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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌5月14日〜19日

14日(水) 栄村も暑かった。水分の携行が不可欠だ。
 山の方も含めてほとんど雪が消え、村のいたるところで工事花盛り。志久見集落の志久見川で1週間ほど前から看板に「崩れた護岸をなおしています」と書かれた工事が始まった。県道から下っていく先で工事が行われているようだが、「立入禁止」で様子を見ることができない。こういう所は日曜日や平日の朝早くならば工事が行われていなくて様子を見に行ける。今朝8時ちょっと過ぎ、まだ工事をやっていなくて様子を見ることができた。現場の上を見ると、写真のように真上が県道で、作業所もたっている。そういう場所なのだから、護岸が崩れたとなれば復旧工事は必要だと思うが、なにか「つぎあて」をしているだけで、根本的な対応にはなっていないような気がする。中条川の問題もそうだが、河川環境、河川の安全をどのように確保するのか、よくよく考えなければならないように思う。


 今日は長瀬、笹原、当部、北野、中野、極野、天代、小滝、平滝の一部など131軒を廻ったが、平滝に行った際、野々海にむかった。「今日こそは野々海まで行けるのでは」と思ったのだが、かなり行ったところで、沢から雪が出てきた箇所があって、結局、到達できず。その地点の先の道には雪がなかったので、本当に残念。できれば近い日に再挑戦したい。


 ぜんまい揉み・干しが盛んだが、東部の奥の集落では「むしろ」を使っている家が多い。むしろは、揉む時にすべらず、また水分を吸収してくれるので干すのにも適している。このむしろのことを栄村の人は「ねこ」と呼ぶ。しかし、「なぜ、『ねこ』と呼ぶのですか?」と尋ねても、みなさん、「知らない」と答えられる。ただ、今日、極野の人と天代の人が「大きなむしろを『ねこ』と言うんだ」と教えて下さった。そこで家に帰ってから試しにネットで「むしろ ねこ」で検索したら、「ねこだ」というのがヒットした。辞書の『大辞林』に語意が出ていて、「藁で編んだ大形のむしろ。ねこ」とある。疑問がひとつ氷解した。

15日(木) 昨夕のTVの天気予報では「明日は季節が2ヶ月逆戻りする」とのことだった。ところが午前中は暑く、昼頃、森の役場近くの気温表示は27℃。「予報は間違いじゃないか」と思っていると、午後3時すぎから空模様が変化し、この日誌を書いている夕刻5時すぎはかなりの雨で部屋にいても肌寒さがある。風も強い。
 午前中の配達時の会話で、「雨がないので、畑ができない」という声があった。そのことからすると雨は有難いが、なんだか不安定な天候だ。
 今日は昼までで配達を終了し、午後は室内でのメモづくりや事務整理と散髪。配達は横倉と森で118軒。今日は写真なし。撮ってばかりで整理が追いつかない状況を打破するため、あまり写真を撮らないようにした面がある。

16日(金) 今日はこれまでと少し変わった動き方をした。一昨日暑かったので、「これから暑くなれば、配達は朝の早い時間帯と夕刻にしよう」と考え、さっそく今日それをやってみたのだ。出発時間は記録していなくてはっきりしないが、箕作39軒、野田沢15軒を廻った後に撮った写真の時間が8時2分と記録されているので、7時前から配達を始めたことは確実だと思う(下写真が8時2分撮影のもの。何の機械だと思います?なんと左右に立っているものが広がり、代掻きをするんです)。


 午前中は74軒の配達とトマトの定植作業の撮影を済ませて10時には戻った。その後2時間強、書類作成などの室内仕事。昼食の前に中条川のある箇所の撮影に行ったところまでは計画通りだったが、昼食先で少し話し込み、さらにその関係で1軒のお宅に立ち寄り、なにやら「無計画」的な行動に。でも、意義ある話し合いができた。
 夕刻は4時から雪坪、志久見、柳在家、切欠で計70軒。畑仕事をしている人などにずいぶん声をかけた。あるかあちゃんは、「きゅうり、トマト、ナス…。一人だから、これだけで充分。たまには子どもも来るし、食べさせるけど。子どもが4人もいるんですよ。みんな都会にいるけど」と。生き生きした感じで話して下さった。

かなり年配の人の代掻き。なにかゆったりした雰囲気を
感じた。遠くの山には雪が見えた。

 高齢の人が楽しく、生き生きと田んぼや畑をやっている姿を見ると、こちらも嬉しくなる。こういう生き方は素敵だと思う。しかし、いま、日本社会全体をみると、そういう暮らしができなくなってきているように思う。こういう栄村の高齢者の暮らしの値打ちをもっともっと発   
信していくことが大事だと強く思う。   
 タケノコ(栄村でいうタケノコは孟宗竹ではなくネマガリダケ)を剝く人の姿をちらほら見るようになった。ワラビをそろえているおかあさんの横にはウドがどっさりという場面にも出会った。山菜もすべてが出揃う時期になったのだ。

栄村の山ウドは最高に美味しい

17日(土) とにかく寒い。夜はファンヒーターを使う必要がありそう。
 朝、青倉の貝立水路のかけ口開けの作業を撮影に雪の中へ行き、体が冷え切ったせいもあるかと思っていたが、その後の配達で会う人みんな「寒い」と言う。      
 白鳥の配達中、家周りの工事をしている人たちが家の前の庭で3時のお茶のみ休憩をしていた。その家のかあちゃんに「お茶をのんでいけ」と勧められ、お邪魔することに。これからの季節はこういう機会も増えそう。
 甘いものを進められた工事関係者の一人が「おら、晩酌があるから」と言って遠慮したことからお酒やお米の話に発展。お寺への新年の挨拶に米を一升持って行くという慣習があるらしい。「でも、最近は米のかわりにカネだ。一升は500円という換算。コメは重たいが、カネは軽くていいや」という話を聞く。こういう慣習をめぐる話は面白い。昨夜の温泉では、「昔はコメを買うのに月10日働かなければならなかった。いまはコメの値段が下がって、ひと月のコメ代なんて3日分の仕事にもならない」という話も。

 白鳥の国道沿いの家の畑で、かなり高齢のばあちゃんが畑の苗の様子を見つめているのに出会い、「何の苗ですか?」と尋ねた。ばあちゃんが答えてくれたが、数回聞き直しても「ニガ」としか聞こえない。何度目かに私は「そんなの知らないですね。どんな野菜ですか」と言うと、「あんたはネギ食わねえかい」と逆に尋ねられる。これでやっと「ニガ」ではなく「ネギ」だとわかった。これほど言葉を聞き取るのに苦労したことは珍しい。また、畑で育っているネギはよく見るが、芽を出したばかりの頃のネギを見たのは初めてだ。

ネギが芽を出したところ

 平滝では、漬物桶を水路で洗っているかあちゃんと出会い、声をかけると、「やっと今頃(食べ)終わった」というご返事。きっと高齢者ご夫婦二人の暮らしなのだろう。家の前の水路に板を入れて、洗い物ができるようにしてある。こういう暮らしっていいものだと思う。
 今日でNo.220の配達完了かと思いきや、あと15軒残していた。明朝の配達になる。

18日(日) 昨夜は遅くなってからだが、やはりヒーターを入れなければならなかった。しかし、今日は朝から好天。午後、田んぼの畦に坐り、直射日光を受けると、暑い(「熱い」という表現の方が的確か)。ところが、午後4時頃、陽が西に落ち始めると、気温が急速に下がってくる。上に1枚羽織らないと風邪をひきそう。とにかく昼夜の気温差が大きい。
 午前中は主に斉藤勝美さんの「ぶらりん農園」の様子の写真撮影取材、午後は1時間半ばかり青倉の高橋友太郎さん・真太郎さん父子の田かき(代掻きのこと)の様子をやはり撮影取材。
 勝美さんの家では面白いものを見た。とうちゃんの克己さんがミツバチを飼っておられるが、普通の木箱の巣箱以外に、自然の木の穴をミツバチが巣にしているのを伐ってきたものを設置されたようなのだ。ご本人からの説明は聞いていないが、ほぼ間違いないと思う。

自然の木の穴を活かしたミツバチの巣
写真では再現できないが、ミツバチがぶんぶん飛んでいた

 青倉・高橋家のトラクターにハローを装着しての田かきは真太郎さんの担当。その後、友太郎さんが「均し棒」で丁寧に田んぼを均していかれる。友太郎さん曰く、「真太郎は丁寧だ。おれはもっと飛ばすけれど」と。たしかにその後、別の人の田かきを見たら、スピードが全然速かった。
 1枚の田んぼ(約8畝)の田かきが終わるまで時折写真を撮りながらずっと見ていたが、ここまでじっくり田かきを見るのは初めて。温泉で話していると、「田かきがいちばん大変。田かきが終われば、田植え作業は半分以上終わったに等しい」という話を聞くが、本当にそうだと思う。友太郎さんからは、「昔は牛んぼでやったもんだ。牛・馬がいる家はいいが、飼えない百姓はこうやってやったもんだ(鋤・鍬をふるう仕草を見せながら)。力が要ったんだ。栄村に機械が入ってきたのは昭和30年代の中ごろかな。耕運機だ。そしてさらに乗用型になった」と貴重な話を畦に坐りながらお聞きできた。

均し棒をひく友太郎さん。かなりの重労働だ

 1日が終わると、背中の張りが凄い。寝るまえにストレッチをかなりやる。さて、明朝、その効果は出るだろうか。

19日(月) やはり朝晩は寒い。
 No.220の配達は昨日で完了。今日はある報告書を作成する必要があって、関係書類・資料の整理等に一日を費やし、払込ミスをしていた電話料金の支払いのために津南のコンビニまで走った以外は、ほとんど家を出なかった。
 もともと整理・整頓ということが苦手の私で、この歳になってその習性を大きく変えることは難しいだろうが、なんとかしなければならないのも確か。「整理・整頓に一定の時間をかけることも仕事」という考えで仕事計画(行動計画)をたてることが必要なようだ。
 今日の写真はないが、「歩み」本体でも掲載しきれないが埋もれさせるのは惜しい写真を紹介したい。


ご夫婦お二人で手植えでの田植え(14日、平滝にて)


ぜんまいを揉む藤木金壽(かねとし)さん。
84歳だそうですが、お元気です。「“ねこ”というのは莚の大きなもののこと」と最初に教えてくださった方です(14日、極野にて)。


たんぽぽのわたぼうし
平素、わたぼうしには目もくれいない私ですが、遠目にも非常にきれいに見えたので、近づいて真上から撮影しました。(18日朝、原向にて)

(了)

配達日誌5月11日〜13日

11日(日) 通常のスケジュールならばNo.220の配達を開始する日だが、今日はそれどころではない。ほとんどの集落で早朝は美化運動のゴミ拾い(朝5時半とか6時の集合)、その後、8時頃から道普請や水路普請。
 私が住んでいる森集落の普請は午後だったが、午前中は農家組合の人たちが開田水路の普請をするので、それの取材や青倉の道普請の撮影。

森農家組合の普請の様子。水路の枡に入って泥上げ

 午後の普請は1時半から4時までだった。私は以前にも森の普請に出たことはあったが、今回の担当場所は初経験のところ。「ふーん、こんなふうに水路が流れているのか」と感心。まだまだ知らないことが多い。また、中条川の土石流をはじめとして自然災害とどう折り合いをつけて暮らし、そのためのインフラとしての水路や道路を維持していくのか、考えさせられるところが多い。
 普請が終わった後、夕刻2時間くらいでNo.220を完成。

12日(月) 午前中、大久保の観音堂の修復の相談にのって下さっている宮川和工(かずのり)さんが仲間の大工・福原さんと共に来てくださり、大久保の区長さん、大工さんと一緒にさまざまな説明をしていただいた。その中で面白いことを知った。入り口の上と内部正面の上に写真のようなものがある。

 これを虹梁(こうりょう)というそうだ。宮川さんによれば、この彫刻の模様が少し変わっていて興味深いものなのだという。福原さんにお尋ねすると、「いまは彫刻師に彫ってもらうが、昔は大工が自分で彫ったものだ」そうだ。文化財はいろんなところにあるものだ。
(宮川さんのtwitter書き込みはhttp://t.co/73GWcofnoY)。

 午後の配達の中で、「今度顔を合わせる機会があったらお尋ねしよう」と思っていた人と顔を合わせることができた。「いつも不思議に思っているんですが、車のナンバー、どうして他県ナンバーなのですか?」、「あっ、私は他県の者だからですよ」、「えっ、他県のご出身なのですか」、「いや、生まれはここなのですが、○○で自営業をやっています。ところが母親が病気になったので、もう10年ほど前から、私がこちらに戻って世話をしているんです」、「じゃあ、自営業の方は?」、「それは妻と息子に任せて、私はここで百姓をしています」。
 率直なところ、「ふーん、すごい人がいるもんだ」と思った。でも、他にもこのようなケースはあるのだろうと思う。いまの日本社会が成り立っていくには考えなければならない問題が多いとつくづく思う。

 泉平に行ったとき、地元の人に「この先は行ったら大変だよ」と言われた細い農道を小林清治さんが軽トラで進んで行く姿を目にし、後を追いかけた。行き着いたところは、小林さんが山菜採りのお客さんを呼ぶ林の中の山菜園だった。10名弱のお客さんが来ておられ、ぜんまいをたくさん採っていた。冬の間に木の枝払いをして、よく整備されている。

 お客さんが採ったぜんまいは重さで値段が決まるそうだ。小林さんがぜんまいを湯がくサービスをし、お客さんはそれを持ち帰ってぜんまい揉み・干しをするというシステム。これでお客さんは乾燥したぜんまいを買うのに比べて10分の1くらいの値段で良質のぜんまいをたくさん入手できるとのこと。
 小林さんから、男ぜんまいと女ぜんまいの見分け方、ぜんまい採りのルール(1株すべてを採らず、女ぜんまいを1本残す)などを教わった。
 今日は配達は午後からになり、月岡など87軒を廻る。

13日(火) 昨晩、今日の配達用の「歩み」の折りをしていて、困った事態に直面した。150部刷ったうちの約100部が色ずれを起こしていて、使い物にならないのだ。今朝プリンターのあるところへ行って、昨日の夕方に印刷にかけた分を見ると、これは大丈夫。業者にも来てもらって調べた。「色調節」という機能があり、それで「自動調節」という操作を行なった。頻繁に不具合が生じるようだと、部品の交換が必要になるようだ。とにかく使い込んでいるのでメンテナンスが大変だ。

 以前に「日誌」で紹介したことがある長瀬の中村さん。約22町歩の田んぼをやっておられる。「栄村でいちばん早く田植えを始めるのは長瀬の中村さん」と聞いたことがある。先日、中村さんのお父さんに「田植えはいつ頃から? 場所は?」とお尋ねしたら、「15日頃、志久見分校のむかい側にある田んぼが最初だと思う」とお答えいただいた。そこで、今日昼頃、東部谷を下りてくる際に注意して見ていると、すでに苗が植わっている田んぼが目に入った。きっとこれが最初の田植え場所なのだと思う。


 野田沢に行ったとき、田んぼを挟んで少し距離のあるところの作業所前で、何人かの人たちが座って農作業中の小休みをしているのが目に入った。かあちゃんが一人で黙々と畑を耕している姿とともに、こういう光景を見ると、なにかいい気持になる。望遠で撮ってみた。


 今日は午後1時頃で配達を終了し、午後は写真データの整理を行なった。配達は青倉など計101軒。

 

配達日誌5月7日〜10日

7日(水) 午前中、志久見から当部まで東部谷を廻る。量の多寡はあるが、大半の家でゼンマイ干しが見られる。ゼンマイ揉みをしている人を見かけると、「今年のゼンマイはどうですか?」などの声をかけるようにしているが、「よくない。自分で採りに行けないから」という返答も。若い人(50歳代以下)がゼンマイ揉みをする姿は基本的に見たことがない。山村特有のこの風物詩が継承できるのかどうか。大きな課題になってきているように思う。

ゼンマイとともに雪長靴を干す珍しい光景も(柳在家)

 切欠の配達の後、集落の奥から山に入っていく道があるが、どこへ通じるのか、前々から疑問だった。相当不安だったが、まもなく棚田に出て、さらに進むとすごい急坂に。長瀬〜原向をむすぶ県道に出た。農作業などのための、私が知らない道がまだまだいっぱいある。

この道をアクセルを踏み込んで上がった

 当部で「あと1軒」というときに、携帯が鳴った。11時24分のことだ。「平滝で萱葺き作業が始まっていますよ」というもの。昨日、重平さんから聞いていたのに、失念していた。猛スピードで平滝へ走り、11時42分には現場で撮影ができた。重平さんの「藁」へのこだわりについてもお話を聞けた。約3反の田んぼはすべて“はぜ掛け”だそうだ。改めて紹介の機会を設けたい。
 午後は泉平の配達の途中で印刷物が切れ、今日の配達はそこまで。泉平で村外からの来訪者に出会い、「カメラマンですか?」と尋ねられて、「復興への歩み」の配達のことを話すと、「栄村新聞ですね」と言ってくださった。私の趣意がストレートに理解され、嬉しかった。

8日(金) 北野、中野、極野、月岡、そして泉平の残り分を配るとNo.219の配達が完了する。
 時間配分を計算していて、配達以外のいろんなことをできる時間がどれくらいあるか把握していたので、菅沢でズッキーニの定植中のご夫婦と話しこんだり、東部地区の水路改修記念碑を調べたり、月岡集落のずっと奥の水芭蕉群生地を訪れたり、今日は「さわぎまくった」。
 最後の仕上げはスキー場。先日までは第1リフトと第2リフトの接続点から先は除雪未了で進めなかったが、今日は大丈夫。どんどん進んだが、リフトの終着点がすぐ眼上に見える地点のカーブで残雪のため、車が進まない。スコップで雪をかき出し、なんとか前進。

 頂上はまだ大部分に積雪がある。カタクリが数本咲いているのを撮影して、「まだもう少し日がかかるな」と思いながら振り返ると、雪のない場所にカタクリがたくさん咲いている! さらに、雪の上をリフト裏の林を上る。イワウチワを見るためだ。「あった!」 まさに群生という感じ。
 帰宅して、水芭蕉、カタクリ、イワウチワの写真を抽出し、試験的に印刷してみる。なかなかいい感じ。久しぶりの大収穫。
 夜10時頃、家が揺れるような強風。「明日は天気が突然荒れる」とTVで聞いていたが、一晩早い。その1時間後くらいに、TVに「長野県に竜巻の危険」というテロップ。長野地方気象台の情報は栄村に関するかぎり、問題の気象事象が峠を越してからということが多いように感じる。

9日(金) 朝、知り合いのご夫婦を水芭蕉群生地とスキー場上のカタクリ群生地にご案内。その後、今泉のカタクリの開花状況、平滝の重平さん宅の萱葺きの進行状況などを見に行くが、かなり疲れがたまり、午後は2時間ほど休息。

 
 No.220の作成準備などを始めるが、整理すべき写真データなどが厖大であまり進まない。夜は県北信建設事務所による中条川土石流対策工事の説明会に行く。4月24日の林務課の説明会と比べて、なにか工事開始の儀礼的な挨拶会にすぎないという印象。それでも、聞きたいことは聞き、今後考えていくうえでの手がかりは得られた。

10日(土) 朝早くに家を出て、定期通院へ。途中、3月末の大雨で崩落した藤沢〜桑名川間の道路復旧工事の様子を撮影。

仮復旧で前後の道よりも路盤が低くなっている

 昼前から頼之さんのトマトづくりの様子の撮影に走り廻る。アスパラが出ているのに感激。
 途中、菅沢で火事騒ぎ。知り合いが畑の片づけをしていて野焼きの火が広がり、慌てたらしい。行ってみると、法面の枯草が燃えただけ。ご本人が慌てて通報したので、消防車・警察が来て、大騒ぎに。こういう場合は「始末書」だけでは済まないのだろうか。
 それはともかく、空気が乾燥していて、風もあるので野焼きは要注意だ。
 午後後半、中条橋から下へ下りられることがわかり、中条川の中条橋〜千曲川の状況を撮影。国道117の栄大橋の橋脚のすぐそばに損壊箇所があるなど、想像を超える状況だった。この地点そのものは今回の復旧工事の対象になっているが、抜本的な河川改修が必要だと感じた。
 この中条川の撮影の直前、中条橋からお孫さんを交えた畑作業の様子が見られ、ちょっと撮影。素敵な光景だ。




配達日誌5月4日〜6日

4日(日) 今日の栄村は賑(にぎ)やかだった。それに煽(あお)られてか、私も騒ぎ過ぎ(栄村ではいろいろと動き回ることをこのように表現する)て、いささか疲れた。
 賑やかだったというのは、「道の駅」に人と車がいっぱいだったということもあるが、

国道にまで車が並ぶ「道の駅」

なによりも多くの村の人たちの息子さん・娘さんがお孫さん共々、実家を訪れているからだ。長野県内や東京方面はいうまでもなく、福島や大阪からという人もおられた。夕刻には青倉で、東京栄村会の新会長に就任された上辻且泰さんにもお会い  
した。たくさんのお孫さんとご一緒。青倉のお家の主・トヨさん(92歳)からするとひ孫さんにあたるお子さんたちだ。
 そんな賑やかな村の一日の中で、ブログの更新や『歩み』150部の折り作業を終えて、10時半頃に家を出た私は、今泉で白色のカタクリをもとめて山を上る。午後は、原向の堀切で畑に出ておられる藤木幸子さんの姿を見て、少し小高い所に上り、その景色のよさに感激する。

  里帰りのお子さんやお孫さんで賑やか(原向にて)

 そして、野口での配達を終えて、天代方向に下りる道で斉藤幸一さんのキュウリ畑にすでにパイプがたてられているのを目撃し、道をそれて畑へ。幸一さんと少し話す。
 じつは幸一さんの畑よりも奥に作業小屋が見える。そのことは初めて幸一さんの畑まで行ったときから知っていたが、今日はその小屋まで行くことにした。そこは、なんと、私が春になったら訪れたいと思っていた坪野の斉藤茂さんの畑であった。茂さんの息子さんとお孫さん、そして娘婿にあたる宮川吉郎さんと出会う。小屋の屋根のペンキ塗りの最中であった。

 作業小屋近くに水路が見える。吉郎さんに「あの水路はどこから来ているのですか」と尋ねると、「坪野の山奥から」との返答。私が径路を辿りたいと思っていた坪野古堰(1674年開削)なのだ(現在は坪野下堰と呼ばれているもの)。吉郎さんらに別れを告げた後、私は水路に沿ってどんどん山の中に入って行った。歩くこと15分余、4月16日に坪野の山の上の下堰を見て廻った時に「坪野下堰はここから東部パイロットの方へ下っていくのではないか」と見当をつけていた所に出た!(『配達日誌』4月16日参照)この水路のことは本文で取り上げたい。
 茂さんの作業小屋のところに軽トラを停めていたので、水路沿いに戻る。4時20分すぎのことだ。これくらいで今日の活動を終えればよかったのだが、東部谷をおりてくる帰り道、「昨日、柳在家から上がった道の上で、志久見の人の軽トラが見えたところ(志久見街道の大峠の近く)へ志久見の方から行ってみよう」と思いたつ。すぐにわかった。大峠に入っていくところのすぐ近くだった。しかも、帰り際、1台の軽トラが上ってきて、私が昨日見た軽トラが志久見の鈴木寿平さんであることもわかった。
 とにかく動き回り、疲れはしたが、今日も楽しい一日であった。

5日(月) 9時前には家を出て、まずスキー場の様子を見に行く。スキー場のリフト到着点の裏にカタクリの群生地がある(GW以後くらいが開花時期)ので、スキー場内の道がどこまで進めるかを確認するためだ。リフト中継点近くで残雪。軽トラでの突破を試みたが無理。数日後にまた確認したい。この地点近くで撮影した“ふきのとう”の群生は結構きれいだと思う。

 
 その後、西山田から青倉へ下りたが、その途中、江戸時代の善光寺街道の道標の石碑などを撮影。6月下旬に昔の道を歩く会の案内を依頼する手紙を東信の人からいただいたからだ。
 配達は平滝、白鳥の国道沿い、そして白鳥集落の全域。国道117は交通量が多く、国道向かい側の家に配達するために℃国道を横断するのが大変だった。
 白鳥の集落内の配達でいちばん奥の家まで行った際、「雪も消えているから野々海方面にむかう道を進んでみよう」と半ば計画的、半ば衝動的に思う。村に移って2年目頃に一度上がったことがあるが、実質的には初体験のようなもの。途中で残雪があり、引き返さざるをえなかったが、かなり上まで行けた。途中、巨大な砂防ダムが2つもあり驚く。坂とカーブの山道だが、新緑の美しさに感動する。

山道にはまだ残雪が。この先には昔の田んぼ跡がある

 1時半すぎに昼食に「樓蘭」に行くも、まだ入り口に待ち客がいる状況で、しかた 
なく断念。カップラーメンで昼を済ます。天気も悪くなってきており、「今日はこの後、室内作業にするか」と思い、ゆっくりするが、頼之さんのトマトの様子を見なきゃ。泉平の小学校建設への寄付の表彰状の写真も撮らなきゃ」と思い、1時間強の休憩の後、出かける。トマトの様子の大きな変化に驚く。また、泉平では表彰状の他に、「明治の地租改正」時の「地券」の実物を拝見することができて感激。
 この泉平のお宅での「お茶のみ」で山菜天ぷらなどを出していただいたので、その後、夕食としての夕食を食べる余地がなくなった。久しぶりに少し日本酒を飲み、一日を終わる。

6日(火) 昨日の午後3時すぎ、栄村に霜注意報が出された。霜がおりたかどうかの確認のため、まず頼之さんのトマトの様子を見に行く。霜はおりなかった。頼之さんが「連休明けにする」と言っておられた仮植ポットをハウス内いっぱいに広げる作業が始まっていた。
程久保と野田沢で配達した後、印刷したものを取りに小滝に立ち寄り、滝見線を走る。小滝を出てすぐに法面が崩れているのに出会い、びっくり。滝見線に廻ったのは、4日の柳在家〜暮坪の道探しの関係で、暮坪集落の撮影のため。いい写真が撮れた。午前中の最後は雪坪で配達。

奈免沢川の清流沿いの砂利道を上がると暮坪集落跡に出る

 今日は昼を「楼蘭」で食べることができた。午後、箕作、横倉、平滝を廻る。横倉では共同作業が行なわれていて、その様子を見に、水路脇を歩いたり、開田の上まで行ったりする。
 夜、No.219のガードレールに関する記事に一部間違いがあるとの指摘の電話、また箕作の花の撮影依頼の電話などをうける。

配達日誌5月1日〜3日

1日(木) 今日中にNo.219を発行の予定だったが、完了せず。
 朝、知り合いから頼まれた用件があって西山田〜城ヶ館へ。芽吹きが素晴らしく、途中、撮影するもカメラの調子がまったく芳しくない。やむなく新カメラの購入を決断。そのため、十日町に走る。ついでに治療にも行く。そんなこんなで1日が終わってしまい、No.219は作成途中で中断。

2日(金) No.219の冒頭に入れる写真を撮り直すために、8時半すぎに西山田〜城ヶ館へ。戻って編集を終え、印刷、そして正午少し前から配達開始。今日廻れたのは89軒だった。昼頃の配達開始だから、まずまずの調子かと思う。
 配達途上で、なにかを叩く音がする。つぐら名人の高橋甚治さんが藁をうっているのだ。「ちょっと写真を撮らせてください」とお願いして撮ったのが右の写真。藁は硬くてはダメ、しかし柔らかすぎてもダメ。藁をうつのはなかなかの技なのである。


 また、箕作では知り合いで高齢のとうちゃんが畑でキュウリの蔓をはわせる仕掛けを組んでいた。見ると、市販の緑の棒も使っているが、雑木の木の枝もまじえてある。伺うと、「この緑のいぼいぼにあるやつにはキュウリの蔓は巻きつかない。自然の木の方がいんだ」とのこと。雑木の木の枝を使うことは高齢の人がやっているのをよく見かけるが、そういう理由があることは初めて知った。暮らしの知恵、技ですねえ。しばらく立ち話をして、話は藁の大事さ、活用法などに及んだ。縄綯い機の話も出て、「もし縄綯い機があったら、今でもそれで縄を綯えますか」と尋ねると、「もちろんさ」と。文化財保全での民具活用の担い手候補がここにもいるということだ。


 青倉で芽出し、苗代ふせを撮影させてもらったお家の苗代を配達途中で見たが、苗がぐいぐい伸びているのに驚いた。次号で苗の成長記録を紹介してみようかなと思う。

3日(土) GW後半が始まるとのことだが、その間に休みの予定はない。いささか遅めの起床だったが、楽しい一日を過ごした。
栄村の桜はあっという間に終わりを告げたが、それでも行くところに行くと、いまがまさに満開というところも。大久保がそうだった。
 
大久保のしだれ桜

大久保のソメイヨシノ

 また、緑の山並みの中に数本の桜が見えるという光景が私は大好き。ソメイヨシノの並木が満開になっているときの華やかさとは異なる、侘びのある独特のよさがあると思う。あまりいい写真は撮れていないが…。


 4月はじめに『別冊』No.3で「志久見分校の歴史を辿る」を出したが、昨日、今日とそれへの反応が返ってきた。ある人は「とても懐かしかった」と。「志久見分校の思い出を語る会」というようなものをやってみたいななどと考えてします。また、箕城学校設立当初の歴史文書の所蔵者も現れた。これについては本文で取り上げたいと思う。
 午後、坪野に廻ったが、集落に入ったときはいつもの坪野であった。

坪野入り口手前の天代川。右手の緑は山菜のコゴミ
 
 しかし、少し進むと、いつもと様子が違う。集落を出た人が帰って来ていたり、2歳になる曾孫さんを連れた里帰りの人が山菜採りをしていたり、とにかく賑やかなのだ。これは本文で詳しく取り上げたい。
 さらにその後、柳在家で本『日誌』2月25日に書いた柳在家から暮坪集落に向かう山道を地元の人に案内していただいた。小一時間の“旅”。最高に楽しかった。これについては帰宅後、撮影した写真を編集して、写真レポート化した。メモなしで歩いたので、地名等に間違いがないか、案内下さった方に確認のうえ、公表したいと思っている。
 こんなわけで随分“寄り道”が多かったので、配達は51軒にとどまった。
 

配達日誌4月29、30日

29日(火) 私の住み処の雪消え日となった。

     午前8時3分

     午前10時57分
 
 配達に出かける際に撮ったのが8時3分。「帰ってきたら消えているだろうな」と思って出掛けたが、10時57分、帰ってくると案の定、雪の姿はもはやなかった。ちなみに、10日前の19日午後2時45分にはまだかなりの量が残っていて、「陽当りがいい場所ではないので、いつ消えるかな?」と興味をもち、断続的に撮影していた。

    
 昼前には出かけなければならないので、急いで森、横倉、平滝、月岡の未配達箇所110軒を廻った。平滝では苗箱の土詰めを86歳のばあちゃんと一緒に始めようとしていたおとうさんからヒマワリの種をいただいた。どこかに播いてみたい。また、月岡では作業中のかあちゃんたちが声をかけてくれたり、手をあげて挨拶してくれたり。励みになる。
 平滝で、社協の車や保健師ないし看護師と思われる人の自宅訪問を見かけた。休日であるにもかかわらずの巡回だ。感心した。
 11時すぎに村を出て、十二峠通行止めのため、大沢トンネル経由で越後湯沢へ。

30日(水) 湯沢午後8時すぎ着の新幹線で戻り、大沢トンネル経由の帰路へ。「迂回しなければならない」というのでやや気が重かったが、9時5分には帰着できた。そんなに時間がかかるわけでもない。
 家に着き、車を降りた途端、耳に入ったのがカエルの鳴き声。これには驚いた。気温はまだ13℃くらいあり、薄着だったが、寒くはなかった。明日からは5月。また新しいシリーズ(No.219の作成と配達)が始まる。
 

配達日誌4月26〜28日

26日(土) 腰の具合もよく、9時半頃からいくつかの場所を訪ね、さらに程久保、野田沢と廻ったが、背中の張りがひどくなってきて、配達を中止。治療に行く。
 午前中、動いた過程で芽吹きが始まっていることに気づく。治療から帰った後、芽吹きの写真などをFacebook、ブログにアップして、今日はもう体力がもたなくなった。

長者林(野田沢のブナ林)の芽吹きのはじまり

27日(日) 昨日に続いて今日も朝から好天で、気温も上がる。村の景色が一変した。山の芽吹きが進み、山の半分くらいが芽吹き期特有の、なんとも言えずきれいな薄緑色に。雪もどんどん消えていく。青倉の田んぼからほとんど雪が消えた。ほんの1日か1日半のうちに。この変化は、村8年目の私が初めて経験するドラスティックなものだ。
 体調はまずまずで、今日1日で124軒廻れた。
 昼から2時間強、東京から来られた知人と昼食、城ヶ館〜西山田案内。22日には残雪がまだいっぱいあったのに、今日はスキー場内の村道から城ヶ館〜西山田に車で行くことができた。スキー場中腹にある「眺望点」から見ると、青倉に雪がないのに、標高差ではわずかな今泉の田んぼはまだ真っ白。そのコントラストに感嘆する。

雪で白いのが今泉。青倉(国道117の赤い橋が見える)には雪がない

 ある集落で、この数回の配達時、必ず顔を合わせる人がいる。一人暮らしのばあちゃんの息子さんだ。今日、思い切って尋ねてみた、「最近はほとんどこちらですか?」。「ええ、1週間に1回、長野に帰ります」。以前におばあちゃんから聞いていたところからすると、今春、定年を迎えられたのではないかと思う。
 箕作で出会った顔見知りのとうちゃんは、「急に忙しくなった」と。みんな田に、畑に出ている。

田起こしする中沢日出男さん(27日、小滝)

28日(月) とにかく配達の遅れを取り戻さなければならないという思いで、ひたすら配達に廻る。カメラの調子がよくないので、写真撮影に時間がかかることが多い。できるだけ写真撮影を減らそうと思うも、やはり撮りたい、撮らねばと思う場面がしばしば。カメラは少なくとも修理が必要なようなのだが、修理には2週間くらい要す     
るという。その間のためにも新しいものを1台、手に入れなければならないようだ。

東部谷では随所でぜんまい揉みが始まった
(写真は坪野・斉藤茂さん宅)

 あるところで、草取り中のおかあさんと少し話す。「雨が降らないので土が硬くて草が取りにくい。おしめりが欲しい」と。村で感心することの1つは、とにかく春が来ると同時にかあちゃんたちが草取りを始めること。昨日聞いたところでは、「いまとっておかないとやっかいになる」とのこと。                  
 配達には雨ではない方が有難いのだが、“恵みの雨”が必要なようだ。
 今日は計177軒。

今日のお気に入りの1枚。満開の桜をバックに栃の木の花が見事に開花
(雪坪集落にて)

配達日誌4月24日、25日

24日(木) 昼すぎ、パソコンにむかって座った直後に腰に違和感。ぎっくり腰が来る時のそれだ。案の定、どんどんおかしくなり、午後、急遽治療へ。予定している取材はやらねばならないが、配達は1〜2日休むしかない。
 今日は朝8時前、頼之さんのハウスへ。8時から仮植作業が始まるからだ。詳しいことは「追っかけ:頼さんのトマトづくり」に書く。9時前にひとまずの取材を終え、「和久さんの牛舎の子牛を撮っておこう」と思い、牛舎に立ち寄る。

 長男の大(ひろき)さんから「もうすぐ知事が来る」と聞いて、すぐに山を下りる予定を変え、牛舎、トマトハウスの視察の模様を撮影。知事がトマトジュースを飲む様子は昼すぎにFacebookにアップした。知事に「貝廻坂やトマト栽培を視察していただきたい」とお願いしたことがあったが、まさか来られるとは思っていなかった。
 もともとの予定では、午前11時から飯綱町の老人会の人たちの研修会(於:「トマトの国」)でお話をする予定で、その前に1時間半くらい配達するつもりだったが、配達が吹っ飛んでしまった。
 研修会で話していると、震災直後にことがいろいろと思いだされてきた。いまの段階で、一度、当時のことを振り返る作業をするのがいいのではと思う。
 研修会の前、「トマトの国」のすぐ下の土石流跡へ下りて、撮影。谷止工のダムには冬の間にまた土砂が大量に溜まっている。

 研修会の後、雪の上の桜も撮影。ホッとする景色だ。
 そして、昼休みのぎっくり腰。でも、今日の仮植作業が夕刻5時半頃に終わるとのことで、「夕刻にもう一度来ます」と言ったので、5時すぎにハウスへ。作業は全体の半分が終わっていた。和久さんが来ていて、頼之さんらと話している。どうやら、村内で野焼きに関わる火事騒ぎがあり、消防団として出動した息子さんたちが戻らず、ポンプ小屋か公民館で飲んでいるらしい。興味深々な話。帰りに野田沢に立ち寄り、ポンプ小屋で一杯やっているところに立ち寄ってみる。なにかとてもいい雰囲気だ。都会にはない空間と時間だと思う。
 夜は、中条川土石流対策の住民説明会。「復興への歩み」本体で扱いたいと思うが、図面も含めて紹介したら、レポート1回分くらいになる。とにかく治山治水には砂防ダムを造るという以外の発想法がないようだ。いま言ってもどうにもならないが、武田信玄の霞堤がよく事例として挙げられる治水方法などに倣って、「土石流を安全に流す」というような発想法の転換が必要なのではないか、まったくの素人考えだが、思うところだ。

25日(金) 久しぶりに朝8時近くまで眠っていた。起きてから数時間はぎっくり腰の症状で歩きにくかったが、昼ごろからあまり気にならなくなった。
 今日は中越大地震の被災地で、集落ぐるみの復興・地域活性化に取り組んでいる若栃集落(小千谷市)真人(まっと)町)を訪問する予定で、受け入れを約束してもらっていたので、午前10時半すぎに村を出た(ぎっくり腰の症状を考え、出発前の配達活動は中止した)。先方の細(ほそ)金(がね)剛さんに予めご指示いただいたコースで向かったが、国道403号線に入って間もなく、あまりに狭い「トンネル」に出くわし、驚いた。車1台がギリギリというもの。トンネルを抜けたところで「記念撮影」したのだが、トンネルを抜けたところの直下の深い谷で新トンネルと道路の建設工事が行われていた。トンネルの上の山が芽吹いているのが目にまぶしかった。

 その後、山の崖面の深い谷筋に田んぼがある様子を見て驚いているうちに、あっという間に若栃に到着。あらかじめ自分で計画していたことなのだが、細金さんにお会いする前に若栃の中を廻り、田んぼなどを見て廻った。平地といえる場所が基本的になく、田んぼのほとんどが谷の中にある。「棚田」というよりも、「谷底田」という感じ(下写真)。細金さんが栄村の震災の直後に村に来て下さったときに、「一度はみんな諦めかけたが、田んぼの復旧をしようということになった」と話されていたが、今回、私がその田んぼを実際に見た感想としては、「こういう大変な場所にある田んぼを復旧しようという気によくなったものだ」ということだった。

 午後1時半から細金さんからいろんなお話を聞き、古民家再生の民宿「おっこの木」も内部を見せていただいた。
 今回の見学の結果はまた本紙でレポートしたい。

配達日誌4月22日、23日

22日(火) 今日はまず頼之さんのハウスを訪ねることから始めた。頼之さんは通院とのことで不在だったが、奥さん、息子さん、娘さんがおられ、仮植作業に備えて、ハウス内の整理に忙しくしておられた。仮植は24、25日の予定だそうで、親戚などの手伝いが入るという。
 その後、貝廻坂を下りて、平滝、白鳥を廻り、さらに青倉へ。お訪ねしようと思っていたお宅が来客中のようだったので、気が変わり、青倉の山の田んぼ巡りに出かけてしまった。11時すぎに上がり、写真をいっぱい撮って、下りてきたら1時をまわっていた。

こんな景色を眺めながら、2時間ほど歩いてきました

 昼食後、さらに配達に廻り、農作業姿なども撮影。4時すぎからは青倉米の袋詰め作業。
 今日は膨大な写真を撮ったため、夕刻6時前から整理を始め、夕食をはさんで、結局夜10時近くになってしまった。もう少し計画的に行動しなければとも思うが、「気が変わって…」というケースのほうが収穫が多いのも事実。悩ましいところだ。

23日(水) 朝5時に起きて、午前中一杯、配達ではなく、メール返信、米袋詰め、取材、「お米のふるさと便り」の原稿書きと編集・印刷など(今回の「お米のふるさと便り」は村の春の紹介として面白いと思うので、後にブログにアップするつもり)。
 昼食時、眠気を催すも、踏ん張って午後は配達へ。しかし、46軒を廻ったところで、「今日はもう無理」と思い、配達を終わらせた。No.218発行から3日目でまだ3分の1。今週は明日以降もいろんな予定が入っているので、ややピンチ。
 そんな多忙の中で面白かったのが「閻魔様」との出会い。19日の配達日誌で書いた大久保集落のお堂(地元の人たちは「観音堂」と呼んでいて、それも間違いではないが、どうやら観音様も祀ってある十王堂というのが正しいようだ)。寺社建築の専門家・宮川和工さんが修理のための実測調査に来てくださった。私はお昼頃にご挨拶に伺うことしかできなかったが、そこで出会ったのが閻魔様。「十王」とは冥土で亡者の罪を裁く十人の判官のこと。その一人が閻魔大王で、死後35日目に出会うそうだ。閻魔王の前では、「生前の悪事が浄玻璃の鏡に写し出されるので、うそを言ってもばれる」という。

閻魔大王の木像

 十王堂は多くの集落にある。大久保のお堂はそばに桜の木があり、独特の景観をつくりだしていて、遠くは首
都圏から写真を撮りに来る人もいる。
 こういうものは復興資金を少々使っても守る価値があると私は思っている。

                               

配達日誌4月17日〜19日

17日(木) No.217の配達が完了しているので、「余裕をもって」いろんなところに出かける。
 まず、スキー場内を貝立山方向に上がる道の除雪状況を見に行く。この3日間ほど、入ってすぐのところに車が停められていて進入できなかったが、今日はスノーロータリー車が道脇に寄っていて通過できた。どんどん上がって行ったが、除雪は第1リフトと第2リフトの中継点手前まで。下りてきて、スキー場内にキュウリ畑をもつ青倉の高橋正好さんがロータリーで畑の除雪をしている様子を撮影(「復興への歩み」No.218の「進む春作業」を参照)。

黄色はスノーロータリーの一部。真ん中の雪がおこされているところが正好さんのキュウリ畑

 その後、自宅を訪ね、かあちゃん・あき子さんに聞いたところでは「5月21日にキュウリの苗がくるので、連休中にパイプをたてたいのだけれど、なかなか雪が消えないので、今日は稔さん(正好さん宅の隣の人)に頼んでロータリーを運んでもらった。車が通れるように健さん(村の除雪担当、稔さん宅の隣の人)に道に停めてあるロータリーを動かしてもらった」とのこと。そういうわけで私も通れたわけだ。
 こういう次第で、あき子さん宅でお茶のみをしたわけだが、これも配達が完了しているがゆえの余裕。出していただいたリンゴは「雪の中に貯蔵していた」もので、この時期でもぼけていなくて美味しかった。

 つぎに、野々海へ。15日に行けたところをこえて進めたが、間もなく未除雪の地点に行きつく。その先へブルが進んだ形跡はあったが、スノーロータリーの姿は見えなかった。今日は除雪をやっていないようだ。16日朝に除雪作業に従事している人に聞いたところでは、「上に行くと雪が硬くて、なかなか作業が進まない」とのことだった。上っていく途中、平滝の人の田んぼがあるところで、雪の壁にスコップで段をつくって上がり、田んぼの様子を撮影。一面雪の海で、知らなければ田んぼがあるところとはまったくわからない。


 つづいて、イワウチワの開花状況を見るために、滝見線〜古道絶景ポイントへ。絶景ポイント入り口に到着すると、見知らぬ車が…。「いったい誰だろう」と思っていると、複数の人の姿が見える。夜間瀬の人たちが来ているのだ。うち2名の人と一緒にイワウチワのあるところへ。見事に開花していた(「復興への歩み」No.218参照)。

 昼食後、ある人に会いに行くつもりだったが、その予定を変更して、今日の写真整理とイワウチワの開花の様子を掲載した「復興への歩み号外:小滝版」を作成・配布することに。「この時期の古道の観光資源としての活用を」というメッセージに意を込めて、夕刻4時頃に小滝13軒に配布した。

18日(金) 午前中雨の予報があったが、明け方からすでに雨。その後も降ったり止んだりのくりかえし。気温も低い。
 原稿書きなどした後、野田沢に用事があって貝廻坂を上がる。野田沢が近づくと濃霧。その後、菅沢農場を廻ったが、前方がまったく見えない状況。
 10時すぎ、頼之さんのハウスに立ち寄ったが、気温が低いので予想通りシャッターは閉め切られている。しかし、よく見ると、ハウスの後方に奥さんの姿。ご夫婦で水タンク置場の屋根をかけておられた。「ついさっき、シートをまくったところです」とのこと。
 午後はある人と延々とお話しすることに。

19日(土) 今日も気温が上がらない。朝からNo.218のための補充取材でいろんなところを廻る。昼には、震災直後から毎年村に来られ、震災による集落の住環境などの変化を調査・研究されている首都大学東京の市古さんなどとお会いする。
 夕刻、市古さんと一緒に来られた寺社建築の専門家・宮川和工さんに大久保のお堂(下写真)を見ていただく。軒が落ち、大久保の人たちが修復を検討されているものだ。よいアドバイスが得られそう。