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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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2月19日の配達路を辿る

 

 

 今日19日は、地元の中条での配達の後、東部地区へ。
 写真を一度撮ってみたかった東部地区への進入路のスノーシェッド通過時を車内から撮影。上の2枚は、カーブを曲がってスノーシェッドに入る瞬間(9時46分)。
 この後の4枚は次に。

 

 

 

 

 

 スノーシェッドを抜けて、雪坪集落へ。

 

 

 

 

 

 雪坪集落が視界に入りました(9:48)。

 集落に入ってすぐに道路脇に2軒ありますが、その先で右折して集落の真ん中へ。

 

 

 写真右手の雪の壁の切れ目が集落に入るところ。前方に見える家は志久見集落。

 

 

 

 

 

 

 いちばん奥の家に到着。9:50。ただし、車で横付けとはいかない。この雪の階段を歩いて行く。

 

 今日の午前中は東部地区のいちばん奥の極野集落まで進んだ。その間、ここまでと同じように配達路を撮り続けた。それをすべて紹介するとたいへんな枚数になるので、いっきに極野集落に飛びます。ここで素敵な出会いが…。

 

 

 極野集落の手前、中野集落を通過するところ。11:15。

 

 

 極野集落に入って間もなく。

 

 

 極野集落内のいちばん高い所へ。

 

 

 いちばん高い所から下る時、前方に何人もの人の姿が目に入りました。
 その中のお一人に窓越しに声をかけました。

 

   「写真を撮らせてもらいに来ました。以前、祭りの写真を撮ら

   せていただいたことがありまして。と言っても、お祭りの当日

   ではなくて、当時の区長さんのお世話でお祭りの様子を再現し

   ていただいたのですが。」
   「あっ、そんなお話、聞いたことがあります。震災の後でした

   か?」
   「いえ、前ですね。もう7、8年前になります。」
   「どちらからお越しですか?」
   「私たちは長野市です。」

 

 そんな会話をしながら、撮った写真をカメラの液晶画面で見せて下さった。
 前頁中段の写真の地点をお宮の向かう道の方から撮影されたものだった。
 私は常々、極野集落はとてもいい景色が多い集落だと思い、風景写真を数多く紹介してきたが、その極野の景色を撮影に訪れて下さる写真愛好家のグループに出会えて、とても嬉しかった。
 この時、11時半頃で、天代集落に立ち寄った後、給油の必要もあって、国道117沿いへ下りました。
 午後は泉平、箕作集落へ。今日一日の配達は87軒。

 

 いつも「配達日誌」などに「今日は〇〇集落などを廻った」と書き、出先で撮った風景写真なども紹介しますが、配達路そのものを紹介するのは初めて。村外の方々には、私の配達路がどういうところなのか、少し具体的なイメージを持てていただけたかなと思います。

 


配達日誌2月1日〜10日

1日(水) 今日の午前中は快晴。
 朝方は頼まれた仕事を2時間弱。その後、寺石踏切死亡事故の慰霊祭現場へ。
 快晴の中、寺石から見える景色の素晴らしさに感服した。写真を撮ったが、データをPCで見ると、撮り慣れていない場所なので、思ったようなものは撮れていない。が、1枚紹介しておく。

 

寺石からの雪景色

 今日は「排雪デー」とでも言うべき日だった。各所で道路除雪で積みあがった雪の山を崩し、ダンプで千曲川等へ。12月に積雪が多かった2015〜16年冬は早くも12月末に排雪作業が行われたが。
 今日は配達はあまりできず。夜、ブログ「2月は快晴で幕を開けたが、この後は節分嵐か」をアップ。

 

2日(木) とにかく風が強かった。午前と昼すぎは森集落を廻り、その後、野田沢、程久保へ。時折、強い風で真正面から雪が顔に吹きつけてくる。その吹雪の様子をカメラに収めたかったが、その瞬間は写真を撮るどころではない。風の凄まじさを物語る写真を1枚。

 


 上写真は私の軽トラの荷台のシート。朝からの配達で数センチの雪が積もっていたが、一瞬の強風で、その大半が吹き飛ばされた。かなり重い雪だったのだが。午後2時半すぎ、野田沢でのこと。
 配達の後、午後4時すぎに、国道117を津南町今井まで行き、送電塔復旧工事が完了していることを視認してきた。

 

3日(金) 昨夜から今朝にかけてもう1回、かなり降ると言われていたが、朝の様子を見ると、あまり大した降りではなかったようだ。ただし、昨夜11時頃、凄い強風が吹き、ものすごい音とともに窓ガラスに雪が吹きつけられてきた。今日の日中も雪が舞い続けたが、積もるような雪ではなかった。ただ、切欠集落では坂を上り切れなかった。配達のために急坂の途中で停めると、発進の時、スリップしてしまう。
 配達中、除雪作業の手をとめて、話しかけて下さった方があった。24日の臨時議会を傍聴された人で、「最後の質問、いや意見で言われたとおり、公社の再建には営業が大事ですよ」と。発言をしっかり聴き取って下さっている。それだけに責任は重大。狭い意味での公社再建案というだけでなく、栄村の観光の商品プラン(企画と営業方法)を具体的に提案していかなければと思う。
 直売所で、「耳団子が出ましたよ」と紹介され、写真撮影。早速、ブログにアップした。
 また、21日夜の停電に関連する送電塔損傷復旧工事と移動発電機車による送電作業が終了した。これもブログにアップ。

 

4日(土) 朝方、青倉と森で10数軒に連絡用のチラシを入れた後、秋山へ。
秋山の全戸への配達をめざしたが、途中で相当に長い立ち話をしたことから、上の原と屋敷の一部は配達を断念せざるをえなかった。配達できたのは60軒。
 たしかに雪は多いが、除雪や排雪が進んでいて、1月18日の時のような「雪に埋もれて大変」という感はなかった。知人から、数日前に屋根の雪下ろし中に落下事故があり、雪害救助員が重傷をおわれたという知らせを聞いていた。しかし、秋山で雪害救助員を待つ高齢の人とお話した時、事故のことはご存知なかった。残念な事故だが、役場がきちんと公表していないことには疑問を感じる。
 今日は切明まで行こうと決めていた。今冬期は休業となった雄川閣の様子も知りたかった。

 

切明の「川原の温泉」

 

 自らのタイヤドーザーを持ち込み、除雪作業をやって下さった人から話を聞いたが、つい1〜2日前まで3m近い雪に埋もれていたそうだ。その一方、切明に向かう途中、何台かの乗用車とすれ違った。除雪をやって下さった人の話では、「つい1時間ほど前、川原の温泉に入っている人がいましたよ」とのこと。吊り橋を渡っていくと、吊り橋の上、吊り橋から川原の温泉にかけて、「かんじき」の足跡がくっきりと残っていた。

 

吊り橋から川原の温泉へ続く「かんじき」の足跡

 

 夕刻4時半頃、「下」に戻り、奥さまが急逝された知人宅へお悔やみに出向いた。
 夜、「秋山を巡った一日」をブログにアップ。

 

5日(日) 午前中は米の発送と会合資料作り。昼すぎ、ご出棺のお見送り。ご主人の挨拶に心打たれた。突然の逝去に深い悲しみの中からふり絞るように発せられた言葉は、奥さまへの深い愛情に満ちたものだった。
 2時半から「振興公社と温泉入浴を考える会」。15名ほどの方々にお集まりいただき、「共通入浴券」問題についてのみなさんの思い、料金案等を聞かせていただき、今後の議会審議等に臨むうえでたいへん役立つ内容となった。

 

6日(月) 疲れが少々溜まり、今日は配達に出なかった。
 ただし、午前10時すぎから午後3時頃にかけて、6件の用談をこなした。用談の主たる内容は、SLの定期運行実現のための署名運動の進め方、有害鳥獣対策。
 午後から徐々に頭痛がし、夜には喉も痛み出した。完全に風邪の症状で、薬を飲んで就寝。

 

7日(火) 起床時、体はだるく、すっきりしなかった。診療所に行こうかとも思ったが、10時半近くに配達に出かけた。
 今日は吹雪。その中、軒数は少ないが、冬期の配達がいちばん大変な当部、原向、坪野などを廻った。そんな行動をしているうちに体にキレが戻って来た。
 冬の配達がいちばん大変なのは秋山と思われるかもしれない。たしかに、何度となく記しているように、中津川渓谷沿いの国道405の狭い道を進むのは“おっかない”。しかし、冬の秋山行きは天候を選んでいて、慎重に運転することが第一。その点さえクリアすれば、「大変」というのではない。
 それに対して、原向などは積雪期間、配達先のお宅に車で行けないところが多い。いちばん遠いケースの場合、雪道を片道100m以上歩く。きちんと道つけがされているとはいえ、長靴がまるまるずぼっと嵌ってしまうこともしばしばである。普通の道を歩くようなわけにはいかない。さらに、今日の場合など、その雪道を歩いている間に真正面から吹雪が吹きつけてくる。猛烈な風で顔面に雪が吹きつけられ、それから逃れようもない。しかし、変な言い方かもしれないが、そういうところにこそ、栄村で「復興への歩み」の配達といった活動を行うことの醍醐味があるとも言える。
 夜は、ブログ記事「今日は吹雪の一日」を編集し、アップした。
 下写真は正午すぎに原向集落を廻っている最中の1枚。写真右手の雪の山から強風によって雪が吹き出してくる。

 

 

8日(水) 午前中は降雪だったが、昨日のような吹雪ではなく、長瀬、北野、中野、極野で69軒を廻れた。
 午後、家に戻ると、大家さんが屋根から落とした(落ちた)雪の片づけをして下さっているところだった。ただ、明日の議会にむけての資料調べがあったので、感謝とお断りの挨拶をして、部屋に入り、しばし勉強。
 夕刻、横倉16:46発の下り列車を撮影に、歩いて国道117栄大橋上に。
 極野で撮った写真などをブログにアップしたいとも思ったが、明日の議会にむけて体調を整えておくために、無理をせず、夜は体を休めた。

 

9日(木) 今日は丸一日、議会。
 10時開会で、午前11時半頃までが本会議。本会議は今日も傍聴者がかなり多かった。10分の休憩をはさんで、「全員協議会(村長提出)」。正午で昼休み休憩になったが、午後1時半再開で、午後4時近くまで。最後の10分ほどは「議員だけ残ってください」ということで、14日の振興公社理事会との懇談に関すること。本会議及び全協のことは「議員活動報告」に書くことにして、ここでは触れない。
 夜は明日の配達の準備(印刷、折り作業、配達状況のチェックと配達計画の作成など)。
 写真撮影はいっさい無し。

 

10日(金) 雪が降っていたが、8時頃の出動で配達。
 国道117の青倉や青倉トンネル〜横倉トンネル間ではかなりの降雪だったが、横倉トンネルを出ると、平滝では降っていなかった。同じ栄村内でも場所によって天候が異なることはよくあることだが、トンネルに入る前と出た後の状況があまりに異なるので、少し驚きだった。
 平滝、白鳥、箕作、泉平と廻ったが、手許のメモに泉平を廻っていた時に、「10:50太陽。すぐにまた吹雪」とある。
午前中で91軒に配達をして、今日の配達は終わり。最後に横倉で何軒かを廻った時、「(車の)ドアが開かないくらい風強し」というメモ。今冬は例年になく、風の強い日が多いように感じている。
 午後は考え事の整理など室内仕事。その一環として、ブログ記事「『強い寒波』と言われるが、春は確実に近づいている」を編集し、アップ。その記事に掲載した写真を1枚。

 


 この写真は今日ではなく、8日の夕刻に国道117の栄大橋上から鳥甲山方向を撮影したもの。この写真で示したかったのは、樹々の新芽の赤さが濃くなってきていること。冬のはじめから樹々の先端は新芽で赤っぽいのだが、最近になって、その赤さが濃く、鮮やかになってきているように感じるのだ。1月前半あたりの同じ場所の写真を比較対照として示したかったが、写真データを探し出すのが大変で、それはかなわなかった。
 しかし、新芽の赤さが濃く、鮮やかになってきているのは間違いないと思う。配達で村内を毎日巡り、その際に写真を撮るようになって4回目の冬(〜春の近づき)なのだが、今季、初めて気づいたことのように思う。「全然知らなかった」というわけではないが、ここまで鮮烈に意識したことはなかった。自然界の営みの凄さというものは、やはり相当に意識的に観察していないと認識できないもののように思う。


 写真をもう1枚。午後3時すぎに部屋の窓から撮影したもの。

 


 このアングルの写真は頻繁に撮っているものだが、午前中、吹雪くことが多かった今日、こんな景色が見えるとホッとするというか、気分が非常に爽やかになる。
 この写真を撮りながら感じたことがもう一つあった。
写真中央に見えるのは道路除雪で押し出された雪の山だが、朝、降雪時に見たものと比べると、かなり低くなっていると感じた。ブログ記事のタイトル「春は確実に近づいている」を導き出した理由の一つでもあるのだが、2月に入って以降だろうか、雪がいくら降り積もっても、晴れ間が出ると、雪が消えるスピードが速くなったように感じるのだ。みなさんは、そんなことを感じてはおられないだろうか。

 

 今日の午後を室内仕事にしたのは、考え事を整理する必要があったことが一因だが、もう一つ、別の理由がある。議会の翌日というのは疲れがものすごく溜まっているのだ。何とも表現しづらい疲れである。原因を考えてみると、“まったく気が抜けない、緊張の連続”ということが疲れをもたらしているようだ。議会・議員は、村長・行政側が提出してきた議案や協議事項に対して何も質問をせず、異論も唱えなければ、村長・行政の議案や提案に「OK」を出したことになる。それは議案や資料に書かれていることに対してだけではない。口頭での答弁や説明の内容についても同じ。だから、一言一句聞き逃さないように神経を集中し、即座に反応して質問などをしなければならない。そうしなければ、議事は先に進んでしまう。私がまだまだ新米議員で、修行が足らないのかもしれないが、これはかなりきつい仕事だと感じている。
 国会中継で居眠り議員の存在がカメラに捉えられ、ニュースになることが以前はよくあったが、あれは国会の議事が基本的にすべて予定通りに行われていることに一因があると思う。白熱した質疑が行われていても、発言できるのは予(あらかじ)め質問を許可された議員のみで、他の議員は発言を許されない。せいぜいできるのは野次(正式には「不規則発言」という)を飛ばすことだけ。
 しかし、小さな町村の議会の議案審議はその場での挙手による質問が主。ぼやっとしていたら、「質疑終了→採決」になってしまう。「議会は行政の追認機関」ということに甘んじるのであれば、緊張感をもって臨(のぞ)む必要もないのだろうが、私は行政をしっかりチェックできる議員でありたいと思っている。


配達日誌1月16日〜31日

16日(月) 今日も大雪が続く予報だったので、「配達はせず、室内作業」と決めていた。「雪が大変だ」と言っていたら、冬の配達はできなくなるが、14日に危険な体験をしたので慎重に。
 そういう予定にしていたこともあってか、昨夜は遅くまでPC作業をして、就寝は午前1時すぎ。そのため8時頃まで熟睡。まだ着替えしていない時に、大家さんがシャッターを開ける音がしたので、慌てて、外に出て挨拶。その後、着替えて、屋根の雪下ろしの様子を撮影。連写を繰り返したので、200枚は超えただろう。迫力のあるものを撮れた。
 昼、スキー場へ。リフト券が1日千円のラッキーマンデーということもあるだろうが、県外車が多い。レストランで5組くらいに声をかけた。みなさん、雪の深さに満足の様子。「帰りに温泉はいかが?」と言うと、「トマトの国」が温泉であることを知らない人もいた。
 午後4時すぎの「トマトの国」では、スキー客で、「これから東京方面に帰る」という人と一緒になった。帰る時、玄関におられた女性は「安曇野からです」というご返事。
 スキー場はもっと活かせると思う。

 

17日(火) 午前中、津南町へまとめ洗濯に出かけ、昼すぎ、津南では降っていなかったので、「これは大丈夫だな。配達に廻ろう」と思いながら村へ戻った。栄村では降っていたが、2時すぎ、泉平へ。がんがん降ってきた。下とはかなり様相が異なる。
そんな中、最後から3軒目と最後の1軒でびっくり。
 「最後から3軒目」は、集落内道路から少し離れたところに家があるが、道路からは1mくらいの雪の壁を上がって、しばらくその高さを歩いて、家に辿り着く。玄関は「穴ぐら」のようになっている。最後の1軒では玄関につながる道があるところは手がつけられない積雪で、「裏に廻って下さい」の看板がたてられていた。

 

18豪雪時に新聞に紹介された高橋甚治さん宅を思い出した

 

18日(水) 予報で「晴れ」となっていたので、「秋山の様子を見に行こう」と決めていた。アイスバーンも厄介だが(午前9時に役場横で−1℃)、昼間の気温が上がって、405号線沿いの崖面の雪が落ちてくるのも嫌なので、9時17分に津南から405に入った。
 今日は配達よりも14日以降の大雪の後の秋山の状況を見ることが主眼。
 まず、小赤沢で「とねんぼ」前に行った時に、地域おこし協力隊の坪内さんがブルドーザーでの除雪の研修をしていたので、その様子をしばらく撮影。その最中に「とねんぼ」の大屋根から雪が軋む音が…。安全な場所からカメラを構え、大量の落雪の様子を撮影することができた。屋根からの大量の落雪の瞬間を写真に撮りたいと長い間思い続けてきたが、こんな機会に出会うとは想像もしていなかった。連続写真をブログにアップしたが、いちばん大量に落ちた瞬間のものを1枚、示しておく。

 


 上の原では様々な出会いがあった。一番の出会いは、Walk Japanというツアー会社(本社は大分県)主催のスノーシュー・ツアーの外国人6名との出会い。何年ぶりだろうかというカタコトの英語で話しかけて、雪の上にどっかと腰を下ろして鳥甲山を眺めるイギリス人男性の写真を撮らせてもらった。私は英文を読んで翻訳することはできるが、英会話はからしきダメ。「ここに住んでいるのか?」と尋ねられ、「秋山ではなく、村の別のところ」ということを説明するのに苦労した。事前に「のよさの里」の人から、「車での旅ではなく、森から森宮交通の車で来た」と聞いていたので、「森宮野原駅をしっているだろう。あの近くに住んでいる」と説明。通じたようだった。このイギリス人の写真は「復興への歩み」に掲載する。
 今日、いちばん驚いたのは屋敷集落の状況。山に近い地区は地区内道路が雪で塞がれて、軽トラでも入れない状況だった。近くの家では雪害救助員が懸命に屋根の雪下ろしと、落とした雪の排雪をやっていたが、知り合いの救助員もヘトヘトの様子だった。
 午後4時すぎに下におりた。
 疲れたが、いい体験だった。配達は46軒。

 

19日(木) 昨日、「19日は栄小のアルペン教室」と聞いたので、午前9時前にスキー場へ。10時半近くまでずっと撮影。「プリンターのトナー(インク)を届けた」という連絡をヤマトから受けて、いったん印刷に戻り、11時20分頃、再びスキー場へ。レストランで特製の鶏唐揚げ付きカレーを食べる様子を撮って、11時45分にスキー場を後に。

スキースクール校長の保坂順一さんとご挨拶


 印刷の折りや昼食を終えて、午後3時頃、白鳥に配達に向かう途中、平滝の国道脇のごみステーションの所でイノシシが騒いでいるのを目撃。一昨日、白鳥で除雪中の女性にイノシシが突進してきたという話を知人から聞いていて、「遭遇したら車で跳ねてください」と言われていた。
 私は国道を走っていて、イノシシは集落内道路に少し入ったところにいたので、跳ねるというわけにはいかず、通過するしかなかった。路側に停車できる場所を見つけて、知人に連絡。私もターンして、目撃現場に向かう途中、「仕留めました」という電話連絡。現場に駆けつけ、イノシシが横たわる現場を撮影。近所からスノーダンプを借りて、現場及び、そこから運搬する車まで引っ張った後の雪上の血を消した。その後、解体現場も見学。
 その後に配達をしたが、白鳥の28軒の配達にとどまった。

 

20日(金) 朝、昨日のイノシシの解体作業の様子を見に行った後、月岡、箕作、横倉、平滝を廻り、No.300の配達をようやく完了した。本来は15日までに完了の予定だったが、14日からの大雪ですっかり予定が狂った。14日以降は「議員活動報告」第10号と一緒に配達している。
 夕刻、配達の最後のところで出会ったおかあさんに、「公社はどうなるの? 3月に法事の予定があって、トマトの国を使いたいと思っているんだけど、営業は続くの?」と尋ねられた。「潰すことはしない」と縷々(るる)説明。現在の公社のあり様ではカネをいくら投じても赤字が続く。24日も公社への資金投入をめぐって臨時議会だが、公社の再建策の提案もしっかりみなさんに伝えていかなければならないと痛感した。本来は公社理事会、そして資金投入を提案している村長がもっとしっかりした案を提出する責務を負っているのだが、何を考えているのか、さっぱり伝わって来ない。「いいとこ取り」で利用されるのもわかったうえで、より具体的に再建案を提案していくしかないだろう。
 久々に110軒の配達で、かなり疲れた。

 

平滝からの景色(20日午後撮影)

 

21日(土) 午前中は、24日の議会審議の準備として、振興公社の財務データの整理と検討。
 午後は、青倉米の発送準備で精米作業。知人に手伝いをお願いしたが、
 自身でも30埖泙魴觜襲燭鵑澄昨夏頃は1袋を扱っただけでも腰にこたえることがあったが、今日は大丈夫。昨秋9月半ばころだろうか、基本的に就寝前だが、自分なりのストレッチを中心とする体操をやっていて、いろんな場面でその効果を実感することができる。
 間もなく67歳の誕生日を迎える身で、いまさら体力が向上するとは思わないが、昼間のさまざまな活動で張った筋肉を緩めたり、体の歪みを矯正する効果はあるのではないだろうか。この就寝前の体操をするようになってから、長時間の運転・配達をしても、背中が張って痛むことがほとんどなくなった。年末に風邪できつかった時に、体操をさぼると、運転時に以前と同じような痛みを感じた。体操の効果を逆証明しているように思う。
 夜、これからもうひと仕事しようかと思っていた時に、突然の停電。停電がかなり続き、「もう寝るしかないか」と思って、布団に入ろうとした時に復旧(停電は8時20分〜50分)。もともと考えていた仕事はもう再開する気力が取り戻せなかったが、他の仕事を少しやり始めたら、どんどん時間が経過し、就寝は1時近くになってしまった。

 

22日(日) 震災以降のつながりだが、毎冬、除雪の手伝いに来て下さる神奈川県の内山さんが今冬も来村下さった。「どこをお手伝いいただこうか?」と色々考えたが、17日に衝撃を受け、その後、20日にも状況の改善が見られなかった泉平に行くことにした。
 最も深刻な状況だった2軒には21日に救助員が入ったようで、雪害救助員制度の対象外でロータリーのない高齢者宅を訪ねて、内山さんと一緒に家周りの排雪のお手伝いをさせていただいた。お昼をご馳走になったが、その折、奥さんから「部屋が明るくなった」と言っていただき、「よかったな」と思った。今日は昼すぎまで快晴で、村のみなさん、排雪作業に励まれたことと思う。
その後、内山さんが何度も訪れたことがある青倉のあるお宅でお茶のみ。
 午後、上郷のファミリーマートに行った際、ファミマの駐車場で移動用発電機車を稼働させている東北電力の人に声をかけ、後ほど、営業所から説明の電話をいただけるようにした。
 今日は配達なし。

 

23日(月) 昨夕から降り始めた雪、朝起きた時はそんなに積もっていなかったが、朝の道路除雪後にがんがん降ってきた。
 昼頃、スキー場へ。ラッキーマンデーということもあるが、県外車が多い。レストランで昼食を終えた頃、外国人女性が2人入ってきた。日本人ガイドがついておられたので、声をかけると、スウェーデンからのお客さま。「いい雪で素晴らしい」というご感想。ガイドは斑尾(まだらお)の人で、さかえ倶楽部スキー場を積極的にアピールして下さっている。
 午後は、「議員活動報告」の配達で東部方面へ。その帰路、原向の中村正文さん宅の積雪計を写真に撮りたいと思って、貝廻坂に下るのではなく、原向から長瀬に下るコースを選んだ。中村さん宅での撮影はうまくいったが(下写真)、原向のあの広い田んぼゾーンの中を走る県道が大変だった。ホワイトアウトには至らないが、前が見えにくい。慎重に運転し、なんとか長瀬まで下りた。

 


 夜は明日の議会で質すべき事項を整理して、その後、就寝したが、診療所に行くのを忘れ、睡眠安定剤が切れたので、ほとんど眠れず。

 

24日(火) 公社問題での臨時議会。今日も傍聴者が多かった。
 臨時議会のことは「議員活動報告」に書くので、ここでは書かないが、やはり傍聴者がいっぱいいるということの意義・効果は大きい。
 朝方はさほどの降雪ではなかったが、昼前に議会を終えて外に出ると、激しい降り。その後、基本的にずっと降り続く。ニュースは「大雪の峠を越した」と言っているが、そんな時ほど、栄村は降る。
 昨夜眠れていないにしては元気に過ごせたが、夕刻からはややきつかった。夜、写真アルバム「栄村の雪の状況1月23〜24日」をブログにアップ。

 

25日(水) 昨夜は早く寝たので、早朝に起床し、昨日の臨時議会に関する「議員活動報告」第11号を2頁版で編集。
 早速、昨日の議会に傍聴に来て下さった方々のお宅を中心に40軒廻った。
 11時半頃、極野を廻っている頃、青空が見えた。しかし、水内(みのち)方向はまだ空が暗い。
 その水内でも午後2時頃には晴れ。これで今回の大雪も終わりかと思ったら、また降り出し、夕刻まで続いた。わずか1時間ほどでかなり積もった。よくわからない天気だ。
 夜、ブログに「今日もげに降った」をアップしたが、そこに掲載した写真を1枚。

 


 天代集落で撮ったもの。こういう道を都会の人に運転しろと言っても無理だろう。しかし、ガイドが運転する車で廻るなら、これは「雪国観光」の最高のコースになるだろう。観光商品というのはそういう発想法で作っていくものではないかと思うのだが…。

 

26日(木) 髪の毛がうるさくなってきたので散髪へ。すっきりした。理髪店で話題になったこともあって、津南町加用から中子に上り、赤沢へ抜けた。いつもは主要道を走るだけだが、今日は赤沢の地区内道路に入った。積雪量が栄村よりも多いように感じた。あくまでも「見た目」でのことであり、初体験の場所なので、多いと感じただけのことかもしれないが。
 その後、津南町の上野集落も見に行った。帰りがカーブの下り坂なので、これまで冬は行ったことがなかったが、今日は晴天で道路状況もよさそうなので初めて行った。写真はあまりいいものが撮れなかったが、直に見た景色は絶景。
 午後1時半からは、「こんにちは、県議会です」という集まりに議員として出席。私にはきわめてセレモニー的なものに思えたが、県議会議長は豪雪の地が初体験だったようで、その意味では「冬の真っ只中に栄村で開催」は意義があったのかもしれない。

 

27日(金) 午前中、米発送作業。というのも、25日の発送で私のミスから2件の間違いがあったので、その修正の追加発送。議会対応でバタバタしていて、発送のための事務面での準備が不十分だった。今後ますます忙しくなると思われるので、この点、十分に心していかなければならない。
 午後は、傍聴に来てくださった人たちへの報告会の準備等で動き、配達は15軒にとどまった。

 

28日(土) 今日は午前11時頃に冬の特別列車「雪のおいこっと」が到着するので、それを出迎えられるよう、配達を朝早くに始め、森、青倉で87軒。その後、森宮野原駅で「復興への歩み」新年号に付けた写真集「栄村の四季を楽しむ」に「おいこっと」乗車のみなさんへのメッセージを入れてものをお配りした。到着と同時にたくさんの人がワッと降車されてきて、あっという間に60部を受け取っていただいた。
 ホームには観光協会の若手職員2名も一緒に。うち1名は休日だったのにボラ出動してくれたもの。正規ルートでは観光協会に「おいこっと」のことは伝わっていなかったようだ。他方、JR側は運行スタッフの他に状況をチェックする社員が乗車していて、私もSL運行に対する栄村住民の反応について尋ねられた。今年は7月から「デスティネーション信州」キャンペーンだが、どうやら今のところ、栄村は「カヤの外」の感じ。震災前に同キャンペーンがあった時と同様、県等から連絡がないのではなく、会議等に呼ばれても、そこで提起されたことに反応する力、いや、それ以前に、感性が不足(ないし欠落)しているのだと思われる。
 午後は、ある勉強会で飯山へ。帰りに、上りの「おいこっと」の姿を信濃平駅付近で撮影した。午前、「おいこっと」歓迎の「手を振る運動」が行われた場所である。夜はスキー客へのインタビュー。

 

29日(日) 今日は晴天。私が以前に勤務していた京都精華大学の卒業生が何人も(結婚した人は子ども連れで)昨日から栄村に来ていて、今日の昼は「スキー場で昼食を一緒に」という連絡があった。
 彼ら・彼女らが最初に栄村にやって来たのは10〜7年前。栄中の旧寄宿舎が「ゼミナール館」となっていて、私が管理人をさせていただき、学生たちを受け入れ、合宿していた。当時、「宿泊施設として認めると、本来の宿泊施設の客を減らす」と随分とクレームをつけられたものだった。私は、「学生にはカネがない。いま、こういう施設で村に滞在してもらい、栄村を好きになってもらえれば、いずれ彼らが就職し、稼ぎ、家族をつくった時、村を再訪し、カネを落としてくれるようになる」と言ったものだが、そのとおりになったわけである。
 栄村の観光等の発展のためにはこういう“先行投資”の考え方も大事だと思うのだが…。
 配達は計135軒。ずいぶん頑張ったものだ。体はやはり疲れたが。

 

30日(月) 気温が高く、朝から雨。雪だと配達に困らないが、雨は紙が濡れないようにするのが厄介。午前中は用談。
 午後、若干の配達に廻ったが、原向で午後3時半に雨が雪に変わった。しかし、「下(しも)」で雪に変わったのは午後5時半頃。昨日の気温上昇、今日の雨で、23日には180cmを示していた原向の中村さん宅の積雪計が今日は130cmになっていた。
 東北電力の送電塔に倒木が発生し、21日夜の停電につながった問題。件の送電塔の場所がどのあたりか、大久保で出会った東北電力の職員から聞いた話でおおよその見当がつき、津南町の反里(そり)、今井のあたりを探し回って、ようやく大井平集落の山で「発見」した。雪の山中での凄い復旧工事。東北電力、中部電力のHPを調べても、何も出ていない。「秘密主義」云々ではなく、ライフラインを守るための作業員のみなさんの大変な働き。われわれはこういうことをもっと知って然るべきだと思うのだが。

 

31日(火) 「復興への歩み」を1月中にもう1号出しておきたかったので、午前中に一気に編集。
 2時すぎから東部地区で配達に廻り、何人かの人と立ち話。いろいろと村議選(4月23日投開票)が話題になってきている。「実(じつ)のある議会」にしたいと思うのだが、「村会議員は名誉職」と思って立候補を追求する人がまだまだいるようだ。全国各地で「議員のなり手がいない」ことが大きな問題になっているが、議員給料が安くて若い人は議員では暮らしていけないという問題があ
ると同時に、町村議会(議員)とは何ぞや」をめぐる古い意識が根強く存在することも大きな原因の1つではないかと思う。

 

送電塔復旧工事現場(31日午後撮影)

倒木で損傷した送電塔の上部を取り替えている。

クレーンで吊られた鉄骨に作業員が乗っている!


配達日誌1月1日〜15日

 1日(日) 午前9時半からの森集落新年会に参加。乾杯の音頭をとる役をご指名いただいた。緊張したが、長くもなく短すぎることもない挨拶ができたのではないかと思う。
 元旦朝に集落の全世帯から人が集まり、新年会をするというのは、都市社会では想像もつかないことだろうと思う。
年末の風邪があり、今年は正月の「復興への歩み」配達はやめ、のんびり正月に。年末に買い物に行けなかったので、美味いものはない正月だが…。
 大晦日の夜はTVをつけてはいたものの0時近くまでずっとPCで編集作業等。その後、「今年もさだまさし」を2時半まで観たので、新年会から帰ってからはこたつでうつらうつら。

 

2日(月) 朝はゆっくりの起床。午前中、「復興への歩み」第300号の原稿書き。天気がよいので、11時半すぎに外へ。2〜3枚だけ写真を撮るつもりだったが、あまりに天気がよいので、いろんなポイントを廻り、気がついたら1時半。

 

宮野原秋山郷線の切欠集落の横を通り抜ける地点

正面に見える山にお城があったという。その真下が四季

折々の切欠集落(「復興への歩み」300号写真アルバム掲載)を

撮影した地点。

 

 ガソリンと灯油がなくなってきたが、いつも行くスタンドが大晦日からやっていないので、津南町の大阪屋まで。「ここまで来たら」ということで、今日から店を開けている「ママのおやつ」さんにお邪魔し、先日は食べ損ねたチョコレート味の「お一人 県道森
さま用デコレーション」をいただいた。 その時、私よりもややお若いかなと思われるご夫婦がご来店。ママが置いて下さっている私のブログ・プリント版を手にしてご夫婦が会話。ママがご紹介下さり、いろいろとお話した。上野(うわの)集落に家を買い、東京と往復する2地点居住をされている方。私の写真を見て、秋山郷の不動滝などに関心を示してくださり、「上野の家に寄ってください」というお誘いまでいただいた。
 ママのお話によれば、店の喫茶に入られたお客さんが私のブログ・プリント版を手にして、今日のご夫婦のような会話が弾むそうだ。有り難いこと。
 しかし、考えてみれば、栄村にはいま、こういう喫茶スペースがない。やはりそういうスペースがないと、村内外をつなぐ人の輪ができないと思う。どこかに作りたいなあ。
 夜は、昼の写真を整理し、「2017年新春2日、晴れ上がった栄村」を写真20枚で編集し、ブログにアップ。

 

3日(火) 午前中、No.300の編集を続けるも、あまりはかどらず。
 昼すぎ、PCデータを保存するハードディスクを購入するため、飯山へ。国道117の路面に雪はまったく無く、雪がない季節と変わらぬスピードで走れた。この時期に信じられないこと。村も雪が少ないが、飯山まで行くと、田んぼにほとんど雪がない。このままいくと、昨年に続く少雪になってしまいそう。
 帰宅後は、年末からボツボツとやっているが、部屋中に広がる紙の山の整理。「印刷物の取り置き」、「各種資料」、「捨てる」の3種類に分けていく。残りは3つの山になった。今週中くらいにはかなりスッキリするだろう。
 夕方近くになって、今日初めて窓からスキー場が見えた。午前中の雪、里では途中からみぞれ・雨に変わって、かえって積雪を減らしたように思うが、スキー場の上の方では少し積雪が回復した感じがした。

 

3日午後4時半頃の撮影

 

4日(水) 予報はみぞれや湿雪であったが、ほぼ一日雨。
 三が日を終え、今日から新年号の配達を始めたかったが、昨日の後半失速し、原稿書きが今日にずれ込んだ。午前中に300号の本体を完成。ただ、プリンターの調子が悪く、朝から保守作業を要請。昼前に来てくれたが、プリンター内部の部品の交換が必要で、発注をかけたが、届くのは金曜日とのこと。ある程度の整備をしてくれたので、ひとまずは騙(だま)し、騙しの印刷をするしかない。
 No.300と300号記念の写真アルバムをブログにアップ。

 

5日(木) 朝一番で印刷を開始しようとしたところ、エラーマークが出て作動せず。8時半すぎの始業時に業者に電話をし、エラー番号を伝えたら、「リセットが必要、すぐに行きます」との返事。ただし、先方の営業所は六日町。それでも、飛んできてくれて、すぐにリセットし、使用可に。とりあえずの部数を印刷し、昼前に配達出動。
 ガソリン給油後、青倉の米倉庫に向かおうとしたところ、雪が結構激しく降る中、栄大橋上に3人の人の姿。3人の様子を1枚撮った後、声をかけると、「今朝、東京から電車で来ました」とのこと。

 

栄大橋上を午後1時に撮影

 

 「それにしても、この時間帯(13時頃)、何を撮るのだろう?」と思ったのだが、その後、青倉の米倉庫でちょっと作業をして、倉庫隣の家に配達に向かう時、前方の積雪の下側から雪が吹きあがってくるのを目撃。これでようやく納得。飯山線に除雪車が走り、先ほどの3人はその写真を撮ろうとしていたのだ。私はこの後、横倉に行く予定だったので、急ぐと、横倉駅に入ってくるところに間に合った。
 今日は朝方からの降雪で、とくに昼前からはほぼずっと降り続いたので、午後は至るところで除雪車がフル稼働。路上で除雪が終わるのを待つことも多かった。
 東部を中心に廻り、66軒79部。写真アルバムの中の写真の壁掛け用頒布への申込もあった。

 

6日(金) 今朝はかなり冷え込み。路面の凍結が心配なので、やや遅めの9時頃に配達へ。その後、11時20分にプリンター業者から「部品を持って伺う」との連絡があり、いったん戻る。
 午後1時頃から、昼食を車中携帯食にして、再度配達へ。その後、電話が入り、スキー場で知人と用談。夕刻間際に3たび配達へ。72軒81部。
 今日午前10時から、12日に臨時議会にむけて議会運営委員会。私は議運ではないが、連絡をもらったところによると、村長は「振興公社に5千万円投入」の補正予算案を出してきたとのこと。12月議会全協(非公開)時の議会側の意見に耳を傾けない無茶苦茶な案だと思う。12日にむけていっきに緊迫感が増してきた。
 ところで、下写真は平滝の国道より上で配達中に撮った1枚。毛無山から大久保にむけて尾根が緩傾斜で下ってくる様子がよくわかる。冬だからこそ見えるもの。一昨年末に「栄村の大地を巡る」というアルバムを作成したことがあるが、こういう大地の様子の観察は楽しい。

 

 

7日(土) 数日前から天気予報を睨み、一日中晴れそうな今日7日に秋山の配達に出かけることを決めていた。ただし、前回12月29日の経験から、あまり早い時間帯に出かけると、秋山に入ってからずっとアイスバーンと付き合うことになるので、朝方は「下(しも)」で配達をして、午前10時半に津南から405に入った。
 今日は小赤沢〜切明の全地域を廻ったので、小赤沢で配達が完了したのが午後4時41分。配達の終盤からライトを点灯していたが、405を下り始めた時はもう薄暮(はくぼ)。津南町に下りた時はもうすでに真っ暗だった。
 冬の秋山は夜道を避けようと心がけている。本当に秋山を知るには、雪が激しく降るような日の秋山、あるいは冬の夜の秋山も知らなければいけないのだろうが、「復興への歩み」の配達を主な仕事とする私は“安全第一”で、やはり冬の秋山・405の夜道は避けたい。今日の場合は、この間の天候がよくて、積雪量が少なく、大きな雪崩の心配などがないことに助けられたと思う。
 秋山で配達に廻っていて、「いつも楽しみにしています」と声をかけて下さる人が多い。本当に励まされる。ポストに入れた音に気づいて、わざわざ外に出てきて下さったケースもあった。
 今日はいい写真もたくさん撮れた。(16日に「1月7日の朝から夕まで」をアップ。
 http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2425)

 

8日(日) 今朝は冷え込みがきつかった。午前9時半、国道117の役場横気温表示で−1℃。
 今日の配達は68軒で、あまり軒数伸びず。
 下の写真は原向集落のある所で撮影したもの。雪の上に、赤土がぼろぼろと沢山落ちている。脆(もろ)い土質だとは思うが、春〜秋の季節にはこのように土が落ちる状況は見たことがないように思う。やはり雪の圧力の凄さというものを感じる。

 

 

9日(月) 今朝は冷え込みなし。平滝、白鳥などで47軒の配達の後、10時20分頃に村を出て、所用で飯山へ。
午後2時頃に村に戻り、主に東部地区の配達。
 2時頃にポツポツと小雨が降り始め、2時半頃から本降り。しかし、柳在家・切欠を過ぎると降っていない。その後、原向で配達中に少し降ってきたが…。ほんのちょっと場所が変わるだけで、随分と天候が変わる。

 

10日(火) 夜に数cmの積雪があったようだ。
 今日は久々にトコトン配達。126軒廻った。配達を終えた夕刻は充実感があったが、夕食を終えるとぐったりしてきた。が、なんとか踏ん張って、午後3時20分頃に笹原集落の県道でイノシシに出遭ったことをブログ記事化(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2416)。それをブログにアップして、FB、ツイッターで告知する作業を終えると、崩れるように就寝した。
 昨夜〜今朝の積雪はほとんどの地区の道路では早い時間に消えたが、午後4時頃、極野に行くと、道路はほぼ全面的に積雪が残ったまま。やはり少し標高が高く(500m超)、気温が低いこと、そして何よりも山に囲まれ、日照が少ないことのゆえかと思われる。
 なお、就寝前の午後10時45分頃、外の国道の様子を見ると、ほぼ真っ白になっていた。

 

11日(水) 朝方にそこそこの降雪・積雪。だが、天気予報で頻(しき)りに言われている「大寒波襲来」という感じはない。午前中、東部地区で73軒の配達。午前の予定分を終えて、下におりてきたところで知人に電話。スキー場で昼食を食べながら、話をすることに。正午すぎから2時半すぎまで話し込んだ。
 知人は若者で、「栄村でどんな仕事ができるか」(もちろん、暮らしが成り立つ稼ぎができる仕事)ということを主たるテーマとする話で、とても楽しい会話だった。私流に言えば、「むららしい暮らし」で今の時代に子育ても出来るような稼ぎができる仕事を創造していくということ。私がもう10〜20歳ほど若かったら、自身でチャレンジしたいのだが。
 10年前に私が栄村で暮らし始めた頃は、そういう話をすると、「馬鹿げた話」あるいは「空想的な話」という感じで受け止められていたように記憶しているが、最近では、移住者のみならず、生粋のむら生まれ・むら育ちの人からもそういうことを実現したいという意見を数多く聞くようになった。牛歩のごときゆっくりした歩みではあるが、村は確実にいい方向に変化してきているように思う。村政の面では逆方向のような感じもあるが、私はこの「いい方向」はある種、不可逆的に進むと確信している。その成熟した姿を自身の目では見ることはできないかもしれないが、それは構わない。自身はこの世にいないかもしれない20年後、30年後を考えて、歩んでいきたい。
 午後3時すぎ、スキー場ではいい感じの降雪。国道に下りてきた時は降雪なしだったが、間もなく雪が降り出した。いよいよ「大寒波襲来」の本番が来るのか。

 

11日午後2時46分、リフトに乗り込む人。滑降してくる姿を撮ろうと、3時

11分まで待ったが、降りて来ず。上の方でスノボを楽しんでいるのだろう。

 

12日(木) 今日は臨時議会。開会は10時だが、その前に傍聴席が満杯になったのには驚いた。おそらく、「平成の大合併拒否、自律の村」を決めた議会以来の出来事なのではないだろうか。(当時を知る人の話では、当時は現在の役場庁舎建設中で、議会は当時の村民会館3階で開催されていて、傍聴席のスペースが現在よりもはるかに広かったそうだ。)
 「振興公社に5千万円投入」という補正予算案は5:6で否決。村長提案を否決という事態は、私が栄村で暮らすようになって以降では初めてのことだと思う。
 私は昨春の補選で議員になった時から言っているように無所属、そして、森川村政に対しては「是々非々」の姿勢。振興公社問題が本格的にクローズアップされてきた11月以降、森川氏はおそらく私を「森川村政反対派」だと捉えているのではないかと思われるが、私のスタンスは変わっていない。間違っていることには「ノー」を明確にし、間違った政策が現実化しないように全力を尽くす。しかし、森川氏が村民の声に本当に耳を傾ける姿勢を示すならば、私はいくらでも協力する。
 そういう基本姿勢なのだが、議会が村長に対して「ノー」と言うべき時にはっきり「ノー」を突きつける力を持つことは、村が元気で明るい村になるために絶対に必要なこと。今日はその第一歩だが、これで十分に力をつけたとは到底言えない。早い話が、今日のような審議のプロセスで、補正予算案の修正動議を提出するような力が必要だと私は考えている。そこまで力をつけるには、まだまだ相当の時間がかかると思う。(「力をつける」と言うよりも、「議会・議員の仕事とは何か」についての考え方の変革と言う方が正しいかもしれない。)
 そこそこの降雪・積雪があったが、「寒波」というにはまだまだ程遠い。

 

13日(金) 昨日は本当に疲れた。朝はゆっくりめ。昨日、傍聴に来て下さった人たちも、「24日に再び臨時議会」ということはご存じないので、早速、「議員活動報告」を書き始めた。
 ただし、用談があって出かけたり、降雪が本格化し始めたので、村内の様子を撮影に出かけたりで、「議員活動報告」の作成は終了せず。

 

16時49分、貝廻坂を下る途中


 夜は、1時間以上の長電話を2件もしてしまったので、仕事はできず、11時すぎに就寝。最近、夜は印刷したものの折り作業をするのが精一杯で、それ以上のことができない。1年前の体力はないと感じる。この間、3本のアルバム集を編集したが、それをブログにアップすることができていない。毎日のようにブログをアップする体力が夜に残っていないのだ。「明日の朝にアップしよう」とも思うのだが、朝は朝で「早く配達に出ないと、後で苦しくなる」という思いが出て、アップできない。しばらくはこういう調子で無理をせずに様子を見て、徐々に今後のリズムを形成していきたいと思う。


14日(土) 積雪量は栄村としては騒ぐようなものではないが、今日の降り方は異常。
 それでも午前中は動けて、出来立ての「議員活動報告」を傍聴に来て下さった方のお宅などに配達。
 しかし、午後0時50分頃、野田沢から大久保に向かおうというところで、前がまったく見えなくなり、「遭難」という言葉が頭の中によぎった。それで引き返し。
 食料を買い込み、「籠城」。大袈裟に聞こえるだろうが、私が住んでいるところの車庫がカーブの坂に面しているので、積雪量が一定以上になると出入りできなくなるから。

 

15日(日) 昨夜0時過ぎか、雪が止んだことを確認して就寝した。
 今日は午前中が中条の道祖神、午後は森集落の道祖神で、開催できるか危(あや)うんだが、6時40分に起床すると、雪は降っていなくて、窓からスキー場がしっかり見えた。
 午前8時から中条の道祖神の準備作業。計6名で。続いて、10時半から道祖神祭り。青空も見えて、最高の道祖神となった。今年は身内に不幸があって出られないという家もなく、6軒が勢揃い。「ほいさま」から青倉に嫁いだきみ子さんも来てくれて、賑やか。中条の道祖神は本当に素晴らしい。あまり大勢来られても困るが、5〜10名くらいの人数限定で「小さな集落の道祖神祭り体験」というようなものを企画してみるのもいいかなと思う。みなさんの意見を聞いてみようかな。

 

中条の道祖神の炎


 午後の森の道祖神は途中から北風、降雪で厳しかったが、子どもが増えて、元気がいっぱいの道祖神だった。
 森の道祖神の撮影を終えると、すぐに「トマトの国」へ。
 昨日、運転で極度に緊張したことや、車庫前の重い雪の片づけを3回したが、温泉に入れなかったので、体全体がカチカチ。やっと温泉に入れ
て、ホッコリとした。帰宅後、中条の道祖神の写真などを整理・編集。ブログ記事を2件アップ。


配達日誌12月14日〜30日

14日(水) 朝から午後2時頃までずっと原稿書き。「議員活動報告」第9号。前日までに「前書き」的部分を書いてあったが、振興公社問題、切明温泉「源泉地買収」問題などの本題をいっきに書き上げた。
 今回の原稿には一つの苦心があった。全員協議会の非公開部分の扱いである。「非公開」とは言っても、法的に「守秘義務」が発生する「秘密会」ではない。だから、非公開会議の内容をそのまま書いても何の問題もないのだが、じつは「復興への歩み」11月9日付号外をめぐって、11月下旬にひと悶着あった。
 「松尾議員がネットにあげたものをめぐって『打ち合わせ』をしたい」という奇妙な「要請」を受けて、11月28日、私は議会事務局に赴いた。「号外」をめぐっては、この「要請」とほぼ時を同じくして、私の知人に村長から電話がきたとのことであった。そういうわけで、どういう事態が待っているのか、ある程度の予測をしていたが、事務局に行くと、議長だけでなく、副議長、議会運営委員会委員長もいて、事態は「予測」通りに進んだ。「松尾議員が言う通り、『秘密会』ではないが、あのように書くのは議員として問題がある」という趣旨のことが言われた。また、「同じようなことを繰り返すと、…」という話の中で、「懲罰」という言葉も飛び出てきた。また、「松尾議員はジャーナリストとしての立場が先に出て、議員としての意識が弱い」という趣旨の話も出た。
 私には到底受け入れられないもので、話は平行線のまま終わった形だった。そして、私が「振興公社の問題は重要なので、いろいろ調査・分析している。それも書くなということか」と問うと、「公社に断ってから」という返答。さらに、私が「それは新聞記者などが言うところの『裏どり』をしろという意味か」と問うと、「『裏どり』ではない。それはジャーナリストの発想法。そうではなく、記事について公社の了解を得てくださいということ」という返答。もう呆れかえって、何も言う気がしなかった。
 さらに、「会談」は終わったのかと思いきや、「松尾議員の一般質問通告の第3項目の3つ目は『11月8日の懇談会での森川村長の発言』云々と書いているので、その質問は取り消してください」という「注文」が飛び出してきた。私は、「振興公社の問題を質問から外すわけにはいかない」と主張し、その場で立ったまま、該当項目を「振興公社の現状について村長はどう捉えているか」という抽象的な表現に書き換え、12月定例会一般質問で振興公社問題を取り上げることができるようにした。
 今回の「議員活動報告」を書く上で、この一般質問が決定的な意味をもった。非公開の全協で出た公社赤字埋めのための村資金の投入額は「活動報告」に書かなかったが、森川村長は私の一般質問への答弁の中で、「3月まで営業を続けることができない」、すなわち経営破綻という核心問題を喋ったのである。
 「政治の寝技」のようなことは私にはできないが、正攻法で事の核心を衝いていくことはできる。村民のみなさんに報告しなければならないこと、伝えるべきことは、なんとか書けたのではないかと思う。
 ほとんど休憩もとらずに、6時間くらいぶっ通しでの執筆だったので、肉体的には疲れたが、心地よい疲れであった。
 夜は、訪ねた先で手作りのコロッケをご馳走になり、最高!

 

野田沢集落から望む関田山脈の山並みの美しさ(この頁に写真が1枚もないのも寂しいので13日の写真を1枚)

 

15日(木) 今日は雪が激しく降っていたのが、つぎには青空が出て太陽が燦々と降り注ぐ、かと思いきや、また雪が降る、という変な天気。そんな中、西部・中央、東部などで約60軒の配達。
 配達をしながら色んな写真を撮ったが、是非、紹介したいものが1枚。

 


 大久保集落で撮ったもの。
 玄関先のかなり広い場所の雪がきれいに片づけられている。一目見ただけでわかるが、ロータリーなどを使ったものではなく、スノーダンプ一丁でなされた仕事。見事という他ない。
 私の栄村暮らしも10度目の冬を迎えたが、最近はこういう光景を見ることが減ってきた。私にはこのような見事な仕事をする技も体力もないが、村の人でも若い人にはもうできないことなのではないだろうか。
 手前味噌になるが、この写真は “栄村の冬”を切りとった傑作ではないだろうか。

 

16日(金) 夜間は、早朝除雪を必要とするような降雪・積雪はなかったが、朝になってガンガン降り出した。
 しかし、今日は絶対に配達をしなければならない。
 午前、留守家だが、息子さん・娘さんが一定間隔で来られ、「復興への歩み」を熱心に読んで下さっているお家を訪ねた。11日の積雪以降は来られていないようで、玄関のポストへ、膝までスッポリ雪に入るところを進んだ。こういうのはまったく苦にならない。
 午後、いったん晴れたが、3時すぎから再び雪。2時すぎに家に戻り、4時に再び配達に出たところ、激しい降雪の中での午前の配達では感じなかった大気の冷たさ。配達は手袋ができないので、手が痛かった。温泉である人にそのことを話すと、「いっきに気温が下がったもの」という返答。昼間でも0℃だったから、4時以降は零下になったということだろうか。
 11日の大雪あたりからだろうか、足先がものすごく冷たくなる。昨年まではなかったこと。末梢の細い血管のめぐりが加齢で悪くなったのだろうか。昨冬、何十年ぶりかで足指の霜焼けになったが、その時、ある人から「お風呂の中で足の指先をマッサージするといい」と教えられた。今日、温泉で実践すると、たしかに足の指先が生き返った気がしてきた。
 今日の1枚は下のものにする。午前9時49分、白鳥集落での撮影。集落内道路にはまだ除雪車が入っていない状況の中で、狭い道に入っていく。

 

 

17日(土) 朝、森や東部で配達をした後、オープンセレモニーが行われるスキー場へ。
 今冬のオープンが17日と知った時は、誰しもが「雪のないオープンになるな」と思ったが、11日の大雪などが幸いして、「全面滑走可能」ではないが、ほとんどのコースで滑走できる状態でオープンを迎えることができた。
 私はいい絵を撮りたいと思っていたが、議員への案内状が来ていて、「公務」の一種の感じで、式典中は基本的に「隊列」の中に並ばざるをえなかった。式典中もかなり激しい降り。
 セレモニーは型通りに進んだ。挨拶は、村長、県議宮本氏、村議会議長、当間高原リゾートの代表者、信州プロレスのグレート無茶さん。あとの二人はこの日ならではの顔ぶれだが…。この後は、鏡割り、甘酒での乾杯。甘酒とイノシシ汁の振る舞い。振る舞いと並行して、デモンストレーション滑降が行われたが、さほどスポットライトが当てられたという感じではなかった。
 一言でいって、演出が下手だと思う。もう少し工夫できないか。「オープンセレモニー」という公式行事なので、型の踏襲が優先されるのだろうが、村の各種行事ではいつも「金太郎飴」のような顔ぶれでの挨拶が続く。たとえば、華やかなスキーウェアに身を包んだ子どもたちを主役にするとか、デモ滑降で滑り降りてきたスキーヤーがオープンセレモニーゲートにかけられたくす玉を割るとか、“絵になる”ことをいくらでも工夫することができる。“営業”はこのあたりから始まるのではないだろうか。
 セレモニーの後、場所を移して、知人と少し懇談。
 午後から天候は雨やみぞれに変わった。
 午後の配達はわずかだったが、森集落のいわゆる「谷」というところに行った。その時に撮った1枚が下のもの。この先を進むと、11月19日、SLをバッチリ撮影した地点がある。だが、ご覧のとおり、もうかなりの積雪。除雪されないところなので、SL撮影地点にはもう春まで行けない。あの写真は好評で、壁に掛けるための写真用プリントをして、お届けすることもしている。

 

 

18日(日) 朝早くから平滝、白鳥などで配達するとともに、快晴なので、各所できれいな雪景色を撮影。さらに、スキー場を訪れ、スキー客の様子を撮影。子どもたちの姿が目立ち、そこに焦点を当てての撮影が多くなった。
 午後は急きょ設定した「12月議会報告と懇談の会」。本当に急きょの設定で、せいぜい30人くらいにしか声をかけられなかったが、18名も集まって下さって、有意義な集まりになった。私が「議員活動報告」に書いたことをめぐって色々と質問が出されると同時に、「議会では〇〇のようなことには疑問や意見は出ないのですか?」という声が相次いだ。率直に言うと、私自身もわずか7ヶ月余の議員生活の中で慣れてしまったりして、問いかけすることを忘れてしまっているような、しかし、大事な事柄である。議会をめぐって、もっともっとみなさんと議論する機会を増やし、議員活動のあり方を常に刷新していかなければ、と強く思った。
 夕刻、もう一度、スキー場へ。午前中にスキースクールで練習を始めた4歳の子がどこまで上達したかを知りたかったが、時間が遅くて、スクールの関係者ももう帰っておられて、その点は取材できず。
 スキー場での子どもたちの様子を撮影し、ブログ記事を編集していて思ったが、スキーでの集客そのものについての宣伝の工夫が必要なのだと思う。一昨年だったか、「非圧雪」のコースを開設した時はTVで取り上げられ、評判になった。子ども用のスキースクールは「さかえ倶楽部スキー場」だけに限られたものではないが、提供されるサービスの質の高さは他に比べて誇れるものだと思う。当間リゾートからお客さまがかなり来る理由の1つも、これだと聞いた覚えがあるが…。「商品売り出しの工夫」が大事なのだ。今冬はくりかえしスキー場を訪れ、宣伝の素材を集めたいと思う。

 

 

 上の写真は、スクールで練習する4歳の男の子と、少し大きな女の子。平らなところで、おそるおそるスキーを履いて歩き始めたが、数分で結構歩ける(滑る)ことができるようになった。男の子は「先生」にウェアを直してもらっている。こういう場面、いい絵だと思う。

 

19日(月) 今日は予定通り、秋山へ。森を9時すぎに出発し、途中で何枚かの写真を撮りながら小赤沢に入ったのが10時半すぎだっただろう。
 配達は小赤沢、屋敷、上の原、和山で計60軒。天池で「遊んだり」、何回か人と話し込んだので、秋山の全戸を廻りきることはできなかったが…。
 405を津南に下りたのはもう暗くなり始めるころだった。帰りの途中からか、かなりしんどくなってきた。天池での「遊び」でかなりの汗をかいた後、タオルで背中などを拭いたが、少し風邪気味か。鳥甲山連峰の南の方の様子を「まさにカミソリの刃」と紹介するブログ記事を編集・アップして、今日は終わり。

 

20日(火) 明後日22日は青倉米の年末発送日。この10月から再び、青倉米の産直の責任を負うことになったが、それと合わせて、クロネコとの契約の変更を行なった。
 これまでの契約は2007年か08年かに結んだもので、いまでは超格安。運賃が少し上がる形で契約を更新した。少しは先方の事情も考慮に入れないと、持続不可能になってしまう。というわけで、契約更新はそれでいいのだが、「送り状」の発行システムも変更になった。
 その発行システムを今日試してみたのだが、まったくうまくいかない。サービスセンターに問い合わせの電話をしながら、なんとか発行に至ったのは昼すぎの2時半ころだっただろうか。午前中から始め、なんだかんだで5〜6時間、試行錯誤を繰り返した。
 そんな次第で、今日は配達に廻れず。

 

21日(水) 今週に入って気温が高く、朝の路面凍結のおそれが基本的にないので、午前7時前に配達をスタート。8時半すぎまでに54軒。

 

日の出と朝焼け(7時47分、横倉から)


 その後、「復興への歩み」の次号、300号記念号の一部となる写真アルバム「栄村の四季を楽しむ」の編集。急いだのは、通常、青倉米の発送に添付する「お米のふるさと便り」の替わりとして使用するため。
 午後遅くになんとかひとまずの完成にこぎつけ、午後4時少し前に
 再び配達へ。月岡などで53軒廻り、今日は久々に三桁の107軒。これはよかったのだが、配達が終わると同時に、どっと疲れが出て来て、異常な疲労感。

 

22日(木) 朝起きると、体がだるいまま。こんなことは滅多にない。おそらく熱がある。といっても、私は平熱が35℃台なので、体温計で計っても6℃少々だろう。
 とにもかくにもお米の発送を終えなくてはならないので、午後4時すぎまで踏ん張った。
 ヤマトに荷を引き渡してすぐに診療所に走ったが、「都合で本日は4時で終了しました」という掲示。やむなく、津南駅近くの古藤医院へ走り、薬をもらった。医院までの往復の運転時は少しふらつき感があった。10時頃に就寝。


23日(金) 風邪で完全にダウン。
 ただ、朝方と夕刻に窓からスキー場の様子を撮影し、ブログに「雪よ、戻って来て!」をアップ。

 

24日(土) 依然、調子が悪い。私は風邪薬がすぐに胃に響く。月に1回、睡眠安定剤と同時に処方してもらっている胃薬も22日から切れているので、土曜日もやっている古藤医院に再び走り、とりあえず4日分だけ処方してもらった。
 今日はこの医院行きで出かけた以外は引き続き静養。

 

25日(日) かなり具合はよくなり、午前中、平滝、泉平で配達。その後、スキー場の様子を見に行った。
 昨夜、雪が降ったが、積雪はわずか。それでもスキー場を楽しんでくれている人たちに感謝!! 午後、ブログ記事「もっと降ってほしかったけれど…」をアップ。

 

ソリ滑りを何度も、何度も楽しむ子


 昨日、「〇〇さんが11月18日に救急搬送され、入院しているが、明日、見舞いに行く。『復興への歩み』などを持っていってあげたいのだけれど」という連絡をある人からもらい、今朝、その人のところに届けた。その際、12月に入ってからのブログ記事も元原稿を印刷して届けることにした。印刷しながら見ると、「ほー、ほぼこの1ヶ月の天候と集落の様子の変化がわかるな」と自分で感心してしまった。

 

26日(月) 朝からあまり体調は良くなかったが、年末を目前にして、のんびりもしていられないので、午前中、野田沢、程久保、原向で配達廻り。
 程久保で景色が一変して驚いた。野田沢までと雪の量が違う。土が見えているところが少ない。さらに大久保から先は県道に除雪の跡が見られた。24日夜〜25日朝の降雪をうけて、25日朝に道路除雪が行われたのだろう。
 昼は、天地の克己さんが餅つきをすると言っておられたので、様子を撮影に。昨日搗いたお餅を昼食にいただいた。3つくらいペロッと食べたが、「やはり杵で搗いたお餅は違うなあ」というのが感想。

 

杵を振り下ろした後にグッと押す時の腰の入り具

合が違うなあというのが感想

 

 午後は極野、中野などを廻って、今日は90軒。その後、診療所行き。診察の順が回ってくるまでに予想外に時間がかかり、薬をもらうのを待っていると、予定していた宅急便の発送が間に合わなくなるので、いったん発送へ。そしてまた診療所へ。そんな次第でもう外は暗い時間に。
 夜は、仕事をしないように、テレビや読書で過ごした。

 

27日(火) 体調はすっきりし、午前中、飯山市の法務局へ。ある調べ事。種々の謄本を入手するのに計3,600円要した。さらに、その謄本から分かったことをさらに解明するために北信地方事務所へ。
 驚くようなことが判明した。さらに追跡調査が必要だが、これぞまさしく「政務活動」。「政務活動しました」と偽って、不正をやっている議員さん、自治体議員が何をなすべきか。よく考えてもらいたい。
 大いに成果があった調査だが、昼食を飯山で摂って、家に帰り着いたのは午後3時を回っていた。そのために昼の薬を飲むのが遅くなったせいでもないだろうが、夕刻、急にしんどくなってきた。無理して夕食を食べている最中にダウン。急速に体温が上がり、計っていないが38℃を軽く超えた感じ(平熱が低い私にとって38℃は普通の人にとっての40℃くらいの感じ)。こんな発熱は10年来なかったこと。

 

28日(水) 朝、起きると、熱は下がっていたが、頭がガンガン痛い。頓服薬をのんで、再度寝入る。
 正午前に目覚め、頭痛もいちおう収まった。
 天気がいいので、昼食を兼ねてスキー場へ。窓から見たスキー場が27日夜からの降雪で真っ白だったので、様子を見てきた。ブログ記事「滑走可能コースが増えた!」をアップ。
 その後は静養に努めた。29日、30日の2日間で、なんとか年内発行物の配達を完了させたいため。

 

29日(木) 朝は厳寒。しかし、心配した体調不良はなし。秋山の配達に行くことにした。津南で405号線に入ったのが午前9時ちょうど。路面凍結を避けるにはもう少し遅い時間がいいが、帰りの時間を考えて、この時間にした。今日は最奥部の切明まで。小赤沢から切明まではほとんどアイスバーン状態。

 


 川原から湧き出る温泉からはもうもうと湯気が立っていた。関係者に聞くところでは、積雪が始まって以降もそれなりの装備を用意して「川原の温泉」を訪ねる人たちがいるそうだ。切明温泉を訪ねる人たちにとっては、やはり雄川閣が拠点施設。冬期間、宿泊営業はしないまでも、閉鎖ではなく、村の観光の案内・休憩施設としての営業が不可欠。「コスト削減」だけを至上命題化し、お客さまが何を求めているかを考えることがなければ、観光は衰退するしかない。
 ある場所で、1枚の写真を撮るために路側に車を停めていると、集落の人がわざわざ車を停めて、声をかけてきてくださった。「多くの人は松尾さんの考えと同じだと思うよ。村長がどうこう言ってきても頑張って。来年の村議選も出てくれなきゃだめだよ」と。感激するとともに、責任の大きさに身が引き締まる思いがした。
 午後2時頃に小赤沢で配達を終えて、帰路についたが、かなり疲労感はあり、帰宅後は「バタンキュー」かと思っていたが、意外と元気で、ブログ「厳寒、アイスバーン、でも、最高の景色」をアップできた。

 

これは「のよさの里」の室内からの撮影

 

30日(金) 昨夜の就寝は遅かったが、目覚めは早く、6時に起きてしまった。「もう少し眠っておいたほうがいいかな」とも思ったが、目覚めてしまったものはもはやどうしようもない。
 大雪警報が昨夜出たが、けっこう降った。スキー場等のことを考えると万々歳である。

 


 上写真は7時半頃に車庫の前の雪を片づけた時に撮ったもの。昨日までは雪がなかったところなので、これが一晩の積雪量ということになる。目安になるものとして雪長靴を置いてみた。
 配達を早く済まさなければならないので、このまま出かけてもよかったが、東部の奥の方に行く予定で、集落内道路の除雪が遅れている可能性もあるので、ひとまず編集作業を行い、10時半頃に出かけた。
 北野、当部、長瀬、切欠、柳在家を配り終えて、昼すぎ。昼食を兼ねて2時頃にスキー場へ。
 かなりの賑わい。他県ナンバーがこれまで見た以上に多い。年末年始の稼ぎ時だから、これくらい来てもらわなければならないが、やはり賑わう様子は見ていても楽しい。今日も小さな子どもたちの姿がどんどん目に飛び込んでくる。父娘だろうか。微笑ましいシーンだ。

 


 午前の配達が終わった頃から、「かなりきついな」と感じていたが、やはり今日はこれ以上無理。3時頃に家に戻って休んだ。
これで大晦日も配達ということになったが、あと一息。今年の日誌はここまでとし、くる年をさらなる充実の年としたい。

 


配達日誌12月1日〜13日

(1日から9日までは、当日に書いた日誌ではなく、手許にある写真データなどをもとに記憶を呼び覚まし、後で行動記録等を書き残したもの。)

 

1日(木) 6日から始まる議会での私の一般質問の傍聴のお願いに廻るなどした。
 東部パイロットを走った時に撮影した写真が残っている。スキー場の上の方では積雪が見られる。家から見えるスキー場には雪が見えないが、上の方には雪があるのだ。このことと、知人のFBで見た秋山の積雪の模様が、2日の行動を決めた。

 

 

2日(金) 朝方の行動は記憶にないが、午前11時頃にガソリンを補給・満タンにして日出山線経由で秋山へ。配達はあまり考えず、冬を迎えた秋山の様子を見て、撮影するのが主たる目的。
 鳥甲山連峰の上空には雲が出ていて、「青空と雪景色」というわけにはいかなかったが、そこそこにいいものが撮れた。秋山から下におりた直後に会った人との会話をヒントに、「『白銀の世界と青空』、それとも『真っ白な雪と岩肌』」というブログ用の写真アルバムを編集してアップした。
 そこには掲載しなかったが、布岩で屋敷の山田由信さんと出会ったことが印象深い。
 県道秋山線から秋山林道に入って間もなく、1台のバイクが停まっているのが目に入った。今年の雪消え時にこの地点に薪材をいっぱい積んだガートラで由信さんが山から出てくるのに出会った経験があったので、「由信さんが山に入っているに違いない」と考え、山道に入った。

 

この道を入っていった

 

 不安がなかったと言えば嘘になるが、幸い、わずかな積雪に足跡があったので、それを目印に、途中からは今まで入ったことがない杉林へ。林には雪、したがって足跡がない区間もあったが、なんとか進み、ついに人が動く音が耳に入った。無事、由信さんに出会えて、大正時代に発電所建設用の切明までの鉄道をひくために布岩山に発破をかけたという場所を教えてもらうことができた。景観地・布岩の側面である。
 由信さんは原木栽培のナメコを採取されていた(下写真)。

 

 

3日(土) この日は撮影写真なし。
 議会12月定例会の初日6日の午後に入った「全員協議会(村長提出)」の協議内容資料を昨夕に受け取ったので、その精査にかなりの時間を要した。
 また、「復興への歩み」No.299の編集を進めた。10月下旬から11月末にかけて取材していながら掲載できなかった出来事もあり、写真データを整理しながらの時間を要する作業であった。

 

4日(日) 昨日の全協資料の精査をうけて、「切明温泉源泉地の買収について」なるテーマの不明点を解明すべく、事情を知る人たちに話を聞いてまわった。
 このテーマは相当に疑問があるものだと思う。さまざまな問題について、当局の資料を読むだけでは事の真相は見えない。
最近なにかと話題になる自治体議会の「政務活動費」、栄村議会議員には一銭の支給もないが(そもそも議会予算に「政務活動費」というものが存在しない)、この事実は「議員の調査活動は必要ない」という意味なのか? 議員が議員としての役割を果たそうとすれば、膨大な時間とエネルギーを調査活動に注ぎ込まなければならない。今日の聞き取り調査の場合は、聞き取りに廻るガソリン代程度のものだが、内容によっては調査のために村外に飛ばなければならない場合もあるし、かなり高価な書籍等を購入しなければならない場合もある。村民のみなさんにも考えていただきたい問題である。
 聞き取り調査の後、11月21日の臨時議会で問題となった平滝の貸工場建設現場の擁壁築造箇所と消雪池設置予定場所の状況の撮影へ(下写真)。

 

追加予算約500万円を投じた擁壁築造の現場

11月21日補正予算成立なのに工事はもう完成していた。不可思議な話だ。

 

工場の裏側。ここに消雪池をつくるのに追加約700万円。
貸工場の大屋根から雪が落ちると、どんな様子になるか、
11日の雪が落ちた後の12日の様子は後に掲載(12日の項に掲載)

 

5日(月) 「全協」関係の聞き取り調査のために遅れていた一般質問原稿の仕上げが主な仕事。
 ただし、朝8時半頃に「鹿を仕留めました。間もなく解体します」という電話をいただき、解体処理される現場へ。約50分間、記録写真を撮りながら、解体作業を見守った。
 予想したような抵抗感はなかった。内臓がすべて取り出された後、作業の後半、吊るされて、肋骨、そして鮮やかな色の肉の全体像が見えてくると、「きれいだなな」と思えてきた。帰宅後、写真データをパソコンに取り込み、画像を見ると、実際に見た時の美しさはあまり表現できていない。「ちょっと写真を紹介するのはきついな」という感想。したがって、写真は掲載しない。

 

6日(火) 12月定例会の初日。午前9時40分頃に議会事務局へ。議場ではなく、まず事務局に向かったのは、7日と8日の一般質問の順番を決めるくじ引きのため。くじは事務局到着順でひく。質問予定者8名の中で、私の到着は5番目くらいか。残ったくじの中から何気なくひくと、なんと「1番」。6月定例会に続き、二度目の「1番くじ」。9月はビリであった。
 議会は「午前は本会議、午後は全員協議会(村長提出)」の予定だったが、本会議は午前中では終わらず、午後2時半頃まで。休憩後、「全協(村長提出)」となり、予定テーマ4つのうち、今日は2つのみ。残りの2つは、7日と8日にまわされた。
 この日の議会の終了は5時近くになった。
 夜は、明日の一般質問草稿に手を入れた。
 今日は写真なし。


7日(水) 朝、『復興への歩み』No.299をブログにアップ。
 議会に出かける前、7時半頃と9時すぎに、薄っすらと雪化粧した景色を家の窓から撮影。昨日、議場から昼休み終了時にスキー場を見ると、ゲレンデが白くなっていたのを思い出した。

 

9時18分に自宅の窓から撮った1枚


 議会は10時からで、私の一般質問は約50分くらいだっただろうか。大きな質問項目の3つ目、「森川村長の村政の基本姿勢、振興公社の現状を村長はどう捉えているか」に充分な時間を確保するため、第1項目(SL運行総括)、第2項目(クマ対策)の時間を短縮したところ、全部で50分程度になった。1時間を超えると、議長から「簡潔に」という趣旨の指示をされるので、工夫せざるをえなかった。
 質問の成果は「議員活動報告」で書く予定。
 午後は、他の議員の一般質問と「全協(村長提出)」の「切明温泉源泉地の買収について」の予定だったが、昼休み終了間際に、村長から「全協は非公開に」という申し入れがあったという。まったくおかしな話。「全協」の前に、「傍聴者はお帰り下さい」と議長が言った。
 「全協」では徹底的に疑問点を突き出したが、村長から納得できる回答は得られなかった。
 終了は5時近く。今議会はかなりハードスケジュール。

 

8日(木) 10時から議会。午前中と、午後2時すぎまでは一般質問の続き。2時40分ころからだっただろうか、「振興公社への指定管理委託料の増額について」を協議事項とする全協(村長提出)。
 ここでは詳しいことは書かないが、村長の話はまったく整合性がない。到底、納得できるものではない。
 終了はやはり5時近くになり、今日は写真撮影なし。

 

9日(金) 今日の議会は午後。午前中は「切明温泉源泉地の買収」の件で追加調査。「昨年、源泉地所有者に無断で村が雄川閣駐車場で温泉掘削をした」という村長の説明とはあきらかに矛盾する県審議会の議事録が存在することが判明。
 午後の議会では、追加議案で「源泉地買収400万円」を計上した補正予算案が出てきた。人事院勧告に伴う職員給与増額の補正予算との抱き合わせでの提出。私は議案の分離を求めた。議員の中には私と同意見の人もいて、採決時は議場の空気が相当に張りつめた。採決の結果は6対5。可決は残念だが、現在の状況でギリギリ可能なところまで戦ったとは言えるのではないかと思う。「村民の声が届く議会」にするためにもっともっと頑張らなければならないが。
 夕刻5時半からは「トマトの国」で「副村長歓迎会」。森重氏は5日就任で、初仕事が議会出席。今次議会での審議内容にどのような感想をもたれたか、知りたいところだが、直接話す時間はなかった。
 凄まじく緊迫した議会の直後に、理事者と議員が同席する酒宴というのは私には違和感があるが、とりあえずは慣例に従った。話に聞く「昔は酒宴の場でもトコトン論争を続けた」というものであれば、納得できなくもないように思うが、いまはそんな雰囲気ではない。なお、こういう場は参加者各人が参加費をきちんと支払う。ちなみに今回は一人5千円。私のような貧乏議員には痛い出費だが…。
 今日も写真はなし。

 

10日(土) 昨夜がかなり遅かったので、起床は8時すぎ。こんなに遅いことは本当に稀だ。
 窓の外を見ると、一面真っ白。それほどの雪が降るという予報は耳にしていなかったので、これには驚いた。昨夜の酒宴で、「明日は久しぶりに山に入ってみようと思っている」と言っていた人がいたが、おそらく断念されたのではないだろうか。じつは、私も、12月に入ってもあまり降雪がないので、「明日は野々海に上がってみようか」と思っていたのだった。

 

午前9時49分撮影

 午前中はNo.299の印刷・折りの作業と、
 直売所訪問。
 午後は所用があって飯山へ。行き、「あさがみトンネル」を越えると景色がガラッと変わった。手前の栄村域は一面積雪だったが、トンネルを越えた飯山側はたしかに雪が降ったことはわかるが、“積雪”という感じはない。帰りは途中からまた雪が降り出したが、国道117の市川橋〜あさがみトンネル間あたりが非常に滑りやすく、冬の始まりの時期特有の運転の難しさを1年ぶりに味わった。水っぽい雪が、夕刻が迫る中で一部凍り始めているということも滑りやすさを強めたのかもしれない。
 夜は当初、原稿書きを頑張ろうと思っていたが、疲れを蓄積していくとまずいので、思い切って仕事は止めた。チャンネルをまわしていると、NHKがしきりに宣伝していた「漱石悶々」が始まったばかりで、それを観た。笑い出してしまうシーンが結構多く、よかった。ドラマの制作手法もよかったように思う。これで終わらせておけばよかったのだが、その後、「古舘伊知郎の忠臣蔵実況中継」なるものも途中から見てしまった。「忠臣蔵」をさまざまな新しい視点で切り取っているのが面白かった。古舘のしゃべりは相変わらずで格段の新鮮味はなかったが、企画が優れていたように思う。

 

11日(日) 雪は昨夜から夕刻までずっと降り続けた。10日、11日は雪の予報だったが、まさかこんなに降るとは思わなかった。びっくり。

 

スキー場に向かう道路の様子、午前8時48分撮影。

12日朝、晴天の下で、同場所を撮影した。12日の項参照。


 午後2時すぎだったか、津南町からの帰りに117で滑り、あやうく路側に突っ込む寸前。明け方までは乾雪だったが、日中は湿雪。雪の季節の始まりの時期の雪はとにかく滑りやすくて厄介。「今日はさっさと温泉に行き、後は家に立てこもり」と決めた。
 「早めに寝よう」と思ったが、5週間にわたってずっと見続けてきたB
Sプレミアムのドラマ「山女日記」が10時から放映なので、それを観てから就寝。

 

12日(月) 6時頃起床。青空が広がる! 猛烈な冷え込み。道路の凍結を警戒し、7時半過ぎに外へ。ひと通り雪景色写真を撮って、パソコンに取り込み、ブログ記事を編集し始めたところで、「SOS」の電話。長野に向かいたい人を飯山インター付近でひろい、高速で長野まで。帰村は午後1時半頃。
 長野市内には雪のかけらも無かった。遠くに見える飯綱山や白馬の山並みは真っ白で、最高に綺麗だった。カメラは持っていたが、撮影のために停車する場所を探す時間的ゆとりはなく、写真は撮れず。
 その後、泉平などで久々の配達。「昨日、雪で配達できなかった分も」と思っていたが、午後2時すぎからの配達だったので50部程度にとどまった。
 夕刻、横倉で見た景色は、朝の青空の下での景色に勝るとも劣らない美しいものだった。写真をとるためだけに動いていたら、もっときれいなものが撮れただろうが…。

 


12日朝8時1分撮影。1日の項に掲載の写真とほぼ同じ地点。同じところで撮ったのは偶然。

 


午後4時31分、横倉にて。雪原から靄(もや)がのぼる中、東の空にはお月さまが…。


下は平滝の貸工場の大屋根から11日の雪が落ちた時の様子(12日午後3時半頃に撮影)

 


13日(火) 午前中は精米と原稿書き。11時から「三人鍋」なるもののご招待をいただいたお宅へ。私を含めての三人だが、私が栄村に来た直後からずっとお付き合いのあるお二人と話が弾み、あっという間に午後2時をまわった。話は尽きなかったが、午後2時15分頃にお暇し、その後、何軒かのお宅に配達・連絡・依頼に廻っていたら、もう夕暮れ。昼間が最も短い冬至が近い。本当に夕暮れが早い。
 「三人鍋」の席では、「『松尾さんの配るもので初めて議会・村で何が起こっているかがわかる』と言っていたよ。『書いちゃいけない』なんてことはない。『書いちゃいけない』と言われたと書けば、もう相手は何も言えなくなるよ。とにかく、なにものも恐れずに書いてくれ」と叱咤激励された。
 「孤軍奮闘」がしんどくないと言ったら嘘になる。でも、頑張るしかない。べつに悲壮な決意をするというのではない。平常心で、“書くべきことを書く”を貫いていきたい。

 


朝陽がスキー場に当たり、数分間しか見られない美しさ。(7時22分撮影)

 


配達日誌10月16日〜29日

16日(日) 今日も朝から快晴。しかし、午前中はずっと室内での事務仕事。
 午後は、有害獣対策の先進事例を見に、隣の野沢温泉村の虫生地区を訪問。突然の訪問にもかかわらず、とても親切、丁寧に説明していただいた。非常に勉強になった。その後、飯山豊田インター先の国道117のバイパス工事完成地の撮影に行き、トンボ帰りで、樓蘭でのハーモニカコンサートの撮影取材。その途中で、明日、信越トレイルへの送迎をする人の打ち合わせにも飛んだ。忙しい1日だった。

 

17日(月) 朝、6時40分に「吉楽旅館」に行き、信越トレイルを歩く人たちを天水山松之山入口まで送った。途中、山伏山が正面に見えた時の美しさに驚いた。「松之山入口」というのは、山伏山の無印良品キャンプ場からの道と大厳寺高原〜野々海の林道が交差するところ。ここまで進むとブナの黄葉が相当に進んでいて、さらに驚いた。
 迎えは、当初予定では「12時半に野々海峠」だったが、雨が止んだので、「午後4時に伏野峠」に変更。2時に出発して藤沢から山に上り、3時20分頃に到着。東南方向は青空。国道403という狭い道を上るにつれて、凄い紅葉に感動。

 

天水山〜伏野峠間8時間半を踏破されたみなさん。リーダーは
75歳、登山歴60年という方。


 送りと迎えの間は、「復興への歩み」No.296の編集作業。
 気温が上がった日中、汗をかいたまま動いたのがまずかった。夜、頭痛が出て、風邪の症状。

18日(火) 朝、起きると、節々が痛い。本物の風邪。しかし、9時から「議会報編集委員会」。1時間ほどで終了。
 日中、車を駐車させておいて、車に戻ると、車内が暑い。夏のような感じ。
 夕刻までにNo.296に編集完了。朝・昼に風邪薬をのんだのが効き、バタバタしているうちに、風邪の症状はぬけてきた。

 

19日(水) 朝、窓からの景色は真っ白。8時すぎに配達に出発し、まず、原向に行ったが、ずっと空が見えない。雲というよりも霧のような感じ。10時半頃になってようやく青空が見え始めた。野口、坪野、北野と廻り、極野集落に入る手前だった。前方すべてが青空!
 集落の中から見える山がとても綺麗。配達を中断して、集落から3kmほど奥の中電取水ダムまで上った。今秋一番の紅葉。取水ダム付近はクマがよく出ると聞いていた。最新の注意をはらった。
 山の田んぼに1枚だけ、まだ刈り取られていないものがあった。その後、別の田んぼで藁を取り出しているおかあさんに声をかけると、「土がやっこくて機械が入れない田をこれから私が手刈りしに行くんだ」とのこと。さらに、夜、友人に電話すると、「ああ、機械が入れなくて、おばちゃんが刈ってくれたんだ」という話。
 「極野の山でこんなに紅葉しているんだったら、野々海池も紅葉本番だろう」。そう思い、極野、中野の配達を終えた後、1時すぎ、平滝から野々海に上った。池に着いたのが1時42分。目に飛び込んできた景色を見て、息を呑んだ。全面紅葉だ。ただ、残念ながら午後恒例の霧がちょうど出てきたところ。青空の下での1枚とはいかなかった。しかし、写真を見た人はみなさん、感動してくださった。

 

野々海池の紅葉と霧


 その後、キャンプ場に行ったら、自衛隊の車両に出会ってビックリ。詳しいことは「復興への歩み」で。
 極野での配達途中から、風邪症状のぶり返し。今日はSLの初めての試運転で大騒ぎだったようだ。試運転を示唆するスケジュール表を確保していながら、きちんと見ていなかったので、私は山の中にいた。

 

20日(木) 昨日の野々海での紅葉をうけて、朝の野々海池を撮りたいと思った。部屋から山の上空を見ると、曇り空。ダメ元で上ったが、やはりダメ。野々海池は真っ白で対岸は見えず。こういう時は、野々海峠への道を進めば、紅葉の進行具合がわかる。
 かなり進んだところでマイクロバスの対向車。野々海に上る時に追い越したマイクロだ。私の方が相当の距離をバックして離合した。その際、ドライバーが窓を開けて、「信越トレイルに入るお客さんを送ってきたところです。関西からのグループ」とのこと。どこの車かを尋ねると戸狩温泉との答え。以前、野々海にスノーモービルで来た人に「地元にきちんと話をつけて来られたのですか?」と問うと、「はい」との返事だったが、「地元の誰?」とさらに尋ねると、「戸狩温泉の宿です」と言われた経験がある。県外の人は、野々海や信越トレイルの地元は戸狩という認識で、栄村という村があることを知らないことが結構あるようだ。自らを宣伝できていないわが村が悪いのだと言ってしまえば、それまでのことだが…。
 配達を挟んで、昼、もう1回、野々海へ。2回目はスキー場から山道で。対岸は見える状況だったが、曇り空でいい写真は撮れず。水番小屋から右手の湖岸に入った。数年ぶりのこと。元々、笹や低木をかき分けて進まなければならない状況だったが、最近はいよいよ人が入らないので、以前にも増してやっかいな状況。しかし、平素は見られない景色が見られた。
 配達は長瀬、横倉、箕作で98部。

 

21日(金) どうしても青空の下での野々海池を撮りたかったので、秋山に向かう前に7時半発で満タン給油の後、野々海へ。すっきり青空で、紅葉3日目にしてようやくいい写真が撮れた。深坂峠の写真も撮りたいと思って、キャンプ場方向に走ったとき、クマに出くわした。むこうがすぐに藪に入っていったが。夜、温泉で出会った知人から、「今朝、野々海でクマが出たって放送で言っていた。いま頃、野々海に行くのは先生くらいだろう?」と言われた。たしかに村の人は行かない。出会うのは村外から来た写真撮影の人たちと、キノコ採りの長岡ナンバー車。たしかにクマの問題から言えば、あまり行かない方が賢明だが、村の人たちにも紅葉の野々海
池見物に出かけてほしいとも思う。
 9時頃に下におり、秋山へ。日出山コースを通りたかったが、午前8時半からは工事で通行止めのため、117から亀岡‐中子に上がり、妙法牧場沿いに進んで、布岩方向へ。布岩から屋敷に下り、紅葉写真撮りのための長い、長い秋山郷巡り。最終的にはカヤの平を経て、木島平村におりた。木島平村役場に立ち寄り、木島平村長などが切明温泉を訪れてくれたことを報じた「復興への歩み」を「村長に渡してください」と職員に託してきた。その職員も私が撮った写真に写っている人だった。

 

21日午後、ミズノサワで出会った群馬県太田

市の人たち。「ここは少し先のところまで歩い

て振り返ると最高に綺麗です」とお話しすると、

中には駆け出して絶景ポイントに向かう人も。


 今年、木島平から切明温泉を往復する「高原シャトル便」が運行されているが、私の今日の経験からいうと、木島平からカヤの平に上がっていく時の景色よりも下る時の景色の方が数十倍素晴らしい。北陸新幹線飯山駅を活用し、飯山駅発→栄村→鳥甲線(県道秋山郷森宮野原線)ないし妙法育成牧場経由コースで秋山へ→切明温泉→カヤの平・木島平村というコースが最高だと思う。このコースだと、ちょうど切明温泉が昼食時にあたると思う。
 帰宅は午後6時。その後、一気に「10月21日の記録」を編集し、ブログにアップ。

 

22日(土) 朝早くに目覚めた。6時半過ぎに、窓からスキー場方向を見ると、最高の景色。実際はまだ紅葉はさほど進んでいないが、朝陽に照らされると、紅葉しているように見える。
 そういう景色を見ると、「水面に紅葉が綺麗に映る野々海池を撮りたい」という思いがむらむらと湧いてくる。すぐにスキー場から上がるコースで野々海へ向かった。この季節、日の出は遅く、日没は遅くなるが、変化はそれだけではない。太陽の位置が低い。里ではすでに陽が上がっていても、少し山に上ると陽はまさに上がってくるところ。

 

6時55分、初心者コースのリフト下り場付近で撮影


 野々海池はわずかに波があったが、昨日よりもいい状態。15日ほどではないが、いい写真が撮れた。ブログやフェイスブックでの反響は大きかった。
 午後は25日発送のお米の袋詰めなどで、配達はなし。

 

23日(日) 朝6時50分に旅館出迎えで信越トレイル松之山口へ送り。その後、「落石災害」ということで、もう3年間も通行止めになっている林道野々海天水越線を歩いた。
 当初は、松之山口の通行止め措置が簡単なものだったため、車で入ろうかとも思ったが、いつもの軽トラではなく、人の車だったので、歩くことにした。震災前には何回か、大厳寺高原から車で上がったことがあり、その紅葉の凄さに圧倒された。知る人ぞ知る紅葉の絶景コースで、深坂峠で「通行止め」の看板は恨めしそうに見つめる人が多い。私は、今秋、一度、深坂峠から歩いて下ろうと思ったことがあったが、断念した。深坂峠側の通行止めバリケードがきわめて厳重だったからだ。おそらく、工事担当の行政関係者が「深坂峠からは人が入る可能性が高い」と考えて厳重にしたのだろう。私はいろんな通行止め箇所を訪れているが、深坂峠ほど厳重なところは見たことがない。
 歩きは往復2時間。帰路は雨だったが、汗を掻くほど。工事は8月20日発注というもので、年間予算額も限られている様子。この調子ではさらに3年間くらい通行止めが続きかねない。
 たしかに落石災害の跡ははっきり見られるが、他所の事例から考えて、紅葉期の2週間くらいだったら、通行止めを解除しても問題ないとみた。来秋は少なくとも、紅葉期の土日の歩きくらいは許可するように関係方面に働きかけたい。信越トレイルに挑戦すれば、素晴らしい景色が眺められるだろう。

 

 

すごい絶景(上写真)が見えるが、180度展開すると落石対策の工事現

場。たしかに危険箇所ではあるが…。


 午後は米詰め作業の続き。夜は「お米のふるさと便り」作り。

 

24日(月) 「林活議連」視察研修で生坂(いくさか)村、安曇野市、塩尻市へ。「林活議連」というのは、議員になるまで、その名前も存在も知らなかった。安曇野では北アルプスをはじめ、信州の山々を360度ぐるっと眺望できる素晴らしい場に行ったが、それは“おまけ”。視察の内容と学んだことなどは「議員活動報告」で取り上げたい。
 夜は、お米の発送が明日に迫っているので、休むもなく、「便り」の編集の仕上げと発送の事務作業で遅くまで仕事が続いた。

 

25日(火) 朝6時前に起床し、9時まで発送の事務作業。9時〜正午は発送作業。
 一休みして、午後は青倉全戸の配達。配達時に、青倉の圃場整備と合わせての地区内道路の改良工事の様子を初めて撮影したが、なかなか手間のかかる厄介な工事のようだ。

 

道路除雪が困難な地区の「道直し」を圃場整備と一体で進めている


 今日は朝、厳しい冷え込みだったが、昼すぎから南風と思われる風が吹き、気温が上がった。
 青倉での配達の後、もうひと踏ん張りして、もう1地区廻ろうかとも思ったが、さすがに無理。10時半
頃に就寝。

 

26日(水) 5時半起床、7時すぎに出発で秋山へ。暖かい一日。今日は秋山での配達がまず第一で、写真撮影にかまけているわけにはいかなかったが、時間帯との関係で撮影が困難になる場所には適切な時間に行けるように配慮しながら、配達コースを決めて進んだ。
 21日に続き、今日もできるだけ観光客の人に話しかけ、ブログのURLと携帯番号を記した名刺を渡すようにした。夕刻に、その関係での電話が早速に入ってきた。秋山の人とも何件か、有益な話ができた。また、私の方ではお顔を見たことがまだ1〜2回しかない人から、「おお、議員もやりながら、大変だね。ご苦労さん」といった言葉をかけていただき、心強く感じた。

 

「天池」のそばで絵を描く栃木県の女性

 

27日(木) 午前9時から議会産業社会常任委員会と全員協議会。10時半まで。村の来年度予算編成が始まるので、議会としての提言をまとめるためのもの。率直に言って、「議会はこの程度のことしか考えていない」ということを自己暴露するものと言わざるをえないが、詳しいことは機会を改めて書きたい。
 その後、平滝で少し配達した後、頼まれたある仕事の手をうつために現場に行ったり、人と打ち合わせしたりで1時間くらい。
昼食を食べた後、「撮り鉄」の凄まじさを初めて見た。私自身は「秘密の場所」で上り列車を撮影。

 

私有地に勝手に駐車しようとし、車の尻を何度も国道に出しな

がら切り返しする「撮り鉄」の車。これでは事故必至!


 午後3時から急に気温が下がり、夜は冷え込み。午後6時前で8℃くらい。
 大量に溜まった洗濯を片付けると、もう5時半過ぎ。慌てて、午後6時からの「狩猟時期等における安全狩猟講習会」に出るため、役場に走った。狩猟者を対象にした講習会のような名称だが、10月5日のクマによる人身事故をうけて設定されたと思われるもの。私は人から聞いて、出席させてもらおうと思っていたら、村内放送でも告知された。講師は県北信地方事務所林務課の鳥獣対策専門員・松尾一穂氏。この人は随分と柔軟思考の持ち主で、対話ができる人だった。僭越ながら、私の方から質問と提案もさせていただいて、いい議論になりかけたが、講習会の予定時間は1時間程度だったようで、議論を十分に発展させきれないうちに幕切れ。しかし、手がかりはつかめた。
 早く終わったので、「吉楽旅館」に立ち寄り、SL撮影で宿泊されたお客さんと懇談。国鉄民営化で首切りの対象にされた元国労組合員の人。奥さまはずいぶんと若い方だったが、奄美大島のご出身とのこと。「冬の栄村を是非訪れて下さい」と勧誘。ご主人は上越の雪深い村のご出身。冬に来ていただける可能性は50%以上とみたが、さて、どういう結果が出るだろうか。

 

28日(金) ほぼ一日、ブログ記事の編集や原稿書き。
 配達にも出たいが、日中に原稿書きなどをする日を作らないと、「復興への歩み」等の発行ペースを守れないのも事実。10月は紅葉の撮影のための長距離・長時間移動、ブログ発信のための写真を中心とした編集作業が多かったので、とくに大変。
 27日のSL試運転の際の「撮り鉄」の動きを観察した結果をふまえ、「このままでは事故が起こる」と危機感を抱き、役場に対策を提言したが、どこまで理解してくれたか、不安だ。

 

29日(土) 朝9時前後に電話が入り、知人と合流して、クマの出没地点3ヶ所を案内してもらった。すさまじい状況。クマが「慣れ親しんだ」柿の上に作る“たな”というものも初めて見た。
 帰宅後、すぐに、「復興への歩み」次号に掲載するクマ関係の記事(3頁分)を書き、編集も終えて、案内してくれた人に内容に間違いがないか、チェックしてもらった。
 「復興への歩み」次号記事には書けなかった泉平の事例について、少し記しておきたい。
 ここの柿の木は、所有者が先日、波トタンと番線を巻く措置をとられたが、今季は残念ながらクマの活動に追い付かず、1本の木はすっかり食い尽くされた。案内してくれた人の説明で、クマ道に残された糞に、大きなものと、小さなものの2種類があり、子連れのクマだったことが判明した。

 


 上写真の真ん中やや右手に見えるのが件の柿の木だが、クマがやって来る道は写真後方の森の中から通じていて、箕作の奥の小箕作川のあたりに通じているらしい。それは、かなり以前に泉平の人から聞いた「泉平に上がる古道」とかなり重なり合う感じがする。そのあたりの「藪」の刈り払い、森林の整備と一体化させないと、柿の木の防護措置だけではクマ被害を防げないのではないかと思う。その「緩衝帯」の整備は個人の力には余る規模の大きな作業であるし、さらに言えば、集落だけでもやりきれないものかもしれない。しかし、そこに踏み込まないと、クマ被害から人と集落を守ることはできないのだと思う。

 昼の編集作業の途中あたりから、風邪の症状が悪化。体がけだるく、調子悪い。それでも、発送作業や午後4時からの会合に出席。その後、夜はテレビをつけながら、のんびり。早めに就寝。

 


配達日誌9月16日〜30日

16日(金) この間に撮影した写真で、「復興への歩み」No.294に使用するもののピックアップや、9月議会での質疑のやりとりの振り返り、そのベースとなる議案・資料の整理・検討などの室内作業が主。後者の関係では役場に行って、補足説明を求めることもした。
 予算関係の書類は、相当に慣れたとはいえ、書類・説明書・担当課長の補足説明だけでは、「何に、いくら、どのように使われているのか?」が容易には見えてこない。このあたりのことは「議員活動報告」で一度、紹介してみようかなと思う。

 

17日(土) 今日は栄小学校の運動会。秋晴れとはいかなかったが、なんとか天気はもってくれた。村議は「来賓」ということなので、運動会の来賓席というものに初めて座った。「本部席」に近いので、グラウンドでの競技・演技とともに、先生方が活躍される運営の舞台裏というものがよく見え、新しい勉強になった。

 

父母による「大玉転がし」。子どもたちの競技もさることながら、

若いお父さん、お母さんの姿をたくさん見られたのもよかった。


 頼まれた仕事が1件あったのと、昼休み時間帯にPCトラブルが発生し、その対処に追われたので、午後は見学できず。運動会が終わった直後の3時頃、予報通りに降雨。
 午後の後半、森集落水道の水源転換工事の詳細設計を冬前に実施するための
補正予算が成立したことをお知らせする
「議員活動報告」の森集落向け号外を83軒に一気に配達。

 

18日(日) 一日中、雨。けっこう強く降る時間も。
 午前中から昼すぎにかけて、知り合いとかなり長い時間、いろんな話。午後は、片付けや、9月一日~15日の間の「配達日誌」を整理・編集。

 

19日(月) 4時半起床。「配達日誌」9月1日〜15日を編集、ブログにアップ。
 午前8時5分、大雨警報発令。高解像度降雨ナウキャストでは、関田山脈が「青色」(1時間10〜20mm)。

 

20日(火) 台風16号が和歌山に再上陸。関東方面に進むということで、長野県内にも大雨警報。
 「復興への歩み」No.294の編集を進めるが、写真データの発掘のために多大な時間を費やした。数日前、直売所を取材していて、「冬はクルミやお餅がよく売れる。並べても、並べても、売れる。品物がもっとあれば、売上げも伸びる」という話をお聞きしたので、「昨年、直売所に並んでいるクルミや栃モチの写真をたくさん撮りました。そこから写真データを引き出し、『みなさん、クルミや栃モチを直売所に出しましょう』と書いてみましょう」と話した。そこで、今日、データを取り出そうとしたのだが、膨大なデータの中から探すので、当初考えていた10倍くらいの時間を要した。かねがね写真データの整理が必要だと思っていたが、深刻だ。これまでに発行した「復興への歩み」などに関連記事・写真があれば、比較的簡単にデータを見つけられるのだが。
 昼、百合居橋を渡る時、千曲川がかなり増水していたので撮影。中条川の様子も見た。雨は午後1時半頃から2時すぎまで強く降ったが、強雨はその30分強だけ。先日来の雨の中心は千曲川上流方面であり、関田山脈の水が下ってくる中条川はさほど増水していない。
 いったん止んだ雨は、予報通り、夕刻から台風本番の雨として強まり、夜11時すぎまでかなり強い雨が続いた。その頃の千曲川の増水にも関心があったが、夜に川に近づくのは危険なので、自重した。


21日(水) 千曲川の増水がどうなっているか、とても気になっているので、朝一番は百合居橋付近での撮影に行った。同時に、西大滝ダムの放流の状況を確認するため、東大滝橋を越えて117から右に入り、西大滝ダムのゲートの全体が見える地点へ。ダムの上を車で通ってみようとも思ったが、職員らしき人の姿が数名見え、なにか対応措置をとっているように見えたので、ダム上に行くのは断念した。
 同時に、8月23日に「水害」があった貝廻坂の場所にも、復旧対策工事をうけて、水がうまく流れているかを見に行った。
千曲川の増水状況はもう一度見る必要があると思っていたが、なにやかやあって、今日2度目に行けたのは午後4時頃。百合居橋が目に入った瞬間、橋にかなり近いところまで水位が上がっていたので驚いた。後から検討すると、水位上昇のピークは正午頃だったのではないかと思われる。

 

21日午後4時すぎ、大巻付近の様子


 ギックリ腰の再発などを避けるための予防で、夕刻、十日町の接骨院へ。
 こんな行動をしていたので、「復興への歩み」No.294はせっかく出来上がっていたのに、20部くらいしか配達できず。

 

22日(木) 午前中、ブログのアップなどの室内作業。なお、今日も千曲川の水位の観察(撮影)を続けた。配達はなし。

 

23日(金) 午前中、主に東部地区を廻り、53軒。
 昼、ある人から「今年は野々海の紅葉はどうでしょうか?」と尋ねられた。ここ数日、同様の質問を受けているが、12日以降、野々海に行けていない。
 スキー場〜関田山脈方向を眺めると、雲に厚く覆われている。晴れ間があると予報されている24日や25日は他の予定があって、野々海には行けない。しかし、一昨年のことを思い出した。雨の日、午後に遠くからお客さんが野々海の紅葉を見に来ることになっていたので、雨の中、朝方に野々海に行ったことがある。野々海池の堤から対岸は見えなかったが、野々海峠への道を走れば、紅葉の状況がわかったし、霧の中の紅葉には独特の趣があった。
 この経験に照らして、「いい写真は撮れないだろうけれど、紅葉の始まり具合を知ることはできる」と判断し、スキー場から山道を上り、野々海に向かった。途中はずっと霧の中で、道の状態もこの間の雨で非常に悪かった。しかし、野々海に着く少し前から霧が消え、三叉路、野々海池、東窓の3ヶ所いずれも、バッチリ写真が撮れた。
 夜、早速、ブログ記事を編集し、アップした。この春、突然、知らない番号から携帯に電話が入り、「野々海のミズバショウの様子はどうですか?」という問い合わせがあった。「どなたですか?」と尋ねると、「昨年、野々海でお会いし、連絡先の入ったパンフをもらった」とのこと。村外の人が少しでも多く栄村に足を運んでくださる一助になればよいと思い、情報発信を続ける次第である。

 

24日(土) 午前中は保育園の運動会。「公務」での参観だが、心の底から感動した。
 まず、子どもたちが伸び伸びと各種目に取り組んでいる。先生方は種目と種目の間も、次の種目の準備で走り回り、ひと時の休みもない。腕章をつけた父母も線引きや道具の出し入れに忙しく動き回る。保育園をめぐっては、若い世代からいろんな不満や批判もあるようだが、今日の運動会を見て、「栄村の保育園はすごい」と心の底から思った。もちろん、若い世代からの批判にも一理ある。しかし、保育内容のいっそうの改善は、村が保育士体制の強化や施設改善にもっと力を入れることが前提になる。来賓としてお呼びいただいた議員の責務は重大だと強く感じた。

 

「サーキット」という種目。子どもたちの動きに感動!


 「栄村は子育てに最高の村」とアピールしたいところなのだが、それにはもう1つ、必要な条件がある。子育てする若い親がきちんと収入を得られる仕事(職)を用意することだ。それは「企業誘致」という類のことではないと思う。9月議会で冬の道路除雪のことが議論になり、「オペレーター確保のために、免許取得経費の補助を始め
た」という説明があったが、除雪要員を確
保するには春〜秋の間の仕事を同時に保障する必要がある。たとえば、栄村は村面積の90%以上が山・森林。森林管理で雇用を拡大するような森林計画が必要だろう。「栄村で子育てしたい」という若者はサラリーマン志向ではない。村らしい仕事の確保が重要なのだ。
 そんなことにも思いが及んだ一日だった。

 

25日(日) いい天気の下で、配達は121軒。
 野口から天地に向かう途中、サイクリング車が前方に見えた。まず写真を撮ったうえで、車で追いつき、声をかけさせてもらった。津南のグリーンピアから出発したとのこと。「どうですか、何もないところですが」と問いかけると、「素晴らしいです。最高の景色です」というご返事。その場所は、晴れた日の夕暮れ時などに、配達途中で通ると、私自身がその景色の素晴らしさに感動し、「俺はなんと贅沢な暮らしをしているんだろう」と思うところ。栄村は宝の宝庫だとつくづく思う。

 

野口〜天地間をサイクリング車で進む人


(後に知ったが、この日は「苗場山麓ジオサイクリング」というイベントが開催されていた。「つなんバイシクルクラブ」の協力で行われたとのことだが、栄村では事前の広報はなかったのではないだろうか。)

 

26日(月) 昨日の秋晴れから一転、今日は雨天。本当にいい天気が続かない。
午前中はある問題について村民からの訴えを聴いた。話はおよそ3時間に及んだ。午後は青倉で配達に廻ったが、予定軒数を終わるあたりで雨が強くなり、1軒のお家で少しお茶のみ。
 飯山線SL運行のポスターの写真を撮影させてもらった。

 

27日(火) 今日は晴天の予報だったので、朝から秋山へ。配達と同時に、
紅葉の進み具合を撮影するのが大きな目的。日出山線は最近、倒木での通行止めがあったので、極野から鳥甲線で五宝木に入り、6軒で配達した後、秋山林道に向かい、奥志賀公園栄線方面に走った。
 屋敷の秋山林道で素晴らしい出会いがあった。京都ナンバーの車のご夫婦。屋敷、白沢、大滝の3ヶ所でお話したが、話しているうちに、奥さまの実家が私の母の実家のすぐそばだと分かった。「冬の栄村にもお越しください。雪道は私が車を運転しますから」と申し出て、再会を約してお別れした。(後日、その方からメールをいただいた。きっと再会できると思う。)

 

28日(水) またも好天気は続かず。曇り〜弱雨の中、横倉、箕作で70軒を配達。
その後、まず、ブログ記事「SL、飯山線運行のポスターのご紹介」を制作し、アップ。続いて、昨日の秋山郷の写真データの整理とブログ記事の編集。夕刻までに「本格的な紅葉が近づいています〜9月27日の秋山郷の様子〜」を制作。
夜は若者と話。自伐林業(自分の山の木を自分の手で伐採すること)の構想など、有意義で楽しい話題をたくさん聞かせてもらった。こういう話は元気が出る。

 

29日(木) 25日発行の「お米のふるさと便り」で、「村の秋の恵み」として花豆やクリを話題にしたところ、一昨日、横浜の方から「購入のお世話をお願いできますか」という問い合わせが入った。クリは直売所で斉藤ユウ子さんのものを手に入れることにしたが、花豆は作付けの初期段階からずっと写真を撮らせてもらってきた五宝木の山田政治さんのものをお世話したいと考えた。今朝、政治さんに電話したところ、「いいですよ」というご返事。そこで、雨の中、鳥甲線で五宝木へ。
 10時すぎに到着すると、すでに1kg分を袋に入れて用意して下さっていた。そして、せきさんが手料理をいっぱい出して下さり、「昨日、搗いたばかり」というお餅もいただいた。
 午後、早速、宅急便で発送。その後、村議会9月定例会の内容の整理。「議員活動報告」を書き始めたが、整理作業が比較的早く進められる私の一般質問質疑の全容の編集を優先。ひとまず、質問の第1テーマに関する整理を終え、ブログにアップ。

 

30日(金) 朝、一昨日に箕作を廻った際に配達できなかった11軒に配達。その後、9時半頃、平滝から野々海へ。快晴で、秋の空(秋雲)の写真を何枚も撮りながら進んだ。そして、キャンプ場〜深坂峠間で旧大島村の大島中学校の全校遠足と出会った。再び平滝に下りたのは午後1時すぎ。3時間半余の「旅」だった。早速、アルバムを編集し、ブログにアップ。
 今日の野々海行きは、どうやら、「今日は野々海」、「今日は秋山」という紅葉シーズンの超繁忙期の始まりのような気がする。
 午後の配達は長瀬で29軒。

 


遠くに妙高山、火打山が見える(30日午前10時すぎ)


配達日誌8月16日〜31日

16日(火) まず配達。その後、野々海へ。
 三叉路の小さな池は期待通りに色づき始めている。驚いたのは、野々海池の入り口を下ろうとしたとき。水量の予想以上の低下にも驚いたが、それ以上にびっくりしたのは対岸が色づき始めていること。まったく予期していなかった。ブログ「猛暑の日、野々海に、秋を見つけた」をアップ。

 

色づきはじめた野々海池の対岸


 午後3時から白山さまのお祭りの片づけ。片づけにはそんなに時間を要さず、恒例の飲み会になる。今年の世話役・英男さんの奥さん・カノさん手作りの漬け物などがつぎつぎと出てきた。いちばん驚いたのは、たくさんの天ぷら。トウモロコシと青じそ、玉ねぎ、小女子(こうなご)のかき揚げだ。青じそが入っているのが1つのポイントのように思う。これは写真を撮っておくべきだった。だが、話が盛り上がっていて、写真を撮らずじまい。残念。
 野々海の色づきも話題に。水番の英男さんは今朝も行っておられて、「そうだ。色づいていたろう」と。私だけの主観ではなかった。
 午後6時すぎ、「そろそろ暗くなってくるぞ」というのでお開き。

 

17日(水) 英男さんが武蔵野大学の学生を野々海に案内するのに同行し、撮影取材。朝方、雨だったので心配したが、平滝から上る過程、野々海池での英男さんの水管理の様子を見る間は天気がもった。しかし、水番小屋で学生たちが英男さんにいろんなことを尋ねる会が始まった直後に激しい 降雨。台風の影響だ。11時頃に下におりてくるときは止んでいたが。

 

英男さん持参のミニトマトや枝豆をつまみながらのインタビュー


 その後、8月1日〜15日の配達日誌の整理と編集。
 その作業がほぼ終わりかけた頃、急に胃がさしこむような感じ。やむなく横になり、さらに布団を敷いて、夕食も食べず、寝た。

 

18日(木) 一晩寝て、胃の具合悪さはおさまっていた。が、なにか体の調子がよくない。じつは15日の白山神社の祭礼で何度も頭を下げる動作をしたとき、体に歪みを感じ、体を前に折ると腰に変な圧力がかかった。そんなこともあったので、背中の筋肉の疲れをとらなければならないと思い、午前中、十日町の接骨院へ。上半身はかなり楽になった感じ。
 4時すぎにまとめ洗濯へ。洗濯物を洗濯機に入れたところで、1本の電話。電話の主のところを訪ね、1時間強、懇談。その後、洗濯に戻ったが、もう夕食の時間。

 

19日(金) 5時に目覚めるも、二度寝し、6時すぎに起床。
 9月定例議会の一般質問要旨通告の締切が今日の午後1時なので、まず、要旨通告の原稿書き。
 9時にメールで議会事務局に送ったうえで、議会事務局を訪れ、議事録作成のためのテープ起こし作業の実際などを事務局の斉藤力さんから聞き、その後、初めて「議事録」というものを実際に手にとって閲覧。

 

もう稲穂が垂れ、色も黄金色にむかっている(中条にて)


 6月定例会での私の一般質問への答弁の中で森川村長が問題発言をしたが、その問題発言で被害を蒙った当事者が昨日、森川氏と会談したそうだが、その場での森川氏の発言内容を知り、愕然。憲法で保障されている基本的人権について、森川氏はどうやら正しい認識をお持ちでないようだ。暗澹たる気分になると同時に、「なんとかしなければ」と強く思う。
 午後、森の開田と青倉の西山田の棚田へ。写真撮影等。続いて、直売所の様子を見に行く。そこで知人から巨峰をいただく。非常に美味しかった。
 ある人を訪ね、久々に1時間以上、話し込んだ。
 この間、栄村の写真アルバムを制作しようと、写真の選定を進めてきたが、ひとまず選定を終えると、「定番」的なスポットに偏っていて満足できず。もう一度、一から選定し直すことにした。

 

20日(土) 「復興への歩み」No.292の編集。
 午後2時頃、土砂降りの雨。気象庁の「高解像度降雨ナウキャスト」を見ると、南東から北西へ雨雲が動いている。
 この雨の後の夕刻の景色が素晴らしかった。「トマトの国」に向かう途中だ。7月30日の夕景が素晴らしくてブログで紹介したが、それに勝るとも劣らない素敵な夕景だ。

 


 夜、秋の虫が鳴いた。いよいよ秋か!

 

21日(日) 「復興への歩み」No.292の配達、113軒。
 配達途中に切欠の集落と田んぼ、東部パイロットの奥まったところにある斉藤正春さんらのソバ畑などを撮影。ソバ畑は軽トラでやっと辿り着けるようなところだが、そういうところで丁寧に栽培されている様子に改めて感動を覚えた(下写真はちょっと変わった角度から撮影。真ん中に見えるのは東部パイロットに設置された携帯電話のアンテナ)。

 


 野菜を求めに直売所に行った際、店長からいろいろと話を聞いた。明日、直売所の出荷運営組合の総会だが、村からの補助金を得るために、組合役員や店長は大変な苦労をされている。

 

22日(月) 台風接近が騒がれたが、村にはほとんど影響なし。午前中に青倉などで60軒配達。
 午後2時から直売所の出荷運営組合の総会。村からの補助金が決まらない中、非常に苦しい議論となり、午後5時頃までの長い総会となったが、直売所にかける組合員の熱意がひしひしと伝わってくる、とても素晴らしい総会だった。
 終了後、その議論の熱気をひきずって、直売所をめぐる会話をいろんな人といろんなところで行い、気がついたら、9時をはるかにまわっていた。

 

23日(火) 午前中、程久保に向かう途中、貝廻坂で道路パトカーと遭遇した。10時40分頃のことだ。昨日の雨で水路の一部が破損し、北信建設事務所飯山事務所に住民から通報があって、駆けつけたとのこと。この水路は貝廻坂の改良・拡幅工事の一環として設置されたので県管理なのだ。(この現場の写真は「復興への歩み」No.294に掲載)
 午後は2時頃から「お米のふるさと便り」を一気に編集。2〜3時間。相当に疲れた。その関係で、青倉・西山田の棚田を訪れたが、かなり黄色くなってきている(下写真)。

 


 夜はかなり気温下がった。

 

24日(水) 貝廻坂の現場に応急措置のブルーシートが張られていた。
 午後はひんご遺跡報道説明会に参加。その際、久しぶりに箕作〜平滝間の橋の建設の様子を見た。床板工の型枠設置がかなり進んでいる。
 夕刻、9月議会議案書が届けられる。決算書とその説明書が4冊あり、ぶ厚い。
 夜、暑いというのではないが、気温、あまり下がらず。

 

25日(木) 午前10時頃、ギックリ腰発症。しかし、公務があるので、「北信州農村女性の集い」の会場(木島平村)へ。
 予定の4時半を過ぎ、5時頃に終了。そこから十日町の接骨院へ車で直行。6時半頃に到着。ギックリ腰の中で1時間以上の運転はきつかった。
 5時半頃、栄村を通過するとき、雨がパラパラ。帰り、十日町で小雨、栄村までずっと路面は濡れていた。大雨警報が出ていたようだ。

 

<以下、26日〜30日は配達ができなかったので、日誌も簡略化>

 

26日(金) ぎっくり腰のため、配達はしばらく休み。午前、自室作業で(蒸し)暑さを感じる。議会事務局と直売所へ。
 夕、気温低下。午後9時すぎ、大雨警報。ナウキャストでは長野市の南部あたりで赤色。東に進むと、秋山郷の奥で降ることになる。

 

27日(土) 6時前に起床。6時すぎにかなりの降雨。ナウキャストを見ると、その頃、栄村北部が黄色(1時間に20〜30ミリの降雨)。
 今日は森のお祭りだが、腰の状態が悪いので、宵祭りには行かず、自宅でおとなしくしていた。

 

28日(日) 午前中、家にいると、森の若衆が悪魔祓いに来てくれた。
 昼頃から、菅沢トマト収穫などの撮影に少し出かけた(下写真)。

 

 

29日(月) 午前中、腰の治療に十日町へ。
 青空に秋の雲が浮かび、気持ちのいい天気。出かける時に、ふと、小林昇子さんの荏胡麻の畑のことが頭に浮かび、様子を見に立ち寄った。素敵な写真が撮れ、ブログにアップ。

 

30日(火) 「ししこしょう」が「信州の伝統野菜」に認定されたので、横倉の渡辺利正夫妻を取材。「ししこしょう」を「伝統野菜」として推そうという話が出てから、認定まで満5年。この認定にはとても価値があり、活かさなくてはならないと強く思った。

 

 ししこしょうの畑は、写真左下から右上へ伸びる飯山線の線路の左側。伝統種を自然交配から守るために、他の野菜の畑から隔絶した畑で栽培されている。
 以前から、飯山線の線路を渡った先の千曲川との間の狭い土地に畑や田があることを不思議に思っていたが、元々は田が続くところに飯山線の線路が敷かれたのだということを、今回、初めて知った。

 

31日(水) ぎっくり腰もなんとか治まり、本格的配達を再開。今日は114軒。
 途中、森の開田の絶景ポイントへ。秋の空、黄金色の稲穂、そして鳥甲山という景色がうまく撮れたと思う。

 


配達日誌8月1日〜15日

1日(月) 午前中は、出来上がった「議員活動報告」第4号と未配達の「復興への歩み」No.290を切欠、長瀬の41軒で配達。
 午後1時、村長と面会。奥志賀公園栄線の通行止め、白鳥のバイオマス発電所計画、直売所かたくりへの支援問題で申し入れ。

 

2日(火) 午前中は青倉、月岡などで「議員活動報告」の配達。
 午後2時から、直売所にて小林店長、藤木八十治副組合長と直売所の抱える問題と打開策について話し合い。結局、3時間以上の話になった。あれだけの大きさの施設(ハコモノ)の建設を決めながら、その後の直売所の運営について、「上から目線」での「評論」のみを行ない、支援策を講じていない議会の問題性を痛感する。
5時半頃、外に出ると雨。夜かなり遅くまで雨続く。今日の雨は夕立という性格のものではない。

 

直売所では「またたび」がかなりの人気

 

3日(水) 午前中は室内作業。午後、平滝の国道よりも上の地区で14軒廻った後、剣の木の水路改良工事現場へ。桜沢喜文さんが話していたとおり、7月8日に行った時とはすっかり地形が変わっていた。この間、雨が降る日が多く、土を固める作業ができないので、作業が少しとまっている。工事がさらに進んだ段階で、「復興への歩み」で紹介したい。
 午後4時すぎ、診療所。その後、役場前で知人と少時間立ち話。西方の空に黒い雲が見えたが、夕立・雷雨はなし。
 昼すぎ、百合居橋で千曲川の増水状況を撮影(下写真)。上流域(東信など)での大雨の結果と思われる。写真に見られる、この日程度の増水では災害は起こらないが、「上流域での増水→下流域での洪水の危険」に対する村の警戒態勢に不安を覚える。

 

 

4日(木) 朝7時すぎに、森の役場横ではすでに25℃を表示。
 日出山線から五宝木、屋敷、小赤沢の順で秋山での「議員活動報告」とNo.290の配達。小赤沢集落は14軒のみで約30軒は配達できず。その後、上の原、和山、切明で配達し、昼食は雄川閣で「冷やし山菜うどん」。味はよかったが、器が普通のどんぶりで、せっかくの「冷し」料理が生きない。残念。
 その後、今日の秋山行きの1つの狙い、奥志賀公園栄線の通行止め現場の状況を見に行った。奥志賀公園線と秋山林道の交差点のところのゲートが締められていたら、それ以上進めないが、幸いにと言うべきか、バリケードで封鎖されていて、その横に軽トラ1台が辛うじてすり抜けられる余地が。
 軽トラで進むと、「200m先 工事現場」の看板。現場そのものに軽トラで乗りつけるのはまずいなと思い、歩いて現場へ。応急復旧工事を担当している湯本建設(湯田中温泉)の責任者の人がいい人で、災害の状況や復旧作業の段取りなどを詳しく聞けた。
 落石災害現場を離れた後、雑魚川沿いの遊歩道に入り、三段の滝へ。遊歩道に入って間もなく、降雨。しかし、ブナの樹冠に守られ、雨にはあまり濡れずにすんだ。まだ葉が緑の季節の「三段の滝」を撮ってみること、昨秋のように「三段の滝」の全体像を撮影することができるかを試してみることが目的。「滝と緑の葉」は狙い通りに成功。しかし、「三段の滝」の全体像は予想通りというべきか、撮れず。足元が濡れていて、滑りやすかったこともあるが、昨年、撮影のために崖を下りた地点が今年も使えるのか、確認できず。もう一度、行ってみる必要がある。(下写真。手前に見える木の左下に下りないと全体像は撮れない)

 

 

 上記のように奥志賀渓谷コースで5〜10分間、降雨あるも、村では夕立なしだったよう。英男さんの話では、「野々海の水は増えていない」とのこと。この間の雷雨・夕立はやはり南の方が中心のものだったようだ。

 

5日(金) 朝から再び、切明へ。「冷やし山菜うどん(そば)」の器の提案のため(「復興への歩み」No.291に記述)。
 午後、昨日と今日、秋山郷で撮った写真でブログ記事「真夏の秋山郷」を編集。夕刻までかかった。
 夕刻、温泉に行って英男さんに会ったが、顔が腫れている。ハチに刺され、診療所で点滴を受けたとのこと。

 

6日(土) 10時から「栄村歴史文化館こらっせ」の開館記念式典。議員の公務として出席。こういう場合はほとんど写真を撮らない。
 広瀬家土蔵の再現スペースで来賓として来られた広瀬家の人が白水智氏の説明を熱心に聞いておられる姿が印象的だった(下写真)。

 


 式典参加は午前11時すぎで終わり、午前中に「復興への歩み」No.291を印刷。午後は洗濯。
 今日は暑かった! 夜8時を過ぎても、「涼しいなあ」とならない。栄村は真夏でも夜になれば涼しくなるが、ここ数年、熱帯夜のようなことが少なくとも数日はあるようになった。

 

7日(日) 今日は「ぐるっとまるごと栄村サイクリング」。昨年は五宝木トンネルの手前で遠くの山を背景とするいい写真が撮れたが、今年はどこで撮影するか、ずいぶんと考えた。鳥甲山をバックに走る姿を撮りたいと思い、走者をクローズアップし、かつ、鳥甲山の大きな姿が写る場所をいろいろと考えたものの、いい場所が思いつかない。結局、「秋山林道の白沢付近がいいのでは」と考え、午前9時頃に現場へ。
 白沢で実際に撮ると、白沢の全体像を入れようとすると、やはり選手の姿が小さくなる。そこで、すぐ近くの不動滝に移動。鳥甲山の全体像を入れることはできないが、滝と鳥甲連峰の赤瑤瞭のあたりが入り、走者が大きく写るものが撮れた。ブログにアップしたが、「復興への歩み」でも紹介したい。
 その後、小赤沢29軒(4日に廻れなかったところ)でNo.291などを配達。午後、下(しも)におりた後、主に東部地区で51軒。405を下る時、いつも「眺めがいいなあ」と思う反里口のカーブ坂からの眺めを初めて撮影した。

 


 

8日(月) 今日は一日中、議会。午前は全協と臨時議会。午後は議員研修会と研修会講師との懇親会。これらに関することは「議員活動報告」で書きたい。
 温泉入浴の後、翌日の村内観光案内の打ち合わせ。
 夜11時頃、雨が降ってきた。それでも、そんなに涼しくならない。

 

9日(火) 朝7時すぎだったか、告知放送で「大雨警報発令」でビックリ。土砂災害警戒判定メッシュ情報で、まさに関田山脈あたりが赤表示。レーダー情報では強雨の雨雲はどんどん東へ移動するようだ。
 今日は秋山郷への案内を求められていたが、なんとか見られるところも確保できるだろうと考え、8時半頃に出発。コースは以下のとおり。 反里口のカーブの上からの眺め
 日出山線→鳥甲牧場(夏ソバ畑)→山田政治・せき宅(花豆の畑を見た後、お茶のみをさせていただき、きゃらぶき・マタタビなどを出していただく)→ブナのトンネル→山源(木工製品に関心があるお客さんの希望)→とねんぼ→切明・雄川閣(昼食)→林道・不動滝→布岩→前倉経由・405へ→猿飛橋→穴藤(吊り橋を渡り、導水管の直下まで行く)→ひまわり広場(お客さんのご希望)→ママのおやつ→津南町上野(うわの)集落(河岸段丘眺望)→中子(広大な田、中子の堤を見る)→トマトの国(入浴)

 

10日(水) 今日も観光案内。当初の話では「2日目は斑尾高原をご希望」とのことだったが、8日夜の打ち合わせで野々海のことを紹介したら、「是非、行きたい」ということになり、ご案内した。 野々海池に着いた時、英男さんが堤の草刈り中で、斜樋の扉を開けてくださり、中を見せてくださった。
 その後、斑尾高原にむかったが、「途中で珈琲をのみたい」とのことだったので、道の駅「花の駅千曲川」の「Cafe(カフェ)里わ」に立ち寄り。以前、「復興への歩み」で紹介したことがあるが、やはり都会から来られたお客さんはこういう洒落た雰囲気の店でのコーヒーを喜ばれる。栄村にもそういう店が欲しいなと思う。
 男性客のお一人がコーヒーの後、リンゴのソフトクリームを買ってこられ、美味しそう。「僕も」と思い、レジに行くと、「リンゴサンデー」というのがあり、私はそれにした。下の写真がそれだが、見た目がきれいだし、リンゴ味もよかった。まだまだ工夫の余地があるとは思ったが。

 


 栄村の道の駅のソフトクリームは人気だが、スタンド販売だけではなく、それこそCafeで食べられる場所があれば最高。物産館が売上げを伸ばしていく途(みち)はこのあたりにあると思うのだが…。
 その後、斑尾高原の希望湖(のぞみこ)にご案内し、斑尾高原で昼食の後、飯山駅14:10発の新幹線に間に合うようにお送してお別れ。
 午後3時前に村に戻り、すぐに配達に出かけようとしたが、疲れがどっと出てきて、配達はせず。村を観光案内することはよくあるが、まったく初見の人を丸2日間ご案内するというのは初めて。肉体的疲れ以上に、緊張感による疲れが大きかったのかなと思う。

 

11日(木)

泉平の田んぼと、畦に咲くミソハギ

 

 今日、林秀庵で方丈様の交替式が行われると、昨日、聞いた。朝、泉平全戸と箕作、横倉の一部、計55軒の配達の後、知り合いに電話で尋ねると、「10時頃から」とのこと。志久見に向かい、順番に配達に廻り、林秀庵に着くと、今日は車が入れない。お盆の施食会(せじきえ)(みなさん、「せがき」と言われる)が行われている最中で、交替式にはまだしばらく時間があるとのこと。志久見集落の残りと笹原、当部の配達をして、もう一度、林秀庵へ。
 檀家でもない私が写真を撮っていいものか、悩んだ挙句、方丈様のお孫さんにあたる役場職員の石塚雄輝さんを訪ねたところ、雄輝さんのお母上(新たに方丈様になられる石塚彰雄さんの奥さま)から「どうぞ、どうぞ。本堂に上がって撮ってください」と言っていただき、本堂へ。
 10時40分すぎからほぼ1時間、一部始終を撮らせていただいた。
 儀式は、これまでの方丈様が退任される“退董(たいとう)”と、新たな方丈様がお寺に入られ、曹洞宗の総本山・永平寺からの辞令を受けられる式の二つから成るが、とくに印象的だったのはこれまでの方丈様が旅姿でお寺を後にされる様子。いま、世上で「生前退位」ということが大きな話題になっているが、「退位」とはどういうことなのか、教えられた気がした。
 この後、「菅沢まつり」が行われている菅沢農場へ。
 トウモロコシやスイカをいただいた後、奥志賀公園栄線の通行止めが昨夕4時で解除されたので、応急復旧工事が完了した現場の様子を撮影するべく、秋山へ。この1週間で、秋山は5回ということになる。
 朝から夕刻までかなりハードに動き回り、さすがに疲れた。夜、「山の日」特集のテレビ番組を観て、9時半に就寝。

 

12日(金) 昨夜の就寝が早かったので、朝6時から始動。6時20分頃、久しぶりに、天地でズッキーニの収穫の様子を撮影。
配達は大久保、野田沢、平滝などで100軒。
 午前中に、「奥志賀公園栄線復旧」のブログ記事を制作・アップ。さらに、午後、昨日、秋山で撮った写真と、今日の午前、スキー場などで撮った写真で、写真アルバム「立秋を過ぎて…」を編集、ブログにアップ。

 

13日(土) No.291の配達を急いだ。白鳥、月岡、小滝、原向、坪野などで計176軒。
 午前11時頃、暑さがピークとなり、午前を終わった段階で熱中症気味。昼食後、2〜30分ほどの眠りで生き返った。3時すぎから配達を再開。午後4時頃、空気が湿っぽくなり、肌がべたつくようになった。夕方にこんなことを経験することはこれまでなかったように思う。(14日夕刻にも同じことを感じた。)
 昨夕、「トマトの国」に行った時、鳥甲山の上空に半月よりもやや大きくなったお月さまを見て、写真を撮ったが、今夕はさらにいいものが撮れた。(満月の時に同じ構図で撮りたいと思ったが、14日夕、同じ時間帯にはお月さまはもっと東の方角にあって、12、13日のような写真はもはや撮れなかった。)

 

下中央に見える山が鳥甲山。やや右手に見えるのは三ツ山、左は高倉山。

 

14日(日) 今日は五宝木、小赤沢の一部と屋敷・上の原・和山の全戸のNo.291の配達で、秋山へ。
 まず、津南町の中子の2軒に行き、そこから妙法育成牧場に進み、東電中津川第一発電所の貯水池がある高野山(こうのやま)のてっぺんへの道を探るも失敗。
 妙法育成牧場から日出山線出口に向かう間に、いわゆる「ブナのトンネル」以上に素晴らしいと感じるブナ林の中の道があることを知った。
 秋山ではかつて見たことがないほど、家々に車が駐車。お盆で帰省されている人が多い。まあ、私がお盆に時期に秋山に入ったのが初めてだからだろうが、集落内の車と人の多さに驚いた。

 

ジャガイモ掘りをする山田カツさんのひ孫さん(五宝木)

 

 秋山での配達の後、405を下り、津南町の穴藤集落へ。9日にお客さんを案内した際、素敵な景色をいくつも見ながら、写真を撮らなかったので、今日、立ち寄った。
 導水管の下で写真を撮った後、発電所構内に道がつながっていて、いくら進んでも「通行止め」にならないので、どんどん進むと、ダムのえん堤の上を車が通行できるようになっていて、国道405へ戻れるようになっていた。
 ダムのえん堤を車で通ることは西大滝ダムで何度も経験しているが、中津川第一発電所では初めてのことで、正直言っておっかなかった。しかし、眺めは絶景。

 

えん堤上から中津川上流側を見る

 この後、極野、中野の28軒でも配達。中野の桑原トキさん宅の前に大勢の人の姿。時々、親族が大勢集まられると聞いていたが、「今日はこれまでで一番多く、50人以上の大集合」だったとのこと。お宅に着いた時はみなさんが解散行動に移られた後で、写真は撮れなかった。

 

15日(月) 今日は地元・中条の白山神社のお祭り。朝6時から境内の草刈りやお社の中のさまざまな準備。1時間ほどで終わり、午前中は柳在家、切欠、長瀬、森で配達。
 午後2時から例祭。毎年来て下さる神主さんが6月に亡くなり、息子さんに代替わり。例祭の内容がかなり先代とは異なり、例祭の半分強の時間、「私にあわせて、頭をお下げください」と言われる。長い時間、頭を下げる姿勢を続けるというのは、かなりきついものだ。
 例祭が終わると、お神酒。さらに、神主さんがお帰りの後、みんなで飲む。この例祭、私にとってももはや恒例のものとなった。
今年は多忙で疲れがたまっているので、他の集落の祭りの夜の撮影取材はしないことにした。