プロフィール

profile
栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

カテゴリー

categories

サイト内検索

Search

カレンダー

calender
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

最近の記事

selected entries

最近のトラックバック

recent trackback

月別アーカイブ

archives

栄村関連リンク

links

携帯用QRコード

mobile
qrcode

ブックマーク & RSS

Bookmark&RSS

栄村復興への歩みNo.337(5月29日発行)

〜5月25日発生震度5強地震に関する特別号〜

 

 怖かったですね。25日夜の震度5強の後、現在のところ、同クラスないしより強い地震は発生していなくて、少しホッとしていますが…。このまま収束することを祈っています。
 25日夜9時13分頃の発生時、私はTVをつけて、畳の上で横になっていましたが、一瞬、何が起こったのか、わかりませんでした。しかし、すぐに激しい横揺れで、建物がガタガタ、ギシギシと音をたてて激しく揺れ、食器が戸棚から落ちる音が聞こえました。でも、床に這いつくばっているのが精一杯で、周りを見る余裕もありません。「ああ、またあの時に戻るんだ」と7年前の状況が頭の中に浮かびました。
 幸いにして、間もなく揺れが収まり、私はヘルメットを片手に役場に出向きました。
この「復興への歩み」では、TVや信毎などであまり報道されていないことを中心として、今回の地震について村民の間での情報共有に役立つと考えることを記すようにしたいと思います。

 

🔶長瀬近辺が震源か。長瀬近辺〜津南町百ノ木等に被害が集中
 すでに報道されている被害状況、役場が集約している被害報告、私自身が実際に歩いて見て回った被害状況等から、今回の地震は震源が長瀬付近にあること、さらに、じつは百ノ木など津南町において激しい被害があることがわかります。

 

       図1 推計震度分布図


 上図は、気象庁が25日夜11時15分からの記者会見で配布した資料の1つです。震度が色で描かれていますが、長瀬付近に最も濃い色があり、震度が大きかったゾーンが県境を挟んで栄村東部地区と津南町百ノ木・加用・中子地区に存在することがわかります。
 さらに、次の「震央分布図」というものもご覧ください。

 


 「震央」とは「震源の真上の地表の点」のことです。
 「震央分布図」を見ると、県境よりも津南町寄りに位置している震央が多いです。
(「震央」がたくさん記載されているのは、25日午後9時〜10時20分の間に、私たちが感じた以外にも震度1以下の地震が多数回起こっていると機械計測されているからです。)


🔶 被害状況の写真
 TVや新聞で報道されている以外の被害状況を数枚、紹介します。

 

写真1

 

 写真1は津南町百ノ木のお墓が倒壊している状況です。「倒れた」というよりも、「ぶっ飛んだ」と表現するほうが状況を的確に表すと思います。揺れの激しさを示しています。
 なお、加用集落の人からは、「作業小屋の中がぐちゃぐちゃで、田植えをしようにも、丸一日かけて作業小屋の中
を片付けないと、田植えどころではない」という話をお聞きしています。

 

写真2

 


写真3

 

 写真2は、長瀬集落の中心部から北野川を挟んで、東岸の崖上にある長瀬・中尾地区の田んぼゾーンに向かう村道上にクラックが発生している状況です。
 写真3は、その中尾の田んぼゾーンの中で、北野川に面した急崖の上に位置する農道の舗装部分と崖側の地面の間に亀裂が生じ、川側の地面が下がっている状況です。
 

写真4

 

 写真4は、すでに報道されている長瀬・中田の斎藤進さんの田んぼに生じたクラックの広さ・深さを撮影したものです。

 

 このように被害状況を見ると、「7年前のような大被害にならなくてよかった」と思う反面、被害はけっして軽いものではなく、本格的な復旧対策を要する被害が各地で生じていることがわかります。

 

🔶 村の対応について
 私が役場に到着したのは9時20分よりも少し早かったと思いますが、間もなく役場職員が緊急登庁し始めました。森川村長は9時30分頃に到着。役場の公式記録によれば、「9時35分 本部会議(1回目)村長室」となっています。
 私は議員であって行政職員ではありませんので、村の地震災害警戒本部設置以降は役場2階の議会事務局で待機しました。
 役場は午後10時30分に「全集落の安否確認完了→異常なし」を確認、さらに夜を徹して被害状況確認作業を進め、翌26日午前8時から全職員を動員して、村内のパトロールを実施し、被害状況の把握に努めました。なお、26日午前5時25分からは村長らが搭乗する国土交通省のヘリが村上空を飛び、上空からの被害状況調査を行いました。
 地震発生は夜でしたが、まだ多くの人が眠ってはいない時間帯であったことも幸いし、村の初動対応は素早く、基本的に評価されるものだったと思います。7年前の辛い経験が生かされたと思います。もちろん、細部にわたっては種々の角度から総括し、改善すべき点を抽出して、今後の防災対策・緊急時対策に生かしていくことが必要だと思います。

 議会は、「各議員は自らの地域で対応」とし、各議員に連絡しました。
 なお、28日(月)午前9時から村長提出と議長提出の議会全員協議会を開催し、村からの被害状況報告の聴取と質疑等を行いました。

 

🔶 被害状況の役場への集中の大事さ
 今回の地震活動が早く収束することを祈るばかりですが、最後に一点、みなさまへのお願いがあります。
 みなさんのお家や田んぼ等での被害について、どんな小さなことでも役場に知らせていただきたいということです。被害が「食器が数点、棚から落ちて壊れた」というだけでも知らせることが大事です。それが今回の地震について解明を進め、今後の防災対策をよりよいものにしていく上での貴重な情報となります。
 是非、ご協力をお願いします。

 

(「栄村復興への歩み」は本年2月から有料配達になりましたが、今号は全世帯無料配布としました。)


野々海池の現在の様子

 お隣の津南町からため池の水がほとんどなくなったという話が伝わってきて、野々海池はどうなっているかが気になり、4日朝、青倉から野々海に上がる道を通って行ってきました。撮影した現在の野々海池の様子をご紹介します。


 上写真は堤に向かう道から撮影した様子です。池の向こう側に、いつもは見えない土の部分がかなり見え、水量が大きく減っていることがわかります。
 さらに、堤の部分や水の取り入れ口を見ると、水量が激減している様子がさらにはっきりとわかります。3枚の写真をご覧ください。

 
堤の部分                 取り入れ口


野々海池の東側の部分

 取り入れ口の状況を見ると、水路に水を送るのが間もなく難しくなる状況だと思われます。また、池の東部分にはもうほとんど水がありません。
 私が野々海池に初めて見たのは6年前のことですが、こんなに水が減ったのを見たのは、昨秋に復旧工事のために水が抜かれた時を除いては、初めてのことです。今夏の渇水の厳しさがよくわかります。
 ここにきて、時間的には限られたものですが、かなりの雨が降ることもあり、また、落水期までもう間もないことから、今年の収穫に大きな影響を及ぼすことは回避できるのではないかと思いますが、厳しい状況であることはあきらかです。
 自然とむきあって暮らしていくことの難しさを痛感します。
 それにしても、今年のような渇水を直面するとき、冬期の大量の積雪の雪融け水を野々海池に貯めるという大事業を成し遂げられた先人たちの功績のすごさが改めて痛切に感じられ、その偉業に敬服するばかりです。

新たに確認した地震被害の状況

 地震被害はすでに確認されているものだけではありません。
 この春になって、青倉・西山田への農道脇にたつ電柱が大きくずれていることに気づきました。


 2本の電柱が上の方で重なり合うようになっています。根元を確認すると2本ともずれていますが、とくに左側の電柱が大きくずれています。この場所に延長線上に青倉集落の被害が激しかった地域があります。地面が滑ったことは明白だと思います。下の写真もご覧ください。 


 また、「素敵な景色」で紹介した坪野の林道からは、切り捨て間伐された杉の木が地震や雪で道へ落ちている、今後落ちる危険がある様子を確認しました。3月12日、小滝と月岡の間を通行不能にしたのも、雪崩と同時に落ちてきた切り捨て間伐材であったことを想起しなければなりません。いまは切り捨て間伐は基本的にしないようになってきていますが、以前のものの後始末も真剣に考えなければならないと思います。


被害調査のために

 復興計画の策定では震災被害のきちんとした把握‐安全環境の確保を重視しています。
 第129号(3月10日付)で報告した百合居橋近くの崩壊したスノーシェッド脇の山肌の崩れについて、比較対照できる写真を探し出しましたので、紹介します。


3月10日号掲載の写真


昨年8月24日撮影の写真。
写真中央に見える土の部分が復旧工事の対象となった箇所で、上(3月10日号)の写真では右端に見える崖崩れ防止の工事がされているところ。この箇所の左は8月24日の写真では木が生えているが、今年3月の写真では山の斜面の土が全面的に崩れています。なんらかの対策が必要ではないかと思います。


写真展から

 震災・復旧・復興記録写真展は多くの方々のご来場をいただき、18日に終了しました。東京や村内で展示したいというお声もいただいています。一人でも多くの方に見ていただくために、今後も努力していきたいと思います。


 山本一郎さん(野田沢)からご提供いただいた3月12日当日の野田沢集落内道の様子です。雪の壁が崩れ、通行が困難になっていました。今後の防災対策を考えるうえで教訓化すべきことだと思います。


写真展から


 12日から役場1階ホールで写真展を開催しています。手づくりの、ささやかなものですが、ご注目いただき、たくさんの方にご来場いただいています。
 その展示写真の中から、このレポートではこれまでに取り上げたことがない写真を数点、紹介します。


 地震で動いた三角点。宮川吉郎さんご提供の写真です。撮影場所は青倉・西山田です。宮川さんは村内いろんなところを歩いておられますが、三角点が動いたのを見たのはここだけだそうです。


 3月12日地震発生から間もない午前5時6分撮影の村道小滝月岡線の雪崩の様子です。倒木も見られ、除雪だけでは通行再開できず、小滝はヘリでの避難となりました。この状況の中、徒歩で役場に向かわれた樋口正幸・民子ご夫妻が撮影されたものをご提供いただきました。


 国道117号線の栄大橋。橋と道路が離れてしまった様子がはっきり見えます。3月12日午前6時32分撮影。ここには現在も鉄板が敷かれています。


写真展を開催 3月12日から


  会場:村役場1階ホール
  日時:3月12日(月)午前10時から、3月18日(日)午後3時まで
      (13日〜17日は午前9時〜午後9時)

まもなく3月12日。あの地震から1年目を迎えます。
この一つの節目にあたって、NPO法人栄村ネットワークは「震災記録写真展」を開催します。
村民のみなさまに写真提供を呼びかけ、収集した成果です。
発災、避難、被害の様相、そして、復旧、復興への歩み、その中で浮かびあがってきている栄村の地域資源などを写真で示していきます。
小さな展示会ですが、中身は濃いと自負しています。

1年目を迎えるいま、改めて痛感していることは、地震被害は現在進行形だということです。
「発災から1年も経てば、復旧工事もかなり進み、あとは復興あるのみ」というわけではありません。農地も、家も、道路も、「見えない被害」が拡大しながら、じわじわと顕在化してくるのです。
被災の現実を不断に見つめ直しながら、復興への道を確かなものにしていくことが大事だと思うのです。

そういう意味で、「思い出したくない」という気持ちも汲みながら、しかし、被災の事実も改めて見据え、そして同時に、この1年の過程で浮かび上がってきている《新しいパワー》も示す写真展にしたいと思っています。

みなさま。どうぞ、会場へお運びください。


震災記録写真を募集しています

 以前にもお知らせしましたが、震災1周年にむけて、震災記録写真を集めています。
 みなさまのご協力で、貴重な写真がたくさん集まっています。
 現在、つぎのような写真を求めています。お手元にあれば、是非、ご連絡・ご提供ください。
* 農機具が収納されている車庫・作業所の被災の様子
* 住宅の地盤にクラックが入るなどして修復が難しい被害の事例
* 坪野集落の地震当日の避難路の様子
 (雪崩・土砂崩れで道路が通行不能になった)
* 国道405で余震で岩が落下し、通行不能になった様子

 ご協力、よろしくお願いします。
                

栄村復興への歩みNo.93 (通算第127号)

 来週はまた気温が上がるようですが、昨夜、一昨夜は寒かったですね。27日夜は8時過ぎで6℃でした。気温が下がって紅葉が美しくなるのは嬉しいのですが…。

● 改めて被害の凄まじさを見るーー暮坪にて
 昨27日、暮坪というところに行ってきました。1971年に集落が消滅したところです。
(注)栄村でこれまでに消滅した集落は暮坪と今泉(1974年)の2つのみ。今泉は青倉集落に統合されましたが、いまも耕作が行なわれており、現在では「ふるさとの家」の杉浦さんが冬期以外はお住みになっています。

 暮坪には奈免沢川が流れていて、その上流から志久見集落などへの水路が引かれています。その水路が大崩壊したことは震災直後から聞いていましたが、かなりの山中でもあり、震災以後、昨日まで行っていませんでした。まず、つぎの写真をご覧ください。


 村道滝見線から暮坪への道に入り、もう間もなく集落跡という地点で大きく山が崩れています。見える道は復旧工事で開けられたものです。
 

 上の写真の上方を見たものです。山が全体として崩れたことがわかります。なお、左上から真ん中にかけて黒い線状のものが見えますが、これは震災後に敷設された志久見水路の仮水路用黒パイプです。


 本記事写真1枚目の道路の下を撮影したものです。右方にわずかに奈免沢川の流れが見えますが、奈免沢川の流れる谷一帯が山崩れの土砂で埋まったことがわかります。



●滝見線の最も激しい崩壊現場
 村道滝見線の被害については本レポート第18号(5月3日)で報告したことがありますが、滝見線から暮坪集落に向かう道に入るところにある橋(奈免沢川に架かる橋)から先200〜300mの間だけは見に行ったことがありませんでした。
 その200〜300mの間に、山が崩れ、道が無くなっている箇所があります。27日、そこにも行って撮影してきました。
 

通行止めの看板から歩いて進むと、大きな杉の木が横倒しになっています。
  

 上のように山が完全にぬけ、道がなくなっています。次頁の写真では、この山崩壊の地点の先に村道滝見線の続きが見えます。


写真の右真ん中あたりに滝見線のアスファルトが見えます。下の写真は、この崩壊地点を奈免沢川を挟んで対岸の滝見線から撮影したものです。




 もう1枚紹介します。

 これはさきほどの滝見線崩壊箇所の近くで、奈免沢川が千曲川に注ぎ込む直前の左岸上の崖の崩落箇所です。崩壊規模は滝見線崩壊箇所よりも大です。
 じつはこの崩壊した崖の上、写真の右手のちょっと奥が志久見街道の絶景ポイントです。30日の古道歩きのむらたびでは、この崖の上まで行くことができます。そこには「地震とはこういうものなのか」と、目に見える形で理解できる大きな地盤の亀裂を見ることができます。その様子は30日の報告の際に写真紹介することにします。
 この崖の上に立つと、中条川上流の山崩れ現場が真正面に見えます。
 どうやら、今日報告した暮坪の山崩れ地点、この箇所、そして中条川上流の山崩れ地点、これらがほぼ一直線上にあるようです。一度、これまでに確認した大規模被害地点を地図に書き込んで、被害が甚大な地点が帯状に連なっていることを明示するようにしてみたいと思っています。


志久見街道を歩く


山からの水が岩の上を流れ落ちる


木の根の間に石が3つ挟まっている


欅(ケヤキ)の巨木


欅の巨木
別アングルで撮りました