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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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北野の林道から見た眺め(続編)




 これは12日の第1報で掲載した写真を撮った地点から林道を少し進んだ地点からの眺め。再掲する地図(最後に掲載)に緑色の〇印をつけたところだと思う。12:05撮影。

 この写真では、栄村の東部地区を走る県道森宮野原北野線がかなりよく見える。
 もう1つ、面白いなと思ったのは、第1報の写真でも見えた長瀬新田のあたりに加えて、その手前、一段標高の低いところに当部集落が見えることである。当部集落を越え、県道をさらに進むと北野集落に入るが、北野集落はこの林道の直下になるので写真には写っていない。
 長瀬新田−原向集落と当部集落では標高がかなり異なることは村人にとっては周知のことだが、こういう「絵」でその関係が見えるというのはあまり経験のないことではなかろうか。この写真では長瀬新田から左に進んだところに当部新田地区の姿が微かに見える。当部新田はまさに当部集落の裏山の真上にあることがわかる。
 当部集落から原向に上がる道がある(今は基本的に使われていない)と聞いているが、一度、「探検」してみたい。(当部集落の隣・笹原集落から原向に上がる道は一度歩いたことがある。たしか長瀬新田の近くに出た。)
 
 
 同じ地点で、東部地区をクローズアップして撮ったものも紹介しておきたい。
 
 
 少しトリミングしているが、県道、そして旧東部小がよく見える。県道沿いのクリーム色の大きな建物だ。3階の窓が見え、その下に落下式の黒っぽい屋根が見える。
 その旧東部小は長瀬集落に位置するが、その長瀬集落の住居が県道沿いに見える。その県道よりもやや標高が高い写真左手に田んぼゾーンが見える。いわゆる「中田(なかだ)」である。そして、それよりもさらに標高が高いところがさらに左手にあり、やはり田んぼが見える。原向の広大な田んぼゾーンである。

 この長瀬集落、中田、原向をほぼ一直線に上がるコースが「長瀬坂」である。県道横倉長瀬線が整備される以前は原向集落の人たちが山を下るのに使った道である。長瀬坂は現在も農道として使われているが、地元の人に聞いたところでは、軽トラで往来できるように以前のものよりもいい道になっている。私は何回か軽トラで通ったことがあるが(この前日も)、急坂とスピンカーブの連続である。原向に田んぼを持つ長瀬集落の人たちが田んぼに通うのに、県道廻りよりも早く行き来できる。

 
 この地点からかなり進んだ地点で、作業している人と出会った。顔見知りの若者で、「この道はどこかに出るんかい?」と尋ねると、「極野線にぬけますよ」という返答。それで、このまま進んでも大丈夫と思い、さらに進むことにした。ただし、正直に言うと、「極野線」という呼び名を私はいままで聞いたことがなく、「極野の近くに出るんだな」という程度に理解した。
 道は本当にいい道なのだが、唯一、落石が見られる箇所があった。どのあたりなのか、林道入り口からの距離などは記録していないが、地図をよく見ると、「がけ(岩)」のマークのあるところが存在する(地図に青色でマーク)。おそらくこの地点であろう。
 まず、落石の様子。12:16撮影。


 
 続いて、崖面を見上げた様子。


 
 これは地質的、地形的に落石は避けられないところだ。
 この地点で、崖面と反対側を眺めると、こんな景観。
 
  
 高倉山の北側のなだらかな斜面。地図で見ると、「大ズンネ」と言うそうである。栄村では山の嶺を「つんね」と呼ぶので、「ズンネ」というのは「ヅンネ」なのではないかと思う。「東部パイロットから栄村の四方を眺める」でも注目したものの一つ。

 おっかなかったのは、林道から下を覗いた時だった。写真を示すが、ものすごく深い谷である。



 落ちた場合、途中で何かに引っかかって、谷底までは落ちないだろうが、救出も困難であろう。この谷を流れているのは釜川。清津川に合流する釜川とは別のもので、この釜川は長瀬で北野川と合流し、志久見川となる。五宝木集落に近いところでは、人が釜川に入ることができる地点が複数あるが、このあたりではほぼ不可能なのだろうと思う。
 
 
 この地点から少し進んだ地点で、進んできた道を振り返って1枚撮った(12:18)。
 

 
 手前は落葉した広葉樹林だが、その先に緑の杉の木がかなり見える。
 もちろん植林されたものだろう。この林道はこれらの植林のために拓かれたものなのではないか。高橋彦芳氏に話を聞いてみるのがよいのではと思う。
 
 
  
 進行方向右手に再びスキー場が見えてきた。12:21。
 「そろそろ林道も終わりに近づいたな」とは思ったが、どこに出るのかは依然として不明。
 
 その次に撮影したのが下の写真(12:22)。



 真ん中にくねくねと進む道が見える。拡大してみると、舗装され、ガードレールもある。私の頭の中にある村内の道路の様子から判断すると原向集落の野口から天地に向かう道路以外に考えられない。
 しかし、写真右上方は拡大してみると、山裾に棚田が続き、細い農道も確認できる。
 ところが、野口〜天地間の近くにはそういう所は存在しない。拡大した画像をさんざん見つめ、地図もよく見て、いまのところ辿り着いた「結論」は、それは青倉集落西山田の棚田なのではないかということ。
 実際は千曲川を挟んで、とてつもなく離れているところであるが、この林道から遠望すると、こんなふうに見えるのかもしれない。
 
 
 最後は、素敵なブナ林の中を抜けていくことになった。道一面、落ち葉で埋め尽くされていて、なんとも言い難い感動。ただ、落ち葉は濡れているとスリップするので要注意。そのためか、写真は1枚しか撮っていなかった。
 
 
 
 そして、いよいよ「極野線」に出た。
 

 
 なんと、極野と五宝木を結ぶ村道鳥甲線の標高が最も高い地点で、頻繁に通っているところであった。
 
 しかも、私は今年6月にこの林道にほんのわずかだが、この地点から歩いて入っている。五宝木の山田政治さんから鳥甲線が「地震以来4年間も通行止めになったままであるのはおかしい」と訴えられ、鳥甲線の状況を見に行った際、森林組合が、倒木の恐れのあるナラの立ち枯れ木の伐採作業を行っているのに出会い、ほんの少しだけこの林道に入ったのである。
 その時は、まさかその先に延々と北野集落まで続く林道があるとはまったく思いもつかなかった。その時の写真を1枚、引っ張り出してみた。
 
 
  
 新緑が萌え出て、いま(11月)とはまったく様子が違う。作業に入って行く森林組合の若者の姿を見て、「深い森に入って行くんだな」と思ったものである。
 
 
 「北野の林道から見えた眺め」はここまで。
 日頃、除伐や間伐の作業に入る森林組合の人からみれば、「探検」でもなんでもないだろうが、ほとんどの村民にとっては「知らざる世界」だと思う。
 こうした「探検」は、私のただの遊びだと思われるかもしれない。だが、私は真剣である。「栄村は自然が豊かだ」と言っているだけでは、何事も始まらない、進まないと思う。「東部パイロット、原向、天地、坪野を探検する」で少し議論したが、“新しい視点”が生まれ、成熟していくはずである。
 ただ、この「探検」もしばらくはお休み。今日13日も体調が芳しくなく、診療所で先生に「少し安静にしなさい」と指示されたからである。でも、まだ整理していない写真データがかなりあるので、その整理と熟考という意味での「探検」は続くだろう。
 

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