3月1日〜5日という日
- 5年間を思い出す
- 2016.03.06 Sunday
「5年間を思い出す」を作成する作業がしばらくストップしていたが、2月25日から3月5日にかけての写真記録をある程度整理することができた。
震災の翌年、2012年は今ほどたくさんの写真は撮っていない。写真がない日が多く、3月1日〜5日では2日の写真のみがあった。2013年はやはり病気で写真がない。2014年になるとぐっと写真が増える。そしてまた、13年12月から村の1軒、1軒を自身で配達に廻るようになったことで初めて知ることが出てきていることがわかる写真もある。
2012年3月2日
旧国道の青倉〜横倉間にある横倉沢橋の震災復旧工事の様子。
「2012年2月22日」と「2012年2月24日」で横倉沢橋に至る道路の道割り・除雪の様子の記録写真を紹介したが、3月2日には除雪をうけての震災復旧工事が進められている様子の記録写真があった。
国道117号線に架かる栄大橋をはじめとして、村内の橋の多くは飯山市方向へずれ、道路と橋の間に隙間ができた。そこで、橋台を造り直すことになる。横倉沢橋でもその様子が見られた。次の写真がそれである。
同時に、中条橋は12年1月末に落下したばかりで、その無残な姿をさらけ出したまま。3月2日にその姿を撮っている。これを毎日、目にする青倉の人たちの気持ちには当時、辛いものがあっただろう。
2014年3月1日
2013年3月には「飯山線の旅」という復興支援イベントを行ない、盛況であったが、2014年は計画がされたものの実施には至らず。でも、当時、小滝に住んでおられた加藤彰紀さんの友人が「冬の飯山線の旅を体験してみたい」ということで村を訪ねてきてくださった。写真の女性である。
案内は加藤さんがやって下さったので、私が撮ったのは森宮野原駅到着時の1枚のみ。
もう1枚は小滝の古民家保全・修復の進展度の記録写真。
雪の中、外壁がどんどん出来てきている様子がわかる。
2014年3月2日
原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約150cmある。
復興交付金による直売所施設の建設工事の始まり。用地の整備の段階だ。
14年3月という時期は、一方で役場が「雪国産直塾」という講演会シリーズをやっていたが、村民自身が主体となる直売所づくりという意味ではある種の混迷期であった。昨年開店以降の直売所の発展は、この当時には想像できないものだったと言っていいだろう。
2014年3月3日
月岡〜小滝間の村道での道路除雪隊の活動の様子。ロープで雪庇(せっぴ)を落とそうとしているところだと思われる。写真右手前に後姿が写っているのは野田沢集落の宮川一哉さんだ。
こちらは小滝の古民家保全・修復作業の様子。
2014年3月4日
役場の通路の展示スペースに飾られた吊るし雛。
森集落のかあちゃんたちが制作されたもの。
震災で家が壊れ、長年住み慣れた場所から少し離れた場所の復興住宅に入られた人などが互いに交流し合い、日常の暮らしを取り戻していくうえでとても大事な取り組みである。
もう1枚掲載しておこう。
次の写真から2015年に移る。
2015年3月2日
箕作〜明石を結ぶバイパス建設のための平滝での橋脚建設の様子を撮影している。
2015年3月3日
原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約250cmを示している。
2014年3月2日は先に示したように約150cmであるから、やはり2014-15年冬は雪が多かったことがわかる。
それでも、早いところでは蕗の薹が姿を現わした。次の写真は青倉で撮ったものと思われる。
こちらは建物がほぼ完成した直売所。1年前は「2014年3月2日」で示したように建設用地の整備の段階。1年間の変化がよくわかる。しかし、村民が主体的に運営する直売所の様子が見えるようになるにはもう少し時間を要した。
中条川の白山神社横の砂防えん堤と、その少し上流の谷止工との間での除雪作業の様子。
今年2016年はこういう光景は見られない。中条川上流の山腹崩壊、土石流の対策については不明な点、納得できない点が多々あるが、時の変遷が状況を変えている面もあるように思う。中条川問題をきちんと解明しなければならないという気持ちを新たにした。
2015年3月4日
白鳥集落の奥の方、橋場川に架かる小さな橋の様子。ここを渡った先に2軒の家がある(1軒は現住、1軒は留守家)。
まだ凄い積雪量で、橋場川はほとんど雪に隠れていた。
2015年3月5日
森宮野原駅構内での撮影と思われる。
栄村の平年で3月5日という時期はこんな風景が普通である。
これは国道117号線栄大橋の下。重機が2台見える。中条川護岸の「災害復旧工事」である。この復旧工事は「公式」には「2013年台風18号による災害の復旧工事」となっている。だが、「2013年台風18号による災害」とは中条川の土石流のこと。2011年3月12日の震災による中条川上流山腹崩壊が原因の災害である。
震災復旧工事と一般の災害復旧工事とでは国の補助率も変わってくるケースがある。ところが、震災の影響というものは震災直後だけでなく、3年、4年を経た後に出てくるものもある。それが「震災復旧」から切り離されるのは納得がいかないものである。
次の1枚は、同じく「台風18号災害復旧工事」とされた、青倉集落の用水取り入れ口「大堰(おおせぎ)」の復旧工事のための除雪作業の様子。
震災の翌年、2012年は今ほどたくさんの写真は撮っていない。写真がない日が多く、3月1日〜5日では2日の写真のみがあった。2013年はやはり病気で写真がない。2014年になるとぐっと写真が増える。そしてまた、13年12月から村の1軒、1軒を自身で配達に廻るようになったことで初めて知ることが出てきていることがわかる写真もある。
2012年3月2日
旧国道の青倉〜横倉間にある横倉沢橋の震災復旧工事の様子。
「2012年2月22日」と「2012年2月24日」で横倉沢橋に至る道路の道割り・除雪の様子の記録写真を紹介したが、3月2日には除雪をうけての震災復旧工事が進められている様子の記録写真があった。
国道117号線に架かる栄大橋をはじめとして、村内の橋の多くは飯山市方向へずれ、道路と橋の間に隙間ができた。そこで、橋台を造り直すことになる。横倉沢橋でもその様子が見られた。次の写真がそれである。
同時に、中条橋は12年1月末に落下したばかりで、その無残な姿をさらけ出したまま。3月2日にその姿を撮っている。これを毎日、目にする青倉の人たちの気持ちには当時、辛いものがあっただろう。
2014年3月1日
2013年3月には「飯山線の旅」という復興支援イベントを行ない、盛況であったが、2014年は計画がされたものの実施には至らず。でも、当時、小滝に住んでおられた加藤彰紀さんの友人が「冬の飯山線の旅を体験してみたい」ということで村を訪ねてきてくださった。写真の女性である。
案内は加藤さんがやって下さったので、私が撮ったのは森宮野原駅到着時の1枚のみ。
もう1枚は小滝の古民家保全・修復の進展度の記録写真。
雪の中、外壁がどんどん出来てきている様子がわかる。
2014年3月2日
原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約150cmある。
復興交付金による直売所施設の建設工事の始まり。用地の整備の段階だ。
14年3月という時期は、一方で役場が「雪国産直塾」という講演会シリーズをやっていたが、村民自身が主体となる直売所づくりという意味ではある種の混迷期であった。昨年開店以降の直売所の発展は、この当時には想像できないものだったと言っていいだろう。
2014年3月3日
月岡〜小滝間の村道での道路除雪隊の活動の様子。ロープで雪庇(せっぴ)を落とそうとしているところだと思われる。写真右手前に後姿が写っているのは野田沢集落の宮川一哉さんだ。
こちらは小滝の古民家保全・修復作業の様子。
2014年3月4日
役場の通路の展示スペースに飾られた吊るし雛。
森集落のかあちゃんたちが制作されたもの。
震災で家が壊れ、長年住み慣れた場所から少し離れた場所の復興住宅に入られた人などが互いに交流し合い、日常の暮らしを取り戻していくうえでとても大事な取り組みである。
もう1枚掲載しておこう。
次の写真から2015年に移る。
2015年3月2日
箕作〜明石を結ぶバイパス建設のための平滝での橋脚建設の様子を撮影している。
2015年3月3日
原向集落の中村正文さん宅の積雪計。約250cmを示している。
2014年3月2日は先に示したように約150cmであるから、やはり2014-15年冬は雪が多かったことがわかる。
それでも、早いところでは蕗の薹が姿を現わした。次の写真は青倉で撮ったものと思われる。
こちらは建物がほぼ完成した直売所。1年前は「2014年3月2日」で示したように建設用地の整備の段階。1年間の変化がよくわかる。しかし、村民が主体的に運営する直売所の様子が見えるようになるにはもう少し時間を要した。
中条川の白山神社横の砂防えん堤と、その少し上流の谷止工との間での除雪作業の様子。
今年2016年はこういう光景は見られない。中条川上流の山腹崩壊、土石流の対策については不明な点、納得できない点が多々あるが、時の変遷が状況を変えている面もあるように思う。中条川問題をきちんと解明しなければならないという気持ちを新たにした。
2015年3月4日
白鳥集落の奥の方、橋場川に架かる小さな橋の様子。ここを渡った先に2軒の家がある(1軒は現住、1軒は留守家)。
まだ凄い積雪量で、橋場川はほとんど雪に隠れていた。
2015年3月5日
森宮野原駅構内での撮影と思われる。
栄村の平年で3月5日という時期はこんな風景が普通である。
これは国道117号線栄大橋の下。重機が2台見える。中条川護岸の「災害復旧工事」である。この復旧工事は「公式」には「2013年台風18号による災害の復旧工事」となっている。だが、「2013年台風18号による災害」とは中条川の土石流のこと。2011年3月12日の震災による中条川上流山腹崩壊が原因の災害である。
震災復旧工事と一般の災害復旧工事とでは国の補助率も変わってくるケースがある。ところが、震災の影響というものは震災直後だけでなく、3年、4年を経た後に出てくるものもある。それが「震災復旧」から切り離されるのは納得がいかないものである。
次の1枚は、同じく「台風18号災害復旧工事」とされた、青倉集落の用水取り入れ口「大堰(おおせぎ)」の復旧工事のための除雪作業の様子。