朱色の鮮やかさ。ポーンと目に飛び込んでくる。
車を近くに停めて、パチッと一枚。
その後、別の場所でも視界に入ってきたが、これは林の斜面の中頃あたりにあって、周りの木々に圧されて、窮屈そう。なんとかしてあげたいなあと思った。
この日(6月7日)は、「そろそろコシジシモツケソウが咲いているかな」と思って、山に向かったのだが、コシジは残念ながら、花をつけ始めたばかりで、もう少し日数がかかりそう。
その代わりというのでもないが、非常に目立ったのがヤマボウシ。
ヤマボウシの1枚目写真は、この日に見た中で、最ものびやかに咲いていたもの。
多くのヤマボウシは周りの木々に圧されて窮屈そう。やはり適切な間伐手入れが必要だと思う。
ヤマボウシもそうだが、この時期は山では白い花が目立つ。その一つがミズキ。
こちらも、蔓に巻き付かれたりして、大変そう。
これらの花を目にした近くからは、今泉の里の田んぼ、青倉の田んぼなどが眺められる。
まさに、「ザ・里山」という場所です。
写真の真ん中あたりです。覆い繁っている木々の連なりが切れて、笹だけが見えます。しかも、その笹は、人間が草刈りしたのではなく、他の何かが笹を倒したりした感があります(下の写真)。
写真1枚目に見える道路の左手は写真3枚目です。ちょっと分かりづらいですが、じつは沢になっています。その上に木々の枝が伸びたりして見えにくいのですが、空間がぽっかり空いています。
つまり、ここはクマの通り道になっていて、1枚目・2枚目に見える笹の状態はクマが踏み倒したりしたと理解するのが適切だと思われます。
スキー場は、主に青倉集落の人たちの棚田と、やはり青倉集落の人たちがさまざまな資源を得るために入っていた里に近い山を、村が買収ないし賃借して造成されました。
その後、ゲレンデは毎年、シーズン前に草刈りが行われますが、「山」のまま残ったところは手入れがされずに放置されています。道路脇は1年に2回ほど、青倉集落の人たちが道普請をやってくれますが、それ以外の環境保全の措置は行われていません。
スキー場開設から20年以上の歳月が流れました。
もうこれ以上の放置は不可能という事態になっているのだと思います。
こういう里山の環境は、いわゆる社会的共通資本、コモンズにあたると思います。
こうしたところの手入れは、これからの時代、無償の共同作業などだけにまかせるのではなく、こういうところにこそ財政資金を投入してやるべきだと考えます。
そして、そうした政策が、東京一極集中ではない、豊かな地域・農山村地域を生み出していくと思います。
国の農村政策、森林政策、環境政策の統合的な見直しが求められます。食料・農業・農村基本法の改定作業では、「有事対応」=戦争体制づくりではなく、こうした問題にこそ焦点をあてるべきだと思います。
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我が家のそばからのスキー場の眺めの移り変わりの記録です。
「もっとマメに撮っておけばよかったのにな」と後悔しているのですが、ダイナミックな変化をひとまずは目にしていただけるかなあ、という思いで編みました。
TOPの写真は29日午前9時すぎ。もう山頂までほぼ緑の世界になりました。
以下、時間の流れとは逆順にてご紹介。
4月24日昼過ぎ。山麓はもう完全に芽吹いた。
4月19日昼まえ。山麓もまだ春紅葉が主流。
3月22日午前。スキー場にも土が見えるようになったが、まだ営業中。
4月上旬の写真を撮っていたら、よかったのですが・・・。
1月22日朝。これは自宅の窓から。今冬の最高積雪の数日前。
来年はもう少し頻度高く、意識的に記録したいと思います。
ところで、「春紅葉の正体は?」。次回はこれをテーマにします。
すでにかなり有名になっているお店ですが、西大滝のお蕎麦のお店「ばったり」さんを紹介します。
昨秋末に開店したお店。
ほぼ口コミのみで、瞬く間に人気のお店に。
今日、正午少し前に訪れた時は席があって、すぐに入れましたが、間もなく次々とお客さんがやって来て、空席待ち状態に。
メニューはいたってシンプル。ざるそば2種(黒、白)と、天ぷらなどとのセット2種(同じく黒、白)のみ。どうやら缶ビールを注文できるようですが。
お蕎麦は自家製。
店名の「ばったり」とは水車のこと。
上写真の中央に見える赤い屋根のお家が「ばったり」さん。下写真はJR飯山線西大滝駅近くの踏切。これを先に進むと間もなく上写真の三叉路。ただし、積雪のある時期は、この三叉路からお店は見えない。
私が初めて訪れたのは2月半ば頃でした。「踏切をこえていく」ことだけは知っていたのですが、その先のことは知らず。不安になりながらも、ひたすら進んでいくと、雪の壁しか見えないところに突然、複数台の車が駐車しているところがあって、2枚目写真の暖簾が目に飛び込んできました。
西大滝とは、飯山市のいちばん東のはずれの集落。東隣は栄村の白鳥集落。東京電力の西大滝ダムがあるところ。
「ばったり」さんのすぐそばから東方向を眺めると、国道117号の東大滝橋が真正面に見えます。
千曲川の舟運盛んなりし頃は「港町」として賑わったようです。また、1930年代の西大滝ダム建設時には「歓楽街」もあり、さらに1960年代頃までは東電の社宅もあり、かなり人口の多い集落だったと聞きます。しかし、いまは、いわゆる「過疎の集落」です。おそらく若い人はあまりおられないだろうと思います。
そんな西大滝ですが、「ばったり」店主・鈴木さんが育った地。長い間、飯山市の中心部に住まい、サラリーマンをされていましたが、「親父をもう一人にしておけないな」と判断し、Uターンされたそうです。
困ったのはどんどん増える不耕作地。
考えついたのが家の周りの田んぼをそば畑にすることでした。
ソバの花が開花した時期のお家の周りの写真が店内に飾られています。今年の秋には是非とも撮影に伺いたいと思っています。
お店は奥様と二人で切り盛り。ご亭主が蕎麦担当、奥様は天ぷら担当の様子。
お蕎麦が美味しいのはもちろん、天ぷらがまた美味い。
セットで「黒」千円、「白」千百円。(蕎麦のみは「黒」八百円、「白」九百円)
お客さんの多くは飯山市近辺の人たちですが、首都圏方面の人も結構訪れられます。最初は地元の人の案内で来られたが、「もう一度食べたい」とわざわざ首都圏から出かけて来られる人もかなりおられるようです。
「過疎地」で、「突然、人気の賑わいスポットが誕生する」――そんな話をTVやネットで見かけますが、そんな「不思議なこと」がどのようにして可能になるのか。初めて目の当たりにしたという感じです。
さて、この「ばったり」さん、ソバの収穫を終えた11月末頃から5月初めまでの期間だけの営業。しかも、開店日は金・土・日のam11:00~pm2:00の3時間です。
今シーズンは5月7日が最終日。
もう1回食べておきたいなあ、とも思いますが、相当に混み合って大変かも、です。
最後に、今日の帰りに撮った写真をさらに数枚、ご紹介します。
お店の前の道を西方向へ。隣の藤沢集落に通じています。
かなり急な坂を上がったところに橋が見えますが、野々海川に架かるものです。
野々海川という名の通り、野々海高原、野々海池のすぐそばから下ってきています。標高差600mくらいをいっきに流れ落ちてくるので、これまでに何度も水害をおこしているようです。
藤沢から西大滝方向へ旧国道を走っていた時、目に飛び込んできた光景。
菜の花の先に見えているのは千曲川。
「ばったり」さんを取り囲む風景も素晴らしい。
来季は雪の壁の中にお店が現れる様子も撮影したいと思います。
(了)
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これは、2月5日〜7日朝の大雪の後、8日の午後の我が家の裏手の様子。
大家さんが雪を2回、飛ばして下さったので、2階にまで達しつつあった雪の高さが下がっている。念のため、7日朝の同じ場所の写真を紹介しておこう。
そして、さらに、14日の様子を見ていただきたい。
雪がかなり下がっていることが確認できます。
飛ばしたわけではありません。融けたという要素も少しはありますが、一番大きな要因は「雪が沈んだ」ということです。降った直後は体積が大きいのですが、止むと次第に、自然に圧縮されていくわけです。
この日から、1階にあるトイレの窓に少し陽が差し込むようになりました。ホッとしますね。
定番となった国道117号線から見た正面の様子も紹介しておきます。やはり14日です。
雪の山のてっぺんは、やはり、2階近くにありますが、写真右下、雪が崩れて、石垣が見えているところがあります。
そして、この雪山を側面から撮ると、かなり?せ細ってきていることがわかります。
この場所も、大雪が止む前の7日朝の様子を思い起こしておきます。
今冬は動き廻れないので、こういう定点観測が丁寧にできます。
これは、ある村営住宅ですが、落下式の屋根になっているものの、雪が落ちる余地がもうなくなり、屋根の雪と地上の雪がつながってしまっています。これを処理しなければなりません。ただし、素人が下手なやり方をすれば、作業している本人が上から落ちてくる雪に埋もれてしまいます。
こちらは震災復興公営住宅。住宅の横側を見ると、家が雪に埋もれています。住人は80歳代の女性で、自力では除雪できません。後に紹介する村の雪害救助員が出動することになります。この写真の撮影は9日午前11時頃ですが、今日の午前になってようやく屋根の雪が完全に落ちました。雪が落ち切らないと、雪害救助員も入れません。
ただし、この家の住人の女性、雪害救助員が来てくれるまで、ただじっとしているわけではありません。
次の写真の真ん中に一筋、雪が無い箇所が見えますね。
ここに水路があります。この水路が雪でつかえないで、水が流れる状態を保つことが大事。雪消し用の水の確保です。そのために、女性は柄の長いスコップなどを使って雪をつつき、水が流れる状態を確保しているのです。
都会で暮らす80歳代の女性で、こういう作業ができる人はそんなにいないと思われますが、村ではこれが当たり前のことです。
もう1軒、80歳代のご夫婦が暮らす家を紹介します。
家の北東側になるのだと思いますが、1階部分は完全に埋まっています。ただし、写真の左下から中央上にかけて、雪がへこんでいますね。ご主人がスノーダンプで雪を少し片づけたようです。ここからカメラを左に振って撮ったのが、次の写真です。
左上に見える建物は、田んぼ1枚を隔てて、隣の家。
写真の下に注目してください。穴がありますね。これがとても大事なのです。
穴の部分だけを別写真でクローズアップしてみましょう。
黒っぽく見えるのは水です。
この場所、じつは「たね」というものがあるところです。都市部にお住まいの方でも理解しやすく言えば、家の庭にある池のようなものです。集落の中を縦横に走る用水路から水を引き入れています。水温は雪よりも温度が高いので、水の中に雪を放り込んで融かすのです。村の従来の家には基本的にすべて、「たね」があります。
しかし、2月5〜6日のような大雪では、その「たね」も雪に覆われます。そこで、雪が止んだ後、写真のように「たね」の一角にこうした穴を開け、徐々に雪を入れて融かし、次第に雪が無い部分を広げて、「たね」の機能がフルに発揮されるようにしていくのです。
この作業はしばらく、毎日、毎日、続きます。とにかく雪国は根気強い作業を日々行うことが大事なのです。
さて、雪害救助員の活動を紹介しましょう。
先ほど紹介したのとは別の震災復興公営住宅です。家が降り積もった雪と屋根から落ちた雪で完全に埋もれていましたが、雪害救助員がやって来て、ロータリーで雪を飛ばしています。
何処へ飛ばすのか? 栄村は家の周りに田んぼがあります。そこへ飛ばすのです。
雪国でも、住宅が密集している地域では、この方法は使えません。重機で雪を掘り出し、それをトラックで川原などの指定された排雪場まで運ぶことが必要になります。
「田んぼの上にどんどん雪が積みあがったら、春の農作業が遅れるのではないか?」、その心配は要りません。3月下旬〜4月上旬になると、村では「かんまする」といいますが、重機で雪をかまって、融雪を促進する作業をやります。そうすれば、春作業に十分、間に合います。
上の写真の中型トラックは雪害救助員がロータリーを積んできたものです。トラックの荷台に2本、板がかけられていますが、ロータリーをこの上を進ませて、荷台に載せます。
ここまで、「雪害救助員」という言葉を当たり前のように使ってきましたが、これは栄村だけに存在するものです。12月から3月までの冬期臨時公務員、現在の呼称で言うと「会計年度任用職員」です。春〜秋の間、農業や建設業に従事している人が務めてくれます。お世話になる高齢者などに負担金は発生しません(年収の多いかたは若干の負担金が発生します)。各地域民生委員と役場民生課が連携して、対象世帯を決めます。
1988年〜2008年の間、村長を務められた高橋彦芳さんが考案・実現された制度です。
他の自治体では、高齢者世帯などに補助金を出すなどしていますが、大雪の時は除雪作業員が奪い合いになり、日当が高騰します。通常の日当であれば補助金である程度賄うことができても、高騰すると補助金は「焼け石に水」程度のものになってしまいます。栄村の雪害救助員制度は「現物サービス支給」で、そういう問題点を解決する優れものなのです。
国には議員立法で「豪雪地帯対策特別措置法」という法律があります。10年間の時限立法で、現法は本年3月31日で期限切れとなります。立憲民主党がいち早く2月7日、衆議院に「豪雪地帯対策特別措置法改正案」を提出されました。「豪雪地帯対策の実施に必要な財政上の措置」を義務化(第11条)、「除排雪に係る人材の確保、育成及び資質の向上」や「高齢者、障害者等の住宅の除排雪に必要な支援」(第13条)などが盛り込まれています。まさに豪雪地帯で求められていることです。「財政上の措置の義務化」を是非とも与野党一致で実現していただきたい。
栄村の雪害救助員制度は、現在、その経費を過疎債のソフト運用で賄っています。過疎債ですと、元利返済金の7割を国が交付税で措置してくれることになっているからです。しかし、そういう迂回的な方法ではなく、豪特法によって豪雪地の雪対策に対する交付金が実現されれば、豪雪地で「人らしい暮らし」を実現することができます。ここまで紹介してきた大雪の後の徐排雪の営みを知っていただき、全国会議員の力で豪特法の画期的な改正を実現していただきたいと思います。
静岡県沼津市市議会は12月17日、山下富美子議員に対する懲罰動議を可決し、戒告処分とした。
一般質問での山下氏の発言をめぐって、「(市)当局の信用を大きく失墜させる無礼な言葉を用いた」、「議会の権威と品位を汚した」とするものだが、これはまったくの言いがかりであり、議員の正当な議会活動を妨げようとする暴挙である。
私は、地方自治体の議員を務めるものとして、この暴挙を看過することはできない。
沼津市市議会(議長:浅原和美議長)に対して強く抗議し、山下富美子議員に対する懲罰の撤回を強く求めます。
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以下、私がwebで調べた限りの事実関係を記し、それに対する私の見解を記します。(山下議員の一般質問の関連部分については「しずおかハートNet」のfacebookを参照しました)
12月3日 沼津市議会本会議、一般質問で山下富美子市議は、第一・第二中学校区の学校統合問題を質問した。
その中で、山下議員と教育長との間で、次のような質疑が行われた。
山下議員と教育長の間の質疑応答
〇山下富美子
教育委員会の職務権限というのは、統合についての事務を処理する権限であり、統合する権限ではないんですね。この学校イコール公の私設、地方自治法244条の2、公の施設の設置管理及び廃止、廃止する権限は市長が議会の議決によって提出できる。つまり権限は市長に属しています。私の質している責任という問題は、おのずからこの権限に伴っているので、統廃合の問題についての責任は、ほかでもない市長にあると考えますが、違いますか。
〇教育長
先ほどもお答えしましたが、学校統合に関する事項は、教育委員会の所管事項であり、教育委員会が責任を持って進めるものだと思います。以上です。
〇山下富美子
私がただしている責任という問題は、権限を伴っているので、この統廃合に問題についての責任、統合についての事務を処理する権限は教育委員会ですよ。だけども、この統合する権限については、市長なんですよ。もとよりじゃあ学校の設置者は誰ですか。それは、地方公共団体であって、教育委員会ではありません。
学校教育法第2条、学校は地方公共団体が設置、この場合地方公共団体を代表するのは誰ですか。市長ですかそれとも教育委員会ですか伺います。
〇教育長
執行機関は教育委員会である。そういうふうに考えております。
〇山下富美子
教育長、それは大きな間違いですよ。これ、執行機関、学校教育法第2条、学校設置、学校は地方公共団体設置なんですね。それでこれ文科省に確認したんですよ。統合するか小規模校にするかは、最終的には学校教育法第2条に示すとおり、学校の設置者である地方公共団体であると。つまり市長なわけですよ。さらに文科省の手引きで、各設置者においてそれぞれの地域の実情に応じた最適な学校教育の在り方や学校規模を主体的に検討することが求められていると示されていますが、この各設置者とは、地方公共団体であり、つまり市長のことです。市長は、それぞれの地域の実情に応じた学校教育や規模を主体的に検討することが、この手引きの中でも求められているんですよ。言うまでもないことですが、廃止する権限は市長が議会の議決によって行使できます。それは市長です。加えて学校だけではなく、広く地域の有り様、コミュニティなどを考える際に、それはまさに市長の権限に入る課題であり、その意味で、この統合廃止についての最終的な責任、この権限は市長にあると考えますが、市長にはその認識がないのでしょうか、伺います。
私が現在入手しうる記録は以上です。他に、「沼津朝日」という地元新聞の記事があり、山下議員の一般質問を詳しく報じているが、完全な議事録というわけではないので、以下の記述で必要な範囲で言及する。
沼津市議会の懲罰決定の問題点
懲罰の対象とされたのは、上記の質疑の中の下線を付した部分です。
上に紹介した山下議員と教育長の間の質疑を素直に読めば、下線部分の意味することは次のように解するのが妥当だと思います。
「学校教育法第2条、学校は地方公共団体が設置、この場合地方公共団体を代表するのは誰ですか。市長ですかそれとも教育委員会ですか」という質問に対して、教育長は正面からの答弁を回避し、「執行機関は教育委員会である」という論点をずらした答弁をした。その結果、「地方公共団体を代表するものは教育委員会である」とも受け取られかねない答弁になっていると言わざるをえない。
これに対して山下議員が「それは大間違い」と言うのは、教育長の答弁に対する正当な批判だと言わねばならない。
にもかかわらず、沼津市議会は山下議員が法解釈を誤っていて、その誤りを認めないから懲罰の対象となるとしている。
これは、完全に言論の自由、議員の発言の自由を抹殺するものだと言わねばならない。
学校教育法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、文科省「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」
もとより、私は、この文書を書くにあたって、上に表記した教育関係2法と文科省の手引(平成27年1月27日付)をきちんと読んだ。そこから言えることは、次の2点である。
第1に、たしかに、地方教育行政法はその第2条で教育委員会の職務権限として、「「学校その他の教育機関」の設置、管理及び廃止に関すること」を定めている。その限りでは、沼津市議会での教育長の答弁は間違いではないとも言える。しかし、山下議員の質問趣旨をきちんと理解するならば、単に「執行機関は教育委員会」と答えるのではなく、「設置、管理及び廃止に関することは教育委員会の職務権限です」と答えるべきであった。そして、山下議員の質問の流れから明らかな「学校の統合と地方公共団体の長である市長との関係」について、教育長・教育委員会の見解を明らかにすべきであった。
ここで、第2の問題が浮かび上がってくる。
国の法制度改正と政策展開によって、現実には学校の統合等の問題が純粋に教育委員会による教育行政の枠内には収まらず、首長が大きく関わる問題になっていることである。
まず、地方教育行政法(平成26年改正)はその第1条の三において、「地方公共団体の長は……当該地方公共団体の教育、学術及び文化の振興に関する施策の大綱を定めるものとする」と規定し、さらに第1条の四において、首長による総合教育会議の設置を義務づけ、その4項において「教育委員会は、その権限に属する事務に関して協議する必要があると思料するときは、地方公共団体の長に対し、協議すべき具体的事項を示して、総合教育会議の招集を求めることができる」としている。これは「できる」規定であるが、実際の運用としては、義務的な運用になっていると言える。
ところで、文科省の「手引」は、「首長部局との緊密な連携による検討(総合教育会議での検討等)」という項で、次のように記している。
「地域コミュニティの核としての性格を有する学校の統合の適否の
判断は、積極的なまちづくり戦略の一環として行う必要があること
も多いことや、統合を契機とした魅力ある学校づくりのために多額
の予算支出を伴う可能性があることに留意する必要があります。ま
た、特に施設整備については、中長期的な方針に基づき進めていく
ことが大切であり、域内の公共施設全体を対象として策定される
「公共施設等総合管理計画」等とも調整を図ることが重要です。こ
れらを踏まえれば、学校規模の適正化や適正配置に関する検討は教
育委員会と首長との緊密な連携の下で進めることが必要です。」
さらに、この記述に続いて、地教育行政法第1条三に規定されている首長による「大綱」に「学校の統合に関する指針や計画を盛り込むことも考えられます」と記述している。
以上から明らかなことは、けっして望ましいことではないが、教育行政の現実として教育委員会の首長(部局)からの独立性は著しく侵害されていて、学校の統合問題などに首長の施政方針が大きな影響を与えるようになっている、国はそれを望ましいこととしているということである。
以上に記してきたことから、学校の統合問題について、山下議員が市長の関わり・責任を問おうとしたことはまったく正当なことであることが明らかになる。
沼津市市議会の山下議員に対して「法解釈が誤っている。それを指摘されても独断的な法解釈を続けている」旨、非難しているが、山下議員の法解釈が「独断的」などとは到底言えないし、法解釈について相違があるならば、それをめぐって徹底的に議論すれば済むことである。沼津市議会は法専門家の一人でも呼んで学校教育法や地教育行政法の法解釈について意見を聴取しただろうか。まったくやっていない。唯一行ったことは文科省の見解を聞きに職員を派遣したのみ。しかも、職員が聞いてきた文科省の見解は山下議員が「文科省から確認した」と言っていることとなんら矛盾していない。
にもかかわらず、懲罰という議員にとって議員生命を危うくする処断を行うとは常軌を逸している。
山下議員の質問に内容展開の丁寧さ等において不十分な点はあるかもしれない。しかし、それはそれこそ丁寧に山下議員に指摘し、議論を重ねれば済むことであり、懲罰など持ち出すなど論外である。
今からでも遅くはない。沼津市市議会は山下議員に対する懲罰を撤回すべきである。
なお、今回の懲罰には2名の立憲民主党議員と2名の日本共産党議員が賛成している。信じ難いことである。両党には党としての見解を問いたいと思う。
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12月定例会は、3日に開会し、議案審議(3日)、一般質問(6、7日)、総括質疑・採決、追加議案審議・採決(8日)という日程で進み、8日午前で終了しました。主な審議・決定内容を報告します。
◎ 宮川村長、灯油価格急騰で高齢者世帯支援を表明
長い冬を迎えていますが、暖をとるための灯油の価格が急騰し、みなさん、お困りのことと思います。
8日の議事終了後、宮川村長がとくに発言を求め、「65歳以上高齢者世帯、重度障がい者世帯、一人親世帯に値上がり分1ℓ20円×500ℓ分の1万円を給付・支援する補正予算を早急に組み、専決処分で実施する」旨を表明しました。年内にみなさんの手元に届く見通しです。
他市町村では「住民税非課税世帯に限っての給付」が多く見られますが、現在開かれている国会で審議中の補正予算に住民税非課税世帯給付金(10万円)が入っていることをふまえ、国の補正予算での支援・給付が届かない高齢者世帯などを支援対象とするという考えです。
◎ 子育て世帯支援5万円給付、箕作で宅地造成、第6次総合振興計画後期5ヶ年計画などを審
議・可決
12月定例会には、補正予算(一般会計5次補正、スキー場特別会計補正)、条例改正2件、総合振興計画など計画2件の計7件の議案が提出されました。
一般会計補正予算(総額3,932万3千円)の主要項目は次のとおりです。
1. 子育て世帯給臨時特別給付金 先行5万円分 700万円(対象見込数140人)
2. 「雪ん子宿泊プラン」販売強化促進 320万円
3. 堤防改修との関係で宅地造成(箕作) 1,420万円
4. 3回目のワクチン接種経費 865万円
■ 子育て世帯支援10万円給付はすべて現金の方向で
いま、大きなニュースになっている「子育て世帯臨時特別給付金」ですが、まず5万円が先行給付されます。今回の村一般会計補正予算にそれが計上され、可決されましたので、村はすぐに給付の手続きに入ります。
残りの5万円について、「クーポンか現金か」が大きな問題になっているわけですが、質疑の中で、宮川村長は「村でクーポンといっても使いようがない。現金給付でやりたい」と意思表示しました。
■ 箕作での宅地造成とは
緊急治水プロジェクトで箕作の千曲川の堤防嵩上げ事業が始まっています。今年度は実施測量や実施設計ですが、来年4月からの新年度には工事が始まります。
それに伴い堤防近くの民家が移転を余儀なくされます。移転対象のみなさんは「箕作で暮らし続けたい」と希望されています。しかし、箕作には移転・新築できる宅地がありません。そこで、村が箕作・上原地籍の一部(荒廃農地)を宅地造成することを決断しました。
確保できる宅地は、移転希望者が必要とする面積よりも広く、今後、栄村に移住・定住しようという人に分譲することも視野に入れた事業です。栄村が村として宅地造成するというのは村の歴史始まって以来、初めてのことです。
水害対策とともに、(後で報告する総合振興計画とあわせて)村が人口対策、移住・定住促進事業に本格的に踏み込む決断を示した画期的な事業です。
今回の補正予算に計上されたのは測量・設計、農地転用手続経費などで、来年度予算で造成工事そのものの予算が計上されることになります。
■ 3回目ワクチン接種は「8か月後」を基本で準備されます
「3回目接種はいつからか?」――みなさんの関心が高いことと思いますが、予算は全額国庫負担で確保されました。
質疑の中で、「前倒しはあるのか?」を尋ねました。村は「雪の多い時期であることも考慮し、『2回目接種完了から8か月後』で準備する方針」と説明がありました。
1回目・2回目で早期に接種を完了させた我が栄村役場を信頼し、接種の連絡が届くのを落ち着いてお待ちください。
いま、オミクロン株が問題になっていますが、大事なことは基本的な感染防止策の徹底です。マスク、手洗い、三密回避を徹底しましょう。この間、感染状況が落ち着いていて、どうしても気が緩みがちです。改めて、《マスク、手洗い、三密回避》の徹底をお願いします。
■ 人口対策の明確かつ具体的な提示――第6次総合振興計画後期5ヶ年計画の最大のポイント
7月に村民みなさんの意見をお聞きして策定された第6次総合振興計画後期5ヶ年計画が議会に提出され、審議のうえ、可決しました。
今回の5ヶ年計画の最大のポイントは、栄村の今後の人口推移予測を具体的に検討し、〈R8年度1,500人〉という目標を設定したこと、そして、移住・定住促進政策、住宅政策をはじめとして、農業や林業の産業政策、福祉・健康政策、生活環境政策、教育政策など村の全施策をすべて人口目標実現の観点から組み立てた点にあります。
移住・定住促進の鍵は毎年3組(うち2組は子育て世帯)の移住の実現にあります。もちろん、移住だけではなく、村の若者が都会の学校を出た後、村に帰ってくることも含めて、「毎年3組」の人口増を実現するということです。これが実現すると、将来的に(R27年)生産年齢人口が高齢人口を上回るようになります。
* 人口推移予測では、現在人口維持となるのはどういう場合かも推計されています。現在人口維持は移住者数で表すと、毎年
14組の移住者が確保されて場合です。
幸いなことに昨年、今年と移住相談件数、そして移住者数が増加しています。この流れをさらに強めましょう。
また、来年度以降、地域おこし協力隊制度をこれまで以上に活用することも重要になってきます。みなさん各々、自らの集落・地域の将来を考え、そのビジョンの中で地域おこし協力隊の活用を考えてください。重要なポイントは、隊員に国からのお金が出る3ヶ年の後、隊員たちが自立できるプランをそれぞれの集落・地域で責任をもって考えることです。みなさんからの積極的・創造的な提案を期待します。
◎ 農村RMOづくりへ、農政課長と質疑 ―― 一般質問から?
私は6日午前、一般質問の一人目として、「農村RMOへの取り組みについて農政課長に問う」と「気候変動危機に栄村はどう立ち向かうか」の2つのテーマについて質問しました。
■ 《農村RMO》とは
農村RMO ―― 聞き慣れない言葉だと思います。
Regional Management Organization(リージョナル・マネジメント・オーガニゼイション)の頭文字をとってRMOと呼ぶもので、RMOの文字通りの意味は「地域運営組織」ですが、農水省は「農村RMO=農村地域づくり事業体」としています。そして、内容としては、「複数の集落の機能を補完して、地域資源(農地・水路等)の保全・活用や農業振興と併せて、買い物・子育て支援等の地域コミュニティの維持に資する取組を行う事業体」だと定義しています。
農水省は、「新しい農村政策の在り方検討会」などでの有識者による検討の中間報告をうけて、来年度(R4年度)予算の概算要求で「農村RMO形成推進事業」に102億1,500万円をつけています。
私の一般質問は、以上のことを前提として行ったものです。
■ 農政課はもう一歩踏み込み、R4年度予算で国の関係予算の取得に踏み出すべきだ
私は、まず、国のこうした動向や栄村近辺の市町村での農村RMOづくりの事例について農政課長がどの程度把握しているかを尋ねることからスタートしました。質問要旨通告していたこともあり、以上の点については明快な答弁がありました。
私はさらに一歩踏み込んで、栄村が農水省の「農村RMO形成推進事業」のR4年度予算を獲得するために踏み込むべきではないかと問いました。これに対する農政課長の答弁で重要な事実が出てきました。
11月に県との間で「農村RMOに関する意見交換会」があったというのです。そこでは、「地域づくり協議会となるものがどれくらいあるか」という問い合わせに対して、「秋山地区に地域づくり協議会がある」と答えたそうです。
そして、私の「予算獲得を」という提起に対する農政課長の答弁は、「県の方はある程度集落が広域化したものと捉えていて、来年度からすぐ予算というのはちょっと難しい」というものでした。
私の判断は農政課長の答弁とは正反対です。
たとえば、西部地区の中では、まさに「地域づくり協議会」的なものの模索が始まっています。そして、複数の集落が力を合わせて、農地・水路の維持はもとより、暮らしのさまざまな場面で連携を強める必要があるというのが、村の第6次総合振興計画後期5ヶ年計画で打ち出している方針です。
■ 地域の運営には自己資金源となる収益事業が必要。その第一歩を踏み出すための資金が〈農村RMO形成推進事
業〉予算
今後、複数の集落が連携して、農地・水路管理、暮らしに関わる種々の事業を進めていく必要がありますが、たとえば高齢者買い物支援事業など実施する場合、かなりの経費が必要になります。その経費は、行政に頼るのではなく、自らの収益事業で調達していくのが基本となります。たとえば、農産物の加工と販売で収益を確保する等です。
しかし、明日からただちにそういうことが実現できるわけではありません。
まず、地域に、たとえばどのような農産物があり、加工品づくりの可能性(加工の担い手等)がどれくらいあるかを調べる。そして、その調査結果を(専門家のアドバイスも受けながら)分析し、地域の将来ビジョンをみんなで作り出していく。これが農水省が言う〈農村RMO形成推進事業〉です。農水省はR7年度までに全国で350地区の取組を実現したいとしています。
こういうものは、真っ先に手を挙げる地域が大事にされます。グズグズしていると、取り残されていきます。
私は、一歩でも二歩でも積極的に踏み出すべきだと思います。
最後に答弁した村長は前向きの姿勢でしたが、いちばん大事なのは地域・住民の側の積極性・意欲だと思います。
是非、各地域での積極的な踏み出しを呼びかけます。
◎ 気候変動危機に栄村はどう立ち向かうか ―― 一般質問から?
一昨年の台風19号災害に代表されるように、気候変動(温暖化)とそれによる自然災害の増大・激甚化はとどまるところをしりません。
11月初めにはイギリスでCOP26(気候変動に関する条約の締結国会議)が開催されました。また、長野県は一昨年12月に台風19号災害をうけて、「気候非常事態宣言」を発出し、さらに今年6月、「長野県ゼロカーボン戦略〜2050ゼロカーボン実現を目指した2030年度までのアクション」を策定・発表しています。
■ 「栄村は気候変動危機非常事態宣言を発する用意があるか」
長野県内では、高校生が先頭にたった白馬村をはじめ、多くの自治体が「気候非常事態宣言」を発出しています。
そこで、私は上見出しのとおり、村長に尋ねました。村長の答えは、「現段階で出せるという状況ではない。しっかり準備し、それなりの機運ができた中で発出を考える」というものでした。
■ 「信州ゼロカーボンBOOK(県民版)」の村内全戸配布を
たしかに、いま、村で「気候変動危機非常事態宣言」と言っても、村民の理解が進んでいないという実情はあると思います。
そこで、私は一つの取っ掛かりとして、県が発行している「信州ゼロカーボンBOOK(県民版)」を県から頂いて、村内全世帯に配布することを提案しました。非常にわかりやすい内容で、ページ数も12頁と手軽です。たとえば、温暖化がいまのペースで進むと、2100年頃には長野市の平均気温が今の九州(宮崎県都城市)と同じくらいになることなどが紹介されています(その場合、野沢温泉村の冬の積雪量が142cm減る)。
村長の答弁は前向きでした。
■「栄村らしい自然環境をいかす森林整備でカーボンゼロに取り組む」(村長)
私は栄村でのゼロカーボン(二酸化炭素排出量の実質ゼロ化)にむけての具体的な取り組みを尋ねました。
宮川村長は、「LEDによる節電、ごみの削減、エコドライブ、再生エネルギー」などを挙げたうえで、「栄村の自然環境を最大限生かしたCO2削減」「団地化された森林整備を計画的に進める」という方向を打ち出しました。
これは第6次総合振興計画後期5ヶ年計画でも重視されていることです。
栄村の面積の90%強は森林です。いまこそ、これを村の強みとして活かすときです。
村と森林組合の連携を強め、若者が活躍する産業として林業を発展させていくことが、いま、大事になってきています。
◎ 自然環境保護条例改正へ、研究・議論が進展
栄村では、昨年度から希少動植物調査が開始され、複数の絶滅危惧種が村に生息していることが確認されるなど、大きな成果が得られています。他方で、オオクワガタの採取を狙うライトトラップ(県外から車で来たグループ等が大型のライトを山にむけて照射し、オオクワガタを集め、採取する)など、希少種の乱獲の動きが見られ、希少種の絶滅・生態系の破壊につながる行動が頻発しています。
こうした状況をうけて、議会では6月から生物多様性の保全、自然環境保護条例の改正に関する議論を始めています。
10月議会全員協議会で条例改正に関する作業チーム(メンバーは相澤博文、松尾、保坂真一、山上宏晃)を発足させ、同チームは希少動植物調査所管部署の教育委員会との懇談、自然環境保全条例を制定している新潟県魚沼市への視察(教委と合同)、2回の作業チーム会合開催などの活動を行っています。
魚沼市では2016年に自然環境保護条例が制定されています。魚沼市でも、ライトトラップによる希少種の乱獲が相次いだことをうけての制定ですが、目的は単に採取圧の抑止でなく、「将来にわたって自然環境、生態系及び生物多様性を保全する」ことを主目的としています。そのため、「市長は、自然環境等の保全のために講ずべき施策の策定に必要な基礎調査を実施する」としています。自然環境保全調査委員会(学識者等8名を委嘱)を設置し、植物、昆虫など対象分野ごとに調査員(2〜3名)と調査ボランティア(市民)が「自然を生かしたまちづくりのための市民参加型調査」を進めるのです。
そういう調査活動は条例制定に先行して開始されており、今年でもう10年になるそうです。
作業チームでは、魚沼市のこういう取組も参考にして、村民参加の自然調査活動の実施などを含めた自然環境保護条例の改正への歩を進めていきたいと考えています。
◎ 教育長人事同意案件について
現在の教育長・石沢清人氏の任期が12月25日に終了します。これに伴う後任人事について、宮川村長は6日開催の議会全員協議会で前栄小校長の下育郎氏を任命したいとの意向を表明しました。下氏は栄小校長時代、住民とも積極的に交流されており、教育実績とともに人望も高い人。議員から異論は出ず、8日の本会議に人事同意議案が提出され、議会は全会一致で同意しました。
下氏は現在、長野市の長沼小学校に校長として在任中。来年3月末で依願退職され、4月1日に本村に赴任される予定です。それまでの期間は教育委員の渡辺要範氏(横倉)が教育長職務代理を務められます。
なお、下氏は赴任と同時に住民票を持って栄村に転居されてくるとのことです。
1. 希少動植物調査の結果をどう受けとめるか
2. 〈さとやま〉とは何か
3. 栄村の〈さとやま〉環境の現状 6頁
4. 現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点
5. 何から始めるか
本稿は、栄村で大きな話題になっている希少動植物調査の結果、さらに自然環境保護条例の改正の必要性の浮上、他方で、村の総合振興計画後期5ヶ年基本計画の策定とその中での「若者定住の拡大」という課題の提起、こうした状況をふまえて、栄村の村づくりのど真ん中に位置する課題として〈さとやま〉環境の保全を提起しようとするものです。
1. 希少動植物調査の結果をどう受けとめるか
2020年度から開始された希少動植物調査は、絶滅危惧種の栄村での生息を確認するなど、大きな成果をあげています。そして、村の自然環境の素晴らしさへの村民の感動と関心の高まりが実感されます。
存在が確認された希少種をどう守るか ―― これが大きな課題となっています。
私は、「希少種を守る」という課題設定では、じつは、希少種を守ること自体が難しいのではないかと考えます。
希少種が生息できる環境とはどういう環境なのか。この点を明確にし、その環境全体を保全する、希少種が生息する豊かな生態系を全体として保全することが必要だと思います。
私は、この間、自然保護や生物多様性などについて、色々と勉強をしていますが、その中で保全生態学の第一人者である鷲谷いづみ氏の著作に出会い、「ああ、これが求めていたものだ」と感じています。
その著作とは『さとやま』というタイトルの岩波ジュニア新書です。2011年初版発行で、「おもな読者層として中学生、高校生を想定して、日本学術会議が贈る『学術への招待状』」として企画された〈知の航海〉シリーズの1冊です。「読者層として中学生、高校生を想定」とされていることは事実ですが、けっして「レベルを低くして書かれたもの」ということではありません。内容は学術的観点からも充分に精査されたものであり(この著作は他の学術会議会員による査読をうけて刊行されている)、私たちが希少動植物の保護、生態系の保全を考えるうえでの重要な手がかりとなる著作です。なお、本のサブタイトルは「生物多様性と生態系模様」です。
そういう次第で、以下の記述は鷲谷氏の『さとやま』から学んだことをベースとしていることを明記しておきます。
2. 〈さとやま〉とは何か
2‐1 〈さとやま〉という平仮名表記が意味するもの
私は当初、この本のタイトルが『里山』ではなく、『さとやま』と平仮名書きされていることを不思議に思いました。しかし、実際に本を読み進むにつれて、「里山」という漢字表記ではなく、〈さとやま〉と平仮名表記されていることの意味がよくよく理解できるようになりました。
まず、本の「はじめに」に書かれている「里地」と「里山」の定義を引用・紹介します。
「里地」は、「里」とも言いかえることができ、田畑や集落が
ひろがる場所を示します。一方の「里山」は、雑木林(ぞうきば
やし)や草原や水辺(みずべ)など、植物資源を採集する場所を幅
広く含みます。里地と里山は隣り合っていて、かつての伝統的
な暮らしのなかでは、人間の活動や物質の流れ・循環によって、
機能的につながり、ひとつのシステムをなしていました。それ
は、集落・田畑・ため池・水路・樹林・草原などの空間的な要素
が組み合わされた、複合的な生態(せいたい)系(けい)でもあります。
この複合生態系を、この本では平仮名の「さとやま」であらわ
します。さとやまのシステムは、人々の伝統的な土地利用によって
つくられます。この場合の土地利用、あるいは人間の活動というの
は、植物を栽培したり家畜を飼ったりという営(いとな)み、いわゆ
る「農業」だけでなく、野生の植物や動物を採集・狩猟するような
行為まで広く含むのが特徴です。そうした営みは、自然を根こそぎ
破壊することなく、末永くその恵みを受けられるような工夫と節度
をもっておこなわれてきました。
この本では、里山という言葉がもつこれまでのイメージや個別の
定義にあまりとらわれずに、自然の営みと人間活動の合作(がっさく)
ともいえるダイナミックなシステムとしての「さとやま」に、さま
ざまな角度から光をあててみようと考えています。
いかがでしょうか。〈さとやま〉という表記が何を指しているのか、少し理解していただけたでしょうか。
さらに、この本のいちばんの中心を成すと言ってもよい第2章(「さとやま」の生物多様性と生態系模様)で書かれている、「里山」の「山」の意味合いがよく理解できる箇所を引用・紹介しておきたいと思います。
ここでは、里にある農地、つまり植物を栽培する場所である「ノ
ラ」に対して、植物などの自然資源を採集する場所であった「ヤ
マ」を里山とする定義にしたがいます。土地の伝統的な役割に注
目した定義です。この場合の「ヤマ」(里山)とは、山岳などを
意味する「山」とは異なり、多様な樹林のほか、序章で紹介した
ようにかつて「野」と呼ばれた草原、それに湿地や水辺も含まれ
ます。
ヤマからは、……伝統的な農業生産と人々の暮らしに必要な資
源、すなわち、作物を育てるための肥料や水、家畜を養うための
飼料、家屋(かおく)を建てて維持するための木材・茅・竹、燃料
とする薪(まき)や炭、日用品をつくる蔓(つる)・竹・菅(すげ)・
葦(あし)などが採集されていました。(60頁)
こういう記述を読みながら、2つのことが頭に蘇ってきました。1つは、長野県栄村という存在を初めて知った頃(2002〜04年)に読んだ高橋彦芳さん(元栄村村長)の著作『田舎村長人生記』の一節です。春、牛馬の餌として欠かせない草を採集しにヤマに入ることが許される、「山の口」というお触れのことが書かれていました。高橋彦芳さんが青年期、さらに30歳代の頃(戦後間もなくから昭和30年代)の村の暮らしの様子です。
もう1つは、私が栄村で暮らすようになって(2007年)間もない頃に、ある集落で田んぼの法面の草刈りを手伝っていた時に村の人から話されたことです。「ひと昔前は、自分の家の土地ではないところで草を刈ったりしたら、ものすごく怒られたものだ。なにせ草がとても大事なものだったから」。草は牛馬に与える飼料となり、また、田んぼに入れる肥料ともなる非常に貴重な資源だったわけですね。
2‐2 攪乱の重要性
鷲谷さんの『さとやま』で非常に重要な概念として「攪乱(かくらん)」というものがあります。鷲谷さんは、「「さとやま」の生物の多様性を生態学の見方によって説明する際のキーワードが、「攪乱」と、土地利用を反映してつくられる「生態系模様」です」と書かれています。
鷲谷さんによる「攪乱」の説明を少し読んでみましょう。
植物生態学では、一般に、植物体や植生を破壊する作用を「攪乱」
といいます。それは、単に自然を破壊する作用ではありません。局
所的には「破壊」も伴いますが、自然のシステム全体をみれば、そ
れを豊かにする作用でもあります。このことを認識することは、自
然と共生する社会における植生や生態系の利用・管理を考える上で
重要です。(61‐62頁)
攪乱には、自然に起こる攪乱と人間の行為による攪乱とがあります。自然の攪乱としてすぐに頭に浮かぶものは洪水です。
私は人生40歳代の後半になって初めて環境学の世界に入りましたが、そこで最初に入ったフィールドが徳島県を流れる吉野川でした。藍(あい)栽培で有名な地域ですが、藍を育てる肥やしとなるのは暴れ川の吉野川が氾濫時に上流から運んで来る、栄養分豊かな土だったのですね。ですから、洪水という攪乱はすぐに理解できました。
鷲谷さんはもう1つの代表的な自然の攪乱として火山の噴火をあげられています。火山が身近にある暮らしは経験がないものですから、火山の噴火といえば、真っ先に頭に浮かぶのはテレビなどで見る火砕流や噴石・火山灰であり、荒涼とした土地の様子です。ところが、このような災害は、「それまでそこに成立していた植生を壊すことで明るい立地をつくりだし、多様な生物の生息を可能にするという作用」があるのです(鷲谷63頁)。
以上に述べた自然災害による攪乱と比べると、その規模は限られたものとなりますが、ヒトが採集や管理を行うことによる攪乱があります。
採集による攪乱の代表例としては、薪炭材や家屋造り用の木の伐採、管理作業による攪乱としては草原での火入れなどがあります。信州では、春3月に安曇野で絶滅危惧種オオルリシジミの生息場所を確保するための野焼きが行われています。また、阿蘇の草原の野焼きも有名です。
いま、「薪炭材や家屋造り用の木の伐採」と書きましたが、高度経済成長以前はヒトはコメや野菜を田畑で栽培すると同時に、暮らしに必要なものの多くを〈さとやま〉からの採集によって得ていました(動物性たんぱく質を得るためにウサギなどを猟で獲る、川で淡水魚をとることを含む)。たとえば、家の屋根を葺くにの不可欠な茅(ススキなど)を得るために「茅場」を決め、毎年採集をしていました。そうした採集・狩猟が適度の自然攪乱を生み出し、自然界の自然遷移(草原が次第に林に変わっていく等)をおしとどめ、〈さとやま〉の環境を守っていたのです。
この項の最後に、〈春の妖精〉とも呼ばれるカタクリの花をめぐる私の体験談を記しておきたいと思います。
村のスキー場の頂上(スキー場開設時、「天望台」と名付けられたそうです)に少し広い草っ原的なところがあります。私は村に移って間もない頃に、ここにカタクリが群生していることを知りました。それ以降、毎年、雪消えを待ってスキー場のてっぺんまでカタクリを見に行きます。観光で村を訪れた方を案内したこともあります。
5年ほど前、カタクリの群生の様子を撮った写真を知人にお見せしたところ、「凄いわね!」という言葉と同時に、「切り株が邪魔ね。これが無ければ、もっと綺麗だろうに」と言われました。スキーシーズン前にゲレンデ整備のために草刈り(主にススキ)が行われるのですが、地面から30〜40cmくらいの高さで刈られます。そのために、丈が短いカタクリの花が切り株に隠れてしまいがちなのです。
そこで、一念発起、2017、2018の2年、夏の炎天下でススキやイラクサの類を地面すれすれまで刈り取る徹底的な草刈りを自身で行いました。翌春、行ってみると、カタクリの群生が広がっていました。とくに2019年春には、草地に隣接する落葉樹林の中にカタクリの開花場所がどんどん広がっているのを見て、驚きました(下写真は2020年5月撮影)。これは、とくに2018年夏の草刈りで、草地と樹林の境の蔓類を徹底的に除去する、草とも低木とも判別し難いようなものを基本的にすべて刈り取るという作業をやったことによるものと思われます。カタクリの花は、陽光が差す明るい広葉樹林の林床を好むとされています。今回、鷲谷さんの著作で〈攪乱〉という概念、その重要性を学び、2017,2018年のスキー場頂上での草刈りの意義を再確認することができました。
なお、「落葉樹林の中にカタクリの開花場所がどんどん広がって
いる」というのは、やや不正確な表現かもしれません。というのは、
「草っ原のカタクリが広がっていった」というのではなく、林床の
土壌の中で眠っていたカタクリの種子が、陽が入ることによって芽
生えたのかもしれないからです。これも鷲谷さんの本から学んだこ
と。「一年草のように、地上の植物体が短命の植物……それらの草
本植物はとくに攪乱に適応した植物で、寿命の長い種子は土の中で
眠りつづけていて、攪乱に遭遇するといちはやく芽生えて植生を回
復させます。」(63頁)
3. 栄村の〈さとやま〉の現状
栄村では、先に紹介した高橋彦芳さんが描かれた暮らしの様子に見られるように、まさに〈さとやま〉環境の中で人びとの暮らしが営まれてきました。
しかし、いま、栄村で自分の身の回りの〈さとやま〉を日々意識しながら暮らしている人はどれくらいおられるでしょうか。圧倒的に少ないと思われます。まったく意識していないとは言いませんが、明確に意識するのは年に数回の普請のとき、あるいは、山菜を採るときくらいではないでしょうか。
3‐1 〈さとやま〉自体の絶滅危惧化
栄村は、2008年、「にほんの里100選」に選ばれました。「にほんの里」とは〈さとやま〉を指していると言っていいだろうと思います。その選考委員のお一人に選考理由をお尋ねしたところ、「今回の選考以前に栄村を訪れたことがあったが、今回の選考にあたって再び訪れたところ、相変わらず田んぼの畦・法面がきれいに草刈りされていた。とても印象的だった」と話されていました。
しかし、ここ数年、法面の草刈りに代わって除草剤が使われることが目立ってきています。あるいは、草が伸びるのを抑えるために畦シートが貼られているのも目立ちます。いずれの場合も、作業の合理化・省力化というよりも、「高齢化が進み、体力的に法面の草刈りがきつくなった」ということが大きな理由のようです。
また、獣害被害が増大する一方ですが、獣害被害が出ているゾーンの周辺では、耕作放棄地や、かつては木材や山菜やキノコの採集の場であった雑木林が、暗く鬱蒼とした森になっています。
一言でいえば、〈さとやま〉という環境が消滅しつつある、〈さとやま〉環境そのものが絶滅危惧種化しつつあると言わざるをえないと思います。
これでは、希少動植物を守ることも非常に難しくなります。
私はここ数ヶ月、そういう問題意識でいくつかの場所を眺めてきました。その場所を写真入りで紹介したいと思います。
3‐2 今泉地区を見る
11月6日にスキー場から撮ったものです。ゲレンデ直下に見える林に囲まれたところが今泉地区。その先に家がたくさん見えるところは青倉集落。
上の写真で今泉地区と青倉集落の間に見える林の際から今泉地区の様子を撮ったものをつぎに示します。
真正面に立派な家が見えます。屋号「おやけ」と呼ばれた、今泉の中心的な家でした。今泉は元々は1つの集落でしたが、村の方針で冬の除雪の関係から1974年に青倉集落に集団移転。1983年、高橋彦芳氏(当時村役場企画課長)のアイディアでこの家は都市農村交流のための施設「ふるさとの家」となりました。その後、千葉から栄村を頻繁に訪れていた杉浦さんという方が購入され、内部を改装されました。その後、杉浦氏は癌で亡くなられたのですが、妻の杉浦恵子さんが定年退職後、村に移住され、農家民泊「ふるさとの家」となっています。
今泉の田んぼは、集団移転後も今泉から青倉に移られた人や青倉集落の人たちによって維持され、また一部は養鯉池として使われています。
私が今泉地区の中でもとくに注目しているのが、2枚目の写真の左側に見えるドーム型の作業所の横を少し進んで右手に折れて、スギ林の切れ目からスキー場の山の方向に進んだ辺りです。
下の写真がその地点で撮ったものです。
10年前の震災の前後の頃だったでしょうか、私はドーム型作業所に青倉から電動車で毎日通ってきて、春はゼンマイ揉みをせっせとやっておられる桜沢名代子(なよこ)さんをよく訪ねました。名代子さんはこの写真の奥からゼンマイを採ってきておられたのです。その当時は杉の木はこんなに大きくなかったし、草もこんなに生えていなくて、沢沿いにヤマの上に歩いていくことができました。「白いカタクリがあるよ」と言われて、カタクリを見に行ったこともありました。残念ながら白い花には出会えませんでしたが、カタクリがたくさん咲いていたのは覚えています。
そういう場所が、それこそヒトの手による攪乱がないと、5年強くらいでこんな荒れた場所になってしまうのです。
でも、今泉の〈さとやま〉環境にはまだまだ望みがあります。
先に書いたとおり、田んぼがしっかり継続されていることに加えて、杉浦さんがお友だちも招きながら、田んぼ数枚を自然農法に近いやり方でやっておられ、最近ではヤギも飼われています。田んぼの1枚は山から入ってくる水が冷たすぎるので、水口と田んぼの主ゾーンとの間に中畔をつくられたのですが、その水口側がビオトープになり、水の中にはさまざまな生きものが棲んでいるそうです(下写真)。
この秋、名代子さんのドーム型作業所の前の水溜まりでアキアカネ2匹が連結しているのを見ました。あまりうまく撮れていませんが、写真を紹介しておきます(下写真)。
私は、前頁に示した写真の草を刈り、沢沿いにヤマに入っていけるように出来ればなあと考えています。今ならまだ〈さとやま〉環境の保全に間に合うと思います。
3‐3 泉平集落を見る
私はここ数ヶ月の間、〈さとやま〉環境がまだ生き残っているところ、保全できるところは何処だろうと絶えず考えています。いくつもの集落の名が浮かびます。真っ先に考えたのが前項の今泉、そして次に思ったのが泉平集落です。
栄村を大きく4つのゾーンに分ける(水内、西部、東部、秋山)場合、泉平は西部に区分されますが、西部の他の集落からは少し隔絶されたところに位置します。次の写真をご覧ください。これは平滝集落から野々海に通じる村道から撮影したものです。
写真中央やや左寄りに見えるのが泉平集落。野沢温泉村の毛無山の方から下ってくる尾根筋の一角に、西部地区の他の集落からはポツンと離れて「山の中」に存在する集落です。
集落の家々がある場所よりも千曲川に近い方(上の写真では手前側)に圃場整備された田んぼゾーンがあります。そこで撮った写真の1枚が次のものです。
奥に見える山並みは野々海がある関田山脈です。泉平集落と関田山脈の間には水内地区の平滝集落などがあり、千曲川が流れています。さらに手前には泉平集落の西方を北向きに流れ下り、この田んぼゾーンの下で流れを東方向に変える小箕作(こみつくり)川が流れています。
この田んぼゾーンの写真奥の方には林が見えます。幅の狭い林ですが、なかなかいい所です。その手前は畑として耕作されていますが、林にもヒトの手が入っているようで、なかなか素敵な場所です。
泉平の人とお話すると、〈さとやま〉環境を構成する、こうした雑木林への関心度は非常に高いと感じられます。と同時に、〈人口減少・高齢化〉の現実は泉平も例外ではありません。いや、「西部地区」の1つでありながら道路事情が悪いこともあり、あえて言えば「辺境集落」的な面があり、村内でも〈高齢化〉がより早く進行している集落だと言えます。
泉平の人たちの多くが口を揃えて話されるのが、泉平と箕作を結んでいた昔の道です。色んな思い出があるようです。「もう草が茫々と生えていて、歩けないよ」と言われましたが、行ってみました。下写真のところで間違いないと思います。この写真だけ見れば、「おお、道があるじゃないか」と思いますが、この先の急坂を下ったところで、もう道の痕跡も見えないほどの草叢になっていました。
また、広い田んぼゾーンが広がる泉平集落の里の北側ではなく、南側に向かうと、北側とは様相が一変します。
紅葉などが美しいため池があるのを知っていましたので、軽自動車が精一杯の狭い未舗装の道を進みました。下の写真ですが、道を挟んでため池とは反対側は、かつては耕作地だったのでしょうが、今は一面のススキ原になっています。
泉平集落の〈さとやま〉環境をめぐっては、さらに厄介な問題があります。
先に書いたように泉平集落の西方から北方をぐるっと巻くような形で流れ、千曲川に注ぎ込む小箕作川、その下流の問題です。
私が栄村にやって来た頃(約15年前)は、箕作集落の人たちが耕作する水田が広がっていました。しかし、現在はその大部分が耕作放棄地となり、ススキ原になってしまっています。猟をする人に聞くと、積雪期はシカの群れの住処となっていて、辺りの木々は樹皮がすっかり食されてしまっているそうです。また、イノシシも多いそうです。さらに、ここは秋から初冬にかけてクマの通り道にもなっているようです。
小箕作川の下流
写真左に見える水がこの時期の小箕作川
写真右に道が見えるが、以前はこれがずっと奥まで通れた
このような厳しい現実がありますが、先にも記した通り、泉平の人びとの間には「なんとか良い環境を取り戻したい」という気持ちが強くあります。昔の〈さとやま〉の環境、そこでの暮らしの営みを知っている人たちがまだ元気に動ける、ここ5年ほどの間が、〈さとやま〉環境保全に残された時間なのではないかと思っています。
4. 現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点
3.においては主に集落の周辺部(まさにヤマのゾーン)や耕作放棄地の様子を今泉と泉平を事例として見てきましたが、〈さとやま〉の危機はそれだけではありません。現に耕作されている田んぼでも、圃場の整備・拡大、農業機械の導入に伴う乾田化、水路のU字溝化によって、カエルをはじめとする生きものが生息しづらい環境になっています。また、栄村では稲刈りが終わった田んぼの上をアキアカネが群れ飛ぶ姿がまだ普通に見られますが、全国的にはアキアカネが姿を消した地域が増えています。田植えと同時に田んぼに入れられるネオニコチノイド系農薬が原因ではないかと言われています。
こうした状況も念頭において、〈さとやま〉環境をどう回復・保全していくか。非常に難しい課題だと思います。
もともとの〈さとやま〉はヒトが意識してつくりだしたものではなく、自然界から食べものをはじめとするさまざまな資源を得る暮らしを人びとが行う中で自ずと生まれた世界、環境です。現代を生きる私たちがそういう暮らしを手放し、エネルギーから食べものに至るまで、ありとあらゆるものをグローバルなスケールでの流通の中から入手する生活をしている現状を省みれば、容易には〈さとやま〉環境を回復・保全することはできません。
この項のタイトルとして、「現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点」などと大仰なことを書きましたが、私は昨今大きな問題となっている〈気候変動危機〉、〈SDGs〉、〈農村における地域運営組織(RMO)の形成〉という3つの課題と結びつける中で考えることが必要ではないかと思います。
まず、〈気候変動危機〉。いろんな視点からの接近が必要ですが、日々の暮らしに欠かせない電力と熱エネルギー(炊事用のガスや暖房等)、これの地産地消が大事だと思います。電力の自家発電で真っ先に挙げられるのはソーラーパネルですが、それはひとまず措くとして、村には豊かな水と森林資源を活用することで電力や熱エネルギーの大半を賄うことが可能です。
つぎに、〈SDGs〉。今月11月は「SDGs月間」とのことで、TVなどでもさまざまなキャンペーンが行われています。しかし、SDGsを口実に新たな消費を喚起しようというまがい物も見られます。持続可能性を科学技術の進歩の中に見出すという発想法から脱却し、自然と人間の共生関係を見つめ直すことが大事だと思います。そういう考え方をするならば、〈SDGs〉に取り組むことと〈さとやま〉環境の価値を再評価し、その回復・保全を追求することの一体性が見えてくると思います。
3つめの農村RMOの形成。人口減・高齢化の進行によって1つ1つの集落が小規模化する中で、複数の集落をつなぎ、地域の運営を行う組織(RMO)の形成・確立が必要不可欠になっています。と同時に、RMOをすでに立ち上げている先行事例を見ると、組織運営経費の調達に苦しんでいます。多くが自治体からの補助金に依存しています。RMOの本格的な展開のためには、地域の資源を活用する収益事業の確立が必要です。農産物の加工・販売も収益事業の候補ですが、地域の人びとが地域外の企業に払っているおカネを取り戻し、地域内で循環させることが最も大事だと言われています。栄村でいえば、本社が名古屋にある中部電力に電気代を支払うのではなく、栄村で発電事業を行う会社から電力を買うとか、自家発電で自家消費(+売電)するといったことが、村民のおカネを村外に流出させることなく、地域内で循環させる暮らし方を定着させ、ひいてはRMOの資金源となる収益事業の確立を導き出していくのではないでしょうか。
以上のような視点から、私たちの身の回りの自然を活かす暮らし方が編み出され、現代的な〈さとやま〉環境の回復(創造と言いかえることもできる)・保全への道が拓かれるのではないでしょうか。
5. 何から始めるか
前項はいささか理屈っぽい記述になりましたが、実際に何から手をつけていくのか、具体化しなければなりません。
5‐1 自然環境保護条例の改正
〈さとやま〉環境に生息する希少動植物を採集圧から守ることが緊急の課題になっていることを念頭におけば、自然環境保護条例を改正して、環境保全指定区域を設定できるようにすることが必要でしょう。議会がすでに動き始めています。条例改正を早急に実現すべきだと思います。
5‐2 村民参加の自然調査
そのうえで、その条例改正案で設定が可能になる環境保全指定区域において、この2年間の希少動植物調査員の調査活動の成果のうえにたって、村民参加型の自然調査を実施していくことが重要だと思います。
この村民参加型自然調査を実施するうえでは、日本自然保護協会が行っている「モニタリングサイト1000里地調査」で提示されている「調査マニュアル」が1つの参考になるのではないかと思います(モニタリング1000里地調査:初めての方へ - 日本自然保護協会オフィシャルサイト (nacsj.or.jp))
また、私がこの間参照したものの中では、岩手県一関市の久保川イーハトーブ自然再生協議会の「長倉地区における落葉広葉樹林の保全・再生事業 実施計画」*にとても興味・関心を抱きました。栄村の〈さとやま〉には落葉広葉樹林が多いにもかかわらず、落葉広葉樹林の保全・整備に関する手引き的なものがあまり見当たらないので、参考になります。この「長倉地区落葉広葉樹林保全・再生事業実施計画」の「付録」に出ている「予備的な調査で確認された植物リスト」の一覧表には親しみのようなものを感じました。というのも、そこに出てくる植物の多くが私が栄村で日々見ているものと同じだったからです。
* kubokawa_plan2.pdf (env.go.jp)
5‐3 生態学の専門家の協力
こうした調査を進めていくためにも、生態学の専門家の力をお借りすることが必要だと思います。希少動植物調査員の方からもそういう意見が出ていると聞いていますが、来年度(2022年度)にもそのための予算を村が計上するように働きかけていきたいと思います。
5‐4 さとやまの田んぼや森を交流の場として、子どもたちの参加や都市民との交流の輪を広げる
以上に記した調査活動と並行して、〈さとやま〉を舞台として、子どもたちが「田んぼの生きもの観察」や「森遊び」を楽しむ、田んぼで田植えや草取り、稲刈りに都会の人たちが参加し、共に作業するといったことを進めていきたいと思います。そのような動きは今泉などですでに見られます。そういう動きをもっともっと大きくしていきたいと思います。
将来的には、〈さとやま〉の林やヤマの整備にも都会の人たちの参加が進むようにできればと思います。
5‐5 産物の販売や野外アクティビティでの収益事業の展開に発展させる
さらに、こうした〈さとやま〉の自然調査や交流活動が4.で記した農村RMOの形成・確立にもつながっていくように構想することが大事だと思います。〈さとやま〉環境を保全する中で作られたお米ということでのブランド化・販売、さらに〈さとやま〉を活かす野外アクティビティの事業化などです。
〈さとやま〉はもともと人びとの暮らしから生み出されたものです。ですから、人びとの暮らし(生業)を成り立たせるような事業にならなければ、〈さとやま〉環境保全活動は本当の意味では成り立たないと考える必要があると思うのです。
ここまで話が進むと、壮大な事業と思われるかもしれませんが、そういう大志をもって〈さとやま〉環境保全に取り組んでいきたいと思います。
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私が補選で議員に当選したのは4年前の4月。森川氏が村長選で当選したのと同時でした。議会の場を通じて、森川氏の村政運営をずっと見続けてきました。「議員活動報告」として、これまで踏み込んでこなかったことを含めて、村民のみなさまに報告したいと思います。
◎ 疑問が多い人事
「予算と人事は村長の権限です」――これは森川村長の口ぐせのようになっている台詞(せりふ)です。
予算編成権はたしかに村長にあります。ただし、予算を審議し、決定するのは議会の権限です。「予算は村長の権限」という森川さんの解釈は地方自治法を正確に理解されているとは考えにくいです。
それはさておき、ここでの主テーマは《人事》です。
役場職員の人事はたしかに村長の権限です。そのため、「疑問があるなあ」と思っても、議会の場でも、なかなか口に出しにくいというのが正直なところです。
でも、やはり疑問があることは疑問としてしっかり質さなければならない。そう思って、先日の3月議会で私は質問しました。
●せっかく育てた〈ジオパーク専門職員〉を、後任者も育てないままに、国(国交省)に派遣してしまうのか?
村の予算項目の中に「社会教育費」というのがあり、さらにその中に「苗場山麓ジオパーク」関係予算があります。令和2年度予算では739万7千円です。そのかなりの部分を占めるのが、「総会、CAP会議、定例会議の開催、全国大会、全国研修会への参加」に係る予算です。
森川村政ではジオパーク担当部署を教育委員会とし、社会教育担当の1名の職員が3年間にわたって上記の会議、大会、研修会等に参加し、必要な知識等を蓄積してきました。かなりの経費がかかっています。「3年かけて、ようやくジオのことが一通り分かるようになった」というのが率直なところだろうと思います。ジオに精通する栄村役場初めての職員だと言ってもよいのではないでしょうか。
ところが、その職員が4月から「職員研修で国に派遣」になるというので、「質問しづらいなあ」と思いつつも、思い切って3月議会で質問しました。質問の趣旨は、「多くの予算を費やして大会や研修会に参加して、やっとジオのことが一通りわかるようになったばかりなのに、なぜ、この職員を国交省派遣するのか。代わりのジオ担当職員を育てるのに、また多くの時間と経費を要するのではないか」ということです。
森川氏は「職員を派遣して、国交省から喜ばれている」と言うばかりで、ジオ職員の養成にかかる時間と経費の問題、後継者がまだ確保されていないという問題については答弁がありませんでした。ちなみに派遣先の国交省の部署はジオと関係ない部署のようです。
森川氏は、「国への職員派遣で国とのパイプが育つ」とも言っていますが、もともとは、「私(森川)には国との太いパイプがある」だったのではないでしょうか。「太いパイプ」はいつから「職員のパイプ」に変わったのでしょうか。
● 村民が頼りにしている職員が異動させられる
役場職員(公務員)には人事異動がつきものです。職務の公正な遂行のためにも異動は必要なことだと思います。
と同時に、「あの分野のことはあの人に尋ねれば、すぐに答えてもらえる」というように、村民が頼りにしている、特定の専門分野に強い職員がいることも事実です。この点は、その職員への配慮というよりも、村民に対する配慮という意味で、人事権者の村長は大いに気にかける必要があることです。
しかし、村民が頼りにしている職員が突然、異動になり、その後、その分野では多くの村民が不自由を強く感じる事態が続いています。農業の分野です。栄村の基幹産業に関わる問題です。
私は、元の職員を戻すべきだと主張しているわけではありません。基幹産業たる農業について、しっかりした行政の体制が必要なのに、森川氏はこの3年間、その手をまったくうっていないことが問題だと考えるのです。
「人事権者は村長」です。だからこそ、村長たる者、村民の多くが心の底から納得できる人事を行う責務があります。森川さん、いろんな「お約束」をするよりも先に、これまでのことについて、村民が納得できる説明をきちんとしてください。
◎ クルクル変わる施策 ―― 代表例は観光、とくに秋山観光
「森川こういちのお約束」というチラシが配られていますが、その中に「観光振興」の項があって、「秋山郷内の誘客宿泊者数2万人の実現に向け」という文言があるのを見て、正直なところ、びっくりしました。
● 「施政方針」では「日帰り観光推進」、チラシでは「秋山郷内宿泊2万人実現」――どちらが本当ですか?
昨年の前半あたりまでは、森川氏、「秋山宿泊2万人へ」と言っていましたが、今回の3月議会での「施政方針」を含めて、議会ではまったく口にしなくなっていたからです。いや、「施政方針」では「飯山駅からの高原シャトル便や越後湯沢駅からの直通バス運行に取り組み、気軽な日帰りの栄村観光を推進します」と言っています。森川さん、「日帰り」では「宿泊者数2万人」は実現できませんよ。
森川氏が新年度の「新規の大型事業」として挙げた観光施策は「野々海高原の誘客事業、雪の回廊事業」だけです(予算約160万円。ただし、小雪で中止の方向)。私は野々海の活用、とりわけ春の雪の活用を長年にわたって薦(すす)めてきましたので、「雪の回廊」は大いに結構ですが、行き当たりばったりではうまくいきません。秋山観光の強化はどうなったのでしょうか。
●いま、商工観光課はどこにあるか
そもそも、森川氏は村長就任直後に「商工観光課の拠点を秋山支所(とねんぼ)に移す」としました。それがまともに機能したのはその年だけです。商工観光課の所在地はスキー場を経て、いまは「絆」(森宮野原駅前震災復興祈念館)です。森川氏は「代わりに秋山振興課をつくった」と言うかもしれませんが、だとすれば栄村の観光の中でいちばん大事な秋山観光は商工観光課の所管から外れたということです。実際、秋山の観光について議会で質問をすると、答弁は商工観光課長ではなく秋山振興課長です。
● 「のよさの里」をめぐるドタバタ
3月議会では、秋山観光をめぐって、マイナスの意味で大きな動きがありました。「のよさの里」の指定管理者をヤドロクとする指定管理協定がいったん議会に提出されながら、取り下げられたのです。理由は、「ヤドロクさんから分家に車で直接乗りつけられるように渡り廊下の撤去を求められたが、そのようにすれば膨大な経費がかかるので、指定管理を村の方から取り下げた」というものです。
指定管理者の決定にあたっては、事業計画書・収支計画書の提出はもとより、プレゼンテーションも行われています。当然、村は「どんな風に運営するのか」を細かく聴いたうえで決定したはずです。直接の責任は秋山振興課長なのかもしれませんが、秋山観光の振興は、森川さん、あなたの目玉だったではないですか。そもそも、今回の指定管理者決定、事業収入予定がわずか400万円に対して指定管理料は550万円という信じられない内容でした。
4月からは再び村直営のようです。すると、また昨年のように、500万円、1千万円の補正予算投入ということになりかねません。
とにかく基本施策がクルクル変わるのはもうご免です。
◎ 役場と村の暗い雰囲気を変えることが必要だと思います。《分断》は村政で最もやってはいけないこと。
村民のみなさんからよく言われることがあります。「役場に活気がない」ということです。
いや、頑張ってくれている役場職員、たくさんいます。
しかし、なにか役場の空気がおかしいことは私も感じます。
いちばんの問題は、〈職員が村長に率直にモノを言える、そして村長は職員の意見に耳を傾ける〉となっていないことだと思われます。
● 村長発言に不満を表すと処分の対象?!
思い出します。もう1年以上前のことですが、村長が「特命課の嘱託職員は、ただ指示されたコピー取り等だけをやっている臨時職員とは違う」と議会で発言した時のことです。「この村長発言に怒っている臨時職員がおられます。村長、発言を撤回してください」と私が議会で申し出たとき、森川氏は何と、「その臨時職員は誰か、教えてください。内部情報漏洩で処分します」と言ったのです。
信じられない発言です。臨時職員(4月からは会計年度任用職員)の人たちは本当によく仕事をされています。「正職員以上の働きだ」と評価する村民もたくさんおられます。「ただのコピー取り」視、一(ひと)時代も二(ふた)時代も昔の感覚ですね。
● 処分恫喝をかける一方で、その人のアイディアはとる
昨秋の台風19号被害の直後のことです。
議員仲間の中で「村内の被害状況をきちんと見て廻ろう」という話になり、私は他の議員2名と共に、秋山や天代・坪野、千曲川沿いなどを見て廻りました。
私は災害現場のことをレポートしたことで森川村長から損害賠償を要求されるということが昨春にあったので、台風19号被害の写真発表にあたっては、村長室を訪れ、「こことここの被害状況写真を公表しますよ。なにか村にとって不都合はありますか」と森川氏に直接声をかけるようにしていました。
秋山の被害状況を見た翌日に村長室を訪れました。私が「ミズノサワの先の土砂崩れ」と言った瞬間です。森川氏は「あそこに行ったのか。立入禁止だろう。議員倫理規程違反だ」と言ったのです。議会で7ヶ月以上にわたって私に対する議員倫理規程違反疑惑が問題とされていた時期です。議員倫理規程は議会内のもので、村長は関係ないものなのですが、こういうことを平気で言うのです。
私が、「分かりました。ミズノサワの先の土砂崩れ現場の写真は使いません」と言って、その場を鎮めました。そのうえで、「でも、村長、ミズノサワは秋山の紅葉観光の一番の人気スポットです。あそこで写真を撮りたい人が多いのです。ミズノサワまでは車で行けますが、車が多くなると、車の引き返しが厄介なことになります。通行止めにしたうえで、雄川閣駐車場あたりから村がシャトルバスを出すようにするといいのでは」と提案しました。森川氏は「そんなに人気のスポットなの? 商工観光課長に検討させる」と答えました。
その日の午後、商工観光課長に会う機会があり、「村長からこういう話があるかもしれない。積極的に考えてください」と話すと、課長は「村長から指示があって、シャトルバスを出すことになりました」と答えました。
シャトルバスが実現したことは嬉しいことです。でも、森川氏は私とのやりとりは課長に話さなかったようです。
私は自分の利益のために提案しているのではないですから、べつに森川氏が「松尾の提案だ」と紹介してくれなくても結構です。
しかし、他人のアイディアはいただく一方で、私への処分恫喝はそのまま。そして、10月議会全員協議会では私の発言中に、傍聴席から「警察介入を!」と野次を飛ばしましたね。
要は、「自分の言いなりになるのであれば面倒みてやる。言いなりにならないなら、アイディアはいただくが、恫喝は続ける」ということなのでしょう。
こういう森川氏の施政が村の空気をなにか暗いものにしてしまうのだと思います。
◎ 本当に「村民第一」、「住民が主人公の村づくり」なのか?
森川氏は、「森川こういちのお約束」で、「村民第一です」、「住民が主人公の村づくり」と繰り返し書いています。
私はこれを見て、「本当か?」と思わざるをえません。
というのも、私が実際に見た・聞いた森川氏の言葉・行動はその正反対だからです。
●「村民が誤解するといけないから、情報は公開しない」――これが森川氏の実際の態度
この議員活動報告の前号(第39号)で報告したとおり、3月定例議会=予算議会の最大のテーマは《村の財政》でした。私は財政が厳しく、村民のみなさんに我慢していただかなければならないことが出てくるだけに、政策決定過程を透明化する必要があると主張しました。たとえば、新年度予算案を2月末に突然公表するのではなく、国や県と同じく、各課・各部署からの予算要求−査定のプロセスを公表することです。
ところが、森川氏は「そういうものを公表すると村民に誤解が生じる危険がある」と言って公表を拒みます。2017年度に村が長野県中小企業経営診断協会に村内4観光宿泊施設とスキー場の経営診断を依頼し、その報告書が提出された時も、同様の扱いでした。一定の時間が経過した後に議会には内容を示しましたが、「村民が誤解するといけないから」という「理由」で、内容を村民に知らせることを禁じました。
● 「村民が誤解する」とは、一体、どういうこと?
「村民が誤解するといけない」とは、「村民には情報を正しく読みとる力がない」というのと同じ意味ですね。
森川さん、「住民が主人公の村づくり」と言うならば、「村民にむらづくりを一緒に考えてもらう」ことになりますよね。そして、「考えるには情報が必要」となりますね。ところが、「誤解するといけないから情報は出さない」。だったら、どうやって考えろって言うのですか?
言っていることと、実際にやっていることが真逆ではないですか。言葉だけ格好いいことを言うのは止めてください。
● 「和をもって協力」と分断・個人攻撃は相容れません
「和をもって協力」――これも「森川こういちのお約束」に書かれている言葉です。
昨年秋、とても盛り上がったラグビーのワールドカップ。「ONE TEAM」が流行語になりましたが、ラグビーで大事なことがもう一つありますね。「試合が終わったらノーサイド」です。試合では激しくぶつかり合うが、試合が終わったら、敵・味方なく、共にたたかった相手をたたえ合う。そういう精神です。この精神があってこそ、村政において「和をもって協力」が成立します。
でも、森川氏が4年前の村長選後初めての村議会で発した言葉は、阿部伸治さんへの「あなたは他候補選対の副本部長ですよね」という敵対感をむき出しにしたものでした。議場にいた誰もが驚きました。新聞もその驚きを書きました。
今回の3月議会初日(3月3日)もまた同じことをやってしまいましたね。私の質問にキレてしまい、答弁を拒み、最後はとうとう「松尾議員は利益誘導している」と攻撃しました。一村の長たるものがキレるなんて、本当に恥ずかしいことです。首長たる者、あってはならないことです。
私は村会議員選挙に立候補した時、「情報を徹底的に公開する」ことを唯一の公約にかかげました。ですから、議会でどういう議論があったのか、「議員活動報告」を書き、村民のみなさんにお届けしています。
村議会では「議事録」というものが作成されています。議会での議論の様子をより詳しく知りたい方は誰でも、議事録を見ることができます。それは法律で保障された村民の権利です。公的なことは情報がオープン、これが「和」を保ち、「分断」を排し、村に明るさと活力をもたらす最大の源泉となります。
村民みんなが明るく、和気あいあいと活発に議論して、素晴らしい栄村をつくっていきましょう! 近隣の市町村の人から「栄村は大変だね」なんて同情されるような状況から脱け出しましょう!
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◎ 第17期の任期満了について
現在の村議会議員は、4年前(2017年、平成29年)の選挙で選ばれ、2017年5月21日から任期がスタートしました。再来月の5月20日に任期が終了します。
選挙が4月25日投開票で予定されていますが、あと2ヶ月余の任期があります。「選挙活動だけ熱心」なんて態度はダメ。私は議員としての通常の職務を全力で果たすべく、さらに努力を重ねていきたいと思っています。
◎ 第17期の議員活動のふり返り
私は、2016年の補選で初当選し、ここまで5年間、議員を務めさせていただいています。
第17期議員を選んだ4年前の選挙では、私は「情報公開」を公約として掲げて、当選させていただきました。幾つもの政策項目を並べるのが「公約」の常識となっていますが、私はあえて「情報公開」の一点に絞り込みました。
■ 公約の「情報公開」のために「松尾まことの議員活動報告」を当選直後から発行
2016年の補選当選直後に「松尾まことの議員活動報告」を発行・配達し始めました。動機はそんなに難しいことではありません。「議員に選んでいただいた以上、議員活動の報告をするのは最低限の責務」という思いです。
しかし、これが簡単なことではありませんでした。「議会での話を公開するのはけしからん」という類の攻撃が繰、私にり返し向けられてきたからです。だからこそ、4年前の選挙で「情報公開」という公約を掲げさせていただいたのです。
情報公開・発信は、圧力・妨害との戦いの連続でした
昨年の春まで、「情報公開」をめぐって、「議員を辞めさせるぞ」、「賠償請求をするぞ」などの攻撃が続きました。しかし、昨年の春、大きな変化が起こりました。村政の転換(=村長の交代)です。その選挙に際しては、多くの村民の方が私の「議員活動報告」を熱心にお読みくださいました。そして、最近は、
「松尾さんの新聞があるので、村の中の出来事がわかる」
と言っていただけます。とても嬉しいです。このように言っていただけることが励みになって発行・配達ができています。
■ 村の政策・財政を本格的に分析できるようになりました
議会では、村(行政)が提出する議案を審議します。たとえば、この3月の議会に提出された「令和3年度一般会計予算」の予算書は125頁、その「説明資料」は75頁もあります。量だけでもかなり大変ですが、中味を読み解くのがもっと大変です。正直なところ、予算書をそれなりに読み込めるようになったのは昨年あたりからのことです。
そして、昨年3月議会での令和2年度予算の審議をとおして、村の財政が大変な状況になっていることを把握することができました。その結果を3月後半から4月前半にかけて複数回、「議員活動報告」を発行し、村民のみなさんの熱心にお読みいただくことができました。
議員の役割には「政策提言」という仕事もありますが、必要性のしっかりした吟味や財政の裏打ちなどもないままに、「踏切を改修する」とか「道路をつくる」とか言うのは本来の「政策提言」とは真逆のものです。?村の政策・財政の分析と、?村民の意見にしっかり耳を傾けること、この二つがあってこそ、真に「政策提言」を行うことが可能となるのだと思います。
以上に書いてきたことをまとめますと、議会と議員の役割(仕事)は、
・ 行政の施策をチェックし、村民の暮らしのためになる
村政を実現すること
・ 村民がよく分かるように村政の状況をお伝えする
・ 村民の声に耳を傾け、政策に仕上げていく
の3点にまとめることができると思います。
次の議会に求められること
第18期の議会(4月選挙を経て5月21日からスタート)には、どんな仕事が求められるか、この5年間のふり返りを踏まえて、10の項目にまとめてみました。
みなさんのご意見をお聴きし、さらに磨きをかけていきたいと思っています。また、立候補を考えている人のご意見も是非、聴かせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
◎ 若い世代と子どもの人口を増やす
栄村にとって、いま一番大きな問題は人口減少だとよく言われます。たしかにそうですが、ただ「人口減少」一般が問題だというのではない、と私は考えています。日本全体が人口減少時代に入っている現在、威勢よく「人口増大政策」を掲げても意味がありません。
大事なのは人口数全般ではなく、人口の構成です。若い世代と子どもが人口の何%を占めるかが最も大事なことだと思うのです。それで、「若い世代と子どもの人口を増やす」をいの一番に挙げた次第です。
もちろん、ただのお題目だけ唱えても意味がありません。もう少し具体的に踏み込んで提案させていただきます。
■ 住宅と新しい仕事(雇用)のプランを示す
子どもが増えるのは若い世代の定住・移住が増える場合です。若い世代が村で暮らせるようになるにはこの「住宅と仕事」が最も大事です。とりわけ「仕事」です。
私はあえて「新しい仕事(雇用)」と言います。
「何が新しいか」について、以下、説明します。
「年間を通して一つの種類の仕事をする」というスタイルでは栄村のような小規模農山村では仕事(雇用)の確保は困難です。かといって、たとえば「春から秋は森林組合、冬は除雪またはスキー場」というのでは、「冬が来る前にいったん失業」となり、所得や社会保険が通年性のあるものとなりません。
このことは、いま、日本全体でも重要な問題と認知されるようになり、国レベルで新しい通年雇用システムを法的にも確立しようと動き始めています。「人口急減地域」を対象とする「特定地域づくり事業協同組合」という制度です。この「協同組合」が通年雇用し、そのうえで「春の仕事は農業、夏は林業、秋は観光業、冬は除雪やスキー場」というマルチな仕事に就くという仕組みです。年収250〜400万円のレベルが想定され、すでに島根県隠岐の島の海士町(あまちょう)では「海士町複業協同組合」というものがスタートしています。
そして、いま、都会の若い世代では「田園回帰」傾向が高まっています。コロナ禍も影響して、「都会暮らし」志向から「農村暮らし」志向への転換が始まっているのです。しかも、複業志向(マルチな就業)が主流になりつつあります。〈農業+自然アクティビティ〉、〈農業と観光〉というような組み合わせで、〈半農半X〉とも呼ばれています。
いま、島根県などの山村や離島で人口の社会増を実現している地域が出てきています。行政も〈半農半X〉志向にうまく対応している地域です。こういう地域ではじつは30代女性の動向がキーになっているそうです。
ここでは、まだまだ粗っぽいスケッチ程度の提起しかできていませんが、かなり速いペースで栄村での構想を練り上げ、実行にもっていきたいと思っています。
■ 下高井農林高校の存続 ― 地域リーダーを育てる学校へ
「若い世代と子どもの人口を増やす」うえで、私は下高井農林高校の存続を重視しています。
1月25日、私は栄小学校で1年生の子どもたちと下高井農林高校の3年生がオンライン交流する様子を参観させていただきました。とても強いインパクトを受け、私はこう思いました。
「農林高は地域の子どもたちをリードする存在だ。この地域の最高
学府だ。」
私が青年期だった頃(1960年代後半〜70年代前半、昭和40年代)、栄村などでは青年団が中学生くらいの年代が「大人」に成長していくための指導を担っていたのではないでしょうか。私はいまの時代、農林高(生)がそういう役割を果たしているように思います。高校は本来、「大学進学のためのステップ」ではなく、それ自体独自の役割・働きを持っているものです。農林高はまさに高校らしい高校、地域の子どもが成長し、飛躍する場になっていると思います。なんとしても農林高を存続させ、地域の高校として発展させていきたいと思います。
◎ いつまでも地域で暮らせる「痒いところに手が届く」サポート体制の実現
2つ目は高齢者福祉・介護制度の問題です。
「ごみ出しが大変、手伝ってほしい」、「電球の交換が自分ではできない」、「コロナで息子が帰省できず、畑を耕してもらえない」。こういう声がたくさん聞こえてきます。現在の介護保険制度は縛りがきつくて、こういう声に応えることができません。
「下駄ばきヘルパー」を生み出した栄村ならではの工夫をして、「痒いところに手が届く」サポートを実現していきたいと構想しています。
◎ 集落戦略づくりを進め、栄村の農業基盤の抜本的な強化を進める
いま、田んぼ・米づくりをやっている村民にとって最も頭を悩ませていることが中山間直払制度第5期で求められている集落戦略の策定をどう進めるかですね。
カギは、集落戦略の策定、さらには集落協定の広域化を第4期ですでに実現している先進事例にしっかり学ぶことだと思います。栄村のすぐ近くに先進事例があります。小千谷市、上越市櫛池地区などです。小千谷市の事例でリーダーとなっている人は、10年前の震災の直後、栄村に入って田んぼの被害の見極め方・復旧の方法を伝授してくれた若栃集落の細金剛さん、そして中越防災安全推進機構の阿部巧さんです。非常に身近なところにお手本があるのです。
もう一つ、お伝えしたいことがあります。2年前、棚田地域振興法という法律ができました。小千谷市の広域集落協定は市に働きけて、同法による「指定棚田地域」となりました。その結果、中山間直払5期で「棚田加算」を1,700万円強、毎年受け取れるようになっています。それを資金源として、定住者獲得・担い手確保につながる農業研修事業などを進めています。栄村の中山間5期の「棚田」該当地域を計算すると、やはり約1,700万円の加算を受けることができます。
先進事例に学び、栄村の独自の事情をふまえて、集落戦略づくりや指定棚田地域認定などを実現し、栄村の農業基盤の抜本的な強化を実現していきたいと思います。
◎〈冬季も安心して暮らせる秋山〉の実現へ、秋山の道路・交通の整備等を進める
秋山地区では、秋山特有の事情をふまえた独自の地域振興政策が求められます。
さまざまな課題がありますが、私は最も根幹的な課題は道路・交通問題にあると思っています。冬でも秋山と「下(しも)」を自由に往来できる道路状況を確保すること、世代によって異なる交通需要に応えられる柔軟なバス運行が大事だと考えます。
道路をめぐっては、五宝木を経由して秋山と「下」を結ぶ道路の確保が必要だと思いますが、その全面実現はここ4〜5年では厳しいと思います。国道405の改良をハイペースで実現することが優先課題だと考えます。清水川原〜結東間の拡幅・改良などが最優先です。新潟県と長野県によって分割管理されている困難がありますが、そこをなんとか乗り越えて、国道405改良のハイペースでの実現に注力したいと思います。
◎ 全国に誇れる除雪体制の持続化
豪雪の地・栄村では冬の除雪体制は村民みんなの生命線です。幸い、栄村の現在の除雪体制はしっかりしています。全国に誇れる水準のものです。
この水準を守っていかなければなりません。第1に、若手のオペレーターの確保です。1番目に書いた「若い世代の人口を増やす」「新しい仕事(雇用)のプラン」と一体で進めなければなりません。
もう1つ大事なことは、村の建設業をしっかり守ることです。村の財政状況は厳しいですが、財政と施策の色んな工夫で、建設業の適切な事業量を確保していくことが必要です。
◎ 栄村ならではのデジタル活用の推進
国はデジタル化の推進に力を入れています。デジタル化の是非については色んな意見がありますが、村の暮らしを守るためにも一定のデジタル基盤の確保は欠かせません。
小中学校の子どもたちは学校でデジタル活用について学び、びっくりするほど上手に使いこなします。他方、多くの高齢者にとってはなじみが薄く、取り扱いづらいものです。でも、コロナ禍もあって、「使えません」の一言では済ませないようです。
「お年寄りでもデジタルを使える」サポート体制を充実させていくことが求められます。そして、家にいながらにして、村内のいろんな風景を眺めることができるような環境を整えていきたいなあと思います。
◎ 公共施設の長寿命化に真正面から取り組む
村には色んな公共施設があります。人口が多かった頃の基準で配置されています。そして、設置から何十年も経ち、老朽化したもの、不用になったものもあります。
必要不可欠の公共施設を地震などの災害にも耐えられるものとして長寿命化させることが必要です。そのためにも、整理したり統合したりすることも必要です。
そういうことを役場だけで決めるのではなく、住民みんなで考え、自分が暮らす地域づくりを進めるようにしましょう。「道直し」の公共施設バージョンです。
◎ 新型感染症対策へ村の体制の整備
新型コロナウイルス感染症は、ワクチン接種が栄村でも間もなく始まりますが、あと1年くらい、厳しい状況が続きそうです。この1年間の経験を教訓にして、村の感染対策をさらに進化させることが必要です。
さらに、この先、私たちにとって未知の新型感染症ウイルスが出現する可能性も高いと言われています。そういう事態に備えて、県と連携しつつ、村診療所がでも新型感染症が現れても対応できる体制を整備していけるようにしたいと思います。
◎ 政策サポーター制度の導入
「政策サポーター制度」――そんなの耳にするのは初めてという方も多いかと思います。
村政に注文したいことがある、「私のアイディアを是非、いかしてほしい」、そういう思いがある人、結構おられるのではないでしょうか。でも、「議員に立候補するのは敷居が高すぎる」。とくに、勤めに出ている人、子育て真っ最中の人などは、丸一日会議が続く、しかも何日にもわたって――そういう議会の議員に出るのはたしかに難しいですね。
そこで、2ヶ月か3ヶ月に1回、しかも2時間程度、意見・アイディアを自由に言える場――それが《政策サポーター制度》です。
定員は10〜15名程度。公募制で男女同数とします(公募者が不足する場合は議会が要請でお願いします)。任期は議会と同じ4年くらいがよいかと思っています。
これは私の勝手な思いつきではなく、県内の飯綱町で2010年(平成22年)から実施されています。非常に活発な活動が展開され、町政と議会の発展に役立っています。
村(長)との集落懇談会という場がありますが、どうしても年齢の高い世帯主中心の場になっていて、若い人や女性は参加しづらい、そして仮に出席してもモノを言いづらい場という面が拭いきれません。
若い世代、女性が活躍する栄村へ大きな一歩を踏み出すために、是非とも、この政策サポーター制度を実現したいと思います。
◎ 情報公開のさらなる徹底
最後に、情報公開を17期に引き続いて、さらに徹底していきたいと思います。
議員が自ら「議員活動報告」を発行するのは当然のこととして、現在の議会報のあり方を改革すること、議会の議事録をもっと速く作り、村民の閲覧自由度を高めたいと思います。
議会の質疑を記録したテープを文字に起こす作業を専門の人に委託して、スピーディーに議事録を作成することは県内の多くの市町村で当たり前になっていることです。栄村でも震災復興計画策定委員会の議事録はそのようにして作られ、会議から1週間〜10日程度でホームページに公開されたものです。
また、議事録の閲覧は村民誰しもに保障されている権利ですが、現状はわざわざ議会事務局を訪ねて申し込まないと見ることができません。ネット時代のいま、議事録が村のホームページに出ていない村の現状は相当の時代遅れです。こういう状態は一刻も早く変えたいと思います。
以上、「次の議会に求められること」として10の項目を提起させていただきました。文字ばかりのページが続き、恐縮です。
お読みいただいて、みなさまには色んなご意見、疑問、注文があることと思います。みなさまの集落をお訪ねした折にお聞かせいただきたいと思っています。また、お電話やメールでのご意見も大歓迎です。栄村の未来は豊かなコミュニケーションから生まれると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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今日2月10日は朝から晴天。
私は「復興への歩み」等の配達で秋山にむかった。津南町大割野で国道405に入ったのは9時すぎ。秋山方向に雲が見えたが、鳥甲山がきれいに見えることを願いながら進んだ。
上の1枚は、10時44分、上ノ原の“とっちゃ”から白?の頭を撮ったもの。いわゆるヒマラヤ襞を見ることができる。今日、一番の楽しみにしていたものだ。1時間後くらいにはすでに雲に覆われていたので、ギリギリ間に合ったというところ。
今回は、この地点までの国道405走行の記録をお届けしたい。
写真2 405に入って間もなく、津南町の中津川運動公園付近にて(9:21)。
写真3 津南町秋成で国道脇の排雪場から「石落とし」方向を望む。9:29。
「石落とし」のクローズアップは次の写真4。
写真4
写真5 反里口(そりぐち)から登り坂を上がる途中、雪庇落とし作業に遭遇。9:36。
写真6 見玉の駐車場から高野山(こうのやま)を眺める。中央に見えるのは高野山上の排水池から発電所に水を落とす導水管。9:42。
写真7 スノーシェッドの途中にて。ツララが凄い。9:52。
写真8 同じ場所で中津川渓谷を覗き込む。
写真9 清水川原に向かう途中。右に見えるノボリは今季から登場したもの。よく目立ち、危険防止に非常に役立つ。9:55。
写真10 清水川原から結東にむかう狭い曲がりくねった登り坂。冬、下りを走る時は非常におっかない。10:01。
写真11 結東集落を抜けて進む。10:03。
写真12 前倉周辺。10:12。
写真13 前倉橋。10:18。
写真14 前倉橋から大赤沢の間の「路面流水道路」部分を上る。10:20。
写真15 同じく路面流水道路部分。
写真16 大赤沢の「山源」(木工品・土産物等販売店・食堂)前。鳥甲山白?の頭が真正面に見え、「秋山に入った!」と感じるところ。10:22。
写真17 国道405が栄村に入って間もなく、北信生コンの駐車場から。10:25。
写真18 国道405「屋敷入口」を過ぎたところからの眺め。10:33。
写真19 同所での白?の頭のクローズアップ。
写真20 走行中、真正面に鳥甲山の黒木尾根が現れる。上ノ原の少し手前。10:38。
写真21 ついに“とっちゃ”に到着。雪の壁を這い上って撮影。10:44。
今冬、最も楽しい秋山行きだった。
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1月26日、有害獣駆除の狩猟に同行させていただいて撮影したものです。
場所は非公開ですが、「栄村村内」と言ってもいい程に村のすぐ近くの集落の山です。雪がない季節ならば、集落から車で5分もかからないくらいの場所です。この集落では昨年、田んぼにイノシシが入り、壊滅的な被害をこうむりました。
この日、栄村の猟師4名がイノシシとシカの駆除のために山に入りました。イノシシも100?級を仕留めました(写真次頁)。上掲のシカの群れに出会ったのは、「今日はここまで」として、スノーモービルで集落に戻る時のことでした。雪のない季節ならば軽トラが走る道から見た様子もご覧ください。赤〇で囲んだところがシカが通っていた場所です。
100?級のイノシシ(上)と、その牙(きば)と上歯(下)
このイノシシはオス。集落の田んぼを荒らすイノシシ群の再生産の中心に位置したと思われる「種ブタ」(猟師の人たちはイノシシのことを「ブタ」と呼びます)だったと思われます。
栄村でもイノシシの被害は急増しています。シカの害については村ではまだあまり話題になっていませんが、栄村でも山では深刻な被害が広がっています。木の皮が食べられ、木が枯れていきます。早急な対策が必要です。
シカが樹皮を食べて白くなった木 雄シカが角を研いだため樹皮がなくなった木
平滝から白鳥方向にむかい、白鳥大橋に入る直前に眼前に広がるこの景色。私が大好きなものです。冬の晴れた日の楽しみです。(2月1日午前)
白鳥集落のボブさんのお宅への道。雪の階段が丁寧に、そして美しく作られていました。車に戻ってカメラを取り出し、シャッターを切りました。(2月1日午前)
屋根から垂れる雪の形がとても面白くて、カメラを向けました。(2月3日午後)
ツララの道。
集落内道路からお家までの通路の脇の石垣の上、雪の壁に立派なツララが並んでいました。4日、秋山・小赤沢にて。
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栄村復興への歩みNo.401
2021年2月9日発行 編集・発行人 松尾真 定期購読料:年間2,400円
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞
前号でも「震災から10年」を話題にしましたが、今号では、1頁と8頁の見開きで当時の思い出深い写真を紹介します。
本ページ最初の1枚は震災から約2ヶ月、5月14日に栄中学校ランチルームでの「栄村の復興を考える会」(県と村が主催)の様子です。大勢の村民が集い、熱心に議論しました。栄村の持つ底力が示されたと思います。2枚目は各人の思い・意見をカードに書いて貼り付ける様子です。左写真前列には阿部知事と島田村長の姿が見えます。
3枚目、4枚目は小滝集落の田んぼ。3枚目は2011年4月20日撮影。雪が消えて、激しい段差など地震で田が壊れた状況が明らかになりました。その姿を見た時、愕然としたものです。4枚目はその田んぼのほぼ1年後の姿(2012年5月20日撮影)。2011年度の復旧工事によって田んぼが見事に蘇りました。
震災の年4月26日、箕作集落の苗箱を苗代に入れる作業の様子。
2011年4月26日夜、吉楽旅館の食堂を借りて開催された勉強会。
この勉強会の意義については後述。吉楽旅館は地震で大きな被害を受け、当日はその復旧工事が完了した日でした。
4月29日に開催された青倉集落の年次総会。全国からのカンパで緊急に建設された仮設公民館がこの日、オープンし、最初の使用が集落総会でした。
● 記録を整理することも大事ですね
前号6頁の青倉・島田哲さん宅前、震災片付け作業時のお茶のみの様子を撮影した写真もそうですが、今号の1頁と8頁の写真はいずれもほぼ10年ぶりに記録データの中から探し出してきたものです。
この10年間、ひたすら写真を撮ってきました。私はもともと写真をよく撮っていた人間と思われがちですが、じつは震災まではカメラを持ち歩くことなど稀(まれ)でした。震災当時に持っていたカメラは1万円程度で購入できる性能の低いものでした。一眼レフのカメラを使うようになったのは震災の年の5月連休後半あたりからです。今でも、カメラについては素人同然で、カメラの仕組みなどについて詳しいことは分かっていません。
ただただ、「栄村の様子を発信したい」という思いで撮り続けてきました。写真データは大量にありますが、まったく整理が出来ていません。「10周年」はいい機会ですので、少しは整理できるといいのですが・・・。
● 4月26日夜の勉強会が大きかったと思います
8頁の中段の写真をご覧ください。写真としてはお世辞にも上手とは言えないものです。
しかし、ここに写っている会合は栄村のこの10年にとって画期的な意味を有するものだったと思います。会合の名称はありません。ただ「勉強会をやろう」と言って、有志が集まったものです。人数が何人だったかも覚えていませんが、吉楽旅館の1階食堂にすし詰めの状態で2時間半、熱い語らいが続きました。
後に栄村復興計画策定委員会の委員長を務められた信州大学の木村和弘先生を迎えての勉強会です。
そもそものきっかけは震災から約2週間後の3月25日に木村先生をはじめとする信州大学の先生方が被害状況の調査に来て下さったことでした。その時期、栄村はまだたくさんの積雪に埋もれた状況でしたが、田んぼの様子をなんとか見られる場所ということで、青倉のお宮の近くの村道(スキー場に通じる道)沿いの田んぼにご案内しました。その田んぼの様子を写したのが次の写真です。
雪の割れ目が見えます。「これは田んぼに大きな段差が生じていることを示しています。1枚、1枚の田んぼの修復ではなく、団地全体の復旧を考えなければならないですね。」 阪神淡路大震災、中越地震の被災田んぼを調査してこられた木村先生から、こういう趣旨のアドバイスをいただきました。そして、「雪が消えたら、再調査をし、復旧方法についてアドバイスする」とご約束いただきました。
4月になり、日が進むにつれて、有志の中で、「雪が消えてから考えるのでは遅い。もう一度先生に来ていただいて勉強会をやろう」ということになり、4月26日の勉強会になりました。ここで、農村の震災の特質や、復旧と復興の違いなど、それまで聞いたことがないことをたくさん学ぶことができました。
栄村では、震災からの田んぼの復旧工事が完了した後、不具合が出たケースは稀(まれ)でした。ところが淡路や中越では完全復旧まで何度も工事をやり直さなければならないことがとても多かったそうです。栄村の田んぼ復旧がうまくいったのは、この勉強会での学び、さらに中越の震災を経験した人たちからの貴重なアドバイスのおかげです。
● 栄村の農地・農業をどうするか ―― 再び、学びの時を迎えていると思います
村では本年度から中山間地域等直接支払制度の第5期がスタートしました。ご存じのように3年以内に「集落戦略」の策定が必要です。
これは、「大きな義務を課せられた」というものではなく、栄村の農地・農業、さらには各集落と栄村全体の《これからの10年》を考える絶好の機会です。
そのためには、《学び》が必要だと思います。
コロナ禍で他所の人との交流に困難がある時節ですが、この間紹介している福島県猪苗代町の見祢(みね)集落や、関田山脈の裏側・上越市清里区の櫛池(くしいけ)地区など、集落農業法人の発展や集落・地域をまたぐ広域連携を実現している先進地の人たちから学ぶ機会を是非とも設けていきたいものです。村や議会に働きかけ、場を設定できるようにしたいと思います。
「農地耕作の後継者をどうしたら確保できるか」、「広域連携って、本当に集落のためになるのか」等々、疑問や悩みのある方、是非、声をおかけください。
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◎ ワクチン接種、栄村ではどうなるのか
全協(村長提出)で、新型コロナワクチン接種の基本方針が示されました。
接種会場は栄村診療所
65歳以上高齢者は4月1日以降接種開始
これが現段階での基本方針です。
ワクチンが日本にどれだけの量、どの時期に入って来るかによって、日程には流動的な要素がありますが、今後、随時、村から必要な情報が提供されますので、みなさん、しっかりと注目してください。自力で診療所に行けない人については、村が送迎体制を検討中で、今後、対応方針が出されてきます。
■ ワクチンについて正しい知識をもとう
? ワクチン接種は強制や義務ではありません。国・村は住民全員分を用意しますが、接種を受けるかどうかは一人一人が判断します。3月中旬頃までに、「接種クーポン券」というものが送られてきますので、それをうけて、接種を希望する人は予約をすることになります。
? 「ワクチンをうったら新型コロナに感染しない」ということではありません。感染する危険はあるが、発症しない、重症化しないということです。したがって、ワクチン接種が済めば、マスク・手洗い・三密回避が必要なくなるということではありません。
? このワクチンは筋肉注射です。接種部位はしばらく痛むことがあるそうです。また、1〜3日、倦怠感などが生じることもあるそうです。接種まで時間があります。心配な人は早めによく相談してください。また、アナキフィラシーというアレルギー反応については接種会場で15〜30分間程度、医師・看護師が経過観察します。これらのことについては、事前に役場の「暮らしと健康の相談室」に相談することができますので、納得して不安なく接種に臨めるようにすることが大事です。
議会は、これからも役場とよく議論し、みなさんが不安なく接種を受けられるように、さらに努めていきます。議員に尋ねたいことがあれば、遠慮なく声をおかけください。
◎ 子育て世帯支援(1人2万円)、住民全員に1万2千円の地域商品券配布などの新型コロナ対策
いま、新型コロナの第三波の只中にあり、栄村は直接には緊急事態宣言の対象地域に入っていませんが、スキー客の大幅減少など、さまざまな影響が出ています。したがって、栄村でも、追加の社会経済対策が不可欠です。
村では、国の第1次・第2次補正予算で確保された「新型コロナ対策地方創生臨時交付金」(基本的には年度内使い切りで翌年度への繰り越しはできない)を活用する対策を練り上げているところです。1月28日の全協(村長提出)で総額4,984万円の対策事業計画が示されました。日程上の問題から村長の専決処分でできるだけ早く補正予算を決め、執行することを議会は了承しました。主な補正内容は、
イ) 子育て世帯支援事業 ―― 新生児から高校生までの子育て世帯を
対象に子供一人あたり2万円を支給(対象87世帯・146人)
ロ) 地域商品券追加配布 ―― 12,000円の地域商品券を村民全員に配布
昨年配布の商品券が、村内事業所の売上確保に非常に顕著な
効果をあげました。それをうけての追加策です。みなさん、
村内の商店、飲食店等での活用をお願いします。
ハ) スキー場売上減少の対策 ―― 1千万円をスキー場特別会計に入れ
る。
国では第3次補正予算が成立し、その中には3度目の「地方創生臨時交付金」がありますが、現時点では村への交付予定等は伝えられてきていません。
◎ 村選挙に関する条例制定と教育委員の任命同意
この2件は臨時議会での議決です。
まず、村選挙に関する条例ですが、これは国の公職選挙法の改正に伴うものです。
公選法の改正では、市町村議員選挙並びに市町村長選挙において、ポスター、選挙用自動車、チラシの3つについて公営化できることが定められました。栄村はこのうち、ポスター(公設の掲示板に貼るもの)について公費負担とする方針で、そのための条例を今臨時会で可決しました。なお、今回の公選法改正では村議選でも立候補者は供託金(15万円)を納めることが必要となりました。
教育委員の任命は、現委員1名の任期満了に伴うもので、青倉の高橋修氏を選任する案が議会に提出されました。議会では提案者の村長から高橋修氏のこれまでのPTA会長等の要職での実績が紹介され、議会は全員の賛成でこの人事案に同意しました。
◎ 12月集中降雪時倒木・停電のまとめと対策
これは全協(村長提出)での報告です。被害状況については、私は「復興への歩み」No.399で詳しいレポートをお配りしていますので、ここでは繰り返しません。
報告及び議員との協議で、倒木予防の伐木の必要性等について県北信地域振興局長に申し入れを行ったこともあきらかにされました。
本件は今冬に限らず、来冬にむけても重要な問題ですので、議会としても力を入れていきます。
全協で配布された「被害位置図」
被害が村内広範囲にわたったことがよくわかります。
◎ 下高井農林高校をめぐる最近の動向
全協(議長提出)に石沢教育長が出席し、「岳北地域高校の魅力づくり研究協議会農林高校部会」の第1回、第2回の議論の内容が紹介されました。
この研究協議会は、県教委の意図としては、最終的に「下高井農林高校の地域キャンパス化(飯山高校の分校化)」へ導こうというものだと思われますが、農林高校部会での議論は「地域キャンパス化ありき」ではなく、《私たちの地域にとって不可欠の専門高校》としての農林高校を守り育てる方向での意見がどんどん出てきていると感じました。
また、県教委は「将来的に学校規模の縮小や再編基準への該当等により2校の存続が困難になった場合は、下高井農林高校を飯山高校の地域キャンパスとする」としていますが、宮川村長は「在校生120名以上」等の県教委の再編基準に対して疑問を投げかけ、農林高校存続への強い思いを表明しました。
昨年3月議会で、農林高校存続を求める意見書を採択した当時は、議会内部にも「首長が同意した地域協議会意見書と矛盾することは言えない」という空気がありましたが、今回の全協ではそういう空気は消滅したとは言えないまでも、かなり空気が変わっていると感じました。
■ 農林高生の活躍に注目し、地域の力で農林高の存続と充実を実現しましょう
下高井農林高校生はめざましい活躍をしています。ソバ打ち全国大会で優勝しました。また、地域との交流、地域づくりへの参加も活発です。栄村では、下高井高校3年生が栄小学校1年生と月1回の交流活動を行ってくれています(具体的内容は「復興への歩み」で紹介します)。
農林高生の活動をみんなの話題にし、農林高を《地域の宝》として大事にしていきましょう。
岳北4市村の議会の動向を見ると、3つの村議会はいい方向での議論が進んでいると言えますが、飯山市議会ではなかなか積極的な議論が進まないように見受けられます。やはり岳北地域にあっては飯山市の存在は大きいですから、飯山市議会が農林高存続へ大きく舵をきってくれることが必要かつ大事です。
飯山市にお知り合いの方がおられましたら、その方とお会いになった時や電話などで農林高校のことを話題にし、飯山市でもいい流れができるように働きかけていくのがよいと思います。
全協で示された協議会内容説明資料の一部
議会はこの4年間、どういう仕事をしてきたか
2017(平成29)年4月の選挙で選出された現在の議会は今年5月で任期満了となります。
3月予算議会という大きな仕事がまだ残されてはいますが、議員はそろそろ、自らがこの4年間、議員としてどういう仕事をしてきたのか、総括を行い、有権者たる村民のみなさんに報告しなければならない時期を迎えていると思います。
◎ 何かと揉めることが多かったのですが
私は2016年の補欠選挙で初めて議員にならせていただき(無投票)、続いて2017年の本選挙でみなさまに選んでいただきました。計5年間の議員活動となりますが、そのうちの約4年間、議会は頻繁に村長(森川氏)と対立し、信毎や妻有新聞でさかんに報道されました。村民の方々から、「他所に行くと、『栄村は大変だなあ』と言われるんだよ」ということも数多くお聞きしました。私自身のことが「対立」のメインになることもありました。村民のみなさまには「揉め事(もめごと)が多かったなあ」という思いをお持ちの方もおられることと思います。
私自身も時に非常に苦しい思いを抱きました。「京大中退」という学歴が「詐称ではないか」という全くいわれのない攻撃、私の過去をめぐる攻撃、「議員倫理規程違反」云々での締め上げ等々、数え始めたらキリがありません。
しかし、それだけを見ていても、この4年間の議会が何だったのか、本質的なことは見えてきません。じつは、次項で書くように、《村財政を守るためのギリギリのせめぎ合い》というのがこの4年間の議会の核心だったのです。
◎ 村財政を守るためのギリギリのせめぎ合いの4年間
議会での論争の始まりは、2016年11月、森川村長(当時)が、議会と振興公社理事会の懇談会の場で、「いくら欲しいんだ。5千万円くらいか」と発言したことでした(森川氏は「『いくら欲しいんだ』とは言っていない。『いくら必要なんだ』と言った」と後に弁明しましたが、事の本質には何の変りもありません)。
議会が村長提出の議案を否決した、あるいは修正したというのはことごとく予算(財政)をめぐる問題です。「森川氏と近しいところに予算が余計に充てられる」――これが議員のみならず、多くの村民の思いでした。そして、議会での森川氏との論戦の特徴は、森川氏が村財政について私たちが心配していることを質問しても、誠意ある真正面からの返答をしなかったことです。その代わりなのか、議会での議論が緊張してくると、私への個人攻撃が行われるというパターンでした。
そうした財政をめぐる緊張ある議論がピークに達したのが昨年4月の村長選でした。
私は、自身の4年間の議会での質疑、とくに直前の3月予算議会での質疑をふまえて、村の財政の非常に危機的な状況を村民のみなさまに報告しました。森川氏は「栄村の財政は大丈夫です」というチラシを配布しましたが、私はそれが「ウソ」であることも資料を示して、明らかにしました。
私はいま、こう思っています。「仮に昨年の選挙で森川氏が再選されていたら、一番困ったのは実は森川氏本人だったのではないか。なぜなら、財源を使い果たし、もう自らの手で次の予算を編成することができないほどの状況になっていたから。」これが本当のところだと思います。
正直に言いますが、9月決算議会に出されてくる決算資料、3月予算議会に出されてくる予算書、初めて議員になった者にはほとんど理解困難なものです。課長さんたちに嫌がられても、1つ1つの予算費目の狙い(政策意図)や積算根拠を根気強く尋ねていかないと分かりません。森川村政下では尋ねても答えがもらえず、宮川村政に変わって初めて本当のことがわかってきたというものもあります。あるいは、「これはそんなにおカネを使うべきものではない」と思われる施策でも、私などが質問すると、森川氏が答えないだけでなく、議員の方から「余計なことを聞くな」と言わんばかりの言葉が飛んで来ることもありました。
■ 約27億円が村一般会計の適正規模
新しく村長になった宮川幹雄氏は議会で「一般会計の適正規模は27億円」ということを繰り返し言っています。
私は昨年4月、この「議員活動報告」で「基金取崩と公債発行を除くと純歳入は23億円程度」、「約25億円の予算規模が必要になる」と書きました。仲間の議員とも何度も議論しました。行政としてどうしても削れない経費を積んでいくと、27億円は必要になるようです。
それはともかく、村財政の再建への道を踏み出すことができる線を首の皮一枚のところで、4年間の苦しい議会攻防で守ったということだと思います。
未来につながる村づくりへの第一歩を踏み出す
〜3月予算議会の課題〜
3月予算議会は3月3日(水)開会の予定です。第1日目に村長施政方針が示され、2日間の一般質問を経て、8日(月)と9日(火)に予算特別委員会で予算審議が行われます。
これまで、傍聴のみなさんに予算資料が配布されないため、「質疑を聞いてもわけがわからない」ということで、予算委の傍聴はほとんどゼロという傾向がありましたが、今年の3月議会では予算資料を一定程度お配りすることができるようにしたいと考えています。是非、傍聴をお願いします。また、2月17日(水)に議会全員協議会が開催されますが、この場で、村側から予算概要が示されるのではないかと思います。この全協も是非、傍聴してください。
さて、「未来につながる村づくり」というスローガンは宮川幹雄氏が昨春の選挙の際に掲げられたものでした。私は、最近、栄村の進むべき方向性について考えを巡らせる中で、「未来につながる村づくり」というスローガンは、もはや宮川氏の選挙スローガンではなく、栄村の将来を考えてさまざまな施策を練っていくうえで、村民が団結する方向を示すスローガンだと思うようになりました。
もちろん、「未来につながる村づくり」を村民共同のスローガンとするということは、村長の施策に異を唱えないということではありません。日本全体も財政が厳しさを増す中で、村の未来を考えるとき、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論は避けられません。いや、そういう議論を経てこそ、本当に村民の団結を実現することができるのだと思います。
3月議会に提出される予算案では直接にはテーマとはならないと思いますが、今から数年の間、道路1本、村の公的施設1つをとっても、何百万・何千万もの費用を投入して改修をするのか否か、厳しい議論が必要になります。ただし、「財政が厳しいから削りさえすればいい」というものではありません。中には、「思い切って借金をしてでも、10年後の村のために投資しなければならない」というものが出てくる可能性もあります。
高齢の方々はまだ記憶に新しいことかと思いますが、「平成の大合併」論議という栄村の未来をかけた大議論がありました。それに匹敵するくらいの真剣な大議論をしなければならない時期をいま、迎えているのだと思います。高齢の方々は当時を思い起こしながら、子や孫に未来がある村を残せるように議論にご参加ください。若者はこの議論の主役です。すでに子の親になっている人だけでなく、中学生や高校生もどんどん議論に加わってほしいと思います。
■ 未来を考える土台となる新年度予算を
3月議会での新年度予算の審議は本当に重要です。
「未来につながる村づくり」のための土台として、村財政を維持できる予算であることが必要です。充分な絞り込みができているかどうか。また、重点的な絞り込み費目をめぐっては、前年までの予算との関係で、「何を削ったのか、なぜ削れるのか」を明確にしなければなりません。同時に、「未来につながる村づくり」に踏み出すために必要な土台は確保されているのかどうか、しっかり吟味しなければなりません。
私は、この場で、役場の課長さんたちに訴えたいと思います。
課長さんたちは予算審議での主役です。「こういうふうに予算編成していれば、行政手続き上は問題なし」というレベルの説明では困ります。村民一人ひとりがわかる言葉で、村が予算付けする施策の内容・意味(意義)をしっかりと説明してください。「うるさがたの議員さんの質問をどうかわすか」ではなく、「私の担当部門では、こういうことが村民の暮らしにとって欠かせない」、「この予算は来年、再来年のこういう事業の発展につながっていく」、「予算額は前年をほぼ継承しているが、村民のみなさんにこの予算の意味について改めてご理解いただきたい」等々、議員や村民に「なるほど」と思わせる答弁を準備してください。
議会の慣例からすると、私は今度の3月議会では予算特別委員会の委員長を仰せつかることになると思います。その時は、村長はもちろんですが、課長さんたちに対しても、ただ「〇〇課長」と答弁指名するだけでなく、きちんとした質疑を実現できるように、采配を振るわせていただきたいと思っています。「いじめないでください」というレベルでは受けとめないでください。充実した質疑ができるように、事前のやりとりも含め、お互いに頑張りましょう。
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車庫内から撮影。
タイヤの跡があるが、午後7時20分頃に車を車庫に入れた時のもの。
車を入れた後の1時間ちょっとで10センチは積もったかんじ。
非落下式の屋根の様子。今日の午前中の積雪の分も積もっているが。
国道117号線の様子。深夜も除雪トラック(略称「除トラ」)が走るので通行は可。
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1月26日午後0時52分撮影です。
午前10時20分すぎから栄村に隣接する地区の山に猟師グループ4名がスノーモービルで入り、私は「〈シカが群れでいる〉という実態を写真に撮る」、「シカによる樹木の食害の実態を撮影する」という目的で同行させていただきました。
冒頭の写真はイノシシ2頭、シカ1頭を射止めて、「今日はここまで」として、里に下る途中、2台目のスノーモービルの猟師が左手の山にシカの群れを発見し、射撃を始めた直後のものです。突然のことで、私はスノーモービルに着座したままの状態でシャッターをきりました。なお、射撃地点とシカの群れとの間の距離は7〜80mくらいでした。
以下、冒頭の1枚も含め、シカが群れで移動しているところだけをトリミングでクローズアップしたものを掲載します。
写真イ
写真ロ
写真ハ
写真ニ
写真ホ
写真ヘ
写真ト
写真チ
1枚目の写真イには少なくとも6頭が写っています。一番右のシカの左側にひょっとすると弾が命中して倒れたものが写っているかもしれません。また、右から2頭目、歩いてきた方向を振り返っているシカは小鹿(バンビ)のようです。
この写真イの撮影が0時52分16秒、最後の写真チが53分01秒です。
5枚目の写真ホには、撃たれて雪斜面を転げ落ちる1頭が見えます。
1枚目の写真イを撮る前にすでに4〜5頭が左方向に通過し終えています。また、私たちが現場を離れようとした頃に、上の写真の右手に見える杉林から2頭のシカが出てきて、他のシカたちが向かった左手方向に移動していきました。
以上のことから、(写真に重複して写っているものがあることを勘案しても)全体で20頭くらい(20頭より多い可能性大)の群れであったと判断しています。また、移動の様子から、1つの群れというよりは、2つの群れが合流して一緒に移動していたという感が強くあります。
なお、回収したシカの1頭はあきらかに小鹿でした。昨シーズンに誕生し、今シーズン初めて群れ行動に参加していたものと思われます。また、回収した別のメスのシカは妊娠していました。駆除という観点からすると、来シーズンの群れとなるものを予防駆除できたわけで、意義は大きいと思います。
● 食害の状況
これは、シカの群れを発見した上記地点の沢沿いの樹木の様子です。木の皮がシカによって食べられ、幹の半ばから下の皮がまったく残っていません。この状態では、この木は枯死すること、ほぼ間違いないでしょう。
シカによる被害をもう1つ示します。
写真ヌ
これは木の幹の下部ではなく、真ん中あたりの皮がなくなり、さらに幹が艶をみせています。雄シカが角を研いだ跡だそうです。この木の周辺の様子を2枚示します。
写真ル
写真ヲ
写真ルは写真ヌの木のすぐ近くです。沢のすぐそばです。写真ヲは写真ルの手前に見える木の根元周りの様子。黒く丸いものが多数見えますが、シカの糞です。木の下で積雪が少し窪んだ場所、こういうところがシカたちの夜のねぐらだそうです。
● 巨大なイノシシの捕獲
11:48の撮影。沢の対岸急崖の真ん中あたりに見えたイノシシを仕留め、急崖から降ろし、沢を渡って、此岸に引き上げた時の様子です。非常に大きいです。100キロ級とのこと。
この日、猟に入った沢の下流の地区では、宅地と山の間にかなり多くの田んぼが耕作されています。しかし、昨秋はその田んぼのほとんどにイノシシが入り、地区の人は「このままではもう田んぼができない」と話しておられるそうです。
今回の猟師グループの中心メンバーは地区の人たちとよく話をされており、駆除猟の許可を得て、猟をされています(獲物の肉を地区に届けてもおられます)。地区の人から、「最近、めちゃくちゃ大きなイノシシを目撃した」という話から届いたそうです。
上の写真のイノシシはどうやらその巨大イノシシのようです。オスです。このオスがこの一帯でのイノシシ繁殖の種付けオスであった可能性大です。そうすると、この日の猟の成果は非常に大きいということになります。
上掲のイノシシの牙と上歯
冬山での猟の凄さ
本レポートの前半で示したシカの群れの猟も衝撃的でしたが、この巨大イノシシの猟は冬山での猟の凄さを強烈に教えられるものでした。
上の写真、上の方に〇(赤色)を入れてあります。沢の此岸から(左岸)から撃ったイノシシが横たわっています。写真の下部にオレンジ色の帽子を被っている猟師の人が写っています。
これからイノシシの所まで、この雪の急崖を登って、イノシシを崖下に落とします。
当然、イノシシは沢に落ちます。
そこで、猟師の人は沢の流れの中に入って、イノシシにロープをかけ、此岸にいる他の猟師の人たちが此岸の上に引き上げます。
射撃は一瞬のことでしたが、上に記述した一連の過程は写真と動画で撮影できました。動画はfacebookに投稿します。写真を少し、ここに掲載します。
イノシシが横たわるところまで辿り着き、イノシシを落としたところ。
イノシシは残念ながら沢まで落ちず、沢の少し上で止まった。二人の猟師がその地点に向かうところ。
イノシシを沢に落とした後、沢に入る猟師。水は強烈に冷たく、「非常に体力を奪う」とのこと。
沢の中のイノシシにロープをかけ、引き上げを準備しているところ。
● 想像をはるかに超えるイノシシ、シカの生態
私は3年前だったでしょうか、国道117号線に出てきたイノシシを射止めた直後の現場に立ち会った経験があります。また、捕獲されたイノシシやシカの解体作業に立ち会い、撮影したこともあります。
しかし、猟の現場に同行した経験はありませんでした。今回、1〜2週間前に同行をお願いし、26日の猟について2日前にご連絡をいただきました。
同行させていただいた成果はとても大きかったと思います。
第1に、上述したことですが、シカの大きな群れを我が目で確認できたことです。
1頭だけのシカ、あるいは2頭連れのシカは山の道路沿いで目撃したことがありますが、10頭以上の群れなど見たことがありません。また、最初に報告した群れの他に、沢の随所でシカを目撃しました。
元々、栄村やその周辺の地域にはシカは基本的に生息していませんでした。しかし、シカは物凄い距離を移動するそうで、東信や中信から北信地域に移動してきたのでしょう。そして、いまや、この地域で生殖活動を活発に行い、どんどん増えているわけです。
このシカの群れの駆除を真剣に推し進めないと、この地域の森林が壊滅的な被害を受けることになります。
第2に、冬の山の中での猟の過酷さが身に染みて理解できました。体感できたと言いかえてもいいでしょう。
26日、昼間、里では随分と気温が上がりました。でも、山の中は強烈に寒いです。この日は明け方はかなり冷えましたが、その冷えによって雪が締まり(この地域では「しみる」と言い表します)、猟行動がしやすくなるのですが、寒さそのものが体力を奪います。
また、写真で示したとおり、雪崩の跡が見える急崖を登って獲物を手にしに行く。ほぼ0℃近いと思われる沢の水の中に入る。これも強烈です。
同時に、冬山だからこそ、こういう猟が出来るのだということもよくわかりました。まず、落葉樹がすべて葉を落としていて、一面真っ白ですから、イノシシやシカの姿がよく見えます。射止めた後、雪面を利用して獲物を移動させることができます。栄村の昔の作業として「春木山」というもの(晩秋に伐っておいた木を、積雪を利用して、早春、麓におろす作業)を話として聞いていますが、まさに雪がなければできない猟です。
第3に、地形と生態の熟知についてです。
「この山、沢筋にイノシシがいる。シカがいる」ということで、闇雲に猟に入っても、今回のような成果を上げることはできないようです。
雪上の歩行跡などを見て、イノシシがどこをどう動いているのかを一瞬で確認するのはもとよりですが、それだけではこのような猟はできません。猟の後にお聞きしたのですが、まず9月頃にこの一帯を見廻り、生態・動態の把握に努められているそうです。また、猟の前日に自前のドローンを飛ばし、イノシシやシカの生態・動態を見極めておられます。ドローンには赤外線カメラが搭載されていて、イノシシなどがいると真っ赤に映るそうです。
また、地元との人たちとの日常の交流がとても重要です。この日もスノーモービルに乗り移る場所に着いてすぐ、近所のおかあさんが、近くを指さしながら、「あそこに(イノシシが)来ていた」と話に来られるのを目撃しました。
第4に、スノーモービルの実用性です。
麓の集落から直線距離にして3?くらい山の中に入っています。かんじきやスノシューを履いていても、歩きではこれだけの距離を移動して猟をすることは大変でしょう。また、一体100キロを超えるような獲物を人力だけで麓まで運ぶことが大変です。ましてや1頭だけではないのですから。
スノーモービルは昨年12月、今年1月の関越道や北陸道での車立ち往生の際の救援物資のお届けなどで大活躍していますが、狩猟にも欠かせない移動手段であることがよくわかりました。
このレポートは27日午前に作成していますが、正直なところ、いまだ興奮が収まっていません。もっともっと考察を深める必要があると思いますが、まずは速報として以上を記した次第です。
]]>冬本番の白?の頭
分厚く雪を抱き、沢を落ちた雪崩の跡がとても迫力あります。白?(しろくら)の頭(かしら)は鳥甲山連山の一角。これを見るのが冬の最高の楽しみです。1月13日午前、小赤沢集落の手前から撮影しました。
◎「無症状」とは、どういうことか?
――新型コロナウイルス感染症をめぐって
新型コロナ感染症が首都圏などで爆発的に拡大し、“医療崩壊”がもはや杞憂(きゆう)ではなく、現実となってきています。長野県でもかなり深刻な状態になっています。
「今から勉強しても遅い」と思われるかもしれませんが、この間、いろんな本を手に入れて、懸命に読んでいます。そして、コロナ対策にとってとても重要と思われる1つのポイントを理解することができました。みなさんにも是非、お伝えしたいと思います。『新型コロナ 7つの謎 最新免疫学からわかった病原体の正体』という本から学びました。
講談社ブルーバックス、1000円+税
● 初期症状が出ない理由
ヒトは自然免疫の力を持っています。風邪をひくと、鼻が詰まる、鼻水が出る、喉が痛む、咳が出るという初期症状が出ます。これらの症状は自然免疫の力が風邪ウイルスと戦っている現れです。この自然免疫で大事な働きをしているのがインターフェロンというものです。インターフェロン自らがウイルスの増殖を抑えるとともに、周囲の細胞にもウイルスに対抗する力を発揮させます。
ところが、新型コロナウイルスは、このインターフェロンの産生を抑制する力をもっているというのです。ですから、私たちが「風邪かな? ひょっとするとコロナかな?」と気づくきっかけとなる初期症状が出ない場合があります。
したがって、新型コロナウイルスが体内に侵入していても、無症状である場合が出てくるわけです。しかし、このことは、新型コロナウイルスがヒトの自然免疫のシステムをスルーして、ヒトの体内への侵入に成功しているということです。したがって、何の自覚症状もないうちに、新型コロナウイルスが肺の中に入り込み、じわじわと肺炎を引き起こし、広げている可能性もあるわけです。
非常にざっくりと言えば、「無症状の人が突然、重篤化する」というのは、以上のことが関係しているわけです。
こういう分かりやすいイラストをたくさん掲載
● PCR検査で無症状ウイルス陽性者を発見することが感染拡大防止の鍵
日本では、PCR検査数が昨春期と比べれば増えていますが、諸外国と比べると圧倒的に少ないという状況が依然として続いています。
広島県の湯崎知事は、年末年始に広島市で感染が拡大した事態をうけて、広島市内4つの区の80万人を対象とするPCR検査を実施する方針を発表しました。これこそが新型コロナウイルス感染の拡大を防止する最良の策です。無症状の感染者を見つけることができ、「自分が感染している自覚がないままに行動して感染を広げる」ことを防げるからです。こういう検査を社会的検査と呼びますが、北九州市や世田谷区で実施して効果を発揮している先行例がすでにあります。いずれの場合も民間検査会社と契約して、大量の検体の検査をじつにスピーディーに実現しています。国がなぜ、これをやろうとしないのか、本当に不思議です。
栄村では現在時点では感染が広がる予兆はありませんが、こういうことへの理解を深め、いざという場合には村単独でも社会的検査としてのPCR検査を実施する社会的合意を形成していくことが必要だと考えます。
● ワクチン接種を受けるかどうか
政府は「2月下旬からワクチン接種を開始」との方針を打ち出しています。
年末年始頃から、「松尾さんはワクチン、どうする?」と聞かれることが増えています。正直に言いますと、当初は、「受けたくない。副反応が怖い」と考えました。しかし、感染爆発の現実を考え、最近、「接種が可能になったら、受ける」と決意しました。接種を受ける決意をしたからこそ、副反応等の情報の開示について厳しく求めていきたいと考えています。
また、ワクチンが「有効」という場合、それが「感染させない」ということなのか、それとも、「感染は防げないが、重症化を防ぐことができる」ということなのか、そういうことの情報も正確に開示される必要があると思います。
他方、〈ワクチン接種をどうしても受けられない〉という人が存在することへの理解を深める必要もあると思います。新型コロナウイルスのワクチンだけでなく、ワクチンというものは最もポピュラーな副反応としてアナフィラキシーという強いアレルギー反応を100万回に1回の割合で引き起こすそうです。現に新型コロナウイルスワクチンの接種が始まっているイギリスやアメリカでもそういう報告が出ています。だから、「アレルギー反応の経験がある人は接種を受けにくい」と言われています。「あの人はワクチン接種しないから」といって差別するようなことがあってはなりません。
紹介した本、著者ご自身が「この箇所、難しかったら飛ばしてよい」と言ってくれます。その意味でも取っかかりやすい本です。是非、手にしてみてください。
雪坪のスノーシェッドの出口にて。1月9日朝。
千曲川で休む鴨たち。
明石大橋を渡り、東大滝方面にむかうスノーシェッドにて。1月7日午前。
極野集落の観音堂。
集落の最も低い地点から見上げてみました。1月18日午前。
野口から天地にむかう途中で18日昼撮影。
村外から来られた方を案内すると、この附近で「あっ!綺麗!」と叫ばれる人が多い。
役場駐車場での排雪作業中のほんの一時だけの景色。除雪の雪山が削られ、まるでアルプ
スのマッターホルンを想起させるような形に思わずシャッターをきりました。
中条地区の道祖神でのミカンまき。6世帯の小人数→ゆえ、コロナ禍でも
こういうことができました。11日午前。
]]>
上の写真、じつは震災から間もない4月10日に青倉集落で撮影したものです。真ん中右、たばこをくわえているのは島田哲さんですね。
本紙「栄村復興への歩み」は震災の年の4月13日に第1号を出しました。その前の1ヶ月間は「栄村の状況」というレポートをブログで発行していました(「栄村の状況」からの通算では本号はじつは通巻434号となります)。
そのブログの記事で、この写真について、次のように書いています。
「午前中、青倉集落を廻りました。あちこちで、『むららしいなあ』と思う光景を見ました。
写真は「中村」と呼ばれる地区(青倉集落の第二常会)でのものです。どこが“むららしい”のか。写真中央で煙草をくわえている人が後ろに立っている家の主なのですが、その周りの人たちの顔ぶれを見ると、義兄弟、家の近所の人等々が一堂に会して復旧活動に精を出し、また、その合間にこうしてお茶のみをしているのです。
この人のつながり、助け合い、そしてお茶のみ。そこに、これからの復興の源となる力の存在を見ることができます。」
1月19日、私は久しぶりに『震災日記』という本を取り出し、全240頁をいっきに読みました。私自身の著書で、震災の年の12月に発刊してもらったもので、3月12日の震災当日から4月12日までのレポート「栄村の状況」がすべて収録されています。「へえー、この時期にこんなこと書いていたの?!」と自分自身で驚きました。
● 〈集落の復興〉に軸をおいたことが正解、成功だった
震災から10周年。3月12日が近づくにつれて、久しぶりにメディアもたくさん村にやって来るでしょう。栄村として「復興の総括」が求められます。
私自身も「復興の総括」を懸命に考えています。「目に見える形で復興成功を示すもの」と言えるようなものは、率直に言ってあまり無いように思え、悩みました。しかし、次第におぼろげながら、「栄村の震災復興の核心はこれだ」というものが見えてきているという感を強くしつつあります。
まず、「人口減少」がしきりに言われますが、人口はともかくとして栄村は震災前の元の姿を基本的に取り戻しました。東日本大震災の津波被災地、原発事故被災地では自身が暮らしていた地域に戻れないというケースがたくさんあります。津波被害の特性、原発事故の特異性によるところも大ですが、その後の日本各地で相次ぐ地震災害や水害の被災地でも元の姿を取り戻せないという地域がかなり多くあるようです。
*人口減少については、安易に震災と結びつけず、栄村の人口
構成との関係で自然減(ご高齢の方がお亡くなりになること
による人口減少)が大きいことをきちんとおさえておかなけ
ればならないと考えています。
栄村が基本的に元の姿を取り戻せたことは、「当たり前」のことではなく、村民自身をはじめとする多くの方々の力があってこそ実現できた大きな成果なのです。
そのように〈元の姿を取り戻した〉ことの核心にあるものが《集落の復興》を復旧・復興の軸に据えたことであると思います。最大の課題は住宅の再建と田んぼの復旧でした。田んぼについては次回以降に廻しますが、住宅再建では復興公営住宅を入居希望者がいる集落毎に建設したことがとても大きいです。詳しくは『震災日記』に記録されていますが、集落毎に復興公営住宅を建てるという発想は第1に、小滝集落の人たちの話し合いの中で出てきました。そして第2に、この集落の人たちの思いに県知事がいち早く理解を示してくれました。さらに第3に、震災直後から支援に入って下さった中越防災安全機構の人たちから中越の経験−山古志の事例を紹介していただいたことが話を具体化するうえで大きかった。
小滝の復興公営住宅
小滝復興住宅には昔ながらの“たね”もある
台風19号で堤防が決壊し、大きな被害を受けた穂保地区で「穂保に公営住宅を」という声がありながら、なかなか行政の芳しい回答が得られない現実があると聞いています。穂保の人たちは栄村の震災復興住宅の話を聞き、昨秋末、視察に来られたと報じられています。
栄村は、多くの被災地で実現が困難に直面している《集落の復興》のモデルを提供できる存在としての自覚をもって情報発信していく必要があると思います。
● 〈次なる10年〉にむけて歩み始めよう
〈震災からの10年〉に自信と確信をもったうえで、私たちはいま、〈次なる10年〉にむけて歩み始めなければなりません。
その核心は、山村たる栄村の価値を自覚・発信しながら、国全体の問題でもある財政困難・人口減少の中で、次世代に渡せる村、いいかえれば持続できる村をつくる中長期プランを練り上げていくことです。それはただキラキラと輝く話ばかりではないと思います。老朽化する公共施設を整理することもきちんと議論しながら、みんなの知恵を出し合って、誰もが不自由を感じないで暮らせる村を創り出していくことが一番肝要なのではないでしょうか。
震災直後の苦しい状況の中、避難所で膝をつき合わせながら話し合った経験をいまに活かし、率直な議論をしていきたいなあと思います。
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栄村復興への歩みNo.400
2021年1月21日発行 編集・発行人 松尾真 定期購読料:年間2,400円
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞
未来につながる村づくりに踏み出す一年に!
新年おめでとうございます。
「最強の寒波襲来」と言われる中で新年を迎えましたが、幸いなことに12月15〜20日の大停電のような事態にはならず、平穏に新年を迎えることができました。
昨春、宮川新村長が誕生しました。財政問題をはじめ難しい問題が多々ありますが、村長の姿勢と意気込みは伝わってきています。村の中の空気も明るくなってきています。
3月に震災から10年目を迎えます。昨年の今ごろは、「10年目をどう迎えることができるか」、不安がとても大きかったのですが、今はまっすぐ前を向いて、《未来につながる村づくり》に精を出そうという気持ちを抱くことができます。
私は「震災10周年まで『復興への歩み』を出し続ける」と言ってきました。もうひとふんばり頑張り、次の10年につながるようにしていきたいと思っているところです。
写真は、久しぶりに青空が見られた1月3日の夕、栄大橋上から南方向を撮影
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● 15日深夜から17日にかけての経過
「初雪が大雪」という12月の大雪、15〜17日と19〜20日の二波にわたってやってきましたが、村内で停電が最初に発生したのは15日深夜から16日未明にかけてでした。
15日23時48分に中部電力(以下、「中電」と略す)から役場に停電の連絡が入っています。
16日に日付が変わり、当初の停電は「千曲川以北の白鳥〜森地区の数百世帯」と判明。これは午前5時半までに解消しました。ところが、その前に(午前4時台)、野田沢・大久保・天地で停電(中電から役場に連絡)。これについては、7:07に「断線箇所は特定できたが、道路沿いではなく、復旧に相当の時間を要する見込み」と中電から役場に連絡が入りました。
正午近くに泉平で停電が発生します。これは区長から役場への連絡で判明。
他に、午後、森集落谷(たに)地籍、森宮野原駅裏側(五宝木住宅)でも倒木・断線。
月岡から野田沢に通じる電線・電話線
24日に貝廻坂途中地点から撮影。上記の
「道路沿いではなく」はここを指すと思われる。この箇所の別写真を3頁に掲載。
野田沢・大久保・天地の停電は16時6分にいったん復旧するも、間もなく再停電。また、泉平は19時10分に復旧するも、間もなく再停電。
広範囲で停電。 20時45分、役場が各地区と連絡をとって確認したところ、白鳥・平滝・横倉・泉平・箕作・月岡・小滝で停電していることを確認。
23時47分に白鳥・平滝で復旧。
月岡〜野田沢間の電線と周辺の樹木の様子(24日撮影)
17日に日付が変わり、中電の夜間復旧作業は1時20分でいったん打ち切り、午前5時再開となる。
9:58に横倉・箕作・月岡・小滝で復旧。
12:00、各地区からの連絡で、白鳥・平滝・横倉・泉平・箕作・月岡・小滝で再停電発生を確認。
13:41、中央地区以外では復旧。
14:45、中央地区も復旧。
16:58、森集落五宝木住宅で停電解消。
以上のような経過で、15日深夜に始まった停電は17日夕にようやく全面復旧しました。
● 最大時、13集落約559世帯で停電(19日14:20〜)
18日は久々に好天で、みなさん、屋根の雪下ろしなどに忙しく動かれました。
19日は未明から再び大雪(長野地方気象台が4:33に大雪警報発令。注意報に切り替わるのは20日9:22)。
午前3時半頃から広範囲での停電発生。秋山全域、白鳥、箕作・泉平・月岡・小滝・野田沢・大久保・天地、横倉、堀切(原向集落の地区)。
この停電は、7:30〜9:00の間に順次復旧(ただし、堀切のみ停電継続)。
14:20頃、最大規模の停電が発生。
東部:雪坪・志久見・柳在家・切欠・原向(当部新田・野口)
豊栄:平滝・白鳥
北信:横倉・青倉・中条・森(役場を含む)
西部:泉平・箕作・月岡・小滝・野田沢・大久保・天地)
17:45分時点で中見出しのとおり、13集落約559世帯が停電となりました。
上記地区には東北電力から送られてくる電気が使われている
この広範囲の停電の原因は、津南町域内の東北電力の送電線への倒木。
私たちは中部電力と契約を結んでいますが、その中電が東北電力から電気の供給を受けているのです。この地区の電気の周波数が65ヘルツであるのはそのためです。約4年前の2017年1月下旬、津南町大井平の送電塔が倒木で損壊し、栄村の多くの地域に送電できなくなり、ファミリーマート上郷店前に多くの電源車がやって来て、仮送電をしたことがあります。
役場は、非常用発電機で電力を確保しましたが、15:00に中電に対して電源車の配備を要請。
19日夜から20日未明にかけて電源車が次々に到着。道の駅、役場、平滝水工場、フランセーズ、栄小前県道、新明石橋付近、ミスズライフ白鳥工場の7箇所に配備され、20日1:06に役場が仮復旧したのを皮切りに順次復旧し、19時までに村内全域に通電しました。
20日朝の役場駐車場の様子。写真左上、電源車から村の電線に送電ケーブルが接続されているのが見えます。
村内各所で倒木・断線
泉平での通電は17:55、原向は19:00。役場が通電してから約17〜18時間後のことです。これは、村内各所で倒木による断線が生じていて、その復旧に時間を要したためです。私は20日午前、泉平、貝廻坂等を見て廻りましたが、その際に驚いたのが泉平に通じる村道で目にした状況でした。何本もの木が電線に倒れ掛かっていました。また、その前に箕作から泉平に通じる県道でも倒木・断線を目にしました。
県道沿いの倒木、20日8:44撮影。常慶院から上がって(冬期は閉鎖)、
泉平方向にむかって大きなカーブを曲がった地点です。
泉平集落にむかう村道沿い。ちょっと見えにくいですが、複数の倒木が
確認できます。8:50撮影。
これは上2枚目写真の近くでの撮影。杉の木が真っ二つに裂け、幹の半分が電線にのしかかっています。20日午前、そして21日以降に数回、村内各所を見廻ったところ、こういう木の幹が裂けたものが多数見られました。倒木の過半以上がそのような状況と言ってもよいと思います。
なお、21日、泉平、白鳥の一部、箕作の一部、東部地区の一部、中央地区の一部で停電が発生しましたが、これは電源車への過負荷、高圧線の断線が主原因でした。21日22:00に坪野地区への通電で今回の停電は最終的に解消しました。また、21日19時に電源車での対応から通常電源への切り替えが完了しました。
(ここまでの事実関係は役場がまとめた「経過記録」を参照して記しました)
● 役場の対応は迅速かつ的確だったと思います
大雪での大量の倒木、そしてそれによる停電の多発。誰も予測していなかった事態と言ってよいと思います。
それに対する役場の対応は評価できるものだったと私はみています。
中電との頻繁な連絡、停電地区の区長さんとの連絡は当然ですが、とくに注目すべきことが2つあります。
1つは、16日昼の段階で、一人暮らし高齢者宅への保健師の個別訪問(心配事相談、暖房器具の必要品の確認)、酸素吸入器使用者等への発電機の貸し出しの措置を速やかに行ったことです。(なお、この際、停電時でも告知放送を聞けるように電池も届けた)
2つは、頻繁な告知放送の実施です。後に述べる理由で「復旧の見通し」はお知らせすることができませんでしたが、役場職員の元気な声での放送は、情報が得られるばかりでなく、停電の中で一人っきりでいる人などにとって、〈他者とのつながり〉を感じとれるもので、力を与えてくれるものだったと思います。
◎ どういう対策が必要か
今冬はどうやら何度も大寒波が襲来するようで、12月15〜17日、19〜20日のような大停電が再び発生する可能性は大です。
ここまで記してきた「停電状況の全容」をふまえ、それを徹底分析すること、そして必要な対策と体制をとることが必要です。
● 村と中電の連携関係の見直し・強化
必要な対策・体制にはさまざまなものがありますが、第1は、村(役場)と中電の連携関係の抜本的な見直し・強化です。
全国各地どこでもそうなのですが、各家庭に電気を届ける送電網は中電など九つの電力会社の所有物です。村は送電網のあり方に関与していません。土地の提供の関係で電信柱の所在地については村はデータを持っていますが、電力がどういうルートで各家庭に送られているのか、詳細を知りません。
今回の停電に際して、中電から村(役場)へ、「〇〇地域で停電が発生している」、「〇時〇分、〇〇地域の復旧完了」という連絡(情報)は届きましたが、具体的な断線箇所の情報や「復旧まで〇時間程度の見通し」の情報などは届きません。私が1月5日現在で役場に確認したところでは、12月15〜17日、19〜20日の断線箇所等の情報は依然として提供されていません。
栄村だけの力で変えられるものではないかとも思いますが、私は、村(民)の安全確保の観点から、電力会社と村(市町村)のこういう関係は抜本的に変える必要があると思います。国や県にも問題提起していく必要があるでしょう。
●送電線(とくに幹線)沿いの樹木の予防的伐採が必要
第2は、今回の停電の主要な原因となった倒木による断線を回避するため、送電沿いの樹木を予防的に伐採することです。
私は12月20日以降もすでに3回ほど、西部地区・中央地区を重点に村内の送電線沿いの状況を見て廻っています。非常に深刻な状況です。次の大雪が来れば倒れるだろうと見られる木が多数箇所にあります。すでに倒れている(傾いている)木も12月20日までの復旧作業では通電に最小限必要な切断を行っただけで、完全には処理されていないケースもかなり存在します。
多くは杉の木です。5頁に写真で示しましたが、「木が途中で折れる」という形での倒木ではありません。真っ二つに裂け
ているケースがほとんどです。直接的には、杉の木は冬期、生木であっても非常に乾燥する性質を持っていること、昭和30〜40年代に植林された杉の木がこの10年くらいで伐期を迎えているにもかかわらず、立木価格の下落のため、ほとんど伐採されていず、背が高く、枝を多く付け、重い雪を大量に載せるようになっていること、こうしたことが背景にあると思います。
大久保〜野田沢間(12月29日撮影)
素人判断ではなく、専門家の意見を聴きながらですが、必要な伐採を行わなければ、倒木・断線・停電の危険が続きます。
もちろん、中電との協議、立木の所有者の了解を得ること等が前提となりますが、最大の問題はかなりの予算が必要になることです。財政状況が厳しい中、この予算を捻出するために村全体が一丸となって、この難問にチャレンジしなければならないと考えます。
国には最大限の支援を求めなければなりません。私自身、すでに国会議員への働きかけ等を始めていますが、村民一体となって声をあげていきましょう。
● 村の情報発信力の抜本的な強化
今回の大停電について、1月5日現在、村のHPにいっさい情報が掲載されていません。
複数の役場職員(幹部・中堅)の方自身が「情報を発信できていないのが残念」と言っています。私は、この情報発信の現状について、現在の役場関係者を責めるつもりはありません。栄村の現実として真正面から向き合う以外ありません。
なぜ、情報発信が重要か。「いま、この瞬間、栄村はどういう状況か」が、県や国、そしてマスメディアにストレートに、即座に伝わらないと、必要な支援が得られないからです。
非常時に、HPに最新情報を掲載し続けることは簡単ではありません。他の職員が直接に復旧や村民支援に関わる業務で忙しく動き回っている中で、一人だけ(あるいは二人だけ)デスクに座り、キーボードを打ち続けるのはかなり孤立感や疎外感を感じる作業になります。
そういう作業が可能になるのは、平時から情報発信業務を非常に重視し、大事にする環境が役場の中(さらに村民の中)にある場合です。これは10年前の震災の時からずっと課題になっていることです。いまこそ踏み込むべき時だと思います。
《後記》
「新年最初の号にはまったくふさわしくない」ものになってしまったかとは思いますが、12月の大停電が非常に重大な事態だと受けとめ、このような内容としました。
いろんな人と話していて、停電になった地域にお住まいの人と、停電にならなかった地域にお住まいの人とでは、意識がかなり異なるようです。まずは村民が共通の認識をもつことが大事だと思います。今回の編集にご理解いただければ幸いです。
今冬は、秋山の積雪が「下(しも)」よりも少ない。最高積雪は森が2.5m(11日)に対して秋山は1.8m(同日)。でも、やっぱり秋山の冬の様子は他では見られないもの。
国道405が大赤沢に入り、真正面に鳥甲連山が見える瞬間、小赤沢手前からの白?の頭の様子を撮りました。
動画は、上野原“とっちゃ”で雪の壁の上からの撮影。(facebookに投稿の予定)
走行の都合で小赤沢の数軒を廻った後に“とっちゃ”に向かったが、そのわずか20分ほどの間に山からの雲が出て、動画はちょっと残念な結果になったが・・・。
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昼までの大雪が嘘のよう。
午後1時頃、家の中にいたが、急に外が明るくなった。雪が止み、太陽が出始めた。
雪がまだ結構降っていた正午頃だったか、今日二度目の除雪車が来たので、車庫の前に残された雪を片付けた。そのため、雪が止んでもしばらくはウトウトしていて、外に出なかったが、大家さんが裏側の雪飛ばしに来て下さったので、外へ。
その裏側を次にご覧ください。
ロータリーで雪を飛ばされて出来たこの「通路」。何かの用事で往来するためのものではありません。1階の窓が雪で押されることがないようにする、2階まで埋もれるのを防ぐ、屋根からの雪が落ちるスペースを確保することが目的(とくに最後の点)。
この「通路」の入り口の右側、雪の高さは2mをはるかに超えています。
栄村の大雪、積雪は滅多にニュースに出ませんが、栄村の積雪は昨日9日の役場発表で220cm。今日で250を超えたのではないでしょうか。
ニュースで栄村の積雪量が出てこないのは何故か? みなさん、ご存じでしょうか。
アメダスの観測点が栄村にはないからです。それも気象庁が栄村を無視しているということではありません。もう20年以上前のことだと思いますが、アメダスの観測点の候補に栄村があがったそうです。しかし、村は今の言葉で言えば「風評被害」を怖れ、アメダス設置を断りました。替わりに、野沢温泉村に設置されました。
今となっては「残念」ですが、ひと昔、ふた昔前は、「雪が多い」が理由で結婚が破談になったという話も実在する地域です。当時の村の判断はそういう意味で理解できないものではありません。
写真をあと1枚。
左の屋根は落下式。15時すぎの段階で、もうほとんど雪は残っていません。昨夜から今日にかけては、ギシギシという音はあまりたてずに、どんどん落ちたという感じでした。
右は下の道路の通行安全のために屋根にアングルを設置して非落下式に変えたもの。裏側の雪飛ばしを終えた後の大家さんの言葉。「屋根は小正月の後」。中条は明日午前、小正月の行事・道祖神。わずか6世帯で、昨冬は「日が悪い」家がほとんどで中止。2年ぶりの開催です。
「日が悪い」とは近親者の不幸があって、神事に出られないことを言います。
上写真の右屋根の雪。1〜2日で少し沈むと思いますが、大家さんはこの雪を下ろすのに、どれくらいの時間を要すると、みなさん、思われますか?
屋根に上がるところから降りてくるまで、前回の雪下ろしでは20分ほどでした。その神業と言うべき作業の様子、この後、動画でfacebookに投稿します。ただし、「公開」ではなく「友達のみ閲覧」の投稿とします。
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今日10時26分の青倉集落。
レンズに雪が吹きつけ、手前がちょっとぼけていますが、様子はお分かりいただけるかと思います。
ここで動画も撮りました。Facebookに投稿しますので、ご覧ください。
https://www.facebook.com/mmatsuo.sakae
です。
朝6時すぎ、まだ暗い時に車庫のシャッターを開けた時は、「こんなものか」という程度でした。ポストの上の雪の量を見ればわかります。また、8時半すぎに車庫前の雪を片付けたが、20分も要しなかった。
ただ、その頃にはガンガン降り始めていて、その後、強くなるばかり。
森集落、青倉集落で40軒強、配達をしたが、11時前で撤収。
11時24分、長野地方気象台が大雪警報を発表。
今日は、雪が収まるまで、立て籠もるしかなさそう。
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8:40。車庫前の除雪を始める前の様子。右手前は車庫内の軽乗用車のフロント部分。
同時刻。奥に見える建物の屋根、車の積雪の様子から一晩の積雪量がわかる。昨夕までは雪をまったく載せていなかった車です。
車庫の屋根。昨夕までまったく雪はなかった。(10:07撮影)
9:40。ともかく車を出す通路は確保できた。作業時間ちょうど1時間。
今朝の作業はきつかった。
降積雪は気温が低いこともあって軽い雪。ところが、ふわふわの雪の下に除雪車が置いていった大きな塊が硬くて大きい。また、車庫前の雪のほとんどは道路の反対側に持っていくのだが、スノーダンプに雪がくっつかないように道路に雪を敷いてダンプの通り道を作るのに時間を要した。
10時すぎ、国道117号線。紅白のポールの左が国道車道。ポール右は歩道。さらに右は私の大屋さんの家への道。
同時刻、屋根の雪が落下した瞬間。
昼すぎ、小降りになってきた。年末年始に右腕・右肩の状態が悪化。6日、7日連続で治療に行き、昨夜はかなり良い方向にむかったが、今朝の除雪で腕が痛む状態。治療に向かうことにした。
「小降り」の判断は間違い。津南町の途中から再び激しい降りに。
津南町と十日町市の境界の清津大橋(相当に長い)は真っ白でかなりヤバい状況。さらに、旧中里村をぬけて、十日町市の芋沢地区に入る小さな峠とその先が最悪。ホワイトアウトに近い状態。
治療を終えての帰路は小降りで、道路状況のよくなっていて、かなりスイスイと進めた。ただ、家に着くと、二度目の道路除雪の置き物がかなりの量。向かいの駐車場に車を停めさせてもらって除雪作業。今回は30分程度。
十日町市内の様子を1枚。
15:27。駅通りです。信号停止中の撮影。
通常は消雪パイプで路面に雪がないが、消雪パイプのポンプが故障したとのことで、急遽、除雪車が入っている。国道117号も本町3丁目付近は消雪できず、往きはガタガタ道になっていた。
今年の十日町は雪が多い。十日町の人から、「津南町に次ぐくらい多いですか?」と尋ねられたが、同じくらいの感じ。場所によっては栄村よりも多いところがある感じ。年始の雪が栄村よりも多かった感じ。
いまも(18:30)も降り続いているが、昨夜のような雪にならないことを祈る。
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あけましておめでとうございます。
東京都の新規感染者数1337人とのニュースに衝撃を受ける中で、新しい年を迎えました。
そして、夜が明けて車庫のシャッターを開けて、今度は大雪にまたもや衝撃。
「30日夕から大雪」との予報でしたが、30日夕〜31日夜は栄村にとってはごく普通の降雪。新年を迎えて0時すぎに外の様子を確認した時も「少し降っている」という感じでした。早朝道路除雪の後の道路にかなり積もっていましたから、明け方からの大雪だと思われます。
車庫の中からの撮影。午前8時46分。右手前は車の先頭部分。
村では、元旦の午前、集落毎に公民館で新年会を開催するのが慣例。数日前に区長さんから「コロナ禍で悩んだが、時間を30分間に短縮し、祝い酒もやめて、開催する」との連絡をいただいていました。
車庫の前の雪を片付けて、車で公民館へ。車の乗り降りだけで全身雪だらけになるような状況でしたが、午前9時半から新年の挨拶を交わしてきました。
その後、ちょっとした用事で津南町と往復したのですが、路面も雪の壁も真っ白。道を知っているからなんとか走れるものの、今日は巣ごもりが正解となる一日のようです。
帰路、国道117号線の宮野原橋を渡って栄村に入ったところで、雪の様子を動画撮影しました。動画はfacebookに掲載しますので、「松尾真」で検索してご覧ください。
午前11時半頃、外が明るくなりました。雪は降り続いていますが、弱まってきたようです。もちろん、もう一度、二度と、強い降り・大雪になる可能性が大ですが。
新年を迎えて思うところは、「巣ごもり」の時間をいかして、改めて書いてみたいと思っています。
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今日20日、午後1時すぎの役場駐車場。東北電力の電源車などが大量に配置されています。
私が電源車の配置を最初に見たのは今朝8時に役場に行ったとき。その後も続々と応援車両が到着しました。
電源車は他にも、私が現認しただけでも、横倉、平滝に配備されています。
役場前で出会った東北電力関係者は「福島からです」と話しておられました。実際、電源車の1台は「いわき」ナンバー。
栄村では昨19日午後3時頃から役場がある森集落をはじめ多くの地区で停電。中部電力が東北電力から買っている電気が送られてくる送電線で事故が起こったため。また、村内の多くの場所で倒木による断線も起こりました。
*栄村は基本的に中部電力の管内ですが、栄村の中電管内に配電され
ている電力は東北電力のもので、津南町内の送電塔を介して送られ
てきています。
森集落の中心部では朝方に、この電源車のおかげで復旧。
同じ森集落でも、私が暮らす中条地区は午後1時すぎにようやく復旧。泉平は後で写真を示しますが、少なくとも5ヶ所で倒木。復旧作業が急がれていますが、午後3時の段階でまだ停電が続いています。
以下、大雪や倒木の様子を紹介します。
森宮野原駅構内。19日14時53分。
トマトの国に通じる村道で倒木。電線が切断され、トマトの国は停電。写真は知人提供(19日15時30分撮影)。
この間、何度も紹介している車庫の屋根。17日に雪下ろしがされ、きれいになりましたが、昨19日から今朝にかけての雪で、またこれだけ積雪。今日20日午前7時51分撮影。
昨19日のトマトの国への道路でも倒木現場。昨日のうちに倒木は処理されました。その根っこ部分がこの写真。折れたのではなく、根こそぎで倒れたようです。
今朝8時48分。県道の奥志賀高原栄線から泉平集落に通じる村道に入って間もない地点で倒木2ヶ所。この先でもさらに2ヶ所。
今日午前9時1分。停電が続く泉平集落で、屋根の雪下ろし。
今日は風が強く、頻繁に雪煙が舞います。上写真と同時刻、同場所。
昨日の十日町市内の様子を2枚。
19日午前10時15分。国道117号線沿いの商店街。
19日13時13分。クロステン付近。
十日町は、昨日も激しい降雪の中、治療に行ったものです。もっぱら国道117を走り、除雪状況は良好でした。
昨夜は、停電で真っ暗、暖房も使えない状態での夜というものを初めて体験しました。辛うじてガスは使えたので、お湯を沸かして湯たんぽで暖をとり、眠りました。
私は睡眠安定剤を処方されていて、朝5時頃に目が覚めましたが、寒さで布団を出る気持ちになれなかったですね。でも、除雪もしなければならないので、なんとか布団を出て、6時20分頃から車庫前の除雪を開始。作業でずいぶんと体が温まりました。「今夜も寒い夜かと思っていたら、電気復旧で助かりました。関係者のみなさんに感謝!!です。
また、役場は一人暮らし高齢者宅に保健師を派遣するなど、しっかりと対応してくれています。私は、役場で携帯の充電サービスも受けられました。
(了)
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以下、昨日昼、大家さんが車庫の屋根の雪を下ろして下さった様子、そして、今日の午前中、北信、西部、坪野、秋山などを見て廻った時の写真を貼り付けます。
7時9分。中条地区。
7時14分。国道117号、栄大橋。
7時20分。青倉集落。今日は「燃えるごみ」収集日。あるかあちゃんが自宅からダンプ持参で除雪して、ごみ出し。
7時25分。青倉公民館。
7時50分。百合居橋。
7時57分。月岡〜小滝間の日隠橋付近から。関田山脈、月岡の山が朝陽に照らされ、最高の雪景色。
8時3分。貝廻坂(野田沢に向かう途中)。
8時14分。大久保方面から野田沢に向かう時に通る道路で倒木に遭遇。
8時15分。野田沢の長者(ちょうじゃ)林。
8時30分。野田沢・宮川頼之さん宅前から野田沢の田んぼ。
8時44分。大久保の阿部家住宅。
9時1分。天地・斎藤克己さん宅。
9時11分。天地−野口間にて。法面の積雪に動物の足跡。
9時12分。天地〜野口間。青空が素晴らしい!
9時13分。振り返って、秋山方向を望む。
9時19分。天代坂。この急斜面ですから、雪が落ちてきています。ここは対向1車線ですが、冬は斜面に近い側の車線は基本的に走りません。
9時27分。坪野の冬の間は留守の家。大雪でもビクともしません。
9時47分。長瀬から津南町・加用に通じる道路の橋。
9時58分。津南町宮野原からさかえ倶楽部スキー場を望む。
10時34分。穴藤(けっとう)の中電発電所付近。写真の下部は中津川ですが、発電所の堰堤があって
流速がないので、川面は雪に覆われています。
10時53分。国道405、前倉の蜂蜜屋さんの手前で鹿に遭遇。深い雪の中を走っていきました。
10時55分。前倉を過ぎて間もなく、苗場山と中津川をセットで写せる定番スポット。
11時16分。布岩。国道405屋敷入口付近から。
11時25分。上ノ原とっちゃから。
とっちゃのソバ畑。雪の壁に上って撮影。
11時43分。和山にて。
11時45分。和山からの眺め。
12時23分。国道405、大赤沢〜前倉橋間の流水道路。
14時35分。帰ると、大家さんが家裏の雪を飛ばして下さっていました。昨日の同場所の様子は下写真。
大雪が収まって、半日、村のいろんな所を廻ると、冬の栄村の普通の姿。
初雪がいきなりの大雪で、一度にドーンときたので参りましたが。
もう一日、休みがあると助かるのですが、今日深夜から再び大雪の模様。今夜は覚悟して寝なければ。
日が暮れて6時30分すぎの様子です。
昨日の昼0時すぎの様子は次のもの。
ここに住んで8冬目ですが、1枚目の写真のような積もり方は初めてです。
18豪雪(平成18年のこと)以来の大雪だと思われます。
今日は午後2時台の外出を最後にして、家に立て籠もっています。
明朝の雪片付けはしんどいでしょうね。今朝、昨朝と比べて雪が非常に重かった。周りに人はいない状態での作業なのでマスクはしていませんが、スノーダンプで道路の反対側へ繰り返し運ぶのは息が上がります。
また、明日も頑張ろう。
今朝7時57分、森宮野原駅前での撮影。
ちょっと見えにくいですが、左奥にバスの後ろ姿。屋根に50cm以上はあるだろうという雪を載せています。津南町のスクールバスのようです。
戸狩野沢温泉〜十日町間が全面運休になっている飯山線の森宮野原駅構内。8時撮影。
大型ロータリー車が走り、線路部分は開けられていますが、その後の雪でレールは見えません。
森宮野原駅前駐車場に停められていた車。
朝、シャッターを開けた時の様子。早朝除雪車で道路は走行可能になっていましたが、車を出すのは大変。道路に出ようとすると、膝の上までの積雪。6時58分。
7時22分。ひとまず車を出す通路を確保できた。
非落下の屋根の雪はこんな感じ。
夜11時すぎ、深々と降り続けていました。気象情報によると0時〜3時の時間帯が大雪だったとか。今日の正午〜夕方も大雪の予報。やっかいです。
]]>夕刻16時40分頃の小滝公民館前の様子。
まさに冬の栄村の姿です。
今日15日から3〜4日はかなりの雪になると思っていたが、朝、新聞を取るために車庫のシャッターを開けてビックリ。早朝除雪の後にさらにジャンジャン降ったようで、集落内道路は車で走れないような状況。隣家が出勤のためにハンドロータリーで除雪され、車庫前の雪を片付ければ出られる状況に。その様子が次の写真。
7時39分撮影。
7時58分。なんとか車を出せるようになった。
この後すぐに、治療のため十日町へ。
津南〜十日町は栄村とほぼ同じ降雪・積雪。
往きは、普段使っている117号線ではない道を進んだが、除雪されているものの、通行量が少ないため、除雪後の積雪がかなりあって、かなり怖い思いをした。帰路は117号を走ったが、十日町市と津南町の境界にある清津川の橋が酷い状況。自分の車も振られて、振られて怖かった。前を走る中型のロータリー車の尻が激しく左右に振れる状況がよく見えた。こんな経験は初めて。
昼すぎ、村に戻った。その頃の様子を2枚。
12時29分。森・中条の国道117号線。
同時刻、我が車庫の屋根の様子。右側は落下式、左側は落下しない屋根。
午後2時すぎ、所用で飯山市へ。
国道117号の大関橋を過ぎると、路面に雪なし。次の写真は午後3時すぎの飯山市役所前。
撮影直前に降雪が激しくなり、歩道が白くなっているが、積雪はなく、「車で30分」で別世界に来たという感じだった。
今回はいっきに1m超えとなりますね。
]]>午前中は東部地区を中心に「議員活動報告」の配達に出ていましたが、その際に撮った写真などで様子をお伝えします。
外に停めていた車の様子。9時5分。降雪は朝方からです。
極野集落。10時33分。
坪野集落、天代川にて。11時14分。
天代坂(天代〜野口間)、11時27分。
スキー場、12時23分。
スキー場の駐車場からゲレンデに一歩入った時の足跡。
集落内道路に除雪車出動。13時28分。
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12月3日から9日まで、今年最後の村議会定例会(第4回)が開かれました。その主な内容を報告します。
◎ 1億6,800万円余の補正予算の内容
議案審議の主軸は一般会計補正予算(第6号)です。
1億6,851万9千円を追加し、R2年度予算の総額を34億6千万円余りとする案が提出されました。
■ 災害復旧の査定完了に伴う経費計上と新型コロナ対策関連費が主
〈東部水路頭首工災害復旧〉
補正額で最も大きいのは農地等災害復旧費で総額1億3,461万7千円です。今年7月の豪雨災害(九州・球磨川などで大災害が生じた豪雨と同じ時)の災害復旧で月岡、野々海、菅沢、大久保などの農地・農業施設などが対象に入っていますが、いちばん大きなのは東部水路の頭首工です。東部水路頭首工復旧工事の工事費は1億1,385万円。
東部水路頭首工は、じつは、昨年の台風19号で大きな被害を受け、今年、復旧工事が行われる予定で、すでに総額7,810万円の工事契約も締結されていました。しかし、まさに工事に本格的に着手しようとしていた7月に再被災し、復旧計画を一から組み立て直すことを余儀なくされました。頭首工よりも下流部の水路工の部分は今秋、当初予定通りに進められ、間もなく完了します。(なお、頭首工の工事契約費3,220万8千円は「契約変更」で減額され、その分、本年度予算は後に減額されることになっています。)
7月豪雨災害復旧工事の財源ですが、国等の災害復旧補助金が1億1,900万円余入りますので、村の一般財源からの補正支出は269万円に限られます。
〈新型コロナ対策臨時交付金関係〉
今回の補正でもう1つ、大きな額を占めているのは新型コロナ感染対策関係です。
集落支援交付金1,533万1千円、北野天満温泉の対策費316万8千円、スキー場レストラン等の換気対策工事が475万2千円。この3件の総額2,325万1千円は国から交付される新型コロナウイルス感染症対応臨時交付金が充当される予定で、村の一般財源からの追加支出はありません。
この臨時交付金は一括交付ではなく、事業毎に国に申請し、国の許可が出た後に交付されます。村の財政当局には国との折衝をしっかりお願いしたいと思います。
■ 「村財政の適正規模はおよそ27億円」ということは、どのように理解すればよいのか
村の今年度当初予算は29億円台でした。しかし、何度かの補正を経て、今回の補正後は総額34億6千万円余となります。
一方、宮川幹雄村長は就任以来、栄村の財政規模として、「一般会計で27億円程度が妥当」という見解を示しています。
そこで、12月定例会では「財政需要は27億円で収まるのか。補正をすると、あっという間に3億円、さらに3億円と膨らむ」として、「適正財政規模27億円」に疑問を呈する質問がありました。それに対して、宮川村長は、自主財源に乏しい栄村では、「交付税・村税で17億円程度」とし、「27億円は大変な金額」という見解を示しました。
どう考えたらよいのでしょうか。
私は「補正予算とは本来、どういう性格のものなのか」という点をしっかり理解することに一つの鍵があると思います。12月定例会で審議した一般会計補正(第6号)の主たるものは災害復旧と新型コロナ対策で、国等からの財政支出があるものです。補正予算は本来、こういう性格のものです。ところが、前村政を振り返ると、本来は年度当初予算で計上すべき新規政策、しかも国等の財政支援の無いものも補正予算に計上し、前年度からの繰越金をせっせと支出し、さらには財政調整基金を取り崩すなどしていました。こういうものは「補正」の枠からはみ出したものであり、財政基盤を掘り崩すものです。
いま、村は次年度予算編成期を迎えています。限られた財政の中で、必要不可欠な施策をどう予算化するかをギリギリと考えぬ抜き、災害や感染症等の突発事態がない限り、補正の必要がない年度予算を組み上げるために、課長クラスなど役場職員の奮闘を求めたいと思います。
◎ 旧振興公社の備品(精米機)問題で議会が検査
議会は、旧振興公社の備品問題で地方自治法98条に基づく検査の実施を12月3日(定例会初日)の本会議で決定し、産業社会常任委員会(以下、「産社委」と略)に検査の実施を付託しました。産社委は4日から8日にかけて検査を行い、9日(定例会最終日)の本会議に検査結果を報告しました。本会議では産社委からの報告について質疑を行った後、採決を行い、産社委の検査報告を全会一致で承認しました。
検査報告のポイントを以下、お伝えします。
■ 補助金交付規程に反していることが明白に
問題になっている事件は、旧振興公社が補助金で購入した精米機が役場職員によって持ち出され、別団体に渡っていたというものです。
この問題のポイントは、
1. 旧振興公社に精米機の存在を記した備品台帳がなかったと
されているが、それは事実か。
2. 「精米機(約130万円)の購入費を「消耗品費」として経理
処理したので財産(備品)として取扱われていなかった」と
されているが、それは事実か。
3. 当該職員は、平成29年10月、「当時の振興公社理事長から
「持って行ってくれ」と言われたので、持ち出した」と言って
いるが、それは事実か。当時の理事長が「自分はそんなことを
言っていない」とされているが(11月21日の全協での村の説
明)、職員の弁明と元理事長の発言のいずれが事実なのか。
の3点です。
議会の検査の結果は、私なりに整理すると、以下の3点です。
1. 補助金の交付規程では、取得財産(精米機はこれに相当)は
「取得財産等管理台帳」に記載して管理しなければならないと
されている。実際、公社は補助金事業を実施した平成24年度に
「取得財産等管理台帳」を作成し、補助金交付元に提出してい
る。よって、「備品台帳がなかった」という主張は事実に反する。
2. 交付規程では、補助金事業の経理は「他の経理とは区別できる
独自の経理としなければならない」と規定されている。平成24
年度当時、公社は補助金の独自経理で精米機購入費を「機械装
置等費」と記入した報告書を補助金交付元に提出している。他
方で、公社全体の経理では、このことを明確にせず、「消耗品
費」扱いで処理している(「独自の経理とする」との交付規程
に反する処理)。「消耗品費として経理処理したので、財産
(備品)として取扱われなかった」という主張は成り立たない。
3. 精米機等の財産は、交付規程では補助金事業の終了後も5〜7年
間、管理する責任が公社にあり、財産を処分する場合は、補助
金交付元の承認が必要である。平成29年、精米機が持ち出され
た当時は、この「5〜7年間」に該当する。精米機の持ち出しは
交付規程に違反している。
4. 平成29年、精米機が持ち出された当時、当時の公社理事長と当
該職員の間で、どういうやりとりがあったのかは、村にも記録書
類がないので、議会の検査では事実解明できない。
■ 検査の意義は明白
今回の問題で1つの大きな謎は、100万円以上もの機械が「消耗品」として扱われ、「備品(財産)台帳に記載なし」という、通常の感覚では理解し難いことが主張されていることでした。
議会が検査を行うことによって、上記のようにこの謎が完全に解明されました。補助金で購入された精米機は明白に「財産」であり、平成29年当時は公社に管理の責務があり、勝手な処分は許されていなかったことが判明しました。
議会の存在意義の柱は「行政に対する監視(チェック)」です。そのために、地方自治法98条=検査権は、必要な時に的確に行使すべきものなのです。
補助金の取り扱いに際して、職員は交付規程の順守等について慎重かつ厳格でなければなりません。交付規程に反すると、全額返済、さらには刑事罰という事態にまで発展しかねません。今回の検査の結果を行政側はしっかりと受け止めていただいたいと思います。
■ H29年度当時の公社理事長らは事実関係を明らかにされたい
今回の問題の当事者は役場の当該職員だけではありません。交付規程により財産を管理する責務があったのはH29年当時の振興公社理事長です。この理事長には事実関係を明らかにする責任があります。さもないと、事実関係の全貌は明らかになりません。
元公社理事長が自らの見解と責任を公に明らかにされることを望みます。
◎ 国に3つの意見書を提出
12月定例会では、国に対する意見書を3つ、全会一致で決議し、国に提出しました。
これは地方自治法第99条に基づく地方自治体議会の権利を行使するものです。
地方自治法第99条:普通地方公共団体の議会は、当該
普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国
又は関係行政庁に提出することができる。
意見書は、
「コロナ禍による需要の消滅と在庫増の影響から米
価下落を阻止する」
「安全・安心の医療・介護の実現と国民のいのちと
健康を守るため」
「災害からの復旧・復興及び国土強靭化等に向けた
社会資本整備の促進を求める」
の3件です。
■ コロナ禍による在庫米を備蓄米として買い入れ、生活支援に活かす
この意見書は、栄村農民組合から議会に提出された請願を採択し、その請願内容を基に作成したものです。
コロナ禍で外食産業や学校給食のコメ需要が22万トンも激減し、民間在庫が前年比12万トン増え、201万トンになっています。この状態を放置すると、米価の下落が止まりません。
よって、国が備蓄米として買い入れること、そして、その備蓄米をコロナ禍で生活困難になっている人たちへの生活支援に活用することを求めています。
■ コロナ禍での医療ひっ迫の中、地域の実状を無視した「病院の再編統合」はストップを
この意見書は、「地域医療と公立・公的病院を守る長野県連絡会」の栄村議会への陳情を採択し、それを基に作成したものです。
国は昨年、具体的な病院名を名指しで、「公立公的病院の再編統合」を促しました。栄村に直接に関係する病院としては、飯山日赤病院が挙げられています。国の病院再編統合計画は豪雪の山村地域の実状をまったく無視した暴論です。
いま、北海道旭川市や大阪府は医療ひっ迫で非常事態になっています。この事態は、「コロナが広がったから」ということだけから生じたものではありません。問題の根っこにあるのは、行政改革や財政再建の名の下に強行されてきた病院の再編統合、医療従事者の削減や待遇の劣化です。
国は医療や介護に関わる政策を抜本的に見直し、医療・介護分野に十分な財政資金を投じる必要、いや責務があります。また、感染症対策は、新型コロナのような新たな感染症が発生してから慌てるのではなく、平時から感染症研究や感染症対応医療体制の充実を図る必要があります。
■ 千曲川の「中抜け」解消を
「災害からの復旧・復興及び国土強靭化等に向けた社会資本整備の促進を求める」は先の2件のような請願・陳情によるものではなく、議員発議の意見書です。さらにその背景には県の建設事務所からの働きかけがあります。
全協での協議の結果、産社委員長の私が意見書の発議者となりました。
私は、意見書の原案には自身の考えとは食い違う箇所もありましたが、台風19号被害の復旧や千曲川緊急治水プロジェクトの早期実現、千曲川のいわゆる「中抜け」区間の解消を実現する観点から、この意見書の提出に協力しました。
〈非常に悩ましい問題〉
意見書には、「国土強靭化等のための予算を5か年以上別枠で確保する」ことを求める項目があります。実際、この間の治水対策の予算の多くは「国土強靭化計画」の枠組みで確保・支出されています。と同時に、災害対策や治水対策とは関係のないものまで「国土強靭化計画」に埋め込まれている事実があります。
政府は、11日、国土強靭化「5カ年加速化計画」を閣議決定しました。12月12日の信毎3面で報道されていますが、同計画には「害獣の捕獲強化」(環境省)や「鉱山の公害防止」(経産省)、はては「刑務所など矯正施設の警備システムの更新」(法務省)までが組み込まれています。「?」と思わずにはいられません。国交省所管の関係でも、観光用の高規格幹線道路の建設など、災害対策・「強靭化」とは関係ないと思われるものがあります。
災害対策・治水対策の実現に力を注ぐとともに、筋の通らない予算は認めないよう、注視していくことが必要だと思います。
◎ 「第8期介護保険事業計画」の策定に注目する必要があります
1〜2頁で書いた補正予算関係ですが、介護保険特別会計の補正予算(第2号)の質疑で注目すべき答弁がありました。
補正自体は減額費目と増額費目があり、プラスマイナスで総額101万3千円の増額、事務的微調整の範囲内です。しかし、答弁によれば、「居宅介護から施設介護へのシフトが見られる」とのことです。
そうなってくると、今後、介護保険事業に要する経費が増大する可能性があります。
いま、村の介護保険事業は「第7期計画」に基づいて実施されていますが、今年度末までに「第8期計画」を策定することになっています。その計画次第で介護保険料が改定(値上げ)される可能性が出てきます。
村は、同計画に関する「懇話会」での議論をふまえて計画を策定するとしていますが、「懇話会」等での議論というのはしばしば形骸化しがちです。来年3月の予算議会にいきなり介護保険料の値上げ案が提出されても困ります。
私は総括質疑で、「第8期計画の策定途中で議会全員協議会(全協)等の場で経過報告をするように」求めました。
村民のみなさん、とくに65歳以上の方は、介護保険料に大きな負担を感じておられると思います。「第8期介護保険事業計画」の策定作業を注視し、一人ひとりの思い・意見を村に届けていくことが必要です。「こういう意見を役場に伝えてほしい」ということがあれば、気軽に声をかけください。みなさんの声を役場に確実にお届けいます。
◎ 穂保の本復旧工事現場等を視察
12月定例会が閉会した翌日の10日、議会の視察研修として、昨年の台風19号で堤防決壊した長野市穂保の本復旧工事現場等に行ってきました。
例年、11月頃に一泊二日の議員視察研修が恒例となっていますが、今年はコロナ禍のため、宿泊等を伴うものは取り止め、日帰りで穂保等の視察、国土交通省千曲川河川事務所から千曲川治水対策の現状と見通しを直接に聴くことを計画しました。国交省担当者からの説明は分かりやすく、いろいろと勉強になりました。村の水害対策、治水対策に活かしていきたいと思っています。写真を2枚紹介します。
穂保の決壊箇所の本復旧工事現場で説明を聞く。写真左に見える法面工事箇所は川表側。
同じ場所の川裏側、つまり穂保の居住区側。すでに工事が完了。土の堤防のように見えますが、大型連接ブロックが敷き詰められ、その上に覆土が被されています。危機管理型ハード対策と呼ばれているものです。「越水しても粘り強い」、簡単には決壊しないようにすることが狙いです。
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穂保の決壊箇所にて、千曲川河川事務所の現場責任者から堤防本復旧工事の説明を受けているところ。
川表側(川に面している側)では現在も本復旧工事が続いている。
穂保の堤防の川裏側の様子。川裏側は本復旧工事がすでに完了。護岸の大型ブロックの上に覆土が被せられている。
これは飯山市蓮(はちす)地区。平素、見慣れた場所だが、ここが遊水地の予定箇所と明示され、大きな衝撃を受けました。
コロナ禍で時間が限られた視察研修でしたが、千曲川の治水対策を考えていくうえで非常に貴重な機会を得られました。後刻、詳しく報告させていただきます。
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左から越後駒ケ岳、中ノ岳、八海山。
魚野川の支流・波間川(あぶるまかわ)の四日町橋近くから撮影。
中ノ岳の左上の雲に黒い点が写っていますが、これは鳥です。
三山の位置関係が栄村から見る場合とは異なります。
この時期になると、栄村の一定のポイントからは中ノ岳や八海山が見えます。
11月に越後黒姫山を見に行った際に、八海山の大きな姿を見て、「越後三山を間近に見てみたい」という欲求が高まっていました。今日、十日町に治療に行く時、いくつかの地点で三山が見えましたが、十日町市と魚沼市の間に横たわる山地を越さないと、越後三山がクローズアップできる写真は撮れないと悟り、治療の後、国道252号線を走って、魚沼市に向かいました。魚沼市域に入っても、特別の案内板などはなく、車を走らせながら、三山が真正面に見える所を探しました。
四日町橋というのはちょっと古い感じの雰囲気の橋で素敵な感じ。撮影した川べりの道もいい感じでした。
帰宅後、ネットで調べると、新潟県魚沼地域振興局が「越後三山デジカメレポート」というものを発信していました。そのレポートの写真撮影地点・魚沼地域振興局の建物は、私が撮影した地点の近くのようです。
もう一枚、四日町橋の上からの眺めを紹介します。
最後に魚沼市内を走っていて感じたことをちょっと書いておきます。
魚沼市は平成の大合併で、堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村が合併して誕生した市ですが、今日、私が走ったのは堀之内と小出です。「これがメイン商店街だろうな」と思うところがそれぞれにありましたが、開いている店はまばらでした。いまの日本の地方の街を象徴するような姿だと思いました。こういう街を見て、「寂(さび)れているなあ」と感じ、「もっと賑やかな街にしなければ」と思う人もおられるだろうと思います。旅番組などで、こういう街の様子を見て、レポーターが「人の姿が(ほとんど)見えない」と言うことがよくありますが、大都会の街の様子を当たり前と思っている人からすれば、そういうふうに感じるのでしょう。
しかし、本当にそうなのでしょうか。BSプレミアムで「世界ふれあい街歩き」という番組があり、時々、見ます。それを見ていると、「素敵だなあ」とされる街はあまりゴタゴタとしていない、古い街並みであることの方が多いですね。
「地方創生」という言葉(政策)がありますが、あまり成功していないと思います。その土地、土地の自然環境や歴史、暮らしなどが生きる街こそが、これからの社会にとって大事なのではないでしょうか。コロナ禍はそのことを浮き彫りにしていると思います。
いずれも午前10時20分頃、野々海線から鳥甲山・三ツ山方向を撮ったもの。太陽に焦点を当てるのと当てないので、かなり印象が違う。
野々海、円筒分水器のところ。轍は先まであるが、前に走った車がつくった轍に昨日の雪が新たにのっている。これ以上進むと確実にスタックすると判断し、ここでターン。野々海の上はそろそろ根雪の始まりか。
帰路、ケンノキからの眺め。往路は妙高山の上に黒い雲があったが、帰路は雲が消え、素晴らしい眺め。
越後三山。午後2時少し前に東部パイロットから。
落葉が進んだ中に残る葉っぱ。風情がある。よく見ると、枝の先には冬芽がしっかり出ている。
今日は久々の好天。陽射しを浴びるとポカポカするが、意外と風がある。先週までのようによく晴れても気温が15℃以上に上がるようなことは、今日はなかった。本格的な冬を迎えつつある感じだ。
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秋山・鳥甲山の白沢付近で今日25日午前に撮ったもの。
すでに一度は真っ白になった鳥甲山だが、先週の高温でかなり雪が消えた。朝の陽光が直接に当たらない部分は白く、冬の姿。陽光がさす部分は雪が消え、落葉した樹々の姿が美しい。
もうしばらくして冬本番になれば、これらの樹々も雪に埋まり、山は真っ白な姿となる。
秋山林道、屋敷と白沢の間にて。
同じく秋山林道、布岩と屋敷の間。すべての葉が落ち切った、この茶色の世界。なかなかに趣きのあるものだと思う。
白沢。草が枯れ、木の葉が落ちて、林道脇の沢の流れと山の雪をワンセットで見られる時期になった。ほんの短い貴重な時間。
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午前10時50分頃、深坂峠の手前。
平滝から上がったが、15cm強あった前回の雪はすべて消えていて、標高1,000m付近のみで薄い積雪。
キャンプ場までは車が1台通った跡があったが、そこから先はまっさらな雪。走るのが気持ちよかった。
里は午前10時頃でポカポカしていたが、深坂峠は寒い!
車を降りようとすると、足元はツルツル。
深坂峠にて。
すっかり落葉した山。紅葉とは別の美しさを感じる。
キャンプ場横の湿地「東窓」
野々海池は満水。余水吐からはかなりの勢いで水が流れ落ちている。
落葉した樹々が池面に映る姿がすばらしい。
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写真イ
10月26日付のブログ「自分は今何処を走っているのか」で、写真?として示したものに、赤色の矢印(写真中央上)を入れたもの。
赤の矢印で示したところをクローズアップしたものが次の写真。
写真ロ
10月25日に撮影した後、この写真を見て、白いコンクリート状の構築物が何であり、何処なのか、私は分からなかった。この構築物の場所が分かれば、写真イの奥(上方)に見える尾根が関田山脈のどこなのかが判明する。
11月3日、今度は大巌寺高原から菖蒲高原に向かうという10月25日とは逆向けのコースで走ってみた。次の写真ハは、菖蒲高原から野々海峠に向かう途中、前方に「白いコンクリート状の構築物」を発見した時のもの。
写真ハ
写真ロとハを見較べると、確かに同じものだ。そして、「白いコンクリート状の構築物」の背後の山と樹木の様子も非常によく分かる。
これは、野々海峠と菖蒲高原を結ぶ林道西菖蒲線が走っているところで、谷に面した側の道路脇の壁面だ。
該当すると思われる箇所で、この白い壁面を覗き込もうとしたが、一歩間違えれば谷下に落ちるという場所で、あまり明確な確認はできなかった。しかし、壁面の白さが際立っているので、比較的新しいものだと推察される。すると、林道が野々海峠から菖蒲高原にむかって直線で下る部分の先、菖蒲高原や日本海の方向を眺望できる次の写真の場所だと思われる。
写真ニ
赤の矢印で指している部分が新しい。ここなのではないか。ちなみに、この地点から見た眺めの1枚が次のもの。
写真ホ
黄色の矢印で指しているところが、写真イを撮ったところだ。
これで、「自分は今何処を走っているのか」の解明がひとつ進んだ。と同時に、「(菖蒲高原の)大滝・小滝の上に見える山はどこ?」という質問にも答えられるようになった。
関田山脈の(栄村から見た場合の)裏側の様子がだんだんわかってきた。次は、同じく11月3日に撮影したものと、8日朝に再調査に行って撮った結果などを総合し、深坂峠から見えているところは何処か? 深坂峠と浦田地区を結ぶ旧道は何処か? などの解明を進めていきたい。
地図に「3」と書き込んだ地点では、林道が大きく曲がるところで、川の存在がはっきり確認できる。
写真ヌ
これは11月3日の撮影。
先に見た地点1から二又左の道を進んだ先に川があることをすでに確認した。また、地点2でも小さな川が流れている。この2つの川が中原集落より下流部で地点3の川(写真ヌ)と合流し、渋海川として長岡市まで下り、信濃川に合流する(下の地図参照)。その途中の景観も素晴らしいのだが、「瀬替え」という治水事業上の画期的な事業を行ったことで、日本の治水史上、よく知られている川である。
その渋海川の源流が地点3で見られる川であり、「「渋海川」は、長野・新潟の県境にある三方岳(標高1130m地点)を源流とし、新潟県十日町市(松之山町・松代町・川西町・小国町・越路町)の東頸城丘陵を北流し長岡市で信濃川に合流する」(ゴシック強調は引用者)と説明される。
国道405と渋海川が交差する台門橋のそばに立つ石碑(写真ル)を紹介しておく。
写真ル
出典:http://tyokyojin.sakura.ne.jp/181029.html
平成の大合併で松之山町、松代町、川西町は十日町市に、小国町、越路町は長岡市になった。
先日、越後黒姫山に行った際、川西町で渋海川と出会ったので、その写真も紹介しておく。
写真ヲ
国道252号線の橋。
写真ワ
橋から見る上流側の様子。
ところで、地点3の渋海川のすぐ手前(中原集落側)に、両側から木の枝が伸びてきているが、元々は車が入れるであろう程度の幅のある道がある。写真カである。この道の入り口に林道の道標が倒れていた。落ち葉を払ってみると、「林道城之越線」という文字があった(写真ヨ)。
この道は、地図上、黒の太線で示されているものであろう。そして、先の方で、破線で示される道に変わり、深坂峠にまで伸びている。これが深坂峠から松之山方面に下る旧道にちがいない。
写真カ
写真ヨ
川は、最も上流のところで、破線の道よりも東方向に遡っている。三方岳から沢が下ってくる地点である。そのあたりを捉えていると思われる写真(写真タ)を示しておきたい。
写真タ
この写真タは、10月20日の撮影だが、写真ホと同じく、深坂峠の石碑がある「小山(こやま)」状になっている場所からの撮影ではなく、大巌寺高原方向へ少し坂を下った地点からの撮影。撮影地点の真後ろには三方岳の断崖が迫るところ。
地点3で、渋海川のそばの小径をほんの少しだけ中に入ってみた。
写真レ
写真ソ
写真レの左奥に見える、山のいちばん高いところ、三方岳の頂上。また、写真ソの奥の真ん中にうっすらとだが、深坂峠が見えている。
4. 関田山脈の天水山〜三方岳〜深坂峠を一望できる地点
写真ツ
この写真ツも写真ホと同じく、10月22日に同じ地点から撮影したもの。3つの赤マークを入れた。「1」には道が見える。中原集落と菖蒲高原を結ぶ林道で、私がくりかえし走っている道だ。「2」は田麦立という集落。「3」は大地の芸術祭の作品である「オーストラリアハウス」という建築物。国道405号沿いである。
この写真ツの「1」の地点をさらに菖蒲高原方向に走ると、間もなく、田麦立集落に通じる道路との分岐点がある。その分岐点を越えて、林道をさらに進んで間もなく、道路脇の田んぼの畦に立つと(方角的に真南を見ることになる)、次の写真ネが撮れた。11月3日のことである。
写真ネ
下に同じ写真の縮小版を示し、その中に下向けの矢印(赤色)を入れた。三方岳の頂上1138.3mである。
赤丸を入れたところは、写真を拡大して見ると、白いコンクリート状の壁が確認できる。今年、施工された林道野々海天水越線沿いの法面吹付の箇所である。
天水山の頂上(1088m)は、三方岳頂上の少し左だが、撮影地点との位置関係から三方岳頂上よりも高いように見える。また、天水山付近の関田山脈の尾根と、天水山の手前の頂上912mの大巌寺山とが重なり、ちょっと判別しにくくなっていると言える。
この撮影地点からは、カメラの向け先を少し変えて、写真カの左手の続きのある大巌寺キャンプ場、また、写真の右手の続きに見える菖蒲高原方向に続く山並みなども捉えることができる。
ここまでで、深坂峠から見える場所について、実際にその場所を探索し、かなりいろんなことが分かるようになってきたと言える。
この作業をさらに進め、また、中原集落の人の話の聞き取り、野々海池築堤・水路建設時の栄村と関田山脈「裏側」の新潟県浦田地域の人たちとの交わりの歴史の振り返りなどを加えていくと、理解がさらに深まるだろう。そして、それは、野々海と一体となったトレッキングコース、自然環境を大事にしながらのドライブコースの開発など、観光企画の開発につながっていくだろうと思われる。
(了)
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明石大橋渡り初め(先頭列、右から阿部知事、富井野沢温泉村長、宮川村長)
中条川導流堤
中条川導流堤で栄小児童による記念植樹
11月9日午前、明石大橋開通と県道箕作飯山線全線供用開始の記念式典が催されました。また、午後はトマトの国横で中条川土石流対策?期工事完了の地元説明会と導流堤での記念植樹が行われました。
県道箕作飯山線全線供用開始は、60年来の地元の悲願の実現であるとともに、栄村の震災復興の3本柱の一つ、「災害に強い道路ネットワークの構築」を実現するための、最も長期にわたる復興事業の完成です。また、中条川の土石流対策工事は、「復興事業」というよりも「復旧」そのものであり、震災から間もなく10年という段階で、ようやく震災対策工事がひとまず完了したということです。開通式に出席した阿部県知事の発言にありましたが、「一つの節目」を迎えたわけです。「一つの節目」を迎え、「震災と復興とは何であったか」、私たちはきちんと総括を出さなければならないと思います。
●県と村の発表について
県の公式発表によれば、当該男性は、県外での接触による感染で、無症状です。
県が発表したのは9日午後。県から村への連絡は県の公式発表の少し前でした(11日の議会全協での村の回答)。村はすぐに対策本部会議を開催し、午後4時すぎには村内告知放送を行いました。事実関係を伝えるとともに、差別・偏見を行わないこと、基本的な感染防止対策を行うことを呼びかけました。村の対応は迅速で、的確であったと思います。
そのうえで、県の村への通知が報道発表の少し前というのはあまりに遅いのではないかと思います。4月の山ノ内町での初感染者発生の際も同様であったと聞いています。県も新型コロナ対応で大変だと思いますが、この点は改善を県に要望したいと思います。
● 「基本的な感染防止対策が重要」を改めて確認しましょう
感染が確認された男性は県外での感染であり、栄村でのいわゆる「市中感染」は生じていないと言えると思います。そこで、大事になってくるのが、《マスク着用、手洗いの励行、三密回避などの基本的な感染防止策をしっかりやれば、栄村での新型コロナの感染は防げる》ということを改めてしっかり確認することです。むやみに恐れる必要はないのです。
ただ、《マスク着用、手洗い励行、三密回避》を本当に貫くとはどういうことかを再確認する必要があります。10月下旬から11月上旬にかけて村内や飯山市、津南町で、〈数名で一緒に食事しながら、かなり大きな声でおしゃべりする〉姿が多く見られました。これが最も危険な行動の1つです。おそらく、ご本人はそんなに大きな声でしゃべっているという自覚はなく、「普段通りのしゃべり方」を思っておられると思います。しかし、周辺にいる人にも聞こえる会話というのは、相当に大きな声だと考える必要があります。
国の感染対策分科会の尾身会長が記者会見で実際の動作をやって見せたように、《基本はマスク着用、食べ物を口に運ぶ時だけマスクを外し、またマスクをし直してから会話する》ということを守ることが大事です。実際に励行するのはやっかいだと思いますが、それを行うのがコロナ対策だと受け止めなければならないと思います。
そういう具体的視点から、自身の日常の暮らしを見つめ直し、「マスク着用」「三密回避」をしっかり貫いていきましょう。
● スキー場の感染防止対策が重要になります
スキー場ではもうすでに2回、雪が降りました。あとひと月ちょっとでスキー場オープンです。
「スキー場オープン」は、「感染爆発」という事態にならないかぎり、村として必要なことです。そして、多くのお客さまにご来村・ご入場いただかないと、村としては困ります。
そのためにも、スキー場における感染防止対策を万全のものとすることが求められます。感染防止対策の万全化には通常のオープン時に比して、より多くのコスト(費用)とマンパワーが必要となります。必要な追加予算を投じてでも、村が万全の対策を講じることが求められます。村の対策を後押しし、村民みんなでスキー場を応援したいと思います。
4日の初雪、スキー場頂上から
これは13日朝6時すぎ、トマトの国前広場で撮影したものです。
奥には鳥甲山が見え、空が明るくなってきています。朝陽が昇り始めているのです。手前にテントが2つあります。村の若者3人が12日夕からキャンプをしていました(この写真には写っていませんが、右のテントの向こう側にもう1基、テントが張られています)。
「えっ! こんな寒い時期にキャンプ?」と思われる人が多いのではないかと思いますが、テントの中には折りたたみ式のベッドとシュラフ、さらに暖房器具もあり、地面に直接触れなければ、結構暖かく過ごせるようです。
下1枚目はチップを燃料に用いるストーブの煙突がテントから出されている様子。そして2枚目はそのストーブを外に出して夕食の鍋を作っている様子です。
いま、全国各地で「冬キャンプ」が盛んになっているようです。ちょうど13日夕、TVニュース番組で特集をしていました。トマトの国前広場でのキャンプは、この時期がもうギリギリで、さすがに冬本番は無理のようです。
しかし、「雪が本格的に積もったら、かまくらを作って、そこで泊まってみよう」という話も出ていました。コロナ感染対策の意味でも野外アクティビティが盛んになっているいま、今回の若者たちの取り組みは村の豊かな自然環境を活かす絶好の試みです。
上の写真、どういう状況なのか、お分かりになるでしょうか? 11月3日の昼すぎ、大巌寺高原キャンプ場の池で撮ったものです。「スタンドアップ パドルボード(SUP(サップ))」の上で人が横になっているのです!SUPとは、「専用のサーフボードの上に立ち、パドルで漕ぎながら水上を自由に移動する」ものです。普通はパドルで漕いで動くのですが、上手な人はこのように寝転がったり、さらには逆立ちしたりできるそうです。すぐ近くでは、カヤックを楽しむ二人連れの姿も見られました。
素敵ですね。
自然が豊かというだけでは、人を呼ぶには足りません。やはり、アクティビティ、野外でのさまざまな活動の機会の提供が必要です。上記の「冬のかまくらに泊まる」というのも、その一つです。また、スノーモービルも自然と雪を活かすウインター・アクティビティ。さらに、11月15日から狩猟期間が始まりましたが、狩猟体験ツアーの企画などもいいなあと思います。
豊かな自然を活かすアクティビティの創造へ、アイディアとズクを出し合いましょう。
上ノ原林道沿いの旧展望台付近から和山・切明方面を望む。私が最も好きな紅葉スポットです。10月27日撮影。
10月31日撮影。冠雪した苗場山と紅葉の小赤沢集落です。
11月12日。前号4頁上の写真とほぼ同じ位置からの撮影です。
9日夜〜10日朝に2回目の雪が降った野々海池の15日朝の様子です。予想していた以上の積雪で、野々海三叉路から野々海池までは歩いて行きました。
]]>県道78号線という山道を上りましたが、初めての山道でかなりおっかなかったです。
でも、素敵な景色が待っていてくれました。上の写真です。これは山の全容ではありませんが…。そして、ここで振り返ると、こんな景色が真ん前に迫ってきました。
八海山です。森の開田などから遠くに見ることができますが、やはり近くで見ると、凄い迫力があります。
今季はもう機会がないと思いますが、もう一度、越後黒姫山を訪ね、今度は登ってみたいと思っています。
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栄村復興への歩みNo.397
2020年11月16日発行 編集・発行人 松尾真 定期購読料:年間2,400円
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞
栄村議会は、11月11日の議会全員協議会で、いわゆる「精米機事件」について、議会として地方自治法98条に基づく検査を行うことを確認しました。
正式の手続きとしては、12月3日開会(予定)の12月定例会の本会議において正式に検査権の行使を議決し、検査に乗り出すことになります。
■ 11日全協での村の追加報告
11月11日はまず、村長提出の全協から始まりました。
村長提出では、「新型コロナウイルス感染症対応について」などの報告と協議が行われた後、「旧栄村振興公社の備品について」の報告と協議がありました。
今回の説明でとくに新たに明らかになったことは、第1に、「公益財団法人栄村振興の平成24年度の会計処理について」で、
・ 伝票処理では、H24.11月に6台の機械の購入費が
支出されているが、消耗品費で、会計処理されていた。
・ 平成24年度の決算書類では、収入には全国中小企業
団体中央会の補助金が計上されているが、支出におい
ては、総勘定元帳に地域活動という名称で、消耗品費
の科目に計上されたため、減価償却資産に計上されな
かった。
ということです。
第2に、購入された機械類について、
・ トマト苑に設置された米用精米機とそば粉用の包装機
については、トマト苑の備品リストは作成されていな
かった
・ 雑穀用の脱穀機、乾燥機、精米機は、ひえの栽培と生
産を小赤沢活性化倶楽部に委託するため、H24年の購入
当初から小赤沢活性化倶楽部に設置されていたとのこと
だが、委託関係の書類は作成されていなかった。
との報告です。
この報告に対しては、2つのことを指摘せねばなりません。
第1に、総額500万円の機械(備品)を購入していながら、それを消耗品費として会計処理し、財産としての管理をしていないことです。
本件の場合、補助金での購入であるため、購入年度に一括払いしなければならないこと(=減価償却資産扱いしない)は理解できますが、そのことと、1件100万円以上もする機会類を消耗品扱いして財産として扱わないこととは別問題です。当然、固定資産(機械)として取扱うことが必要です。
第2に、公益財団法人(H24年度当時)振興公社が小赤沢活性化倶楽部との間で生産の委託をし、それに伴って機械類を預けていながら、契約に関わる書類が一切存在しないというデタラメさです。しかも、公社の実務上の責任者と倶楽部の実務上の責任者が同一人物であると見られます。こんなことが許されるならば、「何でもあり」ということになってしまいます。しかも、その人物がH29年10月のトマト苑からの精米機持ち出しの当事者のようですから、最悪です。
また、質疑では、H29年10月の精米機持ち出しについて、旧(一財)振興公社幹部は、村の調査に対して、「『持って行っていい』とは言っていない」と答えていることがあきらかになりました。村は、持ち出した職員と旧公社幹部の「双方の言い分が食い違っている」としていますが、「食い違っている」で済む問題ではありません。
■ 事案の重大性と議会の解明責任
議会は11日、村長提出の全協の終了後、あらかじめ予定されていた議会全員協議会(議長提出)を開催しました。
この全協で、私は
「本件はきわめて重大。村による調査だけに任せておく
のではなく、議会自らが地方自治法第98条に基づく検
査を行うべきだ」
と提起しました。
一人の議員は、「検査権についてよく勉強していないので、今日は結論出せない」、「検査の対象がどんどん広がっては困る」旨を発言されましたが、多くの議員から検査を実施することに賛成の意見が出され、12月定例会において検査権の行使を正式議決すること、12月定例会前に検査対象等について詰める協議・作業を産業社会常任委員会に委ねることが合意されました。
■ 地方自治法98条とは
地方自治法98条は、
「議会は、当該普通地方公共団体(本件の場合、「村」を指す)
の事務に関する書類及び計算書を検閲し、当該普通地方公共団
体の長…の報告を請求して、当該事務の管理、議決の執行及び
出納を検査することができる」
と規定しています。
98条に基づいて議会が行えるのは、書類及び計算書の検閲と報告の請求です。
対象はあくまでも「村の事務」ですから、本件の場合、旧振興公社関係者等に直接に報告を求めることはできません。村が本件に関して調査し、その中で保有している書類等を検閲(見る)ということです。また、調査の中で村が作成した書類も当然、「検閲」の対象となります。
こうした検査権は議会に認められていることであり、議員個々人に認められているわけではありません。そのため、議会としての検査権行使の意思を議会本会議で正式に決定することが必要になります。12月議会までまだ少し日数がありますので、「まどろっこしいな。早くやれ」と思われる方もおられるかもしれませんが、法に基づいた手続きをきちんととる必要があることをご理解いただきたいと思います。
■ 解明が求められること
議会による検査に求められることは何でしょうか。
いちばん重要だと思われることは、事の真相の書類による明確な確認ということだと思います。
私たちが、10月23日、11月11日の2回の全協で村から受けている説明は、あくまでも村が整理した「状況報告」にすぎません。たとえば、H24年度に旧振興公社が全国中小企業団体中央会から約500万円の補助金を受け、6種の機械類を購入したこと等々を証明する書類というものを議会はまだ見ていません。また、村の本件調査に対する関係者の応答内容についても、あくまでも役場の課長等による説明に過ぎず、応答内容の文書記録は見ていません。
議会は、正式の書類を直接に確認すること、解明が必要なことについて村に文書報告を求めること、それによって初めて、議会として本件について、どのように考えるべきか(判断すべきか)を議論することが可能となります。
■ 村民の負託に応える議会でありたいと思います
自治体はいわゆる二元代表制をとっています。首長と議会(議員)のいずれもが住民の直接選挙で選ばれます。
本件の場合、宮川村長は事態を重大に受け止め、厳正に対処する意思を表明しています。
だからと言って、議会は事案の処理を村長だけに委ねていればよいということにはなりません。それどころか、多くの村民は、日常の暮らしにおいて、自分たちのより身近に存在する議員に対して、疑問等を率直にぶつけ、たとえば「出すべき膿はこの際、全部出しきれ」等の意見を伝えてこられています。ある議員は11日の全協で言っておられましたが、「お前も事案に一枚噛んでいるんじゃないだろうな」と言われることもあります。
議会は、村民から負託された真相解明の責務を自ら果す責任を負っています。また、議会がこういう責任に応えることが、村(長)を支えることにもなると思います。
私は産業社会常任委員会委員長の職にあります。すでに、本件に関する常任委員会の開催を決定しました。12月3日からの定例会に間に合うように必要な準備を進め、議会の責務を果たせるように努めていく所存です。
(了)
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9日夜〜10日に2回目の雪が降った野々海に、15日朝、行ってきました。
三叉路から池堤入口への林道はもはや車は入れず、徒歩で。
キャンプ場方面。標高がいちばん高くなるところで、複数の車が引き返した跡。雪が硬くて、ターンのための切り返しもできず、バックで三叉路まで戻りました。
三叉路の古池。
古池はうっすら凍っていて、その上に雪が載っている箇所も。
上る途中、ケンノキからの眺め。
ケンノキより少し上の地点からの鳥甲山〜苗場山方向の眺め。朝陽が眩しい。
上る途中、下ってくる首都圏ナンバー車とすれちがい。また、地元ナンバーでキノコ採りに上がってきている人の姿もチラホラ。
以上、11月15日の野々海の様子でした。
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私は、昨年の後半から、関田山脈の(栄村から見て)裏側、日本海側を頻繁に走るようになっているが、「今、自分が何処にいるのか」、とりわけ、「深坂峠から見える眺めの何処にいるのか」がとても大きな関心事になってきている。撮った写真と、五万分の一地図の「松之山」を見て、少しずつ判明してくることがある。そんな中、11月8日朝、昼前に入っている予定行事まで3時間程度の時間しかなかったが、無印キャンプ場〜大巌寺高原経由で、松之山・中原集落から菖蒲高原に通じる林道の途中まで、地図で読める特徴的な場所を探索してまわった。その一部を記録したい。
まず、地図から始める。地図に1〜4の数字を書き込んだ。
1. 道が二又に分かれる地点
1の地点には、2本線で示される道路(林道)から、太い黒線で示される道が分岐していることが示されている。これは、11月3日に撮影していながら、写真を見た当初、何処なのか、分からなかった箇所のようだ。次の写真イがそれである。
写真イ
8日朝、現場で地図の1の地点と写真イの一致が確認できた。
そこで、写真イに見える二又の左の道を進んだ。かなり先の方まで舗装されている農道で、「車で進めるのはここまでかな」と思うところまで進んだ。その地点からほんのちょっと歩いて、次の写真ロとハを撮影。
写真ロ
写真ハ
写真ロが車を降りたところ、そして、写真ロの右に見える水路沿いに少し進んで写真ハを撮影した。これは地図の黒い太線の道の先に川が流れていることと一致する。そのうえで、太線の道と川が交わる地点なのか、それとも、黒い太線の道の終点の少し先の地点なのか、そこは今回の検分ではまだ明確にならない。初めての場所であり、何かあった時に他人にすぐには連絡がつかない場所なので、行動を最小限にとどめた。今後、地元の人に話を聞いたり、再度の現場検分をしたり、で詰めていきたい(現場行きは雪との関係で今季は無理かもしれないが)。
撮影した地点の川の先に見えていた山の様子は次の写真ニ。
写真ニ
この山の様子は見覚えがあるものだが、場所の確定のために、林道野々海天水越線をもう一度歩く必要がある。
この「道が二又に分かれる地点」が深坂峠(付近)から、どのように見えているのかを確認しておきたい。
写真ホ
この写真は10月22日撮影のもの。赤のマーカーで印を入れたところが、中原集落の居住区を過ぎて走った部分。「く」の字状に曲がっている。次回に確かめなければならないが、この「く」の字状に曲がるあたりが「二又に分かれる地点」かもしれない。
この写真は、深坂峠の石碑がある「小山(こやま)」状になっている場所からの撮影ではなく、大巌寺高原方向へ少し坂を下った地点からの撮影。
また、赤色の下向けの矢印を入れたが、これは中原の人がやっている牛舎。ただし、今年一杯で廃業予定と聞いている。
2.小さな池
地図2の地点に、湖沼の存在が確認できる。
現地に行く前は探すのは困難かと思っていたが、地点2のところに写真ヘに見える小径があり、歩いて入ってみることにした。
写真へ
すると、あった! 地図の表記にぴったりの池が。写真ト。
写真ト
なお、地点2には地図上、川の存在が確認される。この川は林道を走っていて、さっと目視・確認することはできない。窓を開けて走っていると、水の音が聞こえ、川の存在に気づくことができる。次の写真チである。
写真チ
眺めのきれいな池です。
写真リ
こういう景色を見られると、探索が楽しくなってくる。
池の奥に見える山が関田山脈のどのあたりなのかは、この後に見る他地点から撮影の写真と総合して、解明していくことにする。
(つづく)
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冬型気圧配置でのぐずついた天候が続いていたが、今日は久々の快晴。秋山で午前中に撮った写真を時間順に紹介します。
1枚目は日出山線から鳥甲線に出る手前の「ブナのトンネル」。10:10。
鳥甲線の1つ目のスノーシェッドの手前の眺望点から鳥甲山。10:18。
同じ地点の道路上から。10:20。
布岩。10:25。
同地点で苗場山方向を望む。10:26。
布岩近くの秋山林道。10:31。
不動滝。10:38。
白沢。10:43。
白沢での路面凍結。10:44。
“とっちゃ”から。11:11。
和山・仁成館の前から。11:32。
仁成館の露天風呂からの眺め(現在、営業はされていません)。11:34。
和山集落の南端から。11:46。
雪上の落ち葉など2点。12:49、布岩近くにて。
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今日の午前中、まだ車が通った形跡がない鳥甲牧場への道を上がった後、振り返って撮影したもの。10:45。轍の深さから見ると、3〜5cmの積雪か。
8時25分、朝霧が晴れ始めると、スキー場の積雪が前回4日の時よりも低いところまであることが分かり、驚き。
10時すぎ、日出山線で秋山方面に向かい始めた。
百百木付近からの2枚。振り返って見えた関田山脈方向は青空が出て、とても綺麗。
日出山線をまっすぐ進めば(写真左方向)前倉・秋山へ。右は鳥甲牧場へ。
鳥甲牧場。
(facebookで動画を公開)
芽吹きの時期と紅葉の時期を紹介したことがある妙法育成牧場近くのブナの道。
同じ場所でのものをさらに2枚。
村では、「山に三度降ると、次は里に降る」と言われます。
今週末は再び気温が上がるという予報ですが、11月下旬には里でも初雪になるんじゃないかと思います。
今日9日、午前10時から、県道箕作飯山線全線供用開始・明石大橋開通式が行われました。
同線の全面供用は地元の60年来の悲願、そして、2012年度から始まった箕作〜飯山間の大橋2つを含む工事は栄村震災の復興事業の1つの柱です。
今日の式典には阿部県知事が出席し、挨拶されました。
午後は、中条川の土石流対策の1期工事(震災の年から始まった復旧・復興事業)の最後の工事、トマトの国横の導流堤の完成に伴う地元説明会と記念植樹。
栄小学校の全児童が記念植樹をしてくれました。
間もなく、震災から満10年。一つの節目が来ているなあと実感する一日でした。
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これは深坂峠から6日朝に撮ったものだが、写真左に見えているのは越後黒姫山。以前に一度、やはり深坂峠から見える姿を紹介したことがあるが、その時、「一度、近くまで見に行きたい」と書いた。
6日午後、その機会が訪れた。
野々海での撮影、そして配達を午前中行って、治療のため十日町市に行ったが、午後の開院までに少し時間があった。勢いで、「行ってみよう!」となり、十日町市川西の上野交差点から国道252号線に入り、柏崎市高柳町へ。
高柳町塩沢というところで、その姿をとらえました。次の写真です。
奥に見える山の姿は、深坂峠から望めるものと同じです。
しかし、ここからが大変。「もっと近づきたい」と思い、途中一度、地図を見ながら、県道12号線を経て、県道78号線大潟高柳線という道路に入った。「黒姫キャンプ場〇?先」という表示があり、山を上る。後から冷静になって振り返れば、私が平素走っている山道と比べれば、道幅も広かったのだが、人っ子一人いない道で、「この先、走って行って大丈夫か?」という不安に何度も襲われた。
その途中で見えた景色が凄かった。初めての眺めで、焦点の合わせ方がよくなく、肉眼で見たものを再現できていないが、越後三山などが一望できた。次の写真。
そして、黒姫山の直下に。
この写真を撮った場所で振り返ると、こんな眺めが。
素晴らしいところです。
撮影に具合のいい時間帯を選んで、もう一度、行ってみたい。
ただ、冬期通行止め区間。
他のスケジュールとの関係、天候の関係等で、今季中に行けるかどうか。
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平滝からの村道野々海線、標高450〜600mの様子。赤と濃い黄色がバランスよく入り混じった紅葉風景が続く。昨6日午前8時すぎ。
標高750mほどの地点で、西方向を遠望すると、こんな眺めが…
沢に雪を抱いて見える大きな山は妙高山、左は黒姫山か。間に真っ白で見えるのは戸隠連峰か、それとも北アルプスの一角か。この季節のみに見られるものだ。8:16。
8:21。標高800mあたりのカーブ地点からの眺め。手前の平滝と白鳥の間の尾根は紅葉の盛り。遠くに黒姫山。
そして、約850mのケンノキからは、火打山もはっきり望める。写真右手の真っ白な山。8:27。
それでも、野々海線そのものの周囲は紅葉が続く。
ただ、道路端に4日の雪の名残りが少し見え始めた。
このような道端の残り雪を見ながら、いっきに標高約1000mの野々海三叉路に到着。8:41。
野々海では、まず深坂峠へ。三叉路からキャンプ場までの道路は凍りついた雪。
深坂峠に着いて最初に目に入ったのが、これ。降雪から2日を経て、この積雪量。驚いた。8:49。
続いて、深坂峠での数枚を。
奥に八海山などの越後三山が望める。
左手に越後黒姫山。こちらは白くなっていない。じつは、この日の午後、ここを訪れることになるのだが…。
深坂峠から林道野々海温井線に移動。道路脇の林を下って、池畔へ。対岸の堤は真っ白。林の紅葉はすべて落下し、樹間が広くなっている。
最後に野々海池の堤へ。
野々海の4日の積雪はおそらく10cm前後あったものと思われる。
里から山へ、垂直移動で秋と冬を同じ日に楽しむ。今の時期だけに許される楽しみだ。
朝8時半すぎ、大巌寺高原キャンプ場から関田山脈を望む。
昨日の降雪でここまで白くなっているとは想像していなかった。
森集落の隣、羽倉・寺石集落(津南町)から無印キャンプ場を経て山道を通って行ったが、途中から道路にもまだ雪が残っていた。
起床時間との関係ではもっと早く行けたのだが、車の燃料に不安があり、スタンドが開くのを待ってからの出発となった。
森集落から朝陽に照らされる真っ白な三ツ山が望めた。6:55。
大巌寺高原に向かう途中、山伏山。8:06。
いま、スキー場、そして関田山脈全体が紅葉に染まっている。役場の対岸の崖の上、滝見線から。13:12。
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スキー場頂上から。7:32。
初雪、紅葉、谷から沸き起こる雲海。7:44、スキー場中腹から。
雪を載せる紅葉。7:27。
里から見えるスキー場上方の積雪。7:03。
積雪を最初に確認できた地点。7:17。
毛無山、真っ白の野沢のゲレンデ。7:33。
天気予報で「長野県北部の山は雪」の予報をしっかり頭に入れて、昨夜は就寝。
4時過ぎに目覚めたが、まだ外は真っ暗。6時前に起床し、スキー場の上の冠雪を確認。朝食の後、山に向かった。
*FBで動画をアップしています。
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〜流域治水には住民参加が不可欠〜
写真説明 1枚目:信濃毎日新聞10月29日3面、2枚目:佐久市の千曲川支流・田子川の台風19号被災現場(10月28日撮影)、3枚目:津南町巻下集落(写真左に見える)付近の信濃川災害復旧工事現場(10月4日撮影)
10月7日、箕作公民館で箕作・月岡築堤事業の説明会が開催されました。今回の説明会は主に工事に伴う移転対象となる世帯を対象としたものであったため、私は参加していませんが、関係資料を拝見しました。
箕作・月岡の堤防嵩上げは、今年初めに決定された「千曲川緊急治水プロジェクト」の対象とされています。そして、「河川災害助成復旧事業」として採択されています。この「助成事業」化によって、原状復旧が原則の通常の復旧事業よりも改良性が高まり、堤防の嵩上げと百合居橋の架け替えが行われます。「緊急治水プロジェクト」では「2024(R6)年度完成を目指す」としていますが、実際は順調に進んで2024〜26年度完成と目されているようです。
● 流域治水を進めるには「中抜け」解消が不可欠
「千曲川緊急治水プロジェクト」は流域治水の考え方を前提として立案されています。また、国交省は今年7月、これまでの「ダム・堤防などの河川施設整備による治水」から、「田んぼやため池の活用、遊水地の整備、地域の土地利用のあり方の検討」等々を含む流域治水への転換を打ち出しました。これは、気候変動危機で大規模水害が相次いでいる中で、適切な政策転換です。
千曲川(信濃川)のような長大な河川での流域治水は、まさに下・中・上流一体で進められる必要があります。仮に上流だけで対策が先行すると、洪水が未整備の下流に流され、下流での災害を引き起こす危険が生じます。
ところが、千曲川(信濃川)では、国管理が原則の一級河川であるにもかかわらず、飯山市の湯滝橋から新潟県十日町市までの約40?区間が県管理となっています。これを指して「中抜け」区間と呼びます。この「中抜け」の状態を放置したままでは、上中下流一体の治水、流域治水の実現は困難です。
栄村議会は今年3月定例会において、関係市町村議会と連携して、「中抜け」区間解消を求める国への意見書を採択しました。そして、今回、10月13日、栄村・津南町・飯山市・野沢温泉村・十日町市の5市町村長が赤羽国交大臣と面会、さらに28日、阿部長野県知事と新潟県知事が同じく赤羽国交相と面会し、「中抜け」区間解消を要望しました。国交相との直接面会・要望が実現されたことは大きな一歩だと思います。
来年度予算編成の詰めの時期に入っているいま、「中抜け」区間解消にむけて、さらに地元から強い声をあげていくことが必要です。
● 災害直後の状態がまだ続く佐久市田子川の現場
私は10月28日、佐久市まで行ってきました。台風19号災害から1年の信毎の特集記事で、「進まない災害復旧工事 不安」という佐久市常和の住民の声を読んだからです。田子川(たこがわ)という千曲川の支流です。
田子川での被害は、災害発生当時の報道で知っていましたが、現地に行ったのは今回が初めてです。道路地図で調べても、かなり詳しい地図でないと、田子川の名前が出ていません。結局、佐久市地域の地図を買い、現地に行ってからも、かなり道に迷ったあと、ようやく現場に辿り着けました。写真を3枚、紹介します。
常和地区の災害現場の1つです。手前の土嚢と写真中央の土嚢の間を川が流れています。災害現場はこの1ヶ所ではなく、川沿いに10ヶ所ほど、土嚢が積まれたままの災害現場を見ました。
住家がたくさん並ぶゾーンから川沿いの林道をどんどん上がっていく途中で撮影した田子川の様子です。
田子川で唯一復旧工事が行われていた県道三分中込線近くのところから佐久市街地方向を撮影したものです。
上流を進めるところまで進む途中、砂防堰堤の説明板がありました。そこには次のように書かれています。
「田子川は佐久市東南部の山間部地帯から流れ出し、平地部出口
にて 扇状地を形成し、田園地帯を流れ滑津(なめづ)川に注ぐ砂
防河川です。上流山間部は第三紀層の凝灰岩で、荒廃が著しく
河川には多くの土石が堆積し、出水のたびに流出の危険があり
ます。」 (*松尾注記:滑津川を経て千曲川に注ぎ込みます)
地学的には正しい説明だと思いますが、一箇所、気になったところがあります。「上流山間部は…荒廃が著しく」という記述です。
「山の荒廃」ということですが、それは単に自然界の変化と言って済ませられる問題ではありません。人が山に入り、山の世話をすること(単に林業というだけでなく、里の人びとのさまざまな営み)が無くなった結果です。
いま、国が打ち出している「流域治水」「緊急治水プロジェクト」では、この《山の手入れ》という問題がすっぽり抜け落ちています。田子川を実際に見て、第1に強調したい点です。このことは千曲川水系の天代川、北野川についても同様に言えることです。
もう1点、田子川は千曲川の支流であり、一級河川だということです。
しかし、千曲川上流部は佐久市内を含め、上田市の大屋橋までの約104?の区間も国管理ではなく、県管理になっています。県佐久建設事務所は懸命に災害復旧に取り組んでいますが、県の財政力・人的資源・技術力では追いつかない状況です。ここでも、国の直轄管理が大きな課題になっています。
●住民参加が不可欠
1頁で写真紹介した10月29日付の信毎記事には7月に大水害が発生した熊本県球磨川の流域治水の問題が出ています。10月27日に「球磨川流域治水協議会」の初会合が開かれましたが、その会合をめぐって、私のかつての同僚である嘉田由紀子さん(参院議員、元滋賀県知事、元京都精華大学教授)がコメントされています。嘉田氏さんは滋賀知事時代に流域治水推進条例を制定されています。
「今日の球磨川流域治水協議会をみて、そのメンバーの限定に疑問
をもちました。協議会メンバーが……行政メンバーだけで構成さ
れていることです。河川から流域に対策領域をひろげる、という
ことは、地域に暮らす住民にとって大きな繋がりと関心があるは
ずです。
滋賀県では、条例づくりのために「行政部会」「住民会議」
「学識者部会」の三つの会議をまる3年かけてつくり、意見をもら
いました。」
私は嘉田さんのご指摘に全面賛成です。千曲川の緊急治水プロジェクトも行政メンバーだけで決められています。流域治水の会議も同様です。
ここを変えないと、本当の流域治水は実現できません。
同時に、この問題は私たち自身も変わらなければならないことを突きつけています。千曲川の治水の問題に、箕作・月岡の住民だけでなく、村民全体が関心を高め、議論の輪に加わっていくことが必要です。また、住民の代表たる議員・議会はもっともっと議会の場での千曲川治水論議を重ねていくことが求められます。
この秋は、幸いにも台風被害なしで過ごすことができました。私たちが流域治水に取り組む時間を自然界から与えられたのだと受け止め、今年末〜来年にかけて、是非、議論を活発化させていきたいものです。
この10月、ほぼ連日、紅葉を追いかけて村内を走り巡りました。
上段は27日、上ノ原の“とっちゃ”からの撮影です。鳥甲山の稜線ではすでに落葉していますが、中津川の手前まですっかり紅葉している姿は圧巻です。
下段は22日、野々海池のある秘密のポイントから。この日が野々海池紅葉のピークでした。
中条川上流、森の開田水路頭首工そばの不動滝です。25日朝撮影。
27日朝、深坂峠から動画を撮ったところ、梢にとまる鳥たちが写っていました。それを動画から切り取りました。
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● 《国(政府)が口を出してはいけない事柄》というものがあります
人がどんな考え(思想)をもつか、どんな作品や著作を書くか、どんな学問・研究をするか。これらのことには、〈権力からの自由〉を保障する。
これが日本国憲法、そして近代憲法の根本にあるものです。
「思想・表現の自由」や「学問・研究の自由」をめぐって、「何でも自由なのか?」と言う人がいますが、それは議論のしかたが間違っています。「〜の自由」というのは、「国家権力の規制からの自由」を意味します。
菅首相は、ここに手を突っ込んだのです。絶対に許容できることでありません。
菅首相は、「国が10億円もの金を入れている」と言って、介入を正当化しようとしていますが、教育や学問をめぐっては、「カネは出すが、口は出さない」が憲法と民主主義の基本原則です。
● 「軍事研究拒否」の本当の真相は
菅首相の任命拒否を擁護する人は、「学術会議は軍事研究を拒否し、日本の安全保障を危うくしている」と言います。
学術会議が拒否したのは、防衛省ひも付きの研究費です。
国立大学が法人化されて(2004年)以降、国立大学への国費投入が削減され、とくに基礎研究に充てられる予算が十分に賄えない状況になっています。そんな中で、防衛省が将来的に軍事用に転用できる可能性のある分野の研究への研究費支給を打ち出したのに対して、学術会議はそれへの応募を拒否しました。そういう研究費への依存を深めると、「防衛省の意向に沿わないと研究ができない」という状況に追い込まれる危険性が高まるからです。
● 地方自治にとっても重要な問題
「国がおカネを出しているのだから、介入は当然」という菅首相の論理が罷り通れば、地方自治(体)にとっても深刻な状況となります。自治体は財政的には国の地方交付税交付金に依存している度合いが高いからです。
本来、国と自治体は対等な関係です。ところが、国が「カネを出すから、口も出す」となれば、各自治体の自治行政は不可能になります。
その意味で、学術会議の問題は、ひとり学者・学問の世界だけの問題にとどまらない重大問題です。
日本の針路を間違わないために、そして自治体の未来のために、ささやかながら、声をあげていきたいと思います。
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栄村復興への歩みNo.396
2020年10月30日発行 編集・発行人 松尾真 定期購読料:年間2,400円
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞