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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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5月26日の野々海

写真1

 

 24日か25日に野々海の管理人・月岡英男さんから「野々海はまだ雪が多い」とお聞きしたので、20日以降の変化を確認するため、26日朝、様子を見に行ってきました。
 時間がないので、ひたすら写真を貼り付け、必要に応じて簡単な説明をつけます。
 上の1枚(写真1)は、堤入口から入った直後に撮影した全体像。9:06.

 20日に比べて、池の上の雪の凸凹が多くなっているように思います。この凸凹の正体は次の写真(写真2)。

 

写真2

 

 野々海に着いたのは午前8時頃。三叉路の様子は写真3。21日と比べて、かなり雪が低くなっています。

 


写真3

 

 ただ、三叉路の湿地の中は雪がまだ多く、ミズバショウなどが顔を出すには少なくともあと1週間はかかるかなという感じです。

 


写真4

 

 キャンプ場〜深坂峠間の道開けはされていません。2枚提示します。

 


写真5

 

写真6
 深坂峠への道は自然融雪で少し道路が見えています(写真6)。


 深坂峠手前のミズバショウ群生地。この日もキャンプ場横の「東窓」の雪上(写真7)から沢を進んで様子を見てきました(写真8)。

 


写真7

 

写真8


 雪が消えてミズバショウが出ている範囲がやや広がったかなという感じですが、成長はあまり進んでいなくて、率直に言って、そんなにきれいな感じはしませんでした。(写真9)

 


写真9

 

 次に深坂峠の様子です(写真10)。

 

写真10

 

 天水山方向を見ると、山腹の雪は21日に比べて大きく減っていました(写真11)。

 


写真11

 

 深坂峠の法面には、「アカモノ」が群生し、かなりの数の花が見られるようになってきています(写真12)。

 

写真12

 

 キャンプ場から野々海峠につながる道も開いていません。
 キャンプ場から野々海峠への道を進んで最初の大きなカーブを曲がったところの右手にあるミズバショウの大きな群生地の様子も、雪上を進んで、見てきました。(道に慣れていない人が下手に進むと、沢を下ってしまい、すでに水が見えている野々海池の東窓近くの部分に行ってしまう危険が大です)

 

写真13

 

 この写真の樹木がないところ一帯にミズバショウが出ます。群生地の規模としては深坂峠手前のところよりも大きいと思います。ただし、この群生地で一斉に開花するというわけではなく、3つくらいのゾーンに分かれて開花するようです。ここのミズバショウは昨年見たところでは、やや小ぶりです。
 写真13では、ミズバショウは出ていないように見えますが、中に入ると、2ヶ所、窪地になっているところで、すでに顔を出していました。そのうちの1ケ所の様子を写真14で示します。

 

写真14

 

 次に、野々海池の「東窓」の近く、池の幅が狭まっている部分の様子です(写真15)。

 


写真15

 

 あと1週間すれば、ほぼすべて水になるのではないでしょうか。正面に見える「青空」については後ほど再び取り上げます。

 

 野々海池の様子に戻ります。

 

写真16

 

 水番小屋は入口をなんとか開けられる状態になりました。

 


写真17

 

 写真17は堤の様子を見るものですが、残雪は少し減りましたね。でも、まだ結構あります。この間の気温上昇の日数が限られていたこと(里では19〜23日)もありますが、雪がコチコチに硬いので、少々の気温上昇でも融雪に時間がかかるようです。堤への道の様子を示す次の写真18も参照していただきたいが、6月4日の普請、軽トラで水番小屋近くまで下りるのは難しいかもしれません。

 


写真18

 

 最後に、第2分水点(平滝・横倉と森・青倉とへの分水)、円筒分水器付近の様子を示します。

 

写真19

 

 第2分水点がほぼ全体の姿を見せています。雪消しの炭撒きの成果です。水路には雪融け水が流れていました(写真20)。

 


写真20

 

 普請の際、第2分水点から第1分水点にむかって山道を進みますが、その道の第2分水点付近の様子は次の写真21です。

 


写真21

 

 6月4日の普請では、ここから第1分水点に向かうこと自体は可能でしょうが、道に突き出た枝を伐るとか、草を刈るという通常の普請活動はできないのではと思います。


 円筒分水器は相変わらず雪の下のままです。次の写真22。

 

写真22

 

 ただし、円筒分水器から出た水を青倉方面の川に落とすU字溝は少し姿を見せました(写真23)。

 


写真23

 

 最後に、写真15で見えた「青空」について一言。
 野々海池でさらに「青空」の撮影を繰り返しました。

 


写真24

 

 「青空」の上は雲。境界線が直線的です。
 私はこの「青空」、じつは空ではなく、日本海が見えているのではないのかと思いました。
 晴れた日に野々海峠から真っ青な日本海が見えるのと同じ方角です。
 間もなく木の葉が繁れば、野々海池からこういう景色は望むことができなくなり、正体の解明は困難だろうと思いますが…。

 

(了)


飯山市照岡の山腹崩壊・土石流のその後

  • -
  • 2017.05.28 Sunday

 5月19日に発生した飯山市照岡の山腹崩壊、その後、22日午後に土石流が複数回発生しており、その状況が心配でした。そこで、今日27日午前、再び現場に行ってきました。
 今日は、まず藤沢から国道403号線を上がってみゆきのラインに出て、羽広大橋へ。その途中、報道関係者に電話して、「昨夜11時半頃に土石流が発生した」ことを聞いた。羽広大橋上流・下流の様子を撮影した後、21日と同様に山腹崩壊が見える地点へ。後に詳しく報告するように、山腹崩壊地点には基本的に変化がないことを確認。
 その後、桑名川地区に下り、避難所になっている岡山地区活性化センターを訪問。そこで桑名川区長の鷲尾静雄さんなどからお話を聞いた。さらに、出川橋、飯山線の橋梁、出川橋よりも上の土嚢設置箇所等を見てまわり、今日の現場行きを終えました。
 以下は、見て廻った順には関係なく、いくつかのポイントをめぐって報告します。

 

1. 山腹崩壊箇所には基本的に変化なし
 いちばん関心を抱いていたことは、〈22日の土石流がどこで発生したのか?〉です。
 これまでの報道、さらに今日確認した市や県の発表・説明では、この点への言及がありません。
 山腹崩壊箇所がさらに崩れているとすれば、事態は収束予想が難しい深刻な事態になります。
 21日と同様、羽広山集落の上の畑地帯を進み、温川(ぬるかわ)(前回のレポートで「ぬくがわ」と読みを書きましたが、正しくは「ぬるかわ」のようです)の沢の右岸上から山腹崩壊箇所を見ました。6日前に比べて木の葉の繁りが進んでいて、やや見えにくいところがありました、ほぼ21日と同様の観察ができました。今日27日の写真を示し、それを21日撮影の写真を対比させます。

 

 

写真27−1

 

写真27−2

 

 この2枚は山腹崩壊箇所のてっぺんのすぐ下の様子。これと同じ箇所を撮影した21日の写真を示します(21日の記事に掲載したもの)。

 

写真21−1

写真21−2

 

 ほぼ同じ地点からの撮影で、基本的に変化がないことを確認できます。

 

 続いて、山腹崩壊箇所のてっぺん部分です。
 これは木の葉の繁りで、21日と同じようには撮れませんでしたが、比較可能な範囲内だと思います。

 

写真27−3

 

 21日に撮影したものはつぎのもの。

 

写真21−3

 

 直接の比較は難しいと思いますが、基本的な変化がないことは確認できると思います。

 


写真27−4
 写真真ん中下に白い水が見え、温川の流れです。ほぼ同じ地点を21日に撮ったものが次の写真。

 

写真21−4

 

 若干の違いがあるようでもありますが、大きな崩れはないといえます。

 


2. 羽広大橋の上流方向・下流方向の様子
 次の写真27−5は今日27日の羽広大橋上流方向の様子。下に21日の同場所の写真21−5を示します。

 

写真21−5

 

写真27−5

 

 おそらくは22日の土石流によると思われますが、21日には見られた川の中の岩状のもの、土砂がながされていることが確認できます。また、左岸(写真では川の右側)の杉の木が何本か消えていることが確認できます。

 

 つぎに、下流方向を見ます。

 


写真27−6

 

写真21−6

 

 やはり川の中の一定量の土砂が流されたこと、また、21日の写真では川の中に見える杉と思われる木が複数消えているように思われます。

 

 以上のことから、土石流は羽広大橋よりも上流で発生していると考えられます。

 

 

3. 出川橋の上流方向・下流方向の様子
 つぎに、出川橋(県道に架かる橋、現在は通行止め)の上流方向・下流方向の様子を見ます。
 毎日見ている場所ではないので、今日27日に様子を見た時すぐには21日の様子との違いはわかりませんでした。
 写真データをPCに取り込み、プリントして21日の写真と比較してみて、その変化の大きさに驚きました。

 

 まず上流方向です。

 


写真27−7

 

 下の21日の写真に見られた大きな石などが流されてなくなっています。

 

写真21−7


 つぎに下流方向。

 


写真27−8

 

 微妙に撮影アングルが違いますので、断言的には言えませんが、下の21日の状況から、川幅が大きく変わり、両岸の樹木がかなり流されて消えていると思われます。

 

写真21−8

 


4. ひとまず確認したいこと
 ここまでに見てきたことから、
   イ) 22日の土石流は、山腹崩壊箇所からではなく、それよりも

    下、そして羽広大橋に至る間で発生したと思われる
   ロ) 22日の土石流では、羽広大橋付近よりも出合橋付近の方が

    土石流の威力、破壊力は大きかったのではないかと思われる
の2点が言えると思います。
 このロ)の点をもたらした大きな要因としては、羽広大橋と出合橋の間にある桑名川砂防ダムが22日の土石流で完全に埋まり、砂防ダムを越えて土石流が出合橋付近を襲ったことが考えられます。
 桑名川砂防ダムはスリット状のものですが、地元の人の話では、県・飯山市は22日の土石流発生前、「桑名川砂防ダムはまだ1mくらい余裕がある」と説明していたそうです。出合川左岸の土嚢の設置状況などを見ると、桑名川砂防ダムで土石流がかなり弱められると読んでいたように思われます。しかし、実際は砂防ダムが埋まり、土石流は砂防ダムを越えて下流域を襲ったわけです。

 今日は時間の限界もあるので、他の論点にはこれ以上言及しませんが、ここまでの検討から次のことを強調したいと思います。
    22日(+26日夜)の土石流がどこで発生しているかを早急に

    確認する必要がある。ドローン等を活用し、井出川を遡って調

    べれば、判明するはずです。
    19日の山腹崩壊でどれくらいの量の土砂が井出川・出川に流れ

    込んだかを解析すること。私は専門家ではないのでそういうこ

    とはできませんが、中条川の山腹崩壊・土石流をめぐるデータ

    からはそういう解析が可能だと思います。
    上記△硫鮴呂鵬辰─△海譴泙任療收侘で下流まで流れ出た土

    砂の量がどれくらいかを解析すること。これは護岸等に残る土

    石流の痕跡から土石流の高さを割り出し、また、川幅の広がり

    を計ることで、かなり正確な数値が割り出せると思います。
    このような解析を行うことで、今後起こりうる土石流の最大規模

    を割り出し、必要な対策を考えることが可能になると思います。
    素人考えですが、桑名川砂防ダムが埋まっている状態を打開す

    ることが対策の1つの鍵になるのではないか。「梅雨明けを待つ」

    という県の方針には私は納得がいきません。
     たしかに降雨量が増えた場合、新たな土石流が発生する可能性

    があり、対策工事関係者の安全を考慮しなければなりませんが、

    降雨量の測定や、上流に堆積している土砂の中に含まれている可

    能性がある雪が気温上昇で融ける可能性の判定などによって、安

    全を確保しながら対策工事を進めることは可能だと思います。

 

 

 避難指示で家に帰れない人は当面の仮住宅を提供されればよいというものではありません。自宅に戻れる日を一日も早く実現する、そのために最大限の対策を進めてほしいと思います。

 

(了)


配達日誌5月11日〜20日

11日(木) 昨夕の6時すぎに降り出した久々の本格的な雨。朝までにほぼ止んだ。私自身は今週、残雪が多くあるところにばかり行っていたので、「乾燥」ということをまったく意識していなかったが、残雪のないところは相当に乾燥していたのだと思う。
 一度目覚めたのは3時前だったか。さすがに早すぎると思ったし、眠気もあったので再度眠って、5時前に起床。
 朝から「復興への歩み」No.306の執筆と「配達日誌」5月1日〜10日の編集。午前中、30kgの精米と発送を挟む。
 午後は2時から私の知人と知人の引き合わせ。その後、思い立って極野〜五宝木間の道路に五宝木側から入って、残雪状況などの調査。3時半に逆巻交差点から日出山線に向かい、五宝木〜極野間の残雪・通行不能区間を歩いた。歩いたのは往復約45分間。

 

車では進めなくなった地点


 歩きながら、「ジャーナリストの仕事をしているのか? それとも議員の仕事をしているのか?」という問いがふいに頭の中に浮かんだ。答えは「両方を兼ねている」だと思う。現場を見ずしては何も言えない・書けないということは両者に
共通している。
 途中に通った鳥甲牧場が、3日前の8日に比べて、土が出ている部分が圧倒的に広がっていて驚いた。帰路は融雪で出る水蒸気のゆえだろう、霧がものすごく、道路の一歩前が見えない地点がかなりあって、運転に苦労した。
 帰宅後、やや風邪気味。五宝木〜極野間の山道を歩いて汗をかいたが、着替えを持っていなかったのが原因か。葛根湯がきれていたので、購入して、それをのんで就寝。

 

12日(金) 起床すると、風邪っ気は抜けていた。
 昨日の午後遅くに五宝木に行ったのは、極野〜五宝木間の道路状況について記事を書くため。しかし、その行動のために、「復興への歩み」No.306は昨日中に完成させることができず、今日の朝方も編集の続き。また、極野〜五宝木間の道路状況と対応策について役場の担当者宛にメモを作成。
 昼食後、スキー場へ。「頂上まで車で行けるのではないか」と思ってのこと。
 やはり行けた。頂上のカタクリはピークを過ぎた感じ。これから雪が消えるところにも咲くので、まだそこそこに楽しむことはできるが…。今日は、頂上の林にも入ってみた。雪が残るが、その先にイワウチワの群生。きれいだ。イワカガミは今日雪が残っていたところの雪下で出番を待っている。今後の天候にもよるが、17、18日くらいには本格的に姿を見せるのではないだろうか。

 

スキー場の頂上リフト降り場のカタクリ群生地の先に残雪の林がある


 スキー場頂上からさらに貝立山裏の水路かけ口までの道路状況も見たかったが、配達もせねばならないので、今日は断念。
 下に降りた後、森の23軒などに配達。

 

13日(土) 6時頃起床で、朝から配達。東部地区で87軒。
 車に載せた印刷物が足らなくなり、10時頃にいったん帰宅。「復興への歩み」No.306をブログにアップ。
 11時前、「おいこっと」お出迎えに森宮野原駅へ。GW直後の土日で、しかも雨模様。これまでに出会った「おいこっと」の中で最も乗客が少なかった。でも、車内でオカリナ演奏をした中野市のグループと素敵な出会い(下写真)。その後、「道の駅」でキノコ汁・ごはん&山菜天ぷら。計550円だが、一般の店だったら千円くらいするであろう内容とボリューム。

 


 帰宅後、「配達日誌」5月1日〜10日のブログへのアップと「復興への歩み」等の増刷。その途中で2種類のトナーが交換となったが、イエローのストックがなくなっていることに気づいていなかった。土日なので月曜まで発注がきかない。月曜日に配達する分を確保できない。
 午後1時半頃発で主に西部地区の配達。50軒。
 加工用トマトの畑の準備が進んでいる。妹木のトマトハウスで頼之さんご夫婦と少しお話。ご夫婦はズッキーニの種蒔き作業。とにかくよく働かれるご夫婦だ。
 朝から、筋肉の張りを感じ、「昨夜、久しぶりに本格的に体操したせいか」と思っていたが、午後の配達の途中で喉に痛み。どうやら11日夜の風邪っ気が残っていたようだ。

 


朝、滝沢総一郎さんのアスパラ畑を訪れた

 

妹木の頼之さんの畑。もうマルチがはられていた

 

14日(日) 今朝は朝6時から空き缶拾い。村で「6時」と言われれば、「5時半くらいかな」と思いつつも、「5時半では早すぎるだろう」と思って5時40分頃に出たら、案の定、半分ほど終わっていた。
 続いて、8時から普請。
 昨夜はゆっくりしたつもりだったが、5時の起床時、体のだるさが残っていた。普請終了時はかなり消耗。11時頃に、「あっさりして、食べやすいもの」と思って、冷やしうどんを食べたところ、かなり疲労感が薄らぎ、さらに「デザート」と称してシュークリームを食べたら、かなり元気回復。その結果、迷っていたスキー場頂上行きを強行。というのも12日のイワウチワ撮影があまりうまく出来ていなかったため。今日行ってよかった。12日と較べると、花の勢いがピークを越えた感じだったから。
 続いて、貝立山裏の道の開き具合を見に行った。貝立山登山口を過ぎたところで車は進めない状況。ちょっと迷ったが、歩いて進むことに。最高の気分だった。往復30分程度だったが、かなりリフレッシュ効果あり。

 

最高の気分!

 

 帰宅後、写真データの取り込み、1時間程度の睡眠など。かなりしつこい体のだるさだが、なんとかなりそうだと思う。
 なお、普請の休憩時に、ある人が「これ、シオデでしょう?」と言い、かなり急なところを登って採って来て、「はい、1回分」と言って、私に下さった。昼食の際、これを湯がいたものを冷やしうどんに入れてもらったが、絶品!

 

15日(月) 朝一番で、トナーの発注を間に入る業者さんに再確認。12日金曜日から印刷できなくなっているが、昨日14日に配達しなかったので、既印刷分がまだあり、水内地区を中心に午前中に54軒配達。
 午前中から時折、小雨が降っていたが、午後3時半頃、強い雨。雨音が激しくした。しかし、これもそんなに長くはなかった。
 夕方からはトマトの国の愛湯会。計16名参加。今回は、新しく着任した板前さんの紹介とその料理のお披露目が開催目的。新しい板前さんの料理、私は4月23日の花見に続いて2度目だが、ほとんどの人は初体験。「わあ、綺麗!」、「すごいごちそう」とひとしきり感動の言葉が全員の口から噴き出た。
 「そもそも愛湯会はなぜ始まったのか」という話も出て、7月半ばすぎにトマトの国の周辺の草刈りと今年3回目の愛湯会をやることになった。「地元の力でトマトの国を盛り立てる」――いい感じになってきている。

 

16日(火) 「発注したトナーが来るのは早くて10時頃だろう。それまで印刷も配達もできないから、秋山のいろんな様子を見に出かけよう」と考え、朝7時前の出発で、日出山線→鳥甲牧場→再び日出山線→秋山林道→奥志賀公園線との境のゲート(まだ冬期閉鎖中)まで→戻り、切明温泉へというコース。
 奥志賀公園線のゲート先にも少し歩いて入った。残雪はほとんどないが、ブナがまだ芽吹いていない。

 

芽吹きも未だという中で1本だけ花を咲かせるヤマザクラが印象的だった


 帰路、ヤマトのドライバーと出会い、極野〜五宝木間が通行できる状態になっていると聞き、帰りはそのコースをとった。
その前に、和山で、間伐作業をしている森林組合の若者が昼休み休憩しているのと出会い、「天然記念物が栄村で発見されたら、どんなことになりますか?」と謎かけされた。なんと、ヤマネという天然記念物を誤って捕獲したのだ。私も写真を撮らせてもらった。その後、脱走して、自然界に戻ったと電話で聞いたが。帰宅後、県の自然保護課に連絡(翌17日、「写真が欲しい」等の連絡が来た。環境省が関心を示しているそうだ)。
 帰宅後、大量の印刷。夕刻に人に会いに行ったこともあり、配達には至らず。

 

17日(水) 朝からせっせと配達。午前中は白鳥と青倉を中心に89軒・97部。
 お昼前に、「西山田の圃場整備を前に、ボヤ(小ぶりの雑木)を伐っている。その後、大きな木を倒す。ボヤがあるため見えなかった景色も見えるようになった。この景色も見納めだよ」と知人から電話をもらい、昼食前に撮影へ。

 

雑木がなくなり、たしかに田の姿がくっきり浮かび上がっている


 午後、平滝に配達に行き、25軒の配達を終えて、野々海に通じる道の集落内でいちばん奥まで進んだところで、「まだ道開けは再開されていないだろうが、9日に歩き始めた地点あたりの融雪の具合くらい見ておこうか」と軽い気持ちで上がって行ったら、なんと道が開いていて、結局野々海池まで。
 長靴とウインドブレーカーしか持っていず、けっこう寒かったので、あまり無理せずに帰ってきたが。
 途中、女性が運転する京都ナンバーの乗用車が下ってくるのを見かけて、驚いた。
 帰宅後、野々海普請(6月4日予定)の関係者に残雪の状況を知らせるために、急遽、写真レポートを制作。
 夜は、人と会うために外出。
 昨日くらいの段階ではっきりしたが、14日頃にピークがきた体のだるさ、背中の張り、軽い風邪もあったが、主因は疲れ。4月選挙戦の疲れ、あるいは5月上旬に騒ぎ過ぎた疲れがいま頃になって出てきているようだ。今週いっぱいくらいで抜けるかなと思う。

 

18日(木) 朝早くからひたすら配達。No.304(4・14付)未配達地域を解消するために、No.304〜206の3号セットを107軒配達。計算ミスのために、途中で部数が足らなくなり、追加印刷に戻り、再び東部のいちばん奥まで配達に行き直すなど、効率の悪い面もあったが、とにかく完了できた。
 午前中の早い時間、この間出会えなかった人と配達途中にちょこっと立ち話。まだ選挙結果が話題になる。
 夕方近くに、用件が2件あって、役場へ。うち1件は16日夜の横倉でのクマ出没に関わるもの。具体的なことは「復興への歩み」に書こうかと思うが、役場に対応の遅さに対する村民の不満・批判の通報をうけて、「なぜ、遅れたのか?」の解明。問題点は解明でき、私に通報してきた人にはすぐに回答。思うことは、クマ問題に役場が危機感と根本的対策方針、対応体制を未だに確立できていないということ。これは、4月に相次いだ秋山を中心とする震度3レベルの地震への対応をめぐっても感じられる。
 午前中は今日未明の雨を引きずったような天候で、気温もあまり上がらなかったが、午後、きれいに晴れ上がってきた。空の色は、この間晴れ上がった時に見られた、いわば「濃い青空」というものではなく、「淡い青色の空」。うっすらと雲がかかっているというのではなく、青色が淡い感じで、とても良いのだ。それと奥山の芽吹き直後の色とが合わさって、「素敵だなあ!」と思った。あまりうまく撮れていないが、極野の奥山方向を望遠で撮ったものを1枚。

 

19日(金) 午後1時から安曇野市堀金(ほりがね)公民館というところで、長野県町村議会議長会事務局主催の「初当選議員研修会」。ここで言う「初当選」はここ2年間に初当選した議員という意味。栄村の場合、先月23日の選挙で初当選した人は今日5月19日の段階ではまだ議員の任期がスタートしていないので、対象外。私を含む昨年4月補選での初当選者が対象。1名は再選がならなかったため、もう1名は所用で欠席ということで、私のみが出席。約3時間の講義2つ。得るものは少なかった。
 会場の堀金公民館は北アルプスの常念岳の麓。景色はいい。写真は撮らなかったが。
 私は、単独行で午前中、白馬村に立ち寄った。7日に撮れなかった白馬村被災地の現在の様子を撮影するのが目的。途中、道を間違って30分以上ロスしたこともあって、あまり廻れなかったが、いちばん被害がひどかった堀之内区に着いた時に最初に見た景色があまりに美しく、強烈な印象を焼きつけられた。「凄い景色!」と興奮している時はあまりいい写真が撮れないという経験則があるが、帰宅して写真データを見ると、やはり強烈に焼きついている印象を再現できていない。それでも、いちおう紹介しておきたい。
 思い返してみれば、白馬村で地震があったのは、紅葉も終わり、もう間もなく初雪という季節。その後に訪れたのも冬。春〜初夏に訪れたのは初めて。北アルプスを望む地域の春〜初夏の景色はすごい! 白馬村から大町までの青木湖、木崎湖あたりの景色もよかった。

 

 

 これに匹敵するものは、やはり上の原から望む鳥甲山連峰の景色だろう。私の感覚からすれば、「のよさの里」の屋内ではなく、「のよさの里」の前の庭、さらに天池(本来のもの)のほとりに洒落たテーブルとイスがあって、そこでコーヒーなどを口にしながら、絶景を眺めることができるという仕掛けが欲しいなあと思う。

 

20日(土) 昨日の安曇野行きで朝に満タンにしたガソリンがほぼ空っぽに。昨夜は給油できなかったので、朝7時のスタンド営業開始直後に給油(起床は早く、2時間弱の印刷等の作業後)。
 その足で野々海へ。その結果を記した「野々海でミズバショウが出た!」をブログにアップ。その後もスキー場頂上のイワカガミの開花状況の調査、5月初旬に住民がクマの穴と思われるものに出くわした場所の調査等で一日中走り回った。今日中に終えたいと思っていた配達は結局明日に延期。
 野々海の残雪状況、クマ問題で2本のブログ記事を書いたが、公表は明日以降にする。
 


栄村復興への歩みNo.307

 

 


 今号は2枚の風景写真から始めることにしました。
 1枚目はヒトリシズカという花です。「トマトの国」の前の丸山の辺りで16日午後の撮影です。2枚目は「鳥甲牧場」での幻想的な風景。11日夕に通りかかり、あまりの美しさに車を停めて撮影しました。雪融けの水蒸気で霧が立ち昇り、流れています。
栄村にはきれいな花、美しい風景がたくさんありますね。


天然記念物のヤマネ

  • -
  • 2017.05.26 Friday

 

 可愛いですね。
 天然記念物の二ホンヤマネとい う小さな動物のようです。
 5月16日、秋山郷で森林組合の若者が一時保護したものを撮影させていただきました。
 当初、「リスの赤ちゃん」と思って保護したそうです。その後、背中に特徴的な暗褐色の縦縞(たてじま)があることから「ヤマネではないか」という話になり、「天然記念物だと、どういう扱いになるのか?」と話しているところに私が通りかかり、撮影させていただいた次第です。

 公益財団法人キープ協会のヤマネに関するHP上の記述によれば、
    「体長約8cm・体重18gほどの大きさで、夜行性の哺

     乳類」
    「日本固有種で、国の天然記念物に指定」
    「リスやネズミと似ていますが、別の種類」、「日本に

     は数百万年前から棲んでいる生きた化石」
    「寒い地方では秋から春まで半年もの間、落ち葉や木の

     穴の中で眠る」
というものだそうです。
 発見状況は、間伐作業時に木の小枝などが重なった間にいたということですので、まさに冬眠から目覚めた直後だったのではないでしょうか。
 先に「一時保護」と記しましたが、天然記念物とわかっていれば、いっさいの捕獲行為は禁じられています。今回の場合、当初はリスだと思ったこと、また、写真撮影後しばらくしてヤマネが逃げ出して自然界に戻ったことから問題はないと考えられます。
 16日当日午後、私が県自然保護課に発見の報告をしました。後日、「写真資料などを提供してほしい」という要請があり、現在、そのように対応すべく準備しているところです。


様々な工事に現状について

 標高の高い山の一部の沢などを除いて、雪がほとんど消え、村内の各所で種々の土木工事が始まっています。また、4月に新年度がスタートし、国の予算の配分がくるかどうかが心配されていた事業への予算配分の結果もあきらかになりました。
 そこで、みなさんの関心が高い工事などについて現状をレポートします。

 

極野〜五宝木線

 

 

 上写真は極野〜五宝木線のちょうど中間あたりの地点の道路脇法面。
 6年前の震災で法面工事が必要となり、2ヶ年計画で2014年度に着工されたものの、2年目の予算がつかず、15年度、16年度と2年間にわたって工事が中断していました。
 今年度、国の予算がつき、施工業者もすでに決まりました。県林務課所管の工事です。

 

新土合(どあい)橋
 北野と天代・坪野を結ぶ、北野川に架かる新しい橋です。
 国の社会資本整備総合交付金を使っての村の事業です。地元では2016年度中の完成を希望していましたが、予算不足で未完成の

状態です。

 

 


写真右側に見えるのが完成した新土合橋。写真左側のブロック状のものをさら

に積み上げ、北野と結ぶ道路をつくる

 

 工事が必要なのは、すでに完成した橋と北野とを結ぶ道路部分の築造、橋を渡って天代側に入ったとこ
ろから北野天満温泉に入る道路を新たに取り付けること、の2つです。
 結論からいえば、本年度は村が要望した予算額の4分の1の予算しか交付されませんでした。その結果、本年度は橋と北野とを結ぶ道路部分の築造のみとなります。
 北野天満温泉への道路の取付費用は2018年予算で獲得せねばなりません。
  (注) 社会資本整備総合交付金では、事業の承認と各年度の予算付け

    は別に扱われます。新土合橋は、事業計画は承認されていますが、

    各年度の予算付けは年度ごとに国が決めます。

 

箕作飯山線
 昨年度、箕作と平滝を結ぶ大橋が架かりましたが、今年度の工事もすでに始まっています。
 現在進んでいる工事は、(1)箕作平滝大橋の舗装までの仕上げ、(2)小箕作(こみつくり)川に架かる小箕作橋と箕作平滝大橋間の道路築造、(3)小箕作橋の架橋、の3つです。
 (1)については、橋の地覆(じふく)と高欄(こうらん)(一般に欄干(らんかん)と呼んでいるもの)の設置、塗装、床板(しょうばん)の防水、舗装と進みます。舗装は7月頃の予定。(2)も工事が始まっています。(3)は昨年度、橋台(きょうだい)が築造されましたが、今年度、橋が架けられます。現在は別の場所で橋を作っていて、7月頃に現場に持ち込まれ、橋が架けられます。

 

写真左手前は小箕作橋の橋台、前方に大橋が見える。この間の道路を新た

に築造する。


 平滝と明石の間の橋のための橋脚を川の真ん中にたてる工事が必要ですが、これについてはまだ入札公告等の話が聞こえてきていま せん。

 今号でのレポートは以上の3件とします。


「トマトの国」の新しい料理と愛湯会のご紹介

 

 これは、5月15日に開催された「トマトの国」愛湯会で出された5皿のお料理のうちの一皿(8人分)を撮影したものです。
 真ん中に緑の葉がついた枝ものが飾り付けとして置かれています。おわかりの方もおられるかと思いますが、アケビです。「トマトの国」のごく近くで板前さんが採ってこられました。
 この日の愛湯会は16名の参加。「トマトの国」に新しい板前さんが着任されたことをうけて、顔合わせをし、そのお料理を味わうために開催されました。
 写真のお料理をはじめとして、きれいな盛り付けの料理が並べられ、参加者のみなさんは感嘆の声をあげられました。お味もとてもおいしいです。
 板前さんのお名前は旗野(はたの)昭(あきら)さん。山梨県甲府市のご出身で、京都や高野山で修業されてきた人です。「里山が好きで、そういうところで働きたいと思っていたので、今回、こちらにお世話になりました」という自己紹介でした。
 この新しい板前さんのことは村内で評判が広がりつつあるようです。
 こういう腕のよい板前さんが確保できたことは嬉しいことです。
 と同時に、板前さんの腕のよさだけで、「トマトの国」の経営がうまくいくわけではないことも認識せねばなりません。
 振興公社の経営をどのような方針で進めていくのか。まだ十分に明らかになっているとは言えません。全村的な議論を積み重ねていく必要があります。
 また、共通入浴券問題も未解決のままです。

 

愛湯会の取り組み−地元住民の力で支えることの重要性
 愛湯会は、日頃、「トマトの国」の温泉を定期的に利用している地元住民の集まりです。共通入浴券の問題で声をあげることもしています。
 今回5月15日の集まりでは、会の初代会長・月岡英男さんから会の発足の経緯が紹介されました。「トマトの国のそばにはカタクリがたくさん咲く。これを長瀬のカタクリ街道に負けない群生地にするために、整備の草刈り作業を呼びかけたのが愛湯会の始まり」というお話です。
 「トマトの国」の前の広場の土手には、愛湯会のメンバー島田昭男さんの手でオキナグサがたくさん育てられてもいます(下写真、ちょっと満開期を過ぎてからの撮影ですが)。

 


 今回の集まりでは、7月半ばに草刈り作業を再開し、今年3回目の愛湯会をやろう、ということになりました。
こういう地元住民の力で、「トマトの国」−振興公社を盛り上げていきたいな、と思います。


クマ対策はこんなふうに進めよう!

 次頁に1枚の地図を掲載しました。
 4月27日〜5月16日の間にクマが目撃された地点を地図に落とし込んだものです。

 

 

 A点は、4月27日夕、トマトの国の対岸に大きなクマが現れた(本紙No.305で既報)地点です。B点は、5月初め、青倉の人がクマの巣と思われるものを見、その直後に「ウー」というクマが発したと思われるうなり声を聞いたところです。
 C点は、5月3日と5日に木に登っているクマなど複数のクマが目撃された地点(本紙No.306既報)。そして、D点は5月16日午後10時頃にクマが目撃された地点(横倉教員住宅前)です。
 A点とB点は、A点で目撃されたクマが崖を登っていきましたが、その崖の上がB点という関係にあります。
 他方、C点とD点とは離れているように見えますが、同じ山の標高が高い所と麓(ふもと)という関係にあり、直線距離では約2kmしか離れていません。しかも、C点とD点の間のゾーンでは昨秋、クマ1頭が罠にかかり(放獣)、また例年、クマがクリの木に登った形跡が確認されている場所もあります。C点のクマとD点のクマが共通している可能性を排除できません。

 

目撃地点を地図に落とすことの大事さ
 このように目撃地点を地図上に落とし込む作業が、クマ対策の基礎的作業として重要です。この作業を重ねていくことによって、クマの生態と動態がよくわかるようになり、罠の設置や電気柵の設置設計がより有効なものとなります。
 「自分の家の周りの柿の木には毎年、クマが出る。いちいち役場に通報しない」という人もおられることと思います。そういう場合、目撃情報の告知放送は必要がないこともありえますが、栄村域内のクマの生態・動態の解明・分析、そして対策にとって、その情報は重要な意味を持ちますので、是非、役場に通報していただきたいと思います。

 

クマ問題を〈役場が即座に最大級の対応をとるべき危機管理課題〉として明確にすることが必要
 ところで、5月16日夜の横倉教員住宅前でのクマ出没については、出没地点が栄小のすぐそば、子どもたちの通学路に面しているにもかかわらず、役場から小学校への連絡が翌17日の午後3時半頃、子どもたちの下校が終わってからだったという問題が生じています。
 詳しい経緯は略しますが(ブログ「栄村復興への歩み」5月21日記事で詳述)、クマの目撃通報についての扱いが緊張感の薄いものになっていることが問題であると私は考えます。
 クマの目撃通報があった場合、それをクマ目撃地点一覧地図に即座に落とし込み、過去の履歴を重ね合わせて検討する、近くに小学校及び通学路など保護すべき対象があれば即座に最大限の対応措置をとることが必要です。
 現在の村(役場)の対応措置はあきらかに不十分であり、緊張に欠けていると言わざるを得ません。
 中見出しに表記したとおり、〈役場が即座に最大級の対応をとるべき危機管理課題〉として明確にし、態勢を抜本的に求めます。

 


<追記>
 飯山市照岡での山腹崩壊、大変な事態です。21日、現場を見てきました。ブログ「栄村復興への歩み」のレポートを是非、ご覧ください。


クマの目撃地点の相互関係について

 

 地図に4つの赤丸を書き込みました。
 A点は、4月27日夕刻に「トマトの国」対岸の崖面にクマが現れた場所です。
 C点は、5月3日と5日の夕にブナの木に登っているクマなどが目撃された地点です。
 D点は、5月16日夜10時頃、クマが出没した地点(横倉の教員住宅前)です。このクマは子クマと聞いています。
 B点は、青倉の島田助一(じょいち)さんの奥さん・みなみさんがゼンマイ採りに行って、ススキの枯れ枝の先に何かの穴を見た直後、クマのうなり声を耳にしという地点です。5月初めのことです。
 このB点、じつは、A点から崖を登りつめた地点に他ならないのです。
 あの日、クマはまさにこの崖を登って、猟友会の人の捕獲銃から逃げ切りました。
 みなみさんがスキー場のある地点でクマの巣に出くわしたという話は、4月27日のクマ騒ぎのしばらく後に複数の人から聞いていました。しかし、私は地図でB点として示した地点とは異なるところだと理解していました。
 ところが、今日20日午後、助一さんと出会い、詳しい話をお聞きして、B点だとわかったのです。
 B点は、スキー場内のブナ林を抜けて、大きなカーブ(写真イ)を曲がって30mほど進んだところ(写真ロ、ハ)から右斜め上に上がって行った先にあります。何枚かの写真を示します。

 


写真イ

 

写真ロ

 


写真ハ

 

写真ニ


 写真ハの右側に見える道はスキー場内の村道、左側に見えるのは今は使われていない軽トラが通れる程度の作業道。この作業道を上がると、写真ニの地点。これはスキー場のゲレンデです。
 そして、ゲレンデを横切った先に写真ホで示す場所があります。これは問題のB地点があるゾーンです。

 

写真ホ

 

●島田助一さんの話をお聞きして
 今日、助一さんからお聞きしたところでは、みなみさんがB点でクマの巣に出くわした直後に、助一さんは猟友会の人に連絡をされたそうですが、すでに有害捕獲の期間(4月30日まで)を過ぎていたため、出動してもらうことはできませんでした。そこで、つぎに、役場に行き、話をされたそうです。その結果、役場は青倉に「注意 クマ出没」という看板を設置しました。が、助一さん曰く、「あんな小さな看板だけだぜ」と。
 私もその看板を見ましたが、助一さんと同様に思います。
 私は、助一さんから「危ないから行かない方がいい」と言われながらも、写真イ〜ホを撮るところまでしました。大きな音を出しながら、遠くが見通せる範囲内での行動です。
 これは、抜本的な対策をとる必要があると判断して行った、ひとまずの最小限の行動です。

 

●5月16日夜の横倉でのクマ出没について
 ところで、5月16日夜の横倉でのクマの出没について私が知ったのは17日夜のことです。知人からのメールで知りました。
 クマが出た横倉教員住宅前というのは栄小学校のすぐ近くで、月岡の子どもたちの通学路と接するところです。ところが、小学校に連絡があったのは17日午後の下校の後で、父母に一斉連絡があったのも下校後であったことから、父母の間で「教育委員会の対応が遅すぎる」と問題視されている――これが私が知人からもらったメールに記されていたことでした。
 私は、「教育委員会の問題というよりも、役場の有害獣担当の問題なのではないか。役場の関係部署に尋ねてみる」と返事しました。
 18日、まず、教育委員会の学校教育係を訪れ、事の次第について尋ねました。学校教育係の回答は、「担当部署から連絡を受けて、小学校にすぐに連絡をした。ちょうど職員会議の最中で、学校はすぐに父母に一斉連絡した」というものでした。
 そこで、続いて、有害獣対策担当部署である産業建設課を訪ねました。そこで判明したことは次のとおりです。
   イ) 16日夜10時頃、役場に目撃通報があった。
   ロ) 当直は2名。仮にA職員とB職員とする。電話にはB職員が

    出た。時間が夜遅くだったので、告知放送はしないことにし

    た。当宿直簿に「横倉でクマ目撃」という記録をした。
   ハ) 役場の有害獣対策の直接の担当者であるC職員は、17日出

    勤後、この記録を確認した。ただし、「横倉で目撃」という

    だけの記録であったので、小学校との関係性には思いが及ば

    なかった。
   ニ) B職員は、18日、午後3時頃まで役場を離れる仕事をしてい

    た。C職員は、B職員が役場に戻ってから目撃場所が横倉教員

    住宅前であることがわかり、小学校の通学路と密接な関係が

    あるとして、教育委員会事務局に連絡した。

 

 私が、ここに経緯を詳しく書いたのは、関係職員の責任を追及しようという意図からではありません。
 いちばんの核心問題は、クマをはじめとする有害獣の問題が村役場にとって危機管理上、即座の最大級の対応をすべき問題となっていない、ということです。
 即座の最大級の対応をすべき問題として位置づけされているならば、当宿直簿に「横倉」としか書かれなかったということにはなっていないでしょう。
 あるいは、B職員が役場外での仕事だったから、C職員が17日午後3時すぎまで具体的な現場を知らなかったということも起こりえないでしょう。携帯電話がほとんどのところに通じる時代ですから、B職員に連絡はとれるはずです。しかし、そういう連絡はとられなかった。これはC職員個人の問題ということではないと、私は判断しています。
 この関係でさらに踏み込んでいえば、昨秋、泉平でのクマによる人への襲撃事故があった際、現場にいた役場の担当職員2名は、いずれも有害獣対策担当1年目だったと聞いています。
 そういう重大事故を経験して、有害獣対策の重大性を身に染みて感じとっているはずの職員2名は今春の人事異動でいずれも他部署に異動し、C職員1名が担当となったのですが、彼は有害獣対策はまったくの未経験の若い職員です。
 私はこの人事に強い違和感を覚えます。人事権者は有害獣対策の経験と知識・知恵の蓄積ということの重要性をまったく理解していないのではないかと思うのです。

 

●クマ目撃地点を地図上に落とし、分析・考察することが本格的抜本的対策の第一歩なのではないか
 このレポートの冒頭に私は地図を掲載し、4つのクマ目撃地点を地図上に落としました。
 これによって、何かが見えてきますね。
 A点とB点の関係性は助一さんのお話もあり、明白です。
 私はC点とD点の関係性にも注目しています。この2地点、地図を見れば明らかなように1つの山(尾根)とその麓という関係性です。直線距離では約2km足らずです。1頭のクマの行動範囲内です。しかも、C点とD点の間に、昨秋、クマが罠にかかった地点、毎年クリの木にクマが登る地点があります。
 C点で5月3日と5日に私を含む数名が目撃したクマと、D点で16日夜に目撃されたクマが共通する可能性は十分にありうるのです。

 こういう検討作業をしていくことによって、危険ゾーンや要対策地点があきらかになっていくはずです。

 

●「近所の人も知っているから役場に通報しない」というのは正しくない
 ところで、クマのことが話題になると、「おれの家の柿の木にクマが来るんだ」という類の話がよく出てきます。その場合、「毎年のことだし、近所の人も知っているから、いちいち役場には通報しない」という話もくっついてきます。
 こういう話に覚えがあるという人は多いのではないでしょうか。
 しかし、この対応は正しくないと思います。
 べつに、役場に通報し、告知放送をしてもらって騒ぎにしろ、と言いたいわけではありません。
 「おれの家の柿の木にクマが来るのは毎年のこと」と言って済ますのではなく、一度、みんながクマ情報を役場に集約し、村のクマ被害の全体像をあきらかにする必要があるということを言いたいのです。

 

●いまが対策の最後のチャンスかもしれない
 先日、「報道ステーション」でクマ問題のミニ特集が放映されましたが、その中でクマの生態の研究者が、「これまでクマの一定頭数の維持(=クマの保護)が課題とされてきたが、近年、クマの頭数が維持すべき頭数の9倍近くになっている。いま、対策をしなければ、イノシシやシカのように増殖を抑えられない状況になってしまう」という警告をしていました。
 栄村でも、かなりの人が危機感を抱いておられるように、クマの頭数が保護が必要な水準をはるかに超えて増大していると思われます。
 いま、対策をしなければ、もはや制御不能な状態となり、人間が安全に暮らせるゾーンがなくなるという危険が迫っているのではないかと、私は危機感を抱いています。

 みなさんがお持ちのクマの動態に関する情報をすべて出していただいて、情報を整理し、分析・考察しなければならないと思います。
 私は議員としての使命も自覚し、議会で議論するとともに、役場と頻繁に話し合っていきたいと思います。
 ひとまず、みなさんの知っておられることを私に教えてください。一人でできることには限りがありますが、最大限の努力をしたいと思っています。
 どうかよろしくお願いします。


飯山市照岡の山腹崩壊について

  • -
  • 2017.05.21 Sunday

 5月19日早朝に発生したとされる飯山市照岡の井出川上流での山腹崩壊について、私は20日夕、知人から聞いて知りました。
 19日は村外に出ていましたが、20日早朝、千曲川が茶色く濁っているのを目撃し、「何だろう?」と思っていたところでした。
 中条川の土石流災害の被災当事者として、他人事とは思えないので、21日朝、現地に出向きました。
 信濃毎日新聞5月21日付の記事、飯山市がHPで公表している「飯山市の大字照岡字大どう地籍の山腹崩落に対する対応について」を前提としたうえで、私が現地で撮影した写真等を紹介します。

 

 

出川橋(通称「だんご橋」)の橋上から上流方向を撮影。7:43。

 

 

みゆきのラインの羽広(はびろ)大橋上から上流方向を撮影。8:20。

 

 

羽広大橋を栄村方向に渡って山の上に進んだ地点から撮影した山腹崩壊の頂部。8:26。

 

 

 上の写真を撮影した地点からさらに上に上ったが(広い畑ゾーンの道を進む)、山腹崩壊地点は見えないことがわかり、羽広大橋に戻り、「羽広山」集落の中を通り抜けて上部へ進んだ。
 途中で地元の人に「見える地点はないですか?」と尋ねたところ、「私も見に行こうと思っていたところ」というご返事で、その人の先導で、山腹崩壊地が見える地点へ。そこで見えたのは、次の写真のとおり。9:12。

 

 

 「ここからは、これ以上は見えない」とのこと。この人からお聞きしたことと、少し離れたところで話を聞いた人の話を総合して、ある畑の先にある林の中に入って、対岸を見たところ、山腹崩壊点をより明確に見ることができた。

 

 

写真イ

 

写真ロ

 

写真ハ

 

 写真イとロがつながっていることはお分かりいただけると思います。
 そして、写真ロとハのつながりも明確だと思います。

 

写真ニ

 

 写真ニは、写真イ〜ハと同じ林の中で撮ったものですが、撮影ポイントは少し異なります。
 写真ニでは、写真上部に崩壊土砂が見えると同時に、写真中央に濁っていない真っ白な水が見えます。
 羽広山集落で出会って最初の撮影地点にご案内下さった人のお話では、ここには冷川(ひやかわ)と温川(ぬくかわ)という2つの川があるそうです。その2つが合流して、井出川(千曲川に流れ込む出川の上流)になるようですが、山腹崩壊は冷川の上流で発生したものと思われます。だから、温川の方は清流のままなのです。
 また、案内下さった方は、「ここらは山崩れのようなことが起こりやすいところだ」とも言っておられました。
 撮影地点は、まだ残雪があるようなところ。撮影ポイントは、温川にむかって崖になっている際(きわ)。イワウチワやイワカガミが咲いていました。栄村でもそうですが、綺麗な花が咲いていたり、美しい景色が見られるところの多くは危険な場所、災害が起こりやすい場所です。

 

 ここで、Webニュースや信毎記事で「飯山市提供」として公開されている写真を示します。

 

 

 山腹崩壊の全体像がわかる写真です。私が写真イ〜ニを撮影した地点は、写真に赤マークを入れたあたりだと思われます。

 

 下流の桑名川地区の住民8世帯14名が、市の避難勧告に従って岡山地区活性化センターに避難されています。
 避難者にとって最も辛いことは、「先が見通せない」ことです。中条川の土石流での避難でも、避難者と行政の間の感覚のズレがくりかえし問題となりました。飯山市において、そのようなことがないように願っています。
 なお、信毎記事でお名前が出ていた桑名川区長の鷲尾静雄さんは、栄村の地震直後から「栄村復興への歩み」をお読み下さり、栄村をご支援下さってきた方です。鷲尾さんが区長をされていること、ここまでの写真を撮影して帰宅した後に朝刊を見て初めて知りました。明日は私は議会ですが、できるだけ早くお訪ねしたいと思っています。