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栄村復興への歩み
2011年3月に震度6強の地震で被災した長野県栄村で暮らす松尾真のレポートを更新しています。

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震災から7年、《栄村》というブランドの再建を

「3・12 栄村」が浮かび上がった灯明祭

 

 あの大地震から満7年。当然、「あれから満7年、栄村はどう変わった?」、「これからの栄村はどうなるのか?」と考えます。
 私の場合は、今年の「3・12」を迎える日々が、栄村振興公社の経営状況を示す種々の数字とにらめっこする日々と重なりました。気持ちは暗くなり、悶々(もんもん)と考え込む日々もありました。
 いちばん気になったのは、振興公社指定管理4施設の宿泊者数が年々減少していることでした。
 その数字は、しかし、秋の秋山郷を数日に一度の頻度で廻り、観光客の動きを見ている私の実感とは大きく異なっています。事実は〈観光客は来ている。なのに、宿泊客は減っている〉のです。どうしてだろう?

 

3月3日に秋山郷・上野原で出会った人たち

秋山郷を訪れるようになって6年目、冬は3年連続という東京や岐阜の写真愛好家グループ
 

 考えに考え抜いて、ひとまずの答えを導き出しました。答えは2つです。
 第1の答え、そして最重要の答えは、人びとに「栄村へ行ってみよう!」と思わせる《栄村》というブランド力の低下です。
 私が栄村を初めて訪れたのは今か ら13年前の2005(平成17)年です。きっかけは、「合併しない。自立の村」、「田直し・道直し、下駄履きヘルパー」で全国に知られる村であったことです。
 栄村に移り住んで以降、全国各地の自治体の議員らが栄村を視察に訪れる姿を頻繁に目にしました。視察者が宿泊したのは近隣市町村の宿だったかもしれませんが、そういう議員さんの数を数倍、数十倍する〈栄村ファン〉の人たちが栄村を訪れ、宿泊しました。
 以上が、2000年代に入って最初の8〜10年の栄村です。
 2008年5月、高橋彦芳さんが村長を引退されました。すると、次第に視察も減りました。
栄村の最初の危機が迫って来ていたのですが、そこに2011年3月12日、大地震が発生しました。栄村の大試練です。
 でも、意外な結果が出ました。栄村単独で10億円以上の義援金が寄せられたのです。日本赤十字などを通じてではなく、自治体そのものに10億円を超える義援金が寄せられたというのは東北の市町村でも見られなかったことです。
 そして、復旧支援、復興支援にボランティア、視察、さらに「観光」の人たちが次から次へとやって来てくれました。また、復旧・復興に係る交付金がたくさん入り、工事関係者が村中に溢れました。宿泊施設の泊り客等について、「経済」の言葉で言えば、「震災特需」、「復興特需」が発生したのです。それは、全国に名を知られた高橋村政の存在による誘客力の後退をカバーして余りあるものであったとすら言えます。
 しかし、「特需」というものは2〜3年しか続かないものです。2014(平成26)年頃から徐々に厳しさが増してきました。それと重なるのが2013(平成25)年に一般財団法人に衣替えした栄村振興公社の急坂を転げ落ちるような赤字の増大です。2013〜15年はいわゆる「3億円事業」で真の赤字額が隠されていましたが。
 そんな時に現れたのが森川村政であり、振興公社の高橋規夫理事長体制でした。
 振興公社理事長が高橋規夫氏に替わってほぼ2年。理事長就任から半年経つか経たないかの一昨年9月、まず、「トマトジュースの仕入代が支払えない」という問題が浮上、そして昨年1月、5千万円の出捐金の問題が村を揺るがしました。
 それから1年、振興公社の2017(平成29)年度決算は赤字が4,600万円を超え、村から入った指定管理料(1,850万円)、出捐金5千万円を喰い尽くしました。その一方で、理事長らは総額400万円を超える報酬を手にしていると言われています。
 経営に責任をもてない人が「舵取り役」では、《栄村》というブランドが衰退するのも当然と言わねばならないでしょう。
 《栄村》という、本来は輝かしいブランドを村民みんなの力で取り戻し、再建するべき時が来ていると思います。みなさん、いかがですか。

 

 先に「答えは2つ」と書きました。その「2つめの答え」に話を移しましょう。
 栄村の資源を活かす総合企画力、総合プロデュース力が必要だということです。
 秋山郷、〈来る人が減った〉のではありません。人はたくさん来ています。でも、せいぜい長くて2〜3時間で〈通過〉していきます。なぜでしょう?
 〈見どころ〉の案内(交通案内の標識等)がないから、国道405〜秋山林道〜奥志賀公園栄線を素敵な風景を見ながらドライブし、途中、中間点の切明でひと休憩する。これだけだと2〜3時間で充分で、〈通過客〉で終わってしまうのです。
 日本アルプスに匹敵する、いや、距離感の近さから言えば、日本アルプス以上の迫力を有する鳥甲山の絶景。それを真正面から眺められる「のよさの里」、「天池」。この「のよさの里」や「天池」を訪れる人が秋山郷を訪れる人の何割ぐらいか、ご存知でしょうか。

 

国道405を屋敷から上野原・切明方面に向かう時、真正面に鳥甲山連峰の白沢が眼前に大き

く広がります。

 

 405を走ってきて、「のよさ」や「天池」がある上野原集落の入口に入っていく車は多く見積もっても10台中3台がせいぜいではないでしょうか。でも、人びとに関心がないのではありません。
 観光地であれば、たとえば5km手前に「この先5km、絶景・鳥甲山眺望地、天池」といった看板が国道脇に設置されています。4キロ先、3キロ先、2キロ先にも看板。そして、1キロ先、500m先になれば、「この先1km左折、天池」と大書された看板があるはずです。
 さらに、そうして辿り着いた天池、ただ景色だけでは物足りないですね。やはり、秋山郷の暮らしぶりにも及ぶような地元の人との会話のチャンスが広がれば最高です。もちろん、人それぞれの暮らしがありますから、観光客の都合に合わせる暮らしは無理です。そこで活躍するのが案内人であり、観光プロデューサーです。そんな人材はいるのか? います!ひとまずは、秋山の地域おこし協力隊メンバーの活躍が期待されます。
 そういうことの積み重ねから職業的ガイドや総合プロデューサーが生まれてくると思います。

 

 いま、栄村は苦しい局面です。明るい話題よりも暗い話題が多い感じがします。
 その局面を転換する時が〈震災満7年〉の今なのではないでしょうか。村のイニシアティブを村民の手に取り戻しましょう。


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