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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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高齢者の田んぼをどう守るか

 すじ播き作業への準備も考えなければならない時期を迎えて、私がいま関心を抱いていることの1つは高齢の人たちが守り続けている田んぼが今年はどうなるのかということです。
 配達で出会う人たちに、「今年は田んぼ、どうされますか」とお尋ねするようにしています。
   「今年もやるよ。」
   「少し面積を減らすよ。足の調子が悪くて。」
   「もう無理だ。幸い、人に頼むことができました。」
 お答えは様々です。

条件の悪い田が高齢者の手元に残り、次第に耕作困難に


北野天満温泉の吊り橋の手前の田んぼ
大型機械が入らない。83歳の人が頑張っておられる

 後継ぎがいる場合は問題ないですが、高齢者(ご夫婦)のみで耕作されている場合、「もう自分では無理だ。人にお願いしよう」という事態になったとき、条件が悪い田んぼ(大型機械を入れる作業道がない、面積が小さくて大型機械での作業に適さない等々)だと、引き受け手がいません。受託者の問題というのではありません。受託する人の経営を考えれば、効率の悪い田を受ければ採算割れということになりますから。
 委託先がなく、かなり体に無理を言わせて頑張っておられる高齢者が数多く見られます。
 息子さんらが遠くから駆け付けて手伝われるケースもありますが、お勤めがあるので日程がなかなかうまく合わないということもあるようです。
 継続の意思がある高齢者の春作業をお手伝い・支援する仕組みが欲しいなと思います。ひとつの案として、復興支援員の人たちの出番ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。また、恒常的な支援の枠組みも考える必要があると思います。

村の農地政策が必要――復旧の成果を復興へ引き継ぎ、発展させるもの
 震災で壊れた田んぼを巨額の国費等を投じて復旧しました。その復旧工事の内容は阪神・淡路大震災や中越大震災での田んぼの復旧工事に比して画期的なものでした。その結果、中越では見られた完全修復に3年も4年もかかるというケースはほとんど生じませんでした。そして、いま、白馬村や小谷村での昨年11月の地震での農地被害の状況の調査、復旧方針の確立のうえで栄村の事例が大いに役立とうとしています。
 しかし、栄村では、復旧した田んぼをどう活用していくのか、肝心の農地政策は形成されていません。そのため、せっかく復旧した田んぼからも耕作放棄地が出始めています。

 私は栄村の田んぼ(農地)について、こう考えます。村の田んぼは、村の人口が多く、しかも人びとの主栄養源がお米だった時代に最大限に広げられたものです。人が減り、食生活も変化し、さらに米価が下落している今、かつての田んぼすべてを維持することは困難になっていると思います。実際、水内開拓で面積が大きく増加した時代と比較すれば、随分と多くの田んぼが荒らされています。そして、放っておけば、それがますます増えます。
 あえて言えば、田んぼによっては「自然に戻す」という選択肢もあっていいと思うのです。しかし、その選択が個々人の都合・判断だけにゆだねられると、由々しい問題が生じかねません。
 「自然に戻す」と言っても、いきなり元の自然に戻るわけではありません。ただ耕作放棄されただけであれば、単なる荒れ地であり、自然災害の原因ともなりかねません。また、集落や村の景観を著しく劣化させるという問題も生じかねません。
 逆に、「ここの田んぼは絶対に守るべきだ」という場合は、担い手の問題、米販路の問題の解決策を探り出していかなければなりません。





 こういうことを考え、実行に移していくことが復興なのだと思います。復興とは、震災直後の農地復旧と切り離されたところで、ハコモノばかりをつくることではありません。あまりおカネは要しないが、知恵を絞り、議論することで復興の道が拓かれていくのです。
 春作業が近づくいま、こういうことをみんなで考えてみたいものです。
(2枚の写真はいずれも昨年10月7日、坪野集落の上の山で撮影。担い手の減少、高齢化が深刻な問題になっています)

青倉(西山田・四ッ廻り)の農地整備について

 栄村を「住みよい、安全な村」に再生=復興する決定的な指標の1つは、未整備農地が膨大にある青倉、とりわけ西山田団地と四つ廻り団地の農地整備を実現することだと思います。
 なぜなら、この2つの団地は、農道や作業道がいつ農作業事故が起こってもおかしくない危険な状態にあり、また、未整備の小さな田んぼがほとんどで、高齢化による耕作放棄地発生の可能性が他のどこにも増して高いからです。もうすでに何回か紹介していますが、狭くて、曲がりくねった危険な農道の状況を改めてご覧ください。
 
 
西山田団地内の農道のカーブ      しかも、その農道は狭く、傾いている

 この状況を放置していて農作業事故が起これば、それは人災以外のなにものでもありません。そして、いったん事故が1件でも起これば、耕作放棄等が一気に進むことになってしまうでしょう。震災復興のいまが、青倉の農地が潰れずに、持続していく最後のチャンスだといってもけっして過言ではないと思います。
 また、西山田の棚田の景観の美しさは私がよく紹介するものですが、景観の美しさは農作業の持続があってこそ成り立つものです。景観の美しさを最大限保全することと一体化させつつ、作業しやすい農地、限られた担い手の手でも維持できる農地に改善していくことが必要です。


* 役場の復興プロジェクトチーム
 10月の「震災復興計画」決定をうけて、役場内には「栄村震災復興計画推進プロジェクトチーム」が設けられました。係長級を中心とする会議体です。復興計画を具体化し、推進していく頭脳中枢部に当たるものだといっていいと思います。
 実際、青倉区に農地整備を強力に働きかけているのも、このプロジェクトチームの農政部門の役場職員たちです。
 プロジェクトチームの一層の奮闘を期待したいと思いますが、ここで、一つ、大事なことがあります。
 プロジェクトチームで検討していることをどんどん村民に公表し、村民総ぐるみの復興への取り組みになるようにすることが大切だということです。その点で気になるのは、津南新聞の元旦号に寄せられた島田村長の「新春寄稿」の次の一節です。
「新年度からの4年間の復興事業について庁舎内にプロジェクトチームを作って研究しています。これらを精査して新年度予算で事業化する計画です。」
 これだと、結局、役場の中だけで事業計画が検討・決定されるということになります。村民はただ予算が出てくるのを待つだけの受け身の存在に追いやられてしまいます。そういうやり方では真の復興はできません。いま、農地や農業をめぐって、担当部署の職員が村民に声をかけ、一緒に会合をもって議論する、あるいは、1月14日には直売所についての講演・勉強会を開催する、こういう動きがありますが、こうしたことをどんどん強めていくことがいちばん大事だと思うのです。
 役場の方では、村民が意見を言える場をどんどん作っていく、そういう構えでさらなる改善と前進を実現してほしいと思います。
 
* 集落での動き
 青倉集落では、役場プロジェクトチームからの働きかけもうけて、12月22日に農地整備に関する会合が開かれるなど、話し合いが始まっています。
 青倉のような大きな集落ですと、西山田や四ッ廻りの状況はそこに耕作地を持っている人以外はあまりよく知らないということがあります。また、西山田、四ッ廻りに耕作地を持っている人でも、自分の田んぼのことはよく知っているものの、自分の耕作地から少し離れた農地のことになると、あまりよくわからないということもあります。
 今後の話し合いを進め、西山田、四ッ廻りの農地整備を復興交付金事業として実施できるようにするには、現状についての認識を徹底的に具体化することが大事だと思われます。
 たとえば、今後、高齢化による耕作困難などの事態が生じたとき、いまの小さな田んぼが何枚もあるという状況では、後継の担い手を確保することが非常に困難化しまし。いま、西山田と四ッ廻りで最も多く耕作している人の場合、田んぼの枚数はじつに53枚にものぼるそうです。そういう人の場合、どんなに意欲があっても、いま以上に枚数を増やすことは物理的に困難だと思われます。ところが、圃場整備が実施されて、農作業が安全かつ効率的に行うようになれば、そういう担い手が一層強力な担い手として活躍し、耕作放棄地を生じさせないですむでしょう。
 その点で参考になるのが小滝集落の事例です。震災による離村等の事情で、2012年の春、約2町歩の田んぼの空きが生じましたが、圃場整備が行なわれていて作業しやすい環境だったことから、まったく初めて稲作をやることになった若者も含めて何人かで分担し、約2町歩すべてを耕作することができました。
 小滝の田んぼと西山田や四ッ廻りの田んぼの条件の違いは、信州大学の木村先生の研究室が作成された農地図を見れば一目瞭然です。下の図の右が四つ廻り、左が小滝です。小滝の圃場整備されている田んぼと四つ廻りの田んぼを比較すると、その大きさの違いが一目瞭然です。また、小滝の圃場整備地区を見ると、幅の広いが農道がしっかりと確保されているのに対して、四つ廻りの農道の狭さなど作業環境の悪さも見てとることができます。


* 調査と図面化を
 こうした中で、今後、青倉集落での話し合いをさらに進め、確実に農地整備の実現にむかっていくために、現状の調査とその結果を図面に落としていく作業が非常に大事だと思われます。
 西山田と四ッ廻りのすべての田んぼについて、地図に耕作者の名前を書きこむ、担い手の年齢との関係で5年後も耕作可能な田んぼはたとえば青色、10年後も耕作可能なところは緑色で塗りつぶし、逆に5年後には耕作継続困難で後継者がいない田んぼは赤色、10年後には耕作困難と思われるところには黄色で塗りつぶす。そうすると、5年先、10年先の課題がいま、目に見える形であきらかになり、震災復興で農地整備を進めることの緊要性が明確になり、また、担い手の人数との関係等から、どういう形に整備するのがベストなのかということも浮かび上がってくると思います。
 信大農学部の木村先生や内川先生も全力支援の構えですから、そのお力をお借りして、こうした調査と作業を進めていくことだと思います。
 そして、木村研究室には、圃場整備の方法としての等高線区画の圃場整備の実例写真等がたくさんありますから、そういうものも提供していただいて、具体的なイメージをつかんでいくといいと思います。



 この青倉の農地整備が実現されるならば、栄村の復興のシンボルとなり、また、中山間地域の再生モデルともなります。いち早い公民館再建で栄村の復旧(復興)にはずみをつけた青倉集落のさらにもう一段の前進が強く期待されます。

農道の復旧状況

 農地、道路、住宅の復旧が進み、ほぼ完了に近い状態が近づく中で、ある意味ではあまり目立たない分野で復旧工事がきちんと進められているのか、大変気になる問題があります。農道の修復・復旧です。
 
* 坪野
 いちばん気になっているのは坪野の集落の山の上にある田畑に通じる農道です。路肩が崩れている、道に段差ができている等々、その被害は凄まじいものです。
 軽トラがやっと通れるほどの狭い農道ですが、私自身、いまの村内で運転がいちばん怖いところです。
 村内の人でも「坪野には行ったことがない」という方が多いので、地図を示しながら、■日現在の状況等を写真報告します。



黒い長方形で示されているのが坪野集落の家々で、地図上にで囲んだ部分に黒の実線でかかれているのが農道です。地図に☆印を付けた3ヶ所では段差の解消→新たな舗装、路肩の補修が完了ないし作業中でした。

 
黄色の☆印の個所での路肩修復工事   赤色の☆印箇所で段差を解消したところ

緑の△で示したところは路肩が複数箇所にわたって崩れていますが、まだ復旧工法の検討中のようで工事は進んでいません。
 
 
路肩崩壊箇所のうちの1つ         左の路肩から下を覗く

 最も被害が大きく、かつ非常に危険な箇所で復旧工事が進んでいることにひと安心しましたが、しかし、農道全体が簡易舗装のコンクリが割れてガタガタになっているなど、3つの個所の復旧工事だけでは、とても安全な環境の確保とはいえません。農地に向かう農道の安全環境をいかに確保していくか、“復興”の大きな課題の1つになっていると思います。
 
* 青倉・四ツ廻り
 青倉の四つ廻りに入っていく農道が地震で全面崩壊したことは昨年の4月以来報告してきました。通称「馬の背」と言われるこの箇所の路肩・斜面の復旧工事は行われたものの、道路は未舗装のままでした。この部分について、11月中旬にようやくコンクリ舗装が行われました。写真を2枚、ご覧ください。

 
(左)コンクリ舗装された「馬の背」の部分
(右)舗装は「馬の背」部分だけで、この先はほとんど修復されないままになっている


 四ッ廻りの農道は非常に狭く、そのために危険であることは地元関係者の間では周知のことです。昨秋以来の農地復旧工事に際しては、大型の重機を搬入することができず、工事関係者が大変苦労されました。
 「四つ廻り農道の復旧工事は「馬の背」の部分だけで終わりなのか」、青倉の区長さんにお尋ねしたところ、「今回は他には工事用重機で傷んだ部分の手直しのみで、あの狭い農道を改善することは復興交付金事業の「農山漁村地域復興基盤総合整備事業」に組込むことができないか、検討作業が行なわれているところです」とのことでした。
 青倉には、この四つ廻りの他にも、西山田の農道の危険個所も、昨年5月に地元が応急修理をした箇所が国の復旧事業の対象にはならず、危険なまま放置されているという現状もあります。たとえば、次の写真の個所などです。

 
白く見える部分が生コン現物支給で地元が応急修理したところ。右の写真のように道幅は狭く、路面が傾いていたりしていて、非常に危険

 区長さんのお話に出てくる「農山漁村地域復興基盤総合整備事業」は、国の採択基準と地元が本当に必要としているものとが食い違うなど、実現は容易ではありません。青倉では、12月にも農地・農道・水路の関係者の会合などをもって検討をさらに進めていかれるようです。
 その際、たとえば「圃場整備をするとなると、自己負担金はいくらになるのか」というところから議論を出発させるのではなく、「復興に必要なことは何か」をストレートに検討することから議論を始めることが重要だと思われます。そうしてまさに「復興」=「山村再生」としての内容を編み出すことができれば、復興交付金等で従来の圃場整備のような大きな自己負担金を出さない形で、事業を進める道を拓くことも可能になると考えられるからです。
 〈復興〉段階に入り、みなさんの英知を結集する議論が大事になってきているのだといえます。

菅沢農場での収穫風景


12日撮影

 むらの人であれば、上の写真を見て何の畑か、すぐわかる人が多いと思いますが、都市にお住まいの方は、これが何の畑か、おわかりになるでしょうか。正解は次頁の写真でご覧ください。
 かなりの面積ですので、多人数での作業です。大久保、野田沢、天地などの人たちが共同で作業されていました。


 上の写真は、この畑の作物の収穫のために機械で蔓(つる)を切っているところです。さらにこの後、右写真の奥に見える水色の機械で畝の両側を掘り起こして収穫作業をやりやすくします。
 そして、何人ものかあちゃんやとうちゃんが収穫作業をやった結果が下の写真です。

 
 そう、サツマイモですね。とてもデカいのもありましたよ。

 収穫作業のみなさんは、この後、「お3時」にこのサツマイモをふかして食べられるとのことで、菅沢の作業所で2人のかあちゃんが準備をされていました。私も「食べていきな」とお誘いを受けたのですが、残念ながら診療所に行く時間が迫っていたので、後ろ髪をひかれながら帰ってきました。
 また、日々の農作業の邪魔になってはいけませんが、「サツマイモ掘り」も「むらたび」の企画商品にできるな、とも思いました。

野々海池の現在の様子


 「トマトの国」の温泉に入りにいった16日夕、知り合いの人に「野々海の水はさらに減っているぞ」と教えられたので、17日午前、様子を見に行ってきました。
 
 本レポートの前々回(9月4日付、No.171)で野々海池の様子をお知らせした時の写真(下に再録)と比べてみてください。水がいちだんと減った様子がはっきりとわかると思います。
 
 
9月4日の様子

 田植えが遅かった地区では現在もまだ田んぼに水を入れる必要があり、野々海池での取水−水路への送水が行われています。取水は、取水口が金網で被(おお)われた部分にはもはや水がなく、それよりも下のところで行われています。(下写真)

取水の様子(17日)

 野々海池に詳しい人の話では、「もう1つ〜2つ、取水口があるので、田んぼに必要な水はなんとか送ることができる」とのことです。また、その人によると、「例年は下では降っていなくても、野々海に上がると雨が降っていることが多いのに、今年は下で降っている時でも野々海に行くとさっぱり降っていないということがよくあった」とのことです。
 とにかく今夏は雨が少なく、みなさん、たいへんご苦労なさったことと思います。「異常気象」としか言いようがありませんが、自然と付き合いながら暮らすことは本当に難しいことですね。
 

栄村復興への歩みNo.166(通算第200号)8月13日

いま、新たに出る田んぼの被害にご注意を

 ここ1週間、田んぼで畦が崩れる、水がぬけてしまうといった被害が新たに出たという話を3件、聞きました。
 「今頃になって、どうして?」と思いますが、これが地震被害の恐ろしさのようです。地震から1年以上も経ってから初めて被害が出てくるケース、復旧工事で直ったはずが直っていないというケース。さまざまなケースがありますが、阪神・淡路や中越では、田んぼが完全に落ち着くのに3〜4年かかったといいます。
 大丈夫だった田んぼ、直した田んぼである日突然、新たに被害が出てきますので、日々、田んぼの様子に目を配ることが必要です。


* 水がぬけるケース

 水がぬけたのは青倉の城ヶ館の田んぼ。写真で軽トラが停まっているところの右手の田んぼです。
 9日、十分に水を入れたのに、しばらくしてから見ると、水がなくなっていることに耕作者が気づきました。
 もう一度水を入れてみると、水のかけ口付近で水が渦をまきながら、どんどん地中へぬけていく様子が見られたそうです。

 上写真は、9日午後、耕作者から連絡をもらって撮影に行った際、水を入れてみて、水がぬけていく様子を撮影したものです。大きな地割れ(穴)を確認することができます。


 この田んぼは昨秋、復旧工事が行われたもの。耕作者は水がぬける事態をうけて、役場、工事業者に連絡を入れ、現場を見てもらい、その後、亀裂が入っている畦際に水が入らないよう、10日に稲を2列ほど刈って、手作業で中畦をつくりました(上写真)

 しかし、水を入れると、今度は左写真の上の方の畦際から水がぬけていくことが判明しました。その畦際をよく見ると、中干しによるひび割れとはいえない亀裂があり、畦際の田面(でんめん)が下がっています(下の写真)

 11日朝に現場を訪れた復旧工事担当者のお話によると、この田んぼは「反対側の畦のつきなおしをしただけで、田面はかまっていない」とのこと。一方、耕作者は「この畦際にクラックが入っていたので復旧工事をお願いしたのに」と話しておられます。
 工事設計書などをよく調べないとよくわかりませんが、査定段階で復旧工事の内容が耕作者の希望通りにはならなかった可能性があります。調べてみたいと思います。
 

* 復旧工事した畦が壊れた

 上記の田んぼの件で11日朝に来られた工事担当者から、復旧工事が行われた西山田の田んぼの畦に亀裂が入り、壊れたとお聞きし、見てきました。
 工事担当者が見回りをして、発見されたそうです。損壊箇所のクローズアップ写真をご覧ください。 

畦のクラック   

               
法面の崩れ



田面の畦際にもクラック


* いま、注意すべきこと
 こうした新たな被害の顕在化(けんざいか)をうけて、いま、注意すべきことを挙(あ)げておきたいと思います。
 1つは、地震から2〜3年以内は、田んぼに不具合が出てくる可能性があるので、日々、田んぼの様子をよく確認することです。
 「昨年も、今年も大丈夫だった」、「復旧工事で直してもらい、ここまで不具合はなかった」ということで安心してしまわないことです。田んぼに水を入れることで、「目に見えない被害」が次第に拡大し、1〜2年経ったところで、はじめて「目に見える被害」になることがあるのです。
 2つは、春の畦塗りなどを丁寧に行うことです。
 3つは、復旧工事の対象となった田んぼでは、今からでも遅くありませんから、どういう工事が行われたのか(行われなかったのか)、役場に尋ねるなどして、きちんと確認しておくことです。復旧工事の設計図や復旧工事の記録写真が役場に保管されているはずです。
 

赤く実る加工用トマト


 6日午後、妹(いもと)木(ぎ)地区で加工用トマトが赤く実ってきている様子を撮影しました。これまで何回か紹介した菅沢の畑のものではありませんが、ほぼ同じような感じで実ってきているものと考えてご覧ください。


上写真は畑全体を写したもので、上方に見える建物は樋口和久さんの牛舎です。
 栽培農家の宮川頼之さんは8月初め、ズッキーニの収穫でお忙しいようですが、そろそろトマトの収穫作業を始められるようです。

「栄村のお米をいい値で売るために、どうするか」への 読者からのご意見から


 前号の標記の記事で「みなさんのご意見をお願いします」と書きましたところ、お二人から貴重なお話をメールでいただきました。ご紹介させていただきます。
 
森集落出身の方から

産直米のご提案レポートを拝読しました。
ここ10年ほどの実家(母と叔母)の取り組みと、少々の感想などをお伝えさせていただきます。実家の田は森の山の上にあります。
開田の記念碑もたっているほど、当時の開墾は困難を極めましたが、そのぶん風通しと水の良さがあり、手前味噌ですが本当においしいお米がとれます。
母 は、自分のところで採れたおいしい農作物をたくさんの人に食べてほしいという、いかにも栄村の農家の人らしい気持ちをもっているせいもあり、私にお米や野 菜を送ってくれる時に「誰それにも食べてもらえ」といって、ご近所や仕事の関係先などの分を一緒に送ってきてくれます。

 お米もその一つ でした。あるとき、差し上げたある著名な画家の方が、とても気に入ってくださり、それ以来10年以上、毎年1年分のお米のお買い上げを注文してくださって います。「復興の歩み」レポートにもありましたように、1年分前払い、毎月決まった日と決めて実家から宅急便で発送しています。
その画家さんのほかにも、私の友人や仕事関係の方からも注文があり、それ以来、多少の収入になっているだけでなく、美味しいと言ってくださる方々の声が、励みにもなっているようです。
母の性格というか、田舎の人らしい温かさといいますか、送るときには必ずちょっとした野菜等を一緒に送っています。時には庭に咲く花だったり、山菜の場合は料理の仕方だったり。それも毎回となれば大変た時もあると思われますが、まさに「交流」になっています。
たぶん、そんなふうに送っている農家は、栄村のほかの地区にもあるんでしょうね。

 どういうところで採れているのかも消費者にとっては気になることでしょう。産地である実家の田んぼの写真を見てくださった人はすっかり栄村のファンになり、震災の時にもとても気にかけてくださいました。
さめてもおいしいから、お弁当には栄村のお米じゃないとダメ、と言われたこともあります。ふだん、うちのお米しか食べていない私にとっては、「へえ、そうなんだー!」と、とても新鮮な感想として心にのこりました。
そのようなことから、お米の産地と生産者の紹介はもちろんですが消費者の「おいしい一言」「おすすめのわけ」などものせるチラシ(同封するお手紙)があればいいなあ、と思います。

 また、送るときのパッケージも意外と大事だと思います。
実は、震災のお見舞いをいただいた会社の人たちにと母がお礼にお米を用意したとき、適当な袋を農協他あちこちで探したようです。でもなかなかちょうどいいものがなく、津南のほうで手に入れたと話していました。
そ の後、青山のフリーマーケットのお手伝いのとき、渡邉加奈子さんに青倉米のパッケージのことをお尋ねしたところ、ネットで購入なさって自前のシールを貼っ ているいると聞いて、納得しました。それぞれの集落での「ブランド米」にしていきながら、ビジュアル的に「栄村」の統一感を出す(米に限らず)ことができ れば、さらに大きな力になるのかもしれないと思います。
パッケージデザインやパンフレットといった紙媒体のことでしたら、こちらでも多少はお手伝いできることもあるかもしれませんので、必要がありましたら、その折にはお声掛けください。



中越・田麦山の方から

 今回のコメ問題について意見を、ということでしたので、以下簡単に私見を書かせていただきます。
ブランド化を目指すための3つのポイント、復興の記録、歴史の紹介、環境の素晴らしさを伝えるということ、まったく同感です。その上で付け加えるならば、安全性のアピールということだと思います。
 昨年の原発事故以来、首都圏では食物の安全性について敏感な消費者が増えています(関西以西はそれほどではありませんが)。とくに、若い子育て世代の人と話すと、放射性物質についてはもちろんのこと、農薬使用についても厳密な要求がよく聞かれます。
 除草剤以外でも、カメムシ防除のためのクロチア二ジンは、自然界のキーストーン種であるミツバチへの深刻な影響が疑われています。これはコメの黒斑さえ消費者が気にしなければ使用しなくてよい化学物質です。

 完全無農薬を集落全体で達成できれば、大きなアドバンテージとなりますが、当然困難も付きまといます。田麦山の私たちの田んぼでは、十年 来有機無農薬でやっていますが、これを地域の人に求めるのは、除草などの作業量からいってとても無理ですし、だいたい相手にしてもらえません。
 しかし、小滝のような先鋭的な集落では、できない話ではないと思います。
そ して、これはコストアップになるので考え方ひとつですが、私は2年前から紙マルチを使って草を抑える農法を試しています。結果は上出来で、今年は地域の人 たちが見学に来るようになりました。完全無農薬という付加価値が付くのですから、販売価格にも当然上乗せできるはずです。
 さらに、コメの加工という方向があります。飯山の「笹ずし」のようなもの、あるいは特産のキノコなどを使った商品が考えられますし、特区の申請をしてどぶろく作りをするということもできるでしょう。

 いずれも実際の体験に基づいた貴重なご意見です。
 こういう体験談の交換、意見交換ができていけば、栄村のおコメをいい値で売れるようにする工夫がどんどん生み出せるのではないかと思います。
 「私はこんな経験、実績があるよ」という方、どんどん体験談、ご意見をお寄せください。

栄村のお米をいい値で売るために、どうするか

 「いまのコメ価格(JA出荷価格)では、とてもやっていけない。玄米1俵で2万円はほしい」という声をよく聞きます。
 他方、「復興計画」(骨子)では、
「集落等を基本単位とする米のブランド化と産直等の販売推進(米収入増による米作りへの生産意欲の向上)
ということが、「基本方針3 農業を軸に資源を活かした新たな産業振興」に書き込まれています。
 じつに切実な問題です。


* 栄村にも「いい値での販売」の実績はたくさんある

 お米を作っている農家1軒、1軒にお尋ねしていくと、精米価格で1kg500円以上(1俵では3万円以上になる)で売っているという事例はかなりあるようです。
 ただし、個々人が自分の知り合い等を対象に売られているケースが多く、数量は限られています。
 これを、どう考えるか(評価するか)が一つ、重要なポイントとなると思います。
 つまり、これを、「そんな小さな規模では話にならない。栄村の米全体をブランド化し、ドーンと売れるようにしなければ…」と考えるのか、それとも、個々の農家の小さな努力の積み重ねの上に「栄村の米のブランド化、いい値での販売の拡大」を展望していくのか、です。
 

* 各農家の小さな努力の積み重ねを、集落での取り組みに発展させていく

 私は、「栄村の米全体のブランド化」には異論ありませんが、「ドーンと売る」という考えには疑問を感じます。
 やはり、1軒、1軒の農家がやって来られている販売努力を大事にし、そこから教訓を学び、それを、集落を単位とする産直販売などに高めていくことが成功の道ではないかと思うのです。


* 交流から産直へ

 青倉集落を見ると、もう20数年前に遡(さかのぼ)る道祖神祭りでの交流で親しくなった都会の人たちにお米を産直販売し続けているケースが3軒ほどの農家で見られます。そのうちの1軒の場合、年間40俵くらいのようです。毎月20名ほどの方に送られています。
 この「交流から産直へ」というのが重要だと思いますね。
 ポイントは、「市場が価格を決める」のではなく、「人と人の付き合いが価格を決める」からです。後者の場合、コメをつくる人の努力、コメが作られる環境、その環境を保全する努力などがすべておコメの購入者に理解されるので、いわば「まともな価格」がつくのです。
 いま、震災復旧・復興の支援で栄村の一人一人と都会の人たちの交流が広がっています。ですから、お米の産直を広げるチャンスなのですね。
 もちろん、震災復興支援で栄村の農家と交流する人が増えれば自動的にお米の産直が増えるというわけではありません。さまざまな努力が必要です。
 

* 我が家で、交流会で、美味しいおコメを食べてもらおう

 まず、都会の人たちが村を訪れられた時、自分の家のおコメを食べてもらうことが大事です。ほぼ間違いなく、「このおコメ、美味しい!」という反応がかえってくるはずです。


* 販売のための作業を自らの仕事に

 都会の人が1ヶ月に食べるおコメの量は限られています。夫婦2人の世帯であれば、自宅で食べられるお米の量は1ヶ月5kg程度、年間で1俵(60kg)というのが現在では平均的です。          
 しかも、都会の家ではお米を長期にわたって低温で保管しておくことは困難です   、
ので、村で低温保存している玄米を、毎月、 5kgずつ精米して送ってあげることが必要になります。


畦ごはん(稲刈り交流会の後、畦でご飯を炊き食べるとき、「栄村のお米ファン」誕生間違いなし!)

 これは相手が1軒だけであればさほど大変な作業ではないかもしれませんが、5軒、10軒となってくれば、けっして楽な作業ではありません。
 でも、これが大事なのです。
 毎月、毎月、購入者に何らかのお便り(自筆の手紙、あるいは印刷したお便り)を届けることもしなければならないでしょうから、お相手1軒あたり少なくとも毎月1〜2時間くらいの作業が必要でしょう。年間では計12〜24時間の作業となり、これを時給計算すると時給800円として9,600〜19,200円にもなります。1俵3万円で売れたとしても、9,600〜19,200円の販売経費がかかるわけですが、それは自分自身に対して支払われるわけですから、精米販売での収入1俵3万円が減るわけではありません。
 逆にいうと、この販売のための仕事をJAなどに任せると、経費をどんどん引かれてしまい、農家の手取りが減るわけです。


* グループから集落での取り組みへ
 私自身、いまからもう5年前になりますが、青倉受託作業班の話が中日新聞と東京新聞に掲載されたことからお米の注文がどんどん来て、その発送作業を担当したことがありますが、産直の対象が10軒、15軒と増えてくると、精米・袋詰め・発送の作業は大変になってきます。注文が日々、パラパラと入って来るのに対応して作業していると、毎日、米発送の作業を細々とやらなければならないので、大変になってしまいました。
 そこで改善したことは、まず、毎月の発送日を決めました。毎月25日です。
 つぎに、お米の精米・袋詰め・発送の作業を“仕事”として有給化し、作業をする人を雇いました。約60軒くらいの購入者がおられますが、1ヶ月当たり3〜4日の作業量になります。時給800円として、19,200〜25,600円の経費になりますが、60軒(平均5kg)×2,500円とすると、販売代金は15万円ですので、経費を除いても1俵あたり25,000円前後になります。もちろん、低温保存の経費等も差し引かなければなりませんが、とにかく1俵あたり3万円のおカネが自分のところに入り、そこから自分に支払う作業賃や自分の家での諸経費を出すのですから、十分にやっていけるはずです。
 こういう取り組みを、個人からグループへ、そして集落単位に広げ、精米や発送の作業を共同作業としてやっていくようにすれば、規模も大きくしておくことができます。


* いちばん大事なことは生産だけでなく、販売を農家の仕事とすること

 ここまでに書いてきたことは、あくまでも骨組み(粗筋(あらすじ))のような話ですので、実際に産直をやる場合のことを細かに考えていけば、もっともっと厄介な話も出てきて、一筋縄ではいかないと思いますが、そこで諦(あきら)めたり、挫(くじ)けたりしないでほしいのです。
 いちばん大事なことは、農家の仕事をおコメの生産だけに限っていると、儲けを流通を担う業者に持っていかれる、逆に、農家が生産のみならず、販売も手掛けることによって、正当な価格、収入を実現することができるということです。これが「農業の6次産業化」と呼ばれていることの最も基本的かつ大事な意味なのです。


* それぞれのおコメの物語をつくろう(=ブランド化)

 先にも書いたように、支援や交流で村(みなさんの家・集落)を訪れた人におコメを食べていただき、その美味しさを実際に味わってもらうことがいちばん重要ですが、それだけではありません。
 やはり、「ブランド化」が必要です。
 でも、「ブランド化」って、いったい、どういうことなのでしょうか。
 なにか格好いい名前を付けて、宣伝することなのでしょうか?
 そうではないと思います。
 どんな環境で作られているのか、どんな人が作っているのか――こういうことを大事にし、それを多くの人たちに知らせていくことが本当のブランド化に通じていくのです。
 そうすると、エノキの場合の「大庭(おおば)君家(くんち)のえのき茸」というようなブランドや、おコメの場合の「青倉米」というようなブランドが生まれてくるのです。
 こういうことに取り組んでいくのが、復興(−集落の復興・再生)だと思うのです。

小滝のおコメをご予約ください

 私は特定の集落だけを支援するものではありませんが、昨春からいち早く集落の復興プロジェクトに取り組んでおられる小滝のおコメについて、最近も色々とお話を聞いていますので、小滝のおコメの販売に協力したいと思っています。


* 小滝の田んぼを守るために作付面積を広げた小滝の人たち
 小滝集落は20年前から稲作の共同化に取り組んでおられますが、共同化の対象は育苗と田植え作業に限られています。
 平素の水管理、畦畔管理、収穫、そして出荷は個々の農家の仕事です。
 昨年の震災で集落を離れざるをえなかった人、病気で引退せざるをえなくなった人、亡くなった人などが出て、今年、ようやく復旧した田んぼを誰がやるのかが大きな問題となりました。
 集落で何度も話し合った結果、ほとんどの人が作付面積をかなり広げることになりました。多い人は1町歩以上の拡大です。これを1俵15,000円程度で出荷していたのでは割が合いません。


稲がグングン成長する小滝の復旧田んぼ


* 素晴らしい復興プロジェクトを支援するには小滝米の購入がいちばん有効
 小滝集落は昨年4月、小滝復興プロジェクトチームを発足させ、若者も含めて、集落が一丸となって、復旧・復興に取り組んできました。地震から1年目の今年3月12日、NBS(長野放送、8チャンネル)月曜スペシャルで「ふるさと小滝―栄村震度6強からの1年」というテレビの特集番組も放送されましたので、ご存じの方も多いと思います。


NBSスペシャルのDVDカバー

 なによりも真っ先に取り組まれたのは田んぼの被害の徹底調査。表土だけでなく、耕盤もきちんとクラックを埋めるという画期的な復旧工事が栄村で実現されたのも、この小滝の取り組みがあってのことでした。                
 また、全壊判定を受けた公民館を自分たち自身の手で修復し、3つのお宮もすべて復旧しました。 
 さらに、昨年10月30日の古道歩きツアーの成功も実現されました。
 ある意味で華々しい成果ですが、しかし、これはまだ復興への序曲にすぎません。復旧した田んぼを守るために作付面積を拡大した人たちがきちんと報われるおコメの販売が実現できなければ、小滝の復興は進みません。
 ですから、小滝でこの秋に獲れるおコメをいい値でみなさんに購入していただくことが小滝の復興を最も土台のところで支えることになるのです。


* いま、前金払いのご予約を
 米作りをする農家にとって悩ましい問題は、いくらおコメを作っても、生産過程ではサラリーマンのように賃金が支払われるわけではなく、おコメが売れないことには収入がないということです。
 ですから、「安すぎる」と思っていても、出荷時点でコメ代金の仮払いをしてくれる農協に出荷せざるをえなくなるのです。
 そこで、復興支援には、ただおコメを買っていただくというだけでなく、いまの時点でこの先1年間、月々お届けするおコメの代金を前払いしていただくことが不可欠になるのです。
 仮に年間60kg(国民一人当たりの年間平均消費量、1俵相当)を購入していただくとなると、精米(白米)で3万円程度になるでしょう。3万円の支出は各家計にとって、けっして小さな金額ではないと思いますが、月々に換算すれば2,500円です。そして、お茶碗1杯分では30円なのです。
 復興への支援の思いを込めて、是非、前金払いの予約をお願いする次第です。
 小滝米の販売主体はあくまでも小滝集落の人たちですので、私は仲介をするだけです。メールなどでご連絡をいただければ、小滝の人につなぎますので、是非、ご協力・ご支援をお願いします。


* 小滝の人たちに求められる努力

 私が小滝の復興支援−小滝米の前払い予約を呼びかけるのは、小滝の人たちがお米作りだけでなく、先に書いたような販売努力をされることを前提としています。
 小滝米のいわばブランド化には、少なくとも、つぎのようなことが必要だと私は考えます。
 第1に、田んぼの地震被害からの復旧の歩みを記録化し、全国の人びとにお知らせすることです。小滝の人たちご自身が被害の様子や、被害状況調査、復旧計画づくりのプロセスを写真に撮ったり、図面化した記録を作ったりされています。そういうものを活用して、「小滝米、復旧・復興への歩み」のような記録物語を作ることです。
 第2に、震災よりも前の小滝集落の米作りの歩み(歴史)、先人の努力を歴史物語としてまとめ、発表することです。
 小滝は江戸時代、米を作れる土地・水がほとんどない、貧しい村だったと言われています。そこで、元禄時代(1680年代)に小滝堰が作られ(水の取り入れ口は大久保の山の中)、ようやく一定規模の田んぼができるようになりました。それでも、つい30年ほど前まで、小滝はたえず水不足に悩まされ、「他の集落が豊作の年は小滝は干(かん)ばつ」(夏に晴天の日が多いので他の集落では豊作になるが、小滝は水不足でコメがとれなくなる)と言われたそうです。
 それを打開したのが、林道・滝見線(現在の村道)がつくられるとき、大免沢川などから水を引く水路を道路の下に埋設してもらえるよう村に働きかけ、新しい水路を確保したことでした。
 こういう話(歴史)を小滝米物語として簡潔に整理して、提示することが有効だと思われます。
 第3に、おコメ−田んぼ−水の話だけでなく、小滝の環境の素晴らしさ、小滝の暮らしの営みなど小滝の全体像をお知らせしていくことです。
 先日ご紹介した古道・志久見街道沿いの炭窯跡などの話も盛り込んでいくと素晴らしいと思います。あの炭窯は樋口利行さんのお父さん光行さんが昭和30年代まで炭を焼いておられたところです。利行さんはNo.158(7月16日)で紹介した炭窯跡をさらに整備され、下写真のように炭窯の全貌が見えるようにされました。これは小滝を訪れる人、古道を歩いてみようと思う人を増やす非常に重要な材料になると思います。



 第4に、米の低温保存、精米・出荷発送作業を集落の人たちが共同で取り組む体制をつくっていくこと、さらには、月数回とか週1回でもいいので、小滝を訪れれば、古民家「隣りの家」などで美味しい小滝米とちょっとした田舎料理が食べられるような仕掛けを小滝の女衆が中心になってつくっていくことではないでしょうか。小滝の人たちは何度も中越被災地で復興に取り組み、成果をあげている集落を訪れ、見学されていますので、私がこんなことをわざわざ言わなくても、そういうことをすでにお考えでしょうが…。


志久見街道から見上げる

 おコメの産直ということでも、小滝が1つの復興モデルを実践的にきりひらいていって下さると、栄村の復興の道筋が具体的に見えてくるのではないでしょうか。
 栄村の復興をご支援くださるみなさま、よろしくお願いします。
 また、村内のみなさんでこのような取り組みを考えている個人、集落がおられましたら、是非、私にお教えください。