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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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鳥甲山を見つめる

 

 赤(くら)の岩のごつごつした感じが私の目をとらえて離しません。1月12日昼前、上ノ原にて。

 

 

 鳥甲山の山頂を真正面に見る。鳥甲山を東側から眺めると、白瑤篝庠瑤前面に出て、鳥甲山の頂上は陰に隠れるようにしか見えません。上ノ原集落のあるポイントからのみ、こういう姿を真正面にとらえることができます。

 


 霧と雲に覆われて鳥甲山の姿がほとんど見えません。20日午後3時。写真手前にほとんど雪に埋もれてしまった眺望ベンチが一部だけ顔を出しています。

 

● 思い浮かぶ一文
 3枚目の写真。これまでの私なら、その日の鳥甲山の様子の記録として手許に残しておくことはあっても、紙面に紹介することはなかったでしょう。でも、数日前に読んだ串田孫一の文章が私の頭に深く刻み込まれています。

 

   「私たちは山が荒れるとか、時には山が怒ると言うが、烈風の音

    高く、山のすべてが恐るべき色と音とに包まれている時、山は

    むしろ沈着に、むしろ優れた深い美しさにその存在を主張する。

    荒れ廻っているのは風であり、乱れた雲であり、それにもてあ

    そばれている雨や雪である。その中で、山は独り冷たく沈みな

    がら、いよいよその重みのある姿によって存在を主張し続ける。

    それは時には、というよりも多くの場合、私たちの眼からは見

    えない。しかし、その風と雨との荒れ狂う中で、草木のさわぐ

    その中で、山は独り不動の姿勢をとっている。この、私たちが、

    意志や抵抗や、その他の言葉をもってしても表わすことの出来

    ない姿勢は、私たちの羨望からは遥かに遠く、またそこから学

    ぼうとする謙虚な心にも無関心に、しかも今私の目の前に輝い

    ている。」

 

 「岩上の想い」という文章の一節です(『若き日の山』ヤマケイ文庫より)。
 串田孫一は、かつて、和山・仁成館に頻繁に宿し、鳥甲山に登った著名な登山家にして、哲学者、エッセイスト。彼の山岳紀行文なしに鳥甲山が世の人びとに知られるようになることはなかったでしょう。
 美しく姿輝かせる時も、霧や雲に姿を隠す時も、鳥甲山をじっと見つめる。何かを想う。そんな行為の繰り返しの中に、《秋山の魅力とは何ぞや?》が解き明かされていくのではないか。そんなことを考えています。