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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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配達日誌7月1日〜10日

1日(土) 朝から予報通りに強雨。昨日、役場に問い合わせたところ、野々海大明神祭は予定通りに挙行ということなので、8時半頃に出発して野々海へ。私は「10時開始」と思い込んでいたが、実際は11時開始。平滝からの上り道、基本的に1台の車にも出会わず。
 まっすぐ池に向かった。水番小屋では薪ストーブに火が入っていた。しかし、強雨でも気温はそんなに低くなく、寒さは感じず。また、霧も出ていなくて、野々海池の全体像も見えた。
 強雨は続き、神事は簡略化されて、すぐに終わった。その後はキャンプ場管理棟で宴。強雨だったので、一般参加者も管理棟の1階に入っておられた。昨年、来賓だけが管理棟内で、なにか嫌な気持ちがした。来年以降、どうするのか。一度、関係者に尋ねてみようと思う。
 私は飯山市の出川とJR飯山線の出川鉄橋の様子が気になっていたので、宴を早めに退出し、その様子を見に行った。その結果は「復興の歩み」に書いた。

 

県道出川橋下の様子(12時50分撮影)


 その後、人と会ったり、中条川の様子を観察したり、編集作業をしたりで、夕刻に。温泉に出かけようとすると、あんなに強く降っていた雨がいつの間にか止んでいた。

 

2日(日) 森集落の水道工事の現状を見る必要があって、午前10時前に森開田から1号崩壊地へ。
 1号崩壊地で撮影の途中にカメラが曇って撮影不可能に。今回はレンズ表面の曇りだけでなく、レンズ内部が曇っている様子で、「これは修理に出すしかないか」と覚悟を決めて下におりた。昨年も寒い時期に1号崩壊地でレンズが曇って撮影できなくなったことがあったが、その時よりも状況は深刻。しかし、家に戻ると曇りは取れて、撮影可能に。よかった!!
 その後は、編集や印刷・折りなどの作業を夕刻まで。

 

3日(月) 天気予報では一日中雨。たしかに外に停めている軽トラの荷台は夜の雨でしっかり濡れていたが、朝からは降雨なし。部分的には青空さえ見える。
 9時頃に配達に出かける時は、「半袖では車で走ると肌寒いかな」と思って長袖にしたが、間もなく気温がどんどん上昇。30℃近くにまで上がった。午前中は主に東部の雪坪〜切欠で75軒の配達。久しぶりに見た青空にカメラを向けてみた。背丈がだいぶ伸びてきた稲の緑色とのコントラストも鮮やかで素敵な風景だ。

 

柳在家で撮影(11時53分)


 午後、追加の印刷をして白鳥の配達へ。白鳥に入る前に飯山・桑名川の出川下流域へ。昨2日夕の段階で中条川の流れはきれいになっていたが、千曲川は今日も相変わらず茶色。それで、出川の様子を見に行った。
 やはり濁流。井出川に流れ込んだ山腹崩壊の土砂は礫をあまり含まず、ドロドロのヘドロのような土砂。これは安定せず、雨が降れば確実に流れ出し、相当の期間にわたって川の水を濁す。水量は安定してきている。
 近々、羽広大橋や許可を得て桑名川砂防ダムなどの様子も見に行きたいが、時間を確保できるかどうか。

 

県道出川橋の様子(午後4時35分)

 

 白鳥で32軒配達。今日は計121部。
 どうも最近、体が睡眠時間の延長を求めているようだが、あまり早くには就寝できず。夜の段取りを変えなければいけないようだ。

 

4日(火) 村長杯ゲートボール大会に出席の予定だったが、朝早々に順延が決定された。
 小止みに近い状態になることもあったが、ほぼ一日中雨。こういう降雨状況では体は合羽で濡れないようにできても、配達物が濡れる危険が多いので、配達はしない。11時前まではメールの一斉送信やブログの更新などの作業。その後、十日町の接骨院へ。背中の張りというか、だるさというか、先週前半までほどのものではないが、調子がいいわけでもないので。かなり楽になったように感じる。
 帰ってからは、最近頭に浮かんでいることをメモ化してみた。考えていることをなかなかうまく吐き出せなくてもどかしいが、文章にしないよりはいいと思う。何人かの人に読んでもらって、意見を聞けば、また筆が進むかもしれない。
 写真撮影はなし。

 

5日(水) 朝方はまだ小雨が降っていたが、ゲートボール大会はなんとしても開催するとのこと。後から聞いたところでは、「今日開催できないと、しばらく日程がとれないから」とのこと。
 午前8時半集合、9時開会式。8チームが参加して、濃密な試合が展開された。
 私は開会式に参加し、第1試合を見て、その後、横倉で47軒と平滝の国道よりも上のゾーンで18軒の計65軒で配達をして、再び会場へ。試合を見るとともに、お昼休み、みなさんと一緒にお弁当。12時半に午後の試合が始まるのを見て、今度は青倉51軒の配達。それが終わると、すぐさま会場へUターンし、決勝戦を観戦し、その後閉会式。
 閉会式で「万歳三唱」の音頭取りを仰せつかった。その際、「今日は素晴らしいものを見せていただいた。北野チームの強さは圧倒的だった」と発言したが、本当にそうだった。

 

ゲートボール大会場の横倉農村広場グラウンド

大会事務局の若い職員はここの震災後の仮設住宅が建てられたこと

をご存じなかった。この景色を見ていると独特の感慨が湧き上がっ

てきた


 ゲート―ボール大会が終わると、すぐに、飯山市で開催される国道117号線期成同盟会の総会へ。途中、桑名川の県道出川橋の様子を観察・撮影。大雨警報で「全面通行止」となっていたものが解除され、閉鎖ゲートがちょうど開けられるところに遭遇した。
 期成同盟会総会、ある人に言わせると「行政がつくる期成同盟会の典型的なあり方」を示すもので、6月7日に出席した秋山郷405号線の期成同盟会とはまったく様相が異なった。今日の期成同盟会は日本の行政のあり方の縮図のようなものと言えるのではないか。なにかの機会に紹介したいと思う。
 期成同盟会後の懇親会にも出たが、6時半過ぎに村に戻れて、温泉入浴セーフ。夜は水道本管清掃工事が始まり、断水。就寝前の歯磨きもままならず、明日以降の対応措置を考えねば…。

 

6日(木) 雨は降らないが、一日中ほぼ曇天で、窓を開けて車で走ると肌に当たる風が雨を含んだ感じ。湿度が相当に高いのだと思う。
 いろんな人のお話を聴くということで、午前中は若い女性からお話を聴くことからスタート。お昼前に天地と大久保で配達。大久保で今年初めてヤマアジサイの開花している姿を撮影。

 

 

 

 午後、「あそこはヤマアジサイがたくさん咲いているのでは」と思い、極野集落の奥の山道を進んだが、これはハズレ。まだ時期が早いのか、それともだんだん他の草に押されてヤマアジサイが咲く場所が減ったのか?
 午後は小滝、北野、中野、極野で配達。
 夕刻は若い男性とお話。テーマは限られたものだったが、その話の行間から現在の栄村の状況に対する思いが聞きとれた。

 


 

 極野集落の奥の山道でこんな状況に遭遇。
 中部電力の取水ダムまでの間にある4つの橋のうち3つに「橋梁通行注意」の看板。橋そのものがもはや危険になっているのか、それとも欄干がなくなり、通行に注意を要するという意味なのか。明日にでも役場の担当者に尋ねてみようと思うが、こういう橋を改善する予算の確保が極度に難しいのが偽らざる現状だろう。3つの橋の1つには「昭和33年11月竣工」とあった。こういうものこそ〈歴史遺産〉と位置づけるべきものなのではないだろうか。しかも、これらの橋を維持しないと、山を守り、活かすことができなくなる。そうなれば、それが「自然災害」という名の人災を引き起こしかねない。福岡県朝倉市や大分県日田市の災害のニュースを見ながら、そんなことを考えた。

 

7日(金) 朝の起床が遅かった。森集落で何軒か配達して、すぐさま津南へ。午前10時から津南地域衛生施設組合議会。会場は津南町のごみ処理場の建物の2階にある会議室。内容は別の機会に書こうと思うが、生ごみなどを処理する施設の上に「議場」となる部屋があるなどとは想像もつかなかった。
 津南町で昼食と用件1件を済ませた後、村に戻ったが、予報の「曇り」は外れて、久々の快晴の青空(下写真は午前9時26分撮影)。「野々海に行ってみよう」と決め、スキー場〜貝立山のコースを進んだ。狙いは2つ。貝立山登山口から青倉集落の貝立水路かけ口にかけての道路沿いのヤマアジサイの開花状況の確認と、野々海池の裏側=野々海峠に向かう林道沿いのイワカガミの開花状況の確認。

 


 貝立付近のヤマアジサイはまだ未開花。野々海峠への林道のイワカガミも不発。でも、収穫は多かった。1つは貝立〜野々海間でチョウの群れと何度も出会ったこと。今年はチョウの当たり年のような気がする。赤トンボとも今年初めて出会った。野々海池周辺ではそんなに出会わなかったが、貝立〜野々海間の標高850〜900mあたりで多かった。これからさらに上へあがり、間もなく野々海高原で群れ飛ぶのだろう。
 2つはイワカガミを求めて入った林でギンリョウソウをたくさん見たこと。10年ほど前にたしか宮川吉郎さんに教えてもらったことがあるが、それ以来のことではないかと思う。

 


 図鑑には、「薄暗い林中に生える様子からユウレイソウとも呼ばれる」とあるが、まさにそういう感じ。生えていることを予測していたら、べつに怖くもないが、予想外に出くわすと気味が悪い。
 3つは、ミズバショウの群生がいちばんよい場所の現在の様子を見に行ったところで、まったく予想外にイワカガミの花に出会ったこと。
 そして、なによりもの収穫は夏本番の暑さの中、野々海には涼しい風が吹き、最高の避暑となったこと。山はいい!
 平滝に下って、11軒で配達するも頭痛が出て、仕事は終わり。
 夜、水道の配水本管の清掃作業が中条地区で実施された。作業に携わる人たちは午後10時からの作業開始にむけて8時頃からスタンバイ。連日の夜間作業。大変だと思う。

 

8日(土) 今日も遅い起床。森集落で配達しながら、「秋山郷シャトル便」なるものの出発の様子を見たりした。この便は「完全予約制」だそうだが、今日は予約客が1名のみで、バスではなくタクシー。よく意味がわからない企画だ。「2次交通」として予算付けされているが、「二次交通」の意味が正しく理解されていないのではないかと思う。何かの折に「復興への歩み」で議論してみたい。
 昼少し前の出発で秋山の配達へ。コースは日出山線→鳥甲牧場→屋敷→林道で切明→和山→上の原→小赤沢→東秋山林道で下り。
6月後半は超多忙だったので、考えてみれば久しぶりの秋山。いくつかのポイントで「小冒険」をしたり、話し込んだりで時間をくい、結局43軒にとどまった。
 雄川閣で軽井沢から来たという高齢のご夫婦、中信方面からの子ども連れ4人家族と言葉を交わしたが、いずれも「いいところですね」という言葉をいただいた。また、「ここから橋を渡って進む方向で飯山に出られますか?」というお尋ねを別の人からうけた。「出られますが、結構道のりがあって、近道とは言えないと思いますが」とご返事。観光に来られた人は気軽にいろんなことを尋ねられる人を求めているといつも感じる。

 

雄川閣のベランダから河原の湯の方向を眺める家族連れ

 

 雄川閣の様子を見ていて、これまでも感じてきたことだが、都丸俊幸さんのお客さんへの気さくな話しかけが雰囲気を非常によいものにしている。観光業・接客業の手本の一つのような気がするのだが…。

 

9日(日) 朝7時15分、駅伝大会に出場する武蔵村山市の学校の先生たちを横倉までピストンでお送りした。
 その後、森と月岡で59軒の配達。月岡での配達の途中、毎春、ミズバショウを見る山へ。この時期はヤマアジサイが綺麗なところ。期待通りに、綺麗に咲いているのを見られたが、やはり草が増えている。ミズバショウ群生地を保全するために月岡集落の人たちが頑張ってきて下さっているが、こういう活動は持続させるのが大変。一度、地元の人たちの話を聞いてみようと思う。
 また、月岡の配達が終わった後、青倉・西山田の圃場整備工事の進捗状況を見に行った。日曜日なので作業がなく、工事の邪魔にならないと思って行ったのだが、工事が行われていた(下写真)。「4日間ほど、雨で作業できなかったので、今日は作業です」とのこと。たしかに圃場整備の工事は雨で土中の水分率が高い時は出来ない。

 


 その後、駅伝大会の閉会式に行き、朝送った人たちの出迎え。
 青倉を通過した時、〈撮り鉄〉の人たちが栄大橋近くに停めた車にむかって歩く姿を目撃。特別列車「風っこ」が通過したのだ。
「風っこ」が午後1時20分森宮野原駅発で長野に向かうことがわかったので、横倉のある所で待ち受け、写真撮影。素敵な写真が撮れた。
 午後5時頃、5分間ほど、結構激しい降雨。昼間の熱気が冷やされて、夜が過ごしやすくなった感じがした。

 

10日(月) 午前中、豊栄、長瀬、笹原、当部、坪野など121軒を配達。坪野では、久々に野沢温泉村に通じる林道を進んでみた(現在は野沢温泉村手前の橋が落ちていて、実際は野沢まで行けないが)。そこで見たものの一端は「復興への歩み」に掲載するが、今回初めて知った「滝」と坪野上堰の余水が落とされているところと思われるところの写真を最後に掲載する。
 朝から暑い。午後1時すぎ、国道117の役場横気温表示で36℃。猛暑日だ。
 昼前、熱中症気味だったが、天地で少し休ませてもらい、生き返った感じ。
 夜、森集落の水道の洗浄作業の一般公開。相当に疲れていたが、現場に赴いた。行ってよかった。連日の夜間作業をする人たちも大変だが、役場職員も連夜。3人が交替制で現場立会いとのこと。午前5時まで立ち会って、8時30分からは通常勤務。役場職員への感謝も忘れてはなるまい。

 

天代川に落ちる滝

 


坪野上堰の余水が落ちてきていると思われるところ。今年もきちんと管理されている様子だった。

 


上2枚の写真を撮った地点のそばで見た花。初めて見るもの。名前を調べてみたい。

 


配達日誌6月21日〜30日

21日(水) 議会最終日。一般会計補正予算を議員提案で減額修正することになった。詳しいことは「議員活動報告」で書く。内容は密度が濃い審議だったが、午前中で全議案の採決が終了し、閉会。
 昼は、阿部伸治議員提唱の議員の「地産地消の会」で、地元産の牛肉をメインとする焼肉の会。美味しい肉だった。ただし、私は最近、牛肉はあまり食べられない。平素はもっぱらポーク。今日も食べ過ぎないように注意したが、やはり夜まで胃が重かった。
 1時半過ぎに私はこの会を退出し、野々海へ。野々海大明神(大きな石で作られている)が雪の影響で倒れ、今日修復作業をすると聞いていたので、その様子を見るため。到着した時はすでに作業が終了していたが。キャンプ場の建物の屋根も傷み、そちらの修復作業も行われていた。

 

立て直された野々海大明神


 野々海から下った後、焼肉の会の会場を覗くと、まだ残っている人がいて、5時すぎまでいろんな話をして盛り上がった。

22日(木) 昨夜は疲れが溜まっていて、10時より前に寝たように思う。そのせいで、3時半すぎに目覚めてしまい、迷ったが、そのまま4時前に起床。
 5時頃に程久保の滝沢総一郎さんのアスパラ畑の様子を見に行った。総一郎さんが畑に出られる前だった。畑から下りたところで出会い、アスパラの新しい苗を育てているところを見せていただいた。種を蒔き、ようやくチラッと芽が出たばかりという状況。滅多に見られないものだ。
 その後、秋山・切明へ。そこで、「栄村に住みたい」という若い女性に出会い、いろいろと案内。その後、アスパラ3圓糧送を行なったうえで、その女性を今度は野々海へ案内。午後1時すぎに案内は終了。
 昼食後はひと休みし、夕刻からさまざまなデータ整理など。

 

23日(金) 朝方、「お米のふるさと便り」(25日に青倉米の発送時に同封するもの)用に、青倉野昨年度に圃場整備された田んぼの田植え後の様子、今年度圃場整備の西山田の工事状況を撮影に出かけた。私がこの9年間、毎年田植えしてきた西山田田んぼの姿がすっかり変わっているのはいささか衝撃だった。
 その後、26日発送の野菜便に入れる野菜の確保に走り回った。天候不順、遅くまで寒かったことで野菜の確保が大変。早春にいち早く雪消しをして早々にズッキーニを作付けされる泉平の武田光俊さんにズッキーニをお願い。そのため、泉平へ。武田さん宅で奥さんの文子さんが手入れされている花々が今年もきれい。泉平に向かう途中の箕作の20軒に「歩み」を配達。

 

 


 武田さん宅の後、宮川一哉・まゆ夫妻の野菜をお願いに向かうが、途中のコース沿いの箕作、月岡でも「歩み」の配達11軒。一哉・まゆ夫妻とは会えず。野田沢でも配達。
 今日は計55軒どまり。
 午後は洗濯物が溜まっているので、まとめ洗濯をし、その後、ある人にいろんなことについてのご意見をうかがいに訪問。それでもう夕6時半。夜も人と会って、9時を廻った。

 

24日(土) 箕作、月岡の未配達の家々を廻り、32軒。
 今日は妹木の畑で一哉さん・まゆさん、そして育真くんと出会えた。「スナップエンドウ」というものを26日朝に分けていただけることになった。今回の野菜便は〈アスパラ、ズッキーニ、スナップエンドウ〉の三品に決まり。
 直売所に並ぶ野菜の写真を撮っておきたくて、直売所へ。
 直売所の厨房の中に人の姿が見えたので、レジの島田則子さんに「今日は何を出すの?」と尋ねると、「〇〇ちゃんがサンドイッチやおにぎりを出している」とのこと。「〇〇ちゃん」という名前を聞いて、「そうなのか」と思うところがあったので、早速、サンドイッチを買って食べてみた。昼近い時間だったが、食べ始めた当初は「間食」程度に思っていた。しかし、食べてみると、パンが美味しいし、サンドイッチ全体がしっかりしていて、充分に昼食になった。「パンはどこの店のものを使っているのだろう?」とか、いろいろ尋ねてみたくなり、直売所に戻ってインタビュー。
 「〇〇ちゃん」に尋ねてみた。パンは家庭用製パン器で自分で焼かれたそう。エゴマ入り。直売所で販売されているエゴマを使ったそうだ。たしかにエゴマの食感があった。サンドイッチはたまごサンドとローストチキンサンドだったが、たまごには浅葱を刻んだものを入れたという(これについては私は気づいていなかった)。「浅葱はばあちゃんがつくったもの。チキンの方に入っているレタスもばあちゃんの」とのこと。私もよく存じ上げている“ばあちゃん”である。

 

パンに小さな黒い粒が見えるが、それがエゴマ

 

 こういう若い人が村に帰って来てくれて、新しいことにチャレンジしてくれる。なんと素晴らしいことだろう! 有形無形、さまざまな方法で応援したいものだ。
 朝の32軒の配達以外の時間は「お米のふるさと便り」の編集。終えたのは結局夕刻の6時半すぎ。
 夜は夕食を一緒にしながら若い人とお話。9時頃までだったか。後は、「便り」の折り作業などをやって就寝へ。

 

25日(日) 朝から昼すぎまで、夕刻発送の青倉米の箱詰め作業。全部で33箱くらいか。5kg詰めの袋が1つだけのものもあれば、5kg袋5つを入れるものもある。
 この作業の前段として、パソコンでの宅急便配達票の打ち込み・プリントアウトの作業などがある。
 午後1時半頃、もう7〜8年くらいの間、恒例になっている駒沢大学地理学科の栄村調査がやって来たので、1時間半くらい、吉楽旅館でお話。
 その後、「議員活動報告」の執筆を開始。


26日(月) 午前中は東京銀座の料理店に送るアスパラと東大駒場地区保育所の共同購入グループに送る野菜の農家からの受け取り、袋詰め、箱詰めの作業。野菜はお米と違って重量的に軽くて腰に響くことはないが、手間はお米の発送よりもずっとかかる。

 

妹木で出会った育真くんの今日の笑顔


 昼すぎ、「山菜に加え、アスパラ畑にまで泥棒が入っている」とお聞きした東部パイロットの畑を案内してもらった。お話をお聞きした段階では、東部パイロット内を走る道路沿いの畑だと思い込んでいたが、実際に案内されたところは道路から山際に入り込んだところ。こんな奥まったところにまで侵入してきているのかと驚いた。
 午後の後半には、昨日から来ている駒沢大学の先生や学生さんと1時間強、お話。
 夕刻遅くに青倉に用件があって行ったところ、西山田の田んぼに上る農道にトラックが停まっていて、農道脇の山肌も削られた感じ。何だろうと思って西山田へ。結局、棚田ゾーンまで上がったのだが、圃場整備工事が進み、景色がすっかり変わっていることにびっくり。23日午前にも写真を撮りに行っているが、わずか3日間で相当の変わりよう。作業に迷惑がかからないように注意しながら、定期的に撮影して記録にとどめる必要があると思った。

 

27日(火) 午前中はある家への訪問や「議員活動報告」の配達。昼頃に天地で駒沢大学の学生さんを斉藤克己さんと引き合わせ。ネマガリダケを採る現場はどんなところなのかを克己さんに案内してもらうため。私は同行しなかったが、行った学生さんに後で感想を尋ねると、
 「大変なところでした」との返答。栄村に来る人たちの中には栄村の伝統食・郷土食に関心を強く抱く方が多くおられるが、食材がどのようにして確保されるのかまで見てもらうことが大事だと思う。
 午後は、背中の張りがひどいので、十日町へ治療に。かなり楽になった。
 4時頃に村に戻ってからは駒沢大学の学生さんと7時すぎまでお話。

 

28日(水) 朝方、中条と青倉で47軒に「議員活動報告」を配達。そのまま飯山駅に向かい、10時34分発の金沢行き新幹線に乗車。所用で約1年8か月ぶりの京都行き。
 新幹線と金沢からの特急サンダーバードの車内、冷房の効き過ぎで寒かった。金沢駅で昼食用の駅弁を買おうとしたが、在来線特急のホームには駅弁売り場がなくなっていた。在来線での旅は不便になる一方なのか。
 夜10時すぎに地下鉄に乗ったが、満員に近い状態で、中学生や高校生の姿も多い。久々に見る都会の異常な暮らしの現実だ。

 

29日(木) 昨日、今日と京都四条烏丸(からすま)界隈を歩いたが、老舗デパート「大丸」に隣接するゾーンの変わりように驚いた。街というものはクルクルと変わるものだ。また、四条通りは地上と同じくらいに地下道を歩く人が多いが、頭上に空が広がる景色しか見ない田舎暮らしに慣れている私には、空気がこもっていて、低い天井しか見えない地下道は異様に感じられた。
 夕刻5時少し前に京都駅発でサンダーバード、北陸新幹線で飯山へ。9時半すぎに着いたが、雨が降っていてびっくり。京都では雨の予報だったが、雨に遭わず。こちらで雨が降っているとは思っていなかった。

 

30日(金) 2日間留守にするだけで、なんやかんやと用件が溜まる。そうしたものを片づけながら、昼頃、飯山の出川の下流域へ。「復興への歩み」No.310掲載予定の記事のため、出川下流域、JR飯山線の鉄橋などを見て廻った。その後、村に戻り、青倉・西山田の圃場整備工事現場へ。午前中に現場事務所を訪れ、工事中の時間帯の撮影を許可していただいた。
 事務所で設計図をいただいていたので、田んぼの様子がどのように変わるのかの見当がついたが、26日夕に見た様子からもさらに大きく変わっていて、ただただ驚嘆するばかり。

 

青倉・城ヶ館の圃場整備工事現場。ここも様子がすっかり変わっている。


 28日に京都に向かう途中、住民福祉課長から電話があり、7月下旬に福祉審議会があること、議会産業社会常任委員長が委員になることになっていること、さらに、これまで審議会会長を務めてこられたのが鈴木敏彦前村議(産社常任委員長でもあった)で、会長選出が第一議題となることを伝えられた。私は議員が審議会会長を務めることには問題があると考えたので、今日の午後、役場に住民福祉課長を訪ね、その旨をお伝えした。
 福祉審議会というのは村長の諮問機関。村長は自らの施策を決定する前段の手続きとして審議会に諮問を行い、答申を得て、自らの施策の妥当性の裏付けの1つとする。そして、その後に、その施策を条例案や予算案として具体化し、議会に議案として提出する。そこで、議会・議員は村長提出の議案を審議し、可決か否決かを決する。
 しかし、議員が審議会の会長をしていて、村長に諮問した事実が前段にあったら、議会での審議は意味をなさない。行政と議会は、協力すべきところは協力するのでよいが、しかし、「議会は行政のチェック機関」ということが果たせなくなるような関係になってはよろしくない。会長の後任選び、難儀しそうだが、やむをえない。
 産社委員長は津南衛生施設組合議会の議員にもなる。津南衛生施設組合のようなものを地方自治法では「一部事務組合」と呼ぶが、議会の設置が必要。津南衛生施設組合議会の場合、十日町市議3名、津南町町議2名、栄村村議2名で構成される。栄村議会ではその議員2名を5月の初議会で選挙したのだが、「議長と産社委員長の2名をあてる」ことが慣例となっていて、立候補・投票制ではなく、慣例通りにすることに「異議なし」で決まった経緯がある。
 だが、津南衛生施設組合(議会)の内容など、これまで耳にしたことがない。7月7日にその議会があり、今日、議案書を受け取ったが、様子がさっぱりわからないので、これも住民福祉課長の担当分野なので、レクチャーしてもらった。議案内容になにか問題があるようには思わないが、まあ、〈質疑無し→全員賛成で可決〉というだけでは議会を開く意味もなくなるので、なにか1回だけでも質疑したいと思うのだが、さて、どうなることか。
 とにかく、産社委員長というのは色んなスケジュールが入ってきて、かなり忙しい。
 その後は「復興への歩み」No.310の編集作業。


配達日誌6月11日〜20日

11日(日) 午前8時半すぎに家を出て、スキー場〜貝立山裏経由で野々海へ。帰りは平滝に下ったが、11時半頃。野々海の様子は「復興への歩み」No.309に書くが、スキー場の頂上、野々海までの途中コース、平滝への下り、それぞれにいろいろ素晴らしいものを見ることができた。いい写真もたくさんあるので、時間のある時に整理してみたい。
 下ってすぐに横倉でNo.308等が未配達の家12軒を廻った。横倉集落は4日の野々海普請をうけて、開田での田植えの真っ最中だが、飯山線の脇にある共同の作業所で上倉学さんご夫婦がお子さんと一緒に苗箱洗いをされていた(下写真)。なかなかいい光景。写真の左に写っているお子さんは末っ子で小6。震災直後に上倉さん一家が飯山の雇用促進住宅に避難されていた時、保育園児だったお子さんだ。歳月の速い流れに今さらながら驚く。

 


 午後、雪坪集落でも配達に廻ったが、森川价政さん宅の玄関にあったツツジの盆栽が立派。昨日、今日と直売所前で盆栽祭りが開催されている。

 


 夕刻4時すぎ、知人から「城ヶ館(じょうごだて)で土器がたくさん出ている」という電話をもらい、城ヶ館(青倉集落の山の田んぼがあるところ)へ。圃場整備が始まっているが、なるほど土器の破片が多数見られる。
 その場で話し込んで、気づくと6時半近く。山の上は急速に気温が下がり、最後はブルブル震えた。

 

12日(月) 栄村にとって空き家対策はきわめて重要かつ喫緊の課題。しかし、2月臨時議会での大久保空き家改修経費増額のための補正予算否決に見られるように、行政の補助金に依存して対応しようとすると、高額の経費がかかる。震災の折りにたいへんお世話になった中越の阿部巧さんにお聞きすると、「100万円程度で改修して活用している事例がたくさんある」とのことだったので、今日は阿部さんに案内をお願いして、川口(現在は長岡市の一部)の木沢地区の事例と、小千谷市岩沢地区の事例を知人二人と共に見学に行った。
 非常に勉強になった。「復興への歩み」でも一度きちんと議論したいが、今日の見学でいちばん強い印象をうけたことは、交流活動等で宿泊やミーティングのための施設を求める実際のニーズがあるところで空き家の改修が行われているということ。「空き家を壊したくない。なんとか保全・改修・活用したい」ということが先行し、その後でニーズを開拓するというのではうまくいかない。難しい問題だが、栄村での課題をなんとか打開していきたい。
 村に帰った後、知人に同行を願って、都丸幸郎さんが亡くなった場所の貝立山裏に行った。都丸さんが亡くなった場所では合掌し、さらに奥のブナ林に向かった。都丸さんが行きたかった場所だ。ブナ林に着くと、まだまだ雪がたくさんあり、コシアブラがたくさん採れた。山から下りた後、霊前にお供えいただくよう、息子さんにコシアブラをお届けした。

 

 


 この場所については、5月半ばすぎに都会から来た人たちを案内したところ、たいへん喜ばれたという話をお聞きしていたが、さもありなんと思う。来年は積極活用ができるようにプランニングしたい。

 

13日(火) 「復興への歩み」No.309の印刷、「配達日誌」の編集など、室内作業が主。途中、法面などの草刈りの新兵器の試用の様子を見に行き、写真も撮ったが、「まだ公開しない」とのことなので、今日は写真なし。

 

14日(水) 森と青倉でただひたすら配達。計127軒。
 その間に、5月24日に手植えされた広瀬敏男さんの田んぼの様子を撮影(下写真)。気温が低い日が多く、生育は遅れ気味だが、しっかり育っている。「そういう気で見るから」という面もあるかもしれないが、手植えでしっかり植わっている感じがする。

 


 アスパラを東京に発送。その関係で程久保に行き、その際に程久保7軒の配達も。

 

15日(木) 朝8時前に出発して、日出山線経由で秋山の全戸配達へ。
 朝の鳥甲牧場の様子を撮影してから屋敷へ進んで、屋敷→小赤沢→上の原→和山→切明の順で廻った。全部で92軒。正午過ぎに切明・雄川閣に着いているので、きわめて順調な配達だったといえる。鳥甲牧場と天池で撮影した以外はひたすら配達という感じ。
 上の原で空き家の解体作業が行われていた。震災直後には被災家屋の解体で見慣れた作業であったが、最近は滅多に見ない光景。どこか懐かしい光景だった。

 


 昼食の後、役場の現場作業の人たちが秋山林道の除草作業(といって、主には道路に突き出ている枝を払う作業)をしていると聞いていたので、その様子を写真に撮りたいと思った。切明から林道に進んで、奥志賀高原方向と屋敷方向に分かれる三叉路で屋敷方向に「除草作業中」の看板が出ていたので、「もう奥志賀高原方向は終わって、屋敷方向に向かっているのかな」とも思ったが、他にも見たいことがいくつかあったので、奥志賀方向へ。
 コミズの雪渓はきれいだったが、ミズノサワは雪渓の上に大量の土や木枝が載っていて見た目がまったくよくない。自然の現象とはいいながらも残念。昨夏、土砂崩れがあった奥志賀から5km手前の地点の様子も見てきた。大きな変化はなかったが、この箇所、県は今後、どのように対策するつもりなのか。一度、確認しなければならない。
 除草作業の人たちとは結局、切明〜屋敷間で出会った。私はその後、五宝木の5軒の配達へ。五宝木〜極野間は法面工事が始まって通行止め。結局、鳥甲牧場経由へと戻った。鳥甲牧場では畑の耕耘作業が行われていて、これはなかなか絵になる光景だった。その後、津南町の中子にも2軒、立ち寄る必要があり、すべてが終わったのはもう夕食タイムに近かった。
朝、出発時に満タンにしたガソリンが夕刻にはほぼ半分に。運転にかなり疲れた。

 

大鎌での作業。

除草作業の基本は草刈り機で行われるが、大鎌で作業する人の姿も見られた。いまや大鎌を使える人は少ないと思う。

 

16日(金) 議会6月定例会の初日。議会の内容については「議員活動報告」に書くので、ここでは触れないが、本会議の他に全員協議会、常任委員会もあり、夕刻4時頃まで。
 夜は「クマ対策勉強会」というものに参加。講師は松本市から来て下さったそうだが、とても勉強になる内容だった。村外からも多くの参加があった。役場の担当課長・職員が自主的に参加していたことはよかったが、村民の参加をもう少し多ければ、もっとよかったなと思った。
 

17日(土) 午前中、8時前から豊栄、西部地区で91軒の配達。
 途中、白鳥集落で、毎年秋に柿の木にクマがやって来る場所について、クマが千曲川を渡って、その柿の木までやって来るコースを写真撮影しながら、調べてみた。すでに草は伸びつつあるが、まだコースはよく分かる状況。このゾーンを刈り払い、電気柵を張ったら、クマを防除できるか。そういう実験を今年やれるといいなと考えている。

 

クマだな(棚)がはっきり残っている

毎年のようにクマが現れる柿の木。新しい葉が出ているが、昨秋にクマが作った「たな」がはっきり残っている

 

 昼は天地でお世話になったが、新聞で天気予報を見ると、好天は今日までで、明日は曇り。野々海観察は今日しかないと考え、平滝午後1時半頃スタートで野々海へ。再び平滝を下ったのは4時半すぎ。往復には4〜50分を要するので、野々海で2時間強、いろんなところを歩き廻ったことになる。とくに野々海峠はまだ車では行けないので、信越トレイル野々海峠口と野々海峠の石像がある地点の間、かなりの急坂だが、徒歩で往復した。里はかなりの高温だが、野々海は過ごしやすい気温。ただ、この峠の上り下りは少々汗をかいた。
 野々海キャンプ場横の東窓湿地、今年は昨年よりもミズバショウの出がいいように思うが、残念ながら地面を這うように生える雑木が多くあり、ミズバショウの多くはその陰に隠れる形になる。こういう雑木をある程度伐採する方がよいのか。専門家の知見を尋ねてみたいと思う。

 

18日(日) 明日の議会一般質問の内容を推敲する一方で、今日もひたすら配達。泉平と東部を中心に108軒。
 極野に配達に行った際、村道鳥甲線(極野〜五宝木)の法面工事の様子を見に行った。13日から日曜日を除いて全面通行止めにされているが、今日行ってみたところでは、まだ工事の準備作業段階のようで、法面での工事は始まっていなかった。
 配達先の何ヶ所かで「花とモンシロチョウ」を見た。花も特別のものではないが、この組み合わせ、とても素敵だ。

 

 

19日(月) 午前10時からの本会議に先立って9時から議会運営委員会が開かれることになった。そのために9時に予定していたアスパラの発送の時間を繰り上げ、東部地区での25軒の「歩み」配達とアスパラ受け取り・発送を8時半すぐまでに終わらせた。
 議会は一般質問の日だが、午後3時半すぎまで。帰宅後は議会関係資料の整理などもあり、配達や撮影はなし。

 

20日(火) 議会の日程変更で、今日の議会は午後1時半開始。
 午前中は、議会関係文書類の整理・検討や、この間の写真データの整理など。
 議会は4時すぎ終了だったが、いろいろ考えるべきことが多く、就寝までとくに何かの作業をやるというのでもなく、思案をめぐらせる時間が多かった。


配達日誌6月1日〜10日

1日(木) 昨夜が早かったので4時頃に起床。原稿書きや配達物の折り作業などをやった後、秋山に向かったのは7時前だったと思う。雨模様で、日出山線などは靄(もや)がきつかった。
 10時半から苗場・鳥甲・佐武流三山の山開きで議員として参加なので、その前にできるだけの配達をと思って、上の原、和山へ。小赤沢での配達の途中で山開きへ。山開きの前に雨は止んだ。
 山開き神事とその後の祝宴が正午過ぎまで。

 

秋山の保存民家。「大棟」の改修が完成していた。


 その後、小赤沢の残りと屋敷での配達。当初計画では配達の後にミズノサワの様子を見に行くつもりだったが、雲が厚くて、あまりいい写真が撮れそうにもないこと、朝早くからの行動で少々疲れたことなどから、帰路につくことにした。鳥甲牧場の様子を見に 遠回りをして日出山線、そして中子での2軒配達の後に帰宅。
 夕刻に少し眠って、一昨日からの頭の重さがやっとぬけた。

 

2日(金) 今日も早めの起床で、No.308の仕上げ。さらに、飯山の土石流現場をちょっと見に行った。午前10時から取材受け。
 午後、都丸さんの出棺のお見送り。
 No.308も配達日誌も印刷できたが、今日は早めに仕事は終わり。写真撮影もなし。
 夕刻近くから気温が低下。この時期にこの寒さは困る。

 

3日(土) 久々にとことん配達に廻った。朝方に箕作、泉平、月岡で114軒。10時から森の開田で子どもたちの田植えがあるので、いったんそちらへ。田植え後のバーベキューも含めて、午後1時頃まで。
 その後、平滝、白鳥などで50軒。計164軒。
 「もっと廻れるか」と思い、昼間にNo.307、308、「議員活動報告」をそれぞれ印刷にかけておいた。結局、大半は夜に折り作業をやることになったが、朝の起き抜けの時も含めて、600部くらいの折り作業をやったことになる。(この作業が4日以降の苦しみを生むことになった。)
 白鳥を廻っていた時、新しい工事の看板が立っていたので、一昨年、昨年と白鳥川及び東川の砂防ダムが建設された現場へ。「砂防堰堤下流の渓流保全工事」というもの。これについては改めて記したいが、昨年までに完成した砂防ダムについて一言書いておきたい。
 砂防ダムというのは巨大なものである。この白鳥川の場合、川の規模と砂防ダムの巨大さが常識的な感覚では信じられないほどにアンバランスなのだ。

 

 

 上の写真は「渓流保全工事」の対象になっているまさに「渓流」と呼ぶべき小さな流れ。砂防ダムのすぐ下である。それに対して、下写真は砂防ダムの全景。スリット式なので水はそのまま流れている。白鳥川の水量は左写真の程度だということ。そこにこれだけの巨大なダム。

 


 これには「?」と思う方がまともな感覚だと思う。砂防ダムというものについて改めて考えてみたいと思う。

 

4日(日) 起床すると、雨で気温も低い。今日は野々海普請。「8時半にそれぞれの持ち場に現地集合」ということで、私は水番小屋・堤の現場を撮影することにしていた。
 燃料補給もして出かける直前に家に戻り、ズボン下を着用し、靴下も冬物を履き足した。上半身は薄手のセーターと早春期に着るジャンパーの上に雨合羽。
 野々海の現場はまるで冬。上記の装備でちょうどよかった。
 2号分水〜1号分水間の普請を終えて水番小屋にやって来た人たちも含めて一休みした際に、横倉の上倉誠一さんから昨秋のクマに襲われた事故の生々しい証言をお聞きした。ここには書き記せないほどのリアルな話。事故現場に居合わせた人たちの中でじつは、襲われ重傷を負った誠一さんがいちばん冷静だったように思われた。
 私はみなさんよりも早くに山を下りたが、3時頃、月岡英男さんから「手違いで横倉の開田にまだ水が届いていない」と聞き、横倉の開田へ。私が到着した時、ちょうど水が到達した。横倉の開田は野々海の水がやって来次第、代掻きができるように、すべてきれいに田起こしされていた。里の午後はきれいに晴れ渡り、開田からの眺めも素晴らしい(「復興への歩み」No.309の9頁に写真掲載)。
 そんなこんなで、今日は配達なし。

 

5日(月) 朝、まず、昨日の野々海普請で水が届くようになった横倉の開田の田んぼの様子を見に行った。

 

田んぼに水が入った横倉の開田


 その後、白鳥と平滝で計63部の配達。その途中で桑名川まで足を延ばし、出川橋付近の土石流対策の進展状況を見てきた。その結果は夜レポート化。
 午後も引き続き配達の予定だったが、昼前から右腕がだるくてたまらず、接骨院へ。持病の血行障害の症状。40歳代に随分と苦しんだが、最近は滅多に症状が出なかった。右腕で単純動作を長時間繰り返すと症状が出る。昨日の大量の折り作業が影響したようだ。

 

6日(火) 午前は野々海へ。昨日、今日と天気がよく、スキー場の上の山を見ても空が真っ青なので、「4日とはかなり様子が違うかな。ミズバショウの様子も見ておきたい」ということで、10時少し前に平滝から上がった。
 野々海の三叉路から野々海池の様子が少し見えるが、もうこの段階で「池の雪がかなり消え、4日とは別世界」ということがわかった。野々海池(水番小屋、堤)、深坂峠、深坂峠手前のミズバショウ群生地、キャンプ場・東窓湿地、野々海峠に向かう林道脇のミズバショウ群生地の順で廻った。

 

6日午前の野々海池の様子(「復興への歩み」No.309の1頁の写真との対比を)


 平滝〜野々海間の道路脇には山菜採りに入っていると思われる村外車が相変わらず多数。
 野々海とスキー場を結ぶ道は開いたようだったが、軽トラが修理中で代車の軽乗用車だったので、無理をせず、平滝に下りた。
帰宅後、とりあえず写真データをパソコンへ。
 午後は2時45分に貝立橋で待ち合わせで、知人と共に、スキー場Dコース近くの、どうもクマの穴があるらしいという地点の調査へ。十分な警戒心をもって臨んだが、そろそろ調査を切り上げようという頃にクマの唸り声を聞き、撤収。
 帰宅後、このクマの件のレポートを作成し、山菜採りに来る人への警告看板設置の要請に行った。(役場は7日、看板設置を行なった。)
 夜は、野々海の様子のブログ記事を作成。
 そんな次第で、今日は配達はなし。

 

7日(水) 午前中は志久見、柳在家、切欠、小滝で計68軒。修理に出していた軽トラを引き取りに白鳥へ。
 昼食後、若干の配達の後、
 津南町結東の「萌木の里」で開催される秋山郷国道整備促進期成同盟会の総会出席のため、秋山へ。この期成同盟会総会については「復興への歩み」に記したいと思う。総会の後には懇親会もあって、温泉にぎりぎり間に合うような時間に帰宅。
 疲れがあり、早めに寝るつもりだったが、折り作業や電話対応などで就寝は遅くなった。

 

8日(木) やや疲れ気味で遅い起床。10時からの用件の前に配達する計画だったが中止し、スキー場内のクマ警戒の緊急警告立て看板の設置状況の撮影、さらに室内での書類整理作業など。
 午前10時から、栄村金婚式並びに栄村老人クラブ連合定期総会に来賓として出席(議会産業社会常任委員会委員長としての職務)。毎年この時期に開催されている金婚式だが、参加は初めて。なかなかいいものだなあと思った。
 老人クラブ連合の総会も初めて。この1年間で3つの地区での単位老人クラブの休止ないし解散が生じたとの報告。県全体の傾向でもあるそうだ。老人クラブというものの存在意義、これからのあり方について、一度、じっくり考えてみたいと思う。
 終了が0時半頃だったので、午後の配達は2時半頃からだっただろうか。原向を廻っていた2時50分頃に大粒の雨が落ちてきて、その後、激しい降りになった。かなり濡れながらの配達。久々のこと。原向、野口、天地、大久保で41軒。途中お茶のみしたこともあって、配達はこれだけで夕刻に。

 

9日(金) 朝方、長瀬、坪野の41軒で配達。坪野を廻っている時、横倉の上倉直人さんから「ササユリが開花していますよ」という電話をいただき、横倉に向かった。途中、天代坂で空(雲)があまりにきれいだったので、何ヶ所かで写真を撮りながら、9時半頃に横倉に着いて撮影(下写真)。

 


 10時からは議会の議会運営委員会。1時間強だっただろうか。
 人と会いながら軽い昼食を食べた後、国道405の改良整備の最新の写真を確保するために秋山へ。併せて、ミズノサワなどの最新の様子も撮影。
 「下(しも)」におりてから、北野、中野、極野で47軒の配達。
 夜は今日撮影の写真データの整理に結構の時間を要した。

 

10日(土) 朝、平滝で22軒配達の後、桑名川へ。避難指示が出ている4世帯の近くの土嚢設置状況や飯山線橋梁の様子を撮影。
その現場に向かう時、桑名川の人たちが県道沿いに花植え作業をされているのが目に入っていたので、帰路、その様子を撮影し、区長の鷲尾さんとお話もした。

 

くわながわフラワーロードの会のみなさんの植栽作業

奥に見える赤い橋は市川橋。重機が見えるが、千曲川の護岸工事を実施中。


 花植えは「くわながわフラワーロードの会」のみなさんによる作業。有志参加で50名くらいの人たちが参加されているそうだ。長野県アダプトシステム(「信州ふるさとの道ふれあい事業」)というものと協定を結んでいるもの。「アダプト」とは「養子縁組する」という意味の英語で、住民が道路などの公共スペースを養子のように愛情をもって面倒をみることに対してアメリカで命名されたもの。長野県では「信州ふるさとの道ふれあい事業」という名称で2003年から実施、桑名川地区は2010年秋から取り組みを始められたそうだ。すでに7年間に及ぶ長期の取り組みと、土石流災害による避難指示という事態の中でもこういう作業に楽し気に取り組まれている姿に感銘を受けた。
 野田沢、雪坪での配達の後、昼前からは森集落の「タケノコ汁の会」。
 午後は「復興への歩み」No.309の編集作業。
 

 

東部水路の堤(原向)。6月9日午前撮影。

 

 

<お断り>
「配達日誌」は次回からメール配信とブログ掲載のみとし、配達はなしとさせていただきます。
印刷したものをご希望の方は松尾までご連絡ください。


配達日誌5月21日〜31日

21日(日) 19日に発生したとされる飯山市の通称「だんご橋」の上流で発生して山腹崩壊。昨夕初めて知り、今朝早くから現地にむかった。
 その後、「No.305+No.306」のセットを20日に配る予定だった横倉、箕作、月岡の計82軒を廻る。横倉の集落内の田んぼの田植えがいっきに進んでいたのが印象的だった(下写真)。

 


 午後〜夜は、飯山市の山腹崩壊のブログ用レポートの作成と、No.307の執筆・編集。

 

22日(月) 4月23日の村議選で当選した議員から成る17期村議会の初議会。
 初議会は本来、「議会構成」だけでいいのだが、村長及び議会事務局に「村長提出の議案がなければ議会を招集できない」という誤認識があったようで、専決処分の承認案件などの審議、さらに村長提出の議会全員協議会もあって、長い昼休憩を挟んで、午後3時近くまでの長い初議会となった。
 昼休みが2時間近くあったので、いったん家に戻り、No.307の編集を完了させた。議会に戻る時、役場横の気温表示は31℃! 午後の議会は窓開けっ放しで開催。
 また、夕刻からは役場側主催の議員歓迎会があったが、議会終了後、その会までの間に「議員活動報告」に掲載する初議会の様子の記録をざっと書き上げた。
 帰宅は午後9時前だったか。明日の配達物の印刷や折り作業で結構遅くなった。写真撮影はなし。

 

23日(火) 今日の主予定は秋山での配達だったが、アスパラの出荷状況を滝沢総一郎さんにお聞きする必要があり、朝7時頃、総一郎さん宅へ。先週末からの気温上昇でアスパラの成長がようやく順調になったようだ。「まあ、少し持っていきないさいよ」と言って、随分たくさんのアスパラを下さった。何人かにおすそ分けしたが、私自身は秋山から戻った午後4時頃にさっと湯がいたもの3本分をマヨネーズをほんの少しつけただけで豪快にいただいた。これぞ“ザ・アスパラ”。美味い!
 宮川頼之さん宅にも立ち寄り、さらに青倉で1軒、上がって少し話。その後に秋山へ。
 頼之さん宅では、期待していた通りの場面に出会い、写真を撮らせてもらった。昨年誕生した育真(いくま)ちゃん。お母さん、じい・ばあがアスパラの出荷作業をされている所でハイハイ。素晴らしい子育ての姿だと思う。一哉さんそっくりだ。

 

 


 日出山線→鳥甲牧場→五宝木集落→天池→切明→林道経由で屋敷→小赤沢の順。途中で電話取材受けが入り、少し時間がおしてきて、上の原の10軒、和山の11軒は後日配達に変更し、秋山では75軒の配達。
 夕刻6時に十日町で「中越」の阿部巧さんと数年ぶりで会った。いわゆる「地域おこし(づくり)」に関わる若者がどのようにして一定の収入を確保するか、あまりお金をかけない空き家再生・活用について、「中越」で蓄積されてきた経験・知恵についてご教示いただいた。空き家については、6月に具体例を複数見せていただくことになった。こういう教示、経験や知恵の交流がとても大事だ。
 帰宅後、やはり印刷・折りなど。

 

24日(水) 5月の青倉米発送の一部発送と全体の発送準備。
 その中で、森の広瀬敏男さんご夫婦の約7畝の田んぼの手植え、また、小林昇子(のりこ)さんと広瀬トヨさんの2枚の田んぼの手植えを撮影。(写真左はトヨさんの手植えの姿。植えるのがものすごくはやい。写真右はトヨさん(左)と昇子さん(右)

 

 

 

 日中は予報されていたような雨は降らず、パラパラ。基本は曇天。4人共に「これが “田植え日和(びより)”」と言っておられたが、たしかにそのとおり。昨年6月初め、カンカン照りで汗をかきながら田植えしたことを思い出した。
 この田植えの撮影の合間に、敏男さんの田んぼのすぐ横、広瀬隆司さんの家のツツジを撮影した。昨年、撮影を頼まれた縁で、このツツジの存在を知った。いろんな写真を撮ったが、ここでは、お宅のすぐ脇のいちばん立派なツツジを紹介させていただきたい。

 


25日(木) 朝から午後3時すぎまで。青倉米の発送準備に没頭。何人かには急遽、アスパラも送ることになったので、その注文や受け取りに走ったことも時間を要した一因。
 配達はほとんどできなかったし、写真も1枚も撮っていない。
 疲れがたまったようで、夜、かなり早く寝ることにした。

 

26日(金) 朝7時半頃、平滝から野々海へ。野々海の融雪の状況を見ておきたいと思っての行動。野々海の雪はまだ多い。今年はとにかく雪が硬く、少々の気温上昇でもあまり融雪が進まない。
 でも、水番小屋の扉を開けられる状況にはなっていた。6月4日の野々海普請はなんとかなりそう。また、堤に下っていく道の脇の雪が、低くなっている(減っている)だけでなく、地面の方からも融けるようになっているのが確認できた(下の写真)。こうなると、これからの融雪のテンポは上がるかもしれない。

 


 平滝から野々海にかけて、山菜採りに入っている人が多い。地元の人間ではない。また、野々海に上がる時に「福岡」ナンバーの車を見かけ、不審に思った。帰路でも同じ車がいて、車に捕虫網が立てかけてあった。集落に近い地点であり、また近くに別の観光客集団もいたので、思い切って声をかけた。「何を捕るのですか?」と尋ねると、「言わなきゃいかんとか?」と博多弁ですごまれた。「はい」と言うと、それなりの返答。捕虫網を持っている人間に声をかけるのはかなりおっかない。臨機応変、声をかけるか・かけないか、的確な判断をしなければならない。
 また、「復興への歩み」でも取り上げるが、ブッポウソウの観察に観光バスが平滝の簡易水道場のところまで上がってきているのに出会って、驚いた。
 明日27日に東京・神田で、この2年、私がアスパラや山菜を持って行っていた「すずらん祭り」があるが、今年はさすがに行く時間がとれない。小滝におられた加藤さんが現場での販売をやって下さるので、宅急便で発送。午後はその作業でほとんどの時間を費やした。
 配達は横倉などで14軒のみ。

 

27日(土) 朝方、平滝・白鳥で48軒を配達した後、飯山市照岡の山腹崩壊・土石流の現場へ。
 今日は、震災の後、栄村をご支援下さった、現桑名川区長の鷲尾静雄さんなどに避難所でお会いできて、いろいろとお話をお聞きすることができた。

 

山腹崩壊が発生した箇所。21日に続き、2回目の撮影。


 帰村後、午後は東部を中心に55軒。
 夕刻から、飯山の山腹崩壊・土石流をめぐってレポート書き。
 今日午前10時開始の「すずらん祭り」に宅急便が間に合うか、ヤキモキしたが、午前10時20分過ぎ、加藤さんから「荷物が届いた」という連絡をいただいて、ホッと胸をなでおろした。山腹崩壊の現場に向かう途中だった。

 

28日(日) 朝方、20軒の配達の後、すずらん祭りに届けたワラビとタケノコをお世話いただいた天地の斉藤克己さん宅を訪ねて、少し話をしていると、「天地の山で行方不明者発生。道案内をお願いする」という連絡が克己さんに入った。
 役場職員と共に現場に向かう斉藤夫妻に同行。現場に着く直前、行方不明者を出したグループの車と出会う。「警察に電話したが、『道がわからないから、県道の天地入口で待っていてほしい』と言われた」とのこと。私が警察を出迎えに下りた。すぐに来るのかと思いきや、飯山署からの出動で30分ほど待った。
 警察官と共に現場に戻った。行方不明者とは携帯がつながっていたので、パトカーのサイレンを鳴らし、「聞こえるか」と尋ねたが、「聞こえない」という返答。携帯の充電が切れそうとのこと。斉藤勝美さんと共に沢に下った。たしかに良いタケノコが出ている。だが、行方不明者は見えず。かなり険しいところで、とくに林道に戻る時の登りがきつかった。(翌日、足の筋肉に張りが出た)
 行方不明になったのは須坂市の83歳男性。家族が捜索願を出して、消防団と警察ヘリが出動することに。消防団は午後3時天地集合。私はそれと入れ替わりに配達に戻った。間もなく、ヘリが発見。人騒がせである。斉藤克己さんお話では、「朝方、車が4台上がって行った」とのこと。クマの問題もあり、放置できない問題である。

 

29日(月) 東京・駒場の保育園の父母に5月〜9月、月1回野菜を直送という仕事を今年から引き継ぎ、今日がその発送日。
 その仕事にとりかかる前に、「スキー場頂上部の林のイワカガミの開花状況を見ておこう」とスキー場へ。「そろそろ一斉開花か」という予想は当たっていて、いい写真が撮れた(「復興への歩み」で紹介の予定。スキー場頂上からの眺めの写真は次頁)。
が、野菜発送に要する時間の判断に狂いがあって、夕刻4時の宅急便回収に間に合わない荷物が出てしまった。結局、その分を運んで飯山市木島のクロネコヤマトの営業所まで行くことになってしまった。
 帰路、桑名川に立ち寄ったところ、「土石流の危険」で通行止めになっていた県道の出川橋の通行止めが解除になっていた。4世帯への避難指示は継続。飯山線は運休を続けているが、飯山線の鉄橋は出川橋よりも安全な状況。JRの判断には疑問をもつ。
 配達はできず。

 

スキー場頂上からの眺め(午前9時45分撮影)

 

30日(火) 起床は早かったが、「議員活動報告」の印刷と別原稿の執筆中の午前9時すぎ、村内放送で「森の都丸幸郎さんが行方不明」という放送。朝6時にも放送があったが、その時は氏名非公表。都丸さんの名前が出たので、役場に電話し、私は青倉の山へ。
姿は見えず、青倉・西山田の農道とスキー場内の村道との三叉路から下る途中に警察官と出会い、「貝立山にはこの道を進めばいいのか?」と尋ねられた。たしかに「この道を進めばいい」のだが、土地勘がないと感じたので、私が道案内役をかってでた。
 結局、ご遺体で発見することになってしまった。毎年、山菜採りによく行かれた場所だった。残念な結果になったが、山村・栄村で暮らしてこられた都丸さんらしい最期とも言えると思う。ご冥福をお祈りする。
 午後遅くから森と青倉で62軒の配達。少し立ち寄り先で話をしたりして、夜6時半すぎに温泉へ。
 なお、今朝5時すぎに起きた時は寒くてストーブをつけた。午前中は雪の上にいたので暑さを感じなかったが、午後、里では猛烈に暑かった。

 

31日(水) 朝は5時から6時の間の起床。メール送信やブログのアップをした後、「野々海の様子を見ておこう」と考え、8時頃に平滝から上がった。
 見ておきたかった様子というのは、1つは残雪状況だが、もう1つは無断での山菜採りなどでの状況の把握。
 残雪は相変わらず多いとも言えるが、6月4日の普請がある程度出来る状況にはなっていた。
 無断の山菜採りはやはり多い。関東圏のナンバーも見える。そのうえで、今日最も驚き、「困ったな」と思ったのは、信越トレイルの天水山越えをするというグループ(10人ほどで女性が多かった。東京方面から)に出会ったこと。夕刻までに遭難騒ぎは聞いていないので松之山口に無事下りたのだとは思うが、まだまだ雪が多いこの時期に天水山越えというのは無謀としか言いようがない。それ以上に困ったのは、「私は地元です」と名乗った案内役。「地元って何処ですか?」と問い返すと、「斑尾」とのこと。これは「地元」ではないと私は思う。野々海に人を案内してくる飯山方面の人はほとんどの場合、自分のことを「地元」と主張される。  「栄村がしっかりしていないのが悪い」と言われれば、それまでのこととなってしまうが、私は納得し難い。
 そんな次第で午前10時半過ぎに下に下りたが、暑い! 頑張って配達をしたが、昼すぎから強烈な眠気。これは寝不足の結果というよりも、熱中症の1つの症状ではないかなどと思った。あまり無理すべきではないと考え、午後は4時頃、散髪へ。
 夜は早く就寝。

 

 最後に写真を3枚。

 

タニウツギと高倉山・青空(28日午後撮影)
栄村ではタニウツギはあまり好まれないようだが、原因は「火事を呼ぶ花」と言われたことなどだと思われる。だが、綺麗な花だ。「田植え花」という別名もある。

 

秋山郷・白沢近くの不動滝
(5月23日午前撮影)

 

天池から眺める鳥甲山
(5月23日午前撮影)


配達日誌5月11日〜20日

11日(木) 昨夕の6時すぎに降り出した久々の本格的な雨。朝までにほぼ止んだ。私自身は今週、残雪が多くあるところにばかり行っていたので、「乾燥」ということをまったく意識していなかったが、残雪のないところは相当に乾燥していたのだと思う。
 一度目覚めたのは3時前だったか。さすがに早すぎると思ったし、眠気もあったので再度眠って、5時前に起床。
 朝から「復興への歩み」No.306の執筆と「配達日誌」5月1日〜10日の編集。午前中、30kgの精米と発送を挟む。
 午後は2時から私の知人と知人の引き合わせ。その後、思い立って極野〜五宝木間の道路に五宝木側から入って、残雪状況などの調査。3時半に逆巻交差点から日出山線に向かい、五宝木〜極野間の残雪・通行不能区間を歩いた。歩いたのは往復約45分間。

 

車では進めなくなった地点


 歩きながら、「ジャーナリストの仕事をしているのか? それとも議員の仕事をしているのか?」という問いがふいに頭の中に浮かんだ。答えは「両方を兼ねている」だと思う。現場を見ずしては何も言えない・書けないということは両者に
共通している。
 途中に通った鳥甲牧場が、3日前の8日に比べて、土が出ている部分が圧倒的に広がっていて驚いた。帰路は融雪で出る水蒸気のゆえだろう、霧がものすごく、道路の一歩前が見えない地点がかなりあって、運転に苦労した。
 帰宅後、やや風邪気味。五宝木〜極野間の山道を歩いて汗をかいたが、着替えを持っていなかったのが原因か。葛根湯がきれていたので、購入して、それをのんで就寝。

 

12日(金) 起床すると、風邪っ気は抜けていた。
 昨日の午後遅くに五宝木に行ったのは、極野〜五宝木間の道路状況について記事を書くため。しかし、その行動のために、「復興への歩み」No.306は昨日中に完成させることができず、今日の朝方も編集の続き。また、極野〜五宝木間の道路状況と対応策について役場の担当者宛にメモを作成。
 昼食後、スキー場へ。「頂上まで車で行けるのではないか」と思ってのこと。
 やはり行けた。頂上のカタクリはピークを過ぎた感じ。これから雪が消えるところにも咲くので、まだそこそこに楽しむことはできるが…。今日は、頂上の林にも入ってみた。雪が残るが、その先にイワウチワの群生。きれいだ。イワカガミは今日雪が残っていたところの雪下で出番を待っている。今後の天候にもよるが、17、18日くらいには本格的に姿を見せるのではないだろうか。

 

スキー場の頂上リフト降り場のカタクリ群生地の先に残雪の林がある


 スキー場頂上からさらに貝立山裏の水路かけ口までの道路状況も見たかったが、配達もせねばならないので、今日は断念。
 下に降りた後、森の23軒などに配達。

 

13日(土) 6時頃起床で、朝から配達。東部地区で87軒。
 車に載せた印刷物が足らなくなり、10時頃にいったん帰宅。「復興への歩み」No.306をブログにアップ。
 11時前、「おいこっと」お出迎えに森宮野原駅へ。GW直後の土日で、しかも雨模様。これまでに出会った「おいこっと」の中で最も乗客が少なかった。でも、車内でオカリナ演奏をした中野市のグループと素敵な出会い(下写真)。その後、「道の駅」でキノコ汁・ごはん&山菜天ぷら。計550円だが、一般の店だったら千円くらいするであろう内容とボリューム。

 


 帰宅後、「配達日誌」5月1日〜10日のブログへのアップと「復興への歩み」等の増刷。その途中で2種類のトナーが交換となったが、イエローのストックがなくなっていることに気づいていなかった。土日なので月曜まで発注がきかない。月曜日に配達する分を確保できない。
 午後1時半頃発で主に西部地区の配達。50軒。
 加工用トマトの畑の準備が進んでいる。妹木のトマトハウスで頼之さんご夫婦と少しお話。ご夫婦はズッキーニの種蒔き作業。とにかくよく働かれるご夫婦だ。
 朝から、筋肉の張りを感じ、「昨夜、久しぶりに本格的に体操したせいか」と思っていたが、午後の配達の途中で喉に痛み。どうやら11日夜の風邪っ気が残っていたようだ。

 


朝、滝沢総一郎さんのアスパラ畑を訪れた

 

妹木の頼之さんの畑。もうマルチがはられていた

 

14日(日) 今朝は朝6時から空き缶拾い。村で「6時」と言われれば、「5時半くらいかな」と思いつつも、「5時半では早すぎるだろう」と思って5時40分頃に出たら、案の定、半分ほど終わっていた。
 続いて、8時から普請。
 昨夜はゆっくりしたつもりだったが、5時の起床時、体のだるさが残っていた。普請終了時はかなり消耗。11時頃に、「あっさりして、食べやすいもの」と思って、冷やしうどんを食べたところ、かなり疲労感が薄らぎ、さらに「デザート」と称してシュークリームを食べたら、かなり元気回復。その結果、迷っていたスキー場頂上行きを強行。というのも12日のイワウチワ撮影があまりうまく出来ていなかったため。今日行ってよかった。12日と較べると、花の勢いがピークを越えた感じだったから。
 続いて、貝立山裏の道の開き具合を見に行った。貝立山登山口を過ぎたところで車は進めない状況。ちょっと迷ったが、歩いて進むことに。最高の気分だった。往復30分程度だったが、かなりリフレッシュ効果あり。

 

最高の気分!

 

 帰宅後、写真データの取り込み、1時間程度の睡眠など。かなりしつこい体のだるさだが、なんとかなりそうだと思う。
 なお、普請の休憩時に、ある人が「これ、シオデでしょう?」と言い、かなり急なところを登って採って来て、「はい、1回分」と言って、私に下さった。昼食の際、これを湯がいたものを冷やしうどんに入れてもらったが、絶品!

 

15日(月) 朝一番で、トナーの発注を間に入る業者さんに再確認。12日金曜日から印刷できなくなっているが、昨日14日に配達しなかったので、既印刷分がまだあり、水内地区を中心に午前中に54軒配達。
 午前中から時折、小雨が降っていたが、午後3時半頃、強い雨。雨音が激しくした。しかし、これもそんなに長くはなかった。
 夕方からはトマトの国の愛湯会。計16名参加。今回は、新しく着任した板前さんの紹介とその料理のお披露目が開催目的。新しい板前さんの料理、私は4月23日の花見に続いて2度目だが、ほとんどの人は初体験。「わあ、綺麗!」、「すごいごちそう」とひとしきり感動の言葉が全員の口から噴き出た。
 「そもそも愛湯会はなぜ始まったのか」という話も出て、7月半ばすぎにトマトの国の周辺の草刈りと今年3回目の愛湯会をやることになった。「地元の力でトマトの国を盛り立てる」――いい感じになってきている。

 

16日(火) 「発注したトナーが来るのは早くて10時頃だろう。それまで印刷も配達もできないから、秋山のいろんな様子を見に出かけよう」と考え、朝7時前の出発で、日出山線→鳥甲牧場→再び日出山線→秋山林道→奥志賀公園線との境のゲート(まだ冬期閉鎖中)まで→戻り、切明温泉へというコース。
 奥志賀公園線のゲート先にも少し歩いて入った。残雪はほとんどないが、ブナがまだ芽吹いていない。

 

芽吹きも未だという中で1本だけ花を咲かせるヤマザクラが印象的だった


 帰路、ヤマトのドライバーと出会い、極野〜五宝木間が通行できる状態になっていると聞き、帰りはそのコースをとった。
その前に、和山で、間伐作業をしている森林組合の若者が昼休み休憩しているのと出会い、「天然記念物が栄村で発見されたら、どんなことになりますか?」と謎かけされた。なんと、ヤマネという天然記念物を誤って捕獲したのだ。私も写真を撮らせてもらった。その後、脱走して、自然界に戻ったと電話で聞いたが。帰宅後、県の自然保護課に連絡(翌17日、「写真が欲しい」等の連絡が来た。環境省が関心を示しているそうだ)。
 帰宅後、大量の印刷。夕刻に人に会いに行ったこともあり、配達には至らず。

 

17日(水) 朝からせっせと配達。午前中は白鳥と青倉を中心に89軒・97部。
 お昼前に、「西山田の圃場整備を前に、ボヤ(小ぶりの雑木)を伐っている。その後、大きな木を倒す。ボヤがあるため見えなかった景色も見えるようになった。この景色も見納めだよ」と知人から電話をもらい、昼食前に撮影へ。

 

雑木がなくなり、たしかに田の姿がくっきり浮かび上がっている


 午後、平滝に配達に行き、25軒の配達を終えて、野々海に通じる道の集落内でいちばん奥まで進んだところで、「まだ道開けは再開されていないだろうが、9日に歩き始めた地点あたりの融雪の具合くらい見ておこうか」と軽い気持ちで上がって行ったら、なんと道が開いていて、結局野々海池まで。
 長靴とウインドブレーカーしか持っていず、けっこう寒かったので、あまり無理せずに帰ってきたが。
 途中、女性が運転する京都ナンバーの乗用車が下ってくるのを見かけて、驚いた。
 帰宅後、野々海普請(6月4日予定)の関係者に残雪の状況を知らせるために、急遽、写真レポートを制作。
 夜は、人と会うために外出。
 昨日くらいの段階ではっきりしたが、14日頃にピークがきた体のだるさ、背中の張り、軽い風邪もあったが、主因は疲れ。4月選挙戦の疲れ、あるいは5月上旬に騒ぎ過ぎた疲れがいま頃になって出てきているようだ。今週いっぱいくらいで抜けるかなと思う。

 

18日(木) 朝早くからひたすら配達。No.304(4・14付)未配達地域を解消するために、No.304〜206の3号セットを107軒配達。計算ミスのために、途中で部数が足らなくなり、追加印刷に戻り、再び東部のいちばん奥まで配達に行き直すなど、効率の悪い面もあったが、とにかく完了できた。
 午前中の早い時間、この間出会えなかった人と配達途中にちょこっと立ち話。まだ選挙結果が話題になる。
 夕方近くに、用件が2件あって、役場へ。うち1件は16日夜の横倉でのクマ出没に関わるもの。具体的なことは「復興への歩み」に書こうかと思うが、役場に対応の遅さに対する村民の不満・批判の通報をうけて、「なぜ、遅れたのか?」の解明。問題点は解明でき、私に通報してきた人にはすぐに回答。思うことは、クマ問題に役場が危機感と根本的対策方針、対応体制を未だに確立できていないということ。これは、4月に相次いだ秋山を中心とする震度3レベルの地震への対応をめぐっても感じられる。
 午前中は今日未明の雨を引きずったような天候で、気温もあまり上がらなかったが、午後、きれいに晴れ上がってきた。空の色は、この間晴れ上がった時に見られた、いわば「濃い青空」というものではなく、「淡い青色の空」。うっすらと雲がかかっているというのではなく、青色が淡い感じで、とても良いのだ。それと奥山の芽吹き直後の色とが合わさって、「素敵だなあ!」と思った。あまりうまく撮れていないが、極野の奥山方向を望遠で撮ったものを1枚。

 

19日(金) 午後1時から安曇野市堀金(ほりがね)公民館というところで、長野県町村議会議長会事務局主催の「初当選議員研修会」。ここで言う「初当選」はここ2年間に初当選した議員という意味。栄村の場合、先月23日の選挙で初当選した人は今日5月19日の段階ではまだ議員の任期がスタートしていないので、対象外。私を含む昨年4月補選での初当選者が対象。1名は再選がならなかったため、もう1名は所用で欠席ということで、私のみが出席。約3時間の講義2つ。得るものは少なかった。
 会場の堀金公民館は北アルプスの常念岳の麓。景色はいい。写真は撮らなかったが。
 私は、単独行で午前中、白馬村に立ち寄った。7日に撮れなかった白馬村被災地の現在の様子を撮影するのが目的。途中、道を間違って30分以上ロスしたこともあって、あまり廻れなかったが、いちばん被害がひどかった堀之内区に着いた時に最初に見た景色があまりに美しく、強烈な印象を焼きつけられた。「凄い景色!」と興奮している時はあまりいい写真が撮れないという経験則があるが、帰宅して写真データを見ると、やはり強烈に焼きついている印象を再現できていない。それでも、いちおう紹介しておきたい。
 思い返してみれば、白馬村で地震があったのは、紅葉も終わり、もう間もなく初雪という季節。その後に訪れたのも冬。春〜初夏に訪れたのは初めて。北アルプスを望む地域の春〜初夏の景色はすごい! 白馬村から大町までの青木湖、木崎湖あたりの景色もよかった。

 

 

 これに匹敵するものは、やはり上の原から望む鳥甲山連峰の景色だろう。私の感覚からすれば、「のよさの里」の屋内ではなく、「のよさの里」の前の庭、さらに天池(本来のもの)のほとりに洒落たテーブルとイスがあって、そこでコーヒーなどを口にしながら、絶景を眺めることができるという仕掛けが欲しいなあと思う。

 

20日(土) 昨日の安曇野行きで朝に満タンにしたガソリンがほぼ空っぽに。昨夜は給油できなかったので、朝7時のスタンド営業開始直後に給油(起床は早く、2時間弱の印刷等の作業後)。
 その足で野々海へ。その結果を記した「野々海でミズバショウが出た!」をブログにアップ。その後もスキー場頂上のイワカガミの開花状況の調査、5月初旬に住民がクマの穴と思われるものに出くわした場所の調査等で一日中走り回った。今日中に終えたいと思っていた配達は結局明日に延期。
 野々海の残雪状況、クマ問題で2本のブログ記事を書いたが、公表は明日以降にする。
 


配達日誌5月1日〜10日

 1〜3月の議会の忙しさ、4月の選挙戦などで「配達日誌」が止まっていましたが、5月1日から再開しました。

 

1日(月) 基本的に「復興への歩み」No.305の編集で一日を過ごした。その他に、当選証書の受領書などを役場に届けたり、米の発送をしたり。写真撮影はなし。

 

2日(火) 秋山郷行き。405を進み、前倉あたりまでは桜、芽吹きが見られたが、小赤沢から奥ではごく例外的な数本を除いては、桜の開花なし。山桜は開花が近づいている様子すら感じない。
 「下(しも)」は暑いくらいだったので、窓を開け放しで運転していたが、寒くなり、ちょっと風邪をひいた感じ。
 今日は、秋山林道で志賀高原方面へどの程度行けるのかを観察するのが主眼。小赤沢、屋敷で限られた何軒かに配達した以外は、そこらじゅうを走り回り、写真撮影。
 コミズとミズノサワ(オオミズ)の沢を下ってきた雪の量、積雪量の凄まじさに圧倒された。林道での落石の多さ、斜面が抜けているケースがかなりあることにも衝撃を受けた。連休を前に「通行止」の徹底を図らないと危険と判断し、役場に連絡。担当者
が役場を午後4時半出発で秋山に向かい、対処してくれた。感謝!!

 

ミズノサワ  道は開けられているが、木が根から道路に落ち、車は進めない


 夜、ブログ記事「自然界の物凄さを驚きいっぱいで感じました」をアップ。

 

3日(水) No.305を主に森、青倉で配達。計112軒。それ以外に午前と夕刻に手伝い仕事。
 午前11時頃に森宮野原駅到着の「おいこっと」歓迎に森宮野原駅へ。30日に続いて2回目。観光協会幹部数名が姿を見せ(下写真)、「商工観光課長が列車に乗ってくる」とのこと。その後の話では「近隣市町村との当番制」との話。もう少し話を聞かないと、よくわからないが…。

 


 午後は主に西部地区の協賛者宅の配達と宮川頼之さんの加工用トマト畑の堆肥撒きの様子などを見学・撮影。
 夕刻、「温泉に行こうか」と思っていた時に、知人から「クマが木に登っている」という電話をうけ、現場へ急行。現場で30分間近く、撮影を続けた。ブログ「クマがブナの木に登り、新芽・新葉を食べる」をアップ。

 

4日(木) 昨夜が比較的遅かったので、最近の「5時頃起床」から久々に「7時前起床」に戻った。
 朝方、平滝、白鳥で33軒配達の後、手伝い仕事と「おいこっと」のお出迎え。今日は津南町役場の担当者2名が、卯ノ木(うのき)神社の笛の奏者を伴ってパンフ配り(下写真)。笛はなかなかよかった。

 


 急速に気温が上昇し、暑い。
 昼に久々に中子(なかご)を訪れた他、午後は1時間ほどの午睡と、4〜6時の手伝い仕事。
 夜はかなり早めに床に就いたが、電話で1時間半ほど話し込み。

 

5日(金) 今日も起床は遅め。
 朝方、東部地区の協賛者宅など27軒配達。その後、「おいこっと」のお出迎えへ。今日はポケットマネーで冷やしたトマトジュースを60缶用意。あっという間にはけた。配る小パンフも「さかえむらトマトジュース」を紹介したものを新たに作成。

 

「おいこっと」車内で「さかえむらトマトジュース」を飲む人


 午後は秋山の配達に向かった。2日は405での往復だったので、4月28日以来久々に日出山線〜鳥甲牧場のコースを辿った。「下(しも)」は夏の暑さ。シャツ1枚、窓全開で走っていたが、鳥甲牧場ゾーンに入ると肌寒さ。風が強かったこともあるが、早春の気温。残雪はかなり減ったが、
 畑地のほとんどはまだ雪に覆われたまま。今年の作付は少なくとも半月単位で遅れそう。
 屋敷に下り、坂の上から屋敷橋付近の山桜を見てビックリ。3日前の2日には「蕾」さえ見えなかったはずなのに、山桜が満開!
これがきっかけでいろんな地点で撮影をすることになった。その結果、配達は上の原と和山での23軒のみ。
 夕刻、スキー場をどこまで車で上がれるかをチェックした帰り、3日夕にクマを見た地点に向かうと知人の軽トラが停車していた。「今日も登っている」とのこと。15分ほどの間、撮影。

 

6日(土) 朝の起床は早かった。5日夕のクマの目撃のレポートを作成。その後、「おいこっと」の出迎えへ。
 その後、クマの目撃レポートのブログへのアップ、FB、ツイッターへの投稿を行なって、2時頃に遅い昼食。久しぶりに「味郷」のとんかつをがっちり食べて、ほっこり。「今日は久々の休養日」と開き直り、少し午睡。その後、5日の秋山の様子のレポートを作成。ブログへのアップ等も行い、さらに「おいこっと」出迎えの記録集も編集。

 

大家さん・月岡英男さんが田ぶちを始められた


 明日は7時から運転なので、早めに就寝。

 

7日(日) 4時すぎに起床。「おいこっと」出迎え記録集のブログへのアップ等を終えた後、7時に松川村への送迎を頼まれていた知人宅へ。
 松川村の目的地には9時半頃に到着。知人が訪問目的を果たしている間、私は車で1時間弱の白馬村堀之内区に2014年の神城断層地震当時の区長・鎌倉宏さんを訪問。田んぼで代掻き直前の作業をされていた。
 城峯神社の跡地と再建予定地を案内していただいた。朝7時に知人の車に乗り換えた時にカメラを移動し忘れ、写真を撮れなかったが、堀之内区ではコミュニティーセンター(=公民館の再建)、復興公営住宅が建ち、村道の修復も出来ていて、すっかり様子が変わっていた。おそらく今月中にもう一度、訪れる機会があると思うので、その時にしっかり写真を撮りたい。
 往きは上越道を長野東インターで降りて通行料金が500円台だったように記憶しているが、帰りは安曇野インターから長野道〜上越道。豊田飯山ICで降りると、料金はなんと1820円。あまりの料金の違いにびっくり。
 松川村を午後1時に出て、3時には帰村できた。豊田飯山ICを降りて、117号線に入ると空気が冷たいのにも驚いた。

 

8日(月) 今日も朝は早起き。室内作業の後、青倉の未配達宅を廻り、午前7時すぎに上郷で給油して日出山線で五宝木を経て秋山の配達へ。
 山田政治さんがもう五宝木の家に戻っておられて驚いた。
 上の原、和山の配達は終わっているので、屋敷、小赤沢の54軒(一部は2日に配達済)。今日は昼までに下に戻り、スキー場に登ろうと計画していたので、あまり写真は撮らず、配達専念を心がけたが、屋敷の中津川右岸の地すべり対策工事現場を訪れ、現場の人から説明をしてもらった。この地すべり対策工事については「復興への歩み」で取り上げる。現場すぐそばの畑では山田由信さんが畑を耕しておられ、少し話をさせていただいた。

 

地すべり対策工事現場すぐそばの畑を耕す山田由信さん


 昼、山菜を東京に発送した後、スキー場へ。スキー場内の村道は、ゲレンデの残雪が滑り落ちてきて通行不能になっている箇所があり、残雪のゲレンデを登った。雪がない箇所はススキの切り株などで足もとが悪かったが、約10分で頂上到着。予想通り、カタクリはかなり咲いていた。

 

上の方にリフト降り場が見える。そこまでこのゲレンデを登った


 夕、カタクリ情報をさっそくブログで発信。

9日(火) スキー場のカタクリの様子を昨日確認したので、「つぎは野々海のミズバショウ情報が必要」と考え、朝から野々海に登ることを計画。
 泉平等で33軒の配達の後、平滝から野々海線を軽トラで上がった。現在、車で上がれるのは、昔、「上黒屋用の駐車スペース」が開けられた地点まで。そこからは徒歩。

 

歩き始めた地点(10時50分)


 約1時間で野々海池の堤に到着。
 下りは約40分。いちめん雪で、多いところはまだ2mほどある。野々海池周辺は芽吹きもまだ。一面雪原。木の葉がないので見通しがよい。クマの心配もない。まだ冬眠しているか、冬眠から出たクマは餌求めて山を下っているかだろう。

 

雪の深さがわかる1枚(円筒分水器付近)


 ミズバショウの開花予想は、ずばり、早い箇所で5月20日すぎからではないか。いちばん綺麗な群生地は5月25日頃から6月上旬が見ごろになるのではないか。水のあるところは雪融けも早いので。
 今日の野々海の様子も夕刻にブログにアップ。

 

10日(水) 今朝も7時すぎに給油し、東部谷で31軒の配達をしながら極野〜五宝木線へ。まだ開通していないが、残雪状況、そして3年ぶりに法面工事が再開されることになった箇所の状況を確認することが目的。
 状況は「復興への歩み」で報告するが、道路状況は予想していた以上に悪かった。
 五宝木に抜けることはできない状況だったので、その後、いったん下に下り、今度は405号線で津南町の見倉のカタクリ群生地へ。5日にブログで「見倉のカタクリは10日頃に見頃になるでしょう」と書いたので、責任上、状況を確認しに行った。バッチリだった。おまけとして、清水川原スノーシェッドでカモシカの顔クローズアップの写真も撮れた。
 今日は出会いが多かった。
 お昼すぎ、森のYショップに立ち寄った際、自転車乗りの外国人女性を見かけ、店内でサイクリング姿の男性も。「日本語、話せますか?」と尋ねると、カタコトの日本語と英語で答えてくれた。「どこへ行くの?」、「トオカマチ」、「どこから?」、「from(フロム)Fukuoka(ふくおか) to(ツー) Sapporo(さっぽろ)」?! なんと「3month(マンス)」の日本縦断の旅だというのだ。イギリス・ロンドンから来られているそうだ。お二人の写真を撮らせてもらった。いったん別れた後、思いついて名刺を手渡した。「オー、アドレス、ホームページ」と言っておられたので、後にメールが届くだろうと確信していたら、やはり夜、メールが届いた。(11日朝に彼のブログに私が撮った二人の写真が掲載された。)

 


 午後の後半は、坪野で斉藤秀男さん、斉藤広友さんに出会った。秀男さんは昨秋末に家を閉じられて長野の娘さん宅へ移られたが、今日、久しぶりに来られた。「長野では何にもすることがない」とのこと。もう86歳。体優先でやむをえない。車を運転できる体調であれば、春〜秋、頻繁に来てくださるといい。広友さんとも昨秋以来の出会い。役場に就職された息子さんのことや家屋のことなどが話題になった。お二人とも、坪野に若い人を迎え入れることを願っておられた。何人かに声をかけて、研究を進めたいと思う。

 

 

 紙面が1頁半余ったので、「復興への歩み」では紹介しきれない写真を5枚掲載する。

 

ミズノサワ前の林道の雪の壁。5〜6mの高さ。

 

宮川頼之さん・一哉さん父子の堆肥撒き作業(3日午後4時半すぎ。菅沢にて)


日出山線で出会った雪の上のサクラ満開(5日正午すぎ)

 

八重桜と布岩
屋敷集落・山田輝一さん宅前

 


清水川原第一スノーシェッド脇で出逢ったカモシカ(10日午前10時46分)

 


配達日誌2月11日〜20日

11日(土) 8時半発で大久保、箕作、平滝などで74軒を配達。
 今日も、手許メモに「11:30、降り激しくなる」、「11:55、明るくなってきた」という書き込みがある。この数日はとにかくめまぐるしく天気が変わる。
 午後は遅めの昼食の後、次の「復興への歩み」と「議員活動報告」の準備を進めたが、その一環とすて、夕刻は「トマトの国」で温泉に通ってくる1歳児の様子を親御さんの許可を得て撮影。共通入浴券の問題を論じる際に添える写真の確保。
 「トマトの国」はスキー客の宿泊でにぎやかだった。何人かのお客に声をかけさせてもらったが、スキー場の評価はよい。今年をどのように総括し、次年度以降の営業方針をどう形成していくか。スキー場開設20数年目にして、スキー場飛躍へのチャンスを迎えているのではないかと思う。
 夜遅くは強風で、雪が渦を巻いていた。
 下写真は午後5時の「トマトの国」駐車場。車の半分くらいが首都圏ナンバーのスキー客車。

 

 

12日(日) 朝の新雪積雪は2〜30cm。数日ぶりに車庫前の雪の片づけに少し時間がかかった感じ。
 午前中は知人を訪ね、いろんな話。議会で問題が十分に解明されないまま審議「終了」となり、私自身はもちろんだが、村民のかなり人たちがもやもや感を抱いておられる案件がある。いろいろと話しているうちに、どのように議会で問題を出していけばよいか、アイディアが浮かび、深められた感じ。「議員活動報告」で書き、みなさんにお知らせするとともに、会話・議論の時間を増やすことも大事だ。また、この訪問の後にお訪ねしようとして電話したが、つながらなかった人から夜に電話をいただいた。その電話でも、大事な情報をいただくとともに、私が何をしなければならないか、具体的なアドバイスをいただけた感じがした。
 今日はスキー場の「村民感謝デー」。村内全世帯に配られているスキー場の割引券を持っていくと、スキー場レストランのメニューを基本半額で食べられる。高齢の人たちがシーズン中にスキー場にやってくる数少ない日。様子を見に行った。
 まず、村外からのスキー客の車が多く、ゲレンデも賑やか。12月17日のオープンセレモニーの日以上の賑わいを感じた。ここでも声をかけさせてもらったが、好評だ。
 そんな中、見覚えのある人がゲレンデを歩いて来られるのが目に入った。月岡の南雲成一さん。奥さまと一緒で、間もなく、息子さんご夫婦、お孫さんと合流された。先日は、議会傍聴にも姿を見せられたが、一昨年7月の事故で重篤な状況になられたのから驚異的な回復。奥さまをはじめとするご家族の手厚い看護があってこそのことだが、ご本人のリハビリへの取り組みも立派。高齢化が進み、高齢者は体力が衰える方向への片道街道と思われがちの中で、こういう姿は嬉しいものだ。

 


 午後は原稿書きをある程度進められた。

 

13日(月) スキー場が“ラッキーマンデー”なので、昼頃、スキー場駐車場の様子を見に行った。確認できた他県ナンバーを挙げてみると、とちぎ、群馬、山梨、新潟(2台)、豊橋(愛知県)、名古屋、相模(神奈川県)、多摩、品川、奈良、岡山。有名スキー場のような賑わいではないが、「復興への歩み」No.301にも書いたように、さかえ倶楽部スキー場の評価は確実に高まっていると思う。今季のデータをしっかり分析し、来季の営業方針を練り上げていくことが大事だと思う。
 スキー場を訪れた以外は、役場に資料を取りに行った程度で、あとは室内で、「栄村振興公社再建(案)」の分析・検討、「栄村鳥獣被害防止計画(平成27〜29年度)」の検討、そして「復興への歩み」No.302の編集。写真撮影は基本的になし。

 

14日(火) 朝食後、印刷や折り作業など、配達のための準備作業。その後、「復興への歩み」No.302を青倉50軒に配達。
 昼食を終えると、もう午後2時からの「振興公社理事と議員の懇談会」の開会時間が近づき、役場へ。
 懇談会はあくまでも「懇談会」ということなので、そういうものとして臨んだ。詳しい内容は非公開扱いなので、私も今回は書かないが、私の発言をめぐって、“切れた”公人がいたことには驚いた。議論のしかたというものを心得ておられないのだろうかと思わざるをえなかった。

 

15日(水) 朝8時より少し前だったが、部屋の窓からスキー場を眺めた時に興味深い景色が目に入った。

 


 いわゆる「中尾のつんね」(中条川上流、西入沢川と東入沢川の間の尾根。「つんね」は「尾根」の意)の上の方なのだが、白いものが点々と見える。「何だろう?」と不思議に思ったが、どうやら強風が木の幹に雪を吹きつけた結果、雪柱のようなものが出現したのだと思われる。
 配達に出て間もなく、電話が入って知り合いと会うことに。午前中はそれで終わり、配達は午後が主。白鳥の国道沿い、国道より下、月岡などを廻り、今日は96部の配達。
 配達で出会った“雪の階段”の写真を1枚。

 

 

 写真上部で道は2手に分かれる。この先に2軒のお家がある。雪とのつきあいが大変だろうなと思う。

 

16日(木) 平滝などで22軒を廻った後、10:17に津南町・大割野から国道405に入り、秋山郷へ。
 今日は天気予報通りで、ポカポカ陽気。上の原まで行ったが、基本的にアイスバーンはなし。
 上の原と屋敷の全戸、小赤沢の一部を廻ったが、各所で除排雪が行われ、1月18日に行った際にあった「雪に埋もれている」という感じはなくなっていた。
 ただし、屋敷の民俗資料館前の道は除雪ができず、通行不可のままだった(この道はもともと流水による除雪のみで、除雪車は入らないようだ)。下写真がその箇所。

 

 

 雪の少なかった昨冬は“天池”に何回か長靴で行ったが、今年の秋山は「下(しも)」よりも積雪が多い。なので、長靴で天池に行くのは無理。“かんじき”を用意し、天池に行った。観光宣伝の定番で紹介される「天池」を越え、本来の天池まで。気温上昇で雪がやっこくなっているので、往きはかなり大変だった。往復でかなり汗をかいたが、素晴らしい景色を見ることができた。その写真は「復興への歩み」で紹介することにしようと思う。


 昼食の弁当を食べるために「のよさの里」にお邪魔していた時、窓の外に突然、テレビカメラが…。窓を開けて尋ねると、テレビ東京の取材。外に出て、どの頂が鳥甲山なのか等を説明。なんでも、「お昼ごはんを見せてください」という内容の番組の取材。「お昼ごはんを見せてもらえますか」と言われ、「食べ終わったところですよ。しかも、コンビニ弁当ですよ」と言って、大笑い。AD(アシスタント・ディレクター)に名刺をもらったので、「初夏にまだ雪が残る野々海の水番小屋でタケノコ汁で昼飯」というのを取材してくれるように話を持ち込もうかな、などと考えた。
 天池を歩いたことなどもあり、結局、秋山を出たのは午後4時頃。
 今日はいい写真がたくさん撮れて、とりあえず、国道405で出会った「雪庇落とし」作業の様子をブログにアップ。

 

17日(金) 8時前に出発して、まず、津南町の朴(ほ)木沢(きさわ)から曲がりくねった坂道を上り、中子へ。「復興への歩み」の届け先が2軒ある。冬になってからはもっぱら加用から直線的な坂道を上がっていたが、今日は朴木沢からのコースを選んだ。途中で何枚かの写真を撮ったが、結構気に入った。1枚だけ紹介したい。

 


 「日誌」としては異例の大きさでの掲載。なかなか素敵な風景だと思う。ちょうど中央にさかえ倶楽部スキー場のゲレンデが見える。それよりも右手、いちばん高いのが天水山だと思われるが、頂上に近いところで、雪が落ちて、土が剥き出しになっている箇所がある。昨日から気温が上がっているので、山の各所で雪が落ちている。夕刻にはトマトの温泉の湯舟から見える「中尾のつんね」の断崖でかなり雪が落ちた箇所があった。
 中子から加用に下って、やはり津南町の羽倉へ。白鳥出身の久保田晋介さん宅に配達。久保田さん宅に行く時間は、飯山線のダイヤとの関係で調整していた。先日、羽倉に行った時、羽倉の道から見える飯山線が「いい絵だなあ」と思ったので、森宮野原9:06着の上り列車を撮れるようにしたのだ。しかし、時間計算をちょっとミスしたため、撮影地点に着くと、すぐに列車の音。慌てて撮影したのだが、なんとこれが「おいこっと」車両(土日以外は通常運行ダイヤに車両が使われている)。ラッキー!!
 その後、横倉集落を主に廻り、今日は計61軒。
 午後は室内作業で、昨日の秋山行きで撮った写真で2本のブログ記事を編集。「中津川下流の2つの景色」と「“かんじき”を履いて・・・」。
 午前中から雨になっていたが、11:20に森で9℃。しかし、午後3時頃、すごい強風が吹き、その瞬間は雨がみぞれに変わった。東京などでは「春一番が吹いた」と報道されているが、栄村は昨日と今日午前中からは一転、北風が入り込んだようだ。しかし、雪が予想された夜になっても雨のまま。

 

18日(土) 長野市で“ひんご遺跡”発掘の結果についての報告もある「掘るしんinしののい2017」という催しが開かれるので、その報告を聴くために朝8時頃出発で長野市篠ノ井へ。
 上信越道を長野ICで下りるつもりだったのが、いつもの習慣で長野東・須坂ICで下りてしまった。道路地図を所持していなかったので、大体の勘で篠ノ井までは行けたが、会場周辺の道が分かりづらく少々迷って、時間を喰ってしまった。催しは午後3時までのものだが、他にも用件があるので、谷主任調査研究員の報告約30分間を聴いた後、県埋蔵文化財センターでひんご遺跡出土で復元された火焔型土器などの展示を見て、篠ノ井を後にした。
 長野市では、人とお会いし、さらにその後、東急百貨店に移転した平安堂書店も訪れた。書籍売り場面積が大幅に縮小されていた。“本屋”としてはもはや二流の店になったと言わざるをえない。
 帰路、飯山日赤に入院中の知り合いに「復興への歩み」やブログ記事の印刷物をお届けした。飯山日赤にはずいぶんと多くの村人が入院されているようだ。夕食も済ませて午後6時頃に帰村。

 

19日(日) 昨夜から今朝にかけて積雪あり。

 


 朝、家の中(2階の窓)から面白い写真を撮った。上のものだが、屋根の雪が落ちきらずに、軒先にぶら下がっている様子。
午前中は東部方面の配達。天代の1軒を訪れたのが午前11時40分。その後、坪野、原向とむかうつもりだったが、出発時に給油を忘れ、燃料がなくなってきたので、引き返した。
 昼食後、泉平全戸と箕作の約半数を廻り、今日の配達を終了。
 朝、「今日は配達経路そのものを撮ろう」と思い立ち、午前の全経路及び午後の泉平の経路で数々の写真を撮った。夜、早速、「2月19日の配達路を辿る」というタイトルのブログ記事を編集してアップしたが、雪坪と極野一部のみしか編集できず。

 

20日(月) 一日中雨。今日は配達を休みにし、午前中は3月議会での一般質問の「質問要旨通告」の作成(午後1時締切)と、25日のお米発送用のシールの印刷や袋への貼付け作業。
 お昼は12時半頃から2時半頃まで昼食を兼ねて用談。その後、お米の袋詰め作業。
 夜は6時半頃から「トマトの国」で愛湯会の集まり。みなさん機嫌よく、たくさん飲まれたが、同時に、共通入浴券問題で“みんなの要望”についても話し合われた。「これを無くしたら、もうここに来る人はいなくなる。そんなことになったら、栄村はもう終わりだ」という声が共通の声だ。
 宴たけなわとなった頃から外は降雪が本格化。久々にお酒を飲んだが、帰宅後2時間ほどで醒め、昨日の続きのブログ記事を完成させ、アップ。今日は写真をまったく撮らず。


2月19日の配達路を辿る:その2の続編〜切欠から北野まで〜

 

 当初はこんなに長いものになると思っていなかったが、「2月19日の配達路を辿る」を3夜連続で編集することになりました。
 冒頭写真は長瀬集落から笹原集落に向かう途中のカーブ。いくつもの雪崩防止柵で県道が守られています。初めて通った時は驚きましたが、今ではすっかり慣れました。江戸時代の人たちはここに水路を通したというから驚きです。


 昨日の最後に紹介した切欠橋を渡ってすぐのところにゴミ収集ステーションがあり、そこを右折して切欠集落に入ります。
集落に入ってすぐ、右に少し入ったところに1軒のお家があります。進入路には少し雪がありましたが、車で入り、ポストに「復興への歩み」を入れた後に撮った写真がつぎのもの。

 


 写真奥のやや右寄りに山が見えますが、昔、ここにお城があったそうです。主は斉藤氏といい、切欠の住人はその家来ですべて斉藤姓だと、地元の人から聞いたことがあります。
 残念なことに6年前の震災で、お城の名残りをとどめるものがすべて焼失したとも聞いています。
 私が一昨年秋から昨年夏にかけて、四季折々の切欠集落の姿を撮影した(今年正月に編集したアルバム「栄村の四季を楽しむ」に収録)のは、その山の下を通る県道長瀬横倉(停)線からです。その地点がこの写真に写っています。

 

  


 左写真:公民館の横手で進行方向を撮影(右手前の建物が昨年新築された切欠公民館)。右写真:坂道になり、さらにカーブになる。道路に雪がある時は、この先が難所。

 

 

 道路右側手前に雪の切れ間がありますが、坂の途中のお家の入口。ここで配達のためにいったん停車すると、積雪時はスリップして上がれなくなります。
 ちなみに、そのお家の人は後に紹介する、上から集落に入る道を通ってこの坂を下ってきて、自宅前の駐車スペースに車を入れられるようです。

 

 坂を上がりきる前に右側にもう1軒。そのお家には下写真の雪道を歩いて進みます。写真左手に屋根が見えるお家です。

 

 

 上写真は、そのお家の玄関横から、切欠集落のいちばん上にあるお家の眺めたもの。
手前に“たね”が見えます。前回、この家の主にお会いした時は、「あっちの“たね”は雪に埋まっています」と話しておられたが、今日は水が見えています。また、切欠集落1枚目に見えた山も写っています。

 

 

 いちばん上のお家に向かう階段。
 きちんと雪かまいがされ、歩きやすくされています。
 上るのはきついと言えばきついですが、天気のいい日はこの階段の上からの眺めが最高! それが次の写真です。

 

 

 切欠集落に別れを告げる前に、いちばん高いところのお家の玄関前の写真をもう1枚。

 

 

 雪とのつきあいがとても大変だろうなと、いつも思っています。

 このお家の下にこの道があり、県道に出られます。

 

 

 県道に出てからの様子が次の2枚。そして、昨日の冒頭写真、「カタクリ街道」に進みます。

 

 

 

 

 

 長瀬集落。
 写真左側に薄緑色の建物が見えますが、旧農協事務所、現長瀬公民館です。

 

 

 いくつかある長瀬集落内道路の1つ。
 突き当りに雪の山が見えますが、車は手前を左へ。長瀬の郵便局の横に出ます。
 この日の長瀬での立ち寄り先は2軒のみ。

 

 

 県道沿いの南端のお家を越えたあたり。
 雪が降っているように見えますが、風で木の枝の雪が飛んできたもの。

 

 

 長瀬集落に別れを告げ、カーブしながらスノーシェッドに入っていきます。

 

 

 スノーシェッドを抜けたところ。冬季間はここに除雪車が置かれています。
 先に見えるカーブを曲がった先が本編の冒頭写真の地点です。

 

  

 

 左写真は雪崩防止柵のある箇所の先の直線コース。逆に進む時は、この直線路でスピードを出し過ぎると、雪崩防止柵下のカーブでブレーキを踏むことになり、積雪時はスリップ−回転の危険が生じます。右写真は笹原集落の手前。1月10日にイノシシに出くわしたところです。

 

 

 この日は笹原集落は通過の予定でしたが、進行方向右手にこの光景が目に入って、ピーンときました。18日にフェイスブックに投稿されていた「あなぐら掘り」の場所なのでした。
 雪穴の中のお二人を撮影させていただきました。

 

 

 笹原集落を過ぎて、右手に当部(とうべ)集落を見やりながら進む道はなかなかのドライブコースです。

 

 

 左手は北野川。
 停まって川を眺めると、絶壁がとてもきれいです。

 

 

 右手に当部集落。

 

 

 急坂を下り、次は坂を上がりながらカーブすると北野橋。

 

 

 北野橋の上からの眺め。

 

 

 北野橋を渡り切り、北野集落に向かう。とくに紅葉期が素晴らしい。

 

 

 北野集落県道沿い。

 

 

 県道から左に入った集落内道路。
 このあたりは冬は雪がやっかい。

 

 

 県道に戻ると、左手に赤い鳥居。
 北野天満宮の鳥居ですが、天満宮はこの鳥居の先にあるわけではありません。
 では、なぜ、ここに鳥居が?
 昔はこの鳥居の先の山・美座山の上に天満宮があったそうです。

 

 

 前方に杉並木。
 この杉並木の途中、左手に天満宮があります。


 最後に、北野天満宮を紹介します。

 

 

 写真中央に見えるのは社殿。その左に見える(鳥居から見ると、社殿の奥になる)のが本殿です。

 

 

 以上で、切欠〜北野間の紹介が終わりました。
 一昨日に極野集落を紹介していますので、これで2月19日午前の東部地区配達路を辿るアルバムは完結です。

 

 


2月19日の配達路を辿る:その2〜志久見から極野まで〜

 

 2月19日の配達路を当日のブログでは雪坪(ゆきつぼ)集落と極野(にての)集落についてのみ紹介しましたが、今回はその続きで、まず志久見(しくみ)集落からです。
 まず、上の写真は、雪坪→志久見→柳在家(やなぎざいけ)→切欠(きりかけ)と順に進み、長瀬集落に向かう途中の県道沿いでのもの。「カタクリ街道」の別名があります。下の写真は昨年4月12日撮影。今年は昨年よりも雪が多いので、カタクリの開花はもう少し後の時期になるでしょう。

 

 

 

 

 

 志久見集落の県道沿いゾーン。中央奥に火の見櫓が見えます。
 このあたりは消雪パイプが設置されていますが、大雪の時は消雪パイプの雪処理能力が追いつかず、道路両側に雪が積もって道幅が半分くらいになってしまいます。この日は朝方、積雪がありましたが、少量だったので、道路は対向ができる幅が確保されています。

 

 県道沿いの集落の真ん中あたりで右に入る車1台がやっとの道があります。下写真がそれ。

 


 写真右手奥に見える大きな屋根は林秀庵(りんしゅうあん)。

 上の写真の道を進み、左に曲がると坂道。上写真の左手に見える家はその坂道の脇にあります。その坂道の写真を2枚。

 

 


 坂を上りきり、少し進んで右へ曲がったところが次の写真。

 

 

 見える建物は志久見住宅。元々は教員住宅として建てられたものですが、現在は村営住宅(アパート)になっています。

 志久見住宅の方へ曲がらず、逆に左折すると県道に戻ります。県道に戻ってすぐに大きなカーブで、その先に歴史文化館「こらっせ」(旧志久見分校)が見えます。

 

 

 「こらっせ」の先に見える道路両側の家はまだ志久見集落。

 

 

 「柳在家」の看板が見えます。
 ただし、写真左手にごく一部が写っているお家は震災で壊れた柳在家の家の替わりに新築されたものなので、柳在家集落の一員として暮らしておられます。
 道路右側にほんの少し雪の壁がきれているところがあります。そこから4軒の家に通じる集落内道路があります。次の写真がその道。

 


 写真右手に見えるのは観音堂。ただし、もう10年ほど前のことでしょうか、土砂崩れの危険があって、観音堂の本体は写真左手に見えるドーム型車庫上の建物に移転したそうです。
 このカーブを曲がった先の写真もご覧ください。

 


 走った感じとしては、この道路、19日朝は除雪が入らなかったのかなと思われます。
 大雪で一日に2回除雪が入るような日、この道路に2回目の除雪が入るのは遅くて、積雪が15cmを超えているように思え、スタックを恐れて、今冬、走行を回避したこともありました。でも、この先から振り返った時の景色は私のお気に入りです。

 

 

 

 集落内道路沿いの1軒のお家の横で撮ったもの。
 電信柱(電話回線用ですね)がかなりのところまで雪に埋まっています。
 奥に見える山は志久見街道(江戸期からある旧道)の大峠(おおとうげ)のあたりになるかと思います。

 

 

 先ほどの集落内道路を引き返し、県道に戻って少し進んだ地点。写真左手、手前から2つ目の建物は柳在家公民館。

 

 

 県道をさらに進んで、柳在家の南の端へ。

 

 

 柳在家集落の南端のお家の玄関前からの眺め。
 “たね”(消雪用の池)が雪消しに役立っています。

 

 

 この写真を見て、何処の橋かを答えられる人は栄村の村民でも稀なのではないでしょうか。県道の橋ですが、県道を走っているかぎりでは赤色の橋とは思いません。下が県道走行中に目にする橋の姿。切欠橋です。

 

 

 

 今回の冒頭に長瀬の手前の“カタクリ街道”を紹介しましたが、柳在家の写真点数が多く、今日の編集作業はここまで。切欠から先はまた次回。