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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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松尾まことの議員活動報告No.37(11月13日付)

「議会はなに馬鹿なことやってんだ。もっと他に大事なことがあるだろう」というお叱り。
その通りだと思います。

 

 久しぶりの議員活動報告になります。
 議会の中で私に対する「議員倫理規程違反の疑惑」が延々と検討されている状況が続き、その問題を抜きにして「活動報告」を書くわけにいかない。しかし、その問題は「非公開」扱いの問題、いわば「密室」の議論となっているので、なかなか書きづらい。そんな状況でした。
 しかし、議会全員協議会の場で、議長から「この問題はもはや公になっている。対象議員は松尾議員」と発言があり、11月6日の全員協議会には多くの村民が傍聴に来られている中で問題の議論が行われました。そこで私は全文公表を前提として私の考えを述べた文章を読み上げています。
 問題に決着がついたわけではありませんが、以上のような次第ですので、私の「議員活動報告」を書くことにしました。

 

 「議員倫理規程問題」及び森川村長の傍聴席からの不規則発言(野次)が『妻有新聞』11月9日号で報道されたこと、また多くの村民が11月6日の全協を傍聴されたことで、ここ4〜5日、会う人、会う人から、上に記したような文言で議会に対するお叱りを受けます。また、「松尾さん、負けたらいかんよ」との励ましの言葉もいただきます。
 私が11月6日の全協で読み上げた「私の思い」の全文は別紙にてご紹介させていただきます。本紙では、それをふまえて、議会と村政の現状とその打開について私の考えを述べさせていただきます。

 

◎ 村の抜本的立て直しが急務です
 私は、村はいま、大きな危機に直面していると思っています。2つの意味においてです。
 1つは、みなさんから厳しいご批判をいただいている議会の現状に象徴される、〈訳の分からない村政〉の現実です。
 私に対する「議員倫理規程疑惑」は3月以来、7カ月余にわたって“熱心”に延々とやられています。他方、栄村でも大きな被害をもたらした台風19号について、10月18日の全員協議会(村長提出)で、村から被害状況の報告がありましたが、それをめぐる質疑は、私などが質疑した以外は率直に言ってきわめて低調でした。
 「議会が議会らしい仕事をしていない」と批判されても返す言葉がないと思います。
 私は台風19号の直後から様々な災害現場に赴き、被害の実態を写真撮影するなどして、「栄村復興の歩み」の号外を発行して、村内外に発信していますが、その際、どの災害を公表するかについて村幹部の事前了解を得なければならないという制約を受けています。何かおかしくはありませんか。
 この後に報告するように、議会には議論しなければならない深刻な問題が多々あると思うのですが…。

 

 2つは、子どもたちの世代、孫たちの世代が暮らしていける栄村の未来像を描き出せる村政が求められていると思うのですが、そういう村政になっていないということです。村民のみなさんとお話しすると、閉塞(へいそく)感が痛いほどに伝わってきます。それを打開するのが村政と議会の役割だと思います。
 今月配布されている「公民館報さかえ」第331号に「一石を投じる」という2頁にわたる文章が掲載されています。私は深く共感しました。ここまで真剣に、そしてしっかりした考えを持って公民館活動に尽力して下さっている方がおられるのに、議会は、村政は、応えているのか? 本当に恥ずかしく、責任の重大さを痛感します。

 

 

◎ 自然災害にどう対処するか ―― 里山・流域ルネサンスを!
 台風19号は本村にも多大な被害をもたらしました。とくに百合居での千曲川の氾濫と並んで、天代川流域での被害は凄まじいものです。8年前の地震は未曾有の大災害でしたが、今回の天代川流域の災害はある面では8年前の震災をも超える深刻さを有する大災害だと私は考えています。
 去る11月5日、私は坪野集落に車を残し、坪野集落から約2卆茲泙芭啼擦鯤發い鴇紊蝓∪遒販啼察∋海虜匈仮況を見てきました(これは私のジャーナリストとしての活動ですが、同時に村の議員としての調査活動でもあります)。往復3時間を要しましたが、行けたのは本来めざした距離からすれば、まだ半分にも達しない程度です。
その調査結果の概要は「栄村復興への歩み」No.369(11月7日付)で報告しています。是非、そちらをご覧ください。
  *「栄村復興への歩み」は発行経費の膨大化に対処するために印刷版は現

   在、有料化させていただいています。ネットでは無料閲覧できます。

   No.369に限り、定期購読ご希望でなくても、ご要望があれば印刷版を

   お届けします。電話でご連絡ください。

 

■ 山が荒れている
 坪野集落から上流の天代川とその流域の山、現在では、年2回の坪野堰の普請でかけ口に人が行くのと、釣り人が入っているであろうと思われる(最近ではめっきり少なくなりましたが)のを除けば、ほとんど人が入らなくなっています。
 その結果、どういうことが起こっているでしょうか。

 

● 山・森から流れ落ちる雨水が川に入らず、林道に流れ落ち、林道が通行不能になる
 雨が山に、森に降ります。その雨水は山肌を流れ落ちます。
 人が入っていた時は、その雨水が天代川に流れ落ちるように林道に溝を切るなどの作業が丁寧に行われていました。
 しかし、今はそんな作業をする人もいないので、溝はなくなり、山・森から流れ落ちて来る雨水は天代川に流れ込むのではなく、林道を流れます。その結果、林道が川のようになっていきます。
 すると、林道は四駆の軽トラでも走れないような状態になります。2〜3年前はそれでも、今回私が歩いて到達した地点あたりまで軽トラで行けました。今はもう無理です。だから、今回、私は集落を出たところから歩くことにしたのです。

 

● 人の入らない山は下草が繁り、雨水が土に浸み込むことを妨げます。人工植林の杉林は下草もあまり生えず、雨水をどんどん下へ流します
 人が入らなくなった山・森は下草刈りが行われていません。下草が繁っていると、雨水はその上を滑るように流れ、森の土壌に浸み込む(=保水される)ことがなくなっていきます。台風19号はたしかに前例がない大雨でしたが、数時間前〜半日・1日前に山で降った大量の雨が下流にまっすぐ下ってきて、下流で大洪水・氾濫を引き起こす。これは山の保水量が低下しているからこその事態だと思います。
 また、杉林から大量の土砂が流れ出ている状況を11月5日、天代川の中流で目撃しました。

 

■ 自然の川って、どんなものなのだろう
 今回、車ではなく歩いて天代川沿いを上ったので、じっくりと川の様子を見ることができました。
 驚いたことがあります。
 天代川の川幅というのは頻繁に変化するのですね。広いところもあれば、狭いところもあります。そして、林道から容易に近づけるところもあれば、林道と川の間が急峻な崖になっていて近づき難いところもあります。
 川の流れ、川の幅は、素人なりに考えるに、流水量・流速と川が侵食する岩・土壌の硬度との関係の中で自然に決まっていくのでしょう。

 

● 人間が人工的に調整してきたものを放棄すると、何が起こるか
 人間は、里(人が暮らすところ)では、そういう川の流れや幅を人工的に制御(コントロール)しようとしてきました。護岸工事や砂防ダムの建設などです。天代川でも人が暮らす坪野〜天代〜県道のゾーンでは護岸工事が行われ、その横に車が走れる道路がつくられてきました。さらに、集落よりも奥には3つの砂防ダムが建設されました。
 しかし、砂防ダムの維持管理作業は行われていないようです。少なくとも下流に近い方から1つ目と2つ目のダムは土砂で完全に埋まってしまっています。今回の台風19号で埋まったのではありません。それ以前から埋まっていたのです。その結果、上流から流れ下ってきた倒木や大きな岩などを止めるどころか、逆に、一定の高さ(堰堤の高さ)から落下エネルギーによって勢いをつけさせながら、下流へいっきに流していったのではないでしょうか。実際、私が視認したかぎり、下流部の方が上流から一気に流されてきたと思われる大きな流木や岩が多かったです。そして、そういうものが護岸工事既設箇所に襲いかかってきた。それが今回の多数の護岸崩壊の原因なのではないでしょうか。
 この事態に対して、下流部で護岸を再建する(たとえ従来よりも強度を上げたとしても)だけでは、今後いっそう強まると思われる“自然災害”の猛威に対抗することは困難なのではないかと思います。

 

■ 「奥山・里山・里」の区分を再構築する必要がある
 クマ・イノシシなどの獣害をめぐって、「奥山」(自然動物の領域)、「里山」(人間が活動し、自然動物と人間の境界線となる)、「里」(人間が平穏に暮らす・暮らせる領域)の区分(棲み分け)が崩れていることが原因だと、多くの専門家によって指摘されています。この指摘が正しいことは、村民のみなさんが自らの体験から認識されているところでしょう。
 同じことが水害をめぐっても言えるのではないかと私は考えます。
 天代川の源流部は野沢温泉村の毛無山(標高1649.8m)の北側の山腹にあります。現在は野沢のスキー場や県道奥志賀高原栄線が走るゾーンに近いところですが、昔は人がほとんど近づかない(近づけない)奥山だったと思われます。

 

●戦時中・戦後初期の山の伐採
 戦時中から戦後初期にかけて天代川流域の山林はつぎつぎと伐採されました。戦時中の伐採は木製戦闘機の材料確保、戦後初期は住宅復興のための合板用資材の確保が目的だったようです。この伐採作業のために多くの人たちが青森県などから出稼ぎに来て、坪野集落は人で溢れていたそうです。天代川流域の山を伐り尽くすと、次は北野川流域に伐採場所が移って行ったと聞きます。
 天代川の伐採箇所はその後、どのように措置されたのでしょうか。私は現時点ではよくわかりません。天代川上流へ歩を進めて見える山は広葉落葉樹林が多いように見えますので、ひょっとすると自然の再生力にまかせたのでしょうか。

 

● 〈人が里山に入る〉ことの代わりを砂防ダムはできるのか?
 奥山から里(坪野集落)にむかって下ると、一定のところは里山になっていたはずです。つまり比較的最近まで人が入る山であったはずです。北野の山ではかなり最近まで森林組合の手で下草刈りが行われていたと聞いています。おそらく坪野の里山でも下草刈りや山菜採り、薪(たきぎ)取り等で人が入っていたと思います。
 坪野堰の取入れ口は坪野集落から2劼曚評緡の天代川左岸の崖の上にあります。少なくともその辺りまではほぼ日常的に人が入っていたと思われます。右岸側でもその辺りまでは入っていたのではないでしょうか。
 その辺りが里山として管理されていれば、山に降った雨は現在のように一気に川に流れ込むことなく、一定程度、山で保水されるのではないかと思います。
 この里山ゾーンと考えられるところに3基の砂防ダムがあります。里山に人が入り、自然との共生関係を実現することができなくなり、その代わりの治山・治水事業として建設されたと捉え返すことができます。しかし、先に書いたように現在は維持管理作業が行われている形跡がありません。
 やはり人が山(里山)を管理することをせずに、近代技術による人工的構築物の設置で代替にすることは万能ではないのです。昔より省力化するとしても、たとえば砂防ダムのポケット部分に堆積する土砂等を搬出する作業の実施など、ある程度は人が入らないと山と川は奥山化し、自然の脅威が直接に里に襲いかかってきてしまいます。それが今回の台風19号被害なのだと思います。
 このことは天代川だけのことではないと思います。台風19号では各地で小さな河川が氾濫し、被害を大きなものにしました。全国的な過疎化の一層の深刻化によって、人が入らない山と川が全国各地に大量に生まれているのだと考えるのが妥当でしょう。

 

■ 里山・流域ルネサンスとは
 さて、2頁の見出しに書いた「里山・流域ルネサンス」とは何ぞや、です。
 “ルネサンス”という言葉は学校の教科書に出てきます。一般的には「古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった」と説明されます。そして、何かを復興・再生させようという場合に「○○ルネサンス」という表現法がとられるケースが多く見られます。私はそれに倣(なら)って「里山・流域ルネサンス」という表現を考えました。

 

● まずは、人が入ることから始める
 最終目標は、天代川流域に人が入り、里山活用が適切な質・頻度で行われることです。樹林の下草刈り・間伐、伐材の搬出と活用、山菜や茸の採取、釣り、川遊び等々の人間活動を蘇らせるのです。もちろん、これには人手と資金が必要ですし、そういう活動を持続させるには、その活動が稼ぎにつながることが必要です。
 いま、そういうことを即座に実現することはできません。だからこそ、山が荒れているのです。でも、「だから、ルネサンスなんて言ったって無理」と言ってしまえば、山は荒れ、災害は増える一方となります。
 まずは、生業化できるかどうかはともかく、関心を抱く人たちが山に入ることからスタートさせることが肝要です。村政レベルでは、そういう諸個人ないしグループの活動を積極的に奨励することで支援姿勢を示すことが求められるでしょう。

 

● 坪野の人たちから話を聴こう
 坪野集落の現住世帯(住民票がある)は2世帯です。しかし、春から秋は坪野で暮らす、かなりの頻度で坪野に帰り、米作りや山菜採りなどを行う人が少なくとも4世帯。
 相当の高齢に達している方が多いですが、まだまだお元気で、お話を聞くことができます。2〜30年前、50年前、70年前、坪野の人たちがどんな暮らしを営んでいたのか。山に入り、川と付き合うのに、どんな技や知識を有しているのか。
こういうお話は関心さえあれば、私のような素人でも十分にお聴きすることができるでしょう。
 と同時に、専門家にも少し入ってもらうと、さらにいいですね。今流の機械化・効率化された林業ではなく、山や森の自然遷移などに詳しい専門家などです。坪野の人たちが有する経験・知識と、専門家の知識を融合させると、山や川との付き合い方がだんだんわかるようになるはずです。

 

● 坪野への移住者を募る
 こういうルネサンスへの第一歩となる活動を進めていくうえで、坪野に若い人が住んでくれると坪野に活気が戻り、ルネサンスへの拠点が生まれます。「若い」といっても20〜30歳代に限られるわけではありません。40〜50歳代の人でもよいと思います。ご夫婦が理想的ですね。
 先日も、坪野集落を念頭に置きながら、移住候補地の1つとして栄村に滞在されたご夫婦がおられたとのことですので、けっして荒唐無稽な夢物語ではないと思います。
そして、ここは行政の出番です。地域おこし協力隊制度などを活用して、移住支援の体制を確保することです。ただし、地域おこし協力隊員を役場等の臨時職員として扱うのではその人の創造性の発揮を妨げることになります。役場は「カネは出すが、口は出さない」というのがいいですね。また、坪野の冬(雪)は厳しいですから、雪害救助員制度の特例措置を行うとか、とりあえず2〜3年は、住家は村の中心部に近いところに確保し、坪野には毎日通うという形でスタートしてもいいと思います。

 

● 全国的に類例がないような取り組みを行政が位置づけ、支援を惜しまず、全国に発信する
 ここまでに書いてきたことを、じつは、私は震災以降ずっと考えてきました。なかなか踏み出せなかったのですが、今回の台風19号被害が、「いまが踏み出さなければいけない時だよ。最後のチャンスだよ」と教えてくれました。
 坪野−天代川と同じような問題を抱えている地域は全国各地にそれこそ無数にあるでしょう。「田直し」「道直し」で全国的に著名になった栄村だからこそ、先進的実験に踏み出すのにふさわしいと思います。
行政にはそういう考え(構想)を支持し、さまざまな支援を行い、全国に発信していくことが求められます。

 

●「村を元気にする仕事」
最後に、2頁で紹介した「公民館報」の一説を引用させていただきます。


    働き口があるから、仕事があるから、村に居る。栄村が好きで住み続

   けたいけど、仕事がないから居ない。そのような考え方で村に人は残っ

   ていくのでしょうか。
    様々な仕事をしながら暮らしや文化を楽しむことができ、地域に貢献

   する生き方。確かに漠然としていて「職業」として確立できるのかとい

   う指摘も当てはまりますが、生き方自体が働き方だと考えれば、どうで

   しょうか。…

 

 全く同感です。
 紙数が尽きました。
 次回は、来年春スタートの中山間地域等直接支払制度の第5期をめぐって、求められる「集落10ヶ年計画」について、何が求められているのか、どう取り組めばよいのか、議会は・行政は何をなすべきか、などを考えて提案していきたいと思っています。