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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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小谷村・白馬村情報2015年11月21日

 地震から1年目を翌日に控え、昨21日、小谷村・白馬村を久しぶりに訪ねてきました。
 朝9時すぎに栄村を出発し、11時半頃、白馬村の神城・堀之内区に立ち寄り、21日の主要な訪問先である小谷村中谷地域に12時半頃に到着。小谷村を出て、再び白馬村の1〜2ヶ所の様子を見て、帰路についたのが5時半頃という強行軍スケジュールでした。私の体調がよければ、もう少し踏み込めたのですが…。

小谷村の公営住宅建設作業進む



 上の写真は、被害が最も大きかった中谷(なかや)地域の中の戸石というところで進められている公営住宅建設の様子です。
 2棟見えますが、これで4世帯分です。もうかなり完成に近いですね。
 手前にコンクリートの土台工事が見えますが、これはこの公営住宅用の車庫です。
 
甚大な被害が最も集中した中谷地域
 中谷地域づくり協議会からいただいた資料によれば、公営住宅(村営住宅)は小谷村内で計4ヶ所12戸分。1ヶ所2戸分が南小谷地区で、あとの3ヶ所10戸分はすべて中谷地域です。
 中谷地域は、震災前、15集落、110戸、人口260人、高齢化率60%。その中谷地域で、全壊24戸(小谷村全体で33戸、以下、括弧内は村全体の数))、大規模半壊12戸(18戸)、半壊26戸(57戸)という大きな被害を受けました。
 建設中の公営住宅(村営住宅)の9割以上が中谷地域に集中しているのも肯(うなず)けます。
 
「復興住宅」建設での栄村との事情の決定的な違い
 公営住宅(村営住宅)は栄村での復興公営住宅に相当するものですが、建設費用の資金源に決定的な違いがあります。
 栄村では、東日本大震災復興基本法に基づく財政措置があり、国の復興交付金で復興公営住宅を建設することができました。
 しかし、小谷村(白馬村)では、これに相当する財政措置はありません。






 
 この3枚は、中谷地域の公営住宅建設工事現場に掲げられた看板。
 稲葉と戸石の3棟6戸分は「社会資本整備総合交付金」が原資になっています。長崎集落の2棟4戸分はなんと村単事業(村単独の財政支出で、国・県の補助金は入らない)です。
 復興にむけた財源確保の厳しさを窺(うかが)い知ることができます。
 そういう状況の中で、震災1周年を前に、公営住宅の建設が進み、完成がもう射程内に入ってきていることは非常に重要な前進だと思います(稲葉の1棟2戸分のみはようやく基礎工事に着手という段階ですが)。
 昨21日の「信濃毎日新聞」は1面トップで「白馬2地区に被災者住宅」という記事をおいていますが、白馬村の復興住宅建設方針はあきらかにテンポが遅いです。だが、記事にはその指摘はなし。「被災者のおかれている状況、心情の平素からの取材ができていないな」、「全然わかっていないな」と思わざるをえません。その他方で、小谷村の公営住宅建設の取り上げ方はあまりにも小さく、財源確保をめぐる村の苦労なども取材できていないのだろうなと思いました。

白馬村堀之内地区の様子
 やはり「信毎」21日記事で、堀之内地区のドローンでの空撮写真を掲げて、「集落が再生されつつあることが見て取れた」という報道をしていますが、私が21日に堀之内地区を訪れて見た印象はそれとはまったく逆と言っても過言ではないものです。
 全壊や大規模半壊の住居・建物のほとんどが解体・撤去され、更地が目立つ状況は、かつて震災から半年ほどが経過した時に栄村の青倉集落で目にしたものとよく似ています。でも、震災から丸1年。住宅再建に限らず、地区内道路の再建・整備などを含めて、もっとあちこちで工事の槌音が聞こえるかと思いきや、そうではありませんでした。
 私がとくに驚いたのは、地区内道路の状況のひどさです。



 上写真がその状況を撮った1枚です。小谷村で人と会う約束の時間が迫っていたので、この1枚しか撮れませんでしたが、もっとひどいところもありました。
 もう間もなく積雪期。これで道路除雪作業ができるのかが心配。今朝、電話取材しましたが、関係者は「厳しい」と言っておられました。
 この背景にあることの1つは、やはり財源問題ではないかと思われます。
 もう1枚、ご覧ください。



 堀之内地区のお宮がある小高い山の様子です。
 お宮は全壊し、この山全体が危険な状況と聞いていましたが、写真に見られるような工事が行われている様子を見て、「一安心」。しかし、工事に関する看板を見て、「えっ?」と思いました。
 少なくとも写真には充分に写っていない右部分での工事(下写真)は、「地震で壊れた村道の法留の復旧」とされ、発注者が白馬村になっているのです。





 
 栄村のみなさんは思い出してください。栄村では村道の復旧もほぼ100%、国の経費で行われたことを。「東日本大震災の一環」と位置づけられた栄村と、「大震災」とは位置づけられていない「地震・震災」とで、国の扱い方がここまで違うのです。
 国の姿勢・方針がなによりも問題です(地震直後にパフォーマンス的に白馬村を訪れた安倍首相はこの現状をどう説明するのでしょうか)。とともに、小谷と白馬で、村(長)の姿勢の違いということもあうように感じました。
 
中谷地域を応援していきたいと思います
 今回は昨日の訪問状況の簡単な報告ですので、詳しいことは別の機会に譲りますが、壊滅的と言っても過言ではない被害を受けた中谷地域では、しかし、力強い復興への各種取り組みが行われています。
 その背後には昭和50年代から中谷地域づくり協議会というものを組織し、地道で多様な取り組みをされてきたことがあるようです。
 21日は(22日も)、「おたりの雑木を活かすための森林フォーラム」というものが、中谷にある「中土観光交流センターやまつばき」で開催されていました。
 もともとは今年3月に予定されていたものですが、昨年11月の地震で地元住民がとても開催の気分になれず延期されてきたものです。地震からちょうど1年の21、22両日にこのフォーラムが開催されたのは、中谷地域の人たちの復興への力強い立ち上がりを物語っていると思います。
 中谷地域づくり協議会の息長い取り組みは、栄村の復興に取り組んでいくうえで参考になるものが多々あるようです。追々、紹介していきたいと思います。
(下写真はフォーラムに集まった中谷の人たち)


 
 
堀之内地区のあの素晴らしさを記録に留めることが必要
 他方、堀之内地区をめぐっては、震災直後、死者を1名も出さずに救出活動を展開した地域の絆の素晴らしさが大きな話題になりました。
 いまでも、地震防災対策のフォーラム等では話題になりますが、あれは「絆」一般ではなく、防災への具体的な取り組みに裏打ちされたものであり、それは被災後の被害状況の把握などにおいても発揮されたものでした。私は当時の区長・鎌倉さんが手にしておられた被害状況が詳細に書き込まれた地図を拝見して感心したものです。
 しかし、そういう活動が現時点では充分には記録化されておらず、また、公開もされていません。その貴重な記録を活かすことも真剣に考えなければならないなと思います。
 
 以上、簡単ですが、昨21日の小谷村・白馬村訪問の報告です。
 
(下に中谷地域の地図を掲載します)


 

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