朱色の鮮やかさ。ポーンと目に飛び込んでくる。
車を近くに停めて、パチッと一枚。
その後、別の場所でも視界に入ってきたが、これは林の斜面の中頃あたりにあって、周りの木々に圧されて、窮屈そう。なんとかしてあげたいなあと思った。
この日(6月7日)は、「そろそろコシジシモツケソウが咲いているかな」と思って、山に向かったのだが、コシジは残念ながら、花をつけ始めたばかりで、もう少し日数がかかりそう。
その代わりというのでもないが、非常に目立ったのがヤマボウシ。
ヤマボウシの1枚目写真は、この日に見た中で、最ものびやかに咲いていたもの。
多くのヤマボウシは周りの木々に圧されて窮屈そう。やはり適切な間伐手入れが必要だと思う。
ヤマボウシもそうだが、この時期は山では白い花が目立つ。その一つがミズキ。
こちらも、蔓に巻き付かれたりして、大変そう。
これらの花を目にした近くからは、今泉の里の田んぼ、青倉の田んぼなどが眺められる。
まさに、「ザ・里山」という場所です。
写真の真ん中あたりです。覆い繁っている木々の連なりが切れて、笹だけが見えます。しかも、その笹は、人間が草刈りしたのではなく、他の何かが笹を倒したりした感があります(下の写真)。
写真1枚目に見える道路の左手は写真3枚目です。ちょっと分かりづらいですが、じつは沢になっています。その上に木々の枝が伸びたりして見えにくいのですが、空間がぽっかり空いています。
つまり、ここはクマの通り道になっていて、1枚目・2枚目に見える笹の状態はクマが踏み倒したりしたと理解するのが適切だと思われます。
スキー場は、主に青倉集落の人たちの棚田と、やはり青倉集落の人たちがさまざまな資源を得るために入っていた里に近い山を、村が買収ないし賃借して造成されました。
その後、ゲレンデは毎年、シーズン前に草刈りが行われますが、「山」のまま残ったところは手入れがされずに放置されています。道路脇は1年に2回ほど、青倉集落の人たちが道普請をやってくれますが、それ以外の環境保全の措置は行われていません。
スキー場開設から20年以上の歳月が流れました。
もうこれ以上の放置は不可能という事態になっているのだと思います。
こういう里山の環境は、いわゆる社会的共通資本、コモンズにあたると思います。
こうしたところの手入れは、これからの時代、無償の共同作業などだけにまかせるのではなく、こういうところにこそ財政資金を投入してやるべきだと考えます。
そして、そうした政策が、東京一極集中ではない、豊かな地域・農山村地域を生み出していくと思います。
国の農村政策、森林政策、環境政策の統合的な見直しが求められます。食料・農業・農村基本法の改定作業では、「有事対応」=戦争体制づくりではなく、こうした問題にこそ焦点をあてるべきだと思います。
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我が家のそばからのスキー場の眺めの移り変わりの記録です。
「もっとマメに撮っておけばよかったのにな」と後悔しているのですが、ダイナミックな変化をひとまずは目にしていただけるかなあ、という思いで編みました。
TOPの写真は29日午前9時すぎ。もう山頂までほぼ緑の世界になりました。
以下、時間の流れとは逆順にてご紹介。
4月24日昼過ぎ。山麓はもう完全に芽吹いた。
4月19日昼まえ。山麓もまだ春紅葉が主流。
3月22日午前。スキー場にも土が見えるようになったが、まだ営業中。
4月上旬の写真を撮っていたら、よかったのですが・・・。
1月22日朝。これは自宅の窓から。今冬の最高積雪の数日前。
来年はもう少し頻度高く、意識的に記録したいと思います。
ところで、「春紅葉の正体は?」。次回はこれをテーマにします。
すでにかなり有名になっているお店ですが、西大滝のお蕎麦のお店「ばったり」さんを紹介します。
昨秋末に開店したお店。
ほぼ口コミのみで、瞬く間に人気のお店に。
今日、正午少し前に訪れた時は席があって、すぐに入れましたが、間もなく次々とお客さんがやって来て、空席待ち状態に。
メニューはいたってシンプル。ざるそば2種(黒、白)と、天ぷらなどとのセット2種(同じく黒、白)のみ。どうやら缶ビールを注文できるようですが。
お蕎麦は自家製。
店名の「ばったり」とは水車のこと。
上写真の中央に見える赤い屋根のお家が「ばったり」さん。下写真はJR飯山線西大滝駅近くの踏切。これを先に進むと間もなく上写真の三叉路。ただし、積雪のある時期は、この三叉路からお店は見えない。
私が初めて訪れたのは2月半ば頃でした。「踏切をこえていく」ことだけは知っていたのですが、その先のことは知らず。不安になりながらも、ひたすら進んでいくと、雪の壁しか見えないところに突然、複数台の車が駐車しているところがあって、2枚目写真の暖簾が目に飛び込んできました。
西大滝とは、飯山市のいちばん東のはずれの集落。東隣は栄村の白鳥集落。東京電力の西大滝ダムがあるところ。
「ばったり」さんのすぐそばから東方向を眺めると、国道117号の東大滝橋が真正面に見えます。
千曲川の舟運盛んなりし頃は「港町」として賑わったようです。また、1930年代の西大滝ダム建設時には「歓楽街」もあり、さらに1960年代頃までは東電の社宅もあり、かなり人口の多い集落だったと聞きます。しかし、いまは、いわゆる「過疎の集落」です。おそらく若い人はあまりおられないだろうと思います。
そんな西大滝ですが、「ばったり」店主・鈴木さんが育った地。長い間、飯山市の中心部に住まい、サラリーマンをされていましたが、「親父をもう一人にしておけないな」と判断し、Uターンされたそうです。
困ったのはどんどん増える不耕作地。
考えついたのが家の周りの田んぼをそば畑にすることでした。
ソバの花が開花した時期のお家の周りの写真が店内に飾られています。今年の秋には是非とも撮影に伺いたいと思っています。
お店は奥様と二人で切り盛り。ご亭主が蕎麦担当、奥様は天ぷら担当の様子。
お蕎麦が美味しいのはもちろん、天ぷらがまた美味い。
セットで「黒」千円、「白」千百円。(蕎麦のみは「黒」八百円、「白」九百円)
お客さんの多くは飯山市近辺の人たちですが、首都圏方面の人も結構訪れられます。最初は地元の人の案内で来られたが、「もう一度食べたい」とわざわざ首都圏から出かけて来られる人もかなりおられるようです。
「過疎地」で、「突然、人気の賑わいスポットが誕生する」――そんな話をTVやネットで見かけますが、そんな「不思議なこと」がどのようにして可能になるのか。初めて目の当たりにしたという感じです。
さて、この「ばったり」さん、ソバの収穫を終えた11月末頃から5月初めまでの期間だけの営業。しかも、開店日は金・土・日のam11:00~pm2:00の3時間です。
今シーズンは5月7日が最終日。
もう1回食べておきたいなあ、とも思いますが、相当に混み合って大変かも、です。
最後に、今日の帰りに撮った写真をさらに数枚、ご紹介します。
お店の前の道を西方向へ。隣の藤沢集落に通じています。
かなり急な坂を上がったところに橋が見えますが、野々海川に架かるものです。
野々海川という名の通り、野々海高原、野々海池のすぐそばから下ってきています。標高差600mくらいをいっきに流れ落ちてくるので、これまでに何度も水害をおこしているようです。
藤沢から西大滝方向へ旧国道を走っていた時、目に飛び込んできた光景。
菜の花の先に見えているのは千曲川。
「ばったり」さんを取り囲む風景も素晴らしい。
来季は雪の壁の中にお店が現れる様子も撮影したいと思います。
(了)
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これは、2月5日〜7日朝の大雪の後、8日の午後の我が家の裏手の様子。
大家さんが雪を2回、飛ばして下さったので、2階にまで達しつつあった雪の高さが下がっている。念のため、7日朝の同じ場所の写真を紹介しておこう。
そして、さらに、14日の様子を見ていただきたい。
雪がかなり下がっていることが確認できます。
飛ばしたわけではありません。融けたという要素も少しはありますが、一番大きな要因は「雪が沈んだ」ということです。降った直後は体積が大きいのですが、止むと次第に、自然に圧縮されていくわけです。
この日から、1階にあるトイレの窓に少し陽が差し込むようになりました。ホッとしますね。
定番となった国道117号線から見た正面の様子も紹介しておきます。やはり14日です。
雪の山のてっぺんは、やはり、2階近くにありますが、写真右下、雪が崩れて、石垣が見えているところがあります。
そして、この雪山を側面から撮ると、かなり?せ細ってきていることがわかります。
この場所も、大雪が止む前の7日朝の様子を思い起こしておきます。
今冬は動き廻れないので、こういう定点観測が丁寧にできます。
これは、ある村営住宅ですが、落下式の屋根になっているものの、雪が落ちる余地がもうなくなり、屋根の雪と地上の雪がつながってしまっています。これを処理しなければなりません。ただし、素人が下手なやり方をすれば、作業している本人が上から落ちてくる雪に埋もれてしまいます。
こちらは震災復興公営住宅。住宅の横側を見ると、家が雪に埋もれています。住人は80歳代の女性で、自力では除雪できません。後に紹介する村の雪害救助員が出動することになります。この写真の撮影は9日午前11時頃ですが、今日の午前になってようやく屋根の雪が完全に落ちました。雪が落ち切らないと、雪害救助員も入れません。
ただし、この家の住人の女性、雪害救助員が来てくれるまで、ただじっとしているわけではありません。
次の写真の真ん中に一筋、雪が無い箇所が見えますね。
ここに水路があります。この水路が雪でつかえないで、水が流れる状態を保つことが大事。雪消し用の水の確保です。そのために、女性は柄の長いスコップなどを使って雪をつつき、水が流れる状態を確保しているのです。
都会で暮らす80歳代の女性で、こういう作業ができる人はそんなにいないと思われますが、村ではこれが当たり前のことです。
もう1軒、80歳代のご夫婦が暮らす家を紹介します。
家の北東側になるのだと思いますが、1階部分は完全に埋まっています。ただし、写真の左下から中央上にかけて、雪がへこんでいますね。ご主人がスノーダンプで雪を少し片づけたようです。ここからカメラを左に振って撮ったのが、次の写真です。
左上に見える建物は、田んぼ1枚を隔てて、隣の家。
写真の下に注目してください。穴がありますね。これがとても大事なのです。
穴の部分だけを別写真でクローズアップしてみましょう。
黒っぽく見えるのは水です。
この場所、じつは「たね」というものがあるところです。都市部にお住まいの方でも理解しやすく言えば、家の庭にある池のようなものです。集落の中を縦横に走る用水路から水を引き入れています。水温は雪よりも温度が高いので、水の中に雪を放り込んで融かすのです。村の従来の家には基本的にすべて、「たね」があります。
しかし、2月5〜6日のような大雪では、その「たね」も雪に覆われます。そこで、雪が止んだ後、写真のように「たね」の一角にこうした穴を開け、徐々に雪を入れて融かし、次第に雪が無い部分を広げて、「たね」の機能がフルに発揮されるようにしていくのです。
この作業はしばらく、毎日、毎日、続きます。とにかく雪国は根気強い作業を日々行うことが大事なのです。
さて、雪害救助員の活動を紹介しましょう。
先ほど紹介したのとは別の震災復興公営住宅です。家が降り積もった雪と屋根から落ちた雪で完全に埋もれていましたが、雪害救助員がやって来て、ロータリーで雪を飛ばしています。
何処へ飛ばすのか? 栄村は家の周りに田んぼがあります。そこへ飛ばすのです。
雪国でも、住宅が密集している地域では、この方法は使えません。重機で雪を掘り出し、それをトラックで川原などの指定された排雪場まで運ぶことが必要になります。
「田んぼの上にどんどん雪が積みあがったら、春の農作業が遅れるのではないか?」、その心配は要りません。3月下旬〜4月上旬になると、村では「かんまする」といいますが、重機で雪をかまって、融雪を促進する作業をやります。そうすれば、春作業に十分、間に合います。
上の写真の中型トラックは雪害救助員がロータリーを積んできたものです。トラックの荷台に2本、板がかけられていますが、ロータリーをこの上を進ませて、荷台に載せます。
ここまで、「雪害救助員」という言葉を当たり前のように使ってきましたが、これは栄村だけに存在するものです。12月から3月までの冬期臨時公務員、現在の呼称で言うと「会計年度任用職員」です。春〜秋の間、農業や建設業に従事している人が務めてくれます。お世話になる高齢者などに負担金は発生しません(年収の多いかたは若干の負担金が発生します)。各地域民生委員と役場民生課が連携して、対象世帯を決めます。
1988年〜2008年の間、村長を務められた高橋彦芳さんが考案・実現された制度です。
他の自治体では、高齢者世帯などに補助金を出すなどしていますが、大雪の時は除雪作業員が奪い合いになり、日当が高騰します。通常の日当であれば補助金である程度賄うことができても、高騰すると補助金は「焼け石に水」程度のものになってしまいます。栄村の雪害救助員制度は「現物サービス支給」で、そういう問題点を解決する優れものなのです。
国には議員立法で「豪雪地帯対策特別措置法」という法律があります。10年間の時限立法で、現法は本年3月31日で期限切れとなります。立憲民主党がいち早く2月7日、衆議院に「豪雪地帯対策特別措置法改正案」を提出されました。「豪雪地帯対策の実施に必要な財政上の措置」を義務化(第11条)、「除排雪に係る人材の確保、育成及び資質の向上」や「高齢者、障害者等の住宅の除排雪に必要な支援」(第13条)などが盛り込まれています。まさに豪雪地帯で求められていることです。「財政上の措置の義務化」を是非とも与野党一致で実現していただきたい。
栄村の雪害救助員制度は、現在、その経費を過疎債のソフト運用で賄っています。過疎債ですと、元利返済金の7割を国が交付税で措置してくれることになっているからです。しかし、そういう迂回的な方法ではなく、豪特法によって豪雪地の雪対策に対する交付金が実現されれば、豪雪地で「人らしい暮らし」を実現することができます。ここまで紹介してきた大雪の後の徐排雪の営みを知っていただき、全国会議員の力で豪特法の画期的な改正を実現していただきたいと思います。
静岡県沼津市市議会は12月17日、山下富美子議員に対する懲罰動議を可決し、戒告処分とした。
一般質問での山下氏の発言をめぐって、「(市)当局の信用を大きく失墜させる無礼な言葉を用いた」、「議会の権威と品位を汚した」とするものだが、これはまったくの言いがかりであり、議員の正当な議会活動を妨げようとする暴挙である。
私は、地方自治体の議員を務めるものとして、この暴挙を看過することはできない。
沼津市市議会(議長:浅原和美議長)に対して強く抗議し、山下富美子議員に対する懲罰の撤回を強く求めます。
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以下、私がwebで調べた限りの事実関係を記し、それに対する私の見解を記します。(山下議員の一般質問の関連部分については「しずおかハートNet」のfacebookを参照しました)
12月3日 沼津市議会本会議、一般質問で山下富美子市議は、第一・第二中学校区の学校統合問題を質問した。
その中で、山下議員と教育長との間で、次のような質疑が行われた。
山下議員と教育長の間の質疑応答
〇山下富美子
教育委員会の職務権限というのは、統合についての事務を処理する権限であり、統合する権限ではないんですね。この学校イコール公の私設、地方自治法244条の2、公の施設の設置管理及び廃止、廃止する権限は市長が議会の議決によって提出できる。つまり権限は市長に属しています。私の質している責任という問題は、おのずからこの権限に伴っているので、統廃合の問題についての責任は、ほかでもない市長にあると考えますが、違いますか。
〇教育長
先ほどもお答えしましたが、学校統合に関する事項は、教育委員会の所管事項であり、教育委員会が責任を持って進めるものだと思います。以上です。
〇山下富美子
私がただしている責任という問題は、権限を伴っているので、この統廃合に問題についての責任、統合についての事務を処理する権限は教育委員会ですよ。だけども、この統合する権限については、市長なんですよ。もとよりじゃあ学校の設置者は誰ですか。それは、地方公共団体であって、教育委員会ではありません。
学校教育法第2条、学校は地方公共団体が設置、この場合地方公共団体を代表するのは誰ですか。市長ですかそれとも教育委員会ですか伺います。
〇教育長
執行機関は教育委員会である。そういうふうに考えております。
〇山下富美子
教育長、それは大きな間違いですよ。これ、執行機関、学校教育法第2条、学校設置、学校は地方公共団体設置なんですね。それでこれ文科省に確認したんですよ。統合するか小規模校にするかは、最終的には学校教育法第2条に示すとおり、学校の設置者である地方公共団体であると。つまり市長なわけですよ。さらに文科省の手引きで、各設置者においてそれぞれの地域の実情に応じた最適な学校教育の在り方や学校規模を主体的に検討することが求められていると示されていますが、この各設置者とは、地方公共団体であり、つまり市長のことです。市長は、それぞれの地域の実情に応じた学校教育や規模を主体的に検討することが、この手引きの中でも求められているんですよ。言うまでもないことですが、廃止する権限は市長が議会の議決によって行使できます。それは市長です。加えて学校だけではなく、広く地域の有り様、コミュニティなどを考える際に、それはまさに市長の権限に入る課題であり、その意味で、この統合廃止についての最終的な責任、この権限は市長にあると考えますが、市長にはその認識がないのでしょうか、伺います。
私が現在入手しうる記録は以上です。他に、「沼津朝日」という地元新聞の記事があり、山下議員の一般質問を詳しく報じているが、完全な議事録というわけではないので、以下の記述で必要な範囲で言及する。
沼津市議会の懲罰決定の問題点
懲罰の対象とされたのは、上記の質疑の中の下線を付した部分です。
上に紹介した山下議員と教育長の間の質疑を素直に読めば、下線部分の意味することは次のように解するのが妥当だと思います。
「学校教育法第2条、学校は地方公共団体が設置、この場合地方公共団体を代表するのは誰ですか。市長ですかそれとも教育委員会ですか」という質問に対して、教育長は正面からの答弁を回避し、「執行機関は教育委員会である」という論点をずらした答弁をした。その結果、「地方公共団体を代表するものは教育委員会である」とも受け取られかねない答弁になっていると言わざるをえない。
これに対して山下議員が「それは大間違い」と言うのは、教育長の答弁に対する正当な批判だと言わねばならない。
にもかかわらず、沼津市議会は山下議員が法解釈を誤っていて、その誤りを認めないから懲罰の対象となるとしている。
これは、完全に言論の自由、議員の発言の自由を抹殺するものだと言わねばならない。
学校教育法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、文科省「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」
もとより、私は、この文書を書くにあたって、上に表記した教育関係2法と文科省の手引(平成27年1月27日付)をきちんと読んだ。そこから言えることは、次の2点である。
第1に、たしかに、地方教育行政法はその第2条で教育委員会の職務権限として、「「学校その他の教育機関」の設置、管理及び廃止に関すること」を定めている。その限りでは、沼津市議会での教育長の答弁は間違いではないとも言える。しかし、山下議員の質問趣旨をきちんと理解するならば、単に「執行機関は教育委員会」と答えるのではなく、「設置、管理及び廃止に関することは教育委員会の職務権限です」と答えるべきであった。そして、山下議員の質問の流れから明らかな「学校の統合と地方公共団体の長である市長との関係」について、教育長・教育委員会の見解を明らかにすべきであった。
ここで、第2の問題が浮かび上がってくる。
国の法制度改正と政策展開によって、現実には学校の統合等の問題が純粋に教育委員会による教育行政の枠内には収まらず、首長が大きく関わる問題になっていることである。
まず、地方教育行政法(平成26年改正)はその第1条の三において、「地方公共団体の長は……当該地方公共団体の教育、学術及び文化の振興に関する施策の大綱を定めるものとする」と規定し、さらに第1条の四において、首長による総合教育会議の設置を義務づけ、その4項において「教育委員会は、その権限に属する事務に関して協議する必要があると思料するときは、地方公共団体の長に対し、協議すべき具体的事項を示して、総合教育会議の招集を求めることができる」としている。これは「できる」規定であるが、実際の運用としては、義務的な運用になっていると言える。
ところで、文科省の「手引」は、「首長部局との緊密な連携による検討(総合教育会議での検討等)」という項で、次のように記している。
「地域コミュニティの核としての性格を有する学校の統合の適否の
判断は、積極的なまちづくり戦略の一環として行う必要があること
も多いことや、統合を契機とした魅力ある学校づくりのために多額
の予算支出を伴う可能性があることに留意する必要があります。ま
た、特に施設整備については、中長期的な方針に基づき進めていく
ことが大切であり、域内の公共施設全体を対象として策定される
「公共施設等総合管理計画」等とも調整を図ることが重要です。こ
れらを踏まえれば、学校規模の適正化や適正配置に関する検討は教
育委員会と首長との緊密な連携の下で進めることが必要です。」
さらに、この記述に続いて、地教育行政法第1条三に規定されている首長による「大綱」に「学校の統合に関する指針や計画を盛り込むことも考えられます」と記述している。
以上から明らかなことは、けっして望ましいことではないが、教育行政の現実として教育委員会の首長(部局)からの独立性は著しく侵害されていて、学校の統合問題などに首長の施政方針が大きな影響を与えるようになっている、国はそれを望ましいこととしているということである。
以上に記してきたことから、学校の統合問題について、山下議員が市長の関わり・責任を問おうとしたことはまったく正当なことであることが明らかになる。
沼津市市議会の山下議員に対して「法解釈が誤っている。それを指摘されても独断的な法解釈を続けている」旨、非難しているが、山下議員の法解釈が「独断的」などとは到底言えないし、法解釈について相違があるならば、それをめぐって徹底的に議論すれば済むことである。沼津市議会は法専門家の一人でも呼んで学校教育法や地教育行政法の法解釈について意見を聴取しただろうか。まったくやっていない。唯一行ったことは文科省の見解を聞きに職員を派遣したのみ。しかも、職員が聞いてきた文科省の見解は山下議員が「文科省から確認した」と言っていることとなんら矛盾していない。
にもかかわらず、懲罰という議員にとって議員生命を危うくする処断を行うとは常軌を逸している。
山下議員の質問に内容展開の丁寧さ等において不十分な点はあるかもしれない。しかし、それはそれこそ丁寧に山下議員に指摘し、議論を重ねれば済むことであり、懲罰など持ち出すなど論外である。
今からでも遅くはない。沼津市市議会は山下議員に対する懲罰を撤回すべきである。
なお、今回の懲罰には2名の立憲民主党議員と2名の日本共産党議員が賛成している。信じ難いことである。両党には党としての見解を問いたいと思う。
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12月定例会は、3日に開会し、議案審議(3日)、一般質問(6、7日)、総括質疑・採決、追加議案審議・採決(8日)という日程で進み、8日午前で終了しました。主な審議・決定内容を報告します。
◎ 宮川村長、灯油価格急騰で高齢者世帯支援を表明
長い冬を迎えていますが、暖をとるための灯油の価格が急騰し、みなさん、お困りのことと思います。
8日の議事終了後、宮川村長がとくに発言を求め、「65歳以上高齢者世帯、重度障がい者世帯、一人親世帯に値上がり分1ℓ20円×500ℓ分の1万円を給付・支援する補正予算を早急に組み、専決処分で実施する」旨を表明しました。年内にみなさんの手元に届く見通しです。
他市町村では「住民税非課税世帯に限っての給付」が多く見られますが、現在開かれている国会で審議中の補正予算に住民税非課税世帯給付金(10万円)が入っていることをふまえ、国の補正予算での支援・給付が届かない高齢者世帯などを支援対象とするという考えです。
◎ 子育て世帯支援5万円給付、箕作で宅地造成、第6次総合振興計画後期5ヶ年計画などを審
議・可決
12月定例会には、補正予算(一般会計5次補正、スキー場特別会計補正)、条例改正2件、総合振興計画など計画2件の計7件の議案が提出されました。
一般会計補正予算(総額3,932万3千円)の主要項目は次のとおりです。
1. 子育て世帯給臨時特別給付金 先行5万円分 700万円(対象見込数140人)
2. 「雪ん子宿泊プラン」販売強化促進 320万円
3. 堤防改修との関係で宅地造成(箕作) 1,420万円
4. 3回目のワクチン接種経費 865万円
■ 子育て世帯支援10万円給付はすべて現金の方向で
いま、大きなニュースになっている「子育て世帯臨時特別給付金」ですが、まず5万円が先行給付されます。今回の村一般会計補正予算にそれが計上され、可決されましたので、村はすぐに給付の手続きに入ります。
残りの5万円について、「クーポンか現金か」が大きな問題になっているわけですが、質疑の中で、宮川村長は「村でクーポンといっても使いようがない。現金給付でやりたい」と意思表示しました。
■ 箕作での宅地造成とは
緊急治水プロジェクトで箕作の千曲川の堤防嵩上げ事業が始まっています。今年度は実施測量や実施設計ですが、来年4月からの新年度には工事が始まります。
それに伴い堤防近くの民家が移転を余儀なくされます。移転対象のみなさんは「箕作で暮らし続けたい」と希望されています。しかし、箕作には移転・新築できる宅地がありません。そこで、村が箕作・上原地籍の一部(荒廃農地)を宅地造成することを決断しました。
確保できる宅地は、移転希望者が必要とする面積よりも広く、今後、栄村に移住・定住しようという人に分譲することも視野に入れた事業です。栄村が村として宅地造成するというのは村の歴史始まって以来、初めてのことです。
水害対策とともに、(後で報告する総合振興計画とあわせて)村が人口対策、移住・定住促進事業に本格的に踏み込む決断を示した画期的な事業です。
今回の補正予算に計上されたのは測量・設計、農地転用手続経費などで、来年度予算で造成工事そのものの予算が計上されることになります。
■ 3回目ワクチン接種は「8か月後」を基本で準備されます
「3回目接種はいつからか?」――みなさんの関心が高いことと思いますが、予算は全額国庫負担で確保されました。
質疑の中で、「前倒しはあるのか?」を尋ねました。村は「雪の多い時期であることも考慮し、『2回目接種完了から8か月後』で準備する方針」と説明がありました。
1回目・2回目で早期に接種を完了させた我が栄村役場を信頼し、接種の連絡が届くのを落ち着いてお待ちください。
いま、オミクロン株が問題になっていますが、大事なことは基本的な感染防止策の徹底です。マスク、手洗い、三密回避を徹底しましょう。この間、感染状況が落ち着いていて、どうしても気が緩みがちです。改めて、《マスク、手洗い、三密回避》の徹底をお願いします。
■ 人口対策の明確かつ具体的な提示――第6次総合振興計画後期5ヶ年計画の最大のポイント
7月に村民みなさんの意見をお聞きして策定された第6次総合振興計画後期5ヶ年計画が議会に提出され、審議のうえ、可決しました。
今回の5ヶ年計画の最大のポイントは、栄村の今後の人口推移予測を具体的に検討し、〈R8年度1,500人〉という目標を設定したこと、そして、移住・定住促進政策、住宅政策をはじめとして、農業や林業の産業政策、福祉・健康政策、生活環境政策、教育政策など村の全施策をすべて人口目標実現の観点から組み立てた点にあります。
移住・定住促進の鍵は毎年3組(うち2組は子育て世帯)の移住の実現にあります。もちろん、移住だけではなく、村の若者が都会の学校を出た後、村に帰ってくることも含めて、「毎年3組」の人口増を実現するということです。これが実現すると、将来的に(R27年)生産年齢人口が高齢人口を上回るようになります。
* 人口推移予測では、現在人口維持となるのはどういう場合かも推計されています。現在人口維持は移住者数で表すと、毎年
14組の移住者が確保されて場合です。
幸いなことに昨年、今年と移住相談件数、そして移住者数が増加しています。この流れをさらに強めましょう。
また、来年度以降、地域おこし協力隊制度をこれまで以上に活用することも重要になってきます。みなさん各々、自らの集落・地域の将来を考え、そのビジョンの中で地域おこし協力隊の活用を考えてください。重要なポイントは、隊員に国からのお金が出る3ヶ年の後、隊員たちが自立できるプランをそれぞれの集落・地域で責任をもって考えることです。みなさんからの積極的・創造的な提案を期待します。
◎ 農村RMOづくりへ、農政課長と質疑 ―― 一般質問から?
私は6日午前、一般質問の一人目として、「農村RMOへの取り組みについて農政課長に問う」と「気候変動危機に栄村はどう立ち向かうか」の2つのテーマについて質問しました。
■ 《農村RMO》とは
農村RMO ―― 聞き慣れない言葉だと思います。
Regional Management Organization(リージョナル・マネジメント・オーガニゼイション)の頭文字をとってRMOと呼ぶもので、RMOの文字通りの意味は「地域運営組織」ですが、農水省は「農村RMO=農村地域づくり事業体」としています。そして、内容としては、「複数の集落の機能を補完して、地域資源(農地・水路等)の保全・活用や農業振興と併せて、買い物・子育て支援等の地域コミュニティの維持に資する取組を行う事業体」だと定義しています。
農水省は、「新しい農村政策の在り方検討会」などでの有識者による検討の中間報告をうけて、来年度(R4年度)予算の概算要求で「農村RMO形成推進事業」に102億1,500万円をつけています。
私の一般質問は、以上のことを前提として行ったものです。
■ 農政課はもう一歩踏み込み、R4年度予算で国の関係予算の取得に踏み出すべきだ
私は、まず、国のこうした動向や栄村近辺の市町村での農村RMOづくりの事例について農政課長がどの程度把握しているかを尋ねることからスタートしました。質問要旨通告していたこともあり、以上の点については明快な答弁がありました。
私はさらに一歩踏み込んで、栄村が農水省の「農村RMO形成推進事業」のR4年度予算を獲得するために踏み込むべきではないかと問いました。これに対する農政課長の答弁で重要な事実が出てきました。
11月に県との間で「農村RMOに関する意見交換会」があったというのです。そこでは、「地域づくり協議会となるものがどれくらいあるか」という問い合わせに対して、「秋山地区に地域づくり協議会がある」と答えたそうです。
そして、私の「予算獲得を」という提起に対する農政課長の答弁は、「県の方はある程度集落が広域化したものと捉えていて、来年度からすぐ予算というのはちょっと難しい」というものでした。
私の判断は農政課長の答弁とは正反対です。
たとえば、西部地区の中では、まさに「地域づくり協議会」的なものの模索が始まっています。そして、複数の集落が力を合わせて、農地・水路の維持はもとより、暮らしのさまざまな場面で連携を強める必要があるというのが、村の第6次総合振興計画後期5ヶ年計画で打ち出している方針です。
■ 地域の運営には自己資金源となる収益事業が必要。その第一歩を踏み出すための資金が〈農村RMO形成推進事
業〉予算
今後、複数の集落が連携して、農地・水路管理、暮らしに関わる種々の事業を進めていく必要がありますが、たとえば高齢者買い物支援事業など実施する場合、かなりの経費が必要になります。その経費は、行政に頼るのではなく、自らの収益事業で調達していくのが基本となります。たとえば、農産物の加工と販売で収益を確保する等です。
しかし、明日からただちにそういうことが実現できるわけではありません。
まず、地域に、たとえばどのような農産物があり、加工品づくりの可能性(加工の担い手等)がどれくらいあるかを調べる。そして、その調査結果を(専門家のアドバイスも受けながら)分析し、地域の将来ビジョンをみんなで作り出していく。これが農水省が言う〈農村RMO形成推進事業〉です。農水省はR7年度までに全国で350地区の取組を実現したいとしています。
こういうものは、真っ先に手を挙げる地域が大事にされます。グズグズしていると、取り残されていきます。
私は、一歩でも二歩でも積極的に踏み出すべきだと思います。
最後に答弁した村長は前向きの姿勢でしたが、いちばん大事なのは地域・住民の側の積極性・意欲だと思います。
是非、各地域での積極的な踏み出しを呼びかけます。
◎ 気候変動危機に栄村はどう立ち向かうか ―― 一般質問から?
一昨年の台風19号災害に代表されるように、気候変動(温暖化)とそれによる自然災害の増大・激甚化はとどまるところをしりません。
11月初めにはイギリスでCOP26(気候変動に関する条約の締結国会議)が開催されました。また、長野県は一昨年12月に台風19号災害をうけて、「気候非常事態宣言」を発出し、さらに今年6月、「長野県ゼロカーボン戦略〜2050ゼロカーボン実現を目指した2030年度までのアクション」を策定・発表しています。
■ 「栄村は気候変動危機非常事態宣言を発する用意があるか」
長野県内では、高校生が先頭にたった白馬村をはじめ、多くの自治体が「気候非常事態宣言」を発出しています。
そこで、私は上見出しのとおり、村長に尋ねました。村長の答えは、「現段階で出せるという状況ではない。しっかり準備し、それなりの機運ができた中で発出を考える」というものでした。
■ 「信州ゼロカーボンBOOK(県民版)」の村内全戸配布を
たしかに、いま、村で「気候変動危機非常事態宣言」と言っても、村民の理解が進んでいないという実情はあると思います。
そこで、私は一つの取っ掛かりとして、県が発行している「信州ゼロカーボンBOOK(県民版)」を県から頂いて、村内全世帯に配布することを提案しました。非常にわかりやすい内容で、ページ数も12頁と手軽です。たとえば、温暖化がいまのペースで進むと、2100年頃には長野市の平均気温が今の九州(宮崎県都城市)と同じくらいになることなどが紹介されています(その場合、野沢温泉村の冬の積雪量が142cm減る)。
村長の答弁は前向きでした。
■「栄村らしい自然環境をいかす森林整備でカーボンゼロに取り組む」(村長)
私は栄村でのゼロカーボン(二酸化炭素排出量の実質ゼロ化)にむけての具体的な取り組みを尋ねました。
宮川村長は、「LEDによる節電、ごみの削減、エコドライブ、再生エネルギー」などを挙げたうえで、「栄村の自然環境を最大限生かしたCO2削減」「団地化された森林整備を計画的に進める」という方向を打ち出しました。
これは第6次総合振興計画後期5ヶ年計画でも重視されていることです。
栄村の面積の90%強は森林です。いまこそ、これを村の強みとして活かすときです。
村と森林組合の連携を強め、若者が活躍する産業として林業を発展させていくことが、いま、大事になってきています。
◎ 自然環境保護条例改正へ、研究・議論が進展
栄村では、昨年度から希少動植物調査が開始され、複数の絶滅危惧種が村に生息していることが確認されるなど、大きな成果が得られています。他方で、オオクワガタの採取を狙うライトトラップ(県外から車で来たグループ等が大型のライトを山にむけて照射し、オオクワガタを集め、採取する)など、希少種の乱獲の動きが見られ、希少種の絶滅・生態系の破壊につながる行動が頻発しています。
こうした状況をうけて、議会では6月から生物多様性の保全、自然環境保護条例の改正に関する議論を始めています。
10月議会全員協議会で条例改正に関する作業チーム(メンバーは相澤博文、松尾、保坂真一、山上宏晃)を発足させ、同チームは希少動植物調査所管部署の教育委員会との懇談、自然環境保全条例を制定している新潟県魚沼市への視察(教委と合同)、2回の作業チーム会合開催などの活動を行っています。
魚沼市では2016年に自然環境保護条例が制定されています。魚沼市でも、ライトトラップによる希少種の乱獲が相次いだことをうけての制定ですが、目的は単に採取圧の抑止でなく、「将来にわたって自然環境、生態系及び生物多様性を保全する」ことを主目的としています。そのため、「市長は、自然環境等の保全のために講ずべき施策の策定に必要な基礎調査を実施する」としています。自然環境保全調査委員会(学識者等8名を委嘱)を設置し、植物、昆虫など対象分野ごとに調査員(2〜3名)と調査ボランティア(市民)が「自然を生かしたまちづくりのための市民参加型調査」を進めるのです。
そういう調査活動は条例制定に先行して開始されており、今年でもう10年になるそうです。
作業チームでは、魚沼市のこういう取組も参考にして、村民参加の自然調査活動の実施などを含めた自然環境保護条例の改正への歩を進めていきたいと考えています。
◎ 教育長人事同意案件について
現在の教育長・石沢清人氏の任期が12月25日に終了します。これに伴う後任人事について、宮川村長は6日開催の議会全員協議会で前栄小校長の下育郎氏を任命したいとの意向を表明しました。下氏は栄小校長時代、住民とも積極的に交流されており、教育実績とともに人望も高い人。議員から異論は出ず、8日の本会議に人事同意議案が提出され、議会は全会一致で同意しました。
下氏は現在、長野市の長沼小学校に校長として在任中。来年3月末で依願退職され、4月1日に本村に赴任される予定です。それまでの期間は教育委員の渡辺要範氏(横倉)が教育長職務代理を務められます。
なお、下氏は赴任と同時に住民票を持って栄村に転居されてくるとのことです。
1. 希少動植物調査の結果をどう受けとめるか
2. 〈さとやま〉とは何か
3. 栄村の〈さとやま〉環境の現状 6頁
4. 現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点
5. 何から始めるか
本稿は、栄村で大きな話題になっている希少動植物調査の結果、さらに自然環境保護条例の改正の必要性の浮上、他方で、村の総合振興計画後期5ヶ年基本計画の策定とその中での「若者定住の拡大」という課題の提起、こうした状況をふまえて、栄村の村づくりのど真ん中に位置する課題として〈さとやま〉環境の保全を提起しようとするものです。
1. 希少動植物調査の結果をどう受けとめるか
2020年度から開始された希少動植物調査は、絶滅危惧種の栄村での生息を確認するなど、大きな成果をあげています。そして、村の自然環境の素晴らしさへの村民の感動と関心の高まりが実感されます。
存在が確認された希少種をどう守るか ―― これが大きな課題となっています。
私は、「希少種を守る」という課題設定では、じつは、希少種を守ること自体が難しいのではないかと考えます。
希少種が生息できる環境とはどういう環境なのか。この点を明確にし、その環境全体を保全する、希少種が生息する豊かな生態系を全体として保全することが必要だと思います。
私は、この間、自然保護や生物多様性などについて、色々と勉強をしていますが、その中で保全生態学の第一人者である鷲谷いづみ氏の著作に出会い、「ああ、これが求めていたものだ」と感じています。
その著作とは『さとやま』というタイトルの岩波ジュニア新書です。2011年初版発行で、「おもな読者層として中学生、高校生を想定して、日本学術会議が贈る『学術への招待状』」として企画された〈知の航海〉シリーズの1冊です。「読者層として中学生、高校生を想定」とされていることは事実ですが、けっして「レベルを低くして書かれたもの」ということではありません。内容は学術的観点からも充分に精査されたものであり(この著作は他の学術会議会員による査読をうけて刊行されている)、私たちが希少動植物の保護、生態系の保全を考えるうえでの重要な手がかりとなる著作です。なお、本のサブタイトルは「生物多様性と生態系模様」です。
そういう次第で、以下の記述は鷲谷氏の『さとやま』から学んだことをベースとしていることを明記しておきます。
2. 〈さとやま〉とは何か
2‐1 〈さとやま〉という平仮名表記が意味するもの
私は当初、この本のタイトルが『里山』ではなく、『さとやま』と平仮名書きされていることを不思議に思いました。しかし、実際に本を読み進むにつれて、「里山」という漢字表記ではなく、〈さとやま〉と平仮名表記されていることの意味がよくよく理解できるようになりました。
まず、本の「はじめに」に書かれている「里地」と「里山」の定義を引用・紹介します。
「里地」は、「里」とも言いかえることができ、田畑や集落が
ひろがる場所を示します。一方の「里山」は、雑木林(ぞうきば
やし)や草原や水辺(みずべ)など、植物資源を採集する場所を幅
広く含みます。里地と里山は隣り合っていて、かつての伝統的
な暮らしのなかでは、人間の活動や物質の流れ・循環によって、
機能的につながり、ひとつのシステムをなしていました。それ
は、集落・田畑・ため池・水路・樹林・草原などの空間的な要素
が組み合わされた、複合的な生態(せいたい)系(けい)でもあります。
この複合生態系を、この本では平仮名の「さとやま」であらわ
します。さとやまのシステムは、人々の伝統的な土地利用によって
つくられます。この場合の土地利用、あるいは人間の活動というの
は、植物を栽培したり家畜を飼ったりという営(いとな)み、いわゆ
る「農業」だけでなく、野生の植物や動物を採集・狩猟するような
行為まで広く含むのが特徴です。そうした営みは、自然を根こそぎ
破壊することなく、末永くその恵みを受けられるような工夫と節度
をもっておこなわれてきました。
この本では、里山という言葉がもつこれまでのイメージや個別の
定義にあまりとらわれずに、自然の営みと人間活動の合作(がっさく)
ともいえるダイナミックなシステムとしての「さとやま」に、さま
ざまな角度から光をあててみようと考えています。
いかがでしょうか。〈さとやま〉という表記が何を指しているのか、少し理解していただけたでしょうか。
さらに、この本のいちばんの中心を成すと言ってもよい第2章(「さとやま」の生物多様性と生態系模様)で書かれている、「里山」の「山」の意味合いがよく理解できる箇所を引用・紹介しておきたいと思います。
ここでは、里にある農地、つまり植物を栽培する場所である「ノ
ラ」に対して、植物などの自然資源を採集する場所であった「ヤ
マ」を里山とする定義にしたがいます。土地の伝統的な役割に注
目した定義です。この場合の「ヤマ」(里山)とは、山岳などを
意味する「山」とは異なり、多様な樹林のほか、序章で紹介した
ようにかつて「野」と呼ばれた草原、それに湿地や水辺も含まれ
ます。
ヤマからは、……伝統的な農業生産と人々の暮らしに必要な資
源、すなわち、作物を育てるための肥料や水、家畜を養うための
飼料、家屋(かおく)を建てて維持するための木材・茅・竹、燃料
とする薪(まき)や炭、日用品をつくる蔓(つる)・竹・菅(すげ)・
葦(あし)などが採集されていました。(60頁)
こういう記述を読みながら、2つのことが頭に蘇ってきました。1つは、長野県栄村という存在を初めて知った頃(2002〜04年)に読んだ高橋彦芳さん(元栄村村長)の著作『田舎村長人生記』の一節です。春、牛馬の餌として欠かせない草を採集しにヤマに入ることが許される、「山の口」というお触れのことが書かれていました。高橋彦芳さんが青年期、さらに30歳代の頃(戦後間もなくから昭和30年代)の村の暮らしの様子です。
もう1つは、私が栄村で暮らすようになって(2007年)間もない頃に、ある集落で田んぼの法面の草刈りを手伝っていた時に村の人から話されたことです。「ひと昔前は、自分の家の土地ではないところで草を刈ったりしたら、ものすごく怒られたものだ。なにせ草がとても大事なものだったから」。草は牛馬に与える飼料となり、また、田んぼに入れる肥料ともなる非常に貴重な資源だったわけですね。
2‐2 攪乱の重要性
鷲谷さんの『さとやま』で非常に重要な概念として「攪乱(かくらん)」というものがあります。鷲谷さんは、「「さとやま」の生物の多様性を生態学の見方によって説明する際のキーワードが、「攪乱」と、土地利用を反映してつくられる「生態系模様」です」と書かれています。
鷲谷さんによる「攪乱」の説明を少し読んでみましょう。
植物生態学では、一般に、植物体や植生を破壊する作用を「攪乱」
といいます。それは、単に自然を破壊する作用ではありません。局
所的には「破壊」も伴いますが、自然のシステム全体をみれば、そ
れを豊かにする作用でもあります。このことを認識することは、自
然と共生する社会における植生や生態系の利用・管理を考える上で
重要です。(61‐62頁)
攪乱には、自然に起こる攪乱と人間の行為による攪乱とがあります。自然の攪乱としてすぐに頭に浮かぶものは洪水です。
私は人生40歳代の後半になって初めて環境学の世界に入りましたが、そこで最初に入ったフィールドが徳島県を流れる吉野川でした。藍(あい)栽培で有名な地域ですが、藍を育てる肥やしとなるのは暴れ川の吉野川が氾濫時に上流から運んで来る、栄養分豊かな土だったのですね。ですから、洪水という攪乱はすぐに理解できました。
鷲谷さんはもう1つの代表的な自然の攪乱として火山の噴火をあげられています。火山が身近にある暮らしは経験がないものですから、火山の噴火といえば、真っ先に頭に浮かぶのはテレビなどで見る火砕流や噴石・火山灰であり、荒涼とした土地の様子です。ところが、このような災害は、「それまでそこに成立していた植生を壊すことで明るい立地をつくりだし、多様な生物の生息を可能にするという作用」があるのです(鷲谷63頁)。
以上に述べた自然災害による攪乱と比べると、その規模は限られたものとなりますが、ヒトが採集や管理を行うことによる攪乱があります。
採集による攪乱の代表例としては、薪炭材や家屋造り用の木の伐採、管理作業による攪乱としては草原での火入れなどがあります。信州では、春3月に安曇野で絶滅危惧種オオルリシジミの生息場所を確保するための野焼きが行われています。また、阿蘇の草原の野焼きも有名です。
いま、「薪炭材や家屋造り用の木の伐採」と書きましたが、高度経済成長以前はヒトはコメや野菜を田畑で栽培すると同時に、暮らしに必要なものの多くを〈さとやま〉からの採集によって得ていました(動物性たんぱく質を得るためにウサギなどを猟で獲る、川で淡水魚をとることを含む)。たとえば、家の屋根を葺くにの不可欠な茅(ススキなど)を得るために「茅場」を決め、毎年採集をしていました。そうした採集・狩猟が適度の自然攪乱を生み出し、自然界の自然遷移(草原が次第に林に変わっていく等)をおしとどめ、〈さとやま〉の環境を守っていたのです。
この項の最後に、〈春の妖精〉とも呼ばれるカタクリの花をめぐる私の体験談を記しておきたいと思います。
村のスキー場の頂上(スキー場開設時、「天望台」と名付けられたそうです)に少し広い草っ原的なところがあります。私は村に移って間もない頃に、ここにカタクリが群生していることを知りました。それ以降、毎年、雪消えを待ってスキー場のてっぺんまでカタクリを見に行きます。観光で村を訪れた方を案内したこともあります。
5年ほど前、カタクリの群生の様子を撮った写真を知人にお見せしたところ、「凄いわね!」という言葉と同時に、「切り株が邪魔ね。これが無ければ、もっと綺麗だろうに」と言われました。スキーシーズン前にゲレンデ整備のために草刈り(主にススキ)が行われるのですが、地面から30〜40cmくらいの高さで刈られます。そのために、丈が短いカタクリの花が切り株に隠れてしまいがちなのです。
そこで、一念発起、2017、2018の2年、夏の炎天下でススキやイラクサの類を地面すれすれまで刈り取る徹底的な草刈りを自身で行いました。翌春、行ってみると、カタクリの群生が広がっていました。とくに2019年春には、草地に隣接する落葉樹林の中にカタクリの開花場所がどんどん広がっているのを見て、驚きました(下写真は2020年5月撮影)。これは、とくに2018年夏の草刈りで、草地と樹林の境の蔓類を徹底的に除去する、草とも低木とも判別し難いようなものを基本的にすべて刈り取るという作業をやったことによるものと思われます。カタクリの花は、陽光が差す明るい広葉樹林の林床を好むとされています。今回、鷲谷さんの著作で〈攪乱〉という概念、その重要性を学び、2017,2018年のスキー場頂上での草刈りの意義を再確認することができました。
なお、「落葉樹林の中にカタクリの開花場所がどんどん広がって
いる」というのは、やや不正確な表現かもしれません。というのは、
「草っ原のカタクリが広がっていった」というのではなく、林床の
土壌の中で眠っていたカタクリの種子が、陽が入ることによって芽
生えたのかもしれないからです。これも鷲谷さんの本から学んだこ
と。「一年草のように、地上の植物体が短命の植物……それらの草
本植物はとくに攪乱に適応した植物で、寿命の長い種子は土の中で
眠りつづけていて、攪乱に遭遇するといちはやく芽生えて植生を回
復させます。」(63頁)
3. 栄村の〈さとやま〉の現状
栄村では、先に紹介した高橋彦芳さんが描かれた暮らしの様子に見られるように、まさに〈さとやま〉環境の中で人びとの暮らしが営まれてきました。
しかし、いま、栄村で自分の身の回りの〈さとやま〉を日々意識しながら暮らしている人はどれくらいおられるでしょうか。圧倒的に少ないと思われます。まったく意識していないとは言いませんが、明確に意識するのは年に数回の普請のとき、あるいは、山菜を採るときくらいではないでしょうか。
3‐1 〈さとやま〉自体の絶滅危惧化
栄村は、2008年、「にほんの里100選」に選ばれました。「にほんの里」とは〈さとやま〉を指していると言っていいだろうと思います。その選考委員のお一人に選考理由をお尋ねしたところ、「今回の選考以前に栄村を訪れたことがあったが、今回の選考にあたって再び訪れたところ、相変わらず田んぼの畦・法面がきれいに草刈りされていた。とても印象的だった」と話されていました。
しかし、ここ数年、法面の草刈りに代わって除草剤が使われることが目立ってきています。あるいは、草が伸びるのを抑えるために畦シートが貼られているのも目立ちます。いずれの場合も、作業の合理化・省力化というよりも、「高齢化が進み、体力的に法面の草刈りがきつくなった」ということが大きな理由のようです。
また、獣害被害が増大する一方ですが、獣害被害が出ているゾーンの周辺では、耕作放棄地や、かつては木材や山菜やキノコの採集の場であった雑木林が、暗く鬱蒼とした森になっています。
一言でいえば、〈さとやま〉という環境が消滅しつつある、〈さとやま〉環境そのものが絶滅危惧種化しつつあると言わざるをえないと思います。
これでは、希少動植物を守ることも非常に難しくなります。
私はここ数ヶ月、そういう問題意識でいくつかの場所を眺めてきました。その場所を写真入りで紹介したいと思います。
3‐2 今泉地区を見る
11月6日にスキー場から撮ったものです。ゲレンデ直下に見える林に囲まれたところが今泉地区。その先に家がたくさん見えるところは青倉集落。
上の写真で今泉地区と青倉集落の間に見える林の際から今泉地区の様子を撮ったものをつぎに示します。
真正面に立派な家が見えます。屋号「おやけ」と呼ばれた、今泉の中心的な家でした。今泉は元々は1つの集落でしたが、村の方針で冬の除雪の関係から1974年に青倉集落に集団移転。1983年、高橋彦芳氏(当時村役場企画課長)のアイディアでこの家は都市農村交流のための施設「ふるさとの家」となりました。その後、千葉から栄村を頻繁に訪れていた杉浦さんという方が購入され、内部を改装されました。その後、杉浦氏は癌で亡くなられたのですが、妻の杉浦恵子さんが定年退職後、村に移住され、農家民泊「ふるさとの家」となっています。
今泉の田んぼは、集団移転後も今泉から青倉に移られた人や青倉集落の人たちによって維持され、また一部は養鯉池として使われています。
私が今泉地区の中でもとくに注目しているのが、2枚目の写真の左側に見えるドーム型の作業所の横を少し進んで右手に折れて、スギ林の切れ目からスキー場の山の方向に進んだ辺りです。
下の写真がその地点で撮ったものです。
10年前の震災の前後の頃だったでしょうか、私はドーム型作業所に青倉から電動車で毎日通ってきて、春はゼンマイ揉みをせっせとやっておられる桜沢名代子(なよこ)さんをよく訪ねました。名代子さんはこの写真の奥からゼンマイを採ってきておられたのです。その当時は杉の木はこんなに大きくなかったし、草もこんなに生えていなくて、沢沿いにヤマの上に歩いていくことができました。「白いカタクリがあるよ」と言われて、カタクリを見に行ったこともありました。残念ながら白い花には出会えませんでしたが、カタクリがたくさん咲いていたのは覚えています。
そういう場所が、それこそヒトの手による攪乱がないと、5年強くらいでこんな荒れた場所になってしまうのです。
でも、今泉の〈さとやま〉環境にはまだまだ望みがあります。
先に書いたとおり、田んぼがしっかり継続されていることに加えて、杉浦さんがお友だちも招きながら、田んぼ数枚を自然農法に近いやり方でやっておられ、最近ではヤギも飼われています。田んぼの1枚は山から入ってくる水が冷たすぎるので、水口と田んぼの主ゾーンとの間に中畔をつくられたのですが、その水口側がビオトープになり、水の中にはさまざまな生きものが棲んでいるそうです(下写真)。
この秋、名代子さんのドーム型作業所の前の水溜まりでアキアカネ2匹が連結しているのを見ました。あまりうまく撮れていませんが、写真を紹介しておきます(下写真)。
私は、前頁に示した写真の草を刈り、沢沿いにヤマに入っていけるように出来ればなあと考えています。今ならまだ〈さとやま〉環境の保全に間に合うと思います。
3‐3 泉平集落を見る
私はここ数ヶ月の間、〈さとやま〉環境がまだ生き残っているところ、保全できるところは何処だろうと絶えず考えています。いくつもの集落の名が浮かびます。真っ先に考えたのが前項の今泉、そして次に思ったのが泉平集落です。
栄村を大きく4つのゾーンに分ける(水内、西部、東部、秋山)場合、泉平は西部に区分されますが、西部の他の集落からは少し隔絶されたところに位置します。次の写真をご覧ください。これは平滝集落から野々海に通じる村道から撮影したものです。
写真中央やや左寄りに見えるのが泉平集落。野沢温泉村の毛無山の方から下ってくる尾根筋の一角に、西部地区の他の集落からはポツンと離れて「山の中」に存在する集落です。
集落の家々がある場所よりも千曲川に近い方(上の写真では手前側)に圃場整備された田んぼゾーンがあります。そこで撮った写真の1枚が次のものです。
奥に見える山並みは野々海がある関田山脈です。泉平集落と関田山脈の間には水内地区の平滝集落などがあり、千曲川が流れています。さらに手前には泉平集落の西方を北向きに流れ下り、この田んぼゾーンの下で流れを東方向に変える小箕作(こみつくり)川が流れています。
この田んぼゾーンの写真奥の方には林が見えます。幅の狭い林ですが、なかなかいい所です。その手前は畑として耕作されていますが、林にもヒトの手が入っているようで、なかなか素敵な場所です。
泉平の人とお話すると、〈さとやま〉環境を構成する、こうした雑木林への関心度は非常に高いと感じられます。と同時に、〈人口減少・高齢化〉の現実は泉平も例外ではありません。いや、「西部地区」の1つでありながら道路事情が悪いこともあり、あえて言えば「辺境集落」的な面があり、村内でも〈高齢化〉がより早く進行している集落だと言えます。
泉平の人たちの多くが口を揃えて話されるのが、泉平と箕作を結んでいた昔の道です。色んな思い出があるようです。「もう草が茫々と生えていて、歩けないよ」と言われましたが、行ってみました。下写真のところで間違いないと思います。この写真だけ見れば、「おお、道があるじゃないか」と思いますが、この先の急坂を下ったところで、もう道の痕跡も見えないほどの草叢になっていました。
また、広い田んぼゾーンが広がる泉平集落の里の北側ではなく、南側に向かうと、北側とは様相が一変します。
紅葉などが美しいため池があるのを知っていましたので、軽自動車が精一杯の狭い未舗装の道を進みました。下の写真ですが、道を挟んでため池とは反対側は、かつては耕作地だったのでしょうが、今は一面のススキ原になっています。
泉平集落の〈さとやま〉環境をめぐっては、さらに厄介な問題があります。
先に書いたように泉平集落の西方から北方をぐるっと巻くような形で流れ、千曲川に注ぎ込む小箕作川、その下流の問題です。
私が栄村にやって来た頃(約15年前)は、箕作集落の人たちが耕作する水田が広がっていました。しかし、現在はその大部分が耕作放棄地となり、ススキ原になってしまっています。猟をする人に聞くと、積雪期はシカの群れの住処となっていて、辺りの木々は樹皮がすっかり食されてしまっているそうです。また、イノシシも多いそうです。さらに、ここは秋から初冬にかけてクマの通り道にもなっているようです。
小箕作川の下流
写真左に見える水がこの時期の小箕作川
写真右に道が見えるが、以前はこれがずっと奥まで通れた
このような厳しい現実がありますが、先にも記した通り、泉平の人びとの間には「なんとか良い環境を取り戻したい」という気持ちが強くあります。昔の〈さとやま〉の環境、そこでの暮らしの営みを知っている人たちがまだ元気に動ける、ここ5年ほどの間が、〈さとやま〉環境保全に残された時間なのではないかと思っています。
4. 現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点
3.においては主に集落の周辺部(まさにヤマのゾーン)や耕作放棄地の様子を今泉と泉平を事例として見てきましたが、〈さとやま〉の危機はそれだけではありません。現に耕作されている田んぼでも、圃場の整備・拡大、農業機械の導入に伴う乾田化、水路のU字溝化によって、カエルをはじめとする生きものが生息しづらい環境になっています。また、栄村では稲刈りが終わった田んぼの上をアキアカネが群れ飛ぶ姿がまだ普通に見られますが、全国的にはアキアカネが姿を消した地域が増えています。田植えと同時に田んぼに入れられるネオニコチノイド系農薬が原因ではないかと言われています。
こうした状況も念頭において、〈さとやま〉環境をどう回復・保全していくか。非常に難しい課題だと思います。
もともとの〈さとやま〉はヒトが意識してつくりだしたものではなく、自然界から食べものをはじめとするさまざまな資源を得る暮らしを人びとが行う中で自ずと生まれた世界、環境です。現代を生きる私たちがそういう暮らしを手放し、エネルギーから食べものに至るまで、ありとあらゆるものをグローバルなスケールでの流通の中から入手する生活をしている現状を省みれば、容易には〈さとやま〉環境を回復・保全することはできません。
この項のタイトルとして、「現代において〈さとやま〉環境を保全するための視点」などと大仰なことを書きましたが、私は昨今大きな問題となっている〈気候変動危機〉、〈SDGs〉、〈農村における地域運営組織(RMO)の形成〉という3つの課題と結びつける中で考えることが必要ではないかと思います。
まず、〈気候変動危機〉。いろんな視点からの接近が必要ですが、日々の暮らしに欠かせない電力と熱エネルギー(炊事用のガスや暖房等)、これの地産地消が大事だと思います。電力の自家発電で真っ先に挙げられるのはソーラーパネルですが、それはひとまず措くとして、村には豊かな水と森林資源を活用することで電力や熱エネルギーの大半を賄うことが可能です。
つぎに、〈SDGs〉。今月11月は「SDGs月間」とのことで、TVなどでもさまざまなキャンペーンが行われています。しかし、SDGsを口実に新たな消費を喚起しようというまがい物も見られます。持続可能性を科学技術の進歩の中に見出すという発想法から脱却し、自然と人間の共生関係を見つめ直すことが大事だと思います。そういう考え方をするならば、〈SDGs〉に取り組むことと〈さとやま〉環境の価値を再評価し、その回復・保全を追求することの一体性が見えてくると思います。
3つめの農村RMOの形成。人口減・高齢化の進行によって1つ1つの集落が小規模化する中で、複数の集落をつなぎ、地域の運営を行う組織(RMO)の形成・確立が必要不可欠になっています。と同時に、RMOをすでに立ち上げている先行事例を見ると、組織運営経費の調達に苦しんでいます。多くが自治体からの補助金に依存しています。RMOの本格的な展開のためには、地域の資源を活用する収益事業の確立が必要です。農産物の加工・販売も収益事業の候補ですが、地域の人びとが地域外の企業に払っているおカネを取り戻し、地域内で循環させることが最も大事だと言われています。栄村でいえば、本社が名古屋にある中部電力に電気代を支払うのではなく、栄村で発電事業を行う会社から電力を買うとか、自家発電で自家消費(+売電)するといったことが、村民のおカネを村外に流出させることなく、地域内で循環させる暮らし方を定着させ、ひいてはRMOの資金源となる収益事業の確立を導き出していくのではないでしょうか。
以上のような視点から、私たちの身の回りの自然を活かす暮らし方が編み出され、現代的な〈さとやま〉環境の回復(創造と言いかえることもできる)・保全への道が拓かれるのではないでしょうか。
5. 何から始めるか
前項はいささか理屈っぽい記述になりましたが、実際に何から手をつけていくのか、具体化しなければなりません。
5‐1 自然環境保護条例の改正
〈さとやま〉環境に生息する希少動植物を採集圧から守ることが緊急の課題になっていることを念頭におけば、自然環境保護条例を改正して、環境保全指定区域を設定できるようにすることが必要でしょう。議会がすでに動き始めています。条例改正を早急に実現すべきだと思います。
5‐2 村民参加の自然調査
そのうえで、その条例改正案で設定が可能になる環境保全指定区域において、この2年間の希少動植物調査員の調査活動の成果のうえにたって、村民参加型の自然調査を実施していくことが重要だと思います。
この村民参加型自然調査を実施するうえでは、日本自然保護協会が行っている「モニタリングサイト1000里地調査」で提示されている「調査マニュアル」が1つの参考になるのではないかと思います(モニタリング1000里地調査:初めての方へ - 日本自然保護協会オフィシャルサイト (nacsj.or.jp))
また、私がこの間参照したものの中では、岩手県一関市の久保川イーハトーブ自然再生協議会の「長倉地区における落葉広葉樹林の保全・再生事業 実施計画」*にとても興味・関心を抱きました。栄村の〈さとやま〉には落葉広葉樹林が多いにもかかわらず、落葉広葉樹林の保全・整備に関する手引き的なものがあまり見当たらないので、参考になります。この「長倉地区落葉広葉樹林保全・再生事業実施計画」の「付録」に出ている「予備的な調査で確認された植物リスト」の一覧表には親しみのようなものを感じました。というのも、そこに出てくる植物の多くが私が栄村で日々見ているものと同じだったからです。
* kubokawa_plan2.pdf (env.go.jp)
5‐3 生態学の専門家の協力
こうした調査を進めていくためにも、生態学の専門家の力をお借りすることが必要だと思います。希少動植物調査員の方からもそういう意見が出ていると聞いていますが、来年度(2022年度)にもそのための予算を村が計上するように働きかけていきたいと思います。
5‐4 さとやまの田んぼや森を交流の場として、子どもたちの参加や都市民との交流の輪を広げる
以上に記した調査活動と並行して、〈さとやま〉を舞台として、子どもたちが「田んぼの生きもの観察」や「森遊び」を楽しむ、田んぼで田植えや草取り、稲刈りに都会の人たちが参加し、共に作業するといったことを進めていきたいと思います。そのような動きは今泉などですでに見られます。そういう動きをもっともっと大きくしていきたいと思います。
将来的には、〈さとやま〉の林やヤマの整備にも都会の人たちの参加が進むようにできればと思います。
5‐5 産物の販売や野外アクティビティでの収益事業の展開に発展させる
さらに、こうした〈さとやま〉の自然調査や交流活動が4.で記した農村RMOの形成・確立にもつながっていくように構想することが大事だと思います。〈さとやま〉環境を保全する中で作られたお米ということでのブランド化・販売、さらに〈さとやま〉を活かす野外アクティビティの事業化などです。
〈さとやま〉はもともと人びとの暮らしから生み出されたものです。ですから、人びとの暮らし(生業)を成り立たせるような事業にならなければ、〈さとやま〉環境保全活動は本当の意味では成り立たないと考える必要があると思うのです。
ここまで話が進むと、壮大な事業と思われるかもしれませんが、そういう大志をもって〈さとやま〉環境保全に取り組んでいきたいと思います。
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私が補選で議員に当選したのは4年前の4月。森川氏が村長選で当選したのと同時でした。議会の場を通じて、森川氏の村政運営をずっと見続けてきました。「議員活動報告」として、これまで踏み込んでこなかったことを含めて、村民のみなさまに報告したいと思います。
◎ 疑問が多い人事
「予算と人事は村長の権限です」――これは森川村長の口ぐせのようになっている台詞(せりふ)です。
予算編成権はたしかに村長にあります。ただし、予算を審議し、決定するのは議会の権限です。「予算は村長の権限」という森川さんの解釈は地方自治法を正確に理解されているとは考えにくいです。
それはさておき、ここでの主テーマは《人事》です。
役場職員の人事はたしかに村長の権限です。そのため、「疑問があるなあ」と思っても、議会の場でも、なかなか口に出しにくいというのが正直なところです。
でも、やはり疑問があることは疑問としてしっかり質さなければならない。そう思って、先日の3月議会で私は質問しました。
●せっかく育てた〈ジオパーク専門職員〉を、後任者も育てないままに、国(国交省)に派遣してしまうのか?
村の予算項目の中に「社会教育費」というのがあり、さらにその中に「苗場山麓ジオパーク」関係予算があります。令和2年度予算では739万7千円です。そのかなりの部分を占めるのが、「総会、CAP会議、定例会議の開催、全国大会、全国研修会への参加」に係る予算です。
森川村政ではジオパーク担当部署を教育委員会とし、社会教育担当の1名の職員が3年間にわたって上記の会議、大会、研修会等に参加し、必要な知識等を蓄積してきました。かなりの経費がかかっています。「3年かけて、ようやくジオのことが一通り分かるようになった」というのが率直なところだろうと思います。ジオに精通する栄村役場初めての職員だと言ってもよいのではないでしょうか。
ところが、その職員が4月から「職員研修で国に派遣」になるというので、「質問しづらいなあ」と思いつつも、思い切って3月議会で質問しました。質問の趣旨は、「多くの予算を費やして大会や研修会に参加して、やっとジオのことが一通りわかるようになったばかりなのに、なぜ、この職員を国交省派遣するのか。代わりのジオ担当職員を育てるのに、また多くの時間と経費を要するのではないか」ということです。
森川氏は「職員を派遣して、国交省から喜ばれている」と言うばかりで、ジオ職員の養成にかかる時間と経費の問題、後継者がまだ確保されていないという問題については答弁がありませんでした。ちなみに派遣先の国交省の部署はジオと関係ない部署のようです。
森川氏は、「国への職員派遣で国とのパイプが育つ」とも言っていますが、もともとは、「私(森川)には国との太いパイプがある」だったのではないでしょうか。「太いパイプ」はいつから「職員のパイプ」に変わったのでしょうか。
● 村民が頼りにしている職員が異動させられる
役場職員(公務員)には人事異動がつきものです。職務の公正な遂行のためにも異動は必要なことだと思います。
と同時に、「あの分野のことはあの人に尋ねれば、すぐに答えてもらえる」というように、村民が頼りにしている、特定の専門分野に強い職員がいることも事実です。この点は、その職員への配慮というよりも、村民に対する配慮という意味で、人事権者の村長は大いに気にかける必要があることです。
しかし、村民が頼りにしている職員が突然、異動になり、その後、その分野では多くの村民が不自由を強く感じる事態が続いています。農業の分野です。栄村の基幹産業に関わる問題です。
私は、元の職員を戻すべきだと主張しているわけではありません。基幹産業たる農業について、しっかりした行政の体制が必要なのに、森川氏はこの3年間、その手をまったくうっていないことが問題だと考えるのです。
「人事権者は村長」です。だからこそ、村長たる者、村民の多くが心の底から納得できる人事を行う責務があります。森川さん、いろんな「お約束」をするよりも先に、これまでのことについて、村民が納得できる説明をきちんとしてください。
◎ クルクル変わる施策 ―― 代表例は観光、とくに秋山観光
「森川こういちのお約束」というチラシが配られていますが、その中に「観光振興」の項があって、「秋山郷内の誘客宿泊者数2万人の実現に向け」という文言があるのを見て、正直なところ、びっくりしました。
● 「施政方針」では「日帰り観光推進」、チラシでは「秋山郷内宿泊2万人実現」――どちらが本当ですか?
昨年の前半あたりまでは、森川氏、「秋山宿泊2万人へ」と言っていましたが、今回の3月議会での「施政方針」を含めて、議会ではまったく口にしなくなっていたからです。いや、「施政方針」では「飯山駅からの高原シャトル便や越後湯沢駅からの直通バス運行に取り組み、気軽な日帰りの栄村観光を推進します」と言っています。森川さん、「日帰り」では「宿泊者数2万人」は実現できませんよ。
森川氏が新年度の「新規の大型事業」として挙げた観光施策は「野々海高原の誘客事業、雪の回廊事業」だけです(予算約160万円。ただし、小雪で中止の方向)。私は野々海の活用、とりわけ春の雪の活用を長年にわたって薦(すす)めてきましたので、「雪の回廊」は大いに結構ですが、行き当たりばったりではうまくいきません。秋山観光の強化はどうなったのでしょうか。
●いま、商工観光課はどこにあるか
そもそも、森川氏は村長就任直後に「商工観光課の拠点を秋山支所(とねんぼ)に移す」としました。それがまともに機能したのはその年だけです。商工観光課の所在地はスキー場を経て、いまは「絆」(森宮野原駅前震災復興祈念館)です。森川氏は「代わりに秋山振興課をつくった」と言うかもしれませんが、だとすれば栄村の観光の中でいちばん大事な秋山観光は商工観光課の所管から外れたということです。実際、秋山の観光について議会で質問をすると、答弁は商工観光課長ではなく秋山振興課長です。
● 「のよさの里」をめぐるドタバタ
3月議会では、秋山観光をめぐって、マイナスの意味で大きな動きがありました。「のよさの里」の指定管理者をヤドロクとする指定管理協定がいったん議会に提出されながら、取り下げられたのです。理由は、「ヤドロクさんから分家に車で直接乗りつけられるように渡り廊下の撤去を求められたが、そのようにすれば膨大な経費がかかるので、指定管理を村の方から取り下げた」というものです。
指定管理者の決定にあたっては、事業計画書・収支計画書の提出はもとより、プレゼンテーションも行われています。当然、村は「どんな風に運営するのか」を細かく聴いたうえで決定したはずです。直接の責任は秋山振興課長なのかもしれませんが、秋山観光の振興は、森川さん、あなたの目玉だったではないですか。そもそも、今回の指定管理者決定、事業収入予定がわずか400万円に対して指定管理料は550万円という信じられない内容でした。
4月からは再び村直営のようです。すると、また昨年のように、500万円、1千万円の補正予算投入ということになりかねません。
とにかく基本施策がクルクル変わるのはもうご免です。
◎ 役場と村の暗い雰囲気を変えることが必要だと思います。《分断》は村政で最もやってはいけないこと。
村民のみなさんからよく言われることがあります。「役場に活気がない」ということです。
いや、頑張ってくれている役場職員、たくさんいます。
しかし、なにか役場の空気がおかしいことは私も感じます。
いちばんの問題は、〈職員が村長に率直にモノを言える、そして村長は職員の意見に耳を傾ける〉となっていないことだと思われます。
● 村長発言に不満を表すと処分の対象?!
思い出します。もう1年以上前のことですが、村長が「特命課の嘱託職員は、ただ指示されたコピー取り等だけをやっている臨時職員とは違う」と議会で発言した時のことです。「この村長発言に怒っている臨時職員がおられます。村長、発言を撤回してください」と私が議会で申し出たとき、森川氏は何と、「その臨時職員は誰か、教えてください。内部情報漏洩で処分します」と言ったのです。
信じられない発言です。臨時職員(4月からは会計年度任用職員)の人たちは本当によく仕事をされています。「正職員以上の働きだ」と評価する村民もたくさんおられます。「ただのコピー取り」視、一(ひと)時代も二(ふた)時代も昔の感覚ですね。
● 処分恫喝をかける一方で、その人のアイディアはとる
昨秋の台風19号被害の直後のことです。
議員仲間の中で「村内の被害状況をきちんと見て廻ろう」という話になり、私は他の議員2名と共に、秋山や天代・坪野、千曲川沿いなどを見て廻りました。
私は災害現場のことをレポートしたことで森川村長から損害賠償を要求されるということが昨春にあったので、台風19号被害の写真発表にあたっては、村長室を訪れ、「こことここの被害状況写真を公表しますよ。なにか村にとって不都合はありますか」と森川氏に直接声をかけるようにしていました。
秋山の被害状況を見た翌日に村長室を訪れました。私が「ミズノサワの先の土砂崩れ」と言った瞬間です。森川氏は「あそこに行ったのか。立入禁止だろう。議員倫理規程違反だ」と言ったのです。議会で7ヶ月以上にわたって私に対する議員倫理規程違反疑惑が問題とされていた時期です。議員倫理規程は議会内のもので、村長は関係ないものなのですが、こういうことを平気で言うのです。
私が、「分かりました。ミズノサワの先の土砂崩れ現場の写真は使いません」と言って、その場を鎮めました。そのうえで、「でも、村長、ミズノサワは秋山の紅葉観光の一番の人気スポットです。あそこで写真を撮りたい人が多いのです。ミズノサワまでは車で行けますが、車が多くなると、車の引き返しが厄介なことになります。通行止めにしたうえで、雄川閣駐車場あたりから村がシャトルバスを出すようにするといいのでは」と提案しました。森川氏は「そんなに人気のスポットなの? 商工観光課長に検討させる」と答えました。
その日の午後、商工観光課長に会う機会があり、「村長からこういう話があるかもしれない。積極的に考えてください」と話すと、課長は「村長から指示があって、シャトルバスを出すことになりました」と答えました。
シャトルバスが実現したことは嬉しいことです。でも、森川氏は私とのやりとりは課長に話さなかったようです。
私は自分の利益のために提案しているのではないですから、べつに森川氏が「松尾の提案だ」と紹介してくれなくても結構です。
しかし、他人のアイディアはいただく一方で、私への処分恫喝はそのまま。そして、10月議会全員協議会では私の発言中に、傍聴席から「警察介入を!」と野次を飛ばしましたね。
要は、「自分の言いなりになるのであれば面倒みてやる。言いなりにならないなら、アイディアはいただくが、恫喝は続ける」ということなのでしょう。
こういう森川氏の施政が村の空気をなにか暗いものにしてしまうのだと思います。
◎ 本当に「村民第一」、「住民が主人公の村づくり」なのか?
森川氏は、「森川こういちのお約束」で、「村民第一です」、「住民が主人公の村づくり」と繰り返し書いています。
私はこれを見て、「本当か?」と思わざるをえません。
というのも、私が実際に見た・聞いた森川氏の言葉・行動はその正反対だからです。
●「村民が誤解するといけないから、情報は公開しない」――これが森川氏の実際の態度
この議員活動報告の前号(第39号)で報告したとおり、3月定例議会=予算議会の最大のテーマは《村の財政》でした。私は財政が厳しく、村民のみなさんに我慢していただかなければならないことが出てくるだけに、政策決定過程を透明化する必要があると主張しました。たとえば、新年度予算案を2月末に突然公表するのではなく、国や県と同じく、各課・各部署からの予算要求−査定のプロセスを公表することです。
ところが、森川氏は「そういうものを公表すると村民に誤解が生じる危険がある」と言って公表を拒みます。2017年度に村が長野県中小企業経営診断協会に村内4観光宿泊施設とスキー場の経営診断を依頼し、その報告書が提出された時も、同様の扱いでした。一定の時間が経過した後に議会には内容を示しましたが、「村民が誤解するといけないから」という「理由」で、内容を村民に知らせることを禁じました。
● 「村民が誤解する」とは、一体、どういうこと?
「村民が誤解するといけない」とは、「村民には情報を正しく読みとる力がない」というのと同じ意味ですね。
森川さん、「住民が主人公の村づくり」と言うならば、「村民にむらづくりを一緒に考えてもらう」ことになりますよね。そして、「考えるには情報が必要」となりますね。ところが、「誤解するといけないから情報は出さない」。だったら、どうやって考えろって言うのですか?
言っていることと、実際にやっていることが真逆ではないですか。言葉だけ格好いいことを言うのは止めてください。
● 「和をもって協力」と分断・個人攻撃は相容れません
「和をもって協力」――これも「森川こういちのお約束」に書かれている言葉です。
昨年秋、とても盛り上がったラグビーのワールドカップ。「ONE TEAM」が流行語になりましたが、ラグビーで大事なことがもう一つありますね。「試合が終わったらノーサイド」です。試合では激しくぶつかり合うが、試合が終わったら、敵・味方なく、共にたたかった相手をたたえ合う。そういう精神です。この精神があってこそ、村政において「和をもって協力」が成立します。
でも、森川氏が4年前の村長選後初めての村議会で発した言葉は、阿部伸治さんへの「あなたは他候補選対の副本部長ですよね」という敵対感をむき出しにしたものでした。議場にいた誰もが驚きました。新聞もその驚きを書きました。
今回の3月議会初日(3月3日)もまた同じことをやってしまいましたね。私の質問にキレてしまい、答弁を拒み、最後はとうとう「松尾議員は利益誘導している」と攻撃しました。一村の長たるものがキレるなんて、本当に恥ずかしいことです。首長たる者、あってはならないことです。
私は村会議員選挙に立候補した時、「情報を徹底的に公開する」ことを唯一の公約にかかげました。ですから、議会でどういう議論があったのか、「議員活動報告」を書き、村民のみなさんにお届けしています。
村議会では「議事録」というものが作成されています。議会での議論の様子をより詳しく知りたい方は誰でも、議事録を見ることができます。それは法律で保障された村民の権利です。公的なことは情報がオープン、これが「和」を保ち、「分断」を排し、村に明るさと活力をもたらす最大の源泉となります。
村民みんなが明るく、和気あいあいと活発に議論して、素晴らしい栄村をつくっていきましょう! 近隣の市町村の人から「栄村は大変だね」なんて同情されるような状況から脱け出しましょう!
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◎ 第17期の任期満了について
現在の村議会議員は、4年前(2017年、平成29年)の選挙で選ばれ、2017年5月21日から任期がスタートしました。再来月の5月20日に任期が終了します。
選挙が4月25日投開票で予定されていますが、あと2ヶ月余の任期があります。「選挙活動だけ熱心」なんて態度はダメ。私は議員としての通常の職務を全力で果たすべく、さらに努力を重ねていきたいと思っています。
◎ 第17期の議員活動のふり返り
私は、2016年の補選で初当選し、ここまで5年間、議員を務めさせていただいています。
第17期議員を選んだ4年前の選挙では、私は「情報公開」を公約として掲げて、当選させていただきました。幾つもの政策項目を並べるのが「公約」の常識となっていますが、私はあえて「情報公開」の一点に絞り込みました。
■ 公約の「情報公開」のために「松尾まことの議員活動報告」を当選直後から発行
2016年の補選当選直後に「松尾まことの議員活動報告」を発行・配達し始めました。動機はそんなに難しいことではありません。「議員に選んでいただいた以上、議員活動の報告をするのは最低限の責務」という思いです。
しかし、これが簡単なことではありませんでした。「議会での話を公開するのはけしからん」という類の攻撃が繰、私にり返し向けられてきたからです。だからこそ、4年前の選挙で「情報公開」という公約を掲げさせていただいたのです。
情報公開・発信は、圧力・妨害との戦いの連続でした
昨年の春まで、「情報公開」をめぐって、「議員を辞めさせるぞ」、「賠償請求をするぞ」などの攻撃が続きました。しかし、昨年の春、大きな変化が起こりました。村政の転換(=村長の交代)です。その選挙に際しては、多くの村民の方が私の「議員活動報告」を熱心にお読みくださいました。そして、最近は、
「松尾さんの新聞があるので、村の中の出来事がわかる」
と言っていただけます。とても嬉しいです。このように言っていただけることが励みになって発行・配達ができています。
■ 村の政策・財政を本格的に分析できるようになりました
議会では、村(行政)が提出する議案を審議します。たとえば、この3月の議会に提出された「令和3年度一般会計予算」の予算書は125頁、その「説明資料」は75頁もあります。量だけでもかなり大変ですが、中味を読み解くのがもっと大変です。正直なところ、予算書をそれなりに読み込めるようになったのは昨年あたりからのことです。
そして、昨年3月議会での令和2年度予算の審議をとおして、村の財政が大変な状況になっていることを把握することができました。その結果を3月後半から4月前半にかけて複数回、「議員活動報告」を発行し、村民のみなさんの熱心にお読みいただくことができました。
議員の役割には「政策提言」という仕事もありますが、必要性のしっかりした吟味や財政の裏打ちなどもないままに、「踏切を改修する」とか「道路をつくる」とか言うのは本来の「政策提言」とは真逆のものです。?村の政策・財政の分析と、?村民の意見にしっかり耳を傾けること、この二つがあってこそ、真に「政策提言」を行うことが可能となるのだと思います。
以上に書いてきたことをまとめますと、議会と議員の役割(仕事)は、
・ 行政の施策をチェックし、村民の暮らしのためになる
村政を実現すること
・ 村民がよく分かるように村政の状況をお伝えする
・ 村民の声に耳を傾け、政策に仕上げていく
の3点にまとめることができると思います。
次の議会に求められること
第18期の議会(4月選挙を経て5月21日からスタート)には、どんな仕事が求められるか、この5年間のふり返りを踏まえて、10の項目にまとめてみました。
みなさんのご意見をお聴きし、さらに磨きをかけていきたいと思っています。また、立候補を考えている人のご意見も是非、聴かせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
◎ 若い世代と子どもの人口を増やす
栄村にとって、いま一番大きな問題は人口減少だとよく言われます。たしかにそうですが、ただ「人口減少」一般が問題だというのではない、と私は考えています。日本全体が人口減少時代に入っている現在、威勢よく「人口増大政策」を掲げても意味がありません。
大事なのは人口数全般ではなく、人口の構成です。若い世代と子どもが人口の何%を占めるかが最も大事なことだと思うのです。それで、「若い世代と子どもの人口を増やす」をいの一番に挙げた次第です。
もちろん、ただのお題目だけ唱えても意味がありません。もう少し具体的に踏み込んで提案させていただきます。
■ 住宅と新しい仕事(雇用)のプランを示す
子どもが増えるのは若い世代の定住・移住が増える場合です。若い世代が村で暮らせるようになるにはこの「住宅と仕事」が最も大事です。とりわけ「仕事」です。
私はあえて「新しい仕事(雇用)」と言います。
「何が新しいか」について、以下、説明します。
「年間を通して一つの種類の仕事をする」というスタイルでは栄村のような小規模農山村では仕事(雇用)の確保は困難です。かといって、たとえば「春から秋は森林組合、冬は除雪またはスキー場」というのでは、「冬が来る前にいったん失業」となり、所得や社会保険が通年性のあるものとなりません。
このことは、いま、日本全体でも重要な問題と認知されるようになり、国レベルで新しい通年雇用システムを法的にも確立しようと動き始めています。「人口急減地域」を対象とする「特定地域づくり事業協同組合」という制度です。この「協同組合」が通年雇用し、そのうえで「春の仕事は農業、夏は林業、秋は観光業、冬は除雪やスキー場」というマルチな仕事に就くという仕組みです。年収250〜400万円のレベルが想定され、すでに島根県隠岐の島の海士町(あまちょう)では「海士町複業協同組合」というものがスタートしています。
そして、いま、都会の若い世代では「田園回帰」傾向が高まっています。コロナ禍も影響して、「都会暮らし」志向から「農村暮らし」志向への転換が始まっているのです。しかも、複業志向(マルチな就業)が主流になりつつあります。〈農業+自然アクティビティ〉、〈農業と観光〉というような組み合わせで、〈半農半X〉とも呼ばれています。
いま、島根県などの山村や離島で人口の社会増を実現している地域が出てきています。行政も〈半農半X〉志向にうまく対応している地域です。こういう地域ではじつは30代女性の動向がキーになっているそうです。
ここでは、まだまだ粗っぽいスケッチ程度の提起しかできていませんが、かなり速いペースで栄村での構想を練り上げ、実行にもっていきたいと思っています。
■ 下高井農林高校の存続 ― 地域リーダーを育てる学校へ
「若い世代と子どもの人口を増やす」うえで、私は下高井農林高校の存続を重視しています。
1月25日、私は栄小学校で1年生の子どもたちと下高井農林高校の3年生がオンライン交流する様子を参観させていただきました。とても強いインパクトを受け、私はこう思いました。
「農林高は地域の子どもたちをリードする存在だ。この地域の最高
学府だ。」
私が青年期だった頃(1960年代後半〜70年代前半、昭和40年代)、栄村などでは青年団が中学生くらいの年代が「大人」に成長していくための指導を担っていたのではないでしょうか。私はいまの時代、農林高(生)がそういう役割を果たしているように思います。高校は本来、「大学進学のためのステップ」ではなく、それ自体独自の役割・働きを持っているものです。農林高はまさに高校らしい高校、地域の子どもが成長し、飛躍する場になっていると思います。なんとしても農林高を存続させ、地域の高校として発展させていきたいと思います。
◎ いつまでも地域で暮らせる「痒いところに手が届く」サポート体制の実現
2つ目は高齢者福祉・介護制度の問題です。
「ごみ出しが大変、手伝ってほしい」、「電球の交換が自分ではできない」、「コロナで息子が帰省できず、畑を耕してもらえない」。こういう声がたくさん聞こえてきます。現在の介護保険制度は縛りがきつくて、こういう声に応えることができません。
「下駄ばきヘルパー」を生み出した栄村ならではの工夫をして、「痒いところに手が届く」サポートを実現していきたいと構想しています。
◎ 集落戦略づくりを進め、栄村の農業基盤の抜本的な強化を進める
いま、田んぼ・米づくりをやっている村民にとって最も頭を悩ませていることが中山間直払制度第5期で求められている集落戦略の策定をどう進めるかですね。
カギは、集落戦略の策定、さらには集落協定の広域化を第4期ですでに実現している先進事例にしっかり学ぶことだと思います。栄村のすぐ近くに先進事例があります。小千谷市、上越市櫛池地区などです。小千谷市の事例でリーダーとなっている人は、10年前の震災の直後、栄村に入って田んぼの被害の見極め方・復旧の方法を伝授してくれた若栃集落の細金剛さん、そして中越防災安全推進機構の阿部巧さんです。非常に身近なところにお手本があるのです。
もう一つ、お伝えしたいことがあります。2年前、棚田地域振興法という法律ができました。小千谷市の広域集落協定は市に働きけて、同法による「指定棚田地域」となりました。その結果、中山間直払5期で「棚田加算」を1,700万円強、毎年受け取れるようになっています。それを資金源として、定住者獲得・担い手確保につながる農業研修事業などを進めています。栄村の中山間5期の「棚田」該当地域を計算すると、やはり約1,700万円の加算を受けることができます。
先進事例に学び、栄村の独自の事情をふまえて、集落戦略づくりや指定棚田地域認定などを実現し、栄村の農業基盤の抜本的な強化を実現していきたいと思います。
◎〈冬季も安心して暮らせる秋山〉の実現へ、秋山の道路・交通の整備等を進める
秋山地区では、秋山特有の事情をふまえた独自の地域振興政策が求められます。
さまざまな課題がありますが、私は最も根幹的な課題は道路・交通問題にあると思っています。冬でも秋山と「下(しも)」を自由に往来できる道路状況を確保すること、世代によって異なる交通需要に応えられる柔軟なバス運行が大事だと考えます。
道路をめぐっては、五宝木を経由して秋山と「下」を結ぶ道路の確保が必要だと思いますが、その全面実現はここ4〜5年では厳しいと思います。国道405の改良をハイペースで実現することが優先課題だと考えます。清水川原〜結東間の拡幅・改良などが最優先です。新潟県と長野県によって分割管理されている困難がありますが、そこをなんとか乗り越えて、国道405改良のハイペースでの実現に注力したいと思います。
◎ 全国に誇れる除雪体制の持続化
豪雪の地・栄村では冬の除雪体制は村民みんなの生命線です。幸い、栄村の現在の除雪体制はしっかりしています。全国に誇れる水準のものです。
この水準を守っていかなければなりません。第1に、若手のオペレーターの確保です。1番目に書いた「若い世代の人口を増やす」「新しい仕事(雇用)のプラン」と一体で進めなければなりません。
もう1つ大事なことは、村の建設業をしっかり守ることです。村の財政状況は厳しいですが、財政と施策の色んな工夫で、建設業の適切な事業量を確保していくことが必要です。
◎ 栄村ならではのデジタル活用の推進
国はデジタル化の推進に力を入れています。デジタル化の是非については色んな意見がありますが、村の暮らしを守るためにも一定のデジタル基盤の確保は欠かせません。
小中学校の子どもたちは学校でデジタル活用について学び、びっくりするほど上手に使いこなします。他方、多くの高齢者にとってはなじみが薄く、取り扱いづらいものです。でも、コロナ禍もあって、「使えません」の一言では済ませないようです。
「お年寄りでもデジタルを使える」サポート体制を充実させていくことが求められます。そして、家にいながらにして、村内のいろんな風景を眺めることができるような環境を整えていきたいなあと思います。
◎ 公共施設の長寿命化に真正面から取り組む
村には色んな公共施設があります。人口が多かった頃の基準で配置されています。そして、設置から何十年も経ち、老朽化したもの、不用になったものもあります。
必要不可欠の公共施設を地震などの災害にも耐えられるものとして長寿命化させることが必要です。そのためにも、整理したり統合したりすることも必要です。
そういうことを役場だけで決めるのではなく、住民みんなで考え、自分が暮らす地域づくりを進めるようにしましょう。「道直し」の公共施設バージョンです。
◎ 新型感染症対策へ村の体制の整備
新型コロナウイルス感染症は、ワクチン接種が栄村でも間もなく始まりますが、あと1年くらい、厳しい状況が続きそうです。この1年間の経験を教訓にして、村の感染対策をさらに進化させることが必要です。
さらに、この先、私たちにとって未知の新型感染症ウイルスが出現する可能性も高いと言われています。そういう事態に備えて、県と連携しつつ、村診療所がでも新型感染症が現れても対応できる体制を整備していけるようにしたいと思います。
◎ 政策サポーター制度の導入
「政策サポーター制度」――そんなの耳にするのは初めてという方も多いかと思います。
村政に注文したいことがある、「私のアイディアを是非、いかしてほしい」、そういう思いがある人、結構おられるのではないでしょうか。でも、「議員に立候補するのは敷居が高すぎる」。とくに、勤めに出ている人、子育て真っ最中の人などは、丸一日会議が続く、しかも何日にもわたって――そういう議会の議員に出るのはたしかに難しいですね。
そこで、2ヶ月か3ヶ月に1回、しかも2時間程度、意見・アイディアを自由に言える場――それが《政策サポーター制度》です。
定員は10〜15名程度。公募制で男女同数とします(公募者が不足する場合は議会が要請でお願いします)。任期は議会と同じ4年くらいがよいかと思っています。
これは私の勝手な思いつきではなく、県内の飯綱町で2010年(平成22年)から実施されています。非常に活発な活動が展開され、町政と議会の発展に役立っています。
村(長)との集落懇談会という場がありますが、どうしても年齢の高い世帯主中心の場になっていて、若い人や女性は参加しづらい、そして仮に出席してもモノを言いづらい場という面が拭いきれません。
若い世代、女性が活躍する栄村へ大きな一歩を踏み出すために、是非とも、この政策サポーター制度を実現したいと思います。
◎ 情報公開のさらなる徹底
最後に、情報公開を17期に引き続いて、さらに徹底していきたいと思います。
議員が自ら「議員活動報告」を発行するのは当然のこととして、現在の議会報のあり方を改革すること、議会の議事録をもっと速く作り、村民の閲覧自由度を高めたいと思います。
議会の質疑を記録したテープを文字に起こす作業を専門の人に委託して、スピーディーに議事録を作成することは県内の多くの市町村で当たり前になっていることです。栄村でも震災復興計画策定委員会の議事録はそのようにして作られ、会議から1週間〜10日程度でホームページに公開されたものです。
また、議事録の閲覧は村民誰しもに保障されている権利ですが、現状はわざわざ議会事務局を訪ねて申し込まないと見ることができません。ネット時代のいま、議事録が村のホームページに出ていない村の現状は相当の時代遅れです。こういう状態は一刻も早く変えたいと思います。
以上、「次の議会に求められること」として10の項目を提起させていただきました。文字ばかりのページが続き、恐縮です。
お読みいただいて、みなさまには色んなご意見、疑問、注文があることと思います。みなさまの集落をお訪ねした折にお聞かせいただきたいと思っています。また、お電話やメールでのご意見も大歓迎です。栄村の未来は豊かなコミュニケーションから生まれると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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今日2月10日は朝から晴天。
私は「復興への歩み」等の配達で秋山にむかった。津南町大割野で国道405に入ったのは9時すぎ。秋山方向に雲が見えたが、鳥甲山がきれいに見えることを願いながら進んだ。
上の1枚は、10時44分、上ノ原の“とっちゃ”から白?の頭を撮ったもの。いわゆるヒマラヤ襞を見ることができる。今日、一番の楽しみにしていたものだ。1時間後くらいにはすでに雲に覆われていたので、ギリギリ間に合ったというところ。
今回は、この地点までの国道405走行の記録をお届けしたい。
写真2 405に入って間もなく、津南町の中津川運動公園付近にて(9:21)。
写真3 津南町秋成で国道脇の排雪場から「石落とし」方向を望む。9:29。
「石落とし」のクローズアップは次の写真4。
写真4
写真5 反里口(そりぐち)から登り坂を上がる途中、雪庇落とし作業に遭遇。9:36。
写真6 見玉の駐車場から高野山(こうのやま)を眺める。中央に見えるのは高野山上の排水池から発電所に水を落とす導水管。9:42。
写真7 スノーシェッドの途中にて。ツララが凄い。9:52。
写真8 同じ場所で中津川渓谷を覗き込む。
写真9 清水川原に向かう途中。右に見えるノボリは今季から登場したもの。よく目立ち、危険防止に非常に役立つ。9:55。
写真10 清水川原から結東にむかう狭い曲がりくねった登り坂。冬、下りを走る時は非常におっかない。10:01。
写真11 結東集落を抜けて進む。10:03。
写真12 前倉周辺。10:12。
写真13 前倉橋。10:18。
写真14 前倉橋から大赤沢の間の「路面流水道路」部分を上る。10:20。
写真15 同じく路面流水道路部分。
写真16 大赤沢の「山源」(木工品・土産物等販売店・食堂)前。鳥甲山白?の頭が真正面に見え、「秋山に入った!」と感じるところ。10:22。
写真17 国道405が栄村に入って間もなく、北信生コンの駐車場から。10:25。
写真18 国道405「屋敷入口」を過ぎたところからの眺め。10:33。
写真19 同所での白?の頭のクローズアップ。
写真20 走行中、真正面に鳥甲山の黒木尾根が現れる。上ノ原の少し手前。10:38。
写真21 ついに“とっちゃ”に到着。雪の壁を這い上って撮影。10:44。
今冬、最も楽しい秋山行きだった。
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1月26日、有害獣駆除の狩猟に同行させていただいて撮影したものです。
場所は非公開ですが、「栄村村内」と言ってもいい程に村のすぐ近くの集落の山です。雪がない季節ならば、集落から車で5分もかからないくらいの場所です。この集落では昨年、田んぼにイノシシが入り、壊滅的な被害をこうむりました。
この日、栄村の猟師4名がイノシシとシカの駆除のために山に入りました。イノシシも100?級を仕留めました(写真次頁)。上掲のシカの群れに出会ったのは、「今日はここまで」として、スノーモービルで集落に戻る時のことでした。雪のない季節ならば軽トラが走る道から見た様子もご覧ください。赤〇で囲んだところがシカが通っていた場所です。
100?級のイノシシ(上)と、その牙(きば)と上歯(下)
このイノシシはオス。集落の田んぼを荒らすイノシシ群の再生産の中心に位置したと思われる「種ブタ」(猟師の人たちはイノシシのことを「ブタ」と呼びます)だったと思われます。
栄村でもイノシシの被害は急増しています。シカの害については村ではまだあまり話題になっていませんが、栄村でも山では深刻な被害が広がっています。木の皮が食べられ、木が枯れていきます。早急な対策が必要です。
シカが樹皮を食べて白くなった木 雄シカが角を研いだため樹皮がなくなった木
平滝から白鳥方向にむかい、白鳥大橋に入る直前に眼前に広がるこの景色。私が大好きなものです。冬の晴れた日の楽しみです。(2月1日午前)
白鳥集落のボブさんのお宅への道。雪の階段が丁寧に、そして美しく作られていました。車に戻ってカメラを取り出し、シャッターを切りました。(2月1日午前)
屋根から垂れる雪の形がとても面白くて、カメラを向けました。(2月3日午後)
ツララの道。
集落内道路からお家までの通路の脇の石垣の上、雪の壁に立派なツララが並んでいました。4日、秋山・小赤沢にて。
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栄村復興への歩みNo.401
2021年2月9日発行 編集・発行人 松尾真 定期購読料:年間2,400円
連絡先:電話080−2029−0236、 mail;aokura@sakaemura.net ゆうちょ銀行 11100−01361481 栄村復興への歩み協賛寄金 ながの農協栄出張所 普通0009390 栄村復興への歩み発行協賛金松尾眞
前号でも「震災から10年」を話題にしましたが、今号では、1頁と8頁の見開きで当時の思い出深い写真を紹介します。
本ページ最初の1枚は震災から約2ヶ月、5月14日に栄中学校ランチルームでの「栄村の復興を考える会」(県と村が主催)の様子です。大勢の村民が集い、熱心に議論しました。栄村の持つ底力が示されたと思います。2枚目は各人の思い・意見をカードに書いて貼り付ける様子です。左写真前列には阿部知事と島田村長の姿が見えます。
3枚目、4枚目は小滝集落の田んぼ。3枚目は2011年4月20日撮影。雪が消えて、激しい段差など地震で田が壊れた状況が明らかになりました。その姿を見た時、愕然としたものです。4枚目はその田んぼのほぼ1年後の姿(2012年5月20日撮影)。2011年度の復旧工事によって田んぼが見事に蘇りました。
震災の年4月26日、箕作集落の苗箱を苗代に入れる作業の様子。
2011年4月26日夜、吉楽旅館の食堂を借りて開催された勉強会。
この勉強会の意義については後述。吉楽旅館は地震で大きな被害を受け、当日はその復旧工事が完了した日でした。
4月29日に開催された青倉集落の年次総会。全国からのカンパで緊急に建設された仮設公民館がこの日、オープンし、最初の使用が集落総会でした。
● 記録を整理することも大事ですね
前号6頁の青倉・島田哲さん宅前、震災片付け作業時のお茶のみの様子を撮影した写真もそうですが、今号の1頁と8頁の写真はいずれもほぼ10年ぶりに記録データの中から探し出してきたものです。
この10年間、ひたすら写真を撮ってきました。私はもともと写真をよく撮っていた人間と思われがちですが、じつは震災まではカメラを持ち歩くことなど稀(まれ)でした。震災当時に持っていたカメラは1万円程度で購入できる性能の低いものでした。一眼レフのカメラを使うようになったのは震災の年の5月連休後半あたりからです。今でも、カメラについては素人同然で、カメラの仕組みなどについて詳しいことは分かっていません。
ただただ、「栄村の様子を発信したい」という思いで撮り続けてきました。写真データは大量にありますが、まったく整理が出来ていません。「10周年」はいい機会ですので、少しは整理できるといいのですが・・・。
● 4月26日夜の勉強会が大きかったと思います
8頁の中段の写真をご覧ください。写真としてはお世辞にも上手とは言えないものです。
しかし、ここに写っている会合は栄村のこの10年にとって画期的な意味を有するものだったと思います。会合の名称はありません。ただ「勉強会をやろう」と言って、有志が集まったものです。人数が何人だったかも覚えていませんが、吉楽旅館の1階食堂にすし詰めの状態で2時間半、熱い語らいが続きました。
後に栄村復興計画策定委員会の委員長を務められた信州大学の木村和弘先生を迎えての勉強会です。
そもそものきっかけは震災から約2週間後の3月25日に木村先生をはじめとする信州大学の先生方が被害状況の調査に来て下さったことでした。その時期、栄村はまだたくさんの積雪に埋もれた状況でしたが、田んぼの様子をなんとか見られる場所ということで、青倉のお宮の近くの村道(スキー場に通じる道)沿いの田んぼにご案内しました。その田んぼの様子を写したのが次の写真です。
雪の割れ目が見えます。「これは田んぼに大きな段差が生じていることを示しています。1枚、1枚の田んぼの修復ではなく、団地全体の復旧を考えなければならないですね。」 阪神淡路大震災、中越地震の被災田んぼを調査してこられた木村先生から、こういう趣旨のアドバイスをいただきました。そして、「雪が消えたら、再調査をし、復旧方法についてアドバイスする」とご約束いただきました。
4月になり、日が進むにつれて、有志の中で、「雪が消えてから考えるのでは遅い。もう一度先生に来ていただいて勉強会をやろう」ということになり、4月26日の勉強会になりました。ここで、農村の震災の特質や、復旧と復興の違いなど、それまで聞いたことがないことをたくさん学ぶことができました。
栄村では、震災からの田んぼの復旧工事が完了した後、不具合が出たケースは稀(まれ)でした。ところが淡路や中越では完全復旧まで何度も工事をやり直さなければならないことがとても多かったそうです。栄村の田んぼ復旧がうまくいったのは、この勉強会での学び、さらに中越の震災を経験した人たちからの貴重なアドバイスのおかげです。
● 栄村の農地・農業をどうするか ―― 再び、学びの時を迎えていると思います
村では本年度から中山間地域等直接支払制度の第5期がスタートしました。ご存じのように3年以内に「集落戦略」の策定が必要です。
これは、「大きな義務を課せられた」というものではなく、栄村の農地・農業、さらには各集落と栄村全体の《これからの10年》を考える絶好の機会です。
そのためには、《学び》が必要だと思います。
コロナ禍で他所の人との交流に困難がある時節ですが、この間紹介している福島県猪苗代町の見祢(みね)集落や、関田山脈の裏側・上越市清里区の櫛池(くしいけ)地区など、集落農業法人の発展や集落・地域をまたぐ広域連携を実現している先進地の人たちから学ぶ機会を是非とも設けていきたいものです。村や議会に働きかけ、場を設定できるようにしたいと思います。
「農地耕作の後継者をどうしたら確保できるか」、「広域連携って、本当に集落のためになるのか」等々、疑問や悩みのある方、是非、声をおかけください。
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