったというのは、「道の駅」に人と車がいっぱいだったということもあるが、

国道にまで車が並ぶ「道の駅」

なによりも多くの村の人たちの息子さん・娘さんがお孫さん共々、実家を訪れているからだ。長野県内や東京方面はいうまでもなく、福島や大阪からという人もおられた。夕刻には青倉で、東京栄村会の新会長に就任された上辻且泰さんにもお会い  
した。たくさんのお孫さんとご一緒。青倉のお家の主・トヨさん(92歳)からするとひ孫さんにあたるお子さんたちだ。
 そんな賑やかな村の一日の中で、ブログの更新や『歩み』150部の折り作業を終えて、10時半頃に家を出た私は、今泉で白色のカタクリをもとめて山を上る。午後は、原向の堀切で畑に出ておられる藤木幸子さんの姿を見て、少し小高い所に上り、その景色のよさに感激する。

  里帰りのお子さんやお孫さんで賑やか(原向にて)

 そして、野口での配達を終えて、天代方向に下りる道で斉藤幸一さんのキュウリ畑にすでにパイプがたてられているのを目撃し、道をそれて畑へ。幸一さんと少し話す。
 じつは幸一さんの畑よりも奥に作業小屋が見える。そのことは初めて幸一さんの畑まで行ったときから知っていたが、今日はその小屋まで行くことにした。そこは、なんと、私が春になったら訪れたいと思っていた坪野の斉藤茂さんの畑であった。茂さんの息子さんとお孫さん、そして娘婿にあたる宮川吉郎さんと出会う。小屋の屋根のペンキ塗りの最中であった。

 作業小屋近くに水路が見える。吉郎さんに「あの水路はどこから来ているのですか」と尋ねると、「坪野の山奥から」との返答。私が径路を辿りたいと思っていた坪野古堰(1674年開削)なのだ(現在は坪野下堰と呼ばれているもの)。吉郎さんらに別れを告げた後、私は水路に沿ってどんどん山の中に入って行った。歩くこと15分余、4月16日に坪野の山の上の下堰を見て廻った時に「坪野下堰はここから東部パイロットの方へ下っていくのではないか」と見当をつけていた所に出た!(『配達日誌』4月16日参照)この水路のことは本文で取り上げたい。
 茂さんの作業小屋のところに軽トラを停めていたので、水路沿いに戻る。4時20分すぎのことだ。これくらいで今日の活動を終えればよかったのだが、東部谷をおりてくる帰り道、「昨日、柳在家から上がった道の上で、志久見の人の軽トラが見えたところ(志久見街道の大峠の近く)へ志久見の方から行ってみよう」と思いたつ。すぐにわかった。大峠に入っていくところのすぐ近くだった。しかも、帰り際、1台の軽トラが上ってきて、私が昨日見た軽トラが志久見の鈴木寿平さんであることもわかった。
 とにかく動き回り、疲れはしたが、今日も楽しい一日であった。

5日(月) 9時前には家を出て、まずスキー場の様子を見に行く。スキー場のリフト到着点の裏にカタクリの群生地がある(GW以後くらいが開花時期)ので、スキー場内の道がどこまで進めるかを確認するためだ。リフト中継点近くで残雪。軽トラでの突破を試みたが無理。数日後にまた確認したい。この地点近くで撮影した“ふきのとう”の群生は結構きれいだと思う。

 
 その後、西山田から青倉へ下りたが、その途中、江戸時代の善光寺街道の道標の石碑などを撮影。6月下旬に昔の道を歩く会の案内を依頼する手紙を東信の人からいただいたからだ。
 配達は平滝、白鳥の国道沿い、そして白鳥集落の全域。国道117は交通量が多く、国道向かい側の家に配達するために℃国道を横断するのが大変だった。
 白鳥の集落内の配達でいちばん奥の家まで行った際、「雪も消えているから野々海方面にむかう道を進んでみよう」と半ば計画的、半ば衝動的に思う。村に移って2年目頃に一度上がったことがあるが、実質的には初体験のようなもの。途中で残雪があり、引き返さざるをえなかったが、かなり上まで行けた。途中、巨大な砂防ダムが2つもあり驚く。坂とカーブの山道だが、新緑の美しさに感動する。

山道にはまだ残雪が。この先には昔の田んぼ跡がある

 1時半すぎに昼食に「樓蘭」に行くも、まだ入り口に待ち客がいる状況で、しかた 
なく断念。カップラーメンで昼を済ます。天気も悪くなってきており、「今日はこの後、室内作業にするか」と思い、ゆっくりするが、頼之さんのトマトの様子を見なきゃ。泉平の小学校建設への寄付の表彰状の写真も撮らなきゃ」と思い、1時間強の休憩の後、出かける。トマトの様子の大きな変化に驚く。また、泉平では表彰状の他に、「明治の地租改正」時の「地券」の実物を拝見することができて感激。
 この泉平のお宅での「お茶のみ」で山菜天ぷらなどを出していただいたので、その後、夕食としての夕食を食べる余地がなくなった。久しぶりに少し日本酒を飲み、一日を終わる。

6日(火) 昨日の午後3時すぎ、栄村に霜注意報が出された。霜がおりたかどうかの確認のため、まず頼之さんのトマトの様子を見に行く。霜はおりなかった。頼之さんが「連休明けにする」と言っておられた仮植ポットをハウス内いっぱいに広げる作業が始まっていた。
程久保と野田沢で配達した後、印刷したものを取りに小滝に立ち寄り、滝見線を走る。小滝を出てすぐに法面が崩れているのに出会い、びっくり。滝見線に廻ったのは、4日の柳在家〜暮坪の道探しの関係で、暮坪集落の撮影のため。いい写真が撮れた。午前中の最後は雪坪で配達。

奈免沢川の清流沿いの砂利道を上がると暮坪集落跡に出る

 今日は昼を「楼蘭」で食べることができた。午後、箕作、横倉、平滝を廻る。横倉では共同作業が行なわれていて、その様子を見に、水路脇を歩いたり、開田の上まで行ったりする。
 夜、No.219のガードレールに関する記事に一部間違いがあるとの指摘の電話、また箕作の花の撮影依頼の電話などをうける。