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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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11月21日、小谷村・白馬村に行ってきました

 小谷村や白馬村で甚大な被害を引き起こした地震から11月22日で満1年。前日の21日、軽トラを走らせて両村に行ってきました。
 主要な目的は、1年目を迎えて地域の復興に懸命に取り組んでおられる団体・グループに支援寄金をお届けするための打ち合わせでしたが、震災から1年目を迎える現地を見て、驚くことがいろいろとありました。
 1つは、小谷村で4ヶ所12世帯用の震災復興村営住宅の建設が急ピッチで進んでいますが(下写真)、その資金についてです。



 中谷(なかや)地区の長崎集落ではほとんどの世帯が全壊という大被害で、いま、2棟4世帯用の村営住宅が建設中ですが、なんとそれが「村単事業」なのです。栄村の場合、東日本大震災の一環ということで国の“復興交付金”というもので復興住宅を建設できたのですが、小谷村・白馬村などの震災の場合、国から「復興交付金」というものは出ないのです。

 2つは、大きな被害を受けた農地や地区内道路の復旧工事が非常に遅れていることです。



 上写真は白馬村で田んぼが大きく傾いたところですが、復旧工事はまだ1〜2枚の田んぼでしか進んでいない様子でした。現地視察された専門家も工事の遅れを指摘されています。
 これも最大の要因は財政問題だと思われます。つまり国の支援不足です。
 こういう問題、マスコミはまったく取り上げていません。イベント報道や「復旧成功物語」で「綺麗に見せる」ことに終始せず、現地の実相を伝え、支援を強めることこそ大事だと思いました。
 

小谷村・白馬村情報2015年11月21日

 地震から1年目を翌日に控え、昨21日、小谷村・白馬村を久しぶりに訪ねてきました。
 朝9時すぎに栄村を出発し、11時半頃、白馬村の神城・堀之内区に立ち寄り、21日の主要な訪問先である小谷村中谷地域に12時半頃に到着。小谷村を出て、再び白馬村の1〜2ヶ所の様子を見て、帰路についたのが5時半頃という強行軍スケジュールでした。私の体調がよければ、もう少し踏み込めたのですが…。

小谷村の公営住宅建設作業進む



 上の写真は、被害が最も大きかった中谷(なかや)地域の中の戸石というところで進められている公営住宅建設の様子です。
 2棟見えますが、これで4世帯分です。もうかなり完成に近いですね。
 手前にコンクリートの土台工事が見えますが、これはこの公営住宅用の車庫です。
 
甚大な被害が最も集中した中谷地域
 中谷地域づくり協議会からいただいた資料によれば、公営住宅(村営住宅)は小谷村内で計4ヶ所12戸分。1ヶ所2戸分が南小谷地区で、あとの3ヶ所10戸分はすべて中谷地域です。
 中谷地域は、震災前、15集落、110戸、人口260人、高齢化率60%。その中谷地域で、全壊24戸(小谷村全体で33戸、以下、括弧内は村全体の数))、大規模半壊12戸(18戸)、半壊26戸(57戸)という大きな被害を受けました。
 建設中の公営住宅(村営住宅)の9割以上が中谷地域に集中しているのも肯(うなず)けます。
 
「復興住宅」建設での栄村との事情の決定的な違い
 公営住宅(村営住宅)は栄村での復興公営住宅に相当するものですが、建設費用の資金源に決定的な違いがあります。
 栄村では、東日本大震災復興基本法に基づく財政措置があり、国の復興交付金で復興公営住宅を建設することができました。
 しかし、小谷村(白馬村)では、これに相当する財政措置はありません。






 
 この3枚は、中谷地域の公営住宅建設工事現場に掲げられた看板。
 稲葉と戸石の3棟6戸分は「社会資本整備総合交付金」が原資になっています。長崎集落の2棟4戸分はなんと村単事業(村単独の財政支出で、国・県の補助金は入らない)です。
 復興にむけた財源確保の厳しさを窺(うかが)い知ることができます。
 そういう状況の中で、震災1周年を前に、公営住宅の建設が進み、完成がもう射程内に入ってきていることは非常に重要な前進だと思います(稲葉の1棟2戸分のみはようやく基礎工事に着手という段階ですが)。
 昨21日の「信濃毎日新聞」は1面トップで「白馬2地区に被災者住宅」という記事をおいていますが、白馬村の復興住宅建設方針はあきらかにテンポが遅いです。だが、記事にはその指摘はなし。「被災者のおかれている状況、心情の平素からの取材ができていないな」、「全然わかっていないな」と思わざるをえません。その他方で、小谷村の公営住宅建設の取り上げ方はあまりにも小さく、財源確保をめぐる村の苦労なども取材できていないのだろうなと思いました。

白馬村堀之内地区の様子
 やはり「信毎」21日記事で、堀之内地区のドローンでの空撮写真を掲げて、「集落が再生されつつあることが見て取れた」という報道をしていますが、私が21日に堀之内地区を訪れて見た印象はそれとはまったく逆と言っても過言ではないものです。
 全壊や大規模半壊の住居・建物のほとんどが解体・撤去され、更地が目立つ状況は、かつて震災から半年ほどが経過した時に栄村の青倉集落で目にしたものとよく似ています。でも、震災から丸1年。住宅再建に限らず、地区内道路の再建・整備などを含めて、もっとあちこちで工事の槌音が聞こえるかと思いきや、そうではありませんでした。
 私がとくに驚いたのは、地区内道路の状況のひどさです。



 上写真がその状況を撮った1枚です。小谷村で人と会う約束の時間が迫っていたので、この1枚しか撮れませんでしたが、もっとひどいところもありました。
 もう間もなく積雪期。これで道路除雪作業ができるのかが心配。今朝、電話取材しましたが、関係者は「厳しい」と言っておられました。
 この背景にあることの1つは、やはり財源問題ではないかと思われます。
 もう1枚、ご覧ください。



 堀之内地区のお宮がある小高い山の様子です。
 お宮は全壊し、この山全体が危険な状況と聞いていましたが、写真に見られるような工事が行われている様子を見て、「一安心」。しかし、工事に関する看板を見て、「えっ?」と思いました。
 少なくとも写真には充分に写っていない右部分での工事(下写真)は、「地震で壊れた村道の法留の復旧」とされ、発注者が白馬村になっているのです。





 
 栄村のみなさんは思い出してください。栄村では村道の復旧もほぼ100%、国の経費で行われたことを。「東日本大震災の一環」と位置づけられた栄村と、「大震災」とは位置づけられていない「地震・震災」とで、国の扱い方がここまで違うのです。
 国の姿勢・方針がなによりも問題です(地震直後にパフォーマンス的に白馬村を訪れた安倍首相はこの現状をどう説明するのでしょうか)。とともに、小谷と白馬で、村(長)の姿勢の違いということもあうように感じました。
 
中谷地域を応援していきたいと思います
 今回は昨日の訪問状況の簡単な報告ですので、詳しいことは別の機会に譲りますが、壊滅的と言っても過言ではない被害を受けた中谷地域では、しかし、力強い復興への各種取り組みが行われています。
 その背後には昭和50年代から中谷地域づくり協議会というものを組織し、地道で多様な取り組みをされてきたことがあるようです。
 21日は(22日も)、「おたりの雑木を活かすための森林フォーラム」というものが、中谷にある「中土観光交流センターやまつばき」で開催されていました。
 もともとは今年3月に予定されていたものですが、昨年11月の地震で地元住民がとても開催の気分になれず延期されてきたものです。地震からちょうど1年の21、22両日にこのフォーラムが開催されたのは、中谷地域の人たちの復興への力強い立ち上がりを物語っていると思います。
 中谷地域づくり協議会の息長い取り組みは、栄村の復興に取り組んでいくうえで参考になるものが多々あるようです。追々、紹介していきたいと思います。
(下写真はフォーラムに集まった中谷の人たち)


 
 
堀之内地区のあの素晴らしさを記録に留めることが必要
 他方、堀之内地区をめぐっては、震災直後、死者を1名も出さずに救出活動を展開した地域の絆の素晴らしさが大きな話題になりました。
 いまでも、地震防災対策のフォーラム等では話題になりますが、あれは「絆」一般ではなく、防災への具体的な取り組みに裏打ちされたものであり、それは被災後の被害状況の把握などにおいても発揮されたものでした。私は当時の区長・鎌倉さんが手にしておられた被害状況が詳細に書き込まれた地図を拝見して感心したものです。
 しかし、そういう活動が現時点では充分には記録化されておらず、また、公開もされていません。その貴重な記録を活かすことも真剣に考えなければならないなと思います。
 
 以上、簡単ですが、昨21日の小谷村・白馬村訪問の報告です。
 
(下に中谷地域の地図を掲載します)


 

白馬村の状況

 3月8日に訪れた白馬村の状況は「白馬村の状況3月8日」でお伝えしていますが、そこに掲載しきれなかった写真を3枚、追加紹介します。


国道148号線の崖崩落箇所。地震から約半月間、通行止めになった。現在も片側交互通行。

仮設住宅の様子




<後記>
 12頁版になってしまいました。震災4周年で8頁では収まりきらなかったのですが、前号のように10頁版にすると、じつは印刷の後、A3版の2つ折りの中にA4版1枚を差し込むことが必要になり、非常に手間がかかります。そこで思い切って12頁にしました。次号からは8頁版に戻します。

 

白馬村の状況3月8日

 約2か月ぶりで白馬村に行ってきました。2月下旬に神城・堀之内区区長の鎌倉宏さんからご連絡をいただき、できるだけ早く行きたいと思っていました。

 地震で傾いていたお宮・城嶺神社が雪の重みで潰れました
 今回の訪問の直接の目的は、12月に雪の重みで潰れてしまったという城嶺神社の状況を自分の目で確かめることにありました。
 お宮は堀之内区の集落から40mほど高い台地の上にありますが、お宮に至る道は急峻です。

 
お宮のある山


この坂を上る。雪に足をとられ、大変だった。
  
 坂を上りきり、目にした光景は信じられないものでした。
 1枚目が3月8日撮影、2枚目が11月28日撮影です。





 11月撮影の写真の左側に見えていた拝殿が見えません。3月8日撮影の真ん中に見える少し雪がこんもりしたところ、これが、拝殿が潰れた跡なのです。そして、8日撮影の写真で写真左手に屋根が見えますが、これは本殿。11月28日撮影時には拝殿の真後ろにありました(次の写真の左手が拝殿、右手が本殿。横手から撮影)。右へ傾いていた拝殿が雪で押されて、屋根の位置が大きく右へずれる形で潰れているのです。



 また、1枚目の写真で本殿は前方へ大きく傾いています。
 拝殿の潰れ方をもう1枚の写真でご覧ください。


拝殿は屋根だけが残り、下の空間がすべて押し潰されています。

再建へ踏み出す堀之内区の人びと
 区長・鎌倉さんのお話では拝殿の雪の重みによる倒壊が現認されたのは12月19日。倒壊を防ぐ突っかい棒を立てる段取りを詰めている矢先のことだったそうです。
 堀之内区の人びとはそれでもめげず、1月10日、新年祭に替わる復興祈願祭を行い、さらにお宮の再建計画をたてておられます。
 お宮の再建には公金の支援は入りませんので、自力再建。当初1千万円程度での再建を構想されましたが、大工さんとの詰めで2千万円を要することが判明しました。堀之内区でこの所要額を寄金で募ろうと計画されています。
 8日はその寄金集めの方法について鎌倉さんといろいろとお話しました。
 私は「小谷村・白馬村を支援する栄村有志の会」のみなさんに報告し、みなさんからお寄せいただいた「小谷村・白馬村支援寄金」からの拠出を検討していただくとともに、お宮再建にむけての情報発信に協力させていただきたいと考えています。

仮設コミュニティーセンターの建設を早ければ4月に
 白馬村の被災地の現在の積雪は栄村の半分くらいという感じでした。



 雪消えと共に復旧・復興へ大きく動き出すべく、さまざまな準備が行われています。
 その1つが堀之内区の公民館の再建。県に要望されたようですが、「仮設住宅の敷地内でないと建てられない」とのことで、堀之内区の中に仮設のコミュニティーセンターを自力設置する方向で検討されています(堀之内区と仮設住宅は徒歩では15〜20分かかるくらい離れています)。やはり区の中でみんなが寄り合って、議論できる場が不可欠です。
 検討されている案は、私たちが震災の年、青倉で建てたのと同じくコンテナハウスを使うものです。3連棟の平屋の計画だそうで、青倉仮設公民館の1階部分と同じようなものになると思われます。レンタル料が月額20万円で、9ヶ月間の仮設を予定されています。
 建設予定地はお宮の下にある空き地(下写真)。お宮再建とワンセットで考えられているのです。
 4月26日にお宮の春祭が予定されていますので、それまでに設置したいとのことでした。


 
被害状況の把握が区自らの手でしっかり行われています
 私が鎌倉さんのお宅を訪問したのは午前10時すぎ。訪問は2度目ですが、1度目は復旧工事前で家の前での立ち話で、お家の中に招き入れていただいたのは今回が初めてです。お部屋に案内されて驚いたのは、机の上や周辺に地図や書類がいっぱい置かれていたこと。



 その1枚が上の写真のものです。「地滑り」、「擁壁倒壊」、「クラック」などの文字が地図に書き込まれています。堀之内区の被害状況図です。お話によれば、避難所にいる段階から作成されていたとのこと。また、これとは別に、「ゼンリン住宅地図」に、住家と非住家のすべてについて全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の色分けを塗り込んだものもあります。
 堀之内区は、震災発生以前に、防災マップを作成していて、地震時、家の下敷きになった人などの救出がスムーズに進んだことが当時のニュースで報道され、大きな話題になりましたが、震災後の取り組みにも括目(かつもく)すべきものがあると思います。
 
住宅再建と農地被害状況の把握にむけて

 被災者の現在の大きな関心の1つは住宅の再建問題です。
 堀之内区は76世帯で構成され、7つの組から成りますが、組の中にほぼ全世帯が仮設住宅に避難されているというケースもあります。高齢者のみの世帯も多く、公営住宅の建設を期待されている方も多いようです。
 すでに山古志を視察されたようですが、私は2つのことをお伝えしてきました。1つは、「入居希望者は『入れていただけるだけで有難い』という気持ちで、公営住宅の設計等についてなかなか希望、意見を言えない。そこを打開する必要がある」こと。2つは、「マンション形式ではなく、栄村と同じく長屋形式が望ましいが、岩手県大槌町の公営住宅のように縁側があるものが望ましい」ことです。
 農地については、鎌倉さんは「雪が降る前は住宅等のことで手一杯で、農地の被害はまったく把握できていない」と話されていました。
 
総合的な支援が求められていると思います
 もうすぐ春。白馬村の被災地が動き出そうとしています。
 白馬村も栄村と同様、農村特有の“総合的・複合的な被害”に見舞われています。県は全力で復旧・復興に取り組んでくれていますが、住宅、道路、公民館、お宮、農地、水路等々、総合的な取り組みが必要で、さまざまな個人・団体が連携して、総合的な支援を行うことが求められていると思います。
 堀之内区では3月22日に区総会が開催され、同日午後には、白馬村北城と姉妹関係を結んでいる和歌山県大地町の人たちが応援に駆けつけられます。
 できれば3月22日も訪問して、さらにレポートを重ねていきたいと思っています。


白馬村の状況12月29日

 29日、約1ヶ月ぶりで白馬村を訪れました。

仮設住宅が完成、入居

 完成したのは35世帯分で、29日、まず32世帯の人たちが入居されました(残り3世帯のうち1世帯は勤務の都合で年明けに入居、2世帯は家屋の被災判定の結果待ちとのことです)。
 午前9時に入居者に鍵が渡され、総勢60人のボランティアの人たちの協力を得て、午前中に基本的な引越し作業が終わったそうです。



 上が仮設住宅の外観です。
 屋根が積雪に対応する落下型になっているのが特徴です。
 白馬村役場の人のお話によると、写真中央に見える雪が落下してくるところは役場の手で除雪されます。
 他方、下の写真のように落下しない方の通路が入居者などの通行用で、幅が狭く、除雪は寄贈された2台の除雪ロータリーで入居者自らの手で行ってもらう方針だそうです。



 雪囲いなどの設備は栄村の仮設住宅と同じ。住宅内の間取りや設備も見せていただきましたが、基本的には栄村のものと同じです。
 ただし、トイレの便座は暖房付き、風呂も追炊き機能が付いています。県が栄村の仮設住宅住民から聞き取ったことを参考にして改善したそうです。
 
 入居者の何人かにお話を聞きました。
   「まだ十分な家財道具も入れていないし、とりあえず一晩寝て
    みないと、どんな具合かわからないね」。
   「靴はどこで脱いで、どこに置けばいいのかね。大和リース
   (仮設住宅の建設業者)の人はこの扉の内側で脱ぐのだと言っ
   ていたけれど、外に靴箱を置きたいね」(栄村ではほとんどの
   世帯が廊下に下駄箱を置いていたことをお話しました)
   「結露を防ぐためにエアコンはつけっ放しにしろと言われたけ
    れど、そうしなければならないのかなあ」(私の経験ではそ
    の必要はなかったとお話しました)
   「復興住宅ってどういうもので、どうしたら建つのかなあ」

 寄贈された家電製品の多くは明日30日に入るそうで、とにもかくにもひとまず入居したという段階で、仮設住宅での本格的な暮らしの始まりはもう少し先のことになりそうです。
 
 しかし、何はともあれ、お正月を前に年内に仮設住宅が完成し、入居が出来たことは本当によかったと思います。
 なお、仮設住宅への入居者は嶺方区(集落)の1世帯を除けば、堀之内区と三日市場区の世帯で、とくに堀之内区の世帯が約8割を占めるそうです。
 
 仮設住宅の敷地となっている飯森グラウンドの一角では建設に携わった作業員のみなさんが集まっておられる姿が見えました。工事現場事務所のプレハブを明日までに撤去されるそうです。想定以上の大雪の中での突貫工事。作業員のみなさま、本当にお疲れさまでした。



堀之内の様子を見て大きなショックを受けました
 仮設住宅の様子を見た後、最も被害が大きかった堀之内区に向かいました。
 11月24日、28日の2回行っており、ある程度、集落の地理環境が頭に入っていましたが、大量の積雪に覆われてすっかり風景が変わっており、かなり戸惑いました。
 そんな中、11月28日の時点では建物が歪んだりしているもののしっかり立っていた家が大きく傾き、潰れている姿が次々と目に飛び込んできて、大きなショックを受けました。
 いくつかの事例を紹介します。





 同じ家を別の角度から撮ったものですが、正面から見て左側へ崩れていることがわかります。同じ家を11月28日に撮ったものが下の写真です。
 
 
  
 11月28日以降にそんなに大きな余震はありませんので、やはり雪の重みが大きく影響しているのだと思います。
 
 また、堀之内公民館は全壊でしたが、倒壊して道路に崩れ出す危険があるということで、積雪前に解体されました。次の写真はその跡の様子です。



 雪が積もっているのが公民館跡、左側に少し建物が残っている箇所があります。関係者にお聞きすると、隣の家屋が大きく傾いていて、公民館を完全に撤去すると、その家屋が倒壊するため、少し残してあるのだとのことでした。
 
 そういう中で、つっかい棒を入れるなどして懸命に保全されている家も見られました。


 
 堀之内の方にお会いして少しお話しさせていただきました。
   「とにかく家を壊してはならない。青年団の人たちに出て
    もらって高齢者世帯の半壊家屋などの屋根の雪下ろしを
    しています。」
 新聞報道によれば、「役場では危険なので半壊家屋などの屋根に上がらないように呼びかけている」とのことですが、それでは春の雪消えまでに全壊家屋がどんどん増えることになってしまうでしょう。細心の注意を払いながら、屋根の雪下ろし作業を行うことが必要だと思いました。
 
   「ここで暮らし続けられるようにする。」
 このことが白馬村の復旧・復興にとって最も大事なことだと思います。
 
 私たちが白馬村(さらに小谷村や小川村)を応援する必要性はますます高まっていると思います。
 「小谷村・白馬村支援基金」にすでに多くの方々のご協力をいただいていますが、より一層多くの方々のご協力をお願いします。
 (了)

小谷村の状況

 中越防災安全推進機構の阿部巧さんから9日、小谷村の住宅・宅地被害の状況について連絡をいただきました。
 今回は、宅地被害の様子をお知らせします。



 3年9ヶ月前には栄村で多く見た被害状況と似ています。
 家の中ら外に抜けるようにクラック(亀裂)が入っています。また、亀裂の周辺に宅地の沈下も見られるように思います。

 こういうケースでは家屋だけでなく、宅地そのものに手をつけないと修復できません。
 私は坪野集落でこういう事例を多く見た記憶があります。
 阿部さんは、「住民はこの場所での再建は不可能と認識している」と伝えてこられています。たしかに、このような状況を見れば、誰しもそう思わざるをえないでしょう。
 しかし、栄村での震災の後、私が専門家に現場を見せてお聞きしたところでは、「阪神大震災以前は建物の基礎に関する基準がしっかりしていなかったので、こういう被害が出るケースがあるが、宅地の基礎をしっかり作り直せば、充分に再建可能」とのことでした。
 難点は、たとえば被災者生活支援法での被災者への国の補助金が全壊で上限300万円と低く、こうした宅地の被害への対策・修復をするにはまったく資金が不足するということにあります。
 この10〜20年間で被災者支援の制度にはかなりの改善・前進が見られますが、宅地被害への支援は他の分野に比べて大きく立ち遅れています。
 今回、長野県が建物被害の調査と別に宅地被害の調査を行っており、栄村の震災時と比べて1つの前進が見られますが、この調査が被災者支援−復旧・復興にどう結びつくのか、注目が必要です。

小谷村・白馬村支援基金へのご協力をお願いしています
口座振込(ゆうちょ銀行 11160 22903671 小谷村・白馬村支援基金
     または、農協 普通口座0010349 北信州みゆき農協栄出張所
            小谷村・白馬村支援基金 会計 大庭光一
 直接手渡しも受付ます。大庭光一、斉藤勝美、松尾真のいずれかにお声かけください。
 

小谷村・白馬村情報12月10日

小谷村の家屋・宅地地盤被害の具体的様相
 ㈳中越防災安全推進機構の阿部巧さんが9日、小谷村に入られ(3回目)、情報を寄せて下さいました。阿部さんは栄村の震災時、栄村に駆けつけて下さり、3月から5月にかけては連日のように栄村で動いて下さった人で、栄村では知る人が多いことと思います。
 
 阿部さんが送って下さった写真から3枚、紹介させていただきます。



「屋根に上がっての雪下しが必要だが、危険を感じ『とても上がる気になれない』」と阿部さんは書いておられます。「とても上がる気になれない」というのは住人の言葉です。
 家が波打ち、写真中央には大きな亀裂が見えます。



 阿部さんのコメント。「家の中から外に抜けるようにクラックが入っている。家だけでなく、宅地被害も大きい。この場での再建は不可能との認識を皆している。この点も中越と酷似した状況と感じる」。
 補足しますと、阿部さんが「この場での再建は不可能」と判断されているということではありません。被災者の方がそう認識されているということです。阿部さんは「いまこそ、中越での経験を小谷の人たちに提供するとき」と認識されています。
 私は栄村震災の事例では坪野集落で多かった被害と似ていると思います。震災から一定の期間が過ぎてからですが、地盤のことがわかる専門家の方から、「宅地の基礎を作り直せば修復可能」という判断を聞いたことがあります。
 しかし、そういう基礎(地盤)の工事には膨大な費用がかかり、栄村での震災の際、そういうことへの国等の補助は基本的にありませんでした。
 今度の地震では、長野県が家屋の被害だけでなく、宅地の被害の調査にも入っていて、栄村の震災の時との違いが見られます。この調査が復旧への支援(補助)につながるのかどうか、1つの注目点だと思います。


 
 阿部さんのコメント。「村の多くは『くず屋』、人が住んでいれば家の中が暖まり少しずつ落雪するが、人が住んでいないので、雪が落ちにくい。落ちる時は多量の雪が一気に落ちるので、家への負担は相当あるように感じる」。
 「くず屋」というのは栄村の人たちにはわかることですが、都会の人には馴染みがない言葉でしょう。茅葺きの家のことを言います(現在は茅葺きの上にトタンがはられている)。
 阿部さんが「人が住んでいないので…」と言っておられるのは、空き家だということではなく、今回の震災で越冬のための応急措置をしたうえで、住人は今冬の間、避難するということです。非常に厳しい問題です。
 
 中越防災安全推進機構は交替制で小谷村に常時駐在する体制をとっておられます。阿部さんのご協力を得て、さまざまな情報を提供していきたいと思います。
 
仮設住宅の建設始まる
 10日付の信毎で白馬村での仮設住宅建設が始まっている様子が報じられました。写真入りです。
http://www.shinmai.co.jp/news/20141209/KT141209FSI090006000.php
でご覧になれると思います。
 記事によれば、8日から工事が始まり、9日は「基礎」ができたようです(仮設の「基礎」は木の杭を打ち込み、その上に鋼の土台を設置するというもの)。
   *「仮設住宅」が「仮設」といわれるのは、「仮住まいの家」
    だから仮設と呼ぶということではありません。建築基準法で
    定められた建築物の基礎を有していない建物なので「仮設」
    と呼ばれます。
 「基礎」ができれば、建物は基本的に予め規格に従って加工された材を組み立てる方式なので、建てるのにそんなに日数を要しません。「年内完成・入居」が目指されていますが、内装に結構の時間を要するのではないかと思います。
 
 なお、工事を担当しているのは「大和(だいわ)リース」。栄村の時と同じ会社です。
 各都道府県は震災等に備えて、あらかじめプレハブ業者と一定数の仮設住宅の建設について契約を結んでいます。契約を結んだ業者側は一定数の仮設住宅用の資材を常時用意しておくことになっています。栄村の震災の時は、長野県が45世帯分をあらかじめ契約していました。

JR大糸線、国道148号線の復旧
 JR大糸線は7日、不通になっていた白馬駅−南小谷駅間が開通し、全線復旧しました。
 また、同じく白馬村(北城)−小谷村(千国)間で不通になっていた国道148号線が9日、片側通行規制で仮復旧しました。物流関係の大型車、小谷村のスキー場観光にとって大きな力になると思います。
 
農地・農業用施設被害、20億円超で栄村の震災を上回る
 9日の信毎は、長野県が8日、今回の地震での農地、水路、農業用施設の被害総額が約20億6040万円に上ると発表したと報じています。積雪でまだ確認できていない被害もあるため、総額はさらに増える見通しです。
 この被害額は栄村の震災での18億9300万円を超えるものです。
 また、県農政部が、これとは別にキノコなどの農水産物被害が8228万円あったことも発表したと報じています。
 栄村のキノコ生産者の話では、栄村の時は震災でダメになってしまったキノコの被害額の調査はなかったとのこと。
 今回、被害額が算定されたことが被害の補償等に結びつくのか、注目したいと思います(なお、キノコ生産には稲作のような共済の制度がないそうです)。
 
道路など土木施設の被害は計300箇所、65億円
 これも県建設部の発表として、9日の信毎が報じています。
 
国が白馬村と小谷村を激甚災害に指定へ
 山谷防災担当相が9日の記者会見でその考えをあきらかにしたとのことです。
 この指定がされるかどうかは復旧にとって非常に大きな問題です。
 農地や道路などの災害復旧経費には通常、国は2分の1程度の補助しかしませんが、激甚災害に指定されると、補助率が8〜9割に引き上げられるのです。
 ただ、2つの問題があります。
 1つは、被害額(→復旧に要する費用)の大きさから、補助率が「8割」と「9割」では村の負担額は億単位で違ってきます。「激甚災害の指定」で安心することなく、補助率がどうなるか(どうするか)に注目しなければなりません。
 2つは、指定対象が白馬村と小谷村に限られ、小川村、大町市、長野市などの被害の復旧には通常の補助率しか適用されないという問題です。法律の細かな規定がありますが、今回の震災被災地全体を一括して激甚災害に指定するというような政治的決断が政府に強く求められると思います。
 
 本日はここまでとします。
 「小谷村・白馬村支援基金」へのご協力をよろしくお願いします。


小谷村・白馬村情報12月7日

 栄村でも5日午後から雪が降り始め、大雪になりました。そんなこんなで情報発信ができていませんでしたが、ここ数日の情報を少し発信しておきたいと思います。

小谷村、白馬村なども大雪
 全国ニュースでも少しは出ているようですが、ここ数日の大雪で小谷村や白馬村でもかなりの積雪になっています。
 スキー場(観光)が大きな産業の地域ですから、雪が降ってくれなければ困るのですが、家屋の片付けがまだ出来ていない家などは大変です。
 今日の信毎によれば、6日午前9時の積雪は約50センチ。6日、7日も降ったと思われますので、大変だと思います。信毎7日付の記事を紹介します。



 「積雪で軽トラを家に横づけできないことが大変」というニュースも見ました。

小川村の被害
 小川村の被害の深刻さが伝わってきています。
 6日付の信毎によれば、小川村で2棟が全壊であることが5日に判明、半壊も1棟増えて10棟になったとのことです。
 被災者生活再建支援法は同一地域で全壊が10棟以上でないと適用されません。長野県はすでにそういう地域にも同法適用地域と同等の支援を行う旨を決定・公表していますので、その点はありがたいと思いますが、中長期的には国の各種補助金の投入額で小谷村・白馬村との違いが生じる可能性があります。
 小川村、大町市の白馬村に近い地域、長野市の鬼無里・中条などの被害状況への関心を高めていきたいと思います。
 呼びかけている「小谷村・白馬村支援基金」は小川村などの被災者への支援にも活用させていただく考えです。
 信毎の6日付の記事を紹介しておきます。




県、白馬村などが8日、東京で観光アピールの会見

 スキー場への誘客アピール・安全性発信のために8日、東京駅近くで記者会見をするそうです。ご注目ください。


 6日、7日の大雪で私の栄村での「復興への歩み」配達にも遅れが生じていますので、小谷村・白馬村などをみたび訪れる予定はまだたちませんが、今日の報告のような情報はできるだけ小まめに出していきたいと思います。ただし、8日、9日は所用で村外に出ますので、情報更新ができません。ご了解ください。

 

小谷村・白馬村情報12月4日

 2日と3日に小谷村に入った知人から電話でいろいろと村の様子を聞きました。
 白馬村では3日から被害認定作業(新聞は今日から「罹災証明書発行にむけた1次調査」という表現を使っていますが)が始まり、小谷村でも同じ作業が今日4日から始まっています。
 局面は、地震直後の初期対応の段階から、本格復旧にむけた様々な動きが進められる段階に移っているといっていいと思います。

 その中で特に重要なのは、「間近に迫る冬=積雪期をどうのりきるか」です。
 昨日言及した白馬村の堀ノ内区での除雪のための道路確保は、村や県の現在の対応が順調に進めば、なんとか間に合うのではないかと思います。
 いちばん大変なのは、小谷村の中で最も被害が大きかった中土(なかつち)地区(大字に相当するもの)の傷んだ家屋が雪に耐えられる状態まで応急復旧できるか、そして、ひとまず応急復旧ができたとして今冬の住居は仮住まいとなって山を下りる人たちの家を一冬(ひとふゆ)守る(=除雪する)態勢が築けるか、ということではないかと思います。おそらく除雪の支援が必要になると思いますが、茅葺(かやぶき)にトタンをかけた古民家家屋の除雪の経験がある人でないと戦力にならないでしょう。私の知人は来週も小谷に入りますので、スケジュール調整ができれば一緒に入りたいと思っています。

小谷村の地理の基本知識
 小谷村について、やはり小谷村の地図が頭に入っていないと、なかなか情報が理解しづらいと思います。手作りで簡便な地図を作成できればいいのですが、その時間がありませんので、まず、小谷村のHPから2枚の地図を紹介します。






 1枚目は小谷村の位置を確認するものです。2枚目は「小谷村防災マップ」のものです。2枚目のもので「中土地区」の位置を確認してください。震災のニュース等で「中土地区」と呼ばれているのは、「防災マップ」で「中土地区」と図示されているところと、「中小谷地区」と図示されているゾーンのうち、村の真ん中に位置する姫川に地図の右側から流れ込む川(土谷川)に近い地域を合わせたものです。
  
 「小谷村管内図」の中からこの中土地区のあたりを写真撮影したものを次にに掲載します。


 
 地図写真下方の赤丸が、中谷川が姫川に流れ込む地点、上方の赤丸が小谷温泉で、この2つの赤丸の間の中谷川沿いに「真木」、「田中」等の集落が位置します。
 地図写真下方の青丸は姫川に架かる中央橋。ここを渡って、もう1つの青丸で示した奉納温泉に至る道路沿いに「中通」、「曽田」、「奉納」等の集落があります。この地域が、家屋被害がいちばんひどいところです。
 この地域の家屋はほとんどが古民家です。
 
 今後の情報を理解するうえで参考にしてください。


小谷村のスキー場を応援したい
 今回の震災で「スキー場」といえば、「白馬」という名前がすっと頭に浮かび、そして「白馬のスキー場だから白馬村にあるのだろう」と思ってしまいがちだと思います。
 しかし、小谷村に3つのスキー場があり、いずれも「白馬のスキー場」と認識されているものです。
 1つは栂池(つがいけ)高原スキー場。白馬のスキー場として有名なものです。白馬村の北端・岩岳から車で10分もかからないところに位置しています。
 あとの2つは、「白馬乗(のり)鞍(くら)温泉スキー場」と「白馬コルチナスキー場」です。2つとも「白馬」の名を冠していますが、いずれも小谷村にあるものです。国道148号線を走れば白馬村から10〜15分くらいでしょう(国道148は12月中旬に片側通行が可能になる見込み)。
 「白馬」という名を冠しているのは至極当然のことです。「白馬(はくば)」という名の由来は、田植えの準備期に、白馬(しろうま)岳(だけ)の雪がとけた岩肌が馬の形に見え、これを「代かき馬(しろかきうま)」と呼び、それが「しろうま」と縮められたことにあります。白馬岳は小谷村、白馬村の西方に位置しますから、小谷村のスキー場に「白馬」の名前がついているのは当然だといえます。
 近年、スキー客全般が減少していますが、小谷村のスキー客の入れ込み数の減少は白馬村と比べると大きいようです。
 復興支援の意味を込めて、小谷村の3つのスキー場の後押しをしたいものだと思います。スキー場は幸いなことに地震被害を受けていません。栂池高原スキー場は明日5日オープンです。
 
 今日は以上とし、明日以降は毎日1回発信ではなく、随時発信とさせていただきます。


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