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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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北野の林道から見た眺め




 12日午前、北野集落の配達があと1軒になった時に、また「探検心」が蠢(うごめ)き出し、約2時間、道のない山の中に入ったりして動き廻った。それを終えて、「あと1軒」のすぐ近くまで行った時、またまた、その家のそばに入り口がある林道が気になり、動いてしまった。
 その林道には、栄村に移ってきた直後に、当時の職務との関係で国土調査対象地の確認に立ち会うことになり、案内されたことがある。だが、その林道の入り口には通常、チェーンが張られていて入れない。だから、今日も「まあ、入れないだろう。入り口の写真だけ撮れればいいや」という軽い気持ちだった。
 だが、実際に行ってみると、チェーンがない(後で判明するが林道の先で作業が行われていたためだった)。そこで、どんどん進んだ。ガードレールもあり、カーブミラーも設置されている。しっかりした法面施工も施してある。
 そうこうするうちに、すごい眺めが目に飛び込んできた。それが冒頭の1枚。
 これこそ、私がこの数日の間、追い求めていた1枚であった。栄村の北方向(野々海高原などがある)から津南町にかけての山並みが全体として1枚に収まるものである。
 
  
 写真にはさかえ倶楽部スキー場のゲレンデが見え、その右には中条川上流の3・12地震による崩壊地が見える。
 スキー場のゲレンデの上方に見える3つの連山のいちばん右が三方岳、さらに右が天水山。その下に中条川上流の崩壊地がある。そこからさらに右の津南町あるいは十日町市(松之山)の山々の名前はまだよくわからない。しかし、この1枚が撮れたことで、この写真を示しながら、いろんな人に尋ねることができる。
 この1枚を撮影した地点は、下地図に赤丸を付けたあたりと思われる。
 
 
  
 8年前にこの林道に入った時も、この赤丸の地点を通っているはずだが、当時、こういう眺めを目にした記憶はない。8年前にこの場所を訪れたのはおそらく初夏の頃。木の葉が繁っていて、今回の写真のような眺めは見えなかったのだろうと思う。
 11月中旬といういまの時期は地形を見るのに最適の時期なのである。
 12:02の撮影だが、その時に望遠を効かせて撮ったものを2枚示したい。
 
  
 たしかに見覚えがある家並みである。
 だが、写真データをパソコンに取り込んで、拡大しながら見たが、どこなのか、すぐにはわからなかった。写真の上部にはスキー場のゲレンデの下方が見える。
 地図とも突き合わせ、頭の中にある村内各所の家並みの記憶を喚起して、ようやくわかった。原向の長瀬新田である。真ん中に見える赤い屋根の家の裏手がお宮の森である。
 林道のこの地点から眺めると、国道117号線沿いは山と山の間の峡谷部であり、見えないのだ。これは「ひとつの発見」である。
 
 もう1枚は栄村の東部地区方向を概観できるものである。



 写真中央やや右寄りに、旧東部小学校(現・長瀬団地)が見える。左方に急傾斜した屋根、建物の白さが特徴である。
 写真の左端に見えるのは津南町の羽倉集落(森集落のすぐ隣り)、中央寄りに見える大きな建物は津南町の宮野原小学校、そして、旧東部小よりも写真の前方に見えるのは津南町の加用集落あたりである。

 
 この後も、驚くような眺めを見ることができた。とくにこの林道が辿り着いた地点は本当に驚くものだった。
 それは続編で紹介したい。今日はここまでとする。
 

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