高齢者の田んぼをどう守るか
- 農業再建問題
- 2015.03.22 Sunday
すじ播き作業への準備も考えなければならない時期を迎えて、私がいま関心を抱いていることの1つは高齢の人たちが守り続けている田んぼが今年はどうなるのかということです。
配達で出会う人たちに、「今年は田んぼ、どうされますか」とお尋ねするようにしています。
「今年もやるよ。」
「少し面積を減らすよ。足の調子が悪くて。」
「もう無理だ。幸い、人に頼むことができました。」
お答えは様々です。
条件の悪い田が高齢者の手元に残り、次第に耕作困難に
北野天満温泉の吊り橋の手前の田んぼ
大型機械が入らない。83歳の人が頑張っておられる
後継ぎがいる場合は問題ないですが、高齢者(ご夫婦)のみで耕作されている場合、「もう自分では無理だ。人にお願いしよう」という事態になったとき、条件が悪い田んぼ(大型機械を入れる作業道がない、面積が小さくて大型機械での作業に適さない等々)だと、引き受け手がいません。受託者の問題というのではありません。受託する人の経営を考えれば、効率の悪い田を受ければ採算割れということになりますから。
委託先がなく、かなり体に無理を言わせて頑張っておられる高齢者が数多く見られます。
息子さんらが遠くから駆け付けて手伝われるケースもありますが、お勤めがあるので日程がなかなかうまく合わないということもあるようです。
継続の意思がある高齢者の春作業をお手伝い・支援する仕組みが欲しいなと思います。ひとつの案として、復興支援員の人たちの出番ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。また、恒常的な支援の枠組みも考える必要があると思います。
村の農地政策が必要――復旧の成果を復興へ引き継ぎ、発展させるもの
震災で壊れた田んぼを巨額の国費等を投じて復旧しました。その復旧工事の内容は阪神・淡路大震災や中越大震災での田んぼの復旧工事に比して画期的なものでした。その結果、中越では見られた完全修復に3年も4年もかかるというケースはほとんど生じませんでした。そして、いま、白馬村や小谷村での昨年11月の地震での農地被害の状況の調査、復旧方針の確立のうえで栄村の事例が大いに役立とうとしています。
しかし、栄村では、復旧した田んぼをどう活用していくのか、肝心の農地政策は形成されていません。そのため、せっかく復旧した田んぼからも耕作放棄地が出始めています。
私は栄村の田んぼ(農地)について、こう考えます。村の田んぼは、村の人口が多く、しかも人びとの主栄養源がお米だった時代に最大限に広げられたものです。人が減り、食生活も変化し、さらに米価が下落している今、かつての田んぼすべてを維持することは困難になっていると思います。実際、水内開拓で面積が大きく増加した時代と比較すれば、随分と多くの田んぼが荒らされています。そして、放っておけば、それがますます増えます。
あえて言えば、田んぼによっては「自然に戻す」という選択肢もあっていいと思うのです。しかし、その選択が個々人の都合・判断だけにゆだねられると、由々しい問題が生じかねません。
「自然に戻す」と言っても、いきなり元の自然に戻るわけではありません。ただ耕作放棄されただけであれば、単なる荒れ地であり、自然災害の原因ともなりかねません。また、集落や村の景観を著しく劣化させるという問題も生じかねません。
逆に、「ここの田んぼは絶対に守るべきだ」という場合は、担い手の問題、米販路の問題の解決策を探り出していかなければなりません。
こういうことを考え、実行に移していくことが復興なのだと思います。復興とは、震災直後の農地復旧と切り離されたところで、ハコモノばかりをつくることではありません。あまりおカネは要しないが、知恵を絞り、議論することで復興の道が拓かれていくのです。
春作業が近づくいま、こういうことをみんなで考えてみたいものです。
(2枚の写真はいずれも昨年10月7日、坪野集落の上の山で撮影。担い手の減少、高齢化が深刻な問題になっています)
配達で出会う人たちに、「今年は田んぼ、どうされますか」とお尋ねするようにしています。
「今年もやるよ。」
「少し面積を減らすよ。足の調子が悪くて。」
「もう無理だ。幸い、人に頼むことができました。」
お答えは様々です。
条件の悪い田が高齢者の手元に残り、次第に耕作困難に
北野天満温泉の吊り橋の手前の田んぼ
大型機械が入らない。83歳の人が頑張っておられる
後継ぎがいる場合は問題ないですが、高齢者(ご夫婦)のみで耕作されている場合、「もう自分では無理だ。人にお願いしよう」という事態になったとき、条件が悪い田んぼ(大型機械を入れる作業道がない、面積が小さくて大型機械での作業に適さない等々)だと、引き受け手がいません。受託者の問題というのではありません。受託する人の経営を考えれば、効率の悪い田を受ければ採算割れということになりますから。
委託先がなく、かなり体に無理を言わせて頑張っておられる高齢者が数多く見られます。
息子さんらが遠くから駆け付けて手伝われるケースもありますが、お勤めがあるので日程がなかなかうまく合わないということもあるようです。
継続の意思がある高齢者の春作業をお手伝い・支援する仕組みが欲しいなと思います。ひとつの案として、復興支援員の人たちの出番ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。また、恒常的な支援の枠組みも考える必要があると思います。
村の農地政策が必要――復旧の成果を復興へ引き継ぎ、発展させるもの
震災で壊れた田んぼを巨額の国費等を投じて復旧しました。その復旧工事の内容は阪神・淡路大震災や中越大震災での田んぼの復旧工事に比して画期的なものでした。その結果、中越では見られた完全修復に3年も4年もかかるというケースはほとんど生じませんでした。そして、いま、白馬村や小谷村での昨年11月の地震での農地被害の状況の調査、復旧方針の確立のうえで栄村の事例が大いに役立とうとしています。
しかし、栄村では、復旧した田んぼをどう活用していくのか、肝心の農地政策は形成されていません。そのため、せっかく復旧した田んぼからも耕作放棄地が出始めています。
私は栄村の田んぼ(農地)について、こう考えます。村の田んぼは、村の人口が多く、しかも人びとの主栄養源がお米だった時代に最大限に広げられたものです。人が減り、食生活も変化し、さらに米価が下落している今、かつての田んぼすべてを維持することは困難になっていると思います。実際、水内開拓で面積が大きく増加した時代と比較すれば、随分と多くの田んぼが荒らされています。そして、放っておけば、それがますます増えます。
あえて言えば、田んぼによっては「自然に戻す」という選択肢もあっていいと思うのです。しかし、その選択が個々人の都合・判断だけにゆだねられると、由々しい問題が生じかねません。
「自然に戻す」と言っても、いきなり元の自然に戻るわけではありません。ただ耕作放棄されただけであれば、単なる荒れ地であり、自然災害の原因ともなりかねません。また、集落や村の景観を著しく劣化させるという問題も生じかねません。
逆に、「ここの田んぼは絶対に守るべきだ」という場合は、担い手の問題、米販路の問題の解決策を探り出していかなければなりません。
こういうことを考え、実行に移していくことが復興なのだと思います。復興とは、震災直後の農地復旧と切り離されたところで、ハコモノばかりをつくることではありません。あまりおカネは要しないが、知恵を絞り、議論することで復興の道が拓かれていくのです。
春作業が近づくいま、こういうことをみんなで考えてみたいものです。
(2枚の写真はいずれも昨年10月7日、坪野集落の上の山で撮影。担い手の減少、高齢化が深刻な問題になっています)