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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌5月21日〜31日

21日(日) 19日に発生したとされる飯山市の通称「だんご橋」の上流で発生して山腹崩壊。昨夕初めて知り、今朝早くから現地にむかった。
 その後、「No.305+No.306」のセットを20日に配る予定だった横倉、箕作、月岡の計82軒を廻る。横倉の集落内の田んぼの田植えがいっきに進んでいたのが印象的だった(下写真)。

 


 午後〜夜は、飯山市の山腹崩壊のブログ用レポートの作成と、No.307の執筆・編集。

 

22日(月) 4月23日の村議選で当選した議員から成る17期村議会の初議会。
 初議会は本来、「議会構成」だけでいいのだが、村長及び議会事務局に「村長提出の議案がなければ議会を招集できない」という誤認識があったようで、専決処分の承認案件などの審議、さらに村長提出の議会全員協議会もあって、長い昼休憩を挟んで、午後3時近くまでの長い初議会となった。
 昼休みが2時間近くあったので、いったん家に戻り、No.307の編集を完了させた。議会に戻る時、役場横の気温表示は31℃! 午後の議会は窓開けっ放しで開催。
 また、夕刻からは役場側主催の議員歓迎会があったが、議会終了後、その会までの間に「議員活動報告」に掲載する初議会の様子の記録をざっと書き上げた。
 帰宅は午後9時前だったか。明日の配達物の印刷や折り作業で結構遅くなった。写真撮影はなし。

 

23日(火) 今日の主予定は秋山での配達だったが、アスパラの出荷状況を滝沢総一郎さんにお聞きする必要があり、朝7時頃、総一郎さん宅へ。先週末からの気温上昇でアスパラの成長がようやく順調になったようだ。「まあ、少し持っていきないさいよ」と言って、随分たくさんのアスパラを下さった。何人かにおすそ分けしたが、私自身は秋山から戻った午後4時頃にさっと湯がいたもの3本分をマヨネーズをほんの少しつけただけで豪快にいただいた。これぞ“ザ・アスパラ”。美味い!
 宮川頼之さん宅にも立ち寄り、さらに青倉で1軒、上がって少し話。その後に秋山へ。
 頼之さん宅では、期待していた通りの場面に出会い、写真を撮らせてもらった。昨年誕生した育真(いくま)ちゃん。お母さん、じい・ばあがアスパラの出荷作業をされている所でハイハイ。素晴らしい子育ての姿だと思う。一哉さんそっくりだ。

 

 


 日出山線→鳥甲牧場→五宝木集落→天池→切明→林道経由で屋敷→小赤沢の順。途中で電話取材受けが入り、少し時間がおしてきて、上の原の10軒、和山の11軒は後日配達に変更し、秋山では75軒の配達。
 夕刻6時に十日町で「中越」の阿部巧さんと数年ぶりで会った。いわゆる「地域おこし(づくり)」に関わる若者がどのようにして一定の収入を確保するか、あまりお金をかけない空き家再生・活用について、「中越」で蓄積されてきた経験・知恵についてご教示いただいた。空き家については、6月に具体例を複数見せていただくことになった。こういう教示、経験や知恵の交流がとても大事だ。
 帰宅後、やはり印刷・折りなど。

 

24日(水) 5月の青倉米発送の一部発送と全体の発送準備。
 その中で、森の広瀬敏男さんご夫婦の約7畝の田んぼの手植え、また、小林昇子(のりこ)さんと広瀬トヨさんの2枚の田んぼの手植えを撮影。(写真左はトヨさんの手植えの姿。植えるのがものすごくはやい。写真右はトヨさん(左)と昇子さん(右)

 

 

 

 日中は予報されていたような雨は降らず、パラパラ。基本は曇天。4人共に「これが “田植え日和(びより)”」と言っておられたが、たしかにそのとおり。昨年6月初め、カンカン照りで汗をかきながら田植えしたことを思い出した。
 この田植えの撮影の合間に、敏男さんの田んぼのすぐ横、広瀬隆司さんの家のツツジを撮影した。昨年、撮影を頼まれた縁で、このツツジの存在を知った。いろんな写真を撮ったが、ここでは、お宅のすぐ脇のいちばん立派なツツジを紹介させていただきたい。

 


25日(木) 朝から午後3時すぎまで。青倉米の発送準備に没頭。何人かには急遽、アスパラも送ることになったので、その注文や受け取りに走ったことも時間を要した一因。
 配達はほとんどできなかったし、写真も1枚も撮っていない。
 疲れがたまったようで、夜、かなり早く寝ることにした。

 

26日(金) 朝7時半頃、平滝から野々海へ。野々海の融雪の状況を見ておきたいと思っての行動。野々海の雪はまだ多い。今年はとにかく雪が硬く、少々の気温上昇でもあまり融雪が進まない。
 でも、水番小屋の扉を開けられる状況にはなっていた。6月4日の野々海普請はなんとかなりそう。また、堤に下っていく道の脇の雪が、低くなっている(減っている)だけでなく、地面の方からも融けるようになっているのが確認できた(下の写真)。こうなると、これからの融雪のテンポは上がるかもしれない。

 


 平滝から野々海にかけて、山菜採りに入っている人が多い。地元の人間ではない。また、野々海に上がる時に「福岡」ナンバーの車を見かけ、不審に思った。帰路でも同じ車がいて、車に捕虫網が立てかけてあった。集落に近い地点であり、また近くに別の観光客集団もいたので、思い切って声をかけた。「何を捕るのですか?」と尋ねると、「言わなきゃいかんとか?」と博多弁ですごまれた。「はい」と言うと、それなりの返答。捕虫網を持っている人間に声をかけるのはかなりおっかない。臨機応変、声をかけるか・かけないか、的確な判断をしなければならない。
 また、「復興への歩み」でも取り上げるが、ブッポウソウの観察に観光バスが平滝の簡易水道場のところまで上がってきているのに出会って、驚いた。
 明日27日に東京・神田で、この2年、私がアスパラや山菜を持って行っていた「すずらん祭り」があるが、今年はさすがに行く時間がとれない。小滝におられた加藤さんが現場での販売をやって下さるので、宅急便で発送。午後はその作業でほとんどの時間を費やした。
 配達は横倉などで14軒のみ。

 

27日(土) 朝方、平滝・白鳥で48軒を配達した後、飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の現場へ。
 今日は、震災の後、栄村をご支援下さった、現桑名川区長の鷲尾静雄さんなどに避難所でお会いできて、いろいろとお話をお聞きすることができた。

 

山腹崩壊が発生した箇所。21日に続き、2回目の撮影。


 帰村後、午後は東部を中心に55軒。
 夕刻から、飯山の山腹崩壊・土石流をめぐってレポート書き。
 今日午前10時開始の「すずらん祭り」に宅急便が間に合うか、ヤキモキしたが、午前10時20分過ぎ、加藤さんから「荷物が届いた」という連絡をいただいて、ホッと胸をなでおろした。山腹崩壊の現場に向かう途中だった。

 

28日(日) 朝方、20軒の配達の後、すずらん祭りに届けたワラビとタケノコをお世話いただいた天地の斉藤克己さん宅を訪ねて、少し話をしていると、「天地の山で行方不明者発生。道案内をお願いする」という連絡が克己さんに入った。
 役場職員と共に現場に向かう斉藤夫妻に同行。現場に着く直前、行方不明者を出したグループの車と出会う。「警察に電話したが、『道がわからないから、県道の天地入口で待っていてほしい』と言われた」とのこと。私が警察を出迎えに下りた。すぐに来るのかと思いきや、飯山署からの出動で30分ほど待った。
 警察官と共に現場に戻った。行方不明者とは携帯がつながっていたので、パトカーのサイレンを鳴らし、「聞こえるか」と尋ねたが、「聞こえない」という返答。携帯の充電が切れそうとのこと。斉藤勝美さんと共に沢に下った。たしかに良いタケノコが出ている。だが、行方不明者は見えず。かなり険しいところで、とくに林道に戻る時の登りがきつかった。(翌日、足の筋肉に張りが出た)
 行方不明になったのは須坂市の83歳男性。家族が捜索願を出して、消防団と警察ヘリが出動することに。消防団は午後3時天地集合。私はそれと入れ替わりに配達に戻った。間もなく、ヘリが発見。人騒がせである。斉藤克己さんお話では、「朝方、車が4台上がって行った」とのこと。クマの問題もあり、放置できない問題である。

 

29日(月) 東京・駒場の保育園の父母に5月〜9月、月1回野菜を直送という仕事を今年から引き継ぎ、今日がその発送日。
 その仕事にとりかかる前に、「スキー場頂上部の林のイワカガミの開花状況を見ておこう」とスキー場へ。「そろそろ一斉開花か」という予想は当たっていて、いい写真が撮れた(「復興への歩み」で紹介の予定。スキー場頂上からの眺めの写真は次頁)。
が、野菜発送に要する時間の判断に狂いがあって、夕刻4時の宅急便回収に間に合わない荷物が出てしまった。結局、その分を運んで飯山市木島のクロネコヤマトの営業所まで行くことになってしまった。
 帰路、桑名川に立ち寄ったところ、「土石流の危険」で通行止めになっていた県道の出川橋の通行止めが解除になっていた。4世帯への避難指示は継続。飯山線は運休を続けているが、飯山線の鉄橋は出川橋よりも安全な状況。JRの判断には疑問をもつ。
 配達はできず。

 

スキー場頂上からの眺め(午前9時45分撮影)

 

30日(火) 起床は早かったが、「議員活動報告」の印刷と別原稿の執筆中の午前9時すぎ、村内放送で「森の都丸幸郎さんが行方不明」という放送。朝6時にも放送があったが、その時は氏名非公表。都丸さんの名前が出たので、役場に電話し、私は青倉の山へ。
姿は見えず、青倉・西山田の農道とスキー場内の村道との三叉路から下る途中に警察官と出会い、「貝立山にはこの道を進めばいいのか?」と尋ねられた。たしかに「この道を進めばいい」のだが、土地勘がないと感じたので、私が道案内役をかってでた。
 結局、ご遺体で発見することになってしまった。毎年、山菜採りによく行かれた場所だった。残念な結果になったが、山村・栄村で暮らしてこられた都丸さんらしい最期とも言えると思う。ご冥福をお祈りする。
 午後遅くから森と青倉で62軒の配達。少し立ち寄り先で話をしたりして、夜6時半すぎに温泉へ。
 なお、今朝5時すぎに起きた時は寒くてストーブをつけた。午前中は雪の上にいたので暑さを感じなかったが、午後、里では猛烈に暑かった。

 

31日(水) 朝は5時から6時の間の起床。メール送信やブログのアップをした後、「野々海の様子を見ておこう」と考え、8時頃に平滝から上がった。
 見ておきたかった様子というのは、1つは残雪状況だが、もう1つは無断での山菜採りなどでの状況の把握。
 残雪は相変わらず多いとも言えるが、6月4日の普請がある程度出来る状況にはなっていた。
 無断の山菜採りはやはり多い。関東圏のナンバーも見える。そのうえで、今日最も驚き、「困ったな」と思ったのは、信越トレイルの天水山越えをするというグループ(10人ほどで女性が多かった。東京方面から)に出会ったこと。夕刻までに遭難騒ぎは聞いていないので松之山口に無事下りたのだとは思うが、まだまだ雪が多いこの時期に天水山越えというのは無謀としか言いようがない。それ以上に困ったのは、「私は地元です」と名乗った案内役。「地元って何処ですか?」と問い返すと、「斑尾」とのこと。これは「地元」ではないと私は思う。野々海に人を案内してくる飯山方面の人はほとんどの場合、自分のことを「地元」と主張される。  「栄村がしっかりしていないのが悪い」と言われれば、それまでのこととなってしまうが、私は納得し難い。
 そんな次第で午前10時半過ぎに下に下りたが、暑い! 頑張って配達をしたが、昼すぎから強烈な眠気。これは寝不足の結果というよりも、熱中症の1つの症状ではないかなどと思った。あまり無理すべきではないと考え、午後は4時頃、散髪へ。
 夜は早く就寝。

 

 最後に写真を3枚。

 

タニウツギと高倉山・青空(28日午後撮影)
栄村ではタニウツギはあまり好まれないようだが、原因は「火事を呼ぶ花」と言われたことなどだと思われる。だが、綺麗な花だ。「田植え花」という別名もある。

 

秋山郷・白沢近くの不動滝
(5月23日午前撮影)

 

天池から眺める鳥甲山
(5月23日午前撮影)


配達日誌5月11日〜20日

11日(木) 昨夕の6時すぎに降り出した久々の本格的な雨。朝までにほぼ止んだ。私自身は今週、残雪が多くあるところにばかり行っていたので、「乾燥」ということをまったく意識していなかったが、残雪のないところは相当に乾燥していたのだと思う。
 一度目覚めたのは3時前だったか。さすがに早すぎると思ったし、眠気もあったので再度眠って、5時前に起床。
 朝から「復興への歩み」No.306の執筆と「配達日誌」5月1日〜10日の編集。午前中、30kgの精米と発送を挟む。
 午後は2時から私の知人と知人の引き合わせ。その後、思い立って極野〜五宝木間の道路に五宝木側から入って、残雪状況などの調査。3時半に逆巻交差点から日出山線に向かい、五宝木〜極野間の残雪・通行不能区間を歩いた。歩いたのは往復約45分間。

 

車では進めなくなった地点


 歩きながら、「ジャーナリストの仕事をしているのか? それとも議員の仕事をしているのか?」という問いがふいに頭の中に浮かんだ。答えは「両方を兼ねている」だと思う。現場を見ずしては何も言えない・書けないということは両者に
共通している。
 途中に通った鳥甲牧場が、3日前の8日に比べて、土が出ている部分が圧倒的に広がっていて驚いた。帰路は融雪で出る水蒸気のゆえだろう、霧がものすごく、道路の一歩前が見えない地点がかなりあって、運転に苦労した。
 帰宅後、やや風邪気味。五宝木〜極野間の山道を歩いて汗をかいたが、着替えを持っていなかったのが原因か。葛根湯がきれていたので、購入して、それをのんで就寝。

 

12日(金) 起床すると、風邪っ気は抜けていた。
 昨日の午後遅くに五宝木に行ったのは、極野〜五宝木間の道路状況について記事を書くため。しかし、その行動のために、「復興への歩み」No.306は昨日中に完成させることができず、今日の朝方も編集の続き。また、極野〜五宝木間の道路状況と対応策について役場の担当者宛にメモを作成。
 昼食後、スキー場へ。「頂上まで車で行けるのではないか」と思ってのこと。
 やはり行けた。頂上のカタクリはピークを過ぎた感じ。これから雪が消えるところにも咲くので、まだそこそこに楽しむことはできるが…。今日は、頂上の林にも入ってみた。雪が残るが、その先にイワウチワの群生。きれいだ。イワカガミは今日雪が残っていたところの雪下で出番を待っている。今後の天候にもよるが、17、18日くらいには本格的に姿を見せるのではないだろうか。

 

スキー場の頂上リフト降り場のカタクリ群生地の先に残雪の林がある


 スキー場頂上からさらに貝立山裏の水路かけ口までの道路状況も見たかったが、配達もせねばならないので、今日は断念。
 下に降りた後、森の23軒などに配達。

 

13日(土) 6時頃起床で、朝から配達。東部地区で87軒。
 車に載せた印刷物が足らなくなり、10時頃にいったん帰宅。「復興への歩み」No.306をブログにアップ。
 11時前、「おいこっと」お出迎えに森宮野原駅へ。GW直後の土日で、しかも雨模様。これまでに出会った「おいこっと」の中で最も乗客が少なかった。でも、車内でオカリナ演奏をした中野市のグループと素敵な出会い(下写真)。その後、「道の駅」でキノコ汁・ごはん&山菜天ぷら。計550円だが、一般の店だったら千円くらいするであろう内容とボリューム。

 


 帰宅後、「配達日誌」5月1日〜10日のブログへのアップと「復興への歩み」等の増刷。その途中で2種類のトナーが交換となったが、イエローのストックがなくなっていることに気づいていなかった。土日なので月曜まで発注がきかない。月曜日に配達する分を確保できない。
 午後1時半頃発で主に西部地区の配達。50軒。
 加工用トマトの畑の準備が進んでいる。妹木のトマトハウスで頼之さんご夫婦と少しお話。ご夫婦はズッキーニの種蒔き作業。とにかくよく働かれるご夫婦だ。
 朝から、筋肉の張りを感じ、「昨夜、久しぶりに本格的に体操したせいか」と思っていたが、午後の配達の途中で喉に痛み。どうやら11日夜の風邪っ気が残っていたようだ。

 


朝、滝沢総一郎さんのアスパラ畑を訪れた

 

妹木の頼之さんの畑。もうマルチがはられていた

 

14日(日) 今朝は朝6時から空き缶拾い。村で「6時」と言われれば、「5時半くらいかな」と思いつつも、「5時半では早すぎるだろう」と思って5時40分頃に出たら、案の定、半分ほど終わっていた。
 続いて、8時から普請。
 昨夜はゆっくりしたつもりだったが、5時の起床時、体のだるさが残っていた。普請終了時はかなり消耗。11時頃に、「あっさりして、食べやすいもの」と思って、冷やしうどんを食べたところ、かなり疲労感が薄らぎ、さらに「デザート」と称してシュークリームを食べたら、かなり元気回復。その結果、迷っていたスキー場頂上行きを強行。というのも12日のイワウチワ撮影があまりうまく出来ていなかったため。今日行ってよかった。12日と較べると、花の勢いがピークを越えた感じだったから。
 続いて、貝立山裏の道の開き具合を見に行った。貝立山登山口を過ぎたところで車は進めない状況。ちょっと迷ったが、歩いて進むことに。最高の気分だった。往復30分程度だったが、かなりリフレッシュ効果あり。

 

最高の気分!

 

 帰宅後、写真データの取り込み、1時間程度の睡眠など。かなりしつこい体のだるさだが、なんとかなりそうだと思う。
 なお、普請の休憩時に、ある人が「これ、シオデでしょう?」と言い、かなり急なところを登って採って来て、「はい、1回分」と言って、私に下さった。昼食の際、これを湯がいたものを冷やしうどんに入れてもらったが、絶品!

 

15日(月) 朝一番で、トナーの発注を間に入る業者さんに再確認。12日金曜日から印刷できなくなっているが、昨日14日に配達しなかったので、既印刷分がまだあり、水内地区を中心に午前中に54軒配達。
 午前中から時折、小雨が降っていたが、午後3時半頃、強い雨。雨音が激しくした。しかし、これもそんなに長くはなかった。
 夕方からはトマトの国の愛湯会。計16名参加。今回は、新しく着任した板前さんの紹介とその料理のお披露目が開催目的。新しい板前さんの料理、私は4月23日の花見に続いて2度目だが、ほとんどの人は初体験。「わあ、綺麗!」、「すごいごちそう」とひとしきり感動の言葉が全員の口から噴き出た。
 「そもそも愛湯会はなぜ始まったのか」という話も出て、7月半ばすぎにトマトの国の周辺の草刈りと今年3回目の愛湯会をやることになった。「地元の力でトマトの国を盛り立てる」――いい感じになってきている。

 

16日(火) 「発注したトナーが来るのは早くて10時頃だろう。それまで印刷も配達もできないから、秋山のいろんな様子を見に出かけよう」と考え、朝7時前の出発で、日出山線→鳥甲牧場→再び日出山線→秋山林道→奥志賀公園線との境のゲート(まだ冬期閉鎖中)まで→戻り、切明温泉へというコース。
 奥志賀公園線のゲート先にも少し歩いて入った。残雪はほとんどないが、ブナがまだ芽吹いていない。

 

芽吹きも未だという中で1本だけ花を咲かせるヤマザクラが印象的だった


 帰路、ヤマトのドライバーと出会い、極野〜五宝木間が通行できる状態になっていると聞き、帰りはそのコースをとった。
その前に、和山で、間伐作業をしている森林組合の若者が昼休み休憩しているのと出会い、「天然記念物が栄村で発見されたら、どんなことになりますか?」と謎かけされた。なんと、ヤマネという天然記念物を誤って捕獲したのだ。私も写真を撮らせてもらった。その後、脱走して、自然界に戻ったと電話で聞いたが。帰宅後、県の自然保護課に連絡(翌17日、「写真が欲しい」等の連絡が来た。環境省が関心を示しているそうだ)。
 帰宅後、大量の印刷。夕刻に人に会いに行ったこともあり、配達には至らず。

 

17日(水) 朝からせっせと配達。午前中は白鳥と青倉を中心に89軒・97部。
 お昼前に、「西山田の圃場整備を前に、ボヤ(小ぶりの雑木)を伐っている。その後、大きな木を倒す。ボヤがあるため見えなかった景色も見えるようになった。この景色も見納めだよ」と知人から電話をもらい、昼食前に撮影へ。

 

雑木がなくなり、たしかに田の姿がくっきり浮かび上がっている


 午後、平滝に配達に行き、25軒の配達を終えて、野々海に通じる道の集落内でいちばん奥まで進んだところで、「まだ道開けは再開されていないだろうが、9日に歩き始めた地点あたりの融雪の具合くらい見ておこうか」と軽い気持ちで上がって行ったら、なんと道が開いていて、結局野々海池まで。
 長靴とウインドブレーカーしか持っていず、けっこう寒かったので、あまり無理せずに帰ってきたが。
 途中、女性が運転する京都ナンバーの乗用車が下ってくるのを見かけて、驚いた。
 帰宅後、野々海普請(6月4日予定)の関係者に残雪の状況を知らせるために、急遽、写真レポートを制作。
 夜は、人と会うために外出。
 昨日くらいの段階ではっきりしたが、14日頃にピークがきた体のだるさ、背中の張り、軽い風邪もあったが、主因は疲れ。4月選挙戦の疲れ、あるいは5月上旬に騒ぎ過ぎた疲れがいま頃になって出てきているようだ。今週いっぱいくらいで抜けるかなと思う。

 

18日(木) 朝早くからひたすら配達。No.304(4・14付)未配達地域を解消するために、No.304〜206の3号セットを107軒配達。計算ミスのために、途中で部数が足らなくなり、追加印刷に戻り、再び東部のいちばん奥まで配達に行き直すなど、効率の悪い面もあったが、とにかく完了できた。
 午前中の早い時間、この間出会えなかった人と配達途中にちょこっと立ち話。まだ選挙結果が話題になる。
 夕方近くに、用件が2件あって、役場へ。うち1件は16日夜の横倉でのクマ出没に関わるもの。具体的なことは「復興への歩み」に書こうかと思うが、役場に対応の遅さに対する村民の不満・批判の通報をうけて、「なぜ、遅れたのか?」の解明。問題点は解明でき、私に通報してきた人にはすぐに回答。思うことは、クマ問題に役場が危機感と根本的対策方針、対応体制を未だに確立できていないということ。これは、4月に相次いだ秋山を中心とする震度3レベルの地震への対応をめぐっても感じられる。
 午前中は今日未明の雨を引きずったような天候で、気温もあまり上がらなかったが、午後、きれいに晴れ上がってきた。空の色は、この間晴れ上がった時に見られた、いわば「濃い青空」というものではなく、「淡い青色の空」。うっすらと雲がかかっているというのではなく、青色が淡い感じで、とても良いのだ。それと奥山の芽吹き直後の色とが合わさって、「素敵だなあ!」と思った。あまりうまく撮れていないが、極野の奥山方向を望遠で撮ったものを1枚。

 

19日(金) 午後1時から安曇野市堀金(ほりがね)公民館というところで、長野県町村議会議長会事務局主催の「初当選議員研修会」。ここで言う「初当選」はここ2年間に初当選した議員という意味。栄村の場合、先月23日の選挙で初当選した人は今日5月19日の段階ではまだ議員の任期がスタートしていないので、対象外。私を含む昨年4月補選での初当選者が対象。1名は再選がならなかったため、もう1名は所用で欠席ということで、私のみが出席。約3時間の講義2つ。得るものは少なかった。
 会場の堀金公民館は北アルプスの常念岳の麓。景色はいい。写真は撮らなかったが。
 私は、単独行で午前中、白馬村に立ち寄った。7日に撮れなかった白馬村被災地の現在の様子を撮影するのが目的。途中、道を間違って30分以上ロスしたこともあって、あまり廻れなかったが、いちばん被害がひどかった堀之内区に着いた時に最初に見た景色があまりに美しく、強烈な印象を焼きつけられた。「凄い景色!」と興奮している時はあまりいい写真が撮れないという経験則があるが、帰宅して写真データを見ると、やはり強烈に焼きついている印象を再現できていない。それでも、いちおう紹介しておきたい。
 思い返してみれば、白馬村で地震があったのは、紅葉も終わり、もう間もなく初雪という季節。その後に訪れたのも冬。春〜初夏に訪れたのは初めて。北アルプスを望む地域の春〜初夏の景色はすごい! 白馬村から大町までの青木湖、木崎湖あたりの景色もよかった。

 

 

 これに匹敵するものは、やはり上の原から望む鳥甲山連峰の景色だろう。私の感覚からすれば、「のよさの里」の屋内ではなく、「のよさの里」の前の庭、さらに天池(本来のもの)のほとりに洒落たテーブルとイスがあって、そこでコーヒーなどを口にしながら、絶景を眺めることができるという仕掛けが欲しいなあと思う。

 

20日(土) 昨日の安曇野行きで朝に満タンにしたガソリンがほぼ空っぽに。昨夜は給油できなかったので、朝7時のスタンド営業開始直後に給油(起床は早く、2時間弱の印刷等の作業後)。
 その足で野々海へ。その結果を記した「野々海でミズバショウが出た!」をブログにアップ。その後もスキー場頂上のイワカガミの開花状況の調査、5月初旬に住民がクマの穴と思われるものに出くわした場所の調査等で一日中走り回った。今日中に終えたいと思っていた配達は結局明日に延期。
 野々海の残雪状況、クマ問題で2本のブログ記事を書いたが、公表は明日以降にする。
 


配達日誌5月1日〜10日

 1〜3月の議会の忙しさ、4月の選挙戦などで「配達日誌」が止まっていましたが、5月1日から再開しました。

 

1日(月) 基本的に「復興への歩み」No.305の編集で一日を過ごした。その他に、当選証書の受領書などを役場に届けたり、米の発送をしたり。写真撮影はなし。

 

2日(火) 秋山郷行き。405を進み、前倉あたりまでは桜、芽吹きが見られたが、小赤沢から奥ではごく例外的な数本を除いては、桜の開花なし。山桜は開花が近づいている様子すら感じない。
 「下(しも)」は暑いくらいだったので、窓を開け放しで運転していたが、寒くなり、ちょっと風邪をひいた感じ。
 今日は、秋山林道で志賀高原方面へどの程度行けるのかを観察するのが主眼。小赤沢、屋敷で限られた何軒かに配達した以外は、そこらじゅうを走り回り、写真撮影。
 コミズとミズノサワ(オオミズ)の沢を下ってきた雪の量、積雪量の凄まじさに圧倒された。林道での落石の多さ、斜面が抜けているケースがかなりあることにも衝撃を受けた。連休を前に「通行止」の徹底を図らないと危険と判断し、役場に連絡。担当者
が役場を午後4時半出発で秋山に向かい、対処してくれた。感謝!!

 

ミズノサワ  道は開けられているが、木が根から道路に落ち、車は進めない


 夜、ブログ記事「自然界の物凄さを驚きいっぱいで感じました」をアップ。

 

3日(水) No.305を主に森、青倉で配達。計112軒。それ以外に午前と夕刻に手伝い仕事。
 午前11時頃に森宮野原駅到着の「おいこっと」歓迎に森宮野原駅へ。30日に続いて2回目。観光協会幹部数名が姿を見せ(下写真)、「商工観光課長が列車に乗ってくる」とのこと。その後の話では「近隣市町村との当番制」との話。もう少し話を聞かないと、よくわからないが…。

 


 午後は主に西部地区の協賛者宅の配達と宮川頼之さんの加工用トマト畑の堆肥撒きの様子などを見学・撮影。
 夕刻、「温泉に行こうか」と思っていた時に、知人から「クマが木に登っている」という電話をうけ、現場へ急行。現場で30分間近く、撮影を続けた。ブログ「クマがブナの木に登り、新芽・新葉を食べる」をアップ。

 

4日(木) 昨夜が比較的遅かったので、最近の「5時頃起床」から久々に「7時前起床」に戻った。
 朝方、平滝、白鳥で33軒配達の後、手伝い仕事と「おいこっと」のお出迎え。今日は津南町役場の担当者2名が、卯ノ木(うのき)神社の笛の奏者を伴ってパンフ配り(下写真)。笛はなかなかよかった。

 


 急速に気温が上昇し、暑い。
 昼に久々に中子(なかご)を訪れた他、午後は1時間ほどの午睡と、4〜6時の手伝い仕事。
 夜はかなり早めに床に就いたが、電話で1時間半ほど話し込み。

 

5日(金) 今日も起床は遅め。
 朝方、東部地区の協賛者宅など27軒配達。その後、「おいこっと」のお出迎えへ。今日はポケットマネーで冷やしたトマトジュースを60缶用意。あっという間にはけた。配る小パンフも「さかえむらトマトジュース」を紹介したものを新たに作成。

 

「おいこっと」車内で「さかえむらトマトジュース」を飲む人


 午後は秋山の配達に向かった。2日は405での往復だったので、4月28日以来久々に日出山線〜鳥甲牧場のコースを辿った。「下(しも)」は夏の暑さ。シャツ1枚、窓全開で走っていたが、鳥甲牧場ゾーンに入ると肌寒さ。風が強かったこともあるが、早春の気温。残雪はかなり減ったが、
 畑地のほとんどはまだ雪に覆われたまま。今年の作付は少なくとも半月単位で遅れそう。
 屋敷に下り、坂の上から屋敷橋付近の山桜を見てビックリ。3日前の2日には「蕾」さえ見えなかったはずなのに、山桜が満開!
これがきっかけでいろんな地点で撮影をすることになった。その結果、配達は上の原と和山での23軒のみ。
 夕刻、スキー場をどこまで車で上がれるかをチェックした帰り、3日夕にクマを見た地点に向かうと知人の軽トラが停車していた。「今日も登っている」とのこと。15分ほどの間、撮影。

 

6日(土) 朝の起床は早かった。5日夕のクマの目撃のレポートを作成。その後、「おいこっと」の出迎えへ。
 その後、クマの目撃レポートのブログへのアップ、FB、ツイッターへの投稿を行なって、2時頃に遅い昼食。久しぶりに「味郷」のとんかつをがっちり食べて、ほっこり。「今日は久々の休養日」と開き直り、少し午睡。その後、5日の秋山の様子のレポートを作成。ブログへのアップ等も行い、さらに「おいこっと」出迎えの記録集も編集。

 

大家さん・月岡英男さんが田ぶちを始められた


 明日は7時から運転なので、早めに就寝。

 

7日(日) 4時すぎに起床。「おいこっと」出迎え記録集のブログへのアップ等を終えた後、7時に松川村への送迎を頼まれていた知人宅へ。
 松川村の目的地には9時半頃に到着。知人が訪問目的を果たしている間、私は車で1時間弱の白馬村堀之内区に2014年の神城断層地震当時の区長・鎌倉宏さんを訪問。田んぼで代掻き直前の作業をされていた。
 城峯神社の跡地と再建予定地を案内していただいた。朝7時に知人の車に乗り換えた時にカメラを移動し忘れ、写真を撮れなかったが、堀之内区ではコミュニティーセンター(=公民館の再建)、復興公営住宅が建ち、村道の修復も出来ていて、すっかり様子が変わっていた。おそらく今月中にもう一度、訪れる機会があると思うので、その時にしっかり写真を撮りたい。
 往きは上越道を長野東インターで降りて通行料金が500円台だったように記憶しているが、帰りは安曇野インターから長野道〜上越道。豊田飯山ICで降りると、料金はなんと1820円。あまりの料金の違いにびっくり。
 松川村を午後1時に出て、3時には帰村できた。豊田飯山ICを降りて、117号線に入ると空気が冷たいのにも驚いた。

 

8日(月) 今日も朝は早起き。室内作業の後、青倉の未配達宅を廻り、午前7時すぎに上郷で給油して日出山線で五宝木を経て秋山の配達へ。
 山田政治さんがもう五宝木の家に戻っておられて驚いた。
 上の原、和山の配達は終わっているので、屋敷、小赤沢の54軒(一部は2日に配達済)。今日は昼までに下に戻り、スキー場に登ろうと計画していたので、あまり写真は撮らず、配達専念を心がけたが、屋敷の中津川右岸の地すべり対策工事現場を訪れ、現場の人から説明をしてもらった。この地すべり対策工事については「復興への歩み」で取り上げる。現場すぐそばの畑では山田由信さんが畑を耕しておられ、少し話をさせていただいた。

 

地すべり対策工事現場すぐそばの畑を耕す山田由信さん


 昼、山菜を東京に発送した後、スキー場へ。スキー場内の村道は、ゲレンデの残雪が滑り落ちてきて通行不能になっている箇所があり、残雪のゲレンデを登った。雪がない箇所はススキの切り株などで足もとが悪かったが、約10分で頂上到着。予想通り、カタクリはかなり咲いていた。

 

上の方にリフト降り場が見える。そこまでこのゲレンデを登った


 夕、カタクリ情報をさっそくブログで発信。

9日(火) スキー場のカタクリの様子を昨日確認したので、「つぎは野々海のミズバショウ情報が必要」と考え、朝から野々海に登ることを計画。
 泉平等で33軒の配達の後、平滝から野々海線を軽トラで上がった。現在、車で上がれるのは、昔、「上黒屋用の駐車スペース」が開けられた地点まで。そこからは徒歩。

 

歩き始めた地点(10時50分)


 約1時間で野々海池の堤に到着。
 下りは約40分。いちめん雪で、多いところはまだ2mほどある。野々海池周辺は芽吹きもまだ。一面雪原。木の葉がないので見通しがよい。クマの心配もない。まだ冬眠しているか、冬眠から出たクマは餌求めて山を下っているかだろう。

 

雪の深さがわかる1枚(円筒分水器付近)


 ミズバショウの開花予想は、ずばり、早い箇所で5月20日すぎからではないか。いちばん綺麗な群生地は5月25日頃から6月上旬が見ごろになるのではないか。水のあるところは雪融けも早いので。
 今日の野々海の様子も夕刻にブログにアップ。

 

10日(水) 今朝も7時すぎに給油し、東部谷で31軒の配達をしながら極野〜五宝木線へ。まだ開通していないが、残雪状況、そして3年ぶりに法面工事が再開されることになった箇所の状況を確認することが目的。
 状況は「復興への歩み」で報告するが、道路状況は予想していた以上に悪かった。
 五宝木に抜けることはできない状況だったので、その後、いったん下に下り、今度は405号線で津南町の見倉のカタクリ群生地へ。5日にブログで「見倉のカタクリは10日頃に見頃になるでしょう」と書いたので、責任上、状況を確認しに行った。バッチリだった。おまけとして、清水川原スノーシェッドでカモシカの顔クローズアップの写真も撮れた。
 今日は出会いが多かった。
 お昼すぎ、森のYショップに立ち寄った際、自転車乗りの外国人女性を見かけ、店内でサイクリング姿の男性も。「日本語、話せますか?」と尋ねると、カタコトの日本語と英語で答えてくれた。「どこへ行くの?」、「トオカマチ」、「どこから?」、「from(フロム)Fukuoka(ふくおか) to(ツー) Sapporo(さっぽろ)」?! なんと「3month(マンス)」の日本縦断の旅だというのだ。イギリス・ロンドンから来られているそうだ。お二人の写真を撮らせてもらった。いったん別れた後、思いついて名刺を手渡した。「オー、アドレス、ホームページ」と言っておられたので、後にメールが届くだろうと確信していたら、やはり夜、メールが届いた。(11日朝に彼のブログに私が撮った二人の写真が掲載された。)

 


 午後の後半は、坪野で斉藤秀男さん、斉藤広友さんに出会った。秀男さんは昨秋末に家を閉じられて長野の娘さん宅へ移られたが、今日、久しぶりに来られた。「長野では何にもすることがない」とのこと。もう86歳。体優先でやむをえない。車を運転できる体調であれば、春〜秋、頻繁に来てくださるといい。広友さんとも昨秋以来の出会い。役場に就職された息子さんのことや家屋のことなどが話題になった。お二人とも、坪野に若い人を迎え入れることを願っておられた。何人かに声をかけて、研究を進めたいと思う。

 

 

 紙面が1頁半余ったので、「復興への歩み」では紹介しきれない写真を5枚掲載する。

 

ミズノサワ前の林道の雪の壁。5〜6mの高さ。

 

宮川頼之さん・一哉さん父子の堆肥撒き作業(3日午後4時半すぎ。菅沢にて)


日出山線で出会った雪の上のサクラ満開(5日正午すぎ)

 

八重桜と布岩
屋敷集落・山田輝一さん宅前

 


清水川原第一スノーシェッド脇で出逢ったカモシカ(10日午前10時46分)

 


配達日誌2月11日〜20日

11日(土) 8時半発で大久保、箕作、平滝などで74軒を配達。
 今日も、手許メモに「11:30、降り激しくなる」、「11:55、明るくなってきた」という書き込みがある。この数日はとにかくめまぐるしく天気が変わる。
 午後は遅めの昼食の後、次の「復興への歩み」と「議員活動報告」の準備を進めたが、その一環とすて、夕刻は「トマトの国」で温泉に通ってくる1歳児の様子を親御さんの許可を得て撮影。共通入浴券の問題を論じる際に添える写真の確保。
 「トマトの国」はスキー客の宿泊でにぎやかだった。何人かのお客に声をかけさせてもらったが、スキー場の評価はよい。今年をどのように総括し、次年度以降の営業方針をどう形成していくか。スキー場開設20数年目にして、スキー場飛躍へのチャンスを迎えているのではないかと思う。
 夜遅くは強風で、雪が渦を巻いていた。
 下写真は午後5時の「トマトの国」駐車場。車の半分くらいが首都圏ナンバーのスキー客車。

 

 

12日(日) 朝の新雪積雪は2〜30cm。数日ぶりに車庫前の雪の片づけに少し時間がかかった感じ。
 午前中は知人を訪ね、いろんな話。議会で問題が十分に解明されないまま審議「終了」となり、私自身はもちろんだが、村民のかなり人たちがもやもや感を抱いておられる案件がある。いろいろと話しているうちに、どのように議会で問題を出していけばよいか、アイディアが浮かび、深められた感じ。「議員活動報告」で書き、みなさんにお知らせするとともに、会話・議論の時間を増やすことも大事だ。また、この訪問の後にお訪ねしようとして電話したが、つながらなかった人から夜に電話をいただいた。その電話でも、大事な情報をいただくとともに、私が何をしなければならないか、具体的なアドバイスをいただけた感じがした。
 今日はスキー場の「村民感謝デー」。村内全世帯に配られているスキー場の割引券を持っていくと、スキー場レストランのメニューを基本半額で食べられる。高齢の人たちがシーズン中にスキー場にやってくる数少ない日。様子を見に行った。
 まず、村外からのスキー客の車が多く、ゲレンデも賑やか。12月17日のオープンセレモニーの日以上の賑わいを感じた。ここでも声をかけさせてもらったが、好評だ。
 そんな中、見覚えのある人がゲレンデを歩いて来られるのが目に入った。月岡の南雲成一さん。奥さまと一緒で、間もなく、息子さんご夫婦、お孫さんと合流された。先日は、議会傍聴にも姿を見せられたが、一昨年7月の事故で重篤な状況になられたのから驚異的な回復。奥さまをはじめとするご家族の手厚い看護があってこそのことだが、ご本人のリハビリへの取り組みも立派。高齢化が進み、高齢者は体力が衰える方向への片道街道と思われがちの中で、こういう姿は嬉しいものだ。

 


 午後は原稿書きをある程度進められた。

 

13日(月) スキー場が“ラッキーマンデー”なので、昼頃、スキー場駐車場の様子を見に行った。確認できた他県ナンバーを挙げてみると、とちぎ、群馬、山梨、新潟(2台)、豊橋(愛知県)、名古屋、相模(神奈川県)、多摩、品川、奈良、岡山。有名スキー場のような賑わいではないが、「復興への歩み」No.301にも書いたように、さかえ倶楽部スキー場の評価は確実に高まっていると思う。今季のデータをしっかり分析し、来季の営業方針を練り上げていくことが大事だと思う。
 スキー場を訪れた以外は、役場に資料を取りに行った程度で、あとは室内で、「栄村振興公社再建(案)」の分析・検討、「栄村鳥獣被害防止計画(平成27〜29年度)」の検討、そして「復興への歩み」No.302の編集。写真撮影は基本的になし。

 

14日(火) 朝食後、印刷や折り作業など、配達のための準備作業。その後、「復興への歩み」No.302を青倉50軒に配達。
 昼食を終えると、もう午後2時からの「振興公社理事と議員の懇談会」の開会時間が近づき、役場へ。
 懇談会はあくまでも「懇談会」ということなので、そういうものとして臨んだ。詳しい内容は非公開扱いなので、私も今回は書かないが、私の発言をめぐって、“切れた”公人がいたことには驚いた。議論のしかたというものを心得ておられないのだろうかと思わざるをえなかった。

 

15日(水) 朝8時より少し前だったが、部屋の窓からスキー場を眺めた時に興味深い景色が目に入った。

 


 いわゆる「中尾のつんね」(中条川上流、西入沢川と東入沢川の間の尾根。「つんね」は「尾根」の意)の上の方なのだが、白いものが点々と見える。「何だろう?」と不思議に思ったが、どうやら強風が木の幹に雪を吹きつけた結果、雪柱のようなものが出現したのだと思われる。
 配達に出て間もなく、電話が入って知り合いと会うことに。午前中はそれで終わり、配達は午後が主。白鳥の国道沿い、国道より下、月岡などを廻り、今日は96部の配達。
 配達で出会った“雪の階段”の写真を1枚。

 

 

 写真上部で道は2手に分かれる。この先に2軒のお家がある。雪とのつきあいが大変だろうなと思う。

 

16日(木) 平滝などで22軒を廻った後、10:17に津南町・大割野から国道405に入り、秋山郷へ。
 今日は天気予報通りで、ポカポカ陽気。上の原まで行ったが、基本的にアイスバーンはなし。
 上の原と屋敷の全戸、小赤沢の一部を廻ったが、各所で除排雪が行われ、1月18日に行った際にあった「雪に埋もれている」という感じはなくなっていた。
 ただし、屋敷の民俗資料館前の道は除雪ができず、通行不可のままだった(この道はもともと流水による除雪のみで、除雪車は入らないようだ)。下写真がその箇所。

 

 

 雪の少なかった昨冬は“天池”に何回か長靴で行ったが、今年の秋山は「下(しも)」よりも積雪が多い。なので、長靴で天池に行くのは無理。“かんじき”を用意し、天池に行った。観光宣伝の定番で紹介される「天池」を越え、本来の天池まで。気温上昇で雪がやっこくなっているので、往きはかなり大変だった。往復でかなり汗をかいたが、素晴らしい景色を見ることができた。その写真は「復興への歩み」で紹介することにしようと思う。


 昼食の弁当を食べるために「のよさの里」にお邪魔していた時、窓の外に突然、テレビカメラが…。窓を開けて尋ねると、テレビ東京の取材。外に出て、どの頂が鳥甲山なのか等を説明。なんでも、「お昼ごはんを見せてください」という内容の番組の取材。「お昼ごはんを見せてもらえますか」と言われ、「食べ終わったところですよ。しかも、コンビニ弁当ですよ」と言って、大笑い。AD(アシスタント・ディレクター)に名刺をもらったので、「初夏にまだ雪が残る野々海の水番小屋でタケノコ汁で昼飯」というのを取材してくれるように話を持ち込もうかな、などと考えた。
 天池を歩いたことなどもあり、結局、秋山を出たのは午後4時頃。
 今日はいい写真がたくさん撮れて、とりあえず、国道405で出会った「雪庇落とし」作業の様子をブログにアップ。

 

17日(金) 8時前に出発して、まず、津南町の朴(ほ)木沢(きさわ)から曲がりくねった坂道を上り、中子へ。「復興への歩み」の届け先が2軒ある。冬になってからはもっぱら加用から直線的な坂道を上がっていたが、今日は朴木沢からのコースを選んだ。途中で何枚かの写真を撮ったが、結構気に入った。1枚だけ紹介したい。

 


 「日誌」としては異例の大きさでの掲載。なかなか素敵な風景だと思う。ちょうど中央にさかえ倶楽部スキー場のゲレンデが見える。それよりも右手、いちばん高いのが天水山だと思われるが、頂上に近いところで、雪が落ちて、土が剥き出しになっている箇所がある。昨日から気温が上がっているので、山の各所で雪が落ちている。夕刻にはトマトの温泉の湯舟から見える「中尾のつんね」の断崖でかなり雪が落ちた箇所があった。
 中子から加用に下って、やはり津南町の羽倉へ。白鳥出身の久保田晋介さん宅に配達。久保田さん宅に行く時間は、飯山線のダイヤとの関係で調整していた。先日、羽倉に行った時、羽倉の道から見える飯山線が「いい絵だなあ」と思ったので、森宮野原9:06着の上り列車を撮れるようにしたのだ。しかし、時間計算をちょっとミスしたため、撮影地点に着くと、すぐに列車の音。慌てて撮影したのだが、なんとこれが「おいこっと」車両(土日以外は通常運行ダイヤに車両が使われている)。ラッキー!!
 その後、横倉集落を主に廻り、今日は計61軒。
 午後は室内作業で、昨日の秋山行きで撮った写真で2本のブログ記事を編集。「中津川下流の2つの景色」と「“かんじき”を履いて・・・」。
 午前中から雨になっていたが、11:20に森で9℃。しかし、午後3時頃、すごい強風が吹き、その瞬間は雨がみぞれに変わった。東京などでは「春一番が吹いた」と報道されているが、栄村は昨日と今日午前中からは一転、北風が入り込んだようだ。しかし、雪が予想された夜になっても雨のまま。

 

18日(土) 長野市で“ひんご遺跡”発掘の結果についての報告もある「掘るしんinしののい2017」という催しが開かれるので、その報告を聴くために朝8時頃出発で長野市篠ノ井へ。
 上信越道を長野ICで下りるつもりだったのが、いつもの習慣で長野東・須坂ICで下りてしまった。道路地図を所持していなかったので、大体の勘で篠ノ井までは行けたが、会場周辺の道が分かりづらく少々迷って、時間を喰ってしまった。催しは午後3時までのものだが、他にも用件があるので、谷主任調査研究員の報告約30分間を聴いた後、県埋蔵文化財センターでひんご遺跡出土で復元された火焔型土器などの展示を見て、篠ノ井を後にした。
 長野市では、人とお会いし、さらにその後、東急百貨店に移転した平安堂書店も訪れた。書籍売り場面積が大幅に縮小されていた。“本屋”としてはもはや二流の店になったと言わざるをえない。
 帰路、飯山日赤に入院中の知り合いに「復興への歩み」やブログ記事の印刷物をお届けした。飯山日赤にはずいぶんと多くの村人が入院されているようだ。夕食も済ませて午後6時頃に帰村。

 

19日(日) 昨夜から今朝にかけて積雪あり。

 


 朝、家の中(2階の窓)から面白い写真を撮った。上のものだが、屋根の雪が落ちきらずに、軒先にぶら下がっている様子。
午前中は東部方面の配達。天代の1軒を訪れたのが午前11時40分。その後、坪野、原向とむかうつもりだったが、出発時に給油を忘れ、燃料がなくなってきたので、引き返した。
 昼食後、泉平全戸と箕作の約半数を廻り、今日の配達を終了。
 朝、「今日は配達経路そのものを撮ろう」と思い立ち、午前の全経路及び午後の泉平の経路で数々の写真を撮った。夜、早速、「2月19日の配達路を辿る」というタイトルのブログ記事を編集してアップしたが、雪坪と極野一部のみしか編集できず。

 

20日(月) 一日中雨。今日は配達を休みにし、午前中は3月議会での一般質問の「質問要旨通告」の作成(午後1時締切)と、25日のお米発送用のシールの印刷や袋への貼付け作業。
 お昼は12時半頃から2時半頃まで昼食を兼ねて用談。その後、お米の袋詰め作業。
 夜は6時半頃から「トマトの国」で愛湯会の集まり。みなさん機嫌よく、たくさん飲まれたが、同時に、共通入浴券問題で“みんなの要望”についても話し合われた。「これを無くしたら、もうここに来る人はいなくなる。そんなことになったら、栄村はもう終わりだ」という声が共通の声だ。
 宴たけなわとなった頃から外は降雪が本格化。久々にお酒を飲んだが、帰宅後2時間ほどで醒め、昨日の続きのブログ記事を完成させ、アップ。今日は写真をまったく撮らず。


2月19日の配達路を辿る:その2の続編〜切欠から北野まで〜

 

 当初はこんなに長いものになると思っていなかったが、「2月19日の配達路を辿る」を3夜連続で編集することになりました。
 冒頭写真は長瀬集落から笹原集落に向かう途中のカーブ。いくつもの雪崩防止柵で県道が守られています。初めて通った時は驚きましたが、今ではすっかり慣れました。江戸時代の人たちはここに水路を通したというから驚きです。


 昨日の最後に紹介した切欠橋を渡ってすぐのところにゴミ収集ステーションがあり、そこを右折して切欠集落に入ります。
集落に入ってすぐ、右に少し入ったところに1軒のお家があります。進入路には少し雪がありましたが、車で入り、ポストに「復興への歩み」を入れた後に撮った写真がつぎのもの。

 


 写真奥のやや右寄りに山が見えますが、昔、ここにお城があったそうです。主は斉藤氏といい、切欠の住人はその家来ですべて斉藤姓だと、地元の人から聞いたことがあります。
 残念なことに6年前の震災で、お城の名残りをとどめるものがすべて焼失したとも聞いています。
 私が一昨年秋から昨年夏にかけて、四季折々の切欠集落の姿を撮影した(今年正月に編集したアルバム「栄村の四季を楽しむ」に収録)のは、その山の下を通る県道長瀬横倉(停)線からです。その地点がこの写真に写っています。

 

  


 左写真:公民館の横手で進行方向を撮影(右手前の建物が昨年新築された切欠公民館)。右写真:坂道になり、さらにカーブになる。道路に雪がある時は、この先が難所。

 

 

 道路右側手前に雪の切れ間がありますが、坂の途中のお家の入口。ここで配達のためにいったん停車すると、積雪時はスリップして上がれなくなります。
 ちなみに、そのお家の人は後に紹介する、上から集落に入る道を通ってこの坂を下ってきて、自宅前の駐車スペースに車を入れられるようです。

 

 坂を上がりきる前に右側にもう1軒。そのお家には下写真の雪道を歩いて進みます。写真左手に屋根が見えるお家です。

 

 

 上写真は、そのお家の玄関横から、切欠集落のいちばん上にあるお家の眺めたもの。
手前に“たね”が見えます。前回、この家の主にお会いした時は、「あっちの“たね”は雪に埋まっています」と話しておられたが、今日は水が見えています。また、切欠集落1枚目に見えた山も写っています。

 

 

 いちばん上のお家に向かう階段。
 きちんと雪かまいがされ、歩きやすくされています。
 上るのはきついと言えばきついですが、天気のいい日はこの階段の上からの眺めが最高! それが次の写真です。

 

 

 切欠集落に別れを告げる前に、いちばん高いところのお家の玄関前の写真をもう1枚。

 

 

 雪とのつきあいがとても大変だろうなと、いつも思っています。

 このお家の下にこの道があり、県道に出られます。

 

 

 県道に出てからの様子が次の2枚。そして、昨日の冒頭写真、「カタクリ街道」に進みます。

 

 

 

 

 

 長瀬集落。
 写真左側に薄緑色の建物が見えますが、旧農協事務所、現長瀬公民館です。

 

 

 いくつかある長瀬集落内道路の1つ。
 突き当りに雪の山が見えますが、車は手前を左へ。長瀬の郵便局の横に出ます。
 この日の長瀬での立ち寄り先は2軒のみ。

 

 

 県道沿いの南端のお家を越えたあたり。
 雪が降っているように見えますが、風で木の枝の雪が飛んできたもの。

 

 

 長瀬集落に別れを告げ、カーブしながらスノーシェッドに入っていきます。

 

 

 スノーシェッドを抜けたところ。冬季間はここに除雪車が置かれています。
 先に見えるカーブを曲がった先が本編の冒頭写真の地点です。

 

  

 

 左写真は雪崩防止柵のある箇所の先の直線コース。逆に進む時は、この直線路でスピードを出し過ぎると、雪崩防止柵下のカーブでブレーキを踏むことになり、積雪時はスリップ−回転の危険が生じます。右写真は笹原集落の手前。1月10日にイノシシに出くわしたところです。

 

 

 この日は笹原集落は通過の予定でしたが、進行方向右手にこの光景が目に入って、ピーンときました。18日にフェイスブックに投稿されていた「あなぐら掘り」の場所なのでした。
 雪穴の中のお二人を撮影させていただきました。

 

 

 笹原集落を過ぎて、右手に当部(とうべ)集落を見やりながら進む道はなかなかのドライブコースです。

 

 

 左手は北野川。
 停まって川を眺めると、絶壁がとてもきれいです。

 

 

 右手に当部集落。

 

 

 急坂を下り、次は坂を上がりながらカーブすると北野橋。

 

 

 北野橋の上からの眺め。

 

 

 北野橋を渡り切り、北野集落に向かう。とくに紅葉期が素晴らしい。

 

 

 北野集落県道沿い。

 

 

 県道から左に入った集落内道路。
 このあたりは冬は雪がやっかい。

 

 

 県道に戻ると、左手に赤い鳥居。
 北野天満宮の鳥居ですが、天満宮はこの鳥居の先にあるわけではありません。
 では、なぜ、ここに鳥居が?
 昔はこの鳥居の先の山・美座山の上に天満宮があったそうです。

 

 

 前方に杉並木。
 この杉並木の途中、左手に天満宮があります。


 最後に、北野天満宮を紹介します。

 

 

 写真中央に見えるのは社殿。その左に見える(鳥居から見ると、社殿の奥になる)のが本殿です。

 

 

 以上で、切欠〜北野間の紹介が終わりました。
 一昨日に極野集落を紹介していますので、これで2月19日午前の東部地区配達路を辿るアルバムは完結です。

 

 


2月19日の配達路を辿る:その2〜志久見から極野まで〜

 

 2月19日の配達路を当日のブログでは雪坪(ゆきつぼ)集落と極野(にての)集落についてのみ紹介しましたが、今回はその続きで、まず志久見(しくみ)集落からです。
 まず、上の写真は、雪坪→志久見→柳在家(やなぎざいけ)→切欠(きりかけ)と順に進み、長瀬集落に向かう途中の県道沿いでのもの。「カタクリ街道」の別名があります。下の写真は昨年4月12日撮影。今年は昨年よりも雪が多いので、カタクリの開花はもう少し後の時期になるでしょう。

 

 

 

 

 

 志久見集落の県道沿いゾーン。中央奥に火の見櫓が見えます。
 このあたりは消雪パイプが設置されていますが、大雪の時は消雪パイプの雪処理能力が追いつかず、道路両側に雪が積もって道幅が半分くらいになってしまいます。この日は朝方、積雪がありましたが、少量だったので、道路は対向ができる幅が確保されています。

 

 県道沿いの集落の真ん中あたりで右に入る車1台がやっとの道があります。下写真がそれ。

 


 写真右手奥に見える大きな屋根は林秀庵(りんしゅうあん)。

 上の写真の道を進み、左に曲がると坂道。上写真の左手に見える家はその坂道の脇にあります。その坂道の写真を2枚。

 

 


 坂を上りきり、少し進んで右へ曲がったところが次の写真。

 

 

 見える建物は志久見住宅。元々は教員住宅として建てられたものですが、現在は村営住宅(アパート)になっています。

 志久見住宅の方へ曲がらず、逆に左折すると県道に戻ります。県道に戻ってすぐに大きなカーブで、その先に歴史文化館「こらっせ」(旧志久見分校)が見えます。

 

 

 「こらっせ」の先に見える道路両側の家はまだ志久見集落。

 

 

 「柳在家」の看板が見えます。
 ただし、写真左手にごく一部が写っているお家は震災で壊れた柳在家の家の替わりに新築されたものなので、柳在家集落の一員として暮らしておられます。
 道路右側にほんの少し雪の壁がきれているところがあります。そこから4軒の家に通じる集落内道路があります。次の写真がその道。

 


 写真右手に見えるのは観音堂。ただし、もう10年ほど前のことでしょうか、土砂崩れの危険があって、観音堂の本体は写真左手に見えるドーム型車庫上の建物に移転したそうです。
 このカーブを曲がった先の写真もご覧ください。

 


 走った感じとしては、この道路、19日朝は除雪が入らなかったのかなと思われます。
 大雪で一日に2回除雪が入るような日、この道路に2回目の除雪が入るのは遅くて、積雪が15cmを超えているように思え、スタックを恐れて、今冬、走行を回避したこともありました。でも、この先から振り返った時の景色は私のお気に入りです。

 

 

 

 集落内道路沿いの1軒のお家の横で撮ったもの。
 電信柱(電話回線用ですね)がかなりのところまで雪に埋まっています。
 奥に見える山は志久見街道(江戸期からある旧道)の大峠(おおとうげ)のあたりになるかと思います。

 

 

 先ほどの集落内道路を引き返し、県道に戻って少し進んだ地点。写真左手、手前から2つ目の建物は柳在家公民館。

 

 

 県道をさらに進んで、柳在家の南の端へ。

 

 

 柳在家集落の南端のお家の玄関前からの眺め。
 “たね”(消雪用の池)が雪消しに役立っています。

 

 

 この写真を見て、何処の橋かを答えられる人は栄村の村民でも稀なのではないでしょうか。県道の橋ですが、県道を走っているかぎりでは赤色の橋とは思いません。下が県道走行中に目にする橋の姿。切欠橋です。

 

 

 

 今回の冒頭に長瀬の手前の“カタクリ街道”を紹介しましたが、柳在家の写真点数が多く、今日の編集作業はここまで。切欠から先はまた次回。


2月19日の配達路を辿る

 

 

 今日19日は、地元の中条での配達の後、東部地区へ。
 写真を一度撮ってみたかった東部地区への進入路のスノーシェッド通過時を車内から撮影。上の2枚は、カーブを曲がってスノーシェッドに入る瞬間(9時46分)。
 この後の4枚は次に。

 

 

 

 

 

 スノーシェッドを抜けて、雪坪集落へ。

 

 

 

 

 

 雪坪集落が視界に入りました(9:48)。

 集落に入ってすぐに道路脇に2軒ありますが、その先で右折して集落の真ん中へ。

 

 

 写真右手の雪の壁の切れ目が集落に入るところ。前方に見える家は志久見集落。

 

 

 

 

 

 

 いちばん奥の家に到着。9:50。ただし、車で横付けとはいかない。この雪の階段を歩いて行く。

 

 今日の午前中は東部地区のいちばん奥の極野集落まで進んだ。その間、ここまでと同じように配達路を撮り続けた。それをすべて紹介するとたいへんな枚数になるので、いっきに極野集落に飛びます。ここで素敵な出会いが…。

 

 

 極野集落の手前、中野集落を通過するところ。11:15。

 

 

 極野集落に入って間もなく。

 

 

 極野集落内のいちばん高い所へ。

 

 

 いちばん高い所から下る時、前方に何人もの人の姿が目に入りました。
 その中のお一人に窓越しに声をかけました。

 

   「写真を撮らせてもらいに来ました。以前、祭りの写真を撮ら

   せていただいたことがありまして。と言っても、お祭りの当日

   ではなくて、当時の区長さんのお世話でお祭りの様子を再現し

   ていただいたのですが。」
   「あっ、そんなお話、聞いたことがあります。震災の後でした

   か?」
   「いえ、前ですね。もう7、8年前になります。」
   「どちらからお越しですか?」
   「私たちは長野市です。」

 

 そんな会話をしながら、撮った写真をカメラの液晶画面で見せて下さった。
 前頁中段の写真の地点をお宮の向かう道の方から撮影されたものだった。
 私は常々、極野集落はとてもいい景色が多い集落だと思い、風景写真を数多く紹介してきたが、その極野の景色を撮影に訪れて下さる写真愛好家のグループに出会えて、とても嬉しかった。
 この時、11時半頃で、天代集落に立ち寄った後、給油の必要もあって、国道117沿いへ下りました。
 午後は泉平、箕作集落へ。今日一日の配達は87軒。

 

 いつも「配達日誌」などに「今日は〇〇集落などを廻った」と書き、出先で撮った風景写真なども紹介しますが、配達路そのものを紹介するのは初めて。村外の方々には、私の配達路がどういうところなのか、少し具体的なイメージを持てていただけたかなと思います。

 


配達日誌2月1日〜10日

1日(水) 今日の午前中は快晴。
 朝方は頼まれた仕事を2時間弱。その後、寺石踏切死亡事故の慰霊祭現場へ。
 快晴の中、寺石から見える景色の素晴らしさに感服した。写真を撮ったが、データをPCで見ると、撮り慣れていない場所なので、思ったようなものは撮れていない。が、1枚紹介しておく。

 

寺石からの雪景色

 今日は「排雪デー」とでも言うべき日だった。各所で道路除雪で積みあがった雪の山を崩し、ダンプで千曲川等へ。12月に積雪が多かった2015〜16年冬は早くも12月末に排雪作業が行われたが。
 今日は配達はあまりできず。夜、ブログ「2月は快晴で幕を開けたが、この後は節分嵐か」をアップ。

 

2日(木) とにかく風が強かった。午前と昼すぎは森集落を廻り、その後、野田沢、程久保へ。時折、強い風で真正面から雪が顔に吹きつけてくる。その吹雪の様子をカメラに収めたかったが、その瞬間は写真を撮るどころではない。風の凄まじさを物語る写真を1枚。

 


 上写真は私の軽トラの荷台のシート。朝からの配達で数センチの雪が積もっていたが、一瞬の強風で、その大半が吹き飛ばされた。かなり重い雪だったのだが。午後2時半すぎ、野田沢でのこと。
 配達の後、午後4時すぎに、国道117を津南町今井まで行き、送電塔復旧工事が完了していることを視認してきた。

 

3日(金) 昨夜から今朝にかけてもう1回、かなり降ると言われていたが、朝の様子を見ると、あまり大した降りではなかったようだ。ただし、昨夜11時頃、凄い強風が吹き、ものすごい音とともに窓ガラスに雪が吹きつけられてきた。今日の日中も雪が舞い続けたが、積もるような雪ではなかった。ただ、切欠集落では坂を上り切れなかった。配達のために急坂の途中で停めると、発進の時、スリップしてしまう。
 配達中、除雪作業の手をとめて、話しかけて下さった方があった。24日の臨時議会を傍聴された人で、「最後の質問、いや意見で言われたとおり、公社の再建には営業が大事ですよ」と。発言をしっかり聴き取って下さっている。それだけに責任は重大。狭い意味での公社再建案というだけでなく、栄村の観光の商品プラン(企画と営業方法)を具体的に提案していかなければと思う。
 直売所で、「耳団子が出ましたよ」と紹介され、写真撮影。早速、ブログにアップした。
 また、21日夜の停電に関連する送電塔損傷復旧工事と移動発電機車による送電作業が終了した。これもブログにアップ。

 

4日(土) 朝方、青倉と森で10数軒に連絡用のチラシを入れた後、秋山へ。
秋山の全戸への配達をめざしたが、途中で相当に長い立ち話をしたことから、上の原と屋敷の一部は配達を断念せざるをえなかった。配達できたのは60軒。
 たしかに雪は多いが、除雪や排雪が進んでいて、1月18日の時のような「雪に埋もれて大変」という感はなかった。知人から、数日前に屋根の雪下ろし中に落下事故があり、雪害救助員が重傷をおわれたという知らせを聞いていた。しかし、秋山で雪害救助員を待つ高齢の人とお話した時、事故のことはご存知なかった。残念な事故だが、役場がきちんと公表していないことには疑問を感じる。
 今日は切明まで行こうと決めていた。今冬期は休業となった雄川閣の様子も知りたかった。

 

切明の「川原の温泉」

 

 自らのタイヤドーザーを持ち込み、除雪作業をやって下さった人から話を聞いたが、つい1〜2日前まで3m近い雪に埋もれていたそうだ。その一方、切明に向かう途中、何台かの乗用車とすれ違った。除雪をやって下さった人の話では、「つい1時間ほど前、川原の温泉に入っている人がいましたよ」とのこと。吊り橋を渡っていくと、吊り橋の上、吊り橋から川原の温泉にかけて、「かんじき」の足跡がくっきりと残っていた。

 

吊り橋から川原の温泉へ続く「かんじき」の足跡

 

 夕刻4時半頃、「下」に戻り、奥さまが急逝された知人宅へお悔やみに出向いた。
 夜、「秋山を巡った一日」をブログにアップ。

 

5日(日) 午前中は米の発送と会合資料作り。昼すぎ、ご出棺のお見送り。ご主人の挨拶に心打たれた。突然の逝去に深い悲しみの中からふり絞るように発せられた言葉は、奥さまへの深い愛情に満ちたものだった。
 2時半から「振興公社と温泉入浴を考える会」。15名ほどの方々にお集まりいただき、「共通入浴券」問題についてのみなさんの思い、料金案等を聞かせていただき、今後の議会審議等に臨むうえでたいへん役立つ内容となった。

 

6日(月) 疲れが少々溜まり、今日は配達に出なかった。
 ただし、午前10時すぎから午後3時頃にかけて、6件の用談をこなした。用談の主たる内容は、SLの定期運行実現のための署名運動の進め方、有害鳥獣対策。
 午後から徐々に頭痛がし、夜には喉も痛み出した。完全に風邪の症状で、薬を飲んで就寝。

 

7日(火) 起床時、体はだるく、すっきりしなかった。診療所に行こうかとも思ったが、10時半近くに配達に出かけた。
 今日は吹雪。その中、軒数は少ないが、冬期の配達がいちばん大変な当部、原向、坪野などを廻った。そんな行動をしているうちに体にキレが戻って来た。
 冬の配達がいちばん大変なのは秋山と思われるかもしれない。たしかに、何度となく記しているように、中津川渓谷沿いの国道405の狭い道を進むのは“おっかない”。しかし、冬の秋山行きは天候を選んでいて、慎重に運転することが第一。その点さえクリアすれば、「大変」というのではない。
 それに対して、原向などは積雪期間、配達先のお宅に車で行けないところが多い。いちばん遠いケースの場合、雪道を片道100m以上歩く。きちんと道つけがされているとはいえ、長靴がまるまるずぼっと嵌ってしまうこともしばしばである。普通の道を歩くようなわけにはいかない。さらに、今日の場合など、その雪道を歩いている間に真正面から吹雪が吹きつけてくる。猛烈な風で顔面に雪が吹きつけられ、それから逃れようもない。しかし、変な言い方かもしれないが、そういうところにこそ、栄村で「復興への歩み」の配達といった活動を行うことの醍醐味があるとも言える。
 夜は、ブログ記事「今日は吹雪の一日」を編集し、アップした。
 下写真は正午すぎに原向集落を廻っている最中の1枚。写真右手の雪の山から強風によって雪が吹き出してくる。

 

 

8日(水) 午前中は降雪だったが、昨日のような吹雪ではなく、長瀬、北野、中野、極野で69軒を廻れた。
 午後、家に戻ると、大家さんが屋根から落とした(落ちた)雪の片づけをして下さっているところだった。ただ、明日の議会にむけての資料調べがあったので、感謝とお断りの挨拶をして、部屋に入り、しばし勉強。
 夕刻、横倉16:46発の下り列車を撮影に、歩いて国道117栄大橋上に。
 極野で撮った写真などをブログにアップしたいとも思ったが、明日の議会にむけて体調を整えておくために、無理をせず、夜は体を休めた。

 

9日(木) 今日は丸一日、議会。
 10時開会で、午前11時半頃までが本会議。本会議は今日も傍聴者がかなり多かった。10分の休憩をはさんで、「全員協議会(村長提出)」。正午で昼休み休憩になったが、午後1時半再開で、午後4時近くまで。最後の10分ほどは「議員だけ残ってください」ということで、14日の振興公社理事会との懇談に関すること。本会議及び全協のことは「議員活動報告」に書くことにして、ここでは触れない。
 夜は明日の配達の準備(印刷、折り作業、配達状況のチェックと配達計画の作成など)。
 写真撮影はいっさい無し。

 

10日(金) 雪が降っていたが、8時頃の出動で配達。
 国道117の青倉や青倉トンネル〜横倉トンネル間ではかなりの降雪だったが、横倉トンネルを出ると、平滝では降っていなかった。同じ栄村内でも場所によって天候が異なることはよくあることだが、トンネルに入る前と出た後の状況があまりに異なるので、少し驚きだった。
 平滝、白鳥、箕作、泉平と廻ったが、手許のメモに泉平を廻っていた時に、「10:50太陽。すぐにまた吹雪」とある。
午前中で91軒に配達をして、今日の配達は終わり。最後に横倉で何軒かを廻った時、「(車の)ドアが開かないくらい風強し」というメモ。今冬は例年になく、風の強い日が多いように感じている。
 午後は考え事の整理など室内仕事。その一環として、ブログ記事「『強い寒波』と言われるが、春は確実に近づいている」を編集し、アップ。その記事に掲載した写真を1枚。

 


 この写真は今日ではなく、8日の夕刻に国道117の栄大橋上から鳥甲山方向を撮影したもの。この写真で示したかったのは、樹々の新芽の赤さが濃くなってきていること。冬のはじめから樹々の先端は新芽で赤っぽいのだが、最近になって、その赤さが濃く、鮮やかになってきているように感じるのだ。1月前半あたりの同じ場所の写真を比較対照として示したかったが、写真データを探し出すのが大変で、それはかなわなかった。
 しかし、新芽の赤さが濃く、鮮やかになってきているのは間違いないと思う。配達で村内を毎日巡り、その際に写真を撮るようになって4回目の冬(〜春の近づき)なのだが、今季、初めて気づいたことのように思う。「全然知らなかった」というわけではないが、ここまで鮮烈に意識したことはなかった。自然界の営みの凄さというものは、やはり相当に意識的に観察していないと認識できないもののように思う。


 写真をもう1枚。午後3時すぎに部屋の窓から撮影したもの。

 


 このアングルの写真は頻繁に撮っているものだが、午前中、吹雪くことが多かった今日、こんな景色が見えるとホッとするというか、気分が非常に爽やかになる。
 この写真を撮りながら感じたことがもう一つあった。
写真中央に見えるのは道路除雪で押し出された雪の山だが、朝、降雪時に見たものと比べると、かなり低くなっていると感じた。ブログ記事のタイトル「春は確実に近づいている」を導き出した理由の一つでもあるのだが、2月に入って以降だろうか、雪がいくら降り積もっても、晴れ間が出ると、雪が消えるスピードが速くなったように感じるのだ。みなさんは、そんなことを感じてはおられないだろうか。

 

 今日の午後を室内仕事にしたのは、考え事を整理する必要があったことが一因だが、もう一つ、別の理由がある。議会の翌日というのは疲れがものすごく溜まっているのだ。何とも表現しづらい疲れである。原因を考えてみると、“まったく気が抜けない、緊張の連続”ということが疲れをもたらしているようだ。議会・議員は、村長・行政側が提出してきた議案や協議事項に対して何も質問をせず、異論も唱えなければ、村長・行政の議案や提案に「OK」を出したことになる。それは議案や資料に書かれていることに対してだけではない。口頭での答弁や説明の内容についても同じ。だから、一言一句聞き逃さないように神経を集中し、即座に反応して質問などをしなければならない。そうしなければ、議事は先に進んでしまう。私がまだまだ新米議員で、修行が足らないのかもしれないが、これはかなりきつい仕事だと感じている。
 国会中継で居眠り議員の存在がカメラに捉えられ、ニュースになることが以前はよくあったが、あれは国会の議事が基本的にすべて予定通りに行われていることに一因があると思う。白熱した質疑が行われていても、発言できるのは予(あらかじ)め質問を許可された議員のみで、他の議員は発言を許されない。せいぜいできるのは野次(正式には「不規則発言」という)を飛ばすことだけ。
 しかし、小さな町村の議会の議案審議はその場での挙手による質問が主。ぼやっとしていたら、「質疑終了→採決」になってしまう。「議会は行政の追認機関」ということに甘んじるのであれば、緊張感をもって臨(のぞ)む必要もないのだろうが、私は行政をしっかりチェックできる議員でありたいと思っている。


配達日誌1月16日〜31日

16日(月) 今日も大雪が続く予報だったので、「配達はせず、室内作業」と決めていた。「雪が大変だ」と言っていたら、冬の配達はできなくなるが、14日に危険な体験をしたので慎重に。
 そういう予定にしていたこともあってか、昨夜は遅くまでPC作業をして、就寝は午前1時すぎ。そのため8時頃まで熟睡。まだ着替えしていない時に、大家さんがシャッターを開ける音がしたので、慌てて、外に出て挨拶。その後、着替えて、屋根の雪下ろしの様子を撮影。連写を繰り返したので、200枚は超えただろう。迫力のあるものを撮れた。
 昼、スキー場へ。リフト券が1日千円のラッキーマンデーということもあるだろうが、県外車が多い。レストランで5組くらいに声をかけた。みなさん、雪の深さに満足の様子。「帰りに温泉はいかが?」と言うと、「トマトの国」が温泉であることを知らない人もいた。
 午後4時すぎの「トマトの国」では、スキー客で、「これから東京方面に帰る」という人と一緒になった。帰る時、玄関におられた女性は「安曇野からです」というご返事。
 スキー場はもっと活かせると思う。

 

17日(火) 午前中、津南町へまとめ洗濯に出かけ、昼すぎ、津南では降っていなかったので、「これは大丈夫だな。配達に廻ろう」と思いながら村へ戻った。栄村では降っていたが、2時すぎ、泉平へ。がんがん降ってきた。下とはかなり様相が異なる。
そんな中、最後から3軒目と最後の1軒でびっくり。
 「最後から3軒目」は、集落内道路から少し離れたところに家があるが、道路からは1mくらいの雪の壁を上がって、しばらくその高さを歩いて、家に辿り着く。玄関は「穴ぐら」のようになっている。最後の1軒では玄関につながる道があるところは手がつけられない積雪で、「裏に廻って下さい」の看板がたてられていた。

 

18豪雪時に新聞に紹介された高橋甚治さん宅を思い出した

 

18日(水) 予報で「晴れ」となっていたので、「秋山の様子を見に行こう」と決めていた。アイスバーンも厄介だが(午前9時に役場横で−1℃)、昼間の気温が上がって、405号線沿いの崖面の雪が落ちてくるのも嫌なので、9時17分に津南から405に入った。
 今日は配達よりも14日以降の大雪の後の秋山の状況を見ることが主眼。
 まず、小赤沢で「とねんぼ」前に行った時に、地域おこし協力隊の坪内さんがブルドーザーでの除雪の研修をしていたので、その様子をしばらく撮影。その最中に「とねんぼ」の大屋根から雪が軋む音が…。安全な場所からカメラを構え、大量の落雪の様子を撮影することができた。屋根からの大量の落雪の瞬間を写真に撮りたいと長い間思い続けてきたが、こんな機会に出会うとは想像もしていなかった。連続写真をブログにアップしたが、いちばん大量に落ちた瞬間のものを1枚、示しておく。

 


 上の原では様々な出会いがあった。一番の出会いは、Walk Japanというツアー会社(本社は大分県)主催のスノーシュー・ツアーの外国人6名との出会い。何年ぶりだろうかというカタコトの英語で話しかけて、雪の上にどっかと腰を下ろして鳥甲山を眺めるイギリス人男性の写真を撮らせてもらった。私は英文を読んで翻訳することはできるが、英会話はからしきダメ。「ここに住んでいるのか?」と尋ねられ、「秋山ではなく、村の別のところ」ということを説明するのに苦労した。事前に「のよさの里」の人から、「車での旅ではなく、森から森宮交通の車で来た」と聞いていたので、「森宮野原駅をしっているだろう。あの近くに住んでいる」と説明。通じたようだった。このイギリス人の写真は「復興への歩み」に掲載する。
 今日、いちばん驚いたのは屋敷集落の状況。山に近い地区は地区内道路が雪で塞がれて、軽トラでも入れない状況だった。近くの家では雪害救助員が懸命に屋根の雪下ろしと、落とした雪の排雪をやっていたが、知り合いの救助員もヘトヘトの様子だった。
 午後4時すぎに下におりた。
 疲れたが、いい体験だった。配達は46軒。

 

19日(木) 昨日、「19日は栄小のアルペン教室」と聞いたので、午前9時前にスキー場へ。10時半近くまでずっと撮影。「プリンターのトナー(インク)を届けた」という連絡をヤマトから受けて、いったん印刷に戻り、11時20分頃、再びスキー場へ。レストランで特製の鶏唐揚げ付きカレーを食べる様子を撮って、11時45分にスキー場を後に。

スキースクール校長の保坂順一さんとご挨拶


 印刷の折りや昼食を終えて、午後3時頃、白鳥に配達に向かう途中、平滝の国道脇のごみステーションの所でイノシシが騒いでいるのを目撃。一昨日、白鳥で除雪中の女性にイノシシが突進してきたという話を知人から聞いていて、「遭遇したら車で跳ねてください」と言われていた。
 私は国道を走っていて、イノシシは集落内道路に少し入ったところにいたので、跳ねるというわけにはいかず、通過するしかなかった。路側に停車できる場所を見つけて、知人に連絡。私もターンして、目撃現場に向かう途中、「仕留めました」という電話連絡。現場に駆けつけ、イノシシが横たわる現場を撮影。近所からスノーダンプを借りて、現場及び、そこから運搬する車まで引っ張った後の雪上の血を消した。その後、解体現場も見学。
 その後に配達をしたが、白鳥の28軒の配達にとどまった。

 

20日(金) 朝、昨日のイノシシの解体作業の様子を見に行った後、月岡、箕作、横倉、平滝を廻り、No.300の配達をようやく完了した。本来は15日までに完了の予定だったが、14日からの大雪ですっかり予定が狂った。14日以降は「議員活動報告」第10号と一緒に配達している。
 夕刻、配達の最後のところで出会ったおかあさんに、「公社はどうなるの? 3月に法事の予定があって、トマトの国を使いたいと思っているんだけど、営業は続くの?」と尋ねられた。「潰すことはしない」と縷々(るる)説明。現在の公社のあり様ではカネをいくら投じても赤字が続く。24日も公社への資金投入をめぐって臨時議会だが、公社の再建策の提案もしっかりみなさんに伝えていかなければならないと痛感した。本来は公社理事会、そして資金投入を提案している村長がもっとしっかりした案を提出する責務を負っているのだが、何を考えているのか、さっぱり伝わって来ない。「いいとこ取り」で利用されるのもわかったうえで、より具体的に再建案を提案していくしかないだろう。
 久々に110軒の配達で、かなり疲れた。

 

平滝からの景色(20日午後撮影)

 

21日(土) 午前中は、24日の議会審議の準備として、振興公社の財務データの整理と検討。
 午後は、青倉米の発送準備で精米作業。知人に手伝いをお願いしたが、
 自身でも30埖泙魴觜襲燭鵑澄昨夏頃は1袋を扱っただけでも腰にこたえることがあったが、今日は大丈夫。昨秋9月半ばころだろうか、基本的に就寝前だが、自分なりのストレッチを中心とする体操をやっていて、いろんな場面でその効果を実感することができる。
 間もなく67歳の誕生日を迎える身で、いまさら体力が向上するとは思わないが、昼間のさまざまな活動で張った筋肉を緩めたり、体の歪みを矯正する効果はあるのではないだろうか。この就寝前の体操をするようになってから、長時間の運転・配達をしても、背中が張って痛むことがほとんどなくなった。年末に風邪できつかった時に、体操をさぼると、運転時に以前と同じような痛みを感じた。体操の効果を逆証明しているように思う。
 夜、これからもうひと仕事しようかと思っていた時に、突然の停電。停電がかなり続き、「もう寝るしかないか」と思って、布団に入ろうとした時に復旧(停電は8時20分〜50分)。もともと考えていた仕事はもう再開する気力が取り戻せなかったが、他の仕事を少しやり始めたら、どんどん時間が経過し、就寝は1時近くになってしまった。

 

22日(日) 震災以降のつながりだが、毎冬、除雪の手伝いに来て下さる神奈川県の内山さんが今冬も来村下さった。「どこをお手伝いいただこうか?」と色々考えたが、17日に衝撃を受け、その後、20日にも状況の改善が見られなかった泉平に行くことにした。
 最も深刻な状況だった2軒には21日に救助員が入ったようで、雪害救助員制度の対象外でロータリーのない高齢者宅を訪ねて、内山さんと一緒に家周りの排雪のお手伝いをさせていただいた。お昼をご馳走になったが、その折、奥さんから「部屋が明るくなった」と言っていただき、「よかったな」と思った。今日は昼すぎまで快晴で、村のみなさん、排雪作業に励まれたことと思う。
その後、内山さんが何度も訪れたことがある青倉のあるお宅でお茶のみ。
 午後、上郷のファミリーマートに行った際、ファミマの駐車場で移動用発電機車を稼働させている東北電力の人に声をかけ、後ほど、営業所から説明の電話をいただけるようにした。
 今日は配達なし。

 

23日(月) 昨夕から降り始めた雪、朝起きた時はそんなに積もっていなかったが、朝の道路除雪後にがんがん降ってきた。
 昼頃、スキー場へ。ラッキーマンデーということもあるが、県外車が多い。レストランで昼食を終えた頃、外国人女性が2人入ってきた。日本人ガイドがついておられたので、声をかけると、スウェーデンからのお客さま。「いい雪で素晴らしい」というご感想。ガイドは斑尾(まだらお)の人で、さかえ倶楽部スキー場を積極的にアピールして下さっている。
 午後は、「議員活動報告」の配達で東部方面へ。その帰路、原向の中村正文さん宅の積雪計を写真に撮りたいと思って、貝廻坂に下るのではなく、原向から長瀬に下るコースを選んだ。中村さん宅での撮影はうまくいったが(下写真)、原向のあの広い田んぼゾーンの中を走る県道が大変だった。ホワイトアウトには至らないが、前が見えにくい。慎重に運転し、なんとか長瀬まで下りた。

 


 夜は明日の議会で質すべき事項を整理して、その後、就寝したが、診療所に行くのを忘れ、睡眠安定剤が切れたので、ほとんど眠れず。

 

24日(火) 公社問題での臨時議会。今日も傍聴者が多かった。
 臨時議会のことは「議員活動報告」に書くので、ここでは書かないが、やはり傍聴者がいっぱいいるということの意義・効果は大きい。
 朝方はさほどの降雪ではなかったが、昼前に議会を終えて外に出ると、激しい降り。その後、基本的にずっと降り続く。ニュースは「大雪の峠を越した」と言っているが、そんな時ほど、栄村は降る。
 昨夜眠れていないにしては元気に過ごせたが、夕刻からはややきつかった。夜、写真アルバム「栄村の雪の状況1月23〜24日」をブログにアップ。

 

25日(水) 昨夜は早く寝たので、早朝に起床し、昨日の臨時議会に関する「議員活動報告」第11号を2頁版で編集。
 早速、昨日の議会に傍聴に来て下さった方々のお宅を中心に40軒廻った。
 11時半頃、極野を廻っている頃、青空が見えた。しかし、水内(みのち)方向はまだ空が暗い。
 その水内でも午後2時頃には晴れ。これで今回の大雪も終わりかと思ったら、また降り出し、夕刻まで続いた。わずか1時間ほどでかなり積もった。よくわからない天気だ。
 夜、ブログに「今日もげに降った」をアップしたが、そこに掲載した写真を1枚。

 


 天代集落で撮ったもの。こういう道を都会の人に運転しろと言っても無理だろう。しかし、ガイドが運転する車で廻るなら、これは「雪国観光」の最高のコースになるだろう。観光商品というのはそういう発想法で作っていくものではないかと思うのだが…。

 

26日(木) 髪の毛がうるさくなってきたので散髪へ。すっきりした。理髪店で話題になったこともあって、津南町加用から中子に上り、赤沢へ抜けた。いつもは主要道を走るだけだが、今日は赤沢の地区内道路に入った。積雪量が栄村よりも多いように感じた。あくまでも「見た目」でのことであり、初体験の場所なので、多いと感じただけのことかもしれないが。
 その後、津南町の上野集落も見に行った。帰りがカーブの下り坂なので、これまで冬は行ったことがなかったが、今日は晴天で道路状況もよさそうなので初めて行った。写真はあまりいいものが撮れなかったが、直に見た景色は絶景。
 午後1時半からは、「こんにちは、県議会です」という集まりに議員として出席。私にはきわめてセレモニー的なものに思えたが、県議会議長は豪雪の地が初体験だったようで、その意味では「冬の真っ只中に栄村で開催」は意義があったのかもしれない。

 

27日(金) 午前中、米発送作業。というのも、25日の発送で私のミスから2件の間違いがあったので、その修正の追加発送。議会対応でバタバタしていて、発送のための事務面での準備が不十分だった。今後ますます忙しくなると思われるので、この点、十分に心していかなければならない。
 午後は、傍聴に来てくださった人たちへの報告会の準備等で動き、配達は15軒にとどまった。

 

28日(土) 今日は午前11時頃に冬の特別列車「雪のおいこっと」が到着するので、それを出迎えられるよう、配達を朝早くに始め、森、青倉で87軒。その後、森宮野原駅で「復興への歩み」新年号に付けた写真集「栄村の四季を楽しむ」に「おいこっと」乗車のみなさんへのメッセージを入れてものをお配りした。到着と同時にたくさんの人がワッと降車されてきて、あっという間に60部を受け取っていただいた。
 ホームには観光協会の若手職員2名も一緒に。うち1名は休日だったのにボラ出動してくれたもの。正規ルートでは観光協会に「おいこっと」のことは伝わっていなかったようだ。他方、JR側は運行スタッフの他に状況をチェックする社員が乗車していて、私もSL運行に対する栄村住民の反応について尋ねられた。今年は7月から「デスティネーション信州」キャンペーンだが、どうやら今のところ、栄村は「カヤの外」の感じ。震災前に同キャンペーンがあった時と同様、県等から連絡がないのではなく、会議等に呼ばれても、そこで提起されたことに反応する力、いや、それ以前に、感性が不足(ないし欠落)しているのだと思われる。
 午後は、ある勉強会で飯山へ。帰りに、上りの「おいこっと」の姿を信濃平駅付近で撮影した。午前、「おいこっと」歓迎の「手を振る運動」が行われた場所である。夜はスキー客へのインタビュー。

 

29日(日) 今日は晴天。私が以前に勤務していた京都精華大学の卒業生が何人も(結婚した人は子ども連れで)昨日から栄村に来ていて、今日の昼は「スキー場で昼食を一緒に」という連絡があった。
 彼ら・彼女らが最初に栄村にやって来たのは10〜7年前。栄中の旧寄宿舎が「ゼミナール館」となっていて、私が管理人をさせていただき、学生たちを受け入れ、合宿していた。当時、「宿泊施設として認めると、本来の宿泊施設の客を減らす」と随分とクレームをつけられたものだった。私は、「学生にはカネがない。いま、こういう施設で村に滞在してもらい、栄村を好きになってもらえれば、いずれ彼らが就職し、稼ぎ、家族をつくった時、村を再訪し、カネを落としてくれるようになる」と言ったものだが、そのとおりになったわけである。
 栄村の観光等の発展のためにはこういう“先行投資”の考え方も大事だと思うのだが…。
 配達は計135軒。ずいぶん頑張ったものだ。体はやはり疲れたが。

 

30日(月) 気温が高く、朝から雨。雪だと配達に困らないが、雨は紙が濡れないようにするのが厄介。午前中は用談。
 午後、若干の配達に廻ったが、原向で午後3時半に雨が雪に変わった。しかし、「下(しも)」で雪に変わったのは午後5時半頃。昨日の気温上昇、今日の雨で、23日には180cmを示していた原向の中村さん宅の積雪計が今日は130cmになっていた。
 東北電力の送電塔に倒木が発生し、21日夜の停電につながった問題。件の送電塔の場所がどのあたりか、大久保で出会った東北電力の職員から聞いた話でおおよその見当がつき、津南町の反里(そり)、今井のあたりを探し回って、ようやく大井平集落の山で「発見」した。雪の山中での凄い復旧工事。東北電力、中部電力のHPを調べても、何も出ていない。「秘密主義」云々ではなく、ライフラインを守るための作業員のみなさんの大変な働き。われわれはこういうことをもっと知って然るべきだと思うのだが。

 

31日(火) 「復興への歩み」を1月中にもう1号出しておきたかったので、午前中に一気に編集。
 2時すぎから東部地区で配達に廻り、何人かの人と立ち話。いろいろと村議選(4月23日投開票)が話題になってきている。「実(じつ)のある議会」にしたいと思うのだが、「村会議員は名誉職」と思って立候補を追求する人がまだまだいるようだ。全国各地で「議員のなり手がいない」ことが大きな問題になっているが、議員給料が安くて若い人は議員では暮らしていけないという問題があ
ると同時に、町村議会(議員)とは何ぞや」をめぐる古い意識が根強く存在することも大きな原因の1つではないかと思う。

 

送電塔復旧工事現場(31日午後撮影)

倒木で損傷した送電塔の上部を取り替えている。

クレーンで吊られた鉄骨に作業員が乗っている!


配達日誌1月1日〜15日

 1日(日) 午前9時半からの森集落新年会に参加。乾杯の音頭をとる役をご指名いただいた。緊張したが、長くもなく短すぎることもない挨拶ができたのではないかと思う。
 元旦朝に集落の全世帯から人が集まり、新年会をするというのは、都市社会では想像もつかないことだろうと思う。
年末の風邪があり、今年は正月の「復興への歩み」配達はやめ、のんびり正月に。年末に買い物に行けなかったので、美味いものはない正月だが…。
 大晦日の夜はTVをつけてはいたものの0時近くまでずっとPCで編集作業等。その後、「今年もさだまさし」を2時半まで観たので、新年会から帰ってからはこたつでうつらうつら。

 

2日(月) 朝はゆっくりの起床。午前中、「復興への歩み」第300号の原稿書き。天気がよいので、11時半すぎに外へ。2〜3枚だけ写真を撮るつもりだったが、あまりに天気がよいので、いろんなポイントを廻り、気がついたら1時半。

 

宮野原秋山郷線の切欠集落の横を通り抜ける地点

正面に見える山にお城があったという。その真下が四季

折々の切欠集落(「復興への歩み」300号写真アルバム掲載)を

撮影した地点。

 

 ガソリンと灯油がなくなってきたが、いつも行くスタンドが大晦日からやっていないので、津南町の大阪屋まで。「ここまで来たら」ということで、今日から店を開けている「ママのおやつ」さんにお邪魔し、先日は食べ損ねたチョコレート味の「お一人 県道森
さま用デコレーション」をいただいた。 その時、私よりもややお若いかなと思われるご夫婦がご来店。ママが置いて下さっている私のブログ・プリント版を手にしてご夫婦が会話。ママがご紹介下さり、いろいろとお話した。上野(うわの)集落に家を買い、東京と往復する2地点居住をされている方。私の写真を見て、秋山郷の不動滝などに関心を示してくださり、「上野の家に寄ってください」というお誘いまでいただいた。
 ママのお話によれば、店の喫茶に入られたお客さんが私のブログ・プリント版を手にして、今日のご夫婦のような会話が弾むそうだ。有り難いこと。
 しかし、考えてみれば、栄村にはいま、こういう喫茶スペースがない。やはりそういうスペースがないと、村内外をつなぐ人の輪ができないと思う。どこかに作りたいなあ。
 夜は、昼の写真を整理し、「2017年新春2日、晴れ上がった栄村」を写真20枚で編集し、ブログにアップ。

 

3日(火) 午前中、No.300の編集を続けるも、あまりはかどらず。
 昼すぎ、PCデータを保存するハードディスクを購入するため、飯山へ。国道117の路面に雪はまったく無く、雪がない季節と変わらぬスピードで走れた。この時期に信じられないこと。村も雪が少ないが、飯山まで行くと、田んぼにほとんど雪がない。このままいくと、昨年に続く少雪になってしまいそう。
 帰宅後は、年末からボツボツとやっているが、部屋中に広がる紙の山の整理。「印刷物の取り置き」、「各種資料」、「捨てる」の3種類に分けていく。残りは3つの山になった。今週中くらいにはかなりスッキリするだろう。
 夕方近くになって、今日初めて窓からスキー場が見えた。午前中の雪、里では途中からみぞれ・雨に変わって、かえって積雪を減らしたように思うが、スキー場の上の方では少し積雪が回復した感じがした。

 

3日午後4時半頃の撮影

 

4日(水) 予報はみぞれや湿雪であったが、ほぼ一日雨。
 三が日を終え、今日から新年号の配達を始めたかったが、昨日の後半失速し、原稿書きが今日にずれ込んだ。午前中に300号の本体を完成。ただ、プリンターの調子が悪く、朝から保守作業を要請。昼前に来てくれたが、プリンター内部の部品の交換が必要で、発注をかけたが、届くのは金曜日とのこと。ある程度の整備をしてくれたので、ひとまずは騙(だま)し、騙しの印刷をするしかない。
 No.300と300号記念の写真アルバムをブログにアップ。

 

5日(木) 朝一番で印刷を開始しようとしたところ、エラーマークが出て作動せず。8時半すぎの始業時に業者に電話をし、エラー番号を伝えたら、「リセットが必要、すぐに行きます」との返事。ただし、先方の営業所は六日町。それでも、飛んできてくれて、すぐにリセットし、使用可に。とりあえずの部数を印刷し、昼前に配達出動。
 ガソリン給油後、青倉の米倉庫に向かおうとしたところ、雪が結構激しく降る中、栄大橋上に3人の人の姿。3人の様子を1枚撮った後、声をかけると、「今朝、東京から電車で来ました」とのこと。

 

栄大橋上を午後1時に撮影

 

 「それにしても、この時間帯(13時頃)、何を撮るのだろう?」と思ったのだが、その後、青倉の米倉庫でちょっと作業をして、倉庫隣の家に配達に向かう時、前方の積雪の下側から雪が吹きあがってくるのを目撃。これでようやく納得。飯山線に除雪車が走り、先ほどの3人はその写真を撮ろうとしていたのだ。私はこの後、横倉に行く予定だったので、急ぐと、横倉駅に入ってくるところに間に合った。
 今日は朝方からの降雪で、とくに昼前からはほぼずっと降り続いたので、午後は至るところで除雪車がフル稼働。路上で除雪が終わるのを待つことも多かった。
 東部を中心に廻り、66軒79部。写真アルバムの中の写真の壁掛け用頒布への申込もあった。

 

6日(金) 今朝はかなり冷え込み。路面の凍結が心配なので、やや遅めの9時頃に配達へ。その後、11時20分にプリンター業者から「部品を持って伺う」との連絡があり、いったん戻る。
 午後1時頃から、昼食を車中携帯食にして、再度配達へ。その後、電話が入り、スキー場で知人と用談。夕刻間際に3たび配達へ。72軒81部。
 今日午前10時から、12日に臨時議会にむけて議会運営委員会。私は議運ではないが、連絡をもらったところによると、村長は「振興公社に5千万円投入」の補正予算案を出してきたとのこと。12月議会全協(非公開)時の議会側の意見に耳を傾けない無茶苦茶な案だと思う。12日にむけていっきに緊迫感が増してきた。
 ところで、下写真は平滝の国道より上で配達中に撮った1枚。毛無山から大久保にむけて尾根が緩傾斜で下ってくる様子がよくわかる。冬だからこそ見えるもの。一昨年末に「栄村の大地を巡る」というアルバムを作成したことがあるが、こういう大地の様子の観察は楽しい。

 

 

7日(土) 数日前から天気予報を睨み、一日中晴れそうな今日7日に秋山の配達に出かけることを決めていた。ただし、前回12月29日の経験から、あまり早い時間帯に出かけると、秋山に入ってからずっとアイスバーンと付き合うことになるので、朝方は「下(しも)」で配達をして、午前10時半に津南から405に入った。
 今日は小赤沢〜切明の全地域を廻ったので、小赤沢で配達が完了したのが午後4時41分。配達の終盤からライトを点灯していたが、405を下り始めた時はもう薄暮(はくぼ)。津南町に下りた時はもうすでに真っ暗だった。
 冬の秋山は夜道を避けようと心がけている。本当に秋山を知るには、雪が激しく降るような日の秋山、あるいは冬の夜の秋山も知らなければいけないのだろうが、「復興への歩み」の配達を主な仕事とする私は“安全第一”で、やはり冬の秋山・405の夜道は避けたい。今日の場合は、この間の天候がよくて、積雪量が少なく、大きな雪崩の心配などがないことに助けられたと思う。
 秋山で配達に廻っていて、「いつも楽しみにしています」と声をかけて下さる人が多い。本当に励まされる。ポストに入れた音に気づいて、わざわざ外に出てきて下さったケースもあった。
 今日はいい写真もたくさん撮れた。(16日に「1月7日の朝から夕まで」をアップ。
 http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2425)

 

8日(日) 今朝は冷え込みがきつかった。午前9時半、国道117の役場横気温表示で−1℃。
 今日の配達は68軒で、あまり軒数伸びず。
 下の写真は原向集落のある所で撮影したもの。雪の上に、赤土がぼろぼろと沢山落ちている。脆(もろ)い土質だとは思うが、春〜秋の季節にはこのように土が落ちる状況は見たことがないように思う。やはり雪の圧力の凄さというものを感じる。

 

 

9日(月) 今朝は冷え込みなし。平滝、白鳥などで47軒の配達の後、10時20分頃に村を出て、所用で飯山へ。
午後2時頃に村に戻り、主に東部地区の配達。
 2時頃にポツポツと小雨が降り始め、2時半頃から本降り。しかし、柳在家・切欠を過ぎると降っていない。その後、原向で配達中に少し降ってきたが…。ほんのちょっと場所が変わるだけで、随分と天候が変わる。

 

10日(火) 夜に数cmの積雪があったようだ。
 今日は久々にトコトン配達。126軒廻った。配達を終えた夕刻は充実感があったが、夕食を終えるとぐったりしてきた。が、なんとか踏ん張って、午後3時20分頃に笹原集落の県道でイノシシに出遭ったことをブログ記事化(http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2416)。それをブログにアップして、FB、ツイッターで告知する作業を終えると、崩れるように就寝した。
 昨夜〜今朝の積雪はほとんどの地区の道路では早い時間に消えたが、午後4時頃、極野に行くと、道路はほぼ全面的に積雪が残ったまま。やはり少し標高が高く(500m超)、気温が低いこと、そして何よりも山に囲まれ、日照が少ないことのゆえかと思われる。
 なお、就寝前の午後10時45分頃、外の国道の様子を見ると、ほぼ真っ白になっていた。

 

11日(水) 朝方にそこそこの降雪・積雪。だが、天気予報で頻(しき)りに言われている「大寒波襲来」という感じはない。午前中、東部地区で73軒の配達。午前の予定分を終えて、下におりてきたところで知人に電話。スキー場で昼食を食べながら、話をすることに。正午すぎから2時半すぎまで話し込んだ。
 知人は若者で、「栄村でどんな仕事ができるか」(もちろん、暮らしが成り立つ稼ぎができる仕事)ということを主たるテーマとする話で、とても楽しい会話だった。私流に言えば、「むららしい暮らし」で今の時代に子育ても出来るような稼ぎができる仕事を創造していくということ。私がもう10〜20歳ほど若かったら、自身でチャレンジしたいのだが。
 10年前に私が栄村で暮らし始めた頃は、そういう話をすると、「馬鹿げた話」あるいは「空想的な話」という感じで受け止められていたように記憶しているが、最近では、移住者のみならず、生粋のむら生まれ・むら育ちの人からもそういうことを実現したいという意見を数多く聞くようになった。牛歩のごときゆっくりした歩みではあるが、村は確実にいい方向に変化してきているように思う。村政の面では逆方向のような感じもあるが、私はこの「いい方向」はある種、不可逆的に進むと確信している。その成熟した姿を自身の目では見ることはできないかもしれないが、それは構わない。自身はこの世にいないかもしれない20年後、30年後を考えて、歩んでいきたい。
 午後3時すぎ、スキー場ではいい感じの降雪。国道に下りてきた時は降雪なしだったが、間もなく雪が降り出した。いよいよ「大寒波襲来」の本番が来るのか。

 

11日午後2時46分、リフトに乗り込む人。滑降してくる姿を撮ろうと、3時

11分まで待ったが、降りて来ず。上の方でスノボを楽しんでいるのだろう。

 

12日(木) 今日は臨時議会。開会は10時だが、その前に傍聴席が満杯になったのには驚いた。おそらく、「平成の大合併拒否、自律の村」を決めた議会以来の出来事なのではないだろうか。(当時を知る人の話では、当時は現在の役場庁舎建設中で、議会は当時の村民会館3階で開催されていて、傍聴席のスペースが現在よりもはるかに広かったそうだ。)
 「振興公社に5千万円投入」という補正予算案は5:6で否決。村長提案を否決という事態は、私が栄村で暮らすようになって以降では初めてのことだと思う。
 私は昨春の補選で議員になった時から言っているように無所属、そして、森川村政に対しては「是々非々」の姿勢。振興公社問題が本格的にクローズアップされてきた11月以降、森川氏はおそらく私を「森川村政反対派」だと捉えているのではないかと思われるが、私のスタンスは変わっていない。間違っていることには「ノー」を明確にし、間違った政策が現実化しないように全力を尽くす。しかし、森川氏が村民の声に本当に耳を傾ける姿勢を示すならば、私はいくらでも協力する。
 そういう基本姿勢なのだが、議会が村長に対して「ノー」と言うべき時にはっきり「ノー」を突きつける力を持つことは、村が元気で明るい村になるために絶対に必要なこと。今日はその第一歩だが、これで十分に力をつけたとは到底言えない。早い話が、今日のような審議のプロセスで、補正予算案の修正動議を提出するような力が必要だと私は考えている。そこまで力をつけるには、まだまだ相当の時間がかかると思う。(「力をつける」と言うよりも、「議会・議員の仕事とは何か」についての考え方の変革と言う方が正しいかもしれない。)
 そこそこの降雪・積雪があったが、「寒波」というにはまだまだ程遠い。

 

13日(金) 昨日は本当に疲れた。朝はゆっくりめ。昨日、傍聴に来て下さった人たちも、「24日に再び臨時議会」ということはご存じないので、早速、「議員活動報告」を書き始めた。
 ただし、用談があって出かけたり、降雪が本格化し始めたので、村内の様子を撮影に出かけたりで、「議員活動報告」の作成は終了せず。

 

16時49分、貝廻坂を下る途中


 夜は、1時間以上の長電話を2件もしてしまったので、仕事はできず、11時すぎに就寝。最近、夜は印刷したものの折り作業をするのが精一杯で、それ以上のことができない。1年前の体力はないと感じる。この間、3本のアルバム集を編集したが、それをブログにアップすることができていない。毎日のようにブログをアップする体力が夜に残っていないのだ。「明日の朝にアップしよう」とも思うのだが、朝は朝で「早く配達に出ないと、後で苦しくなる」という思いが出て、アップできない。しばらくはこういう調子で無理をせずに様子を見て、徐々に今後のリズムを形成していきたいと思う。


14日(土) 積雪量は栄村としては騒ぐようなものではないが、今日の降り方は異常。
 それでも午前中は動けて、出来立ての「議員活動報告」を傍聴に来て下さった方のお宅などに配達。
 しかし、午後0時50分頃、野田沢から大久保に向かおうというところで、前がまったく見えなくなり、「遭難」という言葉が頭の中によぎった。それで引き返し。
 食料を買い込み、「籠城」。大袈裟に聞こえるだろうが、私が住んでいるところの車庫がカーブの坂に面しているので、積雪量が一定以上になると出入りできなくなるから。

 

15日(日) 昨夜0時過ぎか、雪が止んだことを確認して就寝した。
 今日は午前中が中条の道祖神、午後は森集落の道祖神で、開催できるか危(あや)うんだが、6時40分に起床すると、雪は降っていなくて、窓からスキー場がしっかり見えた。
 午前8時から中条の道祖神の準備作業。計6名で。続いて、10時半から道祖神祭り。青空も見えて、最高の道祖神となった。今年は身内に不幸があって出られないという家もなく、6軒が勢揃い。「ほいさま」から青倉に嫁いだきみ子さんも来てくれて、賑やか。中条の道祖神は本当に素晴らしい。あまり大勢来られても困るが、5〜10名くらいの人数限定で「小さな集落の道祖神祭り体験」というようなものを企画してみるのもいいかなと思う。みなさんの意見を聞いてみようかな。

 

中条の道祖神の炎


 午後の森の道祖神は途中から北風、降雪で厳しかったが、子どもが増えて、元気がいっぱいの道祖神だった。
 森の道祖神の撮影を終えると、すぐに「トマトの国」へ。
 昨日、運転で極度に緊張したことや、車庫前の重い雪の片づけを3回したが、温泉に入れなかったので、体全体がカチカチ。やっと温泉に入れ
て、ホッコリとした。帰宅後、中条の道祖神の写真などを整理・編集。ブログ記事を2件アップ。