プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

写真集栄村の大地を巡る



 頂上が薄っすらと雲に覆われかけているが、真正面に鳥甲山がその険しく、かつ堂々とした姿を見えている。
 12月21日朝、柳在家から東部パイロットの台地に上がり、南方向を眺めてみた。雪が散らつき、寒いが眺めは最高である。
 
 
 東部パイロットから原向集落の登渡(とど)に下り、さらに長瀬新田、当部新田へと進むと、真正面に毛無山(野沢温泉スキー場の中心地だ)が姿を現わす(下写真は12月13日撮影)。



 こうした眼前に展開する景色の移り変わりを見ていると、「栄村を取り巻く山々って、どんなふうに連なっているのだろうか?」という疑問が湧き出てくる。
 
 12月10日、スキー場から1枚の写真を撮った。
 
  
 いちばん左に鳥甲山が見え、つづいて三ッ山、少し低くてなだらかところを挟んで、右に大次郎山、そしていちばん右の毛無山に至る。
 私たちは集落の中を、あるいは集落から集落へ移動するために、くねくねと曲がる道を進んだりするため、正面に見える山が変わるが、こういう大地の広がりの中をほんの一部、くるくると移動しているのにすぎないのだ。
 ところで、私たちはいま、鳥甲山を西側から見ている。東側は秋山郷である。また、西側の麓には五宝木集落がある。秋山郷や五宝木集落と、村の東部・西部地区を結ぶ道は険しい。中津川の渓谷沿いを走る国道405号線は冬期間でも通行可能とはいえ、平成18年豪雪時のように通行不能となることもある。五宝木と極野を結ぶ道は冬期間閉鎖だ。なんとかできないか。
 かつて秋山郷と極野を結ぶ新しい道路をつくる計画が持ち上がり、五宝木トンネルを開通させるところまでは進んだが、その後のプランは頓挫した。
 先日、高橋彦芳氏と話した時、「県の林務は極野じゃなくて、泉平に出るコースを考えていた」という話が出てきた。
 その話を思い浮かべながら、12月15日朝、鳥甲牧場から五宝木集落に下る道路上から西北方向を眺めてみた。そのときの写真が次のもの。


  
 平素は、五宝木集落の人など、ほんのかぎられた人たちしか目にしない景色だろう。
 この写真よりも左手に鳥甲山が聳えているのだが、沢に雪が見える山は台倉山(1852.9m)、そして右へ三ッ山、大次郎山と続いている。右の手前には屏風(びょうぶ)をたてたような絶壁に近い山が見えるが、これが法師山(1229.2m)。現在はこの法師山の東側の釜川の渓谷沿いを五宝木〜極野間を結ぶ道路が走っている。道路の間際に崖面が迫り、雪崩の危険も大きく、冬期間は閉鎖である。
 その法師山の奥に毛無山が見えている。そして、法師山の東側ではなく、右側、すなわち三ッ山、大次郎山の山腹というか裾野というか、を経て毛無山の山腹に至るコースは標高がさほど変化することなく、進むことができるように思われる。そして、毛無山から大久保あるいは泉平へは毛無山の山腹をなだらかに下ることになる(先に掲載のスキー場からの眺めを参照されたい)。
 「山の様子に通じている林務の人たちは、こんな眺めを見つめながら、コースを考えていたのかなあ」などと思いをめぐらした。
 
 
 話は変わるが、「日本一の河岸段丘」と言われる津南町の段丘。本当に広々としていて、狭隘(きょうあい)な土地がほとんどの栄村から見ると羨(うらや)ましいかぎりである。
 だが、先日、『栄村史堺編』の「地形」の章を読んで、〈栄村の千曲川と志久見川に臨(のぞ)む台地〉、すなわち西部地区と東部地区が元々は津南町の段丘台地とひとつながりのものであったということを初めて知った。その広大な台地(大地)が深いV字型の峡谷(きょうこく)をなす志久見川の浸食作用によって切り裂かれたのである。
 私は俄然(がぜん)、志久見川の源に関心を抱くようになった。
 志久見川は、長瀬集落のあたりで北野川と釜川が合流して志久見川となる。北野川は3頁の写真に見えた大次郎山の沢から流れ出し、途中、毛無山の沢から流れ出す天代川を合流させながら、極野集落に姿を現わし、北野集落を通り、長瀬に至っている。
 では、釜川はどこから流れて来るのか。私は栄村に移り住んだ2007年初夏、イワナ釣りに出かける知人に誘われ、釜川の渓谷を歩いたことがある。その後も、極野〜五宝木間の道路を走る際にたびたび釜川の姿を目にしてきたが、そのルーツなど想像したこともなかった。
 

 
 さて、上の写真は鳥甲牧場から鳥甲山を撮ったものである。
 左下に見える電柱がちょっと邪魔だが、それはさておき、最も高いのが鳥甲山。
 しかし、その手前にもう一つの山が重なるようにある。「西の岩(いわ)菅(すげ)」というものだ。
 写真の中央から左にむかって、鳥甲山と西ノ岩菅の間に谷があることがうかがえる。そこを流れ下ってくるのが高山沢。
 他方、写真が途中で切れるが、西ノ岩菅の右側にも鳥甲山との間に発する谷(沢)があることが見てとれる。これは朝日沢。
 この2つの沢が五宝木集落の手前で1つになり(下写真、五宝木橋上から撮影)、五宝木沢となり、さらにまもなくゴサイ沢をも合流させて、釜川となる。
 
 
 
  
 ところで、先にも書いたように津南町の河岸段丘は広大だが、東に進むと急崖となって中津川に落ちる。
 
 私は12月20日、「17〜18日の雪でもう日出山線は通るべきではない」と思い、中津川沿いの国道405号線に入り、秋山郷にむかった。



 上写真は、津南町秋成から北西方向を眺めたもの。左に河岸段丘の東端の急崖が見える。奥に見える雪を被った山々は関田山脈。写真中央を横切る道は河岸段丘に上がっていく広域農道。
  
 秋山郷をめざして、いよいよ中津川渓谷に入って行く。



 上写真の低く見えるところが中津川の川原、そして、その上流は写真左側に見える2つの山の間、峡谷から下ってくる。国道405号線はその峡谷沿いに進む。



 上写真は東電の穴藤(けっとう)ダムを過ぎたあたりで撮影した中津川峡谷の様子。川沿いには下写真のような様子が見える。
 
 
 
 
 平成18年豪雪の後に新設されたものを含め、連続するスノーシェッドに護られた中津川峡谷沿いの部分を過ぎ、清水川原橋を渡って、ここからはかなり急な坂道を含めて(下写真で急崖の上に国道405が見える)、中津川左岸側を中津川から少し離れながら秋山郷中心部に向かう。



 写真の最も奥に白く見える山は鳥甲山。その手前には屋敷山、布岩山が見えている。
 津南町の結東(けっとう)集落、さらに前倉橋(下写真)をこえて、冬期間は水が流される坂道を上っていくと、津南町の大赤沢に出る。そして、いよいよ栄村の小赤沢(こあかさわ)へ。



 北北西方向から眺める鳥甲山が前面に見えるようになる(次の写真)。
 
  
 撮影地点は北信生コン工場付近。
 そして、小赤沢集落を通りずぎ、屋敷集落を右手に望みながら上の原集落にむけて国道405をさらに進むと、すごい景色が目に飛び込んでくる。



 車窓前方に見えるのは上写真のような景色だが、車を降り、望遠を効かせると、下写真のようなすごい景色が手に入る。



 見えているのは雪渓と白岩沢である(下の図参照)。
 
 
 
 
 一般に「鳥甲山」と思われているものは、白(しろくら)の頭、鳥甲山、赤(あかくら)の頭が連なる連峰である。上写真は上の原の天池から撮影したものだが、中央のやや奥まった位置に見えるのが鳥甲山(2037.7m)。その左に白瑤瞭(1944.2m)、右に赤瑤瞭が見える。
 ここで「堯廚砲弔い動豸澄「白倉山」「赤倉山」と表記されている地図もあるが、「倉」ではなく「堯廚班週するのが正しい。「堯廚砲蓮崟擇衫った崖」という意味がある。白堯∪庠瑤房尊櫃妨える様子とぴったりである。また、昭文社発行の「山と高原地図17」の解説では、「山ではなく、頭が正しい」と書かれている。これも実際に姿を見れば、なんとなく納得できる。
 
 
 
  
 上写真は、上の原集落で、「のよさの里」から少し下ったところで真正面に見えた姿。
 鳥甲山頂上と赤瑤瞭が見え、鳥甲山の直下には黒木尾根が大きく張り出している。昔、マタギの人たちはこの尾根を登り、山の裏側に出たという。
 そして、黒木尾根の右側を赤岩沢がものすごい急傾斜で下ってくる。
 下写真は上の原のある民家の屋根と鳥甲山頂上・赤瑤瞭。上の原はすごいところだ。



 赤瑤瞭のズームアップしておこう。
 
 
 
 白瑤瞭直下の大断崖。
 恐ろしくなるような急崖である。『栄村史堺編』には「高さ100mをこえる青白色の絶壁を2km以上にわたって露出している」と記し、先に見た赤瑤砲弔い討蓮◆嵎5雲舒損慨笋酸化して赤色を呈している」と言っている。
 雪を被っているので岩の色はよく判別できないが、秋の写真を見るとたしかに「青白色」のように見え、赤瑤妨える岩ははたしかに赤い。
 
 
 鳥甲山に登る人はムジナ平というところから登頂を始め、左写真に見える白瑤諒を進み、さらに「カミソリ岩」と称されるところへ進んでいく。
 その一端が左写真の右端に少し見えているが、「カミソリの岩」だけをズームアップしたものを次に示す。
 
  
 昭文社発行の「山と高原地図17」の解説書、鳥甲山の項には、「白凜瞭の3等三角点を過ぎ、30分ほどで再び岩場にかかる。ここが一番の難所で、カミソリ岩という。危険な箇所には木の格子が掛かり、クサリも張ってあるので、一歩一歩、足場を確かめて慎重に登ろう」とある。
 まさしく「カミソリの刃」という感じである。
 
 さて、鳥甲山の「正面」とも言える東側からの眺めを離れて、秋山林道を走って鳥甲山の南西の裏側にまわってみる。



 上は雪が少なかった12月15日の撮影で、秋山の人たちが「小水(こみず)」と呼んでいる沢で、ここでは今年7月22日に下のような盛夏の残雪の様子を撮影している。



 沢の上に見える山が鳥甲山連峰の一角である。「小水の頭」というところである。下写真の左側の上りコースの途中である。
 
 
  
 もう紙幅がなくなってきた。最後の1枚になる。
 
 
 切明温泉から和山方向に少し進んだところで、鳥甲山を南側から撮影した。この地点で私が12月15日に撮った写真を見た秋山の人から、「雪が降った後に撮ったら、登山道がくっきり写りますよ」と教えられ、この1枚を撮った。なるほど見える。とともに、「自分は登れないなあ」とも思った。
 このように鳥甲山の登山は断念ということはあるが、栄村の大地(ジオ)への興味・関心は尽きない。

 

1