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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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月岡英男さんの雪下ろし

 

16日午前9時12分、英男さんが屋根に上る。そこから道路上に落とされた雪の片づけまでを紹介したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここから11枚は連続写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでの10枚で示した雪が落とされた地上の様子。この間、時間にすれば1分にも満たない瞬時のこと。一度に落とす量が凄い。雪が締まって、崩れにくいこともあるが、やはり長年の熟練による技である。

 

 

 


この時の一回に落とす量も驚き。

 


建物は坂の上にあり、建物のすぐ下の道路との落差は3階建て以上の高さがある。

 

ほぼ下ろし終わった。9時30分。屋根に上ってから20分経っていない。向こう側の屋根は落下式で、雪下ろしはしない。

 

 

 

村外の人がこういう場面を見ると、驚かれるかもしれないが、終わった後、ハシゴを下りず、雪の上に飛び降りるのはごく普通のこと。

 

下ろした雪の頭を削る。

 

雪の上を滑って地上へ。これが安全。

 


路上に落とした雪をロータリーで飛ばし、通行障害にならないように処理。

 

作業を終え、先に見える自宅へ向かう。9時46分。

 

 

 今回の雪下ろしが行われた場所は、私が住む建物の作業所部分の屋根。英男さんの乾燥機(収穫した籾米を乾燥させる機械)などが置かれており、冬期間は私の軽トラの車庫にもなっている。
 「今から下ろすよ」という連絡が来るわけではないが、私が部屋で作業していると、英男さんのロータリーが動く音が聞こえ、続いて、車庫のシャッターを開ける音がするので、私は外に出ていく。

 

 私も栄村で暮らすようになって以降、5年くらいは屋根に上っていたが、英男さん宅にお世話になるようになってからは、すべて英男さんに頼っている。私が下手に手出しするよりも安全・安心。
 村での暮らしは人と人のつながりで成り立つ。
 私は今日、英男さんにこのようにお世話になった。午後、車で通りかかったところで、かあちゃんが一人で屋根から落ちた大量の雪の片づけをやっているのに出会ったので、20分間ほど、片付けを手伝ってきた。
 そういうことでよいのではないかと思う。


入院中のTさんへ〜森集落の道祖神祭り〜

 

 

昨年、復興住宅への子育て世帯2軒の入居で子どもがいっきに増えた森集落。子どもたちの元気な姿が印象的。

 

午後1時半開始だったが、間もなく北風と雪が…。参加者のみなさんも真っ白に(2時3分撮影)。

 

 

みかん撒きは2時20分すぎから。かなり激しい雪の中。

 

午後8時現在は止んでいますが、下の写真は午後4時の中条の国道117。

 

 

 明日もかなりの大雪になりそうです。

 

 


大雪の合間の道祖神祭り

 

 

 私が暮らす森集落中条地区の道祖神祭り。戸数はわずか6戸。しかし、大雪がいったんやみ、青空ものぞく中で、最高に盛り上がった。

 

 

 


準備は午前8時から5人で。約1時間の作業で出来上がり、いったん帰宅。

 

10時半集合で点火。

 

 

 


燃えた藁の熱でスルメや餅、芋を焼き、餅には蕗味噌をつけて食べる。最後にみかん撒きも。

 


近くではスズメも固まって道祖神祭りに参加。

 


この日は、森区長を務める月岡英男さんの70回目の誕生日でもあった。中条の隣組長・桑原友春さんが熱唱で歌をプレゼントした。

 

 

参加者全員の姿。


手芸を楽しむ森集落の“ふれあい会”

 

 森集落のふれあい会のみなさんが公民館に集まっておられる様子。9月13日のお昼すぎに撮影させていただきました。
 この日は、栄村総合文化祭に展示出品する紙クラフトの作品、「フクロウ」を作っておられました。
 メンバーは10名余で、会長は桑原千恵さん(上の写真、左から二人目)、制作の先生は小林静子さん(写真中央)です。

 


 もともとは、震災で村外の娘さん宅に避難された人などが村に戻って来られたのを機会に、「みんなで集まろう」と始まったもの。
 これまでにも、吊るし雛(びな)や貝殻おひなさまを制作されており、昨年は振興公社の依頼を受けて、綿入れ袢纏(はんてん)を70着作られました。みなさんが嫁入りの時に持ってきた着物をほどいて活用されたそうです。
 「家にこもっていないで、こういうふうに集まって、おしゃべりしながら作っていると、楽しいわよ」。桑原千恵さんの言葉です。実際、私がお訪ねした時も、みなさん、にぎやかにおしゃべりしながら作業されていました。
素敵な取り組みですね。
 (他の集落でも、こういう取り組みがあればお知らせください。取材させていただきたいと思います。)


栄村復興への歩みNo.286



花咲き乱れる素敵な集落・天代
 ムシトリナデシコです。村内の各所でよく見かける花ですが、これほどにたくさん咲いている場所は他にあまり見られません。(ムシトリナデシコは、花びらの少し下の茎にネバネバした箇所があり、虫がそこにつくと離れられなくなるので、こんな名前がついています)
 じつは昨年も紹介したのですが、天代集落の屋号「となり」のお家(うち)の前と横に見られます。昨年の撮影は6月27日、今年は5月31日。季節が1ヶ月くらい早く進んでいることがわかりますね。
 上の写真を撮影した31日は野口から坪野に廻り、その後、天代に下ってきたのですが、車の中からいろんな花が咲き乱れているのが目に飛び込んできました。「となり」のお家で花の世話を主にされているのは長女の由子(ゆきこ)さんですが、百歳になられたお父さん、正男さんも草むしりをされたりします。また、天代橋のたもとにお住まいの一子さんも丁寧に草取りをされ、いろんな花を咲かせておられます。


坪野から下ってきた時に目に入る花々


一子さん宅前の池の睡蓮(すいれん)

 由子さんはその思いをこう話されました。
   「窓を開けて、草ばかりが繁っているって、嫌でしょ。ここを通る
    人も、草ばかり繁っていたら、『何だ?』って思うでしょう。だ
    から、私は花を育てるの」
 「となり」のお隣には昨年、新しい家がたちました。斉藤豊さんの家です。斉藤又一郎さんご夫妻が震災後にお亡くなりになり、古いお家を解体されましたが、「いずれ、俺はここに戻ってくる」ということで(現在は諏訪で自営業)、管理しやすい少し小さめのお家を建てられました。豊さんの家の周りの空き地も草が繁らないよう、由子さんが草を刈り、いろんな花を育てておられます。


九輪草がたくさん咲く一子さん宅裏手

「人口ビジョン」の考え方を問う
 ところで、昨年から今年にかけて全国の県や市町村が一斉に「人口ビジョン」というものを策定しました。国が「地方創生」を叫び、「人口ビジョンと総合戦略を策定した自治体に地方創生交付金を交付する」としたからです。栄村も昨年11月に策定しました。実際は村が自分で考え、作ったというのではなく、長野経済研究所というシンクタンクに策定を委託したものです。その「人口ビジョン」の中に「栄村の人口の現状分析」として「地区別人口の推移」という図表があり、天代地区についてはつぎのように書かれています。
    「天代は、少人口の地区です。昭和50年に比べ総人口は60%
     (18人)減少、世帯数は3世帯減少となっています。」
 これだけの記述です。まったく無味乾燥で、おそらく書いた人は統計データだけを基にこれを書いたのでしょう。天代という集落を実際にご覧になったことはないのだと思います。
 それで、由子さんや豊さん、一子さんの思いがわかるでしょうか。「人口ビジョン」は「栄村の平成52年(2040年)の人口を1400人とすることを目標とし、そのために毎年5組(20歳〜69歳の男性5名、女性5名)の移住受け入れを」と提唱していますが、天代で暮らす人たちの思い、天代を故郷とし、「いずれは故郷へ帰る」という人の思いを知らずして、天代の将来を見通すことなどできないでしょう。同じことは他の集落にも言えます。


白鳥の田んぼの脇に咲くカキツバタ。月岡光子さんに紹介されました

 私は「人口ビジョン」の考え方を根本的に改める必要があると考えています。

 現在6世帯の天代集落は天代川沿いの集落です。上流には坪野集落があります。やはり世帯数・住民数の減少が目立ちますが、坪野集落のさらに上流へ天代川が遡り、野沢温泉村まで続いています。私はここ数年、この季節になると天代川のそばを軽トラで上がれる限り上流まで入りますが、道は途中から道のていをなさなくなります。半ば川のようになっています。
 他方、天代集落から下流に下ると、北野集落を経て、北野川と合流し、さらに釜川と合流して志久見川となり、ついには信濃川となります。天代川沿いの集落が衰退することは信濃川最下流の新潟市の環境を大きく左右します(阿賀野川からの土砂が入りにくなった新潟市の海岸部では海岸線の後退=新潟市の面積減少が進んでいます)。
 私はやみくもに「なにがなんでもすべての集落の維持を」とは主張しませんが、それぞれ
の集落に暮らす人びとの思いと関係ないところで、「人口ビジョン」を策定したりしても栄村の将来像は見えてこないと考えます。6月定例議会で議論してみたいと思っています。


関沢可子さんが世話されるアヤメ類(原向)


上倉直人さんが世話される横倉駅線路脇の花々
(白鳥と横倉は5月25日、原向は24日の撮影です)
 

ズク出す人たち



 5月1日午前、森の国道117号線脇にて。森公民館主催の取り組みとして、森のかあちゃんたちが花壇をつくり、花を植えています。
 この場所には以前、教育委員会主導で花壇がつくられていましたが、この何年間かは殺風景な状態になっていました。そこで、森集落の人たちが起ち上がったのです。



 同じく1日の午後、白鳥で配達に廻っていた時に撮った1枚。
 白鳥公民館横のゲートボール場で草取りと整地の作業を、ゲートボールをする人たちが自らやっておられました。かなり広い敷地です。



 これは少し遡(さかのぼ)って4月16日に秋山・上野原での撮影。
 春になって草が生え始めると、すぐに草取り。高齢の人たちのズクにはいつも感心します。

*「ズク」とは、根気ややる気を意味する方言です。

こういう暮らしは栄村の財産・誇りですね――こういう暮らしの文化を発信していくのが、栄村の村づくりの道



 上の写真は16日に秋山へ配達に行った際、布岩の手前で撮影したもの。
 運搬機の運転台は屋敷集落の山田由信(よしのぶ)さん。来冬用の薪を山から家に運んでおられるところです。
 20日、再び屋敷に由信さんを訪ねました。家にはご不在で、奥さんの良江さんにお尋ねしたら、「小学校のむこうの畑に行っている」とのこと。場所はなんとなくしか分かりませんでしたが、軽トラを走らせると、運搬機に乗る由信さんと出会い、畑に案内していただきました。
 畑は、私の想像を超える場所にありました。国道405号線から屋敷集落に入る道路の崖下です。下の写真がその畑です。



 「この石垣はずっと昔に築かれたものなのでしょうね」、「そう、ご先祖が積んでくれたものです」。
 手前に見える畑では、「今年は黍(きび)を作りたいと思っているんです」とのこと。

「薪はひと冬、運搬機6台分くらい燃やすな」
 薪のこともお尋ねしました。
   「この運搬機は軽トラよりも多く積める。先日の木はナラの
    木だけど、1回に3本分くらい運べる。」
   「ひと冬で6台分くらいを燃やすな。10月下旬から5月連休ま
    でくらい燃やすから、たくさん要(い)るんだよ」
   「冬は二人でねこつぐらを作っているんで、囲炉裏に火がない
    と寒いんだ」
   「薪はいい。家全体が暖まる。石油の変な臭いもしない。」
   「山は自分の山。昔、あそこには(発電の)隧道を掘るための
    電車が走ったんだ。その跡はいまでも見える。」
 由信さんは70歳まで森林組合で働かれ、いまはまさに山村そのものの暮らし。

「まえはこの2倍くらいの太さのを割ったもんだよ」
 16日は、薪割りをするおかあさんにも出会いました。
 お名前を聞きそびれたのですが、このおかあさんとは、3月31日にも出会っています。おとうさんと二人で山から木を伐り出しておられるところに遭遇したのです。



   「先日、林道で木を伐り出しているご夫婦に出会ったのです
    が、あの時の木でしょうか?」
   「ああ、白沢の近くでね。」
   「凄いですね。重いハンマーを振り上げて薪を割るなんて。」
   「いや、前はこれの2倍くらいの太さの木を軽々と割ったんだ
    よ。昭和18年生まれだ。」

 こういう山村らしい暮らしこそ、いま、日本で、世界で、その価値が再評価されつつあるもの。そんな暮らしに誇りをもち、発信していくことが栄村の村づくりにつながると思います。
 

写真アルバム:野田沢の庭先キャンドル祭り

 庭先キャンドル祭り、今年で3回目の開催。2月27日(土)の夕刻、野田沢〜程久保の全域にローソクの灯りがいっせいにともりました。
 今年は区や公民館の公式行事へ発展し、集落外から訪れる人もとても増えました。
 少雪の中、いろんな工夫をして素晴らしいプレゼントをしてくださった関係者のみなさんに感謝したいと思います。


全体風景


程久保集落の田んぼ


宮川吉郎さん宅前の雪だるまとおばあちゃん


お祭りのセンターのかまくら


野田沢の田んぼ


震災で壊れた屋号「高い所」の家の跡


栄村復興への歩みNo.277

小赤沢の豆まき



 節分の2月3日、秋山の小赤沢集落では子どもが集落の家を1軒、1軒訪ねて廻り、それぞれのお家の座敷でその家のご主人が豆まきをするという伝統行事が行われました。
 写真は福原順作さんのお宅での一コマです。
 秋山小はこの日、「特別半日日課」、つまり授業は午前中のみで、午後はこの豆まきに参加です。教頭の斉藤充子先生から次のようなご案内をいただきました。
 
    「秋山小はどんど焼きと豆まきの日は特別半日日課です。
     初めて秋山小にお世話になった時、なるほど地域と一体
     になっている、なんて素敵な学校なんでしょうと思いま
     した。地域の教育力の素晴らしさもひしひしと感じます。
     2月3日、手作り絵馬を持ってリュックを背負って15軒ほ
     ど回ります。子どもたちはリュックが満タンになるほど御
     菓子を拾います。職員もこんな素敵な地域行事に参加出来
     るのも秋山ならではのことと思います。」

 午後1時半すぎ、6年生の宝来(たから)さんと2年生の弥夢(ひろむ)くんは「とねんぼ」を訪れることからスタート。役場支所長・勝家直樹や地域おこし協力隊の坪内さんらから素敵なプレゼントをいただきました。


プレゼントを渡す勝家さんの笑顔が素敵です

 そして、福原照一さん宅から始まって、福原洋一さん宅(民宿「光栄荘」)に至る13軒のお家を訪ねて廻りました。
 充子先生の「リュックが満タンになるほど」という表現がまったく誇張でないほど、地豆とともに大量のお菓子がまかれます。


宝来さんが抱える大きな袋、中はお菓子がいっぱい

 弥夢くんの家では、弥夢くん自身がおばあちゃんに手伝ってもらいながら豆やお菓子をまきました。


弥夢くんとおばあちゃん
 
 小赤沢育ちの高橋咲江さんからは、「懐かしい。子供の時を思い出します。あの当時は子供達だけで周り、それなりに大変でした」というコメントをいただきました。また、1頁写真の順作さんの娘さん、福原とも子さんからは「お菓子、いっぱいだったでしょう。3人もいると、(持って帰ってきたものを)食べきれないくらい」というお話を聞きました。
 この行事、どうやら栄村の中でも小赤沢だけのもののようです。子どもたちが各家を廻るという点では箕作の「おんべ」と似ていますが、すべてのお家の座敷に上がるという点が異なりますね。

素晴らしい伝統行事を守るには、どうすればよいか

 とても素晴らしい伝統行事ですが、宝来さんはこの3月に小学校卒業。秋山小に通う子どもが弥夢くん一人になっても、彼が小学校を卒業するまでは、地域の人たちと学校が一体となり、学校を半日日課にして、この豆まきの行事を守って下さることと思います。
 しかし、その先の展望は現在のところ見えません。
 先日、TVニュース番組で県内の子ども主体の伝統行事のことが取り上げられたのですが、その中で、「子どもがいなくなったら、人為的なことをしてまで伝統行事を残すというのは間違い」という趣旨の地域の人の声が紹介されました。           
一理ある意見だと思います。
 根本的には若いご夫婦が秋山に住まい、そのお子さんたちがすくすく育つという状況を実現していくことこそが素晴らしい伝統行事を守っていく唯一の道でしょう。幸いなことに最近、秋山の若者が結婚されました。そして、今春からは30歳代のご夫婦が小赤沢に移住して来られるという話も聞いています。また、「さらにお嫁さんが来そうだよ」という話も聞きました。さらに、秋山の若者の集まり「GOの会」は会合を重ねているようです。地域おこし協力隊も積極的で創造的な活動を展開しています。希望を持てる話ですね。
 秋山小は独立校としては3月末で閉校になりますが、分校としては存続します。辛うじて再開校への手がかりが残ったといえます。秋山を、若者がたくさん生き生きと暮らせる地域にし、子どもたちの声で賑やかな地域にしていく。住民も、行政も、そのためにさまざまな創意工夫をしていくことが求められていますね。

 

秋山郷・小赤沢の節分〜秋山小の子どもたちが1軒、1軒を廻りました〜

 節分の今日3日、秋山郷の小赤沢集落で子どもたちが集落のお家を1軒、1軒訪ねて廻り、座敷で豆まきが行われるという伝統的な行事がありました。
 秋山小教頭の斉藤充子先生からご連絡をいただき、いっぱい写真を撮らせていただいてきました。膨大な量ですので、まだ整理できていませんが、ひとまず“速報”をお伝えします。



 これは阿部徳太郎さんのお宅での一コマです。
 豆は地(じ)豆(まめ)(落花生のことです)がまかれます。そして、お菓子もまかれます。この写真はお菓子がまかれているところですね。
 
 
  
 こちらは福原弥夢君の家・「出口屋」さん。弥夢(ひろむ)君自身が豆まきをしました。
 
 
 
 苗場荘さんにて。
 島田とも子さん、最高の表情ですね。
 
 
 
 秋山小の先生たち、子どもたちのお母さんが同行されています。
 
 
  
 苗場神社の横を進む一行。
 
 
  
 先生も子どもたちと一緒に必死の形相というのが素敵。
 
 
  
 子どもたちお手製の絵馬を贈られてえびす顔の役場秋山支所長の勝家さん。
 
 他にも素敵な写真がいっぱいありますが、写っている人たちのお許しをいただいたうえで公開したいと思います。