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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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栄村復興への歩みNo.188 (通算第222号)

* 「300年後の小滝をみすえて」という発想
 小滝のある人と4月初めに話したのですが、その人の口から「復興は300年後の小滝をみすえて実現していかなければならない」という趣旨の発言が数回出て来て、正直なところたいへん驚きました。
 国家レベルの計画などで「国家100年の計」ということが言われることがありますが、集落の復興で「300年後」という話は聞いたことがなく、とても驚いたという次第です。

 もう少し突っ込んで聞いてみますと、この発言の趣旨はつぎのようなことでした。
* 小滝は約300年前、「水確保に難儀し、農業生産ができないので、百姓が越後に逃亡した」という歴史があり、それへの対処として、小滝堰がつくられた(この経緯に関しては「栄村復興への歩み」No.183参照)。この300年前の壮挙がこんにちの小滝の存在を可能にした。
* 今回の大震災(による被害)は、300年前の集落存亡の危機に等しい危機である。したがって、300年前にその後の300年の小滝集落の存在を可能にした取り組みがなされたように、いま、復興に取り組むことが「300年後の小滝を残す」ことになるのではないか。
 これだけの深い洞察、自らの集落への愛着とその将来を思う心、ここに震災復興を実現していく最深の力(根拠)があると痛感しました。

「みんながたのしく暮らせる小滝をめざして」

  以上のことを、具体的な復興プロジェクト(策)との関係でさらにみてみたいと思います。
 小滝復興プロジェクトチームでは、復興ビジョンとして「みんながたのしく暮らせる小滝をめざして」を掲げ、そのために必要な課題を「緊急・重要度」にしたがってA、B、Cの3ランクに区分し、対策案(施策)の検討を進めています。

* 普請の負担の軽減策
 真っ先に検討されているのは、集落の維持・存続に直結する普請の負担の軽減策です。具体的には村道滝見線にある水路の枡について、現状では「3人とタイヤショベルによって、ゴミ・泥上げに半日を要する」のですが、「枡を改良してタイヤショベルのみの作業とする」ことを対策案=復興施策として実現しようという話になっています。
 この枡がある水路は、農業用水の確保はもちろん、冬の消雪用の水を確保するためのものでもあり、小滝集落にとってなくてはならぬ生活用水です。
 この水路の枡の普請(春・秋の2回)の現状=「ゴミ・泥上げに3人の尽力とタイヤショベルで半日を要する」は、集落に人手、しかも若い人手が十分にあった時はなんとかこなせたものの、震災による戸数の減少(17戸→13戸)と構成員の高齢化によってたいへん厳しいものとなっているといいます。
 1つの根本的打開策は戸数を20戸に再増加させることですが、ここ5〜10年を考えた場合、戸数の現状維持の中でも(そして高齢化が進む中でも)普請を維持できる対策が必要です。その打開策が枡そのものを改良して、人が深い枡に入り込み、そこからバケツで重い泥などを引き上げる作業を不要にし、タイヤショベルのみで作業ができるようにすることなのです。この枡改良に要する費用がどの程度のものなのかについての見積もりは、雪消えを待って、専門業者に依頼しようということになっています。

* 小滝の対策案をどう受け止めるか
 小滝の人たちのこの対策案を、私たちはどう受け止めるか。
 プロジェクトチームでの議論の中で、「作業を楽にする」ということが強調されています。「楽にする」という言葉だけを取り上げると、なにか怠慢を肯定するかのようなニュアンスが感じとられるかもしれませんが、けっしてそうではありません。第1に、くりかえしになりますが、震災による戸数の減少と高齢化の進展によって、「作業を楽にする」ことを実現しなければ、普請の継続が困難化し、集落の暮らしそのものが成り立たなくなるのです。
 その困難が絶対解決不能のものではなく、機械力の導入によって解決しうるのですから、機械力の導入=作業の合理化・効率化、枡の改良を是非とも実現すべきなのです。この改良工事自体はハード事業ですが、これによって集落のみんなが水(路)の確保について安心して暮らせるようにすることはコミュニティとしての集落の生活基盤を強化し、「みんながたのしく暮らせる小滝」を実現していくことにつながり、その意味で単なるハード事業ではなく、コミュニティ強化の最重要のソフト事業として位置づけられるといえます。
 第2に、今後、小滝集落を担っていく若い世代(今後Uターン、Iターンする人も含めて)にとっても、重要な施策だといえます。
 水路普請や道普請という共同作業は集落(コミュニティ)を支える最重要の作業です。この作業が、担い手が若い者である場合も、「苦役」に当たるような困難な作業であっていいはずがありません。たしかに機械力の不足を人力の投入で補うというのは従来のあり方ですが、そういうあり方が望ましいということではないでしょう。
 機械(力)というものは本来、人間の作業の苦痛を軽減し、より快適な暮らしを実現することに意味があるものです。経済成長の時代のように、生産力のアップのために機械を導入し、人間が機械によって使われるようなあり方は、機械(力)の人類史にとっての本来的意義を転倒させたものですが、人びとが暮らしやすくするために機械力を導入することは大いに進めるべきことだと思います。
 これから小滝で暮らそう、小滝を背負っていこうという若い世代にとっても、「みんなが楽しく暮らせる小滝」となるように、それこそ「300年後の小滝をみすえて」、いま、震災という一大危機を逆バネにして、必要な対策=復興施策を実現していくべきなのです。

* 他の集落にも同様の課題があるはず
 ここでみてきた小滝の水路普請の現状と対策案は、小滝だけに限った問題ではないでしょう。大きな集落の場合であれば、いますぐに普請が困難化するということはないにせよ、集落点検作業を行い、5年後、10年後の普請がどのようなものになるのか(担い手はどれくらいの人数になるのか、その担い手の年齢層はどうなるのか等々)を考えれば、小滝と同様の課題が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 昨年10月に決定された「栄村震災復興計画」は、そうしたことを念頭において検討・策定されたものです。集落の現状を把握する集落点検の作業と、震災復興計画の学習とを結びつけて、それぞれの集落の復興プランを練っていくことが求められていると思います。

「栄村震災復興計画」との関係

 そこで最後に、上で紹介した小滝の普請のあり方の改善策が、「栄村震災復興計画」とどのように関係しているかを確認しておきたいと思います。

 「栄村震災復興計画」では、方針1「暮らしの拠点・集落の復興・再生」の第(3)項「地域力・防災力を強化するための集落の整備」の㈬で「集落の基盤となる道路、水路等の諸施設の整備と維持管理体制への支援」が記されています。その㈬の全文は以下のとおりです。
「人口減少や高齢化によって、集落の基盤となる施設の維持管理が困難になっているところもあります。そこでは、維持管理労働を軽減できるような施設整備や管理体制のあり方について検討を行います。」
 これは普請のあり方についての検討・整備が震災復興の基本方針である「暮らしの拠点・集落の復興・再生」にとって不可欠な課題であることを示しているといえます。
 その意味で、小滝の水路枡の改良を復興施策として是非とも実現し、それこそ「300年後に小滝を残す」ことにつなげていきたいものです。

栄村復興への歩みNo.187 (通算第221号) 2月6日

震災復興へ大きな転回点、飛躍点

 いま、最も積雪量の多い時期を迎え、残っている復旧工事の中で最大のものの1つ、中条橋の架け替え工事も2カ月間の休止期間に入っています。
 そういう状況はあるものの、今冬を前にして、道路、圃場、住宅の復旧工事の過半が完了し、「震災復旧の大半を完了できた」という安ど感のようなものが存在するのは事実だと思います。たしかに、2年前の3月12日の被害の凄まじさを想起すれば、「よくぞ、ここまで復旧できたものだ」という実感を多くの人が共有されていることと思います。


年末までの工事で橋梁の一部が出来ている中条橋

 だが同時に、それは栄村が「復旧から復興へ」、大きく展開=飛躍していく時期が待ったなしで訪れていることを意味します。
 「栄村震災復興計画」は、その冒頭「復興計画の策定にあたって」で「復旧にとどまらない再生・復興計画」をかかげ、つぎのように述べています。
「当村では、今まで過疎化、高齢化、耕作放棄の増加等に対応するため、各種の施策を講じてきましたが、なかなかこうした状況に歯止めがかかりませんでした。そこに長野県北部地震が発生し、多くの被害が生じたのです。これらの被害に対して、これまで「復旧」が行なわれてきました。
 しかし、壊れたものをもとに直す「復旧」だけでは、現在の村の状況を改善することはできません。震災を契機に、人口減少や耕作放棄等が一層進むことが危惧されているのです。そのためには、再生・復興を目指す総合的な「復興計画」が必要になっています。(「計画」26頁。下線部強調は引用者)
まさに、この“再生・復興”に本格的に着手していくべき時期がいまなのです。基本的方向性は「計画」26頁の[村の状況を示す模式図](写真参照)に示されているとおり、

「若者・子ども・高齢者の住みよい、安全な村づくり」


です。



「復興基本法」の理念を実現する施策を

東日本震災後に国が制定した「東日本大震災復興基本法」はその第2条で「復興の基本理念」をつぎのように定義しています。
「被害を受けた施設を原形に復旧すること等の単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策及び一人一人の人間が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として行われる復興の施策の推進により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、21世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指してぉこなれるべきである」
 まさに、この理念にぴったりと対応する復興策が青倉の圃場整備だといえます。
 県の支援もいただきながら、役場、そして青倉集落を先頭に、国に強力に働きかけ、是非、実現していかなければならないと思います。
  
 さて、以上は1月30日に書いた部分なのですが、その後、興味深い話を聞きましたので、その視点から、もう少し議論を深めておきたいと思います。

* 復興に十分な時間を

 私は、ここでは国(やマスコミ)の姿勢が非常に大切になってくると思います。国が東日本大震災復興基本法―基本方針で定めた復興期間は10年間です。復興にはそれくらいの時間がかかるのです。それは単に被害規模が大きいので復旧・復興に物理的に10年間要するというだけの意味ではありません。復興の主体はあくまでも被災地住民であり、被災地住民の主体的条件を念頭におきながら、被災地住民自身の意志形成・合意を図るのにじっくり時間をかける必要があるからです。被災地住民がじっくり意思形成・合意を図っている間に「国の復興予算はもう使い尽くしたので、対応できない」などということがないようにしなければなりません。

 そのためにも、被災地からの情報発信がこれまでにも増して大事になってくると思います。間もなく震災から2年。メディアはすでに「2周年番組」を企画しているようですが、絵になるニュースだけを追い求めるのではなく、被災地の内面に深くきりこんで、地に足のついた復興を進めるには、何を理解する必要があるのか、をあきらかにするような記事・ニュースを求めたいと思います。

2013年を復興がグイグイ進むよい年に

 昨年10月に決定された「栄村震災復興計画」では、平成24(2012)年度から平成28(2016)年度までを「復興期」と定め、うち平成24、25年度については「復旧期」と重なるとしていますが(「復興計画」28頁)、中条橋の架け替え工事など一部を除いて復旧工事の多くは昨年末までに完了しており、今年2013年はいよいよ復興にむかって大きく前進をしていく年にしなければなりません。


 復旧は「元の姿に戻す」ということですが、栄村は震災前から「過疎化、高齢化、耕作放棄地の増加等」の問題に直面していました。
 そこで、「復興計画」はその基本的考え方として、
壊れたものをもとに直す「復旧」だけでは、現在の村の状況を改善することはできません。震災を契機に、人口減少や耕作放棄等が一層進むことが危惧されているのです。そのために、村の再生・復興を目指す総合的な「復興計画」が必要になっています。
という考え方・基本方針を、下の図(「復興計画」26頁)と共に、打ち出しているのです。


 この模式図にも書かれているように、「若者・子ども・高齢者の住みよい、安全な村づくり」をめざしていくのです。
 これを単なるスローガンにとどめないために、次頁で提起する農地整備(圃場整備)等を目に見える形で現実化させていくのが2013年の課題だと思います。

昨年1月、飯山線の旅を堪能された木村先生のエッセーの紹介


 信州大学の木村和弘先生がNo.182の「クローズアップ・飯山線」をお読みくださって、「今日の復興の歩みを読みながら、1月にはこんな文章も書いたのだ、こんなこともみんなと話し合ったな、そんなことを思っていました」とメールをくださり、今年1月にお書きになったエッセーを送ってくださいました。ご紹介させていただきます。
  
飯山線雪景色ツアーのお誘い
― 雪の壁をいく飯山線。今、栄村の積雪は3.5m ―

窓に迫る雪の壁を見たことがありますか。車窓に雪の壁が迫ります。
今しか見られません。そして、自動車では見られない光景が長野から続きます。
列車でしか見られない光景。千曲川の雪景色が待っています。
栄村は、旧国鉄で日本最高積雪深7.85mを記録した村。森宮野原駅に標柱が立つ。
こんな旅しませんか。豪雪の栄村へ。

 寒風の中を伊那市駅発、延々と接続駅の待ち合わせ、岡谷駅で30分、松本駅で25分、長野駅での乗換えに24分、そして飯山線森宮野原駅まで5時間39分の旅。いかがですか。
 途中、松本から長野までは篠ノ井線、かつては難所・25パーミルの冠着トンネル、スイッチバックの姨捨駅、そして姨捨棚田の景観を見ながら長野に至る。風光明媚な旅。

 長野駅は、変則的なホーム。3・4番線の同一ホームを中央で分断して、3番線、4番線が存在。飯山線は4番線から発車する。連絡通路の下には、立ち食いそば屋のいい香り。乗車前の一杯もうれしいもの。
 かつては、なかじま会館の駅弁がよかったのだが、季節の弁当とワンカップ数本をもって、森宮野原までの旅。今はないのが残念だ。
 それでも、ボックスシートなので、ワンカップには最適だ。
 JR飯山線は、長野駅から新潟県長岡市・越後川口までの107.5km、31駅のローカル線。
 正式には豊野町からの29駅96.7km。
 15時04分長野発の列車は、豊野駅で信越線と別れ、いよいよ飯山線である。
 豊野まで長野の平坦地をすぎて、千曲川が現れてくるのが旧豊田村(2005年に中野市と合併)、立ヶ花駅を過ぎると景色が一変する。だんだん雪が深くなる。車窓からは右手に千曲川が流れる。いよいよ飯山市だ。屋根の雪も深く、雪下ろしの姿も見られよう。
「1里、1尺」市街から離れると雪が深くなると云われる豪雪地帯。
 さあ、これからが飯山線の真骨頂。雪は一段と深い。
 戸狩野沢温泉駅、ここで4両編成は切り離されて2両に。いよいよ雪の本場だ。次は上桑名川、かつては千曲川の渡しが奥信濃の冬の風物詩であった。東電の西大滝ダムを間近に見ながら、「このダムと、下流のJR宮中ダムによって、鮭の遡上が止められた」そんな思いをはせながら栄村に入る。駅に入るたびに3mの雪の壁が眼前に迫る。3月12日の長野県北部地震に被害を受けた横倉駅、さらに線路が宙づりになった区間を経て、16時51分列車は森宮野原駅に到着。雪の中に2本の線路が黒く光る。雪の中の通路を通って改札へ。かつてはキマロキ編成(注)やロキキロマキの特別編成もあったという除雪体制は、ディーゼル車に変わった。構内を除雪車が雪を吹き飛ばす姿を見ることもできよう。

森宮野原駅は栄村の中心、貨物扱いもあった中心駅だ。駅前には日通支店もあった駅だが、今は委託駅だ。駅から、今夜の宿・吉楽まであと50mだ。雪の後は、いよいよ熱燗だ。
                           (木村)

※(文中の写真2点は12月19日、松尾が撮影したものです)
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(注)「キマロキ編成」とは、機関車(キ)、線路沿いの雪壁を崩し、雪を線路上にかき集めるマックレー車(マ)、そのかき集められた雪を遠方に飛ばすロータリー車(ロ)、最後尾の機関車(キ)の4両から成る除雪ユニットのこと(松尾記)

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震災復興(=山村再生)と旅(観光)

 No.182、そして今回と2度にわたって飯山線をクローズアップし、飯山線の旅を推奨していますが、これは栄村の震災復興(=山村再生)にとって観光が非常に重要な位置を占めると考えるからです。
 栄村の多くの人たちが復旧にとどまらない復興が必要だと思っています。しかし、「では、どうやったら復興を実現できるのか」、率直に言って暗中模索だというのが正直なところだといえます。「復興計画に基本方針が書かれているではないか」と言う方もおられるかもしれませんが、復興計画はあくまでも基本計画であって、具体的な事業計画ではありません。しかし、いまや、その具体的な事業計画→具体的な事業が求められています。
 「復興計画」では「地域資源を活かす産業振興」を謳(うた)っています。「クローズアップ・飯山線」をお読みいただければ、飯山線こそ「地域資源」の最たるものの1つだということは明白だといえます。
 どうやってこの地域資源を活かしていくか。私は村外の人たち(とくに都市部在住の人たち)と村民のコラボレーション(協力、協同)がそれを可能にするのだと思います。震災直後には、救援や応急復旧のために多くのボランティアの人たちが村にやって来て下さり、栄村民との協力・協同が実現されました。復興段階では、自らも楽しむために旅で人びとが訪れて下さることと、村民がそれを村らしいお茶のみや案内、ごっつぉで受け入れること、その協同が村の資源を活かし、それによって、村人に栄村の大いなる可能性を発見させ、村を活性化=再生していくことになっていきます。
 もっと具体的にいえば、震災直後のボランティア登録のように、「私、飯山線の旅に興味・関心あります」というような登録をメールでしていただき、当方ではそれを受けて、実際に飯山線に臨時貸切列車を走らせる態勢をつくっていく。そういうコラボレーションができれば最高だと思うのです。いかがでしょうか。是非、ご検討ください。


<後記>

飯山線の話ばかりで面喰わられたかもしれませんが、私は飯山線、とくに冬の飯山線にこだわりたいと思っています。こういうことに執念を燃やし、一歩一歩、夢を現実化させていくことが復興ではないかという気持ちを強く持っています。みなさまのご意見をお聞かせいただけると幸いです。