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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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ジオある記(き)



 随分と前の撮影になるが、今年7月16日午後4時すぎに津南町の上野(うわの)集落の上(マウンテンパークスキー場に至る道)から撮ったもの。
 手前は上野の田んぼで、写真奥に見える広い圃場は、「日本一の河岸段丘」と呼ばれる津南町の赤沢〜中子地区の圃場(主に田んぼ)である。栄村には見られない広々としたもので、小っちゃな、小っちゃな田んぼを相手にしている栄村からすれば羨望の的になるものである。
 上野の田んぼと奥の河岸段丘の間には写真では見えないが信濃川の大河(長野県内では千曲川)が流れている。
 写真の最も奥には、左から苗場山、鳥甲山(頂が雲に隠れている)、三ッ山、太次郎山、毛無山(野沢温泉スキー場がある)が見えている。
 
 この広々とした河岸段丘をもう1枚、別の地点から眺めたものも示しておきたい。
 
 
 
 こちらは、稔りの季節、9月15日の午後に栄村のスキー場から撮影したもの。
 写真中央に見える階段状の田んぼは、山を切り拓いた栄村・森集落の開田。その向こう側に2段階に分かれた津南町の広々とした圃場が見える。より広い上の段が1頁の上野集落から見えた赤沢〜中子地区の圃場である。一段下に見える田んぼのうち、左手のものは津南町大井平・亀岡地区、そして右手は同じく津南町宮野原地区のものである。

栄村東部谷の段丘、さらには中央大地(大久保、野田沢等)は元々は津南の河岸段丘と一体のものだった
 さて、先に、「小っちゃな、小っちゃな田んぼを相手にしている栄村からすれば羨望の的になるもの」と書いたが、驚いたことに、じつは津南町の河岸段丘、小さな田んぼしかない栄村東部地区の段丘とつながっていたというのだ。それはさらに、栄村の中では比較的広い田んぼや畑がある中央大地(大久保、野田沢等)ともつながっている。
 
 私がこのことを知ったのはほんの数日前のことである。
 高橋彦芳氏と話していた時、「おい、ジオパークとか言ってるな。栄村のジオ(大地)のことは『栄村史堺編』に詳しく書かれているんだよ」とお聞きしたのである。弓削春穏氏という方が「第一篇 自然環境」を執筆されている。
 さっそく、『村史』を取り出して該当箇所を読んでみた。やや長くなるが引用しておく。

    「毛無山、鳥甲山等を中心とする広大な火山地帯の北には、
     洪積層(こうせきそう)の台地が千曲川の峡谷にまで続いて
     いる。この洪積層台地は地盤の上昇によって隆起してでき
     たものであるが、地盤上昇に緩急があったため、三段の階
     段状になっている。
     …(中略)…この台地を流れ、千曲川に注ぐ志久見川は谷壁
     の急なU字形の谷を刻んで、本村の台地を新潟県の台地と切
     り離している。志久見川の川岸には段丘が存在し、耕地や集
     落はその上にある。……」(3頁)
    「北は千曲川の峡谷に二〇〇米の急斜面をもって臨み、東は志
     久見川の谷に同じく急斜面をもって臨み、西南は毛無火山の
     雄大な裾野に接している緩傾斜の広大な台地が、千曲川と志
     久見川の間に存在している。この台地は志久見川の対岸の新
     潟県の台地と全く似ており、地質、成因は同一である。」(6頁)
    「本村の台地は志久見川と中津川の間の上郷・蘆ケ崎(あしがさ
     き)の台地、田沢・十日町東方の台地に連なるものである。即
     ち中魚沼の信濃川東側に連続する台地の一部をなすものであっ
     て、その西端にあたっている。
     この信濃川東岸の中魚沼一帯に存在する台地は古扇状地が地盤
     の上昇にともなって隆起したものであって扇頂は標高一、〇〇
     〇米に達しているものがある。これらの古扇状地は志久見川、
     中津川、その他の河川に開析されて、現在はいくつかの緩傾斜の
     台地に分離されている。」(7〜8頁)
       *ルビ及び強調は引用者。

 引用文が長くなったが、「栄村東部谷の段丘、さらには中央大地(大久保、野田沢等)は元々は津南の河岸段丘と一体のものだった」ことがひとまずご理解いただけたのではないかと思う。
 そこで、もう1枚、写真を示したい。
 

 
 真っ青に晴れ上がった12月8日午前、津南町の中子地区付近の河岸段丘上で撮影したもの。
 奥に左から、鳥甲山、三ッ山、太次郎山、毛無山(白くなった2本のスキー場ゲレンデが見える)が並んでいる。
 写真真ん中に見える木立は河岸段丘の縁に植わっているものだが、その下は津南町の宮野原〜百々木(もものき)の一段低い河岸段丘、そして志久見川が流れ、志久見川を挟んで栄村の東部地区の集落、田畑が存在する段丘が存在している。


東部地区から見る



 9月22日に長瀬集落から原向に上がる県道から撮影したものである。
 手前に見えるのは栄村切欠集落の居住地よりも一段高いところにある田んぼ。写真真ん中に見えるのは津南町小池地区の田んぼ(小池は宮野原と加用・百々木の中間あたり)である。その後ろに見える山を上がると4頁掲載写真の河岸段丘上の広い田んぼゾーンである。
 写真左手に見えるのは津南町宮野原地区で薄緑色の屋根の建物は上郷小学校である。
 この写真を見ると志久見川左岸の切欠集落(居住ゾーン)と志久見川右岸の津南町小池地区とがほぼ同じ標高であることがはっきり確認できるであろう。
 そして、志久見川は「谷壁の急なU字形の谷」を成しているので、このような写真には姿を見せないのである。
 なお、地図で標高を確認しなければならないが、この写真を撮った所からさらに道を上りきったところに広がる原向の台地と3枚目写真を示した中子近辺の河岸段丘の広大な台地とはほぼ同じ標高なのではないかと思われる。
 
 栄村の東部谷と呼ばれる地域と、志久見川対岸の津南町の宮野原〜百々木の地域とが志久見川を挟んで、ほぼ同じ標高であることを示す写真をもう1枚紹介しておきたい。
 
  
 柳在家集落にある共栄建設の事務所・作業所横の駐車場から志久見川対岸を撮影したものである。対岸には小池地区にある村山物産の工場が見えている。
 
 
 今日の「ジオある記」の主眼は、「栄村東部谷の段丘、さらには中央大地(大久保、野田沢等)は元々は津南の河岸段丘と一体のものだった」ことを弓削春穏氏の記述を手掛かりに写真で示すことにあったので、その目的をほぼ果たした。
 最後に、今後の「ジオある記」につながるものとして、1つには志久見川がいかに「谷壁の急なU字形の谷」を成しているかを示す写真、さらにもう1つ、栄村の千曲川と志久見川に臨む台地が「西南は毛無火山の雄大な裾野に接している緩傾斜の広大な台地」であることを示す写真を示して、1回目の「ジオある記」を締めくくりたい。
 
 

 志久見川は、長瀬集落付近で釜川と北野川が合流して志久見川となるものだが、その合流直後の地点での撮影である。
 左岸の断崖の上に旧東部小学校(現・長瀬団地)が見え、写真右手には右岸の津南町下(しも)加用(かよう)地区が見える。
 志久見川の谷の深さ、急峻さがよくわかると思う。
 
 

 12月5日夕刻に村道野々海線から千曲川対岸を撮影したもの。
 写真手前には平滝集落の千曲川岸にたつ特養施設「フランセーズ悠さかえ」が見える。その向こうに千曲川を挟んで広大な台地が広がり、写真中央やや右には泉平集落が見える。目を左に走らせると、箕作から上がって来るスーパー林道沿いの耕作地、さらに左に貝廻坂沿いの耕地が見える。
 そして、写真の奥には左から、苗場山、鳥甲山、三ッ山、太次郎山が見え、じつはさらにその右に毛無山が連なっている。弓削氏の記述をもう1つだけ紹介して締めくくりたい。
    「大久保のある堺の台地の末端は(千曲川に臨む部分)の標高は
     四二〇米で、それから南方にゆるやかな波状をなしながら漸次
     高度を増してゆき、六五〇米位のところまで大地をなし、そこ
     から傾斜を増し、毛無山、上の平からのびてくる山脚に接してい
     る。」(『村史』8頁)
 

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