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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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台風19号被害を契機に見えてきた栄村周辺の歴史と姿

 このタイトルの意味、「何だろう?」と思われる人がおられるかと思いますが、お隣の野沢温泉村の七ケ巻(なながまき)集落と平林集落の話です。国道117号線を飯山市方向に走って、朝上(あさがみ)トンネルを抜けて間もなくの集落が七ケ巻、そして虫生(むしう)、矢垂(やだれ)を経て、4つ目が平林集落です。

 

● 台風19号で七ケ巻地先の千曲川護岸が崩落、国が権限代行で護岸工事
 七ケ巻への私の関心は、10月21日付の信毎記事がきっかけで始まりました。
 「千曲川の県管理区間の5ヶ所で国が権限代行の工事」という記事です。その5ヶ所の1つとして「野沢温泉村七ケ巻地先の護岸」とあったので、10月下旬以降、数度にわたって崩壊護岸の撮影や七ケ巻集落の人への聞き取りに行き、ネット検索もして、「七ケ巻の渡し舟」の写真を見ることができました。栄村では「七ケ巻」というよりも「桑名川の渡し」としてよく知られているかもしれません(渡し舟は昭和58年に廃止)。1頁冒頭の写真は七ケ巻の渡し場の名残り、七ケ巻と桑名川の間に張られたワイヤーの支柱がある所を撮影したものです。1頁の写真では写真右端に見えます。支柱だけをクローズアップしたのが下写真です。

 

 

 この七ケ巻集落、国道117を走りながら見る限りでは小さな集落のように思われますが、国道から左折して集落内に入ると、随分と大きな集落であることがわかります。かつては50数世帯あり、現在でも世帯数が30を超えているそうです。若い人の姿も結構見かけます。
 11月18日に訪れた時は、ネットの記事を手掛かりに「七ケ巻スキー場」の跡を求めて集落奥の山道を上りました。山あいにかなり大きな棚田が連なっています。しっかり耕作されていることも現認できました。国道を走っているだけだと、国道と千曲川の間の田んぼしか目に入らないですが、山あいにかなりの田んぼがあり、これが集落の暮らしの基盤となってきたのですね。

 


七ケ巻の棚田 写真奥に見えるのは関田山脈

 

七ケ巻の棚田 写真奥の山並みには奥志賀公園栄線が走る

 

 「七ケ巻にスキー場があった」というのは初耳という人も多いのではないでしょうか。
 そのスキー場、「渡し舟に乗って向かうスキー場」として知られていたそうです。当時は国道がまだ千曲川の左岸を通っていて、スキー客は飯山線桑名川駅で降り、渡し舟で対岸の七ケ巻にむかったわけです。また、このスキー場へ上ノ平(うえのたいら)から下ってくるツアーもあったそうです。

 

● 天代川から見えてきた野沢・平林集落の奥山堰(おくやませぎ)
 台風19号被害以降、私は天代川流域での被害の大きさを重大な問題と捉え、天代川上流・流域のことを調べています。そんな中、ある高齢の人から「天代川の源流の近くから野沢の集落が水路を引いていた。今も続いていると思う」という話を聞きしました。ネットで調べると、「奥山堰」と「平林集落」という2つのキーワードが浮上。
 早速、平林集落に行きました。初めて訪れる集落ですが、とにかく地元の人に声をかけることです。
 集落に入ってすぐに人の姿を見つけ、「奥山堰というものについて知りたくて栄村から来たのですが」と声をかけさせていただきました。「誰に聞くといいかな?」としばらく考えて、作業庫の裏手に姿を消したかと思うと、お父さんらしい人を伴って来られ、「明るい所がいい」と言って、作業庫の中で説明してくださいました。
 「あそこにちょっと高い山が見えるでしょう。あれを越えて、さらに先の毛無山の1300mあたりにあります。」
 この後、野沢温泉村役場を訪れ、奥山堰の管理道路の地図をいただきました。

 

国道117から見る平林集落と「ちょっと高い山」(水尾山と思われる)


 奥山堰のことは、4年前、北信地方事務所農地整備課職員の小松元太さんがレポートされています。
   「かつての平林村(現在の野沢温泉村平林)では、明治の始めまで用水

    を湧水に頼っていたため、水不足に悩まされていました。奥山堰はこ

    れを解消し、水田を増やすため毛無山の東の奥山に水源を求め、明治

    12年、関口銀右衛門(ぎんえもん)が村内の有志11名とともに開削を計

    画しました。この堰の延長は約21辧△Δ遡180mが山を掘り抜く隧

    道」、「私財を投入して取り組んだ銀右衛門らの懸命な努力により、

    10年の歳月を費やして完成に至りました。」
 建設から100年以上を経た水路は漏水や崩落があり、平成2〜6年、団体営かんがい排水事業で野沢温泉村が改修工事を行い、現在も現役で使用されています。

 7頁に国土地理院地図を2枚つなげたものを示します。ちょっと見づらいと思いますが、天代川の位置(青色で示す)、奥山堰の位置(赤丸で示す)、平林集落(赤線で集落名を囲む)、さらに坪野集落(同じ)の位置関係を理解していただければ、地図掲載のひとまずの目的は達成です。(なお、マークの入れ方が下手なので、天代川の源流と奥山堰の所在地が重なっているように見えますが、実際は離れています)

 


 台風19号で奥山堰からの水路では10数ヶ所で被害が発生しているそうです。台風19号被害を栄村内だけなく、隣村と結びつけて捉える必要があるわけです。また、山や川を通じた私たちの暮らしと隣村の暮らしのつながりを意識化していくことが大事だと思います。


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