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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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復興へ、本年度のメイン事業は森上水道工事!

 

 写真は、中条川上流の1号崩壊地のすぐそばで、森上水道水源予定地から流れ落ちる雪融け水の様子です。4月30日に撮影しました。水量は非常に豊富! 手ですくって飲んでみましたが、とても美味しかったです。

 懸案の森水道の復旧工事、4月24日に入札が行われ、地元の廣瀬建設が落札しました。水源地への道はすでに開通しており、所定の手続きを経て、今月の早い時期に工事が始まるものと思われます。
 この森水道工事は、震災復興へ、今年度の村のメイン事業です。ご注目ください。

 

 この水源の様子をもう少しご紹介しましょう。
 下の写真が水が湧き出てくるところ。地中を下へ掘り進むと湧き出てくるというのではなく、斜面のある箇所から流れ出てくるのです。こういう箇所が複数あります。地元では昔から、「水が欲しければ、縦に掘るのではなく、横向けに掘れ」という言い伝えがあるそうです。

 


 水道工事については昨年度、詳細設計が行われていて、不安はありません。着実な工事の遂行を待つばかりです。


 そのうえで、水源地がある1号崩壊地の状況を少し報告します。写真を3枚ご覧ください。

 

 

 


 3枚のうち、上段の写真は水源地の上方の様子。この箇所は6年前の地震での崩落に対する対策措置が行われていません。水源地を守るために、この一帯の安定性を確保する措置が必要ではないかと思われます。
 中段の写真は昨年度に実施された崩壊斜面のモルタル吹付箇所の現在の様子。やはり雪との関係で傷みがかなり見られます。これは工事に問題があったということではなく、この崩壊斜面を抑え込むことの困難性を示していると思います。森水道と開田用水の導水路がこの斜面直下に埋設されますので、対策措置の恒久化を県(国)に求めていくことが必要です。
 下段の写真は崩壊斜面の下方が大きく崩れている箇所。
 こういうアングルの写真は初めての撮影です。下流方面も一緒に写っていて、事態の深刻性がよくわかると思います。
 この箇所は今年度に対策工事が予定されていますが、中条川上流の山腹崩壊問題に常に注意を払い、村として県(国)に的確な対策を求め続けていくことは村政の重要課題です。


自然の恵みへの感謝と完全復興モデルへの決意



 11日昼0時半すぎ、野々海池の水番小屋での1枚です。
 午前中、野々海から森集落の開田に向かう水路の普請で上がってきた人たち4人を労(ねぎら)うために、水番の月岡英男さん(写真左端)がタケノコ汁を作って待っていて下さったのです。野々海池の水の状況を撮影するために行った私もお相伴に与(あずか)りました。
 美味いタケノコ汁が一杯、二杯と進むとともに、話も大いにはずみました。
 話題の中心は、村内、そして津南町羽倉(森集落の隣)、中子などで深刻化している渇水問題。

「野々海の水はなんとか8月中、もつよ」(英男さん)
  「野々海の水も早く減っていますよね。」
  「うん。」
  「いま、何段目ですか。」
  「6段目と8段目を開けている。」
  「去年はどうだったですか?」
  「うーん、(英男さんが手帳を取り出す)去年は6月26日に、
   3段目全開、第2段目0.7とあるな。」「29日は、2段目より
   水中、4段目全開、3段目0.5だ。」



  「じゃあ、去年より1ヶ月は早いペースですね。」
  「でも、8月いっぱいはもたせられるな。絞っているからな。
   絞っているけど、みんな、文句は言ってきていない。」
  「まだ森には水を出していない。もうすぐ森に送るようになる
   から、もっと広くあけなきゃならないから減るよ。でも、な
   んとか8月までもたせられる。去年は8月に15段目を開けた
   が、雨で少し戻って、13段目を全開だ。」

 野々海池の水の調整に詳しくない人には分かりにくい話だと思います。写真をまじえて少し説明しましょう。



 野々海池には、堤のそばに上写真に見えるように、池の水中へ斜めにのびる金網で囲まれたものがあります。斜(しゃ)樋(ひ)です。
 その中を覗いてみましょう。



 階段状になっていて、各段に水栓があります。上から1段目、2段目、・・・と呼んでいます。この写真は11日昼の撮影ですが、上から順に1〜5段目はもう水を被っていません。池の水位がそこまで下がっている(減っている)ということです。
 11日は、先の会話にあったように6段目と8段目が開けられています。7段目は10日は開けられましたが、水圧の関係でいったん閉め、代わりに8段目を開けたそうです。

 「開けた」とはいえ、「全開」ではありません。次の写真をご覧ください。水がキラキラ反射しているので見づらいでしょうが、見えている水栓は6段目。栓には、右側から斜めにのびる鉄棒が挿し込まれていて、その分しか、栓は開いていません。「全開」ではなく、英男さんが言うように「(出る水の量を)絞っている」のです。




「森はまだ野々海の水を使っていない」とは、どういうこと?
 英男さんの口から、「森はまだ野々海の水を使っていないから」という言葉が頻繁に出てきます。
 同席者の森のみなさん(広瀬隆司さん、広瀬信雄さん、木村文二さん、広瀬秀勝さん)はよく分かっておられるようですが、私にはよく分かりません。
 森の開田にはすでにたくさんの水が来ています。下の写真をご覧ください。





 1枚目は、森の開田用水かけ口の少し上流、東入沢川(中条川の上流)から水が滝になって落ちてきている様子です。不動滝です。
 2枚目は森開田の上部、旧村営グラウンド跡の調整池。満々と水を湛(たた)えています。
 さらにもう1枚示しましょう。
 野々海の水路の円筒分水器の様子です。



 これが円筒分水器ですが、第2隧道を通ってきた野々海の水が分水器の真ん中から湧き出ています。
 写真右手に出ていく水路には水が落ちているのが確認できます。これが青倉に向かう水です。
 他方、写真の上方に向かう水路へは水が落ちていません。円筒分水器の周りに土嚢が積み上げられ、水が落ちないようにされています。これが森の開田に向かう水路。
 森の開田に向かう水路はここから数キロ離れたところで東入沢川に合流し、先に見た滝〜かけ口に至るのですが、11日現在ではまだ野々海の水は送られていないのです。

いま、東入沢川〜不動滝に見られる水の源は、どこ?
 では、いま、不動滝で勢いよく落ち、森開田用水のかけ口に流れ込む水は、どこから来ているのでしょうか?
 英男さんに尋ねると、「東入沢川の水さ」。
 でも、私にはよく分かっていない様子を察知した英男さんはさらに続けました。
    「東入沢川の水源というのは、野々海のキャンプ場、あれ
     のすぐ下なんだ。自然に水が出てくるんだ。」

 私はキャンプ場へ写真を撮りに行きました。そして、2万5千分の1の地図も見ました。



 上写真はキャンプ場前からキャンプ場のトイレ用建物の方を撮影したもの。この裏手が沢になっています。その様子は写真からお分かりいただけるでしょう。
 地図でも、このあたりが東入沢川の出発点になっています。
 そして、この辺りに湿地が多くあることを考えれば、東入沢川の源で水がじわじわと湧き出てくるということに不思議はありません。
 6月中旬という今、東入沢川を流れている水は沢に溜まった雪が融けているものではなく、湧水なのですね。
 因みに、青倉側の西入沢川(中条川のもう1つの上流)にはこういう湧水はなく、沢の雪融け水がなくなると涸れます。だから、青倉へはすでに野々海の水が送られているのです。

「水が湧き出る」って、どんな現象なのか?
 それにしても不思議ですね。「水が湧き出てくる」って。
 そこで、私は「水が湧き出ている」場所の撮影に向かいました。
 とは言っても、東入沢川の源泉の詳しいことはまだわかりません。選んだのは、森集落の震災前の水道の水源です。
 午後3時すぎ、中条川崩壊地で現在、谷止工の工事を進めているフクザワコーポレーションの現場代理人・宮本さんに電話。
    「森の水の関係で、1号崩壊地と2号崩壊地に今から
     入りたいのですが、よろしいでしょうか?」
    「ええ、今日は工事を休んでいますので、いいです
     よ。気をつけて行ってください。」

 こんな次第で、1号・2号崩壊地に向かって森の山を上り始めたのが3時40分頃。
 まず、2号崩壊地に入り、不動滝の様子などを撮影した後、水道の水源に入りました。
 役場が震災前の水源を復活させる基本方針を決め、水質調査のための準備作業を行なったとのことで、草が少し刈られ、辿り着き易かった。



 上写真は、水源から落ちてきた水が作業道に流れ出てきたところ。開田用水の排水管途中に敷設された升との関係でU字溝が入れられている。下は、水源とU字溝の間の斜面を流れ落ちる水の様子。「ドドドッ」という音がしています。いまの時期でも水量が多いんですね。



 さて、水源です。



 斜面の石がゴロゴロしているところから水が湧き出ています。上から落ちてくるというのではありません。この斜面の少し上の方を見ましたが、乾いていて、水は見えません。

 水源にゴロゴロしている石の間というか、下というか、そこにカメラを向けてみました。木の枝や葉が邪魔になり、暗かったので、あまりいい写真は撮れていませんが、様子が少しは分かるものが撮れました。



 石の下から水が出てきていますね!
 同じようなものですが、もう1枚、示します。



 やはり、石の下から湧き出ているかんじです。

対照的な羽倉のため池の現状
 森の開田用水、水道水源の現状とは対照的で気の毒としか言いようがないのが、お隣・羽倉(津南町)のため池です。



 上写真は11日夕、1号・2号崩壊地からの帰りに撮影したもの。
 2つあるため池のうち、上の方のものです。もう完全に水がありません。下のため池にはまだ水がありましたが、その供給源は写真のため池。ここに新たに入ってくる水は、かなりの雨が降る以外にはありません。

 10日には、やはり津南町の中子の池を見てきましたが、水位が大きく下がり、奥の半分は底の土が見える状態になっていました。中子には「節水令」が出されたそうです。





 1枚目は中子の池の奥の部分。もう底が見えています。2枚目は、「中子の桜」を多くの人が撮影するポイントから撮ったもの。水位が大きく下がっているのがわかります。

 11日昼の水番小屋での話では、羽倉の衆(しょ)が「水を分けてもらえねえか」と言ってきた場合の対応についても話し合われました。通すべき筋をきちんと通してもらえれば、協力にやぶさかではないという基本姿勢です。

“森は水の郷” ―― この認識・キャッチフレーズが水道原状復旧とむらの完全復興を可能にします
 森の水道の水源を震災前の水源に戻すことについて役場は基本的に同意し、その方向で動き出しました。
 私は、役場の基本方針の転換を森のみなさんにお伝えするとともに、「財源問題が課題。その解決には「大きな構想が必要」と書きました。役場からも、「その構想を提出してくれ」と言われています。
 11日の英男さんたちとの会話、そして、その後の調査・撮影で「大きな構想」の輪郭が浮かんできました。キーワードは、「森(集落)は水の郷」です。その意味は、ここまでの記述からご理解いただけることと思います。
 そして、「震災からの完全復興モデル・プロジェクト」というものを打ち出したいと思います。いま、熊本の人たちが復旧・復興にご苦労されています。東北もまだまだ大変です。そんな中、いったん「復旧工事」がなされた森の水道の問題点をあきらかにし、震災から5年を経た今、へこたれずに本当の復興に向かおうとする森集落の姿は「震災完全復興モデル」であると位置づけることができます。これは県を(さらに国を)突き動かす力をもっています。そして、「パイプ」はあります。中条川の導流堤を可能にしたものです。「プロジェクト」の詳細はさらに今後提案させていただきたいと思います。
(了)

森集落の水道問題、解決にむけて一歩前進

 森集落の上水道が震災で壊れた。その復旧施設からマンガンが検出され、さらに新しく掘った井戸の水量が足らない。震災から5年を経て、そんな状態が続いている森集落の水道問題。
 ようやく解決にむけて、一歩前進しそうです。
 役場産業建設課が、5月24日付で、
    ・地元森から水道委員3名(区長を含む)を選出して、役場と
     解決方法を検討する
    ・以前の水源(震災前の水源)からの取水も視野に入れて検討
     したい
という基本方針を表明したのです(下写真)。



 これは私・松尾の村議会議員としての5月6日付「問い合わせ」に対する回答として示されたものですが、区長さんにも口頭で伝えられています。

森の人たちが腹の底からの怒りをぶつけたことが大きかった
 役場がようやく集落住民の方を向いて動き始めたと評価できます。
 これには、2月21日の説明会(当時の島田村長も出席)で、森集落の人たちが5年間の堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに、村当局の無策に対して腹の底からの怒りをぶつけたことが大きな力になったと思います。集落の一員として参加していた私自身も驚くような、凄まじい怒りの爆発でした。
 その後、そのことを本紙でみなさんにお伝えし、4月の村長選では3人の候補いずれもが森集落の主張を受け入れることを表明しました。流れはできたのですね。そのうえで、「鉄は熱いうちに打て」と言われますので、私は5月6日に役場に「問い合わせ」文書を出した次第です。

財源の確保が大きな課題
 震災前の水源から水を引く場合の施設の復旧等をどう行うか。最大の課題は財源です。
 残っているタンクや敷設管をどの程度利用できるかによって必要な予算額は変わりますが、最大5千万〜1億円はみておく必要があるのではないでしょうか。
 率直に言って、国や県に「震災復旧費」を認めさせることは困難です。
 かといって、村の一般財源で賄うには大きすぎる額だと思います。
 ここは知恵の発揮どころではないかと思います。
 森集落の水道の復旧は水道だけの問題ではありません。中条川上流の山腹崩壊にどう対処するかという問題でもあります。また、森集落と同じく中条川の問題で困っている青倉集落も含めて考える必要もあります。


中央下は水道水源から流れ出す水、右手は1号崩壊地でさまざま地層が見える

 震災からここまで、砂防対策としてのみ考えられ、対処されてきましたが、山腹崩壊地、森水道の水源地や開田用水取水口は地質学的に見て非常に興味深いものであり、また景観的にも秀逸(しゅういつ)のものです。計画・実施されている砂防工事の進展度との関係を考慮しなければなりませんが、一定の安全配慮を行なえば、一般の人が現地見学を行なうことも可能だと思います。さらに、開田用水の源・野々海、そして信越トレイルと結合すれば、もっと大きな絵が描けます。そのとき、森宮野原駅前の震災祈念館はそういう大きな構想の拠点施設として意味あるものにすることができます。
 このように考えていくと、国の「地方創生」の枠組みの活用、さらに県が重点施策としている「山岳高原観光」の枠組みへの組み入れも可能になると思われます。
 ここはいろんな知恵を働かせて、震災復旧の問題を栄村の村づくりの跳躍台に変えていくチャンスなのではないかと思います。

 

農産物の販路拡大をどう実現していくか――津南町のフェアリーズと「ママのおやつ」の事例を学ぶ



 上写真は津南町の「ママのおやつ」で食したもの。メニュー外のもので商品名はありませんが、“ヨーグルトのいちごソー酢かけ”です。
 ヨーグルトはプレーン(無糖)ですが、いちごソー酢に適度の甘みがあって、とても美味しい。雰囲気もオシャレでいいですね。
4月30日、「ママのおやつ」津南本店で特別にお願いして出していただきました。

いちごソー酢、台湾の人との商談成立!!
 私がいちごソー酢を知ったきっかけは、前日の29日、フェアリーズファームの早河聖光(きよみつ)さんがある人と商談されている場面に出会ったこと。
 台湾から来られたバイヤーさんとの間で、いちごソー酢600本を津南で引き渡しという商談が成立しました。台湾では、生で食べられるいちごがなく、津南町の商品を買い付けに来ていたバイヤーさんがフェアリーズファームのいちごに注目されたそうです。
 この台湾の人との商談は、フェアリーズファームさんにとっても予想外のものだったかもしれませんが、このように販路が拡大するのは、フェアリーズファームさん、そして、そのお菓子部門の「ママのおやつ」さんがネットで盛んに情報発信されていることが大きな要因になっていると思います。

積極的な情報発信が1つのポイント
 たとえば、次の写真、フェアリーズファームさんが平(ひら)飼(が)い鶏の卵を新たに津南町見玉の『お食事処 水の里』に納品されるようになったことをお知らせするフェイスブックでの情報発信から取り出したものです。このお店の「月見そば」がフェアリーズファームの新鮮卵使用であることがわかります。



 私などは、「じゃあ、今度、秋山に行く時、ちょっと立ち寄って食べてみるか」という気になってしまいます。
 情報発信はそんなに難しいことではありません。「ママのおやつ」さんの場合、お菓子を作っている早河史恵(ふみえ)さんが自らタブレットで写真を撮り、そのままタブレットでフェイスブックに投稿されています。「葉っぱビジネス」で有名な徳島県上勝町では、80歳代のおばあちゃんがタブレットをガンガン使っていますね。
 タブレットは1台3〜5万円。無茶苦茶高いというものではありませんが、買い求めるにはちょっと決心が必要です。それよりも何よりも、操作方法に不安がありますね。
 村が操作指導の世話をしてくれて、購入にも支援策をとってくれれば、直売所に野菜や加工品を出すかあちゃんが自分自身の手で積極的に情報を発信し、売上げをどんどん伸ばすことができるでしょう。村づくりはこんなちょっとした一歩によってこそ進むと思います。
 

「若者が一人入ってくれれば元気にやっていける」(坪野集落)――大事なのはハート(心)のある村政

 21日の信毎で坪野集落のことが書かれていました。節目、節目でメディアに取り上げられる坪野集落ですが、いわば「出口のない困難な状況にある小集落」の代名詞のような位置づけで取り上げられます。
 たしかに坪野集落が直面している現実は厳しいものです。



 上の写真は、公民館から提供していただいた1970年(昭和45年)頃の坪野集落の様子を撮影したもの。茅葺き屋根が目立つ近代化以前の姿と言ってもよいと思いますが、多くの家々が立ち並び、賑わいを感じとることができます。真ん中やや右寄りに見える家は斉藤英喜(えいき)さんの家で、現在も健在。
 その英喜さんとちょっとお話してきました。
   「信毎の記事、読みました。」
   「ほう、また何か出ていたかい。そういえば、記者が来たな。
    一三(かずみ)君もいてな。」
   「坪野も、若い人が一人いてくれれば、かなり今と状況が変わ
    って、やっていけますよね。住める家もあるし。」
   「そうだ。あの山に行くところの三叉路の先、舗装してくれって
    村に頼んでいたんだが、『どうします?』って役場が聞いてき
    た。使うのは3人ほどで、35%の地元負担金を払えと言われて
    も、それは払えないよ。」

 坪野に住むような若者はいるでしょうか? います!
 現に秋山の屋敷集落には地域おこし協力隊の坪内大地さんが、上の原集落には岸幸一さんが暮らし、集落を元気づけています。それに対して、東部地区には復興支援員が配置されていますが、「坪野に支援員が入る」ということはできていません。支援員の人に問題があるのではありません。村(役場)にそういう気がないのです。
 こんな悲しいエピソードがあります。昨秋、坪野の人たちは普請に一昨年来てくれたボランティアが再び来てくれることを期待しましたが、遠方からのボランティアとは日程の調整がつかず、ダメ。「せめて、復興支援員だけでも来てくれたら」と思われたことでしょうが、一昨年はボランティアの世話係として来てくれた支援員も昨秋は来てくれませんでした。
 後日、復興支援員の一人に尋ねてみると、「ボランティアの世話係としては行けますが、復興支援員が個別の集落の普請の手伝いに行くことはできないのです。『各集落に公平に』という原則があって、坪野だけ行くというわけにはいかないのです。」という答え。
 復興支援員を統括する社協、さらにその上部組織の役場はいったい何を考えているのでしょうか。坪野集落の大変さは村じゅうの誰もがよくよく知っています。坪野の普請に復興支援員が手伝いに行ったからといって、「公平さを欠く」と文句を言う人がいるでしょうか。
 坪野は栄村の中でも最も山村集落らしい独特の雰囲気をもつ素敵なところ。「坪野に住んでみたい」と思う若者がいないはずがありません。繰り返しますが、屋敷、上の原の地域おこし協力隊員を見てください。
 要は村(役場)の坪野集落に対する思い(ハート)こそが大事なのです。




上1枚目:山の畑に向かう道の三叉路、2枚目:その畑に向かう道の舗装はボロボロ

道直しも村(役場)は知恵を絞るべきだ
 ――おカネがないのではない。ハート(心)と工夫の問題です。

 英喜さんの話の中で出てきた道路の舗装問題。その様子は上の写真のとおりです。
 この道の先にはいい田んぼや畑があり(下写真)、現在も英喜さんらが一所懸命に耕作されています。私がこの写真を撮って集落へ下る時も、山に向かう斉藤秀男さんの軽トラとすれ違いました。



 信毎記事は、「ふるさと復興支援金制度」が創設されたのに、あまり使われていないことを不思議そうに書いています。事情を深く知らない記者には本当に不可思議だったのでしょう。
 「ふるさと復興支援金」のもともとの原資は、震災後に国が県を経由して交付した10億円の復興基金です。出し渋る国に対して私たちが強く求め、県知事のご支援もあって得た基金です。その本来の趣旨は、「国の復旧・復興事業ではカバーできない課題を解決するための資金」ということです。
 高齢化が進んで自己資金がない坪野のような地域を支援することこそ、この復興基金の本来の趣旨に沿うものです。
 しかし、村(役場)は、「集落単位の事業のみを対象とする」、「各事業の上限は1千万円。100万円以下の小規模事業は対象としない」、「集落の自己負担金を伴うことが必要」という、普通の補助金と同じような扱いにしてしまいました。だから、坪野のような小さな、そして資金力が乏しい集落は使えません。だから、「ふるさと復興支援金」(おカネ)が余ってしまうのです。
 復興基金の本来の趣旨からすれば、坪野の道直しのようなことに集落負担金なしに真っ先に使うべきものです。
 栄村にいま不足しているのはおカネではなく、村政のハートと政策上の工夫です。坪野への取り組みは栄村の未来を左右するもの」という意識で取り組んでいきたいと思います。
 

むらの暮らしを見せる、きめ細かな情報発信、そして受入電話センター(携帯)の設置――これで観光客の増大が実現できます


不動滝


ねこつぐらを作る山田光子さん(写真右)


屋敷・諏訪社横のミズバショウ


薪にする原木と布岩

 4枚の写真を並べてみました。
 不動滝は4月8日昼すぎに撮影したものですが、手前にたっぷりの残雪があって、勢いある滝の水とともに、とても魅力的な景色です。都会の人はこんな景色に出会えば、大喜びされると思います。
 3月31日にはこの近くの林道で、薪にする雑木を伐り出すご夫婦と出会いました。前頁右下の写真に見える薪用の原木がそれなのかもしれません。こういう原木や、薪割りしたものが積まれている光景というのは、これまた都会の人がご覧になると大変感動されるものです。しかも、バックには布岩が見え、いまの時期には沢の残雪も見えて、最高です。さらに、そのすぐ近くではミズバショウが咲き始めています。じつは屋敷集落の諏訪社というお宮を取り囲むようにミズバショウが群生しているのです。



 諏訪社の横の集落内道路を下っていくと、カーブのところに作業小屋があり、その中では81歳になる山田光子さんがねこつぐらを作っておられます。2月28日、東京の若い女性が訪れ、つぐら作りを見学させてもらいました。光子さんは耳がご不自由なのですが、絵を描いたりして、熱心に説明して下さいました。従妹の山田勝子さんが手話通訳をして下さいました。1時間ちょっとの滞在だったと思います。
 ここまでは屋敷集落のことです。
不動滝が見える林道はガイド付きで行ってもらうのがいいと思います。諏訪社の存在もガイドがいないと、旅の人は気づかないかもしれませんし、つぐらの光子さんの作業所にはむらの人の案内なしに勝手に入られても困ります。
 でも、屋敷集落では、すでに山田信作さんが「1〜2時間だったらガイドしてもいいよ」と言って下さっています。
 屋敷には、秋の紅葉シーズンにはきのこラーメンが食べられる「みずとや食堂」さんもあります。

むらの暮らしを見てもらうことがカギ
 屋敷の話、薪とつぐら作り、むらの暮らしの様子が見えることがポイントです。昨年秋に私が見た暮らしの様子をさらに3枚、ご覧ください。



 薪割りをされている小赤沢の福原弘道(ひろみち)さん。写真奥に見えるお家を訪ねると…



 家ははざかけで囲まれていました。そして、キノコや木の実がいっぱい天日干しされています。



 奥さんの年子さんにお話を聞くことができました。私の記憶に間違いがなければ、上写真は「カワラタケ」というキノコ。効能も聞かせていただきました。
 そのようにお家の玄関先で立ち話をさせていただくだけでも、むら・秋山郷の暮らしの豊かさがわかります。
 都会の人はこれを見たがっているのです。500人の人に見ていただければ、1組くらい、「移住してみよう」と言う人が出てきてもおかしくありません。やはり、暮らしをみていただくことが村の人口対策にとっても最良の方策です。
 最後に、「受入電話センター(携帯)」は大袈裟(おおげさ)なことではありません。携帯電話1つを新たに契約し、番号を全国に公表します。それを常に携帯する人を一人決めます。電話が入り、ガイドが必要になったら、あらかじめ「ガイドしてもいい」という人、見学を受け入れてくれる人に電話する。それだけのことで、大した費用は要(い)りません。
 以上、一つの試案です。

森集落じゅうに灯りをともす

 震災から満5年の3月12日夕、森集落の至るところにローソクの灯りがともりました。
 森商工振興会の呼びかけで、保育園児から小学生、わけしょ、70歳代の人まで森じゅうの人たちが立ち上がりました。“真の復興”をめざして、震災から5年目という節目、集落の底の底からの力が湧き出てきたのです。斎藤龍男森商工振興会長は、「スイカイランタンバスツアーでたくさんの人が栄村に来て泊って下さる。そんな中、私たちもなにかやりたいと思った」と話されました。また、取り組みの中心メンバーの人たちは「『結い』とは別の取り組みです」と言っておられます。
 マスコミ報道では森集落の人たちのこういう思いがきちんと伝えられていないように思います。復興への取り組みの局面が変わりつつあると思います。








国道117号線にもローソクの灯りがともった

読売新聞解説欄での栄村紹介の記事



 3月17日の読売新聞朝刊、半頁以上を使って「長野県栄村 豪雪の過疎地 3.12の震災」というレポート記事が掲載されました(上写真)。執筆者は編集委員の岩本洋二さん。3月1日から7日まで1週間、栄村に滞在して取材されたものです。
この取材、「栄村復興への歩み」のブログに2月23日に届いた1通のメールから始まりました。メールの文面を紹介します。

   東日本大震災(栄村にとっては長野県北部地震ですが)から5年ということで、東北3県
   以外の被災地(千葉県旭市など)の復興やそれに続く地域作りがどうなっているのかを取
   材しています。
   つきましては、3月上旬に1週間ほど栄村を訪ね、短い期間ではありますが雪かきなどのお
   手伝いをしながら、村の方がなぜ栄村に愛着を持っていらっしゃるのか、考えたいと思います。
   予定では3月1日に栄村を訪ね、5日から1週間滞在し、冬の栄村の暮らしを体験したいと
   思っています。

 後に岩本さんにお聞きしたところによれば、「栄村 復興」というキーワードでネットを検索されたら、すぐにブログ「栄村復興への歩み」が出てきたそうです。3月1日午後に森宮野原駅で出迎え、早速村内を一巡案内しました(秋山は3月4日の私の配達に同行)。その過程で斉藤克己さんや大庭光一さんと出会い、6日と7日は専門のカメラマンを同行してお二人の取材をされました。
 記事中に、「大災害に見舞われた村のその後を思った。村をたたむような事態になってはいまいか」という文章がありますが、これは大袈裟でもなんでもなく、本当にそう思われていたことが初めてお会いした日の会話から感じとれました。
 岩本さんの栄村を取材しての最大の感想は、文中にある「災害に負けない強靭(きょうじん)な地域とは何か。自然と向き合いたくましく生きる栄村から、そのヒントを教わった」ということだと思われます。
 この岩本氏の感想を村民がどう受けとめるか。栄村のこれからの進み方に大きく関係してくると思います。
 

森じゅうにローソクの灯りがともりました









 栄村の震災から満5年。3月12日、森商工振興会が音頭をとって、森区の人たちが森じゅうをローソクの灯りでいっぱいにしました。
 歳の高い人から小学生まで、「よくもまあ、こんなにたくさん集まってくれたものだ」と感嘆するほど、多くの人が灯篭づくりに精をだしてくれました。震災から満5年、真の復興への住民の力が底の底から湧き出てきたと言って過言ではないだろうと強く感じました。


























 子どもたちが大活躍していますね。
 ハンドロータリーで雪を飛ばし、軽トラで運ぶという手作り感も最高です。
 今回の取り組みを後押ししたものの1つに野田沢の庭先キャンドル祭りがあります。環境が異なるので、灯りがともった時の雰囲気はかなり異なりますが、集落の人の結集度・手作り感はピカイチだと思いました。















 斎藤龍男会長は、「スイカイランタンバスツアーでたくさんの人が栄村に来て泊って下さる。そんな中、私たちもなにかやりたいと思った」と打ち上げの場で話されました。
 上2枚の写真はバスツアー参加の人たちの姿です。



 

1つ1つは小さくても、夢はデカい、そんな事業を積み重ねて、未来ある栄村を創り出していこう〜震災から満5年を迎えて〜

 東日本大震災から満5年。1つの節目を迎えることで改めて感じることは「歳月が過ぎゆくのははやいものだ」ということではないでしょうか。
 そうは言っても、東北3県ではまだ約5万9千人もの人たちが仮設住宅に住み続けることを余儀なくされています。しかも、今後さらに5年を経ても仮設住宅が解消されないといいます(3月7日付信濃毎日新聞報道)。私自身もそうですが、仮設住宅で暮らした経験がある村民のみなさんには、5年も10年も仮設で暮らし続けることの大変さは容易に想像がつくことと思います。改めて、仮設解消、住宅再建への支援の強化を求める声を私たちの声としてあげていくことが必要だと思います。そういう意味で、5年前の栄村の仮設住宅の写真(2012年1月撮影)をこの頁に掲載しました。



“おひさまケチャップ”の大きな可能性
 さて、復興から村づくりへ、栄村が前へ進んでいくべく、どんな取り組みが大事か、そういう視点から、完熟トマトを手作りで加工した“おひさまケチャップ”を取り上げてみたいと思います。
 小瓶(230g)で550円(税込)、ややお値段が張りますが、直売所かたくりではよく売れています。「震災から満5年」の映像を撮りに来るTV局も目をつけたようです。
 “おひさまケチャップ”を手作りされた「たんぽぽの会」の斉藤勝美さんがそのケチャップを使って出される料理を二品、ご紹介しましょう。
 まずはスパゲティの定番、ナポリタンです。



 東京から来られた人が食べくらべをされました。1つは市販の大量生産のケチャップも使って作られたナポリタン。もう1つは勝美さん手作りのおひさまケチャップのみで作られたナポリタン。
 その人の感想は、「くらべものにならない。おひさまケチャップ、これは栄村の目玉商品ですね」というもの。おひさまケチャップ1本で勝負するナポリタンをお店で出す場合、少しお値段を上げざるをえないでしょうが、村を訪れる観光客のみなさんの人気を呼ぶこと、間違いありません。

 勝美さんの二品目(ふたしなめ)は、細く切ったお餅を油で揚げ、その上におひさまケチャップをのせたもの(下写真)。想像もしなかった美味しさです。こういう発想力が楽しいし、大事なのですね。



村の人もいろんな料理に活かされています
 村のかあちゃんたちの声も聞いてみました。
   「いろいろ使っているわよ。カレーに入れてもいいし、ロールキャ
    ベツ。他のソースと混ぜ合わせるのもいいわね。高いから、ちょ
    こちょこっと色々工夫しながら。」
   「いつもの豚肉と白菜、キノコの鍋。何回も食べているから、たまに
    は変化をつけたいと思って、だし汁におひさまケチャップを入れた
    の。美味しかったわ。」(横からとうちゃんも、「うん、あれはい
    いね!」と相槌)
 
大規模化ではなく、創造性のある自営農家が栄村の未来を拓く
 「たんぽぽの会」の当面の目標は、昨年3千本であった製造数を今年は5千本に、そしてさらには1万本に増やすことをめざすというもの。完熟トマトを栽培する畑は充分すぎるほどにあります。打開が必要な課題は2つ。
 1つは収穫し、煮てペースト状にしたトマトを冷凍保存する冷凍庫の確保。村の加工所にはそれを収容できる冷凍庫がありません。
 もう1つは、若い担い手が少なくとも一人欲しいということ。「たんぽぽの会」はいちばん若い勝美さんで今年66歳。最も歳が高い人は73歳です。
 「3千本を1万本に」と言えば、とてつもない大規模化のようにも聞こえますが、現在の日本の産業構造からいえば、家族経営的な小規模零細農業に分類されます。「大規模化」一本やりの国の農業政策ではまったく相手にされないレベルです。
 しかし、こういう小規模ではあるが、他にはないいいモノを創っていく事業こそが、栄村のような山村で「子育てもできる所得を稼げる」仕事を生み出していくのではないでしょうか。そして、そういう小さな事業の育成へのきめ細かな支援こそ、村に求められているのではないでしょうか。
 「1つ1つは小さくても、夢はデカい、そんな事業を積み重ねて、未来ある栄村を創り出していこう」という本記事のタイトルはそういうことを訴えようとするものです。