プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

あなたの田んぼは大丈夫ですか?

地震被害は時間が経ってから、しつこく現れてくる
 田植えもほぼヤマを越し、早い集落では1日日曜日に田休みのタケノコ狩りの会が行われたようですね。
 さて、この春の田んぼ作業が進められる中で、震災被害の復旧工事をした田んぼで不具合が発生したケースを数件聞きました。中越大震災の被災者から教えられていた「田んぼは1年や2年では元に戻らないよ」という話が現実のものとなったという感じです。

田んぼAのケース
 下写真の田んぼを「田んぼA」とします。

 写真の右側の方で法面がへこんでいるのがお分かりいただけると思います。今春、田んぼに水を入れたところ、このあたりからかなりの水が出てきたそうです。
 この田んぼAでは、復旧後の2012年の耕作時にはトラクターが田んぼにはまってしまい、非常に苦労されたそうです。
 今回、耕作者Aさんからつぎのようなお話をお聞きしました。
    当初の復旧工事計画では、田んぼの表土を全面的に剥ぎ、耕盤
    に必要な土も入れ、転圧をかけて、クラックをすべて塞ぐとい
    う方針だった。ところが、作業道が狭く、ダンプが入れないた
    め、全面的な作業は不可能となり、目立ったクラックがある箇
    所だけの復旧工事になった。
 この経過からすると、いわゆるヘア・クラック(髪の毛のように細いクラックで、よく見ないとわからないもの)は修復されていない、そこに2〜3年、雪融け水や雨水が入り込んで次第にクラックが広がり、水が浸透するようになった、ということが考えられます。
 
田んぼBのケース

 上の写真に見られるように、田んぼの右側に雑草が生えているところがありますが、元々は田んぼの一部だったところ。
 しかし、この田んぼBでも田んぼAと同じく、法面から水が出て、畦がぬける心配があったことから、中畦をつくり、写真の草が生えている部分では耕作しないように措置されたのです。法面を全面的に工事するとなると、法面の下部に「ふとん籠工」を施すなどで300万円くらいの費用がかかるとのことからの苦渋の決断だったと聞いています。
 他にも、今春になって大きなクラックが出て、今年は休耕にした田もあります。
 
3〜5年のタイムスパンで観察すべきではないか
 田んぼAの事例説明の中でも書いたように、地震でできた小さなクラックの影響は3年、4年と経過する中で現実化、深刻化してきます。ですから、復旧工事後の(あるいは復旧工事の対象にならなかった)田んぼで地震から4年目を迎えて何らかの問題が起こっていないか、全面的に調査することが必要だと思います。
 
こういうケースにこそ復興基金を活用すべき
 田んぼAのケースも、Bのケースも、これらの被害があきらかになった段階では、「震災被害の復旧」が適用されないのが現状です。国の災害復旧の基準のゆえです。
 中越大震災・復興で、こうしたケースの農家の自己負担金を減らすために活躍したのが復興基金です。小規模圃場整備補助の制度をつくり、農家を支援したと聞いています。
 そういうこともあって、私たちは震災直後から復興基金の必要性を訴え、栄村にも復興基金制度が実現しました。栄村の復興基金枠は10億円です。今回報告したようなあきらかに震災の影響で不具合が生じている田んぼを修復する場合の農家の自己負担を大幅に減らすためにこそ復興基金を活用すべきだと思います。
 役場担当係でそういう知恵を発揮していただくと同時に、村理事者や議員において現場視察・積極対応を行なってほしいと思います。
 

栄村台風18号被害情報

  台風18号の影響で、16日、栄村でも大きな被害が発生しました。ここでは、私も住んでいる森集落中条地区と青倉集落北向地区に16日午後、避難指示が出た中条川の土石流について報告します(避難指示は17日午前8時解除)。
 土石流は午後2時台と午後5時過ぎの2回にわたって発生したようで、5時過ぎの土石流は栄村森林組合の事務所を直撃し、写真に見られるとおり、事務所1階が完全に破壊されています。





 つぎの写真は、森林組合事務所周辺の全景です(写真左下隅が森林組合事務所)。


 土砂は、中条地区の白山神社の下で、国道117号線と「トマトの国」を結ぶ村道に流れだし、1枚の田んぼは半分が土砂で埋まっています。


 白山神社近くから中条地区方向を見た様子。道路から土砂が消えている部分は朝からの除去作業で道がひらかれたもの。


土砂で埋まった田んぼ


 「トマトの国」横から、3・12地震での崩落地点方向を撮影したもの。今回の土石流が写真中央に見える減勢工を越えて流れてきたことがわかります。今回の土石流は、この写真の上方に見えるブルーシートの下のところが大きく崩れて発生したのではないかと思われます。
 貝立橋から見る中条川は両岸がえぐられ、様子がすっかり変わっています。


 青倉集落北向地区の人たちは青倉公民館、森集落中条地区の人たちは森公民館でそれぞれ一夜を過ごしました。幸い、午前8時に避難指示が解除され、それぞれ自宅に戻れましたが、16日の雨そのものはそんなに強いものではなく、こんな大被害が生じるとは思いませんでした。中条川の土石流対策の抜本的な見直しが必要になると思われます。
(松尾真記)

(写真はすべて17日午前8時半〜9時40分の間に撮影したものです) 

小集落の危機感を受けとめて

 役場職員や村議員さんを含めて色んな方々のご意見をうかがっていると、「復旧で安堵してしまって、復興への危機感が足らない」という声がかなり多く聞こえてきます。
 直接には、「小さな集落が地震で大ダメージを受けていて、そこから立ち直り、集落の存続を可能にするには、相当に頑張らなければならない。なのに、そういう危機感が役場や議会で希薄だ」という声です。

 1つの事例を挙げましょう。
 小滝集落です。
 震災前が17戸、震災後の現在が13戸です。4戸の減少ですが、減少率は約24%という大きなものです。しかも高齢化率は50%を超えています。
 これでは普請の維持等が大きな困難に直面せざるをえません。
 この2年間、小滝集落の復旧・復興への取り組みをいわば「小滝モデル」として紹介してきましたが、それは小滝集落に余裕があるから出来ていることなどではなく、集落の存続への危機感がバネになってのことなのです。
 この危機感を栄村全体のものとして共有することが大事だと思います。
 
 小滝集落では、この間の古道整備・古道歩きツアーや、小滝米の産直等の努力をベースに、公民館の改修や古民家の改修を行い、交流人口をいっそう増やしていくとともに、一人でも多くの新しい居住者の獲得を実現することをめざしています。そのために復興プロジェクトチームの会合を頻繁に開催するなど、懸命の努力が行なわれています。

あるお茶のみから

 ある人がFacebookに次のようなことを書かれていたのです。
本日のお茶のみにて。
「最近やる気がなくって」という人がちらほらいて、その共通点が、ようやく家を建てた人、復興住宅に入った人ということに気付く。
・やらなきゃいけないと思うけど、些細なことなのにできない。
・丁寧に料理していたのに、出来合いものが増えた。 など。
そういえば、仮設に入らず早めに自宅の修理が出来た人も、修理が終わった頃に同じようなことを言っていた。片づけが出来ない、作る畑を減らしたなど。
早めに帰ってきた人、ようやく帰ってきた人。集落の中でタイムラグがある。
「何か新しいことを!」という思いもあるけれど、まずは雰囲気をつかむことが大事だね。
 これは重要な現実だと思います。
 このわずか2年弱の期間に、地震、避難(所)、仮住まい(仮設等)、住宅の再建、再建された住宅ないし復興村営住宅への引っ越し――これだけの目まぐるしい動きがあり、ようやく「落ち着いた」のです。
 ここで、「さあ、復旧はできた。つぎは復興のステップへ前進だ」と言っても、そんなに簡単に進めるものではありません。あまりに慌ただしかった2年の疲れを癒し、少しほっこりして、次へのエネルギーを充填する時間も必要です。
 今回のレポートの冒頭に書いた「震災復興へ大きな転回点、飛躍点」という認識(主張)と、この「少しほっこりして、次へのエネルギーを充填する時間も必要」という認識との整合性をどうつけるか、非常に難しいところです。

若者が声を出せる機会を

 「栄村は高齢化が進み、若者が少ない」とよく言われますが、村で暮らしながら見ていると、ここかしこにかなりの若者がいます。しかし、その割には、村の復興を考える場などに若者の姿がなく、その声が聞かれる機会も少ないという現実があります。
 「集落に子どもの元気な声が響く村を」という復興計画の基本目標を実現していくうえで、若者はその鍵を握る存在です。
 その若者が声を出せる場、若者同士がコミュニケーションできる場をどんどんつくっていく必要があります。たとえば、公民館などがイニシアティブを発揮して、そういう場を創っていってはどうでしょうか。高齢者むけには「いきいき学園」がありますが、村在住の若者を対象とする「若者カレッジ」のようなものを考えてみてはどうでしょうか。
 若い人に話を聞くと、同級生数人が出会う場などでは、「やっぱり村はいいな」とか、色んな思いが語り合われているようです。そういう若者の思いがどんどん出てくる場を是非、創っていってほしいと思います。近く、若手農業者の話し合いの場を役場がセットするという話を聞きました。素晴らしいことだと思います。と同時に、農業従事者だけに限定せず、若者ならば誰でも参加できる場も是非、設定してほしいと思います。

建設進む中条橋

 中条橋では橋の新設工事が進められていますが、驚くほどのスピードで進んでいるように思います。■日現在の様子をご覧ください。


橋脚の建設がどんどん進んでいます。


青倉側の橋脚だと思われるもの。上写真の手前に見えるものです。

工事は年内26日まで行われ、積雪量が多くなる1、2月は休んで3月から再開されるとのことです。

箕作・月岡の水道配水所が完成

 貝廻坂を上りはじめてしばらく行ったところで、半年近くかけて行われていた箕作・月岡の水道配水所の建設工事がついに完成しました。今日14日、仮設の配水施設から新施設への切り換えが行なわれるそうです。
 震災前の施設と比べると一回り大きな、とても立派な施設になっています。貝廻坂を通られる時、是非、ご注目ください。

茶色の建屋が新施設。手前のタンクが仮施設。

栄村復興への歩みNo.181 (通算第215号) 12月7日

* 貝廻坂の改良工事進む
 被害道路の復旧ではなく、安全環境を確保する復興計画に基づく道路改良が始まっています。
 西部地区で月岡から野田沢へ上がっていく貝廻坂(県道)の未改良部分の拡幅・改良工事です。まず写真を2枚、ご覧ください。


盛土ではなく切土で拡幅し、ブロック積工事(11月24日)
 
 現在1車線の道路を拡幅し「2車線」化する工事です。
 この貝廻坂改良工事は、本年1月に行われた復興計画策定にむけた「村民意向調査」で多くの人たちから要望が出ていたものです。その要望に基づいて、4月初めに国(復興庁)に村・県が提出した復興交付金事業計画が認められたものです。


12月6日朝撮影、積雪期を目前に急ピッチで工事が進む


工事が行われている場所

 この工事で注目したいのは、拡幅が路肩(谷)側への盛土ではなく、山側の切土で行われていることです。盛土と切土とでは、地震等の自然災害に対する強さが異なります。3・12地震で壊れた道路の多くは盛土部分が崩れたものです。
 したがって、この貝廻坂の拡幅工事は、まさに「復興計画」で打ち出されている「安全環境の確保」の実現への第一歩です。

* 野田沢住民の頑張り
 この改良工事を実現したのは、地元野田沢住民の長い年月にわたる強い要望の声です。今年1月の「村民意向調査」の結果を復興計画策定委員の一人として読んだとき、野田沢の人たちのことごとくから「貝廻坂の改良」の声があげられていたのを思い出します。
 そして、今回の改良工事にあたって、右の写真に示されているとおり、野田沢の人などが自らの田んぼの一部を道路用地として提供されました。このことの意義は非常に大きいと思います。


道路拡幅へ田んぼの一部を提供

 野田沢の人たちと今夏、話をしていたとき、貝廻坂がつくられた当時を知る高齢の方々から、「当時、山側を切って道をつくるように強く主張したんだけど、地主の了解を得られなくてね」という証言を聞きました。
 野田沢の人たちは、自分たちが暮らす地域の地理的特性、歴史をよく学び、教訓化し、「より安全で、安心して暮らせる環境」づくりに努めたおられるのですね。
 また、復興計画策定委員会等の場で県北信建設事務所の方々に盛土の危険性を強調したことも一定の役割を果たせたのかなと思います。復興計画策定委員と県建設事務所との懇談会の場で、「盛土は災害に対して脆(もろ)い」と訴えたのに対して、「路肩に損傷が出ても、車1台は通れるような設計にしたい」という建設事務所の回答がありました。今回の工事の様子を見ると、その回答が守られているように思います。
 本格積雪期までに出来るのはブロック積み上げ工事にとどまると思いますが、大事な工事ですので、今後も注目していきたいと思います。

新しい道路の完成(極野)

 北野・中野集落から極野集落にむかう県道の付け替え工事が今春から行われていましたが、すでに完成し、供用されています。
 私が入院していた間に完成したようで、11月24日に極野に行った際、撮影してきました。


中野集落側から極野に向かう方向を撮影しています。写真中央奥に観音様が見えますがそこから右に入る道が旧道、左へカーブしていくのが新道です。新道の様子は下の写真です。


 広々としていて、なによりも素晴らしい点は道路が以前のように谷に接していないことです。災害時などに極野集落から外に避難するルートの確保として重要な意味を持つものと思います。
 この道路は震災前から計画されていたもので、今次震災復興計画と直接の関係はありませんが、「安全環境の確保」という復興計画の最重要方針と合致するものであり、他集落で「安全環境の確保」について検討するうえで大いに参考になるのではないでしょうか。是非、一度、ご覧に行かれるとよいと思います。

雪の中での工事


 雪が1日中降り続いた1日(土)の午前、坪野に向いました。27日の続く本格的な降積雪でしたが、坪野に向かう道は除雪機が入るほどの積雪ではなく、かつ、通行量が少なくて轍(わだち)もできていないので、ハンドルをとられないよう、運転に苦労しました。

 さて、この道路を坪野集落にむかって進んで行くと、途中で「雪崩防止柵」の設置工事が行われていました。急斜面での命綱を張っての作業で、吹雪いている悪天候の中での工事に頭が下がる思いでした。工事の様子をご覧ください。