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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.373

巻頭写真は元日午前11時すぎ、国道117号線栄大橋から。
前夜の雪がやみ、晴れ間も見えて、大河千曲川と鳥甲山をセットで眺めることができました。


栄村の新しい時代を切り拓きましょう
 新年あけましておめでとうございます。
 2020年、節目を感じさせてくれる数字です。この年を、是非とも、栄村の新時代を切り拓く年にしたいなあと思います。
 もう1年と少しで、あの震災から満10年となります。栄村はどんな姿で「10年目」を迎えるのか。私たちは大きな宿題を背負っているのではないでしょうか。これからの1年がとても大事だと思います。その最初の関門が4月の村長選挙です。今年最初の号はそれについて考えたいと思います。

(挿入写真は本文とは関係なく、年末の村の風景を紹介します)


◇  望まれる村長像とは
 首長とはとても重要な存在です。でも、首長が一人で村をつくるのではありません。村民一人ひとりの暮らしの営みが村をつくるのだと思います。
 そういう視点から《望まれる村長像》を私なりに考えてみます。

 

● 村民一人ひとりの声を大事にし、自由な議論を進める
 国という大きな単位や大都市をイメージすると、人びとの暮らしとかけ離れたところに政治の世界があるかのように感じられてしまう面があることを否めません。
 しかし、栄村は住民一人ひとりの顔・名前、さらには互いの暮らしぶりまでがわかる小さな村です。
 そういう村で、「予算と人事は村長の権限です」などと言う権力者然とした首長は要りません。
 村民一人ひとりが自らの暮らしの中から、また、自らの“しこう”(思考、志向、嗜好)から思い思いに声を発する。そして、自由闊達に声を交わし合う。言いかえれば自由に議論する。
 その土台の上にのみ村長の政策判断や決断がある。そういう村長のあり方こそが望ましいと思います。

 

● 村長のリーダーシップはどう発揮されるべきか
 上で述べた村長像、「リーダーシップに欠けるのではないか?」と思われる方もおられるかもしれません。
 しかし、“リーダーシップ”というものは村長たる人が自分の考えを前面に強く押し出すことにあるわけではないと思います。首長のリーダーシップは、まず第1に、村民一人ひとりが何の心配もなく自分の思いを口にできる自由な空気(環境)を整えるように発揮されるべきでしょう。
 もちろん、村長たる者、判断・決断という面でのリーダーシップの発揮が求められもします。1つは、災害などの非常時の判断・決断です。もう1つは、限られた資源の中で、村民が求める諸施策の中で優先順序を判断することです。

 

青倉北沢橋付近から(12月25日朝)
 

● 政治とは何ぞや
 政治の役割は、人びとがさまざまなことを望むにもかかわらず、使える資源(端的には財政資金)が限られている中で、人びとの願いに最大限応えることができるように資源の有効配分方法を考え出すことにあると言えます。
 村の現実に即して、より分かりやすく説明すれば、次のようなことではないかと思います。
 村では各集落が地区の必要とする道路や水路などの改修・改良の要望を村(役場)に提出します。他方、村(役場)には総合振興計画とそれに基づいた事業計画があります。事業計画にはさまざまな分野にどれだけの予算を使うことができるのかが記されています。事業計画には各集落の要望をすべて一挙に満たすに足る予算はありません。各集落の要望内容をよく検討し、優先順位をつけることが求められます。そのための基礎作業は役場職員が行いますが、最終的な判断は村長がしなければなりません。
 村長はその判断を行ううえで首長としての指導力が問われるわけですが、大事なことは判断することだけにあるのではないと思います。指導力(リーダーシップ)をいちばん求められるのは、「なぜ、私はこのような判断をしたのか」についての説明を丁寧に行い、村民全体の同意を得ることに努める場面です。村長はそういう指導力を発揮しなければならないのだと私は思います。

 

天池から鳥甲山を望む(12月26日)


● 現在の村政の問題点
 現在の村政の最大の問題点の1つはまさにこの点をめぐって生じています。
 「あなたの区(集落)の道路改良は次年度の事業計画に入れてあります」と役場幹部が話していたにもかかわらず、その年度になってみると、その区の道路改良は何の説明もなしに見送られ、それまで「必要性、優先性が高い」という話を聞いたこともない他の地域の道路改良に予算がつく。
 もちろん、その他の地域の道路改良の必要性、優先性が本当に急に高まったということで、そのことを具体的に分かりやすく説明されれば、道路改良が先延ばしにされた区の関係者も納得できると思います。しかし、そういう説明がないとなれば、不満や不信が募ることになってしまいます。
 言葉を換えれば、村民誰しもが納得できる材料を提示するよう、村が実施施策の透明性を高める(施策の決定プロセスを明らかにする)ことです。個々の担当役場職員も努力する必要がありますが、やはり何と言っても村長自身が充分な説明をすることが求められます。そうしてこそ、村長のリーダーシップが発揮され、村民の信頼度が高まるのだと思います。

 

吹雪の始まり(12月27日昼、泉平にて)

 

◇ 私たち村民自身はどう動くべきか
 ここまで「望まれる村長像」について議論してきましたが、それは角度を変えてみれば、《私たち村民自身はどう動くべきなのか》という問題にもなります。
 3頁で書いたこととの関連で、村民一人ひとりの思いをどのように出していくのか、その回路をめぐる問題を提起してみたいと思います。

 

● 区(集落)の枠を超える課題があります
 先に「村では各集落が地区の必要とする道路や水路などの改修・改良の要望を村(役場)に提出します」と書きました。要は「区(集落)」というものが基本単位となっているわけです。
 このことは農山村の特性であって、今後とも変わらないことだと思います。
 しかし、同時に、それだけではこれからの時代のさまざまな問題すべてに対応できるわけではないことも明らかになってきているのではないでしょうか。
 いちばん分かりやすい事柄は、若い世代が抱いている課題、思いというものは、「区(集落)」という枠組みだけでは汲み上げきれないのが現実だと思います。
 やはり若者は若者で集まって、悩みや希望を語り合い、若者パワーというものを発露させていくことが必要だろうと思います。
 また、栄村の基幹産業である農業をめぐっても、「区(集落)」だけでは集約しきれない課題が浮かび上がってきています。今年は中山間地域等直接支払制度第5期がスタートしますが、そこで求められる「集落戦略」(10年後の集落の姿を描き出す)の策定はじつは区(集落)だけで描けるものではない可能性が高くなっています。農業の担い手の高齢化が進む中で、10年後の農業の姿を描くには集落営農、さらに農業法人の存在が不可欠になってくるでしょう。そこでは、村全域をまたぐ人材を結集する法人を生み出していくことも求められるようになってくる可能性が大です。実際、先進的な取り組みを実現している他市町村の事例をみると、そういうケースが多く見られます。

 

平滝からの眺め(12月28日午後)

 

● フリーに参加できる“しゃべり場”のようなものが必要なのではないか
 以上のようなことを考えると、課題を共有していると思われる人たちがフリーに参加して互いの思いをぶつけあい、問題意識を共有し合っていく。さらに、その課題の解決方法についても自由に議論する。場合によっては、先進事例を有している他市町村(長野県以外を含む)の人たちを栄村に招いて話を聴く。そんな機会もあって然るべきでしょう。さらには、他県などに視察や勉強に出かけることも必要になってくるかもしれません。
 そういう人を招く、他地域に出かけるというのには経費がかかります。村民一人ひとりの自己負担も求められますが、それには限界があります。では、経費が不足する場合は、それ以上の勉強や議論は諦めるしかないのか。いや、そこを後押しするのが村(役場、村長)の役割だと思います。村が費用を出すのです。しかし、口まで出してはいけません。つまり、役場・村長の気に入るものにはお金を出すが、気に入らないものにはお金を出さないというのではなく、お金は出す、求めるのはきちんとした報告書だけ。その勉強から何を学ぶか、そこからどんな自分たちのアイディアを生み出すかは村民の自主性に委ねる。そういうお金の出し方です。
 これは前例のない考え方のように思われる方もおられるかもしれませんが、栄村には前例があります。現在50歳代後半から60歳代の人たちのお話を聞いていると、「俺たちの企画に村長が自らの交際費を削ってまでお金を出してくれた。『報告書だけはきちんと出せよ』と言ってね」という話が出てきます。べつに村長の交際費ではなく、村の予算の中にそういうことに使える枠組みを作ればよいのです。村の財政が厳しくなってきているとはいえ、そういうことに数百万円あるいは1千万円の予算を投じることは村の将来を切り拓くために可能だと思います。
 そういうことを含めて、中見出しに書いたようにフリー参加できる“しゃべり場”といような場(機会、空間)を創り出していくことが大事だと思うのです。

 

トマトの国への道のS字カーブから(12月29日)

 

● 津南町の「未来会議」との違い
 これにちょっと似たものとして、お隣津南町の「未来会議」(昨年5回にわたって開催された)があると思われる人がおられるかもしれません。しかし、それは違います。津南町の「未来会議」はあくまで町が主催したものです。私がここで提案している“しゃべり場”は思いのある村民が自主的に催すもの。村はそれを資金面でサポートするだけ。
 また、“しゃべり場”は1つではありません。「互いにしゃべり合ってみたいな」と思う人たちが自由に集う場です。参加者の年齢層や課題によって、さまざまな“しゃべり場”が創られますから、いくつもの“しゃべり場”が同時に存在するのです。人によっては複数の“しゃべり場”に参加することもありえます。

 

 以上、新年を迎えて思うところを思うままに書かせていただきました。この1月から3月の時期、ヒソヒソ話ではなく、ワイワイガヤガヤ、これからの栄村について大いに語り合いましょう!

 

小赤沢の入口付近から切明方向を眺める(12月31日朝)


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