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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌5月21日〜31日

21日(日) 19日に発生したとされる飯山市の通称「だんご橋」の上流で発生して山腹崩壊。昨夕初めて知り、今朝早くから現地にむかった。
 その後、「No.305+No.306」のセットを20日に配る予定だった横倉、箕作、月岡の計82軒を廻る。横倉の集落内の田んぼの田植えがいっきに進んでいたのが印象的だった(下写真)。

 


 午後〜夜は、飯山市の山腹崩壊のブログ用レポートの作成と、No.307の執筆・編集。

 

22日(月) 4月23日の村議選で当選した議員から成る17期村議会の初議会。
 初議会は本来、「議会構成」だけでいいのだが、村長及び議会事務局に「村長提出の議案がなければ議会を招集できない」という誤認識があったようで、専決処分の承認案件などの審議、さらに村長提出の議会全員協議会もあって、長い昼休憩を挟んで、午後3時近くまでの長い初議会となった。
 昼休みが2時間近くあったので、いったん家に戻り、No.307の編集を完了させた。議会に戻る時、役場横の気温表示は31℃! 午後の議会は窓開けっ放しで開催。
 また、夕刻からは役場側主催の議員歓迎会があったが、議会終了後、その会までの間に「議員活動報告」に掲載する初議会の様子の記録をざっと書き上げた。
 帰宅は午後9時前だったか。明日の配達物の印刷や折り作業で結構遅くなった。写真撮影はなし。

 

23日(火) 今日の主予定は秋山での配達だったが、アスパラの出荷状況を滝沢総一郎さんにお聞きする必要があり、朝7時頃、総一郎さん宅へ。先週末からの気温上昇でアスパラの成長がようやく順調になったようだ。「まあ、少し持っていきないさいよ」と言って、随分たくさんのアスパラを下さった。何人かにおすそ分けしたが、私自身は秋山から戻った午後4時頃にさっと湯がいたもの3本分をマヨネーズをほんの少しつけただけで豪快にいただいた。これぞ“ザ・アスパラ”。美味い!
 宮川頼之さん宅にも立ち寄り、さらに青倉で1軒、上がって少し話。その後に秋山へ。
 頼之さん宅では、期待していた通りの場面に出会い、写真を撮らせてもらった。昨年誕生した育真(いくま)ちゃん。お母さん、じい・ばあがアスパラの出荷作業をされている所でハイハイ。素晴らしい子育ての姿だと思う。一哉さんそっくりだ。

 

 


 日出山線→鳥甲牧場→五宝木集落→天池→切明→林道経由で屋敷→小赤沢の順。途中で電話取材受けが入り、少し時間がおしてきて、上の原の10軒、和山の11軒は後日配達に変更し、秋山では75軒の配達。
 夕刻6時に十日町で「中越」の阿部巧さんと数年ぶりで会った。いわゆる「地域おこし(づくり)」に関わる若者がどのようにして一定の収入を確保するか、あまりお金をかけない空き家再生・活用について、「中越」で蓄積されてきた経験・知恵についてご教示いただいた。空き家については、6月に具体例を複数見せていただくことになった。こういう教示、経験や知恵の交流がとても大事だ。
 帰宅後、やはり印刷・折りなど。

 

24日(水) 5月の青倉米発送の一部発送と全体の発送準備。
 その中で、森の広瀬敏男さんご夫婦の約7畝の田んぼの手植え、また、小林昇子(のりこ)さんと広瀬トヨさんの2枚の田んぼの手植えを撮影。(写真左はトヨさんの手植えの姿。植えるのがものすごくはやい。写真右はトヨさん(左)と昇子さん(右)

 

 

 

 日中は予報されていたような雨は降らず、パラパラ。基本は曇天。4人共に「これが “田植え日和(びより)”」と言っておられたが、たしかにそのとおり。昨年6月初め、カンカン照りで汗をかきながら田植えしたことを思い出した。
 この田植えの撮影の合間に、敏男さんの田んぼのすぐ横、広瀬隆司さんの家のツツジを撮影した。昨年、撮影を頼まれた縁で、このツツジの存在を知った。いろんな写真を撮ったが、ここでは、お宅のすぐ脇のいちばん立派なツツジを紹介させていただきたい。

 


25日(木) 朝から午後3時すぎまで。青倉米の発送準備に没頭。何人かには急遽、アスパラも送ることになったので、その注文や受け取りに走ったことも時間を要した一因。
 配達はほとんどできなかったし、写真も1枚も撮っていない。
 疲れがたまったようで、夜、かなり早く寝ることにした。

 

26日(金) 朝7時半頃、平滝から野々海へ。野々海の融雪の状況を見ておきたいと思っての行動。野々海の雪はまだ多い。今年はとにかく雪が硬く、少々の気温上昇でもあまり融雪が進まない。
 でも、水番小屋の扉を開けられる状況にはなっていた。6月4日の野々海普請はなんとかなりそう。また、堤に下っていく道の脇の雪が、低くなっている(減っている)だけでなく、地面の方からも融けるようになっているのが確認できた(下の写真)。こうなると、これからの融雪のテンポは上がるかもしれない。

 


 平滝から野々海にかけて、山菜採りに入っている人が多い。地元の人間ではない。また、野々海に上がる時に「福岡」ナンバーの車を見かけ、不審に思った。帰路でも同じ車がいて、車に捕虫網が立てかけてあった。集落に近い地点であり、また近くに別の観光客集団もいたので、思い切って声をかけた。「何を捕るのですか?」と尋ねると、「言わなきゃいかんとか?」と博多弁ですごまれた。「はい」と言うと、それなりの返答。捕虫網を持っている人間に声をかけるのはかなりおっかない。臨機応変、声をかけるか・かけないか、的確な判断をしなければならない。
 また、「復興への歩み」でも取り上げるが、ブッポウソウの観察に観光バスが平滝の簡易水道場のところまで上がってきているのに出会って、驚いた。
 明日27日に東京・神田で、この2年、私がアスパラや山菜を持って行っていた「すずらん祭り」があるが、今年はさすがに行く時間がとれない。小滝におられた加藤さんが現場での販売をやって下さるので、宅急便で発送。午後はその作業でほとんどの時間を費やした。
 配達は横倉などで14軒のみ。

 

27日(土) 朝方、平滝・白鳥で48軒を配達した後、飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の現場へ。
 今日は、震災の後、栄村をご支援下さった、現桑名川区長の鷲尾静雄さんなどに避難所でお会いできて、いろいろとお話をお聞きすることができた。

 

山腹崩壊が発生した箇所。21日に続き、2回目の撮影。


 帰村後、午後は東部を中心に55軒。
 夕刻から、飯山の山腹崩壊・土石流をめぐってレポート書き。
 今日午前10時開始の「すずらん祭り」に宅急便が間に合うか、ヤキモキしたが、午前10時20分過ぎ、加藤さんから「荷物が届いた」という連絡をいただいて、ホッと胸をなでおろした。山腹崩壊の現場に向かう途中だった。

 

28日(日) 朝方、20軒の配達の後、すずらん祭りに届けたワラビとタケノコをお世話いただいた天地の斉藤克己さん宅を訪ねて、少し話をしていると、「天地の山で行方不明者発生。道案内をお願いする」という連絡が克己さんに入った。
 役場職員と共に現場に向かう斉藤夫妻に同行。現場に着く直前、行方不明者を出したグループの車と出会う。「警察に電話したが、『道がわからないから、県道の天地入口で待っていてほしい』と言われた」とのこと。私が警察を出迎えに下りた。すぐに来るのかと思いきや、飯山署からの出動で30分ほど待った。
 警察官と共に現場に戻った。行方不明者とは携帯がつながっていたので、パトカーのサイレンを鳴らし、「聞こえるか」と尋ねたが、「聞こえない」という返答。携帯の充電が切れそうとのこと。斉藤勝美さんと共に沢に下った。たしかに良いタケノコが出ている。だが、行方不明者は見えず。かなり険しいところで、とくに林道に戻る時の登りがきつかった。(翌日、足の筋肉に張りが出た)
 行方不明になったのは須坂市の83歳男性。家族が捜索願を出して、消防団と警察ヘリが出動することに。消防団は午後3時天地集合。私はそれと入れ替わりに配達に戻った。間もなく、ヘリが発見。人騒がせである。斉藤克己さんお話では、「朝方、車が4台上がって行った」とのこと。クマの問題もあり、放置できない問題である。

 

29日(月) 東京・駒場の保育園の父母に5月〜9月、月1回野菜を直送という仕事を今年から引き継ぎ、今日がその発送日。
 その仕事にとりかかる前に、「スキー場頂上部の林のイワカガミの開花状況を見ておこう」とスキー場へ。「そろそろ一斉開花か」という予想は当たっていて、いい写真が撮れた(「復興への歩み」で紹介の予定。スキー場頂上からの眺めの写真は次頁)。
が、野菜発送に要する時間の判断に狂いがあって、夕刻4時の宅急便回収に間に合わない荷物が出てしまった。結局、その分を運んで飯山市木島のクロネコヤマトの営業所まで行くことになってしまった。
 帰路、桑名川に立ち寄ったところ、「土石流の危険」で通行止めになっていた県道の出川橋の通行止めが解除になっていた。4世帯への避難指示は継続。飯山線は運休を続けているが、飯山線の鉄橋は出川橋よりも安全な状況。JRの判断には疑問をもつ。
 配達はできず。

 

スキー場頂上からの眺め(午前9時45分撮影)

 

30日(火) 起床は早かったが、「議員活動報告」の印刷と別原稿の執筆中の午前9時すぎ、村内放送で「森の都丸幸郎さんが行方不明」という放送。朝6時にも放送があったが、その時は氏名非公表。都丸さんの名前が出たので、役場に電話し、私は青倉の山へ。
姿は見えず、青倉・西山田の農道とスキー場内の村道との三叉路から下る途中に警察官と出会い、「貝立山にはこの道を進めばいいのか?」と尋ねられた。たしかに「この道を進めばいい」のだが、土地勘がないと感じたので、私が道案内役をかってでた。
 結局、ご遺体で発見することになってしまった。毎年、山菜採りによく行かれた場所だった。残念な結果になったが、山村・栄村で暮らしてこられた都丸さんらしい最期とも言えると思う。ご冥福をお祈りする。
 午後遅くから森と青倉で62軒の配達。少し立ち寄り先で話をしたりして、夜6時半すぎに温泉へ。
 なお、今朝5時すぎに起きた時は寒くてストーブをつけた。午前中は雪の上にいたので暑さを感じなかったが、午後、里では猛烈に暑かった。

 

31日(水) 朝は5時から6時の間の起床。メール送信やブログのアップをした後、「野々海の様子を見ておこう」と考え、8時頃に平滝から上がった。
 見ておきたかった様子というのは、1つは残雪状況だが、もう1つは無断での山菜採りなどでの状況の把握。
 残雪は相変わらず多いとも言えるが、6月4日の普請がある程度出来る状況にはなっていた。
 無断の山菜採りはやはり多い。関東圏のナンバーも見える。そのうえで、今日最も驚き、「困ったな」と思ったのは、信越トレイルの天水山越えをするというグループ(10人ほどで女性が多かった。東京方面から)に出会ったこと。夕刻までに遭難騒ぎは聞いていないので松之山口に無事下りたのだとは思うが、まだまだ雪が多いこの時期に天水山越えというのは無謀としか言いようがない。それ以上に困ったのは、「私は地元です」と名乗った案内役。「地元って何処ですか?」と問い返すと、「斑尾」とのこと。これは「地元」ではないと私は思う。野々海に人を案内してくる飯山方面の人はほとんどの場合、自分のことを「地元」と主張される。  「栄村がしっかりしていないのが悪い」と言われれば、それまでのこととなってしまうが、私は納得し難い。
 そんな次第で午前10時半過ぎに下に下りたが、暑い! 頑張って配達をしたが、昼すぎから強烈な眠気。これは寝不足の結果というよりも、熱中症の1つの症状ではないかなどと思った。あまり無理すべきではないと考え、午後は4時頃、散髪へ。
 夜は早く就寝。

 

 最後に写真を3枚。

 

タニウツギと高倉山・青空(28日午後撮影)
栄村ではタニウツギはあまり好まれないようだが、原因は「火事を呼ぶ花」と言われたことなどだと思われる。だが、綺麗な花だ。「田植え花」という別名もある。

 

秋山郷・白沢近くの不動滝
(5月23日午前撮影)

 

天池から眺める鳥甲山
(5月23日午前撮影)


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